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道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿の目的は,大学教員として中学生に心理学の授業を計画し,実施したプロセスを報告することである。授業は90分,18名の中学3年生を対象に行われた。テーマは盲点の錯覚を中心とした知覚心理学としたが,テーマをどのように設定し,授業をどのように構想し,実施したのか。生徒の反応はどうであったか。このような点について報告することで,今後の中等教育における心理学教育について考える基礎資料とするのが本稿の狙いである。実践を実施した結果,盲点を中心に実験体験を通し,自分たちでも考えながら心理学に触れることの有効性が確認された。今後の課題としては,講義時間の長さや考える時間の確保,意見表出の方法などの方法論的な部分が挙げられた。
中村, 完 Nakamura, Tamotsu
精神的安静や行動の変容を目指す仏教の修道論に関して、四諦説、八正道、三学、坐禅について心理学的立場から文献的に紹介する。その際、坐禅の構成要素である調身、調息、調心に関して、それぞれの意味を説明し、また、これまで行われた心理生理学的研究の成果の概要も紹介する。ヨーガ修行法についても、同様にその概要を紹介する。他方、身体的操作を通して身心の安静をもたらすという点で、東洋的行法と類似している漸進的弛緩法についても概観する。このような修行法や訓練法を体験する人々に共通する心理生理的機能状態についての関心事は、覚醒レベルの問題である。本稿では覚醒の心理生理学的機構についても言及する。また、スポーツや武道等の身体運動の効果についても述べる。
Iida, Taku
本稿では,人類学の分野で別個に扱われることの多かったアフォーダンス理論(生態心理学,道具技法論)と関連性理論(記号論,コミュニケーション理論)を統合するための基礎的作業として,ふたつの理論の共通性を考察する。まず,両理論は互いに排除しあうものではない。アフォーダンス理論は記号現象を対象としにくいという制約があるが,関連性理論をはじめとするコミュニケーション理論は物理的環境のなかでの行為も記号現象も等しく対象としうる。そのいっぽう,いずれの理論も,主体をとりまく環境に散在するさまざまな情報を探索しながら選びだし,それをもとにして状況を認知する点で共通する。これは,脳内に精密な表象を構成することで状況を認知するという考えかたとは大きく隔たる。ふたつの理論は,その適用対象を違えながらも同じ立場に立っており,統合することも不可能ではないのである。このことを意識していれば,心理学者ならぬ門外漢の民族誌家でも,他者の「心理」にもとづきつつ,フィールドで直面することがらを記述できる可能性がある。本稿は,そうした「限界心理学」を始めるための準備作業である。
小川, 千里 Ogawa, Olivia C.
才能教育下にある大学生アスリートは,幼少期からライフスタイルと家族らとの関係が限定的であるという点で特異性がある。この特異性が,彼らの心の発達に影響し,心理的依存が生じる可能性が高い。本研究は,幼少期から才能教育下にある大学生アスリートを対象とし,その心理的依存と自立に対する支援について,関連する研究の動向についての検討することを目的とする。このため、スポーツ選手の心理的問題とその支援に関する先行研究について、主としてスポーツ心理学領域,臨床スポーツ心理学領域から概観した。競技力向上を主眼とした研究では,自己形成を支援しようとしていても,競技力向上とのバランスの難しく,選手の心の成長に欠かせない家族・家族的立場にある人(監督・コーチなどの指導者ら)との関係性が明らかになりづらかった。しかし,臨床心理学的観点から選手の内的世界を検討した小川(2013)の研究から,才能教育下にある大学生アスリートの依存と家族・家族的関係の関連性,心の発達の未熟さが鮮明になっていた。最後に才能教育下のアスリートの心の発達,研究の将来性,隣接分野への適用について議論した。
森, 浩平 田中, 敦士 Mori, Kohei Tanaka, Atsushi
近年、院内学級の子どもの心理的問題の重要性が指摘されているが、入院児のプライバシーや心理的安定を守るために現場の警戒心が強いことなどが要因となり、これまでの病弱児を対象とした心理学的な研究は多いとは言い難い。そこで、本稿では病弱児の抱える心理社会的問題に関する文献のレビューを行った。病弱児は年齢や発達段階、疾患の状況ごとに、不安の内容や自己認識、疾病の受容などについてそれぞれ特徴がみられた。また、精神的負担を軽減する要因については、対処行動や自己効力感、ソーシャルサポートなどが影響を与えていることが先行研究より明らかとなった。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本論文では,さまざまな研究者が挙げている批判的思考の定義を列挙することにより,批判的思考の定義を考えるうえでの基礎資料を得ることを目的とした。諸研究は便宜的に,初期の研究,その後に出された定義に関する研究,心理学者の定義,日本人の定義,心理学以外の分野における定義,という観点によって分類した。中には筆者なりのコメントもつけているものあるが,それは最小限とした。それらを大まかに踏まえ,現時点で筆者が,批判的思考の定義に関して,どのように考えているかを,最後に論じた。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
他大学教育学部または教育大学における教育学と心理学を統合した学校教育学科では,教育学の専門科目は理論ばかりでおもしろくない,という批判が学生にあり,そのために,専修に分化するときに心理学専修を選ぶ者が多いと聞く。教育学について一面的な理解しかないにしても,学生の批判はあたっているところもある。学生の批判を受けとめ,教育学の専門科目の授業を教育内容・方法面において再編成し,魅力あるものにしていく必要がある。今年の夏,「教育方法学」の集中講義をF教育大学で試みた。理論と実践の結合を意識して,実践事例を多く紹介したプリント資料とビデオ教材を準備したために,学生の隠れた教育学批判に結果的に応えることができた。現実の教育問題への関心の喚起,教育方法学の理論の実感的理解,教育像・授業像・教師像の変化,教育方法学観の変化などについて刺激を与えることができた。「教育方法学」集中講義の講義内容・方法を概観し,実践的試みを実施したあとでの学生の感想を中心にして,上記事項などでの影響について報告する。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
「考える」(思考する)とはどういうことかについて,国語学者,哲学者,認知科学者,発達心理学者の論考を参考に考察した。それらの議論を暫定的にまとめ,各概念の関連およびその教育上の示唆を考察した。最後に,本稿に欠けているものとして,問いに答えるのではなく\n問いを問う思考について検討した。
小原, 愛子 仲黒島, 貴史 長浜, 勝直 金城, 馨 韓, 昌完 Kohara, Aiko Nakakuroshima, Takafumi Nagahama, Katsunao Kinjo, Kaoru Han, Changwan
本研究は、心理・生理・病理的側面を測定する尺度を開発し、授業成果を測定する特別支援教育成果評価尺度(SNEAT) のデータと照らし合わせて分析することで、①SNEAT には子どもの心理・生思・病原的側面が反映されているか、②SNEAT の基準関連妥当性を検証するツールとして心理・生理・病理尺度が活用可能か否かについて検討した。2014 年10~11 月に心理・生理・病理尺度の内容的妥当性の検証を行い尺度を開発し、2014 年1~2月に心理・生理・病理尺度とSNEAT を使用したデータ収集を行った。心理・生理・病理評価尺度とSNEAT の推移を比較した結果、総合点数は類似する推移を示し、SNEATには心理・生理・病理的側面が反映されていること、基準関連妥当性を検証するツールとしての心理・生理・病理尺度の使用が可能であることが示唆された。
王, 琳軒
本稿は、心理学的実験を行った先行研究から推測した陳述の副詞、時の副詞、様態の副詞、結果の副詞の語順を、日本人が産出した実際の使用状況をより反映できる大規模コーパスBCCWJを通じて、該当副詞が係り先の述語までの係り受け距離(dependency distance)を構文解析ツールCaboChaで算出して検証した。その結果、係り受け距離の平均値の順番として陳述の副詞>時の副詞>様態の副詞≈結果の副詞となったが、陳述の副詞と時の副詞、様態の副詞と結果の副詞は平均値の差が統計学的に有意ではないのに対し、他の4ペアはいずれも有意であった。野田(1984)で指摘された各種類の副詞の生起位置を参照すれば、有意差が検出されなかったのはその2ペアの生起位置のスパンが重なっているからではないかと明らかになった。本稿で得られた結果は小泉・玉岡(2006)の心理学的実験の結果と野田(1984)による分析を裏付けるものであると考えられる。
小林, 稔 高倉, 実 小橋川, 久光 宮城, 政也 神谷, 章平 Kobayashi, Minoru Takakura, Minoru Kobashigawa, Hisamitsu Miyagi, Masaya Kamiya, Shohei
生体への通電刺激に関する従来の生理学的な知見を測定心理学的に追証するため,自律神経を安定させる手掌部における刺激の特異点に低周波皮膚電気刺激を与えることによって,刺激前後のストレス反応に変化が見られるかどうか。また,刺激様式の違いがストレス反応の変化の違いとなってあらわれるかどうかを検討した。主に指標として用いたPOMS日本語短縮版の事前事後得点を分析した結果,刺激様式の異なる3つの群においてすべての尺度の事後得点が事前得点より低くなっていた。しかし,リラックス群では「抑うつ」尺度において,また,アクティブ群では「活気」尺度において有意な変化が見られなかった。コントロール群については「抑うつ」「怒り」「疲労」尺度に有意な変化が認められなかった。実験条件に関する課題は残るものの,主観的な評価を含めると本研究の結果は総じて手掌部低周波皮膚電気刺激の心理的効果を示唆している。
茂呂, 雄二 小高, 京子 MORO, Yuji ODAKA, Kyoko
本論は2部からなる。第1部では日本語談話研究の現状を展望して,それぞれの研究が指向する方法論の違いを取り出してみた。第2部には日本語談話に関係する研究の文献目録を収めた。日本語談話研究は学際的に展開されており,言語学では言語行動研究および談話分析,社会学からはエスノメソドロジーに基づく会話分析とライフストーリー研究が,心理学・認知科学研究からはプロトコル分析およびインターフェース研究などが,広い意味での日本語談話分析研究を行っている。この研究の広がりからわれわれが取り出した研究指向の違いは以下の通りである。
狩俣, 智
中学生の幾何の論証の問題解決を認知心理学の知見によって考察した。12人の被験者に問題を発語思考で解かせて言語プロトコルを採取した。言語プロトコルは,認知のプロセスモデルACTに照らして分析され,推論の軌跡を表す証明木,スキーマを表す宣言型符号化表現,手続き的知識を表すプロダクション・ルールに表現された。プロトコル分析によってうきぼりになった問題解決者の特徴は次の通りである。幾何の論証に有能に振る舞えた被験者は,後ろ向き推論と前向き推論によって推論をすすめ,両者を途中で行き合わせるという双方向の推論によって問題を解決した。また,彼等は,後ろ向き推論によってサブゴールを導き出して,サブゴール攻略を大局的な目標にしながら前向き推論を収束させた。他方,問題解決に有能に振る舞えない生徒は,サブゴールを導出できず,前向き推論を収束させることができなかった。考察では,これらの振る舞いの違いを認知心理学の知見にもとづいて議論した。
古川, 卓
本稿では、大学生が大学生活に適応することを目的とした教養科目「適応の心理」のねらいと内容について述べた。集団心理療法を下敷きにし、大学生向けの心理教育として改変した教授方法は、受講者にとって体験を通して集団に適応していく過程を理解することが可能となることが伺えた。また、新型コロナウイルス感染症流行期下の遠隔講義形式でも、同様の目的を果たす可能性について言及した。
財部, 盛久 我如古, さゆり Takarabe, Morihisa Ganeko, Sayuri
本研究では12年間にわたり保育園で開催されている子育て座談会の参加者にとって,座談会に参加することにどのような意味があると考えているのか明らかにし,今後,座談会を展開するうえでの課題について検討することを目的としている。座談会の形式には変遷があるが,保護者は座談会に参加し,子どもの発達や対応について学ぶことができた。また,参加した保護者との交流を通して子育ての不安や負担感を解消して安堵感を得ていた。一方保育士は保育の振り返りや反省,新しい考え方を学ぶこと,保護者の悩みを知り不安や悩みを共有し共感している。そして,このことが子どもや保護者に寄り添おうとする対応に反映されていることが明らかになった。これを踏まえ,今後の座談会を展開するうえでの課題を臨床心理学的観点から論じた。
村山, 愛 神園, 幸郎 Murayama, Megumi Kamizono, Sachiro
自閉症スペクトラム障害のうち発達初期に自閉的退行と称される現象を示す一群のタイプがあり、一般に退行型自閉症と呼ばれている。本研究では退行型自閉症の原因として心理・社会的要因に焦点をあて、自閉的退行の出現前の発達状況、自閉的退行の出現時の状況、自閉的退行の出現後から現在に至るまでの発達経過、そして、自閉的退行についての親の意識などについて検討した。初期発達において自閉的退行現象を示した11名の自閉症スペクトラム障害者の母親を対象として、半構造化面接法による聞き取り調査を行った。その結果、対象者が元来持っていた生物学的な要因に、引っ越しや同胞の誕生、母親の就労など環境の変化や母親の育児ストレスなどの心理・社会的な要因が付加的に加わることで、自閉的退行の出現速度が加速することがわかった。今後の課題として、心理・社会的な要因が関与するか否かによって、その後の発達がどのような経緯を辿るかを比較・検討する必要がある。また、ADI - R のような標準化された尺度に基づく面接調査を行うことで、聞き取りの精度と信頼性を高めることを心がける必要がある。さらに、折れ線現象の背景には母親の重篤な悩みが存在していることが明らかになったことから、今後、母親の抱える悩みに焦点を当てた研究が望まれる。
遠藤, 光男 Endo, Mitsuo
顔認識の諸過程の中で、顔検出過程に対する研究は比較的少なく研究の進展も認めにくい状況にある。本論文では、これまでの顔検出過程の心理学的研究を概観した上で、顔認識の特殊性を考察する際の枠組みが顔検出過程の研究にも有用であることを提案した。そして、それに沿った最近の研究を紹介した。さらに顔検出過程の生得性と神経基盤に関する最近の研究を概観した。
国立国語研究所は,1988年12月20日(火)に創立40周年をむかえた。それを記念して,同日,「公開シンポジウム『これからの日本語研究』」が国立国語研究所講堂でひらかれた。本稿はそのシンポジウムの記録である。 (ただし,集録にあたっては,本報告集の論文集としての性格を考慮し,あいさつ,司会の発言は省略し,発表内容に関する発言のみを集録した。)ひとくちに「日本語研究」といっても,その研究対象は多様であり,また研究の視点・方法も多様である。そして,近年その多様性はますます拡大する傾向にある。このような状況をふまえ,今回のシンポジウムでは,(1)理論言語学・対照言語学,(2)言語地理学・社会言語学,(3)心理言語学・言語習得,(4)言語情報処理・計算言語学という四つの視点をたて,それぞれの専門家の方に日本語研究の現状と今後の展望を話していただき,それをもとにこれからの日本語研究のあり方について議論するという形をとった。
宮田, 剛章 MIYATA, Takeaki
本稿の目的は,中国人・韓国人日本語学習者を対象に敬語動詞における中間言語を数量化し,その結果を基に,第二言語としての敬語動詞の習得状況を量的中間言語という観点から解明することである。概して,日本語学習者は日本語運用能力が日本語母語話者に近づくにつれ,量的中間言語が発達することが確認されたが,それを構成する正用的および誤用的中間言語の発達は学習者の属性により異なる。また,母語の影響については,韓国人学習者の謙譲語の一部に確認されたのみであった。言語的転移以外に心理言語的・社会心理的転移も考えられたが,どの敬語種・対応群でも心理言語的・社会心理的転移の可能性が低いと思われる。
三原, 健一 MIHARA, Ken-ichi
長い研究史の中で,日本語動詞の文法的振る舞いがかなり明らかにされてきたのに対し,心理動詞は最も解明が遅れている動詞類の一つである。動詞の体系的分類における位置付けを初めとして,自動詞・他動詞の区分さえ十分に認識されているとは言い難い。そのような状況を幾分かでも改善するために,本稿では,日本語のES型心理動詞が活動動詞であること,そして自動詞・他動詞が明確に峻別されることを論じる。ひとことで言えば,日本語のES型心理動詞が,動詞の体系的分類の中で他の動詞類と同様の地位を有することを示すのが本稿の主論点である。
服部, 洋一 Hattori, Youichi
本論は、筆者が担当している学生主導型授業「琉大ミュージカル(科目名「総合舞台芸術演習」及び「音楽と言語」)を受講する学生の青年期における心理の変化を統計的に調査し、そのうちリピート受講を続け制作部員として学生を教導する側に立つ青年が、この集団活動を通して心理的にどのように成長していくのかを、記述式質問回答の分析考察を通して明らかにしようとするものである。
西内, 沙恵 NISHIUCHI, Sae
本稿では多義語が有する複数の意味をどのように確認できるか,言語学的な方法に焦点をあてて検討する。多義語は同一の音形に意味的に何らかの関連を持つ二つ以上の意味が結びついている語と定義される。多義語の語義の粒度は研究の目的や研究者の立場によって異なるため,多義性を認める方法も言語学的なアプローチと心理実験的アプローチからさまざまに考案されてきた。本稿では先行研究で提案されてきた,多義性を認める言語学的な方法を,語彙テスト・文法テスト・論理テストに区分して一覧し,その有効性を検討する。それぞれのテストがどのような仕組みによって成り立っているかを分析し,どの程度の粒度で語義が認められるかという観点から各テストの特徴を論じる。現代日本語の名詞・形容詞・動詞を対象にそれぞれのテストが有効に働く品詞を検討し,その適用範囲を示す。
笹澤, 吉明 平良, 柚果 森本, 一真 新城, 冬羽 三田, 沙織 増澤, 拓也 姜, 東植 小林, 稔 Sasazawa, Yosiaki Taira, Yuka Morimoto, Kazuma Shinjo, Towa Mita, Saori Masuzawa, Takuya Kang, Dongshik Kobayashi, Minoru
偏食の改善が幼児の心理面の発達に影響を及ぼすかを明らかにするため、沖縄県の保育園2園の5 歳児とその保護者38 組(介入群26 組、対照群12 組)を対象に偏食改善の介入研究を行った。園児への食育の介入は、約1 か月間に亘り、読み聞かせ、食材体験、調理実習の3 回を行った。保護者には偏食改善に向けたお便りを児童に介入後配布した。介入前後に偏食、食習慣、心理的側面、健康状態などの項目からなる質問紙調査を保護者に2 回実施した。事前調査の横断的解析結果は、偏食と心理的変数には関連がみられず、保護者が食事に気を使うほど児童の情緒が安定し、不安や抑うつが少なく、攻撃性が低いことが明らかとなった。事前事後の縦断的解析結果は、食育の介入による心理面の影響はみられず、ファストフードを摂らないようにするという食行動の改善が有意にみられた。
浦崎, 武 武田, 喜乃恵 瀬底, 正栄 崎濱, 朋子 金城, 明美 大城, 麻紀子 瀬底, 絵里子 久志, 峰之 Urasaki, Takeshi Takeda, Kinoe Sesoko, Masae Sakihama, Tomoko Kinjyo, Akemi Oshiro, Makiko Sesoko, Eriko Kushi, Takayuki
琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センターの、「トータル支援教室」で取り組んできた集団支援(TSG)について自閉症児に焦点を当てて、「他者との共有経験」を基軸とするTSGの支援の目的、支援構造、支援姿勢を整理した。さらに実践事例の集団支援の場での変容過程を通して、支援の意義や支援の在り方について自閉症児の直観的心理化への支援を含めて検討した。自閉症に関する直感的心理化が「欠損」ではなく、「ズレ」と考えた場合、TSGの集団活動の取り組みは、集団の場で「他者と過ごすこと」の経験を積みあげることで「他者と繋がっている感覚」、「他者との‘ズレ'に気づく感覚」、「他者との‘ズレ'を埋める感覚」を快の情動を伴いながら経験できる場として意味付けることが可能となる。特に意図の伝達や感情が伴った他者の言動を受け止め、自己の意図と感情をすり合わせ折り合いをつける「他者との‘ズレ'を埋める」行為は、意図や感情が異なる他者の存在を意識し、その他者の「心の存在」の理解へと繋がる経験になると考えられた。
前, 明子 緒方, 茂樹 Susume, Akiko Ogata, Shigeki
本研究では「障害児教育における音楽の活用」について、汎用性のある効果的かつ一般的な教育プログラムとして確立することを目的とし、音楽が人間の意識状態に及ぼす影響を知るために主に脳波を指標とした実験的検討を行った。健康成人女性10名に対し眠気を除去する目的で仮眠をとらせ、その後に音楽を始めとする音響条件を設定して生理学的指標の記録を行った。各音響条件下における被験者の心理的「構え」については質問紙を工夫し、詳細な自覚体験を求めた。厳密な自然睡眠の統制を行ったにも関わらず、音響実験中の意識状態は多くの場合、入眠移行段階にあった。その際の「鑑賞態度」を詳細に分析したところ、音楽鑑賞時には「音楽が好きで集中」し、「分析しイメージしていた」というような自覚体験が多く得られた。このことから、被験者は音楽を単に「聞いている」のではなく、芸術性をもった有意味な音響刺激として「鑑賞」していたことが明らかとなった。すなわち、積極的に音楽を鑑賞していたという自覚体験を持ちながらも、脳波的な覚醒水準はゆったりとくつろいでいて入眠移行期に相当する意識状態を維持していたといえる。このような自覚体験に伴う脳波的意識状態の変動が生じた背景には、被験者の心理的「構え」が強く影響していたと考えられ、音楽鑑賞時には「有意味刺激」として捉えたことによる特異的な心理状態が存在し、そのことが生理的な脳波変動に影響を与えていたことが改めて示唆された。
嘉数, 朝子 井上, 厚 當山, りえ Kakazu, Tomoko Inoue, Atushi Toyama, Rie
本論は、心理ストレスと対処行動に関する比較文化的研究の文献検索システムPsycLITを用いて論文概要を展望したものである。整理の観点としてAldwin(1994)が挙げるつぎの4点、(1)ストレッサーのタイプ、(2)ストレスフル度の査定、(3)対処方略の選択、(4)文化が提供する社会的資源を使って個々に比較考察した。最後に沖縄県における心理ストレスと対処行動の研究にむけて、環境要因や個人内要因の点から検討した。
緒方, 茂樹 Ogata, Shigeki
本研究では、音楽に対する知的障害児の反応様式について、その大まかな傾向を知るための予備的な実験的検討を行う。その際、得られた生理学的資料に関する検討はもとより、知的障害児を対象として行う実験的検討に際して生じる課題の確認作業もまた重視した。得られた所見から知的障害児の場合、10名の被験者全般において脳波的意識段階及び心拍数の変動に関する出現様式はきわめて多様かつ複雑であり、個人的な差異が大きいことがわかった。さらに全般的に見て無音響条件に比較して音楽条件で覚醒水準が高く、さらに心拍数も多い傾向にあった。知的障害児にみられたこのような生理的な反応様式には、眠気による影響も無視できない一方で、先行研究で指摘した音楽を鑑賞することによってもたらされた特異的な心理的反応もまた含まれていたものと考えられる。また今回実験デザインの設定に当たっては最大限の工夫を行ったにも関わらず、実験中に知的障害児は健常者が受ける以上に大きな生理的あるいは心理的負荷を受けていた可能性は否めなかった。今後、障害児を対象とする実験的検討を行う際には実験デザインについてさらに格段の工夫を行う必要がある。
宇佐美, まゆみ
「談話(discourse)」という用語がよく聞かれるようになってかなりの年月が経つ。「談話研究(discourse studies)」という用語は、1970年代頃でも、言語学のみならず、心理学、哲学、文化人類学などの関連分野でも使われてきたが、最近では、学際的研究のさらなる広がりの影響を受けて、政治科学、言語処理、人工知能研究などにおいても、それぞれの分野における意味を持って使われるようになっている。本稿では、まず、「談話」という用語が言語学に比較的近い分野においてどのように用いられてきたかを、1960年代頃に遡って、7つのアプロ―チに分けて、概観する。また、「談話分析」や「会話分析」と「第二言語習得研究」、「語用論」、「日本語教育」との関係について簡単にまとめる。さらには、1980年代以降のさらなる学際的広がりを受けての「政治科学」や「AI(人工知能)研究」における用語の用いられ方にも触れ、それらの分野との連携の可能性についても触れる。
小川, 千里 OGAWA, Olivia C.
本研究の目的は,教育現場において教員やスクールカウンセラーが,教育者および心理援助職の立場であると同時に,児童・生徒・学生である才能教育下のアスリートに研究協力を得る際に生じる可能性のある多重関係について,その留意点およびベネフィットについて検討することである。本研究では多重関係に関する諸説,および才能教育下にあるアスリートの特徴を整理し,教育現場において教員が彼らに心理的支援を行い,研究協力を得る際の留意点とベネフィットについて議論した。諸説を集約した結果,倫理的配慮として多重関係を避けるのが望ましい。しかし,教育現場では,心理的支援や研究を実施する場合に,彼らとの多重関係が生じやすい。よって,多重関係に入る場合には,彼らとの信頼関係の構築の困難さや心理的発達の幼さ(小川 , 2013, 2015)を考慮して,彼らの人権の尊重を第一とし,多重関係を避けられない場合やベネフィットがある場合のリスクマネジメントを十分に行い,インフォームド・コンセントを得ていくことが重要である。
盛島, 將太郎 道田, 泰司 Morishima, Shotaro Michita, Yasushi
本研究は,小学校算数科における深い学びについて考察することを目的とした。まず,第一筆者の授業経験として,深い学びができなかった例と深い学びとなった例について振り返りを行った。それを踏まえ,中教審答申および国立教育政策研究所の報告書において深い学びがどのように記述されているか検討した。最後に,心理学で行われている小学校算数における学びの研究をいくつか確認した。これらを踏まえ,深い学びについて,概念理解,概念の活用,見取りという観点から整理を行った。
大城, 麻紀子 浦崎, 武 Oshiro, Makiko Urasaki, Takeshi
病院内訪問学級に在籍する児童生徒は、学習の遅れ、前籍校の友達とのつながりが弱くなることなど、長期入院に伴うさまざまな不安を抱えて過ごしている。こうした長期入院している児童生徒のための訪問学級の役割のひとつとして、心理的安定への寄与がある。そこで本研究では、実際に長期入院している小学校低学年の児童に対する10か月間の病院内訪問での学習を通して、その心の動きを4つの時期に分けて報告し、必要な心理支援のあり方について検証する。
赤尾, 健一 Farzin, Y. Hossein
経済主体や政府の合理的選択の結果、資源、枯渇が生じることがある。それは、持続可能な資源利用が可能であり、また、資源の利用者が十分な生態学的知識を持ち、さらに将来起きることを十分に予見できるとしてでもある。この研究では、非持続的資源利用が最適計画となる条件を明らかにする。それは、将来の便益を割り引く害IJ引率、社会制度や生態系の不安定さ、自然成長関数の非凸性、雇用の社会的心理的価値、そして資源利用者間の戦略的依存関係の存在に関係する。これらの条件を明らかにすることは、持続的資源利用を実現するための政策をデザインする上で、有用な情報を提供する。
笹澤, 吉明 喜屋武, 玲菜 姜, 東植 小林, 稔
沖縄県女子サッカー選手の競技力向上に向けて,全国強豪校とのスポーツキャリア・競技環境・心理的競技能力の三点の相違を明らかにすることを目的とする。対象は沖縄県予選大会の過去5年間に上位成績を収めた6校130名及び,全日本高等学校女子サッカー選手権大会の過去5年間に上位成績を収めた5校195名である。オンラインによるアンケート調査を行い,スポーツキャリア,競技環境,心理的競技能力(DIPCA.3)のデータを収集した。その結果,スポーツキャリアにおいては,沖縄は61%が高校からサッカーを開始しているのに対し,全国は97.5%が小学校からサッカーを開始し,中高と継続していた。競技環境は,沖縄は94%が土のグラウンドで練習を行っているのに対し,全国は43%が芝で練習を行っており,リーグ戦の試合数も沖縄は年間5~10試合が66.1%に対し,全国は10~15試合が32.1%,15~20試合以上が40.1%と公式戦も含め年間の試合数に大きな差がみられた。心理的競技力は,DIPCA.3の総合得点,競技意欲,自信については全国が沖縄より高得点を示したが,リラックス能力を含む精神の安定においては全国よりも沖縄が高得点だった。沖縄県女子サッカー選手の競技力向上には,小学校から継続できるサッカークラブの普及,芝のグラウンドでの練習環境の整備,競技意欲,自信などの心理的競技力の向上が示唆される。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
教員免許状更新講習・必修領域「子どもの変化についての理解」のうち,細目「子どもの発達に関する課題」では,「子どもの発達に関する脳科学、心理学等における最新の知見(特別支援教育に関するものを含む。)」について教授することになっている。筆者は過去9年間この細目を担当する中で,特別支援教育を意識し,応用行動分析の基本的な知見について,実践例を交えながら講じてきた。その概要を紹介するとともに,それに対する受講生の反応を検討することで,免許状を更新する現職教員が,どのような学びを必要としているのかについて考察を行った。
粟津, 賢太 Awazu, Kenta
戦没者の記念追悼施設やその分析には大まかにいって二つの流れがある。ひとつは歴史学的研究であり、もうひとつは社会学的研究である。もちろん、これらの基礎をなす、死者の追悼や時間に関する哲学的研究や、それらが公共の場において問題化される政治学的な研究も存在するが、こうした研究のすべてを網羅するのは本稿の目的ではない。歴史学的研究においては、これらの施設の形成過程の研究と社会的位置づけをめぐる議論があった。歴史において、欧米社会がいかに死を扱ってきたのかという社会史的な問題設定の中に位置づけられてきた。一方、社会学的研究では、これまで国家儀礼に関する研究が主流であった。そこには、機能主義の前提があった。また、死の社会学という観点から、社会的に死がいかに扱われているのかという社会心理学的あるいは死生学的関心による研究も行われてきた。歴史研究と社会学的研究というこれら二つの動向は、ナショナリズム研究や慣習的実践論、また「場」の理論を取り込みつつ、次第に記憶の社会学という現代社会学へ収斂しつつある。本稿の目的は、その理論的形成や問題領域を整理し、現代社会学理論の中に集合的記憶研究を戦略的に位置づけることにある。集合的記憶の社会学は、物質的な基礎に着目することによって時間と空間を社会分析に取り入れるという点で、戦略的な高地を確保できる。また、そうした時間と空間における行為者としてエージェンシーを考える。ここでいうエージェンシーはある特定の記憶の場を目指した様々な社会的相互作用を行う主体である。それは儀礼を執行する主体であり参加者であり、言説を産出する主体でもある。エージェンシーが、ある特定の空間において(あるいはある空間に対して)、ある特定の時間の幅の中で、いかなる動きを示していったのかを考えることができる。
木村, 一馬
本研究は, BE・HAVE動詞の統語的特性とその心的実在に関して, 文処理実験の観点から検証を行うことを目的としている。理論言語学では, BE・HAVE動詞は, 2つの名詞句を取る際(コピュラ文, 所有文), それらが動詞補部位置に埋め込まれており, 片方の名詞句が主節へと移動することで派生されるいわゆる繰り上げ動詞 (raising verb)の一種として分析されてきた。本研究では, この理論的仮定の妥当性を, 自己ペース読み課題 (Self-paced Reading, SPR)を通して検証する。自己ペース読み課題では, 埋め込み構造を持たない自動詞や他動詞に比べ, BE・HAVE動詞文がそれぞれ痕跡を持つと考えられる領域での読み時間が優位に伸びるという結果が得られた。また, BE動詞の統語構造に関して, 構造的複雑性 (痕跡の数) がwh句の抜き出しの容認度に影響することを容認性判断実験 (Acceptability Judgement Task, AJT) を用いて検証した。いずれの実験結果も, BE・HAVEは語彙的な自動詞や他動詞と比べて統語構造が特殊であり, その統語的特性が文理解時に処理負荷をかけていることを示唆している。これは, 理論言語学における仮説を支持するものとなっており, 心理言語学的アプローチが理論言語学の仮説を検証する妥当な手法であることも示唆する。
當真, 綾子 緒方, 茂樹 Toma, Ayako Ogata, Shigeki
音楽が人間の心身に対してきわめて効果的な影響を与えることは、教育や医学の場面での応用をみるまでもなく経験的に知られている事実である。音楽が人間の心身に対してどのような影響と効果を及ぼすのかなどについての基礎的研究を行うことによって、広く誰もが使うことのできるような音楽を活用した一般的かつ効果的な教育プログラムを構築することができるものと考えられる。これまでに継続してきた先行研究から得られた所見に基づき、音楽が人間の心身にどのような影響と効果を及ぼすのかについて、音楽鑑賞時における人間の反応を脳波を指標とした意識状態の変化として捉えることを目的とした実験的検討を行った。得られた所見から1)音楽など有意味な音響刺激には、いわゆる覚醒調整効果をもたらす可能性があり、さらに2)心理的「構え」としては特に「鑑賞態度」と脳波的覚醒水準の変動が密接な関係をもち、3)心理的「構え」との関わりから音楽鑑賞時には変性意識状態と類似するような特異的な心理状態が存在する可能性があることを指摘した。今回心理的「構え」の要素として「好み」よりも「鑑賞態度」のほうが覚醒水準の変動に大きな影響を及ぼすことが明らかとなった。このことから、障害をもつ子どもにとっては、環境音楽的な活用のみならず、直接的に興味や関心をもち、注意を喚起しやすいような音楽を用いた指導内容を考えることで、より有効な教育的効果が得られる可能性があることが明らかとなった。
笹澤, 吉明 小林, 稔 姜, 東植 Sasazawa, Yosiaki Kobayashi, Minoru Kang, Dongshik
R 大学の公開講座として行われた、2011年度から2015年度の5年に亘る小学生を対象としたビーチサッカー教室事業について、スポーツ経営学における、エリア・サービス、プログラム・サービス、クラブ・サービスの3つの観点から、事業内容を検討した。沖縄県の中部西に位置する西原きらきらビーチにてビーチサッカー教室は行われ、5年間の延べ400名の児童が参加した。砂浜で裸足にて行うビーチサッカーは、土踏まずの形成や体力向上に結び付き、児童の発育発達にとって大きな可能性のある教材であると考察された。事前事後のアンケート調査の結果からも、海やビーチで遊ぶ動機づけや、海やビーチのことを学びたい意欲や、ビーチスポーツ参加への動機づけや、ビーチサッカーの楽しさが増加するなどの心理面が向上した。ビーチクリーンを行うことで、スポーツの安全教育や、自然保護を養う効果も期待される。しかしながら、内陸での本事業の開催の難しさや、水難事故などの安全面のリスクなどの課題も考察された。概ね、本事業の成功が総括され、学校教育における裸足サッカーの教材化などが提言された。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿の目的は,学校教育において考える力を育てるための基盤が何かについて検討を行うことである。学校教育や思考力に限定せずに幅広く示唆を得るために,力をつける指導として,筋力トレーニング,ならびにクラブ活動等における指導を検討した結果,適度な過負荷を継続的に与えながら随所に考える場を作ること,学びや能力に関する考え方を伝え,変容を促すこと,安心感や自信を高めるための関わりを行うことの3つが見いだされた。これら各々について,指導のあり方や思考との関連について,適宜心理学的研究などを参照しながら検討した。これらを踏まえ,学校教育のなかで大きな視野をもって思考力を育成することについて論じた。
菊地, 礼 KIKUCHI, Rei
本稿は知覚動詞を用いた構文を直喩として運用する条件の解明を目的とする。たとえば「肌は雪のようだ」という直喩は,[肌は雪]という物理的に成立しない事態を提示し,これを話者の心理において真とすることで「肌」の様態を「雪」が持つ属性やイメージにより具体化する。知覚動詞は「ように+知覚動詞」「と+知覚動詞」「Aを感じさせるB」「Aを思わせるB」「AがBに見える」という特定の構文において直喩を表出する。「ように+知覚動詞」「と+知覚動詞」は命題を真と仮定する事柄目当ての心的態度を表し,「Aを感じさせるB」「Aを思わせるB」「AがBに見える」は事態を知覚経験において真とする。知覚動詞を用いたこれらの構文は偽の命題を話者の心理において真として提示することで対象の様態を具体的に表現する。このように命題を話者の心理において真とする知覚動詞構文の機能が直喩としての運用を可能にしていることを明らかにした。
米盛, 徳市 新里, 里春 Yonemori, Tokuichi Shinzato, Rishun
臨床心理学専門の新里は、交流分析理論によるパーソナリティーの査定道具としてエゴグラムの開発、その妥当性・信頼性の研究を報告してきた。今回、新里が作成した中学生および高校生を対象とした、琉大版「中・高校生用エゴグラム・チェックリスト」を米盛がコンピュータ・プログラム化した。すなわち1コンピュータによる質問・応答方式の導入、2その結果を棒グラフで表示、3エゴグラムのタイプ名の表示、4エゴグラムの説明文の表示、これをベースとした5自己開発技法の提示、さらにカウンセラーへの6カウンセリング技法の提案文の表示が可能な「エゴグラム診断システム」である。本システムは単に個人の診断結果を表示するだけでは、データの蓄積によって、データをいろいろな角度から統計処理ができるように学校の教師を念頭に開発したところが特徴的である。
大城, 麻紀子 Oshiro, Makiko
小児がん等で突然長期入院になり、かつ、治療や補装具等でADLが低下して病床での生活を送っている児童は、以前できたことができなくなったことや自由に活動することが困難になる。そのため、家族以外の他者との関わりを拒んだり、学習に対する意欲を持てなくなったりするなど、他者や学習、外界へ「向かう力」が低下し、長期入院に伴う心理的不安や苦痛を抱えて過ごすことが多い。このように、心身ともに不安定な状態の児童に対して病院内での教育的支援を行うのが病院内訪問学級である。そして、病院内訪問学級担任の役割のひとつとして、家族や医療スタッフとの連携を図って児童との関係性を築いて童のADLを高め、その後の他者や学習に対する「向かう力」を引き出し、児童の心理的安定に寄与することがある。そこで、児童の心理的安定を図るための手立てとして、瀬底らが提唱する発達障がい児へのトータル支援(TGS:トータルグループサポート)の理念を活用した。本研究では、1年間の長期入院中の小学校高学年児童のADLを高め、他者や外界への「向かう力」を高めた実践について報告する。
シャイヤステ, 榮子 Shayesteh, Yoko
国立療養所琉球精神病院の音楽療法は女子西病棟で看護師たちによる日課活動の一環として昭和48 年(1973年)に始まった「コーラス」が、その年に採用されてきた心理士島袋安行によって音楽療法プログラムへと発展していった。その成果は院内の看護師らによる病棟内研究として発表された。沖縄県内の精神科における音楽療法の研究発表第一号である。その女子西病棟でのプログラムは昭和56年(1981年)11月に幕を下ろした。しかし、新たなる病棟内での音楽療法のプログラムが同じ病院で、女子南I病棟で昭和60年(1985年)2月から始まった。その音楽療法のプログラムは精神科医石田芳子が心理士島袋安行と共に立ち上げたのである。県内で初めて医師が中心となって実践したプログラムであった。女子西病棟の音楽療法プログラムは、心理士が中心となり実践し看護師らが成果発表をしたが、女子南I病棟の実践は、看護師一人によって再び、病棟内研究として発表された。看護師新里美津子は、看護の視点から音楽療法の効用を分析し発表した。本論文では、新里看護師の研究発表を検証しながら、看護側からの音楽療法プログラムの意義を探求していく。
吉田, 安規良 中尾, 達馬 Yoshida, Akira Nakao, Tatsuma
「自分はどうみられているか」、他者との違いが不安になる自閉症スペクトラム障害児の学齢期は発達的に重要な時期である。現在、自閉症スペクトラム障害児への支援として社会適応のスキルの獲得を目的とする訓練は多く見られるが、障害の中核とされる「他者との関係性」の発達的課題を基盤とする「私とは何ものか」を問う、「自己同一性の形成」の解明に真正面から取り組む研究や学齢期の心理的安定を支援する方法の研究は極めて少ない。そこで浦崎ら(2011)は学齢期の心理的安定をもたらす「他者との関係性」を基軸とする「関係発達的支援」を行ってきた。そして現在、支援体制の充実と複数の支援事例により「自己同一性の形成」の過程を整理する段階に研究が進んできた。そこ で本研究では「自己同一性の形成」の過程の解明および「関係発達的支援」における学齢期の支援方法やその効果を詳細に検討し、「学齢期の関係発達的支援」の開発を目指した。その開発には多様な実践事例を検証すること、学齢期のみに限定せずに幼児期や青年期も含めた他者との関係性の支援法を検討すること、支援の場における状況や文脈をも視野に入れた関係発達的支援の方法を検討すること等の今後の課題の解決を目指すことが必要となる。 本研究では,平成27年度の実践が受講学生の受講前後段階での自己分析にどのような影響を及ぼしているのか,教員として求められる4つの事項の修得状況をどのように自己評価しているのか,一連の実践後の自己評価と他者評価の結果の差を検証するとともに平成24年度から平成27年度まで一連の実践で得られた学生の変容の経年変化や差異を検証した。 平成27年度の実践は,教育実践学専修に所属する7名の受講学生で実施された。これまでの実践よりも受講学生が少ないこともあり,受講学生はそれぞれ1つの企画を独自に担当し,担当した企画に対する全責任を自分1人で担う形で活動した。自己評価・他者評価に特徴が見られた3名はいずれも「協働すること」からそれぞれに学びを深めていた。自己評価(事前)が最低の者は,同期や目上の立場の人間から自分の意見を否定されるのを恐れており,そこに課題があると認識していた。自己評価(事前)が最高の者は「仕事をこなす力」が身についたと認識する一方,もっと他人を頼ればより高いものに迫れたと「頼れなかった自分」を反省していた。他者評価(事後)が最高だった者は「頼ること」で高い目標に迫れたと認識していた。どの年度でも沖縄こどもの国と連携した教職実践研究・教職実践演習を履修することを通して,受講学生は教員として必要な能力をおおむね身につけていたと評価しており,概して他者評価の方が自己評価に比べて高い傾向が見られた。また,受講学生が単一専修・コースだけで構成されるよりも,複数の専修・コースで構成された方が,教育効果は高いこと,受講学生が企画・運営の表舞台に立つ機会が多いと責任感や使命感に対する認識に高まりが見られることが示唆された。
楊, 海英
アメリカの社会学者ポーリン・ボスPauline Boss はベトナム戦争やカンボジア戦争で行方不明と宣告された兵士らの家族を対象に研究した結果,「曖昧な喪失」Ambiguous Loss という概念を打ち出した。いわゆる「曖昧な喪失」には二つのパターンがあり,第一のタイプは死んでいるかそれとも生きているか不明瞭な為,人々が家族成員によって身体的には不在であるが,心理的には存在していると認知される場合である。第二のタイプは人が身体的に存在しているが,心理的には不在であると認められたケースで,アルツハイマー病などがその例証とされている。 私は本論文において,中国内モンゴル自治区のモンゴル人たちを「曖昧な喪失」感に陥った集団だと定義している。彼らは人口の面では少数派でありながら,政策的には「主体民族」とされている。文化大革命など過酷な政治運動を経験してきた彼らは,同胞の国たるモンゴル国への憧れも政治的には危険な行動とされている。本論文はこのような「曖昧な喪失」感に包まれている内モンゴル人を対象とした際に,どのような民族誌が作成可能かを探ろうとするものである。具体的な事例として「ラクダの火をまつる儀礼」をとりあげている。この儀礼には「牧畜儀礼」的な側面と,「拝火信仰」的な側面,という二つの性質がある。儀礼に使用される供物と儀礼の流れを詳細に検討し,またモンゴル人が「ラクダの火」を「生命の火」と呼んでいることなどから,古い「原初の火」崇拝の要素が確認できた。 「曖昧な喪失」に陥った個々のクライエントたちに対し,共同体や国家レベルでの癒しが必要不可欠であるとされている。同様に,「曖昧な喪失」感に包まれた集団や民族の場合だと,民族文化の復興が有効な「癒し」の一つとなる。「ラクダの火をまつる儀礼」を近年から復活させたモンゴル人たちにもそのような強い意識が確認できる。こうした中,現地出身の私,つまりネイティブ人類学者の私は,復活された民族文化に積極的に関わっていくことになった。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
批判的思考教育が効果的に行われるために必要なものは何か。そのことを検討するのが本稿の目的であった。批判的思考と関わる先行研究からは,教師も教育方法も批判的思考も,絶対的に捉えるのではなく,かといってすべてを相対的にのみ捉えるのでもなく,常によりよいものを求め続けるという姿勢が重要であることが示唆された。批判的思考と直接的に関わらない教育心理学研究からは,教師の客観的態度,本来の自分でいられることで未来に対して楽観的な態度を保つこと,非随伴経験が少ないこと,保護者がネガティブな情動を受信していること,親や教師が安心感などのサポートを与える必要があることが示唆された。これらを踏まえ,批判的思考教育を支える基盤となるものについて考察を行った。
ハットトワ-ガマゲ, ガヤトゥリ HATHTHOTUWA-GAMAGE, Gayathri
本稿では,海外での漢字学習状況を代表する一例としてスリランカを取り上げ,スリランカの日本語学習者の漢字学習に対する態度や困難点を問う意識調査の結果を報告する。意識調査はスリランカの学習者にみられる全体的な傾向と教育機関別の漢字学習意識の差異という二つの点から分析した。分析からは,スリランカの学習者は一般的に漢字学習に対して楽観的な態度を持ち,漢字を学習するのは面白いと認識しているが,自立的な学習意識が欠けていることが明らかになった。また一般教育機関での学習者が,高等教育機関や中等教育機関の学習者より肯定釣な態度を持つことや,既習漢字数が増えるにつれて漢字学習の難しさを感じ,積極的な意識が欠落する傾向が見られた。今後,この調査結果を認知心理学的観点から検討するとともに,どうすれば漢字学習環境を豊かにできるかについて考えていきたい。
Takada, Akira
本論文では,言語の自然化は可能かという問いの一環として,他者と同じように行為することの社会的意義について考える。私はこれまで,模倣の社会科学と模倣を可能にする認知過程についての研究,いいかえれば,ルーマンらが議論している社会システムと心理システムを媒介する次元としての相互行為システム(e.g. ルーマン 1993; 1995)について論じてきた(高田 2019)。本論文では,ナミビア北中部に暮らすクン・サンにおける乳幼児を含む相互行為(CCIと略す)に着目し,模倣に関わる行為間の関連性について論じる。さらに,こうした相互行為システムにおいて創造的な模倣が可能になる条件を探っていく。私たちが他者と同じように行為することによって,どのように行為の意味を生み出し,理解し,それに応答しているのかを分析していくことは,言語の自然化を経験論的に推進する。それは心と物の二世界物語の脱構築(ライル 1987)をともなうとともに,自然の入念な観察から世界の仕組みを学ぼうとするという自然誌の伝統に沿った学問的アプローチである。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
批判的思考を行うためには,「共感」や「相手の尊重」のような,soft heartが必要になることが論じられた。それは第一に,批判を行う前提として「理解」が重要だからであり,相手のことをきちんと理解するためには「好意の原則」に支えられた共感的理解が必要だからである。このことは,-聴して容易に意味が取れると思われる場合でも,論理主義的な批判的思考を想定している場合でも同じである。共感的理解には,自分の理解の前提や枠組みをこそ批判的に検討する必要がある。そのことが,臨床心理学における共感のとらえられ方を元に考察された。また,批判を行うためには理解の足場が必要であること,それを自分と相手に繰り返し行うことによって理解が深まっていくことが論じられた。最後に,このような「批判」を伴うコミュニケーションにおいては,「相手の尊重」というもう1つのsoft heartも重要であることが,アサーティプネスの概念を引用しながら論じられた。
狩俣, 智
数学の熟練者が自己の専門分野の問題をどのように解決するかについて情報処理心理学の知見に基づいて考察した。大学院で数学を専攻する学生が本研究の被験者になった。被験者に大学の専門課程の問題を発語思考で解かせて被験者の言語プロトコルを採取した。言語プロトコルは,認知のプロセスモデルACTに照らして解析され,推論の軌跡を示す証明木,スキーマを表現する宣言型符号化構造,手続き型知識を表現するプロダクションルールに表現された。プロトコル解析によって明らかになった被験者の問題解決の特徴として,後ろ向き推論を用いてサブゴール系列を作りだして問題を解決したこと,また,推論が行き詰まったときジャンプと呼ばれる直観的な閃き(ひらめき)によって問題を解決したことをあげることができる。考察では,サブゴールの導出がどのような知識に基づいて産出されるのか,また,数学の学習場面に於て,直観的な閃きがどのような知識に基づいて引き起こされるのかについてACT理論に照らして議論した。
廣瀬, 等 Hirose, Hitoshi
本研究は、SCS (Space Collaboration System) を利用した遠隔授業を取り上げ、遠隔授業に初めて参加する学生を被験者として、心理的な側面から捉えた臨場感(ライブ感)が、授業のイメージに及ぼす影響を検討することを目的とした。心理的な側面を検討するため、実験では実際の遠隔授業で映し出された内容のビデオを、現実には他の局とつながっていない以外には全く遠隔授業と同じにした状況で見せるビデオ条件を設け、授業に対するイメージが、実際に遠隔授業を受講するライブ条件とビデオ条件でどのように違うかを比較することにより、遠隔授業でのライブ感が授業のイメージに及ぼす影響を検討した。実験の結果より、ライブ感により良い緊張感が生まれ、それが授業の内容について自分でいろいろと考えるきっかけとなり、授業に参加してよかったという気持ちや、各参加局の参加者と実際に会って交流もしたいという気持ちにつながるのではないかと考察された。
中尾, 達馬 Nakao, Tatsuma
本研究の目的は,(1)個人の持つ愛着スタイルが,愛着スタイル尺度における自己評定や他者評定を行う際にどのようなバイアスをもたらすのか,(2)愛着スタイル尺度における自己評定と他者評定との間の不一致が心理的適応(精神的健康,大学環境への適応感)へどのような影響を及ぼすのかという2点を明らかにすることであった。調査対象は,大学・専門学校の一年生120名(60組)であった。調査の結果,(1)拒絶型は,愛着スタイルの他者評定を行う際に,相手をよりポジティヴに評定すること,(2)不安定型は,愛着スタイルの自己評定を行う際に,自己をよりネガティヴに評定すること,(3)「見捨てられ不安」では,自己評定が他者評定に比べてポジティヴであることが精神的健康へとつながることが示された。議論は,愛着スタイルに関わらず,自己評価が他者評価に比べてポジティヴであることが,心理的適応に繋がるかどうかを中心に行われた。
シャイヤステ, 榮子 Shayesteh, Yoko
沖縄県の精神科における音楽療法は、昭和58年(1983年)新聞に掲載された国立療養所琉球精神病院に始まる。石田芳子医師と島袋安行心理士が中心となった週一回の音楽療法プログラムが紹介されたのである。本論文は、新聞紙上で紹介された音楽療法プログラムに至る軌跡を記録する歴史的研究である。
Yogi, Minako 與儀, 峰奈子
ジェスチャー研究の歴史は長く、古くは17世紀にまで遡る。その多くは発話の代替物としてのジェスチャーがどのような意味を表すのかという研究に費やされてきたと言える。しかし1980年代に入ると研究者の関心はジェスチャーの表す意味体系の構築だけではなく、人間の思考と思考過程を探る手がかりとして、発話とジェスチャーの関係に注目するようになってきた。その代表的研究がMcNeill(1992)である。彼はジェスチャーを発話との関係において、手まね(pantomime)、表象(emblem)、映像的ジェスチャー(iconic gesmre)、暗喩的ジェスチャー(metaphoric gcsture)、指さし(pointing)、拍子(beat)、談話結束的ジェスチャー(cohesive gesture)の7つに分類し深い考察を加えている。本稿ではKendon(1980)とMcNeill(1992)で示された理論的枠組み及び7つの分類に焦点を絞り、データを分析・考察した。McNeillが実験心理学的手法を用いているの対し、本研究ではフィールドワークを伴う社会学・社会言語学的アプローチを用いた。分析対象として用いたデータは日本人教師とアメリカ人教師のジェスチャーで、共に小学校1年生の道徳/規範の授業をビデオ録画したものである。低学年対象ということもあって、日本人教師とアメリカ人教師のどちらの授業においても多種多様なジェスチャーが用いられており、McNeillの7分類の全てが観察された。授業内容が具体的であるという事実を反映して手まねや表象、映像的ジェスチャーが多く用いられ、クラス内だけで通用する表象なども見られた。また、低学年児の注意を引きつけるため、指さしや拍子も頻繁に使用されていた。ジェスチャーの効果的使用によって視覚的に豊かなコミュニケーション活動が展開され、活発な授業活動を支援していると言える。今後このような成果は広く教師間で共有し、実際の授業で活用される必要性を示唆する。
メイナード, 泉子・K MAYNARD, Senko K.
本論文は指示表現の談話レベルの表現性を問うものであるが,認識論の中の視点という概念を用いて(具体的には「見え先行方略」を解釈過程の根底に据えて)語り手の態度や情意を伝えることを論じる。指示表現は,いわゆる現場指示のコソアの指示条件を基盤として,談話レベルでは(1)コ系は,言語行為を性格付けるメタ表現となったり,対象となるものを近距離の視点から描写し,心理的に近距離感を促す機能,(2)ソ系は,先行する情報の一部を受けて,またはそのように装って,対象を距離を置いて捉えながら談話を展開していく結束性の機能,(3)ア系は発話時点の談話の世界から遠く隔たった,情的に関心のある対象を共に見つめる共感を促す機能,があることを論じる。さらに,語り手と語られる内容との位置関係,物語の場面転換,ソ的な世界とコ的な世界の並列や内包,人間関係を考慮に入れたコミュニケーションの実現など,複数の機能を果たす。指示表現とは,最終的には,その表現を選んだ語り手の場における位置関係を指標し,語り手と対象との心理的・情意的な距離をも含むことを論じる。
鈴木, 美加 SUZUKI, Mika
本稿では,日本を含む世界各国における教育改革が進む中で,学校教育に位置付けられた日本語教育の目標設定を行う際に,認知領域だけでなく,情意領域と精神運動領域にも目を向ける提案を行った。まず,最近の教育改革を推進するATC21S(Assessment and Teaching of 21st Century Skills)が打ち出した21世紀スキル(Griffin et al. 2012)と,教育心理学において1950年代から続く教育(学習)目標の3領域(Bloom (ed.) 1956, Guilbert 1987)について概観した。次に,日本語教育のCan-doリスト2種から,Can-do記述を例として取り上げ,それらの特性について,ブルーム他の教育(学習)目標の3領域を参考に検討を加えた。検討結果から,各レベルの到達目標としてのCan-do目標は認知領域,精神運動領域に関する記述が見られること,Can-do目標を支える下位Can-doでは認知領域,精神運動領域,情意領域の全領域とのかかわりがあることを示した。結論として,現在のアカデミックな日本語運用能力を育てる意図で行う日本語教育において,その目標設定を教育(学習)目標の3領域を活用して行うことが有用であると述べた。
早川, 聞多
本研究ノートは、ある美術作品とそれを観る者の間に生まれる「魅力」といふものを、生きた形で記述するための一つの方法を提起する。私がここで提起する方法は、スタンダールが『恋愛論』の中で詳細に生き生きと記述した「結晶作用」といふ、恋する者の心の中で起こる現象の記述方法に倣はうとするものである。「結晶作用とは目前に現れるあらゆることから愛する相手の裡に新しい美点を次つぎと発見する精神の作用のことだ」とスタンダールは述べてゐるが、かうした心理現象は恋人に対してだけ生じるものではなく、愛好する美術作品に対しても起こつてゐるのではないかと、私は考へる。そこで本文では、この「結晶作用」といふ心理現象に従つて美術作品の「魅力」を記述する具体例を示すために、私が長年興味を覚え続けてきた美術作品の一つ、與謝蕪村筆『夜色樓臺図』を例に採り、私の裡で生じた「結晶作用」の発展過程を記してみようと思ふ。そこには私の勝手な思ひ込みが幾重にも重ねられてゐるが、私にとつてはそれこそが「魅力」というふものの真の姿のやうに思へてならない。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia WoolfのMrs.Dallowayではあたかも関係のない人物がお互いに影響を及ぼし、それが意識のレベルで様々な葛藤、融合となって物語の全体的なナラティブダイナミックを形成している。しかし時には意識の枠にはとらわれない、あるいはその枠を超越するような心的、物理的展開も見られる。この論文ではその精神的、意識的枠を超えたところにみられる登場人物の心理的、物理的動きにも焦点を当ててconsciousnessの展開の過程を分析、考究してみた。
平山, 朝治
古沢平作が、エディプス・コンプレックスという父性原理によって特色づけられる西洋諸国民と日本人を対照するために、阿闍世コンプレックスという母性原理を定式化して以来、河合隼雄らによって、日本は母性社会であるとしばしば主張されてきた。しかし仏典における本来の阿闍世物語は父性的でエディプス物語と極めて似たものである。古沢が阿闍世物語を母性的なものとして解釈した理由は、阿闍世コンプレックスに関する自分の論文を、エディプス・コンプレックスを定式化したフロイトに見せようと意図したさい、彼はフロイトを精神分析の偉大な父として尊敬していたため、阿闍世物語解釈において父と息子の間の葛藤を無意識のうちに抑圧してしまったからである。 したがって、私たちは阿闍世コンプレックスを、父―息子間葛藤が日本の母の特徴的な役割によって抑圧されたような、エディプス・コンプレックスの一つのヴァージョンとみなすべきである。土居健郎によって精神分析に導入された「甘え」という概念は、母と息子との間の親密な関係に由来するものであり、父―息子間葛藤を宥め、日本の伝統的なイエを父から嫡子へと継承させるのに貢献している。 阿闍世コンプレックス、「甘え」や母性社会といった心理学的概念は、エディプス・コンプレックスを適用できる父性社会と対比しながら日本社会を特徴づけるために用いられてきた。しかし、このような対比は誤解を呼びがちであり、イエの構造的特徴から伝統的日本社会に広まっている父性と母性をともに演繹しなければならないと、私たちは主張する。 脱産業社会においては父母の権威はともに不可避かつ不可逆的に衰えてきた。したがって、そのような権威の再建を唱えるような処方は現実的ではないと私たちは考える。私たち日本人は今日、もっと個人主義的にならなければならないが、母―息子の絆を断ちきるような西洋型の父性的権威なしでそうしなければならない。近親相姦をめぐる願望と禁止との間の心理的葛藤は、エディプス・コンプレックスにおいては母―息子関係に関して強調されてきた。他の家族成員間の関係についても、似たような葛藤を私たちは見出すことができる。なかでも、兄―妹関係と父―娘関係は、現代日本社会における「甘え」の病的な過剰から私たちを解放するために役立ち得るだろう。
川原, 繁人 佐野, 真一郎 KAWAHARA, Shigeto SANO, Shin-ichiro
本研究では,実験によりローゼンの法則と強いライマンの法則についてその心理的実在を検証した。ローゼンの法則に従えば,複合語前部要素が2モーラよりも3モーラの方が連濁が起こりやすくなる。また,強いライマンの法則に従えば,複合語前部要素に濁音が含まれている場合,連濁が起こりにくくなる。しかしながら,無意味語を用いた実験の結果,両法則の影響は確認されなかった。統計的に有意でない結果から負の証明は不可能であるものの,他の実験結果と比較しても,両法則の影響は本質的なものではなく,現在の日本語話者の知識においては機能していないと思われる。
小谷野, 敦
一九八七年頃から、古代中世日本において女性の性は聖なるものだったといった言説が現れるようになった。こうした説は、もともと柳田国男、折口信夫、中山太郎といった民俗学者が、遊女の起源を巫女とみたところから生まれたものだが、「聖なる性」「性は聖なるものだった」という表現自体は、一九八七年の佐伯順子『遊女の文化史』以前には見られなかった。日本民俗学は、柳田・折口の言説を聖典視する傾向があり、この点について十分な学問的検討は加えられなかった憾みがある。 一方、一九八〇年代には、網野善彦を中心として、歴史学者による、中世の遊女等藝能民の地位についての新説が現れ、これを批判する者もあった。網野は、南北朝期以前に、非農業民が職能民として天皇に直属していたと唱え、遊女についても、後藤紀彦とともに、宮廷に所属していたという説を唱えた。脇田晴子らはこの説を批判したが、豊永聡美の論文によって、後白河・後鳥羽両院政の時期、宮廷が特に高級遊女を優遇したと見るのが正当であろうという妥当な結論が出た。 既に法制史の滝川政次郎は、遊女の巫女起源説を批判したが、同時に遊女の起源を朝鮮に求めたため批判を受けた。だが、そもそも遊女に起源がなければならないという前提が奇妙なのであり、ことさら遊女の起源をいずれかに求めようとすること自体が誤りだったのである。 では「聖なる性」という表現は、どこから現れたのか。宮田登は一九八二年に、遊女の「非日常性」と「霊力」について述べているが、「聖なるもの」という表現は、一九八六、八七年に、阿部泰郎、佐伯順子らが言いはじめたことである。しかしいずれも十分な学問的検討がなされているとは言いがたく、特に佐伯の場合、ユング心理学の「聖なる娼婦」という原型の、エスター・ハーディングによる展開の影響を受けているが、これは新興宗教の類であって学問ではない。 即ち、日本古代中世における「聖なる性」は、学問的に論証されたことはなかったのである。
瀨底, 正栄 Sesoko, Masae
発達障害のある子どもは、幼い時期から集団適応に問題を示すことが多い、仲間からの受容の低さや否定は、子ども時代の問題に限らず、子どもたちのその後の適応困難や、学校や社会からのドロップアウト、孤独感などに結びついていることが指摘されている。人との関わりから生じる彼らのトラブルの要因を一方的に発達障害児だけの問題と捉えがちになることもあるが、一方で原因をどのように理解するかによっても対応の仕方がわってくる。つまり、彼らと関わりをもつ他者の側の関わり方を工夫することにより彼らの行動が変わるという観点を持つことは大切である。そこで、本研究では発達支援教育実践センターにおける、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援の事例をもとにどのような変容が見られたかを検討することを行った。本事例も当初、適応スキル獲得からの支援であったが、個別支援を重ねることで、重要な他者との安定的な関係構築の必要性と、本児が受容されることに対する期待によって、心理的安全基地へと変化していく。このことから、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援は、心理的安全基地の形成と共に彼らの関係性の世界や意味世界を広げることができるものであると示唆された。
青木, 慎恵 伊禮, 三之 Aoki, Norie Irei, Mitsuyuki
算数・数学教育における「楽しい授業」の発見は,1970年代,遠山啓のキャラメルの空き箱を使った「数あてゲーム」による一次方程式や連立方程式(箱の代数)の授業が端緒である。これ以降,次々と「楽しい授業」のための「ゲームの算数・数学」の授業が開発されていった。当初,ゲームの意義は,「授業=儀式」という儀式的授業観を打ち破り,子どもたちが「自分の発意や工夫をつくり出す自由」の体験として位置づけられ,その役割は,主に計算スキルの習熟をたやすくすることにおかれていたが,ゲームの蓄積とともに,「規則・法則の発見」,「重要な概念の理解」,「学習内容の定着化」などの役割も明らかになっていった。 本稿では,比較的小学校低学年の子どもたちに歓迎されるという「学習内容の定着化をはかるためのゲーム」と「重要な概念をうえつけさせるためのゲーム」のタイプを中心に,認知心理学における熟達化研究を参照しながらゲームの役割を検討し,位置づけ直した。その結果,低学年の子どもたちにとっても,「定型的熟達化」より,概念的な理解を基盤とした「適応的熟達化」を指向したゲームの教材化が望ましいとの示唆を得た。なお,上記3タイプのほかに,「ゲームそのものの数理を対象とするゲーム」の存在も指摘した。
野網, 摩利子 NOAMI, Mariko
漱石『明暗』では、ウィリアム・ジェイムズ『心理学大綱』が考察したように、登場人物の身体感覚によって、小説内の事物、出来事に明暗を与える。登場人物に身体が持たせられているには理由がある。その身体によってまれる世界像が、登場人物の動いてゆく現在の局面で小説に生産されることが目指されているからである。精神領域も、身体による把握が認識されて初めて成り立つ。「影」「影像イメジ」という言葉で、登場人物の脳裏に起きている現象が表面化する。真の知識ならば、それらの縁(フリンジ)に連関している他のイメージが見えてくるはずだ。ジェイムズのこの考察が活かされた。お延という登場人物はこの原理に基づいて推理する。本小説に多く見られる対話での駆け引きでは、「或物」「何か」「何処か」「ある一点」「其所」「局所」「斯う」といった言葉が駆使される。相手にその内容を挿入させようという。実体のなかった中身は、小説内で徐々に実在感を強め、現象する次第となってゆく。はっきりと意識されていなかった対象に対し、登場人物は他者との関係のなかで情緒を揺り動かす。身体と意識とが往還運動を始め、あたかも対象が実在するかのような反応に至る。小説に事物、出来事を存在させるメカニズムが明らかにされた。
浦崎, 武 武田, 喜乃恵 Urasaki, Takeshi Takeda, Kinoe
「自分はどうみられているか」、他者との違いが不安になる自閉症スペクトラム障害児の学齢期は発達的に重要な時期である。現在、自閉症スペクトラム障害児への支援として社会適応のスキルの獲得を目的とする訓練は多く見られるが、障害の中核とされる「他者との関係性」の発達的課題を基盤とする「私とは何ものか」を問う、「自己同一性の形成」の解明に真正面から取り組む研究や学齢期の心理的安定を支援する方法の研究は極めて少ない。そこで浦崎ら(2011)は学齢期の心理的安定をもたらす「他者との関係性」を基軸とする「関係発達的支援」を行ってきた。そして現在、支援体制の充実と複数の支援事例により「自己同一性の形成」の過程を整理する段階に研究が進んできた。そこ で本研究では「自己同一性の形成」の過程の解明および「関係発達的支援」における学齢期の支援方法やその効果を詳細に検討し、「学齢期の関係発達的支援」の開発を目指した。その開発には多様な実践事例を検証すること、学齢期のみに限定せずに幼児期や青年期も含めた他者との関係性の支援法を検討すること、支援の場における状況や文脈をも視野に入れた関係発達的支援の方法を検討すること等の今後の課題の解決を目指すことが必要となる。
浦崎, 武 武田, 喜乃恵 Urasaki, Takeshi Takeda, Kinoe
「自分はどうみられているか」、他者との違いが不安になる自閉症スペクトラム障害児の学齢期は発達的に重要な時期である。現在、自閉症スペクトラム障害児への支援として社会適応のスキルの獲得を目的とする訓練は多く見られるが、障害の中核とされる「他者との関係性」の発達的課題を基盤とする「私とは何ものか」を問う、「自己同一性の形成」の解明に真正面から取り組む研究や学齢期の心理的安定を支援する方法の研究は極めて少ない。そこで浦崎ら(2011)は学齢期の心理的安定をもたらす「他者との関係性」を基軸とする「関係発達的支援」を行ってきた。そして現在、支援体制の充実と複数の支援事例により「自己同一性の形成」の過程を整理する段階に研究が進んできた。そこで本研究では「自己同一性の形成」の過程の解明および「関係発達的支援」における学齢期の支援方法やその効果を詳細に検討し、「学齢期の関係発達的支援」の開発を目指した。その開発には多様な実践事例を検証すること、学齢期のみに限定せずに幼児期や青年期も含めた他者との関係性の支援法を検討すること、支援の場における状況や文脈をも視野に入れた関係発達的支援の方法を検討すること等の今後の課題の解決を目指すことが必要となる。
シャイヤステ, 榮子 Shayesteh, Yoko
日本で初めて音楽療法に関する文献が出版されたのは1958年精神科医の蜂矢英彦によってであった。1959年、山松質文が自閉症児に対する音楽療法の実践を始め、1966に『ミュージックセラピー』を出版し、1967年の英国人の音楽療法士ジュリエット・アルバン来日によって日本は音楽療法の創成期を迎えることとなる。その年には、山松は障害児教育の加賀屋哲朗とともに日本音楽療法協会設立、1976年には櫻林仁が日本音楽心理学音楽療法懇話会を発足、1977年には赤星建彦が財団法人東京ミュージック・ボランティアを設立することとなる。1980年代には、医師を中心に音楽療法の効果の客観性や科学的な効用が問われるようになり、1986年には日野原重明や篠田知璋らが日本バイオミュージック研究を設立、1987年には村井靖児が東京音楽療法協会を設立した。1990年代に入ってからは、理論と更なる実践の量的・質的研究を求め日野原重明を代表とする日本バイオミュージック学会が1991年に設立、1994年には松井紀和・村井靖児によって臨床音楽療法協会が設立された。音楽療法への興味・関心は首都圏から地方都市へと広がり、時を同じくして、1994年に岐阜県音楽療法研究所が設立、そして奈良市では音楽療法検討委員会が発足し、音楽療法士養成や認定へ向けての養成コース開講や講習会等が始まっていた。1996年には岐阜県音楽療法士、1997年には奈良市音楽療法士の第一期生が認定された。1995年、日本バイオミュージック学会と臨床音楽療法協会は全日本音楽療法連盟へと統合され、音楽療法の啓発と普及活動と同時に会員の資質向上を目指して活動を継続し1996年には100名の音楽療法士の資格認定をした。同連盟は音楽療法士の国家資格を目指し組織を発展させて2001年には日本音楽療法学会を発足させ日本国内では最大の学会員を持つ組織として現在に至っている。
中川, 智寛
横光利一「上海」について、まずは登場人物の分析を行った。 参木については、虚無的な要素と女性への定まりない心理という背反的造型がなされている点を指摘したが、同時にかなり複雑な人物としても描かれていると見た。 他の人物達についても概観したが、特に宮子に着目し、彼女だけが上海という土地に執着しつつ、それ以外の人物を相対化する役割と読み込んだ。 また、作中に度々盛り込まれている掛詞的言辞を指摘し、登場人物の造型と関連づけられている点を注視した。
田中, 寛二 Tanaka, Kanji
本研究の目的は、大学生の交通規範意識と集団ロールシャッハテスト(以下、集団ロ・テストと略す)の結果との間に関連性があるかどうかを検討することである。大学生43人に対して、交通規範に関する質問紙調査と同時に、集団ロ・テストを実施し、それらの結果を分析したところ、集団□・テストで問題ありと判定された学生の交通規範に関する得点は、全体的に高く、公道及び構内での違反許容得点、構内での違反行動得点では、統計的に有意に高いことが明らかとなった。このことから、集団□・テストで確認される全体的な問題性と交通規範意識との間には関連があると考えられる。さらに、集団ロ・テストの問題性識別のための項目別に交通規範に関する得点を比較し、交通規範の基底となる心理的特徴が検討された。
山城, 真紀子 上地, 亜矢子 嘉数, 朝子 Yamashiro, Makiko Uechi, Ayako Kakazu, Tomoko
本研究は、今日の保育ニーズの増加、多様化している保育者の職務内容の変化と健康度、心理的ストレスについて考察することが目的である。\n本稿では、那覇市と浦添市の認可保育園と公立保育所の保育者について考察を行った。結果は、同じ認可施設であっても年齢構成は50歳以上は公立保育所が多く、認可保育園は25歳以下の層が多い。また、公立保育所の方が勤務年数の長い保育者が多く、職務内容の変化などの受け止め方に差異があることが明らかになった。
小峯, 和明 KOMINE, Kazuaki
今昔物語集の研究で国語学を除き、従来余り試承られていない言語表現そのものの考察を課題とし、作品に特徴的な語彙・語法や慣用表現の分析を通して物語の本質をとらえようとした。Ⅰでは作中に頻出する強調表現「事无限シ」を中心に、関連資料との関係や表現の対象、物語の主題・話型、場面展開との対応を分析。依拠資料の影響をうけつつも、独自の表現意識で対象を強調し、時として主題・話型と齟齬しながらも物語形成に有効に機能する動態をとらえ、文体の力感そのものの指標として定位する。Ⅱは美醜・汚穢に焦点をあて、美的語彙の一環として「微妙」と「微妙シ」をとりあげ、作品の展開に応じて漢語から和語へ転移していく様相を見、表現の対象や機能上の位相差をとらえる。醜悪・汚穢の面は、主に仏法でいう四苦(老病死)にまつわる形象に注目し、仏典や止観の深層への影響を見る。Ⅲは慣用表現の「只人二非ズ」「鬼ニヤ有ラム」をとりあげ、前者は人物に対する驚嘆・賛嘆の評としての位相をとらえ、あわせて「権者」「化人」「変化ノ者」などとの対応も考察。後者は異様な人物や得体の知れないものと出会った際の常套的な心理で、そこに主題とは無縁に怪異譚的なるものへ傾斜させてしまう語りの指向を抽出する。Ⅳは表現の統括としてある「希有」「奇異」をとりあげ、話末評語だけでなく、話中の人物の心情における用例との対応を分析し、その表現機能や物語の解釈原理を析出、さらに同時代の漢文日記の用例との近似性を指摘、表現形成の様態を検討する。
郭, 立欣
石毛源『江南戦線』(砂子屋書房、1939年9月)は盧溝橋事件勃発以来最初に出版された一出征軍人の個人歌集である。兵士を描くことを主眼とする戦争文学における書き手の主体性について、戦争の「内」から発する「私」による「兵士の文学」の作者は戦闘の当事者でありつつ文学の書き手でもあるという性質を持つ。こうした専業の作家とは言い難いより一般的な兵士の事例として、本稿は石毛源およびその作品を考察する。 具体的にはまず、個人歌集の選歌と出版にあたり、石毛を「特殊の兵隊」に造型する編集者側の意図を指摘し、こうした神格化されたように見える兵士の戦闘行為にかかわる心理的メカニズムを作者の手記や日誌、歌作などを通じて検証していく。そして、戦場における兵士のあらゆる心理的反応段階、とりわけトラウマの対処と深く関係する合理化と受容というプロセスにおいて、〈集団〉がいかに機能していたかを考察した上で、カタルシス的な社会機能に注目することによってプロパガンダとしての戦争文学を公的な顕彰と承認という異なる面から論じる。また、戦後に発表された石毛の作品を視野に入れながら、戦中から戦後にわたる「草」の表象にも言及する。 こうして戦時に開花する「兵士の文学」として、今まで取り上げられなかった石毛『江南戦線』を兵隊作家と呼ばれる火野葦平とその「兵隊三部作」から始まる戦争文学ブームというコンテクストに配置し、その生成過程や歴史的位置付けを問うてみた。「特殊の兵隊」という捉え方から兵士を「平均的な人間」という視点に還元させるとともに、「兵士の文学」の可能性を提起したい。
丹野, 清彦 杉尾, 幸司
職員間の人間関係に不信感を抱いた事をきっかけに,心身の不調を招いて病気休職に至った教員と,クラス運営や荒れる子どもへの対応に悩み,病気休職寸前まで追い詰められた教員への聞き取り調査を行った。聞き取り内容は,どのようにして職場に復帰することができたのか,休職に至らずに持ち堪えることができたのはどうしてか,という観点から事例分析を行った。その結果,職場の同僚や上司の適切なサポートが重要であることや,困難さを抱えた教員の心理的ケアが必要である事が示唆され,同様の聞き取り調査を継続して行い,事例の蓄積を進めて行くことの重要性が明らかになった。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia Woolf の Mrs. Dalloway においては意識の流れが多種多様な物理的事象や心理状況を巻き込み、その過程が時間的経過とともに叙述的に展開することによりそれぞれのscene の complication、そして evolution が(記述的に)表層化するという現象が見られる。しかしこの作品ではそれぞれの scene の component を構成する言語的要素は必ずしも passive な要素ではなくそれぞれが readerly consciousness に対応して(厳密に言うと readerly consciousness が言語的要素に対応してということだと推測されるが)多種多様に意味的変化を潜在的に許容する可能性を秘めた narrative ingredient ということができる。この論文ではその narrative ingredient の多様な潜在的意味の表出過程を narrative の展開に沿って追及し意味的展開から起因する narrative complication、そしてその ramification を考究する。
中村, 哲雄 伊藤, 歌苗 Nakamura, Tetsuo Ito, kanae
本研究で我が国における学習障害及びこれに類似する児童生徒を対象とした過去10年間の個別指導事例に関する文献から抽出した指導事例343件を対象に、対象児の知的水準、実施された心理検査、指導形態、具体的な指導方法等の22項目を設定したデータベースを作成し、各項目について集計・分析を行った。本研究の成果は、学習障害及びこれに類似する児童生徒の個別指導事例に関する文献のデータベースを作成したこと、指導の現状を明らかにしたこと、指導方法を類型化したことの3点である。また現状及び類型をふまえて、多角的な視点から指導プログラムを計画し、柔軟なアプローチ方法で指導を展開していくことの重要性について考察した。
田中, 弥生
本発表は,選択体系機能言語理論における談話分析手法の一つである修辞ユニット分析(Rhetorical Unit Analysis)によって,相談談話の構造を分析するものである。「修辞機能」と「脱文脈化程度」という,従来相談談話分析にない観点からその構造を確認する。『談話資料 日常生活のことば』(現代日本語研究会編)に収録され,「場面1」 が「相談」である発話文を分析対象とする。先行研究では,ラジオ番組の医療相談や心理相談,またインターネット上の相談コーナーともいえるQ&AサイトYahoo!知恵袋などの談話構造の分析が行われてきたが,日常的な相談場面の分析はまだあまり行われていない。日常の生活における相談場面における談話構造を明らかにすることを検討する。
草野, 智洋
離婚して親権を失い子どもと一緒に暮らせなくなった女性1 名(A さん)にインタビュー調査を行い,その苦悩と葛藤のプロセスを複線径路等至性アプローチによって分析した。公的機関や社会システムはA さんと子どもが会うことのできる方向に働く力にはなっておらず,子どもが母に会いたいという思いと子どもの成長が,A さんと子どもを結びつける力となっていた。また,別居親が社会からも同居親からも抑圧を受け,強い精神的苦痛を感じていることが明らかになった。アドボカシーの観点から,心理支援者は被支援者の内面的な変容のみを目指すのではなく,周縁化された人々を疎外している社会構造そのものにも働きかける必要があることが示唆された。
井上, 史雄 金, 順任 松田, 謙次郎 INOUE, Fumio KIM, Soonim MATSUDA, Kenjiro
この稿では,対人関係調節のための新表現が実時間の100年間でどのように増加したかを論じる。具体的には,敬語に関わる新表現「ていただく」における進行中の言語変化をみる。岡崎市の55年にわたる計1000人規模の大規模社会言語学的調査に基づき,年齢という見かけの時間を利用する。間隔の異なる3回の調査結果を,時間軸を忠実に反映できるグラフ技法によって提示したところ,「てもらう」「ていただく」が着実に普及しつつあることを,確認できた。これは日本語の補助動詞の発達,授受表現の普及と一致し,岡崎という東海地方の都市の変化が日本語史全体と深く結びついていることが分かった。この背景には敬語変化の普遍性がある。ヨーロッパの二人称代名詞の用法における「力関係から連帯関係へ(from power to solidarity)」と並行的な変化が,現代日本語の敬語でも起こりつつある。つまり地位の上下による使い分けから,親疎による使い分けに変化しつつある。コミュニケーションの民主化・平等化が進んだと考えられる。また,場面による使われ方の違いをみると,依頼表現に伴って多用されるようになった。つまりかつての身分,地位による敬語の使い方と異なった基準が導入され,場面ごとの心理的負担や親疎関係がからむ。このメカニズムも,敬語の民主化・平等化として解釈できる。新表現が個人の一生の間にいかに獲得されるかをみると,若い世代が最初に採用するわけではない。対人関係にかかわる現象に関しては,社会的活躍層が使いはじめる。ポライトネスや敬語などで,30代以上の壮年層が最初に新表現を採用する例,成人後採用の実例が認められた。
福田, アジオ Fukuta, Azio
考古学と民俗学は歴史研究の方法として登場してきた。そのため,歴史研究の中心に位置してきたいわゆる文献史学との関係で絶えず自己の存在を考えてきた。したがって,歴史学,考古学,民俗学の三者は歴史研究の方法として対等な存在であることが原理的には主張され,また文献史学との関係が論じられても,考古学と民俗学の相互の関係については必ずしも明確に議論されることがなかった。考古学と民俗学は近い関係にあるかのような印象を与えているが,その具体的な関係は必ずしも明らかではない。本稿は,一般的に主張されることが多い考古学と民俗学の協業関係の形成を目指して,両者の間についてどのように従来は考えられ,主張されてきたのかを整理して,その問題点を提示しようとするものである。柳田國男は民俗学と考古学の関係について大きな期待を抱いていた。しかし,その前提として考古学の問題点を指摘することに厳しかった。考古学の弱点あるいは欠点を指摘し,それを補って新しい研究を展開するのが民俗学であるという論法であった。したがって,柳田の主張は考古学の内容に踏み込んだものであり,彼以降の民俗学研究者の見解が表面的な対等性を言うのに比較して注目される点である。多くの民俗学研究者は,考古学と民俗学の対等な存在を言うばかりで,具体的な協業関係形成の試みはしてこなかった。その点で,柳田を除けば,民俗学研究者は考古学に対して冷淡であったと言える。それに対して,考古学研究者ははやくから考古学の研究にとって民俗学あるいは民俗資料が役に立つことを主張してきた。具体的な研究に裏付けられた民俗学との協業や民俗資料の利用の提言も少なくない。しかし,それは考古学が民俗学や民俗資料を参照することであり,考古学の内容を豊かにするための方策であった。その点で,両者の真の協業は,二つの学問を前提にしつつも,互いに参照する関係ではなく,二つの学問とは異なる第三の方法を形成しなければならない。
李, 婷
本稿では,クラウドソーシングの発注文書における動詞の出現傾向を文書評価の観点から検討する。閲覧回数に対して応募者数の割合が高い文書を正例,低い文書を負例とし,正例と負例の発注文書における動詞の出現数の和に対する正例の発注文書における動詞の出現数をポジティブ率(以下,「pos率」)とする。正例グループとして,「ポジティブ件数100以上」かつ「pos率75%以上」を条件に25動詞を抽出した。負例グループでは,「ネガティブ件数100以上」かつ「pos率の低い順」に25動詞を抽出し,pos率25%以下の10動詞を「上位」とし,11~25位の動詞(pos率26.7%~37.2%)を「下位」とする。動詞の言及する内容によって,正例グループの動詞を「業務内容」「業務条件」「求める人物像」「サポート体制」「心理的負担の軽減」の5種類,負例グループの動詞を「注意事項」「業務指示」「対象限定」の3種類に分け,実例を挙げながら両グループの特徴を分析した。正例グループと負例グループにおける動詞の特徴から,発注文書の作成に示唆できることとして,3点が挙げられる。1)「業務内容」「業務条件」「求める人物像」の3項目は記載する必要がある。2)よりよい「業務条件」の整備,「求める人物像」の明示,「サポート体制」の構築と「心理的負担の軽減」に言及するなど,新規参入者でも安心して応募できるようにワーカー視点から考える必要がある。3)「注意事項」と「業務指示」を説明する際に,高圧的な態度,一方的な押し付け,読み手に嫌悪感を与えてしまうような「指示・命令」や「注意・警告」にならないように心がける必要がある。ワーカーにとって不利益になるような注意事項やルールがあるかどうかを点検しなければならない。その上で,対等な姿勢とワーカーに対する配慮が発注文書を作成するための基本となる。
早川, 聞多
本研究ノートは多種多様な画風や流派を生み出した江戸時代の絵画世界を、統一的に考察するための覚書である。 はじめに江戸時代の絵画世界が単に多様なだけでなく、錯綜して見える原因を指摘する。すなはち、従来の流派の呼称における観点の相違、諸流派の時間的・空間的並存性、享受者における好みの多様性、画家における画風の多様性の四点である。 次に江戸絵画の多様性とその錯綜した展開を統一的に捉へるためのタイプ論を提示する。そのタイプ論は、従来の江戸絵画史における流派分類から離れ、絵画に対する人間の興味の持ち方の「心理傾向」に基づいてゐる。すなはち、「遵法」「即興」「現実」「虚構」の四つのタイプを想定し、次に各タイプのうちに「一般化タイプ」と「特殊化タイプ」を想定する。
本村, 真 Motomura, Makoto
米国においては、児童虐待への対応において解決志向アプローチ (Solution Focused Approach) の適用が広がりを見せている。心理・社会療法等の従来の医学モデルを基盤としたソーシャルワーク援助技術にはみら\nれない解決志向アプローチの特徴を明確にするために、従来の技法における持続的支持技法との比較を試みた。\n解決志向アプローチにおける「クライエントが専門家である (Client is expert)」という理解や援助者の\n「何も知らない姿勢 (Posture of not-knowing)」への強調を中心とした理念や人間観の違いからくる、クライエントに対する具体的な質問や援助者の態度の違いについて、米国California州San Luis Obispo郡のDepartment of Social Servicesで実際に使用されているClinical Desk Guide等を用いながら分析・考察を行い、その特徴についてまとめた。
田中, 寛二 Tanaka, Kanji
本研究は、大学生の交通規範意識と享楽的運転志向との関連性を投影法心理検査のひとつであるP-Fスタディを用いて明らかにすることを目的として行われた。交通規範意識の測度として、田中(2003)と同様、公道と大学構内での各種の交通違反に関する許容性と行動傾向を用いた。大学生71人分のデータの分析結果から、享楽的運転志向と公道での違反行動傾向及び大学構内での違反公道傾向の間に有意な相関係数が求められた。また規範意識各変数とP-Fスタディの変数との関係を検討した結果、享楽的運転志向が実際の違反行為に至る傾向と結びついたような場合は、P-Fスタディは無責的な傾向の低さ、自我防衛的傾向の高さ、障害優位傾向の高さなどが統計的に明らかにされた。これらの結果が、P-Fスタディの各得の意味から解釈された。
則竹, 理人
学際性を有するアーカイブズ学において、その対象である「記録」には「情報」の要素がある点、さらには情報技術の発展に伴い同要素の重大さが増している点から、同学問領域が一般的に情報学との結びつきを強めていることが指摘されうる。なかでもイベロアメリカと呼ばれる地域では、情報学において情報の記録的、証拠的側面がより重視される特徴があり、またアーカイブズ分野を含めた、情報関連分野の実務の強い連携が一部の国々でみられる事実も相まって、2 つの学問領域の親和性がより高いことが示唆される。そこで本稿では、イベロアメリカにおけるアーカイブズ学と情報学の関連性に着目し、複数の時期を基点に調査した実在のアーカイブズ学教育課程を分析し、傾向の把握を試みた。その結果、経緯や形式、程度は様々なものの、多くの国や地域の事例から情報学とのかかわりが見出された。アーカイブズ学が情報学の構成要素として扱われる課程もあれば、情報学の課程の途中でアーカイブズ学専門コースに分岐する場合もあった。また、学部レベルにアーカイブズ学専門課程、大学院レベルに情報学の課程が置かれ、進学によって補完される事例もみられたが、一方で情報学が先に教育される補完の形態もあった。このような多様性によって、数多の実践的な例を示していることが、同地域以外で、情報学との関連性を強化したアーカイブズ学教育を検討するうえでも有益である可能性を提示した。
Takezawa, Shoichiro
19 世紀後半に欧米諸国であいついで建設された民族学博物館は,新しい学問領域としての民族学・文化人類学の確立に大きく貢献した。植民地拡大の絶頂期であったこの時期,民族学博物館の展示は,器物の展示を通じて近代西欧を頂点におく諸民族・諸人種の進化を跡づけようとする,イデオロギー的性格の強いものであった。 やがて,文化人類学における文化相対主義・機能主義の発展とともに,民族学博物館の展示も,当該社会の文化的コンテキストを重視するものになっていった。そして,西暦2000 年前後に,ヨーロッパの多くの民族学博物館はその展示を大幅に変えたが,その背景にあったのは,「他者」を再現=表象することの政治的・倫理的課題をめぐる民族学内部の議論であった。 本稿は,ヨーロッパの民族学博物館の展示の刷新を概観することを通じて,今日の民族学博物館と民族学が直面している諸課題を浮彫りにすることをめざすものである。
赤嶺, 達也 中尾, 達馬 Akamine, Tatsuya Nakao, Tatsuma
本研究の目的は、大学生を対象に開発された失敗観尺度(池田・三沢,2012)の児童版を作成し、その信頼性と妥当性を確認することであった。調査対象児は、沖縄県にある公立A小学校に通う小学4 - 6 年生330 名(平均年齢11.0 歳、男児154 名、女児175 名、性別不明1 名)であった。探索的因子分析の結果、池田・三沢(2012)と同様に、「失敗のネガティブ感情価」「失敗からの学習可能性」「失敗回避欲求」「失敗の発生可能性」という4因子を抽出することができた。本研究では、これら4 因子の信頼性と妥当性に関して、(1) 内的整合性、(2) 再検査信頼性、(3) 自己知覚尺度との関連性を検討した。その結果、児童版失敗観尺度は一定程度の心理測定的属性(信頼性と妥当性)を備えた尺度であることが示唆された。
宮里, 未希
本研究の目的は中学校音楽科鑑賞授業において「芸術的構成活動」を実現するための環境構成の具体を明らかにすることである。実践分析を通して,「芸術的構成活動」における過程的側面,心理的側面,社会的側面を視点として,(1)子どもの衝動が特定の対象を得て興味になるような抵抗の検討,〈表現〉の成立条件の点検を意識した中間発表や新たな価値づけを見出す作品発表の場を意識した単元構成が必要であること,(2)音や音楽に対する知覚・感受を核とした相互作用の中で,目論見や実験が為されるような活動や教師の問いかけを意識すること,(3)個々の内的素材を顕在化させ,それらを生かす共同活動を行うことで,質的関係や質的意味を見出せるようにしていくことが重要であることが明らかとなった。
山村, 奨
本論文は、日本の明治期に陽明学を研究した人物が、同時代や大塩の乱のことを視野に入れつつ、陽明学を変容させたことを明らかにする。そのために、井上哲次郎と教え子の高瀬武次郎の陽明学理解を考察する。 日本における儒学思想は、丸山眞男が説いた反朱子学としての徂徠学などが、近代性を内包していたと理解されてきた。一方で、明治期における陽明学を考察することで、それと異なる視角から、日本近代と儒教思想との関わりを示すことができる。明治期に陽明学は変容した。すなわち、陽明学に近代日本の原型がある訳ではなく、幕末期から近代にかけて、時代にあわせて変わっていった。 井上哲次郎は、陽明学を「国家主義的」に解釈したとされる。井上にとっての国家主義とは、天皇を中心とする体制を護持しようとする立場である。井上は陽明学を、国民道徳の理解に援用できると考えた。その態度は、キリスト教が国民の精神を乱すことに反発していたことに由来する。国内の精神的統一を重視した井上の陽明学理解は、水戸学の問題意識と共通する。しかし井上の陽明学観は水戸学に影響を受けた訳ではなく、幕末期に国事に関心を向けた陽明学者の伝統を受け継ぐ。また井上は、体制の秩序を志向していたために、大塩平八郎の暴挙には否定的であった。 一方で日本での陽明学の展開は、個人の精神修養として受け入れられた面を持つ。その点で、高瀬武次郎の主張は注目に値する。高瀬は陽明学が精神を修養するのに有効であり、同時に精神を陶冶した個人が社会に資するべきことを主張した。また井上の理解を踏襲しつつも、必ずしも井上の見解に与しなかった。高瀬は、大塩の行動に社会福祉的な意義も認めている。高瀬は幕末以来の実践重視の思想の中で、陽明学に新たな意味を付与した。その高瀬は、後に帝国主義に与した。 近代日本の陽明学は、時代状況の中で変容した。井上は国民の精神的な統一を重視したが、高瀬は陽明学による修養の社会的な意義を積極的に説いた。
宇佐美, まゆみ 張, 未未 USAMI, Mayumi ZHANG, Weiwei
日本語学習者にとって終助詞の適切な使用は,日常のコミュニケーションを円滑に行う上で重要である。本研究では,『BTSJ日本語自然会話コーパス(2020年版)』に収録されている,日中接触場面の雑談における日本語母語話者と上級・初級日本語学習者による終助詞「ね」「よ」「よね」の使用実態を場面別に調査した上で,学習者による不自然な用例を中心に考察した。その結果,①母語話者は初対面会話と友人同士の会話とで終助詞の使い分けが明確であるのに対して,上級学習者は場面による使い分けが不明確であった。②上級学習者は,初対面会話と友人同士の会話のいずれにおいても,「よ」を多用する傾向にあった。③初級学習者は,母語話者のみならず,上級学習者と比べても終助詞の使用率が低く,その中でも「よ」と「よね」に関しては,不自然な使用が多かった。④学習者による不自然な終助詞の使用は,「文」としては問題がなくとも,前後の文脈や状況を考慮すると不自然になるものも多く,不自然になる原因を一要因に特定することが困難であること,そのため,学習者の終助詞を使用する際の心理を考慮することも重要であることが明らかになった。これらの結果から以下の4点が明らかになった。①からは,人間関係による終助詞の使い分けと配慮を会話教育に取り入れる必要性があること,②に関しては,「よ」の多用は相手に押し付けがましい印象を与えてしまう恐れがあるため,教育上注意する必要があること,③に関しては,文脈を提示して終助詞を経験的に習得させる必要があること,④に関しては,学習者のコミュニケーション能力の育成につなげるためには,単文レベルではなく,文脈と発話時の心理も考慮した終助詞の指導方法の開発が必要であることである。理論的には,今後,各終助詞の機能を談話レベルの文脈と関連づけて,体系的に説明する方法を探る必要があることが示唆された。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
柳田国男が自らの学問を民俗学と認めるのは彼が日本民俗学会会長になった1949年の4月1日であり、それ以前は日本文化を研究対象とした民族学(文化人類学)もしくは民間伝承学(民伝学)を目指していた。柳田が確立しようとした民俗学は自分以外の人々に担われるべきものであり、柳田自身を含んでいなかった。本稿ではこのことを検証するために、それ以前のテキストととともに、1948年9月に行われた座談会「民俗学の過去と将来Jを中心に検討する。柳田国男は本質的に民族学者である。
河合, 隼雄
浜松中納言物語と更級日記は、菅原孝標女という同一人物によって書かれたと言われている。両者の特徴の共通点のひとつは、ともに多くの夢が語られていることである。私はそれらの夢を、現代の深層心理学の立場に立って、自分の夢分析の実際経験に頼りつつ比較検討した。一見すると浜松中納言物語と更級日記の夢の意味はまったく異なっているように見える。前者では、すべての夢は外的現実と関連しており、ときには未来の事象を告げたりする。物語は夢に従って展開する。夢は物語の筋に重要な役割を担っている。他方、後者では、作者は夢が彼女の人生において、最後のひとつを除いて、すべて役に立たなかったと嘆いている。 一見したところのこの大きい差から見ると、これら二つの作品の著者は同一人物ではないと考えたくなる。 しかし、更級日記をより慎重に検討すると、異なる見方ができる。その最も重要な夢は最後の夢で、それには阿弥陀仏が現れる。作者はその夢を見て非常に幸福に感じ、その夢によって涅槃を約束されたと信じる。このことが作者の実に強調したいことなのである。この点を心に留めて見ると、更級日記の内容は、すべての夢を含めて、彼女の最後の夢によって明らかにされた来世の幸福を伝えようとする試みとして見ることができる。このように理解すると、この二つの物語における夢の重要性は、一見したところは相当に異なって見えるけれども、同じであるという結論に達する。 かくて、浜松中納言物語も更級日記も、夢がいかに深い真実を告げるかを明らかにしているものだと結論することができる。これは、両者の作者が同一人物であるということを支持することになるだろう。
山元, 淑乃 Yamamoto, Yoshino
本研究は、文型積み上げ式シラバスにより初級日本語学習を修了した学習者の課題遂行能力を測定し、その教育効果や問題点を検証することを目的とする。文型積み上げ式シラバスによる4ヶ月間の初級日本語集中コース修了生20名に対し、「JF 日本語教育スタンダード準拠ロールプレイテスト」を実施し、その課題遂行能力を評価した。また質問紙とインタビューにより、受講生たちの学習に対する態度や志向を調査した。ロールプレイテストの結果、20名の研究参加者のうち、5名がB1レベル、9名がA2レベル、5名がA1レベル、A1に達しない者が1 名という判定であった。質問紙の回答結果とインタビューの質的分析からは、【学習目標の変質】【全理解志向】【知識と実践の乖離】【媒介語の希求】【絶対的文法理解】といった受講生達の志向や心理が浮き彫りになった。
謝, 蘇杭
本論文は京都本草学の代表者である稲生若水・松岡恕庵・小野蘭山などを中心に、それらの『詩経』に対する「名物学」的研究の内容と発展経緯を解明しようとするものである。近世期本草学者の学問における関心は、主として三つの領域に集中している。すなわち、伝統医学の傍流となる「薬学」と、動植鉱物の名実同定を重視する「名物学」、さらに天産物の有用性に目をつけ、その産業化によって実利を得ることを目的とする「物産学」である。そのなかに、近世期における「名物学」の発展は、『詩経』をめぐる注釈と考証を中心に展開されてきた。それに関する学問は、「『詩経』名物学」と呼ばれている。その根底をなすのは、朱子学における「正名論」や「格物致知」の思想と考えられる。しかし、もともと『詩経』に出てきた動植物に対する名実同定にとどまっていた『詩経』名物学研究は、近世中後期になると、その記述に生態や製法などといった内容が見られ、「物産学」的な色合いがついてきたのである。本論文では、各時期における京都本草学派の『詩経』名物学著作を取り上げ、それらの記述内容を分析しつつ、『詩経』名物学の発展の実態について具体的に検討していこうとする。
奥野, 由紀子 リスダ, ディアンニ OKUNO, Yukiko RISDA, Dianni
本研究は,日本語学習者を対象として収集したストーリー描写の「話す」課題と「書く」課題のデータに違いが見られるか,その要因は何かを探索的に分析するものである。作業課題による中間言語の変異性(variability)は70年代から調査されており,Tarone(1983)は,中間言語の作業課題による共時的な変異の原因は,注意量の差であると主張している。今回使用するデータは,現在進行中の学習者コーパス構築のためのプロジェクトの調査データの一部であり,5コマ漫画の描写を使用する。日本語能力に差のないインドネシア語,英語,タイ語,中国語,ドイツ語を母語とする5か国の学習者15名ずつ計75名を対象として分析する。分析の結果,対象箇所の描写には,大きく以下の4パターンが見られた。(犬に食べ物を)(1)「食べられてしまいました・食べられてしまった」など「受身+しまった」を使うパターン,(2)「食べられました」と受身を使用するパターン,(3)「食べてしまいました」と「動詞+てしまう」を使うパターン,(4)「食べました」と単純過去を使用するパターン。また,「話す」課題と「書く」課題でそれらのパターン使用にどのような違いがあるかを分析し,「書く」課題で「話す」課題よりも複雑なパターンになるケースが多いものの,違いがないケースもほぼ同数存在したこと,また,複雑な形式であるがゆえに正確さが落ちる場合もあること,正確さを高めるためにより単純な形式を使用する場合もあることなどが明らかとなった。これらの事例を通し,課題の違いに見られる中間言語変異性には学習者の言語的知識,自らの運用を客観視するメタ言語的知識,運用に至る構成的処理過程を支える心理言語学的知識という各知識レベルが関与している可能性を指摘する。
宮本, 友樹 片上, 大輔 重光, 由加 宇佐美, まゆみ 田中, 貴紘 金森, 等 吉原, 佑器 藤掛, 和広 Miyamoto, Tomoki Katagami, Daisuke Shigemitsu, Yuka Usami, Mayumi Tanaka, Takahiro Kanamori, Hitoshi Yoshihara, Yuki Fujikake, Kazuhiro
本稿では,自動車運転者の属性と運転状況に応じて発話戦略をポライトネス理論に基づいて選択し,音声合成発話によって運転を支援するエージェントを提案する。提案するエージェントシステムは,運転者の年代,性別,性格,運転歴,運転特性などの属性情報を考慮したうえで,受容性の高い発話戦略を選択し,支援を行う。ここでは,提案システムの開発に向けた調査として,運転支援場面を映した動画を用いて運転支援エージェントに対する印象評価実験を行った。特に,日本語会話における特徴的な心理的距離の表現方法である文末スタイルの違いに着目した。実験の結果,非敬語を用いるエージェントは,親密度の向上に有効である可能性が示唆された。一方で,敬語を用いるエージェントは慎重であるという印象を与え,正確に情報を伝えていると感じさせる可能性が示唆された。
林, 正之 Hayashi, Masayuki
柳田國男著作中の考古学に関する箇所の集成をもとに、柳田の考古学に対する考え方の変遷を、五つの画期に整理した。画期(一)(一八九五〜):日本社会の歴史への広い関心から考古学・人類学に参与し、山人や塚等、村落とその境界の問題を探求する。土器・石器や古墳の偏重に反発して次第に考古学から離れ、『郷土研究』誌上で独自の歴史研究を行う。画期(二)(一九一七〜):南洋研究や渡欧を通じて人類学の動向を知り、日本での国際水準の人類学創設を図る。出土人骨研究の独走や「有史以前」ブームを批判し、人類学内での人文系・自然科学系の提携、近現代に及ぶ「有史以外」究明の為の考古学との協力を模索する。画期(三)(一九二九〜):人類学の総合を留保し、一国民俗学確立に傾注する中、考古学の発展を認め、考古学との対照によって、現代の文化複合の比較から民族の文化の変遷過程を抽出する方法論を確立する。戦時下、各植民地の民俗学の提携を唱えるも、考古遺物の分布等から民族間の歴史的連続を安易に想起する傾向を排し、各民族単位の内面生活に即した固有文化の究明を説く。画期(四)(一九四六〜):敗戦原因を解明し、批判力のある国民を創るべく、近現代重視の歴史教育構築に尽力する。登呂遺跡ブームが中世以降の地域史への関心を逸らすことを警戒し、身近な物質文化の変遷から社会分析の基礎を養う教育課程を構想するも挫折する。画期(五)(一九五二〜):自身の学問の挽回を賭け、島の社会環境や大陸の貨幣経済を踏まえた移住動機の総合的モデルに基づき、稲作を核とする集団が、琉球経由で海路日本列島へ渡来したとの説を掲げて、弥生時代の朝鮮半島からの稲作伝来という考古学の通説と対決する。しかし考古学側の知見に十分な反証を出せず、議論は閉塞する。柳田は、生涯に亘って考古学を意識し、批判的に参照する中で、研究の方向を模索した。考古学は、柳田の思想の全貌を照射する対立軸といえる。
村石, 昭三 MURAISHI, Shôzô
横山, 詔一 石川, 慎一郎
オープンサイエンスの推進に必要不可欠なプレプリントの公開に着眼し、それが言語系研究の成果発表や大学院教育の在り方にどのような影響を与えつつあるのか、また、そこにどのような可能性と問題があるのかを概観する。第2節では日本語対応プレプリントサーバーであるJxivが誕生した背景について述べる。第3節ではプレプリントの倫理面における諸問題を取り上げる。著作権法等に関する法律的側面には立ち入らず、研究者同士の信頼関係に影響するかもしれない心理的側面について議論する。第4節ではプレプリントサーバーを言語系大学院教育で活用する意義を示し、授業実践の例を紹介する。そして、第5節では研究者SNSであるResearchGateを公刊済み論文のプレプリントの公開プラットフォームとして使用する可能性と課題について概観し、機関レポジトリとの関係についても言及する。最後に、第6節において本稿の議論を総括する。
Takezawa, Shoichiro
日本民俗学の創始者柳田国男については多くの研究がある。しかしその多くは,柳田が日本民俗学を完成させたという終着点に向けてその経歴を跡づけるという目的論的記述に終わっているために,民俗学も民族学も存在していなかった明治大正の知的環境のなかで,柳田がどのようにして自己の学問を築いていったかを跡づけることに成功していない。 彼の経歴を仔細にたどっていくと,彼が多くの挫折と変化を経験しながらみずからの人生と学問を自分の手で築いていったことが明らかである。青年期には多くの小説家や詩人と交流しながらロマンティックな詩を書いた詩人であり,東京帝国大学で農政学を学んだあとの十年間は,日本農業の改革に専念したリベラリスト農政官僚であった。その後,1911 年に南方熊楠と知り合うことで海外の民族学や民俗学を本格的に学びはじめ,第一次世界大戦後は国際連盟委員をつとめるなかで諸大国のエゴイズムを知らされて失望し,それを辞任して帰国したのちは日本民俗学の確立に邁進する。こうした彼の人生の有為転変が彼の民俗学を独自のものにしたのである。 柳田がようやく彼の民俗学を定義したのは1930 年ごろである。それは,隣接科学(=民族学)との峻別と,民俗学独自の方法(データの採集方法)の確立,社会のなかでのその役割の正当化,研究対象としての日本の特別視という4 重の操作を経ておこなわれたものであった。英米の人類学はとくに1925 年から1935 年のあいだに理論と実践の両面で革新を実現したが,すでに自分の民俗学の定義を完了した柳田はそれを取り入れることをしなかった。彼の民俗学は,隣接科学や海外の学問動向を参照することを必要としない一国民俗学になったのであり,隣接科学との対話や交流という課題は今日まで解決されることなく残っている。
上村, 幸雄 Uemura, Yukio
筆者がこれまでに係わった日本の方言学と言語地理学について概観する。
かりまた, しげひさ Karimata, Shigehisa / 狩俣, 繁久
琉球列島全域の言語地理学的な調査の資料を使って、構造的比較言語地理学を基礎にしながら、音韻論、文法論、語彙論等の基礎研究と比較言語学、言語類型論、言語接触論等の応用研究を融合させて、言語系統樹の研究を行なえば、琉球列島に人々が渡来、定着した過程を総合的に解明できる。言語史研究の方法として方言系統地理学を確立することを提案する。
浅原, 正幸 小野, 創 宮本, エジソン 正 Asahara, Masayuki Ono, Hajime Miyamoto, Edson T.
Kennedy et al. (2003)は,英語・フランス語の新聞社説を呈示サンプルとした母語話者の読み時間データをDundee Eye-Tracking Corpusとして構築し,公開している。一方,日本語で同様なデータは整備されていない。日本語においてはわかち書きの問題があり,心理言語実験においてどのように文を呈示するかがあまり共有されておらず,呈示方法間の実証的な比較が求められている。我々は『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(Maekawa et al. 2014)の一部に対して視線走査法と自己ペース読文法を用いた読み時間付与を行った。24人の日本語母語話者を実験協力者とし,2手法に対して,文節単位の半角空白ありと半角空白なしの2種類のデータを収集した。その結果,半角空白ありの方が読み時間が短くなる現象を確認した。また,係り受けアノテーションとの重ね合わせの結果,係り受けの数が多い文節ほど読み時間が短くなる現象を確認した。
浜本, 満
本論文の目的は,人類学の自然化の可能性を,人類学の過去に遡って再考することにある。人類学には過去に二回自然化の問題に直面した歴史がある。一回目は人類学が自然科学たりうるかどうかを巡ってなされた1950 年代から1960年代にかけての論争であり,二回目は1970 年代から1980 年代にかけての社会生物学を巡る相互の無理解に終始した論争だった。いずれにおいても文化人類学者の大多数は自然化を退ける選択をしたように見えた。一見正しいものに見えたこの選択は,大きな理論的な袋小路につながる危険が潜んでいた。本論文では,人文・社会科学全体がかかわった一回目の論争を中心に,人類学にとっての自然化の障害となりうる核心を明らかにするとともに,自然科学における経験主義的・実証主義的因果概念の限界を指摘すると同時に,生物学の領域でのダーウィニズムのロジックによって,この両者の懸隔を乗り越える可能性を示したい。
小池, 淳一 Koike, Jun'ichi
本稿は柳田民俗学の形成過程において考古研究がどのような位置を占めていたのか、柳田の言説と実際の行動に着目して考えてみようとした。明治末年の柳田の知的営為の出発期においては対象へのアプローチの方法として考古研究が、かなり意識されていた。大正末から昭和初期の雑誌『民族』の刊行とその後の柳田民俗学の形成期でも柳田自身は、考古学に強い関心を持ち続けていたが、人脈を形成するまでには至らず、民俗学自体の確立を希求するなかで批判的な言及がくり返された。昭和一〇年代以降の柳田民俗学の完成期では、考古学の長足の進展と民俗学が市民権を得ていく過程がほぼ一致し、そのなかで新たな歴史研究のライバルとしての意識が柳田にはあったらしいことが見通せた。柳田民俗学と考古研究とは、一定の距離を保ちながらも一種の信頼のようなものが最終的には形成されていた。こうした検討を通して近代的な学問における協業や総合化の問題が改めて大きな課題であることが確認できた。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
本書の原著は,東海大学海洋学部の学生実験を主な対象とした「魚類学実験テキスト」として日本語で出版されました。今回,対象読者としてアジア・アフリカ域等の学部学生を念頭に,汎用性のある章を選んで翻訳出版いたしました。本出版は,総合地球環境学研究所エリアケイパビリティープロジェクトおよび東海大学海洋学部の助成を受けて行いました。
張, 平星
2022 年6 月12 日(日),日文研共同研究「日本文化の地質学的特質」の初めての巡検を,京都の名石・白川石をテーマに,その産出と加工,産地の北白川地域の土地変遷と石の景観,日本庭園の中の白川砂の造形・意匠・維持管理に焦点を当てて実施した。地質学,考古学,歴史学,宗教学,哲学,文学など多分野の視点から活発な現地検討が行われ,比叡花崗岩の地質から生まれた白川石の石材文化の全体像を確認できた。
鈴木, あすみ 幕内, 充 和田, 真 中村, 仁洋 石井, 亨視 小磯, 花絵
自閉スペクトラム症 (Autism Spectrum Disorder: ASD) は、対人・情緒的関係の障害等で特徴づけられる、発達障害の1つである。ASD者と定型発達 (Typically Developing: TD) 者の間では、両者のコミュニケーションスタイルの違いから語用論的な障害が生じ得るが、ASD者/TD者の言語運用の定量的分析を可能にするコーパスを構築することで、両者間のコミュニケーションを円滑にするための支援デバイス・手法の開発につなげることができる可能性がある。そこで、本研究では世界初となる日本語母語話者のASD者を対象とする映像・心理指標得点・心拍変動データ付き公開コーパス構築に取り組み、国立国語研究所からの公開を目指す。データ規模はASD者/TD者各6名を目標とし、2024年8月現在、ASD者6名・TD者5名の会話の映像・音声 (1人当たり約110分) を収録済みである。本稿ではコーパスの設計やデータ収集の概要を述べた上で、話者の意図・感情の伝達に関わる間投助詞・終助詞に着目し、それらの使用率の差を検証する。
Tanabe, Shigeharu
この論文は,人類学において日常的実践がいかに理解され,またいかにその理論的枠組みの中に適切に位置づけられるかを,特にプルデューの実践理論に焦点をあてながら論じる。ブルデューが持続的かつ移調可能な実践の発生母体としてのハビトゥスを概念化するにあたって,人類学的主体と観察され記述される人びととを同一地平に置ぎながら論じたことはきわめて重要な意義をもつだろう。人類学者の理論的実践と人びとの日常的実践を接合するこの先鋭的な試みは,レヴィ・ストロース的構造人類学と現象学的社会学の双方を批判することによって達成され,「再帰的人類学」と呼ばれる新たな研究の地平を開くことになった。この再帰的位置において,人類学者は構造的な制約の中で自由と「戦略」をもって実践を生みだすハビトゥスを検討するにあたって,自らの知識が前もって構成された特権的な図式でしかないことを理解する必要に迫られる。この論文はブルデューのハビトゥス概念の成立過程を明らかにするとともに,そのいくつかの問題点を指摘しながら,今日の再帰的人類学における理論的諸問題に取り組むためのより適切な展望を開こうとする。
大城, 房美 島袋, 恒男 Oshiro, fusami Shimabukuro, Tsuneo
長田, 俊樹
筆者は、主に言語学以外の自然人類学や考古学、そして民族学の立場から、大野教授の「日本語=タミル語同系説」を検討した結果、次のような問題点が明らかとなった。 まず自然人類学では、大野教授がいうように、もしタミル人が渡来したのであれば、人骨が見つかっていない点は大野説には不利である。また考古学的には、大野説を裏付けるものはほとんどない。大野説によると、墓制、稲、金属器などが、南インドから伝播してきたことになるが、これらを裏付ける物的証拠はほとんどなく、むしろ反証の方が多い。さらに、大野説の初期からいわれてきた正月行事の類似も、南インドと日本だけの類似ではなく、アジアの広範囲にみられ、南インドからの伝播とみなす積極的な根拠は全くない。 以上、大野教授の「日本語=タミル語同系説」は、言語学における問題点に加えて、言語学以外の関連分野ではさらに多くの疑問点があり、とても支持できないというのが筆者の結論である。
Kobayashi, Masaomi 小林, 正臣
本稿はMartha WoodmanseeとMark Osteenが提唱する「新経済批評(The New Economic Criticism)」を検証しながら、文学と経済学の新たな学際性を模索する。社会科学としての経済学は数式を多用した限定的な意味における「科学」を標榜する傾向にあり、人文科学としての文学は経済学-多数の学派に基づく経済学-をマルクス経済学に限定して援用または経済学の専門用語などを誤用する傾向にある。これら問題点を考慮しながら、本稿は両学問の類似性と相違点を認識することの重要性を強調する。例えば、Donald McCloskeyが指摘するように、経済学は数式を用いながらも言語による論証を行うことにおいて修辞的である。またPierre Bourdieuが指摘するように、言語と貨幣は機能的に類似する点が多くあり、それゆえ文学と経済学の「相同関係(homology)」が考えられる。しかし相同関係を発見する一方で、それら学問間の絶えざる緊張関係を維持しながら新たな相互関係を構築する必要があり、その際の媒介を果たすのが新経済批評である。換言すれば、文学は経済学を始めとする諸科学の理論を導入しながら、それら科学に新たな返答をすることが可能な「場」であると認識することで、両学問は相互的な知的活性化を永続できる。かくして本稿は、文学と経済学の学際性の追求は「未知(notknowing)」の探求であると結論する。
小西, 潤子
「山口修写真コレクション」は,山口修(1939–)が 1960 年代半ばから 1990年代にアジア・太平洋各地で収集した 5,000 点以上の写真資料からなる。これらの理解を深めるために,民族音楽学の歴史を遡ることで山口の学問的関心を突き詰める。すなわち,20 世紀前後の欧州における近代科学に基づいた比較音楽学,戦前日本における東洋音楽の歴史と理論を扱った東洋音楽研究,1950年代から米国で文化相対主義の影響によって開花した行動学的民族音楽学である。これらを基盤に,山口は民族音楽学の理論と実践を国内外に発信し,「応用音楽学」として集大成した。その中で楽器学の骨子は,(1)エティック/イーミックスなアプローチ,(2)楽器づくりのわざ,(3)楽器の素材,とされる。次に,これらの観点から 1970 年代沖縄・奄美における楽器の写真について,当該文化の担い手による解釈を交えて論じる。対話の積み重ねによる持続的なデータベースづくりは,まさに山口が目指した未来志向性の応用音楽学的実践だといえる。
久野, 昭
或る仏教的発想によれば、一切の衆生はその業のゆえに六道を輪廻する。人は死に臨んで、六道の辻を通らねばならない。この「六道の辻」の名は、今日なお京都旧市街の東南地区に残っている。他方、「六道町」の地名も、未だに京都西北部、愛宕山麓に残っている。 伝説によれば、九世紀の著名な学者、小野篁は六道の辻にあった愛宕寺境内の「死の井戸」から地獄に下り、閻魔と相識って、六道町の「生の井戸」から地上に出た。 死の井戸から生の井戸へ、すなわち死から新生への方向は、同時に、平安期の人々が際限なき六道輪廻の運命からの脱出の希望を託した方向であった。 平安時代に描かれた少なからぬ来迎図において、仏は画面左上から右下に向かって使者を迎えに来る。この線は、京都の地図上の生の井戸と死の井戸とを結ぶ線と、心理的に重複する。この重複の背景には、当時の人々の西方浄土への憧憬があったのであろう。
Iida, Taku Kawai, Hironao
本書は、2015年1 月24日から25日にかけて国立民族学博物館で開催された国際フォーラム「中国地域の文化遺産―人類学の視点から」のプロシーディングズである。国際フォーラムは、国立民族学博物館の機関研究「文化遺産の人類学―グローバル・システムにおけるコミュニティとマテリアリティ」の一環として開かれた。この序の前半では、機関研究全体の関心について述べ、後半では、中国地域というコンテクストに即した問題の所在を紹介する。
長田, 俊樹
さいきん、インドにおいて、ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりのなかで、「アーリヤ人侵入説」に異議が唱えられている。そこで、小論では言語学、インド文献学、考古学の立場から、その「アーリヤ人侵入説」を検討する。 まず、言語学からいえば、もし「アーリヤ人侵入説」が成り立たないとしたら、「印欧祖語=サンスクリット語説」もしくは「印欧祖語インド原郷説」が想定されるが、いずれも、Hock(1999a)によって否定されている。また、インド文献学では、リグ・ヴェーダの成立年代問題など、たぶんに解釈の問題であって、インド文献学がこたえをだすことはない。考古学による証拠では、インダス文明が崩壊した時期における「アーリヤ人」の「大量移住」の痕跡はみとめられず、反「アーリヤ人侵入説」の根拠となっている。 結論をいえば、じゅうらいの「アーリヤ人侵入説」は見直しが必要である。「アーリヤ人」は「インド・アーリヤ祖語」を話す人々」とすべきで、かれらが同一民族・同一人種を形成している必要はけっしてない。また、「侵入」も「小規模な波状的な移住」とすべきで、年代についても紀元前一五〇〇年ごろと特定すべき積極的な根拠はない。
淡野, 将太 浦内, 桜 Tanno, Syota Urauchi, Sakura
平田, 幹夫 Hirata, Mikio
本事例では、不登校に陥った小3児童(以後K子)の教室に掲示されていた「母の日の画」から心理アセスメントを行い、それをもとに母子カウンセリングを2回行った。面接においては、「動的家族画」、「動的学校画」、「家族が立っている画」「自由画」の描画テストを実施した。描画を解釈しK子の情動を母親に伝えたことによって、母親のK子への関わりに大きな変化が現れた。その結果、初回面接の翌日から学校復帰を果たした。また、K子の問題を契機に家族システムにも変化が見られた。その後、4年生から6年生にかけて年に1回の割合で描画テストを行いフオローアップを行った。K子は3年生の面接以降、6年生になるまで不登校になることはなかった。実施した描画テストを縦断的に分析した結果、家族システムの良好な変化が描画の変化として表出していることが明らかになった。本事例を通して、描画テストは子どもの内面世界を表出すると同時に、その活用は、カウンセリングにおいて臨床的に有効であると思われた。
菊池, 英明 市川, 熹 岡本, 明 長嶋, 祐二 藤本, 浩志 引田, 秋生 HIKITA, Akio
山梨県立盲学校での先天性全盲ろう児に対する音声言語獲得訓練と生活指導に関する数万点に及ぶ、1950(昭和25)年からの長期時系列的多角的記録と教材資料などが残されている[1]~[4]。梅津八三東大教授が指導し、一貫して進めてきた盲人の認知行動・心理の研究の知見をベースに,先天盲ろう児への教育という未知の課題に対して取り組んだ科学的研究の実践過程記録である。言語獲得が極めて困難な先天性盲ろう児に対する数万件の実践記録群は、おそらく世界で唯一の極めて貴重な資料であり、盲ろう児当事者から表出された点字や録音資料からは、学習の進行程度を直接見ることが期待される。言語獲得プロセスの解明や盲ろう児教育に重要な示唆が得られるであろう。しかし最も質の悪い時代の紙や録音テープ等に記録され劣化が著しいため、現在電子化保存と「データベース開発」(DB化)を進めている。DB化後は山梨県立盲学校に移管、公開する計画である。訓練記録、訓練経緯、同校での分析状況および発音訓練用の木製口模型などの教材、現状の同保存活動等を紹介する。
大村, 敬一
本論文の目的は,イヌイトの「伝統的な生態学的知識」に関してこれまでに行なわれてきた極北人類学の諸研究について検討し,伝統的な生態学的知識を記述,分析する際の問題点を浮き彫りにしたうえで,実践の理論をはじめ,「人類学の危機」を克服するために提示されているさまざまな理論を参考にしながら,従来の諸研究が陥ってしまった本質主義の陥穽から離脱するための方法論を考察することである。本論文では,まず,19世紀後半から今日にいたる極北人類学の諸研究の中で,イヌイトの知識と世界観がどのように描かれてきたのかを振り返り,その成果と問題点について検討する。特に本論文では,1970年代後半以来,今日にいたるまで展開されてきた伝統的な生態学的知識の諸研究に焦点をあて,それらの諸研究に次のような成果と問題点があることを明らかにする。従来の伝統的な生態学的知識の諸研究は,1970年代以前の民族科学研究の自文化中心主義的で普遍主義的な視点を修正し,イヌイトの視点からイヌイトの知識と世界観を把握する相対主義的な視点を提示するという成果をあげた。しかし一方で,これらの諸研究は,イヌイト個人が伝統的な生態学的知識を日常的な実践を通して絶え間なく再生産し,変化させつつあること忘却していたために,本質主義の陥穽に陥ってしまったのである。次に,このような伝統的な生態学的知識の諸研究の問題点を解決し,本質主義の陥穽から離脱するためには,どのような記述と分析の方法をとればよいのかを検討する。そして,実践の理論や戦術的リアリズムなど,本質主義を克服するために提示されている研究戦略を参考に,伝統的な生態学的知識を研究するための新たな分析モデルを模索する。特に本論文では実践の理論の立場に立つ人類学者の一人,ジーン・レイヴ(1995)が提案した分析モデルに注目し,その分析モデルに基づいて,人間と社会・文化の間に交わされるダイナミックな相互作用を統合的に把握する視点から伝統的な生態学的知識を再定義する。そして,この再定義に基づいて,伝統的な生態学的知識を記述して分析するための新たな分析モデルを提案し,さまざまな社会・文化的過程が縦横に交わる交差点として民族誌を再生させる試みを提示する。
松田, 睦彦 Matsuda, Mutsuhiko
小稿は人の日常的な地域移動とその生活文化への影響を扱うことが困難な民俗学の現状をふまえ,その原因を学史のなかに探り,検討することによって,今後,人の移動を民俗学の研究の俎上に載せるための足掛かりを模索することを目的とする。1930年代に柳田国男によって体系化が図られた民俗学は,農政学的な課題を継承したものであった。柳田の農業政策の重要な課題の一つは中農の養成である。しかし,中農を増やすためには余剰となる農村労働力の再配置が必要となる。そこで重要となったのが「労力配賦の問題」である。これは農村の余剰労働力の適正な配置をめざすものであり,柳田の農業政策の主要課題に位置づけられる。こうした「労力配賦の問題」は,人の移動のもたらす農村生活への影響についての考察という形に変化しながら,民俗学へと吸収される。柳田は社会変動の要因として人の移動を位置づけ,生活変化の様相を明らかにしようとしたのである。しかし,柳田の没後,1970年代から1980年代にかけて,柳田の民俗学は批判の対象となる。その過程で人の移動は「非常民」「非農民」の問題へと縮小される。一方で,伝承母体としての一定の地域の存在を前提とする個別分析法の隆盛により,人の移動は民俗学の視野の外へと追いやられることになった。人の日常的な移動を見ることが困難な民俗学の現況はここに由来する。今後,民俗学が人びとの地域移動が日常化した現代社会とより正面から向きあうためには,こうした学史的経緯を再確認し,人びとが移動するという事象そのものを視野の内に取り戻す必要がある。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa, Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
伊藤, 謙 宇都宮, 聡 小原, 正顕 塚腰, 実 渡辺, 克典 福田, 舞子 廣川, 和花 髙橋, 京子 上田, 貴洋 橋爪, 節也 江口, 太郎
日本では江戸時代、「奇石」趣味が、本草学者だけでなく民間にも広く浸透した。これは、特徴的な形態や性質を有する石についての興味の総称といえ、地質・鉱物・古生物学的な側面だけでなく、医薬・芸術の側面をも含む、多岐にわたる分野が融合したものであった。また木内石亭、木村蒹葭堂および平賀源内に代表される民間の蒐集家を中心に、奇石について活発に研究が行われた。しかし、明治期の西洋地質学導入以降、和田維四郎に代表される職業研究者たちによって奇石趣味は前近代的なものとして否定され、石の有する地質・古生物・鉱物学的な側面のみが、研究対象にされるようになった。職業研究者としての古生物学者たちにより、国内で産出する化石の研究が開始されて以降、現在にいたるまで、日本の地質学・古生物学史については、比較的多くの資料が編纂されているが、一般市民への地質学や古生物学的知識の普及度合いや民間研究者の活動についての史学的考察はほぼ皆無であり、検討の余地は大きい。さらに、地質学・古生物学的資料は、耐久性が他の歴史資料と比べてきわめて高く、蒐集当時の標本を現在においても直接再検討することができる貴重な手がかりとなり得る。本研究では、適塾の卒業生をも輩出した医家の家系であり、医業の傍ら、在野の知識人としても活躍した梅谷亨が青年期に蒐集した地質標本に着目した。これらの標本は、化石および岩石で構成されているが、今回は化石について検討を行った。古生物学の専門家による詳細な鑑定の結果、各化石標本が同定され、産地が推定された。その中には古生物学史上重要な産地として知られる地域由来のものが見出された。特に、pravitoceras sigmoidale Yabe, 1902(プラビトセラス)は、矢部長克によって記載された、本邦のみから産出する異常巻きアンモナイトであり、本種である可能性が高い化石標本が梅谷亨標本群に含まれていること、また記録されていた採集年が、本種の記載年の僅か3年後であることは注目に値する。これは、当時の日本の民間人に近代古生物学の知識が普及していた可能性を強く示唆するものといえよう。
佐藤, 健二 Sato, Kenji
本稿は近代日本における「民俗学史」を構築するための基礎作業である。学史の構築は、それ自体が「比較」の実践であり、その学問の現在のありようを相対化して再考し、いわば「総体化」ともいうべき立場を模索する契機となる。先行するいくつかの学史記述の歴史認識を対象に、雑誌を含む「刊行物・著作物」や、研究団体への注目が、理念的・実証的にどのように押さえられてきたかを批判的に検討し、「柳田国男中心主義」からの脱却を掲げる試みにおいてもまた、地方雑誌の果たした固有の役割がじつは軽視され、抽象的な「日本民俗学史」に止められてきた事実を明らかにする。そこから、近代日本のそれぞれの地域における、いわゆる「民俗学」「郷土研究」「郷土教育」の受容や成長のしかたの違いという主題を取り出す。糸魚川の郷土研究の歴史は、相馬御風のような文学者の関与を改めて考察すべき論点として加え、また『青木重孝著作集』(現在一五冊刊行)のような、地方で活躍した民俗学者のテクスト共有の地道で貴重な試みがもつ可能性を浮かびあがらせる。また、澤田四郎作を中心とした「大阪民俗談話会」の活動記録は、「場としての民俗学」の分析が、近代日本の民俗学史の研究において必要であることを暗示する。民俗学に対する複数の興味関心が交錯し、多様な特質をもつ研究主体が交流した「場」の分析はまた、理論史としての学史とは異なる、方法史・実践史としての学史認識の重要性という理論的課題をも開くだろう。最後に、歴史記述の一般的な技術としての「年表」の功罪の自覚から、柳田と同時代の歴史家でもあったマルク・ブロックの「起源の問題」をとりあげて、安易な「比較民俗学」への同調のもつ危うさとともに、探索・博捜・蓄積につとめる「博物学」的なアプローチと相補いあう、変数としてのカテゴリーの構成を追究する「代数学」的なアプローチが、民俗学史の研究において求められているという現状認識を掲げる。
清水, 昭俊
マリノフスキーは,「参与観察」の調査法を導入した,人類学史上もっとも著名な人物である。その反面,彼は理論的影響で無力であり,ラドクリフ=ブラウンに及びえなかった。イギリス社会人類学の二人の建設者を相補的な姿で描くこの歴史叙述は,広く受け入れられている。しかし,それは決して公平で正当な認識ではない。マリノフスキーがイギリス時代最後の10年間に行ったもっとも重要な研究プロジェクトを無視しているからだ。この論文で私は,アフリカ植民地における文化接触に関する彼の実用的人類学のプロジェクトを考察し,忘却の中から未知のマリノフスキーをよみがえらせてみたい。マリノフスキーは大規模なアフリカ・プロジェクトを主宰し,人類学を古物趣味から厳格な経験科学に変革しようとした。植民地の文化状況に関して統治政府に有用な現実的知識を提供する能力のある人類学への変革である。このプロジェクトは,帝国主義,植民地主義との共犯関係にある人類学のもっとも悪しき実例として,悪名高いものであるが,現実には,彼の同時代人でマリノフスキーほど厳しく植民地統治を批判した人類学者はいなかった。彼の弟子との論争を分析することによって,私は,アフリカ植民地の文化接触について人類学者が観察すべき事象とその方法に関する,マリノフスキーの思考を再構成する。1980年代に行われたポストモダン人類学批判を,おおくの点で彼がすでに提示し,かつ乗りこえていたことを示すつもりである。ラドクリフ=ブラウンの構造機能主義は,この新しい観点から見れぽ,旧弊な古物趣味への回帰だったが,構造機能主義者は人類学史を一貫した発展の歴史と描くために,マリノフスキーのプロジェクトの記憶を消去した。戦間期および戦後期初めの時期におけるマリノフスキーの影響の盛衰を跡づけよう。
山下, 博司
国語学者大野晋氏の所謂「日本語=タミル語同系説」は、過去十五年来、日本の言語学会やインド研究者たちの間で、センセーショナルな話題を提供してきた。大野氏の所論は、次第に比較言語学的な領域を踏み越え、民俗学や先史考古学の分野をも動員した大がかりなものになりつつある。特に最近では、紀元前数世紀に船でタミル人が渡来したとする説にまで発展し、新たなる論議を呼んでいる。 本稿では、一タミル研究者の視点に立ち、氏の方法論の不備と対応語彙表が抱える質的問題を指摘し、同系説を学問的に評価する上で障害となる難点のいくつかについて、具体的な事例に即しながら提示することにしたい。
李, 哲権
漱石文学の研究には、一つの系譜をなすものとして〈水の女〉がある。従来の研究は、このイメージを主に世紀末のデカダンスやラファエル前派の絵画との結びつきで論じてきた。そのために「西洋一辺倒」にならざるをえなかった。拙論は、それとはまったく異なるイメージとして〈水の属性を生きる女〉という解読格子を設け、それを主に老子の水の哲学や中国の「巫山の女」の神話との関連で考察する。 周知のように、漱石にとって文学は二つしかない。すなわち、「漢学に所謂文学」と「英語に所謂文学」である。彼はこの二種類の文学を「到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のもの」として認識している。それと同様、〈水の女〉と〈水の属性を生きる女〉は全く性質を異にする異種類のものである。西洋の〈水の女〉のテーマ系に属する〈水の女〉は固定化されたイメージしか持たない類型的なものである。それに対して、中国の〈水の女〉のテーマ系に属する〈水の属性を生きる女〉は「人間の女」である前に、「物質の女」であり、「変化を生きる女」である。 漱石は東西を知る教養人として、この二種類の〈水の女〉を見渡せる高みを有している。そして、その高みから自分の独創性を編み出している。したがって、その独創性には一つの訣別、一つの放棄が含意されている。つまり、これから描く女を徹底的に〈水の女〉として描くことで、従来の慣習的なやり方――女を「人間の女」として描くことに別れを告げること。つぎに、そうすることで西洋伝来の古典的で排他的な手法――「人間の属性」という経験的所有の産物なる心理や精神性を登場人物たちの体に注入することを放棄すること、である。その代わりに、水という物質が有している「動の原理」を彼女たちの行動を可能にするエネルギーとして配分してやること、漱石的エクリチュールが有している独創性はすべてそこから流出(Emanatio)してきている。ゆえに、彼女たちが如何なる言動に出るかは、その心理や意思とはまったく無関係である。むろん、作家の意思やプランともまったく無関係である。 ひとことで言えば、漱石的テクストは単なる文学作品ではなく、そのような書く行為が試行錯誤的に実践される場である。したがって、そのようなテクストとの遭遇によって可能になるわれわれの読む行為も、自ずとそこに刻印されたエクリチュールの痕跡や軌跡を踏査するものにならざるをえなくなるのである。
松田, 睦彦 Matsuda, Mutsuhiko
小稿は柳田国男の1910年代から1930年代の論考を紐解くことによって,当時の「生業」研究の目的と手法を再確認し,その可能性の一端を示そうとするものである。一般的な柳田の民俗の資料分類の理解では,今日の生業に関わる分野は第一部の有形文化に分類され,第三部の心意現象に比して研究の中心とはならなかったとされる。また,農政学に「挫折」した柳田が,農政学との距離を図るために,故意に「生業」研究を矮小化したという意見も見られる。しかし,民俗学成立期の柳田の論考を検証してみると,その理解が改められなければならないことは明白である。柳田は1910年代から農政学を離れ,民俗学という新たな学問の確立に邁進するが,そこでは農政学時代からの「生業」に対する視点が継承され,より同時代的なものへと深化した。その過程は,『都市と農村』等の論考から読み取ることができる。柳田の「生業」研究の眼目は,農民の抱える同時代的な問題を,彼らの今日までの生活の歴史と,彼らが築き上げてきた生活観念の理解を通して解決に導くと同時に,農民たち自身が自己省察するに至らしめることにあった。この目的を果たすためには,官界や学界の指導を上から押し付ける農政学という手法は適さなかった。そこで柳田自身が新たに興したのが民俗学というフィールドであった。つまり,民俗学の成立の一端に,柳田の「生業」へのまなざしの深化が関わっているのである。今日の生業研究と柳田の「生業」研究とは位相を異にするものである。けれども,あるいは,だからこそ,隣接諸分野との協業のなかで発展し続ける今日の生業研究が,民俗学としての論理と理念とを再確認する上で,柳田の「生業」研究から学び得ることは多いはずである。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
本稿は,本誌12号に掲載した筆者の論考(朱京偉2002)の後を受け,明治初期以降,つまり,西周と『哲学字彙』初版以降の哲学用語と論理学用語の新出語を特定し検討することを目的とする。そのために,考察の範囲を明治期の哲学辞典類から哲学書と論理学書に拡大して,選定した31文献の範囲で用語調査を行い,個々の用語の初出文献をつきとめた。また,新出語の特定にあたり,抽出語を「哲学書と論理学書共通の用語」と「哲学書のみの用語」「論理学書のみの用語」に3分類した上,その下位分類として,さらに,「出典なし」「『漢詞』未見」「出典あり」「新義・分立」の4タイプに振り分けた。それぞれの所属語の性質を検討した結果,明治初期以降の新造語として,191語をリストアップしておいた。ただし,本稿で用いた方法は,哲学と論理学にしか使われない専門性の強い用語については,その初出例を求めるのに有効であるが,一方,哲学と論理学以外でも使われるような汎用性の高い用語については,哲学書と論理学書の範囲で初出例が明らかにされたとはいえ,他の分野でも使われている可能性があるため,今後は,その初出例の信憑性を検証しなければならない。
金, 孝珍
本研究では、日本語コミュニケーションにおいてスピーチレベルが非対称的に運用される現象に着目し、接触場面と母語場面における相互行為、及びそれによって形成されるコンテクストの特徴について比較考察を行った。さらに接触場面のスピーチレベル運用に影響を与える言語的・文化的要素について解明することを試みた。 分析対象は、場の性質や対話者間の関係(すなわち年齢差、社会的地位の差、性差などの要因)を考慮したスピーチレベル運用によって、コンテクスト化が活発に行われる成人二者間の初対面会話とし、母語場面と接触場面の会話を収集した。研究手法及び比較考察の理論的枠組みは、異文化間コミュニケーションにおけるコンテクスト化のプロセスや会話の推論についての解釈的枠組みを打ち立てたJohn Gumperz(1982)の「相互行為の社会言語学」、及びコンテクストを「言語使用者が継続して携わっているところの、ダイナミックに変化するコミュニケーションの状況や経験を現在進行形で表すもの」と捉えるTeun A、 Van Dijk(2008・2009)の「コンテクストモデル論」を拠り所とした。 分析の結果、母語場面における同性間の会話では、初対面であっても年齢差や立場の差が意識されやすく、スピーチレベルの掛け合いや非対称的なスピーチレベル運用が生じやすいことが分かった。異性間の会話では年齢差やスタンスの差の影響は顕著ではなく、初対面という心理的距離と性差がスピーチレベル運用を左右する決定的な要因であることが明かになった。一方、接触場面会話における非対称的なスピーチレベル運用の様子は母語場面とは異なり、必ずしも年齢差や性差、スタンスの差に起因するわけではなかった。その背景には、伝わりやすいことば遣い、分かりやすい日本語、助け舟といった仕方で顕在化する対話者間の言語的・認識的地位の差、及び対等なスタンスへの志向、母語話者と非母語話者という成員カテゴリー、非母語話者の日本語能力やスピーチレベル運用の仕方といった異文化性に応じて変容したコンテクストモデルがあることが示された。さらに、非母語話者のスピーチレベル運用についての解釈は、非母語話者の言語文化的背景の影響を受ける一方で、個々人のコンテクストモデルによって多種多様であることが明かになった。また、スピーチレベル運用についての解釈の相違が異文化間のミスコミュニケーションを引き起こす要因になり得るということが示唆された。
阿満, 利麿
死後の世界や生まれる以前の世界など<他界>に関心を払わず、もっぱら現世の人事に関心を集中する<現世主義>は、日本の場合、一六世紀後半から顕著となってくる。その背景には、新田開発による生産力の増強といった経済的要因があげられることがおおいが、この論文では、いくつかの思想史的要因が重要な役割を果たしていることを強調する。 第一は、儒教の排仏論が進むにつれてはっきりしてくる宗教的世界観にたいする無関心の増大である。儒教は、現世における倫理を強調し、仏教の脱社会倫理を攻撃した。そして、儒教が幕府の正統イデオロギーとなってからは、宗教に対して無関心であることが、知識人である条件となるにいたった。 第二の要因は、楽観的な人間観の浸透である。その典型は、伊藤仁斎(一六二七―一七〇五)である。仁斎は、正統朱子学を批判して孔子にかえれと主張したことで知られている。彼は、青年時代、禅の修行をしたことがあったが、その時、異常な心理状態に陥り、以後、仏教を捨てることになった。彼にとっては、真理はいつも日常卑近の世界に存在しているべきであり、内容の如何を問わず、異常なことは、真理とはほど遠い、と信じられていたのである。また、鎌倉仏教の祖師たちが、ひとしく抱いた「凡夫」という人間認識は、仁斎にとっては遠い考えでもあった。 第三は、国学者たちが主張した、現世は「神の国」という見解である。その代表は、本居宣長(一七三〇―一八〇一)だが、現世の生活を完全なものとして保障するのは、天皇支配であった。なぜなら天皇は、万物を生み出した神の子孫であったから。天皇支配のもとでは、いかなる超越的宗教の救済も不必要であった。天皇が生きているかぎり、その支配下にある現世は「神の国」なのである。 しかしながら、ここに興味ある現象がある。儒教や国学による激しい排仏論が進行していた時代はまた、葬式仏教が全国に広がっていた時期でもある。民衆は、死んでも「ホトケ」になるという葬式仏教の教えに支えられて、現世を謳歌していたのである。葬式仏教と<現世主義>は、楯の両面なのであった。
森茂, 岳雄
国立民族学博物館における教育活動の歩みを概観するとともに,特に博学連携の本格的取り組みの開始となった,「民博を活用した学習プログラムの開発」,およびそれに続く「博学連携教員研修ワークショップ」の取り組みを中心に,その成果と課題について論ずる。またそれらの取り組みが,学校という公共空間における教育実践の創造への人類学者の「関与」と,教師・教育研究者との「協働」の事例であり,教育の公共人類学にむけた実践であることを指摘した。
Nobuta, Toshihiro
本稿のキーワードである「市民社会」という概念は,東西冷戦終結後,グローバル化の波と共に地球規模に展開している。このようなグローバルに展開する「市民社会」,すなわち「グローバル市民社会」は,近年,人類学が伝統的にフィールドとしてきた周辺地域にまで拡がってきている。21 世紀に入ると,人類学的フィールドにおける「市民社会」的な空間が拡大し,人類学者はしばしばフィールドで「市民社会」的な現象に遭遇するようになってきている。それと同時に,人類学者は,フィールドに現れた「市民社会」の諸アクターが提示する同時代的なテーマに目を奪われるようになっている。本稿では,フィールドでしばしば遭遇する「市民社会」的な現象に対して人類学者がどのようにアプローチしているのかを,マレーシアの先住民運動を対象としたフィールドワークの事例をもとに明らかにする。さらに,わたし自身が経験したマレーシアのローカルNGO との遭遇の事例を手がかりにして,マクロな視点というよりもむしろミクロな視点から「市民社会」のグローバルな展開が人類学的フィールドに与えるインパクトについて考察を試みる。
石田, 一之 Ishida, Kazuyuki
本稿は、ドイツ語圏における新自由主義の基盤を形成した論者のなかで、みずからの主張を歴史-文化社会学の視点から基礎づけようとしたアレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)の代表著作『現代の位置づけ』並びにその他の著作の検討を通して、歴史-文化社会学的立場に立脚した視点から人間の自由、並びに彼の主要概念である支配を考察し、それとともに、現代における人間の文化的・社会学的状況に関して実質的自由の視点から重要な示唆を得ようとするものである。
Yogi, Minako 與儀, 峰奈子
会話分析あるいは談話分析とよばれる研究領域には様々なアプローチが存在し、それぞれの手法でいわゆる文法を越えたより広いレベルを研究対象にしている。特に組会言語学者や言語人類学者の行う会話分析/談話分析では、実際の会話が録音され、その詳細が言謎・分析される。そして会話参加者によるコミュニケーション活動がどのような特質を持ち、いかなる影響を受け、どのような効果を生み出すのか、などが研究される。会話/談話に対するこのようなアプローチは多くの成果を上げ、母国語話者(特に英語母国語話者)の談話能力及び談話構造の解明に多大な貢献をしてきた。本稿では、英語を母国語としない話者の英語による会話の記述・分析を行った。分析対象としたのは日本人女性同士の会話と、日本人女性と台湾人男性による会話、及びアメリカ人男性同士の会話で、いずれも1991年に米国ミシガン州にて録音されたものである。協力して頂いた日本人女性2人と台湾人男性は、録音当時3年から5年のアメリカ滞在経験を持つ大学院生で、比較的高い英語運用能力を有する話者であった。会話における個々の発話(utterance)はそれぞれ重要な機能を担っている\nと考えられるが、本稿では特に話題変換のbpic Change)、割り込み(interruption)/重複(overlap) 、会話物語(narrative) の3つの観点に絞り考察を行った。話題変換が生じているところでは、漸進的話題権移(topic shade sequence)や相互交渉的及び一方的話題推移(collaborative and unilateral topic transitions)が観察された。 また、話題変換を示すために格言的結論(aphoristic conclusion)や沈黙(silence)が使用されている例もあった。割り込み(interruption)/重複(overlap)は多くの研究では同時発話(simultaneous speech)の一種と捉えられ形式面を重視した定義がなされているが、本稿ではMurray (1985) の心理的側面を重視した特徴付けを採用した。分析したデータの中には、2人の会話参加者が全く同時に同じことを発する例や、先行発話の終了を待たずに次の話題に移行する割り込みの例等が観察された。会話物語に関してはLabov (1972)の分類に従って分析した。Labovによると会話物語は、話の概要(abstract)・話の場、時、登場人物(orientation)・話の中に出てくる出来事(complicating action)・その出来事の評価(evaluation)・その出来事の結末(resolution)・話の終結(code)の6つの要素から構成される。最初にどのような話であるか宣言され、いつ、どこで誰が登場するかが提示され、実際どのような出来事が起こり、どう決着がついたのかが述べられ、最後に終結の表現が加えられる。今回分析した会話物語にも同様の要素が観察された。本稿で取り上げた3点に関する限り、英語を母国語としない話者でも運用能力が比較的高ければ、英語母国語務者の会話と同じような特徴が観察された。この結果に基づき、さらにより効果的なコミュニケーショシ活動を可能にするため、会話分析・談話分析で得られた知見を英語教育でも活用すべきであることを示唆する。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行われてきた、幾つかの系統の研究を整理し(文化人類学的地域性論、地理学的地域性論、歴史学的地域性論)、この「地域性」概念の混乱が研究を阻害してきたことを明らかにし、解釈に混乱の余地のない「地域差」から研究をはじめるべきだとした。この地域差とは何か、何故地域差が生ずるのかという命題に関し、それまでの「地域差は時代差を示す」とした柳田民俗学に対する反動として、一九七〇年代以降、その全面否定の下で機能主義的な研究が展開してきたこと(個別分析法や地域民俗学)、しかしそれは全面否定には当たらないことを明らかにし、柳田民俗学の伝播論的成果も含めた、新たな解釈モデルとして、文化の受容構造論を提示した。その際、伝播論を地域性論に組み替えるために、かつての歴史地理学的な民俗学研究や文化領域論の諸理論を再検討するほか、言語地理学や文化地理学などの研究動向や研究方法(資料操作法)も参考にした結果、必然的に自然・社会・文化環境に対する適応という多系進化(特殊進化)論的な傾向をとるに至った。すなわち地域性論としての文化の受容構造論的モデルとは、文化移入を地域社会の受容・適応・変形・収斂・全体的再統合の過程と把握して、その過程と作用の構造を分析するもので、さらに社会文化的統合のレベルという操作概念を用いることによって、近代化・都市化の進行も視野に含めた、一種の文化変化の解釈モデルであるともいえよう。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
本稿はC・ギアツの解釈人類学的理論を沖縄の大学生向けに解説するための教育的エッセイである。ギアツの解釈人類学は今日の文化人類学において様々なパラダイムの基礎と考えられるものであり、是非理解しておくべきものである。本稿ではゼンザイ、桜、ブッソウゲ、雲南百薬、ニコニコライス、墓、巫者といった沖縄・奄美の身近な事例を検討することでその理論を理解させる目的をもっている。
上田, 真 UEDA, Makoto
川端康成の作品には、未完のものや終結感の弱いものが多く、それが川端文学のひとつの特長になっているほどであるが、これは何に由来し、また作品の解釈と評価の上でどう扱うべきものであろうか。本稿はこの問題を取り上げ、作品最終部の推敲過程を観察し分析することによって、川端のもっていた「終わり」の感覚を明らかにしようとする試みである。具体例としては、終結感の弱い「駿河の令嬢」と「愛」を先ず取り上げ、次に終結感が比較的強い「少年」と『雪國』を検討した後、両者の中間に位置すると思われる『千羽鶴』『波千鳥』について終結部を考察し、更にそれらをまとめて一応の結論を出してみた。結局、川端文学における未完性は、当然のことながら、作者のもっていた文学観ひいては人生観に深くかかわってくる。中でも人間心理の不可解さとか、自然のいとなみの奥深さとか、純粋の美のとらえ難さとかについて、川端は極めて慎重な姿勢を持していたが、それが彼の作品における終結感と関連しているように思われるのである。
長田, 俊樹
1995年7月、辻惟雄教授(当時)の主催する「奇人・かざり研究会」で「石濱シューレ・露人日本学者・言語学界三大奇人」と題して発表したが、論文にまとめる機会がこれまでなかった。そこで、小論はその発表に、最近の研究成果を盛り込んでまとめたものである。 石濱純太郎(1888~1968)は大変有名な東洋学者であるとともに、大阪東洋学会、静安学社、大阪言語学会などを主催し、こうした研究会を通して、石濱の周りには多くの研究者が集まった。小論では、これを「石濱シューレ」と呼び、そこに集った人々がどんな人で、何を研究してきたのかに焦点をあてる。 小論では、これまでの石濱研究で論じられることがなかった、次のような点を指摘している。1)石濱が大阪東洋学会の創設から4年後には別組織である静安学社へと新たな研究会を立ち上げた理由、2)大阪言語学会の活動内容、3)戦後の浪華芸文会やウラル・アルタイ学会の活動内容など、これら3点を中心に、亡父・長田夏樹の残したハガキや雑誌資料などを丁寧に掘り起こして、その実態に迫っている。偶然の産物なのか、言語学会三大奇人と呼ばれる人々は、いずれも石濱シューレに集った人であったが、石濱の周りに集う奇人たちについても触れている。また、奇人として名高い、ロシア人日本語研究者ポリワーノフにも触れている。 結論として、石濱が成し遂げた功績はこうした学会、研究会を通して、ネットワークを構築したことであり、そのネットワークはロシア人研究者や中国人研究者を巻き込んだ国際的なものであったことである。昭和の初期にこうした国際研究者ネットワークを構築したのは、製薬会社の資金で文献を集め続けて、それら文献を研究者に供給し続けた石濱でしか成し得なかったであろう。
川村, 清志 小池, 淳一
本稿は,民俗学における日記資料に基づく研究成果を概観し,その位置づけを再考することを目的とする。民俗学による日記資料の分析は,いくつかの有効性が指摘されてきた。例えば日記資料は,聞き取りが不可能な過去の民俗文化を再現するための有効な素材である。とりわけ長期間にわたって記録された日記は,民俗事象の継起的な持続と変容を検証するうえでも,重要な資料とみなされる。さらに通常の聞き取りではなかなか明らかにし得ない定量的なデータ分析にも,日記資料は有用であると述べられている。確かにこのような目論見のもとに多くの研究が行われ,一定の成果が見られたことは間違いない。ただし日記を含めた文字資料の利用は,民俗学に恩恵だけをもたらしてきたとは,一概にはいえない。文字資料への過度な依存は,民俗学が担ってきた口承の文化の探求とそこで紡がれる日常的実践への回路を閉ざしかねないだろう。そこで本稿では,これまで民俗学が,日記資料とどのように向かい合ってきたのかを問い直すことにしたい。民俗学者が,日記資料からどのようなテーマを抽出してきたのか,また,それらはどのような手順を踏むものだったのか,そこでの成果は,民俗学に対して,どのような展開をもたらし得るものであったのかを検証していく。これらの検証を通して,本論では日記研究自体が内包していた可能性を拡張することで,民俗学の外延を再構成し,声の資料と文字資料との総合的な分析の可能性を指摘した。
木田, 歩 KIDA, Ayumi
人類学・民族学における学術的資料が、2000 年に上智大学から南山大学人類学博物館に寄贈された。これらは、白鳥芳郎を団長とし、1969 年から1974 年にかけて3 回おこなわれた「上智大学西北タイ歴史・文化調査団」が収集した資料である。本報告では、まず、調査団の概要について、白鳥による研究目標をもとに説明し、次に寄贈された資料を紹介する。最後に、今後の調査課題と研究の展望について提示する。
鈴木, 寿志
令和4年度に国際日本文化研究センターにおいて共同研究「日本文化の地質学的特質」が行われた。地質学者に加えて宗教学・哲学・歴史学・考古学・文学などの研究者が集い,地質に関する文化事象を学際的に議論した。石材としての地質の利用,生きる場としての大地,信仰対象としての岩石・山,文学素材としての地質を検討した結果,日本列島の地質や大地が日本人の精神面と強く結びつき,文化の基層をなしていることが示唆された。変動帯に位置する日本列島では地震動や火山噴火による災害が度々発生して人々を苦しめてきたが,逆に変動帯ゆえの多様な地質が日本文化のあらゆる事象へと浸透していったとみられる。
梶原, 滉太郎 KAJIWARA, Kōtarō
日本において<天文学>を表わす語は奈良時代から室町時代までは「天文」だけであった。しかし,江戸時代になると同じ<天文学>を表わす語として「天学」・「星学」・「天文学」なども使われるようになった。そのようになった理由は,「天文」という語には①<天体に起こる現象>・②<天文学>の二つの意味があってまぎらわしかったので,それを解消しようとしたためであろう。そして,その時期が江戸時代であるのはなぜかといえば,江戸時代はオランダや中国などを通じて西洋の近代的な学問が日体に伝えられた画期的な時期であったからだと考えられる。また,「天学」は明治時代の中期に廃れてしまい,「星学」も大正時代の初期に廃れたのである。現代において「天文」は少し使われるけれども,ほとんど「天文学」だけが使われる。
森, 力 兼本, 清寿 Mori, Chikara Kanemoto, Kiyohisa
新学習指導要領において,「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」が示された。また,現職の教師との談話の中で,「算数の授業で,主体的に学ぶ子どもはどのようにすれば現れるのか」という問いが出て来た。本研究では,算数科において,「主体的に学ぶ子どもが現れるには,どのような工夫をするといいか」ということを課題とし,授業者のイメージする「主体的に学ぶ子どもの姿」を共有した。授業実践においては「主体的に学ぶ子どもの姿」を見取り,授業リフレクションにおいては,事前にイメージした子どもの姿と比較しながら子どもの姿を共有し,授業構想を見直してきた。その結果,「解法及び答えが明確でない問題を提示する」「数学的な見方を促す操作的活動を取り入れる」といった工夫を行った授業については主体的に学ぶ子どもの姿が数多く見られた。本稿は,「主体的に学ぶ子どもの姿」に基づく算数科の授業づくりのあり方について考察を中心に報告するものである。
Nobayashi, Atsushi
本稿では,台湾原住民族のパイワンが行なってきた狩猟活動の遺跡化を考察した。具体的には,罠猟によって実際に捕獲されたイノシシの下顎骨を動物考古学における基本的な手法によって定量的に分析すると同時に,罠猟の具体についての観察,記録を行ない,人間の行動とそれによって生じる潜在的な考古学資料との関係を明らかにした。考古学資料は様々な手法を用いて分析することはできても,その結果を解釈するためには,かならず解釈の材料となるモデルが必要となる。本研究が提示するデータ及びその解釈は,同様な出土遺物をもつ遺跡の機能や過去の行動を解釈する際に有効な民族考古学的モデルとなる。
岡田, 浩樹 Okada, Hiroki
この論文の目的は,近年盛んになりつつあるかのように見える「老人の民俗学」という問題設定に対する一つの疑問を提示することにある。はたして「老人の民俗(文化)」という対象化が有効なのかを,比較民俗学(人類学)の立場から検討する。その際に韓国の事例を取り上げることにより,老人の民俗学の問題点を明らかにする方法をとる。今日においても韓国社会では,儒教的な規範が人々の行動を強く規定し,敬親の意識や儀礼的な孝の実践が強調されている。いわば老人が明確な社会的カテゴリーとして意味をもち,加齢や老いが価値をもちうる社会である。今日でも盛んに行われる還暦(還甲)儀礼は,いわば個人が老人という社会的カテゴリーに移行する通過儀礼となっており,明確な「老人」というカテゴリーを可視化する装置となっている。にもかかわらず,韓国においても「老人の民俗学」という問題領域は成立していない。同時に韓国においても「老人」が相対的なカテゴリーであることを示した。日本における「老人の民俗学」の展開を検討すると,その問題提起自体にある種の戦略的言説が込められている。つまり民俗学が近代以降における否定的な「老人」のイメージを覆すことで,高齢化を迎えつつある現代日本社会になにがしかの寄与をおこなうことができるという言説である。しかし人口統計学的に見ると,近代以前にはイメージとしての老人は存在しても,「民俗」を共有するような実体的な老人のカテゴリーが成立していないことが明らかである。したがって,近代以前の老人を今日まで連続するような実体的なカテゴリーとし,そこに「民俗」を見いだす「老人の民俗学」に対する疑問を提起した。
Ito, Atsunori
民族学博物館は展示活動以外にも研究成果の社会還元を目的とする催事を開催する。国立民族学博物館での「研究公演」はその一つで,「世界の諸民族の音楽や芸能などの公演をとおして,文化人類学・民族学に関する理解を深め」ることが目的とされる。筆者は通算80 回目の研究公演「ホピの踊りと音楽」(2012 年3 月20 日)の企画と実務と交渉を担当した。本稿ではその経験をもとに,「季節の踊り(ソーシャルダンス)」と称される米国南西部先住民ホピの儀礼の組織化と実施に関する民族誌的知見をちりばめながら,公演にまつわる具体的な実務と交渉の流れをドキュメンテーションするとともに,同時代を生きる招聘者と招聘元の博物館との間で交わされる対話として物語化する。そしてこの物語を素材として,国立民族学博物館において外国人招聘を伴う催事を実施する意義を「フォーラムとしてのミュージアム」という観点から考察する。
桑山, 敬己
本論は,アメリカ人類学の研究および教育動向を,教科書の記述の変化を通して検討する。ケーススタディとして,Serena Nanda著Cultural anthropologyの旧版と新版を取り上げる。新版の新たな特徴として,インターネットの使用,グローバリゼーションおよびジェンダーの議論がある。ポストモダニズムの影響も強く,特に認識論,民族誌の書き方,文化の概念,政治権力,芸術の章に著しい。但し旧版の進化論的アプローチも残されており,従来の「大きな物語」とポストモダニズムが共存するという理論的矛盾が見られる。またアメリカの人類学を全世界の人類学と同一視するのも問題である。こうした欠点は他の教科書にも見られる。今後はより体系的な教科書分析を行ない,異文化としてのアメリカ人類学に迫る試みが望まれる。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
近年,民俗学をとりまく人文・社会科学の世界において,パラダイムの転換が見られるようになっている。それは,たとえば,個人の主体性に重きを置かない構造主義的な人間・社会認識に対する批判と乗り越え,「民族」「文化」「歴史」といった近代西欧に生まれた諸概念の脱構築,他者表象をめぐる政治性や権力構造についての批判的考察の深まりといった動きである。民俗学も,人間を対象に「民族」「文化」を問題としてきた学問であり,こうした動きとは無関係でいられないはずである。しかしながら現実には,このような動向は民俗学において参照されることがほとんどなく,自己完結的な閉じられた言説空間において,個々の研究者が自らの狭いテーマの研究に明け暮れてきたというのが一般的な状況である。本稿では,こうした現状を打破し,新たな民俗学パラダイムの構築へ向けての試論を展開する。具体的には,「標本」としての「民俗」の形式ばかりを問題にし,また論理的,実証的な反省の手続きを伴わずに「民族文化」や「日本文化」といったイデオロギー的言説の生産に向かってきた従来の民俗学に対して,「生身の人間が,自らをとりまく世界に存在するさまざまなものごとを資源として選択,運用しながら自らの生活を構築してゆく方法」としての〈生きる方法〉に注目した新しい民俗学を提唱し,その大要を提示する。民俗学は,「標本」研究を目的とするのでもなければ,「民族文化」や「日本文化」といったイデオロギーの構築に向かうのでもなく,人々の〈生きる方法〉を,現実に生きている人々のあいだにおいて問う学として再生させられるべきであり,この新しい民俗学では,人々の〈生きる方法〉を明らかにすることによって,人間の生のあり方の多様性や,人間の生と環境や社会との関わりについて,従来の人文・社会科学で行なわれてきたものとは異なる解釈を提供することが可能になるものと予測されるものである。
中村, 完 国吉, 和子 島袋, 恒男 名城, 嗣明 Nakamura, Tamotsu Kuniyoshi, Kazuko Shimabukuro, Tsuneo Nashiro, Shimei
島袋, 恒男 井村, 修 Shimabukuro, Tsuneo Imura, Osamu
島袋, 俊一 Shimabukuro, Shun-ichi
この報文は沖縄に関係ある日本植物病理学者13氏即ち平塚直治、宮城鉄夫、平塚直秀、岡本弘、内藤喬、平良芳久、向秀夫、藤岡保夫、宇都敏夫、平塚利子、小室康雄、村山大記、日野厳の各氏につき御来島時期と滞島期間、沖縄に関係のある植物病理学上の文献などについてのべた。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
山崎, 剛 YAMAZAKI, Go
南山大学人類学博物館は、2000 年に上智大学より西北タイに関するコレクションの寄贈を受けた。このコレクションには、西北タイの生活に関わる資料だけでなく、多くの写真資料が含まれている。この報告では、特に人類学的資料として、これら写真資料についての解説をおこなう。
福田, アジオ Fukuta, Azio
日本の民俗学は柳田國男のほとんど独力によってその全体像が作られたと言っても過言ではない。従って、民俗学のどの分野をとってみても、柳田國男の研究成果が大きく聳え立っており、現在なお多くの研究分野は柳田國男の学説に依存している。民俗学の研究成果として高く評価されることの多い子供研究も実は大部分が柳田國男の見解を言うのであり、柳田以降の民俗学を指してはいない。そのような高く評価され、実証済みの事実かのように扱われる柳田國男の見解を整理し、問題点を指摘し、それに続いて柳田以降の民俗学の研究成果も検討した。柳田國男の子供理解は大きく二つの分野に分けられる。一つは子供の関係する行事や彼等の遊びのなかに遠い昔の大人たちの信仰の世界を発見するものである。子供を通して大人の歴史を明らかにする認識である。これは手段として子供を位置づけていることになる。この子供を窓口にして大人の過去を見る場合は、「神に代りて来る」という表現に示されるように、例外なく信仰、さらには霊魂観と結びつけて解釈している。もう一つの柳田の子供研究の世界は「群の教育」という表現に示される。群の教育は近代公教育を批判するものとして注目され、教育学系統の人々から高く評価される視点であり、柳田以降にもほとんど疑われることなく継承されてきた。しかし、この視点は子供を教育の対象と見るもので、大人にとって望ましい一人前に育てる教育に過ぎない。民俗学はこれら柳田國男の呪縛から解放されなければ新たな研究の進展は見られないことは明白である。子供を大人から解放して、子供それ自体の存在を分析し、子供を理解することによって新たな民俗学の研究課題は発見されるであろう。
飯田, 経夫
ケインズ経済学と大衆民主主義とが「野合」するとき、深刻な事態が生じる。大衆民主主義下で、得票極大化行動を取らざるを得ない政治家は、選挙民に「迎合」するために、たえず政府支出を増やすことを好み、その財源たる税収を増やすことを好まない。したがって、財政規模の肥大化と、財政赤字を生み出す大きな原因である。これらは大衆民主主義の本質的な欠陥であり、その是正策は、基本的には存在しない。このきわめて常識的な点を、経済学者(や政治学者)は、これまで十分に議論してきたとはいえない。
森岡, 正博
二十世紀の学問は、専門分化された縦割りの学問であった。二十一世紀には、専門分野横断的な新しいスタイルの学問が誕生しなければならない。そのような横断的学問のひとつとして、「文化位相学」を提案する。文化位相学は、「文化位相」という手法を用いることで、文化を扱うすべての学問を横断する形で形成される。 本論文では、まず、学際的方法の限界を克服するための条件を考察し、ついで「文化位相」の手法を解説する。最後に「文化位相」の手法を用いた「文化位相学」のアウトラインを述べる。
池上, 大祐
本稿は、教員養成を意識した大学における歴史教育の在り方を考察することを目的とする。具体的には、琉球大学歴史学講義科目「歴史総合」を事例に、非教育学部系における歴史学専門カリキュラム構成、科目特性、講義内容、講義方法、講義に対する学生の反応を分析する。2022年度から新高等学校学習指導要領にもとづき、知識・技能、思考力・判断力、主体的に学びに向かう姿勢といった、いわゆる「学力の三要素」を涵養する「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が順次新設されることを受けて、これらの新科目を担当できる教員の資質とは何かを、教員養成課程を設置している歴史学専門教育はどのような講義構成の工夫が必要になるのか、改めて考察する必要があることを指摘する。
裵, 炯逸
植民地状況からの解放後の大韓民国において、その「朝鮮(Korea)」という国民的アイデンティティが形成される過程のなかで、学問分野としての考古学と古代史学は、重要な役割を果たしてきた。しかしながら、その学問的遺産は、二〇世紀初頭に朝鮮半島を侵略し、植民地として支配した大日本帝国の植民地行政者と学者によって形成されたものでもあった。本稿は、朝鮮半島での「植民地主義的人種差別」から、その後の民族主義的な反日抵抗運動へと、刻々と移り変わった政治によって、朝鮮の考古学・歴史理論の発展が、いかなる影響を被ったのかについて論じるものである。
西本, 豊弘 Nishimoto, Toyohiro
日本では,動物考古学の方法について,やさしく説明したものはない。そこで,ここでは,これから骨の分類を試みようとする学生や研究者を対象として,動物遺体の分類方法とその注意事項をまとめておくこととした。まず,動物遺体の同定の基本となる現生標本の作り方を紹介した。次に,部位・種名・雌雄・年齢の同定方法および,骨の大きさ・骨の病変・骨の損傷・加工の有無など観察すべき項目をあげた。そして,報告の記載をする時に必要な,骨の左右や存在する部分の記録など,データの表示方法にも触れた。最後に同定の方法や採集方法が,動物遺体の解釈に大きく影響することを指摘した。動物考古学の基礎は,骨の同定である。動物の骨を同定する時に必要な「道具」は,現生標本である。それと同時に,その動物が生まれてから老成するまでの骨の形についての「イメージ」を持つことが重要である。そのイメージがきちんと形成されていないと同定ミスが起こることになる。同定ミスは,自分が気がつかずに起こることが多い。同定ミスを防ぐには,自分が確信を持てないものは同定しないという謙虚さが必要である。その点から言えば,動物考古学にとって,もっとも要求されることは,すべての学問と同様に,事実に対する謙虚さである。そして,動物考古学の遂行には,動物考古学者の中だけではなく,他の考古学者との協力が不可欠である。共同研究の上に成り立っているのが動物考古学であると言える。
藤田, 義孝
サン= テグジュペリが地球と人間のあり方を新しい視点で捉える上で飛行機が大きな役割を果たしたことはよく知られているが,当時の地質学もまた作家の自然観・人間観の形成に寄与したのである。『夜間飛行』(1931 年)にはウェゲナーの提唱した大陸移動説の知識が見て取れるし,『人間の大地』(1939 年)には地質学的考察が主となるエピソードが存在している。本研究では,これらの作品の記述を分析した後,『星の王子さま』(1943 年)を視野に入れてサン= テグジュペリの自然観と人間観を概観し,地質学の知見が彼の思想と文学に何をもたらしたかを検討する。 検討の結果,サン= テグジュペリが伝統的な自然観を更新し,人新世を寓意的に予告することができたのは,地質学の知見によるところが少なくないと分かった。というのも,地質学は,大地の観察を通じて見えない深層に迫る学問であり,その点で「見えるものを通して見えない本質を見る」という作家の主要テーマと軌を一にするからである。
Takezawa, Shoichiro
19 世紀なかばのフランスでは,ブロカに率いられた人類学派が発展し,学界を超えて強い社会的影響をもった。それは,人間の頭蓋や身体各部位を計測し,一連の数字にまで還元することで,人びとを絶対的な人種の境界のあいだに分割することをめざした人種主義的性格の強い人類学であった。この人類学が当時のフランスで広く成功した理由は,産業革命が進行し,教会の権威が失墜した19 世紀なかばのフランスで,新しい自己認識と世界理解を求める個が大量に出現したことに求められる。こうした要求に対し,ブロカ派人類学は数字にまで還元/単純化された世界観と,白人を頂点におくナルシスティックな自己像/国民像の提出によって応えたのであった。 1871 年にはじまるフランス第三共和制において,この人類学は,共和派代議士,新興ブルジョワジー,海軍軍人などと結びつくことで,共和主義的帝国主義と呼ぶことのできる新しい制度をつくり出した。この帝国主義は,法と同意によって維持される国民国家の原則に立つ本国と,法と同意の適用を除外された植民地とのあいだの不平等を前提とするものであったが,ブロカ派人類学は植民地の有色人種を劣等人種とみなす理論的枠組みを提供することで,この制度の不可欠の要素となっていた。 1890 年以降,新しい社会学を築きつつあったデュルケームは,ユダヤ人排斥の人種主義を批判し,人種主義と関連しがちな進化論的方法の社会研究への導入を批判した。かれが構築した社会の概念は,社会に独自の実在性と法則性を与えるものであり,当時の支配的潮流としての人種主義とは無縁なところに社会研究・文化研究の領域をつくりだした。しかし,ナショナリスティックに構築されたがゆえに社会の統合を重視するその社会学は,社会と人びとを境界づけ,序列化するものとしての人種主義を乗りこえる言説をつくりだすことはできなかった。 人種,国民国家,民族,文化,共同体,性などの諸境界が,人びとの意識のなかに生み出している諸形象の力学を明らかにし,その布置を描きなおしていく可能性を,文化/社会人類学のなかに認めていきたい。
伊藤, 幹治
本稿は,1957 年から1972 年にかけて,南西諸島でおこなったフィールド・ワークの回想記である。その当時の日本における民俗学と民族学の関係,日本本土と沖縄の比較研究の視点と方法,宗教と社会の構造的関連,エスニック・アイデンティティについて述べる。
永野 マドセン, 泰子 イェーテボリ大学文学部 Nagano Madsen, Yasuko
2010年3月に琉球大学の法文学部とイェーテボリ大学文学部の学部協定が結ばれ,学生3名の交換他の交流が行われる事になった。2006年に初めてにコンタクトを取った折に対応してくださった金城尚美先生,その後学部協定の世話人になってくださった小那覇洋子先生および狩俣繁久先生に感謝の意を表したい。本稿ではイェーテボリ大学の日本語学科を紹介すると共に,近年の学生交流の傾向や今後の課題についても触れてみたい。
瀬底, 正栄 Sesoko, Masae
学校での子どもたちの居場所は、自明のこととして在籍している学級であると考えられる。しかし、何らかの理由で居場所とならない状況が生起し様々な生きにくさを抱える子がいる。学校で居場所を求めていた子どもたちに対して担任等の複数の重要な他者が関わる過程で居場所の形成を行った事例を通して、学級が居場所として機能する要因を整理できると考える。また居場所を求める子どもと、学級経営を結びつける要素についても検討することで、個への対応から学級経営として必要とされる視点も整理できると考えられた。学級は様々な特徴のある子どもたちの居場所として日々機能しているが、物理的空間としての学級が心理的空間として質的変容をしていく過程には、担任を含む他者との関係性が重要であり、他者との関わりをもつことで自分や他者を確認していく様子がみられ、その延長に社会的居場所としての自分が存在し学校での生活世界が展開していくと考えられた。学級経営は、その過程の中に存在するものであり、結果としてかたちづくられていくものとして考えられ、安全基地としての担任と居場所形成の繋がりが重要な要素として示唆された。
柳村, 裕 YANAGIMURA, Yu
岡崎敬語の「丁寧さ」のレベルについて,第3次調査の結果を加えることで明らかになった敬語の大きな変化傾向を報告する。丁寧さが3回の調査を通して数十年にわたって増加し,特に第3次調査で大幅に増加したことが分かった。1940年代前後に生まれた人たちは,3度の調査の対象になったが,半世紀経って丁寧さを増やしている。「成人後習得(late adoption)」が丁寧さでも認められた。これは実時間(real time)による。一方,3回の調査すべてで,世代差という見かけの時間(apparent time)で,中年層以上が丁寧で,若年層はぶっきらぼうという傾向が見られる。また,場面による使い分けについては,依頼関係の有無という個人間の心理的関係に左右されるようになってきたことが読み取れた。さらに,話者の社会的属性と丁寧さの関係については,どの時代においても,女性の丁寧さが高く,学歴が高いほど丁寧さが高いことが分かった。そして,これらの話者属性は丁寧さの経年変化とも密接に関わることが分かった。すなわち,丁寧さの増加を牽引するのは男性であり,また,学歴の高い話者の割合が増加する高学歴化によって,全体の丁寧さが増加したと解釈される。
菅, 豊 Suga, Yutaka
柳田国男は,民俗学における生業・労働研究を狭隘にし,その魅力を減少させた。それは,民俗学の成立事情と大きく関わっている。その後,民俗学を継承した研究者にも同様の研究のあり方が,少なからず継承される。しかし,1980年代末から90年代にかけて,新しい視点と方法をもって,旧来の狭い生業・労働研究の超克が模索された。この模索は,「生態民俗学」,「民俗自然誌」,「環境民俗学」という三つの大きな潮流に区分できる。「生態民俗学」は,野本寛一により提唱された。それは,便宜的な項目やテーマが実態視されるようになって,研究分野として拡散してしまった従来の民俗誌(民俗報告書)の枠組みを壊すものとして評価される。それは,自然を軸として,民俗事象相互の関係や,その連続性のダイナミズムに関心を払いながら再統合することにより,本来の民俗誌をあるべき姿へと回復させる。「民俗自然誌」は,篠原徹により提唱された。それは,従来の民俗学が前提として認めてきた伝承母体(集団)から,個人へ視点を転換させるものとして評価される。それは,従来の民俗学が頻繁に採用してきた,文化の深層や基層,あるいはエトノスへと安易に繋げる歴史還元主義に利用されてきた伝承を,現在理解の素材としての伝承へと実質的に回帰させる。「環境民俗学」は,鳥越皓之により提唱された。それは,民俗学自体に拘泥されない脱領域的な研究手法から,生活者の立場に立って実践を行う点において評価される。それは,民俗学が初発に保持していたはずの経世済民の思想に,民俗学を回帰させる役割を果たす。これら三つの研究の潮流は,生業や労働の理論や方法に関して,1990年以前のものよりも,圧倒的に質的な妥当性を保持している。
上地, 完治 村上, 呂里 吉田, 安規良 津田, 正之 浅井, 玲子 道田, 泰司 Uechi, Kanji Murakami, Rori Yoshida, Akira Tsuda, Masayuki Asai, Reiko Michita, Yasushi
本研究は、本学部教員養成課程の3年生を対象に実施した聞き取り調査をもとに、彼らが教育実習前に学部授業で学んだことで教育実習中に役立ったと感じたことや、実習前に学んでおきたかったことについて分析することによって、学部教員養成教育と教育実習との接続に関する問題点を明らかにし、学部教員養成教育のあり方を再構築するための手がかりを得ようとする試みの一環である。
上地, 完治 村上, 呂里 吉田, 安規良 津田, 正之 浅井, 玲子 道田, 泰司 Uechi, Kanji Murakami, Rori Yoshida, Akira Tsuda, Masayuki Asai, Reiko Michita, Yasushi
本研究は、本学部教員養成課程の3年生を対象に実施した聞き取り調査をもとに、彼らが教育実習前に学部授業で学んだことで教育実習中に役立ったと感じたことや、実習前に学んでおきたかったことについて分析することによって、学部教員養成教育と教育実習との接続に関する問題点を明らかにし、学部教員養成教育のあり方を再構築するための手がかりを得ようとする試みの一環である。
鈴木, 淳 SUZUKI, Jun
小宮山木工進昌世は、将軍吉宗に抜擢された逸材として、享保年間、代官に任じて令名を馳せたが、享保末年には、年貢の金穀延滞を責められて、罷免されるに至った。学芸家としては、和歌、有職学を京都中院家について修め、漢籍は太宰春台の門に学んでおり、雑史、随筆類から尺牘学にわたる、和漢の著述若干をなし、学芸史上特異な足跡を印した。本稿は、昌世の出生から、代官職を追われるまでの、前半生の年譜考証である。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
これまでの民俗学において,〈在日朝鮮人〉についての調査研究が行なわれたことは皆無であった。この要因は,民俗学(日本民俗学)が,その研究対象を,少なくとも日本列島上をフィールドとする場合には〈日本国民〉〈日本人〉であるとして,その自明性を疑わなかったところにある。そして,その背景には,日本民俗学が,国民国家イデオロギーと密接な関係を持っていたという経緯が存在していると考えられる。しかし,近代国民国家形成と関わる日本民俗学のイデオロギー性が明らかにされ,また批判されている今日,民俗学がその対象を〈日本国民〉〈日本人〉に限定し,それ以外の,〈在日朝鮮人〉をはじめとするさまざまな人々を研究対象から除外する論理的な根拠は存在しない。本稿では,このことを前提とした上で,民俗学の立場から,〈在日朝鮮人〉の生活文化について,これまで他の学問分野においても扱われることの少なかった事象を中心に,民俗誌的記述を試みた。ここで検討した生活文化は,いずれも現代日本社会におけるピジン・クレオール文化として展開されてきたものであり,また〈在日朝鮮人〉が日本社会で生活してゆくための工夫が随所に凝らされたものとなっていた。この場合,その工夫とは,マイノリティにおける「生きていく方法」「生存の技法」といいうるものである。さらにまた,ここで記述した生活文化は,マジョリティとしての国民文化との関係性を有しながらも,それに完全に同化しているわけではなく,相対的な自律性をもって展開され,かつ日本列島上に確実に根をおろしたものとなっていた。本稿は,多文化主義による民俗学研究の必要性を,こうした具体的生活文化の記述を通して主張しようとしたものである。
遠藤, 徹 Endo, Toru
現代日本の音楽学は欧米の音楽学の輸入の系譜をひく研究が支配的であるため、今日注目する者は必ずしも多くはないが、西洋音楽が導入される以前の近世日本でも旺盛な楽律研究の営みがあった。儒学が官学化し浸透した近世には、儒学者を中心にして、儒教的な意味における「楽」の「律」を探求する学が盛んになり独自の展開を見せるようになっていたのである。それは今日一般に謂う音楽理論の研究と重なる部分もあるが、異なる問題意識の上に展開していたため大分色合いを異にしている。本稿は、近世日本で開花していた楽律研究の営みを掘り起こす手始めとして、京都の儒学者、中村惕斎(1629~1702)の楽律研究に注目し、惕斎が切り拓いた楽律学の要点と意義を試論として提示したものである。筆者の考える惕斎の楽律学の意義は次の六点に要約される。①『律呂新書』に基づき楽律の基準音、度量衡の本源としての「黄鐘」の概念を示した、②『律呂新書』を基本にすることで近世日本の楽律学を貫く、数理的な音律理解の基礎をつくった、③『律呂新書』の説く「候気」の説は受け入れず、楽律の基は人声とする考え方を提示した、④古の楽律を探求するにあたって、実証、実験を重んじた、⑤古の楽律の探求にあたって、日本の優位性を説いた、⑥古の楽の復興を希求した。
後藤, 雅彦 Goto, Masahiko
本稿では農業に関する考古学研究(農業考古)の中で収穫具について、中国漢代の画像石(磚)(「漁猟収穫画像磚」) と琉球列島の『八重山蔵元絵師画稿集』の「八重山農耕図」という図像資料に描かれている稲の収穫についてとりあげ、図像資料の有効性を検討した。そして、図像資料は対象(作物) ・方法・道具(収穫具)の同時代での相関関係を示すものであり、さらに図像資料を媒介して考古学資料、文献史料、そして民族・民俗学事例の研究上の接点が浮かびあがってくると考えた。
森栗, 茂一 Morikuri, Shigekazu
仏教には,水子を祀るという教義はないし,水子を各家で祀るという祖先祭祀も,前近代の日本にはまったくなかった。にもかかわらず,今日,「水子の霊が崇るので水子供養をしなければならない」と,人々に噂されるのはなにゆえであろうか。いわゆる1970年代におこり,80年代にブームを迎えた水子供養が,すでに20年を経過した今日,これを一つの民俗として研究してみる必要があろう。前近代の日本では生存可能数以上の子供が生まれた場合,これをどのように処理してきたか。一つには,予め拾われることを予期して,捨て子にする風があった。捨て子は,強く育つと信じられ,わざわざ捨吉などの名前をつけたこともあった。しかし,社会が育ててくれる余裕がないと思えるとき,間引きや堕胎がおこなわれた。暮らしていけないがゆえの間引きや堕胎を,人々は「モドス」「カエル」と言って,合理化してきた。実際,当時の新生児の生存率は低く,自然死・人為死に関わらず,その魂が直ちに再生すると信じて,特別簡略な葬法をした。それでも,姙娠した女が子供を亡くすということは,女の心身にとっては痛みであり,悩みがないわけではない。しかも,明治時代以降の近代家族が誕生するにあたって,女は「良妻賢母」「産めよ増やせよ」「子なきは去れ」と,仕事を持たない「産の性」に限定された。そのため,女は身体の痛みの上に,社会的育徳という痛みを積み上げられた。そんな悲痛な叫びが,水子供養の習俗に表れている。ところが,この女の叫びは,宗教活動の方向と経営を見失った寺院のマーケットにされてしまう。寺院や新宗教の販売戦略,心霊学と称するライターによって演出され,読み捨て週刊誌に取り上げられてひろまった。明治時代以降の近代家族は,男の論理による産業システムのためのものであった。その最高潮である60年代の高度経済成長が終わった70年代に入って,水子供養が出てきていることは興味深い。産業社会の幻影が,女を水子供養に走らせた。その女を,寺院は顧客として受け入れた。こうして,女は金に囲いこまれて,水子という不安に追い込まれ,水子供養という安心に追い込まれていったのである。そこで,彼女らの残した絵馬を分析することで,女の追い詰められた心理の一端を,分析してみたいと思う。
千葉, 康成 島袋, 恒男 Chiba, Yasunari Shimabukuro, Tsuneo
馮, 天瑜
古漢語「経済」の元々の意味は、「経世済民」、「経邦済国」であり、「政治」に近い。日本は古代より「経世済民」の意義で「経済」を使ってきた。近世になって、日本では実学が勃興し、その経済論は国家の経済と人民の生活に重点が置かれた。近代になると、さらに「経済」という言葉をもって英語の術語Economyを対訳する。「経済」の意味は国民生産、消費、交換、分配の総和に転じ、倹約の意味も兼ねる。しかし、近代の中国人学者は、「経済」という日本初の訳語に対してあまり賛同しないようで、Economyの訳語として「富国策、富国学、計学、生計学、平準学、理財学」などの漢語を対応させていた。清末民国初期、日本の経済学論著(とりわけ教科書)が広く中国に伝わったことや、孫文の提唱により、「経済」という術語が中国で通用するようになった。しかし、「経済」の新義は「経世済民」の古典義とかけ離れているばかりでなく、語形から推計することもできないから、漢語熟語の構成根拠を失った。にもかかわらず、「経済」が示した概念の変遷は、汎政治的汎道徳的な観念が中国においても日本においても縮小したことを表している。
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