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Ikehara, Atsuko Shayesteh, Yoko 池原, 敦子 シャイヤステ, 榮子
現在,アメリカ合衆国では,社会の移民の人口増加に伴い,学校教育における多文化教育の必要性が問われている。音楽教育においても,音楽を通しての異文化理解と国際理解の実践が提案されている。児童の異文化音楽に対する興味や関心は,多文化音楽教育を実践するにあたって重要な影響をあたえる。同様に,異文化音楽の指導方法を研究するのも必要である。当報告は,アメリカ合衆国の小学校第2学年の児童40名を2つのグループに分け,沖縄伝統音楽を教材とした多文化音楽授業を行い,そのなかで2種類の指導方法,1.受け身的鑑賞指導のみ 2.鑑賞に加えて,エイサー太鼓のダンス指導を取り入れた体験学習,を比べ,児童の異文化音楽における興味と指導方法に対する態度をアンケートによって採取したものである。結果は,2つの指導効果に有意差は見られなかったものの,両グループ共に異文化音楽に対する興味や関心を示した。受け身的鑑賞指導と体験学習については,継続的な指導のもとに,体験学習の指導効果が期待できると考えられる。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
「ことばの民族誌」研究は伝統的に、特定の文化内での言語行動の記述調査を通して当該文化内での「アイデンティティー」や「社会」の意味、もしくは多様な「アイデンティティー」の表現方法を明らかにした。本稿では。このような「ことばの民族誌」の伝統的な研究方法を再考し、ことばの解釈学の論点を取り入れながら、異文化間コミュニケーションの研究に「ことばの民族誌」的アプローチが有効であるかを考察する。ことばが人間の存在そのものとなる社会的行政であるという点に着目すると、異文化間のコミュニケーション、とりわけ異文化間での自他同一化においては、個々の文化的話法の調和を図ることが必要となる。このことは、<言語共同体に土着のことばとその意味の発見>という伝統的な「ことばの民族誌」研究の視点から、<個々の文化的話法の調和とその方法>に分析の視点を移すことによって、異文化間コミュニケーションにおいても「ことばの民族誌」が有効に活用できることを示唆する。このような視点の転換を越して、それぞれの文化の特徴がより明白となり、絶えず変容する文化的アイデンティティーの実像が明らかになる。本稿は、こうした視点の移行を立脚点とし、「ことばの民族誌」を確立した原点の理論にたち返ることによって、異文化間コミュニケーションにおける「ことばの民族誌」研究の可能性を検討した試論である。
大橋, 幸泰 OHASHI, YUKIHIRO
本稿では、日本へキリシタンが伝来した16世紀中期から、キリスト教の再布教が行われた19世紀中期までを対象に、日本におけるキリシタンの受容・禁制・潜伏の過程を概観する。そのうえで、どのようにしたら異文化の共生は可能か、という問いについて考えるためのヒントを得たい。キリシタンをめぐる当時の日本の動向は、異文化交流の一つと見ることができるから、異文化共生の条件について考える恰好の材料となるであろう。
金城, 尚美 Kinjo, Naomi
日本人または日本人学生と留学生に教育的な交流の場を提供し,参加者相互の異文化理解を促進する教育実践がさまざまな形で行われているが,その意義と効果を明らかにする実証的な研究の蓄積は少ないことが指摘されている(岩井2006)。そこで本研究では,小学校で行った6年生(32名)と留学生(13人)の交流活動の事前と事後に調査を行い,小学生の留学生に対するイメージの変化と,異文化を受容する態度の変化を調査し検証した。その結果,留学生に対するイメージの変化と異文化受容態度の変化に統計的に有意な差が現れ異文化理解を目的とした教育の効果が示された。また留学生との交流前に手紙の交換,ビデオ・レターの交換,質問交換などの事前のやり取りを通し,小学生が留学生と交流することについて感じている不安を軽減することができ,交流活動がより円滑に進められることがわかった。この結果から,交流会前のやり取りの重要性が示唆された。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
普遍的な発話行為のひとつとして唱えられた依頼行為(directive)については、多くの言語共同体における比較談話研究から、その表現上の多様性が明らかにされてきた。言語共同体に特有な依頼行為から推察される、文化的に規定された自己、対人関係、そして権力構造などについても多くの論考が存在する。異文化コミュニケーションにおいては、このような文化的特色を持つ総体が複数存在することから、談話を通して依頼行為の表現と意味の違いに関する相互調整が必要となる。そこで本稿では、従来の比較談話研究の結果を考察することによって、異文化コミュニケーションにおける依頼行為の研究の理論的立脚点をまとめてみた。考察の結果は四つの論点にまとめられる。(1)異文化コミュニケーションの研究では、発話者と聞き手の能力や態度、権利、義務などに関する語用論上の条件を当然のものとして受け止めず、意識的に分析することによってまず依頼に関する異文化間の類似点と相違点が明らかになる。(2)依頼行為の最も基本的な誤用論的特徴はその直接性と間接性にある。(3)依頼表現を直接-間接という連続体の上で捉えることによって、顕著な依頼表現の特徴を見出すことができる。このようにして明らかにされた依頼表現の誤用論的特徴は、背景にある文化特有の意味を発見し、それを的確に解釈する手がかりとなる。(4)異文化コミュニケーションで必要な依頼行為の相互調整の方法とそこから推察できる自己や対人関係の文化的な解釈には、直接-間接という連続体での駆け引きを考察することがひとつの有効な方法である。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
コミュニケーション学において,言語共同体独自の話しことばの意味を記述・解明することがひとつの研究テーマである。各共同休に特有の「自己像」や「社会」,「ことば」の意味がどのように記号化されるのか,そして文化的に定義されたこれらの意味を独自の発話形式でどのように表明するのかということが問われてきた。その一端として,ことばの民族誌や異文化接触の研究に基づき,多様な文化的シンボルの意味やコミュニケーション行動の形式と規範というものが明らかにされている。本稿では,これらの事例研究をいくつか取り上げ,比較対照することによって,話しことばによる自己表現の文化的な特徴や異文化間での類似点と相違点について考えてみる。「自己」や「社会」は文化のシンボルとして特殊な意味を帯びており,それに伴い「コミュニケーション」,「命令」,「模倣」,「自己表現」等の発話行為も特殊化され,言語共同体独自の意味を含むことになる。こうしたシンボルの意味を言語共同体独自のコミュニケーション儀式や話し方の論理の枠内で捉えると,コミュニケーション行動の一部は常に文化的行為であることがわかる。まとめとして,文化的自己に関するシンボルと発話形式,更に模範的なコミュニケーション行動を「個人」,「他者関係」,「行為」,「共同体」という四種の自己像のフレームにまとめてみた。こうしたメタアナラシスから得られる類似点と相違点が異文化接触にもたらす影響は大きい。
Kase, Yasuko
英語文化専攻の必修科目『異文化理解』を担当する中で、どのようにダイバーシティ教育に取り組んできたのかをレポートする。教材の選定と使用例、学生に提示したディスカッションのトピック、授業の展開方法、学生の反応を紹介し、琉球大学でダイバーシティに関する授業を提供する意義について論ずる。
石原, 嘉人 Ishihara, Yoshihito
さまざまな文化的背景や学習目標を持つ上級レベルの講読クラスにおいて、テキストは共通の関心事である「日本文化」を扱うことが少なくない。このことは、文化的な摩擦を事前に回避するという名目で、結果として一方的な同化を働きかけてしまう危険性を常に含んでいる。我々は「日本文化」を講読の授業で扱う際に、このことに充分に注意を払わなければならない。小論では、異文化を画一的、固定的なものとして学ぶのではなく、多角的且つ柔軟に理解する方略を身につけられるような講読のあり方を、実践に基づいて追求した。このことは、沖縄を留学先に選んだことの意義を確認するプロセスともなりうる。日本と沖縄の現状を対比させることで文化の多様性を理解し、その延長として各受講生の出身地域について書かれたテキストを批判的に読むことに繋げられるからである。こういった内容の文章を読むことは、異文化環境のさなかにある学習者にとって自らの体験を振り返りつつ参照し、それを日本語によって言語化することを意味する。そのため、かなり難易度の高い文章であっても、強い関心を持って取り組み、理解することが可能となる。
石原, 嘉人 Ishihara, Yoshihito
小論は,異文化を画一的,固定的なものとして学ぶのではなく,多角的且つ柔軟に理解する方略を身につけられるような講読のあり方を.2002年と2003年の前学期での実践に基づいて追求した「講読を通じての異文化理解(その一)」の続編である。国家や民族という枠組みを前提にしたテキストを多く用いた(その一)と異なり,本論では個人の内面を扱ったテキストが中心となっている。主なトピックは,近代的自我,無意識,歴史認識,贈与と交換,といったものである。近代化された社会において,個人という単位を成立させることが,個々の人間にとってどのような影響を及ぼすのかを読み解くことが全体を通した一つのテーマとなっている。
高井ヘラー, 由紀
植民地支配におけるキリスト教の役割は、これまで「教会と国家」という観点から、どちらかというと統治権力に対して妥協的であったその姿勢が、批判的反省的にとらえられる傾向があった。そのような妥協的姿勢は、「キリスト教国」である欧米のみならず、日本による植民地支配の場合においても同様であった。しかしキリスト教は、植民地支配が生み出す多文化的な状況において、しばしば、異文化に属する「支配者」及び「被支配者」間に、文化的政治的障壁を越えた交流をもたらす媒介でもあった。このことを示す具体的な事例として、本稿では、日本による台湾植民地統治が開始した一八九五年、台湾武力制圧の過程において見られた事例に着目し、植民地統治下台湾における日本、台湾(澎湖)、欧米宣教師の三者間のキリスト教を媒介とした「出会い」及び「交流」の事実を描くことによって、植民地支配下における異文化交流の現実とその問題点を探ることを目的とする。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
生活史(life history)を用いた記述研究によって、言語共同体の話しことばの文化的特色がこれまでに多く解明された。従来の研究では、特定の言語共同体のメンバーが分析の対象であるため、最近の国際社会を反映するようなバイリンガルによる言語行動の生活史研究はまれである。そこで、本稿では日本文化を異文化として体験したひとりの日系アメリカ人の生活史を記述し、バイリンガルによる話しことばの諸相を分析する。生活史に「ことばのエスノグラフィ_」(ethnography of communication)を加えた複合方法論に基づく分析の結果、顕著にあらわれたのが被験者の抱く「自己」と「社会」の概念である。「自己」とは「他」との関係によって決まるのではなく、自発的な定義づけにより確立されるものである。さらに、「社会」というのは常に画一化きれ、実像のない抽象化の産物にすぎないこともわかった。日本社会やアメリカ社会ということばによって表象されるものは、極度に一般化されたステレオタイプの世界にすぎないことになる。バイリンガルの被験者はこうした「自己」と「社会」の概念に基づき、異文化に関する無知から生じる誤解や個人間の不和に直面した場合には、独特なレトリックで事態を収拾する。つまり、異文化に関する無知に起因する個人間の不和は克服不可能であり、和解に向けた協議も実を結ぶことがない。翻って、被験者は「相手の先入観によって文化的無知を自己認識させる」レトリックの手法をとる。本論では、こうした被験者のレトリックが、結果として他文化学習の機会となることを論証する。
Kanemoto, Madoka 兼本, 円
本稿では、「XはX」(ホモロガス・トートロジー)の発話の持つ異文化間に於ける価値の相違について検討してみた。ホモロガス・トートロジーは、高文脈の日本文化では、低文脈の米国での低い評価とは逆に、美的であり、説得力に豊むコミュニケーションの手段として高く評価されていることが分った。さらに、今後の研究の必要性を説いた。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
1978年の発表以来、ポライトネス理論は様々な論争を巻き起こして発展してきた。本稿ではまずその発展の経緯をたどり、理論の問題点を整理する。さらに、ポライトネス理論を異文化間依頼行動研究に応用する場合に必要だと考えられる修正点を指摘し、新しい理論的枠組みを提示する。ポライトネス理論の中心的な概念であるフェイスは、当初唱えられたように、「承認」と「押し付けからの解放」というふたつの欲求に普遍的に分類できるものではなく、社会から与えられるものであり、その構成要素はそれぞれの文化・共同体に独自の概念である。したがって、特定の言語行為がフェイスを汚すものかどうかは、文化によって解釈が異なってくる。こうした文化依存性を考えると、ポライトネス理論の核心的概念である「フェイスを汚す行為」(FTA)は、その視点を「フェイスを立てる行為」に転換することが望まれる。そうすることにより、異文化コミュニケーション行動は、発話者がお互いのフェイスに適応するプロセスであるととらえることができ、フェイスのコミュニケーション理論に論理的な一貫性が生まれてくる。さらに、フェイスという文化的概念を支える「己」の意識、意味、そして言語シンボルを民族誌学的にとらえることが重要となる。本論ではこのような新しい理論に向けての試みを五つの論点にまとめてみた。
河辺, 俊雄 山内, 太郎 大西, 秀之 KAWABE, Toshio YAMAUCHI, Taro ONISHI, Hideyuki
本研究ユニットは、ラオス国内における生態学的環境を異にする複数の地域において、地域住民の生活環境への生物学的適応と社会文化的適応を同時に評価することを目的とする。特に「身体」に焦点を当て、人びとの形態と行動(活動)を規定している要因について、生物学的側面から社会文化的側面に至るまでを射程に入れ、さらにはその相互作用について検討する。また、開発や市場経済化などの「近代化」に起因するライフスタイルの変化が身体の形質や活動に及ぼしている影響を把握するとともに、その現在までの歴史的変遷を世代間や地域間などの比較を通して考察する。
君塚, 仁彦 Kimizuka, Yoshihiko
日本国内で「異文化」とされる存在。そこには,在日外国人の歴史,そして生活・文化がある。その多くは,日本の近代化への歴史的過程における海外移民や植民地政策の延長線上にあるが,在日外国人のなかで,在日中国人である華僑とともに最も古い歴史を持つのが在日朝鮮人である。本稿では,在日朝鮮人の労働そして生活の記憶をとどめようとする,設立母体の異なる二つの博物館,丹波マンガン記念館(京都市)と在日韓人歴史資料館(東京都)の二館を取り上げ,在日朝鮮人の記憶をどのように記録し,いかに展示表象しているのか,その内容と意義を,在日朝鮮人による博物館運動に焦点をあてながら明らかにした。この2つの博物館展示が物語っているのは,日本人・日本社会にとって在日朝鮮人,あるいは在日朝鮮人社会が「隠された存在」であり続けているということである。日本社会で多文化共生を実質化していくためには,本稿で取り上げたような博物館は必要不可欠である。在日朝鮮人の記憶の継承と課題は,日本における固有の歴史的課題であり,今後は,行政立の施設もこれを分担すべきであろう。地域史概念の中に,より積極的に在日朝鮮人の生活史,彼ら,彼女らが果たしてきた歴史的かつ社会的役割について組み入れる必要があり,史実の掘り起こしや継承という点も含めて,公立博物館の展示にも反映させなければならない。博物館の歴史展示が,彼ら,彼女らを一方的に「異文化」として位置づけ,囲い込むのではなく,差別・抑圧の歴史を認識し,それを乗り越えていくためにも,産業・文化などで果たしてきた役割をより積極的に明らかにし,関連資料の収集・保存・公開を図っていくことが重要である。在日朝鮮人は文化的側面だけで記憶され,表象されることも多いが,差別や抑圧,人権問題を踏まえた展示や継続する植民地主義的な状況を伝えていくことも大切である。二つの博物館の展示表象は,そのことの大切さを端的に物語っている。
谷口, 康浩 Taniguchi, Yasuhiro
本論では,縄文時代中期の環状集落を構成する家屋の中に系統の異なる家屋型式が共存する現象に着目し,これを「異系統家屋」として概念化するとともに,かかる観点から環状集落の分節構造の成り立ちとその背後にある社会関係について考察した。関東・甲信地方で拠点的な環状集落の造営が始まる中期前葉の五領ヶ台式後半から中期中葉の勝坂式期の事例に焦点を当て,分節構造の形成過程に異系統家屋がどのように関わったのかを検討した。
浅井, 玲子 池田, 悠美 Asai, Reiko Ikeda, Yuumi
高等学校の「家庭総合」において福祉複合施設を題材とし、(1)高齢者・子ども・高校生、それぞれの立場に立ち、お互いのためにできることをディスカッションし、立場を入れ替える場面を仕組み、異世代が関わる事の大切さに気づかせる。(2)地域にある異世代の関わりがある施設の取り組みを知らせ、自分の生活と関連付けることで、異世代が関わる事について、興味・関心を持たせる。をねらいとして行った授業実践と検証結果である。線結び内容分析、会話プロトコル分析、自由記述による検証によって、本提案題材は有効と判断できた。
ケリ, 綾子 Kelly, Ayako
日本語を習得する上で,日本を理解し学習意欲を向上させるために,日本事情のテーマとしてふさわしいものは何か,そしてどのようにして授業を進めていくのが効果的なのかを,アンケート結果をもとに考察しカリキュラムを構成し実践した。その結果,特に実習,体験学習,見学を通して学ぶことに留学生は意義を見い出していることがわかった。また留学生の発表する活動については,教室外での学習を促すことになり,自ら取り組み理解を深めることができた様子がうかがえた。つまり,日本事情のカリキュラムの組み立てや内容を考えるにあたっては,情報を与えるに留まらず,能動的な活動を取り入れる必要性があると言える。さらに異文化を理解し,受け入れ,また自国文化との相違点や共通点などを考え,意見を述べることが出来るようなテーマを選ぶ必要があると考えられる。
宮島, 達夫 MIYAZIMA, Tatuo
国立国語研究所は1956年の雑誌九十種について大規模な語彙調査を実施した。その結果は報告書として発表されているが,今回,その各異表記の度数をふくめた,全部の語彙の度数を言語処理データ集7として公表することになった。本報告は,そのデータの統計的な分析である。修正したデータによって,これまでの報告書にのっている統計表を書きなおしたほか,異表記の度数についての統計をあらたに追加し,表記のゆれが多いのは和語・動詞,すくないのは漢語・固有名詞といった点をあきらかにした。
金城, 尚美 渡真利, 聖子 Kinjo, Naomi Tomari, Seiko
国の施策による留学生の増加により、日本に来る留学生の背景が多様化している。また日本という異文化の環境におかれ心身に不調をきたす留学生も少なくない。そのため、より充実した支援が求められている。本稿では特に精神的な面で問題を抱える留学生についてどのようなサポートを行ったのか事例を報告し、指導教員の役割について考察した。その結果、留学生の個人情報の保護に配慮しつつ、関係教職員、専門家、友人を含めた関係者との連携と恊働によるサポート態勢の必要性が浮き彫りになった。さらに連携と協力、適切な支援のためには指導教員がキーパーソンとなり「つなぐ」という役割が重要であることがわかった。
金城, かおり Kinjo, Kaori
「地域特性と国際性を併せ持つ大学」を基本理念に掲げ,琉球大学では国際交流の推進,学生交流の推進に努めている。留学生の受入れは,留学生に対する教育研究だけではなく,日本人学生にとっての異文化理解教育,更にはキャンパスの国際化,国際人としての人材育成の上でも大変有意義なことである。琉球大学では,学部に在籍する留学生数が少ないことから,学部レベルの留学生増加を目指して留学生受入れ体制の見直し,入学試験制度の改善を行った。主な改善点は,日本留学試験の活用と渡日前入学許可制度の導入である。ここでは,琉球大学における留学生受入れの現状,入試制度改善及び留学生受入れ推進のための取り組み,そして今後の課題について考察する。
片倉, もとこ
人間の存在そのものが多重的複合的であるように、人間のつくり出す文化も多種多様なものの総合体である。現在の日本文化も、日本列島の外からの文化や文明を受け入れていく過程のなかで、つくりあげられてきた。多種多様なるものが併行して、あるいは重なり合って存在してきたのが日本の文化の様相であろう。それを日本文化の「雑種性」とか「雑居性」とよんだ人もいる。
韓, 玲玲
本論では、北村の満洲時代の短編連作小説『或る環境』を取り上げ、この小説の構成内容およびその社会的背景を示す歴史的文献を紹介して、作中人物の異民族に抱いている態度に触れてみたい。
村上, 学 MURAKAMI, Manabu
仮名本曽我物語の本文は各巻ごとに諸本の関係を異にし、全貌は未だ明らかでない。仮名本の生成論の前段階作業として校本を作成し、その関係を明らかにしようとする作業の、これは巻四の分である。
滕, 越 TENG, Yue
異文化間の「断り」に関しては,中間言語語用論などの分野で,「言語や社会的規範の違いにより衝突が起きやすい」と論じられることが多い。本研究では,個人差に焦点を当て,評価 の視点から研究を進めた。『BTSJコーパス』から5つの「友人の依頼への断り」の音声データを選択し,日本語母語話者3名と中国人日本語話者3名に,断られる側の視点に立って,5つの音声の好ましさをプロトコル分析とインタビューを通して評価してもらった。その結果,録音ごとに評価が比較的一致しているものとばらけているものがあり,特に評価のばらつきが大きかった2つの録音は,評価者の「友人への断り」における基本的態度が,「合理性・効率性重視」か,「心情・気遣い重視」かで評価が分かれていた。また,今回のデータからは,評価のばらつきと評価者の母語との関連性は見いだせなかった。
西原, 鈴子 NISHIHARA, Suzuko
談話のまとまり,自然な流れを形成する言語的手段である結束性とは具体的にどのようなものであるか,異言語間のコミュニケーションにおいてそれがどのように移行するかを検討した。結束性の表出手段として提案されている五点の中から,(1)指示,(2)省略,(3)語彙,の三点を選び,日本語と英語の相互翻訳例を資料としてそれぞれの表出方法の差異を知ると共に,伝達の問題点を指摘した。
西原, 鈴子 NISHIHARA, Suzuko
文はその論理的命題内容のほかに,「言外」の意味を多く含んでいる。それらの中から話者の価値判断を選び,モダリティーの概念の中でそれを把握し,慣用的含意として語の意味素性,法演算子,および表現意図として抽出,分類することを試みた。さらにそれらの諸要因が,異言語間伝達にどの程度耐えるかを探る目的の一環として,日→英翻訳の可能性についてアンケート調査を行なった。本論はその報告である。
金城, 須美子 Kinjo, Sumiko
1 琉大の男子寮, 女子寮生を対象に食品の嗜好調査を行った。その結果, 肉料理, すし類, 果物, 野菜サラダの平均嗜好度は男女とも高く標準偏差も小さい。男子の肉料理に対する嗜好は女子より高い。特にビフテキは全食品中最も高い嗜好を示し偏差も1.04と非常に小さい。これは殆んどの男性が, 文句なしにビフテキを好んでいることが分る。これに対して女子は野菜サラダを最も好む食品としている。琉球料理のイリチーやチャンプルーはさ程好まれない。各食品に対する男女の嗜好の相違は顕著でないように思う。2 気候, 健康状態によって嗜好が異るかどうかを調査した。その結果, 夏と冬, それに疲れたときの食品に対する嗜好が異ることが分った。特に気候の影響が大きい。それ故, 食品の嗜好に及ぼす要因として性別よりも, むしろ季節, その他の要因が大きいと思われる。
宇佐美, まゆみ USAMI, Mayumi
本稿では、ポライトネスを敬語のような言語形式だけの問題としてではなく、あいづちやスピーチレベルのシフトなどの現象など、談話レベルの現象も含めて実際の「ポライトネス効果」を捉える必要があるとして、その基本原則を体系化した「ディスコース・ポライトネス理論」(宇佐美2001;2003;2008;2009,2011)の基本的概念を簡単に導入する。DP理論では、話し手と聞き手の「ある言語行動の適切性についての捉え方や期待値」(「基本状態(デフォルト)」)が許容ずれ幅を超えて異なることが、実際の「インポライトネス効果」をもたらすと説明する。ここでは、主に、フランス語圏における学習者が様々な状況で遭遇する異文化間ミス・コミュニケーション場面の事例を取り上げ、それらがこの理論でいかに解釈できるかを提示し、この理論の解釈の可能性と妥当性を検証する。また、このような分析や解釈が、ミス・コミュニケーションの事前防止にいかに適用できるか、また、それらの考察をいかに日本語教育に生かしていくことができるかについても考察する。
出口, 顯 Deguchi, Akira
スカンジナビア諸国では,不妊のカップルが子供をもつ選択肢として国際養子縁組が定着している。養子はアジア・アフリカ,南アメリカの諸国を出生国としており,国際養子は異人種間養子でもあり,親子の間に生物学的・遺伝子的絆がないのは,一目瞭然である。彼らの間では,遺伝子や血縁といった自然のつながりより,日々の生活をともにしたつながりが親子の絆として大切にされている。最近の国際養子縁組においては,養子に受け入れ国の一員としてだけでなく,出生国の文化を担った人間でもあるダブルアイデンティティをもたせようという考え方が浸透している。そのような中,国際養子が不妊になり,実子ではなく養子縁組によって家族を新たに形成するとき,養子の出生国選択の理由は何によるのか,養父母になった国際養子5例の事例を紹介し,生物学的特徴の類似性が決して重要ではないことを浮き彫りにする。
梶原, 滉太郎 KAJIWARA, Kōtarō
日本語においてく温度計〉を表わす語は江戸時代に出現する。そして江戸時代と明治の10年ごろまでは「験温器」を中心として他に多くの異語形があった。明治10年代の後半からは新しく「寒暖計」が中心的存在となり,さらに勢力を強めて昭和40年ごろまで広く使われた。しかし,それ以後は「温度計」が中心的存在となって現在に至っている。〈温度計〉を表わす語には異語形がずば抜けて多い。そして,昭和の後半に至って,すでに定着していた「寒暖計」にかわって「温度計」が中心的存在となったことも,他の漢語に比べて非常に珍しい例である。「温度計」が「寒暖計」よりも優勢になった理由として,「寒暖計」という語のもつ意味領域の狭さがあると思われる。すなわち,「寒暖計」という語は人間の皮膚感覚の受け付ける範囲を基準にして命名した語なのである。
設楽, 博己 Shitara, Hiromi
東日本の弥生文化は西日本からの影響のもとに形成されるという観点が,これまでの研究の主流を占めてきた。しかし,東日本における弥生文化の形成は,西日本からの一方的な影響だけで説明できず,地域相互の絡み合いの中から固有の地域文化が成立してきたという視点が重視されつつある。本稿は弥生文化圏外の北海道を中心として展開した続縄文文化である恵山文化ならびにそれに先立つ時期の文化と中部日本の弥生文化との地域を越えた相互交流を,墓制を構成する文化要素を中心に経済的側面をまじえて考察した。
山崎, 誠 YAMAZAKI, Makoto
天理図書館蔵(唐招提寺北川智海旧蔵)「佚名韻字集」桝形列帖装七帖零冊は、嘗て「詩苑韻集十巻」に比定されたが、猶積極的に支持すべき根拠に乏しい。本書は詩賦作成のための辞書で、文鳳抄・擲金抄などとはまた趣を異にする資料である。平安時代漢文学史の視点から、本書の持つ問題点を出来る限り多角的に検討してみたいと考える。
田中, 大喜 Tanaka, Hiroki
本稿は、中世の武家が作成した置文は譲状と密接な関係を持ちながらも、それとは初発的に属性・機能を異にする別個の文書として成立したという理解を前提に、鎌倉期の事例を網羅的に収集してその属性・機能・法的性格を考察し、武家置文の本質を追究したものである。また、南北朝期以降の武家置文の特色についても考察し、その変容の実態を追究した。
青木, 睦 AOKI, Mutsumi
本稿では、国文学研究資料館が関わった大津波被害の歴史文化情報資源のレスキューの事例を中心に報告する。加えて、文化庁「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」や全国的規模での大学・研究機関、博物館・図書館・アーカイブズ、文化財関係行政機関等が連携してどのように歴史・文化等の情報資源を救助・復旧活動を行ってきたか、また、研究教育文化行政、公文書管理行政の課題や全国規模で人間文化研究に関わる歴史・文化等の情報資源をどのように蓄積・保存すべきかについて検討する。
成田, 龍一
戦後における日本文化の歴史的な研究のいくつかの局面に着目し、その推移を考察する。まずは、1980年代以降の特徴として、A「文化」に力点を置くものと、B「歴史」に比重を多く日本文化研究の二つが併存していることを入り口とする。Aは「日本文化論」、Bは「日本文化史」として提供されてきた。
長田, 俊樹
筆者はこの『日本研究』に「ムンダ民族誌ノート」を連載しているが、今回は日本における稲作文化と畑作文化の区別について論じる。なぜなら、稲作文化論や畑作文化論のなかで、ムンダ人のケースが言及されることがあるからだ。
田﨑, 聡 Tasaki, Satoshi
現在、沖縄県をはじめ伝統的食文化と課題に対して、保存、普及、継承、連携という推進計画が取り組まれているが、基本的に琉球料理とは、琉球王国料理を中心に食文化を展開しており、王朝以前の食文化や農漁村の食文化、商人や町民の食文化はどういうものだったかという文献があまり残されていない。そこで、日本の和食文化との時代的背景、中国、東アジアと時代的背景を探りながら、失われた長寿食文化の源流を探り、考察する。
才津, 祐美子 Saitsu, Yumiko
近代日本の文化財保護制度の歴史的変遷を見ていくと,保護する対象が次第に拡大していっているのがわかる。戦後の文化財保護法(1950年)においても,年を追うごとに文化財の種類が増え,2008年現在では,戦前の国宝保存法(1929年)と史蹟名勝天然紀念物保存法(1919年)の保護対象だった有形文化財,記念物の他に,無形文化財や有形無形の民俗文化財,伝統的建造物群,文化的景観が創設されている。ここまで対象が拡大すると,理念上はすべての過去と繋がるものが文化財として見なされうるわけであり,まるで「総文化財化」とでもいえるような様相を呈している。
白幡, 洋三郎
従来の日本文化研究は、日常生活からはなれた、しかし日本独特と思われる文化の性格や形成の経緯、またその後の変容の歴史などを、日本という地域内部で起こる現象としてとらえる姿勢で行われてきた。しかし現在のように、交通や情報網の発達によって、さまざまな文化が国境を容易に越えるボーダーレス化が進んでいる時代では、ある文化をその文化圏でのみ考察することはほとんど無意味になっている。誰もが享受している日常の生活文化を対象とし、それが別の文化圏ではどのように受け入れられ、または反発や変形をこうむっているかという需要や拒絶の様相を探ることによって、ある文化の特徴が浮き彫りにされるだろう。日本文化に関しても、その輪郭と特徴を明らかにするには、ほかの文化圏における普及や拒絶といった動態においてとらえる「文明論」的な方法が有効であろう。
金城, 俊夫 Kinjo, Toshio
生後70-120日令の白色レグホン種およびニューハンプシヤー種鶏を用い, Tp感染に対する態度を経口, 心臓, 筋肉および腹腔内など, 接種ルートを変えて比較検討し, 次の如き結果を得た。1.接種ルートの如何に拘わらず, 何れの場合も接種2∿7日目から流血中にTpが現われ, 感染の成立することを認めた。特に経口感染の可能な点興味ある所見である。2.感染鶏はほとんど無症状に耐過する。稀に発症する例では発熱を伴なう元気, 食欲の消失と, 脚麻痺等の症状を呈して斃死し, 各臓器には多数のTpの増殖がみられる。3.血中抗体価は概して低く, 大部分8倍以下である。心臓内接種でほゞ1週間後, 腹腔内接種で2週間後, 筋肉内接種で3週間後にそれぞれ抗体がはじめて検出され, 経口投与ではほとんど抗体の産生が認められず, 接種ルートによってその態度を異にしている。4.一定期間後, 初回に比して大量のTpの再接種を行なうと, 接種部位の組合わせによって成績は幾分趣を異にするが, 初感染によって抗体価は低くても, かなり抵抗性が賦与されていることが明らかである。5.Tpの体内分布状況は接種ルートによって特に異ることなく, 感染後ほぼ1∿2ケ月前後でTpは体内からほとんど消滅されるものと思われる。しかしそれ以後でもなお, チストの型で潜在し, 生体に変調を来たした時, 急激に増殖して生体を発症斃死せしめうる可能性が考えられる。6.剖検上著明な変化を認めたのは比較的少数であったが, 一般に肝における白斑形成が多くみられ, また肝, 脾の腫脹等もかなり多数に認められた。7.産卵開始期に感染を受けた鶏では, 卵巣等を介して卵へTpが移行しやすいように解され, 検索した卵12ケ中3ケの卵黄にTpの移行を確認した。
高橋, 敏 Takahashi, Satoshi
子どもと文字文化の関連性については、従来からプラスの評価がなされるのが通例であった。しかし、無文字文化を基調とする村落社会に埋没していた子どもが文字文化の習得に向うに際しては、すべてがこの動きを肯定したわけではなく、激しいリアクションが加えられていた。換言するなら、文字文化は強力な無文字文化の抵抗に耐えて村落社会へ定着していったのである。この教育・文化の変動を伝える史料は少ない。
木下, 尚子
「貝文化」とは、法螺や螺鈿、貝杓子などおよそ貝殻の関与する文化の総体をいう。本稿は、日本列島の先史時代から古代を対象に、貝文化のありようを構造的に把握しようと試みた文化試論である。九州以北の本土地域とサンゴ礁の発達する琉球列島を分け、両者を比較しながら論を進めた。
工藤, 雄一郎 Kudo, Yuichiro
本論文では,縄文時代の漆文化の起源をめぐる研究史について,1926年から2010年代まで歴史を整理した。縄文時代の編年的な位置づけが定まらない1930年代には,是川遺跡に代表される縄文時代晩期の東北地方の漆文化は,平泉文化の影響を受けて成立したものという考えがあった。1940年代に唐古遺跡で弥生時代の漆文化の存在が確認されて以降,中国の漢文化の影響を受けた弥生文化から伝わったという意見もあった。1960年代以降,照葉樹林文化論の提唱を受け,縄文時代の漆文化は大陸から各種の栽培植物とともに伝わったという見方も広がった。1980年代には,中国新石器文化と縄文文化との共通の起源を想定する共通起源説も登場した。これらはいずれも縄文時代の漆文化を列島外から来たとする伝播論である。一方,加茂遺跡の縄文時代前期の漆器の出土を考慮して,1960年代には縄文時代の漆文化自生説も登場する。その後,1990年代には縄文文化の独自性や縄文時代の漆文化の成熟度を重視する研究者から,自生説が主張されるようになる。2000年の垣ノ島B遺跡の発見,2007年の鳥浜貝塚の最古のウルシ材の存在の確認によって,縄文時代の漆文化自生説は力を増した。しかし,垣ノ島B遺跡の年代は信頼性が担保されていないこと,また垣ノ島B遺跡の事例を除外すると,中国の河姆渡文化の漆製品は日本列島の縄文時代早期末の漆器と同等かそれ以上の古さを持っていることを年代学的に検証し,改めて縄文時代の漆文化の起源が大陸からの伝来であった可能性を考慮する必要性があることを論じた。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
批判的,論理的,合理的に考えることとは異なる思考について,主に文化という観点から検討された。\n検討は,主に「声の文化」との関連からなされた。最後に,声の文化的な思考と文字の文化的な思考との関連や,どのような教育的アプローチが考えられるかについて論じられた。
李, 亨源 Yi, Hyungwon
本稿は,突帯文土器と集落を使って韓半島の青銅器文化と初期弥生文化との関係について検討したものである。
森岡, 正博
二十世紀の学問は、専門分化された縦割りの学問であった。二十一世紀には、専門分野横断的な新しいスタイルの学問が誕生しなければならない。そのような横断的学問のひとつとして、「文化位相学」を提案する。文化位相学は、「文化位相」という手法を用いることで、文化を扱うすべての学問を横断する形で形成される。
西谷, 大 Nishitani, Masaru
本稿は,大汶口文化諸遺跡で発見された仰韶文化の廟底溝類型系彩陶を取り上げ,この彩陶が,渭河流域,黄河中・下流域から山東地区の大汶口文化に伝播していく様態を追求することによって,廟底溝類型期の各地域間にみられる文化交流の中で,彩陶が具体的にどの様な意味をもつのかを考えようとするものである。
川村, 清志 Kawamura, Kiyoshi
本論は,日記資料のデジタルアーカイブ化の手続きにおいて生起した課題と,そこで醸成された民俗学の外延の拡張と更新の可能性について論じる。本論の最終的な目的は,大きく二つに分けることができる。一つは,特定の学問分野(ここでは民俗学)が扱う資料を一般化することで共有度を高め,関心を異にする民俗研究者はもちろん,他分野の研究者や一次資料に関心をもつ一般の人びとにも利用可能な形態を構築することである。もう一つは,一次資料の綿密な検証と分析から,既存の学問の外延と内包を再考し,当該研究分野のバージョンアップを図ることを目的としている。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
本稿では,弥生文化を,「灌漑式水田稲作を選択的な生業構造の中に位置づけて,生産基盤とする農耕社会の形成へと進み,それを維持するための弥生祭祀を行う文化」と定義し,どの地域のどの時期があてはまるのかという,弥生文化の輪郭について考えた。
青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
近年,世界遺産の制度に「文化的景観」という枠組みが設けられた。この制度は,文化遺産と自然遺産の中間に位置し,かつ広い地域を保護するものである。その枠組みは曖昧であるが,一方であらゆるタイプの景観を文化財に選定する可能性を持っている。
廣瀬, 浩二郎
安藤, 広道 Ando, Hiromichi
「水田中心史観批判」は,過去四半世紀における日本史学のひとつのトレンドであった。それは,文化人類学,日本民俗学の問題提起に始まり日本文献史学,考古学へと拡がった,水田稲作中心の歴史や文化の解釈を批判し,畑作を含む他の生業を視野に入れた多面的な歴史の構築を目指す動きである。その論点は多様であるが,一方で日本文化を複数の文化の複合体とし,水田中心の価値体系の確立を律令期以降の国家権力との関係で理解しようとする傾向が強く認められる。そして考古学の縄文文化,弥生文化の研究成果も,その動向に深く関わってきた。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
東南中国、中でも沿海地域の新石器文化の形成と展開に焦点をあて、中国新石器文化の中での位置付けを再検討し、その特徴を明らかにした。最近の調査によって、東南中国沿海地域では、紀元前6000 年の新石器文化出現期から貝塚を伴うことが明らかになったが、植物利用の進展が新石器文化の定着に重要な役割を果たしていたと考えられる。その後も、農耕に集約化せず、地域ごとに漁撈・狩猟・採集の生業活動をその環境に応じながら展開したことが東南中国沿海地域の新石器文化の特徴である。
八鍬, 友広 Yakuwa, Tomohiro
本稿は、十八世紀における越後地域の俳諧文化の実態を検討することによって、文字文化の地域的な浸透の一側面を明らかにしようとするものである。
塚本, 學 Tsukamoto, Manabu
文化財ということばは,文化財保護法の制定(1950)以前にもあったが,その普及は,法の制定後であった。はじめその内容は,芸術的価値を中心に理解され,狭義の文化史への歴史研究者の関心の低さも一因となって,歴史研究者の文化財への関心は,一般的には弱かった。だが,考古・民俗資料を中心に,芸術的価値を離れて,過去の人生の痕跡を保存すべき財とみなす感覚が成長し,一方では,経済成長の過程での開発の進行によって失われるものの大きさに対して,その保存を求める運動も伸びてきた。また,文化を,学問・芸術等の狭義の領域のものとだけみるのではなく,生業や衣食住等をふくめた概念として理解する機運も高まった。このなかで,文献以外の史料への重視の姿勢を強めた歴史学の分野でも,民衆の日常生活の歴史への関心とあいまって,文化財保存運動に大きな努力を傾けるうごきが出ている。文化財保護法での文化財定義も,芸術的価値からだけでなく,こうした広義の文化遺産の方向に動いていっている。
小林, 青樹 Kobayashi, Seiji
本論は,弥生文化における青銅器文化の起源と系譜の検討を,紀元前2千年紀以降のユーラシア東部における諸文化圏のなかで検討したものである。具体的には,この形成過程のなかで,弥生青銅器における細形銅剣と細形銅矛の起源と系譜について論じた。
田村 彩子
本稿は、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所における年史資料群の目録公開に向けての業務を、事例報告としてまとめたものである。
後藤, 雅彦 Goto, Msahiko
東アジアにおいて、各地で新石器文化が形成された際、東南中国から台湾、そして琉球列島を含む東アジア南方沿海地域では貝塚形成がはじまる。一方、長江中・下流域を源とする稲作文化が分断された地域的文化を特徴とする東南中国・台湾に波及する。東南中国では内陸地域の広東石峡文化(東南中国稲作農耕社会)と沿海地域の曇石山文化を代表とする東南中国貝塚社会に大別することができる。本稿では、東南中国の北に隣接する浙江南部の好川文化について副葬武器類と耕作具を分析する。それをふまえて、東アジア南方沿海地域の先史考古学の視点として、農耕社会(内陸性)と貝塚社会(沿海性)の比較に関して検討する。
内田, 順子 Uchida, Junko
基幹研究「地域開発における文化の保存と利用」におけるアイヌ文化に関する研究成果は,2013(平成25)年3月19日にリニューアルオープンした第4展示室(民俗)に反映されている。新しい民俗展示室におけるアイヌ文化についての展示は「アイヌ民族の伝統と現在」というテーマ名をもち,「現代のアイヌアート」と「資源の利用と文化の伝承」というふたつのテーマから構成されている。この展示のベースには,「文化の資源化」,すなわち,アイヌの人たちが,観光や大規模開発などをきっかけとして,どのように自身の文化を対象化し,継承すべき資源として見いだしてきたのか,という問題がある。本稿では,観光を契機とした文化の資源化の観点から,展示で紹介している白老および二風谷を事例として検討するものである。
佐藤, 孝雄 Satō, Takao
アイヌ文化の「クマ送り」について系統を論じる時,考古学ではこれまで,オホーツク文化期のヒグマ儀礼との関係のみが重視される傾向にあった。なぜならば,「アイヌ文化期」と直接的な連続性をもつ擦文文化期には,従来,ヒグマ儀礼の存在を明確に示し,かつその内容を検討するに足る資料が得られていなかったからである。ところが,最近,知床半島南岸の羅臼町オタフク岩洞窟において,擦文文化終末期におけるヒグマ儀礼の存在を明確に裏付ける資料が出土した。
大貫, 静夫 Onuki, Shizuo
挹婁は魏志東夷伝 Weizhi Dongyizhuan の中では夫餘の東北,沃沮の北にあり,魏からもっとも遠い地に住む集団である。漢代では,夫餘の残した考古学文化は第2松花江 Songhua Jiang 流域に広がる老河深2期文化 Laoheshen 2nd Culture とされ,北沃沮は沿海州 Primorskii 南部から豆満江 Tuman-gang 流域にかけての沿日本海地域に広がっていた団結文化 Tuanjie Culture に当てることで大方の一致を見ている。漢代の挹婁はその外側にいたことになる。漢代から魏晋時代 Wei-Jin Period に竪穴住居に住み,高坏を伴わないという挹婁の考古学的条件に符合する考古学文化はロシア側のアムール川(黒龍江 Heilong Jiang)中・下流域および一部中国側の三江平原 Sanjiang Plain 側に広がるポリツェ文化がよく知られている。北は極まるところを知らず,東は大海に浜するという点では,今知られる考古学文化の中ではアムール川河口域まで広がり,沿海州の日本海沿岸部まで広がるポリツェ文化が地理的にもっともそれに相応しいことは現在でも変わらない。そのポリツェ文化はその新段階に沿海州南部に分布を広げる。層位的にも団結文化より新しい。魏志東夷伝沃沮条に記された,挹婁がしばしば沃沮を襲うという記事はこの間の事情を反映したものであろう。ただし,ロシア考古学で一般的な年代観を一部修正する必要がある。最近,第2松花江流域以東,豆満江流域以北に位置する,牡丹江流域や七星河 Qixing He 流域において漢魏時代の調査が進み,ポリツェ文化とは異なる諸文化が展開したことが分かってきた。これらの魏志東夷伝の中での位置づけが問題となっている。すなわち,東夷伝に記された挹婁としての条件を考えるかぎり,やはり既知の考古学文化の中ではポリツェ文化がもっともそれに相応しく,七星河流域の諸文化がそれに次ぎ,牡丹江流域の諸文化,遺存がもっともそれらから遠い。しかし,だからといって,これらを即沃沮か夫餘の一部とするわけにはいかない。魏志東夷伝の記載から復元される単純な布置関係ではなく,実際はより複雑だったらしい。
設楽, 博己 Shitara, Hiromi
弥生時代の定義に関しては,水田稲作など本格的な農耕のはじまった時代とする経済的側面を重視する立場と,イデオロギーの質的転換などの社会的側面を重視する立場がある。時代区分の指標は時代性を反映していると同時に単純でわかりやすいことが求められるから,弥生文化の指標として,水田稲作という同じ現象に「目的」や「目指すもの」の違いという思惟的な分野での価値判断を要求する後者の立場は,客観的でだれにでもわかる基準とはいいがたい。本稿は前者の立場に立ち,その場合に問題とされてきた「本格的な」という判断の基準を,縄文農耕との違いである「農耕文化複合」の形成に求める。これまでの東日本の弥生文化研究の歴史に,近年のレプリカ法による初期農耕の様態解明の研究成果を踏まえたうえで,東日本の初期弥生文化を農耕文化複合ととらえ,関東地方の中期中葉以前あるいは東北地方北部などの農耕文化を弥生文化と認めない後者の立場との異同を論じる。弥生文化は,大陸で長い期間をかけて形成された多様な農耕の形態を受容して,土地条件などの自然環境や集団編成の違いに応じて地域ごとに多様に展開した農耕文化複合ととらえたうえで,真の農耕社会や政治的社会の形成はその後半期に,限られた地域で進行したものとみなした。
小熊, 誠 Oguma, Makoto
民俗学において文化交流をどのように位置づけるかについて,第1に柳田國男の言説を中心に検討し,第2に,文化交流という概念のもとで,沖縄と中国の比較研究が可能かどうか考察する。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shinichiro
弥生文化は,縄文文化と新しく大陸から入ってきた文化があわさって成立するが,その際,縄文人と朝鮮半島に出自をもつ渡来人のどちらが主体的な役割を果たしたのかという点をめぐって長い間論争がおこなわれている。いわゆる縄文人主体説と渡来人主体説である。
日髙, 真吾 Hidaka, Shingo
わが国において,災害で被災した文化財に対しておこなわれる文化財レスキューがはじまったのは,1995年の阪神・淡路大震災である。その後,文化財レスキューは,地震や水害などの災害が発生するたびに,被災地の状況に応じておこなわれ,実践事例を積み重ねてきた[村田2014,中村2014,日髙・内田2014]。そして,阪神・淡路大震災から約15年後となる2011年に東日本大震災が発生し,これまでおこなわれてきた文化財レスキューの集大成ともいえる活動が展開された。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
2013年6月22日の紅河ハニ棚田の「文化的景観」の世界文化遺産登録を事例に、ユネスコのいう「文化的景観」を分析した。方法としては中国側の申請書とイコモスの評価書およびその他の文書の検討からイコモス、中国政府、ハニ族知識人、紅河州などのアクターの戦略を考察した。その上で今回の指定が住民に及ぼすものは何かを資源人類学的観点から明らかにした。ユネスコの世界文化遺産における「普遍的価値」とは政治的妥協の結果であることをハニ族の棚田を事例として示した。
福井, 七子
ベネディクトは、文化は個人や社会変化に対する可能性と開放を含むものであり、ひとたび人間が文化の力を意識し始めると、社会の要求に合うように修正され得るもので、文化は望まれる将来の世界への鍵のようなものと考えていた。
鈴木, 貞美
今日、日本の近現代文芸をめぐって、一部に、「文化研究」を標榜し、新しさを装いつつ、その実、むしろ単純な反権力主義的な姿勢によって、種々の文化現象を「国民国家」や「帝国主義」との関連に還元する議論が流行している。この傾向は、レーニンならば「左翼小児病」というところであり、当の権力とその政策の実態、その変化を分析しえないという致命的な欠陥をもっている。それらは、「新しい歴史教科書」問題に見られるような「日本の威信回復」運動の顕在化や、世界各国におけるナショナリズムの高揚に呼応するような雰囲気が呼び起こしたリアクションのひとつであろう。その両者とは、まったく無縁なところから、第二次大戦後の進歩的文化人が書いてきた日本の近代文学史・文化史を、その根本から――言い換えると、そのストラテジーを明確に転換して――書き換えることを提唱し、試行錯誤を繰り返しつつも、少しずつ、その再編成の作業を進めてきた立場から、今日の議論の混乱の原因になっていると思われる要点について整理し、私自身と私が組織した共同研究が明らかにしてきたことの要点をふくめて、今後の日本近現代文芸・文化史研究が探るべきと思われる方向、すなわち、ガイドラインを示してみたい。整理すべき要点とは、グローバリゼイション、ステイト・ナショナリズム(国民国家主義)、エスノ・ナショナリズム、アジア主義、帝国主義、文化ナショナリズム、文化相対主義、多文化主義、都市大衆社会(文化)などの諸概念であり、それらと日本文芸との関連である。全体を三部に分け、Ⅰ「今日のグローバリゼイションとそれに対するリアクションズ」、Ⅱ「日本における文化ナショナリズムとアジア主義の流れ」、Ⅲ「日本近現代文芸における文化相対主義と多文化主義」について考えてゆく。なお、本稿は、言語とりわけリテラシー、思想などの文化総体にわたる問題を扱い、かつ、これまでの日本近現代文学・文化についての通説を大幅に書き換えるところも多いため、できるだけわかりやすく図式化して議論を進めることにする。言い換えると、ここには、たとえば「国家神道」など、当然ふれるべき問題について捨象や裁断が多々生じており、あくまで方向付けのための議論であることをおことわりしておく。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
弥生文化は,鉄器が水田稲作の開始と同時に現れ,しかも青銅器に先んじて使われる世界で唯一の先史文化と考えられてきた。しかし弥生長期編年のもとでの鉄器は,水田稲作の開始から約600年遅れて現れ,青銅器とほぼ同時に使われるようになったと考えられる。本稿では,このような鉄の動向が弥生文化像に与える影響,すなわち鉄からみた弥生文化像=鉄史観の変化ついて考察した。
北村, 啓子 KITAMURA, Keiko
古文のテキスト処理をしようとすると、表記のゆらぎは切実な問題であり、これをカバーするシソーラスや異表記辞書、読み辞書、固有名詞辞書などの語彙に関する電子辞書の構築が待望されている。古文のテキストデータ化が研究者個人で活発に行われるようになり十年を数え(国文学資料館でも二十年近く前から実験されていた)、大規模にテキストデータベースとして構築するプロジェクトもいくつか興っている。これらの活動で作られてきた古文テキストは、古文を対象にした一種の大規模コーパスを形成している。
大角, 玉樹
筆者は平成27 年度から平成29 年度まで,異分野融合型の研究として,沖縄感染症研究拠点形成促進事業「動物媒介性感染症対策の沖縄での施策提言とネットワーク形成に関する研究」に共同研究者として参画した。感染症対策における技術イノベーションと政策・施策提言をテーマに取り組み,その成果とネットワークを活用した,新たな研究の展開を模索してきたものの,長らく方向性が定まらなかったが,今回のコロナ禍を受けて,これまでに考えてきた研究課題を再整理することにより,実践的な提言につながる研究を探求していきたい。
金, 彦志 方, 貴姫 韓, 智怜 韓, 昌完 Kim, Eon-Ji Bang, Gui-Hee Han, Ji-Young Han, Chang-Wan
障害学生のための文化芸術教育が特殊学校において様々な形で実施されているが、障害学生のための具体的かつ長期的な支援策が設けられていないのが現状である。これにより学校現場での文化芸術教育活性化に困難があると言える。本研究では、障害学生の文化芸術に関する先行研究の考察と特殊学校における障害学生文化芸術教育の実態把握を通じて、今後の学校教育課程における障害学生文化芸術支援の方向に対する政策案を提示した。特殊学校文化芸術教育の実態調査では、韓国の特殊学校153校を対象に実施しており、音楽教科の場合、118校(77.1%)の担当教師181人が回答し、美術教科の場合、98校(64.1%)の担当教師154人が回答している。アンケート調査の結果をもとに、芸術教科担当教師の専門性の確保、芸術教科プログラムの多様性の確保、文化芸術教育環境の改善と専門人材のネットワーク構築など、特殊学校で適用可能なサポートの方向を提示した。
前川, さおり Maekawa, Saori
本稿は,一地域の博物館職員の視点から見た文化財レスキューネットワーク論である。岩手県遠野市の博物館職員であった筆者には,業務を通じて三陸沿岸市町村の文化財担当者や県内外の博物館学芸員と公的・私的なネットワークがあった。筆者は,東日本大震災の際に地震によって被害を受けた遠野市役所の文化財レスキューを行った後に,三陸沿岸自治体の図書館博物館文化財レスキューを行った。
鈴木, 寿志
令和4年度に国際日本文化研究センターにおいて共同研究「日本文化の地質学的特質」が行われた。地質学者に加えて宗教学・哲学・歴史学・考古学・文学などの研究者が集い,地質に関する文化事象を学際的に議論した。石材としての地質の利用,生きる場としての大地,信仰対象としての岩石・山,文学素材としての地質を検討した結果,日本列島の地質や大地が日本人の精神面と強く結びつき,文化の基層をなしていることが示唆された。変動帯に位置する日本列島では地震動や火山噴火による災害が度々発生して人々を苦しめてきたが,逆に変動帯ゆえの多様な地質が日本文化のあらゆる事象へと浸透していったとみられる。
パンツァー, ペーター
保立, 道久
日本文化論を検討する場合には、神話研究の刷新が必要であろう。そう考えた場合、梅原猛が、論文「日本文化論への批判的考察」において鈴木大拙、和辻哲郎などの日本文化論者の仕事について厳しい批判を展開した上に立って、論文「神々の流竄」において神話研究に踏み入った軌跡はふり返るに値するものである。
武井, 基晃
琉球王国時代から今日に至るまでの沖縄の食文化は,第二次世界大戦時の地上戦という文化・生活の崩壊のあと,戦後アメリカ統治下における高度経済成長,日本本土復帰さらに観光化を経て復興した。それは,琉球の食文化・琉球料理の保存,そして次代へと沖縄の料理を発展させるための意識的な再定義の結果でもあった。
小畑, 弘己 真邉, 彩 Obata, Hiroki Manabe, Aya
縄文時代に植物栽培が行われたことは,すべての人が認めるものではないが,今日的な研究成果をみれば,栽培の規模の大小や形態は別として,ほぼ揺るぎないことと思われる。今日の実証的研究の成果によると,縄文時代に栽培されていた植物は,農学や地理学で提唱された照葉樹林文化論や縄文農耕論で想定されていたような作物ではなく,我が国に起源をもつダイズやアズキなどのマメ類やヒエであった。この意味でも,縄文文化は狩猟採集だけを生業にした文化ではなく,植物栽培も取り込んだ多角的な生業戦略を行っていた文化といえる。この点では,朝鮮半島の新石器文化にも相通じる部分がある。
高瀬, 克範 Takase, Katsunori
続縄文概念の有効性の評価にあたり,隣接諸文化との比較からその異同性をさぐることは重要な手段となりえる。本稿では,資源・土地利用を中心とした経済の観点から縄文・弥生および一部古墳文化との比較をおこない,以下の点を指摘した。
横谷, 一子
『隔蓂記』(一六三五~一六六八)の記主鳳林承章は『隔蓂記』執筆時には、すでに当代一級の文化人の一人として、時の後水尾天皇が主催する「宮廷文化サロン」の中心的存在であった。
スタインバーグ, マーク エルネスト・ディ・アルバン, エドモン 須川, 亜紀子 松井, 広志 エルナンデス・エルナンデス, アルバロ・ダビド
現代日本の大衆文化の一種であるアニメやマンガが益々注目を集める中、同人誌やコスプレなどのように、このメディア文化を中心にして行われる活動にも注目が集まっている。アニメやマンガといったメディア表現とファン文化を考える際、「商品と消費者」という単純な構造を超え、メディアの性質とその発展、メディア表現の特徴や我々がどのようにメディアと付き合うのかを、考える必要がある。この公開ワークショップにおいては、最先端のメディア論を踏まえ、3名の講師から現代日本の大衆文化におけるメディア表現とメディア使用の接点について学ぶ。
森山, 克子 Moriyama, Katsuko
学校給食から海洋県沖縄の食文化を伝えるため、沖縄県内の小中学校の学校教育計画における海に関わる指導内容を調査したところ、都市地区より農村部の学校で沖縄の食文化に関わる内谷があった。北部の本部町や離島の座間味村、宮古島市では、沖縄の食文化のベースとなる鰹節づくりに関する内容があったことから海洋県沖縄の食文化の伝承が今後も可能であることがわかった。海産物では「もずく」の出現数が最も多く、給食管理の献立から伝承し易い海の食育教材は、「もずく」であった。これらのことから、国語、理科、社会科、家庭科の教科や道徳、総合学習等で学校教育計画全体で横断的に指導しつつ、給食から海洋県沖縄の食文化を伝承できることが示唆された。
趙, 維平
中国は古代から文化制度、宮廷行事などの広い領域にわたって日本に影響を及ぼした。当然音楽もその中に含まれている。しかし当時両国の間における文化的土壌や民族性が異なり、社会の発展程度にも相違があるため、文化接触した際に、受け入れる程度やその内容に差異があり、中国文化のすべてをそのまま輸入したわけではない。「踏歌」という述語は七世紀の末に日本の史籍に初出し、つまり唐人、漢人が直接日本の宮廷で演奏したものである。その最初の演奏実態は中国人によるものであったが、日本に伝わってから、平安前期において宮廷儀式の音楽として重要な役割を果たしてきたことが六国史からうかがえる。小論は「踏歌」というジャンルはいったいどういうものであったのか、そもそも中国における踏歌、とくに中国の唐およびそれ以前の文献に見られる踏歌の実体はどうであったのか、また当時日本の文化受容層がどのように中国文化を受け入れ、消化し、自文化の中に組み込み、また変容させたのかを明らかにしようとしたものである。
吉田, 直人 Yoshida, Naohito
「収穫祭」という実践で,生徒が笑顔に満ち,自分の意志で考え行動していく姿に出会い,これが「文化的実践」に近いものではないかと実感した。そこで本研究では,「文化」というキーワードをもとに,この実践を考察することを通して,単元の再構成による学習の文脈づくりから文化的実践に高める端緒を見いだすことを目的とした。そして,考察を通して,「収穫祭」が文化的実践として生徒が学びの場を作りだしたのは,生徒の営みが自分の存在から派生しているか,その営みが社会に開かれ社会の吟味にさらされているかが重要な点であると考えた。また,文化的実践として生徒が学びの場を作るための,教師の支援の糸口についても考察した。
蔡, 鳳書
これまでの中日古代文化交流歴史研究においては、文献記録の資料に主として依拠する場合が多かったが、戦後の五〇年間には中国、日本ともに考古学の研究成果が多い。この情勢により、両国の発掘調査の資料を利用し、中日文化交流史を研究することが必要になる。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は柳田國男「葬制の沿革について」に対して示された,いわゆる両墓制の解釈をめぐって,戦後の民俗学が陥った「誤読」の構造を分析し,戦後民俗学の認識論的変質とその問題点を明らかにし,現在の民俗学に支配的な,いわゆる民俗を見る視線を規定している根底的文化論の再構築を目的とする。柳田の議論は,この論考に限らず,変化こそ「文化」の常態とみた認識に立っており,その論題にもあるように,葬制の全体的な変遷を扱うものであった。ところが戦後,民俗を変化しにくい存在として捉える認識が優勢になると,論題に「沿革」とあるにも拘らず,変遷過程=「変化」の議論と捉えずに,文化の「型」の議論と読み違える傾向が生まれ,それが通説化する。柳田の元の議論も霊肉分離と死穢忌避の観念が超歴史的に貫徹する,あたかも伝統論のように解釈されはじめる。南島の洗骨改葬習俗と,本土に周圏論的に分布する両墓制を,関連のある事象として,これを連続的に捉える議論や解釈・思考法は,1960年代に登場するが,一つの誤読を定説化させた学史的背景には,民俗を変化しにくい地域的伝統と見做す,こうした根底的文化論が混入したことに尽きている。このような理解を生み出す民俗あるいは文化を,伝統論的構造論的に把捉する文化認識は,いわゆる京都学派の文化論を介して,大政翼賛会の地方文化運動において初めて生成された認識であるが,加えて戦後のいわゆる基層文化論の誤謬的受容によって,より強固に民俗学内部に浸透,定着化する。基層文化論は柳田の文化認識に近似していたナウマンの二層化説を,正反対に読解して受容したものであり,その結果,方法的な資料操作法のレベルにおいても,観察できる現象としての形(form)を,型(type)と混同して,民俗資料の類型化論として捉えられていく。
遠藤, 徹 Endo, Toru
現代日本の音楽学は欧米の音楽学の輸入の系譜をひく研究が支配的であるため、今日注目する者は必ずしも多くはないが、西洋音楽が導入される以前の近世日本でも旺盛な楽律研究の営みがあった。儒学が官学化し浸透した近世には、儒学者を中心にして、儒教的な意味における「楽」の「律」を探求する学が盛んになり独自の展開を見せるようになっていたのである。それは今日一般に謂う音楽理論の研究と重なる部分もあるが、異なる問題意識の上に展開していたため大分色合いを異にしている。
小池, 淳一 Koike, Jun'ichi
東日本大震災後の日本社会において,民俗文化がどのような意味を持ちうるのか,具体的には被 災地の瓦礫のなかから民俗文化にかかわる資料を救出することはどのような意味を持ち,さらにそ れらは博物館における展示においてはどのように表象されるのだろうか。こうした点について本稿 では筆者自身が関わった国立歴史民俗博物館の文化財レスキューの経験や実感を通して考察する。
小林, 謙一 春成, 秀爾 坂本, 稔 秋山, 浩三 Kobayashi, Kenichi Harunari, Hideji Sakamoto, Minoru Akiyama, Kozo
近畿地方における弥生文化開始期の年代を考える上で,河内地域の弥生前期・中期遺跡群の年代を明らかにする必要性は高い。国立歴史民俗博物館を中心とした年代測定グループでは,大阪府文化財センターおよび東大阪市立埋蔵文化財センターの協力を得て,河内湖(潟)東・南部の遺跡群に関する炭素14年代測定研究を重ねてきた。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行われてきた、幾つかの系統の研究を整理し(文化人類学的地域性論、地理学的地域性論、歴史学的地域性論)、この「地域性」概念の混乱が研究を阻害してきたことを明らかにし、解釈に混乱の余地のない「地域差」から研究をはじめるべきだとした。この地域差とは何か、何故地域差が生ずるのかという命題に関し、それまでの「地域差は時代差を示す」とした柳田民俗学に対する反動として、一九七〇年代以降、その全面否定の下で機能主義的な研究が展開してきたこと(個別分析法や地域民俗学)、しかしそれは全面否定には当たらないことを明らかにし、柳田民俗学の伝播論的成果も含めた、新たな解釈モデルとして、文化の受容構造論を提示した。その際、伝播論を地域性論に組み替えるために、かつての歴史地理学的な民俗学研究や文化領域論の諸理論を再検討するほか、言語地理学や文化地理学などの研究動向や研究方法(資料操作法)も参考にした結果、必然的に自然・社会・文化環境に対する適応という多系進化(特殊進化)論的な傾向をとるに至った。すなわち地域性論としての文化の受容構造論的モデルとは、文化移入を地域社会の受容・適応・変形・収斂・全体的再統合の過程と把握して、その過程と作用の構造を分析するもので、さらに社会文化的統合のレベルという操作概念を用いることによって、近代化・都市化の進行も視野に含めた、一種の文化変化の解釈モデルであるともいえよう。
秋沢, 美枝子 山田, 奨治
オイゲン・ヘリゲルが戦時中に出版したもののうち、その存在がほとんど知られていない未翻訳エッセイを研究資料として訳出する。ヘリゲルのエッセイは、日本文化の伝統性、精神性、花見の美学、輪廻、天皇崇拝、犠牲死の賛美について論じたものである。その最大の特徴は、彼の信念であったはずの日本文化=禅仏教論には触れずに、そのかわりに国家神道を日本文化の精神的な支柱に位置づけた点にある。
岡田, 祥平 正木, 喜勝
2017年4月1日,公益財団法人阪急文化財団は,財団が所有する各種資料をインターネット上で検索・閲覧できる「阪急文化アーカイブズ」を公開した。「阪急文化アーカイブズ」で検索・閲覧できる資料の中でも,1910年の開業以来阪急電鉄が手がけた事業に関する掲示物や,阪急沿線のイベントを告知する掲示物である「阪急・宝塚ポスター」類は,日本語研究,中でも言語景観研究の貴重な資料となり得る可能性を秘めていると思われる。
中尾, 七重 渡辺, 洋子 坂本, 稔 今村, 峯雄 Nakao, Nanae Watanabe, Yoko Sakamoto, Minoru Imamura, Mineo
放射性炭素年代測定を文化財建築遺構に適用し,その有効性を明らかにした。事例として,国宝大善寺本堂,旧土肥家本家住宅,旧土肥家隠居屋住宅,重要文化財三木家住宅の年代調査結果を報告する。文化財建造物を測定する場合の部材選択や試料採取の方法を示した。部材最外層年代から建築の年代情報を得るために,部材の年代測定から建物の年代判定へ研究発展の必要性を指摘した。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
紀元前4千年紀の福建沿岸の殻坵頭遺跡は、閩江下流域における新石器文化の形成を辿る上で重要であるばかりか、出土遺物から同時期の南中国沿岸の人の移動と文化の交流を示す上で重要である。本稿では殻坵頭遺跡と長江下流域の杭州湾南岸の土器文化として多角口縁釜に着目し、紀元前4千年紀の南中国沿岸地域における地域間交流をめぐる問題を明らかにする。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
日本人の色彩感覚に基づく文化および制度や技術の歴史に関して,これまで多くの研究が行われてきたが,本稿では主として日本の民俗文化において表徴される色彩に焦点をあて,その民俗社会の心意的機能,あるいは庶民の色彩認識についてのアプローチを試みたものである。
李, 暁
喫茶養生観は古代中国の茶文化の発展に対して勢いを助長した働きがあるばかりでなく、更に、栄西禅師の『喫茶養生記』などを通じて鎌倉時代に中国の茶文化を受容する先駆けとして、日本の茶文化の再興の糸口となった。本稿は、中日の茶文化の交流史という視点から、それぞれの喫茶養生説について比較研究を行う。初めに中国唐宋時代の喫茶養生観を紹介する。喫茶と養生とは、陰陽五行や形神一体、道教神仙などの思想の影響を受けて繋がってきた。喫茶養生の具体的な方式は「食療」と「修心」であった。唐代の陸羽の『茶経』の著述の目的と主旨は飲食養生であるという観点を打ち出す。次に日本の鎌倉南北朝時代における『喫茶養生記』を中心としての喫茶養生観と中国のそれとの異同を分析する。中国の茶文化に対する日本の受容は、選択・受け継ぎ・改変・発展というような特色を検討する。最初に養生などのような実用性を際立たせたというのは、茶文化そのものの発展の特有的なルートであることを指摘する。
高橋, 由記
平安後期の後朱雀天皇のもとには、東宮時代を含めて五人のキサキがいた。キサキたちが妍を競ったであろう後朱雀朝の文化圏はどのようなものだったのか。後朱雀天皇やキサキたち、中でも、最後に入内した女御延子に注目して調査・考察した。その結果、諸資料から天皇はもちろんのこと、印象薄いと思われる延子の風雅の様もみてとれた。今回の調査により、後朱雀朝における文化・文学的営為や、延子文化圏の存在感を確認することができた。
石田, 一之 Ishida, Kazuyuki
本稿は、ドイツ語圏における新自由主義の基盤を形成した論者のなかで、みずからの主張を歴史-文化社会学の視点から基礎づけようとしたアレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)の代表著作『現代の位置づけ』並びにその他の著作の検討を通して、歴史-文化社会学的立場に立脚した視点から人間の自由、並びに彼の主要概念である支配を考察し、それとともに、現代における人間の文化的・社会学的状況に関して実質的自由の視点から重要な示唆を得ようとするものである。
山田, 奨治
本論文では認知科学、美術史、文学史、芸道論、知的財産法などをてがかりに、類似性の科学への糸口と社会的要請・意義、情報伝達と創造性の観点からみた模倣の情報文化論の可能性について述べる。類似は人間の学習・認識過程の根底に深くかかわるものであり、模倣は人と人の間あるいは文化と文化の間の情報伝達、さらには創造性の問題に直結する課題を内包している。一九八〇年以降急速に発達した認知科学は、類似とは何かについての基礎を与えてくれるだろう。絵画・陶芸・産業技術史を振り返れば、模倣が円滑な情報伝達と文化のダイナミズムを生み出してきたことがわかる。また模倣と創造性は密接に関連している。日本の芸道では集団的共同体的なものを基盤としながら、その上に繊細で微妙な個性を追加して内面を引き出す感性がみいだされる。その個性は「風」とよばれる。現代のわれわれは、形の模倣の下にある「風」の創造性を感じ取る能力を退化させてしまったように思う。類似性と模倣をめぐる今日的な課題は、知的財産法とりわけ著作権法の諸問題である。著作権法は文化的創作活動の結果を経済財に転換し、経済原理のなかで文化的活動をして富を生み出さしめる効果をもっている。また著作権法ではオリジナリティという近代の幻想を前提としている。類似性と模倣をめぐる考察は、現代の情報文化が取り残しつつある何かを思い起こさせてくれるだろう。
陸, 留弟
「茶芸」は、中国の茶文化のうちで秘やかに育まれてきたものである。古来飲茶は渇きの癒し、精神高揚、友との交わり、縁結びなど「楽」という文化的要素として親しまれてきたが、茶芸の命は、良い茶、好い水、佳い器という基本的要素によって基礎付けられている。
安田, 喜憲
和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
小島, 美子 Kojima, Tomiko
日本の民俗文化の地域性について考える場合、大きくはまず西日本と東日本という二つのグループに分ける考え方が一般的である。しかし日本民謡の音階分析の結果、西日本と東日本の差よりも、日本列島を中央の山脈で縦に分けた太平洋側と日本海側という二つのグループの違いの方が、むしろ強く現われる傾向があることがわかった。そのため本稿ではクサビ締め太鼓の分布を、日本と海外の諸民族について調べ、その分布から日本の民俗文化の地域性について、やはり同じ傾向が見られることを示し、日本文化の形成の問題にも少しふれた。
後藤, 雅彦 主税, 英德
令和4年度戦略的地域連携推進経費地域協働プロジェクト推進事業「久米島の農と文化をめぐる多世代交流プロジェクト」は、「学」(琉球大学)・「官」(久米島博物館)・「産」(結人舎)との連携を行い、「久米島の農と文化」をテーマに「学んで」「語り合う」「伝える」という事業を通じて、多世代交流を軸に久米島の魅力の再発見とその共有化を進めることを目的にした。本稿では、本プロジェクトで実施した「久米島の農と文化」をテーマにした「久米島フィールドワーク」、「久米島セミナー」、「久米島ワークショップ」、「久米島フィールドマップ」について報告する。
北原, 糸子 Kitahara, Itoko
史蹟名勝天然紀念物法(1919)に基づいて,明治天皇が巡幸,行幸で訪れた場所や建物などが明治天皇聖蹟として,国の文化財に指定された。この聖蹟関係史跡に顕著な傾向は,戦前に指定された史蹟,名勝,天然紀念物1,508件のうちの史蹟603件中,377件と圧倒的多数を占めたことである。しかし,これらの文化財は天皇制イデオロギーを支えるものとして,占領下のGHQによって,1948年6月23日文化財指定から一斉に解除された。
真柳, 誠 友部, 和弘
江戸時代、中国の知識は多く書籍を介して伝えられ、日本文化の各面に受容されてきた。日本の伝統医学、本草学、博物学も例外ではない。日本文化の江戸期における発展と深化に、中国書が果たした役割は考慮されるべきである。
大高, 洋司 OTAKA, Yoji
互いに内容の近似した曲亭馬琴の読本『四天王剿盗異録』(前・後編一○巻一○冊、文化三年一月、鶴屋喜右衛門刊)と山東京伝の読本『善知安方忠義伝』(前編六冊、文化三年一二月、鶴喜刊)の関係について、稿者自身の旧稿「京伝と馬琴―文化三、四年の読本における構成の差違について―」、「読本研究」第三輯、平成一〈一九八九〉・六)を大幅に訂正しながら再説し、類似は両作の間のみならず互いの周辺作にまで広がっていることを指摘して、寛政中から文化四年に至る京伝・馬琴の読本の制作・刊行は、そこに版元をも加えた両者の談合を前提としているのではないかとの仮説を提示した。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
本稿は、最近の東アジアの先史文化の地域的枠組みや琉球列島と周辺地域との関わりに関する諸見解や中国大陸系遺物の分布をふまえ、東アジアの先史文化における琉球列島の位置づけについて検討を加えた。そして、研究対象地域として東アジア亜熱帯島嶼域を設定し、台湾との比較で、農耕民の移動や大陸系遺物の広がりを明らかにする視点を検討した。
赤沼, 英男
東日本大震災で襲来した大津波により岩手県太平洋沿岸部の中でもとりわけ深刻な被害を受けた陸前高田市では,津波で被災した4 つの文化施設から救出された被災資料の再生が今も連綿と続けられている。これまでの救援活動を通し,類似する大規模自然災害発生に備えるうえで,地域に伝わる歴史文化資源のデータベース化が極めて重要であることがみえてきた。歴史文化資源のデータベースは研究者のみならず,地域住民,児童・生徒などによる様々な形での活用が見込まれる。それに対応するため,3D 画像やイラスト,動画を加味するなど様々な質のデータ準備も欠かせない。
廣内, 大助 Hirouchi, Daisuke
災害の被災地域では,災害の痕跡を保存することがよく行われている。これは災害の教訓を後世に伝え,再び同じ被害を繰り返さないためのものである。しかしこのことが地域の防災力をどのくらい向上させているのか考えると,非常に効果があると単純には言い難い。濃尾平野の輪中地域に代表されるように,本来災害にあわないために地域ぐるみでの工夫や仕組みが災害文化として存在した。これを受け継ぐことで,地域の防災力を維持してきたのである。水害リスクの低下と,コミュニティの崩壊によって,災害文化が受け継がれなくなった都市住民が災害に遭わないためには,現代の生活に合った新たな災害文化を創出し,受け継いでいく必要がある。河川流域を舞台に活動する市民団体の取り組みをヒントに,新たな災害文化の可能性について考えてみる。
白井, 哲哉 SHIRAI, Tetsuya
本稿は、アーカイブズ学における史料管理論の観点から、地域で展開される被災文化遺産救出態勢の構築のあり方を考察したものである。具体的には、東日本大震災被災地における活動実践の分析を通じ、現地における救出態勢の構築過程を解明するとともに、今後に向けた課題を提出することを目的とした。分析対象として、東日本大震災の被災地である茨城県で被災文化遺産救出活動に従事する茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク準備会(茨城史料ネット)を主に取り上げ、同じく福島県で活動に従事するふくしま歴史資料保存ネットワーク(ふくしま史料ネット)を比較対象とした。
山崎, 誠 YAMAZAKI, Makoto
本邦に於ける漢籍の講誦は学制の定めに見られる如く、特定の注釈に拠ってなされるのを通例とするが、文選の講読は数種の注釈を撰択して訓注を施すものであったらしい。古伝の昭明文選(無注)を会本の注釈で読む故に、互に本文を異にする場合も生じ、訓注も特定の注に限定されぬ重層性を帯びる結果となる。かような事実を古鈔本の欄外注や勘物に認めることが出来る。式家の訓法を伝えると称せられる九条本文選に、それら文選講誦の具体相を探り、本邦にのみ伝存する文選集注の利用状況を解明した。あわせて、平安末期衰微に向う博士家の文選学が、仁和寺を中心とする祖典の注釈活動に利用され、最後の光芒を放つ様相を一瞥した。
小池, 淳一
本稿は『新編会津風土記』を素材に、十九世紀初めの会津地方における歴史および文化が継承される姿とその内容について考察するものである。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
吉田, 裕彦 YOSHIDA, Hirohiko
本報告では日本とラオスとの文化交流史の研究を進めるに当たり、1970 年代前後に天理教名古屋大教会が展開したラオス伝道の実態を把握し、その活動分析から見えてくる新しい視点を展望し、ラオス文化生態史分析の一助となることを目指そうとした。
北川, 浩之
日本文化は日本の自然や社会と親密に結びついている。日本文化をより深く理解するには、その歴史的な変遷を明らかにする必要がある。そのためには正確な時間目盛が必要不可欠である。さらにそれは、国際的な比較から日本文化の研究を進める場合、世界的に認知された共通の時間目盛である必要がある。そのような時間目盛の一つに「炭素14年代」がある。炭素14年代は考古学、歴史学、人類学、第四紀学、地質学などの日本文化に深く関係する研究分野に有益な情報を与えてきた。これらの研究分野に炭素14年代を適用する際、年代測定に用いることができる試料の量が限られ、試料の量の不足から年代測定できないことが往々にある。したがって、少量試料の炭素14年代測定法の確立が望まれている。
仲村, 実久 Nakamura, Sanehisa
(1)タンニンのレーベンタール法による定量で過マンガン酸カリ標準液の添加速度およびマグネチックスタラーによる攪拌速度が同標準液消費量におよぼす影きょうを統計的方法により検討した。(2)添加時間間隔は分散分析の結果5%水準で有意であった。添加容量および1mℓ添加法は有意の差はなかった。(3)添加時間間隔は5秒が最も良好と推定されたが, 10秒における攪拌速度を異にするデータを推定してマグネチックスタラーの速度をFastにすれば5秒のときと同程度の分散が得られたので, 添加容量5mℓ, 添加間隔10秒, 攪拌速度Fastの条件で定量を行う滴定法を提唱する。(4)上記方法で荒茶のタンニン含量を測定したら分析の精度は平均値に対して±7%程度のふれがあった。
張, 平星
2022 年6 月12 日(日),日文研共同研究「日本文化の地質学的特質」の初めての巡検を,京都の名石・白川石をテーマに,その産出と加工,産地の北白川地域の土地変遷と石の景観,日本庭園の中の白川砂の造形・意匠・維持管理に焦点を当てて実施した。地質学,考古学,歴史学,宗教学,哲学,文学など多分野の視点から活発な現地検討が行われ,比叡花崗岩の地質から生まれた白川石の石材文化の全体像を確認できた。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
民族誌学によるコミュニケーション研究に基づいて,本稿では言語行動にあらわれる文化的シンボルがどのような働きをするのかを考察する。特に,言語行動がどの様に社会変化もしくは文化変容を促すのか,事例研究の比較分析を通して変化構造の一端を解明することが本論の目的である。ウエスタン・アパッチ(米国)とサプラ(イスラエル)の言語行動を事例として挙げ,奥深い意味を持つ文化的シンボルが深層で複雑に相互作用する過程を詳しく調べてみた結果,言語共同体に特有な「話しことば」は社会変化あるいは文化変容の重要な媒体であることがわかった。社会の変化は言語共同体に特有なコミュニケーション行動による第一次テクストと代替テクストの相互作用や,それに基づくアイデンティティーの再認識と創出の繰り返しの中で遂行される。こうしたコミュニケーション行動の具体例としては,コードの切り替え(Code-Switching)や話しことばの儀式(Communicative Rituals)が挙げられる。従って,コードの切り替えや話しことばの儀式に注目してコミュニケーション行動を分析すれば,特定の言語共同体における話しことばの文化的意味を発見する大きな手がかりが得られることを本稿では論証する。
モートン, リース
恋愛の概念は、世紀末の日本において近代的繊細さが発展していく上で、大切な構成要素であるという認識が高まってきている。本論は、一八九五年から一九〇五年までの間に発行された総合雑誌『太陽』と同人雑誌『女學雜誌』を調べて、恋愛観がどう発展し、理解されていたかを検討するものである。これは、国際日本文化研究センターの鈴木貞美教授主催の共同研究「総合雑誌『太陽』」の一環である。ここでは、歴史上「恋愛」という観念が現れる現象的様式として、文化、特に文芸に焦点を当てている。『太陽』のような総合雑誌を経験的に検討することにより、文化・文芸史を書き換えていく基盤を築き、そして日本とヨーロッパの思想様式を比較文化的に検討する土壌を確立しようというものである。
国際日本文化研究センター, 資料課電子情報係
国際日本文化研究センターでは、収集した日本研究資料のデジタル画像をはじめ、研究成果や他機関の日本研究資料などをデータベース化し、インターネットで公開しています。
住吉, 朋彦 Sumiyoshi, Tomohiko
国立歴史民俗博物館は、開館当初から日本の印刷文化を重視し、中世以前将来の中国刊本、日本中世の刊本や、朝鮮版など、多くの古版本を蒐集して来た。その中でも、中世の印刷文化を体現する諸版本の収蔵は特に篤く、二十餘種もの五山版を擁することは、新設の機関として極めて異例である。
Kobayashi, Masaomi 小林, 正臣
本稿は、これまで人文科学において広範に実践されてきた「文化的研究(Cultural Studies)」の在り方について検証している。自然科学における実証と異なり、人文科学における論証は、なるほど厳密な客観性を要求されない場合が往々にしてある。したがって、ある社会における文化と別の社会における文化に、あるいは一つの社会における複数の文化の相違に個別性と連続性を見出しつつ、それらの問題を文化の問題として論じることには、それなりの学問的価値はあるだろう。しかし、Bill Readingsが指摘するように、個々の集団間の差異性と連続性の問題を「文化」という観点から総括してしまうことには議論の余地がある。なぜなら、それは否定的な意味における還元主義的な論法となる危険性があるからである。一方、社会科学においても還元主義的な論法は存在する。たとえば、新古典派経済学は、社会における人間の活動を利益の追求または最大化という観点のみから説明する傾向がある。かくして本稿は、人文科学(例えば文学)と社会科学(例えば経済学)の学際性を図る際には、それら学際的研究の個々が「特殊(specific)」であるべきであり、学際性を総括的な概念としてではなく、永続的に追求されるべき概念として捉えることを提唱している。
Hijirida, Kyoko 聖田, 京子
ハワイ大学東アジア言語・文学科では2004年秋学期より新講座「沖縄の言語と文化」を開講した。それに先立つ2年間の準備期間中に,担当教員2人(聖田京子,Leon Serafim)が,ハワイ大学及びハワイ地域社会の支援を得て,沖縄へ赴き資料収集を行った。琉球大学等とのネットワークを形成すると共に,豊富な資料・教材を収集することができ,講座開講に向けて,教材作成を中心とするカリキュラムの準備を順調に進めることができた。 コース内容は文化を中心にした楽しい沖縄学と,聞き,話し,読み,書きの4技能の習得及び基本的な言語構造を理解する沖縄語の初級レベルを設定した。言語学習には,まず表記法と,言語と文化の教科書を決めることが重要な課題であったが,琉球大学と沖縄国際大学の関係者の支援により解決することができた。 文化に関するコース内容は,年中行事,諺,歴史上の人物,民話,歌(琉歌を含む)と踊り,料理,ハワイの沖縄コミュニティーなどの領域を取り上げた。特に,沖縄の文化的特徴や価値観などを表すユイマール,イチヤリバチョーデー,かちゃーしーなどは,クラスのプロセスで実践による習得を目指した。 基本的な学習が終わると,学生は各自のテーマで研究し,ペーパーを書き,発表することとし,それによりクラス全員が更に沖縄学の幅と深みを加え,沖縄理解に至ることを目指した。 学生の取り上げた研究テーマは,沖縄の基地問題や平和記念館,平和の礎,ひめゆり部隊,沖縄の祭り,行事,観光,エイサー,歌手,空手,三線,紅型,ムーチー(民話),紅芋など多岐にわたっており,学生の沖縄に対する関心の幅広さがうかがわれた。 当講座の全体の教育目標は以下のように設定した。1)沖縄語の言語研究上の重要性を理解すると共に,基本文法を習得し,初級レベルでのコミュニケーション実践をタスクで学ぶ。2)沖縄文化を理解し,その価値観や考え方をクラスでの実践を通して学ぶ。3)ハワイにおける沖縄県系人コミュニティーの文化活動に気軽に参加し,かつ楽しめるようになる。 当講座は,開講以来,受講希望者がコースの定員を上回る状況であり,当大学の学生の沖縄の言語や文化への関心の高さを示している。かちゃーしーやユイマール,沖縄料理などの文化体験は大変好評で,講座終了後のコース評価では,沖縄語をもっと学びたい,沖縄文化をもっと知りたいという学生からの声が多く寄せられた。
川村, 清志 Kawamura, Kiyoshi
本論は,「文化資源」として利用される祭りや民俗芸能についての視座をフォークロリズムとして再分節化することを目的としている。
菅, 豊 Suga, Yutaka
日本においてサケは,最も複雑な民俗を形成した魚類の1つであり,その民俗は北方文化を基盤として新たに何かを付加されたり,あるいはまったく新しいものへ形を変えられたりしながら日本特有の展開がなされてきた。本稿では北方文化から連なる文化背景を基盤として,その上に覆い被さっている日本的なサケの民俗の要素について検討し,こういった日本特有の展開,表出の問題を考えていく。具体的には,日本のサケ儀礼へ民間宗教者が如何に介在し,どのような特殊性を生成したかということが眼目に据えられている。
川村, 清志 葉山, 茂 Kawamura, Kiyoshi Hayama, Shigeru
本稿は,文化財レスキューで見出された昭和初期の日記資料を端緒として,複数資料を用いた民俗文化の編年的記述の再構成に必要な手続きを提示することを目的とする。以下では特定地域の複数の文献資料を重ね合わせることで,各々の資料の特質を理解しつつ,データの階層化と並列化を促進したいと考えている。
大高, 洋司 OTAKA, Yoji
山東京伝、曲亭馬琴の諸作の相互関係を中心に〈稗史もの〉読本の形成過程を跡づけようとする際に、文化三、四年(一八○六〜七)刊行の作については、従来はかばかしい説明がなされて来なかった。本稿では、まず、そこに至る京伝、馬琴の読本二七作の素材について、各作品の構成・趣向・主題にとっての重要性を再検討し、新たな基準で分類を施して一覧表として提示した上で、この時期京伝、馬琴が共に目指した方向が最も高いレヴェルで結実したのは、京伝『桜姫全伝曙草紙』(文化二・一二刊)であると結論づけた。また、これによって、京伝、馬琴は文化四年まで兄弟作者であるという稿者の仮説を一歩進めた。
山本, 理佳 Yamamoto, Rika
本論文は,近年の日本で極めて広範な対象を文化資源化している「近代化遺産」をめぐる動きを明らかにすることを目的として,とくに軍事施設までもが文化資源化される現象を取り上げた。すなわち,軍事施設の機密性と文化遺産の公開性との根本的な対立にもかかわらず,いかにして軍事施設の「近代化遺産」化が進んでいるのかをとらえた。対象としたのは,米海軍や海上自衛隊の大規模な「軍港」を抱える長崎県佐世保市である。佐世保市では,それら「軍港」内の施設の多くが戦前期に旧海軍が構築した「歴史的」建造物であることから,それらを「近代化遺産」として活用しようとする動きが1990年代半ばから活発化している。
竹沢, 尚一郎
2005 年はヨーロッパ各国で,文化の名による問題が噴出した年であった。
国際日本文化研究センター, 図書館
2003年4月から2019年3月の間に図書館に入った資料のうち、「大衆」「文化」のキーワードを持つものをピックアップしました。気になる本がありましたら、ぜひ図書館でご利用ください。
柏岡, 富英
本稿の目的は、日本人が社会生活のさまざまなレベルで、意識的・無意識的にどのような「言いわけ」(行為の正当性に関する言明)を使っているかについて比較文化の視点から研究を行うことにある。あらゆる文化の根底をなす「すべし・すべからず」の原理は、その成員にとってあまりにも自明のことであり、普段は意識に上らないほどに当然の事柄であるために、直接的な方法では調査の対象となりにくい。
嘉数, 朝子 井上, 厚 當山, りえ Kakazu, Tomoko Inoue, Atushi Toyama, Rie
本論は、心理ストレスと対処行動に関する比較文化的研究の文献検索システムPsycLITを用いて論文概要を展望したものである。整理の観点としてAldwin(1994)が挙げるつぎの4点、(1)ストレッサーのタイプ、(2)ストレスフル度の査定、(3)対処方略の選択、(4)文化が提供する社会的資源を使って個々に比較考察した。最後に沖縄県における心理ストレスと対処行動の研究にむけて、環境要因や個人内要因の点から検討した。
向井, 洋子 Mukai, Yoko
占領期沖縄におけるアメリカの文化政策は、アメリカ統治を円滑にすすめるための働きかけを市民に行っていくことだと考えられてきた。そして、アメリカ軍政府が設立した琉球大学や琉米文化会館は、その文化政策を実行する場とみなされてきた。しかし、なかには政府や大学という公的な枠組みを超えて、独自の関係を築いた人物がいた。琉球大学家政学科の翁長君代である。本稿は、元来、「人好きのする、親しみやすい」性格であった翁長が、アメリカ人と接するなかで、公共性をもつ慈善活動に目覚め、アメリカ軍政府の本音とは異なる方向で活動の輪を広げていった過程を論じる。
本康, 宏史 Motoyasu, Hiroshi
本稿では、北陸の「技術文化」の諸事例を紹介し、地域社会における蘭学知識との影響関係を確認するため、加賀藩域を中心とした概括的な検証を試みた。
朝岡, 康二 Asaoka, Kouji
本稿は,柳田國男が大正9年の暮れから大正10年の3月にかけておこなった南島紀行の成果である『海南小記』ならびに『炭焼小五郎が事』において,沖縄の職人文化の伝承をどのように理解したかを「鉄器加工」をめぐって検討しようと試みたものである。柳田はここですでに鉄器文化の南下説を示しており,それに随伴した口承文芸として炭焼小五郎を位置づけたのであるが,その根拠となった沖縄の「カンジャー小屋」や「旅の鋳物師」に対する理解は,本土のさまざまの伝承によって説明されているにもかかわらず,あるいは,であるから故に,必ずしも当時の沖縄の金属加工文化の実態を反映したものではなかった。ここに早くも柳田の南島観を伺うことができる。
森岡, 卓司
本稿は、1946年に山形で発行された雑誌『労農』の検討を通じて、占領期における地方文化運動の一側面について明らかにしようと試みる。
今村, 啓爾 Imamura, Keiji
ランヴァク遺跡は,ベトナムのゲアン省に所在するドンソン文化期,紀元前1~2世紀頃の遺跡である。この時代は,ちょうど日本の弥生時代のように,個性的な青銅器が発達し,鉄器の製作,使用も開始され,稲作を基礎とした社会が国家形成に向けて大きな変化を見せた時代である。1990~1991年ベトナム日本共同調査隊が行った発掘調査では,現在水田となっている谷をはさんで,東側の墓地遺跡(ランヴァク地点)と西側の集落址(ソムディン地点)が調査された。青銅器との関連で重要なことは,墓地遺跡で砂岩製の斧の鋳型が出土し,集落址では鋳型片や溶けた青銅の付着した土器から青銅器鋳造に使われたとみられる炉址が発見されたことである。ランヴァク遺跡はドンソン文化の広がりのなかではかなり南に位置し,ベトナム北部,中国南部ばかりでなく,ベトナム中・南部のサフィン文化やタイのバンチェン文化など周辺の広い地域との関連が見られる。
西本, 裕輝 Nishimoto, Hiroki
沖縄の低学力問題が指摘されて久しいが、問題は未だに解決しているとは言い難い。ここでは低学力の要因として特に、文化的要因、パーソナリティ要因に注目した。沖縄県内外に位置する中学校における調査データの分析の結果、沖縄の比較的ポジティブなパーソナリティが学力にマイナスの影響を与えていること、また、文化的影響も間接的ながらあることが明らかになった。
木村, 慶太 山田, 幸生 中牧, 弘允
南米発祥のエケコ人形について文化人類学的な視点を提示し,それにもとづき製作を行った。
Kobayashi, Masaomi 小林, 正臣
本稿は、ユダヤ系アメリカ人のBernard Malamudの作品において、どのように「多文化主義(multiculturalism)」が構築され実践されているかを検証する。特に注目した作品は“The First Seven Years”や“The German Refugee”などの短編およびThe Assistantなどの長編であり、これらにおいて「他者性(otherness)」が「共者性(anotherness)」へと変容していることを発見することで、作者独自の多文化主義が実現されていることを論証する。\n以上の点を論じるうえで重要なことは、文学の役割である。Malamudの文学作品には、文学作品を媒介として人物たちが関係を深める場合が往々にしてある。すなわち、文化的背景の異なる人物たちは、同一の作品を読むことで相互の交流の契機を見出し、結果として自己に対する「他者」は「共者」として認識される。そして相互の交流は、Mikhail Bakhtinが唱える「対話法(dialogics)」によって促進される。具体的には、上記に挙げた作品の主要人物たちは、話すことによる意思疎通という「外的な対話(external dialogue)」と、書くことによる意見交換という「内的な対話(internal dialogue)」を同時に実践している。それにより「ユダヤ系」と「非ユダヤ系」という二項対立が相克され、ついには人物たちは相違を認識したうえでの共者間の交流を実現するに至る。\nさらに本稿では、多文化主義が教育においても重要であることを説く。文化的背景という点においては、多くの場合、学生と学生ならびに教師と学生は異なる人間である。この意味において、多文化な環境(特に大学)における人間同士の共者性を育む場は教室であり、そこで文学作品を読むことは多文化主義を実践することと不可分である。かくして、Malamudの「文学(writings)」は理念的かつ実践的な「教学(teachings)」でもあると結論する。
金, 紋廷 方, 貴姫 金, 彦志 韓, 昌完 Kim, Moonjung Bang, Guihee Kim, Enonji Han, Changwan
日本と韓国の企業メセナ活動は、1990 年代から企業の社会的責任の一環として注目されてきた。特に、日本では、世界的な不景気や東日本大震災による厳しい経済状況にもかかわらず、持続的かつ長期的なメセナ活動に取り組んでいる。そこで、本稿では、日本の企業メセナとして障害者文化・芸術活動を支援している事例に焦点をあてて分析した。その結果に基づいて、今後、韓国の企業メセナによる障害者文化・芸術活動を活性化させるためには、1)障害者文化・芸術活動支援に関した情報交流、2) 障害の特性を考慮した長期的支援、3) 障害者と健常者が直接的に触れ合う機会提供、4) 障害者の芸術活動が経済的自立につながるような支援が必要であると提案した。
田, 云明
日中文化交流において、仏教者による文化導入の重要性が日本の特牲として指摘されている。渡唐した留学僧は、国から派遣された知的エリートとして、仏教経典を研鑚するのみならず、作詩を含む文化活動にも参加した。彼らの文壇での活躍ぶりは、すでに『懐風藻』などの漢詩集に現れている。ここで注目されるのが、僧侶による詩作に隠逸志向を表す表現が少なからず見出せるということである。仏教修行の僧侶が隠逸表現を詩作に詠み込むことは、当時の僧侶が隠者という観念上の存在と同一視される契機となった。本稿は、公的文化伝播者・布教者という特殊な立場に置かれた僧侶に注目し、彼らの詩作、彼らに纏わる僧伝に現れた隠逸表現、及び同じく文壇で活躍する宮廷人の詩作に見られる僧侶観について考察し、文学表現における僧侶と隠者のつながり、さらに日本における隠逸表現の受容と再構築における僧侶の役割を究明しようとするものである。
村上, 紀夫 Murakami, Norio
本稿に与えられた課題は内なる異文化としての被差別民について論ずるというものであったが,ここでは大坂のかわた村,渡辺村に関する絵図の読解を通じて近世における被差別民の具体像と社会の意識のずれを明らかにすることを目指したい。渡辺村は17世紀後半には渡辺村が下難波村領にあったが,当時の空間構造については先行研究でいくつかの復元が出されているが若干の検討の余地を残している。下難波村領所在時の渡辺村は「由来書」と絵図の景観を対照させると村を南北に走る3本の道を主軸としてE字型をした4町を基準とし,後に2町が接続し南側に拡張した景観をしていたと考えられる。こうした景観は元禄期に木津村領内に移転した後の景観にも影響を与えている。先行研究で指摘されているように下難波村当時の町共同体を維持するため空間的にいくつかの無理を看取することができる。いずれにせよ,渡辺村は移転前後ともに一貫して町としてのまとまりをもち,その景観にも共同体の存在が影響をあたえていたことが知られる。しかしながら,近世に作成された最大・最詳といわれる版行大阪図『増修改正摂州大阪地図』では,町の景観は複雑な道の曲折まで表現しているにもかかわらず,この図では渡辺村を「穢多村」と一括りに身分名で表記するのみで,町の名称まで記載されていない。本図の作成者がこうした情報の取捨選択をした背景には何らかの基準があったはずである。まず想定される地図利用者にとって必要な情報の最大公約数的な部分を掲載すると考えれば,省略された部分は必要ないと判断された情報であるといえよう。つまり,木津村の町名は必要であるが,渡辺村についてはそこが「穢多村」であること,町場を形成していることがわかれば十分である,ということであろう。こうした絵図における情報の取捨選択から,近世大坂における社会の被差別民への視線と意識を読み解くことができるのではないだろうか。
高, 茜
中国雲南省の納西族は古くから漢文化を受容してきたことで知られている。
神谷, 智昭 神谷, 幸太郎 上原, 三空 幸地, 彩
琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム社会人類学研究室神谷ゼミは2022年11月25日~27日に「久米島の農と文化」に関する現地調査を久米島でおこなった。久米島では在来農業とは異なる新しい農業に取り組む人びとがおり、その活動は地域貢献にもつながっていた。また学生の視点から久米島の遺跡や史跡について調べることを通じて新しい価値や意味の発見を試みた。
高良, 鉄夫 Takara, Tetsuo
1.本文は尖閣列島の海鳥の生息状況について述べたものである。2.尖閣列島における海鳥の分布は, 各島によって, その様相を異にする。その起因は各島の地形, 地質, 地物が海鳥の生息を許容する生態的要因を備えているか, どうかにかかっており, 食物は有力な条件にはならない。3.従来尖閣列島から知られた海鳥のうち, アホウドリDiomedea albatrus, クロアシアホウドリD. nigripesはすでに跡を絶ち, その他の海鳥も年を経るにつれて激減している。4.アホウドリDiomedea albatrus, クロアシアホウドリD. nigripesが跡を絶った主な原因は, 羽毛採集のための乱獲と野生化したネコによる加害であり, その他の海鳥の激減は, 漁夫による最近の乱獲が主な原因と思われる。5.尖閣列島は, 琉球近海における海鳥の著名な繁殖地であり, 学術的ならびに資源保護の立場から早急に保護の方策を講ずる必要がある。
宮里, 興信 Miyazato, Koshin
香港製紅〓 (アンカー)から分離したM.N0.5の培養試験を行なった。試験結果を要約すればつぎの通りである。(1) 麹汁、同寒天、パン、馬鈴薯、甘藷、蒸米、牛乳等の培養基にはよく繁殖し色素の生産も良好であった。(2) 各穣培養基上の繁殖適温は30°~35℃ であった。(3) Monascus菌は一般に酸性肉汁では繁殖悪るく色素の生産も不良であると云われているが、M.N0.5は肉汁および同寒天培養基(pH 5.4)でも良く繁殖し色素の生産も良好であった。(4) 皴培養基では繁殖悪るく色素の生産も不良であった。(5) M.N0.5は各種天然培養基上での繁殖状態が東洋産Monascus pilosusによく似ているが、酸性肉汁および同寒天培養基にも良く繁殖し色素の生産も良好である点では該菌と著るしく異っている。
下野, 敏見
トカラ列島から奄美・沖縄の琉球文化圏の墓制は、亀の甲墓や破風墓、積石墓、崖下葬、その他、いろんなタイプがある。墓制によって、また地域によって先祖祭りの仕方もちがってくる。
近藤, 功行 Kondo, Noriyuki
本研究では,これまでの与論島を中心とした琉球文化圏における筆者のフィールドワークを発展させて,現在用語構築を模索して概観する。本用語は長寿科学研究における新たな用語として提言したいものである。筆者は琉球文化圏における長寿科学研究をとおして,社会・文化的要因の解明に努めてきた。そのプロセスや現在携わる医療福祉教育を通して,今後のわが国の長寿科学研究には「長寿」や「死生観」「QOL」といった概念を統合した形での『適寿』の必要性を感じた。そこで,これまでの筆者の研究結果や学生へのアンケートから『適寿』について考察し,今後の長寿科学研究を見据える材料として提示してみる。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
多様な展開をもつ東南中国の先史文化について、これまで各地域文化が保有する土器群の変遷、とくに共通性と地域性に焦点をあててきた。本稿では福建北部~広西壮族自治区南部に至る東南中国の沿海側に多数の貝塚遺跡が分布していることから、貝塚遺跡を共通項にして、地域文化を形成する各遺跡に立ちかえり、遺跡の立地を踏まえた貝塚遺跡の概要と検出遺構について整理する。当該地域の貝塚遺跡は紀元前4000年紀以降に出現し、新石器時代後期(紀元前3000年紀以降)に展開し、紀元前2000年紀以降、黄河中流域\nで初期国家が成立する前後になると貝塚遺跡も変化する様子がうかがえる。その変化の一つとして、環境の変化に応じた居住形態の多様化を明らかにする。
鶴崎, 裕雄 大利, 直美 TURUSAKI, Hiroo Naomi
本稿は国文学研究資料館の大阪府貝塚市の願泉寺及び中庄新川家の文献調査に関わる調査研究報告の一環である。願泉寺と新川家は深い関係にあり、両者は江戸時代を通して大阪府南部の、泉南地域の文化の中心的存在であった。領主的存在であった願泉寺住職ト半一族の『紀の路御遊覧日記』を翻刻して近世文化の一端を窺うことができる。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
本稿は最近における日本の社会文化の地域性研究の学史的考察である。日本の地域性研究を時期的に区分して,1950年代から1960年代にかけて各分野で地域性研究が活発に行われた時期を第1期とすれば,最近の地域性研究は第2期を形成しているといえる。第2期における地域性研究の特徴は,第1期に展開された地域性論の精緻化にくわえて,新たな地域性論としての「文化領域論」の登場と,考古学,歴史学などにおける地域性研究の活発化である。1980年以降の地域性研究の展開にあらわれた変化は次の3点に要約することができる。まず第一は,従来の地域性研究が家族・村落などの社会組織を中心としていたのに対して,幅広い文化項目を視野にいれて地域性研究がおこなわれるようになったことである。地域性研究は「日本社会の地域性」の研究から「日本文化の地域性」の研究へと展開したのである。第二は,これまでの地域性研究が現代日本の社会構造の理解に中心があったのに対して,日本文化の起源や動態を理解するための地域性研究が登場したことである。とくに文化人類学や歴史学・考古学のあらたな地域性論は,このことがとりわけ強調されているものが多い。第三は,これまでの地域性研究が社会組織のさまざまな類型をまず設定し,その地帯的構造を明らかにしてきたのに対して,1980年以降の地域性論では,文化要素の分布状況から東と西,南と北,沿岸と内陸などの地域区分を設定することに関心が集中するようになったことである。つまり「類型論」にくわえて「領域論」があらたな地域性論として登場したことである。本稿では地域性研究における類型論と領域論の差異に注目しながら,これまでの地域性研究を整理し,その問題点と今後の課題,とくに学際的な地域性研究の必要性と可能性について考察した。
八巻, 一成 Yamaki, Kazushige
本研究の目的は,保護地域においてかつて行われた森林開発の持つ現代的意味について,保護地域における「保護」概念の検討,および保護地域に残る林業遺産の事例を通して明らにすることである。そこで,日本の中核的な保護地域である国立公園を取り上げ,「保護」概念について世界的な視点を踏まえつつ検討した。つぎに,北海道の国立公園を事例として森林開発の歴史や林業遺産の現状を検討し,林業遺産が持つ意義や保存の現状と課題について考察した。その結果,日本の国立公園は,「生態学的プロセスの保護を目的とした自然性の高い地域」とともに,「長年にわたる人と自然との相互作用が形成した特徴の保護を目的とする地域」を対象としており,前者は原生的な自然環境,後者は文化的景観を保護対象としていると考えられた。国立公園ではかつて大規模な森林開発が行われた歴史があり,そうした森林開発によって形作られた森林景観は,文化的景観という側面を持っている。文化的景観は文化遺産としての価値を有しており,さらに当時の森林開発に関わる施設の遺構などは林業遺産としての価値を有していると考えられる。そこで,北海道の支笏洞爺国立公園,大雪山国立公園内に残る林業遺産のうち,森林鉄道に関連する遺構に焦点を当てて現状把握を行った。その結果,多くの遺構は保存状態が悪く,いずれは消滅してしまう状況にあることが明らかとなった。文化遺産の概念が神社仏閣や遺跡から産業遺産までも含むものへと拡張して生きているこんにち,伐採跡地や人工林といった文化的景観と一体となって地域に残る林業遺産は,現行の保護地域制度では保護の対象とはなりにくいものの,人と森林との関係性の記憶を現在にとどめる文化遺産として,保護地域においても大きな意味を持っており,そうした遺産を積極的に保存していくこともまた,保護地域の役割として重要な意味を持っていると考えられる。
伝, 康晴 小木曽, 智信 小椋, 秀樹 山田, 篤 峯松, 信明 内元, 清貴 小磯, 花絵 DEN, Yasuharu OGISO, Toshinobu OGURA, Hideki YAMADA, Atsushi MINEMATSU, Nobuaki UCHIMOTO, Kiyotaka KOISO, Hanae
コーパス日本語学への応用を指向した形態素解析用電子化辞書UniDicを開発した。大規模コーパスに対する形態論情報付与作業には,計算機を用いた形態素解析システムの利用が不可欠であるが,既存の形態素解析システム用辞書には,コーパス日本語学への応用を考える上でさまざまな不都合がある。1つは,単位の認定がある場合には長く,ある場合には短いといった不揃いがあることであり,もう1つは,異表記や異形態に対して同一の見出しが与えられないということである。言語研究で重要な要件となる,このような単位の斉一性や見出しの同一性への対処といったことを中心に,本電子化辞書の設計方針とそれを実装した辞書データベースシステムについて述べる。さらに,この設計の有用性を示すため,表記や語形の変異に関するコーパス分析の事例を紹介する。
東, 清二 金城, 政勝 Azuma, Seizi Kinjo, Masakatsu
焼畑農耕とその常畑化過程に関する農地生態学的研究の一環として, 西表島に設置した焼畑区, 焼畑改良区, 改良区及び自然林において昆虫類を採集し, その群集構造について検討したところ次の結果を得た。1.改良区及び焼畑改良区では焼畑区や自然林に比べ, 昆虫類の群集構造は目, 科, 種レベルで単純であった。2.目レベルにおける群集構造は優先度からみて次のとおりで, 改良区と焼畑改良区の構造は他区のそれとはかなり異っていた。Impr.-Hemiptera>Hymenoptera>Diptera>Coleoptera>Orthoptera Semi-Hemiptera>Hymenoptera>Diptera>Coleoptera>Orthoptera Shif.-Hymenoptera>Hemiptera>Coleoptera>Diptera>Orthoptera Nat.-Diptera>Hymenoptera>Coleoptera>Hemiptera>Orthoptera 3.種類数は改良区で14種, 焼畑改良区で20種, 焼畑区で55種で, 自然林では141種であった。種多様度指数(Simpson's index)は, 改良区, 焼畑改良区では極めて低く, 焼畑ではやや高く, 自然林では極めて高かった(Table 5)。
楊, 際開
溝口雄三(1932~2010)の中国研究は多くの日本学者による日本文化論考と同じく、津田左右吉(1873~1961)が唱えたナショナルな思想史・文化史の枠組みに立脚しているが、筆者は近代中国研究における思想と革命の研究において、近代日本からの思想的な要因という問題に直面し、東アジア全体の動きとからませることで、近代日本の動きを議論の中心に据えようとするのである。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
水と人間の関係に関しては多岐にわたるが、考古学的に水利用に関わる遺構ということになると、人工構築物である井戸は大きな存在であり、日本においては弥生時代以降、稲作文化複合として社会的な要求として井戸掘削が行われたとされる。中国における稲作先進地域である長江下流域では新石器時代から井戸を伴う遺跡が多く、稲作が南へ拡散する時期である紀元前2000年以降の馬橋文化においても素掘り井戸が継続して掘削される。本稿では、この馬橋文化にいたる長江下流域における井戸掘削の流れと周辺への広がりについて検討し、水と人間との関係として井戸掘削の背景について若干の考察を加えた。
稲, 雄次 Ine, Yuji
江戸時代中期から盛んになった人形芝居は,文楽・人形浄瑠璃として今でも国立文楽劇場(大阪・日本橋)で演じられている。それは集団伝統の伝統芸能として,その伝え継ぐ姿勢がハッキリと確立されているからである。民俗の変容が叫ばれている昨今,人形芝居というものを素材にして,その集団的,組織的な伝承文化と,個人的,非組織的な伝承文化の比較をこころみてみた。
迫田, 久美子 小西, 円 佐々木, 藍子 須賀, 和香子 細井, 陽子 SAKODA, Kumiko KONISHI, Madoka SASAKI, Aiko SUGA, Wakako HOSOI, Yoko
本稿は,共同研究プロジェクト「多文化共生社会における日本語教育研究」が進めている多言語母語の日本語学習者の横断コーパス(通称I-JAS)について概説した。
本田, 康雄 HONDA, Yasuo
式亭三馬は滑稽本「浮世風呂」の作者として有名であるが、当時の文壇にあって彼はいかなる文芸を追求したのであろうか。また真にこの作者の支えとなった作品は何か。その点では先ず文化三年の合巻「雷太郎強悪物語」の大当りを考えたい。この作品なしには式亭三馬は成立しなかったであろう。また、「敵討安達太郎山」「力競稚敵討」など文化期初頭の悪漢小説、残酷小説で三馬は有名になったのであるが、三馬の作風は「雷太郎強悪物語」と文化五年の草稿「坂東太郎強盗譚」を結ぶ線で考えたい。それはまた文化三年に書き始められた読本「阿古義物語」の中心人物、白波雲平の悪漢像とも共通するところである。これらの悪漢は読本の創作方法を合巻にとり入れたところに生じたのではなかろうか。この三馬の合巻の作風はともかく生涯にわたってみられ、遺稿「雲龍九郎倫盗伝」は楽亭西馬、仮名垣魯文によって書き継がれて幕末に及んでいる。ここに年少者を中心とする庶民大衆の夢が表現されているのではなかろうか。
山田, 奨治
この論文では、日文研でのCMの共同研究の成果を踏まえて、テレビ・コマーシャル(CM)による文化研究の過去と現状を通覧する。日本のCM研究は、映像のストックがない、コマーシャルを論じる分野や論者が極めて限定されていたという問題がある。CMによる文化研究という面では、ロラン・バルト流の記号分析を応用した研究が八〇年代初頭からみられた。しかし、研究の本格的な進展は、ビデオ・レコーダが普及した八〇年代後半からだった。その後、CMの評価の国際比較、ジェンダー、CM作品の表現傾向と社会の相関を探る研究などが生まれた。
山本, 登朗 YAMAMOTO, Tokuro
二〇一八年(平成三十年)五月三十一日に国文学研究資料館で開催された地域資料専門員会議(旧「調査員会議」)において、シンポジウム「魅惑の鉄心斎文庫―伊勢物語の〈文化史〉―」が行われた。
宮城, 朋世
本研究は、「先住民の方法論」(indigenousmethodologies)の視点に立ち、「しまくとぅば」ニュースピーカーの継承プロセスを「文化化」(enculturation)の視点から考察し、「しまくとぅば」を再生する意義を社会的機能の側面から捉え直すものである。「文化化」は、歴史的に抑圧された経験を持つ先住民コミュニティにおいて自身のルーツの文化的要素とつながり、そこに意義を見出していく脱植民地化のプロセスの一つとされる。本研究では「文化化」のプロセスが「しまくとぅば」継承の文脈においてどのように見られるのかをライフストーリーとして記述し、さらに、それぞれの語りをSCAT(StepsforCodingandTheorization)を用いて分析することで、「文化化」を軸にした「しまくとぅば」の継承プロセスとその機能を概念的に捉えることを目指した。また、その分析結果をもとに、今後「しまくとぅば」の継承アプローチとして重要と考えられる視点を考察した。研究の結果「文化化」のプロセスから「しまくとぅば」の継承を捉えると、ニュースピーカーには主に三つの社会的機能があると考えられた。一つは、自分らしさの獲得といったような、エンパワーメントの側面であり、二つ目は家族や身近な話者とのつながりの充実であった。そして三つ目は沖縄に対する関心の高まりと社会参画意識の高揚であった。そして分析の結果、ニュースピーカーの「しまくとぅば」継承の軸となっている要素は「沖縄」という集団的アイデンティティに対する思いよりも、極めて個人的な経験であると考えられた。したがって、ニュースピーカーの継承プロセスとして最も重要なことは身近な話者と「しまくとぅば」を介したつながりをもつことであり、世代間のつながりの中に「しまくとぅば」が意味づけされることが重要であると結論づけた。また、身近に話者がいなくなることが想定される将来的には、本研究で提示したような社会的機能に価値を見出すことが必要になると考察した。
光谷, 拓実 Mitsutani, Takumi
わが国では,歴史学研究者の多くが長年にわたって待ち望んでいた年輪年代法が1985年に奈良文化財研究所によって実用化された。年輪年代法に適用できる主要樹種はヒノキ,スギ,コウヤマキ,ヒバの4樹種である。年代を割り出す際に準備されている暦年標準パターンは,ヒノキが紀元前912年まで,スギが紀元前1313年までのものが作成されており,各種の木質古文化財の年代測定に威力を発揮している。
Uehara, Kozue 上原, こずえ
本論文は,1970年代の沖縄における金武湾闘争,そしてハワイにおけるカホオラヴェの運動に着目し,抵抗運動における「伝統」文化の実践に関する新たな視点を提示する。金武湾闘争は沖縄の復帰後の1973年に始まり,金武湾の宮城島―平安座島間の埋立て,石油備蓄基地・石油精製工場の建設に反対した。一方のカホオラヴェの運動は1976年に起こり,1941年の日本軍による真珠湾攻撃から始まった,米軍によるカホオラヴェ島での軍事射撃・爆撃訓練に反対した。両運動は,太平洋で隔たれた沖縄とハワイで組織され,異なる問題を扱っていたが,そこで表出した思想や実践には連続性が見られる。金武湾闘争とカホオラヴェの運動における「伝統」文化の実践は,「伝統の創造」論に重要な問題を提起する。1980年代以降,太平洋諸島の民族主義運動における「伝統」文化の語りや実践が集団内の権力構造を確立し維持する,という批判が「伝統の創造」論をもってなされた。この主張に対し,さまざまな立場からの批判がなされた。本論文では,「伝統の創造」論による民族主義運動への批判が,抵抗運動における「伝統」文化の意義を認識できていないことを指摘し,その意義を金武湾闘争とカホオラヴェの運動における「伝統」文化の実践を分析することで提示する。本研究は,筆者の移動者としての個人的な経験から生まれた問いや,比較の視点に基づき議論を進める。沖縄からハワイに移動し,そこで知りえたカホオラヴェの運動と,筆者のホームである沖縄の金武湾闘争との間にはどのような接点があるのか。本論文では第一に,「伝統の創造」論による太平洋諸島の民族主義運動に対する批判と,それに対する反論を概観する。第二に,金武湾闘争とカホオラヴェの運動の歴史的な背景をふまえ,機関誌,その他の未出版資料,聞き取り調査の記録から,両運動における「伝統」文化の実践とその意義を検証する。研究結果として,次の三点を明らかにした。金武湾闘争とカホオラヴェの運動では,「住民」や「オハナ」という運動参加者個々人の行為者としての役割が強調された。また両運動では海や土地の重要性が「伝統」文化の実践を通じて主張され,開発や軍事訓練への抵抗とされた。さらに両運動では,「伝統」文化の実践が,運動参加者間の結びつきを強め,援農活動や共同体の自治を模索する動きにつながり,他の島々における抵抗運動との連帯を生んだ。
琉球大学西洋史研究室 池上, 大祐
沖縄の染織文化は周辺地域の影響を受けながら発展してきたが、近代に入ると「沖縄的なもの」は否定され、減退していったものの、柳宗悦ら日本民藝協会の沖縄調査によって沖縄の美術工芸品の評価は回復していった。沖縄戦を経て染織文化は再び減退するものの、復興の過程で染織の組合が各地で設立され、再興が進行した。再興の過程で新しい染織も誕生している。現代において染織は、より地域の人々と密着した存在となり、あらゆる立場の人々が個々に、そして協働してそのあり方を模索する時代となった。
岩淵, 令治 Iwabuchi, Reiji
巨大都市江戸において、諸国から定期的に移動してくる各藩の勤番武士は重要な存在である。従来の研究では、勤番武士の行動は、外出、とくに遠出のみが注目され、「江戸ッ子」が創り出した田舎者イメージ「浅黄裏」、および江戸各所の名所をめぐる行動文化の担い手としての自由なイメージで語られてきた。こうした従来の検討に対して、筆者は勤番武士の日記や生活マニュアルについて、①江戸定住者によって作り出された田舎者のイメージから離れる、②勤務日・非外出日も含めた全行動を検討する、③外出については近距離の行動も視野に入れる、という視点から分析をすすめ、他者から見た江戸像や、江戸の体験(他文化)を経た自文化の発見、また彼らの消費行動に支えられた江戸の商人や地域を論じてきた。
黄, 海萍 友定, 賢治 Huang, Haiping Tomosada, Kenji
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
松田, 美香 黄, 海萍
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
黄, 海萍 友定, 賢治 Huang, Haiping Tomosada, Kenji
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
黄, 海萍 松岡, 葵
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
宮岡, 大 黄, 海萍
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
黄, 海萍 友定, 賢治 Huang, Haiping Tomosada, Kenji
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
松田, 美香 黄, 海萍
本データは、文化庁が1977 年度〜1985 年度に行なった「各地方言収集緊急調査」で収録した方言談話データの一部である。
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