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かりまた しげひさ Karimata Shigehisa / 狩俣 繁久
琉球列島全域の言語地理学的な調査の資料を使って、構造的比較言語地理学を基礎にしながら、音韻論、文法論、語彙論等の基礎研究と比較言語学、言語類型論、言語接触論等の応用研究を融合させて、言語系統樹の研究を行なえば、琉球列島に人々が渡来、定着した過程を総合的に解明できる。言語史研究の方法として方言系統地理学を確立することを提案する。
吉岡, 亮
『人物管見』は同時代において新しい人物論として受容されていた。それは、内容的な面で従来の人物論と異なるものであったことと共に、人物論をめぐる言説を蘇峰が提示し、その影響圏において『人物管見』が読まれたためでもあった。また、山路愛山は蘇峰の人物評論の方法を文学史に援用していた。
江戸, 英雄 EDO, Hideo
表題の「嵯峨院の六十の賀」ほか、うつほ物語とその年立を考えるうえで重要な事柄を論じ、物語の方法の一端も明らかにしてみた。
鈴木, 直子 SUZUKI, Naoko
本稿は、国立能楽堂の公演記録資料を事例に、どのように資料の目録編成を行うか、アーカイブズ学の視点からその方法論を考察したものである。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行われてきた、幾つかの系統の研究を整理し(文化人類学的地域性論、地理学的地域性論、歴史学的地域性論)、この「地域性」概念の混乱が研究を阻害してきたことを明らかにし、解釈に混乱の余地のない「地域差」から研究をはじめるべきだとした。この地域差とは何か、何故地域差が生ずるのかという命題に関し、それまでの「地域差は時代差を示す」とした柳田民俗学に対する反動として、一九七〇年代以降、その全面否定の下で機能主義的な研究が展開してきたこと(個別分析法や地域民俗学)、しかしそれは全面否定には当たらないことを明らかにし、柳田民俗学の伝播論的成果も含めた、新たな解釈モデルとして、文化の受容構造論を提示した。その際、伝播論を地域性論に組み替えるために、かつての歴史地理学的な民俗学研究や文化領域論の諸理論を再検討するほか、言語地理学や文化地理学などの研究動向や研究方法(資料操作法)も参考にした結果、必然的に自然・社会・文化環境に対する適応という多系進化(特殊進化)論的な傾向をとるに至った。すなわち地域性論としての文化の受容構造論的モデルとは、文化移入を地域社会の受容・適応・変形・収斂・全体的再統合の過程と把握して、その過程と作用の構造を分析するもので、さらに社会文化的統合のレベルという操作概念を用いることによって、近代化・都市化の進行も視野に含めた、一種の文化変化の解釈モデルであるともいえよう。
本間, 淳子 HOMMA, Junko
本稿では,筆者が日本語教師対象の研修活動に参加し,研究方法にであうまでの過程とその過程での気付きについて報告した。研修の活動として,研究を計画し,我流でデータ収集を始めたが,フィールドワークという研究方法のテキストを読み,具体的な指針を得て,エスノグラフィーにまとめることを学んだ。研究をするためには,方法論とそれを支える枠組が必要であることを学んだ。そして,研修修了後も自律的な学びを続けようと考えるようになった。
神山 靖彦 Kamiyama Yasuhiko
2つの図形の間に連続写像がどの位あるか調べる幾何学をホモトピー論という。従来のホモトピー論の諸問題は、問題ごとにアドホックな方法で解決されてきた。本研究では重心配置空間という空間を定義し、その性質について予想を提示した。この予想が解決されれば、既知の諸定理に統一的な別証明を与えることができ、同時に未解決問題も解決することを解明した。本研究のメリットは以下の点にある。ユークリッド空間内の何枚かの平面たちの補集合は原理的に計算可能である。重心配置空間はこのような補集合の一種なので、連続写像を作るという従来の方法よりもはるかにアプローチしやすい。
李, 済滄
京都学派の東洋史学者として、谷川道雄(1925~2013)は内藤湖南からの学統を受け継いでいる。中国の歴史を時代区分論という方法で捉えた内藤は、紀元3~9 世紀の魏晋南北朝隋唐史を中世貴族制の時代と位置付け、世界の中国史研究に計り知れない影響を与えた「唐宋変革論」の礎としている。そして、この学説を深化させ、さらに発展させたのが谷川である。
山中, 光一 YAMANAKA, Mitsuichi
時代状況というものが、作家や作品と相互作用をもつ実体としての「場」として把えられることを、近代文学の出発点における二葉亭四迷の例について論じ、そのマクロの時代状況を記述する方法として、読者層、出版メディア、言葉と文体の要素について、時代的変化の指標を分離して論ずることについて述べる。
Goya Hideki 呉屋 英樹
語彙知識は外国語学習の中でも特に必要不可欠な知識の一つであり、近年その効果的な学習方法や教授方法が盛んに研究されている。本論文は、母語や第二言語習得論の様々な理論的枠組みを検討し、「外国語教師が語彙を効果的に教える為には、何をどのように教えるべきか?」という問いへの提言を行った。本調査で対象とした理論的枠組みは、主に語彙知識、母語の影響を示す意味転移、Word-sense に焦点を当てた意味的知識の処理、そして第2言語習論の内、近年多くの研究者の注目を集めているコネクショニズムの4つであった。調査の結果、外国語学習者の母語話者程度の語彙知識獲得の困難さの理論的な説明と、その説明を元に外国語教師が実際に教室で意識すべき事項や具体的指導方法が、これまでの指導方法と相互補完的に示唆された。また現行の理論的枠組みの限界が示され、学習者コーパスを利用しての学習者の語彙知識の学習研究分野への新たな手法の可能性が示された。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shinichiro
本稿は,考古学的事実を使って較正曲線上に土器型式をおとしていく方法について論じたものである。対象とした時期は九州の縄文晩期:天城式・入佐式から弥生中期初頭:城ノ越式までの約800年間である。
江戸, 英雄 EDO, Hideo
細井貞雄の『うつほ物語玉琴』の「総論」を読み、『うつほ物語』論の始発点としての彼の位置を再考する。また、師、本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』から受けた影響と方法的な進展を明らかにし、曲亭馬琴の小説批評との比較も行い、『玉琴』の限界と到達点を確かめた。
辻, 誠一郎 Tsuji, Seiichiro
歴博国際シンポジウム「過去1万年間の陸域環境の変遷と自然災害史」は,文部省が推進するCOE中核的研究機関支援プログラムの一つである国際シンポジウムとして,1997(平成9)年11月25日~11月28日の4日間,国立歴史民俗博物館において開催された。このシンポジウムは,環境変動に深くかかわり,また生態系をかたちづくるさまざまな構成要素に見られる個別の現象を,乾燥から湿潤地域へと地域ごとに総合的に捉え直し,かつ地域を縦断的・広域的に捉え直すことで,個別の現象の環境変動史における位置づけをはかり,より広域的・総合的視点と新しい研究方法を育むとともに,これからの国際的視野に立った研究の推進,たとえば国際共同研究・調査のありかたや具体的な推進方法を模索することを目的とした。このシンポジウムでは,方法論についてはできるだけ地球規模で検討することにし,日本を含む湿潤地帯から乾燥地帯にかけての縦断的・広域的な現象論については,中国から日本を中心にした東アジアを取り上げた。
Kase Yasuko
英語文化専攻の必修科目『異文化理解』を担当する中で、どのようにダイバーシティ教育に取り組んできたのかをレポートする。教材の選定と使用例、学生に提示したディスカッションのトピック、授業の展開方法、学生の反応を紹介し、琉球大学でダイバーシティに関する授業を提供する意義について論ずる。
鈴木, 康之 Suzuki, Yasuyuki
中世の消費遺跡をめぐる考古学的研究では、近年、資料の計量分析がさかんに行われ、数多くの成果が蓄積されつつある。しかしその一方で、分析結果を解釈し、過去の人間活動を復元するための方法は十分に論じられてはいない。
本橋, 裕美
皇女の婚姻が否定される例として、斎王経験者である場合が挙げられる。後朱雀天皇皇女・娟子内親王の場合は、斎院経験者であることが婚姻を「密通」として捉えられる原因となった。そして、この密通を歴史物語が語る際には、『伊勢物語』が用いられる。『栄花物語』の引用による叙述方法を引き継いだ『今鏡』の方法を中心に、『伊勢物語』の世界と重ねられる皇女の密通について論じた。
武藤, 秀太郎
本稿は、戦後日本のマルクス主義経済学の第一人者であった宇野弘蔵(一八九七―一九七七)の東アジア認識を、主に戦時中に彼が執筆した二つの広域経済論を手掛かりに検討する。「大東亜共栄圏」は、「広域経済を具体的に実現すべき任務を有するものと考えることが出来る」。――このように結論づけられた宇野の広域経済論に関しては、これまでいくつかの解釈が試みられてきた。だが、先行研究では、宇野が転向したか否か、あるいは、かかる発言をした社会的責任はあるかどうか、といった点に議論がいささか限定されているきらいがあり、戦後の宇野の発言等を含めた総合的な分析はなされていない。私見では、宇野の広域経済論は、戦前戦後を通じて一貫した経済学方法論に基づいて展開されており、彼の東アジア認識を問う上で非常に貴重な資料である。大東亜共栄圏樹立を目指す日本は、東アジア諸国と「密接不可分の共同関係」を築いていかねばならないという、広域経済論で打ち出されたヴィジョンは戦後も基本的に継承されている。このことを明らかにするために、広域経済論を戦後初期に宇野が発表している日本経済論との対比から考察する。
眞榮平 孝裕 堀田 貴嗣 Maehira Takahiro Hotta Takashi
研究概要(和文):本研究課題の主要目的は、二酸化アクチノイドに関連する強相関現象の解明と、結晶場効果を取り入れた相対論的バンド計算方法の開発である。二酸化アクチノイド化合物AnO_2(An=U、 Np、 Pu、 Am)は、局所密度近似(LDA)の基でのバンド計算にて理解されるはずであるが、実際にはLDAの基礎とした計算では半導体の電子構造を再現することは容易ではない。蛍石型構造をもつ二酸化アクチノイドの結晶場基底状態は、Γ8レベルが下、Γ7レベルが上にあると考えるのが自然であるが、LDAの下でのバンド計算では、Γ8とΓ7の順序が逆転した結果となってしまう。そこで、この様な矛盾が起こらないようバンド計算に結晶場(CEF)効果を陽に取り込んだ方法を提案した。RLAPW法とCEF方法の組み合わせによるバンド計算プログラムを開発し、二酸化アクチノイドについて適用した。結晶場効果を取り入れた計算方法は、二酸化アクチノイド化合物の電子状態を考える上での1つの方法として、有効であることがわかった。
鈴木, 貞美
日本文学、特に近・現代小説の特殊性をめぐる議論について、曽根博義氏の「昭和文学史Ⅱ 戦前・戦中の文学 第二章小説の方法」(小学館版『昭和文学全集』別巻)を取り上げて検討する。曽根博義氏は、昭和十年を前後する時期における小説の方法的追究のうち、横光利一の「四人称」の提唱と、太宰治や石川淳の前衛的な一人称の試みを、「主格が曖昧な日本人の自意識」と「超越的主体を持たない日本語の話法」と関係づけて論じている。ここにあるのは、当代の表現意識及び自意識の問題についての歴史性の閑却と、ア・プリオリに想定された「日本人の自意識」及び「日本語の話法」への還元主義である。その背後には、西欧の「近代的自我」と「客観的レアリスム」を基準として文芸を価値判断する”近代主義”があり、さらにその根本には、発展段階論的な一国文学史観に基づいて第二次大戦後に形成された”近代化主義”がある。
緒方 茂樹 相川 直幸 Ogata Shigeki Aikawa Naoyuki
精神生理学的なアプローチの方法を、学校教育現場などのような実践場面すなわち、実験室以外のフィールド場面に応用していくことは、今後の教育分野の科学的な理論構築を考えていく中で新たな可能性をもつと考えられる。本報告では将来的にこのようなフィールドワークを行う際に必要な方法論的な工夫のひとつとして、特に子どもや発達障害児を対象にした場合を想定しながら、artifactsの除去という面から重点的に検討を加えた。その結果、従来的な各種フィルタリング(アナログフィルタと移動平均)の手法によるartifacts除去に関わる課題を指摘し、特に障害児を対象とした記録で混入が予想される「体動および筋活動電位によるartifacts」については、直線位相FIRデジタルフィルタを当てはめることで、視察的な面からみて十分に除去することが可能であることを明らかにした。さらにこのFIRデジタルフィルタについて、脳波波形認識法に関わる前処理としての有効性についても検証し、今後のアルゴリズム簡略化の可能性を示した。将来的なフィールドワーク、特に障害児教育への精神生理学的研究の応用に当たっては、この方法論はきわめて有効な手段のひとつとなりうると考えられる。
上原, 真人 Uehara, Mahito
額田寺では伽藍中枢に発掘のメスが及んでいないために,古代の堂塔にともなう瓦の実体は,ほとんどわかっていない。そのため,偶然採集された瓦など2次資料を主な材料に,額田寺の歴史と性格を検討せざるを得ない。検討に際しての方法論的な原則なども,あわせて言及した。
朝日, 祥之 ASAHI, Yoshiyuki
本稿では,独創・発展型共同研究プロジェクト「接触方言学による『言語変容類型論』の構築」で企画・実施された調査研究の成果を紹介した。最初に,研究目的と実施された調査の設計を述べた。その後,研究期間中に実施された様々な調査のうち,北海道札幌市と釧路市で実施された実時間調査と愛知県岡崎市で実施された敬語と敬語意識調査で取り扱われた「道教え」場面調査の調査結果,ならびに国内4地点における空間参照枠に関する調査結果を取り上げた。また「言語変容類型論」構築の試案を提示し,その提示の方法,試案の有用性,反省点,今後の当該分野に関する展望を行った。
清水, 善仁 SHIMIZU, Yoshihito
本稿は、筆者がこれまで考察してきた大学アーカイブズ理念を実現するための方法論を、大学アーカイブズの活動戦略として検討したものである。戦略とは、理念と諸活動を結びつけるものである。この検討によって、大学アーカイブズの諸活動が整理され体系的に把握されるとともに、筆者の考える活動戦略の試論を提起することによって、大学アーカイブズの理念と活動の関係性に一定の枠組みを示すことになると考えられる。
笠谷, 和比古
本稿は、拙著『士(サムライ)の思想』において論述した日本型組織の源流と、同組織の機能特性をめぐる諸問題について、平山朝治氏から提示された再批判に対する再度の応答である。今回の論争の争点は、一、日本型組織を分析、研究するに際しての方法論上の問題。ここでは平山氏の解釈学的方法に対して実証主義歴史学の立場から、学の認識における「客観性」の性格を論じている。二、イエなる社会単位の発生の経緯とその組織的成長の特質をめぐる問題。ここではイエの擬制的拡大という、本来のイエの組織的成長の意味内容が争点をなしている。三、拙著で論述した近世の大名家(藩)なる組織と、イエモト型組織との組織原理をめぐる問題。ここでは西山松之助氏のイエモト観が取り上げられ、家元が流派の全体に対して絶大な権威をもって臨むイエモト型組織と、藩主が組織の末端の足軽・小者にいたるまで直接的支配を行う大名家(藩)の組織との、組織原理上の移動をめぐる問題が論じられる。そして付論として、日本の在地領主制と西欧の封建領主制との比較検討、特に日本の家と西欧の「全く家」との異同をめぐるやや専門的な問題を取り上げている。
浅井 玲子 Asai Reiko
1)教員養成課程の大学生80人の高等学校における家庭に関する科目の履修内容と学習方法すべてについて明らかにした。「食生活について」「衣生活について」は9割,「家族と家庭生活」「乳幼児の保育と親の役割」は8割,「住生活」については7割,「家庭経営・消費生活」6割を超える学生が学んでいた。しかし「ホームプロジェクト」「学校家庭クラブ」については3割にも満たない履修であった。\n学習方法は,衣生活と食生活を除けば講義形式がほとんどであり,問題解決学習の経験者は,延べ人数でも1割にも達していない。\n2)教員養成課程家政教育の専門科目「生活環境論」に問題解決の手法を取り入れ,互いに学びあう場として発表,メタ認知ツールとして認知地図を書かせた。予想以上の認知的広がりが見られた。\n認知地図を書くことによって,「物事の関連性に気づいた」「頭の中が整理できた」「振り返り再考できた」「楽しかった。今後活用したい」などの評価があった。認知地図作成は,良い方法として,受け入れられた。\n3)問題解決学習についての評価は,自由記述の文章を分析すると,約72%が「楽しかった」「充実していた」「実感できた」等と記述し,約78%が「自分の学習過程で学んだ」「他の人の発表から多くを学んだ」と答え,約56%は「授業に取り入れたい」「意欲が湧いた」と記述している。「授業に取り入れたいかどうか」を問うての記述ではないので,過半数は大きな成果と捉えたい。\n4)「生活環境論」受講前後の学生の行動は,①ごみに関すること②リサイクルに関すること③省資源,省エネルギーに関すること④水質保全に関すること⑤有害物質に関することのすべての面でポジティブな変化が見られた。\nこれらの事より,家庭科教員養成課程において「生活環境論」を問題解決学習で学ばせ,お互いに発表,意見交換しあい,認知地図によって自分の学びを確認することは,情意面,知識面,意欲面更には行動変化の面でも有効であった。\n上記のことより家庭科教員養成課程において「生活環境論」を問題解決学習の手法で学ばせ,認知地図を書かせ,メタ認知を促することは,有効な方法であり,問題解決学習の良さを学ばせる事ができる方法であると考えることができた。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は柳田國男「葬制の沿革について」に対して示された,いわゆる両墓制の解釈をめぐって,戦後の民俗学が陥った「誤読」の構造を分析し,戦後民俗学の認識論的変質とその問題点を明らかにし,現在の民俗学に支配的な,いわゆる民俗を見る視線を規定している根底的文化論の再構築を目的とする。柳田の議論は,この論考に限らず,変化こそ「文化」の常態とみた認識に立っており,その論題にもあるように,葬制の全体的な変遷を扱うものであった。ところが戦後,民俗を変化しにくい存在として捉える認識が優勢になると,論題に「沿革」とあるにも拘らず,変遷過程=「変化」の議論と捉えずに,文化の「型」の議論と読み違える傾向が生まれ,それが通説化する。柳田の元の議論も霊肉分離と死穢忌避の観念が超歴史的に貫徹する,あたかも伝統論のように解釈されはじめる。南島の洗骨改葬習俗と,本土に周圏論的に分布する両墓制を,関連のある事象として,これを連続的に捉える議論や解釈・思考法は,1960年代に登場するが,一つの誤読を定説化させた学史的背景には,民俗を変化しにくい地域的伝統と見做す,こうした根底的文化論が混入したことに尽きている。このような理解を生み出す民俗あるいは文化を,伝統論的構造論的に把捉する文化認識は,いわゆる京都学派の文化論を介して,大政翼賛会の地方文化運動において初めて生成された認識であるが,加えて戦後のいわゆる基層文化論の誤謬的受容によって,より強固に民俗学内部に浸透,定着化する。基層文化論は柳田の文化認識に近似していたナウマンの二層化説を,正反対に読解して受容したものであり,その結果,方法的な資料操作法のレベルにおいても,観察できる現象としての形(form)を,型(type)と混同して,民俗資料の類型化論として捉えられていく。
糸数 剛
文学読解観点論」とは筆者が構築した読解の理論で、文学読解の定義を「文学を対象として醸成される知的概念を言語化すること」とし、文学を対象として醸成された知的概念はすべて文学読解の材料とする。文学を対象として醸成された知的概念は、文学についての観点である。この観点をとらえ、とらえた観点を言語化することを文学読解の作業とする。ここで言語化する際の特徴として術語を用いることがこの論の独自性である。ここで用いる術語は、既存の術語も用いるが、ネーミングによって柔軟につくり出していくこともよしとする。このような文学読解に関する理論と方法を「文学読観点論」とよぶことにする。この活動で用いる術語を「読みの術語」とよぶ。「読みの術語」のうち、ネーミングによって新たにつくりだす術語のことを「ネーミング術語」とよぶ。
道田 泰司 Michita Yasushi
本研究では、今日の大学教育に必要とされている「思考力」の育成に、大学経験がどのように貢献しているかについて、米国における批判的思考研究を概観し、これまで明らかになっていることを整理し、今後の研究を展望することを目的とした。これまでの研究から、以下のことが明らかになっている。少なくとも1年以上の大学経験によって学生の批判的思考が向上していること。それは単なる成熟や年齢のせいではないこと。4年生の批判的思考のレベルはあまり高くないこと。最後に、方法論を中心に、今後の展望が論じられた。
服部, 伊久男 Hattori, Ikuo
古代荘園図と総称される史料群の一例である「額田寺伽藍並条里図」の分析を通じて,8世紀後半の額田寺の構造と寺辺の景観を明らかにすると同時に,寺院景観論の深化を図ることを目的とする。官寺や国分寺については多くの先行研究があるが,史料の少ない氏寺などの私寺の構造と景観については,古代寺院の大部分を占めるものの十分な研究がなされてこなかった。氏寺の寺院景観の一端を明らかにし,多様な寺院研究の方法を提起するために額田寺図を検討する。近年の古代荘園図研究の動向を受けて,考古学的に検討する場合の分析視角を提示し,寺院空間論などの領域論的,空間論的視点を軸として,寺院組織や寺院経済をめぐる文献史学上の論点を援用しつつ,額田寺の構造と景観に言及する。額田寺伽藍並条里図は多様な情報を有する史料体であり,寺領図という性格に拘泥せず様々な課題設定が可能である。本稿では,社会経済史的視点を援用し,本図を一枚の経済地図として読むことも試みる。額田寺をめぐる寺院景観の中では,とりわけ,院地,寺領,墓(古墳),条里をめぐる諸問題について検討する。さらに,近年の考古学的成果を受けて,古代寺院の周辺で検出されている掘立柱建物群について,畿内外の諸例(池田寺遺跡,海会寺遺跡,市道遺跡など)を中心に検討を行う。小規模な氏寺をめぐる景観をこれほどまでに豊富に描き出している史料はなく,その分析結果が今後の古代寺院研究に与える影響は大きい。考古学的に検討するには方法論的にも,また,現地の調査の進捗状況からも限られたものとなるが,考古資料の解釈や理解に演繹的に活用するべきである。とりわけ,これまであまり重要視されてこなかった院地の分析に有効に作用することが確認された。また,近年の末端官衙論とも関係することが明らかとなった。今後,寺領をめぐる課題についても考古学から取り組む必要も強調したい。
久須美, 雅昭 Kusumi, Masaaki
研究資料のデジタル化は,とりわけ人文系研究の領域において,新たな方法論の開拓や,これまでにない共同研究スタイルの確立などにつながる大きな可能性を秘めている。その反面,デジタル資料への依存は原本の喪失という危険な側面も併せ持っている。デジタルであることはすなわち,デジタルを解読するハードウェア,ソフトウェアに依存することであり,このようなハード,ソフトは市場の原理で極めて移ろい易いものだからである。
権, 五栄 Kwon, Ohyoung
本稿では,栄山江流域の政治体の性格や,三国時代における倭と栄山江流域の交流についての既存の見解を整理し,今後の研究の進展のための概念の定義,研究方法論の提示を試みた。具体的には,近肖古王の南征,栄山江流域の物質資料,韓日関係史における渡来人や倭系文物などについてのこれまでの解釈について再検討し,課題と展望を整理した。
與座 亜希子 玉城 葉月 上原 方希 緒方 茂樹 Yoza Akiko Tamashiro Hatsuki Uehara Masaki Ogata Shigeki
本研究では障害児教育において活用される機会の多い音楽を一つの辛がかりとし、実際の教育実践場面において、子どもの実態を把握するための評価に関する方法論の構築を目的とした。障害児教育の教育実践場面において、子どもの現段階での音楽に関わる発達を客観的に評価し、その後指導を行う上での次の目的や具体的な取り組みの方法内容を知る方策があれば、将来的に、音楽を通じて子どもの全体的な意味での発達支援へ繋げていくことができると考えられる。このことから、音楽に関わる子どもの発達についての客観的な評価を行うための「アセスメントツール」4点、及び教育実践場面において具体的に「音楽を活用した取り組み」を考案するための「実践ツール」3点を試作した。具体的な開発過程と実際の試用事例を示すことで、今回開発したツールの有効性を明らかとし、今後さらに改良を進めるに当たって考慮すべき課題について指摘した。
ボート, ヴィム
「日本研究の将来」に関して議論の余地があるのは、研究の対象と研究の方法だけである。前者は日本列島で発展してきた人間社会の産物と定義したい。この「日本研究」が学術的で実証学的な研究であるべきことは当然である。ただし、方法論としては「地域研究」(area studies)と「学科別」(disciplinary)の二つのアップローチが存在しており、筆者は「地域研究」のほうが妥当だと思っている。地域研究なら、日本人をして普遍的な「説」を支えるためにデータを集めさせて英語で提供させる訳にはいかない。自分がしかるべき知識を身につけて現場に行って調査するのである。「地域研究」の線で考えれば、専門分野の選びかたや教育・訓練や国際交流や財源などは自然と視野の中に入ってくるはずである。
福田, アジオ Fukuta, Azio
考古学と民俗学は歴史研究の方法として登場してきた。そのため,歴史研究の中心に位置してきたいわゆる文献史学との関係で絶えず自己の存在を考えてきた。したがって,歴史学,考古学,民俗学の三者は歴史研究の方法として対等な存在であることが原理的には主張され,また文献史学との関係が論じられても,考古学と民俗学の相互の関係については必ずしも明確に議論されることがなかった。考古学と民俗学は近い関係にあるかのような印象を与えているが,その具体的な関係は必ずしも明らかではない。本稿は,一般的に主張されることが多い考古学と民俗学の協業関係の形成を目指して,両者の間についてどのように従来は考えられ,主張されてきたのかを整理して,その問題点を提示しようとするものである。
道田 泰司 Michita Yasushi
本稿の目的は,大学教員として中学生に心理学の授業を計画し,実施したプロセスを報告することである。授業は90分,18名の中学3年生を対象に行われた。テーマは盲点の錯覚を中心とした知覚心理学としたが,テーマをどのように設定し,授業をどのように構想し,実施したのか。生徒の反応はどうであったか。このような点について報告することで,今後の中等教育における心理学教育について考える基礎資料とするのが本稿の狙いである。実践を実施した結果,盲点を中心に実験体験を通し,自分たちでも考えながら心理学に触れることの有効性が確認された。今後の課題としては,講義時間の長さや考える時間の確保,意見表出の方法などの方法論的な部分が挙げられた。
孫, 才喜
本稿では太宰文学の前期から中期の半ばまでに多く書かれた作品群、すなわち作中人物として作家、または作家「太宰」が登場し、作中で創作に対する苦悩、探求の様子を物語った「創作探求の小説」を中心に、作家の虚構理念、虚構意識、創作方法、文学観、自然観などの分析を行った。『ロマネスク』における「切磋琢磨」された「嘘」や、『めくら草紙』にあらわれている「鉄の原則」化された「巧言令色」は、ともに虚の世界に創造力を極大にし、「人工の極致」の境地を目指すものであった。すなわち同じく虚の世界である小説にリアリティを保証しようとする作家「私」の創作上の方法論であり、虚構理念である。これに芭蕉俳諧における「風雅の誠」との深い関わりがあったことは明らかである。
長谷川 裕 Hasegawa Yutaka
研究概要:(平成18年度時点)本研究の目的は、一方で(ア)教育における「能力主義」とはいかなるものなのかを、改めて原理的に社会理論的に考察すること、他方で(イ)今日の教育の実態の中では、能力主義の原理がどのような顕れ方をしているかを社会調査の方法によって把握すること、である。昨年度は、これらのうちとりわけ、教育における能力主義の原理論である(ア)に関わる作業に専心したが、今年度も、一方でこの作業を継続して行った。昨年度はその研究成果の一部として、日本の教育研究における能力主義論の重要な論者の一人である黒崎勲の諸説を検討する論考を執筆したが、今年度は特に、その黒崎が依拠する政治哲学者J・ロールズをはじめとするリベラリズムの理論・思想と、それに対抗する諸潮流の理論・思想との検討作業を行った。 (イ)は、教育における能力主義の実態論である。本研究ではとりわけ、子ども・若者の意識・行動が、教育における能力主義によって、教育領域外のそれとも絡み合いながら、どのように規定されているかを、主として調査票調査の方法によって、実証的に明らかにすることを計画している。本年度は、その調査を実施する準備として必要な文献・資料(類似したテーマに関する調査の報告書など)を収集し読み込み、それを踏まえて調査票を作成する作業を行った。年度当初は、そのようにしていったん仕上がった調査票を用いてプリテストを行う計画であったが、そこまでは到達できなかった。新年度は、その作業から開始する予定である。
Miyahira Katsuyuki 宮平 勝行
普遍的な発話行為のひとつとして唱えられた依頼行為(directive)については、多くの言語共同体における比較談話研究から、その表現上の多様性が明らかにされてきた。言語共同体に特有な依頼行為から推察される、文化的に規定された自己、対人関係、そして権力構造などについても多くの論考が存在する。異文化コミュニケーションにおいては、このような文化的特色を持つ総体が複数存在することから、談話を通して依頼行為の表現と意味の違いに関する相互調整が必要となる。そこで本稿では、従来の比較談話研究の結果を考察することによって、異文化コミュニケーションにおける依頼行為の研究の理論的立脚点をまとめてみた。考察の結果は四つの論点にまとめられる。(1)異文化コミュニケーションの研究では、発話者と聞き手の能力や態度、権利、義務などに関する語用論上の条件を当然のものとして受け止めず、意識的に分析することによってまず依頼に関する異文化間の類似点と相違点が明らかになる。(2)依頼行為の最も基本的な誤用論的特徴はその直接性と間接性にある。(3)依頼表現を直接-間接という連続体の上で捉えることによって、顕著な依頼表現の特徴を見出すことができる。このようにして明らかにされた依頼表現の誤用論的特徴は、背景にある文化特有の意味を発見し、それを的確に解釈する手がかりとなる。(4)異文化コミュニケーションで必要な依頼行為の相互調整の方法とそこから推察できる自己や対人関係の文化的な解釈には、直接-間接という連続体での駆け引きを考察することがひとつの有効な方法である。
今村, 峯雄 中尾, 七重 Imamura, Mineo Nakao, Nanae
歴史時代の資料研究には精度の高い年代測定が求められるため,特にウィグルマッチ法(wiggle-matching method)による炭素14年代測定が有効である。本研究は,ウィグルマッチ法による炭素14年代測定(14Cウィグルマッチ法)を,具体的に三つの国指定重要文化財の民家,神奈川県関家住宅・兵庫県箱木家住宅・広島県吉原家住宅に適用した事例の報告である。その意義については本課題のその1で述べられている。ここでは,方法論的技術的な観点を中心に記述した。
吉田, 和男
日本型システムが世界的に関心を持たれている。日本経済の発展に伴う摩擦やあこがれがそうさせている。同時に欧米のシステムとは大きく異なっていることから、「異質」である、「特殊」であることが内外から指摘されている。しかし、特殊であることを示しても意味がなく、普遍理論で包括的に分析されなければならない。また、欧米の個人主義に対して、集団主義という概念で一くくりにされる。しかし、集団主義と言っても何も分析したことにならない。日本型の集団主義のメカニズムを分析しなければならない。そこで社会科学としての分析が必要となるが、日本型システムが欧米で発達してきた社会科学の分析に馴染まないために、国民性の違いや非合理的行動として理解されることが少なくなかった。しかし、それは単に、欧米の社会科学を発達させてきた方法に問題があるにすぎない。個人主義を基礎とし、要素還元主義的方法であることが日本型システムの分析を難しくさせている。新しい分析のパラダイムが求められるところである。この要素還元主義による方法はすでに物理学や化学の分野では有効性を失い変化し始めている。これに対して、求められているのは要素間関係を重視する方法であり、システムを複雑系として理解する方法である。浜口教授の間人主義、ケストラーのホロン、清水教授のバイオ・ホロン、ハーケンのシナジェティクス、プリゴージンの散逸構造などの分析方法が有効性を持つことになる。伝統的な社会科学によって切り捨てられてきた問題をもう一度振り返る必要がある。逆にこの研究によって欧米のシステムももっと深く理解されることになる。日本型システムの分析という特殊性論の研究が普遍的理論へと発展していく可能性がある。
鹿内 健志 上野 正実 橋口 公一 能勢 行則 岡安 崇史 Shikanai Takeshi Ueno Masami Hashiguchi Koichi Nohse Yukinori Okayasu Takashi
軟弱地盤を走行する農機、建機などの研究において、車輪下の土の変形を解明することは走行性の向上のため重要である。そこで従来法と比較し精密に走行車輪下の土の変形を計測できるシステムの開発を行った。すなわち、土槽側壁の内側に設置したマーカの土に伴う動きを連続的に写真撮影し、平面位置検出装置により土中の変位分布を計測し、これより有限要素解析における方法を用いて土中ひずみ分布を算定する。砂地盤上で剛性車輪を供試して走行実験を行い、土中のひずみ分布を明らかにし、その特性を論じた。
茂呂, 雄二 小高, 京子 MORO, Yuji ODAKA, Kyoko
本論は2部からなる。第1部では日本語談話研究の現状を展望して,それぞれの研究が指向する方法論の違いを取り出してみた。第2部には日本語談話に関係する研究の文献目録を収めた。日本語談話研究は学際的に展開されており,言語学では言語行動研究および談話分析,社会学からはエスノメソドロジーに基づく会話分析とライフストーリー研究が,心理学・認知科学研究からはプロトコル分析およびインターフェース研究などが,広い意味での日本語談話分析研究を行っている。この研究の広がりからわれわれが取り出した研究指向の違いは以下の通りである。
長沢, 利明 Nagawawa, Toshiaki
共同研究の課題にもとづき,いわゆる霊肉二元論の再検討のための基礎的な作業として,その周辺問題をさまざまに考察した。二元論の一方を構成するところの肉体存在のあり方を,葬送習俗との関わりの中からとらえ直してみると,いろいろな課題が浮かびあがってくる。たとえば,従来いわれてきた遺体の不浄性ということは,沖縄地方の実態を見るかぎり,あまりあてはまらず,死者の遺体はもっと生者に身近な存在であったと思われる。また,沖縄地方の葬送儀礼には死霊への顕著な怖れの要素が見られるが,それは死穢の忌避という感情の生じる以前の原型的なものだと思われる。葬地の聖地への転化は,かつての本土でも広く見られたことであったろう。農地に遺体を埋葬する習俗も各地に見られ,部分的・限定的なものとはいえ,カンニバリズムの事例すら一部で見られたことを考えれば,日本人の肉体観は決して単純なものではなかったことがわかる。特殊葬法としての鍋かぶり葬の存在は,生者がいかに死者の肉体を死霊から守って保護しようとしてきたかを示しており,それは死者の封じ込めのための葬法ではなかった。さらに肉体は分割されることもありうる存在で,髪・爪・胞衣・臍の緒などの処理方法の中から,きわめて多様な習俗の実態を知ることができる。このように見てくると,従来の二元論の立場をもってしては,あまりうまく説明できないことも多く,肉体とはもっと複雑な存在で,硬直した機械論ではとらえることができない。私たちは二元論のその基本的な枠組みは承認しつつも,もっとそれを柔軟にとらえていく必要があることであろう。
小澤, 佳憲 Ozawa, Yoshinori
これまでの弥生時代社会構造論は,渡部義通に始まるマルクス主義社会発展段階論の日本古代史学界的解釈に大きく規定されてきた。これに対し,新進化主義的社会発展段階論を基礎に新たな弥生時代社会構造論を導入することが本稿の目的である。
早川, 聞多
本研究ノートは、ある美術作品とそれを観る者の間に生まれる「魅力」といふものを、生きた形で記述するための一つの方法を提起する。私がここで提起する方法は、スタンダールが『恋愛論』の中で詳細に生き生きと記述した「結晶作用」といふ、恋する者の心の中で起こる現象の記述方法に倣はうとするものである。「結晶作用とは目前に現れるあらゆることから愛する相手の裡に新しい美点を次つぎと発見する精神の作用のことだ」とスタンダールは述べてゐるが、かうした心理現象は恋人に対してだけ生じるものではなく、愛好する美術作品に対しても起こつてゐるのではないかと、私は考へる。そこで本文では、この「結晶作用」といふ心理現象に従つて美術作品の「魅力」を記述する具体例を示すために、私が長年興味を覚え続けてきた美術作品の一つ、與謝蕪村筆『夜色樓臺図』を例に採り、私の裡で生じた「結晶作用」の発展過程を記してみようと思ふ。そこには私の勝手な思ひ込みが幾重にも重ねられてゐるが、私にとつてはそれこそが「魅力」というふものの真の姿のやうに思へてならない。
種村, 威史 TANEMURA, Takeshi
近世の文書社会については、近世史料学やアーカイブズ学の進展によって、その特質が解明されつつあるといってよい。ただし、文書のライフサイクルについていえば、作成・授受、管理・保存、引継ぎについては研究成果が蓄積されているのに対して、廃棄に関しては立ち後れている。中世史料学において、政治組織の特質との関連で廃棄の問題を論じていることを考えれば、近世史料学においても、近世社会の特質との関連で検討する必要がある。そこで、本稿では、幕府によって「民間」より回収された徳川将軍文書の焼却を事例とし文書焼却を検討した。その結果、焼却が将軍文書の効力を抹消する唯一の方法であること、焼却方法が喪葬に酷似した作法を伴うものであったこと、その背景には文書に対して将軍のイメージを投影するかのような文書認識が存在していたこと等を明らかにした。
安田, 喜憲
和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
山内, 宏泰 Yamauchi, Hiroyasu
現在,日本国内においては巨大地震,大津波,巨大台風,低気圧などによる大規模自然災害が頻発する傾向が見られ,災害の記録,記憶を伝承する資料展示施設の社会的必要性が以前にも増して高まっている。しかし,その一方で同様の施設設置に係る基本的な理念,展示デザインの基本的な方法論は確立されておらず,設置された施設は管理運営,展示デザイン上の問題を多く抱えており,かつ,この状況を打開する具体的な試みが行われないままに新たな施設が設置されている。
工藤, 航平 KUDO, Kohei
本稿は、地域<知>の特質と構造の解明に関し、近世地域社会の蔵書をその一つの分析手段と考えて史料論的に検討を行うものである。まず、近年、多くの研究成果が蓄積されている書物・出版研究を批判的に検証し、調査・研究上における課題・問題点を明らかにする。次に、近世期の加賀藩十村を代々勤めた喜多家の蔵書目録「書籍録」を事例に、地域<知>の蓄積・継承という視点から、近世地域社会における蔵書認識を、調査・研究上の課題や作成者の認識・目的意図を踏まえて、実証的に分析する。その上で、近世期地域指導者層の地域<知>の形成・蓄積・継承の方法について明らかにする。
吉岡, 亮
演劇というジャンルが編成されていく過程を新たな形で見直していくために、本論では、明治一〇年代の演劇と、文明論、社会改良論、自由民権論といった、同時代の様々な領域の議論の交錯の具体的な様相と、それを可能にしていた図式の存在を明らかにした。
コムリー, バーナード Comrie, Bernard
言語類型論は日本語等の個別言語を通言語的変異に照らして位置づけるための1つの方法を提供してくれる。本論では個々の特徴の生起頻度と複数の特徴の相関関係の強さの両方を検証するために,WALS(『言語構造の世界地図』)を研究手段に用いて言語間変動の問題を考察する。日本語と英語は言語類型論的に非常に異なるものの,通言語的変異を総合的に見ると,どちらの言語も同じ程度に典型的であることが明らかになる。また,日本語が一貫して主要部後続型の語順を取ることは,異なる構成素の語順に見られる強い普遍的相関性の反映であるというよりむしろ,日本語の偶発的な性質であると主張できる。最後に,WALSの守備範囲を超えた現象として,多様な意味関係を一様に表す日本語の名詞修飾構造,および類例がないほど豊かな日本語授与動詞の体系に触れ,それらを世界の他の言語との関係で位置づけることで本稿を締めくくる。
関沢, まゆみ Sekizawa, Mayumi
本稿は,近年の戦後民俗学の認識論批判を受けて,柳田國男が構想していた民俗学の基本であっ た民俗の変遷論への再注目から,柳田の提唱した比較研究法の活用の実践例を提出するものであ る。第一に,戦後の民俗学が民俗の変遷論を無視した点で柳田が構想した民俗学とは別の硬直化し たものとなったという岩本通弥の指摘の要点を再確認するとともに,第二に,岩本と福田アジオと の論争点の一つでもあった両墓制の分布をめぐる問題を明確化した。第三に,岩本が柳田の民俗の 変遷論への論及にとどまり,肝心の比較研究法の実践例を示すまでには至っていなかったのに対し て,本稿ではその柳田の比較研究法の実践例を,盆行事を例として具体的に提示し柳田の視点と方 法の有効性について論じた。その要点は以下のとおりである。(1)日本列島の広がりの上からみる と,先祖・新仏・餓鬼仏の三種類の霊魂の性格とそれらをまつる場所とを屋内外に明確に区別して まつるタイプ(第3 類型)が列島中央部の近畿地方に顕著にみられる,それらを区別しないで屋外 の棚などでまつるタイプ(第2 類型)が中国,四国,それに東海,関東などの中間地帯に多い,また, 区別せずにしかも墓地に行ってそこに棚を設けたり飲食するなどして死者や先祖の霊魂との交流を 行なうことを特徴とするタイプ(第1 類型)が東北,九州などの外縁部にみられる,という傾向性 を指摘できる。(2)第1 類型の習俗は,現代の民俗の分布の上からも古代の文献記録の情報からも, 古代の8 世紀から9 世紀の日本では各地に広くみられたことが推定できる。(3)第3 類型の習俗は, その後の京都を中心とする摂関貴族の觸穢思想の影響など霊魂観念の変遷と展開の結果生まれてき た新たな習俗と考えられる。(4)第3 類型と第2 類型の分布上の事実から,第3 類型の習俗に先行 して生じていたのが第2 類型の習俗であったと推定できる。(5)このように民俗情報を歴史情報と して読み解くための方法論の研磨によって,文献だけでは明らかにできない微細な生活文化の立体 的な変遷史を明らかにしていける可能性がある。
與那原 建 Yonahara Tatsuru
競争戦略論の発展については、持続的競争優位の源泉として何に注目しているかという軸と、アプローチの性格という軸で分類・整理することができる。本稿では、これらの軸にしたがって区分された競争戦略論の主要なアプローチを概観するとともに、競争戦略論の統合化に向けた有望なアプローチとされるダイナミック能力論の代表的研究を検討することで、その学問的可能性を探っている。
藤原 幸男 Fujiwara Yukio
小・中・高校での授業体験から、授業とは、公定的知識を子どもに効率的に伝達し、子どもがそれを覚えてできるようになることだと、学生は思っている。この授業観ならびにそこで駆使される教育方法観をくずさなければ豊かな授業ならびに教育方法は形成されていかない。そこで、教職科目「教育方法」において、「教師の人間性と教育方法」という単元を組んで4回にわたって、講義・説明のほか、授業観ならびに教育方法観をくつがえすような論文を読み、ビデオを見せていった。そのなかでの学生の感想・レポートを中心にして、学生の授業観ならびに教育方法観変革の様子について以下で報告する。
並木, 美砂子 Namiki, Misako
博物館教育の理論構築には,利用者主体の学習論が役立つが,とりわけ歴史展示を中心に考える上で,以下の3つの学習論の採用を提案した。
稲村 務 Inamura Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
長田, 俊樹
小論の目的はこれまでのムンダ語族の比較言語学研究を概観することである。まず、ムンダ語族の分布と話者人口、およびそれぞれの言語についてのこれまでの研究を紹介する。そして比較言語学研究のうち、さいしょに音韻論について述べる。とくに、母音についてはいろいろと議論されてきたので、母音を中心にみる。次に形態論、統語論、語彙論について述べる。その際、インドの他の語族との関連を中心に論ずる。さいごに、オーストロアジア語族とムンダ諸語について、ドネガンらの研究を中心に述べる。
伝, 康晴 DEN, Yasuharu
話し言葉コーパスでは,音声収録・転記といった開発初期の負担が大きく,とくに会話に関しては大規模なコーパスは皆無である。国語研プロジェクト「多様な様式を網羅した会話コーパスの共有化」では,既存の会話コーパスの共有化というアプローチに着目し,コーパスに記述する基本情報を共通化し,共有するための方法論の構築を目指している。その手初めとして,プロジェクト内の会話コーパスの転記方式の違いを調査し,主要な転記方式である『日本語話し言葉コーパス』方式と会話分析方式の間の自動変換を試みた。変換精度はある程度高いものの,さらなる精度向上が必要な部分もあった。
植田 真一郎 Ueda Shinichiro
研究概要(和文):1. 今後の観察研究や臨床研究での使用を念頭に、動脈硬化の指標として用いられているバイオマーカー、Flow mediated vasodilatationによるヒト血管内皮機能評価の方法の標準化、脈波速度による大動脈stiffnessの測定法の比較など方法論的な視点から検討を行った。2. グルコースクランプ法で求めたインスリン感受性とアディポネクチンなどの血中代謝マーカーの関連を検討した。3. 腹部肥満を想定した遊離脂肪酸負荷の白血球アンジオテンシンII産生能、ヒト血管内皮機能、インスリン感受性、酸化ストレス、白血球活性化を評価できるヒト実験系を確立した。これらの実験系においてアンジオテンシンII受容体拮抗薬、ACE阻害薬、Ca拮抗薬、抗血小板薬の薬効評価を実施した。遊離脂肪酸上昇は一部白血球アンジオテンシンII産生増加を介して血管内皮機能障害、インスリン抵抗性、酸化ストレス亢進、白血球活性化などの微小循環障害を引きおこすことが明らかになり、これらを指標にした抗動脈硬化薬の評価に有用である可能性が示唆された。白血球アンジオテンシンIIの産生能も肥満などのバイオマーカーとなり得る可能性がある。
フィットレル, アーロン
本稿では、二重文脈歌の翻訳方法について検討し、翻訳の改善に向けて、翻訳方法を提案してみた。
小磯, 花絵 土屋, 智行 渡部, 涼子 横森, 大輔 相澤, 正夫 伝, 康晴 KOISO, Hanae TSUCHIYA, Tomoyuki WATANABE, Ryoko YOKOMORI, Daisuke AIZAWA, Masao DEN, Yasuharu
本稿では,国立国語研究所共同研究プロジェクト「均衡性を考慮した大規模日本語会話コーパス構築に向けた基盤整備」(リーダー:小磯,2014年7月~2015年8月)の活動について報告する。本プロジェクトの目標は,21世紀初頭の日本語母語話者の多様な会話行動を納めた大規模な日本語日常会話コーパスの構築を目指し,その基盤整備として,(1)均衡性を考慮した会話コーパスの設計,(2)種々の日常場面での会話を収録するための方法論,(3)日常会話を適切・効率的に転記するための方法論の策定を進めることである。本稿ではこのうち(1)に焦点を当て,均衡性を考慮したコーパス設計案を策定するために実施した,一日の会話行動の種類と従事時間に関する調査について報告する。調査では,首都圏在住の成人約250人を対象に,起床から就寝までの間に行ったそれぞれの会話について,いつ,どこで,誰と,何をしながら,どのような種類の会話を,どのくらいの長さ行ったか,などを問う調査項目に回答してもらった。その結果,日常会話には以下の傾向が見られることが分かった。(1)雑談や用談・相談が多く,会議・会合や授業・レッスン・講演は少ない。(2)少人数・短時間の会話が多い。(3)自宅や職場・学校など,私的あるいは公的に主たる空間での会話が多い。(4)いくつかの調査項目の間には対応関係が見られる。これらの分析結果にもとづき,均衡性を考慮した日常会話コーパスの設計方針について議論する。
富田, 正弘 Tomita, Masahiro
早川庄八『宣旨試論』の概要を章毎に紹介しながら少し立ち入って検討を加え,その結果に基づいて,主として早川が論じている宣旨の体系論と奉書論に対して,いくつかの感想めいた批判をおこなってみた。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
本稿は最近における日本の社会文化の地域性研究の学史的考察である。日本の地域性研究を時期的に区分して,1950年代から1960年代にかけて各分野で地域性研究が活発に行われた時期を第1期とすれば,最近の地域性研究は第2期を形成しているといえる。第2期における地域性研究の特徴は,第1期に展開された地域性論の精緻化にくわえて,新たな地域性論としての「文化領域論」の登場と,考古学,歴史学などにおける地域性研究の活発化である。1980年以降の地域性研究の展開にあらわれた変化は次の3点に要約することができる。まず第一は,従来の地域性研究が家族・村落などの社会組織を中心としていたのに対して,幅広い文化項目を視野にいれて地域性研究がおこなわれるようになったことである。地域性研究は「日本社会の地域性」の研究から「日本文化の地域性」の研究へと展開したのである。第二は,これまでの地域性研究が現代日本の社会構造の理解に中心があったのに対して,日本文化の起源や動態を理解するための地域性研究が登場したことである。とくに文化人類学や歴史学・考古学のあらたな地域性論は,このことがとりわけ強調されているものが多い。第三は,これまでの地域性研究が社会組織のさまざまな類型をまず設定し,その地帯的構造を明らかにしてきたのに対して,1980年以降の地域性論では,文化要素の分布状況から東と西,南と北,沿岸と内陸などの地域区分を設定することに関心が集中するようになったことである。つまり「類型論」にくわえて「領域論」があらたな地域性論として登場したことである。本稿では地域性研究における類型論と領域論の差異に注目しながら,これまでの地域性研究を整理し,その問題点と今後の課題,とくに学際的な地域性研究の必要性と可能性について考察した。
杉本, 秀太郎
「植物的なもの」とは、私の美的経験および宗教的経験を分析するにさいして私の用いた方法である。この一文は、私の方法への自註として書かれた。
INAGA, Shigemi
本稿は、平川祐弘の英文による著作『日本の西欧との愛憎関係』(グロウバル・オリエンタル、二〇〇四)への書評である。本書は著者がこの三十余年に亘って、主として海外の国際学会で発表してきた二十九本の論文をまとめる。唐代の詩人李白から、日本海軍大将・山梨勝之進や、俳諧の学匠R・H・ブライスといった現代人にいたるまでの登場人物を扱った本書は、題名に掲げた主題に関して、高密度にして批判的な鳥瞰を展開する。ダンテの『神曲』の日本語訳から夏目漱石の『こころ』の英訳までが、議論に取り上げられる。この大著は熱狂的な賞賛に迎えられるとともに、また方法論や学術作法に関して、論争も巻き起こしている。「黄色人種の偏見」を自称する著者の見解が英米圏の読者層から、「徳ある敵」として末永く遇されるが期待されよう。本書評は平川の広大にして緻密な知的勉励に評定を加え、その比較文学あるいは国際文化関係論としての有効性を、昨今の脱植民地・脱理論の知的状況の中で検証しようとするものである。
関沢, まゆみ Sekizawa, Mayumi
本論文の目的は,第一に宮座研究推進の一環として宮座の類型論を試みること,第二に具体的な事例分析を通して,類型論を個別事例研究の関係において検証することにある。
西村, 慎太郎 NISHIMURA, Shintaro
本稿は記録史料群の整理・調査方法のうち、段階的整理に則って行われる概要調査あるいは現状記録の方法を振り返り、現在的な課題の中でどのような考え方や方法に基づくべきかを提示するものである。但し、ここでは文書館・博物館・図書館などの資料保存機関に収蔵されている記録史料群ではなく、個人住宅などの民間に所在する資料を対象としたい。最初に概要調査と現状記録の理念について、研究蓄積を振り返り民間所在資料を扱う場合のスタンスについて私見を述べる。次に概要調査と現状記録についての実際の方法について検証する。概要調査にしろ、現状記録にしろ、1980年代に提起されて以降見直されていないため、方法の検証が必要であるものと思われる。次に民間所在資料で求められる概要調査と現状記録の考え方と方法についての筆者の考えを述べ、デジタルカメラを多用する方法を提起する。また、実験段階ではあるがiPadを用いた方法も提起する。
高橋, 圭子 東泉, 裕子
現代語の「もちろん」は「論ずる(こと)勿(なか)れ」という禁止表現から発生したと説明されることがある。近代以前のデータベースを検索すると、古代の六国史に代表される漢文体の文献では、「勿論」の用例は「論ずる(こと)勿れ/勿(な)し」という意味であり、否定辞「勿」と動詞「論」から構成される句であった。現代語とほぼ同様の意味の「勿論」の語の用例は、中世の古記録や『愚管抄』『沙石集』など和漢混交文体による仏教関連の文献から見られるようになる。用法は文末における名詞述語が主であった。近世には、ジャンルも文体も多様な文献に用いられ、文中や文頭における副詞用法や応答詞的用法も出現する。古代の禁止表現と中世以降の「勿論」の関連は不明だが、日本語のみならず中国語・韓国語においても漢字語「勿論」の研究が進められ、さまざまな知見が見出されている。通言語的な議論の深化が期待される。
蔵藤 健雄 Kurafuji Takeo
平成16年度~平成18年度科学研究費補助金基盤研究(C)研究成果報告書 / 研究概要:初年度は、OTの基本的問題の1つである、随意性の問題を考察した。まず、Otani and Whitman (1991)の「日本語にも動詞移動がある」ということを前提にして議論を構築し、OTで随意性を扱うためには「中和化」という慨念を用いたアブローチが経験的に優れていることを示した。次に、Otani and Whitmanの動詞移動分析に対する反論等を外観し、日本語に動詞移動がないと仮定した場合どうなるのかを議論した。結果的には、中和化を用いるべきであるという結論に至った。\n次年度は、OTのもう一つの問題である表現不可能性の問題を扱った。これは、統語論と意味論の接点に関わる領域である。具体的には、英語とイタリア語の多重wh疑問文をとりあげ、Lgcndrc、 Smolcnky and Wilson (1998)で提案されたPARSE(wh)という制約を用いた解決案が妥当でないことを、単方向的OT統語論と単方向h的OT意味論、及び、双方向的OTの観点から議論した。\n最終年度は、意味論と語用論の接点に関わる問題を扱った。ここでは、いわゆるロバ文における代名詞の解釈を論じた。ロバ文代名詞は、普遍量化的に解釈される場合と存在量化的に解釈される場合がある。Chicrchia (1995)の「意味論ではどちらの解釈も生成できるようにしておいて、どちらの解釈が得られるかは語用論が決定する」という主張に従い、意味論で生成された2つの解釈が候補となり、どちらがより好ましい解釈であるかは語用論的な要請を含む制約のランキングによって決定されるということを示した。そして、語用論制約の1つとして、文が記述する出来事の中で、目的を達成するための手段は最小でなければならないという「最小努力制約」を提案した。
吉永 安俊 Yoshinaga Anshun
沖縄の4地点(那覇、 名護、 宮古、 石垣)の年最大日雨量についてのReturn Periodを岩井法、 石原・高瀬法、 順序確率法、 Gumbell法の4方法で求め比較してみた。名護を除いてはいづれの方法も実用上問題はないと思われる。しかし名護において各方法の理論計算値をそのまま設計雨量に採用することには疑問がある。資料数が少ないことに帰因すると思われ、 いろいろな方向からの検討が必要である。4方法のうち比較的大きい値のでるGumbell法が沖縄での設計雨量を求める方法としては一番適していると思われる。
保立, 道久
日本文化論を検討する場合には、神話研究の刷新が必要であろう。そう考えた場合、梅原猛が、論文「日本文化論への批判的考察」において鈴木大拙、和辻哲郎などの日本文化論者の仕事について厳しい批判を展開した上に立って、論文「神々の流竄」において神話研究に踏み入った軌跡はふり返るに値するものである。
藤原 幸男 Fujiwara Yukio
90年代において、授業をめぐる諸状況に大きな変化が生じてきている。とくに教授主体と学習主体の身体に問題が生じてきている。心身を一元的にとらえる身体論の立場から、身体が生き、世界が広がる場として授業をとらえ、その観点から授業指導のあり方を見直す必要がある。また、教授主体と学習主体、学習主体同士の関係のあり方が変化してきている。学習権の主体として子どもをとらえ、子どもが学習権の主体として授業に参加し、世界を創造する場として授業をとらえ、関係論の立場から授業指導のあり方を見直す必要がある。本稿では、身体論・関係論の観点から、教授・学習関係の構築、教育内容の指導過程の構想、主体同士の学習共同と対話・討論の創造、授業における学習集団の形成について、論じた。本稿は一つの試論であり、今後さらに検討し、発展させていきたい。
道田 泰司 Michita Yasushi
本稿では,問いのある教育がどのようにありうるのかについて,いくつかの教育実践や実践研究を取り上げ,主に思考力育成という観点から考察した。質問書方式の実践では,大学生の8割以上が疑問を持ち考えるようになったことが示されている。質問の質を高める方法としては,質問語幹リスト法が挙げられ,これを用いた実践研究が検討された。また,わからないときだけでなくわかったつもりでいるときに質問を出すことの必要性も論じられた。最後に,小学校における質問力育成教育をいくつか概観し,質問力を育成するための示唆を得た。最後にこれらをいくつかの観点から整理し,今後の課題を検討した。
坂口, 貴弘 SAKAGUCHI, Takahiro
アーカイブズ情報の共有化は、アーカイブズの保存と利用をめぐる一般の理解を広げるのに大きな効果があるという点で重要であり、全国のアーカイブズ機関による協同の成功を期すにあたっては、その方法論を綿密に検討する必要がある。そこで、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、日本において構築されている全国的アーカイブズ情報共有化データベースを対象に、共有化の仕組みとメタデータ標準類の活用方法について調査を行った。調査項目は「記述作成機関」「記述レベル」「記述項目」「検索項目」「記述規則」「シソーラス」「EADの活用」である。その結果、次のような点が明らかになった。1)データの記述は基本的にアーカイブズ資料を所蔵している各所蔵機関の役割とされていた。2)記述のレベルはフォンドに相当する単位を基本としていた。3)ISAD(G)で記述が必須とされている項目に加え、いくつかの項目が記述項目とされていることが多かった。4)作成者名称は、すべての国で検索項目となっていた。5)記述規則、シソーラス、EADの活用といった発展的な課題については、データベースによる相違が大きかった。
西本, 豊弘 Nishimoto, Toyohiro
日本では,動物考古学の方法について,やさしく説明したものはない。そこで,ここでは,これから骨の分類を試みようとする学生や研究者を対象として,動物遺体の分類方法とその注意事項をまとめておくこととした。
長田, 俊樹
筆者はこの『日本研究』に「ムンダ民族誌ノート」を連載しているが、今回は日本における稲作文化と畑作文化の区別について論じる。なぜなら、稲作文化論や畑作文化論のなかで、ムンダ人のケースが言及されることがあるからだ。
岡, 照晃
『国語研日本語ウェブコーパス(NWJC)』は、国立国語研究所がこれまで公開してきた『現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)』や『日本語話し言葉コーパス(CSJ)』と異なり、形態論情報をすべて形態素解析器『MeCab』と『解析用UniDic』を使って自動付与している。『BCCWJ』や『CSJ』といった既存のコーパスの整備の際には、コーパスアノテーションと同時に、形態論情報のデータベースである『UniDic DB』に新規短単位語彙素を追加していた。そのためコーパス整備と同時に『UniDic DB』も拡張されてきたが、『NWJC』は全自動で構築されたため、新規短単位語彙素の検出とDBへの登録が行われておらず、その箇所で自動解析誤りのままとなっている。そこで本研究では、形態素解析を介さず、文字N-gramの出現頻度と連接頻度の情報から文字N-gramの分散表現を作成し、『NWJC』から『UniDic DB』に未登録の新規短単位語彙素の候補を列挙する方法について述べる。これによりDBのさらなる拡張が望めるだけでなく、『UniDic DB』のエクスポートデータで作成される『解析用UniDic』も拡張されるため、それを用いた再解析によって『NWJC』中の誤解析箇所を減らすことにもつながる。
ホイットマン, ジョン WHITMAN, John
本プロジェクト(日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究)の目的は,日本語とその周辺の言語を主な対象とし,その統語形態論的・音韻的特徴とその変遷を,言語類型論・統語理論・比較歴史言語学の観点から解明することによって,東北アジアを1つの「言語地域」として位置付けることである。統語形態論の観点からは「名詞化と名詞修飾」に焦点を当て,日本語においても見られる名詞修飾形(連体形)の多様な機能を周辺の言語と比較しながら,その機能と形と歴史的変化を究明する。歴史音韻論の観点からは,日本語周辺諸言語の歴史的再建を試み,東北アジア記述言語学における通時言語学研究を推進する。本稿では,この共同研究プロジェクトを紹介しながら,日本語,厳密にいうと日琉語族がどの言語地域に属するかについて検討する。
宮内, 拓也 プロホロワ, マリア MIYAUCHI, Takuya PROKHOROVA, Maria
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(の一部のデータ)には,既に英語,イタリア語,インドネシア語,中国語の翻訳データが構築されているが,新たにロシア語の翻訳データを構築した。対象となる起点テキストは『現代日本語書き言葉均衡コーパス』新聞(PN)コアデータ16サンプル(総語数は短単位で全16,657語)とし,ロシア語目標テキストの総語数は13,070語となった。本データの構築にあたっては,日本語からロシア語へ人手による翻訳を行ったが,日本語とロシア語の言語構造の違いや表現の違い等により,翻訳に困難が生じた箇所もあった。本稿では,翻訳データの構築方法,翻訳の際の留意点の詳細を述べる。また,原文の日本語テキストと翻訳先のロシア語テキストは人手で文単位のアライメントを取り,各文にはIDを付与した。その作業方法についても記述する。翻訳データの構築,アライメント作業により,起点テキストと目標テキストは簡易的な日露パラレルコーパスとして利用可能となり,日露対照研究や類型論研究に活用できると考えられる。本稿では,このような活用の可能性を示すために,ケーススタディとして日本語の文末表現を取り上げ,ロシア語と対照させて同異を議論する。
小泉, 友則
現代日本において、子どもの性をよりよい方向に導くために、子どもに「正しい」性知識を教えなければならない・もしくはその他の教育的導きがなされねばならないとする“性教育”論は、なじみ深い存在となっている。そして、このような“性教育論”の起源がどこにあるのかを探求する試みは、すでに多くの研究者が着手しているものでもある。しかしながら、先行研究の歴史記述は浅いものが多く、日本において“性教育”論が誕生したことがいかなる文化的現象だったのかは多くの部分が不明瞭なままである。そこで、本稿では先行研究の視点を引き継ぎつつも“性教育”論の歴史の再構成を試みる。
松本, 和也
本稿では、昭和10年代(1935~1944)の国民文学論を再検証した。
白幡, 洋三郎
従来の日本文化研究は、日常生活からはなれた、しかし日本独特と思われる文化の性格や形成の経緯、またその後の変容の歴史などを、日本という地域内部で起こる現象としてとらえる姿勢で行われてきた。しかし現在のように、交通や情報網の発達によって、さまざまな文化が国境を容易に越えるボーダーレス化が進んでいる時代では、ある文化をその文化圏でのみ考察することはほとんど無意味になっている。誰もが享受している日常の生活文化を対象とし、それが別の文化圏ではどのように受け入れられ、または反発や変形をこうむっているかという需要や拒絶の様相を探ることによって、ある文化の特徴が浮き彫りにされるだろう。日本文化に関しても、その輪郭と特徴を明らかにするには、ほかの文化圏における普及や拒絶といった動態においてとらえる「文明論」的な方法が有効であろう。
吉海, 直人 YOSHIKAI, Naoto
乳母論の一環として、本稿では『栄花物語』・『落窪物語』・『堤中納言物語』の三作品を取り上げ、乳母の視点からの読みを示すとともに、乳母の存在の重要性を具体的に論じていく。姫君でもない、母親でもない、侍女でもない乳母。その主体性を認めることによって、作品の読みがどのように変化(深化)するのか、早速『栄花物語』から論を進めていこう。
與那原 建 Yonahara Tatsuru
「スタック・イン・ザ・ミドル」とは、複数のタイプの競争戦略を同時に追求す\nることにより、虻蜂取らずになって失敗してしまうことをいう。この考え方は、競\n争戦略の研究にきわめて大きな影響をおよぼしたポーターの競争戦略論の中心的位\n置を占めている。\n 競争優位を獲得するには、競争の基本戦略のうち1つだけを選択し、それを一貫\nして追求しなければならないというのがスタック・イン・ザ・ミドル論の基本的主\n張であるが、それについては賛否両論あり、論争は現在も継続中である。われわれ\nは、このように議論が継続し、なかなか結論に到達できずにいるのは、ポーターに\nよるスタック・イン・ザ・ミドルの捉え方そのものに問題があるからではないかと\n考えている。\n 本稿では、ポーターのスタック・イン・ザ・ミドル論を再考し、その論拠を確認\nしたうえで、それに対する主要な批判的研究をレビューしていく。取り上げるのは、\n基本戦略のコンテインジェンシー理論、ハイブリッド戦略優位論、ハイブリッド戦\n略併存論であるが、その検討を通じて、競争優位の獲得につながる有効な競争戦略\nが、ポーターのいうように、低コスト戦略と差別化戦略だけではないこと、すなわ\nち、ピュア戦略のみならず、ハイブリッド戦略も有効であることを論証する.ポー\nターのスタック・イン・ザ・ミドル論については、ハイブリッドを否定し、ピュア\nを肯定するという二者択一論ではなく、両者をともに有効とみなす併存論として捉\nえ直す必要があろう。
若林, 健一 茂呂, 雄二 佐藤, 至英 WAKABAYASHI, Ken'ichi MORO, Yuji SATO, Yoshiteru
児童の作文過程を認知科学的に解明し併せて作文過程の改善を目指すために理論的な吟味とそれに基づく調査および実践を行った。1)作文過程を特定の相手に向けた発話過程として見直し,教室における作文過程をより有意味にするための方法として,子供たちに仮想的な他者視点を取らせる「誰かになって書く方法」を提案した。2)この方法に基づいて小学校5年生を対象にした「映画監督になって書く」実践場面をもうけて作文資料を収集し,これを種々の観点から談話分析によって特徴づけして,対照資料と比較しながら「誰かになってみる方法」の有効性を確認した。3)仮想視点を取る方法の有効性をより客観的に明らかにするために作文能力を測るテストを開発し,これを利用しながら,子供たちに読み手を意識化させることがどのような効果をもつのか検討し,「文化人類学者になって調べて書く」実践授業を組んで再度仮想視点を取る方法の有効性を確認した。
益田 理広 Mashita MIchihiro
本稿は天地なる概念の東洋に於ける空間の典型たることを議す。古今の諸書より天地の空間と定義せられたる事例を徴し、以て之を証するのである。且つは各々の天地概念の定義と異同とを論じ、其の内実の解明に努むる。何となれば則ち、未だ知られざる東洋地理学理論の中枢に坐す東洋独特の空間概念を求むるがためである。是の故に本稿は自づから一篇の天地論史を為す。されど字数の限りも有れば、本篇の録するは周代より隋唐に至る間の所説に止まる。先づⅡ章では先秦の天地即空間の論の淵源を求め、『周易』『管子』『老子』を参照した。殊に『周易』は天地に空間の義を認むる最古の例として注意を惹く。同書は天地を以て無際限の規模を有する万物共在の処と為すが、此れは空間の定義として過不足なき者として大なる意義を有し、既に『管子』も其の類例の一と為すべき所がある。或は『老子』の天地論も後代の議論の先蹤と目せらるるが、其の文章の玄妙は注釈に依らずしては解するに難い。是に於てⅢ章では『老子』を能く説ける漢魏晋の玄学を検め、其の天地論を分析した。同章に例示せるは漢の河上公、魏の阮籍、晋の葛洪の所説である。此の内、河上公は『老子』の天地に『周易』の論を合して明瞭な定義を与うるに於て画期を為す。阮籍、葛洪の両氏も亦た『周易』『老子』を併せ論を為すが、天地を以て非空虚の空間と為すに於て河上公と論を違える。されば此の新説はいづこより生ずるか。之を知るべくⅣ章では漢儒の天地論を参観する。ここでは董仲舒、揚雄、王充の所説を確認し、其の天地論が『老子』を介さず空虚としての定義を欠くこと、更に、天地を以て万物の所在にして其の根源と見ることを論じた。是を以て、魏晋の玄学の非空虚の説も蓋し漢儒より生ぜりとの知見を得るに至る。Ⅴ章では隋唐の天地論を概括した。当代は諸教の共に興隆する所であれば儒道仏の三教の全てを考慮したが、外来の仏教は固より天地論を説く所僅かであった。然るに本稿の論ずるは道教に連ぬる王玄覧、王冰、玄宗、並びに儒学に通じ訓詁を能くする孔頴達、李善らの所説である。此の二教は共に天地を以て空間と為す所有ると雖も、其の定義に於ては対立を見る。即ち道教の諸家は天地を有限と為すこと屡々であるに対し、儒家は往々にして之を無際限と説くのである。就中、孔頴達の所論は詳密を極め、天地を以て時空間と為し、一なる無より万物を生成する局限と固定との要件と論ずる者であった。又た李善らによる『文選』の注釈が詩歌を介して天地即空間の論を経学の外に知らしむるも均しく見るべき変化である。以上の論議に由り、本稿は先秦より唐代に亙る期間に於て、天地が常に空間の義を内包することを証明するに至った。無論、天地の定義は各人各代一様ならざる所もあるが、それは一貫して空間と解するに不足無き概念である。
荒木, 和憲 Araki, Kazunori
本稿は、中世日本の往復外交文書の事例を集積することをとおして、その様式論を構築しようとするものである。従来、日本古文書学においては研究が手薄であったが、様式論を構築することで、日本古文書学、そして「東アジア古文書学」のなかに中世日本の往復外交文書を位置づけようとする試みである。
川田, 牧人 Kawada, Makito
本稿は、フィールドワークによって知識が獲得され形成される過程において、可視性すなわち見ることがいかに関連するかという課題を検討することを目的としている。自然科学における「客観的」観察の前提を相対化し、主観と客観の相互作用や一体化といった側面が見いだされることに関連させて、文化人類学と民俗学の「見る」方法を考察する。その第一の立脚点は「way of looking」と「way of seeing」の対比である。前者はものの見方、観察の仕方といった具体的な方法のことであり、後者は個々の技術の背景をなしているような人間観、社会観をさしている。本稿ではこの両者の観察のモードによって、とりわけ文化人類学の観察調査が現場でどのようにおこなわれるかを検討する。一方、民俗学の観察の特徴として、「主観の共同性」をとりあげる。自然を観察しそこから季節の変わり目を感じたり農作業の開始時期を判断したりすることは個人的で主観的な感覚であるはずだが、その主観が一定範囲の人々のあいだで季節の慣用表現や農耕儀礼として共同化されていることが主観の共同性である。それは同時に「見立て」や「なぞらえ」といったメタファー的視覚の生成を意味している。そこで考察の第二の立脚点として、ウィトゲンシュタインのアスペクト論を検討し、意味理解の文脈依存性という論点を導き出す。この観点から、エヴァンス=プリチャードやミシェル・レリス、柳田國男などの民族誌記述を検討する。これらの議論を経由して、何ら先見性のない白紙の観察ではなく、むしろフィールドという場の論理としての文脈においてなされるような観察と、アスペクト転換を反映させたような把握・理解と叙述が、文化人類学と民俗学の観察法の特徴であるという帰結にいたる。そのような観察と記述のありかたから、現実と仮想が行き来する生活世界にせまる方法を吟味する。
平良 勉 Taira Tsutomu
エアロビックダンスが学校の教材として、おもに身体の機能発達に有効、適切であるかどうかを運動強度を測定することにより検討した。運動中の酸素を直接測定する方法と心拍数と酸素摂取量との関係式から間接的に求める方法で強度を比較した。呼吸循環器系の機能改善には有効な強度を維持していたが、被検者によりかなり高い強度もみられ、運動の強度をコントロールする方法を工夫する必要性が示唆された。
福田, 景道
歴史物語の性格と本質に関して、「歴史を内包する物語」と見なして文芸性を重視する立場と、「物語を内包する史書」と見なして歴史性を重視する立場が並立している。この観点から『増鏡』と『梅松論』の基軸をなす皇位継承史構想を考察すると、『増鏡』の「横さま」皇統と『梅松論』の「横シマ」皇統に類似性と対極性が見いだせ、皇位継承を文芸的に享受する『増鏡』と歴史的観点により評価する『梅松論』との本質的相違と、歴史を内包する物語としての共通性が認められる。
千田, 嘉博 Senda, Yoshihiro
中世城館の調査はようやく近年,文献史学,歴史地理学,考古学など,さまざまな方法からおこなわれるようになった。こうした中でも,城館遺跡の概要をすばやく,簡易に把握する方法として縄張り調査は広く進められている。縄張り調査とは地表面観察によって,城館の堀・土塁・虎口などの防御遺構を把握することを主眼とする調査をいう。そしてその成果は「縄張り図」にまとめられる。
青木, 博史 AOKI, Hirofumi
文法史研究は,体系(文法)と部分(語彙),歴史的変化と通時的変遷など,その概念と用語にも注意を払いながら進められてきた。近年における文法化研究の隆盛を受け,矮小化させることなく発展的に進めていかなければならない。このとき,文法論は,位相論・文体論,さらには方言研究とも連携しながら,複線的・重層的な"ストーリー"としての文法史を描くことを心がけなければならない。
吉川, 真司 Yoshikawa, Shinji
本稿は、大極殿で行なわれた儀式を素材として、日本古代史の時期区分を論じ、とりわけ四字年号時代(七四九〜七七〇)の時代相を明らかにしようとするものである。
パルデシ, プラシャント 今村, 泰也 PARDESHI, Prashant IMAMURA, Yasunari
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つが「他動性」である。基幹型プロジェクト「述語構造の意味範疇の普遍性と多様性」では,意味的他動性が,(i)出来事の認識,(ii)その言語表現,(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映するかを解明することを目標に掲げ,日本語と世界諸言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指し,2009年10月から共同研究を進めてきた。さらに,日本語研究の成果を日本語教育に還元する目的で,基本動詞の統語的・意味的な特徴を詳細に記述するハンドブックを作成し,インターネット上で公開することを目指して研究・開発を進めてきた。本稿ではプロジェクトで企画・実施した共同研究の理論的および応用的な成果を概観した。理論的な成果としては,(1)地理類型論的なデータベースである「使役交替言語地図」(WATP),(2)日本語と世界諸言語の対照言語学的・類型論的な研究をまとめた論文集『有対動詞の通言語的研究:日本語と諸言語の対照研究から見えてくるもの』を紹介した。応用的な成果としては日本語教育に役立つ「基本動詞ハンドブック」の見出し執筆の方法とハンドブックのコンテンツについて紹介した。
Taira Katsuaki 平良 勝明
Joyce の Ulysses においてその内面、そして外面事象というのは絶えず変化し続けている、といっていいほど極度な disjunctivity(断続性・非連続性)に支配されている。すべてが意識の流れを中心に構築されている世界なので突然の統語論的、ないしは叙述意味論的断続性というのは予想される現象ではあるが、この論文では特に Ulysses の narrative 全体と個々の事象との間に見られる意味論的整合性・非整合性という観点から登場人物、特に Bloom、を介した意識世界に迫ってみた。
西村, 大志
本稿は、落語を比較文化論的視座とコミュニケーション論的視座から研究するものである。落語には江戸落語と上方落語という二つのスタイルがある。本稿では特に上方落語の『無いもの買い』という作品を中心に研究する。その際に速記本などの文字化された資料ではなく、録音されたものを用い分析する。純粋芸術化してしまった怪談噺・人情噺のような落語ではなく、大衆芸術として笑いの作品を対象とする。
柴原, 智代 島田, 徳子 SHIBAHARA, Tomoyo SHIMADA, Noriko
本論文では,『教科書で教える・学ぶ」ということを,教材の側に視点を移し,教材を作成するという立場からこれからの教材に求められることを述べる。まず,筆者らが考案した教材分析の手法を用いて,既存の教材の問題点を明らかにする。それを踏まえて,「教師と学習者の学習を支援するために,どう教えたら効果的かを想定して教材の構成や練習を設計する」,「教材と合わせて学習評価の方法を提供する」という2点を提案する。さらに,教材作成を円滑に進めるための方法として,システム的な教材設計・開発の方法であるインストラクショナル・デザイン(Instructional Design,以降IDとする)を,日本語教材の作成手順に取り入れる具体的な方法を提案する。
向山, 陽子 MUKOUYAMA, Yoko
本研究は文法説明をしない暗示的帰納的指導の中で,学習者の文法学習に関する信念,及び指導方法に対する態度,学習ストラテジー,学習成果との関連を解明することを目的とする。初級中国人学習者161人の5件法質問紙調査データの因子得点とテスト得点との相関を分析した結果,「文法知識の役割の肯定的受け止め」の信念,指導方法に対する「学習困難感」と学習成果に負の相関があること,指導方法に対する態度によって使用する学習ストラテジーが異なることが示された。これらのことから信念・態度,ストラテジー,学習成果は相互に関連すること,学習者の個人差と指導方法が適合しないと指導効果が現れにくいことが示唆された。
齋藤, 努 Saito, Tsutomu
本共同研究において「高周波加熱分離―鉛同位体比測定法」が新たに開発された。この分析方法の特徴は,操作が単純で,低ブランクで非常に迅速に鉛の分離・測定ができることである。測定値標準化用試料を用いた分析データの比較では,従来法と新法の示す数値はよく一致しており,この方法の有用性が認められた。これは,時に多数の試料を分析しなければならない歴史資料にはきわめて適した方法であるといえる。
中塚, 武 Nakatsuka, Takeshi
日本を含む東アジアでは,近年,樹木年輪幅の広域データベースや樹木年輪セルロースの酸素同位体比,或いは古日記の天候記録や古文書の気象災害記録などを広く用いて,過去2,000 年以上に亘って気温や降水量の変動を年単位で解明する,古気候復元の取り組みが進められている。その最新のデータ群を歴史史料や考古資料と詳細に比較することで,冷害や水害,干害といった気候災害に対して,過去の人々がどのように対応できたか(できなかったか)を,時代・地域ごとに詳細に明らかにできる可能性がある。近世・中世・古代のそれぞれの時代における,これまでの気温や降水量の復元結果からは,数十年の周期で夏の気温や降水量が大きく変動した際に,大きな飢饉や戦乱などが集中的に発生していたことが明らかとなってきた。このことは,地震や津波による災害を含めて数十年以上の間隔をおいて同じ種類の災害が再発する際に,つまり数十年間平穏な時期が続いた後に災害が起きる際に,社会の対応能力が低くなるという普遍的なメカニズムの存在を示唆する。本論ではさらに,古代から近世に至る歴史の時間・空間座標の中から,数十年以上の時間間隔をおいて大きく気候が変動した無数の事例を抽出して,気候災害の再発に際して社会の中のどのような要因が災害の被害を増幅(縮小)させたのかについて,普遍的に明らかにするための統計学的な研究の枠組みについて提案した。こうしたアプローチは,「高分解能古気候データからスタートする歴史研究」において初めて可能になる方法論であり,伝統的な歴史学・考古学の方法論を補強できる,新しい歴史研究の可能性を拓くものになるかもしれない。災害への社会の対応力を規定する要因が何であるのかは,現時点では結論は下せないが,中世や近世の事例は,特に「流通経済と地域社会の関係のあり方」が飢饉や戦乱の有無に深く影響することを示唆しており,関連するデータの収集が急がれる。
山城 三郎 Yamashiro Saburo
本研究はライシメータによって測定したサトウキビの蒸発散量と気象要因から推定した蒸発散位を用いてサトウキビの月平均作物係数について検討するものである。蒸発散量の測定は1967年∿1968年、1968年∿1969年、1970年∿1971年の夏植サトウキビと1983年、1984年の春植サトウキビの株出しについて行われた。蒸発散位の推定には修正ペンマン法、日射量から推定する方法及び蒸発計蒸発量から推定する方法を用いた。サトウキビの月平均作物係数は初期にはなだらかに増大し、ピークに達し、その後減少することが明らかになった。月平均作物係数は蒸発散位の推定方法によって少し異なる値を示した。修正ペンマン法においては、月平均作物係数のピーク1.0∿1.1が7月∿10月に現れた。日射量による方法では、そのピークは8月∿11月に現れ1.1∿1.2となった。蒸発計蒸発量による方法では、そのピーク1.6∿1.8が7月∿10月に現れた。サトウキビの生育最盛期及び月平均作物係数の値から、修正ペンマン法が他の方法に比べよいと考える。
松井, 真雪 ホワン, ヒョンギョン MATSUI, Mayuki HWANG, Hyun Kyung
置換反復発話とは,直前の発話の分節音を別の分節音に置き換えてプロソディー特徴を反復する発話である。置換反復発話はプロソディー研究の方法論として注目されているが,その性質については未解明の問題が多い。この小論では,疑問文の文脈(句末境界音調の1つである上昇音調がアクセントと共起する条件)で,通常発話と置換反復発話の音声特徴を比較した結果を報告する。とりわけ,アクセントの弁別にとって主要であると考えられる基本周波数(F0)特徴は,上昇音調が共起する場合でも,置換反復発話に遜色なく反映されることを示す。この結果から,置換反復発話は,アクセントパタン,即ち,語のプロソディーの研究において有用であるという先行研究の見解が支持・補強される。その一方で,イントネーション,即ち,文のプロソディーに関わるF0特徴の一部は置換反復発話に正確に反映されないことが明らかになった。
小林, 隆 KOBAYASHI, Takashi
文献国語史と言語地理学の提携により語史を構成するための基礎資料の一つとして,『日本言語地図』(国立国語研究所,昭和41~49年)の関連意味項目の全国方言分布を明らかにしようとした。語史研究は,文献国語史と言語地理学とが提携して進められることが望ましく,その資料として,言語地理学では主に『日本言語地図』が利用されてきた。ところが,『日本言語地図』の解釈を文献国語史と対照すると,両者の間で語の意味が対応しない場合があり,この点について詳しく考えるために,例えば〈眉毛〉に対する〈まつ毛〉など『日本言語地図』の関連意味項目の方言分布をあらたに調査した。項目は主に身体名称の50項目であり,通信調査法により全国1400地点分の資料を収集した。本稿は,この調査の目的と方法について論じたものである。
小林, 和貴 鈴木, 三男 Kobayashi, Kazutaka Suzuki, Mitsuo
出土編組製品の素材に関する研究は,これまであまり行われてこなかった。その原因として,素材植物の同定を行うための切片作製方法が確立されていないことと,現生植物種の比較対照標本が不十分であることがあげられる。本稿では,切片作製方法の確立を目指して徒手切片法と樹脂包埋切片法による切片作製と,潰れた植物組織の復元方法の検討を行った。二つの切片作製法を使い分けることで,遺存状態の良い遺物と劣化した遺物,保存処理された遺物の切片を作製することが出来た。潰れた植物組織の復元にはアンモニア処理が有効だった。
明治日本の朝鮮との関係を論ずる場合、明治初年の征韓論はともかく明治九年の江華島条約を日本の朝鮮への侵略の第一歩として叙述する場合が多い。しかし、実際にその当時の新聞論調を読むと、むしろこの朝鮮との条約の締結を、ペリー来航時の状況に譬えて考えているものが多いことがわかる。
尾野, 治彦 ONO, Haruhiko
久野(1973)以来,補文標識としての,「の」「こと」についての研究は,主にコンテクストが考慮されない文を対象にして,「の」「こと」がそれぞれ何を表すのかということについて論じられ,実際のコンテクストにおいて,「の」「こと」どちらも可能な場合における使い分けの要因についての考察はあまりなされてこなかったように思われる。本稿では,この問題に対して,認識論的・語用論的観点から考察を試み,「の」「こと」の使い分けには,語り手の心的態度が関与しており,認識対象に心的態度が関与しているときは「こと」が用いられ,そうでないときは,「の」が用いられることを小説の用例を基に論じた。また,いくつかの「こと」の用法(強調構文の主節に表れる「こと」,「の」感嘆文と「こと」感嘆文,命令を表す「のだ」と「ことだ」等)についても論じ,これらの「こと」の用法は心的態度の表れとして捉えることが可能であり,補文標識「こと」との関連性が示された。
Kobayashi Masaomi 小林 正臣
全ては他の全てと関連している――それが一般的なエコロジーの第一原則である。本稿は、そのように全てを関連性の総体とする全体論を広義のエコロジーとして捉え、様々なエコロジーの外部を探求する。その際に文学作品に言及することで、フィクションが提示する外部性の可能性も見出す。第一に扱う全体論は、カント以来とされる相関主義――現実は意識と事物の相関による現象であると主張することで人間の思考の外部性を排除する主義――である。この哲学論に対して、意識に先立つ事物の存在から意識の外部を考えるのが思弁的実在論である。主唱者の一人であるカンタン・メイヤスーは、偶然性の必然性を説くことで思考に基づく相関性の外部性を指摘する。そして相関性を前面にした作品がアーネスト・ヘミングウェイの「何を見ても何かを思い出す」であり、対照的に偶然性を前面にした作品がポール・オースターの『最後の物たちの国で』である。つづく全体論は、人間中心主義としてのヒューマニズムである。この全体論は、IoTやAIの登場によって、その完全性を維持できなくなりつつある。そしてP・K・ディックの代表作『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』におけるモノの世界は、まさに外部性を体現している。最後に扱う全体論は、歴史哲学者ユヴァル・ノア・ハラリが考察するデータ主義である。ビッグデータなどの膨大なデータにおいては、ヒトもモノも解析データとして一様に存在する。そして絶え間ないデータの流通を生命体として描いているのがドン・デリーロの『コズモポリス』である。データ主義を体現する主人公の死をもって終わる本作は、データ主義の外部性を象徴的に描く。かくして本稿は、「外部性の可能性」(outside possibilities)を発見することで、エコロジーとしての全体論を批判的に思考するための本来的な意味における「わずかな可能性」(outside possibilities)を提示する。
小柳 正弘 Koyanagi Masahiro
自由とはなにか。この問は、一般にはしばしば、自由がいかなるものであるべきかを問うものとみなされており、それゆえ、自由論もまた、自由の本質をあきらかにするものとされてきたのではなかろうか。しかし、ある場合にある自由が自由であることが、別の場合に別の自由が自由であることをかならずしも否定するわけではないように、実際のところ、さまざまな自由はそれぞれなりに自由としてうけいれられている。小論は、現代自由論の古典ともいうべきI.バーリンの自由論の解釈を中心に考察して、自由の概念は、コンテクストとのかかわりで、そのような多様性と自明性の事実にすぐれてみあったものとなることをあきらかにした。
平川 守彦 大久保 忠旦 Hirakawa Morihiko Okubo Tadakatsu
研究概要:本研究は放牧地空間を有効利用するために,放牧草地生態系へ熱帯果樹を導入し,肉生産と果樹生産の生産システムを確立しようとするものである。しかし,移植した熱帯果樹を放牧牛が摂食するため,まず,食害防御対策を行わなければならない。その対策として,今までに,いくつかの方法を遂行した。(1)数種薬品を使って臭覚による食害防御法(忌避行動)。(2)市販のネット袋(キュウリ袋)で果樹を覆うポリネット法による食害防御。(3)支柱を立てその上から金網ネットで果樹を覆う金網ネット法による食害防御。(4)ワイヤーメッシュケージ法による食害防御。(1)の方法は薬品による忌避効果の持続性が短かった。(2)の方法はビニル製で柔らかいためその上から葉をかじられた。(3)の方法は金網ネットを支える支柱が牛によって折り曲げられ,果樹の生長を阻害した。いずれにしも,これらの方法は,果樹被食率が高く,また,果樹の生育を阻害するため効果的ではなかった。これらの欠点を全て考慮に入れて考え出したのがワイヤーメッシュケージ法である。この方法は1m(縦)×1m(横)×1.5m(高さ)の鉄材の枠に網目15×15cmのワイヤーメッシュを張り巡らして作ったワイヤーメッシュケージで熱帯果樹を囲み放牧牛による摂食を防ぐ方法である。1995年に移植したグァバ93本とビワ50本を試験に用いた。家畜は黒毛和種雌牛5頭(平均体重 357kg),雄子牛3頭(平均体重238kg)の8頭を放牧した。その結果,果樹食害防御の方法として行ったワイヤーメッシュケージ法によるグァバ区,ビワ区における放牧牛の果樹被食率は,1996~1997年の全試験期間を通して,0%であった。また,ワイヤーメッシュケージの被害率も0%であった。しかし,マルチ効果をねらった麻袋の被害率はグァバ区で8.7%,ビワ区で2.3%であった。今回おこなったワイヤーメッシュケージ法による熱帯果樹食害防御方法は,低コストで,しかも、長期間にわたりひじょうに効果の高いことがわかった。
中嶋, 英介 島田, 雄一郎 NAKAJIMA, Eisuke|SHIMADA Yūichirō
本稿は国文学研究資料館特別コレクション山鹿文庫蔵『武教本論鵜飼註 上中』を翻刻し、解題を附したものである。『武教本論』の原著者山鹿素行は、数々の兵学書を著した思想家として知られるが、素行以降の資料については弟子が編纂した『武教小学』の注釈書紹介にとどまり、山鹿流兵学が後世の大名にも評価された背景を知るには至らない。
Ishihara Masahide 石原 昌英
Kiparsky(1982)による「語彙音韻論」の提唱以来、“ungrammaticality”のような複雑な構造をした語の文法性は1980年代の音韻論の中心テーマの一つとして多くの研究がなされた。その理由は、語彙音韻論の観点から、この例のように実際に存在する語が非文法的とされるので、いわゆる、プラケティング・パラドクスの問題を解決し、このような語の文法性を明確にする必要が生じたからである。しかしながら、本稿に示されるように、先行研究の多くが何らかの問題を含んでいる。本稿では、先行研究にみられる問題を克服し、プラケティング・パラドクスの問題の解決を試みる。\nInkelas(1989)が「語彙音韻論」から発展させて確立した「韻律語彙音韻論」によると形態表示と音韻表示はそれぞれ独立した構成素を持つ。言い換えると、形態規則が適用される領域と音韻規則が適用される領域はそれぞれ独立していて、重なり合うものではない。この形態表示と音韻表示の分離は、接辞の形態的下位範疇指定と音韻的下位範疇指定を可能にする。本稿では接辞の二重範疇指定を利用してブラケティング・パラドクスの問題の解決を提唱する。この解決法に基づくと、“ungrammaticality”のような語はブラケティング・パラドクスを含まない文法的な語として分析される。また、韻律音韻論にもとづいた解決法では、先行研究の解決法で生成することができた非文法的な語(例えば“inantireligious”)も確実に排除できる。
清松, 大
高山樗牛の唱えた「美的生活論」は、登張竹風による解説を一つの契機として、その「本能主義」的側面がニーチェの個人主義思想と強固に結びつきながら理解された。樗牛の美的生活論は文壇内外で多くの批判や論争を呼ぶとともに、同時代の文学空間を熱狂的なニーチェ論議へと駆り立てていった。
小林, 愛 KOBAYASHI, Ai
近年の目録編成は、「出所原則」「原秩序尊重の原則」の原則に基づくものが望ましいとされるが、分析対象は近世が中心であり、近代史料に対する目録編成論は未成熟である。本稿では「前田正名関係文書」及び「前田正名関係文書目録」を分析対象に近代史料の目録編成論に対する一考察をこころみる。
林, 直樹 田中, ゆかり
本稿では,異なる研究者によるデータをWeb上で共有・統合することを目的に構築された「日本大学文理学部Web言語地図」の概要を報告する。最初にWeb言語地図の利用方法のうち,言語地図の描画方法を説明する。次に,Web言語地図にデータを追加するために,個人がどのようにデータを管理するのかを述べ,作成したデータをWeb上で管理するための方法を解説する。最後に.Web言語地図の理念である研究資源の共有という試みにおける今後の課題について言及する。
森 雅生 Mori Masao
大学評価に関連する大学情報の収集と管理、活用の効率的方法について、既存のデータを再利用する観点から考察する。実践例として、学校基本調査のアーカイブデータをデータベース化した取り組みを紹介し、中規模の大学情報の収集管理について、活用を視野に入れた一般的な方法を論じる。
塩出 浩之 Shiode Hiroyuki
研究概要(和文):本研究では、明治維新直後に誕生した日本の新聞が、公開の言論による政治空間を形成した過程について、近隣諸国との関係・紛争をめぐる議論を中心に分析した。征韓論と民権論の結合に象徴されるように、言論の自由(政府批判を含む)の追求とナショナリズムとは親和的だったが、“国益のための避戦”論のように議論には多様性があり、公に異論を戦わせること自体に重きが置かれていた。コミュニケーションの形態にも多様な模索があり、琉球併合問題をめぐっては中国の新聞との相互参照もみられた。
米盛 徳市 Yonemori Tokuichi
北大東小学校を実践校,都市地区の浦添市立前田小学校を研究協力校として,平成8年度から10年度にかけ,文部省による「へき地学校高度情報通信設備(マルチメディア)活用方法研究開発事業」に関わってきた。研究の主題は,衛星通信による情報通信設備(マルチメディアテレビ会議システム)を用いた双方向遠隔協同学習の活用方法に関する検証・研究である。本稿では,この事業に参加して得られた貴重な体験を論じることにした。
野島, 永 Nojima, Hisashi
1930年代には言論統制が強まるなかでも,民族論を超克し,金石併用時代に鉄製農具(鉄刃農耕具)が階級発生の原動力となる余剰を作り出す農業生産に決定的な役割を演じたとされ始めた。戦後,弥生時代は共同体を代表する首長が余剰労働を利用して分業と交易を推進し,共同体への支配力を強めていく過程として認識されるようになった。後期には石庖丁など磨製石器類が消滅することが確実視され,これを鉄製農具が普及した実態を示すものとして解釈されていった。しかし,高度経済成長期の発掘調査を通して,鉄製農具が普及したのは弥生時代後期後葉の九州北半域に限定されていたことがわかってきた。稲作農耕の開始とともに鍛造鉄器が使用されたとする定説にも疑義が唱えられ,階級社会の発生を説明するために,農業生産を増大させる鉄製農具の生産と使用を想定する演繹論的立論は次第に衰退した。2000年前後には日本海沿岸域における大規模な発掘調査が相次ぎ,玉作りや高級木器生産に利用された鉄製工具の様相が明らかとなった。余剰労働を精巧な特殊工芸品の加工生産に投入し,それを元手にして長距離交易を主導する首長の姿がみえてきたといえる。また,考古学の国際化の進展とともに新たな歴史認識の枠組みとして新進化主義人類学など西欧人類学を援用した(初期)国家形成論が新たな展開をみせることとなった。鉄製農具使用による農業生産の増大よりも必需物資としての鉄・鉄器の流通管理の重要性が説かれた。しかし,帰納論的立場からの批判もあり,威信財の贈与連鎖によって首長間の不均衡な依存関係が作り出され,物資流通が活発化する経済基盤の成立に鉄・鉄器の流通が密接に関わっていたと考えられるようにもなってきた。上記の研究史は演繹論的立論,つまり階級社会や初期国家の形成論における鉄器文化の役割を,帰納論的立論に基づく鉄器文化論が検証する過程とみることもできるのである。
山折, 哲雄
折口信夫は、日本の文学や芸能における基本的な方法が、先行する文学や芸能の形式を模倣するところにあると考え、それを「もどき」の方法と称した。「もどき」という術語には「真似る」という意味と「抵抗する」という意味の両義性があるとかれはいう。模倣しつつ批評するというように解釈してもいいだろう。和歌文学における「本歌取り」も謡曲「翁」における三番叟の演出も、みなこの「もどき」の方法にもとづいているのである。したがってもしもギリシアの芸術が「自然の模倣」であったとするならば、日本の芸術は「芸術の模倣」から成り立っていたといえるかもしれない。
松茂氏當貴(筆写) 2021/9/8 16:08
同治3(1864)年に、松茂氏當貴によって筆写された算法書。田地を上田から中田に、中田から下田に置き換える計算方法や、田畑の耕作の必要経費、薪木の各種計算方法などが記されている。また、運賃の計算方法が記載されており、当時八重山と沖縄本島を往来していた大和船などの年貢運搬や商業的な役割を担った船の状況を見ることができる。宮良殿内文庫には本史料とは異なる算法書(№71「八重山算法」)があり、八重山では他にも数種類の算法書が確認されている。
松茂氏當貴(筆写) 2009/6/5 16:44
同治3(1864)年に、松茂氏當貴によって筆写された算法書。田地を上田から中田に、中田から下田に置き換える計算方法や、田畑の耕作の必要経費、薪木の各種計算方法などが記されている。また、運賃の計算方法が記載されており、当時八重山と沖縄本島を往来していた大和船などの年貢運搬や商業的な役割を担った船の状況を見ることができる。宮良殿内文庫には本史料とは異なる算法書(№71「八重山算法」)があり、八重山では他にも数種類の算法書が確認されている。
外川, 昌彦
本稿は、近代日本を代表する美術家・岡倉天心のアジア美術史に関する認識の転換を、1902 年のインド滞在中のベンガル知識人との多様な思想的交流の経緯を通して検証する。岡倉にとってインド美術史の探求は、ハーバート・スペンサーの社会進化論やヘーゲルの発展段階論に基づく芸術の単系的な発展モデルを克服し、アジア諸美術の「自然な成長」やその相互交渉を捉える視点を与えるものとなっていた。
山口, 昌也 栁田, 直美
我々はこれまでディスカッション練習などの教育活動の観察とふりかえりを支援するために,モバイル型の観察支援システムFishWatchr Mini(以後,FWM)を開発してきた。FWMを用いた観察では,(1)学習者がリアルタイムの活動に対して,ボタン選択式でアノテーションを行い,(2) 観察後,観察者全員のアノテーション結果と活動のビデオとを同期・視覚化することにより,グループでのふりかえり活動を支援する。本発表では,フィッシュボウル方式のディスカッション練習にFWMを導入する方法を示す。また,導入時のFWMの機能拡張として,ふりかえり時のビデオ参照機能について説明した。提案した導入方法と拡張されたFWMを用いて,3回のディスカッション練習を大学の授業の中で実践した。実践の結果,FWMのふりかえり支援機能,および,ディスカッション練習時のビデオ映像によって,導入方法として示したふりかえり方法が有効に機能しうることを確認した。
Nakasone Henrry Y Moromizato Shusai 仲宗根 ヘンリー Y 諸見里 秀宰
琉球原産の9種の蘭分布について,簡単に論じた。これら9種のうちイリオモテラン(Staurochilus luchuensis)とリュウキュウボウラン(Luisia liukiuensis)の2種は琉球固有のものであると考えられる。6属,8種の染色体数を決定し,その結果を報告した。これらの種のn数は19または20の何れかである。またこれらの属のx数についても簡単に論じた。
小林, 謙一 Kobayashi, Kenichi
本稿では,これまでの筆者の分析を基に,一セツルメント内での居住システムの変化に関する把握方法を検討し,次いで南西関東地方を対象に,時期的および実時間での竪穴基数(構築した竪穴数)と生活面数(連続的な居住を維持するための居住活動の単位)を検討した。
落合, 恵美子
昨年、「近代家族」に関する本が三冊、社会学者(山田昌弘氏、上野千鶴子氏及び落合)により出版されたのを受けて、本稿ではこれらの本、及び立命館大学と京都橘女子大学にて行われたシンポジウムによい近代家族論の現状をめぐって交わされた議論を振りかえる。今号の(1)では「近代家族」の定義論を扱い、次号に掲載予定の(2)では「日本の家は『近代家族』であった/ある」という仮説の当否を論じる。
尾崎, 喜光
当研究室の任務と,これまでおこなってきた敬語行動関係の調査をまず紹介する。その後で,これまでの敬語行動調査の展開として最近おこなった「学校の中の敬語行動調査」について,調査の方法・観点・データの処理方法を概説し,面接調査の文字化のサンプルとアンケート調査の集計結果の一部を示し,そこからわかることを指摘する。
松田, 謙次郎 MATSUDA, Kenjiro
旧字体と新字体の混在するテキストは,形態素解析において誤解析の原因となることが多く,その対策としては形態素解析辞書の記載に異体字を加える方法,そして予め漢字を新字体に置換しておく方法,また複数の辞書を使い分けるといった方法が考えられる。本稿では字体置換6通りと,辞書の使い分け3通りを掛け合わせた18組の組み合わせで國/国,會/会,關/関3対の旧/新字体の対を含んだテキストの形態素解析を行うことで,目的とする漢字を含む形態素がどれほど正確に切り出せるのかを検討した。データとして第1~10回までの国会会議録を用いた。結果は,漢字置換で隣接する漢字が旧字体の場合に旧字体に置換し,隣接しない場合は新字体とするという置換法(デフォルトを新字体とする日和見置換)と,すべてについて近代文語UniDicを用いるか,1949年の当用漢字字体表告示を境として,それ以前では近代文語UniDicを用い,それ以後では現代語書き言葉UniDicを用いる方法が,もっとも正確に当該漢字を含む短単位形態素を切り出せるというものであった。形態素解析辞書の記載に異体字を加える方法には,異体字が記載されていない形態素が出現した場合に対応ができないという欠点があるのに対して,漢字置換と辞書の使い分けを活用する方法は,そうした場合にも柔軟に対応が可能であるという利点があることを主張した。
中村 哲雄 伊藤 歌苗 Nakamura Tetsuo Ito kanae
本研究で我が国における学習障害及びこれに類似する児童生徒を対象とした過去10年間の個別指導事例に関する文献から抽出した指導事例343件を対象に、対象児の知的水準、実施された心理検査、指導形態、具体的な指導方法等の22項目を設定したデータベースを作成し、各項目について集計・分析を行った。本研究の成果は、学習障害及びこれに類似する児童生徒の個別指導事例に関する文献のデータベースを作成したこと、指導の現状を明らかにしたこと、指導方法を類型化したことの3点である。また現状及び類型をふまえて、多角的な視点から指導プログラムを計画し、柔軟なアプローチ方法で指導を展開していくことの重要性について考察した。
堀, まどか
野口米二郎(一八七四―一九四七)は、一九一四年一月、ロンドンのJapan Societyにて “Japanese Poetry”、オックスフォード大学Magdalen Collegeのホールにて “The Japanese Hokku Poetry”と題して、日本詩歌についての講演を行った。それらの講演がまとめられ、同年三月にはThe Spirit of Japanese Poetry としてジョン・マレー社から刊行され、翌一九一五年一〇月に日本語版『日本詩歌論』(白日社)として出版された。本稿は、野口がこれらにおいて何を語り、そこにいかなる意義があったのかについて論じたものである。
一ノ瀬, 俊也 Ichinose, Toshiya
本稿では、日露戦後の民間において活発化した軍事救護―国家主体論、兵役税導入論の論理、意図の検証を行う。あえてそのような作業を試みるのは、そこに徴兵制とは国家救護という手段によって不断に「補完」し維持していくべきもの、という認識の枠組みを読みとることができるからである。この点は、当該期の民間に存在した徴兵観の諸相を解明していくうえで、きわめて興味深い問題であるように思われる。
青柳, 明佳 篠原, 泰彦 AOYAGI, Sayaka SHINOHARA, Yasuhiko
Web上で検索できるデータベースは、様々な調査・研究を行い、論文を執筆するために、もはや必須のツールと言っても過言ではない。だが、データベースを構築・運用するにあたり、作成者の意図と利用者の目的や使用方法が必ずしも一致するとは限らない。また、一度稼働し始めたデータベースは、それを止めて作り直す、あるいは修正を行うことが難しい。そこで、本研究では、2019年10月時点で64.92%のシェアを誇るブラウザ「Google Chrome」の拡張機能を使用し、既存の人文科学系論文データベースであるCiNii Articles、NDL ONLINE、国文学論文目録データベース、日本語研究・日本語教育文献データベースを例に、既存のデータベースの運用を止めることなく、表示方法や操作方法を変えながら「データベースにおけるユーザビリティ」を検証していく。また、この方法を通して得られた「どのような点に留意してデータベースの構築・運営を行うべきか」の知見を提示したい。
宇佐美, まゆみ
本稿では、「総合的会話分析」(宇佐美2008)について、その趣旨と目的、方法について紹介する。またこの方法に適するように開発された文字化ルールである『基本的な文字化の原則(Basic Transcription System for Japanese: BTSJ)』、トランスクリプト入力支援機能や分析項目の基本的記述統計量が自動集計できる『BTSJ文字化入力支援・自動集計・複数ファイル自動集計システムセット』(講習会受講者に無償配布)、333会話を含む『BTSJ日本語自然会話コーパス(トランスクリプト・音声)2018年版』、及び、共同構築型多機能データベースである『自然会話リソースバンク(NCRB: Natural Conversation Resource Bank)』を使った「自然会話を素材とするWEB教材」の作成方法についても紹介し、『総合的会話分析』の方法が、「会話・談話の分析」という観点からだけではなく、「日本語教育研究」と「日本語教育実践」にとって、どのような意義を持っているかを論じる。
石川 隆士 高橋 望 Ishikawa Ryuji Takahashi Nozomi
近年,諸外国における改革の流れを受け,我が国の高等教育機関においても教育の質保証の中核的な課題が,教員組織や施設設備などの改革の実行・投入(インプット)のみならず,学生の学修成果(ラーニング・アウトカム)をも包摂するようになってきている。また,機関が学生や保護者,地域社会・企業等といった利害関係者(ステークホルダー)に対して説明責任(アカウンタビリティ)を確保・向上する上で,学修成果の可視化の取り組みを促進するための方策を議論することも求められている。本稿は,学修成果の可視化の促進に寄与する方策を検討することを目的として,欧州や米国の状況ならびに我が国の質保証の取り組みについて整理することで,日本の高等教育機関における質保証の現状に照らした学修の直接評価の役割と意義を明らかとした。また,どのような評価(アセスメント)が学修成果を適切に測定し得るのかについて,従来の方法論の特徴を比較することにより議論した。
片平, 幸
本稿では、欧米諸国における日本庭園像の形成を歴史的に捉える上で重要と思われる原田治郎(一八七八~一九六三)という人物を紹介する。一九二八(昭和三)年にイギリスで刊行された原田治郎のThe Gardens of Japan (Edited by Geoffrey Holme, The Studio Limited. )は、日本人による英語で著された日本庭園論としては最もはやい単行本として位置づけられる。一九三〇年代に入ると、原田以外の日本人による英語の日本庭園論の著作は増加するが、それらはいずれも日本国内での出版であった。そうした事情によって、原田の著作は日本人による文献としては突出した頻度でその後の英語圏の日本庭園論に参照されていく。
吉田 安規良 山口 剛史 村田 義幸 原田 純治 橋本 健夫 八田 明夫 河原 尚武 立石 庸一 會澤 卓司 Yoshida Akira Yamaguchi Takeshi Murata Yoshiyuki Harada Junji Hashimoto Tateo Hatta Akio Kawahara Naotake Tateishi Yoichi Aizawa Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
平田, 光彦
本研究は、仮名の「散らし書き」の二次元的構成を構図によって把握し、分析する方法を提示するものである。散らし書きは平安時代に生起した表現であり、各行の文字の書き出し(行頭)と書き終わり(行脚)の位置、行の長さ、行と行との間隔(行間)等に変化がつけられた書き振りのことである。
久高 將晃 Kudaka Masaaki
ハーバーマスは、『コミュニケーション行為の理論』において、三つの妥当要求に三つの世界を対応させている。すなわち、真理性要求に対して客観的世界、正当性要求に対して社会的世界、誠実性要求に対して主観的世界を対応させている。これらの世界の中で、どの世界が実在しそして実在しないのか。これが本稿を導く問いである。三つの世界の中で主観的世界は実在論の問題とはならない。そこで、客観的世界に関わる真理の合意説と社会的世界に関わる討議倫理学について論じ、『真理と正当化』の諸論考を参照して、先の問いに答えることが本稿の目的である。
比嘉 俊 土屋 勢子 世嘉良 基 Higa Takashi Tsuchiya Seiko Yokaryo Motoi
本稿の目的は,学校現場における意思決定の場面でよりよい意思決定の方法の提案である。意思決定場面の事例は,琉球大学教職大学院選択科目「組織的意思決定マネジメント」で院生から出された事例である。事例に対して,ロベルト(2006)の文献の理論に沿った提案がなされ,本稿は会議への一参加者として効率的な意思決定に寄与できる可能性がある。しかし,本稿では3つの事例しか扱っていない。今後,もっと多くの事例を採りあげ,そこから共通したよりよい意思決定の方法を吟味し,学校現場における意思決定方法の提言までを図りたい。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shinichiro
弥生集落論は,同じ土器型式に属する弥生土器が床面直上から出土する住居を,同時併存,すなわち同時に存在したとみなしてきた。土器一型式の存続幅が30~50年ぐらいで,一世代と同じ時間幅をもつと考えられてきたこともあり,とくにその傾向が強かった。
小池, 淳一 Koike, Jun'ichi
本稿は、民俗儀礼を起源とする俳句の季語を文芸資源と捉え、その形成の過程を論じようとするものである。
豊島, 正之 TOYOSHIMA, Masayuki
本書は,「朝日新聞」原紙とそのCD-ROM版テキストファイルとを照合する事によって,成立過程から既にコード化されているテキストが,別のコード化規準の下でどの様に変容するかを克明に追究したものであり,その意味で,初の「電子メディア文献学的研究」と呼ぶべきものである。本書は,「朝日文字」を含む電子化テキストという特異な例を扱ってはいるが,文献学的な手法は,本書の扱う文字全般に徹底している。本書の方法論が,それ以前の文字計量研究との対比に於て示唆するのは,明示的で操作可能な文字の同定規準が無い限り,文字適量研究の結果は扱い難い事である。本書が紙面照合を通じて文宇同定に費やした労力は,本書の文字統計の将来の価値に大きく貢献している。これに比して,従来の文字統計研究は,本書が努力した様な文字同定の手続きが不分明で,他との統計的比較が無効になり兼ねないという問題を持つものもある。
屋我 嗣良 Yaga Shiryo
建築用木材、 18樹種(本土産材7個、 南方産材5個、 沖縄産材6個)について、 屋外試験と実験室的な試験方法を耐蟻性の立場から比較検討し、 併せて、 比重、 抽出量についても調べた。なお各供試材はイエシロアリに食害させた、 その結果、 つぎのようなことがわかった1)屋外試験と実験室的な試験方法は抗蟻の傾向はよく似ている。しかし再現性、 信頼性の点で、 実験室的な試験方法は有効と思われる。2)輸入材では一般的に本土産材が抗蟻値が大きい、 本土産材でもモミ、 アカガシ、 モツコクの順で強く、 また南方産材でアピトン、 ラーミン、 タイワンヒノキの順で強いことが示された。スギで沖縄産のミシヨウスギ、 ジスギは本土産のそれより抗蟻性が大きいことがわかった。3)比重と抽出量とは抗蟻値と相関関係はみられなかった。
北村, 啓子 KITAMURA, Keiko
古書目録DBのようにJIS外字を含む大規模DBを分散環境で多数の人の共同作業で構築することを想定し、ネットワーク環境でウェブ(Javaサーブレット)技術を使ったデータ入力システム開発の例と、全文検索エンジンを使った目録検索システム開発の例を紹介する。それぞれのシステムについて、UNICODEを使ったJIS外字の入出力の実現方法、その場合の問題点と解決方法について説明する。
高良 富夫 長山 格 Takara Tomio Nagayama Itaru
研究概要:情報処理システムと人間との間で情報の授受を行うとき、音声言語を媒介とすることは、人間にとって最も根源的かつ高速で便利な手段である。本研究では、情報処理システムが音声言語を受理する機能である音声自動認識の高性能化をめざして、遺伝的アルゴリズムを用いた認識モデルの構成方法を確立し、その有効性を実験的に明らかにすることを目的としている。音声自動認識のためのモデルとしては、音声の生成を確率過程としてとらえる隠れマルコフモデル(HMM)を用いる方法が現在のところ最も有望である。しかし、この方法では、最適なモデルの構造を決定する効果的なアルゴリズムが確立されていない。そこで本研究では、HMMの構造を自動的に決定するため、生物の進化過程をモデル化した遺伝的アルゴリズム(GA)を応用する方法を提案している。この方法では、世代を経るに従い尤度の低いモデルは淘汰され、より認識率の高いモデルが生き残るので、広域的最適な高性能のモデルを得ることができる。まず単語音声認識のための離散型HMMの構造決定にGAを適用した。認識実験の結果、クローズ実験だけでなくオープン実験においても、世代を経るに従い認識率の高い構造が得られることが示された。認識率は、通常よく使われ性能も高いLeft-Right構造よりも高くなり、GAの有効性が示された。次に、連続型HMMにGAを適用し、離散型HMMと同様に有効な結果が得られることを示した。さらに、この方法の改良法として、語彙単語をセットにした符号化、隠れ遺伝子、及び状態単位での交叉・突然変異が有効であることを示した。
杉尾 幸司 宮国 泰史 中村 元紀 Sugio Koji Miyaguni Yasushi Nakamura Motoki
教職実践演習の一環として,社会教育施設が中学生を対象に実施する科学体験学習と連携した取り組みを行った。さらに,同実践を通した履修学生の教員として最小限必要な資質能力達成度の評価方法を検討するため,履修学生の自己評価・相互評価・外部評価を実施した。結果として,相互評価>自己評価>外部評価の順に値が高く,それぞれの値には統計上の有意差があった。また,自己評価値と外部評価値との間には統計上有意な相関があったが,相互評価値と外部評価値,相互評価値と自己評価値の間には相関がなかった。このことから,相互評価と比較して,自己評価は学生の評価方法としてより信頼できる評価方法であると考えらる。そのため,本報で紹介した実践活動における履修学生の評価方法としては,自己評価と外部評価だけで十分であることが示唆された。ただし,学生の自己評価と指導者(教師)による外部評価については,ほとんどのケースで自己評価>外部評価という結果になった。この結果は,学生が自己の評価を,指導者(教師)の評価よりも過大に見積もる傾向があり,主観的な達成感の影響を受けてしまっている状況が示唆される。このような結果を踏まえ,教職実践演習における適切な学生評価方法について考察した。
手代木, 俊一
明治期盲人教育におけるキリスト教と音楽について「宣教」、および「宣教師」という観点から論をすすめた。
影山, 太郎 KAGEYAMA, Taro
基幹型共同研究「日本語レキシコンの文法的・意味的・形態的特性」における研究テーマの中から「事象叙述」と「属性叙述」の言語学的な区別に関する成果の一部を略述する。事象叙述とは,「いつどこで誰が何をした」のように時間の流れに沿って展開するデキゴト(動作,変化,状態など)を述べること,属性叙述とは「地球は丸い」のように主語あるいは主題となるモノの恒常的な特性を述べることである。従来は,両者の違いは単に意味解釈あるいは語用論の問題と見なされてきたのに対して,本稿では,属性叙述という意味の現象が実は,統語論・形態論という形の問題と深く関わる文法現象であることを様々な事例で実証的に示す。
津波, 一秋 TSUHA, Kazuaki
本稿では火葬後の洗骨改葬という問題を,沖縄の葬墓制研究の中で再定位することを目的とする。戦後の急激な風葬から火葬への移行は,洗骨改葬を伴う複葬制という沖縄の葬制に大きな影響を与えた。この火葬化と洗骨改葬の関係について,従来の捉え方には①消滅論,②形骸化・簡略化論,③継続論があった。①は沖縄においては火葬の導入とともに洗骨改葬は消滅したとする見方であり,今日最も一般的だと考えられる捉え方である。②は,一部の地域では火葬後も洗骨改葬が形骸化,簡略化しつつ行われているとするものである。③では一部の地域では心意や観念も含め,火葬後の洗骨改葬が行われているとする。
安達, 文夫 竹内, 有理 小島, 道裕 久留島, 浩 Adachi, Fumio Takeuchi, Yuri Kojima, Michihiro Kurushima, Hiroshi
展示は研究成果を公開する一つの形態であり,テーマを持って構成される。展示を構成する側の意図が来館者にどのように伝わり理解されているかを把握することは,研究の成果を伝える方法を改良し,来館者の視点からの展示をつくりだしてゆく上で重要である。そして,展示方法の改良に反映してゆくためには,定量的な評価ができることが望まれる。
道田 泰司 Michita Yasushi
本稿の目的は, 批判的思考力育成教育をどのように構想するのがよいのか,その方向性を検討することである。授業実践を構想する方向性としては大きく分けると,概念駆動型と問題駆動型がある。しかし概念駆動型で授業を構想したとしても,学習者の課題(問題)が視野に入っているのであれば,結果的にそれは問題駆動型と同じになる。学習者の課題を解決することが実践の最終ゴールであることを忘れてしまうと,方法が目的化してしまう。以上を踏まえ,中学校教師に校内研で,批判的思考の概説をした後で,「批判的に考えてほしいのに考えていない場面」について自由記述を求めた。2回に渡ってそれを行い,出てきたものをグルーピングした結果,「他者の意見を鵜呑み」「正解志向」「考えようとしない」「拡散の弱さ」「吟味不足」「判断の弱さ」「問題発見の弱さ」というグループが見いだされた。特に根底にあると思われる正解志向という考え方を教育のターゲットに入れる必要性などを論じた。
米田, 正人 YONEDA, Masato
国立国語研究所では昭和25年度と昭和46年の2度にわたって文部省科学研究費の交付を受け,山形県鶴岡市において地域社会に於ける言語生活の実態調査を実施した。それにより,戦後四半世紀の急激な社会変化の中で方言が共通語化していく過程について,その実態や社会的な要因を明らかにした。本研究は,これらの成果を受け継ぎ,鶴岡市において約20年間隔の第3次調査を実施するとともに,言語変化を将来に向けて経年的に調査記述していくための基礎構築を目的として行われた。また,本報告は平成3年度および4年度の文部省科学研究費補助金(総合研究(A)),研究課題名「地域社会の言語生活-鶴岡市における戦後の変化-」(課題番号03301060)(研究代表者 江川清)の交付を受けて行った調査研究のうち,音声,アクセントの共通語化について一部をまとめたものであり,平成5年8月,カナダのビクトリア大学で行われたMethods Ⅷ (方言研究の方法論に関する国際会議)で口頭発表した内容に加筆訂正したものである。
秋沢, 美枝子 山田, 奨治
オイゲン・ヘリゲルが戦時中に出版したもののうち、その存在がほとんど知られていない未翻訳エッセイを研究資料として訳出する。ヘリゲルのエッセイは、日本文化の伝統性、精神性、花見の美学、輪廻、天皇崇拝、犠牲死の賛美について論じたものである。その最大の特徴は、彼の信念であったはずの日本文化=禅仏教論には触れずに、そのかわりに国家神道を日本文化の精神的な支柱に位置づけた点にある。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
江戸を中心とした近代科学のはじまりとしての合理的思考の脈絡について,近年は前近代論としてさまざまなかたちで論じられている。加賀の絡繰師大野弁吉については,これまでその実像は充分に分かってはいない。本論文はこの弁吉にまつわる伝承的世界の全貌とその構造について,弁吉が著した『一東視窮録』を通して検証し,幕末の都市伝説の解明を試みたものである。
武石, 悠霞 金, 中 TAKEISHI, Yuka JIN, Zhong
ディープランニングが進歩に伴い、人工智能(AI)による詩歌の創作研究が盛んに行われるようになった。著者の研究チームは最近深層学習による和歌生成モデル「和歌VT」を提案した。「和歌VT」は条件付き変分オートエンコーダーと自己注意メカニズムを組み合わせ、指定されたキーワードによって質の高い和歌を生成することができる。本論文ではDice 係数による類似和歌の検索方法を提案し、「和歌VT」モデルによって生成された3首のAI 和歌を例に挙げ、人間和歌との比較の観点から分析を行った。Dice 係数を計算するこの検索方法で類似和歌を客観的に順位付けし、膨大な和歌データから最も目標和歌と近い和歌を選び出すことができる。この和歌検索方法は研究者が和歌を検索する上での参考の一つとして提示することが出来ればと考えている。同方法によって、和歌生成モデル「和歌VT」が創作したAI 和歌と類似する人間和歌を選び出し、その文法や語彙の組み合わせを比較し、AI 和歌の特徴と独創性を分析した。分析結果により、「和歌VT」モデルは人間和歌の主題、文法、句の構造、及び用語を正確にマスターし、独創的な単語の組み合わせ方により斬新的な和歌を生成できることが認められた。
日置, 弘一郎 長谷川, 伸子
井上章一の「美人論」を手がかりとして、美人という社会的存在を考える。井上は「美人」を記号としてとらえ、美人記号が社会的にどのように扱われてきたかを日本社会の近代化の過程に即して分析している。
福田, アジオ Fukuta, Azio
日本の農業生産の場である耕地片は小さく、しかもその小さい耕地片がそれぞれ異なる農民によって所有され、あるいは耕作されているということは古くから知られていたことである。一九五〇年代を中心にした日本の社会経済史では、この分散零細耕地形状を封建制の表現、あるいは封建社会の基礎にあった共同体の存立基盤として把握し、その形成過程を明らかにする論が展開したことは知られている。それらの論が提出されて以降、近世の百姓が経営する耕地の存在形態は「零細錯圃制」であったと言うことが、必ずしも実証されることはないまま、一つの決まり文句として近世史研究では常識化したといえよう。しかし、耕地形状の研究が共同体論と深く結び付き過ぎていたために、共同体研究が下火になると共に関心が薄れ、研究は深まることがなかった。重要な研究課題が放置されたままになっているのである。本論文はあらためてこの問題を取り上げて、南関東地方の一村落における錯圃制耕地の形成過程を実証的に明らかにし、その結果から錯圃制耕地論の意義を考えようとするものである。
この論文は『源氏物語』が『白氏文集』の作品をどのような比喩として用いたかを論じたものである。
藤原 幸男 Fujiwara Yukio
教師は教職についてから退職するまでにさまざまな経験をする。そのなかで教師としての職業的アイデンティティと教育実践の力量を獲得するとともに,そのありようをしだいに変化させていく。この過程は教師の生涯発達といわれている。最近の教師教育研究において,教師に採用されるまでの教員養成の過程だけでなく,教職活動のなかでの職業的アイデンティティの形成と教育実践の力量の獲得が問題になってきている。今年の夏に,認定講習で中堅の現職教員を対象として「教育方法」を担当することになった。この機会に教師の生涯発達と教育方法の変化・発展について講義を試みたので,その実践を報告する。
藤原 幸男 Fujiwara Yukio
教師は教職についてから退職するまでにさまざまな経験をする。そのなかで教師としての職業的アイデンティティと教育実践の力量を獲得するとともに,そのありようをしだいに変化させていく。この過程は教師の生涯発達といわれている。最近の教師教育研究において,教師に採用されるまでの教員養成の過程だけでなく,教職活動のなかでの職業的アイデンティティの形成と教育実践の力量の獲得が問題になってきている。今年の夏に,認定講習で中堅の現職教員を対象として「教育方法」を担当することになった。この機会に教師の生涯発達と教育方法の変化・発展について講義を試みたので,その実践を報告する。
辻本, 裕成 TSUJIMOTO, Hiroshige
『とはずがたり』の従来の主題論は、余りに近代的すぎる視点から行われてきたのではないかという疑問がある。小稿では、なるべく『石清水物語』をはじめとする同時代の例によりながら、『とはずがたり』の主題を検証し直したい。有明の月が柏木と重ねて造形されている宗教的な意味・有明の月の妄執と重ね合わせて描かれる二条の妄執の実態・その如き妄執から二条を救う八幡大菩薩の加護の論理、などを論ずる。
単, 援朝
本稿は芥川龍之介「湖南の扇」をめぐって、作品の構築における体験と虚構化の働きを検証しつつ、玉蘭の物語を中心に作品の成立と方法を探り、さらに魯迅の「薬」との対比を通じて作品の位相を考えるものである。結論としては、「湖南の扇」は、作品世界の構築に作者の中国旅行の体験や見聞が生かされていつつも、基本的に体験の再構成を含む虚構化の方法による小説にほかならない。作品のモチーフは冒頭の命題というよりクライマックスのシーンにあり、作品世界は「美しい歯にビスケットの一片」という、作者の原光景ともいえる構図を原点に形成され、虚構の「事件」が体験的現実として描かれているところに作品の方法があるが、作品の「出来損なひ」はこの方法に起因するものであるといわざるをえない。そして、魯迅「薬」との対比を通じてみると、「迷信」として批判されるはずの人血饅頭の話をロマンチックな物語、「情熱の女」の神話に作り替えられたところに、芥川のロマンチシズムへの志向と「支那」的生命力に寄せる憧れが見て取れる。
山口, 昌也 YAMAGUCHI, Masaya
本稿は,『国会会議録検索システム』に収録されている国会会議録のテキストデータに基づき,全文検索システム『ひまわり』用の『国会会議録』パッケージを構築する方法,および,構築結果を報告する。本パッケージには,1947(第1回)~ 2012年(第182回)に開催された衆議院・参議院の本会議,および,予算委員会の会議録11106件(約4.49億字)を収録している。本パッケージは言語表現の経年変化分析を行うために設計され,会議情報,発言者情報,会議録の構造情報がXMLで付与されている。本稿では,まず,XMLタグを設計するとともに,原資料の表記上の手がかりを使って,設計したタグを会議録に自動的にアノテーションする方法を示す。次に,考案した手法に基づいて『国会会議録』パッケージを構築する。また,構築したパッケージに収録した会議録の基礎情報を示す。最後に,『国会会議録』パッケージを使って,(a)経年変化が大きい表現を抽出する方法,(b)抽出された表現に対する経年変化要因を調査する方法を示すことにより,『国会会議録』パッケージの有用性を示す。
阿部, 好臣 ABE, Yoshitomi
中世の堂上貴族の手になったと思しい『うたたねの草紙』、ではあったが、その地盤には多くの先行の作品が秘められていた。それの主題を拒否し無化することで、この作品がなったことを、主に論じた。そして、中世物語が何故、物語研究に重要であるかにも言及したが、この部分は心細い。また十分な注解を持つことの少ない中世物語の現状にてらし、基礎作業としての注解を添え、かつ、本文の検討も十分ではないと思われたので、校本をも作製し、付載した。注解の部分は、論と不可分の部分もあるので、併読いただきたい。
菅, 豊 Suga, Yutaka
柳田国男は,民俗学における生業・労働研究を狭隘にし,その魅力を減少させた。それは,民俗学の成立事情と大きく関わっている。その後,民俗学を継承した研究者にも同様の研究のあり方が,少なからず継承される。しかし,1980年代末から90年代にかけて,新しい視点と方法をもって,旧来の狭い生業・労働研究の超克が模索された。この模索は,「生態民俗学」,「民俗自然誌」,「環境民俗学」という三つの大きな潮流に区分できる。
村上, 忠喜 Murakami, Tadayoshi
日本民俗学の資料である伝承そのものは,資料として批判することが困難である。それというのも,伝承資料自体の持つ性格と,伝承を取り出す際の調査者の意図や,調査者と伝承保持者との人間関係など,さまざまな因子に影響を受けるからである。フィールドワークを土台とする学問でありながら,資料論や調査論の深化が阻まれていたことは不幸であり,その改善に向けての具体策を模索していくべきである。
吉田 安規良 藏滿 逸司 田中 洋 山田 美都雄 Yoshida Akira Kuramitsu Itsushi Tanaka Hiroshi Yamada Mitsuo
琉球大学の教職大学院に,特別支援学校教諭専修免許取得用科目「特別支援教育の教育課程・授業特論演習」を開設する際の教材資料を想定し,特別支援教育の教育課程及び障害特性の理解と指羽・支援に役立つ授業論に関連して,①特別支援学校.特別支援学級と通級による指羽についての教育課程と学級編制.②個別の教育支援計画,個別の指羽計画と個人情報保護,③教育実践上の留意事項と教員及び幼児・児童• 生徒集団の文化という教育社会学的視点の3点について,学修者である教職志望者及び現職教員に意識させる事項を具体的方法とあわせて学修内容として整理した。①として.指羽要録を教材にしながら,障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るための教育課程が編制されるため,各教科の目標及び内容についての差が存在し,その指羽について障害の状態や特性及び心身の発達の段階等を十分考慮するとともに,障害の状況に応じた配慮が求められていること.及び学級編制基準との関係性の理解が挙げられる。②として.「個別の教育支援計画」,「個別の指導計画」の具体的な様式や記入例,活用事例を示したり,実際に作成させたりしながら,その意味の違いを理解し,個人情報の保護という視点から学修を深めることが挙げられる。③として,「診断名(障害名)に囚われすぎないこと」と「作成した計画を指導に生かす」ことに留意し,文化的側面についても意識的に配慮し,適宜対応を図る姿勢が求められることが挙げられる。
今野, 章 KONNO, Akira
本稿では、鶴岡市における行政文書の評価選別についてのこれまでの経緯と現状、並びに課題を論ずるものである。
友利 久子 嘉数 朝子 大城 一子 仲程 えり子 金武 朝成 仲村 美鈴 Tomori Hisako Kakazu Tomoko Oshiro Ichiko Kinjo Tomonari Nakamura Misuzu
乳児期から青年期まで自尊感情の発達についての理解と、 親のための自尊感情を育てるためのしつけの方法についての米国の親むけの育児書を抄訳した。自尊感情の理解のためには理論的背景や現実場面で理解しておくこと、 発達段階などが抄訳された(Phelan : 1996)。育てる方法としては、 しつけの基本や肯定的・否定的フィードバックの与え方、 積極的に耳を傾ける、 楽しむことなど、 事例をまじえて紹介した。
神庭, 信幸 Kamba, Nobuyuki
博物館の展示室内や収蔵庫内の温湿度を測定するための基本的な機器の種類と,その特性,操作方法について述べ,博物館環境の測定のための指針作りを目差す。温度測定ではガラス製温度計,電気式温度計,バイメタル温度計,示温紙について,湿度測定では毛髪湿度計,乾湿球湿度計,電気抵抗式湿度計,露点計,示湿紙等についてそれぞれ詳細に述べる。湿度測定では,特に機器類の校正方法に触れる。
冨井, 眞 Tomii, Makoto
遺跡や竪穴住居等の遺構の少ない近畿・中国地方における縄文時代の集団動態論は,遺跡を列記していく空間軸と,土器型式ないし相対的な時期表現の目盛りからなる時間軸とで構成される,<遺跡の消長>と呼ばれる図表を作成しながら,個別データを解釈する形で進められてきた。50年以上前にその手法によって研究が進められたときには,定着性を帯びた定住的狩猟採集民,という前提的な認識のもとで,①遺物がわずかでも出土していればその時期の人間活動を認め,②その時期を細別型式で示し,③同一型式内でも時間差を設け得ることを認め,④全貌が知られている遺跡(群)を対象にする,といった方法的・論理的な特性がうかがえた。その後は,人間活動の質や量に対する評価基準が定まらないままに,考古資料の増加によって,遺跡の数も遺跡内での活動時期の数も増加してきている。しかし,集団が定着的なことを前提とする以上は,遺跡数が増加すれば集団の領域は狭くなり,遺物や遺構の数の少なさと相まって,必然的に,<小規模集団が狭い領域で拡大を控えて活動していた>という解釈に向かう。あるいは,活動時期が増加すれば,定着性の高い集団による固定的な領域の占有という認識も強化される。また,基礎データ不足のところでは,その前提の適用や典型的地域の成果援用によって,典型地域と同質な状況にあると想定されがちで,画一的な復元像が形成されやすい。このように,検証されることのない前提に縛られ,人間活動の質・量の判断基準や表現が不十分なままに資料が増加していく状況では,推論も資料操作も特定の解釈へ誘導的になり,<小規模集団が小規模空間を固定的に保持しながら,拡大することなく継続的に活動を続けた>という復元像が各地で画一的に生み出されていく。今後は,豊富な資料から縄文社会の多様性を読み解くための,個別事象をたゆまず精査し仮説を前提化せずに検証する方法と論理が期待される。
新谷, 尚紀 Shintani, Takanori
本稿は日本各地の葬送習俗の中に見出される地域差が発信している情報とは何かという問題に取り組んでみたものである。それは長い伝承の過程で起こった変遷の跡を示す歴史情報であると同時にその中にも息長く伝承され継承されている部分が存在するということを示している情報である。柳田國男が創生し提唱した日本民俗学の比較研究法とはその変遷と継承の二つを読み取ろうとしたものであったが,戦後のとくに1980年代以降の民俗学関係者の間ではそれが理解されずむしろ全否定されて個別事例研究が主張される動きがあった。それは柳田が創生した日本民俗学の独創性を否定するものであり,そこからは文化人類学や社会学との差異など学術的な自らの位置を明示できないという懸念すべき状況が生じてきている。日本民俗学の独創性を継承発展させるためには柳田の説いた視点と方法への正確な理解と新たな方法論的な研磨と開拓そして研究実践とが必要不可欠であり,民俗学は名実ともに folklore フォークロアではなく traditionology トラデシショノロジイ(伝承分析学)と名乗るべきである。日本各地の葬送習俗の伝承の中に見出される地域差,たとえば葬送の作業の中心的な担当者が血縁的関係者か地縁的関係者かという点での事例ごとの差異が発信している情報とは何か,それは,古代中世は基本的に血縁的関係者が中心であったが,近世の村落社会の中で形成された相互扶助の社会関係の中で,地縁的関係者が関与協力する方式が形成されてきたという歴史,その変遷の段階差を示す情報と読み取ることができる。本稿1は別稿2とともに今回の共同研究の成果として提出するものであり,1950年代半ばから70年代半ばの高度経済成長期以降の葬儀の変化の中心が葬儀業者の分担部分の増大化にあるとみて現代近未来の葬儀が無縁中心へと動いている変化を確認した。つまり,葬儀担当者の「血縁・地縁・無縁」という歴史的な三波展開論である。そしてそのような長い葬儀の変遷史の中でも変わることなく通貫しているのはいずれの時代にあっても基本的に生の密着関係が同時に死の密着関係へと作用して血縁関係者が葬儀の基本的な担い手とみなされるという事実である。近年の「家族葬」の増加という動向もそれを表わす一つの歴史上の現象としてとらえることができる。
淺尾, 仁彦
本研究では,形態素解析辞書『UniDic』への語構成情報の付与について紹介する。語構成情報とは,例えば名詞「招き猫」は,動詞「招く」と名詞「猫」の複合語であるといった情報を指す。日本語について語構成の情報が付与された公開データベースは,複合動詞など特定のカテゴリに限定されたものを別とすれば,管見のかぎり存在しない。このデータベースでは,『UniDic』に対して語構成情報をできるだけ網羅的に付与し,品詞・語種・アクセントなど『UniDic』に元々含まれている情報と組み合わせることにより,「名詞+動詞の複合名詞」,「アクセントが無核の動詞の名詞化で,アクセントが有核のもの」といった複雑な条件での検索を行うことができ,語彙論・音韻論・形態論などの多様な分野で言語資源として活用可能である。合わせて,開発中の検索インタフェースの紹介を行う。
堀地, 明 HORICHI, Akira
1801(嘉慶6)年6月、清朝の首都北京城とその周辺地域は連雨に見舞われ、北京城の西側を流れる永定河の堤防が決壊し、水害が発生した。水害から逃れようとして、多くの農民が北京城に向かい、城門周辺と城内の寺廟に避難した。清朝は1801年6月より1802年8月まで、被災民に食糧を無償で配給し、決壊した堤防の公共工事に被災民を雇用する等の水害対策を実行した。嘉慶帝は『欽定辛酉工賑紀事』の編纂を命じ、水害と救済・治水工事について記録を集大成させた。小稿では、最初に『欽定辛酉工賑紀事』の版本が4種類あることを明らかにする。『欽定辛酉工賑紀事』は、水害対策を指揮した嘉慶帝が水害と自らの政治的責任を論じた言説を収録している。嘉慶帝の言説は皇帝自身が水害と執政を論じた貴重なものであり、伝統中国の天譴論の実例である。小稿では、1801年の水害時における嘉慶帝の天譴と執政への言説を考察し、伝統中国における為政者の災害認識を考察する。
藤本, 貴子 FUJIMOTO, Takako
本稿では、文化庁国立近現代建築資料館(以下、建築資料館)で収蔵している大髙正人建築設計資料群を事例に、近現代建築資料の編成記述について検討する。大髙正人(1923−2010)は、建築のみならず都市計画の分野でも活躍した建築家である。当該資料群はその活動の幅広さを反映しており、建築設計図面に加えて、大判の都市計画図や大量の報告書等も含まれている。建築資料館は2013年の開館以来、近現代建築資料の収集や展覧会開催を通じての活用とともに、資料整理の方法についても検討を行ってきた。その過程を振り返り、整理方法の再検討を行ったうえで、早期の閲覧公開を実現することを目指す観点から、近現代建築資料の編成記述方法について考察し、今後の課題について述べる。
糸数 剛
小説読解指導において主題主義ではなく,言葉の力をつけるための指導法として,筆者は「小説読解観点論」(中学生向けには「読みの要素」)による手法を推し進めてきた。「小説読解観点論」とは,それぞれの小説の本質に迫るために多様な観点(既存の観点も用いるが,既存の観点にふさわしいのがなければ創造的に観点を開発していく)の中からふさわしい観点によって説明し,その観点を術語のレベルまで抽象化する(その際,既存の術語も用いるが,ふさわしいものがない場合は新たにネーミングをしていく)ことを通して読解を定着させていく手法である。
梅田, 千尋 UMEDA, Chihiro
近年、中世寺院史料論は大きく進展し、とくに東大寺・東寺に関する研究は、中世史上の重要な論点を提起してきた。一方これらの史料群に含まれる近世史料は多くの場合研究の対象外とされ、中近世史の断絶という問題も生じている。本稿では、中世・近世史料が混在する権門寺院(旧仏教系大寺院)の一つである興福寺史料の整理と目録編成の事例をとりあげ、構造的把握の方法と若干の見通しを述べる。興福寺は、中世以降の複雑な寺院組織のため一元的な史料管理が行われにくく、さらに明治維新期の寺院組織解体によって史料の分散が進んだ結果、現在は20以上の所蔵機関に関連史料が分散している。本稿では、先行研究を手がかりに現段階での興福寺関連史料の伝来・所蔵関係を明らかにし、文書群の全体像把握を試みた。その上で、興福寺一乗院坊官二条家史料(京都大学総合博物館蔵「一乗院文書」)の調査に即して、寺院組織という観点から文書群の構造的分析のための試案を提示した。さらに、「一乗院文書」の事例によって導き出された構造分析が、他の文書群にも適用しうることを指摘した。以上の考察を通じて、各史料群の調査において、できるだけ興福寺関連資料群全体の関連を念頭に置き、相互参照可能なフォンド・サブフォンドの設定を行うことを提案した。
嘉数 朝子 Kakazu Tomoko
本研究は、児童の道徳判断について次の2つの仮説を検討することを目的とした。\n1)動機論的判断は、年齢のみだけでなく、知能水準によっても規定される。\n2)道徳的成熟度の規定因としての知能変数の関与度は発達段階によって異なる。\n上記の検討を行なうために、道徳判断において結果論的判断から動機論的判断への移行期と考えられる7、8歳を中心に、小学1年生、3年生、5年生を被験者とした。\n道徳判断テストとして、Gutkin(1972)の例話型6対と略画を提示し、その反応から道徳的成熟度を査定した。知能段階は、田研式小学校低学年用田中B式知能検査第1形式(C1)と、新制田中B式知能検査第1形式(B1)を用い、IQ70~9、IQ95~105、IQ110以上の3段階に分類した。結果は、以下の通りであった。\n1)第1の仮説は支持され、動機論的判断は年齢の上昇だけでなく、知能水準の上昇によって増加することが明らかになった。\n2)第2の仮説は全面的には支持されなかったが、高学年になるにつれて知能水準の道徳的成熟度に及ぼす影響度は小さくなる傾向が示唆された。
池上, 良正 Ikegami, Yoshimasa
本稿では,多くの日本人には自明な言葉として受け取られている「死者供養」という実践群をとりあげ,これを理解するためには,生者と死者との間に交わされる身体的実践や,人格表象の関係性に注目した動態的な視座が必要であることを論じた。言い換えれば,西洋近代を特徴づけてきた,霊肉二元論的な人間モデルや,自律的で完結した統一体としての個人といった前提では,十分な理解が難しいのではないか,ということである。プロテスタント的な「宗教」観から強い影響を受けた近代の宗教研究では,つねに存在論的な根拠をもつ「信仰」を明らかにしようとする傾向が強く,「死者供養」と総称される実践も,「死者信仰」「祖先崇拝」などの枠組みによって説明され,実践がもつ積極的な意義を単独に論じるといった発想は乏しかった。
福島, 雅儀 Fukushima, Masayoshi
装飾古墳の彩色原色を多用した特異な図文は,それが墓室に施されたこともあって強烈な衝撃を与えている。この図文は,呪術や鎮魂・僻邪という目的で施されたと理解されてきた。しかし図文を解釈する方法や根拠は,不明確な場合が少なくなかった。また装飾内容を文字資料から説明する資料が発見されない現状では,具体的な装飾の意味や意義を明らかにすることはむつかしい。したがって装飾内容の追究は,状況証拠を積み重ねるしか方法はない。
渡久山 清美
本報告書は、共通教育科目「マスコミと社会」における授業内容と方法、課題点とその改善点についてまとめたものである。コロナ禍の遠隔授業においてもアクティブラーニングを促進するためにオンライン・リアルタイム講義でグループワークの時間を設けた。学生の反応や意見も取り入れながら随時、グループワークの持ち方を工夫した結果、学生のリアクションペーパーに授業への参加に意欲的、肯定的な意見が見られた。他に、オンライン・リアルタイム講義での課題点について報告者が実践した対処方法について述べる。オンラインでもできる限り対面授業に近づけるために、教員のみでなく、受講生もアイデアを共有し、努力した。コミュニケーションを深めるための方法を考えながら、お互いを気遣い話し合いに参加したことで、多くの学生が、社会に参加するための大切な姿勢を培うことができたと考えている。
Hsu Ruth Y. シュー ルース Y
本稿では、抵抗と解放への可能性を生じさせる「場」としての記憶と歴史に注目しつつ、アジア太平洋地域の反主導権力的文学テクストについて考察する。アジア太平洋地域の異なる地理的場所において、過去数十年の異なる時期に書かれたテクストを分析していくが、特に21 世紀における昨今の動きの中で有利な位置にあるアジア系アメリカ文学・文化が、いかに合衆国の文学研究をさらなる脱中心化へと導く方法として有効かということについて、合衆国の昨今の問題意識のもとに分析していく。その覇権的な作用が多岐にわたる決定論を無効にするひとつの方法は、支配的な歴史的語り^^ナラティヴに埋もれた、場所や人々の物語^^ストーリーを掘り起こすことである。私たちが過去をどのように認知し、その知見とどのように向き合うかは、日常生活的に課せられた現在の責務(例えば、共同体意識や共通の目的のもとに、政治的に機能する社会を築くことなど)と関わっており、私たちが脱植民地化の流れの中で過去や現在を刷新していくことは、そうした共同体形成の作業に影響を与える。必要なのは、個人的な記憶と共同体や国家の集合的記憶の両方を再構築することであり、それによって、歴史の創造過程が、主導権を掌握する勢力との交渉や闘争の場そのものとなるのである。本稿は、スーチェン・クリスティン・リム(シンガポール)、マリア・N. ヌグ(香港マカオ)、R. ザモラ・リンマーク(ハワイ)の著作やラッセル・リオン(ロサンジェルス)の詩などを検証することにより、脱植民地主義的試みにおける記憶や集合的歴史の問題点に迫る。これらの「物語^^ストーリー」は、アジア太平洋地域の人々がどのように西洋の植民地主義と関わってきたかという経験のありようを垣間見せてくれる。また、これらの語りは、実際にある多様な奴隷状態から登場人物たちがどのように自らを解放へと導いていったかについても明らかにする。読者は、フィクションとしてのこれらの語りを、過去を「再追悼」する行為であると認識すると同時に、広大な脱植民地化の動きの中で人々をつなげる反主導権的ネットワークの生じる場所を、時間的・空間的な多面性、その予想不可能性、流動性、順応性といった力を備えた「場」として位置づける。本論ではまた、そのポストモダン的語りによって脱植民地化の文学の中でイコン的な存在となっているテレーサ・ハッキョン・チャの『ディクテ』についても論じ、結びとして、これまで英訳されることのなかった沖縄文学の作品を含む MANOA の沖縄文学特集号についても触れる。
後藤 雅彦 Goto Masahiko 主税 英德 Chikara Hidenori
本報告は、令和3年度琉球大学科研費等獲得インセンティブ経費の交付をうけ実施した「東アジアの中の琉球列島-環境・生活・交流の歴史的相互関係を捉える」に関して、考古学における地域調査の方法を検討するために、具体的な実践例を紹介する。
後藤 雅彦 Masahiko Goto 主税 英德 Hidenori Chikara
本報告は、令和3年度琉球大学 科研費等獲得インセンティブ経費の交付をうけ実施した「東アジアの中の琉球列島-環境・生活・交流の歴史的相互関係を捉える」に関して、考古学における地域調査の方法を検討するために、具体的な実践例を紹介する。
與那原 建 Yonahara Tatsuru
企業の競争優位の持続可能性についての捉え方は2つある。ひとつは、企業組織には慣性があるため、大きな環境変化には対応できず、そうした変化にうまく適応できたところに取って代わられてしまうという見方に立つ。もうひとつの立場では、環境変化の中でも新たな組織能力を創出する能力(ダイナミック能力)を備えておれば、企業は競争優位を持続させることができるととらえ、そのような能力こそが企業の持続的競争優位の源泉になるとみなしている。後者は「ダイナミック能力論」とよばれる分析視角であるが、それは新たに「両利き」というコンセプトを導入することで、競争優位の持続可能性の議論を進化させている。そうした観点で企業の持続的競争優位を論じている代表的研究者にオライリー&タッシュマンがいる。本稿では、かれらのダイナミック能力論と両利きの実現可能性についての諸命題を検討していくが、こうした議論は企業の持続的競争優位の源泉の解明を進めていく上で有望な方向のひとつと考えられる。
村本, 周三 小林, 謙一 坂本, 稔 松崎, 浩之 Muramoto, Shuzou Kobayashi, Kenichi Sakamoto, Minoru Matsuzaki, Hiroyuki
三輪野山貝塚南西部斜面盛土と浦尻貝塚台ノ前北貝層における14C年代測定の結果を示し,遺跡形成過程推定を通じて問題となる点について論じた。
高木, 正朗
この論文の目的は三つある。連続した人口記録がある場合、第一に世帯と家族のライフサイクルの始まりと終わりとを境界づける良い方法があるか、第二に世帯構成の変化を測定する最善の方法は何か、第三に極めて短期間だけ居住して移動していく都市の下層世帯においても、家族周期が観察されるかどうかを探求することである。こうした課題を検討する素材として、一七世紀中期から一九世紀末にかけて作成された宗門改帳は最適である。
重田, みち
日本中世の能楽論書『風姿花伝』五篇のうちの神儀篇は、能楽史研究をはじめ藝能史・説話史研究、民俗学等の資料として注目されてきた。しかし、その成立時期や著者を純粋に世阿弥と見てよいかどうか等、文献学的な問題が多く積み残されている。また、同篇は従来、既成の伝承を比較的素朴に綴った猿楽伝説と見られ、その著述に世阿弥の特別な意図がなかったかどうかなど、伝書としての性格や史料論的な観点に注目した検証は行われていない。
大村, 敬一
本論文の目的は,イヌイトの「伝統的な生態学的知識」に関してこれまでに行なわれてきた極北人類学の諸研究について検討し,伝統的な生態学的知識を記述,分析する際の問題点を浮き彫りにしたうえで,実践の理論をはじめ,「人類学の危機」を克服するために提示されているさまざまな理論を参考にしながら,従来の諸研究が陥ってしまった本質主義の陥穽から離脱するための方法論を考察することである。本論文では,まず,19世紀後半から今日にいたる極北人類学の諸研究の中で,イヌイトの知識と世界観がどのように描かれてきたのかを振り返り,その成果と問題点について検討する。特に本論文では,1970年代後半以来,今日にいたるまで展開されてきた伝統的な生態学的知識の諸研究に焦点をあて,それらの諸研究に次のような成果と問題点があることを明らかにする。従来の伝統的な生態学的知識の諸研究は,1970年代以前の民族科学研究の自文化中心主義的で普遍主義的な視点を修正し,イヌイトの視点からイヌイトの知識と世界観を把握する相対主義的な視点を提示するという成果をあげた。しかし一方で,これらの諸研究は,イヌイト個人が伝統的な生態学的知識を日常的な実践を通して絶え間なく再生産し,変化させつつあること忘却していたために,本質主義の陥穽に陥ってしまったのである。次に,このような伝統的な生態学的知識の諸研究の問題点を解決し,本質主義の陥穽から離脱するためには,どのような記述と分析の方法をとればよいのかを検討する。そして,実践の理論や戦術的リアリズムなど,本質主義を克服するために提示されている研究戦略を参考に,伝統的な生態学的知識を研究するための新たな分析モデルを模索する。
井上, 優 生越, 直樹 INOUE, Masaru OGOSHI, Naoki
本稿では,日本語と朝鮮語の過去形「-タ」「-ess-」に見られるある種の用法のずれが「どの段階で当該の状況を発話時以前(過去)の状況として扱えるか」という語用論的な制約の違いに由来することを論ずる。具体的には次の二つのことを示す。1)日本語では,発話時において直接知覚されている状況が知覚された(あるいは開始された)瞬間だけをきりはなして独立の過去の状況として扱うことができる。2)朝鮮語では,当該の状況が直接知覚されている間は過去の状況として扱うことはできず,日本語のような「状況の最初の瞬間のきりはなし」はできない。
髙橋, 修 Takahashi, Osamu
国立歴史民俗博物館蔵の『懐溜諸屑』には多数の一枚刷りの資料が貼りこまれ、近世後期の都市生活・庶民文化を知るための手がかりの宝庫である。中でも現代の「ちらし広告」に相当する「引札」の数量は全体の二割を占め、その重要性が伺える。そこで本稿では、①『懐溜諸屑』に収載された江戸の引札を類型化し、それぞれの様式論的特徴を明らかにすること、②大阪歴史博物館で収蔵する引札を主たる分析素材とし、大坂における引札の様式論的特徴を明らかにすること、③江戸と大坂の引札を比較分析し、そこで得られた知見を広告メディア史全体の文脈の中に位置づけること、以上の三点を研究目的として設定した。
下郡, 剛
院=上皇・法王の意志を奉者一名が奉って作成される院宣について、古文書学は、現存文書を元に様式論を生み出し、院宣は院司が院の意向を奉じて発給する文書とされてきた。しかし、日記の中には、意志伝達が果たされた時点で、文書としての機能を喪失してしまう、一回性の高い連絡に使用された文書が多く記載されている。それでは、現存文書に基づき成立した院宣様式論は、本共同研究の対象たる日記からとらえなおすと、いかなる姿を見いだせるのか、を本稿で検討した。
大滝, 靖司 OTAKI, Yasushi
本研究では,子音の長さが音韻論的に区別される6つの言語(日本語・イタリア語北米変種・フィンランド語・ハンガリー語・アラビア語エジプト方言・タイ語)における英語からの借用語を収集してデータベースを作成・分析し,各言語における借用語の重子音化パタンを明らかにする。その結果から,語末子音の重子音化は,原語の語末子音を借用語で音節末子音として保持するための現象であり,語中子音の重子音化は原語の重子音つづり字の影響による現象であることを指摘し,純粋に音韻論的な現象は語末子音の重子音化のみであることを主張する。
小川, 靖彦 OGAWA, Yasuhiko
仙覚の『萬葉集註釈』における訓読と註釈の全体像を捉えるためには、まず『萬葉集註釈』の諸本研究と本文批判という基礎的作業が不可欠である。既存の翻刻は底本に本文上の問題点が少なからずある。また、書写の時期の早く、本文的にも優れた仁和寺蔵本、冷泉家時雨亭文庫蔵本が詳細な解題を付して影印されたが、いずれも完本ではない。さらに、『萬葉集註釈』の本文整定には、後人によって付加されてきた書入注記等を如何に扱うかという方法論的な困難も存在する。今回紹介する国文学研究資料館蔵本は、中世末から近世初期に、智仁親王によって書写され、本文的には仁和寺本、冷泉家時雨亭文庫本に近い完本である。『萬葉集註釈』の本文の復元に資するところが大きいとともに玄覚等後人の書入注記に関してある程度見通しを与えてくれる善本である。また智仁親王等近世初期の堂上における萬葉集の書写・研究の実態を知る上でも貴重な資料と言える。本稿は、その書誌と本文の一端を紹介し(同系統の龍谷大学図書館蔵本、阪本龍門文庫蔵本とともに)、さらにその巻第一を翻刻したものである。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
本稿は、一九九七年以降の現地調査もとづいて、奈良県東北部に位置する室生村東里地区の宮座組織と祭祀儀礼の構造について、多田と染田の二つの集落を中心に考察する調査報告である。本稿の主要な課題は次の二点である。第一は、宮座の家族レベルの構造原理である当屋制と、個人レベルの構造原理としての年齢序列がどのようにかかわっているかを、事例に即して考察することである。ここで対象とする地域においては、年齢順に着座したり祭祀の執行にあたるなど、年齢序列が一定の重要性を保持してきたことは事実である。したがってこの問題はこの地域の宮座が、宮座一般論に提起する問題のひとつである。と考えられる。第二は、宮座儀礼の構造の問題のひとつとして、宮座が実際にさまざまな祭祀を行う場合、その方法の問題がある。これはすなわち、特定の当屋に祭祀的役割や経済的負担を集中させるか否かの問題である。これまでの宮座研究ではこれに二つの型がみとめられることが明らかにされてきたが、対象とする地域でどのような傾向がみとめられるか考察するのが第二の課題である。
山下, 裕作 Yamashita, Yusaku
現在民俗学においては「文化の資源化」,「ふるさとの資源化」について盛んに議論されている。そこでは主に行政主導の地域振興事業や文化事業への批判的議論が主流をしめ,民俗学の「本質主義」的側面がそうした行政の事業施策に寄与したのだという学への批判が展開される。しかし,これらの議論は,地域の生活者が抱える卑近で切実な問題から目を背けたまま行われているように見える。本稿は,農村が直面する大きな問題として「限界集落」の問題を取り上げ,民俗文化的知見を活かしながらその解決を図る現場の実践を,島根県大田市大代町,新潟県十日町市松代町の二つの事例から分析する。従来の議論が官製の資源化に対する批判に留まっているのに対し,資源化の過程を見ながら,その新しい意味を問い直す試みである。そのうえで,民俗学が提起しうる健全な資源化の方法論の構築を企て,岩手県下閉伊郡岩泉町の現場で実践した試みの顛末を紹介する。いずれも大きな課題であり,未だ検討途上の域を出ない中途半端な検討ではあるが,現在のやや一方的な「資源化」批判の議論に一石を投じることとなれば幸いである。
安江, 範泰 YASUE, Norihiro
本論文は、国重要文化財「京都府行政文書」を検討素材として、地方自治体が残す歴史的行政文書の史料学的な分析方法を提起する。
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