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Kobayashi Masaomi 小林 正臣
本稿はMartha WoodmanseeとMark Osteenが提唱する「新経済批評(The New Economic Criticism)」を検証しながら、文学と経済学の新たな学際性を模索する。社会科学としての経済学は数式を多用した限定的な意味における「科学」を標榜する傾向にあり、人文科学としての文学は経済学-多数の学派に基づく経済学-をマルクス経済学に限定して援用または経済学の専門用語などを誤用する傾向にある。これら問題点を考慮しながら、本稿は両学問の類似性と相違点を認識することの重要性を強調する。例えば、Donald McCloskeyが指摘するように、経済学は数式を用いながらも言語による論証を行うことにおいて修辞的である。またPierre Bourdieuが指摘するように、言語と貨幣は機能的に類似する点が多くあり、それゆえ文学と経済学の「相同関係(homology)」が考えられる。しかし相同関係を発見する一方で、それら学問間の絶えざる緊張関係を維持しながら新たな相互関係を構築する必要があり、その際の媒介を果たすのが新経済批評である。換言すれば、文学は経済学を始めとする諸科学の理論を導入しながら、それら科学に新たな返答をすることが可能な「場」であると認識することで、両学問は相互的な知的活性化を永続できる。かくして本稿は、文学と経済学の学際性の追求は「未知(notknowing)」の探求であると結論する。
シーコラ, ヤン
徳川時代は、ヨーロッパで経済学が独立した学問として登場してきた思想的な激動期に対応している。西洋の思想のある分野――とりわけ自然科学思想――は日本学者に研究され普及してきたが、しかし西洋の政治・経済思想が日本に紹介されることは多かれ少なかれ制約されていた。一方、同時に日本の経済・社会がますます複雑になり、貨幣経済が進展していくにつれて、ヨーロッパの経済学者が考察を深めていったのとよく似た経済現象が形成されていた。
馮, 天瑜
古漢語「経済」の元々の意味は、「経世済民」、「経邦済国」であり、「政治」に近い。日本は古代より「経世済民」の意義で「経済」を使ってきた。近世になって、日本では実学が勃興し、その経済論は国家の経済と人民の生活に重点が置かれた。近代になると、さらに「経済」という言葉をもって英語の術語Economyを対訳する。「経済」の意味は国民生産、消費、交換、分配の総和に転じ、倹約の意味も兼ねる。しかし、近代の中国人学者は、「経済」という日本初の訳語に対してあまり賛同しないようで、Economyの訳語として「富国策、富国学、計学、生計学、平準学、理財学」などの漢語を対応させていた。清末民国初期、日本の経済学論著(とりわけ教科書)が広く中国に伝わったことや、孫文の提唱により、「経済」という術語が中国で通用するようになった。しかし、「経済」の新義は「経世済民」の古典義とかけ離れているばかりでなく、語形から推計することもできないから、漢語熟語の構成根拠を失った。にもかかわらず、「経済」が示した概念の変遷は、汎政治的汎道徳的な観念が中国においても日本においても縮小したことを表している。
石垣, 悟 Ishigaki, Satoru
「国民的生活革命」と呼びうる高度経済成長について正面から取り上げた民俗学的成果は必ずしも多くない。しかし,統計等の資料とともに,聞き書きも重視して歴史を描き出す学的営為を民俗学の方法の一つとすれば,高度経済成長は必然的に聞き書きの対象となり,そこから描かれる「生きた歴史」は,現代に深く関わるものであり,未来を考える有用な材料を提供する可能性もある。
飯田, 経夫
ケインズ経済学と大衆民主主義とが「野合」するとき、深刻な事態が生じる。大衆民主主義下で、得票極大化行動を取らざるを得ない政治家は、選挙民に「迎合」するために、たえず政府支出を増やすことを好み、その財源たる税収を増やすことを好まない。したがって、財政規模の肥大化と、財政赤字を生み出す大きな原因である。これらは大衆民主主義の本質的な欠陥であり、その是正策は、基本的には存在しない。このきわめて常識的な点を、経済学者(や政治学者)は、これまで十分に議論してきたとはいえない。
武藤, 秀太郎
本稿は、戦後日本のマルクス主義経済学の第一人者であった宇野弘蔵(一八九七―一九七七)の東アジア認識を、主に戦時中に彼が執筆した二つの広域経済論を手掛かりに検討する。「大東亜共栄圏」は、「広域経済を具体的に実現すべき任務を有するものと考えることが出来る」。――このように結論づけられた宇野の広域経済論に関しては、これまでいくつかの解釈が試みられてきた。だが、先行研究では、宇野が転向したか否か、あるいは、かかる発言をした社会的責任はあるかどうか、といった点に議論がいささか限定されているきらいがあり、戦後の宇野の発言等を含めた総合的な分析はなされていない。私見では、宇野の広域経済論は、戦前戦後を通じて一貫した経済学方法論に基づいて展開されており、彼の東アジア認識を問う上で非常に貴重な資料である。大東亜共栄圏樹立を目指す日本は、東アジア諸国と「密接不可分の共同関係」を築いていかねばならないという、広域経済論で打ち出されたヴィジョンは戦後も基本的に継承されている。このことを明らかにするために、広域経済論を戦後初期に宇野が発表している日本経済論との対比から考察する。
松田, 睦彦 Matsuda, Mutsuhiko
小稿は,瀬戸内海の離島で採石業に従事することによって高度経済成長の好景気を享受した採石業者の経験をとおして,高度経済成長という現象と地方の民俗との間に設定されてきた固定的な関係性を乗り越え,変化と対峙する人びとの営みを民俗学の対象とすることを目的とする。
武井, 基晃 Takei, Motoaki
戦後の米軍統治下における沖縄の高度経済成長という課題に対し,沖縄の戦後史の先行研究から改めて学び,その上で復帰前の沖縄の復興の指標として全国の自動車台数と人口の統計から自動車の普及率を比較した。米軍統治下の沖縄には,日本本土から生活物資・自動車が輸入されていたが,その資金は基地収入に依拠し,沖縄の生産力は成長せずに輸入超過の状態だった。戦後沖縄の米軍統治下における高度経済成長は,日本の高度経済成長と同時進行ではあるものの収支のバランスや生産力の面では全く異なるものだった。
笹澤 吉明 小林 稔 Sasazawa Yosiaki Kobayashi Minoru
思春期である中学生における主観的経済観と不眠症を含む睡眠障害との関連を明らかにするため質問紙調査を行った。対象は群馬県内の中学3年生男女1、533名である。質問項目は、社会経済学的指標として主観的経済観、睡眠行動指標として睡眠時間、6時間未満の短睡眠、睡眠障害指標として不眠症、入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒、熟眠困難の有病率である。調査の結果、1、269名より有効回答を得た(有効回答率82.8%)。主観的経済観を不良群、普通群、良好群の3群に分け睡眠指標の回答の比較を行った。主観的経済観3群間に睡眠時間、短睡眠に差は見られなかったものの、男子の主観的経済観不良群は、不眠症、入睡困難、早朝覚醒、熟睡困難の有病率が他群に比べ有意に高かった。一方、女子の主観的経済観不良群は、入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒の有病率が他群に比べ有意に高かった。これらの結果は、日本の思春期の社会疫学に新しい知見を加えた。
猪木, 武徳
本稿は、「公共性」を論ずるためのひとつの試論として、企業の「公共性」の問題を国際比較の視点から考察する手がかりを探る。伝統的な経済学は、大企業や労働組合のような、国家と個人の間に存在する「中間的な組織」の機能や役割に十分な注意を向けず、高度に発達した産業社会を、「独立した合理的な個人」の市場競争と「国家」による統制と介入という二元的な対立図式で特徴付けてきた。しかし中間組織が、民主制と市場経済において果たす役割は今後極めて重要になると考えられる。その最大の理由は、おそらく巨大化し複雑化した現代の経済社会は、その全領域を私(private)と公(public)という二つの局面で区切るだけでは、経済社会が抱える問題に十分に対処できなくなってしまった点にある。
辛島, 理人
本稿は、アメリカの反共リベラル知識人と民間財団による、一九五〇・六〇年代の日本の社会科学への介入とその反応・成果に焦点をあて、戦後における日本とアメリカの文化交流を議論するものである。その事例として、経済学者・板垣與一がロックフェラー財団の支援を受けて行ったアジア、ヨーロッパ、アメリカ訪問(一九五七~五八)を取り上げる。ロックフェラー財団は、第二次対戦終了直後に日本での活動を再開し、日本の文化政治の「方向付け」を試みた。その一つが、日本の大学や学術をドイツ式の「象牙の塔」からアメリカのような政策志向の実践的なものへと転換させることであった。そのような方針を持つロックフェラー財団にとって、官庁エコノミストと協働していわゆる「近代経済学」を押し進めていた一橋大学は好ましい機関であった。板垣與一は、同財団が支援する「アングロサクソン・スカンジナビア」型の経済学を推進する研究者ではなかったが、日本の反共リベラルを支援しようとしたアメリカの近代化論者の推薦をうけて、同財団の助成金を得ることとなる。そして、一九五七~五八年に板垣は、「民族主義と経済発展」を主題としてアジア、ヨーロッパ、アメリカを巡検する。アメリカでは、近代化論者の多かったMITなどの機関ではなく、ナショナリズムへ関心を払うコーネル大学の東南アジア研究者との交流を楽しんだ。板垣は日本における近代化論の導入に大きな役割を果たすものの、必ずしもロストウら主唱者の議論に同調したわけではなかった。戦時期に学んだ植民地社会の二重性・複合性に関する議論を、戦後も展開して近代化論を批判したのである。ロックフェラー財団野援助による海外渡航後、板垣は民主社会主義者の政治文化活動に積極的に参加した。しかし、ケネディ・ジョンソン政権と近しい関係にあったアメリカの反共リベラル知識人・財団の期待に反し、反共社会民主主義が議会においても論壇においても大きな影響力を持つことはなかった。
河辺, 俊雄 山内, 太郎 大西, 秀之 KAWABE, Toshio YAMAUCHI, Taro ONISHI, Hideyuki
本研究ユニットは、ラオス国内における生態学的環境を異にする複数の地域において、地域住民の生活環境への生物学的適応と社会文化的適応を同時に評価することを目的とする。特に「身体」に焦点を当て、人びとの形態と行動(活動)を規定している要因について、生物学的側面から社会文化的側面に至るまでを射程に入れ、さらにはその相互作用について検討する。また、開発や市場経済化などの「近代化」に起因するライフスタイルの変化が身体の形質や活動に及ぼしている影響を把握するとともに、その現在までの歴史的変遷を世代間や地域間などの比較を通して考察する。
服部, 伊久男 Hattori, Ikuo
古代荘園図と総称される史料群の一例である「額田寺伽藍並条里図」の分析を通じて,8世紀後半の額田寺の構造と寺辺の景観を明らかにすると同時に,寺院景観論の深化を図ることを目的とする。官寺や国分寺については多くの先行研究があるが,史料の少ない氏寺などの私寺の構造と景観については,古代寺院の大部分を占めるものの十分な研究がなされてこなかった。氏寺の寺院景観の一端を明らかにし,多様な寺院研究の方法を提起するために額田寺図を検討する。近年の古代荘園図研究の動向を受けて,考古学的に検討する場合の分析視角を提示し,寺院空間論などの領域論的,空間論的視点を軸として,寺院組織や寺院経済をめぐる文献史学上の論点を援用しつつ,額田寺の構造と景観に言及する。額田寺伽藍並条里図は多様な情報を有する史料体であり,寺領図という性格に拘泥せず様々な課題設定が可能である。本稿では,社会経済史的視点を援用し,本図を一枚の経済地図として読むことも試みる。額田寺をめぐる寺院景観の中では,とりわけ,院地,寺領,墓(古墳),条里をめぐる諸問題について検討する。さらに,近年の考古学的成果を受けて,古代寺院の周辺で検出されている掘立柱建物群について,畿内外の諸例(池田寺遺跡,海会寺遺跡,市道遺跡など)を中心に検討を行う。小規模な氏寺をめぐる景観をこれほどまでに豊富に描き出している史料はなく,その分析結果が今後の古代寺院研究に与える影響は大きい。考古学的に検討するには方法論的にも,また,現地の調査の進捗状況からも限られたものとなるが,考古資料の解釈や理解に演繹的に活用するべきである。とりわけ,これまであまり重要視されてこなかった院地の分析に有効に作用することが確認された。また,近年の末端官衙論とも関係することが明らかとなった。今後,寺領をめぐる課題についても考古学から取り組む必要も強調したい。
小谷, 真吾 Odani, Shingo
畑を荒らしたブタは,人々の収入源である。人々は故意に畑の中にブタを放ち,そうしてからブタを屠殺し売却することで現金を得る。これは,パプアニューギニア南部高地州に居住するボサビにおける事例である。この事例は,貨幣経済がどのようにシステムの中に取り込まれていくのか,その過程を表しているのではないか。本論文では,ボサビのブタ飼育をはじめとする生業生態を明らかにし,他集団における環境利用システムと比較することによって,彼らのブタ飼育の特徴を考察した。同時に冒頭の事例の分析によって,近年生態人類学の中で無視できないものになりつつも,その過程の分析がほとんど行なわれてこなかった,生業生態システムへの貨幣経済の浸透について考察を行なうことを目的とした。
Mulenga, Chileshe L. Mulenga, Chileshe L.
国際金融機関の指導の下に経済政治改革を実施したサブ・サハラアフリカ諸国の農村経済は、「厳しい、障壁がある、難しい、困難である」等と言及されてきた。これら農村経済は、衰退と住民の貧困増大を経験してきた。その結果は、政策改革で期待された結果とは異なり、国家レベルではその改革のせいだと考えられていたものとも異なっていた。国レベルでは、政治改革は国家経済を安定化させ、過去10年の間に平均5%の安定した成長を達成させることに貢献した。
竹村, 民郎
近代日本の国家形成および経済構造の問題を考えようとするものにとって、日清戦争を契機とする海洋帝国構想の解明がいかに重要であるかは言うまでもないだろう。十九世紀中葉における環太平洋経済圏においては、アメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、日本等が同地域の覇権をめぐって、それぞれ帝国間の争いを展開していた。確かに日清戦争の勝利は日本帝国の環太平洋経済圏における地位と役割を増大させた。そしてこのことは本論文で触れようとする海洋帝国構想の多様な展開を飛躍的におし進めていった。一八九五年に創刊された日本の代表的総合雑誌『太陽』に現れた海洋国家論、南進論、植民論、そして経済改革と結びついた貿易立国論等を分析するならば、海洋帝国に関する多様な構想がそのまま日本帝国の環太平洋経済圏における政治、経済、軍事戦略の方向の決定に連なるという重大な事実が浮かび上がってくるのである。
于 彦 篠原 武夫 Yu Yan Shinohara Takeo
国有林の経営活動は国家の経済改革の影響を強く受け、大きな曲がり角を迎えている。計画経済体制下に作られ肥大化した伊春林業管理局が国家による庇護がなくなりつつある現在と将来においては、市場経済体制への移行に生き残れるか、どのようにしてこの試練を乗り越えるかということは伊春林業管理局だけではなく、国有林の全体が直面している問題であると言えるだろう。これらの問題の解決は国家として、部門として、企業自身として、もう少し時間をかけて検討していく必要がであろう。さらにこうした状況の中で、国有林の新たな展開にとっての大きな目標である地元への経済的貢献と国民への奉仕との両立がどのように達成されるのか、今後とも黒竜江国有林の社会主義市場経済体制の進展に注目していきたい。
德島 武 Tokushima Takeshi
リカードの等価定理は、開放経済のケースで内国債と外国債の発行を想定すれば、<br/> 一括税⇔内国債⇔外国債<br/>の関係が成立する。これは、開放経済の動学的最適化分析のケースにおいて、一括税の場合は、財政収支均衡の仮定を裏付けるものとなるだろう。
関沢, まゆみ Sekizawa, Mayumi
本館第6展示「現代」の「高度経済成長と生活の変貌」のコーナーでは,高度経済成長期に生まれた新しい都市型生活の象徴として団地を,そしてその都市部へ電力や水資源を供給するために新しく造られたダムとそれによって消滅した山村の生活を,それぞれ対比的な位置づけでとりあげた。ここではそれに関連する研究情報として,高度経済成長期に起こった生活の変化とその後,そして人びとの意識や価値観の変化についての分析を試みた。それらを通して論点として浮上したのは,以下のような諸点であった。第一に,民俗学の特徴は,高度経済成長期だけでなく,そこに端を発しながらそれ以降に急速に進んだ生活の変化について追跡的に把握し変遷論的な視点から分析を進める点にある。第二に,それはたとえば昭和30年代には憧れの団地であったのが昭和40年代には郊外の1戸建てマイホームが憧れとなるなど変化が早かったこと,ダム建設によって水底に沈んだ村ではそれまでの自給自足的な山の生活が失われた一方,現在でも鎮守社の秋祭りを継続して村人の親睦の会が継承されていること,など変化と継続との両方の視点が有効である。第三に,高度経済成長が生んだものの一つが,大量生産,大量消費,そして大量投棄というまったく新たな生活問題であったが,「東京ゴミ戦争」に象徴されるようにそこには物質としてのゴミ問題に止まらず,人びとの不潔,汚穢をめぐる意識としてのゴミ問題が存在し,その克服への努力の実際が確認された。第四に,かつて日露戦争後の農村から都市への人口の大量移動に対して柳田國男が指摘した「家の自殺・他殺」が,従来とはまったく異なる規模で起こっている現場の確認ができ,それらについてのより広範な調査情報の収集の必要性が痛感された。そして,もっとも重要な第五の点として指摘できるのが,「生活革命」という語および概念を安易に使用してはならないという論点である。高度経済成長期を通じて,人びとの生活様式が変化するとともに人びとの意識も変化した。その意識の変化のなかで最も顕著なものとして指摘できるのが,「個人化」・「私事化」である。しかし,ではそれによって個人主義,自立主義が確立したかといえばそうではない。かつてと同じ大衆主義,大衆迎合主義が依然として残り,宣伝や流行に乗りやすい集団志向は変わっていない。高度経済成長によってもたらされた新しい生活様式は生活用品や生産用具が機械や電気によって変えられただけで,人々の思考方法や意思決定の方法までは変えていないことを意味している。つまり,高度経済成長はエネルギー革命や技術革新などによる生活の大変化をもたらしたが,それは基本的に政治と経済,政策と資本がリードした生活変化であり,村や町の生活現場からの内発的な動機や要求によって起こった変化ではなかったのである。つまり,高度経済成長期の生活変化は,外在的な影響による形式変化が中心であって,内発的な能動的なものではなかったというこの点は重要である。つまり,「生活変化」と呼ぶべきレベルにとどまっているのであり,「生活革命」と呼ぶべきではないと考える。
門田, 岳久 Kadota, Takehisa
本論の目的は,第一に,「文化資源化」「宗教の商品化」といった概念を用いて,現代日本における巡礼ツーリズム(半ば産業化された巡礼)の成立と地域的展開の民族誌的記述を行うことであり,第二に,市場経済や消費社会の文脈上に生成される「宗教的なるもの」を記述していく作業が,日常生活の全体を描こうとする現代民俗学的な宗教研究において,いかなる理論的貢献をなすものなのか明らかにすることである。
木村, 汎
ロシア連邦を構成する八九の行政単位の一つであるカリーニングラード地方は、日本人にとり次の意味で無視しえない地域である。ソ連邦崩壊後リトアニアが独立国となったために、カリーニングラード地方は、ロシア本土から地理的に切り離された陸の孤島となった。モスクワの中央政府は、そのような境遇となった同地方に「経済特区」の地位を認めた。経済特区とは、関税・査証・為替通貨などにかんし優遇措置を与えることを通じて内外からの投資を惹きつけ、よって当該地域の経済活動を活性化しようとする工夫のことである。ソ連邦解体後の一九九一~九二年にかけて、ロシア連邦内には約十四ヶ所の「経済特区」が設立された。
Kobayashi Masaomi 小林 正臣
本稿はアメリカ社会における「人格性(personhood)」という問題の在り方の時代変遷を幾つかの文学作品を批評しながら検証している。とくに肥満体の正当化を目的とする運動は、肌の色などの外見による差別への抗議を含んだ公民権運動と同様に、外見の人格性に関する社会的事象として捉えられる。この点を論証するうえで本稿は、肥満体の人物が登場するチャールズ・ブコウスキーとポール・オースターの諸作品に注目する。それらにおける肥満体の描かれ方を分析すると、戦前と戦後、具体的には1930年代と1960年代の2世代における肥満体に対する意識の変遷が理解できる。そして「人物」に関する議論は、「人」であり「物」である法人に関する議論と不可分である。たとえば、リストラによる組織の「縮小化(downsizing)」という用語が示すように、人間の解雇の問題は法人の肥満の問題でもある。かくしてレイモンド・カーヴァーの小説において頻出する失業問題は、現実または社会における「人」と法律または経済における「人」の対立として考察できる。そして、この対立に関する判例は増加傾向にある。したがって本稿は、人格性に関する議論を通じて、人文科学としての文学と社会科学としての法律学や経済学との新たな学際的研究を行うための試論である。
徳島 武
リカードの等価定理は、開放経済のケースで内国債と外国債の発行を想定すれば、一括税⇔内国債⇔外国債の関係が、3期間以上の多期間においても成立する。これは、閲放経済の動学的最適化分祈のケースにおいて、一括税の場合は、財政収支均衡の仮定を裏付けるものとなるだろう。
大城 郁寛 Oshiro Ikuhiro
本稿では、琉球政府が1970年に策定した「長期経済開発計画」の指針となった新全総がどのような地域開発の思想を含んでいたか、それから沖縄が誘致を望んだ臨海工業の特性、業界と官庁との関わりなどを概観したうえで、臨海工業成立の基本的な条件となった政府の資源政策の転換が地域開発に与えた影響を明らかにした。次に、旧全総において開発拠点に指定され急速に工業化を遂げた茨城県鹿島地区(それは琉球政府に1つの開発モデルを提示したが)を取り上げ、臨海工業基地の建設を巡る国の政策や地方公共団体の主体性、そして工業開発が地域経済や地方財政に与えた影響を確認した。最後に、高度経済成長によってもたらされた製造業の構造変化、企業活動の広域化やネットワーク化、世界経済における曰本のプレゼンスの高まりが、琉球政府が望んだ臨海工業基地を沖縄の経済振興に適しないものにしたことを論証した。
Kobayashi Masaomi 小林 正臣
本稿は、これまで人文科学において広範に実践されてきた「文化的研究(Cultural Studies)」の在り方について検証している。自然科学における実証と異なり、人文科学における論証は、なるほど厳密な客観性を要求されない場合が往々にしてある。したがって、ある社会における文化と別の社会における文化に、あるいは一つの社会における複数の文化の相違に個別性と連続性を見出しつつ、それらの問題を文化の問題として論じることには、それなりの学問的価値はあるだろう。しかし、Bill Readingsが指摘するように、個々の集団間の差異性と連続性の問題を「文化」という観点から総括してしまうことには議論の余地がある。なぜなら、それは否定的な意味における還元主義的な論法となる危険性があるからである。一方、社会科学においても還元主義的な論法は存在する。たとえば、新古典派経済学は、社会における人間の活動を利益の追求または最大化という観点のみから説明する傾向がある。かくして本稿は、人文科学(例えば文学)と社会科学(例えば経済学)の学際性を図る際には、それら学際的研究の個々が「特殊(specific)」であるべきであり、学際性を総括的な概念としてではなく、永続的に追求されるべき概念として捉えることを提唱している。
千田, 武志 Chida, Takeshi
本稿は広島県に例をとり,太田川の川上と川下とを関連づけながら両者を比較し,高度経済成長の影響を検証することを目的としている。水を媒体にして深く結びついていた川上と川下に視点を置くことによって,これまで経験したことのない激変をもたらした高度経済成長の実態に接近できるのではないかと考えてのことである。
田中, 宣一 Tanaka, Senichi
人は他の人や自然,神とのかかわりのなかで生きているが,第二次産業が牽引した高度経済成長の影響を強く受けたのは,そのうちの自然とのかかわりであった。そして自然と深くかかわる生活を送ってきたのは第一次産業従事者であるため,彼らの自然への対応を中心に,高度経済成長が影響を与えた地域の互助協同という民俗の変化を考える。
菅, 豊 Suga, Yutaka
水鳥を捕る狩猟は,その棲息地が身近な平地農村部であったために,かえって狩猟研究の分野では卑近なものとして見過ごされ,とりたてて文化史のなかに位置付けられることもなかった。また,広く生業研究の分野をながめてみても,それは“副業”的経済の意味しか与えられておらず,その背景にある潤沢な自然に関する民俗知識というものは看過されてきた。民俗学において,「人間がどのように生きてきたか」という側面から人間に焦点を合わせた時,生業の活動の一部を簡単に,そして安易に“副業”という言葉をもって表現することは危険である。“副業”とは,経済的に重要度の高い“業”に対し相対的に低いものに与えられる卑称となる場合が往々にしてある。その言葉によって陥る先は“瑣末な”“取るに足らない”生業という評価であり,その結果もたらされるものは,看過そのものである。鳥猟研究はまさに“副業”という言葉によって発展性の見えない領域におとしめられ,見過ごされた課題であった。
新本 光孝 平田 永二 山盛 直 安里 練雄 Aramoto Mitsunori Hirata Eiji Yamamori Naosi Asato Isao
本研究は、石垣島における森林資源の樹種の分布および資源量を明らかにしたものである。その結果を要約すると次のとおりである。1 森林資源調査における出現樹種は112種、樹種別の本数分布率はイタジイ11%、タブノキ6%、モクタチバナ5%、フカノキ4%、エゴノキ3%、ハゼノキ3%、リュウキュウガキ3%、オオバギ2%の順であった。ha当たり100本以上のこれら8種で全本数の約37%を占め、残りの約63%は104種でしめられている。2 このように、構成樹種の多様性が石垣島における森林資源の特徴である。3 森林資源調査の推定誤差率は、平均胸高直径3.5%、平均樹高は1.9%、ha当たり本数9.4%、ha当たり胸高断面積5.6%、ha当たり材積6.7%であった。平均胸高直径および平均樹高は、それぞれ8.6cm、5.4mであった。ha当たりの本数、胸高断面積及び材積は、それぞれ4、300本、29.6m^2、112m^3であった。4 資源植物学的分類は、経済植物103種、未経済植物9種であった。5 用途の民族植物学的分類は、I類では用材86種、燃料51種、食糧18種、薬品15種、飼料13種、肥料12種、染料10種、油脂9種、繊維6種で、II類では観賞53種、防風40種、街路22種、防潮20種であった。6 林木の遺伝子資源はすべてB_2タイプの潜在的遺伝子資源であった。Cタイプの特定植物群落は17件であった。
大城 肇 Oshiro Hajime
研究概要 : 本研究は、島嶼地域の経済発展のメカニズムを経済自立の観点から解明し、当該地域の共生的発展のための有効な戦略を提案することを目的としている。本年度は、まず島嶼経済の自立化指標を作成し、事例として沖縄経済に適用し分析した。また、環境への負荷のうち、島嶼地域・沖縄の産業廃棄物と産業構造の連関分析を行ったあと、環境容量の小さい島嶼地域の振興策のあり方を検討した。島嶼地域では離島振興法等に基づいて社会資本の整備が進められ、アイランド・ミニマムは達成されたが、自立的発展にはつながっていない。また、産業廃棄物の処理・処分については、行政の役割も重要であるが、何にも増して排出源の事業者の意識の高揚と実践が肝要となる。環境低負荷型の循環型経済社会システムを構築するに当たって、産業廃棄物のみならず、島嶼地域で問題になっている一般廃棄物や廃車についても適切な処理対策が求められている。今後、経済自立化をめざして、産業振興を図ることが島嶼地域の大きな課題となるが、地域振興策や産業政策を進めるに当たっては、環境との調和を図る観点から、産業廃棄物の発生・排出抑制さらには最終処分のあり方と対策、廃棄物のリサイクル&リユースを推進することと併せて、ゼロ・エミッション型の新産業等を創出する政策的工夫・努力も必要である。この方面への産業支援策の確立が急がれよう。
樋口, 雄彦 Higuchi, Takehiko
大原幽学は、全国を流浪した後、下総国香取郡長部村(千葉県干潟町)に居を定め、産業組合組織による耕地整理・農業技術改良・農作業の計画化・消費物資の共同購入といった方法で、天保期の荒廃した農村を建て直そうとした人物である。利己心を制し勤勉につとめ禁欲的に生活すべしというその主張は、道徳と経済とを統一した実践哲学であり、多くの農民が門人となり教えを奉じた。幽学の思想は、性理学(性学)と呼ばれたが、村を越え広範に広まったその教えは、やがて幕府の嫌疑を受けることとなり、安政五年(一八五八)、幽学は自害する。
徳島 武 Tokushima Takeshi
貿易赤字国より貿易黒字国に対して求められる、貿易不均衡是正のための内器拡大策は、黒字国の輸出最を減少させ、輸入姑を増加させるので、政治目的は達成されると言えるが、経済厚生の観点からは、世界価格に影牌力のない小国ほど、悪影饗が無いと言えるだろう。また、大国のケースでは、貿易黒字国の内需拡大策は、赤字国よりも黒字国に、より多くの経済厚生の改善をもたらす。
田中, 秀臣 中村, 宗悦
本論文の目的は、戦時下の生活雑誌――月刊『時局月報』『国防国民』の意義を検討することにある。戦時下の日本では「生活雑誌」という言葉は、家事のための雑誌ではなく、政治経済雑誌を意味していた。『時局月報』とそれが名称変更した『国防国民』の両雑誌は、長谷川国雄(一九〇一―八〇)が編集し発行したものである。長谷川は、一九二九年から三六年にかけて、経済雑誌『サラリーマン』を発行していた。『サラリーマン』の独自性は、新中間階級の読者に対する経済知識の啓蒙にあった。『サラリーマン』は、官憲による不法な弾圧によって休刊を余儀なくされてしまった。しかし、『時局月報』と『国防国民』は、『サラリーマン』の直接の後継誌として、同じ編集方針を継承するものであった。さらに、両誌は、統制経済の観点から、人的資源と物的資源の再配置と改善を提唱するものだった。
赤尾, 健一 Farzin, Y. Hossein
経済主体や政府の合理的選択の結果、資源、枯渇が生じることがある。それは、持続可能な資源利用が可能であり、また、資源の利用者が十分な生態学的知識を持ち、さらに将来起きることを十分に予見できるとしてでもある。この研究では、非持続的資源利用が最適計画となる条件を明らかにする。それは、将来の便益を割り引く害IJ引率、社会制度や生態系の不安定さ、自然成長関数の非凸性、雇用の社会的心理的価値、そして資源利用者間の戦略的依存関係の存在に関係する。これらの条件を明らかにすることは、持続的資源利用を実現するための政策をデザインする上で、有用な情報を提供する。
Murphy Patrick D. マーフィー パトリック D.
世界的な石油生産のピーク到来という観点から、沖縄は昨今の経済発展の方向性について再考する必要がある。エネルギーの価格高騰が沖縄の経済に打撃を与えることが予想される中、沖縄は安価な交通手段に支えられる観光産業とは異なる、新たな経済的手段を模索しなくてはならないだろう。液体燃料や石炭などの固形燃料の運搬コストが高騰しているため、電気エネルギーの生産は、化石燃料への依存から脱却する必要がある。また、海水の淡水化も影響を受けるため、観光産業に十分な量の水の供給能力にも問題が生じる可能性がある。ピークオイルと気候変動の衝撃は互いに不可分な合併要素として経済組織に衝撃を与えることなど、沖縄は、エネルギー生産と生活基盤の危機という観点からも、気候変動の危険性について指摘する必要がある。いずれの場合においても、持続可能性が最も重要な指針となることは言うまでもない。
宇野, 功一 Uno, Kouiti
都市祭礼を中核とする経済構造を以下のように定義する。①祭礼の運営主体が祭礼に必要な資金を調達し、②ついでその資金を諸物品・技術・労働力・芸能の確保に支出して祭礼を準備、実施し、③祭礼が始まると、これを見物するために都市外部から来る観光客が手持ちの金銭を諸物品や宿泊場所の確保に支出する。以上の三つの段階ないし種類によってその都市を中心に多額の金銭が流通する。この構造を祭礼観光経済と呼ぶことにする。また、②に関係する商工業を祭礼産業、③に関係する商工業を観光産業と呼ぶことにする。
野島, 永 Nojima, Hisashi
1930年代には言論統制が強まるなかでも,民族論を超克し,金石併用時代に鉄製農具(鉄刃農耕具)が階級発生の原動力となる余剰を作り出す農業生産に決定的な役割を演じたとされ始めた。戦後,弥生時代は共同体を代表する首長が余剰労働を利用して分業と交易を推進し,共同体への支配力を強めていく過程として認識されるようになった。後期には石庖丁など磨製石器類が消滅することが確実視され,これを鉄製農具が普及した実態を示すものとして解釈されていった。しかし,高度経済成長期の発掘調査を通して,鉄製農具が普及したのは弥生時代後期後葉の九州北半域に限定されていたことがわかってきた。稲作農耕の開始とともに鍛造鉄器が使用されたとする定説にも疑義が唱えられ,階級社会の発生を説明するために,農業生産を増大させる鉄製農具の生産と使用を想定する演繹論的立論は次第に衰退した。2000年前後には日本海沿岸域における大規模な発掘調査が相次ぎ,玉作りや高級木器生産に利用された鉄製工具の様相が明らかとなった。余剰労働を精巧な特殊工芸品の加工生産に投入し,それを元手にして長距離交易を主導する首長の姿がみえてきたといえる。また,考古学の国際化の進展とともに新たな歴史認識の枠組みとして新進化主義人類学など西欧人類学を援用した(初期)国家形成論が新たな展開をみせることとなった。鉄製農具使用による農業生産の増大よりも必需物資としての鉄・鉄器の流通管理の重要性が説かれた。しかし,帰納論的立場からの批判もあり,威信財の贈与連鎖によって首長間の不均衡な依存関係が作り出され,物資流通が活発化する経済基盤の成立に鉄・鉄器の流通が密接に関わっていたと考えられるようにもなってきた。上記の研究史は演繹論的立論,つまり階級社会や初期国家の形成論における鉄器文化の役割を,帰納論的立論に基づく鉄器文化論が検証する過程とみることもできるのである。
沈, 煕燦
日本の「失われた二十年」は日本経済の抱える問題の象徴であり、経済の停滞と崩壊の時代である。そして、その背景には、さしあたり、冷戦後の日本を支えてきた思想の崩壊があった。なかでも重要なのはデモクラシーの問題だ。本稿は、日本の「失われた二十年」と1967年の韓国小説、宝榮雄の『糞礼記』を比べて、デモクラシーの出現について考える。
Ito, Chihiro
アフリカ農村部では農業が基盤ではあるが、市場経済の影響やリスクへの対応として農民の生業は多様化してきている。中でも出稼ぎ労働は農村経済を補填する役割を担うものとして注目されてきた。本稿の目的はザンビア農村部において、生業多様化の実態やリスクへの対応を明らかにし、そして特に出稼ぎ労働が持つ役割や影響を農村内の多生業との関わりから明らかにすることにある。
趙 廷寧 孫 保平 宜保 清一 王 暁慧 周 金星 Zhao Tingning Sun Baoping Gibo Seiichi Wang Xiaohui Zhou Jinxing
黄土高原は、 黄河の中流域に位置し、 総面積が中国陸地面積の6.63%を占め、 世界で最も土砂流出の激しい地域である。頻発する土壌侵食、 地すべり、 土石流などの土砂災害は、 黄土地域の社会的経済的発展の障害となっている。本研究では、 黄土地すべりの主要類型とその分布特性、 および黄土地すべりの地形・比高などの地すべり発生要因を明確にした。さらに、 黄土地すべりの防止が黄土区域の社会・経済発展のキーになることを指摘した。
新本 光孝 平田 永二 安里 練雄 新里 孝和 Aramoto Mitsunori Hirata Eiji Asato Isao Shinzato Takakazu
本研究は、 西表島における天然林の樹種の分布、 資源量および資源植物学的分類を明らかにしたものである。その結果を要約すると次のとおりである。1 森林資源調査における出現樹種は90種であった。樹種別の本数分布率はイタジイ13%、 タブノキ6%、 リュウキュウマツ6%、 エゴノキ5%、 シャリンバイ3%、 モクタチバナ 3%、 リュウキュウモチノキ3%、 エゴノキ3%、 ハゼノキ3%、 リュウキュウガキ3%、 オキナワウラジロガシ3%の順であった。ha当たり100本以上のこれら8種で全本数の約28%を占め、 残りの約72%は82種で占められている。2 このように、 構成樹種の多様性が西表島における天然林の特徴である。3 森林資源調査の推定誤差率は、 ha当たり本数9.8%、 ha当たり材積9.1%であった。ha当たりの本数および材積は、 それぞれ約3、730本、 約114m^3であった。4 資源植物学的分類は、 経済植物88種、 未経済植物2種であった。5 用途の民族植物学的分類は、 I類では用材88種、 燃料47種、 食用19種、 薬用11種、 肥料11種、 染料11種、 飼料8種、 油脂6種、 繊維5種で、 II類では観賞45種、 防風32種、 防風18種、 街路18種であった。III類の構成樹種は35種であった。6 林木の遺伝子資源はすべてB_2タイプの潜在的遺伝子資源であった。Cタイプの特定植物群落は15件であった。
櫛木, 謙周 Kushiki, Yoshinori
本稿では、まず長屋王家木簡を素材にして、長屋王家で消費された物資や労働力の入手形態について分析した。直轄地の経営、邸内での生産、運輸活動などのそれぞれについて検討した結果、これらすべての局面を通じてみられる特徴として、交換経済に依存する部面が意外に大きかったことが明らかになった。巨大な家産経済の消費を支える上で、自給自足的な物資の生産が行われていたことは事実であるが、その活動に必要な労働力は、長屋王家直属の諸階層の労働力のみでなく、広く外部の雇傭労働力に依存していた。このことは、労働の場として邸内・邸外いずれにも指摘できる重要な特色である。そのための財源も、米あるいは銭や布などの「貨幣」が広く用いられていた。また、手工業製品を中心に、邸内での生産品とは別に購入によって入手した物品も若干みられる一方、「店」などを通して酒食の販売が行われていたことも推測されており、交易活動が家産経済に組み込まれていたことが知られる。
安里, 進 Asato, Susumu
20世紀後半の考古学は,7・8世紀頃の琉球列島社会を,東アジアの国家形成からとり残された,採取経済段階の停滞的な原始社会としてとらえてきた。文献研究からは,1980年代後半から,南島社会を発達した階層社会とみる議論が提起されてきたが,考古学では,階層社会の形成を模索しながらも考古学的確証が得られない状況がつづいてきた。このような状況が,1990年代末~2000年代初期における,「ヤコウガイ大量出土遺跡」の「発見」,初期琉球王陵・浦添ようどれの発掘調査,喜界島城久遺跡群の発掘調査などを契機に大きく変化してきた。7・8世紀の琉球社会像の見直しや,グスク時代の開始と琉球王国の形成をめぐる議論が沸騰している。本稿では,7~12世紀の琉球列島社会像の見直しをめぐる議論のなかから,①「ヤコウガイ大量出土遺跡」概念,②奄美諸島階層社会論,③城久遺跡群とグスク文化・グスク時代人形成の問題をとりあげて検討する。そして,流動的な状況にあるこの時期をめぐる研究の可能性を広げるために,ひとつの仮説を提示する。城久遺跡群を中心とした喜界島で9~12世紀にかけて,グスク時代的な農耕技術やグスク時代人の祖型も含めた「グスク文化の原型」が形成され,そして,グスク時代的農耕の展開による人口増大で島の人口圧が高まり,11~12世紀に琉球列島への移住がはじまることでグスク時代が幕開けしたのではないかという仮説である。
小椋, 純一 Ogura, Junichi
高度経済成長期を契機とする植生景観変化とその背景について,岡山県北部の中国山地(津山市阿波),京都市北部郊外(左京区岩倉付近),伊勢湾口の離島(神島)の3つの地域を例に,写真や文献類,また古老への聞き取りなどをもとに考察した。
野口 浩 Noguchi Hiroshi
平成19年度税制改正において、リース取引に係る課税規定として、法人税法64条の2および所得税法67条の2が定められた。これらは、同取引の経済的実態に合った課税をすべきであるという趣旨に基づき規定されたものである。本稿においては、法人税法64条の2第3項および所得税法67条の2第3項が規定するリース取引の定義が、リース取引の経済的実態に合ったものとなっているか、ということを検討する。本稿における考察により、リース取引の経済的実態は、賃借入についていえば、賃貸借期間中は資産の所有者としてリース物件を使用する場合と異ならない取引であり、賃貸人についていえば、リース物件に関して負ったコストを賃借人からリース料という形で確実に回収して、利益を生むことを目的とする取引であるということが明らかとなる。また、法人税法64条の2第3項および所得税法67条の2第3項が規定するリース取引に係る定義規定の1つであるフルペイアウト要件が、リース取引の経済的実態に合っていないことも明らかとなる。そこで、本稿においては、米国のリース取引に係る会計基準から示唆を得て、賃貸人の視点を取り入れた要件を、リース取引に係る定義規定の要件に加えることを提案する。
呉, 昌炫 Oh, Changhyun
本論文は,まず開港以来,日本の漁民が朝鮮漁民と出会ってからお互いに認識するようになった両国の漁業技術上の差異を確認し,こうした両国の漁業技術的差が選好の魚種の違いに基づいていたという点を究明する。そして特定の魚種に対する両国の異なる選好が両国間の自然環境と経済水準ではなく,魚の象徴的意味とその歴史的形成過程に関連していることをマダイとグチ(韓国名:チョウギ)を例に説明する。最後に特定の魚種に対する民族的選好が植民地朝鮮の漁業(と漁業技術)の展開過程に及ぼした影響を分析する。
古家, 晴美 Huruie, Harumi
本稿では,高度経済成長期の農村における食生活の変化を追いつつ,食べものを「作る」と対極にある「ビシャル(捨てる)」という視点から,人々の意識の問題を取り上げる。統計資料からは読み取りにくい人々の微妙な心境の変化を聞き取り調査により抽出した。
奥平 均 吉田 茂 Okuhira Hitoshi Yoshida Shigeru
日本農業は様々の問題を抱えてりるが、問題の主要な点は日本農業の国際競争力の低下である。これは日本経済の産業構造の変化とそれに伴う農業構造の変化に対応している。本小論は日本経済の産業構造の変化を検証し、これに対応して農業部門に如何なる変化が生じたかを明らかにすることである。産業構造の変化は国内の全産業部門の相互依存関係に変化を与え、産業間のフィードバック関係を通じて表面化する。よって付加価値ベースでの各産業部門の生産額の変化をトレースするだけでは、問題の本質は見えてこない。また産業間の相互依存関係によって生じる変化は、多部門を同時に観測するが手法が要求される。そこで我々は産業連関表を基礎に、多部門の同時変化を扱うことで構造変化の実証分析にアプローチした。分析に用いた資料は実質化された1985-90-95接続産業連関表である。日本経済の産業構造とその変化の定量的な把握と同時に農業部門の変動を解析・把握するため2つの方法を採用した。一つは産業連関分析による生産変動要因分解であり、もう一つはスカイライン分析である。スカイライン・パターンの定量化の開発と利用が求められよう。分析により農業及び農業関連産業は生産技術要因起源の生産額の減少、直接・間接の究極的な効果を含む自給率の全般的な低下という状況にあり、その影響は農業内部のみならず他産業へも大きく影響し、スカイライン構造に変化が生じることが明らかにされた。我々が用いた手法は多部門の相互依存関係を含むものであり、経済政策と農業政策のマクロ的な評価手法としての有効性は高いといえよう。
Chabatama, Chewe M. Chabatama, Chewe M.
ザンビア農業と食料安全保障に関する研究の多くは、トウモロコシとその他の換金作物に集中しており、トウモロコシ生産に余剰のあるセントラル州、ルサカ、南部州などに関するものが多い。換金作物ではないキャッサバ、ミレット、ソルガム等は、北西ザンビアにおける主食であるにもかかわらず注目する研究者は少なかった。北西州のトウモロコシ生産は少ないため、研究者や政府担当者から無視され、非難され、また取り残されてきた。本論文では、キャッサバ、シコクビエ、トウジンビエ、ソルガム、サツマイモが、有史以前から北西ザンビアの人々の食料安全保障を担ってきたという明確な事実を再認識する。北西州の農業と経済には高い潜在力が存在する。本稿では、厳しい生態条件の中にあるザンビア北西州における食料供給を検討する。特に地域の生態気候条件に適応した食料供給、そして生存のために食料不足世帯が対処する生存戦略を考察しながら、生態学的災害の変化と生存戦略の変遷を考える。
篠原 武夫 Shinohara Takeo
(2)アメリカの領有となってからのフィリピン経済は、 アメリカの近代的植民地政策によって顕著な発達をした。アメリカはフィリピンを自国資本に対する資本投下市場、 商品販売市場、 原料供給地として強く位置づけていた。アメリカの植民地政策は、 本国の工場製品を販売せしめる必要から自給自足を目的とする封建的農村の自然経済を解体せしめて、 商品経済の促進を必要としたのである。そのためには、 アメリカはフィリピン原住民の農業生産物が商品化される流通過程の近代化のみに満足せず、 その基本産業たる砂糖、 麻、 木材などの生産過程に直接干渉し、 本国の技術と資本とをもって能率的に農林業の経営を行ない、 それによって植民地の富を可能な限り収奪せんとする欲求から、 農林業部門にエステートの型で進出した。この型は甘蔗栽培に多い。しかし、 アメリカは自国資本の安全を守るためにフィリピン産業の近代化には常に一定の限界を与えたのである。かくして、 フィリピン経済構造の基本をなす農業関係には、 依然として前期的遺制が支配的となった。アメリカの産業政策は母国の不足品である砂糖、 麻、 コプラなどを植栽せしめ、 フィリピン原住民の自主的産物である棉花及び米などの生産の助長を抑制して、 フィリピン経済を完全にアメリカに依存せしめたのである。1909年に「ペ・ア法」が成立し、 この法律はアメリカの対比自由貿易を規定したもので、 それによるとアメリカ商品のフィリピンへの輸出は無制限かつ無関税であるのに、 米を除く砂糖、 煙草などのフィリピン商品のアメリカへの輸出には、 一定の割当制がとられた。フィリピンは輸出入貿易の面で完全に米国に依存せしめられ、 フィリピンの輸出品(=一次産品)の大部分はアメリカ向けで、 輸入品(=工業製品)の大半がアメリカからであった。1929∿39年における輸出商品構成についてみると、 5大輸出商品といわれるもののなかには、 砂糖、 コプラ、 マニラ麻、 ココヤシ、 煙草などがあり、 それらはすべて輸出農業商品である。それ以外にわずかに刺しゅう品と木材があるのみである。最大の輸出商品は砂糖であった。木材は1930年以降はいつも第8位にある。こういう輸出作物が重視された反面、 もうけの少ない米、 トウモロコシなどの食糧は軽視された。フィリピン経済の重要産業部門は、 ほとんどがアメリカ資本によつて支配された。林業部門もそうである。(3)それではアメリカ統治下の具体的な林業開発の実態について述べよう。森林面積は約1、700万haあり、 それは国土総面積の約58%を占めている。そのうち経済林が約78%あり、 その林相・蓄積はきわめてととのつていた。林野所有はほとんど国有林で形成されている。この国有林にかたよった所有形態はスペイン支配によって形成され、 それはアメリカの植民地政策によって継承された。森林の総蓄積は約11億m_3と推算され、 経済林のみの蓄積は約10億m^3といわれる。樹種構成もフタバガキ科に属する材が75%も占めている。このように森林資源豊富でかつ林野所有が国有林を基本にして成立している森林を舞台にして、 フィリピンの資本制約採取林業は展開したのである。
中村, 哲也 NAKAMURA, Tetsuya
1950年代後半、ザンベジ川の中流域にカリバダムが建設されたことによって巨大な人造湖(カリバ湖)が形成され、5万人以上のトンガの人々の居住地が失われてしまった。湖畔の平地へと追いやられた彼らは、逆境を跳ね返すかのように、カリバ湖と密接に関わりながら様々な産業を発展させていった。しかし、急増する人口、頻発する干ばつによって土地不足が蔓延化し、不安定な社会経済的要因が地域経済を悪化させ、こうした背景のもと、数千世帯が湖畔から再度移住していったと言われている。ほとんどは高地を目指して移り住んでいったが、一部は峡隘な尾根や渓谷を有する丘陵地を居住地に選んだ。
福田, アジオ Fukuta, Azio
考古学と民俗学は歴史研究の方法として登場してきた。そのため,歴史研究の中心に位置してきたいわゆる文献史学との関係で絶えず自己の存在を考えてきた。したがって,歴史学,考古学,民俗学の三者は歴史研究の方法として対等な存在であることが原理的には主張され,また文献史学との関係が論じられても,考古学と民俗学の相互の関係については必ずしも明確に議論されることがなかった。考古学と民俗学は近い関係にあるかのような印象を与えているが,その具体的な関係は必ずしも明らかではない。本稿は,一般的に主張されることが多い考古学と民俗学の協業関係の形成を目指して,両者の間についてどのように従来は考えられ,主張されてきたのかを整理して,その問題点を提示しようとするものである。
德島 武 Tokushima Takeshi
2014 年の国際収支統計の変更は、マクロ経済政策を論じる基本モデルであるマンデル=フレミング・モデルとの整合性という点では、後退と言わざるを得ない。旧版は完全に対応していたが、新版は部分的にしか対応していない。
福仲 憲 大城 常夫 FukuNaka Ken Oshiro TSuneo
戦後の沖縄における高い経済成長と急速な都市化による農業離れの現象は著しいものがある。農業部門からの労働力人口の流出や兼業農家の増加は、 農業者が自分の所得と生活を農業外の勤労者なみにしようとする強い動機にもとづいている。つまり、 農家は自分の経営規模を拡大するか、 あるいは労働力を兼業へふり向けることによって、 所得や生活の格差を縮小しようとするからである。しかし、 他方ではさとうきびやパインアップル生産にみられるように、 価格支持や流通安定のための何らかの政策によっても強く左右されている。その結果、 農村では過疎化が進み、 農業経営は傳統的な複合経営から単作経営へと、 1960年前後を転期にして、 その内容を大きく変えた。それは、 自給的な食糧作物の生産から換金のための原料作物への交替でもあるが、 同時に生産組織と技術体系を大きく変えたために、 農家の土地、 労働力、 資本財の利用などのひずみと生産力の不安定をもたらした。これは、 農家の所得や生活水準の向上のかげで忘れられてはならないことである。現在の農業経営は、 農家の土地と労働力を充分に活用できる経済条件をもっていないこと、 農業をとりまく自然の生態系ばかりでなく調和のとれた技術体系が崩れてきていることなどの問題に直面している。農業生産の長期的、 安定的な持続をはかるためには、 基幹作物を中心に必要なローテイションクロップや畜産との結合による複合経営を確立することは基本的に正しいことである。しかし、 現在の農業における技術体系とそれをとりまく経済的条件のもとでは、 農業経営から都市労働者なみの所得をうることは困難である。それでも長期的には、 地域の風土に根ざした複合的な家族経営の経済性が確保され、 土地と家族労働力が合理的に活用されるような、 経済的、 技術的な条件をつくりだすことが基本的に重要である。
德島 武 Tokushima Takeshi 徳島 武
筆者の一連の開放マクロ経済の最適収支動学分析では、無限期間が仮定され、最適条件より鞍点の最適動学システムが導出され、定常均衡値へ収束して横断面の条件を満足する経路が、最適経路として選択された。本論文では有限期間を仮定すると、横断面の条件が満足されず、同様の最適動学システムでも収束経路が最適経路とならないことが証明されている。すなわち有限期間分析は初期条件と最終期(終点)条件を任意に設定した分析となり、よって最適収支動学分析も任意となるので、無限期間分析とは本質的に異なる最適収支動学分析となることが示されている。また自国と外国からなる国際マクロ経済の最適動学システムについて、利子率と資本及び対外債務の関係、二国モデルの2期間分析と無限期間分析の関係、二国モデルとN国モデルの関係の各観点からまとめられている。
Flint, Lawrence S Flint, Lawrence S
近年、食料、水、繊維、エネルギーの需要拡大を満たすため、人々はいまだかつてない供給を生態システムから求めるようになった。これらの需要は生態系のバランスに圧力を与え、自然環境が許容量を取り戻す能力を減少させ、大気・水の浄化作用、廃棄物の処理、アメニティ等の生態系サービスを供与する能力を弱体化させた。社会経済開発と環境持続可能性との間に明らかな緊張関係が存在している。生態系の財とサービスの減少を引き起こした直接的な原因は、生息地の変化、外来種の侵入、過度の収奪、汚染や気候変動と変化などである。これらのプロセスは社会生態的レジリアンス喪失の脅威を与え、環境と社会経済変化の双方に対する感受性を高める。
長田, 俊樹
筆者は、主に言語学以外の自然人類学や考古学、そして民族学の立場から、大野教授の「日本語=タミル語同系説」を検討した結果、次のような問題点が明らかとなった。
KAUTI, Matheaus Kioko KAUTI, Matheaus Kioko
ケニア政府による経済の構造調整計画の実施は、農産物価格を凌駕する農業投入財価格の上昇をもたらし、小農民の生産に負の影響を与えた。同時に、降雨パターンの変動もまた地方レベルの世帯の脆弱性の状態に関わりを持っている。
金, 仁徳
今日の在日朝鮮人の文化は明らかに移住の歴史から出発した。朝鮮人の移住は徹底して日本資本主義経済の必要によったものであった。そして朝鮮人は日本社会の最下層民として編入され、帝国主義日本の民衆と生活を共にした。
大城 肇 Oshiro Hajime
研究概要:島々は、それぞれが特有の風情と地理的・文化的特色をもち、フロンティアとしての役割を果たしてきた。台湾においても例外ではない。澎湖や金門、馬祖の島々が、貴重な生態系と伝統文化を保持する地域であると同時に、台湾の歴史において、対外的なフロンティアとしての役割を担ってきた。とりわけ後二者は、中国大陸に対する軍事上の最前線であったが、1990年代以降、軍事的最前線から経済的最前線へと位置づけが変わりつつある。台湾の島嶼政策の基本は2000年3月に制定、同4月に公布された「離島建設條例」である。この條例の目的は、島嶼の開発建設を進めて、住民の福祉を増進させることであり、そのために産業を発展させるとともに、自然環境を保全し、独特の文化を保存して、生活の質の改善を図ることとされている。離島建設條例では、澎湖、金門及び馬祖地域と中国大陸との間の「試辨通航」(俗称・小三通)を認め、さらにこれら島嶼地域の営業者に係る営業税と輸入関税の免税措置を定めているのが、日本の離島振興法にはないこの條例の特徴である。急速にウェイトを落とした軍事経済から脱却するために、観光が重視され、軍事施設の観光資源化が図られてきている。さらに、大陸との間に小三通が2001年1月から始まっている。観光と小三通をテコにした産業開発の努力が、金門や馬祖では見られる。「過去半世紀にわたる戦門島から平和の経貿島への歴史的転変」をめざして、多くの経済発展計画が策定されている問題を抱えながらも、中台間で小三通による経済交流が進みつつあるのは歓迎すべきことである。台湾海峡の両岸関係がうまくいくことが、東アジアにおける平和構築の必要要件の一つだからである。
葉山, 茂 Hayama, Shigeru
本稿は中国雲南省の最南部,ベトナムと国境を接する金平県者米郷の格馬集落に住むハニ族を事例として,彼らの生業活動とその生業活動の傍らでおこなわれている可食野生動植物の利用について明らかにすることを目的とした。そして,者米地域で急速に進みつつある市場経済化のなかで,可食野生動植物の利用がどのように成立しているのかを検討した。
鍬塚 賢太郎 Kuwatsuka Kentaro
インドでは経済自由化以降、ITサービス輸出が拡大しており、インド経済に少なからぬインパクトを与えている。なかでも近年急速に成長しているのが、アメリカ合衆国を最大の需要先とする情報通信技術を活用した業務受託サービスである。本稿ではインドにおける業務受託サービス輸出の動向について把握するとともに、その生産拠点として捉えることのできるコールセンターの立地の特徴についてナショナル・スケールから検討し、大都市部へ集積していること確認した。これを受け、業務受託サービスの輸出拠点となっているデリー首都圏を取り上げて、都市スケールからみた立地の特徴を把握するとともに、それが既存の都市構造に与える地域的インパクトについて、オペレーターの就業形態に着目しながら考察した。
稲村 務 Inamura Tsutomu
柳田国男が自らの学問を民俗学と認めるのは彼が日本民俗学会会長になった1949年の4月1日であり、それ以前は日本文化を研究対象とした民族学(文化人類学)もしくは民間伝承学(民伝学)を目指していた。柳田が確立しようとした民俗学は自分以外の人々に担われるべきものであり、柳田自身を含んでいなかった。本稿ではこのことを検証するために、それ以前のテキストととともに、1948年9月に行われた座談会「民俗学の過去と将来Jを中心に検討する。柳田国男は本質的に民族学者である。
Matin M.A. Hossain M.A. Oya Kazuhiro Hossain A.H.M.D. Rahman M.K. Uddin S.M.M. 大屋 一弘
この実験は、サトウキビ(a収量)に対する限界除草期間を決定するために1990~91年、バングラデシュ国、ノース、ベンガル製糖工場、ムラドリー農場で実施した。供試品種としてIsd.16を使い、9処理区を3反復で、配置は乱塊法で実施した。すなわち、9種類の異なった除草処理期間(infestation period)を設置し、それぞれに対する収量、収穫構成要素及び除草処理の経済効果を検討した。その結果、除草をしなかった無処理区(:T_1)で分けつ茎数及び原材料茎数が最も少なくなり、植付けから135日間除草した区(:T_9)が最も多くなった。収量においても同様になった。逆に、植付けから135日間放置した区(:T_5)では分けつ茎数、原材料茎数、及び原材料茎収量は減少した。除草処理期間が45から135日間での処理区(:T_2)は分けつ茎数、原材料茎数及び収量においてT_9と殆ど同じであった。T_9処理区における最高収量は、除草による有効茎の増加(maximum economic shoot = millable shoot)によるものである。無処理に対する増収割合は、除草期間と直接的に関係した。135日除草処理区(:T_9)は、無処理区より収量で65%増加し、可製糖率(recoverable sucrose%)も増加した。経済効果もまた増収を反映し、T_9で優った。すなわち、T_9では、追加収入(additional income)及び純収量が最も高くなった。また、T_2も無処理区(T_1)に比較して満足すべき収益(economic return)が見られた。そして、無処理及び他の処理区に比較し、45~135 D.A.P処理区(:T_2)は著しい増量が得られ、最高経済効果(maximum economic benefit)が得られた。このことから、サトウキビ栽培における最高経済回収を行なうための限界除草期間は、45~135日であることがわかった。
松浦, 利隆 Matsuura, Toshitaka
安政六年六月の開港は国内の経済構造に大変化をもたらし、幕藩体制が崩壊するきっかけを作った大事件である。そこで初期の生糸不足により大混乱におちいった関東随一の織物産地である上州桐生新町がこの事件をきっかけにどう変化したかを考察した。
當山 りえ 嘉数 朝子 島袋 恒男 新垣 千鶴子 玉那覇 邦和 新垣 朝洋 Toyama Rie Kakazu Tomoko Shimabukuro Tsuneo Arakaki Chizuko Tamanaha Kunikazu Arakaki Tomohiro
本研究は,社会的認識の中の経済に関する認識について検討した。具体的な目的として,第1に小学生の賃金・労働関係などの認知面,それらの行動面における学年差を検討した。その結果,顕著な学年差は見られなかった。また数量化3類によって,低学年・高学年それぞれの金銭意識の構造を検討した。研究2では,父母の金銭意識を検討した。
金 紋廷 方 貴姫 金 彦志 韓 昌完 Kim Moonjung Bang Guihee Kim Enonji Han Changwan
日本と韓国の企業メセナ活動は、1990 年代から企業の社会的責任の一環として注目されてきた。特に、日本では、世界的な不景気や東日本大震災による厳しい経済状況にもかかわらず、持続的かつ長期的なメセナ活動に取り組んでいる。そこで、本稿では、日本の企業メセナとして障害者文化・芸術活動を支援している事例に焦点をあてて分析した。その結果に基づいて、今後、韓国の企業メセナによる障害者文化・芸術活動を活性化させるためには、1)障害者文化・芸術活動支援に関した情報交流、2) 障害の特性を考慮した長期的支援、3) 障害者と健常者が直接的に触れ合う機会提供、4) 障害者の芸術活動が経済的自立につながるような支援が必要であると提案した。
高瀬, 克範 Takase, Katsunori
続縄文概念の有効性の評価にあたり,隣接諸文化との比較からその異同性をさぐることは重要な手段となりえる。本稿では,資源・土地利用を中心とした経済の観点から縄文・弥生および一部古墳文化との比較をおこない,以下の点を指摘した。
藤原 綾子 Fujiwara Ayako
生活文化としての和服を理解させるため,「被服構成実習3」の授業を通して以下に示す実践を試みた。大学生男女を対象とした和服のイメージ調査,「被服構成実習3」の実習前後の和服に関する基礎知識の理解度,和服の製作,着用経験及び着用能力の調査,家庭科教育における和服製作に関する意識調査,実習後の感想等,更に近年相次いで出版されている浴衣(ゆかた)の入門書について分析し,授業用参考書としての考察を行った結果,以下のことが明らかとなった。1.大学生の和服に対するイメージは祝,祭,行事など特別な時の衣服であり,しとやか,優美・優雅,日本的な印象を感じている。又どちらかと言うと晴着であり,着装は困難で非活動的,非経済的,古典的というマイナスイメージを持っていることが明らかになった。2.和服に関する基礎的知識の理解では,実習前は低い正答率しか得られなかったが,実習後はるかに高い正答率が得られ,製作実習がその理解に役立っていることが明らかになった。3.家庭科教育における和服の製作をどういう教育段階に入れるべきかについては,40%の学生は高等学校家庭科で必要であると回答し,全体の半数(50%)の学生は大学教育に必要であると回答していた。4.実習後の学生の感想から,ミシン縫いを取り入れたため目標の日程(一週間)で仕上げることが\nできた,和服はほどくと長方形の布地になりリフォームしやすく経済的であること,着つけを学ぶことができ将来役に立つこと等,和服の長所を実習から学んでいて,充分ではないものの和服理解の一端は得られたと考える。5.近年相次いで発行されているゆかたの入門書を検討した所,数冊の本では身長によるL,M,Sの三体型のでき上がり寸法表示があったものの,L,Mだけの本もみられた。製作手順についても従来からの方法もあれば,大幅に変化したものも見られた。肩当,居敷当はほとんどの本で省略されていた。製作方法は従来の手縫いのみからミシン縫いをとり入れた方法に移向し,時間の短縮化がはかられている。教員養成課程家政専攻の学生のための参考書としては一応使えるものの,肩当,居敷当のつけ方等は加える必要がある。
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南洋興発株式会社は、南洋群島における唯一の製糖会社で、南洋群島経済を支えた半官半民の企業である。同社は、日本人移民、とくに沖縄からの移民に対する最大の雇用機関であった。同書には、事業に関する詳細なデータを有する宣伝パンフレットで、毎年発行された。
松丸, 明弘 Matsumaru, Akihiro
大原幽学は、近世後期の東総地域において、「性学」と呼ばれる精神修養的実践と先祖株組合などの経済技術的実践の両面の実践で農村の改良運動を進めた人物である。幽学の性学仕法と呼ばれるこれらの実践は優れて効果ある実践として、農民間で評価され、多くの門人を獲得したが、幕府の嫌疑のかかる所となり、さらに牛渡村一件から始まる足かけ六年もの長期の裁判に及び、最後は、安政五(一八五八)年に自殺を遂げた。本稿は、この幽学について易や人相、あるいは和歌などで生活の糧を得ていた漂泊期から、幽学の説く性学が東総地域、特に長部村を中心に興隆し、最後には「改心楼」なる教導所を建設するに至るまでの時期の、特に幽学とその門人集団を明らかにし、彼らの作りだした組織について考察したものである。幽学の説く性学が、天保後期から僅か数年で六〇〇人以上の門人を獲得するまでに至ったのは、ただ単に幽学個人の活動だけで成しえたものと考えるには無理がある。また従来の幽学関係の著作物に見られるような幽学の顕彰過程の中で、実践のすべてを幽学に帰するという方法論にも問題がある。やはり重責を担った長部村の遠藤良左衛門や諸徳寺村の菅谷又左衛門に代表される高弟たちの存在と彼らが中心となって作りだした「前夜」に代表される組織に目を向けていく必要がある。本稿では、東総一帯で幽学が活動をおこなう過程で、支配機構の枠組みを越えてつながり、活発に活動を展開する組織が、農民自らの手で生み出されたが、それはどのような組織であったかについて、その具体像を明らかにした。この組織が、幽学の活動を支え、教導所である「改心楼」を建設することになる。そして「改心楼」の設立から牛渡村一件に密接に関わっている点で、幽学の性学活動を考える上で重要である。また、成田市域の門人集団や信州の上田・小諸の門人集団、さらに幽学の江戸訴訟に登場する高松家との関連についても明らかにした。
かりまた しげひさ Karimata Shigehisa / 狩俣 繁久
琉球列島全域の言語地理学的な調査の資料を使って、構造的比較言語地理学を基礎にしながら、音韻論、文法論、語彙論等の基礎研究と比較言語学、言語類型論、言語接触論等の応用研究を融合させて、言語系統樹の研究を行なえば、琉球列島に人々が渡来、定着した過程を総合的に解明できる。言語史研究の方法として方言系統地理学を確立することを提案する。
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南洋興発株式会社は、南洋群島における唯一の製糖会社で、南洋群島経済を支えた半官半民の企業である。同社は、日本人移民、とくに沖縄からの移民に対する最大の雇用機関であった。同書には、事業に関する詳細なデータを有する宣伝パンフレットで、毎年発行された。
藤島, 綾
鉄心斎文庫は、三和テッキ株式会社社長であった芦澤新二・美佐子氏夫妻が半世紀以上の歳月をかけて蒐集したコレクションである。戦後の高度経済成長期に気鋭の実業家として活躍した新二氏は、歴史、芸術、文学などに対する深い造詣を持つ文化人でもあった。
北野, 博司 Kitano, Hiroshi
小論では律令国家転換期(八世紀後半〜九世紀前葉)における須恵器生産の変容過程を検討し、その背景を経済、社会、宗教の観点から考察することを目的とした。ここでは各窯場の盛衰、窯業技術(窯構造・窯詰め・窯焚き)、生産器種の三点を主な検討対象とした。
金城 尚美 元山 由美子 肖 婿 Kinjo Naomi Motoyama Yumiko Xiao Jing
学習者は各自の環境と相互作用を行いながら学んでいるという事実があるのにも関わらず,教師は教室外での学習者と環境の相互作用についてはあまり注意を払ってこなかったことが指摘され(浜田2004b),研究が始められている。学習環境は学習者によって異なり,その環境との相互作用も異なるものである。また同じ学習者でも時間の経過や日本語運用力の向上などの変化に伴って相互作用も変化していることが報告されている(浜田2004c)。本研究では時間の経過や日本語運用力の向上と共に,居住地の移動や身分が変わることによる環境の変化を経験した3人の学習者を対象に,調査を実施した。調査対象者は国籍,学部生という身分,私費留学生という経済的事情,日本語力などの共通した背景をもっている学習者であったが,対人的な環境,非対人的な環境との相互作用など異なる実態が明らかになった。また調査結果から環境との相互作用に関わる要因が浮かび上がった。
藤原 幸男 Fujiwara Yukio
他大学教育学部または教育大学における教育学と心理学を統合した学校教育学科では,教育学の専門科目は理論ばかりでおもしろくない,という批判が学生にあり,そのために,専修に分化するときに心理学専修を選ぶ者が多いと聞く。教育学について一面的な理解しかないにしても,学生の批判はあたっているところもある。学生の批判を受けとめ,教育学の専門科目の授業を教育内容・方法面において再編成し,魅力あるものにしていく必要がある。今年の夏,「教育方法学」の集中講義をF教育大学で試みた。理論と実践の結合を意識して,実践事例を多く紹介したプリント資料とビデオ教材を準備したために,学生の隠れた教育学批判に結果的に応えることができた。現実の教育問題への関心の喚起,教育方法学の理論の実感的理解,教育像・授業像・教師像の変化,教育方法学観の変化などについて刺激を与えることができた。「教育方法学」集中講義の講義内容・方法を概観し,実践的試みを実施したあとでの学生の感想を中心にして,上記事項などでの影響について報告する。
大角 玉樹 Osumi Tamaki
沖縄及び琉球大学の戦略的な研究として、「亜熱帯島嶼科学」が提唱され、その推進のため、2005年に、亜熱帯島嶼科学超域研究推進機構が開設されている。過去の外部評価では、学術的な取り組みとしては高く評価されているが、応用研究として、イノベーションや事業化につながる産学官連携を促進することの必要性が喫緊の課題として指摘されている。我が国の経済政策の一つである、「イノベーション25」においても、イノベーションによる持続的成長と豊かな社会の実現が謳われており、辺境に位置し、観光への依存度の高い沖縄が科学技術を活用したイノベーション・アイランドに変貌を遂げていくことが期待されている。世界水準の研究教育を目的とした沖縄科学技術大学院大学の開学は、この期待を一層大きくしている。筆者は、1995年に施行された科学技術基本法以降の、我が国の政策と地域の政策を検討し、国際会議や国際展示会への参加、フィールドワークを通じて、イノベーションを創造する環境や地域特性の調査研究を続けている。過去10数年にわたり、関連研究機関や技術移転に関わる組織、科学技術コーディネータを含め多くの専門家や実務家と意見交換をしてきたが、その大半が、産学官連携によるイノベーション創出の困難性や問題点を指摘する声であり、有効性に疑問を投げかける意見であった。「連携」といいながらも、依然として、お互いの立場や考え方の違いを尊重することが少なく、それぞれが所属組織・機関の目的に従って、個別ばらばらに動いているのが現状であろう。琉球大学における亜熱帯島嶼科学の応用研究の必要性、沖縄21世紀ビジョンに掲げられている沖縄科学技術大学院大学の産学連携やベンチャー創出という政策的方向性を検討する際にも、「連携」ないしネットワーク形成がキーワードの一つになっている。過去の調査研究から、イノベーションを促進・加速するための連携が実現し、地域クラスターがエコシステムに変容を遂げるには、従来の政策ではほとんど考慮されることのなかったソーシャル・ファクターに注目し、そのマネジメントを確立することの必要性を感じている。まだ概念や研究のフレームワークが明確ではないことから、これまでの産学官連携、クラスターに関する主要な研究と近年の経営学における主要な研究トレンドを参考に、予備的考察を試みたものが本稿である。まだ、漠としたイメージしか掴めないものの、ソーシャル・ファクターとツーリズム・キャピタルという概念を取り入れた産学官連携モデルの進化と深化に向けて、理論構築と検証を行っておきたい。
新谷, 尚紀 Shintani, Takanori
本稿は日本各地の葬送習俗の中に見出される地域差が発信している情報とは何かという問題に取り組んでみたものである。それは長い伝承の過程で起こった変遷の跡を示す歴史情報であると同時にその中にも息長く伝承され継承されている部分が存在するということを示している情報である。柳田國男が創生し提唱した日本民俗学の比較研究法とはその変遷と継承の二つを読み取ろうとしたものであったが,戦後のとくに1980年代以降の民俗学関係者の間ではそれが理解されずむしろ全否定されて個別事例研究が主張される動きがあった。それは柳田が創生した日本民俗学の独創性を否定するものであり,そこからは文化人類学や社会学との差異など学術的な自らの位置を明示できないという懸念すべき状況が生じてきている。日本民俗学の独創性を継承発展させるためには柳田の説いた視点と方法への正確な理解と新たな方法論的な研磨と開拓そして研究実践とが必要不可欠であり,民俗学は名実ともに folklore フォークロアではなく traditionology トラデシショノロジイ(伝承分析学)と名乗るべきである。日本各地の葬送習俗の伝承の中に見出される地域差,たとえば葬送の作業の中心的な担当者が血縁的関係者か地縁的関係者かという点での事例ごとの差異が発信している情報とは何か,それは,古代中世は基本的に血縁的関係者が中心であったが,近世の村落社会の中で形成された相互扶助の社会関係の中で,地縁的関係者が関与協力する方式が形成されてきたという歴史,その変遷の段階差を示す情報と読み取ることができる。本稿1は別稿2とともに今回の共同研究の成果として提出するものであり,1950年代半ばから70年代半ばの高度経済成長期以降の葬儀の変化の中心が葬儀業者の分担部分の増大化にあるとみて現代近未来の葬儀が無縁中心へと動いている変化を確認した。つまり,葬儀担当者の「血縁・地縁・無縁」という歴史的な三波展開論である。そしてそのような長い葬儀の変遷史の中でも変わることなく通貫しているのはいずれの時代にあっても基本的に生の密着関係が同時に死の密着関係へと作用して血縁関係者が葬儀の基本的な担い手とみなされるという事実である。近年の「家族葬」の増加という動向もそれを表わす一つの歴史上の現象としてとらえることができる。
石川 ふじの 花城 梨枝子 Ishikawa Fujino Hanashiro Rieko
本研究の目的は,家庭科教育における社会保障に関する学習の必要性を明らかにすることである。この目的を達成するために,家庭科教育における自立概念と年金に関する大学生の知識を検討し,さらに生活リスクと個人的な生活を支える社会保障制度の関係を考察した。今日,経済・社会的な変化は,個々人の自立する能力を脅かしている。日本では三分の一の雇用者が正規フルタイム雇用でなくなっており,この現象は結果的に,社会的排除や日常生活に対処できない経済的資源の不足をもたらしている。社会保障制度からの支援がなければ,健康で文化的な生活は不可能である。家庭科教育で社会保障制度を学習することによって,人々は生活における人間性を持続して生活の質,つまり生活の福祉を増大させることができる。
Matsubayashi, Kozo Okumiya, Kiyohito Ishine, Masayuki Boupha, Boungnong MATSUBAYASHI, Kozo OKUMIYA, Kiyohito ISHINE, Masayuki BOUPHA, Boungnong
ラオスにおける高齢者の糖尿病について、身体に刻まれた歴史と文化の側面から考察した。糖尿病に関する歴史、文化的背景(ラオス~サバナケット)として、7~10 世紀頃の中国南部より東南アジアへのタイ系民族の移動に始まり、ラオ民族のもち米の主食化がある。うるち米に比べて、高カロリー(1.4 倍)かつ高 Glycemic index (2.0 倍) であるのが、うるち米の特徴である。魚の生食とタイ肝吸虫の慢性感染、妊婦の産後数ヶ月のタンパク摂取制限(タブー)、1974 年以降のJICA も絡んだサトウキビ畑の大規模開発による砂糖の市場への普及(モノ班、天理教資料より)、1978 年の大洪水による食糧難(特にラハナム)(過去に繰り返している可能性)、1997 年以降のラハナムの灌漑設備による2 期作による収量増加と余剰による換金化の可能性などの経済的な要因とライフスタイルの影響が糖尿病の増加に影響している可能性がある。この10 年間、サバナケット病院の糖尿病受診者が実際増加しているが、地域住民の高い有病率から考えるとまだかなり少ない。伝統的なライフスタイルのラハナムと、市場経済の浸透し始めているパキソンを比較すると、高齢者の糖尿病の頻度に差はないが、50 歳台の糖尿病やメタボリックシンドロームの頻度は、パキソンの方が高い。若年者のライフスタイルや栄養転換の市場経済による影響の変化が大きいことが考えられる。、同じ民族背景をもつが、経済的に発達しているタイのコンケンでは、糖尿病の頻度がはるかに多くなっていることから、ラオスにおける糖尿病の将来の増加が危惧される。糖尿病の予防に向けての、今後の対策が急務である。来年度は、ラオスの北部住民における生活習慣病を含めた健康状態を調査し、森林農業班との資源、土地利用との関連から分析するとともに、南部の住民との比較を行うことにより、老化と疾患に及ぼす生態史的アプローチを深めていこうと考えている。
藤原 綾子 Fujiwara Ayako
大学生の衣服の一つであるジーパンに関する意識や実態が10年前と現在でどう変わったのかを明らかにする目的で昭和47年の琉球大学教育学部学生を対象に行った調査と昭和57年本学教育学部学生を対象に行った調査を比較検討して次の結果を得た。1)10年前と現在の学生を比較すると男子はほぼ同程度の着用があるが,女子は減少してた。この原因は女子の他の服(ワンピースやスカート)への移向が大きいためである。2)ジーパン愛用の理由として,10年前の学生が男女共に,丈夫で季節に関係なく着られるという経済的理由をあげたのに対し,現在の学生は,汚れても気にならず,手入れが容易であるという実用的な理由をあげていた。3)ジーパンを着用できる時,場所,場合として,10年前の学生は日常的な時や場所だけを考えていて冠婚葬祭の場は絶対にいけないと考えているのに対し,現在の学生は入学式,卒業式まで着用してよい,そして時には結婚式などの着用も考えている。現在の学生にとっては入学式や卒業式はもはや日常的な時,場所になっているようである。4)ジーパンという衣服を10年前の男子学生は年中着用できる衣服,作業服ととらえているのに対し,現在の男子はどこへでも着ていける衣服ととらえ,衣服観は10年前と現在で大きく変化している。女子学生は10年前,現在とも大きな変化はなく,性差を意識せずに着られる衣服,季節に関係なく着られる衣服,遊び着,作業着としてとらえている。5)全体としてジーパンは10年前から現在まで,実用的な衣服であって,ファッショナブルな個性を表現する衣服ではないようである。おわりに本調査に御協力下さいました本学教育学部花城梨枝子先生,卒業生の島袋睦枝さんに深く感謝申し上げます。
山里 勝己 我部 政明 仲程 昌徳 高良 鉄美 石原 昌英 吉田 茂 小倉 暢之 等々力 英美 宮平 勝行 喜納 育江 山城 新 Yamazato Katsunori Gabe Masaaki Nakahodo Masanori Takara Tetsumi Ishihara Masahide Yoshida Shigeru Ogura Nobuyuki Todoriki Hidemi Miyahira Katsuyuki Kina Ikue Yamashiro Shin
研究概要:1945年以降の沖縄の歴史は異文化接触の歴史であり、それは戦後日本でも極めて特異な歴史であった。本研究は、このような戦後沖縄におけるアメリカ文化との異文化接触により生起した現象を、国際政治、憲法、沖縄文学、アメリカ文学・文化、言語政策、コミュニケーション論、食品学、農業経済、建築学、公衆衛生の各領域において分析し、最終的には学際的な総合化をとおして異文化接触の全体像を理解することを目的として進めた。さらに、このような研究をとおして、異文化接触のメカニズムを解明し、普遍的なモデルの構築を試みつつ21世紀の国際社会における相互理解に寄与することを最終的な目標として研究を展開した。このような目的、目標を達成するために、平成14年から16年において、以下のような研究活動を推進した。 1) 特に米国公文書館をはじめとして公文書館等における文書の収集、戦後沖縄に直接に関わった沖縄及び日米の関係者に対するアンケート・聞き取り調査等を含めて、新しい知見を得るべく、実証的かつ総合的な研究を遂行した。 2) 研究分担者間の相互連携及び異文化接触に関する理論的深化をはかるために、研究組織内で研究会を開催し、同時に国内の関連分野から講師を招聘しつつ研究を進めた。 3) 平成15年度は、カリフォルニア大学デイヴィス校において、アメリカ側の研究者とともに国際シンポジウム("Symposium : Cross-Cultural Contact between the U.S. and Okinawa")を開催し、国際的な連携を図りつつ研究を推進した。 4) 以上の活動を基礎に、研究分担者がそれぞれの課題について研究報告をまとめた。
波平 恒男 Namihira Tsuneo
本研究では、1950年代の沖縄の戦後復興を中心にしながら、復帰前のアメリカの軍政下における沖縄の政治・社会・文化の発展ないし変容について総合的に解明した。1950年代の基地依存的な経済復興は、軍政下の住民自治権の脆弱性、基地を中心とした都市化の歪み、沖縄本島内における、また本島と離島とのあいだの不均等な社会発展など、さまざまな歪みをもたらした。本研究では、それらのメカニズムや全体的な関連性を明らかにした。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
宮国 薫子 Miyakuni Kaoruko
本稿では、持続可能な観光開発のための枠組みとして2006年に提示し、沖縄県那覇市首里金城地区景観形成地域をモデルに検証した「観光リンケージ」を再考する。観光開発は、地域の様々なステークホルダーが関与しており、地域に様々な経済的、社会的、環境へのインパクトをもたらすがゆえ、様々な観光を構成する要素を考えて計画的に行われなければならない。観光リンケージの概念は、観光のあらゆる要素(構造物、視覚、情報、交通、経済・マーケティング)において、連携を持たせることによって、持続可能な観光開発ができることを示唆している。2006年の時点において「観光リンケージ」は、観光開発を見る一つのレンズとして様々な特徴や問題点を指摘した。本稿では、近年、急速に発展する沖縄県の観光の中核をなす首里景観形成地域の変化を再度、観光リンケージという枠組みを通して検証する。
林, 正之 Hayashi, Masayuki
柳田國男著作中の考古学に関する箇所の集成をもとに、柳田の考古学に対する考え方の変遷を、五つの画期に整理した。
児玉, 望
筆者は十五年間、ドラヴィダ語学を学んできた。そこでドラヴィダ言語学の立場から、大野説を検討した結果、次のような問題点が明らかとなった。
長田, 俊樹
さいきん、インドにおいて、ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりのなかで、「アーリヤ人侵入説」に異議が唱えられている。そこで、小論では言語学、インド文献学、考古学の立場から、その「アーリヤ人侵入説」を検討する。
山村, 奨
本論文は、日本の明治期に陽明学を研究した人物が、同時代や大塩の乱のことを視野に入れつつ、陽明学を変容させたことを明らかにする。そのために、井上哲次郎と教え子の高瀬武次郎の陽明学理解を考察する。
宮内, 貴久 Miyauchi, Takahisa
福岡市は大陸に近い地政学的位置から,海外への玄関口という性格を持った都市である。戦後,空襲による家屋の焼失と約140万人におよぶ引揚者により,深刻な住宅不足問題に直面した。
金, 廷恩
近世は、街道の整備と庶民生活の経済的向上にともない、楽しむ旅が大衆化した時代であった。京都の寺社では、近世初期から遠忌・開帳を盛んに催して客の誘致につとめており、旅人の来訪による経済効果も無視できない水準にまで達していた。このような時代背景の中で、モデルコースを収録した案内記が登場した。それは、アクセスに重点を置いた内容で、旅人が携帯して参照できるよう、小型に作られた実用書であった。そこに収載されたモデルコースとは、定められた基点から出発して、道なりの名所を順覧し、基点に戻るというものであり、現在のワンデープランや周遊モデルコースにつながるわかりやすい観光案内の原型と言える。しかし、これまでの研究では、注目されることが少なく、地誌の形態における多様化の一環として捉えられるにとどまってきた。
中塚, 武 Nakatsuka, Takeshi
日本を含む東アジアでは,近年,樹木年輪幅の広域データベースや樹木年輪セルロースの酸素同位体比,或いは古日記の天候記録や古文書の気象災害記録などを広く用いて,過去2,000 年以上に亘って気温や降水量の変動を年単位で解明する,古気候復元の取り組みが進められている。その最新のデータ群を歴史史料や考古資料と詳細に比較することで,冷害や水害,干害といった気候災害に対して,過去の人々がどのように対応できたか(できなかったか)を,時代・地域ごとに詳細に明らかにできる可能性がある。近世・中世・古代のそれぞれの時代における,これまでの気温や降水量の復元結果からは,数十年の周期で夏の気温や降水量が大きく変動した際に,大きな飢饉や戦乱などが集中的に発生していたことが明らかとなってきた。このことは,地震や津波による災害を含めて数十年以上の間隔をおいて同じ種類の災害が再発する際に,つまり数十年間平穏な時期が続いた後に災害が起きる際に,社会の対応能力が低くなるという普遍的なメカニズムの存在を示唆する。本論ではさらに,古代から近世に至る歴史の時間・空間座標の中から,数十年以上の時間間隔をおいて大きく気候が変動した無数の事例を抽出して,気候災害の再発に際して社会の中のどのような要因が災害の被害を増幅(縮小)させたのかについて,普遍的に明らかにするための統計学的な研究の枠組みについて提案した。こうしたアプローチは,「高分解能古気候データからスタートする歴史研究」において初めて可能になる方法論であり,伝統的な歴史学・考古学の方法論を補強できる,新しい歴史研究の可能性を拓くものになるかもしれない。災害への社会の対応力を規定する要因が何であるのかは,現時点では結論は下せないが,中世や近世の事例は,特に「流通経済と地域社会の関係のあり方」が飢饉や戦乱の有無に深く影響することを示唆しており,関連するデータの収集が急がれる。
塚本, 學 Tsukamoto, Manabu
文化財ということばは,文化財保護法の制定(1950)以前にもあったが,その普及は,法の制定後であった。はじめその内容は,芸術的価値を中心に理解され,狭義の文化史への歴史研究者の関心の低さも一因となって,歴史研究者の文化財への関心は,一般的には弱かった。だが,考古・民俗資料を中心に,芸術的価値を離れて,過去の人生の痕跡を保存すべき財とみなす感覚が成長し,一方では,経済成長の過程での開発の進行によって失われるものの大きさに対して,その保存を求める運動も伸びてきた。また,文化を,学問・芸術等の狭義の領域のものとだけみるのではなく,生業や衣食住等をふくめた概念として理解する機運も高まった。このなかで,文献以外の史料への重視の姿勢を強めた歴史学の分野でも,民衆の日常生活の歴史への関心とあいまって,文化財保存運動に大きな努力を傾けるうごきが出ている。文化財保護法での文化財定義も,芸術的価値からだけでなく,こうした広義の文化遺産の方向に動いていっている。
宮田 亮 Miyata Ryo
本研究では、金融取引の契約が不完備である内生的成長モデルを分析することにより、技術進歩に対する制度的要因の役割を明らかにする。結果として、契約が不完備であることにより、イノヴェーションが過少になる可能性があること、また再交渉時の貸し手の交渉力、イノヴェーションによって生みだされた資産の流動性の度合いなどがイノヴェーション水準に影響を与えることが示される。これらの結果は、経済の持続的成長に対して制度的要因が重要であることを示唆している。
DONG Erwei Arakawa Masashi 荒川 雅志
余暇(レジャー)が人々の健康に及ぼす影響について異文化間において検証された研究はこれまでほとんどみられず、日本において余暇活動および制約要因と健康との関係を明らかにしたものはない。本研究では、長寿地域として知られる沖縄県を対象に、本島都市部郊外部の間に位置し県高齢化人口比率に近似する北中城村において、余暇活動および余暇制約要因と健康に関するアンケート調査を実施した。調査表の回収総数は250(男性134名、女性116名)、回答者の平均年齢は71.1歳であった。分析の結果、余暇活動と制約要因と心身の健康に有意な関連が認められた。年齢、教育レベルと余暇活動および余暇制約要因にも関連が認められた。社会経済因子と健康には関連が認められなかった。ケースが少なく更なる調査が必要であるが、社会経済要因や文化背景要因が異なるアメリカ、台湾、韓国、中国で筆者らが実施してきた先行研究と比較可能な研究と考えられる。
宮里, 正子 Miyazato, Masako
1429年に成立した琉球王国は,1879年の沖縄県設置までの450年間にわたり,独自の国家を保持してきた。14世紀から始まる中国との冊封・朝貢関係に加え,1609年の薩摩・島津氏の侵略以降は,日本の幕藩体制にも組み込まれる日支両属の関係が続いた。琉球王国は,中国や日本,朝鮮そして東南アジア諸国との交易を経済基盤とした国家運営方針を図った。その結果,琉球ではアジア諸国の人・モノ・情報が行き交い,国際色豊かな「琉球文化」を創出した。とりわけ,漆器は中国皇帝や日本の将軍や大名への献上品であり,さらに経済基盤を支える交易品として王国外交を支えた。王府は漆器の生産管理部署として貝摺奉行所を設置し,王国の誇る漆器の品質保持に努めた。琉球では,材料や技術などをアジア各地に求めつつも,その湿潤な風土が螺鈿・沈金・箔絵・堆錦など豊かな加飾技法を育み,特色ある琉球漆器の美を確立した。
Mwale, Moses Mwale, Moses
食料へのアクセスの不足と食料供給量の不足はアフリカでの主要な問題であり、人間の福祉と経済成長のための基本的な課題である。低農業生産は、低所得、栄養不足、リスクへの脆弱性、エンパワーメントの欠如をもたらす。アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)は、食糧安全保障と持続的国家経済を確保するために年間平均6%の農業生産性の増加が目標である。土地荒廃と土壌肥沃度の枯渇、すなわち土壌養分の枯渇が、半乾燥熱帯(SAT)での食糧安全保障と自然資源保全に対する大きな脅威であるとかんがえられている。アフリカでは、農民に経済力を与えること、効率的で、有効な、手頃な農業技術を用いて持続的な農業集約化を推進することによって、貧困と土地荒廃の間にあるサイクルを壊すことが必要である。そのような手頃な管理システムは貧しく、小規模な生産者にとって利用しやすく、そのアプローチは技術的、制度的な変化を促進するために全体論的でありダイナミックでなければならない。 本論文は、ザンビアでの土壌とその管理に基づく知識を普及することが目標である。土壌保全と保全型農業の問題を含んでいる。主な取り組みは、1.土地荒廃を軽減するのに利用可能な技術を棚卸しすること、そして農民参加型アプローチから農民の事情を踏まえた最善の策をどのように示し、適用するかということ、2.適切なツール、方法、戦略の利用を通じて持続的な土地管理やマーケティングオプションのための最善の策を拡大すること、3.環境変動下で結果として生じる生態レジリアンスを研究することである。
中村 將 小林 亨 平井 俊朗 Nakamura Masaru Kobayashi Tohru Hirai Toshiaki
研究概要:魚類の性決定機構の解明を組織学的、免疫組織学的、細胞学的及び分子生物学的手法を用いて行った。その結果、雌雄異体魚の成熟卵巣を精巣へと転換させることに成功した。性決定に雌性ホルモンと雄性ホルモンのバランスの変化が重要な役割を果たしていることが明らかにした。更に、性決定には脳からの刺激である生殖腺刺激ホルモン及び生殖腺内ではそのシグナルを受け取る生殖腺刺激ホルモン受容体が重要であることを明らかにした。
岡田, 浩樹 Okada, Hiroki
この論文の目的は,近年盛んになりつつあるかのように見える「老人の民俗学」という問題設定に対する一つの疑問を提示することにある。はたして「老人の民俗(文化)」という対象化が有効なのかを,比較民俗学(人類学)の立場から検討する。その際に韓国の事例を取り上げることにより,老人の民俗学の問題点を明らかにする方法をとる。
大城 郁寛 Oshiro Ikuhiro
1960年代の沖縄の製造業は、就業者の構成比でみると9%を占めるまで規模拡大を果たす。琉球政府下の沖縄はドルを域内通貨と用い、自由貿易及び外資の積極的な導入など開放的な経済体制をとっていたといわれる。しかし、本稿では琉球政府の物品税等の課税のあり方、重要産業育成法等の産業に関する法律、その実際の運用を検討することによって、琉球政府下の沖縄が製造業に関して保護主義的な政策を取っていたことを明らかにする。製造業の規模拡大は、糖業やパイン缶詰産業といった沖縄の輸出商品に関しては日本政府による特別措置によって、またその他の食品加工、衣料・縫製業等の輸入競合産業は琉球政府による保護に拠るものである。その反動で、1960年代に日本政府が保護主義から自由貿易に政策転換を行い、また1972年の復帰により日本経済との一体化を達成すると移入品が自由に流入し沖縄の製造業は再び規模を縮小させる結果となる。
阿満, 利麿
死後の世界や生まれる以前の世界など<他界>に関心を払わず、もっぱら現世の人事に関心を集中する<現世主義>は、日本の場合、一六世紀後半から顕著となってくる。その背景には、新田開発による生産力の増強といった経済的要因があげられることがおおいが、この論文では、いくつかの思想史的要因が重要な役割を果たしていることを強調する。
尾本, 惠市
本論文は、北海道のアイヌ集団の起源に関する人類学的研究の現況を、とくに最近の分子人類学の発展という見地から検討するもので、次の3章から成る。
粟津, 賢太 Awazu, Kenta
戦没者の記念追悼施設やその分析には大まかにいって二つの流れがある。ひとつは歴史学的研究であり、もうひとつは社会学的研究である。もちろん、これらの基礎をなす、死者の追悼や時間に関する哲学的研究や、それらが公共の場において問題化される政治学的な研究も存在するが、こうした研究のすべてを網羅するのは本稿の目的ではない。
岡村, 秀典 Okamura, Hidenori
漢鏡は,年代を測る尺度として大いに活用され,中国考古学と日本考古学との接点のひとつとなっている。本稿は,中国考古学の立場から,前漢鏡研究の続編として,後漢代の方格規矩四神鏡,獣帯鏡,盤龍鏡,内行花文鏡の4つの鏡式をとりあげ,型式学的研究法にもとついた編年を試みるものである。
小川, 亜弥子 Ogawa, Ayako
明治維新史研究の中で、長州藩は、常に分析の対象とされてきた。このため、長州藩の幕末・維新期の研究は、必然的に、政治史・経済史的側面からの研究を中心としており、現在、膨大な蓄積量となっている。こうした中で、筆者は、当該期の長州藩を、洋学史的側面から焦点化する有効性を主張してきた。
荒木, 和憲 Araki, Kazunori
本稿は、中世日本の往復外交文書の事例を集積することをとおして、その様式論を構築しようとするものである。従来、日本古文書学においては研究が手薄であったが、様式論を構築することで、日本古文書学、そして「東アジア古文書学」のなかに中世日本の往復外交文書を位置づけようとする試みである。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
近代以降の都市には都市の環境がつくり出した新たな民俗がある。これをとりあえず「都市の生活技術伝承」と仮称すると,例えば金沢などではワリイケ(割り井戸)とかタイナイクグリといった事例がある。都市民俗学が問題とするのは,都市の住民の移動や稼業の盛衰が著しいために,ムラ社会と違って伝承母体が分立しているために年中行事や民間信仰,俗信といった民俗が個々に展開している。従って,都市が経済の修羅場で,市場の論理を貫く所であるとするならば,人より先んじた情報や世間話が重要となる。
- 2009/6/5 16:43
本史料は、南風見与人(はえみゆんちゅ)の願書である。直近五ヵ年の勤務内容を述べ、勘定役(かんじょうやく)、手札改め(てふだあらため)などを勤めたことが記されている。しかしながら、上国の際に物入りになり経済状況が思わしくなく、前例とは異なるが、所遣役(ところづかいやく)か仕上世役(しのぼせやく)のどちらかに任命してほしいとの要望が記載されている。作成年不明。
- 2021/9/8 16:10
本史料は、南風見与人(はえみゆんちゅ)の願書である。直近五ヵ年の勤務内容を述べ、勘定役(かんじょうやく)、手札改め(てふだあらため)などを勤めたことが記されている。しかしながら、上国の際に物入りになり経済状況が思わしくなく、前例とは異なるが、所遣役(ところづかいやく)か仕上世役(しのぼせやく)のどちらかに任命してほしいとの要望が記載されている。作成年不明。
楊, 暁捷
日本の平安、中世から伝わる膨大な数の絵巻について、これまで美術学、民俗学、歴史学などの見地から多彩なアプローチがなされてきたのに対して、これを文学の作品として追求する研究は、いまだ十分に行われていない。この小論は以上の考えに立脚するささやかな試みであり、絵巻『長谷雄草紙』から一つのシーンを取り上げる。
仲間 勇栄 Nakama Yuei
山原の大半の人々は、 森林伐採・ダム建設・農地造成などによって、 野生の動植物が減少し、 また、 土砂の流出が増え、 さらに河川水の流量が減った、 と見ているようである。とくに、 森林伐採や農地造成による河川や海の汚濁については、 約8割もの人々がかなり厳しい見方をしている。どちらかといえば、 高校生の方が、 自然環境の改変に対しては敏感で、 厳しい判断を下している。木材生産のための森林伐採については、 現在行われている伐採方法や伐採面積に対する批判的な見方が強い。林道建設については、 その経済的メリットよりも、 その作り方に問題があると指摘している人が、 優位を占めている。ダム建設についての見方は、 ダム隣接集落では、 集落にとってプラスになっていないと評価し、 また、 それ以外の集落では北部地域の経済発展に寄与している点を評価している。森林を切り開いて農地を造成することについては、 6割の人々が農業振興と地域経済発展のために必要だと答えているが、 高校生では自然破壊と何とも言えないと答えた人が多く、 若者の農業開発に対する意識のズレを見せている。開発と自然保護については、 全体の約5割の人々、 つまり二人に一人が自然保護優先と答えている。とくに、 高校生の場合、 自然保護指向が強い。これからの開発と自然保護のあり方については、 自然を保護しながら、 開発を進める方を選択した人が75%と最も多い。開発か保護か、 極端な二者択一論ではなく、 自然を保護しながら開発を進めていく、 つまり、 開発と自然保護との調和を最も望ましい姿だと、 山原の人々は考えているようである。
伊藤, 謙 宇都宮, 聡 小原, 正顕 塚腰, 実 渡辺, 克典 福田, 舞子 廣川, 和花 髙橋, 京子 上田, 貴洋 橋爪, 節也 江口, 太郎
日本では江戸時代、「奇石」趣味が、本草学者だけでなく民間にも広く浸透した。これは、特徴的な形態や性質を有する石についての興味の総称といえ、地質・鉱物・古生物学的な側面だけでなく、医薬・芸術の側面をも含む、多岐にわたる分野が融合したものであった。また木内石亭、木村蒹葭堂および平賀源内に代表される民間の蒐集家を中心に、奇石について活発に研究が行われた。しかし、明治期の西洋地質学導入以降、和田維四郎に代表される職業研究者たちによって奇石趣味は前近代的なものとして否定され、石の有する地質・古生物・鉱物学的な側面のみが、研究対象にされるようになった。職業研究者としての古生物学者たちにより、国内で産出する化石の研究が開始されて以降、現在にいたるまで、日本の地質学・古生物学史については、比較的多くの資料が編纂されているが、一般市民への地質学や古生物学的知識の普及度合いや民間研究者の活動についての史学的考察はほぼ皆無であり、検討の余地は大きい。さらに、地質学・古生物学的資料は、耐久性が他の歴史資料と比べてきわめて高く、蒐集当時の標本を現在においても直接再検討することができる貴重な手がかりとなり得る。本研究では、適塾の卒業生をも輩出した医家の家系であり、医業の傍ら、在野の知識人としても活躍した梅谷亨が青年期に蒐集した地質標本に着目した。これらの標本は、化石および岩石で構成されているが、今回は化石について検討を行った。古生物学の専門家による詳細な鑑定の結果、各化石標本が同定され、産地が推定された。その中には古生物学史上重要な産地として知られる地域由来のものが見出された。特に、pravitoceras sigmoidale Yabe, 1902(プラビトセラス)は、矢部長克によって記載された、本邦のみから産出する異常巻きアンモナイトであり、本種である可能性が高い化石標本が梅谷亨標本群に含まれていること、また記録されていた採集年が、本種の記載年の僅か3年後であることは注目に値する。これは、当時の日本の民間人に近代古生物学の知識が普及していた可能性を強く示唆するものといえよう。
大村, 敬一
本論文の目的は,イヌイトの「伝統的な生態学的知識」に関してこれまでに行なわれてきた極北人類学の諸研究について検討し,伝統的な生態学的知識を記述,分析する際の問題点を浮き彫りにしたうえで,実践の理論をはじめ,「人類学の危機」を克服するために提示されているさまざまな理論を参考にしながら,従来の諸研究が陥ってしまった本質主義の陥穽から離脱するための方法論を考察することである。本論文では,まず,19世紀後半から今日にいたる極北人類学の諸研究の中で,イヌイトの知識と世界観がどのように描かれてきたのかを振り返り,その成果と問題点について検討する。特に本論文では,1970年代後半以来,今日にいたるまで展開されてきた伝統的な生態学的知識の諸研究に焦点をあて,それらの諸研究に次のような成果と問題点があることを明らかにする。従来の伝統的な生態学的知識の諸研究は,1970年代以前の民族科学研究の自文化中心主義的で普遍主義的な視点を修正し,イヌイトの視点からイヌイトの知識と世界観を把握する相対主義的な視点を提示するという成果をあげた。しかし一方で,これらの諸研究は,イヌイト個人が伝統的な生態学的知識を日常的な実践を通して絶え間なく再生産し,変化させつつあること忘却していたために,本質主義の陥穽に陥ってしまったのである。次に,このような伝統的な生態学的知識の諸研究の問題点を解決し,本質主義の陥穽から離脱するためには,どのような記述と分析の方法をとればよいのかを検討する。そして,実践の理論や戦術的リアリズムなど,本質主義を克服するために提示されている研究戦略を参考に,伝統的な生態学的知識を研究するための新たな分析モデルを模索する。
德島 武 Tokushima Takeshi 徳島 武
『琉球大学経済研究』第64号(2002年9月号、p.61-83)所収の「為替レートのオーバーシューティングとマンデル=フレミング・モデル」で展開された、小国モデルの完全資本移動ケースの分析を、二国モデルに応用した。後者のモデルでも、為替レートのオーバーシューティング現象を示すことができた。前掲の論文と合わせて、完全資本移動ケースのマンデル=フレミング・モデルの目に見える為替レート動学分析を示すことに、成功した。
稲村 務 Inamura Tsutomu
本稿はC・ギアツの解釈人類学的理論を沖縄の大学生向けに解説するための教育的エッセイである。ギアツの解釈人類学は今日の文化人類学において様々なパラダイムの基礎と考えられるものであり、是非理解しておくべきものである。本稿ではゼンザイ、桜、ブッソウゲ、雲南百薬、ニコニコライス、墓、巫者といった沖縄・奄美の身近な事例を検討することでその理論を理解させる目的をもっている。
松田, 睦彦 Matsuda, Mutsuhiko
小稿は人の日常的な地域移動とその生活文化への影響を扱うことが困難な民俗学の現状をふまえ,その原因を学史のなかに探り,検討することによって,今後,人の移動を民俗学の研究の俎上に載せるための足掛かりを模索することを目的とする。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
本稿は,本誌12号に掲載した筆者の論考(朱京偉2002)の後を受け,明治初期以降,つまり,西周と『哲学字彙』初版以降の哲学用語と論理学用語の新出語を特定し検討することを目的とする。そのために,考察の範囲を明治期の哲学辞典類から哲学書と論理学書に拡大して,選定した31文献の範囲で用語調査を行い,個々の用語の初出文献をつきとめた。また,新出語の特定にあたり,抽出語を「哲学書と論理学書共通の用語」と「哲学書のみの用語」「論理学書のみの用語」に3分類した上,その下位分類として,さらに,「出典なし」「『漢詞』未見」「出典あり」「新義・分立」の4タイプに振り分けた。それぞれの所属語の性質を検討した結果,明治初期以降の新造語として,191語をリストアップしておいた。ただし,本稿で用いた方法は,哲学と論理学にしか使われない専門性の強い用語については,その初出例を求めるのに有効であるが,一方,哲学と論理学以外でも使われるような汎用性の高い用語については,哲学書と論理学書の範囲で初出例が明らかにされたとはいえ,他の分野でも使われている可能性があるため,今後は,その初出例の信憑性を検証しなければならない。
篠原 武夫 パレル ジオスダド ア 安里 練雄 Shinohara Takeo Paler Diosdado A. Asato Isao
この研究はミンダナオ島の公有林(国有林)で木材伐採権協定(長期木材伐採権、 TLA)所有の木材伐出業(会社)によって木材生産がどのようにして行われ、 木材生産構造にどのような影響を与えているかを明らかにしている。政府が木材伐出業に発行する長期木材伐採権の多くは同島に集中している。同島における木材伐出業は数も多く、 広大な伐採許可の森林を有し、 択伐法で大量の木材生産をしており、 かつ多くの木材伐出労働者を雇用している。木材伐出業は社会経済の発展に大きく貢献している。それにもかかわらず木材伐出業は社会・経済・環境・技術的な配慮面ではまだ十分であるとは言えない。一連の政策や法律が存するにもかかわらず、 択伐は保続収穫の原理に基づいて実施されておらず、 その結果林地及び林木蓄積の減少が生じ、 環境的、 生態的災害を引き起こしている。木材伐出業は自らが生み出すマイナスの影響をほとんど考慮せずに木材を生産している。それ故に木材伐出業はミンダナオ島の公有林の生産構造にプラスとマイナス面の影響を与えている。
井上, 史雄 INOUE, Fumio
この論文では,言語の市場価値を計最する手段を,日本語を例にして論じる。言語は現実に世界で売買されており,言語の市場価値を計算することができる。言語が市場価値を持つ適例は,「言語産業」に見られる。辞書・入門書・教科書などの出版物や,会話学校が手がかりになる。また多言語表示も,手がかりになる。戦後の日本語の市場価値上昇の説明に,日本の経済力(国民総生産)発展が指摘されるが,いい相関をみせない。外国の側の条件が,むしろ重要である。多言語活動の隆盛,実用外国語教育の成長,高等教育の普及である。言語の市場価値の基本的メカニズムに関する理論的問題をも論じる。言語の市場価値は特異な性質があって,希少商品とは別の形で決定される。ただ,言語はもう一つ重要な性質を持つ。市場価値の反映たる知的価値以外に,情的価値を持つ。かつ相対的情的価値は知的価値と反比例する。世界の諸言語には格差があり,そこに経済原則が貫徹するように見える。しかし一方で,言語の感情的・情的側面を見逃してはならない。
木田, 歩 KIDA, Ayumi
人類学・民族学における学術的資料が、2000 年に上智大学から南山大学人類学博物館に寄贈された。これらは、白鳥芳郎を団長とし、1969 年から1974 年にかけて3 回おこなわれた「上智大学西北タイ歴史・文化調査団」が収集した資料である。本報告では、まず、調査団の概要について、白鳥による研究目標をもとに説明し、次に寄贈された資料を紹介する。最後に、今後の調査課題と研究の展望について提示する。
森 力 兼本 清寿 Mori Chikara Kanemoto Kiyohisa
新学習指導要領において,「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」が示された。また,現職の教師との談話の中で,「算数の授業で,主体的に学ぶ子どもはどのようにすれば現れるのか」という問いが出て来た。本研究では,算数科において,「主体的に学ぶ子どもが現れるには,どのような工夫をするといいか」ということを課題とし,授業者のイメージする「主体的に学ぶ子どもの姿」を共有した。授業実践においては「主体的に学ぶ子どもの姿」を見取り,授業リフレクションにおいては,事前にイメージした子どもの姿と比較しながら子どもの姿を共有し,授業構想を見直してきた。その結果,「解法及び答えが明確でない問題を提示する」「数学的な見方を促す操作的活動を取り入れる」といった工夫を行った授業については主体的に学ぶ子どもの姿が数多く見られた。本稿は,「主体的に学ぶ子どもの姿」に基づく算数科の授業づくりのあり方について考察を中心に報告するものである。
小椋, 純一 Ogura, Jun'ichi
森林や草原の景観はふつう1~2年で大きく変わることはないが,数十年の単位で見ると,樹木の成長や枯死,あるいは草原の放置による森林化などにより,しばしば大きく変化する。本稿では,高度経済成長期を画期とする植生景観変化とその背景について,中国山地西部の2つの地域の例について考えてみた。その具体的な地域として取り上げたのは,広島県北西部の北広島町の八幡高原と山口県のやや西部に位置する秋吉台である。その2つの地域について,文献類や写真,また古老への聞き取りなどをもとに考察した。
国立国語研究所は,1988年12月20日(火)に創立40周年をむかえた。それを記念して,同日,「公開シンポジウム『これからの日本語研究』」が国立国語研究所講堂でひらかれた。本稿はそのシンポジウムの記録である。 (ただし,集録にあたっては,本報告集の論文集としての性格を考慮し,あいさつ,司会の発言は省略し,発表内容に関する発言のみを集録した。)ひとくちに「日本語研究」といっても,その研究対象は多様であり,また研究の視点・方法も多様である。そして,近年その多様性はますます拡大する傾向にある。このような状況をふまえ,今回のシンポジウムでは,(1)理論言語学・対照言語学,(2)言語地理学・社会言語学,(3)心理言語学・言語習得,(4)言語情報処理・計算言語学という四つの視点をたて,それぞれの専門家の方に日本語研究の現状と今後の展望を話していただき,それをもとにこれからの日本語研究のあり方について議論するという形をとった。
東, 潮 Azuma, Ushio
『三国志』魏書東夷伝弁辰条の「国出鉄韓濊倭皆従取之諸市買皆用鉄如中国用銭又以供給二郡」,同倭人条の「南北市糴」の記事について,対馬・壱岐の倭人は,コメを売買し,鉄を市(取)っていたと解釈した。斧状鉄板や鉄鋌は鉄素材で,5世紀末に列島内で鉄生産がはじまるまで,倭はそれらの鉄素材を弁韓や加耶から国際的な交易によってえていた。鉄鋌および鋳造斧形品の型式学的編年と分布論から,それらは洛東江流域の加耶諸国や栄山江流域の慕韓から流入したものであった。5世紀末ごろ倭に移転されたとみられる製鉄技術は,慶尚北道慶州隍城洞や忠清北道鎮川石帳里製鉄遺跡の発掘によってあきらかとなった。その関連で,大阪府大県遺跡の年代,フイゴ羽口の形態,鉄滓の出土量などを再検討すべきことを提唱した。鋳造斧形品は農具(鍬・耒)で,形態の比較から,列島内のものは洛東江下流域から供給されたと推定した。倭と加耶の間において,鉄(鉄鋌)は交易という経済的な関係によって流通した。広開土王碑文などの検討もふまえ,加耶と倭をめぐる歴史環境のなかで,支配,侵略,戦争といった政治的交通関係はなかった。鉄をめぐる掠奪史観というべき論を批判した。
山崎, 剛 YAMAZAKI, Go
南山大学人類学博物館は、2000 年に上智大学より西北タイに関するコレクションの寄贈を受けた。このコレクションには、西北タイの生活に関わる資料だけでなく、多くの写真資料が含まれている。この報告では、特に人類学的資料として、これら写真資料についての解説をおこなう。
高畑 明尚 Takahata Akihisa
島袋 俊一 Shimabukuro Shun-ichi
この報文は沖縄に関係ある日本植物病理学者13氏即ち平塚直治、宮城鉄夫、平塚直秀、岡本弘、内藤喬、平良芳久、向秀夫、藤岡保夫、宇都敏夫、平塚利子、小室康雄、村山大記、日野厳の各氏につき御来島時期と滞島期間、沖縄に関係のある植物病理学上の文献などについてのべた。
菅, 豊 Suga, Yutaka
柳田国男は,民俗学における生業・労働研究を狭隘にし,その魅力を減少させた。それは,民俗学の成立事情と大きく関わっている。その後,民俗学を継承した研究者にも同様の研究のあり方が,少なからず継承される。しかし,1980年代末から90年代にかけて,新しい視点と方法をもって,旧来の狭い生業・労働研究の超克が模索された。この模索は,「生態民俗学」,「民俗自然誌」,「環境民俗学」という三つの大きな潮流に区分できる。
川平 成雄 Kabora Nario
沖縄戦の最中、沖縄戦終結後も、沖縄の人たちは、生きるために必死であった。支えたのが、米軍政府の「水と食糧」であった。米軍政府にとって、米本国政府にとっても、この負担は大きく、早急に沖縄の復興を図る必要があった。最初に取り組んだのが、「慶良間列島経済実験」であった。この「実験」は、無償配給・無償労働・無通貨の「時代」に終止符を打ち、沖縄が通貨を復活させた場合、沖縄が労働力を復活させた場合、沖縄が有償配給となった場合、どう「対処」するかの「実験」であった。\nこのような状況下で、八重山の石垣島では、独自な通貨システムを採用する。それが8日間の「曰本紙幣認印制」であった。わずか8日間の短命な「八重山共和国」の貨幣制度であったが、八重山の人みずからの思いと考えで設定したこの制度は、貨幣史上、興味深い。\n無償配給、無償労働が続く中で、住民の間から、そして沖縄諮詢会の間からも、貨幣経済の復活、賃金制度の発足にたいする声が湧き起こってくる。米軍政府としても、沖縄を維持する負担から早く脱却したかった。沖縄住民の声と米軍政府の施策の合意の所産が貨幣経済の復活と賃金制度の発足であった。沖縄は1972年5月15日の本土復帰までの27年間、米軍政府の統治下に置かれるが、この27年間に5回もの通貨交換を実施する。27年間に5回もの通貨交換をした例は、世界の貨幣史上、類をみない。米国政府は、これまで極東政策における中心軸を中国においていたが、内部革命による政情不安によって日本、その中でも沖縄に注目・転換する。そして米本国内の国際政策および経済情勢の変動が、5回もの通貨交換をもたらしたのであった。\nおよそ1年間におよんだ無償配給は、46年6月5日から有償配給となる。加えて日本国内、台湾、海外からの引き揚げ者が沖縄に殺到する。引き揚げ者の実数は、敗戦後の混乱期にあって、はっきりとはつかめないが、およそ17万人ともいわれている。引き揚げ者たちにとって重要な問題は、食糧および住居の確保であった。住居は米軍のテント、米軍の廃物を利用してなんとかしのげたが、食糧の確保には難渋を極めた。\n沖縄の人たちは、生きるがために一日一日が必死であった。とくに沖縄の女たちは家族を守り、生活を支える要でもあり、柱でもあった。
吉田 安規良 山口 剛史 村田 義幸 原田 純治 橋本 健夫 八田 明夫 河原 尚武 立石 庸一 會澤 卓司 Yoshida Akira Yamaguchi Takeshi Murata Yoshiyuki Harada Junji Hashimoto Tateo Hatta Akio Kawahara Naotake Tateishi Yoichi Aizawa Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
大角 玉樹 Osumi Tamaki
1.はじめに 平成24年度沖縄県「産学人材育成ネットワーク形成促進事業において、沖縄県の自立的経済発展及び地域活性化のために必要とされる人材像ならびに新たな産学官連携の在り方が調査検討された。その結果、1.イノベーションを担う人材が不可欠であること、2.そのためには、起業家精神を有する人材の早期育成が必要であり、3.この実現のために、産学官が連携したネットワーク構築と沖縄の地域特性を踏まえたイノベーション・エコシステムの形成の有用性が確認された。起業家育成教育が効果的であることも関係者から指摘されているものの、長期に渡り、起業家教育は会社を設立するための実務教育であると勘違いされ、本来、起業家精神を醸成し、起業家的なものの見方や考え方と行動特性、すなわち、マインド・セットとスキル・セットを習得するための教育であることが忘れられているようである。筆者が座長を務める同事業検討委員会では、他大学の先進的な起業家育成教育ならびにビジネス・プランコンテストの視察、県内ベンチャー企業が実施しているシリコンバレー派遣プログラムの視察、県内教育機関の取組状況に関する調査と意見交換が行われ、何よりも、県内教育機関には、正規のカリキュラムの中に、ベンチャー育成や起業家育成の講座が提供されていない点が指摘された。この状況を打破し、時代や社会が求めている起業家及び起業家精神に溢れる人材の育成を加速するために、まずは県内大学と高等専門学校が連携した実践的なベンチャー講座が開設できないかという提案がなされた。この提案を受けて、琉球大学が過去5年にわたって実施してきた「沖縄学生アイデア・コンテスト」と、平成24年度に実施したビジネス・トライアルコンテストの内容を再検討し、平成25年度より、琉球大学の共通科目として、「ベンチャー起業入門」と「ベンチャー起業実践jが開設されるに至った。本稿では、ベンチャー講座開設の契機となった沖縄学生ビジネス・アイデア・コンテストとビジネス・トライアルコンテストの概要を紹介し、学生アンケートの分析を参考に、今後の改善点と課題について議論している。
C. , Сасаки
福仲 憲 Fukunaka Ken
一般に畑作が低位生産地にあるということは、畑作地帯には未だ低位生産地が多いということに外ならない。ここではかかる後進畑作地帯について、その低位生産性をもたらしている農業の技術構造乃至は経営構造を研究してみたかった。そのことが地域の生産構造或は社会経済構造を理解するための一端に資すると、思われたからである。こういう目的に沿って、ここでは後進畑作の技術構造を分析してそのメカニズムを考察したが常に問題の視点は地力と労働力の二面に絞られた。それが当面の最も重大な問題でもあったし、また当然の帰結でもあったわけである。そして以上の考察から得られた結果は凡そ次のように要約できるものと思われる。1)自給経済を基盤とした粗放な普通作物を主体として農業生産が行なわれている。従って「2年3作」という極めて粗放な土地利用方式が行なわれ、低位生産性をもたらしている。2)このような「2年3作」の低技術を最も強く規制しているのは極めて厳しい耕地条件の劣悪さである。3)だが低技術、低位生産を現実に規制しているのは基本的には次の二つの要因を媒介としてのことである。(イ)畑作に於ける地力維持機構、(ロ)農繁期の畑作と水田作労働。 従って、ここでは主にこの二つの要因を克服する方向に農業技術は展開されている。4)生産力を高めるためには色々の矛盾をもつ諸作業慣行は、実は労働手段の低位性に不可分に結び付き、裏付けられている。これが持立犁を基準とする所謂「持立犁農法」である。5)日本資本主義経済のもたらす畑作地帯の水稲の「二重的性格」(第2章3節)は水田への執着を強固にし、執拗にも畑作技術との競合を生ずる。そしてここでの水田は畑作の生産力発展の基盤として重要な意義をもつがそれは畑作商品生産の展開如何によって変動するであろう。6)このような低技術、低位生産性は極めて複雑な条件によって規制され、技術的にも多くの困難な課題を前提としているが、先ず基本的な労働手段の高度化=機械化が契機となり基軸となって畑作の集約化が推進されるであろう。それについて以下二・三の考察をする。先ずこの地方では昭和29年以来テイラー型耕耘機が導入されているが、その経済計算はここでは措くとして労働力と地力の面でみると、軽便なテイラーは農繁期の耕耘作業ばかりでなく、ここでは特に運搬作業に於いても極めて著しい能率を挙げている。
中村 完 Nakamura Tamotsu
精神的安静や行動の変容を目指す仏教の修道論に関して、四諦説、八正道、三学、坐禅について心理学的立場から文献的に紹介する。その際、坐禅の構成要素である調身、調息、調心に関して、それぞれの意味を説明し、また、これまで行われた心理生理学的研究の成果の概要も紹介する。ヨーガ修行法についても、同様にその概要を紹介する。他方、身体的操作を通して身心の安静をもたらすという点で、東洋的行法と類似している漸進的弛緩法についても概観する。このような修行法や訓練法を体験する人々に共通する心理生理的機能状態についての関心事は、覚醒レベルの問題である。本稿では覚醒の心理生理学的機構についても言及する。また、スポーツや武道等の身体運動の効果についても述べる。
道田 泰司 Michita Yasushi
本稿の目的は,大学教員として中学生に心理学の授業を計画し,実施したプロセスを報告することである。授業は90分,18名の中学3年生を対象に行われた。テーマは盲点の錯覚を中心とした知覚心理学としたが,テーマをどのように設定し,授業をどのように構想し,実施したのか。生徒の反応はどうであったか。このような点について報告することで,今後の中等教育における心理学教育について考える基礎資料とするのが本稿の狙いである。実践を実施した結果,盲点を中心に実験体験を通し,自分たちでも考えながら心理学に触れることの有効性が確認された。今後の課題としては,講義時間の長さや考える時間の確保,意見表出の方法などの方法論的な部分が挙げられた。
山下, 博司
国語学者大野晋氏の所謂「日本語=タミル語同系説」は、過去十五年来、日本の言語学会やインド研究者たちの間で、センセーショナルな話題を提供してきた。大野氏の所論は、次第に比較言語学的な領域を踏み越え、民俗学や先史考古学の分野をも動員した大がかりなものになりつつある。特に最近では、紀元前数世紀に船でタミル人が渡来したとする説にまで発展し、新たなる論議を呼んでいる。
平良 悦子 棚原 憲和 船津 勝 Taira Etsuko Tanahara Norikazu Funatsu Masaru
オニヒトデの棘皮中に存在する毒素を硫安分画、 等電点分画およびSephadex G-75カラムクロマトグラフィーなどの方法により分離し、 それぞれの画分において、 マウスに対する致死作用および溶血作用を比較検討し、 2、3の理化学的性質について調べた。その結果、 抽出液から硫安分画に至る毒性は約5.5倍に上った。Sephadexカラムクロマトグラフィーまでは、 抽出液から約2.2倍で硫安分画の段階よりも、 むしろ毒性の低下が認められたけれども、 溶血作用は、 ゲル濾過の段階で抽出液の溶血指数に対して約1/14に低下した。これらのことから、 本実験で分離した毒素は致死作用を有し、 溶血作用物質とは異なる成分ではないかと考えられた。この毒素は非透析性であり、 60℃で失活し、 またpH3以下、 pH10以上で失活することが認められ、 さらに凍結、 解凍をくり返すと失活することから、 蛋白様物質であることが推定された。終りに、 本研究に使用したオニヒトデ採取に、 多大な御協力をくださいました本部町役所経済課の喜屋武義和氏、 および今帰仁村役所経済課の皆様に深く感謝致します。また、 本研究に当り終始御懇切なる御指導を賜りました九州大学農学部船津軍喜助教授および東北大学農学部安元健助教授に深甚の謝意を表します。
ミハイロバ, ユリア レベデバ, イリーナ レシチェンコ, ネリー
鳥谷, 善史 TORITANI, Yoshifumi
近畿中央部の否定形式には「~ン」や「~ヘン」類という2種類の形式が存在する。現在その意味的異なりは若い世代においてはなくなりつつあるという。その中で,大阪府や奈良県の世代差に注目した調査結果から若年層の2拍一段動詞及び変格動詞において,「~ヤン」という否定形式が急速に広がりはじめていることがわかった。これは近畿周縁部である「和歌山県」や「三重県」の若年層から「大阪府」や「奈良県」の若年層への流入であることを言語地理学的調査結果などから確認する。また,その変化要因としては,言語内的には,これまで「~ン」と「~ヘン」の2種類で否定をしてきたがそれらが,意味的異なりを失ったことを契機として,体系的整合性や発話としての経済性を獲得するとともに,関西全域で一つの否定形式として「~ン」のみの方向に向かっているとの見解を調査結果から論究した。ただ,五段動詞以外の2拍語では,これまでの形式との関係から単純に語幹+「ン」のみに変化できず,その変化の一段階として「ミヤヘン」などの「~ヘン」から「ミヤン」といった標準語形とは全く別の地域のアイデンティティーを生かした形式を取り入れたと考えた。この仮説は,標準語等の言語的影響を直接受けずにいる台湾日本語の変化モデルも視野に入れつつ導いたものである。
照屋 ひとみ Teruya Hitomi
2009年2月6日(金)に開催された「沖縄地域学リポジトリ試験公開記念講演会」におけるデモンストレーション用のスライド。
関沢, まゆみ Sekizawa, Mayumi
本論文は以下の4つについての調査分析をふまえたものである。⑴ 和歌山県紀ノ川流域などのいわゆる流葬を伴う両墓制,つまり大きな河川の岸辺や中洲に埋葬墓地が設けられ,大雨や河川の氾濫によって蓄積した遺体が墓地ごと流されてしまうような事例の存在,⑵ 大山喬平や網野善彦たち以来の研究蓄積のある平安京と鴨川の河原をめぐる歴史,つまり洪水と氾濫の危険な場所でありながらも同時に葬送地とも繁華街ともなってきたという歴史,⑶ その鴨川上流に位置する京都市の北部山間の村々では鴨川水系にありながら,京都御所で使われる水を汚穢してはならないという厳しい規範のもとにその墓地が分水嶺を越えて設営されてきたという歴史と民俗,⑷ 広島県の太田川上流に位置し河川の氾濫が頻繁におこってきた町場の中洲の利用の歴史と民俗,である。以上の作業によって指摘できた主な論点は以下の4点である。第1に,自然災害の危険と経済的魅力という相矛盾しながらも継続し続ける相互関係が存在するということ,そしてその強い伝承力の存在である。第2に,生活上の必然である汚穢の蓄積を,氾濫と洪水という自然災害が周期的に掃除し浄化して生活世界を新たにリセットするという逆利用の発想が存在するということ,そしてその強い伝承力の存在である。第3に,鴨川をめぐる淨穢観念の民俗伝承には古代の平安京以来の歴史の投影をみることができるということ,たとえば死穢忌避観念と獣肉獣血感覚の変遷など生活文化変遷の歴史は地域ごとに事例ごとにまた階層ごとにそれぞれ時差を含みながら立体的な歴史変遷をたどるという事実である。第4に,河川の洪水や氾濫の災害をめぐる諸事例の共通の特徴は,災害を受けても再び同じ場所に復帰していく,その繰り返しという営為にある。災害被害はできるだけ事前に予防して悲劇を繰り返さないようにする,というのが「常識」である。しかし,人間の生活欲,利潤追及への欲望や,死穢忌避の観念や汚濁処理の感覚的世界においては,その「常識」が通用しない事例が歴史的に存在してきている。この民俗学の災害論は,災害を負の側面から論じる「常識」の視点をいったん差し置いてみて,危険覚悟の上で展開する活発な経済活動と,河川の氾濫や洪水などの自然災害を逆利用する発想が存在するという伝承事実に注目したものである。つまり,「防災」だけではなく「対災」という伝承的な営みへの注目である。
森岡, 正博
二十世紀の学問は、専門分化された縦割りの学問であった。二十一世紀には、専門分野横断的な新しいスタイルの学問が誕生しなければならない。そのような横断的学問のひとつとして、「文化位相学」を提案する。文化位相学は、「文化位相」という手法を用いることで、文化を扱うすべての学問を横断する形で形成される。
島袋 純 我部 政明 高良 鉄美 Shimabukuro Jun Gabe Masaaki Takara Tetsumi
研究概要:本研究は、地域レベルのガバナンスを開放的な体系と規定しグローバル化及び国際的な地域統合との相互作用の文脈において理論的に把握することを試みるものである。沖縄の事例を中心に国際比較研究を通じて一定のモデル構築を目指した。まず、グローバル化とは何か、地域、特に沖縄への影響という視点からグローバリゼーションの中身を検討し、操作可能性を高めるための概念的な整理を行った。グローバル化が沖縄の地域経済社会に及ぶ影響の把握(地域の歴史的・文化的な価値=ローカル・スタンダードの変化、社会経済活動への影響、市民社会からの問題解決主体の登場など)し、地域政府による反応的政策形成(日米安全保障体制の変容が憲法システム及び中央地方関係に及ぼす影響、地方政府による脱軍事的政策の追求、独自課税制度や環境基準設定、新たな自治・協働システム形成の試みなど)を分析検討した。 2年目にはグローバル化と地域経済社会および地域政府との相互関係に焦点を当てたケース・スタディを行った。諸外国の地域政府(島嶼政府)、あるいは島嶼国家との研究に比重をおいた。グローバリゼーションの進む近年、島嶼地域のガバナンスがいかなる変容を引き起こしているかについて、それぞれの国を専門とする多くの研究者を招聘し、研究会を重ねた。04年12月には、英国(シェフィールド大学)、台湾(成功大学)、韓国済州島(済州大学)、オーストラリアタスマニア島(タスマニア大学)から、それぞれこの研究分野の第一人者をお招きして、国際的なワークショップ(英語)とシンポジウム(日本語)を行った。 3年目の本年は、特に国内の政治及び自治の変容をテーマとして、北海道大学教授の山口二郎氏と、佐賀県知事の古川康氏をお招きし、シンポジウム「ガバナンス変容の中の沖縄-グローバル化と自治の新たな関係-」を設定、その成果を報告書における論文作成に活用した。最終報告書には、以上の成果により、国際的な市民社会との連帯にもとづく、地域社会の連帯・協力・協調を旨とする「社会再生型ガバナンスモデル」が提案された。
西村, 明 Nishimura, Akira
本稿は、アジア・太平洋戦争期の宗教学・宗教研究の動向、とくに戦時下の日本宗教学会の状況と、当時の学会誌に表れた戦争にかんする研究の二つに焦点をあて、当時の宗教学・宗教研究のおかれた社会的ポジションの理解を試みるものである。
米谷, 博 Kometani, Hiroshi
江戸時代末期の下総地方における大原幽学の農村指導は、農業技術や日常生活にとどまるものではなく村の伝統的習俗にまで及んでいる。しかし、内容によっては古くからの習慣と対立するものもあり、門人たちの活動はそうしたさまざまな問題を乗り越えて実践されたものだった。そうした習俗改変の形跡は門人たちの墓制にも見ることができる。性学関係者の墓地は各地に設立された教導施設に付随して形成されたが、そこでは在地の墓制とは異なる彼等独自の墓制が行われ、現在まで続いている場所もある。しかし明治期後半以降の性学活動の沈滞化にともなって、各地に残るそれらの墓地も開設当所の意味は薄らぎ、現代的な墓地へと大きく変更されつつあるのが現状である。本稿はそうした性学門人の特徴ある墓制を性学墓として捉え、現状および聞き取り情報も含めて関連する資料をできるだけ紹介することを第一の目的とした。併せてこれまで研究対象とされてこなかった性学墓を、幽学研究の舞台へはじめて登場させようとするものである。
鈴木, 淳 SUZUKI, Jun
小宮山木工進昌世は、将軍吉宗に抜擢された逸材として、享保年間、代官に任じて令名を馳せたが、享保末年には、年貢の金穀延滞を責められて、罷免されるに至った。学芸家としては、和歌、有職学を京都中院家について修め、漢籍は太宰春台の門に学んでおり、雑史、随筆類から尺牘学にわたる、和漢の著述若干をなし、学芸史上特異な足跡を印した。本稿は、昌世の出生から、代官職を追われるまでの、前半生の年譜考証である。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
最近とくに一九七〇年代以降、社会人類学・日本民俗学・社会学・宗教学などにおいて祖先祭祀研究が極めて活発に行われるようになってきた。一九七〇年以前の研究はフォーテス・Mのアフリカ研究がそうであったように、単系出自集団と祖先祭祀との関係であった。日本においてもこの時期の研究は、単系出自集団である同族組織や家と祖先祭祀の研究が中心であったが、一九七〇年以降の研究は、単系出自集団以外の親族組織と祖先祭祀との関係に関心があつまってきた。
中村, 俊夫 Nakamura, Toshio
タンデム加速器と質量分析計を組み合わせた加速器質量分析(AMS)技術による天然の極微量元素測定の方法は,アメリカ合衆国とカナダを舞台にして1976年から1977年にかけて開発され,1980年代には早くも実用の段階に入った。その一つが放射性炭素¹⁴C測定による年代測定であり,考古学・地質学の年代測定に関連して新たな応用研究の分野が開拓されている。
真柳, 誠 友部, 和弘
江戸時代、中国の知識は多く書籍を介して伝えられ、日本文化の各面に受容されてきた。日本の伝統医学、本草学、博物学も例外ではない。日本文化の江戸期における発展と深化に、中国書が果たした役割は考慮されるべきである。
Chinen Joyce N. チネン ジョイス・N
21世紀を生きるハワイの住民は概して他のアメリカ国民よりも優れた市民権と労働権を享受している。これらの権利がどのように獲得されたかということについて、社会的には二つの説明の仕方が定着している。一つは多民族的労働組合主義を基盤とした組織化に成功した労働運動によるものとしての説明である。二つ目は、以前の民主党支持者、労働組合、そして特に第二次世界大戦に従軍し多大な犠牲を払った日系退役軍人たちが共闘しながら社会で政策決定過程における平等を要求し、半世紀にもわたる共和党支配をひっくり返した「民主党革命」によるものとしての説明である。いずれにおいても、沖縄人と沖縄アイデンティティは一般的日本人の括りの中に埋没し、評価されることはなかった。また、一方では、一般的沖縄人は、経済的、社会的成功を勝ち取るべく起業家精神にあふれ、民族的連携を図り、ハワイ農業で苦役に従事する一世として説明される。公文資料と口述史料を基に、本稿では沖縄人が起業家としてではなく社会の活動家として果たした役割を強調したい。特に人口統計学的要素や社会史的要素がどのように活動家としての役割を後押ししたのかを明らかにする。結論として、言祝がれ流布するハワイにおける沖縄人の「立身出世話」とハワイ社会における沖縄人共同体の将来の方向性について再検討を促す。
鳥越, 皓之 Torigoe, Hiroyuki
民俗学において,「常民」という概念は,この学問のキー概念であるにもかかわらず,その概念自体が揺れ動くという奇妙な性格を備えた概念である。しかしながら考え直せば,逆にキー概念であるからこそ,民俗学の動向に合わせてこの概念が変わりつづけてきたのだと解釈できるのかもしれない。もしそうならば,このキー概念の変遷を検討することによって,民俗学の特質と将来のあり方について理解できるよいヒントが得られるかもしれない。
遠藤, 徹 Endo, Toru
現代日本の音楽学は欧米の音楽学の輸入の系譜をひく研究が支配的であるため、今日注目する者は必ずしも多くはないが、西洋音楽が導入される以前の近世日本でも旺盛な楽律研究の営みがあった。儒学が官学化し浸透した近世には、儒学者を中心にして、儒教的な意味における「楽」の「律」を探求する学が盛んになり独自の展開を見せるようになっていたのである。それは今日一般に謂う音楽理論の研究と重なる部分もあるが、異なる問題意識の上に展開していたため大分色合いを異にしている。
松薗, 斉
従来、総体的な把握がなされてこなかった中世後期の日記についてその特色を述べたものである。まず室町期について、前代より継続して記される公家の日記は、南北朝期に生じた朝廷の儀式の断絶や以後顕然化したその衰退及び経済的基盤を失って生じた公家たちの疲弊が、その「家」の日記の作成活動に停滞をもたらし、彼らの日記が前代にもっていた国家的な情報装置としての役割を低下させたことを指摘した。
徳田, 和夫 TOKUDA, Kazuo
衆庶に神仏への結縁を促し、亡者の供養や生者の滅罪・往生達成のために作善を勧める。そして、堂舎・本尊の建立修造のために喜捨を仰ぎ、募る。以上の唱導と経済の両面が、勧進聖の定義を充足する。数多の勧進聖の巷間径徊は中つ世に見逃しえない顕著な文化事象であった。文学史の側もはやくからこれに注目し、その定義に文芸営為を付加せんとの動きがある。だが、この主張は充分に市民権を勝ちえもし、生活圏は確保されているだろうか。
吉田 安規良 柄木 良友 富永 篤 YOSHIDA Akira KARAKI Yoshitomo TOMINAGA Atsushi
平成22年度に引き続き、平成23年度も琉球大学教育学部附属中学校は「体験!琉球大学 -大学の先生方による講義を受けてみよう-」と題した特別講義を、総合的な学習の時間の一環として全学年の生徒を対象に実施した。「中学校で学んでいることが、将来どのように発展し社会や生活と関わるのか、また大学における研究の深さ、面白さを体験させる」という附属中学校側の意図を踏まえて、筆者らはそれぞれの専門性に裏打ちされた特別講義を3つ提供した。そのうちの2つは自然科学(物理学・生物学)の専門的な内容に関する講義であり、残りの1つは教師教育(理科教育学)に関するものである。今回の3つの実践は、「科学や学問の世界への興味、関心を高める」と「総合キャリア教育」という観点で成果が見られ、特に事後アンケートの結果から参加した生徒達の興味を喚起できたと評価できる。しかし、内容が理解できたかどうかという点では、全員が肯定的な評価をしたものから、評価が二分されたものまで様々であった。
後藤 雅彦 Goto Masahiko
本稿では農業に関する考古学研究(農業考古)の中で収穫具について、中国漢代の画像石(磚)(「漁猟収穫画像磚」) と琉球列島の『八重山蔵元絵師画稿集』の「八重山農耕図」という図像資料に描かれている稲の収穫についてとりあげ、図像資料の有効性を検討した。そして、図像資料は対象(作物) ・方法・道具(収穫具)の同時代での相関関係を示すものであり、さらに図像資料を媒介して考古学資料、文献史料、そして民族・民俗学事例の研究上の接点が浮かびあがってくると考えた。
益岡, 隆志 MASUOKA, Takashi
複文構文プロジェクトの目的は,日本語複文構文研究のさらなる発展の可能性を提示することである。考察対象に連用複文構文と連体複文構文の両方を掲げるとともに,歴史言語学,コーパス言語学,対照言語学などからの広範なアプローチを試みる。本報告では,複文構文プロジェクトの研究成果のなかから,2つの話題を紹介する。1つは連用節と連体節における接続形式の現れ方に関する言語類型の問題であり,もう1つはテ形節の定形性/非定形性の問題をめぐる話題である。
今里, 悟之 Imazato, Satoshi
日本の農山漁村集落の小地名については,これまで民俗学・地理学・社会言語学などで研究が蓄積されてきたが,耕地における,より微細なスケールの通称地名である「筆名(ふでな)」については,ほとんど研究が行われてこなかった。本稿では,その基礎的研究として,1960年代の長野県下諏訪町萩倉(はぎくら)(農山村)と京都府伊根町新井(にい)(漁村)を事例に,水田と畑地の筆名における命名の基準と空間単位について検討した。
篠原 武夫 パレル ジオスダド ア 安里 練雄 Shinohara Takeo Paler Diosdado A. Asato Isao
この研究はフィリピン公有林(国有林)の森林資源、 木材生産過程及び木材生産の社会経済開発に与える影響や意味を調べて木材生産構造の特質を明らかにする。公有林では木材生産が行われ、 とくにフタバガキ科林がルソンやミンダナオ地域に豊富に生育している。長期木材伐採権(TLA)は木材生産のために発行され、 伐採方法は択伐である。ミンダナオ地域は最も多い長期木材伐採権保有者を有し、 またルソン地域よりも多い丸太を生産している。ヴィサヤ地域では木材生産の要因は乏しい。長期木材伐採権保有者は木材生産の主な担い手であり、 産業経済開発に重要な役割を果たしている。彼らは雇用や輸出収入をもたらしてきた。しかしながら、 現在行われている木材生産は年々速い速度で森林を減少させている。このことのために政府は丸太の全面輸出禁止をせざるをえなくなった。丸太輸出の制限は伐出部門における従業員数ばかりでなく長期木材伐採権保有者数及び丸太生産も減少させることになったのである。これらの問題はすべての林業家、 関係市民、 政府、 伐出業によって真剣に解決されるべきである。国の森林資源の持続的収穫及び多目的利用の原理に基づく管理方法で、 その問題に対するダイナミックで進歩的な解決方法が常に求められ、 検討されるべきである。
木村, 汎
ゴルバチョフがペレストロイカを開始した背景や理由として、多くの要素を指摘することができる。例えば、次のファクターは、そのほんの一例である。ソ連経済の停滞、否定的な社会現象の発生、政治的無関心(アパシー)の蔓延、ソ連と先進資本主義諸国との間で拡大する一方の経済的格差、NIES、ASEAN、中国らの擡頭、”強いアメリカの再建”のスローガンを掲げ、その象徴としてSDIを推進しようとしたレーガンの挑戦、西側世界の団結、繁栄、安定、それに比べて国際場裡において目をおおいたくなる程度にまで進行中のソ連邦の実力、影響力、威信の低下……等々。このようにペレストロイカの開始を促した数多くの要因の存在を十二分に意識しているが故に、日本の経験や教訓だけがペレストロイカを生み出す引き金となったとか、日本の成功がペレストロイカの唯一のモデルであると、私の論文が主張していると誤解されてはならない。ましてや、私が日本人であるが故に、ナショナリスティックな偏見に基づいて戦後日本の達成物を過大評価していると誤解しないことを望む。客観的な立場から、明治以来、とくに戦後の日本の発展が旧ソ連/ロシアの改革に一モデルと目されてよい程の有益な教訓を提供していると十分主張しうると、私は考えるのである。
友寄 全志
令和3年度プロフェッサー・オブ・ザ・イヤーの受賞対象となった物理学実験で工夫したこと、特に実験の動画およびレポートの評価で心掛けた点を紹介する。
北川, 浩之
日本文化は日本の自然や社会と親密に結びついている。日本文化をより深く理解するには、その歴史的な変遷を明らかにする必要がある。そのためには正確な時間目盛が必要不可欠である。さらにそれは、国際的な比較から日本文化の研究を進める場合、世界的に認知された共通の時間目盛である必要がある。そのような時間目盛の一つに「炭素14年代」がある。炭素14年代は考古学、歴史学、人類学、第四紀学、地質学などの日本文化に深く関係する研究分野に有益な情報を与えてきた。これらの研究分野に炭素14年代を適用する際、年代測定に用いることができる試料の量が限られ、試料の量の不足から年代測定できないことが往々にある。したがって、少量試料の炭素14年代測定法の確立が望まれている。
徳丸, 貴尋
近世は諸芸に関する出版文化が盛行した時代であった。茶の湯は武士以外に民衆にも浸透し、茶会で広がる人と人のつながりは、経済や技術の交流とも重なった。そのため民衆は茶会作法を心得ておく必要があり、そこに欠かせないのが茶湯書の出版であった。一方で近世の民衆に流布していた節用集の付録記事には、日本の地理・歴史・礼節など通俗的な教養ともいうべき知識が紹介されており、近世人の歴史認識・国家意識や社会・生活・教育の変化を反映している。
岩淵, 令治 Iwabuchi, Reiji
近世後期には、公家の経済的困窮と需要層としての地方文人の展開による需給関係の成立、そしてその結果としてもたらされる「伝統」としての朝廷権威の浮上という重要な展開があった。雅楽についても、楽人組織が再興され、やがて上記の状況の中で、地方に雅楽が浸透していく。今日、無形文化財に指定された各地の神社の神事における舞楽についても、その維持や伝承過程を考える上で、近世の状況は看過することはできないであろう。
橋本, 裕之 Hashimoto, Hiroyuki
本稿は奈良県天理市荒蒔の秋祭を対象にした調査報告である。この儀礼はかなり安定した形式を維持しているかのようであるが、じつのところ社会的かつ経済的な環境の変動にともなって少なからず変化してきた。それじたいはけっして異彩を放つものではないものの、随所に歴史が刻印されていることには、やはり大きな注意をはらっておかなければならない。本稿ではこうした認識にもとづきながら、一九九一年におこなわれた荒蒔の秋祭についてくわしく報告している。
橋本, 章 Hashimoto, Akira
宮座に関する研究は、かつては歴史学や民俗学、そして社会学など数々の分野がその研究対象として注目してきた課題であった。それは、ひとつには宮座を題材とした研究について、歴史学や社会学など数多の分野の研究者が取り組むという、学際的な雰囲気のなかでその議論が醸成されてきたこととも深くかかわっているようにも見受けられる。しかしながら、研究課題の細分化が進んだ昨今の状況では、宮座を主題化した研究がさほどの進展を見せないまま沈滞するに至っている。しかし、民俗として各地に伝承されている宮座事例は、村落史や村落共同体のあり方を解明する指標として有効である。宮座という課題を今一度各分野それぞれの研究の俎上にのせるためには、これまでの議論がどのような背景を持つ研究者からどのように提示され、またその議論が展開されてゆく過程で、その対象となった事例がどのように取り扱われてきたのかを検証する必要があるものと思われる。
山本, 志乃 Yamamoto, Shino
日本における定期市は,近代化の過程で多くが姿を消したが,一方で,現在でも地域の経済活動として機能していたり,形を変えて新たに創設されるものがあるなど,普遍性をもった商いの形である。定期市への出店を生業活動としてみた場合,継続的な取引を成り立たせる販売戦略がそこには存在する。本稿では,これを生業の技術のひとつと考え,現行の定期市における具体例を用いて分析を試みた。
茂呂, 雄二 小高, 京子 MORO, Yuji ODAKA, Kyoko
本論は2部からなる。第1部では日本語談話研究の現状を展望して,それぞれの研究が指向する方法論の違いを取り出してみた。第2部には日本語談話に関係する研究の文献目録を収めた。日本語談話研究は学際的に展開されており,言語学では言語行動研究および談話分析,社会学からはエスノメソドロジーに基づく会話分析とライフストーリー研究が,心理学・認知科学研究からはプロトコル分析およびインターフェース研究などが,広い意味での日本語談話分析研究を行っている。この研究の広がりからわれわれが取り出した研究指向の違いは以下の通りである。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
本稿は西日本における縄文時代後・晩期から弥生時代前期にかけて,植物質食糧獲得の手段がどのように変化するか検討したものである。後・晩期には雑穀・穀物を対象とした栽培の存在が主張されてきたが,考古学的にも自然科学的にも決め手にかける状況が続いている。原因はこの時期にみられる考古学的な変化が,水稲栽培が始まるときにみられる変化ほど直接的でないことにあるので,後・晩期における考古学的な変化が縄文文化の枠内だけで説明できるのか,説明できないのか調べる必要がある。
德島 武 Tokushima Takeshi 徳島 武
本書は開放マクロ経済における、経常収支、貿易収支、財政収支の最適動学分析についての、筆者の一連の(『琉球大学経済研究』と『大阪府立大学経済研究』に掲載された)論文を一冊にまとめたものである。個々の論文は元々独立して書かれたものであるが、各収支の最適動学分析というテーマでは首尾一貫しているし、前に書かれた論文を修正・発展させているので、内容としては一連のものである。今回書物にまとめるに際し、「はじめに:研究の概要と経緯」と「おわりに:研究の総括」の小論を加えて、全体を俯瞰する構成を取った。これらの小論で、所収の論文の一連の研究における筆者の貢献と独自性をより明確にできたし、また個々の論文では言及できなかった点についても補足できた。\n 本書における一連の研究は、二つのタイプのモデルを用いたものであり、「第1部 対外債務と資本のモデル」と、「第2部 実質為替レートと対外債務のモデル」に大別できる。\n小国モデル、大国モデル、二国モデルにおける各収支の最適動学分析について、前者のモデルでは対外債務と資本の位相図を用い、後者のそれでは実質為替レートと対外債務の位相図を用いて、それらの変数が最適経路(鞍点における収束経路)を移動する際の、経常収支と貿易収支の変化のパターンを示している。同一の位相図上で、これらの両収支の最適動学のパターンを示す方法は筆者が考案したものであるが、第1章~第5章の従来の分析方法では示すことのできなかったものであり、この分析方法により、無限期間モデルにおける両収支の最適動学のパターンを、視覚的に明確に示すことができた。これによって、従来の分析方法で生じた誤解、すなわち無限期間モデル分析における2期間モデル分析の延長という誤解を除去できた。そして全パターンの位相図を示すことにより、無限期間モデル分析における存在しうる各収支の最適動学を示すことができた。また、有限期間モデル分析が、それらの位相図の初期と最終期の条件を任意に設定した収束経路のみならず、発散経路の分析であり、その位相図から存在しうる各収支の最適動学を示すものであることが、自ずと明らかになった。財政収支については、「第1部 対外債務と資本のモデル」において、第1章~第5章で所与の(一括税の)税収に対する財政収支均衡が動学的に最適であることを、第7章~第8章では最適政府支出ルールを導入して、より一般的見地から財政収支均衡が動学的に最適であることを示している。そして「第2部 実質為替レートと対外債務のモデル」において、実質為替レートの減価(増価)に対する貿易収支と経常収支の改善(悪化)の関係が、最適動学分析に裏付けられることが示されている。以上のように本書全体の分析を通じて、国際マクロ経済の最適動学システムにおける、対外債務、資本、実質為替レート、利子率、経常収支、貿易収支、財政収支の最適動学が、小国モデル、大国モデル、二国モデルにおいて、体系的に示されている。
佐藤, 健二 Sato, Kenji
本稿は近代日本における「民俗学史」を構築するための基礎作業である。学史の構築は、それ自体が「比較」の実践であり、その学問の現在のありようを相対化して再考し、いわば「総体化」ともいうべき立場を模索する契機となる。先行するいくつかの学史記述の歴史認識を対象に、雑誌を含む「刊行物・著作物」や、研究団体への注目が、理念的・実証的にどのように押さえられてきたかを批判的に検討し、「柳田国男中心主義」からの脱却を掲げる試みにおいてもまた、地方雑誌の果たした固有の役割がじつは軽視され、抽象的な「日本民俗学史」に止められてきた事実を明らかにする。そこから、近代日本のそれぞれの地域における、いわゆる「民俗学」「郷土研究」「郷土教育」の受容や成長のしかたの違いという主題を取り出す。糸魚川の郷土研究の歴史は、相馬御風のような文学者の関与を改めて考察すべき論点として加え、また『青木重孝著作集』(現在一五冊刊行)のような、地方で活躍した民俗学者のテクスト共有の地道で貴重な試みがもつ可能性を浮かびあがらせる。また、澤田四郎作を中心とした「大阪民俗談話会」の活動記録は、「場としての民俗学」の分析が、近代日本の民俗学史の研究において必要であることを暗示する。民俗学に対する複数の興味関心が交錯し、多様な特質をもつ研究主体が交流した「場」の分析はまた、理論史としての学史とは異なる、方法史・実践史としての学史認識の重要性という理論的課題をも開くだろう。最後に、歴史記述の一般的な技術としての「年表」の功罪の自覚から、柳田と同時代の歴史家でもあったマルク・ブロックの「起源の問題」をとりあげて、安易な「比較民俗学」への同調のもつ危うさとともに、探索・博捜・蓄積につとめる「博物学」的なアプローチと相補いあう、変数としてのカテゴリーの構成を追究する「代数学」的なアプローチが、民俗学史の研究において求められているという現状認識を掲げる。
大畑, 孝二 Ohata, Koji
著者は自然科学の分野における鳥類学及び保全鳥類学の立場で共同研究者として参加した。水田は様々な鳥類が生息,繁殖の場として利用するとともに環境保全の立場からもどのような水田環境が望ましいのかという研究がされ,その保全活動が各地で実践されている。
下地 敏洋 Shimoji Toshihiro
本事例報告は、観光産業科学部の提供科目である「長寿の科学」において、著者が担当した「老年学への招待-サクセスフル・エイジングを通して-」の講義内容に基づくものである。
安藤, 広道 Ando, Hiromichi
「水田中心史観批判」は,過去四半世紀における日本史学のひとつのトレンドであった。それは,文化人類学,日本民俗学の問題提起に始まり日本文献史学,考古学へと拡がった,水田稲作中心の歴史や文化の解釈を批判し,畑作を含む他の生業を視野に入れた多面的な歴史の構築を目指す動きである。その論点は多様であるが,一方で日本文化を複数の文化の複合体とし,水田中心の価値体系の確立を律令期以降の国家権力との関係で理解しようとする傾向が強く認められる。そして考古学の縄文文化,弥生文化の研究成果も,その動向に深く関わってきた。
野本, 敬 NOMOTO, Takashi
本稿では雲南南部地域の開発の進展とそれのもたらした環境変遷について、石屏地域を事例に取り上げ考察する。開発の飽和状態に伴う人口圧力の結果、周辺地域へ経済的・社会的な側面のみならず活動の結果として周辺地域の環境変遷に至るまで多大な影響を与えたことを指摘し、一地域の開発進展の様相から更に広い意味での環境変遷を照射しうる視角を提示する。併せて従来用いられてきた史料に加え、現地調査で得られた成果の活用により、更に具体的な実態を把握しうる可能性を指摘する。
北村, 健二 Kitamura, Kenji
いわゆる「イエローストーン型」と呼ばれる住民排除型の保護地域への反省から,地域住民の福利を重視した保護地域のありかたが議論され,実際に導入されてきた。例えば,国際的な登録制度であるユネスコの生物圏保存地域では,自然保護の度合いの強い順に核心,緩衝,移行の3つの区域に分けて自然保護と経済発展のバランスを取ることが目指されている。しかし,その多くが途上国にある熱帯林では,このようなバランスをいかにして取るのか,難しい課題となっている。
青柳, 正俊 Aoyagi, Masatoshi
通商司は、明治新政府の貿易政策を所管する官庁一機関として明治二年に設置され、その後、産業育成、金融など広範な政策領域を担った。その政策展開は、通商会社・為替会社の設立を通じて、会社・銀行という近代資本主義に不可欠な経済単位の創出を目指す取組でもあった。しかしながら、政策は早期に隘路に陥り、短命に終わった。この失敗の要因としては、政策に内在するいくつかの要因とともに、外国からの強い抗議の圧力があったことが指摘されている。
藤田 陽子 Fujita Yoko
本報告では、(1)研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造-日本と東アジア・オセアニア圏を結ぶ基点としての琉球弧」(Toward New Island Studies-Okinawa as an Academic Node to Connect Japan、 East Asia and Oceania) における問題意識と研究目的、(2)沖縄における重要な環境問題とその特徴及び解決に向けた課題に関する考察、の2点について述べる。(1)「新しい島嶼学の創造」プロジェクト 国際沖縄研究所の研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造」は、島嶼地域の持続的・自立型発展の実現に向けた多様な課題について、学際的アプローチにより問題解決策を導出・提案することを目的とした事業である。従来の島嶼研究は、歴史や民俗、自然地理、文化人類学など、大陸との比較においてその特徴を捉えることを中心として展開してきた。また、「狭小性」「環海性」「遠隔性」といった大陸との相対的不利性に焦点を当てる研究も数多く行われてきた。こうした従来の島嶼研究の成果を踏まえつつ、本プロジェクトにおいては島嶼の不利性を優位性と捉え直すことによって島嶼地域・島嶼社会の発展可能性を探り、問題解決に向けた具体的な処方箋の導出を目指す研究を展開する。そのために「琉球・沖縄比較研究」「環境・文化・社会融合研究」「超領域研究」の三つの学際的研究フレームを設定し、島嶼に関する学際的・複合的研究を推進している。(2)沖縄における環境問題 沖縄の自然環境は、その生物多様性の豊かさや自然景観の美しさなどにより多数の観光客を惹きつけ、専門家の関心を集めている。しかし2003年には、沖縄本島北部やんばるの森を分断するように敷設されている林道の存在や、日本国内法が適用されない米軍基地の存在、重要地域の国立公園化など保護区域の設定が不十分であることを理由に、環境省が琉球諸島の世界自然遺産委員会への推薦を見送った。これは、長い年月をかけて培ってきたストックとしての自然は優れているが、それを維持・管理する人間側の体制が十分に整備されていない、ということを意味していた。2013年1月31日、環境省はこれらの課題に取り組みつつ奄美大島・徳之島・沖縄本島北部(やんばる地域)・西表島の4島を中心とした奄美・琉球のユネスコ暫定リスト入りを決定したが、最終的な世界自然遺産認定に向けては、自然保護に対する地域住民の認識の共有や、開発を制約する国立公園化など、困難な課題に直面している。在沖米軍の活動に起因する環境問題については、地位協定あるいは軍事機密の壁による情報の非対称性が問題の深刻化をもたらしている。米軍には、運用中の基地内で行われている軍事関連活動について日本あるいは沖縄に対して情報開示の義務は負わない。また、返還後の跡地利用の段階で汚染等が発覚した場合の浄化に伴う費用負担のあり方について汚染者負担の原則が適用されず、また汚染状況の詳細が予め把握できないことによる開発の遅延という経済的損失も地域にとっては大きな負担となる。これらの問題を解決するためには、地位協定の運用改善および改正を含め、日本の環境関連法あるいは米国環境法の適用可能性について検証することが不可欠となる。
安江, 範泰 YASUE, Norihiro
本論文は、国重要文化財「京都府行政文書」を検討素材として、地方自治体が残す歴史的行政文書の史料学的な分析方法を提起する。
松木, 武彦 Matsugi, Takehiko
AMSによる放射性炭素年代測定法の高精度化によって,型式学を基礎として把握されたさまざまな考古学的現象の時間幅を精確に把握することができるようになった。それにより有効性が増した作業の一つに,土器型式ごとの遺構・遺物量の算定などからする人口変動の復元がある。
大西, 拓一郎 ONISHI, Takuichiro
言語地理学は,その学術的展開とともに語形分布の2次元空間的配列関係を基盤とした歴史的解釈に目的を焦点化させるに至ったが,そのような方法では,例えば待遇表現のように地域が持つ社会的特性と言語が関連を持つ事象の分析に十分対処することができない。また,配列関係に基づく解釈においても,その背景にある地理的情報を検討することは必要である。本来,言語地理学は言語外の情報と言語情報を空間的に照合することで,言語=方言と人間の実生活との関係を見ていくことに,そのダイナミズムがあった。そのような出発点に立ち戻るなら,地理情報システム(GIS)は,言語地理学を再生させるための大きなキーとなるものである。
篠原 武夫 Shinohara Takeo
復帰前もそして今日も国有林貸付地(=農用地)に対する農家の払下げ要求は非常に強い。農家の土地は零細所有であり、 規模拡大をして農業の近代化を図るためにも、 貸付地の払下げは必要であろう。貸付地の払下げについては地域経済発展との関係や農家の営農意欲問題および払下げ地が企業に買い占められないかどうか、 等を十分考慮して慎重に対処する必要がある。また新たな貸付地要求の声もあるが、 新規貸付地の検討の場合でも上述した諸問題を十分考慮に入れて慎重に対処することが肝要となろう。
篠原 武夫 Shinohara Takeo
(1)国頭村の民有林は林野総面積の57%を占め、 そのうち村有林が42%、 私有林は15%となっている。村有林の伐出・造林面の林業的利用は進められており、 同林の村民経済に果たす役割は大きいと言える。しかし、 私有林の林業的利用は遅れており、 なかでも木材生産はほとんど行なわれていない状態である。(2)東村の民有林は林野総面積のわずか25%で、 そのうち村有林は22%、 私有林が3%となっている。両林の林業的利用は相当に遅れ、 なかでも木材生産はまったくなされていない。
照屋 林宏 Teruya Rinko
1.稲の生育ステージ別に稲小球菌核病菌核を接種し発病および減収率に及ぼす影響について実験を行なった。2.稲の植付後早くから菌は侵入し発病進展がみられる。特に分けつ期から穂ばらみ期にかけては、侵入発病率が高く、このステージ間は罹病性の体質を有するものと考えられる。3.被害減収率は生育初期から穂ばらみ期にはいる栄養生長期のステージが最も高い。4.薬剤防除の適期を考察すると発病および被害減収率の高い最高分けつ期を中心に行なった方が経済的効果が高いといえる。
池口, 明子
本稿では、2005 年度におこなった村落世帯悉皆調査について、その研究視点と方法、今後の課題を述べた。近年、自然環境の利用の変化を分析する方法として、世帯調査の重要性が増している。とくに、世帯を均一な社会単位としてではなく、年齢・性やその文化的理解の構成を捉える視点が重要視されつつある。今後の課題として、本調査をもとに多様な資源利用の実態を把握し、その世帯経済におけるその位置づけや世帯差を明らかにすること、そのうえで、2006 年度の資源利用活動調査を進めることをあげた。
久保, 正敏 KUBO, Masatoshi
この報告では、モノと情報班の活動目的を、以下の3 つの観点から整理する。(1)東南アジア生態史における物質文化の重要性を考察すること;(2)生態史を、さまざまな要素の組み合わせから成り立つ複雑なシステムとして理解すること。そこには、地球規模の気候変動や、社会経済的なグローバルトレンドの影響、環境や公衆衛生に関わる国際的ならびに地域的な諸政策、貿易と通信、民族集団のエートスなどが含まれる;そして、(3)マルチメディアアーカイブの構築を通して、人間知識の協働的な生成という調査研究スタイルを確立することである。
翟, 新
日本自民党衆議院議員である松村謙三らが国交回復前の対中関係の局面を打開するために結成した政策グループは、対中経済および文化交流活動に努めたことを通して日中両国の政府と与党の間で政治意思を疎通させるパイプの役割を果たしたことで、日本の保守陣営で日中関係正常化に対する貢献の最も顕著な政治勢力になり、また彼らによって主張された日米安保体制のもとに長期で安定する対中関係を構築することによって日本の国益を最大限に実現させるという戦略的意図と目標は、根本的にその対中政策の特質と射程を制約したのである。
中島, 俊郎
本稿は、サー・ジェームズ・ブルックがサラワクを統括した時、ミッショナリー活動を通じて先住部族民イバン(ダヤク族)に文化変容を強いながら、統治し、かつ宣撫工作としてキリスト教を援用した事例を検証する。次に大英帝国は重商主義政策でもって、サラワクを統治したが、どのように宗教活動が有効な施策となりえたのか、を考察する。三代にわたるラジャ・ブルックは植民地主義を遂行するうえで、ミッショナリー活動と不即不離の関係を保持していく。だが三代目ヴァイナー・ブルックはミッショナリー活動を日沙商会との経済活動に転化させつつ共存の道を模索していく。
宇野, 功一 Uno, Kouiti
近世下総国香取郡佐原村は利根川舟運の一拠点として江戸時代を通じて栄えた。元禄八(一六九五)年にはすでに町場が広く形成されて在郷町となっており、元文五(一七四〇)年には三八一九人もの人口を抱える関東でも有数の大村となっていた。この村は本宿と新宿という二つの地域に分かれていた。本宿はさらに三つの(実質的には二つの)「組」と呼ばれる社会的・地域的集団に分かれ、経済的発展を背景に組内には「町」が形成されていった。
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