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中塚, 武 NAKATSUKA, Takeshi
気候変動は人間社会の歴史的変遷を規定する原因の一つであるとされてきたが,古代日本の気候変動を文献史学の時間解像度に合わせて詳細に解析できる古気候データは,これまで存在しなかった。近年,樹木年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比が夏の降水量や気温の鋭敏な指標になることが分かり,現生木や自然の埋没木に加えて,遺跡出土材や建築古材の年輪セルロース酸素同位体比を測定することにより,先史・古代を含む過去数百~数千年間の夏季気候の変動を年単位で復元する研究が進められている。その中では,セルロースの酸素同位体比と水素同位体比を組み合わせることで,従来の年輪による古気候復元では難しかった数百~数千年スケールの気候の長期変動の復元もできるようになってきた。得られたデータは,近現代の気象観測データや国内外の既存の低時間解像度の古気候記録と良く合致するだけでなく,日本史の各時代から得られたさまざまな日記の天候記録や古文書の気象災害記録とも整合しており,日本史と気候変動の対応関係を年単位から千年単位までのあらゆる周期で議論することが可能になってきている。まず数百年以上の周期性に着目すると,日本の夏の気候には,紀元前3,2世紀と紀元10世紀に乾燥・温暖,紀元5,6世紀と紀元17,18世紀に湿潤・寒冷の極を迎える約1200年の周期での大きな変動があり,大規模な湿潤(寒冷)化と乾燥(温暖)化が古墳時代の到来と古代の終焉期にそれぞれ対応していた。また人間社会に大きな困難をもたらすと考えられる数十年周期の顕著な気候変動が6世紀と9世紀に認められ,それぞれ律令制の形成期と衰退期に当たっていることなども分かった。年単位の気候データは,文献史料はもとより,酸素同位体比年輪年代法によって明らかとなる年単位の遺跡動態とも直接の対比が可能であり,今後,文献史学,考古学,古気候学が一体となった古代史研究の進展が期待される。
中塚, 武 Nakatsuka, Takeshi
日本を含む東アジアでは,近年,樹木年輪幅の広域データベースや樹木年輪セルロースの酸素同位体比,或いは古日記の天候記録や古文書の気象災害記録などを広く用いて,過去2,000 年以上に亘って気温や降水量の変動を年単位で解明する,古気候復元の取り組みが進められている。その最新のデータ群を歴史史料や考古資料と詳細に比較することで,冷害や水害,干害といった気候災害に対して,過去の人々がどのように対応できたか(できなかったか)を,時代・地域ごとに詳細に明らかにできる可能性がある。近世・中世・古代のそれぞれの時代における,これまでの気温や降水量の復元結果からは,数十年の周期で夏の気温や降水量が大きく変動した際に,大きな飢饉や戦乱などが集中的に発生していたことが明らかとなってきた。このことは,地震や津波による災害を含めて数十年以上の間隔をおいて同じ種類の災害が再発する際に,つまり数十年間平穏な時期が続いた後に災害が起きる際に,社会の対応能力が低くなるという普遍的なメカニズムの存在を示唆する。本論ではさらに,古代から近世に至る歴史の時間・空間座標の中から,数十年以上の時間間隔をおいて大きく気候が変動した無数の事例を抽出して,気候災害の再発に際して社会の中のどのような要因が災害の被害を増幅(縮小)させたのかについて,普遍的に明らかにするための統計学的な研究の枠組みについて提案した。こうしたアプローチは,「高分解能古気候データからスタートする歴史研究」において初めて可能になる方法論であり,伝統的な歴史学・考古学の方法論を補強できる,新しい歴史研究の可能性を拓くものになるかもしれない。災害への社会の対応力を規定する要因が何であるのかは,現時点では結論は下せないが,中世や近世の事例は,特に「流通経済と地域社会の関係のあり方」が飢饉や戦乱の有無に深く影響することを示唆しており,関連するデータの収集が急がれる。
安田, 喜憲
食物の獲得は気候に左右される。ある人々の集団が何を食物とするかは、その人々が居住する土地の気候により決まる。例えば、アジアのモンスーン地域では、年間平均二〇〇〇ミリを超える降雨量は夏季に集中する。このような気候に適する穀物は米である。また豊かな水量は、河川での漁業を盛んにし、流域の人々にタンパク源を供給することを意味する。こうしてアジア・モンスーン地域の稲作漁撈民は、米と魚を食料とする生活様式を確立してきたのである。
Palanisami, K. Ranganathan, C. Senthilnathan, S. 梅津, 千恵子 Palanisami, K. Ranganathan, C. Senthilnathan, S. UMETSU, Chieko
インドの農業は気象、特に降水量の変動に大きく影響を受ける。インド亜大陸の降水量の80%は6月から9月の3ヶ月間に起こり、南西モンスーンとなる。旱魃がある地域で問題となる一方、洪水も別の地域で人間生活と農業にとって被害を及ぼし、平均的に氾濫しやすい土地の約3分の1は農地である。洪水となる過剰な雨量、不作をもたらす旱魃、財産に損害を与えるサイクロン等、気候の負の影響へは迅速な対応が求められる。その時々に気候の影響に対する社会の対処能力が試される。歴史的に社会の対処能力は地域的に試されてきており、社会は気候の変動にレジリアンスを持つ様に適応してきた。
Ranganathan, C.R. Ranganathan, C.R.
本研究では、気候変動下での最適土地利用計画のフレームワークを提供する。気候変動が農業生産へ与える影響は多方面にわたる。すべての農業生産活動は非常に気候変動に対して敏感であり、作物収量の変動を伴う。よって、気候変動の影響を平均収量のみではなく、変動について研究することが必要である。定量的な情報は自然資源の賢明な利用と土地配分の最適化のために利用されるべきである。回帰分析を使った過去の研究では、平均生産性にのみ注目し、気候変動にともなう作物生産性の競合による最適土地配分にはあまり注目していなかった。都市化によって農業用地が減少している状況では、この問題はさらに重要度を増している。本研究では、この問題をタミルナドゥ州で生産されている主要穀物について検討する。計量経済分析により、平均収量と変動収量、そして異なる作物収量の共分散を推計する。気候変動の影響を反映している推計された平均収量は、多目的線形計画モデルによって最大穀物収量、最大米収量、現在の作物生産を維持するための最小農業用地などの目的を達成するために利用される。最後に、本研究では、2021年と2026年のタミルナドゥ州の人口予測と最適食料穀物生産をリンクさせて、一人当たりの可能食料穀物量を決定する。研究の結果、降雨量と温度は生産性と穀物の変動にさまざまな影響を与え、またHADCM3A2a シナリオによる気候変動は、タミルナドゥ州の5区域での作物生産性への影響は小さかった。伝統的な稲作地区では変動の増加と共に生産性も増加した。一方、多くの他の穀物の生産性は減少し、同一的な変化はなかった。土地のみが制約である場合、気候変動による生産性の変化により、作物の最適配分により食穀物の生産は増加する。これらの結果は政策決定者にとって人口予測下での穀物の供給と需要のギャップを知るために有効である。
安田, 喜憲
インダス文明は、四五〇〇年前、突然といってよいほどに、インダス川の中・下流域に出現する。そして、三五〇〇年前頃、この文明は崩壊する。こうしたインダス文明の劇的な盛衰をもたらした自然史的背景に、ヒマラヤの気候変動が、深く関わっていることが、明らかとなった。西ネパールのララ湖の花粉分析の結果は、約四七〇〇年前以降、ヒマラヤの気候が冷涼化し、冬の積雪量が増加したことを、明らかにした。一方、冷涼化によって、南西モンスーンは弱化し夏雨は減少した。冬作物中心の原始的な灌漑農業は、インダス文明発展の基盤を形成していた。積雪量の増加は、冬作物にとって必要な春先の灌漑水を、安定的に供給し、インダス文明発展の契機をもたらした。夏雨の減少は、人々をインダス川のほとりに集中させた。こうしたインダス川沿いへの人口の集中は、文明発展の重要な契機となった。インダス文明は、三八〇〇年前以降、衰退期にはいる。日本を含めたユーラシア大陸の花粉分析の結果は、約四〇〇〇年前以降の気候の温暖化を指摘している。この温暖化は、ヒマラヤの積雪量を減少させ、春先の流出量の減少をもたらした。このヒマラヤから流出する河川の春先の流量の減少が、冬作物中心の農業に生産の基盤を置いたインダス文明に、壊滅的打撃を与えた。日本の縄文時代中期の文化も、五〇〇〇年前に始まる気候悪化を契機として、発展した。日本列島の気候は、五〇〇〇年前以降、冷涼・湿潤化した。とりわけ、海面の低下と沖積上部砂層の発達により、内湾の環境が悪化した。縄文人は内陸の資源を求めて、中部山岳などに移動集中した。この人口の集中が、縄文中期内陸文化の発展をもたらす契機となった。インダス文明と縄文中期文化の盛衰には、五〇〇〇-四〇〇〇年前の気候変動が、深い影を落としている。
Kajoba, Gear M. Kajoba, Gear M.
本研究の目的は、シナゾングェ県カファンビラ地区における、気候変動に対する小規模農家の食料生産システムの脆弱性を評価し、気候変動の影響および短期的対処戦略とともに長期的適応戦略のための農民の知見を評価することである。調査では、32世帯を対象とした半構造化インタビューと情報提供者を含む計44人が参加した2回のグループ討論から定性的、定量的データを収集した。小規模農家は気候変動の概念についての理解はないものの、度重なる旱ばつや時折生じる洪水からその影響を経験していた。回答者によれば、気候変動は急激に食料生産に大きな負の影響を与えており、トウジンビエ、ソルガム、メイズ等主食作物の不作をもたらしている。主な対処戦略(作物の組合せや間作の他)として以下のような生業活動があげられる。まず、家畜を売却した現金でカリバ湖畔で魚を購入する。購入した魚は、高地へ運ばれ、メイズを購入するために現金化されたり、メイズと交換されたりする。持ち帰ったメイズは製粉され食糧となる。農民は必要に応じてこのような生業活動を繰り返している。地域の農民は気候変動に対する長期的な対策は知らないと回答したものの、カリバ湖から灌漑用水を引く事業を設立し、小規模金融と旱ばつ耐性がある早生の高収量改良品種を供与してもらうために政府と関係者に働きかけた。また、農民達は政府に対して穀物、家畜、魚の交易を容易にするために、彼らが居住する遠隔地と高地をつなぐ道路の建設を要求した。
自然環境は、さまざまな恵みを私たちの暮らしや社会にもたらしています。 自然の恵みの一つに自然災害の抑制があり、「生態系を活用した防災減災」のアプローチが近年注目されています。 日本は、古くから多くの自然災害を経験してきましたが、気候変動が進むと、 さらなる自然災害が引き起こされると懸念されています。 さらには、人口減少や財政問題などの社会的課題は、 これからの防災減災のあり方にも影響します。 シンポジウムは、自然災害と自然の恵みのかかわりを国内外のさまざまな事例に学びながら、これからの人と自然のかかわり方について共に考える機会をつくることを目的に開催しました。
大城, 政一 古謝, 瑞幸 前当, 正範 宮城, 盛時 Oshiro, Seiichi Koja, Zuiko Maeto, Masanori Miyagi, Seiji
亜熱帯環境下飼育黒毛和種の生理的適応現象を明らかにするため, 黒毛和種を供試し, 畜舎-人工気候室内(20℃・85%-30℃・85%)の実験における3環境条件区の生理諸元, 血液及び第一胃内液等を測定し, 比較検討した。畜舎内29℃・86%-人工気候室内20℃・85%-30℃・85%の3実験区における, 直腸温, 心拍数及び呼吸数において, 畜舎内でそれぞれ38.60±0.16℃, 70.4±2.1回/分及び38.7±4.2回/分であったが, 人工気候室内20℃・85%で38.19±0.12℃, 59.2±3.2回/分及び19.4±2.8回/分と有意に減少した(P<0.01)。また, 人工気候室内30℃・85%で38.88±0.20℃, 79.0±1.9回/分及び64.2±6.1回/分と有意に上昇を示した(P<0.01)。赤血球数, 白血球数, Ht値, Hb量, 赤沈速度, 血糖値, FFA, 血漿アルブミン量, 血漿遊離コレステロール量, 血漿サイロキシン量, 総蛋白質量, 尿pH, 第一胃内液pH及び採食量において, 3実験区間に有意な差異はなかった。第一胃内プロトゾア数は旋毛類, 全毛類及び両者の総数において, 3実験区共に9 : 00の値より21 : 00の値の方が有意に高かった(P<0.01)。以上のことから, 亜熱帯地域沖縄県下で畜舎内飼育黒毛和種は主に心拍数, 呼吸数及びその他の物理的調節作用によって, 生体恒常性の維持を保って, 高温・多湿環境(8月)下に適応していることが示唆された。
藤原, 綾子 渡口, 文子 Fujiwara, Ayako Toguchi. Fumiko
沖縄県における大学生以上の男女を対象にして年間の着衣パターンについて調査を行なった結果、次のようなことがわかった。1.衣服の種類についてみると、男女とも洋服着用者が圧倒的に多く、和服着用者は男女とも1~2%である。また女子では70才以上に琉装の着用がある。2.男子の着衣パターンは上着の場合、5月から10月までの6ヶ月間を半袖上着ですごしている。下着は気候にあまり影響されず年代によって異なり、若い年代程薄着であ3.女子の着衣パターンは、上着、下着ともパターンの数が多く若い年代程多い。上着の着衣パターンは気候に影響されている。下着は若い年代程ファウンデーション下着の着用が多く、年をとるに従って少ない。下着の着用パタ-ンは気候に影簿されず、むしろ年令等によって決まっている。最後に-年間にわたる長期間にもかかわらず調査に御協力いただいた方々に深く感謝いたします。又写真撮影に協力して下さり話をきかせて下さいました那覇市首里平良町の久場様に深く感謝申し上げます。
趙, 廷寧 翁長, 謙良 宜保, 清一 Zhao, Tingning Onaga, Kenryo Gibo, Seiichi
天然・導入花棒の形態特徴を調査し,統計的な方法により花棒生態型の区分を定量的に行い,生態型別の花棒の形態区別,播種苗の形態変化過程を考察した。さらに,気候変遷に及ぼす花棒生態分化の要因と分化過程を検討した。得られた結果を要約すると次のようになる。1)天然花棒および導入花棒はともに,無小葉花棒と多小葉花棒の両生態型に分けられる。2)二種類生態型花棒の主な形態区別は,複葉,針状葉の数量及びそれぞれの割合が異なることに現れている。3)生態型別花棒苗の形態変化過程が異なる。4)花棒の生態分化は気候の変化,特に地域の乾燥度の変化により引き起こされたものである。
福田, 正宏 Fukuda, Masahiro
縄文文化は,温暖湿潤気候と山岳地形に由来する箱庭的景観が特徴的な日本列島の環境に適応した,極東型新石器文化群のひとつである。縄文文化の担い手が分布する範囲は,寒冷地適応の限界と関係して,列島北辺域における温帯性の延長線上にある生活域にとどまる性質にあった。居住環境が必要条件を満たさない場合,縄文集団は適応困難な北方寒冷地に積極的に進出しないことが多かった。そのなかで道東北は,海産食料資源や石材資源が豊富に存在するため,縄文集団にとって占地するメリットがあった。しかし,オホーツク海沿岸では極端な気候変化が起こりやすく,温帯性の生活構造を持続させることが難しく,撤退を余儀なくされることもあった。また,温暖環境の拡大にともなって出現したサハリンや千島方面の適地に縄文集団が進出/占地した可能性はある。しかし,完新世初頭以降縄文晩期に至るまで,そうした動きは一過性であり,生活システムを転換させてまでして,新たな生態系に進出して,持続的な適応を果たしたことはなかった。気候が亜寒帯に近づけば近づくほど,縄文集団の居住要件は満たされにくくなる。つまり,日本列島北辺域に分布する亜寒帯性の生活環境は,縄文集団にとって進出するリスクが大きい地域であったと指摘することができる。
中塚, 武 NAKATSUKA, Takeshi
樹木年輪セルロースの酸素同位体比は,夏の降水量や気温の鋭敏な指標として,過去の水稲生産量の経年変動の推定に利用できる。実際,近世の中部日本の年輪酸素同位体比は,近江や甲斐の水稲生産量の文書記録と高い相関を示し,前近代の水稲生産が夏の気候によって大きく支配されていたことが分かる。この関係性を紀元前500年以降の弥生時代と古墳時代の年輪酸素同位体比に当てはめ,本州南部の水稲生産量の経年変動ポテンシャルを推定し,さらに生産―備蓄―消費―人口の4要素からなる差分方程式を使って,同時期の人口の変動を計算した。ここでは農業技術や農地面積の変化が考慮されていないので,人口の長期変動は議論できないが,紀元前1世紀の冷湿化に伴う人口の急減や,紀元前3—4世紀,紀元2世紀,6世紀の気候の数十年周期変動の振幅拡大に伴って飢饉や難民が頻発した可能性などが指摘でき,集落遺跡データや文献史料と対比することが可能である。
寺内, 隆夫 Terauchi, Takao
長野盆地南部では,千曲川によって形成された自然堤防と後背湿地を利用して,稲作を主体とする耕地開発が盛んに行われてきた。しかし,各時代に創出された耕地は,千曲川の氾濫による洪水,あるいは寡雨な気候や千曲川の河床低下による旱魃などの被害を受け続けてきた。
温帯の湿潤な気候のもとで暮らす私たちにとって、乾燥地は、遠い世界に感じられます。緑に乏しい広漠とした風景は、一見すると、私たちを寄せ付けないような雰囲気があります。乾燥地の村々を歩いてき回ると、そんな印象とは正反対の、生き生きとした暮らしの風景が広がっています。
松木, 武彦 MATSUGI, Takehiko
紀元前375年頃から紀元後700年頃までの日本列島中央部の社会変化を,「社会規模」「成層的複雑度」「戦いの頻度と文化化の度合」「表象物質化の尖鋭度」という4大別の下に19項目の考古事象を選択し,それぞれの変化を数字で表記することによって定量的に示した。そのことによって,紀元前150—紀元後25年,および紀元後175—250年の2回に,変化が急速に進む時期があったことを明らかにし,それぞれを第1の急進期,第2の急進期とよんだ。次に,高精度古気候復元の成果から,それぞれの急進期にどのような気候変動があったかのかを推定し,それがいかにして急進期をもたらしたのかを考察した。結論として,第1の急進期には,急激な低温化と湿潤化を受けて居住地や耕地を移動させることにより社会の流動化が進み,その中で人びとのアイデンティティを維持するために,加飾された土器や儀礼具など,表象の媒体としての人工物が発達した。第2の急進期は,人間側の対応がもっとも難しい数十年周期の気候変動が繰り返される時期と対応しておりそれが生み出した社会的緊張が,集団よりも個人の意思決定や個人間の関係に比重を置いた行動規範に基づく新たな社会関係を生み出し,それを正当化する世界観の書き換えとして,表象の媒体としての人工物を個人と結びつける新しい傾向が全土的に展開した。
森, 勇一 Mori, Yuichi
日本各地の先史~歴史時代の地層中より昆虫化石を抽出し,古環境の変遷史について考察した。岩手県大渡Ⅱ・宮城県富沢両遺跡では,姶良―Tn火山灰層直上から,クロヒメゲンゴロウ・マメゲンゴロウ属・エゾオオミズクサハムシなどの亜寒帯性の昆虫化石が多産し,この時期,気候が寒冷であったことが明らかになった。
Chabatama, Chewe M. Chabatama, Chewe M.
ザンビア農業と食料安全保障に関する研究の多くは、トウモロコシとその他の換金作物に集中しており、トウモロコシ生産に余剰のあるセントラル州、ルサカ、南部州などに関するものが多い。換金作物ではないキャッサバ、ミレット、ソルガム等は、北西ザンビアにおける主食であるにもかかわらず注目する研究者は少なかった。北西州のトウモロコシ生産は少ないため、研究者や政府担当者から無視され、非難され、また取り残されてきた。本論文では、キャッサバ、シコクビエ、トウジンビエ、ソルガム、サツマイモが、有史以前から北西ザンビアの人々の食料安全保障を担ってきたという明確な事実を再認識する。北西州の農業と経済には高い潜在力が存在する。本稿では、厳しい生態条件の中にあるザンビア北西州における食料供給を検討する。特に地域の生態気候条件に適応した食料供給、そして生存のために食料不足世帯が対処する生存戦略を考察しながら、生態学的災害の変化と生存戦略の変遷を考える。
Murphy, Patrick D. マーフィー, パトリック D.
世界的な石油生産のピーク到来という観点から、沖縄は昨今の経済発展の方向性について再考する必要がある。エネルギーの価格高騰が沖縄の経済に打撃を与えることが予想される中、沖縄は安価な交通手段に支えられる観光産業とは異なる、新たな経済的手段を模索しなくてはならないだろう。液体燃料や石炭などの固形燃料の運搬コストが高騰しているため、電気エネルギーの生産は、化石燃料への依存から脱却する必要がある。また、海水の淡水化も影響を受けるため、観光産業に十分な量の水の供給能力にも問題が生じる可能性がある。ピークオイルと気候変動の衝撃は互いに不可分な合併要素として経済組織に衝撃を与えることなど、沖縄は、エネルギー生産と生活基盤の危機という観点からも、気候変動の危険性について指摘する必要がある。いずれの場合においても、持続可能性が最も重要な指針となることは言うまでもない。
Sudmeier-Rieux, Karen Nehren, Udo Sandholz, Simone Doswald, Nathalie
日本語訳版は、総合地球環境学研究所Eco-DRRプロジェクト(RIHN14200103 )の一環として実現した。
西谷, 大 Nishitani, Masaru
調査地である中国雲南省紅河哈尼族彝族自治州に属する金平苗族瑤族傣族自治県者米拉祜族郷,老集寨郷では,8つの民族と1つの集団が混在して居住している。人々は海抜およそ500mの河谷平野からおよそ1,500mの山地の斜面にかけて異なった高度に居住し,地形と気候の複雑さは多様な生態的な環境を生み出し,そのことが各民族・村単位での生業戦略の差異につながってきた。
安田, 喜憲
本研究はスギと日本人のかかわりの歴史を花粉分析の手法にもとづき過去七〇万年について論じたものである。スギは約七三万年前の気候の寒冷化と年較差の増加をきっかけとして発展期に入った。同じ頃、真の人類といわれるホモ・エレクトゥスも誕生している。スギと人類は氷期と間氷期が約一〇万年間隔で交互にくりかえす激動の時代に発展期をむかえている。とりわけスギは氷期の亜間氷期に大発展した。しかし三・三万年以降の著しい気候の寒冷化によって、最終氷期の最寒冷期には、孤立分布をよぎなくされた。新潟平野の海岸部、伊豆半島それに山陰海岸部が主たる生育地であった。約一万年前の気候の温暖化と湿潤化を契機として、スギは再び発展期に入った。福井県鳥浜貝塚からは、すでに一万年以上前からスギの板を使用していたことがあきらかとなった。しかし鳥浜貝塚の例をのぞいて、縄文人は一般にスギとかかわることはまれだった。スギと日本人が密接にかかわりを持つのは弥生時代以降のことである。それはスギの生育適地と稲作の適地が重なったためである。とりわけ日本海側の弥生人はスギと深いかかわりをもった。しかし何よりもスギと日本人のかかわりをより密接にしたのは都市の発達であった。都市生活者の増大とともに、スギは都市の庶民の住宅の建築材や醸造業の樽や桶あるいは様々な日用品にいたるまであらゆる側面において日本人の生活ときってもきりはなせない関係を形成した。しかし高度経済成長期以降、安い熱帯材の輸入によって、スギは日本人に忘れ去られた。間伐のゆきとどかないスギの植林地は荒廃し、スギと日本人のかかわりは大きな断絶期を迎えた。地球環境の壊滅的悪化がさけばれる今日、日本人はもう一度スギとともに過ごした過去を思い起こし、森の文化を再認識する必要がある。
斉藤, 亨治 Saito, Kyoji
善光寺平では,更新世前期からの盆地西縁部の断層の活動により盆地が形成され,その盆地が地殻変動・火山活動・気候変化によって盛んに供給された土砂によって埋積された。善光寺平周縁をはじめ長野県に扇状地が多いのは,流域全体のおおまかな傾斜を表す起伏比(起伏を最大辺長で割った値)が大きく,大きい礫が運搬されやすいためである。その扇状地には,主に土石流堆積物からなる急傾斜扇状地と,主に河流堆積物からなる緩傾斜扇状地の2種類ある。急勾配の土石流扇状地については,その形成機構が観測や実験によりかなり詳しく明らかになってきた。しかし,緩傾斜の網状流扇状地については,その形成機構はよく分かっていない。扇状地と気候条件との関係では,乾燥地域を除いて,降水量が多いほど,気温が低いほど,扇状地を形成する粗粒物質の供給が盛んで,扇状地が形成されやすいといえる。また,気候変化との関係では,日本では寒冷な最終氷期に多くの扇状地ができた。その後の温暖な完新世では,扇状地が形成される場所が少なくなったが,寒冷・湿潤な9000年前頃と3000年前頃,扇状地が比較的できやすい環境となっていた。善光寺平の地形と災害との関係では,犀川扇状地および氾濫原部分では,1847年の善光寺地震で洪水に襲われているが,氾濫原部分では通常の洪水もよく発生している。扇端まで下刻をうけた開析扇状地では水害が発生しにくいが,扇頂付近が下刻をうけ,扇端付近では土砂が堆積するような扇状地では,下刻域から堆積域に変わるインターセクション・ポイントより下流部分で水害が発生しやすい。裾花川扇状地や浅川扇状地には扇央部にインターセクション・ポイントがあり,それより下流部分では,比較的最近まで水害が発生していたものと思われる。
Flint, Lawrence S Flint, Lawrence S
近年、食料、水、繊維、エネルギーの需要拡大を満たすため、人々はいまだかつてない供給を生態システムから求めるようになった。これらの需要は生態系のバランスに圧力を与え、自然環境が許容量を取り戻す能力を減少させ、大気・水の浄化作用、廃棄物の処理、アメニティ等の生態系サービスを供与する能力を弱体化させた。社会経済開発と環境持続可能性との間に明らかな緊張関係が存在している。生態系の財とサービスの減少を引き起こした直接的な原因は、生息地の変化、外来種の侵入、過度の収奪、汚染や気候変動と変化などである。これらのプロセスは社会生態的レジリアンス喪失の脅威を与え、環境と社会経済変化の双方に対する感受性を高める。
久保, 正敏 KUBO, Masatoshi
この報告では、モノと情報班の活動目的を、以下の3 つの観点から整理する。(1)東南アジア生態史における物質文化の重要性を考察すること;(2)生態史を、さまざまな要素の組み合わせから成り立つ複雑なシステムとして理解すること。そこには、地球規模の気候変動や、社会経済的なグローバルトレンドの影響、環境や公衆衛生に関わる国際的ならびに地域的な諸政策、貿易と通信、民族集団のエートスなどが含まれる;そして、(3)マルチメディアアーカイブの構築を通して、人間知識の協働的な生成という調査研究スタイルを確立することである。
設楽, 博己 Shitara, Hiromi
縄文中期終末から後期へ、縄文晩期から弥生時代の始まりへ、それらはいずれも列島規模で、文化や社会が大きく転換した時代であり、時期であった。その歴史の節目に、地域や時代を超えて再葬墓が営まれることは何を意味するのだろうか。再葬が発達した地域におけるそれぞれの転換点で共通するのは、集落の衰退すなわち人口の減少である。環境変動に目を向けると、その転換期に共通した要素として気候の寒冷化をあげることができる。まさに、環境の悪化が再葬を誘発したといっても過言ではない。
福田, アジオ Fukuta, Azio
考古学と民俗学は歴史研究の方法として登場してきた。そのため,歴史研究の中心に位置してきたいわゆる文献史学との関係で絶えず自己の存在を考えてきた。したがって,歴史学,考古学,民俗学の三者は歴史研究の方法として対等な存在であることが原理的には主張され,また文献史学との関係が論じられても,考古学と民俗学の相互の関係については必ずしも明確に議論されることがなかった。考古学と民俗学は近い関係にあるかのような印象を与えているが,その具体的な関係は必ずしも明らかではない。本稿は,一般的に主張されることが多い考古学と民俗学の協業関係の形成を目指して,両者の間についてどのように従来は考えられ,主張されてきたのかを整理して,その問題点を提示しようとするものである。
深澤, 芳樹 浅井, 猛宏 荒木, 幸治 石井, 智大 杉山, 真由美 田中, 元浩 中居, 和志 三好, 玄 山本, 亮 渡邊, 誠 FUKASAWA, Yoshiki ASAI, Takehiro ARAKI, Koji ISHII, Tomohiro SUGIYAMA, Mayumi TANAKA, Motohiro NAKAI, Kazushi MIYOSHI, Gen YAMAMOTO, Ryo WATANABE, Makoto
弥生時代中期から後期への社会的・文化的変化は,弥生時代における最大の画期と目され,その主因を巡って,政治・経済・環境などさまざまな観点に基づく仮説が提示されてきたが,諸説の総合にはいまだ至っていない。そこで,近畿地方南部地域を中心とした広域的範囲において,共通する基準に基づく基礎的検討を加えて当該期の社会変化の鮮明化を図るとともに,その内容や背景について,地域間交流や近年急速に進展した古気候研究の成果を含む環境変化等の広域的視野を加えて総合的に考察することを試みた。
上村, 幸雄 Uemura, Yukio
筆者がこれまでに係わった日本の方言学と言語地理学について概観する。
長田, 俊樹
筆者は、主に言語学以外の自然人類学や考古学、そして民族学の立場から、大野教授の「日本語=タミル語同系説」を検討した結果、次のような問題点が明らかとなった。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
柳田国男が自らの学問を民俗学と認めるのは彼が日本民俗学会会長になった1949年の4月1日であり、それ以前は日本文化を研究対象とした民族学(文化人類学)もしくは民間伝承学(民伝学)を目指していた。柳田が確立しようとした民俗学は自分以外の人々に担われるべきものであり、柳田自身を含んでいなかった。本稿ではこのことを検証するために、それ以前のテキストととともに、1948年9月に行われた座談会「民俗学の過去と将来Jを中心に検討する。柳田国男は本質的に民族学者である。
辻, 誠一郎 Tsuji, Seiichiro
台地・丘陵を開析する谷および低地から得られた弥生時代以降の植生史の資料を再検討し,以下のような知見を得た。縄文時代後期から古代にかけて,木本泥炭か泥炭質堆積物の形成,削剥作用による侵食谷の形成,運搬・堆積作用および草本泥炭の生成による侵食谷の埋積,という一連の地形環境の変遷が認められた。気候の寒冷化,湿潤化,および海水準の低下という諸要因の組み合わせが木本泥炭か泥炭質堆積物の形成を,そのいっそうの進行が侵食谷の形成をもたらし,さらに,河川による粗粒砕屑物の供給と谷底での水位上昇が草本泥炭による侵食谷の埋積をもたらしたと考えられた。この時代を通して,関東平野では照葉樹林の要素,スギ・ヒノキ類・モミ属など針葉樹が拡大したが,これは気候の寒冷化と湿潤化,および地形環境の不安定化によると考えられた。弥生時代以降の人間活動と深いかかわりをもつ植生変化には少なくとも3つの段階が認められた。第1の変化は弥生時代から古代にかけてで,居住域周辺の森林資源の利用と農耕によってもたらされた。第2の変化は中世の13世紀に起こり,主にスギと照葉樹林要素のおびただしい資源利用および畑作農耕の拡大によってもたらされ,マツ二次林の形成が促進された。中世都市である鎌倉ではその典型をみることができる。第3の変化は近世の18世紀初頭において起こり,拡大しつつあったマツ二次林にマツとスギの植林が加わり,森林資源量が増大したと考えられた。
Miyazaki, Hidetoshi ISHIMOTO, Yudai Tanaka, Ueru Miyazaki, Hidetoshi Ishimoto, Yudai Tanaka, Ueru
ザンビアにおける食料安全保障を改善するためには、安定したメイズ生産と生産性の向上が重要である。しかし、多くの農民は天水農業下でメイズを栽培しており、メイズに偏重した作付けは干ばつや過度の降雨に脆弱である。したがって、気候変動に直面しながら食料安全保障を成し遂げるには、作物の多様性を増すことが重要となる。サツマイモは自家消費用食料、ならびに世帯の現金収入源として大きな可能性があるといわれている。そこで、本研究では、ザンビア南部州農村地帯の3 サイトにおいて、サツマイモ品種についての農民の知識を理解すること、また、サツマイモの生産と消費を明らかにすることを目的とした。
翁長, 謙良 Onaga, Kenryo
1.気象資料は主として1955年1月から1967年12月までの琉球気象庁発行の気象要覧, 那覇の気候表(1963年発行)および沖縄群島の気候表(1964年発行)をもとに作成した。2.第1表の月間降水量の平均値の中で( )内は欠測の値を除いた平均値であり, 他の地点と比較して大差のある月は平均値とかなり差のある雨量の欠測に起因するものである。また与那覇岳の雨量が極端に大きいのは標高498mで観測されており, 山岳特有の気象によるものと思われる。3.第4表の10分間確率降雨強度において各月の平均値と2年確率の値が殆んど同じ値を示しているのは, 各月のその年における降雨強度の最大値のばらつきが正規分布するとの仮定で計算され, かつ資料の分散が比較的よかったことによる。4.限界降雨強度は土地の傾斜や土壌の性質によって異なるが, 日本各地の実験結果によると, 傾斜15°で2mm&acd;3mm/10min.が限界降雨強度である。筆者が人工降雨により, 国頭マージ土壌(粘土)について実験した結果, 傾斜7°の土槽箱で含水比が32%のとき2.5mm&acd;3.5mm/10min.でrunoffを見た。沖繩においても2mm&acd;3mmを限界降雨強度としても差し支えないと思われる。5.図表に掲載されてない北部の他の観測所で, 与那や奥などは伊豆味と同様, 年間降水量が2500mm以上となっており, 地形因子と相まって北部農耕地の傾斜地は中南部のそれらより, 土壌侵食の危険性が大であるといえる。
かりまた, しげひさ Karimata, Shigehisa / 狩俣, 繁久
琉球列島全域の言語地理学的な調査の資料を使って、構造的比較言語地理学を基礎にしながら、音韻論、文法論、語彙論等の基礎研究と比較言語学、言語類型論、言語接触論等の応用研究を融合させて、言語系統樹の研究を行なえば、琉球列島に人々が渡来、定着した過程を総合的に解明できる。言語史研究の方法として方言系統地理学を確立することを提案する。
佐野, 静代 Sano, Shizuyo
古代の御厨における漁撈活動の実態を解明するためには,「湖沼河海」の各々の御厨を取り巻く自然環境の分析が不可欠である。自然環境の分析には,地形・気候的条件とともに,その上に展開する「生態系」,特に魚類を中心とした生物相の考察が含まれる。魚類の生態と行動(生活史・食性・場所利用など)は,古代にも遡及しうるものであり,当時の地形と漁撈技術段階との照合によって,魚種ごとの捕獲原理や漁獲時期が推定可能となる。このようにして各御厨で行われた漁法が明らかになれば,「湖沼河海」の御厨ごとの漁撈活動と,贄人の生活形態の相違が浮かび上がってくるはずである。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
他大学教育学部または教育大学における教育学と心理学を統合した学校教育学科では,教育学の専門科目は理論ばかりでおもしろくない,という批判が学生にあり,そのために,専修に分化するときに心理学専修を選ぶ者が多いと聞く。教育学について一面的な理解しかないにしても,学生の批判はあたっているところもある。学生の批判を受けとめ,教育学の専門科目の授業を教育内容・方法面において再編成し,魅力あるものにしていく必要がある。今年の夏,「教育方法学」の集中講義をF教育大学で試みた。理論と実践の結合を意識して,実践事例を多く紹介したプリント資料とビデオ教材を準備したために,学生の隠れた教育学批判に結果的に応えることができた。現実の教育問題への関心の喚起,教育方法学の理論の実感的理解,教育像・授業像・教師像の変化,教育方法学観の変化などについて刺激を与えることができた。「教育方法学」集中講義の講義内容・方法を概観し,実践的試みを実施したあとでの学生の感想を中心にして,上記事項などでの影響について報告する。
金城, 須美子 Kinjo, Sumiko
1 琉大の男子寮, 女子寮生を対象に食品の嗜好調査を行った。その結果, 肉料理, すし類, 果物, 野菜サラダの平均嗜好度は男女とも高く標準偏差も小さい。男子の肉料理に対する嗜好は女子より高い。特にビフテキは全食品中最も高い嗜好を示し偏差も1.04と非常に小さい。これは殆んどの男性が, 文句なしにビフテキを好んでいることが分る。これに対して女子は野菜サラダを最も好む食品としている。琉球料理のイリチーやチャンプルーはさ程好まれない。各食品に対する男女の嗜好の相違は顕著でないように思う。2 気候, 健康状態によって嗜好が異るかどうかを調査した。その結果, 夏と冬, それに疲れたときの食品に対する嗜好が異ることが分った。特に気候の影響が大きい。それ故, 食品の嗜好に及ぼす要因として性別よりも, むしろ季節, その他の要因が大きいと思われる。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
林, 正之 Hayashi, Masayuki
柳田國男著作中の考古学に関する箇所の集成をもとに、柳田の考古学に対する考え方の変遷を、五つの画期に整理した。
矢作, 健二 Yahagi, Kenji
縄文時代草創期・早期の遺跡である愛媛県上黒岩遺跡は,これまで岩陰遺跡として発掘調査がなされ,最近では,その成果の再調査と再評価により,縄文時代草創期には狩猟活動に伴うキャンプサイト,早期には一定の集団が通年的な居住をしていたと考えられている。しかし,岩陰からの明確な遺構の検出記録はない。上黒岩遺跡の岩陰を構成している石灰岩体の分布や山地を構成している泥質片岩の分布に,縄文時代草創期から早期に至る時期の気候変動を合わせて考えると,遺構を遺すような生活空間は,山地斜面と久万川との間に形成された狭小な段丘上の地形にあったと推定される。
張, 平星
2022 年6 月12 日(日),日文研共同研究「日本文化の地質学的特質」の初めての巡検を,京都の名石・白川石をテーマに,その産出と加工,産地の北白川地域の土地変遷と石の景観,日本庭園の中の白川砂の造形・意匠・維持管理に焦点を当てて実施した。地質学,考古学,歴史学,宗教学,哲学,文学など多分野の視点から活発な現地検討が行われ,比叡花崗岩の地質から生まれた白川石の石材文化の全体像を確認できた。
児玉, 望
筆者は十五年間、ドラヴィダ語学を学んできた。そこでドラヴィダ言語学の立場から、大野説を検討した結果、次のような問題点が明らかとなった。
山村, 奨
本論文は、日本の明治期に陽明学を研究した人物が、同時代や大塩の乱のことを視野に入れつつ、陽明学を変容させたことを明らかにする。そのために、井上哲次郎と教え子の高瀬武次郎の陽明学理解を考察する。
長田, 俊樹
さいきん、インドにおいて、ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりのなかで、「アーリヤ人侵入説」に異議が唱えられている。そこで、小論では言語学、インド文献学、考古学の立場から、その「アーリヤ人侵入説」を検討する。
Kobayashi, Masaomi 小林, 正臣
本稿はMartha WoodmanseeとMark Osteenが提唱する「新経済批評(The New Economic Criticism)」を検証しながら、文学と経済学の新たな学際性を模索する。社会科学としての経済学は数式を多用した限定的な意味における「科学」を標榜する傾向にあり、人文科学としての文学は経済学-多数の学派に基づく経済学-をマルクス経済学に限定して援用または経済学の専門用語などを誤用する傾向にある。これら問題点を考慮しながら、本稿は両学問の類似性と相違点を認識することの重要性を強調する。例えば、Donald McCloskeyが指摘するように、経済学は数式を用いながらも言語による論証を行うことにおいて修辞的である。またPierre Bourdieuが指摘するように、言語と貨幣は機能的に類似する点が多くあり、それゆえ文学と経済学の「相同関係(homology)」が考えられる。しかし相同関係を発見する一方で、それら学問間の絶えざる緊張関係を維持しながら新たな相互関係を構築する必要があり、その際の媒介を果たすのが新経済批評である。換言すれば、文学は経済学を始めとする諸科学の理論を導入しながら、それら科学に新たな返答をすることが可能な「場」であると認識することで、両学問は相互的な知的活性化を永続できる。かくして本稿は、文学と経済学の学際性の追求は「未知(notknowing)」の探求であると結論する。
百原, 新 工藤, 雄一郎 門叶, 冬樹 塚腰, 実
東京都中野区江古田で直良信夫博士により発見された江古田針葉樹層の大型植物化石群は,三木茂博士が分類学的記載を行い,更新統末期の寒冷気候下の植物化石群として位置づけられた。これは最終氷期の寒冷期植物化石群の日本での最初の発見であり,最終氷期の古環境を示す標準的な植物化石群とされている。その後の,江古田とその周辺に分布する針葉樹層の年代測定では,最終氷期のMIS 3から晩氷期までの広範囲の測定結果が得られており,ヤンガー・ドリアス期に対比されたこともある。そこで,最初に発見され三木により定義づけられた,江古田針葉樹層の植物化石群の年代と種組成を明らかにするために,大阪市立自然史博物館に所蔵されている三木茂標本を再検討し,放射性炭素年代測定を行った。その結果,マツ科針葉樹4点とコナラ1点の暦年較正年代は,約25,000cal BP から20,000cal BP の範囲に含まれており,最終氷期最寒冷期後半のものであることが明らかになった。針葉樹層由来と考えられる大型植物化石は木本22分類群,草本26分類群で構成されており,カラマツとトウヒ属バラモミ節の標本の個数がもっとも多かった。三木の文献に記載された25分類群のうちスズメノヤリ近似種の果実と種子は,それぞれミゾソバ果実とスミレ種子の誤同定だったほか,新たな分類群が追加された。三木標本から復元される古植生は,関東地域の他の最終氷期最寒冷期の植物化石群と同様に,マツ科針葉樹の産出量が多い一方,多様な落葉広葉樹種を含むことで特徴づけられた。
浅野, 恵子 陳, 森 Asano, Keiko Chen, Sen
同じ音声的及び音響的特徴をもちながら、文化や気候風土によって変化する音声行動があり、無意識に行われているものが少なくない。その一つとして、/m,n/などの有声鼻音の音声特徴は自然発話としては一般的であり、それをさらに上咽頭に響かせる音の「ハミング」がある。日本語では「鼻歌」と呼ばれている。他言語が理解できなくても音声行動としては個別言語の域を超えて普遍的に発せられる声音である。日常の発声時行動様式が文化的・言語別にどのように呼ばれているか、またいつから使われているかを日・中・英・米語の各言語のコーパスを比較し、初めて使用された時期や当時の意味などから推移を分析する。
岡田, 浩樹 Okada, Hiroki
この論文の目的は,近年盛んになりつつあるかのように見える「老人の民俗学」という問題設定に対する一つの疑問を提示することにある。はたして「老人の民俗(文化)」という対象化が有効なのかを,比較民俗学(人類学)の立場から検討する。その際に韓国の事例を取り上げることにより,老人の民俗学の問題点を明らかにする方法をとる。
尾本, 惠市
本論文は、北海道のアイヌ集団の起源に関する人類学的研究の現況を、とくに最近の分子人類学の発展という見地から検討するもので、次の3章から成る。
山田, 浩世 Yamada, Kousei
近世琉球・奄美に発生した数々の災害は、各地域の社会に甚大な影響を与えてきた。本稿では、まず、地域の歴史を体系的に記述した市町村史誌の災害について述べた記述を整理・検討し、近世期の災害がどのように歴史化されてきたのかを考察した。さらに、災害の歴史化の過程の中で看過されてきた問題、とりわけ災害の地域的広がりや激変する気候変動との関係に着目し、近世後期に発生していた災害の歴史的位相について再検討を試みた。本稿の検討を通じて沖縄・奄美における災害は、地域社会の構造的脆弱性に左右されつつ発生・拡大し、地域社会のさまざまな側面に甚大な影響を与えており、社会の歴史的展開に密接に結びついた重要な問題であることが明らかとなった。
粟津, 賢太 Awazu, Kenta
戦没者の記念追悼施設やその分析には大まかにいって二つの流れがある。ひとつは歴史学的研究であり、もうひとつは社会学的研究である。もちろん、これらの基礎をなす、死者の追悼や時間に関する哲学的研究や、それらが公共の場において問題化される政治学的な研究も存在するが、こうした研究のすべてを網羅するのは本稿の目的ではない。
岡村, 秀典 Okamura, Hidenori
漢鏡は,年代を測る尺度として大いに活用され,中国考古学と日本考古学との接点のひとつとなっている。本稿は,中国考古学の立場から,前漢鏡研究の続編として,後漢代の方格規矩四神鏡,獣帯鏡,盤龍鏡,内行花文鏡の4つの鏡式をとりあげ,型式学的研究法にもとついた編年を試みるものである。
荒木, 和憲 Araki, Kazunori
本稿は、中世日本の往復外交文書の事例を集積することをとおして、その様式論を構築しようとするものである。従来、日本古文書学においては研究が手薄であったが、様式論を構築することで、日本古文書学、そして「東アジア古文書学」のなかに中世日本の往復外交文書を位置づけようとする試みである。
楊, 暁捷
日本の平安、中世から伝わる膨大な数の絵巻について、これまで美術学、民俗学、歴史学などの見地から多彩なアプローチがなされてきたのに対して、これを文学の作品として追求する研究は、いまだ十分に行われていない。この小論は以上の考えに立脚するささやかな試みであり、絵巻『長谷雄草紙』から一つのシーンを取り上げる。
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
伊藤, 謙 宇都宮, 聡 小原, 正顕 塚腰, 実 渡辺, 克典 福田, 舞子 廣川, 和花 髙橋, 京子 上田, 貴洋 橋爪, 節也 江口, 太郎
日本では江戸時代、「奇石」趣味が、本草学者だけでなく民間にも広く浸透した。これは、特徴的な形態や性質を有する石についての興味の総称といえ、地質・鉱物・古生物学的な側面だけでなく、医薬・芸術の側面をも含む、多岐にわたる分野が融合したものであった。また木内石亭、木村蒹葭堂および平賀源内に代表される民間の蒐集家を中心に、奇石について活発に研究が行われた。しかし、明治期の西洋地質学導入以降、和田維四郎に代表される職業研究者たちによって奇石趣味は前近代的なものとして否定され、石の有する地質・古生物・鉱物学的な側面のみが、研究対象にされるようになった。職業研究者としての古生物学者たちにより、国内で産出する化石の研究が開始されて以降、現在にいたるまで、日本の地質学・古生物学史については、比較的多くの資料が編纂されているが、一般市民への地質学や古生物学的知識の普及度合いや民間研究者の活動についての史学的考察はほぼ皆無であり、検討の余地は大きい。さらに、地質学・古生物学的資料は、耐久性が他の歴史資料と比べてきわめて高く、蒐集当時の標本を現在においても直接再検討することができる貴重な手がかりとなり得る。本研究では、適塾の卒業生をも輩出した医家の家系であり、医業の傍ら、在野の知識人としても活躍した梅谷亨が青年期に蒐集した地質標本に着目した。これらの標本は、化石および岩石で構成されているが、今回は化石について検討を行った。古生物学の専門家による詳細な鑑定の結果、各化石標本が同定され、産地が推定された。その中には古生物学史上重要な産地として知られる地域由来のものが見出された。特に、pravitoceras sigmoidale Yabe, 1902(プラビトセラス)は、矢部長克によって記載された、本邦のみから産出する異常巻きアンモナイトであり、本種である可能性が高い化石標本が梅谷亨標本群に含まれていること、また記録されていた採集年が、本種の記載年の僅か3年後であることは注目に値する。これは、当時の日本の民間人に近代古生物学の知識が普及していた可能性を強く示唆するものといえよう。
松田, 睦彦 Matsuda, Mutsuhiko
小稿は人の日常的な地域移動とその生活文化への影響を扱うことが困難な民俗学の現状をふまえ,その原因を学史のなかに探り,検討することによって,今後,人の移動を民俗学の研究の俎上に載せるための足掛かりを模索することを目的とする。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
本稿はC・ギアツの解釈人類学的理論を沖縄の大学生向けに解説するための教育的エッセイである。ギアツの解釈人類学は今日の文化人類学において様々なパラダイムの基礎と考えられるものであり、是非理解しておくべきものである。本稿ではゼンザイ、桜、ブッソウゲ、雲南百薬、ニコニコライス、墓、巫者といった沖縄・奄美の身近な事例を検討することでその理論を理解させる目的をもっている。
大村, 敬一
本論文の目的は,イヌイトの「伝統的な生態学的知識」に関してこれまでに行なわれてきた極北人類学の諸研究について検討し,伝統的な生態学的知識を記述,分析する際の問題点を浮き彫りにしたうえで,実践の理論をはじめ,「人類学の危機」を克服するために提示されているさまざまな理論を参考にしながら,従来の諸研究が陥ってしまった本質主義の陥穽から離脱するための方法論を考察することである。本論文では,まず,19世紀後半から今日にいたる極北人類学の諸研究の中で,イヌイトの知識と世界観がどのように描かれてきたのかを振り返り,その成果と問題点について検討する。特に本論文では,1970年代後半以来,今日にいたるまで展開されてきた伝統的な生態学的知識の諸研究に焦点をあて,それらの諸研究に次のような成果と問題点があることを明らかにする。従来の伝統的な生態学的知識の諸研究は,1970年代以前の民族科学研究の自文化中心主義的で普遍主義的な視点を修正し,イヌイトの視点からイヌイトの知識と世界観を把握する相対主義的な視点を提示するという成果をあげた。しかし一方で,これらの諸研究は,イヌイト個人が伝統的な生態学的知識を日常的な実践を通して絶え間なく再生産し,変化させつつあること忘却していたために,本質主義の陥穽に陥ってしまったのである。次に,このような伝統的な生態学的知識の諸研究の問題点を解決し,本質主義の陥穽から離脱するためには,どのような記述と分析の方法をとればよいのかを検討する。そして,実践の理論や戦術的リアリズムなど,本質主義を克服するために提示されている研究戦略を参考に,伝統的な生態学的知識を研究するための新たな分析モデルを模索する。
主税, 英德 後藤, 雅彦
本報告は、地域に貢献する人材の育成を目的とした考古学関係授業の取り組みを紹介するものである。また、コロナ禍において、仲間とともに遺跡を実地調査(巡検の意味を含む、以下、「実地調査」と表現する)を行うことで、考古学専攻生が何を学び考えたかについても報告する。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
本稿は,本誌12号に掲載した筆者の論考(朱京偉2002)の後を受け,明治初期以降,つまり,西周と『哲学字彙』初版以降の哲学用語と論理学用語の新出語を特定し検討することを目的とする。そのために,考察の範囲を明治期の哲学辞典類から哲学書と論理学書に拡大して,選定した31文献の範囲で用語調査を行い,個々の用語の初出文献をつきとめた。また,新出語の特定にあたり,抽出語を「哲学書と論理学書共通の用語」と「哲学書のみの用語」「論理学書のみの用語」に3分類した上,その下位分類として,さらに,「出典なし」「『漢詞』未見」「出典あり」「新義・分立」の4タイプに振り分けた。それぞれの所属語の性質を検討した結果,明治初期以降の新造語として,191語をリストアップしておいた。ただし,本稿で用いた方法は,哲学と論理学にしか使われない専門性の強い用語については,その初出例を求めるのに有効であるが,一方,哲学と論理学以外でも使われるような汎用性の高い用語については,哲学書と論理学書の範囲で初出例が明らかにされたとはいえ,他の分野でも使われている可能性があるため,今後は,その初出例の信憑性を検証しなければならない。
木田, 歩 KIDA, Ayumi
人類学・民族学における学術的資料が、2000 年に上智大学から南山大学人類学博物館に寄贈された。これらは、白鳥芳郎を団長とし、1969 年から1974 年にかけて3 回おこなわれた「上智大学西北タイ歴史・文化調査団」が収集した資料である。本報告では、まず、調査団の概要について、白鳥による研究目標をもとに説明し、次に寄贈された資料を紹介する。最後に、今後の調査課題と研究の展望について提示する。
石田, 一之 Ishida, Kazuyuki
本稿は、ドイツ語圏における新自由主義の基盤を形成した論者のなかで、みずからの主張を歴史-文化社会学の視点から基礎づけようとしたアレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)の代表著作『現代の位置づけ』並びにその他の著作の検討を通して、歴史-文化社会学的立場に立脚した視点から人間の自由、並びに彼の主要概念である支配を考察し、それとともに、現代における人間の文化的・社会学的状況に関して実質的自由の視点から重要な示唆を得ようとするものである。
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
総合地球環境学研究所 研究室2
森, 力 兼本, 清寿 Mori, Chikara Kanemoto, Kiyohisa
新学習指導要領において,「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」が示された。また,現職の教師との談話の中で,「算数の授業で,主体的に学ぶ子どもはどのようにすれば現れるのか」という問いが出て来た。本研究では,算数科において,「主体的に学ぶ子どもが現れるには,どのような工夫をするといいか」ということを課題とし,授業者のイメージする「主体的に学ぶ子どもの姿」を共有した。授業実践においては「主体的に学ぶ子どもの姿」を見取り,授業リフレクションにおいては,事前にイメージした子どもの姿と比較しながら子どもの姿を共有し,授業構想を見直してきた。その結果,「解法及び答えが明確でない問題を提示する」「数学的な見方を促す操作的活動を取り入れる」といった工夫を行った授業については主体的に学ぶ子どもの姿が数多く見られた。本稿は,「主体的に学ぶ子どもの姿」に基づく算数科の授業づくりのあり方について考察を中心に報告するものである。
国立国語研究所は,1988年12月20日(火)に創立40周年をむかえた。それを記念して,同日,「公開シンポジウム『これからの日本語研究』」が国立国語研究所講堂でひらかれた。本稿はそのシンポジウムの記録である。 (ただし,集録にあたっては,本報告集の論文集としての性格を考慮し,あいさつ,司会の発言は省略し,発表内容に関する発言のみを集録した。)ひとくちに「日本語研究」といっても,その研究対象は多様であり,また研究の視点・方法も多様である。そして,近年その多様性はますます拡大する傾向にある。このような状況をふまえ,今回のシンポジウムでは,(1)理論言語学・対照言語学,(2)言語地理学・社会言語学,(3)心理言語学・言語習得,(4)言語情報処理・計算言語学という四つの視点をたて,それぞれの専門家の方に日本語研究の現状と今後の展望を話していただき,それをもとにこれからの日本語研究のあり方について議論するという形をとった。
山崎, 剛 YAMAZAKI, Go
南山大学人類学博物館は、2000 年に上智大学より西北タイに関するコレクションの寄贈を受けた。このコレクションには、西北タイの生活に関わる資料だけでなく、多くの写真資料が含まれている。この報告では、特に人類学的資料として、これら写真資料についての解説をおこなう。
鈴木, 寿志
令和4年度に国際日本文化研究センターにおいて共同研究「日本文化の地質学的特質」が行われた。地質学者に加えて宗教学・哲学・歴史学・考古学・文学などの研究者が集い,地質に関する文化事象を学際的に議論した。石材としての地質の利用,生きる場としての大地,信仰対象としての岩石・山,文学素材としての地質を検討した結果,日本列島の地質や大地が日本人の精神面と強く結びつき,文化の基層をなしていることが示唆された。変動帯に位置する日本列島では地震動や火山噴火による災害が度々発生して人々を苦しめてきたが,逆に変動帯ゆえの多様な地質が日本文化のあらゆる事象へと浸透していったとみられる。
島袋, 俊一 Shimabukuro, Shun-ichi
この報文は沖縄に関係ある日本植物病理学者13氏即ち平塚直治、宮城鉄夫、平塚直秀、岡本弘、内藤喬、平良芳久、向秀夫、藤岡保夫、宇都敏夫、平塚利子、小室康雄、村山大記、日野厳の各氏につき御来島時期と滞島期間、沖縄に関係のある植物病理学上の文献などについてのべた。
菅, 豊 Suga, Yutaka
柳田国男は,民俗学における生業・労働研究を狭隘にし,その魅力を減少させた。それは,民俗学の成立事情と大きく関わっている。その後,民俗学を継承した研究者にも同様の研究のあり方が,少なからず継承される。しかし,1980年代末から90年代にかけて,新しい視点と方法をもって,旧来の狭い生業・労働研究の超克が模索された。この模索は,「生態民俗学」,「民俗自然誌」,「環境民俗学」という三つの大きな潮流に区分できる。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa, Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
石垣, 悟 Ishigaki, Satoru
「国民的生活革命」と呼びうる高度経済成長について正面から取り上げた民俗学的成果は必ずしも多くない。しかし,統計等の資料とともに,聞き書きも重視して歴史を描き出す学的営為を民俗学の方法の一つとすれば,高度経済成長は必然的に聞き書きの対象となり,そこから描かれる「生きた歴史」は,現代に深く関わるものであり,未来を考える有用な材料を提供する可能性もある。
石田, 一之
本稿では、第1節では、ドイツの社会学的新自由主義のアレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)の主要著作である『現代の位置づけ』の内容の検討を中心としながら、歴史的、文化社会学的視点からみた現代の位置づけという問題を検討する。第2節では、リュストウの現代の位置づけを巡る社会学的分析とそこから導かれた政策論の今日的意義に関連した事柄を中心に取り上げる。現代の位置づけの議論に関連して、人間の社会学的状況の分析を表すものとして用いたVitalsituationの概念や、その政策分野への応用としてのVitalpolitikの考え方が、今日、欧州を中心として社会的包摂や社会的統合ををめぐる政策の議論が活発化する中で、新たな政策的意義を持つものとして捉えられるようになった。
武田, 和哉
中華世界においては,権力者や貴族など有力者の墓に,墓誌と呼ばれる石刻物を埋納する文化が存在した。墓誌が出土すると,被葬者や墓の築造年代の特定が可能となるので,歴史学・考古学分野においては極めて重要な副葬品と認識されてきた。
比嘉, 俊 Higa, Takashi
沖縄県は亜熱帯地域に属し,その気候や生物相は日本本土と異なり,特有である。この特有な地域で,学校ではどのような生物教育が目指されているかを報告する。報告の基になっているのは沖縄県立教育総合センターの長期研修員による研究報告書である。昭和47年度から平成28年度までの研究報告179点を俯瞰した。その結果,小学校教員の報告数の多さ,教材開発研究の多さ,授業実践の少なさ,沖縄固有種扱いの少なさが明らかになった。また,研修員研究の流れは,基礎研究,教材開発,教育方法と推移してきた。さらに,授業実践も近年は行われるようになってきた。沖縄の子どもたちにより還元できる研究になってきているのだが,沖縄固有を教材とした実践が少ない。今後の沖縄の生物教育を鑑みると地域の素材を活かした教材や授業展開がもっと増えるとよいと考える。
飯田, 経夫
ケインズ経済学と大衆民主主義とが「野合」するとき、深刻な事態が生じる。大衆民主主義下で、得票極大化行動を取らざるを得ない政治家は、選挙民に「迎合」するために、たえず政府支出を増やすことを好み、その財源たる税収を増やすことを好まない。したがって、財政規模の肥大化と、財政赤字を生み出す大きな原因である。これらは大衆民主主義の本質的な欠陥であり、その是正策は、基本的には存在しない。このきわめて常識的な点を、経済学者(や政治学者)は、これまで十分に議論してきたとはいえない。
照屋, ひとみ Teruya, Hitomi
2009年2月6日(金)に開催された「沖縄地域学リポジトリ試験公開記念講演会」におけるデモンストレーション用のスライド。
山下, 博司
国語学者大野晋氏の所謂「日本語=タミル語同系説」は、過去十五年来、日本の言語学会やインド研究者たちの間で、センセーショナルな話題を提供してきた。大野氏の所論は、次第に比較言語学的な領域を踏み越え、民俗学や先史考古学の分野をも動員した大がかりなものになりつつある。特に最近では、紀元前数世紀に船でタミル人が渡来したとする説にまで発展し、新たなる論議を呼んでいる。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿の目的は,大学教員として中学生に心理学の授業を計画し,実施したプロセスを報告することである。授業は90分,18名の中学3年生を対象に行われた。テーマは盲点の錯覚を中心とした知覚心理学としたが,テーマをどのように設定し,授業をどのように構想し,実施したのか。生徒の反応はどうであったか。このような点について報告することで,今後の中等教育における心理学教育について考える基礎資料とするのが本稿の狙いである。実践を実施した結果,盲点を中心に実験体験を通し,自分たちでも考えながら心理学に触れることの有効性が確認された。今後の課題としては,講義時間の長さや考える時間の確保,意見表出の方法などの方法論的な部分が挙げられた。
中村, 完 Nakamura, Tamotsu
精神的安静や行動の変容を目指す仏教の修道論に関して、四諦説、八正道、三学、坐禅について心理学的立場から文献的に紹介する。その際、坐禅の構成要素である調身、調息、調心に関して、それぞれの意味を説明し、また、これまで行われた心理生理学的研究の成果の概要も紹介する。ヨーガ修行法についても、同様にその概要を紹介する。他方、身体的操作を通して身心の安静をもたらすという点で、東洋的行法と類似している漸進的弛緩法についても概観する。このような修行法や訓練法を体験する人々に共通する心理生理的機能状態についての関心事は、覚醒レベルの問題である。本稿では覚醒の心理生理学的機構についても言及する。また、スポーツや武道等の身体運動の効果についても述べる。
呉, 佩遥
近年の宗教概念研究によってもたらされた「宗教」の脱自明化から、近代日本における宗教学の成立と展開を考察することは、宗教学なる領域に対する理解を反省的に把握するために重要である。しかし、アカデミックな場に成立した「宗教学」において、「宗教」に隣接した概念であり、「宗教」の中核的な要素とされる「信仰」と、「宗教」の身体的実践の一つである「儀礼」がいかに語られたかについては、まだあまり考察されていない。
廣瀬, 孝 大城, 和也 Hirose, Takashi Oshiro, Kazuya
本研究では、沖縄島に分布する古期石灰岩地域6地点、第四紀琉球石灰岩地域9地点の湧水・河川水において調査を行い、電気伝導度(EC)の値から、両地域の溶食速度を推定した。その結果、溶食速度は、古期石灰岩地域では75.4mm/1,000年、第四紀琉球石灰岩地域では101.7mm/1,000年であり、大きな差がみられ、空隙率の大きさと水と岩石との接触面積の違いなどが影響していると考えられる。また、秋吉台で水質から求められた溶食速度(51mm/1,000年)よりも速く、亜熱帯気候に属している沖縄島の豊富な降水量や高い二酸化炭素(C02)濃度との関係が示唆される。また、沖縄島でも、カメニツァなどの溶食が進んでいる地点で求められた溶食速度に比べるとはるかに小さい値を示し、水の流出から求められた本研究の結果は、その地域全体の平均値を示しているものと考えられる。
森岡, 正博
二十世紀の学問は、専門分化された縦割りの学問であった。二十一世紀には、専門分野横断的な新しいスタイルの学問が誕生しなければならない。そのような横断的学問のひとつとして、「文化位相学」を提案する。文化位相学は、「文化位相」という手法を用いることで、文化を扱うすべての学問を横断する形で形成される。
西村, 明 Nishimura, Akira
本稿は、アジア・太平洋戦争期の宗教学・宗教研究の動向、とくに戦時下の日本宗教学会の状況と、当時の学会誌に表れた戦争にかんする研究の二つに焦点をあて、当時の宗教学・宗教研究のおかれた社会的ポジションの理解を試みるものである。
米谷, 博 Kometani, Hiroshi
江戸時代末期の下総地方における大原幽学の農村指導は、農業技術や日常生活にとどまるものではなく村の伝統的習俗にまで及んでいる。しかし、内容によっては古くからの習慣と対立するものもあり、門人たちの活動はそうしたさまざまな問題を乗り越えて実践されたものだった。そうした習俗改変の形跡は門人たちの墓制にも見ることができる。性学関係者の墓地は各地に設立された教導施設に付随して形成されたが、そこでは在地の墓制とは異なる彼等独自の墓制が行われ、現在まで続いている場所もある。しかし明治期後半以降の性学活動の沈滞化にともなって、各地に残るそれらの墓地も開設当所の意味は薄らぎ、現代的な墓地へと大きく変更されつつあるのが現状である。本稿はそうした性学門人の特徴ある墓制を性学墓として捉え、現状および聞き取り情報も含めて関連する資料をできるだけ紹介することを第一の目的とした。併せてこれまで研究対象とされてこなかった性学墓を、幽学研究の舞台へはじめて登場させようとするものである。
中村, 俊夫 Nakamura, Toshio
タンデム加速器と質量分析計を組み合わせた加速器質量分析(AMS)技術による天然の極微量元素測定の方法は,アメリカ合衆国とカナダを舞台にして1976年から1977年にかけて開発され,1980年代には早くも実用の段階に入った。その一つが放射性炭素¹⁴C測定による年代測定であり,考古学・地質学の年代測定に関連して新たな応用研究の分野が開拓されている。
真柳, 誠 友部, 和弘
江戸時代、中国の知識は多く書籍を介して伝えられ、日本文化の各面に受容されてきた。日本の伝統医学、本草学、博物学も例外ではない。日本文化の江戸期における発展と深化に、中国書が果たした役割は考慮されるべきである。
鈴木, 淳 SUZUKI, Jun
小宮山木工進昌世は、将軍吉宗に抜擢された逸材として、享保年間、代官に任じて令名を馳せたが、享保末年には、年貢の金穀延滞を責められて、罷免されるに至った。学芸家としては、和歌、有職学を京都中院家について修め、漢籍は太宰春台の門に学んでおり、雑史、随筆類から尺牘学にわたる、和漢の著述若干をなし、学芸史上特異な足跡を印した。本稿は、昌世の出生から、代官職を追われるまでの、前半生の年譜考証である。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
最近とくに一九七〇年代以降、社会人類学・日本民俗学・社会学・宗教学などにおいて祖先祭祀研究が極めて活発に行われるようになってきた。一九七〇年以前の研究はフォーテス・Mのアフリカ研究がそうであったように、単系出自集団と祖先祭祀との関係であった。日本においてもこの時期の研究は、単系出自集団である同族組織や家と祖先祭祀の研究が中心であったが、一九七〇年以降の研究は、単系出自集団以外の親族組織と祖先祭祀との関係に関心があつまってきた。
鳥越, 皓之 Torigoe, Hiroyuki
民俗学において,「常民」という概念は,この学問のキー概念であるにもかかわらず,その概念自体が揺れ動くという奇妙な性格を備えた概念である。しかしながら考え直せば,逆にキー概念であるからこそ,民俗学の動向に合わせてこの概念が変わりつづけてきたのだと解釈できるのかもしれない。もしそうならば,このキー概念の変遷を検討することによって,民俗学の特質と将来のあり方について理解できるよいヒントが得られるかもしれない。
遠藤, 徹 Endo, Toru
現代日本の音楽学は欧米の音楽学の輸入の系譜をひく研究が支配的であるため、今日注目する者は必ずしも多くはないが、西洋音楽が導入される以前の近世日本でも旺盛な楽律研究の営みがあった。儒学が官学化し浸透した近世には、儒学者を中心にして、儒教的な意味における「楽」の「律」を探求する学が盛んになり独自の展開を見せるようになっていたのである。それは今日一般に謂う音楽理論の研究と重なる部分もあるが、異なる問題意識の上に展開していたため大分色合いを異にしている。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
本稿では農業に関する考古学研究(農業考古)の中で収穫具について、中国漢代の画像石(磚)(「漁猟収穫画像磚」) と琉球列島の『八重山蔵元絵師画稿集』の「八重山農耕図」という図像資料に描かれている稲の収穫についてとりあげ、図像資料の有効性を検討した。そして、図像資料は対象(作物) ・方法・道具(収穫具)の同時代での相関関係を示すものであり、さらに図像資料を媒介して考古学資料、文献史料、そして民族・民俗学事例の研究上の接点が浮かびあがってくると考えた。
吉田, 安規良 柄木, 良友 富永, 篤 YOSHIDA, Akira KARAKI, Yoshitomo TOMINAGA, Atsushi
平成22年度に引き続き、平成23年度も琉球大学教育学部附属中学校は「体験!琉球大学 -大学の先生方による講義を受けてみよう-」と題した特別講義を、総合的な学習の時間の一環として全学年の生徒を対象に実施した。「中学校で学んでいることが、将来どのように発展し社会や生活と関わるのか、また大学における研究の深さ、面白さを体験させる」という附属中学校側の意図を踏まえて、筆者らはそれぞれの専門性に裏打ちされた特別講義を3つ提供した。そのうちの2つは自然科学(物理学・生物学)の専門的な内容に関する講義であり、残りの1つは教師教育(理科教育学)に関するものである。今回の3つの実践は、「科学や学問の世界への興味、関心を高める」と「総合キャリア教育」という観点で成果が見られ、特に事後アンケートの結果から参加した生徒達の興味を喚起できたと評価できる。しかし、内容が理解できたかどうかという点では、全員が肯定的な評価をしたものから、評価が二分されたものまで様々であった。
Lekprichakul, Thamana Lekprichakul, Thamana
本稿では、2004/2005 年農作期旱魃から、ザンビアの農業収量の損害を調査し、損害がどの様に異なる生産システムに分布していたかを検討する。旱魃の分析はザンビア中央統計局(CSO)が毎年実施している2003/2004 年と2004/2005 年の農作期の収穫後調査に基づいている。分析の結果から、2004/2005 年の農作期旱魃は当初推計されたものより深刻であった可能性がある。穀物の損害は近年最大の旱魃であった1991/1992 年農作期に匹敵するものであった。これは、主に2003/2004 年に比較して50%増加した2004/2005 年の急速な耕作面積の拡大によるものであった。主食穀物の収量損害はミレットで40% 、メイズで50%、ソルガムで 60%にものぼった。旱魃に耐性のあると考えられているミレットとソルガムはメイズより特に南部州で損失が大きかった。この不可解な現象は損害を拡大した気候以外の要因によるものかもしれない。農民は小規模な売買への従事、食事の回数減少、野生植物の摂取、移住から、窃盗、売春までさまざまな対処戦略によって旱魃に対応していた。
翁長, 謙良 Onaga, Kenryo
1.著者の行なった実験は, 人工降雨による土壌侵食のモデルテストであり, 土壌の状態, 降雨のあり方など, 自然とは異なるが, 実際農地においても, 降雨強度と, 流亡土量との関係を知る上の1つの目安とすることができよう。2.吉良は実際農耕地においても, 降雨強度(I)と流亡土量(E)との関係を示す実験式E=aI^bなる式が適用されると報告しており, 土壌侵食のfactorは異なるが, 本実験で求めた実験式もある程度それにマッチしている。3.本実験は, 傾斜5°, 裸地という条件で行なったので, Baverの示すE=f(T.V.S.C.H)のC(気候)・T(地形)についての一元的な解析を試みたにすぎない。4.沖縄における最大10分間降雨強度の極値は68年までの観測では23mmであり, 実験の降雨強度において3mm&acd;23mmを目標にしたが, 初期の目的雨量にすることは困難であった。
益岡, 隆志 MASUOKA, Takashi
複文構文プロジェクトの目的は,日本語複文構文研究のさらなる発展の可能性を提示することである。考察対象に連用複文構文と連体複文構文の両方を掲げるとともに,歴史言語学,コーパス言語学,対照言語学などからの広範なアプローチを試みる。本報告では,複文構文プロジェクトの研究成果のなかから,2つの話題を紹介する。1つは連用節と連体節における接続形式の現れ方に関する言語類型の問題であり,もう1つはテ形節の定形性/非定形性の問題をめぐる話題である。
今里, 悟之 Imazato, Satoshi
日本の農山漁村集落の小地名については,これまで民俗学・地理学・社会言語学などで研究が蓄積されてきたが,耕地における,より微細なスケールの通称地名である「筆名(ふでな)」については,ほとんど研究が行われてこなかった。本稿では,その基礎的研究として,1960年代の長野県下諏訪町萩倉(はぎくら)(農山村)と京都府伊根町新井(にい)(漁村)を事例に,水田と畑地の筆名における命名の基準と空間単位について検討した。
石黒, 圭
日本語教育の目的が学習者による日本語運用力の獲得にあり、日本語教育学の目的がその獲得を支援する日本語習得支援研究であると考えると、日本語教育学では、学習者が日本語という言語をどのように身につけていくのか、その習得過程を記述・分析する基礎資料、すなわち学習者コーパスの構築が必要になる。ところが、新型コロナウィルス感染症の世界的流行により、JFL 環境で学ぶ海外の学習者のもとを訪れての現地調査も、JSL 環境で学ぶ国内の留学生との対面調査も困難になってしまった。そこで、本稿では、現地調査や対面調査を行うかわりに、オンライン環境を活用して収集する作文コーパス、会話コーパス、ゼミ談話コーパスの収集法を紹介した。たとえコロナが終息したとしても、パンデミックの状況下で急速に発展したオンライン・コミュニケーションが今後衰退化することは考えにくく、むしろポストコロナ時代にあっては、オンライン・コミュニケーションにおける学習者の日本語運用のデータ蓄積が重要になる。その意味でも、本稿で示したようなオンライン環境を活用した調査法の試行錯誤と研究者間での情報共有が、日本語教育学の発展のカギとなると見込まれる。
友寄, 全志
令和3年度プロフェッサー・オブ・ザ・イヤーの受賞対象となった物理学実験で工夫したこと、特に実験の動画およびレポートの評価で心掛けた点を紹介する。
藤田, 義孝
サン= テグジュペリが地球と人間のあり方を新しい視点で捉える上で飛行機が大きな役割を果たしたことはよく知られているが,当時の地質学もまた作家の自然観・人間観の形成に寄与したのである。『夜間飛行』(1931 年)にはウェゲナーの提唱した大陸移動説の知識が見て取れるし,『人間の大地』(1939 年)には地質学的考察が主となるエピソードが存在している。本研究では,これらの作品の記述を分析した後,『星の王子さま』(1943 年)を視野に入れてサン= テグジュペリの自然観と人間観を概観し,地質学の知見が彼の思想と文学に何をもたらしたかを検討する。
北川, 浩之
日本文化は日本の自然や社会と親密に結びついている。日本文化をより深く理解するには、その歴史的な変遷を明らかにする必要がある。そのためには正確な時間目盛が必要不可欠である。さらにそれは、国際的な比較から日本文化の研究を進める場合、世界的に認知された共通の時間目盛である必要がある。そのような時間目盛の一つに「炭素14年代」がある。炭素14年代は考古学、歴史学、人類学、第四紀学、地質学などの日本文化に深く関係する研究分野に有益な情報を与えてきた。これらの研究分野に炭素14年代を適用する際、年代測定に用いることができる試料の量が限られ、試料の量の不足から年代測定できないことが往々にある。したがって、少量試料の炭素14年代測定法の確立が望まれている。
茂呂, 雄二 小高, 京子 MORO, Yuji ODAKA, Kyoko
本論は2部からなる。第1部では日本語談話研究の現状を展望して,それぞれの研究が指向する方法論の違いを取り出してみた。第2部には日本語談話に関係する研究の文献目録を収めた。日本語談話研究は学際的に展開されており,言語学では言語行動研究および談話分析,社会学からはエスノメソドロジーに基づく会話分析とライフストーリー研究が,心理学・認知科学研究からはプロトコル分析およびインターフェース研究などが,広い意味での日本語談話分析研究を行っている。この研究の広がりからわれわれが取り出した研究指向の違いは以下の通りである。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
本稿は西日本における縄文時代後・晩期から弥生時代前期にかけて,植物質食糧獲得の手段がどのように変化するか検討したものである。後・晩期には雑穀・穀物を対象とした栽培の存在が主張されてきたが,考古学的にも自然科学的にも決め手にかける状況が続いている。原因はこの時期にみられる考古学的な変化が,水稲栽培が始まるときにみられる変化ほど直接的でないことにあるので,後・晩期における考古学的な変化が縄文文化の枠内だけで説明できるのか,説明できないのか調べる必要がある。
橋本, 章 Hashimoto, Akira
宮座に関する研究は、かつては歴史学や民俗学、そして社会学など数々の分野がその研究対象として注目してきた課題であった。それは、ひとつには宮座を題材とした研究について、歴史学や社会学など数多の分野の研究者が取り組むという、学際的な雰囲気のなかでその議論が醸成されてきたこととも深くかかわっているようにも見受けられる。しかしながら、研究課題の細分化が進んだ昨今の状況では、宮座を主題化した研究がさほどの進展を見せないまま沈滞するに至っている。しかし、民俗として各地に伝承されている宮座事例は、村落史や村落共同体のあり方を解明する指標として有効である。宮座という課題を今一度各分野それぞれの研究の俎上にのせるためには、これまでの議論がどのような背景を持つ研究者からどのように提示され、またその議論が展開されてゆく過程で、その対象となった事例がどのように取り扱われてきたのかを検証する必要があるものと思われる。
吉田, 茂 大城, 政一 Yoshida, Shigeru Oshiro, Seiichi
南西諸島は和牛の供給地域であり,牛肉の輸入自由化にともない全国的に和牛に対する需要が高まるものと予想されるので,その供給体制作りを早いうちに確立しておく必要がある。南西諸島の家畜市場での肉牛の取引は成牛に比べて子牛が多い。そして,そのほとんどが南西諸島外へ出荷されている。出荷先は鹿児島県本土を主体に九州地域が多い。南西諸島の家畜市場における子牛の取引状況を見ると,高価格がつけられるのはいい血統の子牛である。市場立地条件の不利性をカバーするには亜熱帯海洋性気候という恵まれた自然条件を最大限に活用し,更によりよい品質の母牛,種牛を導入し広範囲に普及することにかかっている。南西諸島の一部は鹿児島県に属しているが,自然条件並びに立地条件は沖縄県と類似しており,肉牛生産技術の研究開発,流通上の問題解決に当たっては同一経済圏域として協力し合うことにより南西諸島のより望ましい発展が期待出来るものと思われる。
佐藤, 健二 Sato, Kenji
本稿は近代日本における「民俗学史」を構築するための基礎作業である。学史の構築は、それ自体が「比較」の実践であり、その学問の現在のありようを相対化して再考し、いわば「総体化」ともいうべき立場を模索する契機となる。先行するいくつかの学史記述の歴史認識を対象に、雑誌を含む「刊行物・著作物」や、研究団体への注目が、理念的・実証的にどのように押さえられてきたかを批判的に検討し、「柳田国男中心主義」からの脱却を掲げる試みにおいてもまた、地方雑誌の果たした固有の役割がじつは軽視され、抽象的な「日本民俗学史」に止められてきた事実を明らかにする。そこから、近代日本のそれぞれの地域における、いわゆる「民俗学」「郷土研究」「郷土教育」の受容や成長のしかたの違いという主題を取り出す。糸魚川の郷土研究の歴史は、相馬御風のような文学者の関与を改めて考察すべき論点として加え、また『青木重孝著作集』(現在一五冊刊行)のような、地方で活躍した民俗学者のテクスト共有の地道で貴重な試みがもつ可能性を浮かびあがらせる。また、澤田四郎作を中心とした「大阪民俗談話会」の活動記録は、「場としての民俗学」の分析が、近代日本の民俗学史の研究において必要であることを暗示する。民俗学に対する複数の興味関心が交錯し、多様な特質をもつ研究主体が交流した「場」の分析はまた、理論史としての学史とは異なる、方法史・実践史としての学史認識の重要性という理論的課題をも開くだろう。最後に、歴史記述の一般的な技術としての「年表」の功罪の自覚から、柳田と同時代の歴史家でもあったマルク・ブロックの「起源の問題」をとりあげて、安易な「比較民俗学」への同調のもつ危うさとともに、探索・博捜・蓄積につとめる「博物学」的なアプローチと相補いあう、変数としてのカテゴリーの構成を追究する「代数学」的なアプローチが、民俗学史の研究において求められているという現状認識を掲げる。
大畑, 孝二 Ohata, Koji
著者は自然科学の分野における鳥類学及び保全鳥類学の立場で共同研究者として参加した。水田は様々な鳥類が生息,繁殖の場として利用するとともに環境保全の立場からもどのような水田環境が望ましいのかという研究がされ,その保全活動が各地で実践されている。
下地, 敏洋 Shimoji, Toshihiro
本事例報告は、観光産業科学部の提供科目である「長寿の科学」において、著者が担当した「老年学への招待-サクセスフル・エイジングを通して-」の講義内容に基づくものである。
ダニエルス, クリスチャン Daniels, Christian
本稿では、雲南の地方志から収集した14世紀から19世紀までの自然災害データ入力の進行状況について報告し、なおかつこのデータを分析する際に注意すべき問題点を指摘している。雲南の広域に亘り大きな被害をもたらした洪水が1625年と1626年の二年間連続して発生しているが、地方志はそれを記載していない事例から、地方志という類の史料は自然災害を網羅的には記録していない点が判明している。したがって、その不充分さを補充するためには、上奏文など別の史料からのデータ収集も望ましい。しかし、以上のような欠点が地方志にあったとしても、気候が長期に亘りどのように変動したかなど、長期的なパターンを明らかにすることはできる。本稿の考察では、16世紀の雲南が14、15,17、18世紀より湿潤だったとした上で、16世紀の人口増加によって土地開発が進行した雲南では、行政と社会は以前より湿潤になった天候に対応できなったため、洪水などの災害が被害を増幅させたと推定した。
上里, 健次 Uesato, Kenji
切り花用として栽培されるデンドロビウムを対象に,沖縄の亜熱帯気象条件下における発育生態を品種間差異を含めて調査検討した。供試した品種は主として沖縄で栽培されているもののおよそ19品種で,萌芽から開花に至る生長サイクルの動きと,栄養生長および開花に関する諸形質を比較することの両面から検討した。得られた結果の概要は次のとおりである。1. 冬季に低温となる亜熱帯気候下においては,萌芽期が春季に集中し,夏季に栄養生長が行われ,その結果開花が秋期に集中することとなり,このような生長サイクルの動きは環境温度の面から必然的である。2. その中で,生長の開始となる萌芽時期は品種によって異なり,また栄養生長に要する期間にもかなりの品種間差があり,とくにPramotは早生性を有する点で特異的であった。3. 茎長,葉数などの栄養生長に関する形質,開花本数,花序長,輪数などの開花に関する形質の,それぞれにも品種間差があり,とくにWaipahu Pinkは茎長が長く開花本数が多い点で目立った。
趙, 廷寧 翁長, 謙良 宜保, 清一 楊, 建英 孫, 保平 Zhao, Tingning Onaga, Kenryo Gibo, Seiichi Yang, Jianying Sun, Baoping
黄土丘陵ガリ区は中国における侵食の激しい地域の一つである。激しい土壌侵食に半乾燥・乾燥気候,峻険な地形と悪化した生態環境に加えて,土地生産力は極めて低く,住民の生活も貧困である。このような自然・経済状況に鑑み適当な侵食防止策と農業開発技術を探討する為に,「黄土丘陵ガリ区における小流域の土壌侵食防止と農業開発技術に関する研究」を国家の指定研究課題とし,北京林業大学が寧夏回族自治区の西吉県の黄家二岔小流域において,1981年から一連の研究を行ってきた。採用された技術は該当地域の資源レベルと一致し,研究成果は類似な小流域にも適用・普及できる。黄家二岔小流域の侵食防止・農業開発の実際により,流域管理事業には連続的な資金・技術投入があれば,土砂流失は98%まで低減でき,食糧生産高と住民の年平均収入がそれぞれ526%と566%まで増加できるとされている。本研究は当該小流域の侵食防止措置と侵食防止事業の効果について検討するものである。
神里, 美智子 岸本, 恵一
本研究は,「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実へ向けてより効果的な指導に寄与するため,多様な学び方を経験し自分に必要な学び方を選択する学習に取り組んだ85 名の生徒を対象に,学習への興味等と,学び方に関する質問紙調査を実施した。その結果,①友達と一緒に考えながら取り組む楽しさについて9割を超える生徒が肯定的に捉えていること,また,答えは自分で考えて探していくものだと思うことについて8割以上の生徒が肯定的に捉えていることが示唆された。多様な学び方を経験し自分に必要な学び方を選択する学習の中に,他者と協働しながら学びを進めることの楽しさやよさを実感する要素や,学びを自分自身の力で獲得するといった学習観をもつことができる要素が含まれていることが示唆された。②学び方について,9割以上の生徒が友だちと勉強を教えあうことを,また,7割以上の生徒が自分に合った勉強のやり方を工夫したり,考えても分からないことは先生に聞いたりすることを選択しながら学習を進めていることが示唆された。③授業の内容が理解できていると感じている生徒は,考えても分からないことは先生に聞いたり,問題を解いた後ほかの解き方がないかを考えたり,授業で習ったことを自分でもっと詳しく調べたりしながら学習を進めている可能性が示唆された。
安藤, 広道 Ando, Hiromichi
「水田中心史観批判」は,過去四半世紀における日本史学のひとつのトレンドであった。それは,文化人類学,日本民俗学の問題提起に始まり日本文献史学,考古学へと拡がった,水田稲作中心の歴史や文化の解釈を批判し,畑作を含む他の生業を視野に入れた多面的な歴史の構築を目指す動きである。その論点は多様であるが,一方で日本文化を複数の文化の複合体とし,水田中心の価値体系の確立を律令期以降の国家権力との関係で理解しようとする傾向が強く認められる。そして考古学の縄文文化,弥生文化の研究成果も,その動向に深く関わってきた。
呂, 政慧
本論文は、清朝末期の中国湖北省師範留学生が編纂した音楽教科書『音楽学』(一九〇五年)を取り上げ、近代における曲の越境をめぐる受容と変容の問題を論ずるものである。まず先行研究を参照しつつ、中国・日本・西洋それぞれにおける「唱歌」の概念とその変遷及び中日における唱歌教育の歴史を振り返ったうえ、『音楽学』の編纂者や出版情報の分析に基づき、本書が中日音楽交流史における重要な位置を占めることを明確にした。次に、『音楽学』所収の四十二曲の唱歌が参照した元歌を可能な限り検証し、『音楽学』の唱歌と日本、更に西洋の曲との受容関係を表で示した。最後に、日本の曲に新たに中国語の歌詞が付された唱歌を歌詞の変化の度合いにより「翻訳唱歌」と「翻案唱歌」に分類し、それぞれ元歌との比較分析を行った結果、日本人の民族精神を高揚させる日本の唱歌から中国の民族精神を高揚させる中国の唱歌に変貌をとげたことも指摘できた。
山田, 浩世
近世琉球・奄美において発生した災害は、その多くが個別の事件として把握され、各島々でどのような災害が起こり、総体としてどのような対処がとられてきたのかについては十分に把握されてこなかった。また、琉球・奄美の島々で起った災害は、同時期の日本や世界的規模で発生していた災害とどのような関係性をもっていたのかという点についても十分に論じられているとは言いがたい状況に置かれてきた。1780年代及び1830年代において日本では、天明の大飢饉及び天保の大飢饉が発生し、大規模な飢饉が起っていた。飢饉の発生の要因には、冷夏や風水害などさまざまな要因が示されてきたが、琉球・奄美の島々ではどのような災害が発生していたのであろうか。本稿では、伝存する諸史料の記載によりながら、島々でどのような災害が発生していたのか、またその関連性について検討を加えた。琉球・奄美の島々の歴史の中で個別の災害として捉えられてきた現象が、実は広く世界的規模で展開していた気候変動の影響を受けたものであり、人々と社会は大きな転換を災害との関係の中で迫られていたことを本稿では検討した。
松木, 武彦 Matsugi, Takehiko
AMSによる放射性炭素年代測定法の高精度化によって,型式学を基礎として把握されたさまざまな考古学的現象の時間幅を精確に把握することができるようになった。それにより有効性が増した作業の一つに,土器型式ごとの遺構・遺物量の算定などからする人口変動の復元がある。
小川, 由美 上地, 完治 上村, 豊 道田, 泰司 村上, 呂里 浅井, 玲子 小田切, 忠人 加藤, 好一 藤原, 幸男 吉田, 安規良 Ogawa, Yumi Uechi, Kanji Uemura, Yutaka Michita, Yasushi Murakami, Rori Asai, Reiko Kodagiri, Tadato Katou, Yoshikazu Fujiwara, Yukio Yoshida, Akira
琉球大学教育学部学校教育教員養成課程小学校教育コース教育実践学専修は、教育課程の理念として、「早期から系統的な教育実践経験を継続的に積ませ、実践と理論とを往還的に学ぶ機会を繰り返し提供する」ことをめざしている。教育実践学専修の概要とその特色あるカリキュラムについては『日本教育大学協会研究年報』第30集にも掲載されている。本報では、その特色あるカリキュラムの中から、専修専門科目で必修の実習科目でもある「小学校教育フィールドワークⅠ」(以下「FWⅠ」と略記)及び「小学校教育フィールドワークⅡ」(以下「FWⅡ」と略記)に焦点をあて、このFWⅠならびにFWⅡが従来の教育実習体系の間隙を時系列的にも内容的にも埋めて、体系的・継続的な教育実践経験を通した教員養成のために非常に有意義であることを示したい。
河辺, 俊雄 山内, 太郎 大西, 秀之 KAWABE, Toshio YAMAUCHI, Taro ONISHI, Hideyuki
本研究ユニットは、ラオス国内における生態学的環境を異にする複数の地域において、地域住民の生活環境への生物学的適応と社会文化的適応を同時に評価することを目的とする。特に「身体」に焦点を当て、人びとの形態と行動(活動)を規定している要因について、生物学的側面から社会文化的側面に至るまでを射程に入れ、さらにはその相互作用について検討する。また、開発や市場経済化などの「近代化」に起因するライフスタイルの変化が身体の形質や活動に及ぼしている影響を把握するとともに、その現在までの歴史的変遷を世代間や地域間などの比較を通して考察する。
岩崎, 公典 屋, 宏典 IWASAKI, Hironori OKU, Hirosuke
沖縄県は亜熱帯性の気候に属し、その強い環境ストレスから、植物の生体防御物質は温帯のものより豊富であることが知られている。これらの植物群を長く食材として利用してきた沖縄県民は、何らかの影響を受けていると考えられる。筆者らは沖縄における低発ガン率に注目し、食品性の抗腫瘍活性のスクリーニングを行った。特に、細胞増殖速度に依存しない抗腫瘍活性、 「腫瘍選択的細胞抑制活性」についてスクリーニングを行った結果、沖縄県において特徴的に用いられている薬草茶であるサルカケミカン (Toddalia asiatica Lam.) に強い活性を見出した。単離された活性物質はジヒドロニチジン(Dihydronitidine : DHN) と同定された。DHNの抗腫瘍活性は既に示唆されていたが、今回の報告ではこれまでの活性だけでは説明できない抗腫瘍効果が示された。このDHNの選択的抑制活性は腫瘍細胞に特異的な物質輸送経路に依存していることが示唆された。今回示した腫瘍選択的細胞抑制活性は、特定の腫瘍細胞のみをターゲットとする新たな抗腫瘍剤の検索に貢献できると考えられた。
大西, 拓一郎 ONISHI, Takuichiro
言語地理学は,その学術的展開とともに語形分布の2次元空間的配列関係を基盤とした歴史的解釈に目的を焦点化させるに至ったが,そのような方法では,例えば待遇表現のように地域が持つ社会的特性と言語が関連を持つ事象の分析に十分対処することができない。また,配列関係に基づく解釈においても,その背景にある地理的情報を検討することは必要である。本来,言語地理学は言語外の情報と言語情報を空間的に照合することで,言語=方言と人間の実生活との関係を見ていくことに,そのダイナミズムがあった。そのような出発点に立ち戻るなら,地理情報システム(GIS)は,言語地理学を再生させるための大きなキーとなるものである。
大門, 哲 Daimon, Satoru
民俗学における稲作特化保障論の近年の関心は,内部資源の多面的利用,いいかえれば家の個別生計状況に集中しているが,いうまでもなく,家をとりまく政治力学を看過することはできない。今回とくに注目したいのは,民俗学で旧来等閑視されてきた耕地整理事業の意義である。
末吉, 敏恭
令和元年度大学教育改善等経費にて採択された微分積分学等の数学的素養不足者に対する学習サポート事業について,実施目的,実施方法とその成果を報告する。
種村, 威史 TANEMURA, Takeshi
近世の文書社会については、近世史料学やアーカイブズ学の進展によって、その特質が解明されつつあるといってよい。ただし、文書のライフサイクルについていえば、作成・授受、管理・保存、引継ぎについては研究成果が蓄積されているのに対して、廃棄に関しては立ち後れている。中世史料学において、政治組織の特質との関連で廃棄の問題を論じていることを考えれば、近世史料学においても、近世社会の特質との関連で検討する必要がある。そこで、本稿では、幕府によって「民間」より回収された徳川将軍文書の焼却を事例とし文書焼却を検討した。その結果、焼却が将軍文書の効力を抹消する唯一の方法であること、焼却方法が喪葬に酷似した作法を伴うものであったこと、その背景には文書に対して将軍のイメージを投影するかのような文書認識が存在していたこと等を明らかにした。
春成, 秀爾 Harunari, Hideji
縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,1937年に,縄文土器型式を細別すると同時に,早期・前期・中期・後期・晩期に大別した。各時期は,関東・東北地方では平均5土器型式から成っていた。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行われてきた、幾つかの系統の研究を整理し(文化人類学的地域性論、地理学的地域性論、歴史学的地域性論)、この「地域性」概念の混乱が研究を阻害してきたことを明らかにし、解釈に混乱の余地のない「地域差」から研究をはじめるべきだとした。この地域差とは何か、何故地域差が生ずるのかという命題に関し、それまでの「地域差は時代差を示す」とした柳田民俗学に対する反動として、一九七〇年代以降、その全面否定の下で機能主義的な研究が展開してきたこと(個別分析法や地域民俗学)、しかしそれは全面否定には当たらないことを明らかにし、柳田民俗学の伝播論的成果も含めた、新たな解釈モデルとして、文化の受容構造論を提示した。その際、伝播論を地域性論に組み替えるために、かつての歴史地理学的な民俗学研究や文化領域論の諸理論を再検討するほか、言語地理学や文化地理学などの研究動向や研究方法(資料操作法)も参考にした結果、必然的に自然・社会・文化環境に対する適応という多系進化(特殊進化)論的な傾向をとるに至った。すなわち地域性論としての文化の受容構造論的モデルとは、文化移入を地域社会の受容・適応・変形・収斂・全体的再統合の過程と把握して、その過程と作用の構造を分析するもので、さらに社会文化的統合のレベルという操作概念を用いることによって、近代化・都市化の進行も視野に含めた、一種の文化変化の解釈モデルであるともいえよう。
池上, 大祐
本稿は、教員養成を意識した大学における歴史教育の在り方を考察することを目的とする。具体的には、琉球大学歴史学講義科目「歴史総合」を事例に、非教育学部系における歴史学専門カリキュラム構成、科目特性、講義内容、講義方法、講義に対する学生の反応を分析する。2022年度から新高等学校学習指導要領にもとづき、知識・技能、思考力・判断力、主体的に学びに向かう姿勢といった、いわゆる「学力の三要素」を涵養する「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が順次新設されることを受けて、これらの新科目を担当できる教員の資質とは何かを、教員養成課程を設置している歴史学専門教育はどのような講義構成の工夫が必要になるのか、改めて考察する必要があることを指摘する。
福嶋, 秩子 FUKUSHIMA, Chitsuko
アジアとヨーロッパの言語地理学者による各地の言語地図作成状況と活用方法についての国際シンポジウムでの発表をもとに,世界の言語地理学の現状と課題を概括する。まず,言語地図作成は,方言境界線の画定のため,あるいは地図の分布から歴史を読み取るために行われてきた。さらに言語学の実験や訓練の場という性格もある。地図化にあたり,等語線をひいて境界を示すこともできるが,言語の推移を示すには,記号地図が有用である。また,伝統方言の衰退もあって社会言語学との融合が起き,日本ではグロットグラムのような新しい調査法が生まれた。情報技術の導入により,言語地図作成のためのデータは言語データベースあるいは言語コーパスという性格が強まった。コンピュータを利用した言語地図の作成には,1.電子データ化,2.一定の基準によるデータの選択・地図化,3.他のデータとの比較・総合・重ね合わせ・関連付け,4.言語地図の発表・公開,という4段階がある。最後に,言語地図作成の課題は,言語データの共有・統合,そして成果の公開である。
道田, 泰司 吉田, 安規良 浅井, 玲子 Michita, Yasushi Yoshida, Akira Asai, Reiko
琉球大学教育学部が「質の高い小学校教員養成を強化すること」を目指して学生教育組織を改組した結果として誕生した学校教育教員養成課程小学校教育コース教育実践学専修の1期生が大学教育に何を求めているのかについて調査することを通して、教員養成学部の学生が大学教育に何を求めているかについて検討し、「教員として最小限必要な資質能力を確実に身に付けさせる」「学び続ける教員像」に対応した大学のカリキュラム改革の一助となる基礎資料を作成した。学生の声を分析した結果、小学校教員志望の学生は実践や教育実習、学校現場や教員の実際に関わる科目や実践とのつながりが見える授業を求めている傾向が見られた。科目区分ごとにみると共通教育科目では楽しく分かりやすく学習内容を、教職科目では教員として指導する立場になったときのことを考える授業を、教育学部科目では公立小学校や離島を体験したり、他者の体験を聞いたりすることを、専修専門科目では、実際の現場や実践記録など、教育実習に役立つことを学生はそれぞれ求めている傾向が見られた。
金城, 克哉 Kinjo, Katsuya
本論文は、近年注目を集めているコーパス言語学の概要を示し、同時に言語教育への応用とフリーソフトウェアを用いた分析方法を紹介するものである。コーパス言語学は、コーパスを利用して言語分析を進める研究方法の分野として近年盛んに議論され、様々な論考もすでに多くある。ここでは短いながらもどのような研究分野があるのか、それが日本語教育と英語教育にどのように応用できるのか、また実際の分析はどのようにすればよいのかを論じる。
木村, 慶太 山田, 幸生 中牧, 弘允
南米発祥のエケコ人形について文化人類学的な視点を提示し,それにもとづき製作を行った。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
「考える」(思考する)とはどういうことかについて,国語学者,哲学者,認知科学者,発達心理学者の論考を参考に考察した。それらの議論を暫定的にまとめ,各概念の関連およびその教育上の示唆を考察した。最後に,本稿に欠けているものとして,問いに答えるのではなく\n問いを問う思考について検討した。
後藤, 雅彦 主税, 英德 仲程, 祐輝
本報告は、2023年度に実施した琉球大学考古学研究室の研究活動として、①久米島銭田貝塚周辺の調査、②久米島の蔵元跡の研究、そして大学院生の実施した③台湾調査について報告する。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
2007年10月に中国北京日本学研究センターで開催された国際シンポジウムにおいて,最近の日本語研究の新動向の一つとして,「言語問題への対応を志向する日本語研究」の事例を紹介した。国立国語研究所の「外来語」言い換え提案を取り上げることにより,日本語の体系や構造,あるいは日本語の使用実態に関する調査研究を基盤としながらも,さらにその先に日本語の現実の問題を見据えた総合的・実践的な「福祉言語学」の一領域が既に開拓されていることを示した。
石嶺, 行男 Ishimine, Yukio
沖縄県の基幹産業の首位は依然として糖業によって占められ, 糖業は県経済の安定維持を図る上で極めて重要な役割を果している。イネ科作物のサトウキビは糖業の唯一の原料として県内のほとんど全域にわたって栽培されており, 栽培面積は総耕地面積の70%を超える。サトウキビを栽培している農家世帯は総農家数の85%以上におよび, その生産は農業粗生産額の30%前後に相当する。他方, 沖縄県は高温多湿な亜熱帯に位置し気候が海洋性であるため雑草の生育に好適な環境が形成されており, 至る処に多種多様の雑草の発生・繁茂がみられ, 植生の様相は国内の他の地方とは著しく異なる。本研究で扱ったサトウキビ畑の雑草は一年生草と多年生草を合わせて233種を数えたが, このうち最も大型で, 繁殖・散布が極めて旺盛であることから雑草害の大きい草種として注目されるのはイネ科の多年生草タチスズメノヒエとキク科の多年生草タチアワユキセンダングサの2種である。タチスズメノヒエは1,2,3月を除き常時発生し, タチアワユキセンダングサは周年発生する。このため両草種の防除には多くの時間, 労力, 費用を必要とし, 蔓延が広範囲におよんだ場合は, サトウキビの栽培上由々しい問題となることが予想される。また, 両草種に関する限り従来の除草剤, 機械力または人力に依存する防除対策には自ら限界があり, これらの慣行的方法と併せて新たに有効適切な防除体系を組み立てることが強く望まれている。本研究は, まずサトウキビ畑に発生する雑草群落の実態を把握し, 次に代表的な強害雑草と判断されるイネ科のタチスズメノヒエとキク科のタチアワユキセンダングサの生育と環境要因との関係を追究し, 更に研究の最終段階でサトウキビと両草種の競合関係を検討し, 生理・生態学的観点から両草種の効果的な防除につながる基礎的知見を得ることを目的として1981年から1985年にかけて県内の主なサトウキビ栽培地域と琉球大学農学部附属農場において行われたものである。以下, その結果を総括し, 結論とする。1雑草群落と雑草相群落調査の結果, 調査地点のサトウキビ畑で確認された雑草は, 18亜種22変種を含む59科181属233種であった。これを科別にみると, イネ科とキク科が最も多く, 次いでカヤツリグサ科とタカトウダイグサ科が主なものであった。
山本, 英二 YAMAMOTO, Eiji
本稿は、幕藩前期(17世紀前半)の三河国山間部を事例に、年貢割付状・年貢皆済目録・年貢小請取といった年貢文書について、史料学的な検討を試みたものである。
琉球医学会事務局
2010年10月8日(金)に開催された、琉球大学附属図書館・広島大学図書館ShaRe2共催研修会「共同リポジトリの現状と今後 ~沖縄地域学リポジトリ正式公開を迎えて~」における講演スライド。
栗田, 則久 Kurita, Norihisa
大原幽学によって、天保年間に下総地方東部の農村を舞台に展開していった性学という思想については、先学諸氏によって研究されてきたところであるが、この思想が在地の伝統的習俗である墓地にどのように反映しているか、山田町府間地区に所在する帰命台地区・小日向地区二か所の性学墓の測量調査を通してみてみると、村の伝統的墓制に適合していくという意識はなかったようである。両地区に共通する長方形を意図した規模の大きな土塁築造、性学型墓石の採用、男女を区別した埋葬など、それまでの村の伝統的な墓地にはみられない独自の新しい葬制を採り入れている。そこには、村の中での性学の合理的思想の浸透とはまた違った意味で、墓制という伝統的習俗までは踏み込むことができなった一側面が存在していたことが考えられる。
安室, 知 Yasumuro, Satoru
水田漁撈に用いられる漁具のひとつに魚伏籠がある。その先駆的研究として八幡一郎が注目されるが,彼はいち早く魚伏籠の分布と稲作文化圏の一致を示唆した。本稿では,八幡の研究の後を受けて,主として民俗学的アプローチにより,魚伏籠と水田稲作との関係について考察し,水田漁撈具としての魚伏籠の持つ民俗学的意味を明らかにすることを目的とした。
佐藤, 雅也 Sato, Masaya
ここでの問題意識は、民衆・常民の視点、民衆・常民の側に立った史学、文化史が民間伝承の学(民俗学)の本質とするならば、語りの部分、語られた部分を基礎に、戦争をとらえていくこと。日本の民衆・常民にとって、近代の戦争体験とその後の人生を明らかにしたうえで、戦争体験の記録と語りを継承していくことを目的としている。
長田, 俊樹
小論の目的はこれまでのムンダ語族の比較言語学研究を概観することである。まず、ムンダ語族の分布と話者人口、およびそれぞれの言語についてのこれまでの研究を紹介する。そして比較言語学研究のうち、さいしょに音韻論について述べる。とくに、母音についてはいろいろと議論されてきたので、母音を中心にみる。次に形態論、統語論、語彙論について述べる。その際、インドの他の語族との関連を中心に論ずる。さいごに、オーストロアジア語族とムンダ諸語について、ドネガンらの研究を中心に述べる。
藤尾, 慎一郎 篠田, 謙一 坂本, 稔 瀧上, 舞
本稿は,弥生時代の人骨と,韓半島新石器時代,三国時代の人骨のDNA分析結果が,弥生時代人の成立と展開に関して与える影響について考古学的に考察したものである。
馮, 天瑜
古漢語「経済」の元々の意味は、「経世済民」、「経邦済国」であり、「政治」に近い。日本は古代より「経世済民」の意義で「経済」を使ってきた。近世になって、日本では実学が勃興し、その経済論は国家の経済と人民の生活に重点が置かれた。近代になると、さらに「経済」という言葉をもって英語の術語Economyを対訳する。「経済」の意味は国民生産、消費、交換、分配の総和に転じ、倹約の意味も兼ねる。しかし、近代の中国人学者は、「経済」という日本初の訳語に対してあまり賛同しないようで、Economyの訳語として「富国策、富国学、計学、生計学、平準学、理財学」などの漢語を対応させていた。清末民国初期、日本の経済学論著(とりわけ教科書)が広く中国に伝わったことや、孫文の提唱により、「経済」という術語が中国で通用するようになった。しかし、「経済」の新義は「経世済民」の古典義とかけ離れているばかりでなく、語形から推計することもできないから、漢語熟語の構成根拠を失った。にもかかわらず、「経済」が示した概念の変遷は、汎政治的汎道徳的な観念が中国においても日本においても縮小したことを表している。
宇佐美, まゆみ
「談話(discourse)」という用語がよく聞かれるようになってかなりの年月が経つ。「談話研究(discourse studies)」という用語は、1970年代頃でも、言語学のみならず、心理学、哲学、文化人類学などの関連分野でも使われてきたが、最近では、学際的研究のさらなる広がりの影響を受けて、政治科学、言語処理、人工知能研究などにおいても、それぞれの分野における意味を持って使われるようになっている。本稿では、まず、「談話」という用語が言語学に比較的近い分野においてどのように用いられてきたかを、1960年代頃に遡って、7つのアプロ―チに分けて、概観する。また、「談話分析」や「会話分析」と「第二言語習得研究」、「語用論」、「日本語教育」との関係について簡単にまとめる。さらには、1980年代以降のさらなる学際的広がりを受けての「政治科学」や「AI(人工知能)研究」における用語の用いられ方にも触れ、それらの分野との連携の可能性についても触れる。
尾崎, 文代 (広島大学図書館) Ozaki, Fumiyo
2009年2月6日(金)に開催された「沖縄地域学リポジトリ試験公開記念講演会」における講演スライド。
千田, 嘉博 Senda, Yoshihiro
中世城館の調査はようやく近年,文献史学,歴史地理学,考古学など,さまざまな方法からおこなわれるようになった。こうした中でも,城館遺跡の概要をすばやく,簡易に把握する方法として縄張り調査は広く進められている。縄張り調査とは地表面観察によって,城館の堀・土塁・虎口などの防御遺構を把握することを主眼とする調査をいう。そしてその成果は「縄張り図」にまとめられる。
川田, 牧人 Kawada, Makito
本稿は、フィールドワークによって知識が獲得され形成される過程において、可視性すなわち見ることがいかに関連するかという課題を検討することを目的としている。自然科学における「客観的」観察の前提を相対化し、主観と客観の相互作用や一体化といった側面が見いだされることに関連させて、文化人類学と民俗学の「見る」方法を考察する。その第一の立脚点は「way of looking」と「way of seeing」の対比である。前者はものの見方、観察の仕方といった具体的な方法のことであり、後者は個々の技術の背景をなしているような人間観、社会観をさしている。本稿ではこの両者の観察のモードによって、とりわけ文化人類学の観察調査が現場でどのようにおこなわれるかを検討する。一方、民俗学の観察の特徴として、「主観の共同性」をとりあげる。自然を観察しそこから季節の変わり目を感じたり農作業の開始時期を判断したりすることは個人的で主観的な感覚であるはずだが、その主観が一定範囲の人々のあいだで季節の慣用表現や農耕儀礼として共同化されていることが主観の共同性である。それは同時に「見立て」や「なぞらえ」といったメタファー的視覚の生成を意味している。そこで考察の第二の立脚点として、ウィトゲンシュタインのアスペクト論を検討し、意味理解の文脈依存性という論点を導き出す。この観点から、エヴァンス=プリチャードやミシェル・レリス、柳田國男などの民族誌記述を検討する。これらの議論を経由して、何ら先見性のない白紙の観察ではなく、むしろフィールドという場の論理としての文脈においてなされるような観察と、アスペクト転換を反映させたような把握・理解と叙述が、文化人類学と民俗学の観察法の特徴であるという帰結にいたる。そのような観察と記述のありかたから、現実と仮想が行き来する生活世界にせまる方法を吟味する。
裵, 炯逸
植民地状況からの解放後の大韓民国において、その「朝鮮(Korea)」という国民的アイデンティティが形成される過程のなかで、学問分野としての考古学と古代史学は、重要な役割を果たしてきた。しかしながら、その学問的遺産は、二〇世紀初頭に朝鮮半島を侵略し、植民地として支配した大日本帝国の植民地行政者と学者によって形成されたものでもあった。本稿は、朝鮮半島での「植民地主義的人種差別」から、その後の民族主義的な反日抵抗運動へと、刻々と移り変わった政治によって、朝鮮の考古学・歴史理論の発展が、いかなる影響を被ったのかについて論じるものである。
田中, 牧郎 島田, むつみ 髙橋, 雄太 TANAKA, Makiro SHIMADA, Mutsumi TAKAHASHI, Yuta
明治5 年に文部省から刊行された『物理階梯』は,日本で初めての物理学の教科書である。発表者らは,本書のコーパス化を進めており,そのコーパスによって行った語彙調査の概要を報告し,本書の語彙の性格について若干の考察を加える。本書は,短単位で,延べ約39,000 語,異なり約4,400 語からなる。本書の語彙を,同時期の啓蒙雑誌『明六雑誌』の語彙(延べ約178,000 語,異なり約13,200 語)と比較し,本書で高頻度でありながら,『明六雑誌』で頻度0 または1 の約300語を抽出し,その性格を考察した。その結果,(1) 物理学の話題で使われる「テーマ語」,(2) 物理学の「専門語」,(3) 物理学に限定されない「学術語」に分けられた。(1) は「管」「動き」「浮かぶ」など,旧来からある語,(2) は「光線」「静止」「空気」など,蘭学以後登場した語,(2) は「距離」「両端」「中央」など従来の一般語が学術語化したものと,蘭学以後登場した新語の両方が見られた。
斎藤, 達哉 新野, 直哉 SAITO, Tatsuya NIINO, Naoya
1985~2000年の『国語年鑑』の雑誌掲載文献の目録情報にもとづいて,分野別の文献数の動向調査を行った。雑誌掲載の文献の採録数は年鑑のデータベース化にともなって1991年に大きく減少したが,1994年以降は緩やかな増加傾向にある。その状況下で,国語学にとっての「中核的領域」の文献数は,近年,横這い状態になっている。そのなかでも,[文法]だけは増加している。いっぽう,国語学にとっての「関連領域」の文献数は,近年,緩やかな増加の傾向にある。とくに,[国語教育]が伸びを示している。また,[コミュニケーション][言語学]には「中核的領域」に含まれる内容の文献も多く,文献数においても上位を維持している。「関連領域」のなかでの大分野となっている[国語教育][コミュニケーション][言語学]については,『国語年鑑』で,それぞれの分野の下位分類を増補・改訂するなど,近年の研究動向に対応が必要な時期に来ているのではないかと思われる。
鈴木, 正紀 (文教大学越谷図書館) Suzuki, Masanori
2009年2月6日(金)に開催された「沖縄地域学リポジトリ試験公開記念講演会」における講演スライド。
鈴木, 博之 丹珍曲措
本稿では、中国雲南省徳欽県雲嶺郷で話されるカムチベット語諸方言(sDerong-nJol 方言群雲嶺山脈西部下位方言群)において観察される歯茎破擦音と歯茎摩擦音のゆれについて、佳碧、八里達、査里頂、査里通、永支の5か村で話される変種に認められる音声現象を簡潔に記述し、そこに認められる記述言語学、歴史言語学上の問題を議論する。
川村, 清志 小池, 淳一 Kawamura, Kiyoshi Koike, Jun'ichi
本稿は,民俗学における日記資料に基づく研究成果を概観し,その位置づけを再考することを目的とする。民俗学による日記資料の分析は,いくつかの有効性が指摘されてきた。例えば日記資料は,聞き取りが不可能な過去の民俗文化を再現するための有効な素材である。とりわけ長期間にわたって記録された日記は,民俗事象の継起的な持続と変容を検証するうえでも,重要な資料とみなされる。さらに通常の聞き取りではなかなか明らかにし得ない定量的なデータ分析にも,日記資料は有用であると述べられている。
上江洲, 朝男 江藤, 真生子 里井, 洋一 Uezu, Asao Eto, Makiko Satoi, Yoichi
伊良波は,「琉球大学教育学部附属中学校研究史~理論変遷と校内研の在り方~(上)」において,琉球大学教育学部附属中学校(以下,附属中)の創立期から第10 期までの34 年間の研究史を紐解いて概観し,第4期までの研究を分析,考察した。その結果,行動主義から構成主義の研究にどのように移行していったのかを明らかにした。 本論では上記「2『全体総論』の変遷」に引き続き,第5期から第10 期までの研究の理論変遷と研究の在り方について述べていくこととする。
西内, 沙恵 NISHIUCHI, Sae
本稿では多義語が有する複数の意味をどのように確認できるか,言語学的な方法に焦点をあてて検討する。多義語は同一の音形に意味的に何らかの関連を持つ二つ以上の意味が結びついている語と定義される。多義語の語義の粒度は研究の目的や研究者の立場によって異なるため,多義性を認める方法も言語学的なアプローチと心理実験的アプローチからさまざまに考案されてきた。本稿では先行研究で提案されてきた,多義性を認める言語学的な方法を,語彙テスト・文法テスト・論理テストに区分して一覧し,その有効性を検討する。それぞれのテストがどのような仕組みによって成り立っているかを分析し,どの程度の粒度で語義が認められるかという観点から各テストの特徴を論じる。現代日本語の名詞・形容詞・動詞を対象にそれぞれのテストが有効に働く品詞を検討し,その適用範囲を示す。
財部, 盛久 我如古, さゆり Takarabe, Morihisa Ganeko, Sayuri
本研究では12年間にわたり保育園で開催されている子育て座談会の参加者にとって,座談会に参加することにどのような意味があると考えているのか明らかにし,今後,座談会を展開するうえでの課題について検討することを目的としている。座談会の形式には変遷があるが,保護者は座談会に参加し,子どもの発達や対応について学ぶことができた。また,参加した保護者との交流を通して子育ての不安や負担感を解消して安堵感を得ていた。一方保育士は保育の振り返りや反省,新しい考え方を学ぶこと,保護者の悩みを知り不安や悩みを共有し共感している。そして,このことが子どもや保護者に寄り添おうとする対応に反映されていることが明らかになった。これを踏まえ,今後の座談会を展開するうえでの課題を臨床心理学的観点から論じた。
石井, 美絵 (広島文教女子大学附属図書館) Ishii, Mie
2009年2月6日(金)に開催された「沖縄地域学リポジトリ試験公開記念講演会」における講演スライド。
関沢, まゆみ
本論の目的は,民俗学の食習調査の理念の確認と,食習調査やその後の民俗資料緊急調査等の食習に関する資料から,とくに食制つまり食べ方を中心とした「食習と観念」の変化について分析を行なうことである。
姜, 竣 Kang, Jun
これまで筆者は,紙芝居という素材を民俗学の研究対象にする上で,いくつかの困難にぶつかってきた。それは,紙芝居が風俗であって民俗ではないとか,定本柳田集の索引にその項目はあるかとかいうような難儀をぶつけられたことである。理由は,紙芝居という実践が変化しやすく,いわゆる民俗社会とは馴染みのうすい領域だからだろう。民俗学が変化という事象を捉えられないのは,歴史の同一性(伝承)の把握を学の使命としてきたからであり,また,柳田の分類を再生産(記述)するなかで民俗という事象は実体視されてきた。しかし,柳田がトラディションの訳語を伝統ではなく伝承としたのは,対象の変化しつつ構造化する側面を重視するための工夫であった。
小林, 謙一 Kobayashi, Kenichi
本稿では,縄紋時代像を再構成する上で不可欠な年代測定と考古学の関係を構築するための研究史的な整理を行った。
中村, 俊夫 Nakamura, Toshio
加速器質量分析(AMS)は,14C年代測定の利用に革命をもたらした。AMSでは,分析装置に直接に用いられる炭素量はわずか1mg程度に過ぎない。これまで試料の量が不十分なため不可能とされていた様々な試料を直接に14C年代測定することが,AMSにより可能となっている。AMSは,考古学,文化財科学,地質学など,14C年代を利用するすべての関係分野の研究発展に多大な貢献をしている。
上地, 完治 村上, 呂里 吉田, 安規良 津田, 正之 浅井, 玲子 道田, 泰司 Uechi, Kanji Murakami, Rori Yoshida, Akira Tsuda, Masayuki Asai, Reiko Michita, Yasushi
本研究は、本学部教員養成課程の3年生を対象に実施した聞き取り調査をもとに、彼らが教育実習前に学部授業で学んだことで教育実習中に役立ったと感じたことや、実習前に学んでおきたかったことについて分析することによって、学部教員養成教育と教育実習との接続に関する問題点を明らかにし、学部教員養成教育のあり方を再構築するための手がかりを得ようとする試みの一環である。
上地, 完治 村上, 呂里 吉田, 安規良 津田, 正之 浅井, 玲子 道田, 泰司 Uechi, Kanji Murakami, Rori Yoshida, Akira Tsuda, Masayuki Asai, Reiko Michita, Yasushi
本研究は、本学部教員養成課程の3年生を対象に実施した聞き取り調査をもとに、彼らが教育実習前に学部授業で学んだことで教育実習中に役立ったと感じたことや、実習前に学んでおきたかったことについて分析することによって、学部教員養成教育と教育実習との接続に関する問題点を明らかにし、学部教員養成教育のあり方を再構築するための手がかりを得ようとする試みの一環である。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
これまでの民俗学において,〈在日朝鮮人〉についての調査研究が行なわれたことは皆無であった。この要因は,民俗学(日本民俗学)が,その研究対象を,少なくとも日本列島上をフィールドとする場合には〈日本国民〉〈日本人〉であるとして,その自明性を疑わなかったところにある。そして,その背景には,日本民俗学が,国民国家イデオロギーと密接な関係を持っていたという経緯が存在していると考えられる。
宜野座, 綾乃
本稿では、本学部の共通教育科目社会学系講義として2019年に筆者が新設した「ジェンダー学とインターセクショナリティ」の概要を紹介し、誰もが当事者になりうる社会的問題としてのジェンダーを主体的に考察する試みと、その課題について整理したい。特に、フェミニストの視野を取り入れた講義形態にとって重要と思われる、セイフスペースを学生とともに創造し、ポジショナリティとしての社会的位置の批評的理解に関する取り組みを紹介したい。
大貫, 静夫 Onuki, Shizuo
挹婁は魏志東夷伝 Weizhi Dongyizhuan の中では夫餘の東北,沃沮の北にあり,魏からもっとも遠い地に住む集団である。漢代では,夫餘の残した考古学文化は第2松花江 Songhua Jiang 流域に広がる老河深2期文化 Laoheshen 2nd Culture とされ,北沃沮は沿海州 Primorskii 南部から豆満江 Tuman-gang 流域にかけての沿日本海地域に広がっていた団結文化 Tuanjie Culture に当てることで大方の一致を見ている。漢代の挹婁はその外側にいたことになる。漢代から魏晋時代 Wei-Jin Period に竪穴住居に住み,高坏を伴わないという挹婁の考古学的条件に符合する考古学文化はロシア側のアムール川(黒龍江 Heilong Jiang)中・下流域および一部中国側の三江平原 Sanjiang Plain 側に広がるポリツェ文化がよく知られている。北は極まるところを知らず,東は大海に浜するという点では,今知られる考古学文化の中ではアムール川河口域まで広がり,沿海州の日本海沿岸部まで広がるポリツェ文化が地理的にもっともそれに相応しいことは現在でも変わらない。そのポリツェ文化はその新段階に沿海州南部に分布を広げる。層位的にも団結文化より新しい。魏志東夷伝沃沮条に記された,挹婁がしばしば沃沮を襲うという記事はこの間の事情を反映したものであろう。ただし,ロシア考古学で一般的な年代観を一部修正する必要がある。最近,第2松花江流域以東,豆満江流域以北に位置する,牡丹江流域や七星河 Qixing He 流域において漢魏時代の調査が進み,ポリツェ文化とは異なる諸文化が展開したことが分かってきた。これらの魏志東夷伝の中での位置づけが問題となっている。すなわち,東夷伝に記された挹婁としての条件を考えるかぎり,やはり既知の考古学文化の中ではポリツェ文化がもっともそれに相応しく,七星河流域の諸文化がそれに次ぎ,牡丹江流域の諸文化,遺存がもっともそれらから遠い。しかし,だからといって,これらを即沃沮か夫餘の一部とするわけにはいかない。魏志東夷伝の記載から復元される単純な布置関係ではなく,実際はより複雑だったらしい。
小熊, 誠 Oguma, Makoto
民俗学において文化交流をどのように位置づけるかについて,第1に柳田國男の言説を中心に検討し,第2に,文化交流という概念のもとで,沖縄と中国の比較研究が可能かどうか考察する。
永野 マドセン, 泰子 イェーテボリ大学文学部 Nagano Madsen, Yasuko
2010年3月に琉球大学の法文学部とイェーテボリ大学文学部の学部協定が結ばれ,学生3名の交換他の交流が行われる事になった。2006年に初めてにコンタクトを取った折に対応してくださった金城尚美先生,その後学部協定の世話人になってくださった小那覇洋子先生および狩俣繁久先生に感謝の意を表したい。本稿ではイェーテボリ大学の日本語学科を紹介すると共に,近年の学生交流の傾向や今後の課題についても触れてみたい。
本書は、フィリピンのアクラン州のNew Washington地区やBatan地区の河口域における漁具や漁法を掲載したものです。漁具・漁法の記述とともに、どのようにその漁法が選択されるのか、漁獲生物の生態や行動が漁獲効率にどのように影響を及ぼすのか、漁獲漁業の調査をフィールドでどのように行うのか等について記載されています。また、現地漁民がそれぞれの漁具・漁法を選択するに至った生物学的、社会学的情報についても記載しています。
丸山, 岳彦 田野村, 忠温 MARUYAMA, Takehiko TANOMURA, Tadaharu
現在国立国語研究所において構築が進められている「現代日本語書き言葉均衡コーパス」が2011年に完成し,日本語初の大規模な均衡コーパスを誰もが利用できるようになる。これにより,諸外国,諸外国語に大幅な遅れを取っていた日本語のコーパス言語学的な研究は,新たな段階を迎えるものと期待される。「コーパス日本語学の射程」と題した本特集の巻頭論文として,本稿では日本語研究におけるコーパスの利用の歴史を振り返り,将来の展望やコーパスの利用をめぐって注意すべきいくつかの問題について述べるとともに,特集に収めた各論文について簡単に紹介する。
上里, 健次 UeSato, Kenji
ラン科植物の種子発芽時に形成されるprotocormの発育の過程を形態学的および生理学的に検討し, 合わせて栄養器官ならびに組織からの個体発育の過程も同様に検討し, ラン科植物それぞれの生長環におけるprotocormの位置づけを試みた。実験材料にはCattleya類, Cymbidium, Dendrobium, PhalaenopsisおよびVandaをあて, 胚ならびに組織の培養には無菌培養の手法を適用して, 種々の外的および内的条件とを関連づけながら検討した。それらの結果をまとめると, およそ次のとおりである。1種子起原のprotocormは, 形態学ならびに生理学的に整理すると, 球体に向けての肥大発育が行なわれる分化程度の低い前半と, 高度に分化してすでに生長しつつある幼芽を伴う後半の両ステージに分けられる。Cattleya類など種類によっては, 後半のステージに入っても幼芽の発育が進まず, 肥大生長と増殖のみが続行して, 一見カルス様の異常形protocormとなるものが含まれるが, 基本培地のBrassolaeliocattleyaにおけるその形成割合は2.4%であった。2 Cattleya類ならびにCymbidiumの茎頂組織, およびPhalaenopsisの花梗側芽組織の培養において, いわゆるprotocorm like bodyの形成を認めた。これらを形態学的および生理学的に, 種子起原のprotocormと比較検討した結果, ほぼ同じものと判断し, 広義のprotocormとすることを提案した。3 Cattleya類の茎頂組織培養には時期的に組織の褐変現象が付随して見られ, 活着率低下の原因となっているが, 培地へのascorbic acid添加処理によってある程度改善されることを示した。4 Phalaenopsisの花梗側芽組織を培養する場合には, その側芽を再度伸長させ, そこで二次的に形成される開花前の若齢側芽組織を利用することによって, 活着率が向上することを示した。5 LaeliocattleyaおよびCymbidiumの無菌幼植物から茎節切片を採取して培養し, それらが幼植物に発育する過程の第一段階にprotocormのステージが存在することを確認した。6 Laeliocattleya, PhalaenopsisおよびVandaの葉組織を培養し, 芽の原基を有しないこれらの部位から個体発生が行なわれる際にも, protocormのステージを経ることを確認した。
ホイットマン, ジョン WHITMAN, John
本プロジェクト(日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究)の目的は,日本語とその周辺の言語を主な対象とし,その統語形態論的・音韻的特徴とその変遷を,言語類型論・統語理論・比較歴史言語学の観点から解明することによって,東北アジアを1つの「言語地域」として位置付けることである。統語形態論の観点からは「名詞化と名詞修飾」に焦点を当て,日本語においても見られる名詞修飾形(連体形)の多様な機能を周辺の言語と比較しながら,その機能と形と歴史的変化を究明する。歴史音韻論の観点からは,日本語周辺諸言語の歴史的再建を試み,東北アジア記述言語学における通時言語学研究を推進する。本稿では,この共同研究プロジェクトを紹介しながら,日本語,厳密にいうと日琉語族がどの言語地域に属するかについて検討する。
シーコラ, ヤン
徳川時代は、ヨーロッパで経済学が独立した学問として登場してきた思想的な激動期に対応している。西洋の思想のある分野――とりわけ自然科学思想――は日本学者に研究され普及してきたが、しかし西洋の政治・経済思想が日本に紹介されることは多かれ少なかれ制約されていた。一方、同時に日本の経済・社会がますます複雑になり、貨幣経済が進展していくにつれて、ヨーロッパの経済学者が考察を深めていったのとよく似た経済現象が形成されていた。
上西, 晴也 UENISHI, Haruya
本稿は、明治太政官期の農商務省の文書管理を分析するものである。明治太政官期の文 書管理については、歴史学とアーカイブズ学の双方において、多くの研究が積み重ねられ てきた。しかし、その多くが、個別の官庁内部の検討にとどまっているため、何が各官 庁の個別的な特徴であり、何が同時代的に普遍性をもつ事柄であるかは、十分に明らか になっていない。また、日本の官庁の特徴である、稟議制による意思決定過程の解明も、 未だ不十分である。
本間, 淳子 HOMMA, Junko
本稿では,筆者が日本語教師対象の研修活動に参加し,研究方法にであうまでの過程とその過程での気付きについて報告した。研修の活動として,研究を計画し,我流でデータ収集を始めたが,フィールドワークという研究方法のテキストを読み,具体的な指針を得て,エスノグラフィーにまとめることを学んだ。研究をするためには,方法論とそれを支える枠組が必要であることを学んだ。そして,研修修了後も自律的な学びを続けようと考えるようになった。
柴田, 純 Shibata, Jun
柳田国男の〝七つ前は神のうち〟という主張は、後に、幼児の生まれ直り説と結びついて民俗学の通説となり、現在では、さまざまな分野で、古代からそうした観念が存在していたかのように語られている。しかし、右の表現は、近代になってごく一部地域でいわれた俗説にすぎない。本稿では、右のことを実証するため、幼児へのまなざしが古代以降どのように変化したかを、歴史学の立場から社会意識の問題として試論的に考察する。
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