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宮国, 薫子 Miyakuni Kaoruko
沖縄県の観光客数は2000年以降、従来の圏内の観光客とともに外国人観光客が勢いをつけて増加している。観光客は、沖縄の美しい自然や南国の雰囲気をもとめて、また、独特の文化や歴史に触れるために、老若男女、様々な観光客がやってくる。沖縄の様々な観光地の中でも、始めてくる観光客もリピーターも、一度は訪れるともいわれる観光デステイネーション(観光地)に那覇の国際通りがある。本稿では、観光地(デステイネーション)において持続可能な観光が行われているかどうかの指標として提示された、「観光リンケージ(Miyakuni& Vander Stoep2006) 」 (観光開発の枠組み)を用いる。観光リンケージには、構造物、視覚、情報、経済・マーケティング、解説(インタープリテーション)のリンケージがあるが、本稿では、特に、構造物のリンケージと交通のリンケージに言及し、住民の暮らしの質を守りつつ観光客の観光経験をも高めるために、どのような施策ができるかを考えることにある。
宮国, 薫子 Miyakuni, Kaoruko
本稿では、持続可能な観光開発のための枠組みとして2006年に提示し、沖縄県那覇市首里金城地区景観形成地域をモデルに検証した「観光リンケージ」を再考する。観光開発は、地域の様々なステークホルダーが関与しており、地域に様々な経済的、社会的、環境へのインパクトをもたらすがゆえ、様々な観光を構成する要素を考えて計画的に行われなければならない。観光リンケージの概念は、観光のあらゆる要素(構造物、視覚、情報、交通、経済・マーケティング)において、連携を持たせることによって、持続可能な観光開発ができることを示唆している。2006年の時点において「観光リンケージ」は、観光開発を見る一つのレンズとして様々な特徴や問題点を指摘した。本稿では、近年、急速に発展する沖縄県の観光の中核をなす首里景観形成地域の変化を再度、観光リンケージという枠組みを通して検証する。
王, 怡人 Wang, Yi Jen
本稿の目的は、訪日観光客の大半を占める中国人旅行者の旅行先での写真撮影行動について、撮影状況( 内容と枚数)、ネットメディアでの投稿状況、そして観光経験といった側面から実証データを使って検証することである。 さらに検証結果に対して考察を行い、観光地の運営に関して「非日常を演出するための動態的資源開発」、「観光客と観光地における物事・人々との関係性構築」、「パフォーマンスを活用した観光地魅力度の風化対策」と「観光客の情報発信に関連する試み」といった4 つのインプリケーションを見出した。
柴崎, 茂光 Shibasaki, Shigemitsu
本報告では,観光雑誌・ガイドブックとして知られている「旅」や「るるぶ」の文字情報や写真情報を活用しながら,1993年に世界自然遺産に登録された屋久島の観光イメージの変遷を明らかにした。その結果,時代ごとに観光地「屋久島」のイメージが変化してきたことが明らかとなった。1950年代には秘境としての屋久島が強調され,山域よりも里の暮らしなどが観光資源と表現されていた。国立公園に編入された時期を除いて,1980年代までは里の温泉や滝が主要な観光資源として頻繁に写真などにも掲載された。しかし 1990年代以降になり,世界遺産登録も一つの契機となり,観光イメージの中心が,縄文杉や白谷雲水峡といった山域に移行した。とりわけ近年は,エコツーリズムを活用した新たな観光形態が紹介されるようになる。例えば,太鼓岩やウィルソン株のハート形の空洞などに代表される新しい観光資源が誕生し,観光地「屋久島」イメージの変化にも影響を与えていた。
大角, 玉樹
2022 年の夏はレンタカーが沖縄から消えた。コロナ禍で観光需要が蒸発したことから,県内のレンタカー会社は大幅に在庫を減らした。その状況下で,国内の観光客が一挙に沖縄に押し寄せたため,レンタカーが予約できな異常事態を迎えた。沖縄観光の主要な交通手段はレンタカーであり,公共交通機関が脆弱なため,レンタカー無しの観光客は不便を強いられることとなった。本稿では,筆者の宮古島での体験をもとに,車無しでも観光が楽しめるだけではなく,地域住民の移動手段も同時に向上できるような沖縄MaaS への期待を整理した。
山本, 光正 Yamamoto, Mitsumasa
本稿は明治から大正にかけての東京の観光及び東京人の行楽について考察したものである。東京は江戸の時代から現代に至るまで、観光地しての側面を持ち、多くの人々が訪れているが、ここでは、観光地東京を考察するための主たる資料として、東京の案内書を利用した。
宮国, 薫子
2015 年に国連のSDGs(Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs が様々な分野で研究され取り組まれているが、観光の分野においても、観光がSDGs の達成にどのように貢献できるかの議論が活発になっており、観光と SDGs の関係が模索されている。2021 年 7 月に,奄美大島,徳之島,沖縄県北部,西表島,が世界自然遺産に認定された。沖縄県北部では,電気自動車を用いたエコツーリズム事業が開始され,2020 年から,環境省や沖縄県自然保護課、一旅行会社が主体となって、SDGs を基に作成された GSTC (Global Sustainable Tourism Council)の持続可能なデスティネーション基準をもとに観光の自主ルール構築に取り組んできた。本稿では,SDGs と観光について概観し,その取り組みについて紹介し、持続可能な観光開発が,国連のSDGs 達成にどのように貢献できるかを,明らかにすることである。
王, 怡人 大津, 正和 地頭所, 里紗 張, 瑋容 竹村, 正明
既存の観光地研究は,(成功)事例の報告に傾注するあまり,理論的定式化が看過され,理論の構築や蓄積に繋がりにくかった。本稿は「資源アプリケーション・マトリックス」という概念モデルを用いて,観光地研究の理論的枠組の開発に寄与する。とりわけ製品開発やイノベーション研究の知見を援用しながら,観光地化のメカニズムを実証的に明らかにする分析枠組みの開発を目指す。
桑原, 浩 Kuwabara, Hiroshi
本研究の目的は、デステイネーションマーケティングの視点から、各観光地における観光客の飲食庖体験の特徴を把握する新手法を、試行し提案することであった。具体的には、観光地における食の地域性の肯定的知覚を成果指標として、それに影響する飲食庖体験の属性を線形重回帰モデルによって確認し、その属性情報によって観光地の特徴を把握するという手法である。本手法の有効性を検討するために、北海道と京都府への観光客から得たデータにこの手法を適用した結果と、地域毎の体験属性の直接測定結果とを比較した。その結果、前者の結果が後者の結果以上に、DMOの意志決定に貢献できる明瞭な情報をもたらすという事例が示された。
越智, 正樹 Ochi, Masaki
事業の費用対効果への説明要求が厳しさを増し、また機械的ガイド等の技術革新も盛んな今日において、まち歩き観光はその継続発展のために、他の観光形態との弁別性と成果(特に社会的効果)の説明可能性を高めることが求められている。だが、そのいずれを説明するにおいても、十分に論理的な基準は構築されてこなかった。本論の目的はこのうち、まち歩き観光の弁別性について、ツアー内容の分析基準を掲示することにある。まち歩き観光およびツアーガイドに関する諸論考に依拠して本論は①市民参画、②ツアーリーダー性の先行、③語りの特有性、⑤まなざしの革新と回収、⑥歩くことの意識、の6つの分析基準を算出した。
Kakazu, Hiroshi 嘉数, 啓
沖縄を含む太平洋島嶼地域にとって, 観光産業は対外受け取り総額の20-70%を占ある基幹産業であると同時に, 今後の成長産業でもある。観光は貴重な「外貨」を稼ぐ「サービス産業」であると同時に,「平和産業」,「文化産業」であり, これらの島嶼地域のもつ, ユニークな自然, 気候風土, 文化, ニッチ市場, 人的資源をフルに活用しうる複合・連携型産業である。島嶼観光は, 水, 電気, 交通・通信, ゴミ処理施設などの生活インフラはむろんのこと, 島嶼の限られた, しかも壊れやすい自然環境資源と人々の「ホスピタリティ・マインド (社会的心理状態)」に大きく依存していることもあって, これらの観光資源の社会的キャリング・キャパシティが課題になって久しい。特に沖縄への入域観光客数は,「沖縄ブーム」の追い風を受けて, 復帰後の35年間に12倍, 県人口の4倍に達し, 予想以上のペースで成長していることから, 受け入れのキャパシティが問われている。沖縄県は今後10年間で, 一千万人 (県推計人口の7倍) の観光客受け入れを目論んでおり, 観光のもたらす経済効果と同時に, そのマイナス面も議論する時期にきている。果たして, 沖縄の自然環境, 生活インフラは, (水だけでも県民の3倍もの量を消費すると言われている) 一千万人の観光客を収容しうる環境容量があるかどうかが問われている。本論の目的は, 成長が持続する沖縄観光に焦点をあて, 島嶼観光の現実と課題, その持続可能性, キャリング・キャパシティについて, 利用可能なデータを駆使して検証する。特に沖縄観光のキャリング・キャパシティについて, 種々のアプローチを試みた。キャリング・キャパシティの制約要因の中で, 座間味村ですでに顕在化しているように, 水供給と環境汚染に加えて, 過度の財政支出が最も深刻な問題になることが考えられる。これらの問題を解決する手法も提示した。沖縄観光のキャリング・キャパシティについての測定は限定的ながらすでになされているが, しっかりした理論フレームの下での信頼できる膨大なデータ収集が要求されることから, 個人レベルでの研究には限界がある。ここで提示したデータとアプローチは, その初歩的な段階であり, 今後のフォローアップに期待したい。
宇野, 功一 Uno, Kouiti
都市祭礼を中核とする経済構造を以下のように定義する。①祭礼の運営主体が祭礼に必要な資金を調達し、②ついでその資金を諸物品・技術・労働力・芸能の確保に支出して祭礼を準備、実施し、③祭礼が始まると、これを見物するために都市外部から来る観光客が手持ちの金銭を諸物品や宿泊場所の確保に支出する。以上の三つの段階ないし種類によってその都市を中心に多額の金銭が流通する。この構造を祭礼観光経済と呼ぶことにする。また、②に関係する商工業を祭礼産業、③に関係する商工業を観光産業と呼ぶことにする。
高橋, 晋一 Takahashi, Shinichi
本稿の目的は,阿波踊りにおける「企業連」の誕生の経緯を阿波踊りの観光化の過程と関連づけながら検討することにある。とくに,阿波踊りの観光化が進み,現代の阿波踊りの基盤が作られるに至る大正期~戦後(昭和20年代)に注目して分析を行う。大正時代には,すでに工場などの職縁団体による連が存在していた。またこの頃から阿波踊りの観光化が始まり,阿波踊りを会社,商品等の宣伝に利用する動きが出てきた。昭和(戦前)に入ると阿波踊りの観光化が進み,観光客の増加,審査場の整備などを通して「見せる」祭りとしての性格が定着してくる。小規模な個人商店・工場などが踊りを通じて積極的に自店・自社PRを行うケースも出てきた。戦後になるとさらに阿波踊りの観光化・商品化が進み,祭りの規模も拡大。大規模な競演場の建設と踊り子の競演場への集中は,阿波踊りの「ステージ芸」化を促進した。祭りの肥大化にともない小規模商店・工場などの連が激減,その一方で地元の大会社(企業)・事業所の連が急激に勃興・増加し,競演場を主な舞台として「見せる」連(PR連)としての性格を強めていった。こうした連の多くは,企業PRを目的とした大規模連という点で基本的に現在の企業連につながる性格を有しており,この時期(昭和20年代)を企業連の誕生・萌芽期とみてよいと思われる。なお,阿波踊りの観光化がさらに進む高度経済成長期には,職縁連(職縁で結びついた連)の中心は地元有名企業から全国的な大企業へと移っていく。阿波踊りの観光化の進展とともに,職縁連は,個人商店や中小の会社,工場中心→県内の有力企業中心→県内外の大企業中心というように変化していく。こうした過程は,阿波踊りが市民主体のローカルな祭り(コミュニティ・イベント)から,県内,関西圏,さらには全国の観光客に「見せる」マス・イベントへと変容(肥大化)していくプロセスに対応していると言える。
桑原, 浩 Kuwahara, Hiroshi
本研究の目的は、桑原(2017)に引き続き、デスティネーション・マーケティングの視点から、観光客による地域特有の飲食店体験に注目した。具体的には、観光客による最上級の飲食店体験評価(地域飲食店ピーク体験度)を目標指標として設定したうえで、その目標に有意に影響する飲食店体験属性を検出し、それら属性の分析をもって各地域の飲食店体験の現在特徴と仮定する、という手法を提案した。そして、国内旅行市場における北海道と京都府の観光客データに適用した限りにおいて、地域飲食店ピーク体験度は両地域で同水準ながら、北海道旅行者のモデルで最も影響力のあった体験属性は「斬新な料理を食べた」であり、京都府旅行者のモデルでは、「店内が伝統的な雰囲気だった」であるという明確に特徴的な結果を得た。本手法は、多様な観光体験の中で、特に飲食体験を最も重視してプロモーション活動を行おうとするDMOs にとって、有効性を発揮する可能性が示唆された。
編集委員
琉球大学観光科学科は、2005年度、国立大学法人の中で全国初となる、観光学を専門とする学科として設立された。すなわち、本学科は2014年度末をもって、設立10年という節目を迎えたことになる。また2014年度は、琉球大学と沖縄観光コンベンションビューローとの共催により、「地域観光人材育成セミナー」を執り行った。そこで、同セミナーの締めくくりたる総括シンポジウムを、学科10周年記念シンポジウムと合わせて、下記のとおり開催することになった。学科としてこの10年に成し得たこと、成し得なかったこと、また、これからの10年、さらにその先の将来に向けて進むべき方向性について、各分野の有識者にお集まりいただき、議論を行った。本誌はこのシンポジウムのうち、パネルディスカッションの記録を掲載するものである。
飯島, 祥二 桑原, 浩 金城, 盛彦 Iijima, Shoji Kuwahra, Hiroshi Kinjo, Morihiko
本講演会は,株式会社OTS サービス経営研究所と,琉球大学大学院観光科学研究科が共同で設置した, 「沖縄DMO セミナー in 沖縄実行委員会」の主催で企画されました。その趣旨は,2017 年に入域観光客 数が939 万人となり,目標だったハワイの観光客数を初めて上回ったものの,平均滞在時間や消費額 では依然として及んでいません。また,観光の急速な拡大により浮き彫りになる様々な問題や課題を解 決する上で中心的役割を果たす組織として近年,益々注目を集める「DMO(Destination Management Organization)」について,国内外で活躍する米国の州立セントラルフロリダ大学の原忠之准教授,お よび首都大学東京清水哲夫教授のお二人の識者をお招きし,事例をまじえそこで必要とされる人材と機 能について,お話をうかがう予定でした。しかし,開催日の9 月28 日(金)に沖縄地方が台風28 号 の直撃を受け,多数の事前参加希望者の登録があったにもかかわらず,中止となってしまいました。  そこで,少しでも講演会に代わり得るものとして,ここでは,両識者より事前に預かっていた同日の 講演資料を提示させて頂きたいと思います。
宮内, 久光 Miyauchi, Hisamitsu
1990年代に入り、沖縄県では新しい観光形態の一つであるエコツーリズムが導入された。本稿では、まず先例研究の定義例から、エコツーリズムの目的、対象地(目的地)、環境に対する責任の3点から考察した。次に、沖縄県におけるエコツーリズムの導入と現状について、行政の取り組みとエコツーリズム協会の設立を紹介した。2002年の段階では、離島市町村の行政レベルでエコツーリズムの取り組みはあまり行われていないが、今後、沖縄振興策の具体的政策としてエコツーリズムが県内各地に導入されることが予想された。最後に、エコツーリズムに基づく観光の先進地である竹富町西表島で、住民にその評価を尋ねたところ、エコツーリズムは自然環境の保全や、観光業の発展には弱い正の評価が認められた。しかし、雇用や所得の増加など、経済的な効果にはあまり貢献をしていないと認識されていた。
越智, 正樹 Ochi, Masaki
本論の目的は、「農的自然」という新たな概念の必要性と可能性について、観光的現象を手がかりとして指摘することである。議論は、観光立県を標榜する沖縄県において、都市とも農村とも言いがたい地域が広がる本島中部地方の、あまり注目されていない2事例を紹介しながら展開する。まず中城村のNPOによる民泊事業の事例からは、観光的現象との接続において二次的自然の再-序列化が生じていること、都市圏の鄙における実践をすくい取るためには農村的自然と等値でないものとして「農的自然」概念を設定する必要があること、を指摘する。次に宜野湾市大山の田イモ水田域の事例からは、都市圏の広大な栽培湿地塊の衰滅を遵けるため、「緑地」「公園」としての客体化はもはや不可避だとしても、生産活動とかかわる自然性は緑地等と異なるものとして分節化しておくべきであること、そのために「農的自然」概念が必要であることを指摘する。以上の議論を踏まえて本論は、「農的自然」概念を広義と狭義に分け、農村的自然との関係性も内包した整理を行う。その上で最後に、「農的自然」の公益性と可能性について論及する。
下地, 敏洋 Shimoji, Toshihiro
本事例報告は、観光産業科学部の提供科目である「長寿の科学」において、著者が担当した「老年学への招待-サクセスフル・エイジングを通して-」の講義内容に基づくものである。
原山, 浩介 Harayama, Kosuke
20世紀のツーリズムの高揚は,まず1930年代にひとつのピークを迎えた。その後,日中戦争に突入後も,1942年までは戦時ツーリズムというべき状態が続いたとされる。こうした現象は,都市部に住む人びとの旅行熱を説明するものであるが,そうした人びとを受け入れる観光地からこの時代を眺めたとき,違った説明が必要になる。
内田, 順子 Uchida, Junko
基幹研究「地域開発における文化の保存と利用」におけるアイヌ文化に関する研究成果は,2013(平成25)年3月19日にリニューアルオープンした第4展示室(民俗)に反映されている。新しい民俗展示室におけるアイヌ文化についての展示は「アイヌ民族の伝統と現在」というテーマ名をもち,「現代のアイヌアート」と「資源の利用と文化の伝承」というふたつのテーマから構成されている。この展示のベースには,「文化の資源化」,すなわち,アイヌの人たちが,観光や大規模開発などをきっかけとして,どのように自身の文化を対象化し,継承すべき資源として見いだしてきたのか,という問題がある。本稿では,観光を契機とした文化の資源化の観点から,展示で紹介している白老および二風谷を事例として検討するものである。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
観光産業科学部では、早期キャリア教育の一環としての東京派遣プログラム、かりゆし人財育成基金を活用したハワイ研修、シンガポール研修、および国内研修等、数多くの充実した研修プログラムを実施している。しかしながら、就労しながら学んでいる社会人学生にとっては、研修期間が長すぎることがネックとなっており、比較的短期間で設計された社会人学生向けの研修プログラムの開催を望む声が多く出されていた。産業経営学科は夜間主コースを提供しており、社会人学生も多く学んでいることから、これまで社会人特別経費を活用して、ITやサービス分野の第一線で活躍する講師陣を招聘した産学官連携講座や特別セミナーを実施してきた。しかしながら、夜間の時間帯や土曜日を利用した講義運営が難しいことと、県外ないしは海外での特別研修を希望する声が強いことを受け、本年度は試行として、北海道での研修を実施することとなった。北海道も沖縄同様、観光に力を入れており、産業振興のための産学官連携も数多くみられ、社会人学生が政策の調査、比較検討を行う場として適した環境にある。周知のとおり、沖縄県民は北の地の雪に憧れ、北海道民は冬に南国沖縄の暖かさを夢見ると言われている。いわばお互いが憧れの地の一つでもある。また、北海道は、「食と観光」に関連する政策にも力を入れており、沖縄との連携による新製品開発、販路拡大や物流経路の拡大などの可能性も広がっている。観光と経営を学んでいる学生にとっては、今後の政策を身近に考える格好の教材ともいえるロケーションである。本稿では、今回の研修の目的、内容、及び現地での活動と参加者のアンケートを整理し、政策課題でもある交流産業創出と産学連携によるイノベーションを促進するための社会人学生研修プログラム・デザインに向けた課題と方向性を議論している。
越智, 正樹 Ochi, Masaki
今日、全国の様々な観光現象において、非観光業者である住民が参画して個性的な魅力を発揮することが奨励されている。一方で、素人による個性の発揮はトラプルの発生にも繋がりやすく、平準化に向けた規制等が発動される例もある。このような平準化の流れの中で、非観光業者ならではの個性発揮はどのように維持あるいは変質されるものなのだろうか。本論はこの問いについて、沖縄県の教育旅行民泊を対象とし、民泊受入団体と旅行社とがその個性的価値をどのように認識しているか、またその価値がいかに(非)伝達・共有されているか、さらに受入団体側の自己規範化がいかに行われているか、の分析を通じて考察した。結果として、個性的価値が不明瞭なまま措かれている事柄は、価値仲介者(旅行社)との意思疎通の不足が拍車をかけて、その価値を担う主体(受入団体)自らによって平準化が優先され、その価値は矮小化の恐れに晒されていると言わざるを得なかった。これを避けるためには、受入団体側と旅行社側との協働による価値の言語化が必要であり、これを実現するためには第3者がリーダーシップを発揮するしかないことが指摘される。
門田, 岳久 Kadota, Takehisa
本論文は消費の民俗学的研究の観点から、沖縄県南部に位置する斎場御嶽の観光地化、「聖性」の商品化の動態を民族誌的に論じたものである。二〇〇〇(平成一二)年に世界遺産登録されたこの御嶽は、近年急激な訪問者の増加と域内の荒廃が指摘されており、入場制限や管理強化が進んでいるが、関係主体の増加によって御嶽への意味づけや関わり方もまた錯綜している。例えば現場管理者側は琉球王国に繋がる沖縄の信仰上の中心性をこの御嶽に象徴させようとする一方、訪問者は従来の門中や地域住民、民間宗教者に加え、国内外の観光客、修学旅行客、現場管理者の言うところの「スピリチュアルな人」など、極めて多様化しており、それぞれがそれぞれの仕方で「聖」を消費する多元的な状況になっている。メディアにおける聖地表象の影響を多分に受け、非伝統的な文脈で「聖」を体験しようとする「スピリチュアルな人」という、いわゆるポスト世俗化社会を象徴するような新たなカテゴリーの出現は、従来のように「観光か信仰か」という単純な二分法では解釈できない様々な状況を引き起こす。例えばある時期以来斎場御嶽に入るには二〇〇円を支払うことが必要となり、「拝みの人」は申請に基づいて半額にする策が採られたが、新たなカテゴリーの人々をどう識別するかは現場管理者の難題であるとともに、この二〇〇円という金額が何に対する対価なのかという問いを突きつける。
柴崎, 茂光 Shibasaki, Shigemitsu
本報告では,鹿児島県屋久島で行われているエコツーリズム業が地域社会に及ぼす経済的影響を,西暦2000年前後に焦点を絞って,需要側(観光客側)・供給側(エコツーリズム業従業者側)双方の視点から明らかにした。屋久島を訪問する年間約20万人程度の観光客のうち,19-21%に当たる約34,000-38,000人が,屋久島滞在中にエコツアーを利用していた(2001-2002年)。またエコツアーを利用した観光客の過半数(57-60%)が,パッケージツアー(以下,パック旅行)を利用しており,エコツーリズム業とパック旅行の関係が密接であることが判明した。エコツーリズム業の経営構造を分析した所,費用の約50%は労務費が占めていた。その一方,減価償却費は旅館業やボーリング場経営に比べ小さい金額・比率にとどまっており,開業に必要な投資額が莫大でないことが示唆された。損益分岐点分析を行ったところ,売上高は損益分岐点売上高を上回り,また損益分岐点比率もホテル業などよりも小さい値であるため,経営環境は良好であると推測された。屋久島のエコツーリズム業の売上高は,年間5億1,000万-5億7,000万円と推定された。エコツアー業の経営環境は良好である一方で,山岳地域への環境負荷も増大させてきた。こうした状況に対して公的機関を中心に,荒川登山バス(シャトルバス制度),様々な対策を導入してきたものの,抜本的な解決には至っていない。
国際日本文化研究センター, 資料課資料利用係
京都東部に位置する岡崎。美術館・図書館・動物園・平安神宮など、さまざまな文化施設や観光名所があり、いつも賑わいを見せています。1895(明治28)年の第4回内国勧業博覧会以来、徐々に開発が進んで現在の形へと近づいていきます。古地図と絵はがきでその歴史をたどります。
山本, 理佳 Yamamoto, Rika
本稿で取り上げる大和ミュージアム(広島県呉市)は,正式名称が「呉市海事歴史科学館」であり,呉市を設立主体とする博物館である。呉における戦前から戦後に至る船舶製造技術を主たる展示内容としているが,愛称の「大和ミュージアム」が示すように,旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造およびその軍事活動が展示の中心となっている。こうした特徴から,大和ミュージアムは少なからぬ物議を醸しつつ,2005(平成17)年4月23日に開館した。ただし,多くの関係者の予想を大きく裏切り,大和ミュージアムは極めて多くの入館者を集め,開館後約8年を迎えた2013(平成25)年3月17日,累計入館者数が800万人に達した。通常の地方の歴史博物館の年間入館者数が数万人という規模であることからも,その極度の人気ぶりがうかがえる。この博物館は,その人気ぶりから呉市やその周辺の観光・地域戦略を大きく変化させている。本稿では,そうした大和ミュージアム開館を契機とする呉市周辺の観光・地域戦略の変化について明らかにするものである。
Murphy, Patrick D. マーフィー, パトリック D.
世界的な石油生産のピーク到来という観点から、沖縄は昨今の経済発展の方向性について再考する必要がある。エネルギーの価格高騰が沖縄の経済に打撃を与えることが予想される中、沖縄は安価な交通手段に支えられる観光産業とは異なる、新たな経済的手段を模索しなくてはならないだろう。液体燃料や石炭などの固形燃料の運搬コストが高騰しているため、電気エネルギーの生産は、化石燃料への依存から脱却する必要がある。また、海水の淡水化も影響を受けるため、観光産業に十分な量の水の供給能力にも問題が生じる可能性がある。ピークオイルと気候変動の衝撃は互いに不可分な合併要素として経済組織に衝撃を与えることなど、沖縄は、エネルギー生産と生活基盤の危機という観点からも、気候変動の危険性について指摘する必要がある。いずれの場合においても、持続可能性が最も重要な指針となることは言うまでもない。
武井, 基晃
琉球王国時代から今日に至るまでの沖縄の食文化は,第二次世界大戦時の地上戦という文化・生活の崩壊のあと,戦後アメリカ統治下における高度経済成長,日本本土復帰さらに観光化を経て復興した。それは,琉球の食文化・琉球料理の保存,そして次代へと沖縄の料理を発展させるための意識的な再定義の結果でもあった。
王, 怡人 大津, 正和 地頭所, 里紗 張, 瑋容
本稿は2023 年にDMO を対象に実施した実態調査の結果をまとめたものである。目的は,DMO の組織特性, 観光資源の豊富さという地域特性,そして観光振興に関連する様々な取組への積極性といった3 つの変数間の関係 を明らかにすることである。なお,DMO の組織特性について本調査では,組織の種別や常勤職員数の他,意思決定 の様式など多次元的に検討した。
新本, 光孝 砂川, 季昭 Aramoto, Mitsunori Sunakawa, Sueaki
1.本研究は西表島における観光開発の基本的な方法を明らかにするためにおこなったものである。2.今回は, 西表島の概況, レクリェーション利用者の分析, 森林保護の状況などについて述べた。この研究調査をおこなうにあたり, 貴重な文献のご送付やご助言をいただいた日本林業技術協会指導部長島俊夫氏, 熊本営林局計画課長有村洋氏, 沖縄営林署長羽賀正雄氏ならびに調査にご協力をいただいた祖納担当区宮内泰人氏, 上原担当区金城誠俊氏, 琉球大学熱帯農研新城健氏, 神里良和氏, 新本肇氏, 祖納部落の那根団氏に対し深謝の意を表する次第である。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
本稿では、沖縄感染症研究拠点形成促進事業の一環として実施されているイノベーション・エコシステム形成に向けた研究を紹介し、政策提言に向けた分析を行う。地球温暖化、グローバル化、ヒトやモノの移動の急増により、感染症のリスクが急増しており、実効性の高い政策が求められている。沖縄も、観光客と物流の急増を受けて、感染症対策が急務であり、内外の研究機関や公的機関と連携をとりながら研究開発とネットワーク形成を推進しており、将来的には持続的なイノベーションを創出する感染症研究拠点形成も予定されている。本稿では、その実現に向けたCSV モデルと今後の政策的課題を提示する。
山本, 芳美
本論は、19世紀後半から20世紀初頭における外国旅行者による日本でのイレズミ施術について取り上げる。この時代は、日本においてイレズミに対する法的規制が強化され、警察により取り締まられた時代でもある。しかし、法的規制が課せられた時代においても、日本人対象の施術がひそかに続けられていた。一方、同時期は欧米を中心にイレズミが流行した時期でもある。日本人彫師たちは、長崎、神戸、横浜ばかりでなく、香港、アジア各地の国際港に集まって仕事をしていた。状況を総合すると、日本国内の施術では、外国人客にとっては「受け皿」、彫師にとっては「抜け道」が形成されていたことが強く示唆される。つまりは、日本ならではの観光体験メニューとして、イレズミ体験が存在していたと考えられるのである。
金, 廷恩
近世は、街道の整備と庶民生活の経済的向上にともない、楽しむ旅が大衆化した時代であった。京都の寺社では、近世初期から遠忌・開帳を盛んに催して客の誘致につとめており、旅人の来訪による経済効果も無視できない水準にまで達していた。このような時代背景の中で、モデルコースを収録した案内記が登場した。それは、アクセスに重点を置いた内容で、旅人が携帯して参照できるよう、小型に作られた実用書であった。そこに収載されたモデルコースとは、定められた基点から出発して、道なりの名所を順覧し、基点に戻るというものであり、現在のワンデープランや周遊モデルコースにつながるわかりやすい観光案内の原型と言える。しかし、これまでの研究では、注目されることが少なく、地誌の形態における多様化の一環として捉えられるにとどまってきた。
青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
本稿は,五箇由と白川郷に計3ヶ所の世界遺産登録地域を有する庄川流域を事例として,観光化の進展によって忘れられていった開発の歴史と研究史をあらためて見直し,かつての山村生活の様子を思い起こす試みをおこなったものである。現在の五箇山と白川郷においては,世界遺産に登録された相倉集落,菅沼集落,荻町集落の合掌造り民家ばかりが注目されているが,かつては庄川流域一帯で同様の民家に住み,焼畑や養蚕を中心とした生活を営んでいた。それが,1920年代からのダム開発とそれに伴う道路改良事業によって合掌造りの屋根を下ろす民家が急増し,その一方で生活水準の格差が拡大して,離村・廃村が相次いだ。また,研究上においても,1900年頃から合掌造り民家の起源に注目が集まっており,その後,ダム開発に対する住民の対応や生活様式の変化に関心が移っていった。
森, 誠一 Mori, Seiichi
メコン川流域における魚類相とその特徴を文献から整理し、生物多様性への人為的影響に関する資料収集をおこなった。ダム構造物とその管理実態は、生物に生息にとって負荷的影響が一般に考えられ、ナムグム・ダム湖面の観光利用やアフリカから移入されたティラピアの粗放的養殖場を含めた視察をおこなった。ナムグム・ダム周辺および近隣の粗放的水田地帯(湿地)や湖沼における魚類相の把握を、文献や現地取材によっておこなった。ダム構造物による水文的変化、外来魚の養殖と拡散、日常生活における食利用や遊興としての魚取りといった3つの様相が、生物多様性に与える影響としてどのような質的差異があり、それぞれがどの程度に有効であるのかを解析するための資料を得た。
香川, 雄一 Kagawa, Yuichi
公害問題発生工場の立地と移転を通じて,研究対象地域における景観の意味づけを捉えなおした。日本において代表的な工業都市である川崎の臨海部は戦前から高度経済成長期にかけて工業地帯を形成してきた。結果的に工場が乱立する景観を構成していくのだが,工場立地当初は別の場所における公害問題発生工場が移転してきたという歴史的経緯を持つ。川崎が工業化を進めたのに対して,以前の工場立地場所である東京の深川と三浦半島の逗子はそれぞれ工場景観を消し去ってきた。深川は都心周辺部の居住地や業務地区さらに周囲には庭園を備えるように景観を転換させた。逗子は高級リゾート地と大衆観光地の両方で臨海部の景観資源を活用していく。工場の跡地がマリーナとして整備されたことにもその一端がうかがえる。
新本, 光孝 砂川, 季昭 山盛, 直 Aramoto, Mitsunori Sunakawa, Sueaki Yamamori, Naoshi
本研究は, 西表島における観光および森林レクリェーション開発の基本的な方法を明らかにするためにおこなったものである。今回は, レクリェーション・エリアの森林植生の特徴について報告した。その結果を要約するとつぎのとおりである。1.西表島の森林植生は, 熱帯林と亜熱帯林とに大別される。さらに熱帯林はマングローブ林, 海岸乾性林, 熱帯広葉樹林にわけられる。2.森林レクリェーション・エリアの低平地および河川の流域は, 熱帯林でおおわれ, 丘陵地および山の中腹以上は亜熱帯林を構成している。3.このように, 樹種構成の多様性, 複層的構成および標高位置における植生の変化などが西表島における森林レクリェーション・エリアの大きな特徴である。4.さらに, マングローブ林の樹形, 支柱根, 気根およびサキシマスオウノキの板根などの特異な景観は, 保健休養的機能を十分にはたすものと考えられる。
阿南, 透 Anami, Toru
本稿は,高度成長期における都市祭礼の変化を,地域社会との関係に注目しながら比較し,変化の特徴を明らかにするものである。具体的には,青森ねぶた祭(青森県青森市),野田七夕まつり(千葉県野田市),となみ夜高まつり(富山県砺波市)を例とする。青森ねぶた祭では,1960年代に地域ねぶたが減少するが,1970年代には公共団体や全国企業が加わって台数が増加し,観光化が進んだ。そして各地への遠征や文化財指定へとつながった。野田七夕まつりなどの都市部の七夕まつりは,1951〜1955年に各地の商店街に普及するが,1965〜1970年頃に中止が目立った。野田でも1972年にパレードを導入し,市民祭に近づけることで存続を図った。となみ夜高まつりなど富山県の「喧嘩祭」は,1960年頃に警察やPTAなどから批判されて中断し,60年代後半に復活した。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
平成22年2月25日に大学設置基準等が改正され、教育課程内外を通じた「社会的・職業的自立に向けた指導等(キャリアガイダンス)」の制度化が行なわれ、平成23年4月1日から施行された。これを受けて、平成22年度に文部科学省「大学生の就業力支援事業」がスタートした。これは、近年の長引く不況と雇用環境の悪化を背景に、大学が産業界等との連携による実学的専門教育を含む、学生の卒業後の社会的・職業的自立に向けた取組に対する国の支援事業であり、全国で180校が採択された。一般に、GP(GoodPractice)と称される、大学教育改革の優れた取組を支援する事業である。時代や経済・社会が大きく変化しているにも関わらず、大学教育は旧態依然としていて、社会や学生のニーズから大きく乖離しているという批判はよく耳にするところである。中でも、大学を卒業しても就職できない、あるいは就職してもすぐに離職してしまうという現実は、大学教育の抜本的な変革を迫っていると言える。このような状況の中で、企業や社会が求める人材像も大きく変化し、大学に対しても、学士としての資質はもちろんのこと、卒業後も自らの未来を自分自身で切り拓いていくことのできる能力が身に付く教育を実践してほしいというニーズが高まった。つまり、四年間の教育課程の中で、就業力が確実に習得できるようなカリキュラムやプログラムを策定し、学内・学外の有機的な連携を深めることによって、それらを実施することが、これからの大学に課せられた新たな役割となったのである。この改革を推進するために、文部科学省は大学設置基準等を改正し、社会的・職業的自立に向けたキャリアガイダンスを制度化し、その支援のために、「大学生の就業力育成支援事業」の公募が行われ、本学の観光産業科学部の事業案も採択された。本稿では、観光産業科学部が就業力育成事業に応募するに至った経緯および事業内容を紹介し、今後に向けた課題を整理している。
桑原, 浩 Kuwahara, Hiroshi
本研究は、日本における海外休暇旅行市場の有力セグメントである若年女性層を調査対象者として、インターネット調査により、海外パッケージツアーにおける食サービスの問題点を明らかにすることを目的とした。その結果、旅行中の食事体験に関する全体的満足度、食事がおいしいという属性評価、その国の名物料理を体験できたという属性評価、の3点に関して、食事付の海外パッケージツアーによる旅行者のスコアが、食事をすべて自身で手配している旅行者に比して、有意に劣っていた。しかも上記2つの属性評価に関しては、全体的な満足度に対して特に大きな正の影響度があることが重回帰分析により確認され、改善点として明確となった。また、食体験への期待度が特に大きい観光目的地への旅行者サンプルへの分析結果でも、その国の名物料理を体験できたという属性に関しては、食事付海外パッケージツアー旅行者の評価が、その他の旅行者に比して有意に劣っていた。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
沖縄は終戦後すぐにアメリカ占領統治下に置かれ,アメリカ的な教育の側面を織り込みながら,日本本土とは相対的に独自な歩みをしてきた。ところが1969年に日本復帰が決まり,1972年の日本復帰によって日本本土の教育と同じ歩みが要求された。財政的援助によって学校施設・設備は全国水準に近づいたが,他方で,これまで国費学生制度・米国留学生制度によって沖縄県内の選抜で大学進学できたのが,急に全国の学生と対等に競争することになった。そのため,学力の低さが自覚され,学力向上を希求する意識が高まり,そこから学力問題が浮上してきた。また県教育庁は文部省中央の指示・助言を受けて全国並みの教育施策の実現に力を注いだ。授業についていけない子どもは,旧来の沖縄のテーゲー(適当・いい加減)文化に加えて,急速な観光地化にともない,金銭恐喝・集団暴行などの問題行動に走った。その背後に教師の体罰があるとも言われ,校則・体罰・人権が大きく取り上げられた。以下で,第一期(1972年~1981年),第二期(1982年~1987年),第三期(1988年~現在)に時期区分して,日本復帰後23年の沖縄における学校教育の展開を概観する。
Ikeda, Kyle イケダ, カイル
本論文では、かつての戦地が沖縄戦の生存者とその子孫にとっていかなる意義と意味を有しているかということの例示として、目取真俊の小説およびノンフィクションについて考察する。まず目取真の小説に描かれた第一世代の戦争生存者について分析し、その次に、世代を越えた戦争の記憶がどのように表現されているかについて究明する。戦争の過去を持つ場所で生まれ育った経験は、ホロコーストの生存者の第二世代のような「地理的に強制追放された追記憶」よりもより「追体験的」な語りと想像を展開する傾向にある追記憶、すなわち「地理的に隣接した追記憶」を生み出す。目取真はその小説の中で、沖縄戦が起こった具体的な場所と背景についての深い理解をもとにして戦争生存者の戦争に対する記憶を追体験的に語り、想像している。こうした考察以前に、私はまず日本の戦後世代の全体的な考え方と生存者第二世代のもつより特定的な考え方との間にどのような差異があるかについて論じ、目取真の小説を、生存者第二世代の追記憶と文学の表現の文脈の中に位置づける。最後に、沖縄を観光イメージの風景に塗り替えようとする戦後から現代までの試みに対し、戦争に関する幾層にも交錯した意味がいかに沖縄の風景に生命を吹き込んできたか、その重要性について論じる。
上嶋, 秀和 片岡, 英尋 Ueshima, Hidekazu Kataoka, Hidehiro
平良, 一彦 荒川, 雅志 笠原, 大吾 Taira, Kazuhiko Arakawa, Masashi Kasahara, Daigo
工藤, 泰子
本保, 芳明 Hompo, Yoshiaki
砂川, 秀昭
米屋, 武文 Yoneya, Takefumi
中務, 真人 Nakatsukasa, Masato
宮内, 久光 Miyauchi, Hisamitsu
大島, 順子 Oshima, Junko
清水, 哲夫 Shimizu, Tetsuo
松本, 晶子 Matsumoto-Oda, Akiko
齋藤, 暖生 Saito, Haruo
本研究は,富士山北斜面にて行われてきた生業について,(1)特に採取活動の実態を通時的に明らかにし,(2)これが国立公園制度といかなる関係を持ってきたかを検討した。この地域では,近世から富士山の高山帯に至るまでの広大な山野を背景とした生業活動が繰り広げられていた。大正時代から昭和初期にかけて訪れた国立公園指定と観光開発の動きの中で,富士山北斜面の入会(いりあい)住民はこの動きに主体的にかかわることはなかった。一方で,近世より継続されてきた富士山入会地での資源採取は,入会地の地盤が国有,皇室有,県有と変わる中で,管理の仕組みが精緻化し,特に今に続く入山鑑札制度として基盤が確立した。富士山の国立公園指定により,入会地のほぼ全域が国立公園の区域に包含され,現行制度においては,高山帯および亜高山帯は特別保護地区あるいは特別地域として,旧来の採取活動を停止しうるような規制内容を持っている。しかしながら,各入会組合は依然として入山鑑札を発行し,高山帯であっても人々の採取を容認している。これを可能にするものとして,現行法である自然公園法により特別保護地区が新設される際に,厚生省と農林省間で交わされた覚書で,区域設定前からの慣行は着手行為として規制の対象外とする了解事項が存在する。富士山北麓地域では,少なくとも近世まで遡ることのできる採取活動が実質的に継続しており,かつ,形式的にも鑑札制度があるために採取活動の存在が公認しうるものになっていることが,着手行為としての正当性を担保しているものと考えられた。一方で,入会組合と国立公園管理者の間での情報共有は行われておらず,将来的には,対立が引き起こされる可能性が指摘できる。
仲井真, 治子 Nakaima, Haruko
本研究の目的は1.琉球染織を文化史的に体系づける。2.球琉染織の色彩配合と, 現代の沖縄人の服色嗜好の関連性を追求する。3.琉球染織の消費動向の実態を把握する。の3項目である。実地踏査による資料, 文献資料, 及び口説等から次項の成果を得た。(1)第2次世界大戦前及び大戦後の琉球染織の分布はFig.1,Fig.2に示すとおりである。(2)琉球染織の文化史的特徴はa), 各々の染織の起源はTable 3に示すようにマーウー及びバサー, 紅型, 絣, 久米島紬, 花織の順になっている。b), 発展過程における特色は, 貿易品として重要だったことと, 琉球歴史にみられる税制度, この2つの事柄が琉球染織の発展を促した大きな要因となっている。c)琉球染織の用途はTable 5に示すとおりである。第2次世界大戦前と大戦後に分けて考察すると, (1)大戦前は社会の身分, 階級によって用途が決められていた。(2)大戦後の現在は, 観光関連産業と日本本土への輸出が主な用途になっている。(3), 琉球染織の色彩を考察するとa), 紅型の彩色は有らゆる色相を純色で配合し, 花織の彩色はいくらかこれに近く, 久米島紬がその次に来る。絣, 芭蕉布の彩色が最も純色から遠く, 大部分が単彩である。b)全色相が配された染織物, 純色, それに近い色が配された染織物の使用は少数の王朝士族に限られ, 人口の多数を占める一般平民の着用色は無彩色, 及びほとんどそれに近い色になっていた。400年以上続いたこの制度は, 現代の沖縄人の服色嗜好を支配する一要因になっている。(4), 琉球染織の消費動向は, a)市販状態はTable 5に示すとおりである。宮古上布以外は観光関連産業になっている。b), 消費量は島内消費, 島外消費とも上昇の傾向にあるが生産量の実際には海外需要に応じきれない諸問題がある。今回の研究は琉球染織を対象に, これらの文化史的一研究に, 現状の把握, という段階にとどまった。現状の諸問題にメスを入れていくことを今後の問題として, 琉球染織に関する研究を続行したい。
下地, 敏洋 城間, 盛市 SHIMOJI, Toshihiro SHIROMA, Seiichi
本報の目的は、教職科目「学校教育実践研究2」における指導内容が、「学校教育実践研究1」の導入後、教育実習に対してどのような効果があったのかについて報告することである。特に「学校教育実践研究2」において、学生は教員としての教科指導力の基礎・基本を習得するため、年間指導計画や学習指導案の作成及び模擬授業に取り組んでいる。対象学生は、平成20年度から平成23年度の期間に著者の「学校教育実践研究」及び「学校教育実践研究2」を受講した254人であった。対象学部等は教育学部生涯教育課程、法文学部、理学部、農学部、工学部、観光産業科学部であった。研究方法としては、教育実習事後指導の中で「教育実習所感」としてグループ討議及び発表した内容を「教育実習期間中、困ったこと、改善してほしいこと」、「教育実習を経験して感じたこと」、「大学での事前・事後指導で改善してほしい点、または良かった点」、「これから教育実習を受ける後輩に望むこと」に分類、年度別に集約した。その内容を「学校教育実践研究1」導入前の平成20年度及び21年度と導入後の平成22年度及び23年度について比較検討した。結果は、「学校教育実践研究2」における学習指導案作成や模擬授業の実施は、教育実習での教科指導に有益であることが明らかになった。しかしながら、模擬授業は実施時間が短く、実施時間の拡大、実施回数の増の必要性などの改善が求められている。そのため、自主的に模擬授業を実施することの必要性や実施報告書を提出させるなどの改善が必要であると考えられる。また、学校現場においては、教育実習生に対する評価も高まる一方で、教職に対する意欲の欠如など、教師としての資質に課題のある学生がいることも指摘されている。従って、「学校教育実践研究2」における指導内容の一層の工夫・改善、関係学部間の連携協力の強化を図ることで、資質の高い教員養成の取り組みが求められている。
神谷, 大介 赤松, 良久 宮良, 工 Kamiya, Daisuke Akamatsu, Yoshihisa Miyara, Koh
Hijirida, Kyoko 聖田, 京子
ハワイ大学東アジア言語・文学科では2004年秋学期より新講座「沖縄の言語と文化」を開講した。それに先立つ2年間の準備期間中に,担当教員2人(聖田京子,Leon Serafim)が,ハワイ大学及びハワイ地域社会の支援を得て,沖縄へ赴き資料収集を行った。琉球大学等とのネットワークを形成すると共に,豊富な資料・教材を収集することができ,講座開講に向けて,教材作成を中心とするカリキュラムの準備を順調に進めることができた。 コース内容は文化を中心にした楽しい沖縄学と,聞き,話し,読み,書きの4技能の習得及び基本的な言語構造を理解する沖縄語の初級レベルを設定した。言語学習には,まず表記法と,言語と文化の教科書を決めることが重要な課題であったが,琉球大学と沖縄国際大学の関係者の支援により解決することができた。 文化に関するコース内容は,年中行事,諺,歴史上の人物,民話,歌(琉歌を含む)と踊り,料理,ハワイの沖縄コミュニティーなどの領域を取り上げた。特に,沖縄の文化的特徴や価値観などを表すユイマール,イチヤリバチョーデー,かちゃーしーなどは,クラスのプロセスで実践による習得を目指した。 基本的な学習が終わると,学生は各自のテーマで研究し,ペーパーを書き,発表することとし,それによりクラス全員が更に沖縄学の幅と深みを加え,沖縄理解に至ることを目指した。 学生の取り上げた研究テーマは,沖縄の基地問題や平和記念館,平和の礎,ひめゆり部隊,沖縄の祭り,行事,観光,エイサー,歌手,空手,三線,紅型,ムーチー(民話),紅芋など多岐にわたっており,学生の沖縄に対する関心の幅広さがうかがわれた。 当講座の全体の教育目標は以下のように設定した。1)沖縄語の言語研究上の重要性を理解すると共に,基本文法を習得し,初級レベルでのコミュニケーション実践をタスクで学ぶ。2)沖縄文化を理解し,その価値観や考え方をクラスでの実践を通して学ぶ。3)ハワイにおける沖縄県系人コミュニティーの文化活動に気軽に参加し,かつ楽しめるようになる。 当講座は,開講以来,受講希望者がコースの定員を上回る状況であり,当大学の学生の沖縄の言語や文化への関心の高さを示している。かちゃーしーやユイマール,沖縄料理などの文化体験は大変好評で,講座終了後のコース評価では,沖縄語をもっと学びたい,沖縄文化をもっと知りたいという学生からの声が多く寄せられた。
大角, 玉樹
西普天間基地跡地利用の方向性として国際医療拠点構想が本格化している。同基地は、平成27年3月に返還され、現在、急ピッチで旧米軍住宅が取り壊され、整備が行われている。このエリアを先進的な医療研究を行う国際医療拠点として開発することが閣議決定しており、琉球大学医学部及び同附属病院の移転も計画に含まれている。主に、生活習慣病、再生医療、及び感染症に関する研究開発が行われる予定であり、その実現に向け、沖縄県の事業として感染症研究拠点形成事業が行われており、筆者も感染症研究の技術マネジメントとイノベーションをテーマに共同研究者として参画している。事業の目的は、沖縄を感染症研究の国際研究拠点とし、知的・産業クラスター、すなわち、イノベーション・エコシステムを形成することにより、新たな産業や高付加価値の雇用を生み出すことにある。もちろん、感染症のみならず、先進医療に関する数多くの事業も同時進行中であり、アジアにおけるメデイカル・イノベーションの拠点になることが期待されている。いうまでもなく、感染症の撲滅や制御は長年にわたる地球規模の課題である。2000年に開催されたG8九州|・沖縄サミットにおいて、感染症に対する沖縄イニシアティブが宣言されているほか、エボラ熱、ジカ熱やデング熱の発生を受けた伊勢志摩サミットにおいても共同宣言が採択されている。また、2016年7月に神戸で開催されたG7保健大臣サミットでも、国際的な協調が再確認されている。沖縄も、ひとたび感染症が発生すると、観光産業や物流に壊滅的な影響を及ぼすことから、検疫・防疫対策も含めた感染症研究の推進が求められている。また、わが国の科学技術政策においても、科技術を基盤としたイノベーションの創出が植われており、環境・エネルギ一分野と健康・医療分野がその中核として位置づけられている。これを受けて、沖縄21世紀ビジョンにおいても、同分野の研究開発の推進とイノベーションの創出が政策目標に掲げられており、平成28年度の科学技術ロードマップには、今後10年間の方向性が描かれている。とりわけ、健康・医療分野の市場成長性が高いと予想されていることから、沖縄の国際医療拠点構想にかける政策サイドの意気込みは、非常に強くなってきている。本稿では、このような状況にある国際医療拠点構想に関して、その背景となっている関連政策を整理し、実際にプロジェクトの一つに参画している筆者の視点から、今後の動向を展望しつつ、可能性と課題を検討している。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
沖縄及び琉球大学の戦略的な研究として、「亜熱帯島嶼科学」が提唱され、その推進のため、2005年に、亜熱帯島嶼科学超域研究推進機構が開設されている。過去の外部評価では、学術的な取り組みとしては高く評価されているが、応用研究として、イノベーションや事業化につながる産学官連携を促進することの必要性が喫緊の課題として指摘されている。我が国の経済政策の一つである、「イノベーション25」においても、イノベーションによる持続的成長と豊かな社会の実現が謳われており、辺境に位置し、観光への依存度の高い沖縄が科学技術を活用したイノベーション・アイランドに変貌を遂げていくことが期待されている。世界水準の研究教育を目的とした沖縄科学技術大学院大学の開学は、この期待を一層大きくしている。筆者は、1995年に施行された科学技術基本法以降の、我が国の政策と地域の政策を検討し、国際会議や国際展示会への参加、フィールドワークを通じて、イノベーションを創造する環境や地域特性の調査研究を続けている。過去10数年にわたり、関連研究機関や技術移転に関わる組織、科学技術コーディネータを含め多くの専門家や実務家と意見交換をしてきたが、その大半が、産学官連携によるイノベーション創出の困難性や問題点を指摘する声であり、有効性に疑問を投げかける意見であった。「連携」といいながらも、依然として、お互いの立場や考え方の違いを尊重することが少なく、それぞれが所属組織・機関の目的に従って、個別ばらばらに動いているのが現状であろう。琉球大学における亜熱帯島嶼科学の応用研究の必要性、沖縄21世紀ビジョンに掲げられている沖縄科学技術大学院大学の産学連携やベンチャー創出という政策的方向性を検討する際にも、「連携」ないしネットワーク形成がキーワードの一つになっている。過去の調査研究から、イノベーションを促進・加速するための連携が実現し、地域クラスターがエコシステムに変容を遂げるには、従来の政策ではほとんど考慮されることのなかったソーシャル・ファクターに注目し、そのマネジメントを確立することの必要性を感じている。まだ概念や研究のフレームワークが明確ではないことから、これまでの産学官連携、クラスターに関する主要な研究と近年の経営学における主要な研究トレンドを参考に、予備的考察を試みたものが本稿である。まだ、漠としたイメージしか掴めないものの、ソーシャル・ファクターとツーリズム・キャピタルという概念を取り入れた産学官連携モデルの進化と深化に向けて、理論構築と検証を行っておきたい。
伊波, 匡彦 屋宜, 貴行 田村, 博三 伊良部, 忠男 Iha, Masahiko Yagi, Takayuki Tamura, Hiromi Irabu, Tadao
1. 抽出条件の検討 グァバ葉(100g)粉末を蒸留水2.0ℓで加熱撹拌し抽出した。抽出は30分、40、60、80、95℃でそれぞれ行った。また塩酸および水酸化ナトリウムを添加し、初発pHを2、5、7、9、12に調整して抽出条件を検討した。これらの評価は105℃で加熱乾燥法による固形分量、Folim-Denis法によるポリフェノール量(没食子酸換算)、DPPHラジカルスカベンジャー法による抗酸化活性、アミラーゼ阻害活性(和光純薬工業製アミラーゼテストワコー)を指標として行った。その結果、グァバ葉抽出液の固形分量は温度の上昇と共に増加したがポリフェノール含量は80℃で最大になった。抗酸化活性およびアミラーゼ阻害活性についても同様に80℃が最も高い活性を示した。また、酸性およびアルカリ性では固形分量は増加したが、ポリフェノール含量はpH5.0が最も高かった。抗酸化活性についても同様にpH5.0が最も高い活性を示した。アミラーゼ阻害活性についてはpH5.0よりわずかにpH12.0が高い活性を示した。2.グァバ葉抽出物の製造 乾燥グァバ葉7kgを200ℓ抽出槽を用いて80℃、1時間抽出を行った。その後遠心分離によって固液分離を行い、グァバ葉抽出エキスを得た。これを噴霧乾燥によって粉末化を行った。本法によって得られるグァバ葉抽出物は17.2%のポリフェノールを含み、抗酸化活性およびアミラーゼ阻害活性は保存されていた。また、グァバ葉抽出物粉体は流動性および水に対する溶解性についても良好であった。3.製品開発 グァバ葉抽出物を用いて錠剤およびドリンクの試作を行った。これらは中高年層をターゲットにした、肥満や糖尿病の予防効果が期待される商品として検討した。錠剤は150mg/粒の太鼓型で、グァバ葉抽出物10%を配合した。本製品はバルクでの出荷を検討しており、(株)仲善によって商品化される。ドリンクは50mℓのボトルで、その性格上、グアバ葉抽出物100mgのほか類似した活性を持つ素材を配合した。これらの製品について、健常者を対象とした血糖上昇抑制効果についての試験を検討している。4.商品の販売 グァバ葉抽出物(エキス)を利用して製造した錠剤およびドリンクはそれぞれ「グァバ葉エキス粒蕃」および「グァバ葉エキスドリンク蕃」として平成13年8月(株)仲善から発売を予定している。本商品はこれまで多く市場に見られた「お茶」の形態とは異なる、グァバ葉の生理活性物質を積極的に活用した初めての商品である。主な販路は県内では薬局、スーパー、観光土産品店など、県外ではDMおよびインターネットを活用した直販を行う予定である。
小暮, 修三
かつて、日本の沿岸各地には、裸潜水漁を行いながら生計の主要な部分を賄う人々が存在し、彼/女らは俗に「海人(アマ)」と呼ばれ、特に、男性は「海士」、女性は「海女」と表記されている。この海人の歴史は古く、『魏志倭人伝』や記紀、『万葉集』から『枕草子』に至るまで、その存在が散見される。また、海女をモチーフとした文学作品や能楽、浮世絵も数多く残されている。しかしながら、もはや裸潜水漁で生計を立てている海女の姿は、日本全国のどこにも見つけられない。
才津, 祐美子 Saitsu, Yumiko
本稿では,オーモンデーという民俗芸能(「念仏踊」といわれている)の起源の語りに焦点を当てて議論を展開していく。なぜ衣装や芸態など他の構成要素ではなく,起源の語りを問題にするのかといえば,起源の語りにはそれを語る人の「願望」のようなものが込められているからである。民俗芸能と呼ばれるものの多くは,その起源が明確ではない。いつ,誰が,どのようにして,何のためにはじめたのかは,今となっては誰にもわからないのである。それ故に,多様な語りを許してきた。しかし,起源の語りというのは,単なる自由気ままな想像からのみ生まれるわけではない。いつ,誰が,どういう目的でそのような起源を語るのかということは,語り手自身がその民俗芸能をどう見たいかということと密接な関係がある。オーモンデーの場合,「南方]系の踊という説と,この説を全否定か部分否定する,あるいは全く無視する「風流」系の踊という説があり,この二つが主たる起源の語りとしてあげられる。本稿では,流通量としては圧倒的に多い「南方」系という語りの創出過程を丹念に検討した上で,それがテクスト間で援用されていく様子を考察していく。その際,対抗言説としての「風流」系という語りについても合わせて考察し,両説と語り手の関係について明らかにする。
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