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佐藤, 知己
本稿では、主に以下の三つの点を指摘したい。
高田, 智和 小助川, 貞次 TAKADA, Tomokazu KOSUKEGAWA, Teiji
古典籍の原本画像とその翻字テキストを対照表示させるビュアーを作成し,変体仮名習得を目的とする大学授業に利用した。授業利用により指摘された問題点によってビュアーの改善を行った。また,デジタルコンテンツの利用が,初学者の学習意欲の向上など変体仮名学習に一定の効果をもたらすことが指摘された。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
西尾市岩瀬文庫に所蔵される御伽草子『岩竹』については、酒呑童子や土蜘蛛など、先行の武勇伝をはじめ、『塵滴問答』との密接な関連が指摘されている。従来、これら以外に類似する説話は報告されていないが、『岩竹』と酷似する怪異謹が那須地方に語り伝えられている。本稿では、この新たな岩竹説話の存在を指摘するとともに、両者の成立した背景と物語世界について考察する。
井内, 美由起 IUCHI, Miyuki
木口木版は、今日では専ら芸術的な目的のために用いられる版画の技法である。しかし、明治二〇年代には、海外からもたらされた図像を複製し、拡散する実用的なメディアとしての一面を持っていた。本稿では、博文館の少年雑誌に掲載された木口木版挿絵を中心に、これらの図版が西洋の雑誌から模刻されたものであることを指摘する。はじめに、木口木版が少年雑誌のヴィジュアル面を支えた時期、および代表的な木口木版工房である生巧館と少年雑誌との関わりについて論じる。次に、博文館少年雑誌の科学欄に掲載された図版を中心に検討し、これらがアメリカの科学雑誌からの転載であることを指摘する。また、同じく博文館少年雑誌に掲載されたポンチ絵を取り上げ、これらがドイツの風刺雑誌からの転載であることを指摘する。
長田, 友也 Osada, Tomonari
近年の縄文時代研究では,様々な分野で縄文時代観の見直しが指摘されている。社会についても縄文時代の後半期において,一定程度の複雑化が指摘されることが多い。しかしそうした議論は関東以東の東日本で盛んな一方で,中部日本以西の地域ではあまり見られない傾向にある。それには社会複雑化を示す指標が必要であるが,本稿では中部日本にみられる特産品の流通・消費から,中部日本の社会動態と社会複雑化を検討した。
井戸, 美里 IDO, Misato
本稿の目的は,「否定的特立」や「意外」を表すとりたて詞「など/なんか」「まで」を対象とし,これらのとりたて詞にはそれぞれ,文末の否定辞と呼応関係を持つものと持たないものという統語的特徴が異なる2つの用法があることを指摘することである。本稿では,この2つの用法は,否定との呼応関係を持たないものは内容語([+Lexical])の素性を持ち,呼応関係を持つものは機能語([-Lexical])の素性を持つ異なる語彙項目であるとすることで,現象を自然に説明可能であることを指摘する。さらに,否定との呼応関係を持つ「など/なんか」「まで」と持たない「など/なんか」「まで」は,無関係な2つの語彙項目なのではなく,対比の「は」の後接という現象をとおして対応関係にあることを指摘する。
野本, 敬 NOMOTO, Takashi
本稿では雲南南部地域の開発の進展とそれのもたらした環境変遷について、石屏地域を事例に取り上げ考察する。開発の飽和状態に伴う人口圧力の結果、周辺地域へ経済的・社会的な側面のみならず活動の結果として周辺地域の環境変遷に至るまで多大な影響を与えたことを指摘し、一地域の開発進展の様相から更に広い意味での環境変遷を照射しうる視角を提示する。併せて従来用いられてきた史料に加え、現地調査で得られた成果の活用により、更に具体的な実態を把握しうる可能性を指摘する。
中川, 奈津子 NAKAGAWA, Natsuko
本稿は,青森県上北郡野辺地町で話されている,南部方言の一変種の音韻を記述する。野辺地町について簡単に紹介したあと,母音,子音,音節構造に関してそれぞれ議論する。共通語化の影響により,母音も子音も揺れが大きく,その「揺れ幅」によってしか音素を同定できないと主張する。特に /i,u/ の認定が困難で,共通語との対応が意識されない語における [ɨ] は揺れがないものもあるため,音素の同定に問題が生じることを指摘する。音節構造に関しては,長母音は認定せず,長子音とコーダ位置の /n/ を認定するが,認定方法にはまだ課題が残されていることを指摘する。
谷口, 雄太
本稿では十四世紀後半~十五世紀前半の吉良氏の浜松支配につき、特に寺社統制の問題を中心に検討し、その上で、一国の領主と守護の関係、連動する都鄙の姿、都鄙を結ぶ道の実態についても指摘した。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿では,批判的思考が良い思考であるのかどうかについて,意思決定と問題解決に焦点を当てて検討した。まず,すぐれた意思決定はきわめて批判的思考的であり,創造的な問題解決には,批判的思考的な技能が活かされていることが確認された。しかし,潜在的意思決定や暗黙の前提の存在を指摘することは,他者には受け入れられがたいことも多く,問題解決から離れる可能性のある,必ずしも良いとはいえないものであることが指摘された。これらは「解決・評価志向」と「探究志向」の批判的思考という枠組みで考察され,批判的思考の持つ「良さ」と「良くなさ」の2面性について論じられた。
Yogi, Minako 与儀, 峰奈子
世界の色々な言語に女性・男性の性差による話し方の違いが存在することは多くの言語学者によって指摘れ、社会言語学的な観点からの研究が盛んに行われている。アメリカ英語におけるその分野の研究はRobinLakoff (1975)の著書Language and Women' s Placeが導火線となった。Lakoffの研究は本人の内省と周囲の人を観察したものに基づいたものだが、その著書の中で「女性の言葉j と「女性に関する言葉」について言及し、性差によって話し方が違うことと、女性は男性と異なった表現をされていることを指摘している。本稿では、Lakffが「女性の言葉」の特徴として指摘した「専門的な色彩ことば(mauve,lavender,a quamarine)のような特殊な語嚢」"Oh,dear!"," Dear me!"," Oh,f udge!"のような弱い虚辞(weaker expletives),'divine'や、'charming','sweet',' adorable'のようなLakoffの言ういわゆるempty adjectives(ほとんど意味のない形容詞),誇張表現としての副詞"so intensive "so")と「女性に関する言葉」について、1 8 5名のアメリカ英語のネイテイブ・スピーカーにアンケー卜を行い、性差による言語使用の違いについて考察した。
小林, 健二 KOBAYASHI, KENJI
謡曲「小林」が、世阿弥の完成した軍体の能に比して鬼能的な色彩が強く、軍体の能に先行した修羅の面影をとどめているであろうことを指摘し、並びに、本説としての『明徳記』との関係を、能作の側の意識から掘り下げて考察した。
久留島, 典子
益田家文書は、石見西部を根拠地とする有力武家一族とその所領状況、女性相続の具体像を中世初期から考えることができる史料といえる。❶では、石見国長野荘各郷下司である物部・紀氏等を名乗る各一族が、相互に、あるいは京下りの領家や、かなり広範囲にわたる同階層の荘官一族と、婚姻養子関係を結んでいた状況を明らかにした。そして一二世紀の立荘時以降、領家一族との婚姻といった外的要素が長野荘の在地世界に加わり、男子のみが補任される官職秩序の影響を、下司一族たちも受けるようになったことを指摘した。❷では、まず近世成立の嫡継承を示す益田氏系図とは異なる、中世における継承のあり方を示すと考えられる系図を考察し、そこに記載された「女捕」の語に注目して、鎌倉時代における女性相続の一般的存在故に、これを犯罪として式目に載せる必要性が、当時の御家人社会にあったことを指摘した。最後に、❸では、益田氏が新たに獲得した所領について、その領有の正統性を示すために、旧領主らの文書を集積している状況を明らかにし、そのなかに、別相伝ともいえる女性所領に関係するものが多い点を具体的に指摘した。
越智, 正樹 Ochi, Masaki
本論の目的は、「農的自然」という新たな概念の必要性と可能性について、観光的現象を手がかりとして指摘することである。議論は、観光立県を標榜する沖縄県において、都市とも農村とも言いがたい地域が広がる本島中部地方の、あまり注目されていない2事例を紹介しながら展開する。まず中城村のNPOによる民泊事業の事例からは、観光的現象との接続において二次的自然の再-序列化が生じていること、都市圏の鄙における実践をすくい取るためには農村的自然と等値でないものとして「農的自然」概念を設定する必要があること、を指摘する。次に宜野湾市大山の田イモ水田域の事例からは、都市圏の広大な栽培湿地塊の衰滅を遵けるため、「緑地」「公園」としての客体化はもはや不可避だとしても、生産活動とかかわる自然性は緑地等と異なるものとして分節化しておくべきであること、そのために「農的自然」概念が必要であることを指摘する。以上の議論を踏まえて本論は、「農的自然」概念を広義と狭義に分け、農村的自然との関係性も内包した整理を行う。その上で最後に、「農的自然」の公益性と可能性について論及する。
麻生, 伸一
近世期の災害に関係する論考が多くあるなかで、琉球人の自然観、災害への通念を見通した分析は、とくに歴史学の分野では吃緊の課題である。そこで小論では、諸災害の前後に執り行われた祭祀や祭礼などの儀礼を取り上げ、それらの祭祀が行われた背景や意味について考えてみたい。小論で指摘した内容は次の通りである。第一に、大規模な災害後には国王からの使者が派遣され、祭祀が行われていたことを明らかにしたことである。先行研究でも指摘されているが、いわゆる「宮古八重山大津波」の発生直後には、王府から派遣された使者のはじめの役目が「御守札」を各村へ配布することであり、さらに蔵元跡地では被災者への追悼祭史が執り行われている。また、道光五(一八二五)年の「大風」被害に対しても被災地へ使者が送られ、各地においても同様の追悼祭祀が行われた。第二に、海難事故の被害者への追悼祭祀について、その背景を提示したことである。康熙六一(一七二二)年の進貢船の沈没、および乗組員の死亡を受け、琉球では天久崎で追悼祭祀が行われたが、その背景には、おそらくそれ以前に、福州で行われた致祭が影響していることを指摘した。第三に、国王と三司官で祭祀開催の是非をめぐって、意見が交わされていたことを指摘したことである。災害の原因と対処法に関する近世期の観念が如実に表れている事例であり興味深い。第四に、不審火を予防するために民間で祭祀を執り行っていたことである。災禍を取り除くための都市部の人々の動向の一部を示すことができたと思われる。
前川, 喜久雄
現代日本語の大規模な自発音声データベースである『日本語話し言葉コーパス』を紹介する。まず話し言葉研究におけるデータベースの必要性を指摘したのち,『日本語話し言葉コーパス』公開版の仕様を紹介する。締めくくりとして,日本語のコーパス言語学について簡単な展望を述べる。
高瀬, 克範 Takase, Katsunori
続縄文概念の有効性の評価にあたり,隣接諸文化との比較からその異同性をさぐることは重要な手段となりえる。本稿では,資源・土地利用を中心とした経済の観点から縄文・弥生および一部古墳文化との比較をおこない,以下の点を指摘した。
野本, 敬 NOMOTO, Takashi
本稿では雲南生態環境史研究についての史料の種類・性質を紹介し、現在までの調査情況を説明する。さらに地方志の分析による統計データから16世紀~19世紀の雲南におけるマクロな社会変化を指摘し、今後の複数の史料の活用による展望を述べる。
櫻井, 芽衣子 Sakurai, Meiko
日本語記述文法研究会(2009)『現代日本語文法7』によると、「つまり」は先行部を具体的に説明したり要点をまとめたりするものである。文脈を考慮に入れ、「つまり」による換言の様相を『現代日本語書き言葉均衡コーパス』で見ると、後続部は必ずしも先行部を分かりやすく言い換えるとは限らないが、先行部に情報を追加し、先行部だけでなく、まとまりのある文章として理解を深める場合があることを指摘する。先行部の理解を促す換言と、文章の理解を促す換言、これらの換言は、石黒圭(2001)「換言を表す接続語について――『すなわち』『つまり』『要するに』を中心に――」『日本語教育110号』で指摘される換言の二つの目的に沿うものであることも確認する。
前川, 喜久雄 MAEKAWA, Kikuo
本稿の前半では筆者らが現在構築を進めている『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(BCCWJ)の概要と特徴を紹介し,後半ではBCCWJやそれをさらに発展させた大規模均衡コーパスが言語研究にどのような影響を及ぼすかについての予測を述べた。類義語の研究やコロケーションの研究のように,従来から行われてきた研究がコーパスによって一層進展すると期待されるcorpus-basedな研究のほかに,コーパスなくしては行いえないcorpus-drivenな研究も考えられる。その一例として,文法性判断の個人ないし状況による異同について考察し,文法性判断は言語刺激との接触経験によって容易に影響を蒙ることを指摘した。最後に文法性判断の異同をコーパスによって説明するためには最低でも数十億語規模のコーパスが必要になることを指摘した。
曹, 大峰 CAO, Dafeng
多言語コーパスに焦点を絞って,まずこれまで多言語コーパスを分類するための基準が不足していたことを指摘する。さらに,多言語コーパスというものにおいては異なる言語がさまざまな関係によって関連付けられていることを示し,その関係を分類するための基準を提案する。その上で,多言語コーパスをどのように選定し,使い分けるべきかについての目安を示す。また,「中日対訳コーパス」の作成と利用経験を踏まえて,訳文データの特性に気付かず原語と対等に使うなどの利用上の問題点を指摘したうえ,筆者が提示した利用モデルを説明し,「可能だ」という可能表現,終助詞「だろう」の意味用法,日中同形語である「基本」の意味用法などに関する日中対照研究の事例を通して,対訳コーパスを適正に利用する方法とその効果を示す。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
本論文では、都市民俗学の立場から、喫茶店、とりわけそこで行なわれるモーニング(朝食を、自宅ではなく、喫茶店のモーニングセット〈モーニングサービス〉でとる習慣)という事象に注目し、記述と問題点の整理を行なった。本論中で行ないえた指摘は、およそ次のとおりである。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
慈円詠と西行詠との近似性はさまざまに論じられてきたところであるが、字余りという観点から作風の類似を指摘したのは、本居宣長であったと思われる。その説を検証し、両者の作風の相違点についても考察する。また、慈円に傾倒した一人の天台僧を取り上げ、その学芸の一端を考える。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿では,主に学校における学びの中で,批判的思考がどのように位置づきうるかを探索的に検討した。まず,批判的思考のない無批判的な学びとは,教育の無謬性という信念に基づく,ある意味で適応的な学びであることを論じ,その信念を支える信念には,権威者の特権性(その対概念としての学習者の未熟性),貼り付け型学習観,固定的知識観があることを指摘した。一方,批判的思考とは,対話的思考としての性質を持っており,そのような対話のある学びが,無批判的ではない本来の学びと考えられるが,それは「観」の転換を伴うものであることを論じた。「観」を変える第一歩としては,学習観の転換が有力候補であることを指摘し,最後に若干のまとめと補足を行った。
森岡, 正博
一九八〇年代に「いのち」を扱う数多くの書物や記事が出版された。本論文では、その中の典型的な七つの文献を要約して紹介し、それら「いのち」文献の内容と結論を決定づけている「いのちパラダイム」が存在することを指摘したい。本展望は、M. MORIOKA, ‘The Concept of Inochi’ (Japan Review No.2. 1991)の姉妹編である。
本康, 宏史 Motoyasu, Hiroshi
本稿では、まず、「戦争と神社」をめぐる研究史で、さきの「資料報告書」(戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究)の項目をも踏まえ、近代日本の戦争研究史における、神社との関係にかかわる研究蓄積・研究動向の紹介と、その中での「営内神社」研究の現状と意味を指摘する。
髙谷, 由貴 TAKAYA, Yuki
日本語接続表現の史的研究においては,次のような見解が共有されてきた。日本語には固有の接続表現は存在せず,他の品詞からの派生であるとの見方である(京極・松井1973,岡﨑2013 他)。その派生の一種として接続助詞から接続表現への変化も指摘されてきた(小柳2016,Matsumoto 1988 他)。
下村, 育世 Shimomura, Ikuyo
明治五年一一月九日の改暦の詔書には、「四年毎ニ一日ノ閏ヲ置」とのみ置閏法の記載がある。天文学者・内田正男などは、これではユリウス暦法の置閏法であり、四〇〇年に三回閏を省くというグレゴリオ暦の規約が落ちているとして、「不備」を指摘してきた。
平川, 南 Hirakawa, Minami
さきに拙稿「墨書土器とその字形」において、古代の集落遺跡から出土する墨書土器は、一定の祭祀や儀礼行為等の際に土器になかば記号として意識された文字を記載したのではないかと指摘し、今後、古代村落内の信仰形態の実態を究明しなければならないと課題を提示した。
尾崎, 喜光
当研究室の任務と,これまでおこなってきた敬語行動関係の調査をまず紹介する。その後で,これまでの敬語行動調査の展開として最近おこなった「学校の中の敬語行動調査」について,調査の方法・観点・データの処理方法を概説し,面接調査の文字化のサンプルとアンケート調査の集計結果の一部を示し,そこからわかることを指摘する。
神園, 幸郎 Kamizono, Sachiro
神園(1983)は,年長児(7歳児,8歳児)における体制化能力の向上は,概念構造の精緻化に加え,カテゴリ数やカテゴリサイズといった記憶内情報の効果的なモニタリングの能力によると指摘した。この指摘をうけて,本研究では概念構造の検出やその使用能力に限界を示す年少幼児(4歳児と6歳児)に,カテゴリ数やカテゴリサイズの手がかりを与えることによって,記憶の体制化能力を高めることができるのではないかとの予想のもとに実験を行った。実験は,記銘時と検索時の手がかり付与の組み合わせによって5条件を設定し,実施した。その結果,6歳児は,検索時に手がかりを提供されることによって,分類作業で精緻化された概念構造を有効に利用することが可能となり,体制化能力が高まることがわかった。一方,4歳児は,記銘時と検索時の両事態で手がかりを付与しても,体制化率は上昇するものの,再生数の増加はみられなかった。しかしながら,課題遂行に先立って,実験者が示範する自己の記憶状態の確認や記銘リストの数量的構造を強調する具体的で,かつ,実際的な記憶方略を模倣した被験児は,6歳児と同水準の体制化率や再生数を示した。こうした結果は,従来,体制化の促進が困難であると指摘されていた6歳児はもとより,4歳児においても体制化能力の促進が可能であることを物語っている。
鈴木, 映里子 Suzuki, Eriko
本稿は原典史料の検討を中心とした史料論的考察である。千葉県東総地域を舞台に活動した農村指導者大原幽学、彼に関する研究はその多くが『幽学全書』『幽学全集』に依拠してなされてきた。しかしまたそのことが要因として事件発生時期の事実誤認や、読み違いがあることも指摘されてきている。
山田, 奨治 早川, 聞多 村上, 征勝 埴原, 和郎
浮世絵顔貌表現の類似性を分析するために、われわれはいくつかの計量方法を定義し、統計的な分析を試みた。顔部品形状分類データの質的分析、顔部品計測値の偏差分析、主成分分析、ガブリエルのバイプロット、その他のモデルによる距離分析(マハラノビス凡距離、エドワーズ・キャヴァルリ=スフォルザのE-二乗距離、計量データと非計量データによるイエルノー距離)から、以下のような点が指摘された。
ホーン, スティーブン・ライト HORN, Stephen Wright
本論文では,オックスフォード上代語コーパス(OCOJ)を利用して,上代語の主節と従属節それぞれの述語の活用形を比較しながら,接続詞を介さず活用だけでできる,連用修飾関係(いわば,直接従属関係)を研究する。節の活用形と投射との関係を考える上での基本的データを紹介する傍ら,いくつかのパターンについて,OCOJのマークアップを再検討する必要性をも指摘する。
中村, 太一 Nakamura, Taichi
日本古代の交易に関する従来の研究は、交易者・市の様相や法的規制、あるいは官司や官人による交易活動の解明に主眼を置いてきた。このため、交易活動の動機や目的などについては、必ずしも追究されてこなかった。そこで本稿では、ポランニーが指摘する交易者の動機や目的に着目し、交易者の実態やその類型を抽出することを目的とした。
西本, 裕輝 Nishimoto, Hiroki
沖縄の低学力問題が指摘されて久しいが、問題は未だに解決しているとは言い難い。ここでは低学力の要因として特に、文化的要因、パーソナリティ要因に注目した。沖縄県内外に位置する中学校における調査データの分析の結果、沖縄の比較的ポジティブなパーソナリティが学力にマイナスの影響を与えていること、また、文化的影響も間接的ながらあることが明らかになった。
新山, 聖也 竹本, 理美 澤田, 浩子
近年、日本語指導を必要とする外国人児童生徒が増加しており、教科学習に必要な学習言語能力の支援が問題となっている。本稿では、教科学習の中で求められる抽象的思考と結びつく言語形式を分析することを目的とし、中学校教科書のテキストを対象として形態素解析を行った。まず、数学教科書と理科教科書の比較から、共通して出現しやすい表現と特定の教科に出現しやすい表現が存在することを指摘し、ケーススタディとして数学に特徴的な文型として「AをBとする」に注目して分析を行う。「とする」の前後文脈、出現しやすい単元に関して分析を行い、数学では「とする」が具体的事象における要素と数式に出現する要素を同定し、立式の際に思考の枠組みを設定する用法で用いられることを指摘する。本稿の分析は、語彙だけでなく、特定の文型が教科学習で求められる抽象的な思考と結びつくことを示す事例として位置付けられる。
佐藤, 久美子
日本語の自然談話では,子音/r/を含む音節(以下,ラ行音節)が撥音化・促音化することがある(例えば,「ワカラナイ」が「ワカンナイ」,「クルカラ」が「クッカラ」)。このような現象は日本全国に見られるが,それが地理的に偏って分布していること(上野(編)1989),頻度や環境は方言によって異なることが部分的に指摘されている(大橋1974,日野1984,田附2019など)。本稿では日本語諸方言コーパス(Corpus of Japanese Dialects: COJADS)を用いて,関東・東北地域の自然談話データに見られる動詞ラ行音節の撥音化・促音化の実態を報告する。具体的には,以下の三つを指摘する。(i)撥音化と促音化の現象は関東・東北地域に連続して分布しており,宮城・福島・茨城を中心として,その周辺に広がっている(ii)撥音化と促音化の頻度は強い相関があるが,一方に偏る方言がある(iii)撥音化と促音化が起こる音環境には方言間のバリエーションがある。
西島, 光洋 NISHIJIMA, Mitsuhiro
本研究では、アジア言語母語およびヨーロッパ言語母語の中級日本語学習者(以下それぞれアジア/ヨーロッパ言語母語話者)による各品詞の使用量の差異を調査した。計11母語の日本語学習者それぞれに対して、I-JAS のストーリーライティング(SW)タスクとエッセイ(E)タスクそれぞれにおける、各品詞(大分類・細分類)のトークン数とタイプ数の頻度を計算した。その結果、対象とする母語数を増やすと、先行研究で指摘されていたアジア/ヨーロッパ言語母語話者間の差異が確認されなくなる場合があることが分かった。また、タスクによって、アジア/ヨーロッパ言語母語話者間の差異が確認できる品詞は異なることも分かった。特に、ヨーロッパ言語母語話者はアジア言語母語話者と比べて、SWタスクでは終助詞を多用する一方で、Eタスクでは口語的な助詞を豊富に使用することが判明した。この結果を基に、ヨーロッパ言語母語話者が書く文書には、文書のジャンルに依らない、文体上の共通点が存在する可能性を指摘した。
井原, 今朝男 Ihara, Kesao
本稿は、前近代の触穢と精進法のあり方を通じて、前近代の呪術・信仰が生業・技術や権力の動き・さらには民衆生活をどのように規制していたのかについて検討し、これまでの通説であるケガレ観念の国家的管理論や、天皇・禁裏や伊勢神宮は神聖な空間が維持され、穢多・清目・河原者には「服忌によっても禊祓によっても払拭できない穢」が集中したとする見解を実証面から批判したものである。本稿では、室町期の内裏では禁中触穢が繰り返され、天皇は四方拝や毎日拝を神事でないことを理由に穢のときでも公事として実施していた史実を指摘した。系譜上の父母である上皇・国母が死去した際には、倚廬とよぶ粗末な庵をつくり十四日間忌みこもりを行なっており、禊ぎと祓えによって死穢をキヨメる呪術的儀礼であったことをあきらかにした。ここから中世天皇や禁中が穢れと浄の混在する世界であったことを指摘した。
ダニエルス, クリスチャン Daniels, Christian
本稿では、思茅の生態環境史に大きな影響を与えた漢族移民が入植する以前にタイ族の政権が存在したこと、及び18世紀における漢族商人による思茅山地の開発という二つの要因を指摘した後、この度の調査で得た碑文資料に基づいて、18世紀末19世紀初め、現地の住民がこの開発に対して自発的に採択した環境保全措置とその意義を紹介する。
真鍋, 祐子 Manabe, Yuko
本稿の目的は,政治的事件を発端としたある〈巡礼〉の誕生と生成過程を追うなかで,民俗文化研究の一領域をなしてきた巡礼という現象がかならずしもア・プリオリな宗教的事象ではないことを示し,その政治性を指摘することにある。ここではそうした同時代性をあらわす好例として,韓国の光州事件(1980年)とそれにともなう巡礼現象を取り上げる。
土屋, 聡 Tsuchiya, Satoshi
本稿で考察の対象とするのは、国宝「秋萩帖」(東京国立博物館所蔵)に収められている王羲之尺牘十一通である。近年では、中国においても、この稀覯資料への関心が高まっている。しかし、現在のところ、既存の法帖や書目との重複が指摘されるのにとどまり、本文の異同についての具体的な検討は行われていない。
今野, 真二 KONNO, Shinji
明治9(1876)年刊『[漢語/文章]熟字早引』([漢語/文章]は角書きであることを示している)は〈国語〉(=語釈/意味)から〈漢語〉を求めるために作られた小型漢語辞書である。明治初期に作られた多くの辞書が,『新令字解』,『漢語字類』,『増補新令字解』の影響下にあることが指摘されているが,体裁,幾つかの項目の記述から推して,当該辞書はおそらくはそうではない。この〈国語〉には漢語も含まれており,〈国語〉として配置された漢語は見出し項目となっている漢語よりも当期理解されやすかったことが予想され,当期の漢語の層を観察するために有効である。また〈国語〉が説明的である場合,対応する見出し項目に置かれた〈漢語〉に対応する和語が安定して存在していなかったことが予想され,当該辞書の〈国語〉を注視することによって,明治期の日本語のあり方を観察する手がかりを得ることができる興味深い資料であることを指摘した。
井本, 亮 IMOTO, Ryo
従来,「ほど」は補部を取って程度副詞句の主要部となる形式副詞であるとされてきた。しかし,「ほど」が構成する「~ほど」という形式(以下「ほど」句と呼ぶ)には他の用法があり,必ずしも程度副詞的な用法だけでなく,事物・事象回数・動作量を表す数量詞的な用法も認められる。本稿では,「ほど」句の用法について考察し,「ほど」句が程度用法にとどまらない諸用法を持つことを指摘する。そして,「ほど」句が数量詞的な性質を備えることを形式名詞や述語動詞の項構造の観点などから示す。そして数量詞的性質を仮定することによって,「ほど」句の解釈原理が説明できることを主張する。事物数量用法の他にも,動作量用法は非限界的事象を計量する期間数量詞,事象回数用法は多回化された限界的事象の個別的計量機能に対応する。本稿の結論は,「ほど」句の解釈が述語動詞の性質等から計算的に決定されるものであることを指摘すると同時に,連用修飾成分研究の方向性を示唆するものである。
加藤, 美紀 KATO, Miki
本研究は,日本語の数詞(特に基数詞)における文法的用法について論じたものである。結果としては,これまでにも指摘されている副詞的用法に関する新たな解釈と,従来の研究では論じられてこなかった用法を提示できた。具体的にいうと,前者については,確かに従来述べられているように,数詞が連用することは特色の一つとなっているが,さらに重要なことは,その数詞が,先行する名詞と組み合わさっているという点である。後者については,主に二つの用法を指摘できる。一つは,「子供が三人で遊んでいる」のような文における数詞についてである。この構文において,数詞は必ず主語(主体)のかずを示し,同時にその主語のあらわすものがグループであることを示す機能がある。もう一つは,「二人は黙って歩きつづけました」のような文における数詞である。これは,数詞の三人称代名詞的用法として提示した。
樹下, 文隆 KINOSHITA, Fumitaka
寛文九年正月二十九日に催された次期萩藩主である元千代(毛利吉就)の誕生祝儀能の番組を手がかりに、寛文期を中心とした萩藩能役者の動向を紹介する。あわせて、寅菊・春日・春藤という中世末から近世初期に活躍する能役者の一群が、関ケ原合戦以前から毛利家と深くかかわっていたことを明らかにし、その背後に毛利家と関係の深い本願寺の存在を指摘する。
上野, 善道 UWANO, Zendo
岩手県と青森県の,旧南部・津軽両藩の6地点で調査をした北奥方言動詞のアクセント報告の続稿として,4~7拍動詞の374語を対象とする。基本は無核型と次末核型の2つからなるが,動詞の全体としてはn拍にn個の区別があるアクセント体系である。3拍までの基本的な動詞35語について,それぞれ8つの活用形のアクセント資料も掲げ,その地域差も指摘する。
井川, 浩輔
組織におけるコーチングの重要性は高いが,コーチング・スキルに関連する課題も指摘されており,そのような課題の解決につながるコーチング・スキルのトレーニングを新たに開発する必要がある。本稿では,コーチング・スキルのトレーニングに関する教育プログラムを開発・実施し,教育プログラムにおける学習者の反応を具体的に示すことで,トレーニング開発において考慮すべき教育プログラムの効果や課題について考察を試みた。
小池, 淳一 Koike, Junichi
本稿は雑誌を通して日本の民俗研究の形成過程の特徴をとらえる視角を追求しようとするものである。雑誌は、長く大学に講座を持たなかった日本の民俗研究にとって重要なメディアであり、研究の対象を登録し、資料を蒐集するだけではなく、課題を共有し、議論を深めていくためにも活用されてきたことがこれまでも指摘されている。
清水, 享 SHIMIZU, Toru
本報告は雲南省南部紅河流域を中心とした地域の生態環境関連碑文について、その立地と地域社会との関係から初歩的な分析を試みた。いくつかの事例より碑文がどのような場所に立ち、その存在が村落などの地域社会においてどのような役割や効果があるのか概観し、現在における森林資源の保護の機能や灌漑分配の証拠としての役割などの可能性について指摘する。
淡野, 将太 浦内, 桜 越中, 康治 Chuang, Chi-ching
本稿は,小学校の宿題量評定における学年考慮の重要性を指摘する。分析ではUrauchi and Tanno(in press)のデータの一部を利用した。小学校の宿題量評定として測定した主観的宿題量としての教師評定と客観的宿題量としてのjudges’ ratingsの相関関係を検討した。その結果,相関係数はr = .21(p < .05)だった。小学校の宿題量評定における学年考慮の重要性を考察した。
申, 媛善 SHIN, Wonsun
日本語におけるスピーチスタイルシフトの生起要因は多くの研究から指摘されているが,それがどういった仕組みで行われているのかについては未だ十分な説明がされていない。そこで,本稿では韓国語との比較を通し,日本語のスピーチスタイルシフトが「どのように」起こるのかを考察した。日本語と韓国語による大学院生二者間の初対面会話を,日時を隔て録音し,(1)回を重ねるにつれての変化(会話間),(2)1つの会話内での変化(会話内)の2つの側面から文末スタイル使用率の変化を追った。その結果,日本語会話の場合,会話間においては基本スタイルが敬体から常体に変わり,会話内においては相手のスタイル変化に合わせる「同調」という一定のパターンが存在することが分かった。このことから,日本語話者は基本スタイルをシフトさせる過程で「同調」という手段を取っている可能性があると指摘した。「同調パターン」は,韓国語会話でも一部見られたものの,傾向として認めるほどの数には及ばなかった。
寺石, 悦章 Teraishi, Yoshiaki
現代では人聞は心魂と身体から、あるいは身体のみからなるとする見解が有力である。そのような中、シュタイナーとフランクルは、人聞は精神・心魂・身体の三要素からなるとし、人聞を理解するためには精神の存在を認めることが必要不可欠だと主張する。その他にも両者の思想の間には多くの、また大変興味深い類似が見出される。とはいえ両者は中心的な活動領域が異なる。相違点に目を向けるならば、類似点以上に多くを指摘できることは言うまでもない。両者の比較研究など無謀であり、学術的価値などないとする見解も予想されることから、筆者は前稿において両者の比較研究のための基盤作りを行った。本稿ではそれを踏まえ、両者の精神(Geist)および心魂(Seele)の対応関係を中心に考察する。結論からいえば、フランクルの「精神」はシュタイナーの「精神」よりも「心魂」との共通性が高い。このように理解することで、前稿でも指摘したシュタイナーの「自我(Ich)」とフランクルの「人格(Person)」をめぐる思想の不一致は解消され、両者の、思想の類似性はいっそう高まることになる。
永田, 大輔
本稿では、批評的な言論の中で二次創作がいかなる文脈において「消費」と呼ばれてきたのかについて議論する。なかでも大塚英志の「物語消費」とそれを引き継いだ東浩紀の「データベース消費」がどのような文脈で論じられるようになったのかを指摘する。とりわけ大塚の議論は東を経由して理解されることが多く、大塚の議論そのものが注目されることは少ない。
廣田, 吉崇
明治維新によって日本の伝統的芸能が大きな打撃を受け、茶の湯も衰退を余儀なくされたことはしばしば指摘される。しかし、上層階級を中心とする「貴紳の茶の湯」の世界では、ひとあし早く茶の湯が復興し始めていた。この茶の湯の復興を先導したのは、旧大名、近世からの豪商にくわえて、新たに台頭した維新の功臣、財閥関係者らの、「近代数寄者」とよばれる人々である。
河野, 泰之 Kono, Yasuyuki
これまでの森林・農業班の研究成果を概観し、ラオス北部を中心とする農業と森林に生きる人々の生態史を、「身体化された人と自然のインタラクション」、「変転する文化と技術の共生」、「グローバリゼーションの衝撃、戸惑いから挑戦へ」という3 つの視点から予備的に考察した。また、変化の不連続性の掘り起こし、スケールを生態史に組み込むこと、ラオス史における重要な出来事を生態史に組み込むことなどを、今後の課題として指摘した。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
日本における現代民話研究は,すでに少なからぬ研究の蓄積を見ているが,日本の現代民話を日本以外の社会の現代民話と比較検討する作業は,まだまったくといってよいほど行なわれていない。この研究動向上の欠を補うべく,本論文では,韓国社会で語られている現代民話について,日韓比較の視点から検討した。本論文で行なった指摘を列挙すれば,次のようになる。
趙, 廷寧 孫, 保平 宜保, 清一 王, 暁慧 周, 金星 Zhao, Tingning Sun, Baoping Gibo, Seiichi Wang, Xiaohui Zhou, Jinxing
黄土高原は, 黄河の中流域に位置し, 総面積が中国陸地面積の6.63%を占め, 世界で最も土砂流出の激しい地域である。頻発する土壌侵食, 地すべり, 土石流などの土砂災害は, 黄土地域の社会的経済的発展の障害となっている。本研究では, 黄土地すべりの主要類型とその分布特性, および黄土地すべりの地形・比高などの地すべり発生要因を明確にした。さらに, 黄土地すべりの防止が黄土区域の社会・経済発展のキーになることを指摘した。
中尾, 七重 渡辺, 洋子 坂本, 稔 今村, 峯雄 Nakao, Nanae Watanabe, Yoko Sakamoto, Minoru Imamura, Mineo
放射性炭素年代測定を文化財建築遺構に適用し,その有効性を明らかにした。事例として,国宝大善寺本堂,旧土肥家本家住宅,旧土肥家隠居屋住宅,重要文化財三木家住宅の年代調査結果を報告する。文化財建造物を測定する場合の部材選択や試料採取の方法を示した。部材最外層年代から建築の年代情報を得るために,部材の年代測定から建物の年代判定へ研究発展の必要性を指摘した。
合庭, 惇
幕末から明治初年にかけての時期は、欧米の科学技術が積極的に導入されて明治政府によって強力に推進された産業革命の礎を築いた時代であった。近代市民社会の成立と印刷技術による大量の出版物の発行との密接な関連が指摘されているが、近代日本の黎明期もまた同様であった。本稿は幕末から明治初年の日本における近代印刷技術発展の一断面に注目し、活版印刷史を彩るいくつかのエピソードを検証する。
日下, 幸男 KUSAKA, YUKIO
はじめに久世家文書と中院文書との関連性を述べ、各所に分散所蔵されている久世家文書の復元的一体的研究の必要性を指摘する。次に分散所蔵されている久世家文神の現状と概要を紹介する。また久世家の歌人として著名な久世通夏を研究する上で重用史料である、通夏日記と通夏詠草留の概要を紹介し、関連する中院文書にも触れつつ、その概要を紹介する。なお当館蔵久世家文書の中核をなす生活文書の紹介については別稿に譲る。
小島, 聡子 KOJIMA, Satoko
近代は「言文一致体」・「標準語」を整備し普及させようとしていた過渡的な時代である。そのため,当時,それらの言語とは異なる方言を用いていた地方出身者は,標準語を用いる際にも母語である方言の影響を受けた言葉づかいをしている可能性があると考え,近代の東北地方出身の童話作家の語法について,彼らの言葉づかいの特徴と方言との関連について考察した。資料としては,宮沢賢治の『注文の多い料理店』,浜田広介の『椋鳥の夢』を全文データ化してコーパスとして利用した。その上で,文法的な要素に着目し,格助詞・接続助詞等の一部について,用法や使用頻度・分布などを既存の近代語のコーパスと比較し,その特徴を明らかにすることを試みた。また,『方言文法全国地図』などの方言資料から,彼らの言葉づかいと方言との関連性を探った。その結果,格助詞「へ」の用法・頻度については,方言の助詞「さ」の存在が関連している可能性があることを指摘した。また,接続助詞の形式,限定を表す表現などにも方言からの影響がある可能性を指摘した。
半嶺, まどか ズラズリ, 美穂
本稿では,まず危機言語の保存と言語継承の目的についてまとめ,危機言語コミュニティにとってどのようなアドボカシー(擁護や代弁)が必要かを考察した。また,他の文脈での先行研究と照らし合わせながら,琉球諸語の文脈での言語リクラメーション(再生・再獲得)の必要性や可能性について考えた。さらに,琉球諸語の文脈で今後必要となる学際的連携について考察し,現状の課題を指摘した。次に,既存の母語話者,非母語話者という二分化や単純な言語運用能力による話者の区分や描写の仕方がどのような問題を孕むかを指摘し,新しく琉球諸語を学び始めている世代を「新しい話者(new speaker)」という概念を用いて可視化した。また,彼らの支援に必要な要素を第二言語習得理論に基づいて提案した。最後に,本共同研究プロジェクトを通して実施したい研究計画として,新しい話者と研究者が連携する言語記録活動の方法論の提案,Galtungのトランセンド理論に基づくインタビューの継続,「無意識のバイアス(unconscious bias)」「立場性(positionality)」「継続的な再帰的振り返りの実践(reflexivity)」に関する継続教育(CPD)の機会創出について述べた。
西原, 鈴子 NISHIHARA, Suzuko
談話のまとまり,自然な流れを形成する言語的手段である結束性とは具体的にどのようなものであるか,異言語間のコミュニケーションにおいてそれがどのように移行するかを検討した。結束性の表出手段として提案されている五点の中から,(1)指示,(2)省略,(3)語彙,の三点を選び,日本語と英語の相互翻訳例を資料としてそれぞれの表出方法の差異を知ると共に,伝達の問題点を指摘した。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
無作為に抽出された札幌市民332名について,ガ行鼻音がどのような傾向性をもって保持されているのかを明らかにし,そこに関与している諸要因を指摘する。さらに,ガ行鼻音を保持する個人を,真性保持者と疑似性保持者とに分け,疑似性保持者によるガ行鼻音の保持が,語の性質の違いによる一定の傾向性,すなわち一種の含意尺度(implicational scale)に従っているという仮説を提示する。
吉海, 直人 YOSHIKAI, Naoto
「百人一首幽斎抄」と「百人一首新抄」の版本二点を初めて翻刻し、その簡単な解題を付けた。幽斎抄(細川幽斎著)は二条流の伝統的な注釈を集大成したものであり、新抄(石原正明著)は本居宣長門流の平易な口語訳によるまさに新しい注釈である。両書を比較すれば、新旧の相違は一目瞭然であろう。解題では両書の出版の経緯や内容的な特徴を指摘し、更に異版の存在を図版によって示している。
菅, 豊 Suga, Yutaka
日本において,低湿地を積極的に稲作地として利用し,「水辺」を改変する農業は,通常,技術的未発達が指摘され,その技術に費やされる労苦からの脱却がことさら強調される傾向があった。確かに低湿な水田で行われる農耕は,重い労苦が伴い,不安定な収穫しか望めない泥濘だったのは間違いないし,従来,民俗,地理,歴史などの多くの研究者によって,この水との格闘の歴史は明らかにされてきた。
チャウェンギッジワニッシュ, ソムキャット CHAWENGKIJWANICH, Somkiat
日本語の連体節を「限定」と「非限定」に分ける研究は少なくないが,「非限定」の連体節の機能はまだ十分に明らかにされているとはいえない。一般には,「非限定」の連体節は「情報付加」を表し,「限定」と違い,疑問のスコープに入らないといわれるが,益岡(1995)は,「非限定」の連体節の中には「情報付加」を表すとはいえない,疑問のスコープに入り得る連体節(氏は「述定的装定」と名づけた)があることを指摘している。本研究では,その「述定的装定」以外にも,「情報付加」の連体節の一部が疑問のスコープに入り得ることを指摘し,その種の連体節が「眼前事態の描写」という意味的特徴を持つことを論ずる。このタイプの連体節は,主名詞に対してある種の限定を行っているために,疑問のスコープに入ることができると考えられる。しかし,この場合の限定とは,「限定」の連体節の場合と異なり,他のものとの区別ではなく,主名詞自身の他の(時の)状態との区別をするという限定である。
麻生, 玲子 セリック, ケナン 中澤, 光平 ASO, Reiko CELIK, Kenan NAKAZAWA, Kohei
本論文では,過去40年間の南琉球の語彙研究を事例に,従来の調査方法や成果に対して詳細な評価を行い,それに基づき,日琉諸語を対象に多地点で詳細な語彙研究を行うという目的を達成するための効果的な研究方法について論じる。過去40年間に行われた南琉球の語彙研究成果を収集および評価した結果,研究者と母語話者が協力して行うハイブリッド型研究が,質と量の両面から最も有効な研究手段であることが分かった。このため,今後の語彙研究にとってハイブリッド型の研究形態を積極的に活用していくことが大きな可能性を秘めていると主張する。一方で,南琉球諸語は消滅危機言語であるため研究期間に制限があるにもかかわらず,語彙研究が行われている地点には激しい偏りが存在していることも指摘する。この問題に対して,ハイブリッド型研究であっても面接調査のみに頼ることは非現実的であることを明らかにし,語彙収集に関わる作業を一部遠隔化することで解消できると指摘する。以上の結果を踏まえ,我々が実施している事例を参照しながら,作業を細分化・分担し,各自が居ながらにして作業を効率的に行うハイブリッド遠隔型の語彙研究を提案する。
阿部, 藤子 今田, 水穂 宗我部, 義則 冨士原, 紀絵 松崎, 史周 宮城, 信 ABE, Fujiko IMADA, Mizuho SOGABE, Yoshinori FUJIWARA, Kie MATSUZAKI, Fumichika MIYAGI, Shin
本発表は児童生徒らの文章作成能力の経年変化を計量的分析によって明らかにすることを目的とする。その基礎資料として作文を電子化した「「手」作文コーパス」を構築した。本コーパスの資料は1992年及び2016面に児童生徒らが書いた「手」を題とする作文である(両資料は,同一の国公立大附属小中学校で同条件で作成されたものである)。両資料の調査時期にはおよそ四半世紀(24年)の隔たりがあり,本発表の目的はその間の児童生徒らの文章作成能力の変化の有無を明らかにすることにある。予備調査を行った結果,1サンプル当たりの文章量(総字数),語数,文節数等で両資料間で明確な差異を見出すことはできず,文章の量的観点からは大きな経年変化は見られないことが分かった。一方で,現場の教師らから「以前に比べて子ども達が作文が書けなくなった」という指摘を聞くこともあり,使用語彙の種類や品詞の偏り,文末形式等の文体的特徴の違いを数量的差異として抽出し,2つの資料の異動を観察する。その結果に基づき先の教師らの指摘の妥当性を検討する。
竹田, 晃子 三井, はるみ TAKEDA, Koko MITSUI, Harumi
国立国語研究所における「全国方言文法の対比的研究」に関わる調査資料群のうち,調査I・調査IIIという未発表の調査資料について,調査の概要をまとめ,具体的な言語分析を行った。調査I・調査IIIは,統一的な方法で方言文法の全国調査を行うことによって,方言および標準語の文法研究に必要な基礎的資料を得ることを目的とし,1966-1973(昭和41-48)年度に地方研究員53名・所員4名によって行われ,全国94地点の整理票が現存する。具体的なデータとして原因・理由表現を取り上げ,データ分析を試みることによって資料の特徴を明らかにした。3節では,異なり語数の比較や形式の重複数から,『方言文法全国地図』が対象としなかった意味・用法を含む幅広い形式が報告された可能性があることを指摘し,意味・用法については主節の文のタイプ,推量形への接続の可否,終助詞的用法の観点から回答結果を概観した。4節では,調査時期の異なる他の調査資料との比較によって,ハンテ類の衰退とサカイ類の語形変化を指摘した。「対比的研究」の調査結果は興味深く,現代では得がたい資料である。今後,この調査報告の活用が期待される。
緒方, 茂樹 城間, 園子 津波, 桂和 佐和田, 聡 Ogata, Shigeki Shiroma, Sonoko Tuha, Yoshikazu Sawada, Akira
本研究ではこれまでに提唱してきた「システム教育学」の中核をなす図形モデルの再構築を行なった。まず特別支援教育におけるネットワークシステム構築に関する図形モデルとして「基本モデル」を提案した。従来提案してきた「空間モデル」は結果的にこの基本モデルと同一のものとなった。さらに時間軸に沿った連携のあり方について、基本モデルに時間情報を付加した上で「時間モデル」を再提案した。さらに本稿では、特にコーディネーターの役割に焦点を当て、システム論に基づいて今回再構築したモデルに当てはめを行った。得られた所見から、例えば関係諸機関間の連携については、コーディネーターが境界関係システムとして位置付けられること、その具体的な役割として「つなぐ」ということが主眼とされるべきことなどについて指摘した。さらに境界関係システムに関わる具体的な課題の一つとして、学齢前における保育所(園)、認定こども園におけるコーディネーターの不在などの課題についてもまた明らかにした。認定こども園の設置数増加に見られるような保育制度の改革の中、いわゆる気になる子の早期発見と早期対応についてもまた、時間連携の観点から今後重点的に取り組むべき課題の一つであることを指摘した。
松薗, 斉
従来、総体的な把握がなされてこなかった中世後期の日記についてその特色を述べたものである。まず室町期について、前代より継続して記される公家の日記は、南北朝期に生じた朝廷の儀式の断絶や以後顕然化したその衰退及び経済的基盤を失って生じた公家たちの疲弊が、その「家」の日記の作成活動に停滞をもたらし、彼らの日記が前代にもっていた国家的な情報装置としての役割を低下させたことを指摘した。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
無作為に抽出された富良野市民287名について,ガ行鼻音がどのような傾向性をもって保持されているのかを明らかにし,そこに関与している諸要因を指摘する。次に,相澤(1994a)で報告した札幌市民321名の事例と同様に,この傾向性を説明するための原理として,含意尺度の考え方が有効であることを示す。さらに,年齢差と世代差の観点からガ行鼻音の衰退動向を分析し,年齢差が特に関与的であることを示す。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
『東京語アクセント資料』をアクセント研究に有効に活用するためには,まず第一に,目的に応じた資料評価を十分におこなう必要がある。本稿では,資料評価のあり方とその方法を模索するために,事例として東京語の尾高型アクセントを取り上げ,『東京語アクセント資料』におけるその出現状況を問題とする。具体的には,既刊の4種の辞書のアクセント情報と対照させながら,それらとの異同を詳細に調査し,アクセントの計量的研究における資料面での問題点を指摘する。
メスター, アーミン 伊藤, 順子 Mester, Armin Ito, Junko
シュワー母音が多数の言語において強勢不可能な要素であることはよく知られているが,本稿では,ドイツ語等のシュワーが強勢を担えないのは他の理由から説明されることを指摘する。シュワーは無強勢であると同時に,韻律構造の中で強弱格フットの弱音節に位置付けされなければならないため,その先行音節は強音節に位置し,必ず強勢が付与される。つまり,これらの言語におけるシュワーは,先行音節に強勢を引きつける特徴があると言える。
Shimabukuro, Moriyo 島袋, 盛世
本稿はアイヌ語、韓国語、日本語の超音節的特徴を類型論的に共時的そして通時的観点から比較分析したものである。アイヌ語、韓国語、日本語は高低音調を分別するピッチアクセント言語であると言われているが、本論文ではそれらの言語の方言がすべてピッチアクセント言語ではなく、音調の高低が分別的機能を持たない方言も存在することを指摘する。さらに、ピッチアクセントではない言語・方言間の超音節的特徴を上げ、アイヌ語、韓国語、日本語間で相違点を比較考察する。
家本, 太郎
日本語とタミル語の間には、大野博士がご指摘のように多くの文法的平行現象が存在する。係り結びに類似した現象はその最も特異的なものであろう。一方、人称名詞、人称表示接辞、品詞性の弱さ(不定性)、連続動詞構造、ゼロ否定を含む否定構造やinflectional incrementなどは、タミル語においてのみ見られる現象であり、人称名詞、連続動詞構造やゼロ否定構造は、通言語的に特異的な現象である。同系説を証明するためには、これらの現象に対し整合的な説明を必要とする。
藤澤, 良祐 Fujisawa, Ryôsuke
近年,中世窯業史の研究は,文献史学,考古学等各方面から積極的なアプローチが試みられており,なかでも特に中世陶器(焼物)の生産経営形態についての論考には注目すべきものがある。これまでのところ,中世窯業の基本的生産経営形態を農閑副業とし,専業度の低い半農半工の生産者像を想定する見解が支配的であるが,その論拠となる資料解釈については,様々な問題点が指摘されており,一概にそれを農閑副業と規定することができないのが現状である。
向井, 洋子 Mukai, Yoko
1950年代まで、占領期沖縄における社会福祉について、アメリカの影響が指摘されていた。だが、現在では、ほとんどこれは認められていない。そこで、本稿はなぜ沖縄でアメリカの影響が黙殺されるようになったのかを歴史的に考察する。特に、USCAR婦人クラブに焦点を当て、非政治的な慈善団体からUSCARの任務を支える団体へと変質し、さらに衰退消滅した過程を明らかにする。そして、USCAR婦人クラブを変化させたキャラウェイ高等弁務官とアメリカの社会福祉をめぐる問題があったことを示す。
Kobayashi, Masaomi 小林, 正臣
本稿はMartha WoodmanseeとMark Osteenが提唱する「新経済批評(The New Economic Criticism)」を検証しながら、文学と経済学の新たな学際性を模索する。社会科学としての経済学は数式を多用した限定的な意味における「科学」を標榜する傾向にあり、人文科学としての文学は経済学-多数の学派に基づく経済学-をマルクス経済学に限定して援用または経済学の専門用語などを誤用する傾向にある。これら問題点を考慮しながら、本稿は両学問の類似性と相違点を認識することの重要性を強調する。例えば、Donald McCloskeyが指摘するように、経済学は数式を用いながらも言語による論証を行うことにおいて修辞的である。またPierre Bourdieuが指摘するように、言語と貨幣は機能的に類似する点が多くあり、それゆえ文学と経済学の「相同関係(homology)」が考えられる。しかし相同関係を発見する一方で、それら学問間の絶えざる緊張関係を維持しながら新たな相互関係を構築する必要があり、その際の媒介を果たすのが新経済批評である。換言すれば、文学は経済学を始めとする諸科学の理論を導入しながら、それら科学に新たな返答をすることが可能な「場」であると認識することで、両学問は相互的な知的活性化を永続できる。かくして本稿は、文学と経済学の学際性の追求は「未知(notknowing)」の探求であると結論する。
山崎, 誠 YAMAZAKI, Makoto
源為憲が藤原為光息誠信(松雄君)のために撰述したと云われる口遊は、岡田希雄「口遊は省略本か」(『国語国文』六巻九号)以来、その内容に省略があるとの疑問が提示されたが、書写の際の不注意等による部分的脱落はあるものの、抄略本と認定することはできない。本稿はそのことを骨子として論証するとともに、従来殆ど無視され続けているが、古代貴族必携の百科便覧として、あまたの文化史上の貴重な資料を豊富に含む書物であることを指摘する。
渡辺, 守邦 WATANABE, MORIKUNI
林羅山編の故事要言集。本書は但州出石の大名小出吉英の需めに応じて編述されたもの。一見何の変哲もない要語集であるが、公刊されて、仮名草子作者に盛んに利用され、また「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし」という芭蕉の名言の典拠ともなった(一○六段参照)。このことは、その間、読者を絶やすことがなく、いまだ指摘を受けない、数多くの利用のあることを推測させる。その解明を期待し、ここに初版の寛永無刊記版による翻刻を提供する。
タイラー, ロイヤル
世阿弥にとって布や機織りに関係するモチーフは大事なものであったらしく、それは彼の多くの謡曲に採用されている。この論文は脇能の「松浦」・「布留」・「高砂」をとりあげてから「呉服」の分析に入り、その内容が、世界に広く分布している、機織り=文明乃至は社会作りという見方に匹敵することを示す。そこから人間の孤独や絶望に重点をおく四番目物にうつり、「錦木」(「砧」も考慮に入れて)の場合、機の音が悲鳴にかわることを対照的に指摘する。
鄭, 毅
「満鉄調査研究資料」は、南満洲鉄道株式会社が、中国東北部を対象に行った長期的かつ大規模な調査の成果であり、日本植民地時代の「満洲文化遺産」として極めて重要な資料である。こうした資料が蓄積された背景として、「調査」「学術」「帝国」という三つの視座の存在を指摘することができるだろう。現在ではそのほとんどが中国の図書館と公文書館に所蔵されている。1950 年代から中国の研究者たちはその価値を認め、整理と研究に取りくみ、実りの多い成果を成し遂げた。
窪薗, 晴夫 KUBOZONO, Haruo
日本語諸方言のアクセント体系が高さ(ピッチ)にもとづく「ピッチアクセント体系」であることは日本語音声研究の中で常識とされていることであるが,日本語以外の言語から見ると必ずしも自明のこととは言えない。実際,「ピッチアクセント体系(言語)」という類型概念そのものを否定する研究者も数多い。本稿は,2010年に本プロジェクトが主催した国際シンポジウムISAT 2010の成果(Lingua 122特集号)の一部を報告する形で,日本語の研究が一般言語学や言語類型論に貢献できる可能性を指摘する。
青柳, 正俊 Aoyagi, Masatoshi
通商司は、明治新政府の貿易政策を所管する官庁一機関として明治二年に設置され、その後、産業育成、金融など広範な政策領域を担った。その政策展開は、通商会社・為替会社の設立を通じて、会社・銀行という近代資本主義に不可欠な経済単位の創出を目指す取組でもあった。しかしながら、政策は早期に隘路に陥り、短命に終わった。この失敗の要因としては、政策に内在するいくつかの要因とともに、外国からの強い抗議の圧力があったことが指摘されている。
大塚, 望 OTSUKA, Nozomi
漠然とした行為を表す動詞に「する」と「やる」があるが,両者は互いに交替可能な場合と交替不可能な場合とがあり,両者の用法は異なることが予想される。しかし,「やる」は「する」の俗語とする見方が一般的で,両者を比較した研究は少ない。また「音がする」「息子を医者にする」などの「やる」の使えない表現の指摘はあるものの,両者が表現の上で混在する「名詞ヲする/やる」についての詳細な研究は見られない。先行研究では「する」のとる名詞は典型的に動作性のものであるとの指摘が多いことから,本稿では逆に典型的ではない名詞に注目し,動詞・形容詞と派生関係にない名詞,及び現象を表さない名詞(非動作性名詞)をヲ格にとる表現に考察を絞った。そして,実例を主として「する」と「やる」の意味と用法について考察した結果,「する」は専ら機能動詞として働き,「やる」は機能動詞から実質動詞まで広い用法をもつことがわかり,その実態を表1としてまとめることができた。これは,「やる」が「する」の俗語であるというだけでは片付けられない独自の意味・用法をもつことを示すものであった。
望月, 道浩 天願, 順優 Mochizuki, Michihiro Tengan, Junyu
『保育所保育指針解説』では、家庭との緊密な連携を図りながら養護及び教育を行うことの重要性が指摘されており、そのための情報共有や情報発信がより重要となっている。しかしながら、保育者が抱える業務負担という課題もあり、家庭との緊密な連携を図るための情報共有や情報発信は十分とは言えない状況が指摘されている。本研究では、沖縄県私立保育園連盟に加盟する全231園の私立保育園を調査対象とし、そのうちWebサイトを有していた212園について2020年6月~9月にかけてWebサイト調査を行い、そこで公開されているコンテンツの状況について明らかにした。その結果、園Webサイト基本情報に関する「①所在地情報」(193件、91.0%)、「②連絡先情報」(196件、92.5%)、「③園の概要や沿革」に関するページ(192件、90.6%)、「④園の保育方針や目標」に関するページ(196件、92.5%)、「⑤園の年間行事」に関するページ(193件、91.0%)、の5項目のコンテンツが9割を上回る結果となったものの、家庭との緊密な連携を図ることに関連する「子育て支援」に関する情報共有や情報発信の割合が低く課題であることが明らかとなった。
国際日本文化研究センター, 図書館
IR-Report 特集号 2018「日文研の共同研究」はご覧になりましたか?日文研30年間の共同研究課題169件のテーマ解析から、法人化(2004)後の共同研究では、それ以前と比べて「東アジア」というテーマがより大きく取り上げられるようになったことが指摘されています。そこで今回の入架案内では、2018年6月からの一年間に図書館に入った資料のうち、「東アジア」「East Asia」のキーワードを持つものをピックアップしました。気になる本がありましたら、ぜひ図書館でご利用ください。
森岡, 正博
一九九六年九月に、日本の優生保護法が改正された。名称は「母体保護法」と変更され、優生部分に言及した文章が全面的に削除された。その結果、新法は、中絶と不妊手術のみを扱うものとなった。しかしながら、女性運動家や障害者団体は、これを不十分な法律だとして批判し、それが生み出すかもしれない生命倫理的な問題を指摘している。それらのなかには、女性の自己決定権、内なる優生思想、胎児の倫理的地位などの問題がある。私はこの論文でこれらの倫理問題について議論する。
大野, ロベルト
明治の近代化と共に出発した日本古典文学の翻訳・紹介の実際については未だ整理されていない部分が多い。とくに『土佐日記』に関しては、メソジスト監督教会の宣教師の妻であったフローラ・ベスト・ハリス(1850 ~ 1909)による2度の英訳出版(1891年、1910年)があることはすでに指摘されているものの、その内容や翻訳者の実像についての研究は皆無に近い。そこで本稿ではハリスの生涯の歩みを概観しつつ、『土佐日記』英訳というその重要な業績について、可能なかぎり明らかにすることを目的とする。
杉田, まゆ子 SUGITA, Mayuko
『栄花物語』の公任出家記事を手がかりに、古記録類を読んでいき、公任の出家の経緯を考察した。『栄花物語』の同記事は有名であるが、古記録類を通してみると、既に、娘たちの死以前に公任は辞表を提出し、籠居生活をしていた。そこで、公卿が辞表を出すこと、そして按察使大納言に補せられることを記録類から取り上げ、按察使は以後昇進の見込めない最終的な官職であり、そこから逃れようと辞表を提出したが、不首尾に終わり、そこへ娘たちの死が重なり、出家に至ったことを指摘する。
佐々木, 孝浩 SASAKI, Takahiro
後鳥羽院が本格的に和歌活動を始め、仙洞歌壇が形成されつつあった正治二年(一二○○)後半の、十月一日に仙洞で催された隠名三首歌合における代作の問題についての考察。藤原雅経が代作をしたとされる藤原家隆息隆祐は、その経歴からして参加は不可能であり、参加も詠作も雅経自身であると考えられること、作者中に雅経兄の宗長の名がみえるのも家長の誤りであろうこと等を考証する。併せて参加者「安成」が貴権の作名である可能性のあることを指摘する。
藤沢, 毅 FUJISAWA, Takeshi
草双紙の中の朝比奈は、歌舞伎や俗伝の色が濃いものから始まった。やがて、和田合戦の中での朝比奈が描き出されるが、これは通俗軍書に取材したものであった。典拠関係として、『根元草摺曵』や『和田合戦門出大盃』は馬場信意作の『鎌倉繁栄広記』を、また『和田合戦記』は『鎌倉見聞志』を取材源にしていることを指摘。通俗軍書が読本だけではなく、草双紙にも取り入れられたことを立証する。また、「草双紙化」という行為に伴う諸問題や、板元との関係などを追究していく。
小峯, 和明 KOMINE, Kazuaki
近世に作られた宇治拾遺物語絵巻をめぐって、質量ともにすぐれた陽明文庫本・チェスタービーティ図書館本・国会図書館本の三点を中心に、諸本の様相、物語の選択と配列、絵画化の方法等々、総合的に考察した。ことに狩野探幽兄弟の手になる陽明文庫本の絵が国会図書館本と合致し、しかも両本は直接の関係になく、共通祖本が中世にさかのぼる可能性があることを指摘。『宇治拾遺物語』を解体し、独自の物語の流れを絵画とともに再編成した絵巻テキストの意義にふれ、近世における享受史の一端をとらえてみた。
大滝, 靖司 OTAKI, Yasushi
本研究では,子音の長さが音韻論的に区別される6つの言語(日本語・イタリア語北米変種・フィンランド語・ハンガリー語・アラビア語エジプト方言・タイ語)における英語からの借用語を収集してデータベースを作成・分析し,各言語における借用語の重子音化パタンを明らかにする。その結果から,語末子音の重子音化は,原語の語末子音を借用語で音節末子音として保持するための現象であり,語中子音の重子音化は原語の重子音つづり字の影響による現象であることを指摘し,純粋に音韻論的な現象は語末子音の重子音化のみであることを主張する。
金澤, 裕之 KANAZAWA, Hiroyuki
本稿は,現在まさに大学生活のただ中にいる学生たちの一部が,「〔大学生活を〕充実して(または,させて)過ごす」という表現において,「充実に過ごす」という形式を採用しつつあるらしいことを,アンケートの結果より指摘するものである。そしてこの形式が,単なる思い違いや誤用ではないかもしれないという可能性について少しく考察するとともに,この現象に関しては,日本語学習者である留学生たちの状況が参考になるかもしれないという点についても言及してみる。
石井, 久雄 ISII, Hisao
本文批判は基本的には古代語文献に関するものであるが,現代語についても必要であることを示唆し,あわせて,「本文」の概念の規代における成長を指摘する。(1)古代語文献の本文批判は,池田亀鑑の業績によって期を画されている。それ以前の本文は,校訂者の主観的な改訂をともなって提示されるのがつねであったが,それ以後は,文献学の成果にもとづき,良質な翻刻および校訂本文が提示されてきている。(2)現代語文献の本文批判は,古代語のそれとことなるところがある。
川村, 清志 小池, 淳一 Kawamura, Kiyoshi Koike, Jun'ichi
本稿は,民俗学における日記資料に基づく研究成果を概観し,その位置づけを再考することを目的とする。民俗学による日記資料の分析は,いくつかの有効性が指摘されてきた。例えば日記資料は,聞き取りが不可能な過去の民俗文化を再現するための有効な素材である。とりわけ長期間にわたって記録された日記は,民俗事象の継起的な持続と変容を検証するうえでも,重要な資料とみなされる。さらに通常の聞き取りではなかなか明らかにし得ない定量的なデータ分析にも,日記資料は有用であると述べられている。
津波, 高志 Tsuha, Takashi
本論文では、奄美・沖縄において火葬の導入に伴って葬祭業者が関与し、葬送儀礼の外部化が起きたとする説を奄美で検証するために1村落の事例を記述した。また、近代初頭あたりまで遡って見れば、奄美における葬送儀礼の外部化は2度あったことを明らかにした。その2度の外部化を1村落の事例に読み取りつつ、琉球弧の文化の研究において、こと奄美に関しては薩摩・鹿児島の影響を十分に考慮する必要があり、葬送儀礼の外部化もその例外ではないことを指摘した。
望月, 直人
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国および東アジア各国では、国際法は「万国公法」もしくは「公法」という名称で呼ばれることが多かった。international law は直訳すると「国家間の法」となるのに対して、「万国公法」は「あらゆる国に共通する法」あるいは「あらゆる国によって共有される法」という意味であり、原語に対して厳密な訳語とはなっていない。すでに指摘されているように、清末中国読書人は、しばしば「万国公法」の「公」の字にひきつけて議論を展開した。
片桐, 功 白尾, 裕志 金城, 満
国立教員養成大学・学部,大学院,附属学校の改革に関する有識者会議による「報告書」では,教職大学院での学修についての「成果の提示」について課題があることが指摘された。2020年度の後期選択科目「校内研修組織の実践と課題」では,修了生による本学での学修成果の提示について,学校現場での取組を話題提供してもらうことで院生と共に考えた。修了生が理論と実践の往還を実現する過程を院生と共に学ぶことで,本学での学修成果の提示について実践的に示唆した。
西川, 宏昌 Nishikawa, Hiroaki
フランク・ジャクソンはその知識論証において、今では周知の思考実験により物理主義が誤りである事を論証しようと試みた。それは多くの反響を呼び、物理主義者からのさまざまな反論が提示されたが、その主なものの一つが「能力仮説」である。この小論ではこの仮説を批判しているマイケル・タイの議論を取り上げ、彼の批判の問題点を指摘することを通じて、タイとは異なった論拠に基づいて能力仮説自体が誤りであると論じる。さらに、新たな観点からジャクソンの知識論証がその意図に反して不成功に終わる理由を提示する。
高橋, 典幸 Takahashi, Noriyuki
室町期=中世後期の荘園制を見通した場合、転換期として南北朝期が重視され、「一円化」をキーワードとする変質が指摘されてきた。ところで、鎌倉後半~南北朝期にはこうした荘園制の変質とともに、「悪党」の活躍も知られるが、近年は荘園制の変質(より厳密に言えば荘園政策の変質)が「悪党」の出現をもたらしたとする見解も提示されている。こうした考え方に立てば、「悪党」そのものの分析からその背景にある荘園制変質の内実に迫りうることになろう。そこで、本稿では播磨国矢野荘を素材として、そこに現れる「悪党」を分析して南北朝期荘園制の特質を浮き彫りにすることを試みた。まず、現象として指摘すべきは荘園領主権の変動や動揺(具体的には領主の交替や領主どうしの権力争い)にともなって悪党の活動が見られるということである。次に在地における悪党活動に目を向けると、荘園現地の沙汰人や名主・百姓が相互に対立している状況が浮かび上がってくる。このような在地の対立・競合状況は荘園制に通時代的に認められるものであるが、これが荘園領主権の動揺・変動と結びつくことによって悪党が出現したと考えられる。先行研究によれば、荘園領主権の変動や動揺は鎌倉後半から南北朝期に構造的な現象であったとされるので、悪党の活動がこの時期に集中することになる。
居關, 友里子 小磯, 花絵
本研究では、子どもとその保護者のやり取りに注目し、この中に生じていた、何らかの行動を行う、あるいは行わないよう対話相手に要求し、相手がそれを拒否するやり取りについて分析を行った。子どもと保護者の間では、要求に拒否が返されたあとにさらに要求、拒否が複数回連なり、両者の希望が平行線をたどる様子が観察される。このような局面で、保護者、子どものそれぞれが、代案提示や遊びのフレームの利用などといった方略を用い、やり取りに変化を生じさせ、さらなる展開や収束に向かうよう働きかけていることを指摘した。
今尾, 文昭 Imao, Fumiaki
奈良盆地の郷墓が、近世以前の墓地に遡源することは多く指摘されるところである。郷墓の経営は複数の村で構成された墓郷によって行われるが、その枠組みと水郷・山郷・宮郷あるいは国人郷との関連が説かれている。しかし、こういったさまざまな地域的、歴史的枠組みが現実にはそのまま墓郷の枠組みに適応できない場合が多い。実際の墓郷の形成過程には多様な状況があり、それが作用したことに原因があると考える。墓郷形成の前提、過程を個別に検討して、今後の類型化に備えることが目下の課題であろう。
鋤柄, 俊夫 Sukigara, Toshio
中世の食文化を特徴づける鍋と釜は,一般に東日本の鍋,西日本の釜という地域性が指摘されている。しかし出土する土製煮炊具をみれば,中世前期の東日本では鍋がみられず,西日本でも釜が全てであったわけではない。出土する数は少ないが,主体はおそらく鉄製品だったのでろう。それではあらためて,各地でみられる中世の土製煮炊具は,中世社会においてどのような役割を果たしていたのでろうか。小論は,定量分析と使用痕跡の検討などにより,この問題を考えたものである。
橋本, 俊作 Hahimoto, Shunsaku
サービス業における労働の特徴は、①低賃金、②即時性(即興性)、③モチベーションの重要性の三点に集約されるが、ホテル業においてはこの特徴が顕著である。このような特徴のもと、従業員が高いモラルを持ち業務に取り組むためには、マネジメントとの信頼関係が重要な要素となる。この信頼関係を構築するために、太田(2011)は承認欲求を満たすことが重要であることを指摘している。また、RJP(現実的な仕事情報の提供)や、従業員のワークストレスに対するケアも、マネジメントとの信頼関係を構築するために重要な要素と考えられる。
蒲池, 勢至 Gamaike, Seishi
これまで民俗学における墓制研究は、「両墓制」を中心にして進展してきた。「両墓制」は「単墓制」に対しての用語であるが、近年、これに加えて「無墓制」ということがいわれている。「無墓制」については、研究者の捉え方や概念規定が一様でなく混乱も生じているので、本稿ではこの墓制が投げかけた問題を指摘してみたい。さらに、「無墓制」が真宗門徒地帯に多くみられることから、真宗における「墓」のあり方を通して「石塔」や「納骨」といった問題を考えようとするものである。
南部, 智史 朝日, 祥之 相澤, 正夫 NAMBU, Satoshi ASAHI, Yoshiyuki AIZAWA, Masao
本稿では,国立国語研究所が札幌市,富良野市で実施した社会言語学的調査(1986-1988)のデータを利用し,ガ行鼻音の衰退過程とその要因について定量的観点から議論する。分析にはロジスティック回帰を採用し,ガ行鼻音の使用に関わる言語外的・内的要因を統計的に検証した。その結果,東京におけるガ行鼻音の衰退と同様に,札幌市と富良野市でもガ行鼻音の使用率の減少が見られた。また,ガ行鼻音の使用に関わる要因について時系列的な観点から分析を行ったところ,個々の要因の制約に従いながらガ行鼻音が衰退していく過程(「秩序ある異質性」'orderly heterogeneity', Weinreich et al. 1968)が観察された。さらに,Hibiya(1995)が指摘する東京都文京区根津におけるガ行鼻音の衰退現象との比較を行い,札幌と富良野でのガ行鼻音衰退という言語変化の動機について,両地域のガ行鼻音に関わる言語体系とその社会的側面という2つの観点から説明を試みた。1つは,言語機能的に余剰と見られるガ行音の鼻音性が,余剰を解消する方向への変化によって消失した(「下からの変化」,'change from below')と見る立場であり,もう1つは,Hibiya(1995)が指摘する根津におけるガ行鼻音衰退の要因と同様,社会的な意味(威信)を伴って非鼻音のガ行音の獲得が起きた(「上からの変化」,'change from above')と見る立場である。
寺石, 悦章 Teraishi, Yoshiaki
シュタイナーとフランクルは中心的な活動分野こそ異なるものの、その思想には多くの類似点が見出される。本稿では楽観主義と悲観主義、およびそれらと関連する快、不快、苦悩、平静などに注目して、両者の思想を比較考察する。一般に楽観主義・悲観主義は快・不快と関連づけて捉えられることが多いが、シュタイナーとフランクルはいずれも快は結果として生じるものであって目標ではないとする。そして快・不快に基づいて人生を考えること、快を目標として捉えること自体が誤りだと指摘している。また快・不快の比較については、比較自体はどうにか可能かもしれないが、人間の行動には本来、影響を与えないと主張している。フランクルは苦悩を重視し、苦悩に耐えることによって人間は成長すると考えている。これに対しシュタイナーは平静の重要性を指摘する。ここでの平静とは「苦悩しないこと」「苦悩せずに済ませること」として理解することも可能だが、そこに至る過程においては苦悩に耐えることが必要になる。この点からすれば、フランクルが語る苦悩とシュタイナーが語る平静には、重なる部分が大きいといえそうである。フランクルもシュタイナーも、自らの立場を楽観主義だと明言しているわけではない。ただし楽観主義を「人生あるいは未来に希望を見出す立場」といった形で捉えるならば、両者とも楽観主義の立場を取っていると判断して 差し支えないと思われる。
川崎, 衿子
大正デモクラシーが華やかに進行する時期に、住宅設計・住宅建設に関してプロテスタンティズムの立場から同じような背景をもって活動した三人の人物が存在した。一九〇九(明治四二)年に「あめりか屋」を設立した橋口信助、一九〇七(明治四〇)年に「近江ミッション」を設立したW・M・ヴォーリズ、建築設計を始めた後一九二一(大正一〇)年、「文化学院」を創設した西村伊作らは、共通して伝承的な日本住宅や住まい方を因習と指摘した。そして新時代に相応しい人間形成を望むには住宅の変革を優先課題にすべきであるとして、そのモデルをアメリカの住宅の中に見出した。
小林, 健二 KOBAYASHI, KENJI
能《源氏供養》は『源氏供養草子』を典拠としていることが指摘されていたが、《源氏供養》は石山寺を供養の舞台とし、また供養の依頼者である紫式部が実は石山の観音であったという大きな相違を有する。本稿では、石山寺という紫式部伝承の磁場に注目し、紫式部が観音の化身であったとする言説や、源氏の間という特殊な宗教空間、崇拝の対象となったであろう紫式部画像、そして歌人達の紫式部を尊崇する文芸行為を通して、石山寺において源氏供養がなされていた可能性を追究し、《源氏供養》が制作された背景の一斑について考察した。
高橋, 伸拓 TAKAHASHI, Nobuhiro
筆者は、飛驒幕領において主要な生業であった林業の検討を通じて、その地域構造の特質解明を課題としている。従来、飛驒林業は、元伐(木材の伐り出し)を中心に論じられてきたが、木材の生産から輸送までを構造的に考えると、運材の研究が進んでいない点が問題として指摘できる。そこで、本稿では、御用木の運材による稼ぎ(=川下稼)を行っていた村々を把握し、川下稼の実態を明らかにし、同稼が地域の生業としてどのような特徴をもち、いかに位置付くのか、考察を行った。
白山, 友里恵 SHIRAYAMA, Yurie
本論文は、民間病院におけるアーカイブズ構築のために、記録のおかれている情況や特性を整理し、そのモデルを提示することを目的とする。私たちの多くが病院で誕生し、亡くなる今日の社会において、そこで生み出される記録は私たちの生活や人生に密接に関わる。しかし、医療アーカイブズのなかでも病院の記録はアーカイブズ構築が未発達な分野であることが指摘されているが、医療関係者の側に立ったプランの提案がなされてこなかった。よって本論文では、医療アーカイブズのなかでも病院の記録に焦点を当て、アーカイブズ構築のために何が必要であるのかを検討した。
久保木, 秀夫 KUBOKI, HIDEO
国文学研究資料館蔵の伝藤原為家筆歌集断簡は、有吉保氏によって現存するいずれの系統とも異なる『道真集』と指摘された伝冷泉為相筆断簡(MOA美術館蔵手鑑『翰墨城』所収)のツレである。書写年代は鎌倉時代後期頃。ほかに個人蔵のもう一葉のツレが知られる。記載歌はすべて他文献にも見出されるが、断簡独自の内容もあり、他文献からの単なる抜粋などではなさそうである。従来『新古今集』ほかの出典となった道真の家集の存在が想定されており、あるいは当該断簡はそれに該当するかもしれない。また藤原定家自筆『集目録』記載「菅家」との関連も注目される。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
東京語で,起伏式アクセントをもつ単純動詞から派生された転成名詞は,原則として起伏式アクセントを保持する。このアクセント規則を,今日生きている規則と呼んでその有用性を唱える説に対し,いくつかの問題点を指摘して検討を加えた。まず,生きている規則と呼ぶための要件として,この派生パターンの生産力の高さを問題にすべきことを論じた。次に,既成の転成名詞でこの規則が守られているかどうか,社会言語学的な観点から変異の実態を把握し,そこに関与している諸要因の分析を行った。対象データは,『東京語アクセント資料 上・下』から採集した。
柳原, 恵津子 YANAGIHARA, Etsuko
稿者は柳原(2020)で,西大寺本『金光明最勝王経』平安初期点における「之」の読まれ方を整理した。そして,代名詞「これ」として読む場合には「之」自体に訓点を記し,「の」「が」などの助詞として読む際には「之」を不読とすることを述べた。本稿ではさらに「者」「而」「於」について同様の調査を行い,これらの字に自立語を含む訓があてがわれる場合には当該字に施点し,助詞としてのみ解される場合には不読とする傾向が共通して見られることを指摘する。
小島, 美子 Kojima, Tomiko
日本音楽の起源を論じる場合に,他分野では深い関係が指摘されているツングース系諸民族についてその音楽を検討してみなければならない。しかしこれまではモンゴルの音楽についての情報は比較的多かったが,ツングース系諸民族の音楽については,情報がきわめて乏しかった。そのため私は満族文化研究会の共同研究「満族文化の基礎的資料に関する緊急調査研究―とくに民俗学と歴史学の領域において―」(トヨタ財団の研究助成による)に加わり,1990年2月に満族の音楽について調査を行った。本稿はその調査の成果に基づく研究報告である。
本康, 宏史 Motoyasu, Hiroshi
近年、戦争記念碑に関して、近代社会を特徴づける「モニュメンタリズム」を表象する「非文献資料」ととらえる研究がすすみ、その学問的意義がしだいに理解されるようになってきた。その際、戦争記念碑は「『癒し』の行為を表す象徴であった」だけでなく、「戦争の歴史化と再歴史化にも重要な役割を果たしてきたものである」という指摘がある。つまり、戦争というものがいかに記憶されるべきか、戦争では誰が記憶されるべきなのか、という問題をめぐって、戦争記念碑はまさに論争の的になってきたのである。
Yamashiro, Shin 山城, 新
本稿では、第二次世界大戦後1945年から1950年の間の戦後復興初期において、公衆衛生、農業、天然資源開発等をめぐる政策や活動をとおして係累化される〈環境概念〉の編成について分析し、1960年代以降に争点化される環境問題を再考するためのアプローチを提示する。また、沖縄研究に〈環境〉をめぐる議論を導入することで、戦後沖縄の思想と運動を包括的に考察するための可能性について示唆するとともに、米国環境思想研究に欠落してきた戦争と軍隊の問題を指摘しつつ、沖縄環境思想史研究の批評的可能性についても言及したい。
永野 マドセン, 泰子 山元, 淑乃 楊, 元 Nagano Madsen, Yasuko Yamamoto, Yoshino Yang, Yuan
中国語雲南方言の単一話者による日本語音声を分析し、その全体像を把握した。日本人が聞いて不自然でかつ学習効果が少ないと思われる問題点は「子音の強さ」、濁音が清音になる、および「ら行」の音であった。これらについては音響分析により日本人母語話者との差異を指摘した。母音については、狭母音と広母音の差が少ない中国語の特徴がそっくり日本語の母音のパターンに移されていることが観察された。これらの結果から、雲南方言でも北京方言同様、子音の問題が大きいことが明らかになった。
池田, 静香 IKEDA, SHIZUKA
本稿は、福岡共同公文書館での勤務経験を踏まえ、所蔵資料の利用がスムーズに行われるためには、どのような準備が必要とされるのかを考察したものである。まず、行政利用と一般利用の場合における所蔵資料へのアクセス方法の差異を確認し、共同公文書館が提供する検索方法は、行政利用の場合に焦点を合わせて構築されていることを指摘した。そのため、一般利用による者の希望に応えるには、一旦レファレンスとして預かり、職員が調査を行う必要がある。利用者の利便性の向上という目的の他、レファレンスには利用請求書の受理以降、特段の理由がない限り15 日以内で利用決定通知書を発行しなければならないという制約に、館が対応するための役割も果たしていることを指摘した。だが、利用請求資料の内容審査について、場合によっては移管元自治体への照会も必要になるにもかかわらず、条例において15 日以内という期間で設定されているのは何故か。その点を検討すると、福岡県共同公文書館基本構想および福岡県共同公文書館基本計画における提言があった。迅速な利用のためには、移管時における移管元自治体の内容審査が必要だと述べられていたのである。迅速な利用のためには必要な下準備であるが、これを可能とするためには、共同公文書館において、利用を担当する総務企画班と資料の受け入れを担当する文書班の密なる連携が必要になると考える。
宮腰, 直人 MIYAKOSHI, Naoto
本稿では、流布本『曾我物語』巻六「大磯の盃論の事」から始まる和田酒盛の物語を、絵入古活字本『曾我物語』の挿絵を端緒にして、舞の本『和田酒盛』や古浄瑠璃正本『わだざかもり』の各挿絵に注目して考察を試みた。まずは、草摺引の挿絵の検討から、絵入古活字本の挿絵と絵馬の関係や寛文三年版『曾我物語』による舞の本『和田酒盛』の挿絵の摂取の様相を示した。次に、楊貴妃双六説話の挿絵の検討から、古浄瑠璃正本『わだざかもり』による寛文三年版『曾我物語』の摂取を指摘し、和田酒盛譚における挿絵の継承と刷新の動態の一端を明らかにした。
北村, 厚介 KITAMURA, Kosuke
本稿は武蔵国入間郡赤尾村林家文書を対象として、近世後期における村政文書に対する名主家と小前層との価値認識の相違について検討する。まず、林家の文書認識の前提として近世中期における村政文書引継と村方騒動について分析し、村政文書の林家への移管とそれをめぐる村方騒動から価値認識の形成を指摘する。次に、林家帳簿体系と林信海の遺訓、文書修復文言に注目し、林信海の文書に対する価値認識を検討する。最後に、天保12年の名主疑念一件について検討し、近世後期における林家赤尾村小前層との文書に対する価値認識の相違について述べる。
渡辺, 浩一 WATANABE, Koichi
本論文は、近世京都の町人地における共同組織=行政組織の基礎単位である町(個別町)を対象として、その文書保管を検討する。第一に、京都六角町の町式目から文書保管関連条項を検討する。第二に、1803年の町年寄預かり文書目録を分析し、文書の参照可能性の高低による保管場所の区分や、19世紀における文書保管の若干の変化を指摘する。第三に、現存する当時の保管容器の分析から物理的な問題も含めて保管空間を推定する。第四に、六角町という個別町よりも上位の組織である、仲十町組(組合町)および下京(惣町)における文書保管の様相も瞥見する。
伊藤, 武士 ITO, Takeshi
出羽国北部においては,8世紀に律令国家により出羽柵(秋田城)や雄勝城などの古代城柵が設置され,9世紀以降も城柵を拠点として広域の地域支配が行われた。古代城柵遺跡である秋田城跡や払田柵跡においては,城柵が行政と軍事,朝貢饗給機能に加え,交易,物資集積管理,生産,居住,宗教,祭祀などの機能を,複合的かつ集約的に有した地域支配拠点であった実態が把握されている。特に,継続的に操業する城柵内生産施設を有して周辺地域開発の拠点として機能した点については,出羽国北部城柵の地域的な特徴として指摘される。
森, 浩平 田中, 敦士 Mori, Kohei Tanaka, Atsushi
近年、院内学級の子どもの心理的問題の重要性が指摘されているが、入院児のプライバシーや心理的安定を守るために現場の警戒心が強いことなどが要因となり、これまでの病弱児を対象とした心理学的な研究は多いとは言い難い。そこで、本稿では病弱児の抱える心理社会的問題に関する文献のレビューを行った。病弱児は年齢や発達段階、疾患の状況ごとに、不安の内容や自己認識、疾病の受容などについてそれぞれ特徴がみられた。また、精神的負担を軽減する要因については、対処行動や自己効力感、ソーシャルサポートなどが影響を与えていることが先行研究より明らかとなった。
江尻, 有郷 米盛, 徳市 喜瀬, 乗英 田港, 朝満 Ejiri, Arisato Yonemori, Tokuichi Kise, Norihide Taminato, Tomomitsu
フレンドシップ事業の一環として,大学院生を含む教員志望の学生と附属中学校生との交流を目的としたインターネットを使った環境問題ホームページ作りを企画・実践した。ホームページ作成技術を最初に院生・学生が習得した上で,教諭と生徒の指導にあたるピラミッド型のコラボレーション体制をとった。生徒が環境問題シンポジュームや現地視察で身近な環境問題に触れ,写真を自ら撮影し,それらの写真を組み込んだ環境問題ホームページを学生と生徒が協力して作成すると言う内容である。数多くの問題点が指摘されつつも参加者全員にとって有意義な事業となった。本レポートはこれらの研究成果をまとめたものである。
Shimabukuro, Moriyo 島袋, 盛世
一般に、英語の語においてアクセントの置かれる音節は決まっており、方言間でも変わることはないと言われている(例:elephqntはelephantまたはelephantと発音されない)が、本稿は英語のアクセントが曲中では通常と異なる場合があることを指摘し、更に、その異型アクセントが起こる環境を音符やリズムの観点から明らかにすることを目的とする。\n結論を簡潔に言えば、異型アクセントと音符・リズムの相互関係は普通アクセントと音符・リズムの相互関係とは異なるという結果である。結論に達した過程を例を示し、詳細に説明する。なお、本稿ではロック、オータナティブ、ブルースの3つの音楽のジャンルに焦点をしぼった。
ヴォロビヨワ, ガリーナ ヴォロビヨフ, ヴィクトル VOROBEVA, Galina VOROBEV, Victor
本論文では,漢字の構造分析に関わる先行研究を概観し,いくつかの問題点を指摘した。それらの問題点を解決する手がかりを得るため,新たなアプローチに基づく漢字の構造分析の方法を提唱し,以下の5つの側面から検討をおこなった。(1)常用漢字をカバーする「スタンダード化された構成要素のシステム」を開発する必要性を指摘した。その開発に成功すれば,漢字の認識や漢字習得の体系化が可能になる。(2)構成要素のシステムについて先行研究における部首の扱い方を分析した結果,従来の部首を採用していないシステムが多いことが明らかになった。(3)漢字字体の構造を明確に表現・表示できれば,漢字字体の計量的分析が可能になる。そこで,漢字の線型構造分解をおこなった上で漢字字体に関する独特のコード化を開発し,アルファベット・コードとシンボル・コードのシステムを構築した。漢字コード化の結果に基づいて漢字の画と構成要素の出現頻度の測定が可能になり,漢字の構成上の複雑さを定義する新たな指標を提案する可能性が開けた。(4)英語の文や語構成における統語的階層構造と,漢字の階層構造が一部において類似していることを示した。漢字の階層構造分解をおこない,樹形図と数学的公式で漢字の階層構造を表示した。さらに藤村(1973)による漢字の階層構造の分析とコード化と,本研究による階層構造の分析とコード化を比較し,本研究の実用性を示唆した。(5)漢字の構成上の複雑さを判定する新たな指標を定義し,複雑さによる常用漢字の分類をおこなった。
光田, 和伸
連歌師の宗祇(一四二一~一五〇二)が、その弟子とともに制作した『水無瀬三吟』(一四八八)と『湯山三吟』(一四九一)は、連歌史上で最高の作品であるという評価が定まっている。しかし、そのどこがどのように素晴らしいのか。宗祇のこの二つの作品を、宗祇以前、あるいは宗祇以後の連歌作品と比較して、その素晴らしさを、具体的にまた客観的に指摘する方法はないだろうか。本論文は、第一に、連歌のルール全体を体系的に理解すること、そして第二に、独自に考案した解析シートにより連歌作品の展開を理解することによって、この課題を解決しようとする最初の試みである。
吉本, 弥生
絵画の約束論争(一九一一~一九一二年)は、木下杢太郎・山脇信徳・武者小路実篤によって交わされた、当時の絵画の評価基準に関する論争である。三人の議論が起こった最初のきっかけは、木下杢太郎が、山脇信徳の絵画についておこなった批評にある。本稿は、論争の中心人物となった三人の言説を明確化し、従来、指摘されてきた「主観」と「客観」の二項対立からではなく、「主客合一」の視点で論争をとらえ直した上で、同時代の芸術傾向と、批評を合わせて考察した結果、三人の芸術観には、共通して「印象」ではなく、「象徴」がベースにあることが分かった。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
室町物語『大黒舞』は中近世日本における福神信仰を反映し、芸能とも結びついて形成された祝言の物語である。現段階で報告されている諸本は、詞書のみならず、挿絵からも二系統に分類できるが、これまでは注釈や影印が充実している第一系統の伝本により、論じられる傾向が強かった。そこで本稿では改めて諸本を見渡してその特色を検討するとともに、挿絵の面貌表現の比較分析を通じて、『大黒舞』の伝本と國學院大學図書館蔵『張良』、および国文研蔵『子易の本地』との近似性を指摘した。これらは同一または同系統の工房で制作された可能性が高く、朝倉重賢筆とされる伝本も複数含まれる。
則竹, 理人 NORITAKE, Rihito
スペイン中央行政の記録管理で確立した、記録のライフサイクルに沿って時系列的に4つの段階に分けて管理する手法は、記録管理論の解説書で取り上げられ、同国の一部の地方(自治州)にも波及し、標準化、規範化した。そのひとつであるマドリード州では、記録管理に関する法令でその手法が明記されているが、3、4段階目の管理を1つの施設が担うことも述べられており、実質3つの段階に分けた管理が規定されている。この段階数のねじれが、近年進行中の法改正の中で矛盾として指摘され、解消を試みた結果、2つの段階を兼ねていた施設の役割の規定が曖昧になる問題が生じている。
ライマン, オバタ・エツコ REIMAN, Obata Etsuko
1993年出版のアメリカの雑誌34種(主に9月号)を共時的に調査し,渡米語の状況を報告する。普通名詞,固有名詞,疑似英語の3カテゴリーに分類して,一覧表を作った。それぞれの分野からののべ総合計は3,462語(454+1,948+1,060)となった。この抽出した渡米語の存在有無を調べた辞書4冊(1987~1988)-アメリカ出版-の渡米語も比較しながら,さらに一般の人々の生活のレベルでの渡米語をアリゾナ州首都フィニックス近辺を中心に調査した。出版資料を補う意味での現実の実態をマルチでとらえる方法を指摘した。この生活の中でのアクティヴな語彙(active vocabulary)をも含めた将来の辞書の形をさぐる。
丸山, 敬介 MARUYAMA, Keisuke
教科書使用者による「教科書で教える」の記述を分析し,それが,a.教科書の一部を修正・削除・補足する,b.学習者がその項目を使う状況を設定する,c.指導項目が現実に使われる状況を設定する,の意味であることを明らかにした。また,『みんなの日本語I・II』の教師用マニュアルを対象に,a~c.が提出語彙・課を溝成している各部分を学習者に合わせて,適宜,取捨選択する作業,及び練習に際して学習者の日常にふさわしい状況を設定する作業として具体化していることを分析した。さらに,ニューカマーの増加を受けて,教科書が新たな存在意義を持ったことを指摘した。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
東京語の複合動詞(動詞+動詞タイプ)のアクセントについて,従来指摘されてきた規則性がしだいに失われていく過程,すなわち現在進行中のアクセント変化の実態とそこに関与している諸要因を,大量の調査資料によって明らかにする。具体的には,『東京語アクセント資料 上・下』から採集した,前部成素が起伏式動詞である複合動詞888語について,それらが旧来の規則通りに平板式アクセントを保持しているのか,それともすでに起伏式に変化しているのかを問題とする。特に,語の長さという要因がこの変化に重要な意味をもち,拍数の多い長い複合動詞ほど変化が先に進んでいることを,集団と個人の両面から実証する。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
『日本語教育のための基本語彙調査』(国立国語研究所報告78)は,6,880項目からなる日本語教育基本語彙を選定しているが,このなかに複合サ変動詞の語幹部となりうる項目が,どのくらい含まれているか明らかではない。本稿では,この6,880項目から複合サ変動詞の語幹部となりうる項目をすべて洗い出し,結果として得られた1,080項目を資料として提示する。次に,それらの複合サ変動詞が,語幹部の意味分野や語種の違いによって,どのような分布をみせるのかを概観する。また,実際に作業をするなかで気づいた問題点を指摘し,今後の課題について触れる。
田村, 公子 Tamura, Kimiko
本稿では,宮沢賢治が「法華経」に帰依するきっかけとなったものは,島地大等著『漢和對照妙法蓮華經』であることを主張する。具体的には,以下のことを指摘する。(1)大等の「大乗起信論」講義と『漢和對照妙法蓮華經』の解説が,賢治を「法華経」に開眼させた。(2~6節)(2)『漢和對照妙法蓮華經』の解説中の日蓮への言及が,賢治に日蓮への関心を抱かしめた。(8節)(3)その結果,「浄土門」への懐疑が生じ,日蓮の「唱題」を選ぶようになった。(7節)(4)大等と賢治の「大乗起信論」の理解の仕方に相違がある。
當山, 奈那
本稿では伊平屋島島尻方言を対象に、アスペクト・テンス・モダリティの分析・記述を行い、その特徴を明らかにした。島尻方言は完成相と継続相の二項対立型のアスペクト体系をもつ。これは首里方言と同様だが、継続相の形つくりが異なることを述べた。また、他の琉球諸語でアスペクト・モダリティを表現する上で重要な役割を果たすシテアル形式が当該方言にはないことを示し、継続相の形式(シアリオル)が客体結果や主体結果の意味まで表現する可能性を述べた。そして、新しい形式であるシアリアルキオル相当形式が文法化し、現在は、シアリアルキオル形式とシアリオル形式とが特に主体動作動詞の場合(開始後の段階)において、競合している段階であることを指摘した。
藤田, 裕子 大塚, 泰介 松田, 晃 FUJITA, Yuko OHTSUKA, Taisuke MATSUDA, Akira
珪藻は、水域の環境指標として使われる代表的な藻類である。珪藻は水田にも大量に発生することが知られており、珪酸など稲作に影響を及ぼす成分との関係が指摘されている。しかしながら、水田における珪藻調査例は非常に少なく、日本で数例の報告があるのみである。我々は、2003年にラオス北部、ウドムサイ県ベン川流域で、IR352を作付けしている落水後の水田4か所、Kao takiatを作付けして湛水中の水田2か所、計6か所の水田から表層土壌を採取した。固定した土壌懸濁液から珪藻量の直接計数し、酸処理した土壌でプレパラートを作成して珪藻種の同定を行い、珪藻群集と水田環境との関係について検討した。
山田, 康弘 Yamada, Yasuhiro
縄文時代の関東地方の後期初頭には,多数の遺体を再埋葬する多数合葬・複葬例という特殊な墓制が存在する。このような事例は,再埋葬が行われた時期が集落の開設期にあたる,集落や墓域において特別な場所に設けられている,幼い子供は含まれない,男性が多いといったいくつかの特徴が指摘でき,現在までに6遺跡7例が確認されている。このような墓制は祖霊祭祀を行う際に「モニュメント」として機能したと思われるが,同様の意味を持ったと思われる事例は,福島県三貫地貝塚や広島県帝釈寄倉岩陰遺跡などでも確認されており,時期や地域を越えて確認できる墓制だと思われる。
小畑, 弘己 真邉, 彩 百原, 新 那須, 浩郎 佐々木, 由香 Obata, Hiroki Manabe, Aya Momohara, Arata Nasu, Hiroo Sasaki, Yuka
近年,圧痕法の進展により,水洗選別によって得られた植物資料と,土器圧痕として検出された資料の組成には差異があることが指摘され始め,遺跡本来の植物利用や周辺の植物相を把握するためには,植物遺体のみでなく圧痕資料も加味する必要性があると意識され始めた。本稿は,下宅部遺跡出土の縄文土器の圧痕調査を行ない,本遺跡で利用された植物を土器圧痕から検討したものである。また,下宅部遺跡に近接し,同時期の遺跡と評価されている日向北遺跡についても土器圧痕調査を行ない,低湿地遺跡と低湿地から離れた台地上の遺跡という立地の異なる遺跡間での圧痕資料の組成を比較した。
白尾, 裕志 山元, 研二 Shirao, Hiroshi Yamamoto, Kenji
本研究は、教師と生徒が実際に起きた高校生体罰死亡事件(2003 年 9 月 6 日岐阜地裁判決)の判決書教材を学びあうことを通して「指導、懲戒、体罰の違いは何か」「体罰はどのような違法行為に該当するのか」「体罰はどのような被害をもたらすのか」を理解し、生徒としても「体罰は人権侵害であり違法行為である」と指摘できる資質・能力を身につけてもらうことを目的とするものであり、その可能性を模索しようとするものである。 本研究における授業開発が「暴力行為から自他の命と人権を守る」という道徳的実践力を備えた人権尊重社会の担い手を育成する人権教育プログラムの一環と位置づけられればと考えている。
浦崎, 武 鈴木, 陽子
国連から指摘されている特別支援学級の増加の教育課題の軽減に向けて障害者と健常者がともに生きる「共生社会の形成」のための「インクルーシブ教育」の実現に向けた取組を行った。具体的には、①障害を有する子どもや貧困等の養育環境の影響を受ける多様な子どもを含めた包括的な教育課題の解決に向けて支援体制の構築のあり方を検討すること、②その支援体制に基づいた「自己肯定感」の促進に繋がる「ともに学ぶ」、参加し易い学級づくりや授業づくりを重視する支援・教育の実践を検証すること、を通して、養育環境の影響を受ける多様な子どもへの支援・教育実践アプローチの開発について考えた。
上里, 詩織 玉城, 晃 神園, 幸郎 Uezato, Shiori Tamashiro, Ko Kamizono, Sachiro
発達障害のある児童において、問題行動を誘発する可能性のある危険因子として、学校における教科学習の指導内容や指導方法に着目して、それらの問題性の所在を検討した。沖縄県内の小学校の教員を対象として、教科学習に起因する問題行動の実態について質問紙による調査を行った。その結果、理科の実験や図工の刃物を使用する教科内容に起因する問題行動などが捕捉された。また、それらの問題行動に対する指導・支援について多くの教師が苦慮している実態が明らかになった。今後の課題として、教師の専門性を高め、問題行動に至るリスクに配慮した教科の指導を工夫する必要性が指摘された。
大高, 洋司 OTAKA, Yoji
互いに内容の近似した曲亭馬琴の読本『四天王剿盗異録』(前・後編一○巻一○冊、文化三年一月、鶴屋喜右衛門刊)と山東京伝の読本『善知安方忠義伝』(前編六冊、文化三年一二月、鶴喜刊)の関係について、稿者自身の旧稿「京伝と馬琴―文化三、四年の読本における構成の差違について―」、「読本研究」第三輯、平成一〈一九八九〉・六)を大幅に訂正しながら再説し、類似は両作の間のみならず互いの周辺作にまで広がっていることを指摘して、寛政中から文化四年に至る京伝・馬琴の読本の制作・刊行は、そこに版元をも加えた両者の談合を前提としているのではないかとの仮説を提示した。
熊谷, 公男 Kumagai, Kimio
多賀城碑によれば、多賀城の創建は神亀元年(七二四)のこととされる。一方、これまでの考古学的調査・研究によって、多賀城創建期の瓦の焼成地およびその供給関係などの解明が進み、多賀城の建設は大崎地方を中心とした玉造等の五柵(玉造・新田・色麻・牡鹿の四柵に名称不明の一柵)と一体の造営事業として行われたことが明らかにされている。また近年、平川南氏は、多賀城政庁―外郭南門間の正面道路跡から出土した木簡の記載内容の検討から、多賀城の建設は養老四年(七二〇)の蝦夷の反乱の直後に着手されたと考えられることを指摘し、多賀城碑にみえる神亀元年という創建年次は、完成の時点を示すものであることを明らかにした。
西本, 昌弘 Nishimoto, Masahiro
薬子の変については、藤原薬子・仲成の役割を重視してきた旧説に対して、近年では平城上皇の主体性を評価する見方が定着しつつある。これに伴い、「薬子の変」ではなく、「平城太上天皇の変」と呼称すべきであるとの意見も強くなってきた。しかし、平城上皇の主体性を強調することと、薬子・仲成の動きを重視することとは、必ずしも矛盾するものではない。私は前稿において、皇位継承に関する桓武の遺勅が存在した可能性を指摘し、平城上皇による神野親王廃太子計画について考察を加えた。私見によると、薬子の変もこの桓武の遺勅を前提とする神野廃太子計画と一連の動きのなかで理解することができると思われる。
大石, 太郎 Oishi, Taro
この小論では、カナダ東部ノヴァスコシア州におけるフランス語系住民アカディアンの居住分布と言語使用状況を現地調査とカナダ統計局のセンサスに基づいて検討した。その結果、農村地域に古くから存在するアカディアン・コミュニティでは英語への同化に歯止めがかかっているとはいえない一方で、郁市地域であるハリファクスでフランス語を母語とする人口や二言語話者が増加していることが明らかになった。これまで教育制度の整備などの制度的支援の重要性が指摘されてきたが、カナダの場合、農村地域に古くから存在するフランス語系コミュニティには遅きに失したと言わざるをえない。その一方で、都市地域が少数言語集団にとって必ずしも同化されやすい地域ではなくなりつつあることが示唆された。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿の目的は,校内研修のあり方について考察することであった。まず,学校教員が校内研修についてどのように捉えているかを確認したところ,否定的なものとしては日常との乖離,成果の不透明性,理論を実践に下ろす難しさ,時間確保・全員参加の難しさ,検証の難しさを感じていることが示された。次に校内研修と関わる研究者の捉え方を確認したところ,トップダウンの研究になっており,日常性や当事者性が薄いことの問題が指摘されていた。それらを踏まえ,理論と実践の関係の問題,時間確保の問題,評価の問題について検討を行い,日常性や当事者性を重視した校内研修のあり方について考察を行った。
岡﨑, 滋樹
本稿は、「畜産」と「台湾」という視点から、戦前農林省による資源調査活動の実態に迫り、政策との関わりによって調査の性格が如何に変わっていたのかを明らかにした。これまでの満鉄や興亜院を中心とした資源調査に関する研究では、調査方法そのものについて詳細な検討が進められてきたが、その調査がいかに政策と関わっていたのかという部分は検討の余地が残されていた。したがって、本稿では、まず調査を左右する政策立案の実態を検討し、その政策が調査に対して如何なる影響を与えていたのか、調査報告が如何に政策に左右されていたのかという、当時指摘されていた「政治的」な調査活動の側面に注目した。
俵山, 雄司 TAWARAYAMA, Yuji
「こうして」には,後続する動詞の様態を修飾する文成分の場合と,接続詞相当の語になった場合とがある。本稿は,接続詞的な「こうして」を,談話をまとめ,終結させる機能を持つ表現と捉え,意味・用法の記述を行い,接続詞的な「こうして」は,プロセスを含む出来事から結果を導く「要因ー結果」タイプと,プロセスを含む出来事の結果に対する解釈を提示する「結果ー解釈」タイプの2種があることを明らかにした。さらに,(1)出来事のみならず,それに関する注釈等も併せて統合する,(2)緊張・意外性がもたらされる可能性を排除し,談話が収束に向かっていることを暗示するという,「まとめ」「終結」に適した特徴があることを指摘した。
影山, 太郎 KAGEYAMA, Taro
日本語の語形成の中でも言語類型論の観点から注目される2種類の複合動詞-名詞+動詞型と動詞+動詞型-の性質を述べた。名詞+動詞型の複合動詞については,時制付きの定形文では生産性が低いが,動詞が時制のない非定形になると生産性が増すことを指摘した。これは,複統合型言語の名詞抱合には見られない制約である。他方,動詞+動詞型複合動詞の特異性は,前項動詞が後項動詞を意味的に修飾する「主題関係複合動詞」ではなく,前項動詞が複合動詞全体の項関係を支配し,後項動詞は前項動詞が表す事象に対して何らかの語彙的アスペクトの意味を添加するという特殊なタイプの「アスペクト複合動詞」に求められることを様々な考察から論じた。
土居, 浩 Doi, Hiroshi
〈身体と人格〉の視座から細野雲外『不滅の墳墓』(一九三二年刊)を読み直すと、その題目にもかかわらず、死者よりもむしろ生者の〈身体と人格〉を対象とする著作であることが判明する。各地の全住民を一墳墓へ合葬する特異な「不滅の墳墓」構想が、同時代的に荒廃の進む墳墓への悲嘆を契機としていることは、これまでも指摘されてきた。たしかに引用された大量の新聞記事が示すように、『不滅の墳墓』では荒廃する墳墓が問題視されている。しかし雲外は『不滅の墳墓』を、姉妹編『思想悪化の因』(一九三〇年刊)・『斯君斯民』(一九三一年刊)を含めた「思想善導研究の三部作」として出版しており、同時代的には「思想善導」の流れにあるものである。
池上, 大祐
本稿は、教員養成を意識した大学における歴史教育の在り方を考察することを目的とする。具体的には、琉球大学歴史学講義科目「歴史総合」を事例に、非教育学部系における歴史学専門カリキュラム構成、科目特性、講義内容、講義方法、講義に対する学生の反応を分析する。2022年度から新高等学校学習指導要領にもとづき、知識・技能、思考力・判断力、主体的に学びに向かう姿勢といった、いわゆる「学力の三要素」を涵養する「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が順次新設されることを受けて、これらの新科目を担当できる教員の資質とは何かを、教員養成課程を設置している歴史学専門教育はどのような講義構成の工夫が必要になるのか、改めて考察する必要があることを指摘する。
斎藤, 秀紀 SAITO, Hidenori
本稿は,国立国語研究所における機械辞書の歴史的な背景,各種漢宇調査情報と市販の漢和辞書情報の結合によって期待できる利用上の相乗効果,機械辞書のデータベース化と項目内容(見出し漢字:9731字,付加情報:40項目)の検索方法について述べた。また,データベース化された漢宇情報は,調査情報の履歴管理,蓄積デーに対する索引機能,共通インタフェースの多様化と情報接点の拡張,コンピュータ処理費用の軽減にも有効であることを示した。その他,JIS 2バイト系の拡張計画に対し,現在すでに拡張漢字として使用している漢字コードとの間に問題が生じる可能性を指摘した。同様に,市販漢和辞書のCD-ROM(Compact Disc-Read Only Memory)化は,日本語の外字処理の軽減が期待される反面,字形の相違が情報交換上の問題を広げることについてもふれた。
鈴木, 貞美
日本の「大衆文学」を代表する『大菩薩峠』の著者、中里介山の独自の仏教思想を検討する。まず、彼の「文学」概念が明治初・中期の洋学者や啓蒙主義者たちが主張した広義の「文学」の枠内で、感情の表現をも重んじる北村透谷や木下尚江のそれを受け継ぐものであることを指摘し、それゆえに仏教思想を根幹におく文芸が展開されたとする。次に、介山の青年期の宗教観について、ある意味では同時代の青年たちの一般的風潮を実践したものであること、それがなぜ法然に傾倒したかを問い、そして、介山の代表作の一つと目される『夢殿』について、明治から昭和戦前期までの聖徳太子像の変遷と関連させつつ、二十世紀前半の力の政治に対して、仏教の教えによる政治という理想を主張したものと結論する。
北浦, 寛之
近年の邦画作品、『ALWAYS 三丁目の夕日』は山崎貴監督により、二〇〇五年のその第一作目から二〇〇七年『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、二〇一二年『ALWAYS 三丁目の夕日'64』とあわせて全三作制作、公開されているが、そのどれもが、邦画年間興行収入のベスト・テンに入り、三十億円以上を稼ぐヒット作である。全作通じて昭和三十年代(一九五五年~六四年)の東京の下町の様子が、ノスタルジックに再現されており、特に近所の者が集まってテレビを一緒に見ては、大騒ぎしている様子が、当時を知る多くの人たちの共感を呼んだと指摘されている。ただ、テレビを囲んで展開されるこうした賑やかな光景は、当時の日本映画界では、違った景色として映っていたはずである。
戸塚, 隆子
石川啄木の第一歌集『あこがれ』の序詩「沈める鐘」には<永遠の生命>との一体感と神の加護を得て詩人の王座を築こうとする想いが描かれている。この<永遠の生命>都は主に明治・大正期の総合雑誌「太陽」を舞台に繰り広げられた高山樗牛と姉崎嘲風のドイツ思想・文化受容と日本文明批評の論説から影響を受けた詩語と考えられる。先行研究では、啄木の評論がいかに高山・姉崎の影響を受けているか、または、『あこがれ』は高山と姉崎の論説を機に啄木が執筆・中断した評論「ワグネルの思想」の詩作品かという指摘があるが、それだけにとどまらないのではないか。詩表現に即して読んでいくと、『あこがれ』の世界と高山・姉崎の主張は想像以上に深く共鳴しあっていると考えられるのである。
伊藤, 鉄也 ITO, Tetsuya
『源氏物語』における本文研究の分野は、六○年以上も停滞している。今すべきことは、『源氏物語大成』で「簡略ヲ旨」とされた本文群を翻刻し直し、各本文を校合した結果をもとにして特徴のある異同を検討し、異本異文の世界の様態を探究していくことだと思う。これまでに〈河内本群〉〈別本群〉という二群の分別試案を見通しとして得ている。そのような視点から、本稿ではこれまでに指摘を見ない国冬本「鈴虫」の長文異同について考察を加える。本文異同の集積から見えてくる全体像は、まだまだ解明されていない。伝流する諸本の本文を徹底的に検証することは、文学研究の基盤整備として、早急に着手しなければならないことである。
大滝, 靖司 OTAKI, Yasushi
本研究は,日本語における英語からの借用語で起こる促音化の辞書データを分析し,生起要因を考察する。その結果から,借用語の促音化には「語末の促音化」と「語中の促音化」の2タイプがあることを指摘する。前者は原語の語末子音を借用語でも音節末子音として保持するための現象である一方,後者は原語の音配列および重子音つづり字の影響を受けた現象であることから,借用語音韻論で扱うべき音韻論的な借用語の促音化は,語末の促音化であることを主張する。また,両者の中間的な環境における促音化パタンを細かく観察し,それらが語末の促音化が起こる「語末」の環境であるのか,あるいは,語中の促音化を引き起こす「語中」とみなされているのかを論じることで,借用語の促音化の全体像を捉える。
福原, 敏男 Fukuhara, Toshio
鹿児島県薩摩地方における民俗芸能について、分布上特徴的であるのは太鼓踊りである。姿形、踊りの隊形、踊り手が背負う装飾、踊る時期など、多種多様かつ複雑である。大局的にみると、姿形や踊りの形式は、西日本各地の風流系太鼓踊りと共通している。芸能史的には、京都周辺において「歌謡が未発達で囃子詞中心の拍物(はやしもの)」から、「長編の物語歌や組歌形式の小歌をうたう風流踊り(太鼓踊り)」へ発達したものと考えられている。薩摩地方における太鼓踊りの特色は、先学諸氏が指摘しているように、諏訪(南方(みなかた))神社への奉納太鼓踊りに顕著にみられる。薩摩地方における諸諏訪神社の太鼓踊りの伝播と定着に大きな影響を与えたのが、鹿児島城下諏訪神社への太鼓踊り奉納であろう。
西谷地, 晴美 Nishiyachi, Seibi
『古事記』の語る「豊葦原水穂国」と『日本書紀』の記す「豊葦原瑞穂国」は全くの同義語であり,「水穂」と「瑞穂」はいずれも「イネの豊穣を意味することば」であると理解されている。しかし近年の研究では,『日本書紀』の過去認識は現在とのつながりを重視した過去認識であり,『古事記』のそれは現在につながらないものに視点を据えた過去認識であることが指摘されている。そこで簡便な調査を行い,『古事記』の語る「豊葦原水穂国」は,「葦原の広がる水の豊かな国」という意味であるとする仮説を得た。『日本書紀』は「水穂」を「瑞穂」に書き換えることによって,「水の豊かな国」を「稲穂の豊かに実る国」に変換したことになる。
石川, 恵吉 Ishikawa, Shigeyoshi
本稿では、八重山の村落祭祀における婦人組織のはたしている役割について、石垣島新川の2 つの婦人組織、とりわけ「女役者」と「四役の妻」を中心に考察を行った。その結果、新川に2 つの婦人組織が存在する背景には、琉球王国時代に確立された身分制度が関わっており、女役者は、元来、百姓身分の婦人組織の代表職で、四役の妻は、士族身分の婦人組織の代表職であったことがわかった。また、女役者については、歴史を遡ると琉球王国時代の行政職であった女頭(ブナジィ)と繋がることを指摘した。そのうえで、現行の村落祭祀における女役者や四役の妻のはたしている役割は、こうしたかつての女頭や士族身分の婦人が祭祀で担っていた役割と関係していることを明らかにした。
渡久山, 清美 Maedomari-Tokuyama, Kiyomi
本論は米国主要新聞2 紙(ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズ)による2015 年の在沖米軍基地関連報道に焦点をあてた論考である。2015 年の両紙の報道は、普天間基地移設に伴う辺野古沖埋め立てをめぐる沖縄県と国の対立や、沖縄の住民や新基地建設に抗議する人々の声、沖縄における反新基地建設運動に対する安倍政権の強行的対応などのニュース・フレームが中心となった。2012 年から2014 年の報道にもみられたように、2015 年も沖縄の政治的窮状を伝える社説や沖縄の人々の声を反映する報道が顕著であったため、その傾向要因を分析した。しかし依然、地位協定、思いやり予算、環境問題、沖縄の経済そのものに関する情報が不足しており、沖縄の実情に関する米国の読者の理解促進には、より掘り下げた取材や網羅的な情報が必須であることを指摘した。
鈴木, 貞美
スティーヴン・ドッド『青春のことども――梶井基次郎の時代の生と死』(ハワイ大学プレス、2014)は、国際的な展望に立ち、梶井基次郎の世界を高く評価する論考と、ほとんどの作品の翻訳を収めた英語による初めての書物である。その論考部分は、欧米の諸分野の理論を援用し、国際的学際的な視野に立ち、日本のモダニズムをめぐる重大な課題を提起し、鋭い指摘に満ちている。創造的であろうとするあまり、理論の適用限界や文芸文化史の見渡しに問題が見受けられるが、それは決してドッド一人が抱える問題ではない。とくに1980年代までの日本の文芸批評の歴史的限界がはたらいている。本稿は、ドッドの広い視野に立つ挑戦を真に意義あるものにするために、文芸批評の方法を検討し、日本モダニズム研究に新しいステージを拓く試みである。
オルドリッジ, エディス ALDRIDGE, Edith
現代日本語と違って,上代日本語の疑問詞は,一定の条件下において主語に先行することを義務付けられていた。本論は,従来の研究と同様に,この語順をWH移動の結果として捉える。ただし,移動先の着地点に関しては,英語の場合と同じCP指定部ではなく,文中(TP内部)にある焦点位置であると提案する。その根拠の1つとしては,疑問詞が先行する主語は,TP指定部にある主格主語ではなく,vP指定部にある属格主語のみであることを指摘する。TP内の焦点位置を裏付けるもう1つの根拠としては,項と付加詞との相対的位置を挙げる。vP内部に結合される項は移動するのに対し,vPの外側に結合される付加詞は,移動の対象にならず,元の位置に現れる。
財部, 盛久 神谷, 万里 新屋, 心貴 Takarabe, Morihisa Kamiya, Mari Sinya, Motoki
本研究は対応困難な状態にある障碍者支援施設利用者の支援について,施設の支援員と事例検討を中心としたコンサルテーションを実施し,利用者の行動の改善および支援員の行動理解や対応にどのような変化が見られたのか検討することを目的としている。コンサルテーションを通して支援員の利用者の示す行動についての捉え方が「問題行動」から「やむを得ない行動」に変わり,それと同時に利用者の気持ち添った対応に変化した。そのきっかけは,利用者の施設利用までの情報を得たことで,記録を基にすることが重要だと実感できたことが変化の要因である。このことが対応にも変化をもたらし利用者の行動の改善が認められた。コンサルテーションではコンサルティーである支援員に利用者の示す行動についての認識を変える体験が重要なことが指摘された。
長谷川, 裕 Hasegawa, Yutaka
筆者もメンバーの1人として携わった,日本の学校教員の世界を掴むためのある共同調査研究は,教員が自分たちの職業文化として共有している「教員文化」をその鍵概念として位置づけ,それが,かれらが日々遂行する教職にまつわる諸困難の衝撃を緩衝する機能をもつことを指摘してきた。そして,日本の教員に広く共有されてきた,そうした緩衝機能を果たす教員文化の重要要素の1つとして,「献身的教師像」という教職観に着目してきた。献身的教師像とは,教員は子どものために自己犠牲も厭わず献身的に職務を果たす存在であるとする教員イメージである。本稿は献身的教師像が今日実際にどの程度上記の緩衝機能を果たしていると言えるかを,共同調査研究のデータを用いて検証することをテーマとしたものである。
西澤, 雅道 井上, 禎男 Nishizawa, Masamichi Inoue, Yoshio
近年、IP化及びブロードバンド化の進展によって、インターネット接続回線による映像配信や役務利用放送といったサービスが登場し、通信と放送の「融合」が進展した。この、通信と放送の「融合」によって、法律上区別されてきた通信と放送の概念は実体に適合しないものとなっており、その区別を前提とした伝統的な放送規制の根拠論には、多くの問題点が指摘されるようになっている。本論文では、このような通信と放送の「融合」の現状について、総務省のデータや放送法改正の動向等を踏まえて整理するとともに、「融合」に伴って注目されているコンテンツ上の責任問題の重要性や「表現の自由」との関係について検証を行い、今後の通信及び放送事業者の在り方について言及した。
廣重, 友子
横光利一の『上海』に描かれた街「上海」とそこで生じた「出来事」は、「上海」から読みとられる連続性をもとに再構成しうるという特徴を持っていることに着目し、小説内部の構造を明らかにした。その結果、『上海』の時系列を追っていくと、「動乱」の前後で異なる様相をもつものとして描き分けられていることがわかった。また「上海」「出来事」の両者とも、「上海」の舞台となっていると考えられる実際の上海以外の場所や、五・三〇事件に外の歴史的事象が積極的に取り込まれていることがわかった。さらに、小説のテクストの分析に地理的・歴史的資料を用いる際、テクストと資料の対比を行う前に、テクストそのものが構成している作品内世界について検討する必要があることを指摘している。
渡辺, 浩一 WATANABE, Koichi
本稿は、災害史研究の基礎としての史料学的研究である。「出水一件」(旧幕府引継書)という江戸の水害記録シリーズの一部を対象とした。ここでは、水害対処という行政課題に対して、どのような文書がどのような経緯で作成・利用されたか、という問題に限定した。検討の結果、先例の蓄積およびマニュアルの策定という文書上の水害対処が行われていたことが判明した。本稿の検討の限りでは、その過程は先例集の質的向上というよりも、マニュアル策定の方向に向かったという特徴を指摘できそうである。それは、この記録が日常的行政ではなく災害対処を内容とするため、緊急性を要したからではないだろうか。マニュアルが策定されれば、蓄積され続ける先例はそのバックデータという位置づけになるのであろう。
奥出, 健 OKUDE, Ken
<文学非力説>の中心的評論「文学非力説」は文学強力個性説、私小説(精神)擁護という二つの要素を内包した当時では出色の評論であるがしかし、ここにはかつて辻橋三郎が指摘したような国家権力への抵抗という側面は全くない。高見が<文学非力説>で意図したのはあくまで文壇内時流に対する抵抗で、これは時局便乗型文学論の跋巵という外的事情と、昭和十三年頃から温めてきた私小説精神による自己の文学精神の確立という内的事情とが時期的に丁度絡みあい出てきたもので、単に海外旅行帰りのヒステリーから偶発したものではない。しかし、この<文学非力説>成立の裏には昭和十二年の『文学界』解消論以後一貫して高見の胸の底を流れていた、文壇改革という文壇政治的意識があったことも見のがしてはならない。
後藤, 幸良
『源氏物語』の注釈・研究は、平安時代の世尊寺伊行の『源氏釈』以来、膨大な蓄積がなされて現在に至っている。その注釈・研究のスタイルは、こと近世以前に関する限り洞物語の表現がより所とする和歌・歌謡・漢籍・仏典などを、物語の表現の出現の順に指摘していく体裁を取るものが圧倒的多数を占める、と言ってよい。これは、注釈・研究の究極の目的が『源氏物語』の世界の、一層の味読であったことに由来する、必然的な事態であった。表現空間の本来の魅力は、時が過ぎ社会が変容し流通する文学作品が変遷するにつれ見失われていく。その魅力を取り戻すことに目的があったから、『源氏物語』の冒頭から末尾まで表現の出現順に注を付していき、その背景に暗黙の前提として存在するであろう理想的な表現空間を回復しようと試みるのである。
熊谷, 智子 木谷, 直之 KUMAGAI, Tomoko KITANI, Naoyuki
本稿では,三者間談話の一つとして2名の回答者に対する面接調査を取り上げ,そこに見られる回答者間の相互作用を分析した。調査者と回答者の間の質問-回答という基本的枠組みを持つ面接調査において,回答者間の相互作用は逸脱的行動にもなり得るが,実際には回答行動として機能していた。相互作用の種類としては,同意要求・情報確認とそれへの応答,もう一人の回答へのコメントとそれに対する応答・反応,互いの発話をふまえた回答,もう一人の回答への相づち・反応が観察された。本稿では,これらの相互作用が,回答行動のパターンに「調査者の質問に各々の回答者が個別に答える」以外の各種のサブタイプを出現させると同時に,回答者による談話行動においても回答以外のサブタイプを可能にしていたことを指摘する。
小池, 淳一 Koike, Jun'ichi
1970年代から80年代にかけて盛んに論じられた都市民俗学はどのように形成され,どういった可能性と限界とを持っていたのだろうか。本稿はそうした問題について,都市民俗学の模索段階,形成期について検討し,その様相について論述を試みる。さらに都市民俗学を表面的には標榜しなくても,都市をとらえた民俗研究を検討し,その可能性を指摘する。ここでは特に世間話や個人に関する着目が重要であったことを確認する。全体として,都市民俗学は現代社会や民俗変化を対象化するムラを超える民俗学へと民俗研究が発展的に解体する過程と位置づけることができ,そこでの問いや模索された対象や概念化の取り組みは,現代における民俗的諸事象との対峙を志向する研究へと分節化されたということができるのである。
道田, 泰司 柘植, 守
本稿の目的は,第2筆者が考案した「他者の考えを推し量る指導」を紹介し,その可能性について考察を行うことである。生徒の振り返りは,全体的に好意的であった。しかしそれだけからは読み取れないことも多いので,生徒の授業中のワークシートの記述の変遷をていねいに追うことや,小グループでどのような話し合いが行われて何を学んでいるかなどについて,ていねいに見取っていくことが今後必要になるのではないかと考えられた。続いて,「他者の考えを推し量る指導」のタイプ分けとこの指導法の可能性について考察した。しかしこれはあくまでも可能性の指摘であるので,実際の授業の様子を,特に生徒の反応を中心に検討することを通して,この授業の可能性についてより具体的に深めていくことが必要と考えた。
城間, 定夫 仲村, 将俊 Shiroma, Sadao Nakamura, Masatoshi
パイン葉(shoots, hapas and slips)を材料とする3種類のサイレージ, すなわち, 1)パイン葉のみの区, 2)生パイン粕25%添加区, 3)糖密5%添加区の3区を設け沖縄における未利用粗飼料資源であるパイン葉のサイレージとしての栄養価値を検索する目的で化学的特性についての基礎的実験を行ない, 次の知見を得た。1)いずれのサイレージも乾物量が少なく高水分サイレージであり, その品質の向上には予乾の必要性が指摘された。2)生パイン粕25%程度の添加では微生物の栄養源としての可溶性炭水化物含量を増加させるには不充分のようであった。すなわち乳酸の生成, カロチンおよび全N含量の増加には影響がなかった。3)しかし, 糖密を5%添加した場合には乾物の回収率, 全Nおよびカロチン含量が増加し, 逆にアンモニア態Nの生成とpH価は減少し品質の良いサイレージが調製された。
仲間, 勇栄 篠原, 武夫 Nakama, Yuei Shinohara, Takeo
以上みてきたように, 戦後の島産材市場の特徴は, 前半は薪炭材, 後半は輸出パルプ, チップ材中心であったことがわかる。島内だけに限ってみると, 軍工事や一般建築の動向に規定されたものであった。これらのことは, 島内に建築用材として適当な大径木がなく, 小径木しか生産できないために, 量的にも質的にも外材によって規定され, 島産材市場は外材市場の中にあって, 付随的なかたちでしか展開することができなかった。このように, 島産材市場が衰退していった直接的な要因は, (1)戦前戦後の乱伐によって, 木材需要の増大に対応できる森林資源が枯渇していったこと, (2)既存の森林資源の利用・開発が遅れていること, などの生産基盤の脆弱性を指摘することができるが, 間接的には, 米軍支配下における, 本県林業施策の貧困化が, 大きな要因であろう。
Tamaki, Takeshi 玉城, 毅
本稿の目的は、近代沖縄における門中(父系親族集団)形成のプロセスの特徴を、兄弟関係に着目することによって明らかにすることである。従来の沖縄の親族研究、とりわけ「門中化」研究では、位牌継承や家の相続における長男が優先される考え方は、実際の父系親族集団が形成される社会過程と結びついているのではなく、むしろ、組織としての親族集団や村落が衰退・解体している状況で表れていると指摘されている(笠原1975: 37–38、小田1987: 369–370)。これに反して、筆者が調査した沖縄島南部の集落では、近代的状況の中で親族組織としての門中が形成され続けていた。本稿では、系譜関係に着目してきた従来の視点からではなく、兄弟の動きを捉えることによって、近代的状況における門中形成のプロセスがよりよく理解できることを論証する。
副島, 健作 Soejima, Kensaku
本稿では, シテアルは [+継続性, +結果性, +対象指向性] という性質をもち, シテイルは [+継続性, +結果性, -対象指向性] という性質をもつことを主張する。具体的には, 以下の2点を明らかにし, シテアルは客体結果相と規定できることを指摘する。(1) シテアルの [+継続性, +結果性, +対象指向性] という一般的意味は個々の文脈において《変化の結果の継続》, 《ペルフェクト》の意味へと具体化する。後者は, 行為に関心を集めるある限定された条件 : (i) 働作主顕在化, (ii) 働き時点明示, (iii) 働き量規定, 等の下で働くことから派生的意味であり, 前者は基本的意味である。(2)《ペルフェクト》を表すシテアルは, シテイルと異なり, 意志・勧誘形, 命令形, 願望態等のいわゆる「主観的表現」や受身形, 授受表現と共起できない。ここから《対象指向性》はシテアルのあらゆる個別的意味に潜在的に備わっているといえる。
Delbarre, Franck デルバール, フランク
本論は本著者によるフランコプロヴァンス語における助動詞のシンタクスについての一連の論文に続き、特にフランスのプティ・ピュジェ一地域で話されているフランコプロヴァンス語のラ・ブリドヮール方言における助動詞êtreを中心に論じる。本論はヴィァネーによるラ・ブリドヮール方言の登録資料に基づき、ヴィァネーの指摘した本方言のシンタクスにおける助動詞êtreの省略現象を分析している。ヴィアネー自身はその現象についてルールと言える説明を簡略的に提供している。だが、ヴィァネーのラ・プリドヮール方言の登録資料の中に載っている方言で書かれた様々な文書を注意深く読んでみると、その説明ではかなり不十分だと感じる。そこで、ヴィァネーのラ・プリドヮール方言の登録資料を使いもっと厳密に助動詞紅白の簡略現象を引き起こす条件を本論で観察することにした。その観察の結果に基づき、ヴィァネーの与えたルール(説明)の修正を試みる。
宮国, 薫子 Miyakuni, Kaoruko
本稿では、持続可能な観光開発のための枠組みとして2006年に提示し、沖縄県那覇市首里金城地区景観形成地域をモデルに検証した「観光リンケージ」を再考する。観光開発は、地域の様々なステークホルダーが関与しており、地域に様々な経済的、社会的、環境へのインパクトをもたらすがゆえ、様々な観光を構成する要素を考えて計画的に行われなければならない。観光リンケージの概念は、観光のあらゆる要素(構造物、視覚、情報、交通、経済・マーケティング)において、連携を持たせることによって、持続可能な観光開発ができることを示唆している。2006年の時点において「観光リンケージ」は、観光開発を見る一つのレンズとして様々な特徴や問題点を指摘した。本稿では、近年、急速に発展する沖縄県の観光の中核をなす首里景観形成地域の変化を再度、観光リンケージという枠組みを通して検証する。
吉田, 浩之 Yoshida, Hiroyuki
児童生徒の生命・身体の安全を脅かす重大ないじめ事件が発生している。いじめは、緊急の教育課題であると同時に、社会問題化している。社会から注目される事件が発生する度にいじめ対策が強く求められ、文部科学省や自治体では対策が講じられている。本論では、大津市のいじめ事件を契機として動きがみられた文部科学省と自治体によるいじめ対策を取り上げるとともに、毎年文部科学省が実施するいじめ件数調査が実態を反映していない問題点を指摘しながら、今後のいじめの把握と解消にむけた方向性を示した。また、学校現場におけるいじめの把握にむけた課題を探るために、教師に対して著者自作のアンケート調査を行った。その結果、中学校に比べて小学校の教員が、いじめ件数の公表をすることによって教育活動に影響があると感じていることが示唆された。
大本, 敬久 Omoto, Takahisa
祖霊観念は日本人の間に抱懐されているものであり,民俗学の重要な課題とされてきた。柳田国男は『先祖の話』の中で「三種の精霊」として祖霊,新仏,無縁という異なる精霊の存在を提示し,盆行事に関する研究や正月の前後に行われる魂祭を研究する一つの指標とされてきた。本稿ではまず「祖霊」の用例を検討してみたが,柳田は「祖霊」の語彙を積極的には用いておらず,三種の精霊についても柳田は「みたま」を基本語彙として説明している。この「祖霊」を以て様々な民俗事例や歴史上の文献史料を解釈していくことは危険であり,その認識に立った上で平安,鎌倉時代における暮れの魂祭に関する文献史料,『枕草子』や『徒然草』等を確認した。また,これらの文献に見られる御魂祭と東日本に広く伝承されている「みたまの飯」については多くの研究者が関連づけて記述してきたが,本稿での検討の結果,正月が「祖霊」を祀る日であったわけではなく,少なくとも,そう遠くない直近の死者の魂が帰ってきて,食物を供えて饗応する日だったと考える方が適当であることを指摘した。そして平安,鎌倉時代に行われていた魂祭と現在の東日本の「みたまの飯」が時代的に連続しているという説にも再検討が必要である事を指摘した。そして,現在の正月とその前後に行われる死者霊の供養や祭祀について,東日本の「みたまの飯」,中国地方の「仏の正月」,四国地方の「巳正月」など,正月から死者供養などの儀礼を避けてきた結果,日本列島の中で正月前後の魂祭や死者供養の民俗に地域差が生じている事を明確にした。このように本稿は列島の民俗事例を俯瞰することで明らかになる地域差を提示した上で,歴史史料も積極的に援用し,比較検討を進めるという試論であり,列島の民俗分布をもとにどのような歴史的展開や社会的要因が背景としてあったのかを考察するという新たな比較研究法の提示を試みるものである。
新谷, 尚紀 SHINTANI, Takanori
本稿は,1980年代まで葬儀における地域社会の相互扶助を比較的維持してきていた農村部におけるそれ以降の2020年の現在までの変化を追跡したものである。葬儀の変化のうちとくに集落での葬儀の伝承に大きな役割を果たしてきていた講中とか組と呼ばれる近隣組織の相互扶助の関係が,新たなホール葬や家族葬へ,という変化の中で,どのように変化しているのか,具体的な調査事例をもとに分析し論じたものである。そして,葬儀の変化が集落の結集に影響を与える程度というのは,それぞれの集落の旧来の結集力に葬儀の相互扶助の関係がどれだけの比重をもっていたかによって異なるということが指摘できた。調査地とした広島県西北部の俗に安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の卓越した地域では,葬儀の相互扶助をはじめ集落の結集の上で大きな機能を果たしていたのが講中とか組という近隣組織であった。そのまとまりが,ホール葬の導入によって弛緩している事例もある一方で,今回集中して調査した地域社会では,2008年のJA「虹のホール」の開業以降に進んだホール葬の採用へという変化の中でも,講中の相互扶助の関係と一定の結集力は維持されてきていることが追跡できた。その背景として注目されたのは,1980年代から進められた農事組合法人の設立による,旧来の個家別営農から集落営農へという展開に成功したという事実である。同じ町域の大小約160の集落でも2008年の時点で法人組織や特定営農団体が設立されていた25の集落では,比較的集落の結集力が維持されているという傾向性が指摘できる。つまり,今回の調査地及びその町域の集落におけるホール葬の採用をめぐる2010年から2020年ころの急速な変化は,集落ごとの生産と生活の変化に連動しており,それまで均質的であった集落運営のありかたに対して,それぞれの集落が維持していた結集力の強弱の差異を顕在化させてきているということができる。
田中, 史生 TANAKA, Fumio
かつて通説的位置を占めた平安期の「荘園内密貿易盛行説」が否定されて以降、文献史学では、平安・鎌倉期における南九州以南の国際交易は、国際交易港たる博多を結節点に国内商人などを介して行われたとする見方が有力となった。考古学も概ねこれを支持するが、その一方で、古代末・中世前期に宋海商が南九州に到達していた可能性をうかがわせる資料もいくつか提示され、これらを薩摩硫黄島産硫黄の交易と関連するものとする見解も示されている。本稿の目的は、こうした考古学などの指摘を踏まえ、あらためて文献史学の立場から、古代末・中世前期において宋海商が九州西海岸伝いに南九州、南島へと向かった可能性について考察するものである。そのために本稿では、南九州における硫黄交易のあり方を記した軍記物語として近年注目されている『平家物語』の諸本の、「鬼界が島」(薩摩硫黄島)と外部との交通に関する記述について検討した。さらに、『平家物語』の成立期と時代的に重なり、中国との関連性も指摘されている九州西部の薩摩塔と、その周辺の遺跡についても検討を加えた。その結果、次の諸点が明らかとなった。(一)古代末・中世前期において、博多に来航した宋海商船のなかに、南九州に寄港し、そこから南島を目指すために九州西岸海域を往還する船があった可能性が高い。(二)彼ら宋海商の中心は日本に拠点を築いた人々であったと考えられる。(三)宋海商の交易活動を支援する日本の権門のなかに、博多や薩摩に寄港し南島へ向う彼らの船を物資や人の運搬船として利用するものもあったとみられる。以上の背景には、薩摩と南島を結ぶ航路が、一般国内航路とは比較にならぬ困難さを伴っており、外洋航海に長けた渡来海商の船が求められていたこと、また宋海商にとっても硫黄を含む南島交易は対日交易の大きな関心事となっていたことがあったと考えられる。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
1.はじめに 平成24年度沖縄県「産学人材育成ネットワーク形成促進事業において、沖縄県の自立的経済発展及び地域活性化のために必要とされる人材像ならびに新たな産学官連携の在り方が調査検討された。その結果、1.イノベーションを担う人材が不可欠であること、2.そのためには、起業家精神を有する人材の早期育成が必要であり、3.この実現のために、産学官が連携したネットワーク構築と沖縄の地域特性を踏まえたイノベーション・エコシステムの形成の有用性が確認された。起業家育成教育が効果的であることも関係者から指摘されているものの、長期に渡り、起業家教育は会社を設立するための実務教育であると勘違いされ、本来、起業家精神を醸成し、起業家的なものの見方や考え方と行動特性、すなわち、マインド・セットとスキル・セットを習得するための教育であることが忘れられているようである。筆者が座長を務める同事業検討委員会では、他大学の先進的な起業家育成教育ならびにビジネス・プランコンテストの視察、県内ベンチャー企業が実施しているシリコンバレー派遣プログラムの視察、県内教育機関の取組状況に関する調査と意見交換が行われ、何よりも、県内教育機関には、正規のカリキュラムの中に、ベンチャー育成や起業家育成の講座が提供されていない点が指摘された。この状況を打破し、時代や社会が求めている起業家及び起業家精神に溢れる人材の育成を加速するために、まずは県内大学と高等専門学校が連携した実践的なベンチャー講座が開設できないかという提案がなされた。この提案を受けて、琉球大学が過去5年にわたって実施してきた「沖縄学生アイデア・コンテスト」と、平成24年度に実施したビジネス・トライアルコンテストの内容を再検討し、平成25年度より、琉球大学の共通科目として、「ベンチャー起業入門」と「ベンチャー起業実践jが開設されるに至った。本稿では、ベンチャー講座開設の契機となった沖縄学生ビジネス・アイデア・コンテストとビジネス・トライアルコンテストの概要を紹介し、学生アンケートの分析を参考に、今後の改善点と課題について議論している。
武井, 協三 TAKEI, Kyozo
『役者絵づくし』は、野郎歌舞伎・元禄歌舞伎の舞台面の絵が豊富に収録されているため、歌舞伎の演技・演出研究にとっては、見逃せない重要な資料である。ところがこの本は、刊記がないため年代の特定がむつかしく、演技・演出史の重要資料であるにもかかわらず、利用には躊躇しなければならない資料だった。本稿では、近年、国文学研究資料館が購入した原本とともに、筆者が披見した諸本をも紹介し、それら諸本の成立・刊行年代を考証する。もって野郎歌舞伎から元禄歌舞伎にかけての演技・演出研究の基盤を提供しようとするものである。さらに、新出の国文学研究資料館収蔵本には、象眼、いわゆる「雁首のすげ替え」の痕跡が発見できるので、『役者絵づくし』は絵画史の上からも注目すべき資料であることを指摘し、それが歌舞伎の基本的な性格と深く関わることに言及する。
高久, 健二 Takaku, Kenji
朝鮮民主主義人民共和国の平壌・黄海道地域に分布する楽浪・帯方郡の塼室墓について,型式分類と編年を行い,関連墓制との関係,系譜,および出現・消滅の背景について考察した。その結果,楽浪塼室墓の主流をなす穹窿式塼天井単室塼室墓については,四型式に分類・編年し,実年代を推定した。さらに,諸属性の共有関係からその他の塼室墓との併行関係を明らかにした。これらの変遷過程をみると,穹窿式塼天井単室塼室墓1BⅡ型式が成立・普及する2世紀後葉~3世紀前葉に大きな画期があり,その背景としては公孫氏による楽浪郡の支配と帯方郡の分置を想定した。これらの系譜については,中国東北における漢墓資料との比較検討の結果,典型的な穹窿式塼天井塼室墓は,とくに遼東半島とのつながりが強いことを指摘した。
普久原, 佳子 神園, 幸郎 Fukuhara, Yoshiko Kamizono, Sachiro
本研究ではハンドリガード(手の注視)が出現した事例について、本児が通う学校での指導と関連づけてハンドリガード出現前後の行動を追跡し、重度障害児のハンドリガードの発達的意味について考察した。本児に対して筆者は自他の手の同型性意識を換気させて手振りの交替やりとり遊びを指導したところ、やりとり遊びが可能になってしばらくして感覚運動遊びの場面でやや不自由な右手側ハンドリガードが出現した。その後短期間で利き手(右手)が定まるとともに、手伸ばしと把握が分化し社会的協約性のある「ちょうだい」の身振り動作が出現した。「ハンドリガードは内受容感覚と外受容感覚の接合であり身体図式に手を取り入れる始動点である。」とする Merlaeau-Ponty の指摘を本事例は支持し、また重度障害児においてもハンドリガードが出現する原理は乳児と同様であり、その後の行動に影響することを示唆している。
江藤, 真生子
教師教育の養成・採用・研修の連続性の観点において,養成段階の果たす役割は重要となる。中学校保健体育授業においては武道領域とダンス領域の学習が必修となった(文部科学省,2008)ものの,保健体育教師はダンス授業の指導について,困難や不安を抱える傾向があることが報告されている(嘉数ら,2015;松本・寺田,2013)。そこで本研究では,本学の保健体育教員養成課程で開講された「舞踊」科目において,鑑賞や相互評価の学修を設定し,学生の創作ダンスの技能を評価する力を育成できるかどうかについて実証的に検討した。その結果,身体の部位の動かし方やそれを活かした創作活動や相互評価を行ったり,実際の舞台作品を鑑賞・評価を行ったりした活動が村田(2003)の指摘するいい動きに関する認識を深めることに繋がったと考えられた。
小西, 光 中村, 壮範 田中, 弥生 間淵, 洋子 浅原, 正幸 立花, 幸子 加藤, 祥 今田, 水穂 山口, 昌也 前川, 喜久雄 小木曽, 智信 山崎, 誠 丸山, 岳彦 KONISHI, Hikari NAKAMURA, Takenori TANAKA, Yayoi MABUCHI, Yoko ASAHARA, Masayuki TACHIBANA, Sachiko KATO, Sachi IMADA, Mizuho YAMAGUCHI, Masaya MAEKAWA, Kikuo OGISO, Toshinobu YAMAZAKI, Makoto MARUYAMA, Takehiko
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』第1.0版(Maekawa et al. 2014)(以下BCCWJ)には「文境界」の情報がアノテーションされているが,その認定基準の妥当性について従来から様々な指摘がある(小西ほか2014,長谷川2014,田野村2014)。この問題に対処するために,国立国語研究所コーパス開発センターでは2013年から2014年にかけて,BCCWJの修正を行った。本稿ではその修正作業について報告する。第1.0版におけるBCCWJ 文境界情報の問題は,コーパス構築の過程において文境界を含む文書構造タグの整備と形態素列レベルの情報の整備とを並行して行ったために,文字情報を用いる文境界処理にとどまったことに由来する。今回,形態論情報に基づいた文境界基準を策定し,問題の解消を試みた。文境界修正の指針を示すとともに,文境界修正に用いた作業環境と,修正件数について報告する。
後藤, 武俊 Goto, Taketoshi
本稿の目的は、福岡市の「不登校よりそいネット」事業を事例に、多様な主体間のネットワークの形成・維持に寄与した要因を析出し、不登校当事者支援の領域における公私協働のガバナンスヘの示唆を得ることである。「不登校よりそいネット」の構築には、C氏と行政との連携実績、共働事業提案制度の存在、不登校に悩む保護者支援という課題設定、当事者性に根ざした保護者支援人材の育成という4つの要因が見出された。また、その構築過程でC氏が果たした役割・機能は、境界連結者の観点から、「情報プロセッシング機能」「組織間調救機能」「象徴的機能」の3点で捉えることができた。ここから、不登校当事者支援の領域における公私協働のガバナンスにおいては、C氏のような人物が台頭・活躍できる場づくりと、協働の可能性を広げる課題設定が重要になることを指摘した。
桒畑, 光博 KUWAHATA, Mitsuhiro
都城盆地の古代の集落様相と動態に関する3つの課題を提示して,横市川流域の遺跡群の集落遺跡の類型化とその性格を推定した上で,同盆地内のその他の遺跡との比較も行ってその背景を考察した。①都城盆地内において,8世紀前半に明確ではなかった集落が8世紀後半に忽然と現れる現象については,8世紀後半以降の律令政府による対隼人政策の解消に伴って南九州各地にも律令諸原則が適用されるようになる中で,いわゆる開墾集落が形成されはじめた可能性を指摘した。②遺跡数が増大する9世紀中頃から10世紀前半には,複数の集落類型が併存しており,中にはいわゆる官衙関連遺跡や地方有力者の居宅跡も存在する。郡衙が置かれた場所ではないが,広大な諸県郡の中の中心域を占め,開発可能な沖積地を随所に擁する都城盆地において,国司・大宰府官人・院宮王臣家などとのつながりが想定される富豪層による開発が進展するとともに,物資の流通ルートを担う動きが活発化して,集落形成が顕著となり,各集落が出現と消滅,変転を繰り返しながらも見かけ上は継続的に集落形成が行われていたと推察される。貿易陶磁器や国産施釉陶器などの希少陶磁器類の存在から看取される都城盆地の特質としては,南九州内陸部における交通の結節点をなす場所として重要な位置を占めていたことに加え,一大消費地でもあったことも指摘できる。③10世紀前半まで継続した集落が10世紀後半になると衰退・廃絶し,全体的に遺跡数が減少するという現象については,10世紀から11世紀にかけて進行した乾燥化と温暖化,変動幅の大きい夏季降水量など不安定な気候の可能性に加え,当該期における集落形成の流動性と定着性の薄弱さを考慮すべきである。当時,開発の余地が大きい都城盆地に進出していた各集団の多くは,自立的・安定的な経営を貫徹するには至らなかったと思われ,当時の農業技術水準の問題もあり,激化する洪水などの自然環境の変化に対しては十分な対応がとれなかった社会状況があったことも想定できる。
深澤, 秋人
近世琉球の首里王府は、王府財政の財源を確保し、薩摩藩への仕上世上納に対応するため、黒砂糖やウコン、あるいは反布などの特産物を地域ごとに割り振り、管理生産をしていた。琉球社会の民衆は王府から年貢(穀物)を賦課されるとともに、特産物の生産を労役として課されていたのである。沖縄島の西方に位置する久米島には紬が割り当てられ、管理生産体制は18世紀前半に成立した。紬の製作やその原料である綿子(=真綿)の生産のほか、桑の栽培、蚕の飼育、染料(ウコンなど)の確保なども男女の民衆に課された負担であった。綿子には、紬の原料分と王府に上納するものがあった。18世紀中頃にかけて、久米島周辺の渡名喜島、粟国島、伊平屋島、慶良間島にも段階的に綿子の生産が割り当てられ、上納が開始される。ところが、久米島の人口は18世紀中頃以降に大幅に減少する。具志川間切の総人口は、1744 年には3,963人であったものの、1847 年には1,255人まで減っている。また、久米島両間切では、1780年頃には7,000~8,000人程であった総人口が1855年には2,500人まで減少している。要因として、具体的な時期を示していないものの、「上江洲家文書」などでは流行病や飢饉、『琉球王国評定所文書』では津波や旱魃などの災害をあげている。両者のあいだに差異があることを指摘しておきたい。減少した人口のなかには紬の製作や綿子の生産を担っていた年齢層も含まれていた。久米島では、紬の原料である綿子を自給できない事態に陥る。王府は、災害により久米島で綿子が自給できなくなったため、19世紀前半以降、周辺の島々から組織的に綿子を供給する体制を再構築する。周辺の島々を久米島への綿子供給地として位置づけ直したといえよう。久米島に近い慶良間島や渡名喜島よりも、粟国島が安定した供給源となっていること、さらには、慶良間島に替わり伊平屋島が見いだせることを指摘しておきたい。今後の課題として、当該時期の周辺の島々、特に慶良間島と渡名喜島の地域社会の状況を災害の有無と関連づけて検討する必要性をあげておきたい。
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