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藤井, 聖子 佐々木, 倫子
日本語教育センター第二研究室では、現在、英語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語それぞれの言語に関して、日本語との対照研究を進めている。日英対照としては、現時点では、談話・語用論上の対照を押し進めるため、会話スタイルの分析を行っている。日西では、統語現象と意味の問題を取り上げている。日葡対照としては、ブラジル人と日本人との言語接触の局面を、社会言語学的アプローチで調査している。日仏では、音声、特にアクセント、イントネーション、音声言語コミュニケーションに付随するジェスチャーを取り上げ、音声及びパラ言語の領域における対照を進めている。これら四種類の切り口で対照研究をすることは、それぞれの言語での対照研究の背景や必要性が異なっている現状に基づいて立案したことであるが、同時に、日本における外国語(第二言語)教育と言語事情をふまえた対照研究の四種類のアプロ一チを試行し押し進めようとする試みでもある。本報告では、これらの研究の目的・方法・意義を概観する。
菊地, 康人 KIKUCHI, Yasuto
サエとデサエの使い分けについて考察する。まず1飾で本稿の課題について略述した後,2節では,サエ/デサエの最も基本的な〈極限提示〉〈類推〉の用法を分析する。3節では,〈意味上のとりたて(対照)の対象〉が〈述語を含む句〉である〈P対照〉の場合と,それが〈名詞句だけ〉である〈N対照〉の場合とを区別する。その上で,4節では《P対照ならサエ,N対照ならデサエ》という使い分けの原理を提示し,5節ではこれが〈極限提示〉〈類推〉用法のガ格・ヲ格のとりたてについて成り立つことを見る。6-7節では,この確認を兼ねて,P対照の文として成り立つ条件,N対照の文として成り立つ条件をそれぞれ詳しく検討するとともに,一種の例外として,高来はN対照のはずの文の〈P対照化〉,その逆の〈N対照化〉に触れる。8節では〈累加〉〈十分条件性の強調〉をあらわす周辺的用法を,9節ではガ格・ヲ格以外のとりたてを見るが,これらの場合も上の原理が基本的に成り立つことが確認できる。10節では,デサエのデは《〈意味的に,直前の語句をとりたてる〉ことを明示する》ものだと結論し,あわせて,とりたての研究の中での本研究の位置にも触れる。
宮城, 悦生 Miyagi, Etsuo
肉豚飼料に動物性油脂(タロー)を7∿10%添加し, TDN約80%の高エネルギー飼料で後期の栄養率(NR)約7.5の飼料と同程度のエネルギー飼料で蛋白質含量を高くし栄養率を狭くし後期の栄養率(NR)5.8の飼料を用いて豚の産肉性について検討するため1972年5月∿1973年5月までの間に3回の肥育試験を実施したが, その概要を要約すると次のとおりである。1肥育成績 肥育成績は飼料の高エネルギー化によって総体に改善された。特に1日平均増体量と飼料要求率は試験区がすぐれており, 1日平均増体量は対照区547g, 試験I区617g, II区627gで対照区と試験区間には1%水準で有意差がみとめられた。また飼料要求率は対照区3.99,試験I区3.61,II区3.58で1%水準で対照区と試験区間に有意差がみとめられ試験区が優れた成績を示した。2と肉成績 枝肉歩留, 背腰長II, ロース断面積, ハムの割合等は試験II区が稍々すぐれているが, 統計的な差はみられなかった。しかし, 背部脂肪層の厚さは背部で対照区1.8cm, 試験I区2.4cm, II区2.2cm, 3部平均は対照区2.9cm, 試験I区3.4cm, II区3.1cmで, それぞれ対照区とI区間には1%水準で, 対照区とII区間, I区とII区間に5%水準で有意差がみとめられ, 対照区が最もうすくI区が最も厚い成績を示した。また大割肉片の赤肉割合は対照区ハム61%, ショルダー66%, I区ハム57%, ショルダー62%, II区ハム62%, ショルダー66%, 脂肪の割合は対照区ハム21%, ショルダー16%, I区ハム26%, ショルダー20%, II区ハム21%, ショルダー16%で各区間に統計的な差はみられなかったが, 試験II区が赤肉の割合が最も多く脂肪の割合が少ない良好な成績を示した。
米盛, 重友 Shigetomo, YoneMori
本報は琉球大学農学部附属熱帯農学研究施設において開墾の違いによる植生の経時的な変化について, 開墾後2年間の調査結果である。1. 開墾はレーキドーザーを使用し地形を変えず表土を残した区とブルドーザーで表土を除き平担とした慣行の区を作り, 隣接する自然林を対照区とした。2. 対照区の植生は40科68種で構成され低木層ではヤマヒハツ, モクタチバナ, リュウキュウアオキ, アデク, ケハダルリミノキ, リュウキュウガキ, マンリョウなどが優占種となり草木層ではイリオモテクマタケラン, センリョウ, ヒリウシダ, ツルアダンなどが優占種となっている。3. レーキドーザー区に認められた2年間の植生は14科33種であるが, その内12種は対照区で認められず, 試験区外から種子が飛来したものと思われる。4. ブルドーザー区に認められた2年間の植生は7科10種でその内5種は対照区内に認められず, 試験区外から飛来したものと思われる。5. レーキドーザー区は2年間において植物の種類では対照区の約50%, 対照区内にある植物のみでは30%であるのに対し, ブルドーザー区は植物の種類で14%, 対照区内にある植物では7%にすぎない。6. 開墾区の2年間における植生は環境適応性に強い陽性植物が中心をなしており, 対照区の優占率の高い主要な種類はほとんど認められていない。
舩橋, 瑞貴 FUNAHASHI, Mizuki
日本語と韓国語の口頭発表における修復(注釈挿入と言い直し)を取り上げ,修復を実現する際の言語的手段が異なることをみる。助詞の言い直しにおいては,選択される言語的手段が助詞と名詞の膠着度の異なりとかかわっている可能性を示す。さらに,助詞と名詞の膠着度が低い日本語に関しては,言い直しの開始位置と関係があることを示す。従来の対照研究では,言語体系内の要素を対照単位とするアプローチが多くとられるが,日本語教育のための対照研究においては,ある言語行為を行う際の言語的手段の選択というアプローチも必要であることを主張する。
新城, 明久 寺田, 直樹 菅, 大助 砂川, 勝徳 Shinjo, Akihisa Terada, Naoki Suga, Daisuke Sunagawa, Katsunori
バガスを食物繊維として活用を検討するため, マウスの成長, 繁殖成績及び消化器官の形態に及ぼす微粉末バガスの影響を調査した。標準飼料を給与したマウス(8頭)を対照区, 標準飼料に微粉末バガスを25%配合したものを給与したマウス(7頭)をバガス区とした。マウスの23日齢から9週間における増体量, 飼料摂取量, 飼料要求率は, 対照区がそれぞれ16.9g, 278g 16.6,バガス区は12.5g, 318g, 25.8で, 対照区に比較しバガス区が飼料の摂取量は多いが, 増体量は低かった。成長試験終了後交配したマウスの分娩率, 産子数および生時体重は対照区がそれぞれ75%, 9.2頭, 1.6gであったが, バガス区は100%, 8.4頭, 1.6gで, 繁殖率はバガス区がやや高かった。産子数は対照区の方が多い傾向にあるが, 生時体重には両区の差はなかった。分娩後測定した消化器の形態は, バガス区が大腸が長く, 胃腸重は重かった。しかし, 小腸の長さには両区に差はなかった。以上の結果から, バガスは食物繊維として利用が可能であることが示唆された。
野原, 敏次 上地, 俊徳 小倉, 剛 川島, 由次 仲田, 正 田幸, 正邦 本郷, 富士彌 Nohara, Toshitsugu Uechi, Shuntoku Ogura, Go Kawashima, Yoshitsugu Nakada, Tadashi Tako, Masakuni Hongo, Fujiya
未利用資源である泡盛粕を機能性食品あるいは家畜,ペットなどの動物用飼料源として広く活用するための基礎的知見を得るために,脂肪肝モデルラットに泡盛粕添加飼料を給与し,その発育,血液および肝臓脂質濃度に及ぼす影響を検討した.6週齢Wistar系雄性ラットに高コレステロール食を2週間給与し,脂肪肝モデルラットを作製した.次に,このラットを基本食を給与する対照群,基本色に泡盛粕をそれぞれ2.5,5および10%添加した飼料を与える3試験群,計4群を設定し,各飼料で30日間飼育した。この他に,44日の飼育期間中,基本食のみを給与した基本群も設定した。増体重で対照群と比較すると,泡盛粕2.5%および5%群において有意ではないが高い値を示した。しかし,10%群では逆に低い値を示した.摂食量は泡盛粕2.5%および5%添加群が対照群に比べて有意に高い値であった.血清脂質濃度において,いずれの測定項目にも有意な変化はなく,総コレステロールが泡盛粕5%添加群で対照群より若干低い値を示した.試験群の肝臓の色調については対照群のラット全てに明らかな白褐色化が観察されたのに対し,泡盛粕添加群では基本群と大差のない色調を呈する例が多かった.肝臓脂質濃度はバラツキが大きいため有意差は認められなかったが,泡盛粕添加群は対照群に比べてとても低い値を示した。
村山, 盛一 ウディン, モスレム 野瀬, 昭博 川満, 芳信 Murayama, Seiichi Uddin, Moslem S.M. Nose, Akihiro Kawamitsu, Yoshinobu
早植,適性な畦幅,深耕,標肥栽培,補植,堆肥施用,除草,培土,鍬によ地際刈り及びかんがい栽培した場合サトウキビの収量形質にどのような影響を及ぼすかについて検討した。その結果,早植区,深耕区,標肥栽培区,補植区,堆肥施用区および潅水区では発芽率及び単位面積当り分けつ数が対照区(バングラディシュにおける平均的農家の栽培の実状に合わせた試験区)より有意に優れていた。原料茎数の最高値は潅水区において得られ(68,900本/ha),次いで早植区が多かった。しかし,収量の最高値は標肥栽培区で得られ(54.00t/ha),対照区より37.80%の増収であった。一方,対照区では最低収量(39.20t/ha)を示した。シュクロース含量は早植区と堆肥施用区の10.90%が最も高かった。また,堆肥施用区では最も高い産糖量(5.83t/ha)を示し,対照区に比べて48.72%の増収であった。以上のように,サトウキビの収量形質は栽培法の違いによって大きな影響を受ける。
大山, 保表 砂川, 季昭 山盛, 直 平田, 永二 高江洲, 重一 Oyama, Hehyo Sunakawa, Sueaki Yamamori, Naoshi Hirata, Eiji Takaesu, Juichi
1 リュウキュウマツ林分施業の基礎資料を得るため, 9年生のリュウキュウマツとソウシジュの混植林の調査をおこない, ソウシジュの混植がリュウキュウマツの生長へおよぼす効果や広葉樹類の侵入混交状況および地床草本類の質的相違などについて検討し, 地力の改善効果を予測した。2 リュウキュウマツの生育本数は600∿11,600本/haであって, またソウシジュは100∿3,100本/haであって, 調査区間に生育本数の差異が大きく, 生育途中での枯損も大きい。リュウキュウマツの生育本数は, 対照区でもっとも大きく, 混植歩合の低い区がこれにつぎ, 混植の高い区がもっとも小さい。広葉樹の発生生育本数は, 200∿4,400本/haで, 混植区で大きい。3 樹種別樹高生長は, 混植区において常にソウシジュが大きく, リュウキュウマツは小さい。リュウキュウマツの樹高生長は, 混植区で大きく対照区で小さい。広葉樹類の生長は, リュウキュウマツの生長に匹敵し良好である。4 リュウキュウマツの平均胸高直径は, 立木密度8,000本/ha以上の区では, 立木密度に逆比例し, 8,000本/ha以下の区では密度との関係は認められない。ソウシジュ, 広葉樹類の平均胸高直径は, 立木密度の関係は見られず, 地力に応じた胸高直径生長量をしめしている。リュウキュウマツの胸高直径は, 混植の高い区でもっとも大きく, 混植の低い区がこれにつぎ, 対照区でもっとも小さい。5 各調査区における総胸高断面積およびリュウキュウマツの胸高断面積計は, それぞれの立木本数にほゞ比例し, また混植区において大きく, 対照区において小さい。リュウキュウマツ単木の胸高断面積は, 8,000本/ha以上の区では, 立木本数に逆比例し, 8,000本/ha以下の区間では, 立木本数の影響は認められない。また混植区において大きく, 対照区で小さい。6 各調査区の総材積およびリュウキュウマツの木積は, それぞれの立木本数に比例し, また混植区において大きく, 対照区で小さい。リュウキュウマツの単木の材積は, 8,000本/ha以上では, 立木本数に逆比例し, 8,000本/ha以下の区間では, 立木本数の影響は認められない。また混植区において大きく, 対照区で小さい。7 下層植生の中で, コシダの被度は, 対照区で大きく, 混植区で小さいか或は出現しない, 木本類では, ヒメツバキ, およびアカメガシワの両樹種計の本数歩合は, 全体の71%で主体をなし, その生育本数は混植区で多く, 対照区で少ない。8 以上の調査結果に基き, リュウキュウマツの林分施業は, 単純林の造成をさけて, ソウシジュの混交をはかり, かつ広葉樹類および草本類の発生本数を高めて, 腐植の良質化と地力の改善効果を促進し, リュウキュウマツおよびソウシジュ稚苗木の枯損本の減少と生育本数の増加をはかり, 除伐によってリュウキュウマツ, ソウシジュおよび広葉樹の適正な立木本数の混交をはかって, リュウキュウマツおよび林分の材積生長量を増大せしめるようにこころがける。
ホサイン, モハメド アムザド 松浦, 新吾郎 土井, 光弘 仲村, 一郎 石嶺, 行男 Hossain, M.d. Amzad Matsuura, Singoro Doi, Mitsuhiro Nakamura, Ichiro Ishimine, Yukio
万田31号は、自然災害を含めて作物、野菜、果物の収量と品質を高めることが報告されている。ここでは、万田31号の使用がほうれん草の生育、収量に及ぼす効果を調べるために琉球大学農学部亜熱帯フィールド科学教育研究センターのガラス室において実験を行った。まず万田31号(100ppm)を、葉の枚数が3-5枚になった時から十日間隔で三回散布した。対照区では水だけを散布した。万田31号を施用した区では対照区に比べ葉の色はより濃緑色で葉の老化が緩やかであった。1個体あたりの葉の枚数と面積では万田31号施用区が対照区に比較し有意であった。根の乾物量と収量は万田31号施用区で有意に増加した。以上の実験結果から万田31号はほうれん草の生育、収量を高める効果があると考えられえる。
松田, 祐一 Matsuda, Yuichi
ブロイラー・ヒナの成長を促進し, 飼料要求率を少くするために高エネルギー飼料給与の効果について試験を行なった。試験には, ブロイラー専用種の白色コーニッシュと白色ロックのF1を用い, ケージ飼育で試験期間は8週間であった。対照区(標準飼料区)は, 日本飼養標準とNRC飼養標準に推奨されている全養分を充たすように配合した飼料を用いた。高エネルギー区は, 対照区に比しCPとTDNを増加し, 前期飼料のCP23%, TDN70%, 後期飼料CP21%, TDN80%とし, 1ポンドの代謝エネルギー(Cal.)をCPで除した値(ME/P)を前期飼料は60,後期70にした。配合割合と成分は, 表1,2に示した。結果は, 表3,4,5,6,に示される。1.発育 : 試験終了時(56日)体重は, 対照区1,550∿1,650gの範囲内にあったが, 高エネルギー区は1,750∿1,850gで, 後者が100∿200g重く, 両区の間に有意差があった。2.飼料要求率 : 対照区は2.5∿2.6の範囲内にあったが高エネルギー区は2.17∿2.25で高エネルギー区が勝れているように考えられた。3.飼料費 : 飼料単価は高エネルギー区が高価であったが, 1kg増体に要した飼料費は対照区31.8セント, 高エネルギー区30.8セントで両者の間に1セントの差があり高エネルギー区が安価であった。4回に亘って実施したブロイラー試験の結果から, 高エネルギー飼料が, 発育の促進, 飼料要求率の改善, 飼料費低減の面から有利であると考えられた。4.配合飼料に抗生物質を10ppm配合してもブロイラーの発育促進, 飼料要求率の改善に好結果をもたらすという成績は得られなかった。
田幸, 正邦 仲村, 実久 永浜, 伴紀 Tako, Masakuni Nakamura, Sanehisa Nagahama, Tomonori
Coryneform bacteria strain C-8の生成する多糖を安定剤として含む水羊羹の保水性, 硬さおよび粘着性について調べた。0.5%C-8多糖水溶液の離水率は最も低かった。このことは, C-8多糖は対照多糖類に比較して保水性が高いことを示している。C-8多糖を含む水羊羹の硬さは対照のグアーガムのそれより高い値を示し, 一方, 粘着性は低い値を示した。これらの結果から, C-8多糖は食品工業への利用の可能性が示唆された。
竹林, 一志 TAKEBAYASHI, Kazushi
本稿では,主題提示「って」の用法・機能について,「は」の主題提示用法と対照しつつ,また主題提示以外の「って」と関連付けて考察する。主題提示「って」の用法を考えるに当たって,まず,「って」で提示される要素(主題)が文脈・場面上,既出か否かという観点から分類を行う。そして,主題提示「は」と対照し,「って」と「は」の,主題提示の仕方の相違を見る。この相違は,助詞「って」「は」が互いに異なる機能を持つことによる。主題提示「って」は,主題提示以外の「って」と同じく,「引用」という機能を有している。
高田, 智和 小助川, 貞次 TAKADA, Tomokazu KOSUKEGAWA, Teiji
古典籍の原本画像とその翻字テキストを対照表示させるビュアーを作成し,変体仮名習得を目的とする大学授業に利用した。授業利用により指摘された問題点によってビュアーの改善を行った。また,デジタルコンテンツの利用が,初学者の学習意欲の向上など変体仮名学習に一定の効果をもたらすことが指摘された。
ホサイン, モハメド アムザド 松浦, 新吾郎 土井, 光弘 石嶺, 行男 Hossain, Md. Amzad Matsuura, Singoro Doi, Mitsuhiro Ishimine, Yukio
万田31号がトウモロコシの地上部および地下部の生育に及ぼす影響を調べるために、琉球大学農学部附属亜熱帯フィールド科学教育研究センターのガラスハウス内で実験を行った。実験は、W-対照区(水のみを散布)、M-10処理区(万田31号10000倍液を散布)、M-5処理区(万田31号5000倍液を散布)とした。葉が2~3枚展開後、15日間隔で万田31号溶液および水を植物全体に十分散布した。M-10およびM-5の両処理区ともW(対照区)に比較して、トウモロコシの茎長、葉面積、葉乾物重が増加した。万田31号溶液を3~5回散布したトウモロコシは、対照区に比較して地上部および地下部の生産が明らかに増大した。初期生育段階において、万田31号溶液を1回散布した場合、地上部および地下部に大きな変化は認められなかった。M-5処理区はM-10処理区に比較して、地上部および地下部ともに乾物生産が増大した。以上の結果より、トウモロコシの地上部および地下部のバイオマス生産を高めるには、万田31号5000倍液を3~5回散布することが有効であることがわかった。
中須賀, 常雄 山口, 本 岸本, 司 Nakasuga, Tsuneo Yamaguchi, Moto Kishimoto, Tsukasa
1. 石炭火力発電の産業廃棄物であるクリンカ及び石炭灰がメヒルギ植栽の人工培地として利用可能かどうかについて, 1995年6月∿12月間に琉球大学構内の温室内で実験を行った。2. 人工培地の材料は, クリンカ, 造粒灰, バーミキュライト, ジャーガル及び腐葉土である。3. 処理区は, クリンカ(A)区, 造粒灰(B)区及び対照区(C)で, 以下のとおりである。A-1区 : クリンカ(100%), A-2区 : クリンカ+バーミキュライト+腐葉土(体積比5 : 4 : 1), A-3区 : クリンカ+ジャーガル+腐葉土(体積比5 : 4 : 1), B-1区 : 造粒灰(100%), B-2区 : 造粒灰+バーミキュライト+腐葉土(100%), B-3区 : 造粒灰+ジャーガル+腐葉土(体積比5 : 4 : 1), 対照区 : バーミキュライト+腐葉土(体積比7 : 3)4. メヒルギ苗の生長について, 主軸長, 節間数, 葉緑素含有量, 重量生長, 葉の性質, 根長及び弱さ度の各項目について分析し, 総合的に判定した結果, クリンカ及び造粒灰のみでは利用不可であるが, 50%の混合比では利用可能で, ジャーガルと造粒灰との混合区では対照区より生育良好であった。
渡辺, 美知子 外山, 翔平 WATANABE, Michiko TOYAMA, Shohei
筆者らは,言い淀み分布の日英語対照研究のために,『日本語話し言葉コーパス(CSJ)』中の模擬講演データに類似した『英語話し言葉コーパス(COPE)』を構築している。本稿では,まず,アメリカ英語話者20名のスピーチからなるこのコーパスの概要を紹介した。次に,その中でのフィラーの分布を日本語のフィラーの分布と比較した予備的考察について述べた。100語あたりのフィラーの頻度は,英語が4回/100語,日本語が6回/100語だった。しかし,単位時間あたりの頻度に有意差はなかった。また,日本語の方が英語よりも,頻度に男女差が大きかった。さらに,文境界と節境界におけるフィラーの出現率を両言語で比較し,それに関係する要因を調べたところ,日本語では性別の影響が最も大きいのに対し,英語では,文頭か非文頭かの要因の影響が最も大きかった。今後も,個人差を考慮して,対照研究を進める予定である。
小林, 健二 KOBAYASHI, Kenji
長野市の西光寺・往生寺に伝わる絵解き「苅萱」について、今日伝えられる掛幅絵と語りの内容の二点から分析・吟味し、江戸時代に流布した苅萱を素材とする文芸作品と対照させることにより、御絵伝の製作状況および絵解きの形成の背景と展開について考察する。
仲村, 一郎 松浦, 新吾郎 ホサイン, アムザド 土井, 光弘 石嶺, 行男 Nakamura, Ichiro Matsuura, Singoro Hossain, Md. Amzad Doi, Mitsuhiro Ishimine, Yukio
万田31号は,50種類の植物素材を組み合わせ発酵させて作られたもので,作物,野菜,果物の収量と品質を高めることがすでに報告されている。ここでは,施肥量の違いによる万田31号の使用がウコン(Curcuma spp.)の生育,収量に及ぼす効果を知るために2000年4月から2001年2月にかけて,琉球大学農学部附属農場において実験を行った。処理区は(1)1ha当り施肥量(化成肥料N : P : K=9 : 9 : 185)133kgに水を散布した対照区(F-1-W),(2)施肥量133kgに万田31号を散布した処理区(F-1-M),(3)1ha当り施肥量200kgに水を散布した対照区(F-2-W),(4)施肥量200kgに万田31号を散布した処理区(F-2-M),(5)1ha当り施肥量266kgに水を散布した対照区(F-3-W),(6)施肥量266kgに万田31号を散布した処理区(F-3-M),を設け葉面散布を行った。肥料は,ウコンの植付け後60∿75日目から60日間隔で3回施肥し,万田31号(0.01ppm)は植付後60∿75日目から30日間隔で5回施用した。ガラス室での実験では,それぞれの施肥レベルで対照区に比較して万田31号の施用により,ウコンの地上部乾物重と収量は増加した(図1,2)。F-1-M区は,F-2-W区に比べ地上部乾物重と収量が増加した(図1,2)。また,F-1-M区とF-2-M区の地上部乾物重と収量は,F-3-W区と同程度だった(図1,2)。圃場実験では,各々の対照区より万田31号を施用した区で有意に地上部乾物重が増加した(図3,4)。また,F-1-M区とF-2-W区およびF-2-M区とF-3-W区を比較すると,F-1-M区,F-2-M区で各々地上部乾物重及び収量が増加し,有意差が認められた。また,F-2-M区とF-3-M区を比較すると地上部乾物重および収量に差が認められなかった。このことから圃場実験では,肥料を200kg/haと万田31号(F-2-M区)の組合せがウコンの生育および収量の増加に大きな効果を示した。以上の実験結果から,万田31号の施用は肥料の利用効率を高めたことが考えられ,万田31号を施用することにより,化成肥料の施肥量を軽減し,環境調和型農業に寄与し得ると考えられる。
呉, 佩珣 近藤, 森音 森山, 奈々美 荻原, 亜彩美 加藤, 祥 浅原, 正幸 Wu, Peihsun Kondo, Morine Moriyama, Nanami Ogiwara, Asami
『分類語彙表』の見出し語と『岩波国語辞典第五版タグ付きコーパス2004』に含まれる国語辞典見出し語との対応表を作成した。分類語彙表は統語・意味に基づいて見出し語を分類したシソーラスであるが、その語義を規定する語釈文を含んでいない。そこで、岩波国語辞典の見出し語と対照させることで対応表を構築し、統語・意味分類と語釈文を結びつける作業を行った。作業は、見出し語表記による2部グラフを構成し、対応する見出し語対を抽出することによる。本作業は5人の作業者により平行して進めた。本作業結果により、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』に付与された2種類の語義情報(分類語彙表番号・岩波語義タグ)との対照比較ができるようになった。本発表では、情報付与作業の方法と基礎情報を報告する。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
本稿に先立って,筆者は,朱京偉(2011a,2011b)で蘭学資料の三字漢語を考察し,在華宣教師資料の三字語との比較対照を行なった。また,朱京偉(2011c)で蘭学資料の四字漢語を取り上げ,できる限りその全体像を描いてみた。これらに続く作業としては,在華宣教師資料の四字語を検討し,蘭学資料の四字漢語との比較を行なうことである。このような日中対照を通して,19世紀当時の,日本語の四字漢語と中国語の四字語のそれぞれの特徴を明らかにすることによってはじめて,両者間の影響関係を正しくとらえることができると考える。結論からいうと,在華宣教師資料の四字語は,基本的な構成パターンで蘭学資料の四字漢語と大差がないように見えるものの,その中身をくわしく検討すると,語数が全体的に少ない上,語基と語基の結合関係の分布も異なる。こうした語構成上の相違は,多かれ少なかれ日中両言語の四字語の造語力に影響を与えたと思われる。
井上, 文子
方言録音テープ・文字化原稿として残された、文化庁「各地方言収集緊急調査」報告資料を整理・検討し、「全国方言談話資料データベース」として公表するとともに、音声・文字化データを対象として、各地の方言文法の記述と、全国的な比較対照、その分布類型の解明、また、談話テクスト中の方言コードの社会言語学的分析などを行う。
宮内, 拓也 プロホロワ, マリア MIYAUCHI, Takuya PROKHOROVA, Maria
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(の一部のデータ)には,既に英語,イタリア語,インドネシア語,中国語の翻訳データが構築されているが,新たにロシア語の翻訳データを構築した。対象となる起点テキストは『現代日本語書き言葉均衡コーパス』新聞(PN)コアデータ16サンプル(総語数は短単位で全16,657語)とし,ロシア語目標テキストの総語数は13,070語となった。本データの構築にあたっては,日本語からロシア語へ人手による翻訳を行ったが,日本語とロシア語の言語構造の違いや表現の違い等により,翻訳に困難が生じた箇所もあった。本稿では,翻訳データの構築方法,翻訳の際の留意点の詳細を述べる。また,原文の日本語テキストと翻訳先のロシア語テキストは人手で文単位のアライメントを取り,各文にはIDを付与した。その作業方法についても記述する。翻訳データの構築,アライメント作業により,起点テキストと目標テキストは簡易的な日露パラレルコーパスとして利用可能となり,日露対照研究や類型論研究に活用できると考えられる。本稿では,このような活用の可能性を示すために,ケーススタディとして日本語の文末表現を取り上げ,ロシア語と対照させて同異を議論する。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
本稿は,先に発表した小論「蘭学資料の三字漢語についての考察─明治期の三字漢語とのつながりを求めて─」(朱2011)の続編である。現代日中両国語では,三字語の語構成がほぼ同じで,同形語も数多く存在している。その背後に,どのような日中語彙交流の歩みがあったかを解明するのが,先の小論と本稿の目的である。先の小論に続き,中国語側の三字語の状況を明らかにしようと思い,宣教師資料をとりあげたのであるが,日中双方の対照研究がしやすいように,蘭学資料の場合とほぼ同じ調査方法やデータの集計・分類方法を用いた。宣教師資料の三字語については,前部二字語基と後部一字語基に分けてそれぞれの性質を検討した上で,蘭学資料との比較対照を行なった。その結果,中国語では,近代以前から,少なくとも宣教師資料において,2+1型三字語の造語機能がすでに備わっていたこと,蘭学資料の三字語は,語構成パターンの面で中国語からの影響を受けながらも,後部一字語基の機能が強化され,同一語基による系列的・グループ的な三字語の創出へ進化を遂げたことなどを明らかにした。
新里, 孝和 呉, 立潮 西端, 統宏 新本, 光孝 Shinzato, Takakazu Wu, Lichao Nishihata, Osahiro Aramoto, Mitsunori
亜熱帯西表島の森林資源回復に関する二次遷移について,1985年6月に天然林皆伐後,今回13年目における固定プロットの毎木調査の結果を用や宇する。実験林は西表島のやや内陸部,標高60m,緩傾斜面,面積0.869haで,4試験区に分割され,各試験区内のほぼ中央部に10m×10mの固定プロット(計4個)を設定した。4試験区のうち2試験区は対照区,残り2試験区は焼畑区である。生活形別の基底面積,立木本数は樹種の萌芽力に依存し,萌芽力の高いイタジイ,ホルトノキ,タブノキ,エゴノキ,フカノキ,シャリンバイ,シシアクチ,ボチョウジなどの数値が高い。樹高1m以上の個体の出現種で伐採後消滅した樹種は少なく,未発生の樹種はオオシイバモチ,モッコク,オオバルリミノキ,イヌマキなどである。侵入種には落葉性高木種のアカメガシワ,ハマセンダン,カラスザンショウ,イイギリなどがみられるが,これらの発生,成長は低下し,常緑性高木種の優占度が増大している。階層構造は未分化の状態にあるが,基底面積分布は常緑性高木種が上層に,立木本数分布では常緑性の低木種と小高木種が下層に増大し,また胸高直径分布でもややL字型となり,階層構造はやや複雑になりつつある。これら固定プロットにおける二次遷移の結果は,対照区でオキナワウラジロガシが増大し,焼畑区でアカメガシワが多いなど,多少の違いが見られるものの,対照区と焼畑区との間で明瞭な差異はないと考えられた。亜熱帯林における樹種の萌芽更新,雑木林,里山林の再生,利用について考察を加えた。
パルデシ, プラシャント 今村, 泰也 PARDESHI, Prashant IMAMURA, Yasunari
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つが「他動性」である。基幹型プロジェクト「述語構造の意味範疇の普遍性と多様性」では,意味的他動性が,(i)出来事の認識,(ii)その言語表現,(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映するかを解明することを目標に掲げ,日本語と世界諸言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指し,2009年10月から共同研究を進めてきた。さらに,日本語研究の成果を日本語教育に還元する目的で,基本動詞の統語的・意味的な特徴を詳細に記述するハンドブックを作成し,インターネット上で公開することを目指して研究・開発を進めてきた。本稿ではプロジェクトで企画・実施した共同研究の理論的および応用的な成果を概観した。理論的な成果としては,(1)地理類型論的なデータベースである「使役交替言語地図」(WATP),(2)日本語と世界諸言語の対照言語学的・類型論的な研究をまとめた論文集『有対動詞の通言語的研究:日本語と諸言語の対照研究から見えてくるもの』を紹介した。応用的な成果としては日本語教育に役立つ「基本動詞ハンドブック」の見出し執筆の方法とハンドブックのコンテンツについて紹介した。
山崎, 誠 YAMAZAKI, Makoto
本発表は,以下の5つのコーパスを用いて,日本語の会話文の多様性をレジスターや位相(話者の性別,年代)の観点から語彙的に分析するものである。使用したコーパスは,『日本語話し言葉コーパス』(CSJ)の学会講演及び摸擬講演,『日常会話コーパス』(CEJC・構築途中のもの),『名大会話コーパス』『女性の言葉・男性の言葉(職場編)』,『現代日本語書き言葉均衡コーパス』中の小説会話文である。分析の単位はいずれも短単位である。分析の方法は,品詞構成比,上位語,対数尤度比による特徴語の比較である。特徴語はコーパス間の比較に加えて,性別と年代による比較も行った。品詞構成比では,名詞,副詞は,CSJ学会講演と日常会話・名大とが対照的な分布を示し,また,終助詞,感動詞-フィラーは,CSJ学会講演・CSJ摸擬講演と日常会話・名大とが対照的な分布を示すことが分かった。特徴語では,コーパス間で感動詞(一般,フィラー),終助詞,人称代名詞の分布に違いが見られた。また,これらの語の使用において,性差の違いのほうが年齢層の違いよりも特徴的な語数が多いことが観察された。
小谷, 二郎 山本, 福壽 谷口, 真吾 橋詰, 隼人 Kodani, Jiro Yamamoto, Fukuju Taniguchi, Shingo Hashizume, Hayato
鳥取大学付属フィールドサイエンスセンター「三朝の森」の45年生のミズナラやブナを主とする二次林で, 間伐後21年目 (一部, 20年目) の生育状況を調査し, 間伐効果を検討した。間伐は, 上層間伐方式を採用した。胸高断面積合計の年平均成長量および成長率は, 対照区に比べて間伐区や間伐+施肥区で多く (高く) なる傾向があった。しかしながら, 施肥の効果はみられなかった。単木ごとの間伐直後の胸高直径と胸高断面積の年平均成長量や成長率の関係から, 小中径木ほど間伐効果が高い傾向が明らかで, 対照区に比べて間伐区 (間伐+施肥区) で胸高直径25 cm以上の大径木が増加した。間伐時に大きな直径階での間伐割合が高い林分で, 大径木の本数が増加した。樹種別では, ミズナラ, ブナ, ミズメなどで間伐効果がみられたが, コシアブラやミズキでは間伐効果はみられずかえって間伐区で枯死木が多かった。ミズナラの後生枝の平均本数と間伐後21年目の林分材積の関係は, 有意な負の相関を示した。林冠を構成する大きな胸高直径階での均等で高い間伐率は, 単木ごとの肥大成長を促進すると同時に, 林分材積が増加することで後生枝の少ない林分へ誘導するものと考えられる。
相澤, 正夫 AIZAWA, Masao
『東京語アクセント資料』をアクセント研究に有効に活用するためには,まず第一に,目的に応じた資料評価を十分におこなう必要がある。本稿では,資料評価のあり方とその方法を模索するために,事例として東京語の尾高型アクセントを取り上げ,『東京語アクセント資料』におけるその出現状況を問題とする。具体的には,既刊の4種の辞書のアクセント情報と対照させながら,それらとの異同を詳細に調査し,アクセントの計量的研究における資料面での問題点を指摘する。
益岡, 隆志 MASUOKA, Takashi
複文構文プロジェクトの目的は,日本語複文構文研究のさらなる発展の可能性を提示することである。考察対象に連用複文構文と連体複文構文の両方を掲げるとともに,歴史言語学,コーパス言語学,対照言語学などからの広範なアプローチを試みる。本報告では,複文構文プロジェクトの研究成果のなかから,2つの話題を紹介する。1つは連用節と連体節における接続形式の現れ方に関する言語類型の問題であり,もう1つはテ形節の定形性/非定形性の問題をめぐる話題である。
バンス, ティモシー・J VANCE, Timothy J.
連濁の全体的な不規則性は一般に知られているが,オノマトペの畳語は一切連濁しない。一方で,オノマトペ以外の和語畳語は,たとえ意味および文法的振る舞いがオノマトペに類似しても,連濁しやすい。そこで,新しく作り出された"準オノマトペ"の畳語が連濁に抵抗することは興味深い。Nishimura(2013)は,"複数・強調の重畳"と"オノマトペ的重畳"を区別し,後者だけが連濁不可と主張する。しかし,その2種類の重畳の意味的対照が必ずしも明瞭であるとは限らない。
Yoshimoto, Yasushi
日本語の時制辞は形容詞述語と否定述語が同じパターンを示し、異なるパターンをとる肯定動詞述語と対照的である。沖縄語も日本語と同様の対照性を示す。本稿では、分散形態論の枠組みを用いて両言語におけるこのような時制屈折パターンを分析した。その結果、日本語と沖縄語に見られる述語屈折パターンの表面上の同一性は異なる要因によりもたらされるものであることが明らかになった。<br/>本稿ではまた、日本語の文末に現れる丁寧辞「です」の分布に関する事実を「です」の持つ範疇選択特性をもとに考察した。丁寧辞「です」は TP を範疇選択するように見えるが、実際は T の補部にある範疇(aP, vP, NegP など)を選択していると考えられる。このことを説明するために斎藤(2018, 2020)の提唱するラベリングのメカニズムを採用し、さらに日本語の時制辞が弱い主要部であることを提案した。これにより、「です」の分布が正しく説明されることを示した。<br/>最後に、Nishiyama(1999)が提唱する日本語の形容詞述語の分析を考慮に入れ、本稿で提案する形容詞述語や丁寧辞に関する分析を吟味した。Nishiyama は日本語の形容詞述語は主要部 Pred を含むとしているが、その分析を採用した場合でも、いくつかの仮説を採用することにより本稿で提案した分析は維持できることを示した。
タイラー, ロイヤル
世阿弥にとって布や機織りに関係するモチーフは大事なものであったらしく、それは彼の多くの謡曲に採用されている。この論文は脇能の「松浦」・「布留」・「高砂」をとりあげてから「呉服」の分析に入り、その内容が、世界に広く分布している、機織り=文明乃至は社会作りという見方に匹敵することを示す。そこから人間の孤独や絶望に重点をおく四番目物にうつり、「錦木」(「砧」も考慮に入れて)の場合、機の音が悲鳴にかわることを対照的に指摘する。
中須賀, 常雄 馬場, 繁幸 神山, 宗久 Nakasuga, Tsuneo Baba, Shigeyuki Kamiyama, Munehisa
1. ギンゴウカンの初期生長(発芽後6ケ月間)に及ぼす土壌水分量及び施肥の影響について, 1981年5月より11月までの間に, 本学構内のガラス室において実験を行った。2. 市販の肥培液の400倍液の施用によって, 対照区と比較して20&acd;30%の生長増がみられた。施肥は節間数及び葉数を増加させるのみならず葉の大きさにも影響を及ぼした。3. 土壌水分張力が生長阻害水分点以上となり水ストレスが生じると, 生長が著しく抑制された。対照区と比較すると, pF3.0区で伸長, 重量生長は70%, 肥大生長は50%の減であり, pF3.5区では各々85&acd;90%, 50%の減であった。生長初期の実生苗では葉の占める割合が大きいが, 水ストレスの影響は葉数及び葉軸数の減少, 羽軸長, 葉軸長及び小葉長の短小化にあらわれ, 葉が矮生化した。4. 3ケ月生実生苗の培土を自然乾燥させ永久萎凋点以上の状態に1ケ月間管理した場合, シュート上部は枯死したがシュート下部及び根系は生存し, 再び給水した場合萠芽し, 伸長しはじめた。5. ギンゴウカン実生苗の生長は土壌水分が生長阻害水分点以上になると著しく抑制されるが, 個体維持の面では永久萎凋点以上で1ケ月間の水ストレスに耐え, シュート下部と根系は強い耐乾性を示した。
彦坂, 佳宣 HIKOSAKA, Yoshinobu
原因・理由の接続助詞について,『方言文法全国地図』と各地の過去の方言文献とを対照してその歴史を推定した。基本的には京畿から「已然形+バ」→カラ→ニ→デ→ケン類→ホドニ→ヨッテ→サカイの放射があったと考えた。西日本にはこれらの伝播が重なり,東日本ではカラ辺りまでで,西高東低の模様がある。それは京畿からの地理的・文化的距離やカラの接続助詞化の経緯差によるところが大きいと考える。カラの他にデ・ケン類・サカイなどもかなり地域的変容が想定され,上の放射順が必ずしも順当に受容されたとは限らない。また,標準語のカラとノデに似た表現区分をもつ中央部ともたない周辺部とに分析的表現に関わる差異があり,中央語と地方語との性格の違いも認められる。
堀江, インカピロム・プリヤ一
従来、タイ人の言語行動を特徴づける言葉として「マイペンライ」を挙げる人は多かったが、それは、一般的に「気にしない」「構わない」等と解釈されてきた。この解釈に沿ってタイ人の「マイペンライ」に接するとき、不快感を覚えたり、怒ったりすることがしばしばあることは、多少なりともタイ人と接したことのある日本人なら知っていることであろう。その原因は、日タイの人々の間で、fマイペンライ」についての理解や解釈に相違があるのではないだろうか。以上のような疑問を出発点として、1985-88年にタイにおいて収集した「マイペンライ」の実例について、バンコク在住のタイ人にインタビューを行い、その結果は、国立国語研究所報告lll「日本語とタイ語の対照研究Ⅱ『マイペンライ』-タイ人の言語行動を特徴づける言葉とその文化的背景についての考察 その1-」(堀江、1995)において発表した。その後、タイ人に対するインタビューのデータを補う意味で、同様の実例につき、タイ在住のタイ人にもアンケートを、さらに、同様の実例につき、タイに滞在中の日本人にインタビューとアンケートを実施した。その結果の一部については「平成9年度国立国語研究所公開研究発表会テーマ:言語の対照研究」の予稿集を参照いただきたい。今回の発表は、それらの結果を理解するために必要な日タイの対人意識についての補強調査の一部の紹介である。
石川, 慎一郎
「多言語母語の日本語学習者横断コーパス(I-JAS)」は、2020年のリリース以降、日本語教育・第二言語習得の研究分野で広く使用されている。しかし、海外の学習者コーパス研究で広く実践されている計量的な中間言語対照分析(contrastive interlanguage analysis:CIA)は、I-JAS 研究ではあまり普及していないようである。この理由の一端は、I-JAS の習熟度データの複雑性と、I-JASのダウンロード版テキストデータの扱いにくさにあると思われる。そこで、筆者は、習熟度を統制したCIAの実現のため、新しい習熟度指標で1,000人の学習者を再分類し、すべてのテキストデータを単一のエクセルシートに集約した「I-JAS for CIA」というデータシートを作成した。本稿は、「I-JAS for CIA」の構築過程とその利用法、また、研究応用の可能性について報告する。
石原, 嘉人 Ishihara, Yoshihito
本稿では,石原(1990)の内容に新たな知見を加え,漢字圏からの留学生に照準を合わせた漢字語彙教育の可能性について論じる。彼らにとって日本語の漢字語彙を母語と対照させつつ学ぶことは,東アジア各国の地政学的な位置づけや交流の歴史の認識,近代化の意義などについて再考を促すきっかけになり,学習意欲を高める上で十分な意義が得られる。その一方で,彼らの母語における漢字語彙を有効に活用するためには,母語の干渉による誤用のパターンを認識するだけでなく,それぞれの言語における漢字語彙の分類を明確な自覚を持って再認識する必要がある。
近藤, 泰弘 KONDO, Yasuhiro
日本語歴史コーパスは,中納言のインターフェースで公開されているが,XML形式の本体の全体を解析することで,より多くの情報を引き出すことができる。今回は,『源氏物語』の全文を対象に,短単位および長単位およびN-gramによる分割を施し,それぞれをコンコーダンス形式に出力した。また,それらを,既存のコンコーダンスである北山谿太編『源氏物語辞典』(平凡社・と比較対照することによって,コーパスを利用したコンコーダンスのメリット・デメリットを検証した。また,総語彙やセンテンスを各種の機械学習モデルによって分析し,『源氏物語』における語彙とトピックの分布の関係ついての知見を得ることができた。
小林, 和貴 鈴木, 三男 Kobayashi, Kazutaka Suzuki, Mitsuo
出土編組製品の素材に関する研究は,これまであまり行われてこなかった。その原因として,素材植物の同定を行うための切片作製方法が確立されていないことと,現生植物種の比較対照標本が不十分であることがあげられる。本稿では,切片作製方法の確立を目指して徒手切片法と樹脂包埋切片法による切片作製と,潰れた植物組織の復元方法の検討を行った。二つの切片作製法を使い分けることで,遺存状態の良い遺物と劣化した遺物,保存処理された遺物の切片を作製することが出来た。潰れた植物組織の復元にはアンモニア処理が有効だった。
加藤, 祥 KATO, Sachi
コーパスの頻度情報は有用なデータであり,COBUILDやウィズダム英和辞典などの辞書に語や意味の重要度の指標として活用されている。ある対象物に関する様々な要素のうち重要なものは,テキストにおいて高頻度で言及されている可能性が高い。動物の身体部位語の頻度を調査したところ,ある動物において特徴的と考えられる角のような要素の頻度が高い傾向が見られた。また,対象物の有する要素とその頻度分布情報から,対象物を認識することも可能という実験結果も得られた。我々は対照する他物との差異となり得る特徴的な要素に着目し,それらが高頻度であることを期待する。しかし,高頻度であると期待される要素が,必ずしも高頻度で言及されていない場合がある。たとえば,それぞれ馬と人との差異として角を有するユニコーンと鬼を見ると,ユニコーンの角は期待通りの高頻度で言及されるが,鬼の角は頻度が低い。期待される頻度と実頻度に差の生じる一因は,用例において比喩表現に現れていた。外観上特徴的な要素は,形状を表す喩辞として用いられる傾向がある。ゆえに,固定的なイメージがない場合には比喩表現として用いられにくい。また,対照されやすい他動物が被喩辞となる比喩表現では,差異となる要素こそあえて言及する必要がない。このように,特徴的な要素と用例頻度の関係には,比喩表現のような表現形式が関わるため,頻度情報を用いる際には考慮が必要である。
迫田, 久美子 小西, 円 佐々木, 藍子 須賀, 和香子 細井, 陽子 SAKODA, Kumiko KONISHI, Madoka SASAKI, Aiko SUGA, Wakako HOSOI, Yoko
本稿は,共同研究プロジェクト「多文化共生社会における日本語教育研究」が進めている多言語母語の日本語学習者の横断コーパス(通称I-JAS)について概説した。前半では,I-JAS構築の経緯と概要,調査の内容と特徴をまとめ,後半では,I-JASを利用する際に重要となる書き起こしのルールやタグ付けの方針などについて述べた。12の異なる言語を母語とする約1000人の日本語学習者のコーパスは,日本語の第二言語習得研究や対照言語学,社会言語学的な言語研究のみならず,日本語教育の現場でも利用が期待される。
小林, 隆 KOBAYASHI, Takashi
文献国語史と言語地理学の提携により語史を構成するための基礎資料の一つとして,『日本言語地図』(国立国語研究所,昭和41~49年)の関連意味項目の全国方言分布を明らかにしようとした。語史研究は,文献国語史と言語地理学とが提携して進められることが望ましく,その資料として,言語地理学では主に『日本言語地図』が利用されてきた。ところが,『日本言語地図』の解釈を文献国語史と対照すると,両者の間で語の意味が対応しない場合があり,この点について詳しく考えるために,例えば〈眉毛〉に対する〈まつ毛〉など『日本言語地図』の関連意味項目の方言分布をあらたに調査した。項目は主に身体名称の50項目であり,通信調査法により全国1400地点分の資料を収集した。本稿は,この調査の目的と方法について論じたものである。
川村, 教一
福岡県の求菩提山(くぼてさん)は修験道にとって神聖な山の一つである。求菩提山中にある修験道の行場のうち「五窟」とは,5 か所の拝所の総称である。地質と山岳霊場の拝所の関係を明らかにすべくこれらの「窟」を筆者が調査したところ,比較的堅く侵食に強い溶岩層からなる崖の基部に「窟」は位置していた。また,「窟」には,人工的に岩窟が形成された拝所と,岩窟が見られない拝所があることも明らかにした。一般に,求菩提山近傍の山中では比較的やわらかい岩石である凝灰岩類層中に岩窟としての「窟」が設けられているのとは対照的である。
金澤, 裕之 KANAZAWA, Hiroyuki
本稿は,明治期に出版された落語速記の作品と,同じく明治期に録音・販売されたと考えられる落語SPレコードの作品のうち,同一の演者によって行なわれた同一の落語作品を詳細に比較・対照して,その両者における言語内容の実態を明らかにしようとするものである。この両者には,噺の骨格や進め方,更には語彙的な部分においてはかなりの類似性が見られるが,話しことばというパフォーマンス部分から見ると,大きな隔たりがあることが分かった。速記資料における「口語性」を考える場合には,その資料的性格をよく考慮した上で,慎重に判断を加えつつ活用してゆくことが必要であると考えられる。
三井, はるみ
方言の条件表現についての研究をすすめて行くための手がかりとして,青森市方言の順接仮定条件表現を例に取り,『方言談話資料』を主な資料として,共通語との対照による体系記述を試みた。その結果,この方言の接続形式バについて,(1)後件の反期待性という制約が効かない,という特徴が見出され,(2)前件の確実性に関する制限が緩やか,(3)事実的用法を持つ,という可能性がうかがわれた。また,接続詞的用法,提題・対比用法においても共通語との異なりが見られた。最後に『方言文法全国地図』所収(予定を含む)の順接仮定条件表現項目の地図を提示し,方言の条件表現形式の分布状況を紹介する。
幸喜, 善福 黒島, 一雄 Koki, Zenfuku Kuroshima, Kazuo
1)のり面植栽工法と流出土砂量および流出水量の関係について, 琉球大学農学部付属農場畜産部の南西斜面(斜面角22&acd;24度)の泥灰岩土壌ののり面において実験した。2)実験床は対照区と植栽区にわけた。植栽区は被覆度をほゞ14%と等しくし, のり面に筋芝を斜めに植えつけた斜め植栽区と等高線方向と直角に植えつけた縦植栽区および等高線と同一方向に筋芝を植えつけた横植栽区とした。3)その結果, 流出土砂および流出水の抑制の面から最もよい植栽工法は等高線と同一方向に筋芝を植えつける横植栽工法であり, 最も悪いのはのり面を被覆しないでそのまま放置することであった。表面侵食防止には, のり面被覆は重要なことであり, 植生は大切である。
東盛, キヨ子 Higashimori, Kiyoko
沖縄の山野に広く分布し、餅の包装材や食品の着香、着色の目的で利用されているゲットウの抽出液の微生物に対する抗菌作用について検討した。さらに安全性確認の一環として変異原試験を実施し次の結果を得た。\n1)ゲットウ水抽出液の餅より分離したBacillus、腸内細菌、その他のグラム陰性菌に対する抗菌作用は濃縮液で若干効果が見られた。\n2)大腸菌群に対するゲットウ水抽出濃縮液の抗菌作用は顕著でなかったものの、抽出液添加の平板上のコロニー直径が対照より小さくなっていた。\n3)ゲットウ水抽出液は加熱することにより抗菌作用は弱くなった。\n4)ゲットウ水抽出液およびゲットウ精油の変異原性は認められなかった。
浅原, 正幸
本研究では『現代日本語書き言葉均衡コーパス』に対して付与された,文の読み時間データ『BCCWJ-EyeTrack』と,名詞句の定性などの情報構造アノテーションデータの対照分析を行った。日本語母語話者24 人分のデータを線形混合モデルにより分析した結果,特定性(specificity)・有情性(sentience)・共有性(commonness) が文の読み時間に影響を与え,それぞれ異なったパターンの読み時間の遅延を引き起こすことがわかった。特に共有性においては新情報(hearer-new)・想定可能(bridging) が識別可能なレベルで異なった。このことは,ある名詞句が言語受容者にとって新情報なのか想定可能なのかを読み時間データから推定することができる可能性を示唆しており,文書要約のユーザ適応などの応用に利用することが期待できる。
窪薗, 晴夫 KUBOZONO, Haruo
2009年10月に始まった共同研究プロジェクト「日本語レキシコンの音韻特性」の中間報告を行う。このプロジェクトは,促音とアクセントを中心に日本語の音声・音韻構造を考察し,世界の言語の中における日本語の特徴を明らかにしようとするものである。促音については,主に外来語に促音が生起する条件およびその音声学・音韻論的要因を明らかにすることにより,日本語のリズム構造,日本語話者の知覚メカニズムを解明することを目指している。アクセントについては,韓国語,中国語をはじめとする他の言語との比較対照を基調に,日本語諸方言が持つ多様なアクセント体系を世界の声調,アクセント言語の中で位置づけることを目指している。本論文では本プロジェクトが明らかにしようとする問題点と近年の研究成果を総括する。
富田, 愛佳
本稿では『車里訳語』を材料として18世紀タイ・ルー語形とその音写漢字を対照させ、音写に使われた漢字音の音節初頭子音ならびに末子音の状況を分析した。その結果、音写に用いられた漢字音は、おおむね北方官話と同様の歴史的変化をたどっていること、また、音節末鼻音の音写状況などから、同漢字音は現代の雲南漢字音と似た特徴をもつこと、が明らかになった。現代の雲南漢字音は、地域によって、中古音にあったそり舌音と非そり舌音の区別を残しているものと、それを失ってしまったものとがある。タイ・ルー族の都であった景洪の漢字音は後者に属するが、音写に用いられた漢字音はこの区別を残しているため、別の地域の漢字音であった可能性が高い。
箭内, 匡
この論文は,チリ南部に居住する先住民マプーチェの社会において,口頭的コミュニケーションの問題が,口頭伝承,夢,儀礼といった彼らの伝統的な社会文化的実践の中心部分を縦断して,マプーチェ的な「考え方」,「生き方」そのものの問題と重なり合っていることを,一次データをもとに示そうとするものである。その中で,E・A・ハヴロックの『プラトン序説』を一つの土台に,こうした思考と存在の様式の独自性を,プラトン主義や近代的主体性との対照の中で浮き彫りにする試みもなされる。後者の作業は,近代国家チリの中で少数民族として暮らすマプーチェの人々が,口頭的なものと近代的・チリ的なものとの問で揺れ動く今日的状況を存在論的なレベルから把握する上で有益な作業と考えられる。
ザトラウスキー, ポリー SZATROWSKI, Polly
オノマトペが試食会のコーパスでどのように用いられているのかを考察する。試食会の参加者は 3種類ずつの乳製品を対照しながら最初は見た目で色や触感を描写・評価し,次に匂いから特定しようとし,食べ始めてからは味覚と触覚で味,食感等を描写,評価する。相互作用の中で五感と関連させながら,評価・描写の場合は,複数のオノマトペの候補を繰り出す過程が,特定や評価の場合は,オノマトペによる根拠づけが見られた。オノマトペを含む発話の後,同意,不同意,他のオノマトペの提示等の発話連鎖や言葉(オノマトペ)探しからオノマトペのネットワーク性が明らかになった。オノマトペは,参加者が言語・非言語行動を通じて,変化していく食べ物に対する感覚的体験を,一瞬一瞬共有,モニターしながら精密化するのに重要な役割を果たすと考えられる。
曹, 大峰 CAO, Dafeng
多言語コーパスに焦点を絞って,まずこれまで多言語コーパスを分類するための基準が不足していたことを指摘する。さらに,多言語コーパスというものにおいては異なる言語がさまざまな関係によって関連付けられていることを示し,その関係を分類するための基準を提案する。その上で,多言語コーパスをどのように選定し,使い分けるべきかについての目安を示す。また,「中日対訳コーパス」の作成と利用経験を踏まえて,訳文データの特性に気付かず原語と対等に使うなどの利用上の問題点を指摘したうえ,筆者が提示した利用モデルを説明し,「可能だ」という可能表現,終助詞「だろう」の意味用法,日中同形語である「基本」の意味用法などに関する日中対照研究の事例を通して,対訳コーパスを適正に利用する方法とその効果を示す。
石川, 慎一郎 友永, 達也 大西, 遼平 岡本, 利昭 勝部, 尚樹 川嶋, 久予 岸本, 達也 村中, 礼子 ISHIKAWA, Shin’ichiro TOMONAGA, Tatsuya ONISHI, Ryohei OKAMOTO, Toshiaki KATSUBE, Naoki KAWASHIMA, Hisayo KISHIMOTO, Tatsuya MURANAKA, Reiko
本稿は、「小中高大生による日本語絵描写ストーリーライティングコーパス」(JASWRIC)の構築過程と概要を報告する。JASWRICには、700名の小中高大生による約13.6万語(短単位)のL1日本語作文が収録されている。全データは、ダウンロード版とオンライン版(JASWRIC Online)の2系統で公開される。一般公開されているL1の子どもの作文コーパスがほとんどない中で、JASWRICは、L1日本語の発達過程を調べる有益な資料となるだろう。また、JASWRICのデータは、「多言語母語の日本語学習者横断コーパス」(I-JAS)で採用されたストーリーライティングのプロンプトを使って集められている。このため、JASWRICは、I-JASと併用することで、L1/L2対照研究の参照データとしても使用可能である。
諸見里, 秀宰 米盛, 重友 Moromizato, Shusai Yonemori, Shigetomo
クワの優良品種Tai-Song No.2とNo.3について, さし木繁殖を向上させる目的で行なったものである。本実験では当年生の萠芽枝を用いて, さし穂の特性別, さし付用土別, 薬剤処理別に, ガラス室内に設置されたミストボックスを利用して, 1981年9月4日さし付け, 1981年11月4日掘取り調査を行なった。実験の結果, Tai-Song No.3はNo.2より発根率においてすぐれていた。また, 無着葉木質枝を長さ15cmに穂ごしらえしたさし穂は, その他の部分から採穂したさし穂より発根率はすぐれていた。用土別の発根率は, バーミキュライト, 鹿沼土, 海砂および林床土の順位を示した。更に薬剤処理区は対照区より発根, 生長ともにすぐれていた。特にルートン処理は好結果を示した。その他, 新梢長, 葉数, 根長についても測定した。
笹澤, 吉明 真栄城, 勉 三輪, 一義 新屋, 信雄 Sasazawa, Yosiaki Maeshiro, Tsutomu Miwa, Kazuyoshi Shinya, Nobuo
中学3年生における不眠症とメンタルヘルス指標との関連を明らかにするため、質問紙調査を行った。対象は群馬県内の中学3年生男女1,533名である。質問項目は、睡眠指標として不眠症、睡眠時間、就床時刻であり、精神保健指標として孤独感、社会的支援、自尊感情、登校意欲低下、抑うつ気分である。調査の結果、1,269名より有効回答を得た(有効回答率82.8%)。不眠症の有病率は、全体で21%であり、男子で22%、女子で19%であった。不眠症群は対照群に比べ、男子では抑うつ気分が高く、希死念慮が高く、家族または友人からの社会的支援が低く、孤独感が高く、登校意欲が低かった。一方、女子は抑うつ気分が高く、孤独感が高く、家族からの社会的支援が低く、希死念慮が高く、登校意欲が低かった。
笹澤, 吉明 森本, 一真 平良, 柚果 新城, 冬羽 姜, 東植 小林, 稔 Sasazawa, Yosiaki Morimoto, Kazuma Taira, Yuka Shinjo, Towa Kang, Dongshik Kobayashi, Minoru
小学生の睡眠習慣の改善が自尊感情の向上に影響を及ぼすかを明らかにするため睡眠介入研究を実施した。対象は沖縄県の公立小学校2 校の小学6 年生244 名(介入校149 名、対照校95 名)である。介入校には週1 回の睡眠の授業と毎日の睡眠日誌の記入及び検者によるフィードバックを1 か月間行った。介入の前後に睡眠習慣やその他の生活習慣や自尊感情及び抑うつの質問項目を盛り込んだ質問紙調査を2 度実施した。その結果、事前調査の横断的解析によって、小学生の自尊感情と関連する項目は、睡眠時間、睡眠の質、不眠症、睡眠の満足度、朝食摂取、運動時間であることが明らかとなった。睡眠介入前後の縦断的解析によって、睡眠習慣の改善および自尊感情の向上はみられなかった。しかしながら、抑うつにおいては睡眠介入後有意に改善傾向が見られた。
秦, 周漢
日本語の漢語において、造語力の強さはその顕著な特徴の一つである。特に字音接辞は漢語の語形成に重要な役割を果たしているが、従来の研究では、接辞の使用実態に関する計量的な特徴については十分に明らかにされていない。本研究では、張(2019)の日本語字音接辞語彙表を参考にし、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』に含まれる字音接辞および、その接辞と共起する語基成分を抽出し、手作業で語彙情報の修正を行い、字音接辞の共起成分データベースを構築した。各接辞とその共起成分の頻度のほか、『分類語彙表 増補改訂版』に基づく意味分類情報も付与した。本データベースは、共起成分の頻度情報を付与することにより、共通の意味成分の抽出や生産性の数値化に道を拓くものであり、中国語接辞との対照研究も可能にする。習得研究や日本語教育や国語教育への貢献も期待される。
四方田, 雅史
本稿は、第一次大戦前に、日中両国において主要輸出産業であった花筵製造業を分析したものである。同製造業は、中国が世界市場において先んじて発展し、日本が中国の取引慣行を学んで中国に追いつこうとしたため、研究の価値がある興味深い題材である。本稿は、その特徴を仔細に比較するため、とりわけ各国の主要産地である岡山・福岡・広東に焦点を当てる。 これまで、日本と中国は、アメリカの花筵市場において、熾烈な「アジア間競争」を経験したと考えられてきた。しかし、その競争を仔細に分析した結果、日本と中国はその市場で直接競合していたのではなく、異なる品質・デザインの製品を生産するという”差別化”戦略を採用したことが分かる。その違いの一部は、生産者・国内商人・外国人輸出商間の経済取引を組織化していた諸制度の違いに帰すことができよう。そのため、本稿は、両国の経済制度と経済的パフォーマンスが対照的になった理由を論じなければならない。 領事報告の記述を仔細に分析することによって、両産地の取引を規律づけている制度に対照的な違いがあることが明らかになった。その報告には、中国の生産者・商人が約束・契約を遵守する傾向がある一方、日本の生産者・商人は契約を遵守しないとの指摘が頻繁に見られる。広東では、集団として行動する同業者組織に代表される懲罰メカニズムが生産者・商人に契約を遵守させたことが考えられる。その結果、中国は画一的で標準化された花筵の生産に比較優位を持った。その反面、広東に存在したメカニズムが存在しなかった日本では、中国と比べ、粗製濫造と無秩序な取引とが広範に見られ、それらの問題を解決し商業秩序を再構築するため、産業界と政府が、新たに同業組合を組織し輸出品検査を導入する上で協力することになった。このような制度的特徴によって、日本は多様なデザイン・種類の花筵の生産に比較優位を持つようになったのである。 本稿で指摘したさまざまな特徴は、各産地の中で相互に連関しあい、相互に補完的であったと結論づけられる。そのため、日本と中国の違いは、第一次大戦以降に至るまで、収斂することはなかったと考えられる。
笹澤, 吉明 平良, 柚果 森本, 一真 新城, 冬羽 三田, 沙織 増澤, 拓也 姜, 東植 小林, 稔 Sasazawa, Yosiaki Taira, Yuka Morimoto, Kazuma Shinjo, Towa Mita, Saori Masuzawa, Takuya Kang, Dongshik Kobayashi, Minoru
偏食の改善が幼児の心理面の発達に影響を及ぼすかを明らかにするため、沖縄県の保育園2園の5 歳児とその保護者38 組(介入群26 組、対照群12 組)を対象に偏食改善の介入研究を行った。園児への食育の介入は、約1 か月間に亘り、読み聞かせ、食材体験、調理実習の3 回を行った。保護者には偏食改善に向けたお便りを児童に介入後配布した。介入前後に偏食、食習慣、心理的側面、健康状態などの項目からなる質問紙調査を保護者に2 回実施した。事前調査の横断的解析結果は、偏食と心理的変数には関連がみられず、保護者が食事に気を使うほど児童の情緒が安定し、不安や抑うつが少なく、攻撃性が低いことが明らかとなった。事前事後の縦断的解析結果は、食育の介入による心理面の影響はみられず、ファストフードを摂らないようにするという食行動の改善が有意にみられた。
粂, 汐里 KUME, Shiori
能・狂言・歌舞伎では絵画資料を用いた研究が盛んに行われている。説経・古浄瑠璃も、演劇的な観点からの絵画資料の収集・分類が必要だが、これまで個別の作品論に留まっている。そこで本論では、説経・古浄瑠璃の物語を描く絵画である絵巻、絵本を収集し、系統分類を試みると共に、個々の資料の傾向と特徴について基礎的な考察を行った。はじめに、説経・古浄瑠璃の物語を描く絵画の現存作品四六点をリスト化し、書型、同系統の本文を有する正本との照合を行いながら、制作時期の整理を試みた。次に絵巻、絵本と正本の影響関係について、本文、挿絵の点から考察した。挿絵においては、正本の挿絵を流用した絵巻、絵本の作例は寛文頃成立の絵巻一点のみであることがわかり、主に版本を元に大量生産されてきた舞曲と対照的であることが判明した。また、説経・古浄瑠璃を題材とした扇面画・屏風が存在しないことも明らかになった。
国立国語研究所は,1988年12月20日(火)に創立40周年をむかえた。それを記念して,同日,「公開シンポジウム『これからの日本語研究』」が国立国語研究所講堂でひらかれた。本稿はそのシンポジウムの記録である。 (ただし,集録にあたっては,本報告集の論文集としての性格を考慮し,あいさつ,司会の発言は省略し,発表内容に関する発言のみを集録した。)ひとくちに「日本語研究」といっても,その研究対象は多様であり,また研究の視点・方法も多様である。そして,近年その多様性はますます拡大する傾向にある。このような状況をふまえ,今回のシンポジウムでは,(1)理論言語学・対照言語学,(2)言語地理学・社会言語学,(3)心理言語学・言語習得,(4)言語情報処理・計算言語学という四つの視点をたて,それぞれの専門家の方に日本語研究の現状と今後の展望を話していただき,それをもとにこれからの日本語研究のあり方について議論するという形をとった。
菊池, そのみ KIKUCHI, Sonomi
本稿は中古和文資料を対象として中古語における形容詞テ形の出現傾向を明らかにするものである。『日本語歴史コーパス平安時代編』を使用し、形容詞テ形と形容詞ゼロ連用形 の用例を抽出して両者の比較から以下の 3 点を明らかにした。まず、形容詞の連用形全体に占める形容詞テ形の割合はおよそ1割であり、動詞の場合にはテ形が9割を超えることと対照的な結果が得られた。これに加えて現代語における同形式との比較によって通時的な変化についても問題を提起した。次に形容詞テ形の出現傾向は文章のスタイルに影響を受けないことを指摘した。最後に「あり」、「をり」などの存在動詞が後続する場合についてテ形の出現傾向を形容詞の意味分類を踏まえて分析した。その結果、テ形の場合には「感情」や「評価」を表す形容詞が多い一方でゼロ連用形の場合には「状態」を表す形容詞が多いということが明らかとなった。
星野, 靖子 Hoshino, Yasuko
本稿では、Twitterにみられる一種の慣用表現「名前をつけたい」のコミュニケーション論的特徴を明らかにすることを目的とする。従来は「子供には季節を感じる名前をつけたい」「ファイルに別の名前をつけたい」等の人やモノを対象とする命名表現だが、Twitterでは「試験前に部屋を片付けたくなる現象に名前をつけたい」などの個人的な出来事や感情を述べる特徴がみられ、抽象的な名詞とは対照的に名詞修飾節の内容が個別具体的である点から、「名前」から想起される一般性の高さに反して認知意味論的なミスマッチが生じている。そこで、Twitterの用例を収集・分類し、国語研現代日本語書き言葉均衡コーパスの用例を比較した結果、①当該表現は2007年以来Twitterで頻出し、その大半は命名を意図しないこと、②後続の抽象名詞に通時的変化がみられ、共起語「現象」とあわせて慣用表現化していることが明らかになり、③「名前をつけたい人生だった」等のメディア特有の変異形が確認された。
宇佐美, まゆみ
本稿では,1978/1987年にBrown & Levinsonによって提出されたポライトネス理論と,それが巻き起こした論争などを簡単に振り返り,改めて,1990年以降,「ポライトネス記述研究」と「ポライトネス理論研究」に二極化したポライトネス研究の約40年の動向をまとめる。「ポライトネス記述研究」とは,各個別言語におけるポライトネス,敬語体系や敬語運用の研究,それらの比較文化対照的研究などを指し,「ポライトネス理論研究」とは,言語文化によって多岐・多様に渡るポライトネスの「実現(realization)」の基にある動機によって,異なる言語文化におけるポライトネスの実現を統一的に説明,解釈,予測しようとする「理論(theory, principle)」の構築に重点をおいた研究である。それぞれの意義と役割,問題点などを確認した上で,本稿では,現在,急激に発展している人工知能研究における「対話システム構築」のための対話研究とも関連づけながら,「ディスコース・ポライトネス理論」(宇佐美,2001a,2002,2003,2008,2017)の21世紀の新展開と今後の可能性について論じる。
若林, 健一 茂呂, 雄二 佐藤, 至英 WAKABAYASHI, Ken'ichi MORO, Yuji SATO, Yoshiteru
児童の作文過程を認知科学的に解明し併せて作文過程の改善を目指すために理論的な吟味とそれに基づく調査および実践を行った。1)作文過程を特定の相手に向けた発話過程として見直し,教室における作文過程をより有意味にするための方法として,子供たちに仮想的な他者視点を取らせる「誰かになって書く方法」を提案した。2)この方法に基づいて小学校5年生を対象にした「映画監督になって書く」実践場面をもうけて作文資料を収集し,これを種々の観点から談話分析によって特徴づけして,対照資料と比較しながら「誰かになってみる方法」の有効性を確認した。3)仮想視点を取る方法の有効性をより客観的に明らかにするために作文能力を測るテストを開発し,これを利用しながら,子供たちに読み手を意識化させることがどのような効果をもつのか検討し,「文化人類学者になって調べて書く」実践授業を組んで再度仮想視点を取る方法の有効性を確認した。
丸山, 岳彦 小磯, 花絵 西川, 賢哉 MARUYAMA, Takehiko KOISO, Hanae NISHIKAWA, Ken'ya
国立国語研究所基幹研究プロジェクト「大規模日常会話コーパスに基づく話し言葉の多角的研究」では,2016年度より『昭和話し言葉コーパス』(SSC: Showa Speech Corpus)の構築を進めてきた。2021年3月にその構築作業が完了し,コーパス検索アプリケーション「中納言」で一般公開を開始した。『昭和話し言葉コーパス』は,1950年代から1970年代にかけて国立国語研究所で作成された録音資料群を再編成し,現代の技術で話し言葉コーパスとして整備したものである。過去の音源を現代の技術でコーパス化したという点において,日本語では従来存在しなかったタイプのコーパスであると言える。また,現代の話し言葉コーパスと連結し,比較・対照することによって,話し言葉の経年変化を探るための「通時音声コーパス」として利用できる点で,画期的である。本稿では,今回構築した『昭和話し言葉コーパス』について,そこに収録されている録音資料群の出自や当時の国立国語研究所の状況,コーパス構築の過程とアノテーション,さらに予備的な分析結果について述べる。
瀨底, 正栄 武田, 喜乃恵 浦崎, 武 Sesoko, Masae Takeda, Kinoe Urasaki, Takeshi
浦崎ら(2013,2014) は、琉球大学教育学部附属発達支援教育実践センターで、発達障害のある子どもたちや、学校生活等で支援の必要な子どもたちを対象にしたトータル支援教室を実施してきた。トータル支援教室の特徴は、子どもたちが外のものや人へと積極的に関わっていく< 向かう力>を糸口に、子どもも支援者としての大人も<ともに楽しむ場を共有する>ということを大切にし、その<楽しむ場>を通して子どもたちとの関係形成を行ってきた。そこで、今回は、二つの異なるタイプの事例からトータル支援教室の特徴である<向かう力>と<ともに楽しむ場を共有する>ことを大切にした支援についてその変容を考察し、「他者を想定しない多動的な行動を繰り返すA 君」と「他者からの能動的な行動に不安を感じ避ける言動を日常としていたB君」のような対照的な事例からも、トータル支援教室でみられる関係形成を基盤とした支援から、A 君、B君の生活世界の拡がりが確認された。
全, 京秀
博物館の概念は西洋における帝国主義及び植民地主義の拡大という脈絡とは無縁ではありえない。朝鮮総督府博物館は1915年に朝鮮王宮跡地に創設され,しかも博物館の名称自体が,植民地の民族に対する支配を明白に示していた。これを「植民地主義博物館」と私は呼びたい。前者と対照をなす「民族主義博物館」は,米国軍政府の援助のもとでの独立と共に,最終的に建物・機構ともに前者に取って代わった。この博物館は1950年の朝鮮戦争の直前にソウルの人類学博物館と合併した。この意味ではこの博物館は,異文化を展示するという人類学的内容をもっていたわけである。植民地時代には民族を支配するために,独立以降は民族とその政府にとって,古くからの由来や文化的価値,そして政治的正統性を提示することで,博物館は少なくとも植民地主義的利益と民族主義的利益のために尽くしてきたのである。21世紀にはグローバリズムというキーワードが世界の中で我が国の博物館を示していく主要な課題となるかもしれない。
山崎, 誠
2004年に刊行された『分類語彙表増補改訂版』(以下、分類語彙表)はその「まえがき」によると、初版とくらべて多義語の処理を改良して、「同じ単語を意味に応じて何箇所にも出すようにした」と記述されている(P.6)。しかし、現代の小型国語辞書に掲載されている多義語と比べると、『分類語彙表』の多義語は掲出されている分類項目が少ないものがある。例えば、「切る」は『三省堂国語辞典』(第八版)では動詞の意味が27個、造語成分としての意味が3個あるが、これら30個の意味を『分類語彙表』と対照させると、単独の見出しがあるものが3個、「スイッチを切る」のように連語として見出しがあるものが6個で、計9個しか対応していなかった。残りの21個は、単独の見出しで掲出できそうなもの15個、連語として掲出できそうなもの6個であった。本発表の目的は、使用頻度の高い多義語を取り上げ、『分類語彙表』に収録されていない意味を拾い上げ、増補の候補とすることである。
平田, 永二 安里, 練雄 寺園, 隆一 生沢, 均 Hirata, Eiji Asato, Isao Terazono, Ryuichi Ikuzawa, Hitoshi
天然生林の成長の促進及び形質の改善を目的として除伐を実行し,その後樹種構成の改善を図るため,イスノキの樹下植栽を行った。本報では,除伐後の林分構造とイスノキの活着率及び植栽後約1年間の伸長成長について明らかにした。除伐によって平均直径が10&acd;36%,平均樹高が6&acd;16%増大し,樹種の構成も目的樹種がかなり増加した。除伐前後の樹高及び胸高直径の順位曲線に対して,2階差分方程式を当てはめた結果,樹高は対称型,胸高直径は非対称型の曲線式が良く適合し,除伐後の順位曲線は,除伐前に比べいずれも右さがりとなり,低順位の個体が多く除伐されたことを示している。イスノキの活着率は,植栽後約1年5ヶ月目でも平均約98%となり,極めて高い数値を示している。1年間の伸長成長は除伐の程度によって差が認められ,除伐率が高いほど良好で,除伐をしなかった対照区(プロット1)では先枯れのため負の値を示した。
平田, 永二 安里, 練雄 寺園, 隆一 新本, 光孝 周, 光明 Hirata, Eiji Asato, Isao Terazono, Ryuichi Aramoto, Mistunori Zhou, Guangming
本報は,天然生広葉樹林内に,弱度,中度,強度の除伐区及び皆伐区,対照区(無除伐)の合計5つのプロット(20m×20m)を設置し,各プロットにイスノキ,イヌマキ及びフクギ(播種)を植え付け,その活着率,発芽率(フクギ)及び樹高成長について調査したものである。調査の結果を要約すると次の通りである。1) イスノキ及びイヌマキの活着率は,それぞれ平均99.7%及び99.2%に達し,植栽後3年間が経過したにも拘らず枯死木は発生していない。2) フクギの発芽の経過は,初期の段階では皆伐区において最も急速であるが,播種後8か月以降ではプロット間でほとんど差がない。発芽率は,最終的には55%&acd;60%となり,プロットによる違いはみられない。3) 年平均樹高成長率は,プロット及び樹種によって統計的な差は認められない。しかし,明らかに,プロット間では,皆伐区が最も成長率が高く,除伐の程度が強くなるほど増加し,樹種間ではイヌマキ,イスノキ,フクギの順に高くなる傾向がある。
鈴木, 博之
本稿では,中国雲南省迪慶藏族自治州香格里拉県小中甸郷南部に位置する吹亞頂村において話されるカムチベット語Choswateng 方言について,チベット言語学の方法論を参考に共時的な音声分析を行い,次いでチベット文語形式(蔵文)との対応関係を明らかにする。加えて,これらの記述と周辺地域で話される同一下位方言群に属する諸方言を対照することで,Choswateng 方言の方言特徴を明らかにする。末尾に語彙リスト(約1,800 語)を付す。カムチベット語方言Sems-kyi-nyila(香格里拉)方言群rGyalthang(建塘)下位方言群に属する諸方言は,香格里拉県建塘鎮を中心に分布する。これらの諸方言間には,その音体系に大きな差異が認められ,特に小中甸郷に分布する方言は村ごとに特徴的な異なりが存在する。本稿で記述・分析するChoswateng 方言は,その中でももっとも複雑な音体系をもつ方言の1 つである。その複雑さは子音体系において前部硬口蓋系列と硬口蓋系列が体系的に対立することに集約され,蔵文との対応関係の分析に基づくと,この複雑な音体系がrGyalthang 下位方言群のより古い層を反映しているといえる。
宮城, 悦生 Miyagi, Etsuo
高エネルギー飼料給与による豚の肥育試験を1971年4月から1972年4月の間に3回実施した。その概要を要約すると次のとおりである。1.肥育成績総体に高エネルギーII区がすぐれた成績を示しているが, 前期の発育は各区間にほとんど差がなく, 後期に肥育がすすむにしたがってしだいに高エネルギーII区が増大している。特に後期の1日平均増体重は有意水準5%で有意差がみとめられ, 高エネルギーII区と対照区間には85±57gの差がみとめられた。その他, 肥育所要日数, 飼料要求率も高エネルギーII区がよい成績を示している。しかし, 1kg増体飼料費は各区間にまったく差がなかった。2.と肉成績枝肉歩留は高エネルギーII区がやや高いが, 反面, 背部脂肪の厚さはやや厚い傾向がみられた。その他の背腰長II, ロース断面績およびハムの割合は遺伝率の高い形質であり, 飼料差はなく, 背腰長IIとロース断面積およびハムの割合との間には有意の負の相関がみとめられた。終りに本試験を実施するに当り試験豚の管理および測定に協力下さった付属農場畜産部金城義正氏に感謝の意を表する。
徳元, 正和 TOKUMOTO, Masakazu
マコモの茎頂組織を用いて、多芽体形成に及ぼす各種植物ホルモンの影響について調べた。また、組織培養苗の特性について調査した。マコモ茎頂組織を培養するには、寄生する黒穂菌の除去が前提となるが、マコモの生育時期により黒穂菌によるとみられる培養培地の汚染率に差が見られた。すなわち、生殖成長(肥大成長)期には汚染率が高く、分ゲツ期には汚染率は低かった。オーキシン(NAA、IAA、IBA)とサイトカイニン(BA、カイネチン、ゼアチン)の各組み合わせの培地では、茎頂から直接の多芽体誘導は見られなかった。しかし、2、4-Dとカイネチン組み合わせの培地では、マコモ茎頂組織から緑色細胞塊(カルス)が誘導された。同カルスはシュート形成能が高く、同液体培地での継代及び増殖が可能なことから、イネ科植物のシコクビエ茎頂分裂組織から誘導された緑色培養体のSupradomeと類似の細胞塊と見られる。マコモの緑色カルスからBA、カイネチン、ゼアチンの単独あるいはNAAとの組み合わせ固体培地で、良好な多芽体の形成が見られた。組織培養で増殖した培養苗は、対照区に比較して分ゲツ数の増加が見られた。しかし、マコモタケの形成は見られず、花穂の形成が確認された。これは、マコモタケ形成に関与するとみられる、黒穂菌の除去によるものと考えられる。
金城, 俊夫 Kinjo, Toshio
フラジオマイシン(FM), パンフランS(PFS), フラゾリドン(FZ)の3薬剤を用い, R^+大腸菌に対するR因子の除去効果および特異的殺菌効果があるか否かを検討し, 次の結果を得た。1.各家畜糞便由来R^+菌12株を用い, 延べ4,310箇の集落について, FM, PFS, FZのR因子除去効果を調べたところ, その効果は何れも低く, それぞれ0.80,0.75,0.98%で, これらの値はアクリフラビンのそれの約1/3以下であった。2.3薬剤がR^+菌に特異的に作用するか否かを, R^+菌108株, R^-菌193株についてMICの分布を指標に比較したところ, 全く差なく, 何れの菌群にも同程度の抗菌作用を示した。ただし, 対照の意味で用いたAB-PC等6剤に感受性のS菌193株については, 極めて高い感受性を示した。3.今回使用したFM, PFS, FZの3薬剤共, 特に実用面から家畜由来大腸菌のR因子除去剤あるいはR^+菌に特異的に作用する薬剤としての有効性は認められなかった。しかし, これら薬剤は家畜由来大腸菌に比較的高い抗菌作用を示した。
楊, 海英
本論文は「歴史」の書き方,「歴史」の語り方を分析し,歴史研究と人類学的研究との相互接点を探ろうとするものである。具体的には,19世紀末に発生し,中国北西部と中央アジアを舞台として展開した回民反乱を分析対象とする。回民反乱について,現代中国の通史類は「少数民族による反清朝闘争」であると政治的な評価を下し,回民反乱軍による略奪や虐殺行為に触れていない。一方,各地の地方史誌はr通史が書こうとしなかった回民反乱軍による被害を記述している。また,通史や地方史誌と対照的なのはモンゴルの年代記である。口頭伝承の要素を大いに帯びている年代記は,モソゴル軍の軍功を賞賛するために回民反乱を淡々と描いている。上述の諸史料をさらに回族側の捉え方と比較すると,まったく異なった,鮮明な「生き方の歴史」が浮かび上がってくる。歴史研究における「外部からの視点」と「内なる視点」を検討し,人類学的な歴史研究と「生き方の歴史」との共通性を探求することこそ,過去の出来事を解明する手がかりとなることを強調しておきたい。
フォキル, レザウル・カリム FAQUIRE, Razaul Karim
本研究の目的は,四つのパラメータ,即ちi)関係節における名詞化の作用,ii)主節と関係節の連携性,iii)参照的一貫性,iv)名詞句の接近可能性階層,に沿って,関係節における日本語対ベンガル語の対照分析を行い,日本語の関係節に見られる言語固有の特性を明らかにすることである。関係節における日本語固有の特性は,名詞句形成に必要な二つの条件:i)過程的条件として行われる名詞化の処理基準と,ii)実質的条件として満たし得る形態統語論的基準に基づくものである。そのためこの二つの条件は,名詞句の関係節としての解釈を導くものである。また,この条件を軸にした分析から,定形節から二段階の過程を経て名詞化され,定形節の何れかの項からなる名詞句が形成される,そのような名詞句のみが,関係節としての形態統語論的基準を満たすことを示す。つまり,このプロセスを経て形成された名詞句は,関係節としての解釈を受ける。なぜなら関係節の述語動詞が示すギャップの位置に生じ得る要素と主要部名詞が参照的一貫性を共有するからである。
長屋, 尚典 鈴木, 唯 榎本, 恵実 NAGAYA, Naonori SUZUKI, Yui ENOMOTO, Emi
国立国語研究所における移動事象に関する通言語的プロジェクト(Motion Event Descriptions Across Languages,略称:MEDAL)は,移動事象表現の通言語的および個別言語的なバリエーションを研究する共同研究プロジェクトである。このプロジェクトの目的の1つは,ビデオを使った産出実験を行うことで,移動の経路が通言語的にどのようにコード化されているのかを解明することである。本論文では,典型的な経路主要部表示型言語といわれてきたトルコ語を対象にその実験を行った結果を報告する。この論文のもっとも重要な発見のひとつは,トルコ語が経路をコード化するときに経路の種類に応じてコード化のバリエーションを示すことである。経路FROM, TO.OUT, TO.IN, THROUGH, PAST, VIA.UNDER, VIA.BETWEEN, AROUND, ACROSS, UP, DOWNにおいては経路主要部表示型の表現パターンが支配的であるものの,経路ALONG, TO, TOWARDにおいては経路主要部外表示型の表現パターンが優勢である。こうして,本論文は,トルコ語の経路表示のパターンについてより細やかな一般化が必要であると指摘し,経路が違えば経路表示も異なるという事実に注目するべきであると主張する。この論文ではさらにトルコ語と他の言語の対照言語学的な違いについても言及する。
松田, 祐一 城間, 定夫 Matsuda, Yuichi Shiroma, Sadao
沖縄産フェザー・ミールをブロイラー・ヒナに給与してブロイラー飼料としての価値を調べた。供試した品種は, 白色コーニッシユ×白色ロックのF_1で, 3回に亘り飼育試験を行なった。その結果 : 1.第1回試験では, 標準区(日本飼養標準による配合)は, 動物蛋白質を魚粉のみとした区とフェザー・ミールを前期飼料2%, 後期4%配合した区について発育を調べたが, ヒナの発育はフェザー・ミール配合区が魚粉区よりも良い傾向がみられた。高エネルギー区でも魚粉区を対照区としフェザー・ミールを前期に2%, 後期に5%配合した飼料を試験区として発育を調べたが, 8週齢体重は魚粉区1,909.4g, フェザー・ミール区1,842.5gで魚粉区が67.2gで重かったが有意差はみられなかった。飼料要求率は, 標準区でも, 高エネルギー区でも, フェザー・ミール給与区がやや大きい傾向にあった。2.第2回試験は, 沖縄の最も暑い6月下旬から8月中旬の間に行ない魚粉区を対照区とし, フェザー・ミールを前期後期とも5%配合した区を試験区とし, 発育を比較したが, 餌付後3週間は魚粉区が良く有意差がみられた(P<.01)。4週後は有意差がなく, 8週後の試験終了時にはほとんど体重差がみられなかった。飼料要求率は, フェザー・ミール区がむしろ小さい傾向にあった。3.第3回試験は, フェザー・ミールを前期6.5%, 後期5%配合し飼料の全蛋白質に占めるフェザー・ミール蛋白質の割合を前期24.6%, 後期23.6%とした。4週齢時の発育は, 魚粉区652.9g, フェザー・ミール区583.8gで明らかに有意差がみられた(P<.01)。しかし前期魚粉区飼料を給与したヒナは後期に魚粉区飼料を給与しても, フェザー・ミール区飼料を給与しても両区間に発育の差はみられず, 同様に前期フェザー・ミール区飼料を給与したヒナについても, 後期に魚粉区飼料を給与しても, フェザー・ミール区飼料を給与しても発育に有意差はみられなかったが, 前期魚粉区飼料を給与したヒナと前後期ともフェザー・ミール区飼料を給与したヒナの間には, 8週齢においても有意差(P<.05)がみられ魚粉区が良かった。以上のことからフェザー・ミールは, ブロイラー飼料として前期に5%以下(全蛋白質に対するフェザー・ミール蛋白質20%以下)の配合が適当で, 後期5&acd;8週は, 5%のフェザー・ミールを配合し全蛋白質に対するフェザー・ミール蛋白質24&acd;25%としても良好な発育をなすものと考えられた。なお, ブロイラー・ヒナは, 幼雛時よりも日が経つにつれてフェザー・ミールを良く利用し得るものと考えられる。
沐, 海宇
堀孤山(一六三一~一六九五)は江戸前期に活躍していた儒者で、藤原惺窩門下「四天王」の一人である堀杏庵の三男である。世に現存する著作は『本朝鶴林玉露』のみであると考えられる。孤山は父の関係で、近世前期の代表的な儒学者林羅山をはじめ、徳川義直、黒川道祐など江戸初期の有名人と交遊関係を持っており、その記録も各々の著作に残っている。しかしながら、従来孤山に着眼している研究は、筆者の調べた限りでは、ごく稀である。要するに、孤山の人物像は、現在に至っても不明瞭で、研究の余地が多く残されているのである。 本稿は堀孤山の生涯や交遊などの状況を明らかにすることを目的とする。まず孤山に関する解説を整理し、孤山墓所の位置について再検証した。そして、今まで学界の視野に入っていない孤山が著した『本朝鶴林玉露』を簡単に紹介した上で、それを手がかりに、孤山の交遊関係を探った。具体的には、その中から孤山自身の経歴に該当する部分を抜き出して、同時代の人物が著した記述と対照しながら、その交遊関係を確かめた。さらに、孤山の他の著書をも提示してみた。最後に、以上の考証をもとに、孤山の生涯における重要な事項をまとめて、孤山の略年表を作ってみた。
金城, 俊夫 Kinjo, Toshio
イヌ伝染性肝炎ウイルス誘発腫瘍において抗移植性免疫が成立するか否かを検討する目的で, ハムスターをあらかじめウイルスで3日おき3回免疫しておき, 初回接種後3週目に, 同ウイルス誘発ハムスター腫瘍よりin vitroで株化したHT-7細胞を移植し, 腫瘍移植に対する抑制効果の有無を観察した。得られた成績は次の通りである。1.ICHウイルス(10)^7あるいは(10)^5TCID_50を腹腔内接種し免疫した場合, 50%腫瘍発現に要するHT-7腫瘍細胞数(TPD_50)は対照の非免疫ハムスター群のそれに比して, (10)^7免疫群で約60倍, (10)^5免疫群で約10倍多く要し, ウイルス接種によって抗移植免疫が成立した。2.ウイルス免疫ルートを皮下接種に代えると, 抗移植性免疫の程度が腹腔内接種のそれに比しやゝ低下する。3.免疫原としてウイルスの代りに, ウイルス接種ハムスター胎児細胞を用いた場合, ウイルス単独接種の場合に比し, ウイルス中和抗体の産生は低いに拘わらず, 抗移植性免疫効果は同程度に高い。4.以上の成績より著者の確立したICHウイルス腫瘍の系でもウイルスに特異的な抗移植性免疫が成立し, しかもそれはウイルス粒子に対する液性抗体とは必ずしも同一のものでないことが示唆された。
秋沢, 美枝子 山田, 奨治
ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル(一八八四~一九五五)がナチ時代に書いた、「国家社会主義と哲学」(一九三五)、「サムライのエトス」(一九四四)の全訳と改題である。 「国家社会主義と哲学」は、ヒトラーの第三帝国下で、哲学がいかなる任務を担いうるかを論じた講演録である。ヘリゲルは、精神生活の前提条件に「血統」と「人種」を置き、新しい反実証主義の哲学者としてニーチェ(一八四四~一九〇〇)を称揚した。ニーチェの著作には「主人の精神と奴隷の精神」があるといい、その支配―被支配の関係をドイツ人とユダヤ人に移し、差別を正当化しようとした。 「サムライのエトス」は、ドイツの敗色が濃くなった戦況のなかで、日本のサムライ精神を讃えた講演録である。同盟国・日本の特攻精神の背後にある武道や武士道を、知日派学者として語ったものと思われる。ここでヘリゲルが一貫して語っているのは玉砕の美学であり、『弓と禅』で彼が論じた高尚な日本文化論とは、あざやかな対照をなしている。 これらの講演録の存在は、ドイツ国内でも忘れられていた。無論、これらははじめての邦訳であり、戦時下ドイツにおける日本学の研究にとって貴重な資料となるだろう。
神田, 邦彦 KANDA, Kunihiko
『方丈記』の諸本については、古本・流布本・略本の関係が長く論争になっているが、一方で、そうした問題を考えるうえで重要な、伝本のまとまった調査・研究は、鈴木知太郎・簗瀬一雄・青木伶子・草部了円ら以来、三十年以上行われていない。この三十年の間には、新たに出現した伝本もあるであろうし、所蔵者が変わったものもあるであろう。そこで、『方丈記』諸本の再調査を略本から進めているが、本稿では三系統ある略本のうち、延徳本系統・最簡略本系統について調査したところをまとめる。延徳本・最簡略本については、関東大震災で焼失したものや、現在行方不明のものが多いことがわかったが、幸いそれらの影写本が豊富に残されていることも明らかになった。そこで本稿では、研究史を概観しながら、各伝本の解題を記し、影写本については、影写本相互の異同を整理して、散佚した伝本の原態を探る。これまでの略本研究では、諸本間の異同が顧みられることは少なかった。しかし、本文異同の比較・対照に始まる本文の校訂作業は、研究に不可欠のものである。本稿では、そうした略本研究における問題点にも言及して、今後の研究に向けた階梯とする。
宮部, 真由美 MIYABE, Mayumi
この論文では,「なら,早く着替えてきなさい」のように「なら」の前に句や語をともなわずに用いられる「なら」について分析を行なった。分析の結果,この「なら」は「なら」のあとにつづく内容が推論によるものだということを積極的に示しつつ,相手(聞き手)がそのような内容の発言をしたことが「なら」につづく発話内容の根拠であるということを表わし,かつ相手のその発話内容が,それをうけて発話する話し手の発話の動機づけ,そして発話内容の条件やきっかけとなっていることを表わすというはたらきをしている。また,話し手の問いかけ・確認要求に対して相手の返答がない場合,あるいは返答を待たずに発話をつづける場合は,話し手は相手が同意・肯定しているものとして,そのことを「なら」でうけて,後ろの自分の発言へとつづけていることがわかった。接続詞「それなら」との対照から,「それなら」と「なら」は先行する発話が相手(聞き手)のものではなく話し手自身の場合に,「それなら」はその自分の発話内容をうけるが,「なら」はうけないという違いがあることがわかった。このことから,「なら」が接続詞としては「それなら」と同じレベルのものではないということがわかった。
大屋, 一弘 渡嘉敷, 義浩 石嶺, 行男 Oya, Kazuhiro Tokashiki, Yoshihiro Ishimine, Yukio
粘土鉱物にモンモリロナイトを含む石灰質土壌にサツマイモの秋作を1975年9月から1976年3月までと, 1976年9月から1977年2月までの2回にわたって栽培しカリ肥料の効果を試験した。栽培は琉球大学石嶺農場で行ない, 窒素(N)とりん酸(P_2O_5)はそれぞれヘクタール当たり150kgと75kgの割合で施用した。カリ(K_2O)施用量はヘクタール当たり0,150,300,450kgの割合とした。第1作と第2作のいずれについても塊根収量およびかずら収量に対するカリ施用の効果は認められなかった。ただし第1作で栽培期間が4か月のものと6か月のものを比較した場合に4か月のものがヘクタール当たり塊根収量20.1トン&acd;20.9トンであるのに対し, 6か月のものは28.4トン&acd;29.0トンであり明らかに栽培期間の長い場合に高い収量が示された。かずらの収量について同様な比較をすると逆の関係がみられた。栽培前と栽培後の土壌の置換性カリを測定した結果は栽培前と栽培後の対照区では置換性カリのレベルに大差はみられなかった。カリ施用区においては栽培後の置換性カリのレベルはカリ肥料の施用量と比例して高くなっていることが認められた。このようなことからこの実験に使用した土壌はカリ供給力が大きく, そのために施用カリ肥料に対するサツマイモの収量応答が得られなかったものと考えられる。
大屋, 一弘 Oya, Kazuhiro
粘板岩を母材とする酸性土壌(赤色土)に炭カル成分を含むサンゴ砂を種々の割合で混ぜ,それを培地として地這キウリをポットに育苗し,酸性土壌対サンゴ砂の混合割合とキウリ苗生育の関係を調べた。酸性土壌対サンゴ砂の混合割合は10:0(No.1区),9:1(No.2区),8:2(No.3区),6:4(No.4区),2:8(No.5区)の5段階とした。混合培地のpHはNo.1区(対照区)で4.7,No.5区で7.1となった。播種後3週目のキウリ苗の生育を本葉数、茎長,根の伸長,生重(地上部+根)などのパラメーターで比較すると,何れもNo.2区(pH5.6)で最も良く,次にNo.3区(pH6.1)であった。キウリ苗の乾物%はNo.3区で9.4%と最も高かったが,苗全体の乾物重はやはりNo.2区で最大であった。No.2及びNo.3区に比べるとNo.1及びNo.5区のキウリの生育は著しく悪かったが,その主な原因は発現症状によりNo.1区ではカルシウム欠乏,No.5区ではマンガン欠乏によるものと考えられた。以上より酸性土壌にサンゴ砂は有用であると考えられるが,供試土壌におけるキウリ育苗の場合サンゴ砂約10%(土壌対サンゴ砂=9:1)を混ぜて培地とするのが最適であった。
長谷川, 裕 Hasegawa, Yutaka
本稿の課題は、中内敏夫の教育理論が「能力主義」をどう捉えそれとどう向き合おうとしてきたのかを検討することである。中内は、能力主義は、教育領域にそれが浸透すると、教育による人間の発達の可能性の追求を断ち切ってしまうものとして捉えこれを批判し、一定水準の能力獲得をすべての者に確実に保障するための教育の実践と制度の構築をこれに対置して提起した。1990年頃中内は、近代になり〈教育〉という特殊な「人づくり」の様式が誕生・普及したが、そこには能力主義的・競争的性格が根源的に抜き難く刻み込まれているという論を押し出すようになるが、しかしその後も、上記のようないわば〈教育〉の徹底による能力主義への対峙という主張を基本的に変えていない。すなわち、〈教育〉は能力主義社会・競争社会に生きる人間の自立を助成する営みであらざるを得ないとの前提に立ち、その上で、「義務教育」としての「普通教育」においては、その社会を渡っていけるだけの「最低必要量」の能力獲得の保障を徹底させる、そのことが可能になるように〈教育〉の効力を向上させる―これが中内の能力主義に向き合う際の基本的スタンスである。本稿はこのように論じた上で最後に、中内の教育論とビースタのそれとを比較対照し、それを踏まえて〈教育〉がどのように能力主義と対峙すべきかについての筆者自身の見解を述べた。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
コミュニケーション学において,言語共同体独自の話しことばの意味を記述・解明することがひとつの研究テーマである。各共同休に特有の「自己像」や「社会」,「ことば」の意味がどのように記号化されるのか,そして文化的に定義されたこれらの意味を独自の発話形式でどのように表明するのかということが問われてきた。その一端として,ことばの民族誌や異文化接触の研究に基づき,多様な文化的シンボルの意味やコミュニケーション行動の形式と規範というものが明らかにされている。本稿では,これらの事例研究をいくつか取り上げ,比較対照することによって,話しことばによる自己表現の文化的な特徴や異文化間での類似点と相違点について考えてみる。「自己」や「社会」は文化のシンボルとして特殊な意味を帯びており,それに伴い「コミュニケーション」,「命令」,「模倣」,「自己表現」等の発話行為も特殊化され,言語共同体独自の意味を含むことになる。こうしたシンボルの意味を言語共同体独自のコミュニケーション儀式や話し方の論理の枠内で捉えると,コミュニケーション行動の一部は常に文化的行為であることがわかる。まとめとして,文化的自己に関するシンボルと発話形式,更に模範的なコミュニケーション行動を「個人」,「他者関係」,「行為」,「共同体」という四種の自己像のフレームにまとめてみた。こうしたメタアナラシスから得られる類似点と相違点が異文化接触にもたらす影響は大きい。
中西, 進
この論文は「源氏物語」が「白氏文集」をどのように引用するかを考察する。 一 「夕顔」に引用された「凶宅」は、源氏の権勢欲が夕顔を殺したことを強調するものである。 二 「蓬生」に「凶宅」を引用することによって、作者は栄華とその後との対照を試みた。 三 「帚木」における「議婚」は白詩を批判することによって結婚のむつかしさを強調する。 四 「末摘花」における「重賦」は女の生活の背景に貧しい農村をしのびこませようとしたものである。 五 「胡蝶」における「傷宅」は大邸宅の華麗さとその背後の衰亡の運命への見通しを示そうとしたものである。 六 「夕顔」に「不致仕」を引用することによって、両者の老人像をだぶらせようとした。 七 「行幸」における「不致仕」は老醜を感じつつ致仕するか否かを悩む源氏を描くためである。 八 「若菜」(下)の「不致仕」は一、太政大臣が致仕する場面のものは、大臣の進退のりっぱさを述べようとするものと二、柏木を通して語られる場面のものは致仕をめぐる源氏の心の戦きを描くためのものである。 九 「夕霧」の「不致仕」は源氏が生命への執着を捨てようとすることを強調する。 一〇 「手習」の「五絃」は流行おくれのものの是非を論ずるためのものである。 一一 「胡蝶」の「海漫々」は六条院を蓬莱に見立てるための引用である。
河野, 本道
北海道内の二大都市である札幌市と旭川市の両地域におけるアイヌ系住民について,とくに差異の大きな面や対照的な側面を比較してみると,例えば,今日の札幌市域在住者は,全ての者あるいは全てに近い者が札幌市域以外からの各地出身者またはその家系の世帯構成員であり,それに対して,旭川市域在住者のうちには,同市域旧近文地域出生者またはその家系の世帯構成員,すなわち地元民が多い。また,第二次世界大戦後についてみると,札幌市域在住者の場合は,主に社会的,経済的状況にもとついて各地から転住してきており,旭川市域在住者の場合には,明治20年代前半からの殖民地選定区画計画にもとついて近在から集められ「給与地」を下付されたアイヌ系住民の後代の世帯構成員が旧「給与地」地域に居住してきたという例が多い。 さらに視点を変えて,とくに1970年以降の社会的主張の方向性についてみると,1997(平成9)年に『アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律』が施行されるまでは,札幌市域在住者のかなりが「アイヌ民族」としての特権を求める運動を盛んに展開してきたのに対し,旭川市域在住者のかなりがそれに批判的な姿勢を示していた。 そして,これら両地域におけるアイヌ系住民の差異や対照的側面は,各都市の歴史的,社会的諸条件の違いにもとついて生起された面も強いと言えるが,ここではそのような諸動向を伴う輻合・拡散現象に焦点を当てて,それぞれの特長の把握を試みることにする。結論的に述べると,第二次世界大戦後における札幌市域のアイヌ系住民は,100%またはそれ近くが他の地域出身者あるいはその系譜をもつ者なので,大略的に〈転住型〉と位置づけることができる。これに対して,旭川市域におけるアイヌ系住民は,主として近隣の地域から集まった者たちあるいはその系譜をもつ者によっているところから,大略的に〈地元型〉と呼んで良いであろう。そして,〈転住型〉の人々の間では輻合現象の傾向も拡散現象の傾向も強いと言うことができ,〈地元型〉の人々の間ではそれらの傾向が弱いと指摘することができる。今日では,とくに札幌市域でそれらの両現象が目立っている。 さらに,アイヌ系日本国民を「アイヌ民族」と呼ぶことにこだわる〈ニュー=アイヌ型〉の者たちは,今日,札幌市や旭川市のような主要都市で積極的に民族運動を展開しており,強い輻合現象を示している。これに対して,都市の中には「アイヌ」あるいは「アイヌ民族」であることにこだわらない〈ポスト=アイヌ型〉の人々も多数おり,そのような人々は一般的個人へと分化する拡散現象を強く示している。 なお,社会的,文化的側面の輻合現象と拡散現象に幅広く焦点を当てて都市の先住民的存在にアプローチしたこのような研究例は,日本における文化人類学的研究史上なかったと思われる。少なくともアイヌ系住民については,そのような研究例がこれまでにない。この意味で筆者は本論文を試論として位置づけたい。
山下, 悦子
この論文では、日本の知識人の間で大反響をもたらした、結婚制度にとらわれない男女の自由な性愛関係を理想とするコロンタイの恋愛観を基軸に、一九二〇年代後半から三〇年代前半にかけての知の変容(転向の問題)を探る。 ソヴィエトのコロンタイ女史の小説、『赤い恋』『三代の恋―恋愛の道』『姉妹』は、世界的なベスト・セラーとなった作品で、恋愛三部作といわれるが、一九二〇年代後半に日本でも話題となり、女性解放論者や文壇の知識人たちに取り上げられた。特に『三代の恋』の主人公ゲニアの、複数の男性と同時平行的に性愛関係を結び、けっして結婚を求めようとはしない、キャリア・ガールの恋愛遊戯が「新しい時代の新しい女の新しい恋」として話題となり、賛否両論が飛びかい、大反響をもたらした。当時の女性解放論者の山川菊栄、平塚らいてう、平林たい子、高群逸枝は、ゲニアの行為に対し、批判的であったのに対し、転向作家として著名な林房雄や武田麟太郎は、コロンタイの恋愛観を絶賛した。とくに当時、マルクス・ボーイだった林房雄は、『三代の恋』「姉妹」の翻訳までも手がけるほどの熱のあげかたであった。ゲニアを新しい女と絶賛し、それを批判する女性史研究家の高群逸枝との間にコロンタイ論争を引き起こした。 だが、一九三〇年代になると、マルクス・ボーイたちが次々に転向していく中で、林房雄や武田麟太郎も転向、新しい女とは対照的な貞節で、伝統的な日本の母親像=女性像を求めるようになる。
礒山, 麻衣 ISOYAMA, Mai
本稿では、冷戦期アメリカの自由アジア協会/アジア財団を事例に、組織改編に伴う文 書管理と公開状況の変遷を明らかにする。自由アジア協会/アジア財団は、1951(昭和 26)年の創設時から1967(昭和42)年にかけて中央情報局(CIA)の資金提供を受け、民 間財団としてアジア各国への助成活動を主に行った組織である。この組織は2度の組織改 編を通じて組織の透明性や信頼性の向上を図ってきた。1954(昭和29)年には、冷戦プロ パガンダのための組織であるとの批判を受け、自由アジア協会からアジア財団へと改組し た。1967(昭和42)年にはCIAとの関係が報道で暴露され、これを契機に資金源を変更した。  本研究では自由アジア協会/アジア財団の組織文書が収められている5種類の公文書・ 民間文書群について、2度の改編期における文書の質的・量的な変化を観察した。その結 果、組織改編が行われたこととは対照的に、文書の公開状況は必ずしも連動して向上した わけではないことが明らかになった。第1次改編期の1954(昭和29)年前後に作成された 文書については大きな変化は見られず連続性が見て取れた。その一方で第2次改編期の 1967(昭和42)年前後については、公開される内部文書が公文書群でも民間文書群でも大 幅に減少していることを確認した。CIAの資金提供を受けた時期の方がかえって公開され る内部資料が多いことを本論文は指摘する。
朱, 京偉 ZHU, Jingwei
筆者は,先行の小論(朱京偉2015)で蘭学資料の二字漢語を考察した。本稿の目的は,引き続き,宣教師資料の二字語を取り上げ,蘭学資料の二字漢語との比較対照を行なうことにある。主な結論は以下の諸点にまとめられる。まずは,二字語の語構成パターンで,日中間の相違がよく現れたのは連体修飾関係の二字語である。N+N型,V+N型,A+N型という3タイプのうち,宣教師資料ではN+N型の比率が高いのに対して,蘭学資料では逆にV+N型とA+N型の比率が高くなっていることが指摘できる。次に,対象となった宣教師資料と蘭学資料では,日中共通の二字語が計186語となるが,この中で,漢籍由来の「出典あり」の語は85.5%(159語)を占め,「新義あり」の語と「出典なし」の語は合わせて14.5%(27語)を占めている。日中共通の「出典あり」の語は,蘭学資料と宣教師資料の間に借用関係が存在するというよりも,日中双方で年代の古い漢籍から別々に取り入れられたものだろうと思われる。一方,日中共通の「出典なし」の語は,(1)日中双方で別々に造られ,語形が偶然に一致したもの,(2)調査範囲の制約でより早い出典例が発見できなかったもの,(3)何らかのルートで蘭学資料から宣教師資料に伝わったもの,という三通りに振り分けられる。最後に,二字語と三字語のつながりについては,今回の調査で,二字語の後語基で,造語数が多ければ多いほど,三字語の後部一字語基として用いられる確率が高いことが明らかになった。一方,二字語と四字語のつながりについては,宣教師資料で,四字語の前語基と後語基に用いられた二字語がそれぞれ二字語全体の3.7%と5.0%しか占めていないことから,両者のつながりがかなり薄いということが指摘できる。
緒方, 茂樹 宮内, 英光 福田, 孝史 Ogata, Shigeki Miyauchi, Hidemitsu Fukuda, Takashi
奄美圏域及び宮古圏域における特別支援教育の実態と動向について、これまで行われてきた調査・研究から得られた所見について比較対照しながら、各々の異同について明らかにする。それらを総合的に検討することで、離島における今後のよりよい特別支援教育の在り方について新たな手がかりを探ることを目的とした。奄美圏域、宮古圏域共に島嶼地域であることから、専門医の不在など各種リソースの不足は否めないことも改めて明らかとなった。宮古圏域における福祉・医療・教育等の関係諸機関が連携した相談体制の一本化は、「少ないリソースをいかに有効活用するか」という視点に立って行われたものである。大島養護学校が独自に進める「子どもの発達を支援する相談会」は、「離島の離島」に対する教育相談事業として特筆すべきものであった。大島養護学校と宮古養護学校のセンター校的役割と公立小中学校との連携について、「今後は養護学校に対して何らかの支援を求めていきたい」というような、将来的なニーズの高さが共通して伺えた。また両圏域の小・中学校において、特別支援教育コーディネーターは全ての学校に配置されていたが、校内委員会の実質的な機能充実ということに関してはいずれもこれからの課題であるとされていた。地域特別支援連携協議会あるいは市町村教育委員会で行われている就学指導委員会との連携や、特別支援教育コーディネーターの役割の明確化などが今後の取り組みの糸口となろう。
石嶺, 行男 松浦, 新吾郎 ホサイン, アムザド 仲村, 一郎 Ishimine, Yukio Matsuura, Singoro Hossain, Md. Amzad Nakamura, Ichiro
農業において合成化合物の施用は,水質汚濁,大気汚染を誘発し,地力の低下,土壌微生物の減少,ひいては,人間の健康や食べ物も危険にさらす可能性がある。世界的に人口は増大しており,一方で,農業用地の増加は見られない。環境要素を危機にさらすことなく安全な食糧を増産することは重要な課題であり,科学者は,自然環境を犯す事なく作物生産を増大させる事ができる天然素材を見つけ製品化に努めて来た。万田31号(manda31)もこのような目的で万田発酵株式会社が開発した製品である。この製品は,50種類の植物素材から造られたもので,作物,野菜,果物の収量と品質を高めることがすでに報告されている。ここではウコンの生育および収量に対する同剤の影響を知るために1998年から1999年に,琉球大学農学部附属農場において実験を行った。方法として,5000倍,10000倍および20000倍の同剤希釈液をつくり,葉面散布処理を行なった。なお,20000倍液では土壌処理も行なった。その結果,対照区に比べて草丈が高くなり,分げつ数が増えまた葉数も増加した。乾物重を測定した結果,地上部が9.2&acd;20.2%,根茎収量が7&acd;20%も増加した。葉面散布処理で最も良い効果が現れたのは,10000倍希釈液であった。また,土壌処理においては,根茎収量は16%増加した。このように同剤の葉面散布および土壌処理はウコンの生育および収量の増加に大きな効果を示した。
中須賀, 常雄 下田, 淳康 岸本, 司 Nakasuga, Tsuneo Shimoda, Junkoo Kishimoto, Tsukasa
1. メヒルギ胎生芽を使用して,培地別育成試験を無施肥で18ヶ月間実施した。処理区は以下のとおりである。A : バーミキュライト+腐葉土,室外 B : 砂質土,室外 C : バーミキュライト+腐葉土,温室内 D : 対照区(野生苗)2. 主軸長及び着生葉など地上部の生長では,育成苗(A&acd;C区)は野生苗(D区)に及ばなかったが,地下部の生長はその逆で育成苗の方が良好であった。そのためTR率は育成苗で0.87&acd;0.99,野生苗で1.28であった。3. 育成苗は,砂質培地よりバーミキュライトに腐葉土を加えた培地で生育が良好であった。また,同じ培地を使用した温室内・外の試験では,温室内の方が温室外より生長が良好であった。これは冬季期間,室内が室外より気温が高いこと及び日陰効果によるものと考えられた。4. 一葉当りの平均面積は,野生苗で13(cm)^2,育成苗で6&acd;13(cm)^2と,C区では同様の値を示した。また,SLAは育成苗では砂質土のB区の48.06(cm)^2/g以外は54.16(cm)^2/gで,野生苗の53.61(cm)^2/gとほぼ同値であった。5. バーミキュライトに腐葉土を混じた人工培地で,無施肥で野生苗と同様な生育の苗を育成できたが,育成苗では地下部への分配率が野生苗より大きく,そのためTR率が1.0以下であった。地上部への分配率を高めることが今後の課題である。
小田, 良助 綿貫, 宏光 藤井, 勝仁 谷川, 靖信 Oda, Ryosuke Watanuki, Hiromitsu Fuzii, Katsuhito Tanigawa, Yasunobu
沖縄本島南部地区は, 近年著しく酪農が発達した。筆者らは昭和54年度の経営を対照に5市町村から36戸の中堅農家を選定し, その経営調査を行った。その要約は次の通りである。(1)成牛飼養頭数20&acd;40頭の農家が多く, 家族経営が殆んどで堅実な酪農経営であった。たゞ, 育成牛飼養頭数が成牛2&acd;3に対し1の比程度に飼われ, やゝ多い傾向が窺えた。(2)1頭当り年間産乳量は, 3000&acd;4500kgが大半を占めており, 5000kg以上は僅か5%にすぎなかった。これは沖縄の牛が資質が悪いことではなく, 夏期高温による夏バテによって泌乳能力が低下しているものと考えられる。従って暑熱対策を考え, 産乳量の増加を図ることである。(3)一般に乳飼率は高く40&acd;55%を示したものが, 調査36農家中15農家(42%)を数えた。このことは夏期高温により, 必然的に熱発散によるエネルギー消費補充が要求されることによって, 濃厚飼料の消費が多くなるものと考える。(4)労働時間は, 1日平均12時間を数えた。従って1人1時間当り労働報酬は1000円以下が約50%を数え, 低賃金であった。(5)粗飼料は, 沖縄県独特のネピアグラスが栽培され, 1頭平均5アールの小面積乍ら本草の多収穫栽培によって夏期は充分に粗飼料確保が可能である。しかし冬期粗飼料が不足するので, サイレージの利用を考えるべきである。
金城, 俊夫 Kinjo, Toshio
30&acd;40日令の中雛および1日令の初生雛を用いてTpの接種試験を行ない, 次の如き成績を得た。中雛の成績1.脳内接種に対してはマウス同様の高い感受性を示し, 接種10例中8例が13日目までに斃死した。斃死例ではTpはほとんど脳に限局して証明された。2.腹腔および静脉内接種ではほとんど不顕性感染の経過をとる。体内Tpも比較的早期に消失するが, 50日目でもなお証明されている。3.経口感染も明らかに成立するが, 他のルートに比し困難である。またこの場合, 接種Tp数の量的な面より他の未知の諸要因に左右されることが大きい。4.血清反応の成績は, 接種ルートの如何によらず殺時の色素抗体は検索した34例中16倍陽性1例, 2倍陽性2例の計3例に証明されたに過ぎず, この日令の中雛は感染による, 色素抗体産生能が極めて低いと解せられる。初生雛の成績5.接種ルートの如何を問わず, 雛は何れもTp感染により斃死する。特に脳, 腹腔内接種に対しては, マウスの成績と変らない高い感受性を示して急性の感染死を来たした。皮下接種の場合は死期がやゝ延長される傾向がある。6.斃死雛のTp体内分布を調べると, 脳内接種ではほとんど脳に限局され, 他のルートでは肝, 脾, 肺に主として認められ, 斃死せしめる機転が異なることを示している。7.接種感染雛および非接種対照雛の同居飼育による相互感染の可能性は全く認められなかった。
中島, 和歌子 NAKAJIMA, Wakako
藤原道長の日記『御堂関白記』の陰陽道の記事では、方角神や祭祀、官職、式占などの正式名称・専門用語がほとんど用いられず、「陰陽師」「忌日」「吉日」「宜日」「方忌」「忌方」「祭、禊(祓)」などの通称・総称・間接的な表現が用いられている。これらの用語は、『源氏物語』『栄花物語』などの平安仮名文学作品に類似しており、藤原実資の『小右記』とは対照的である。また、「厄」「呪詛」は皆無、「崇」も希少で、物の気は三条と頼通の病因の三例しか採り上げないなど、書き記すことを避けた言葉や事柄がある。つまり言忌をしている。物忌や祓の数が多いことは他書と同様だが、道長の祓好きは特筆すべきで、下巳を含め、多種多様な祓(表記は主に「解除」)が記されている。基本的な祓所は中御門大路末の河原であり、土御門第は祓に行きやすい。一方、寛弘四年・八年の御嶽精進中の公的祭場での河臨祓は、氏寺の相地などと共に、公家に倣ったものである。また、道長の暦注の遵守、天文密奏の内覧、上臈の陰陽師達の階層別の私的奉仕などは、藤原摂関家や摂関・氏長者らしいと言える。その他、上巳祓や夏越祓、吉方詣などに正妻やその娘達を伴った記事が散見する。また、道長自身以外では、「御衰日」や「滅門」への拘り、病事の式占、除病の祭・祓、呪符の採用など、外孫敦成親王(後一条天皇)の記事が特に多い。これらから、道長が公私に「家」を大切にしたことが窺える。
ウェイ諸石, 万里子 WEI MOROISHI , Mariko
本稿では,助詞「に」「で」と四つの推量助動詞「ようだ」「そうだ」「らしい」「だろう」の習得における明示的学習条件と暗示的学習条件の効果について考察する。42人のアメリカの大学生の日本語学習者が二つの実験群(明示的グループ,暗示的グループ)と対照群に無作為に分けられ,易しい言語型式(助詞),複雑な言語型式(推量助動詞)についてそれぞれ学習した。明示的学習グループは簡潔で系統だった文法説明を受けた後,聞き取りや読解などの意味中心の教室活動を行った。暗示的学習グループも全く同じ教室活動を行ったが,文法説明は受けなかった。そのかわり視覚的に学習者の注意を目標言語型式に向けさせるように助詞「に」「で」と4つの推量助動詞には全て下線が引かれていた。五種類のテストを用いて事前テスト,直後テスト,遅延テスト(九週間後)を行い,テストのスコアを統計分析した結果,明示的グループは暗示的グループ,統制群をはるかに上回り,その差は統計学的に有意であった。暗示的グループは易しい言語型式においてのみ統制群との差が有意であった。明示的学習条件は助詞「に」「で」や推量助動詞のように意味論的制約を含んだ言語型式の習得の場合その難易度に関わらず有効であったと言える。また手短かな文法説明は意味重視の活動と組み合わされて行われた場合言語習得を促進するようである。まとめとして,どのような指導がどんな言語型式に有効かについて考察し,学習者の気付きを促す言語活動の適切な明示性の度合について論じる。
宮本, 華瑠
昨今、公開された日中対訳コーパスには,北京日本学研究センターの『中日対訳コーパス』,情報通信研究機構の『NICT多言語対訳コーパス』,JST・NICT共同で構築された『アジア学術論文抜粋コーパス(ASPEC)』,そして,先日公開された『GSK通訳データベース(JNPCコーパス)日中・日西サブコーパス』などがあげられる.しかし,『中日対訳コーパス』に関しては2021年以降,個人・機関問わず対訳コーパスの入手はできなくなっている.そして,『NICT多言語対訳コーパス』は機械翻訳の研究またはシステム開発の一環として構築されたものでデータは非公開となっており,『ASPEC』コーパスは,専門用語が多く含まれ,広く一般的に用いられる言語使用とは言えない。同様に『JNPCコーパス』に関しては,記者会見における登壇者の発話とその同時通訳8件,逐次通訳2件,1件平均1時間半の対訳データが収録されているが,これもレジスターの偏りが問題となる。即ち,日中対照研究を行う研究者が利用できるコーパスは,極めて限定的で,言語資源が乏しい状況であることが読み取れる.発表者は個人利用を目的に2009年から対訳文の収集を始めていたが,この成果物を個人利用に留めるのではなく,オープンにすべきであると考えている。収集済みデータには,雑誌『Taiwan Panorama』約45万字,『聞く中国語』2018年~2021年(48冊)のデータ約176万字,『人民網』ニュース対訳文2014年7月~現在のデータ約272万字が含まれる。今回の発表では,重点的に次の三つ:1)収集済みデータの紹介 2)実用に向けた事例紹介 3)著作権問題についての示唆が含まれる。
鎌田, 靖弘 大城, 伸明 屋 宏典 本郷, 富士弥 知念, 功 KAMADA, Yasuhiro OSHIRO, Nobuaki OKU, Hirosuke HONGO, Fujiya CHINEN, Isao
本研究ではブロイラー雛にギンネム種子粉末を給与し、ミモシン中毒症の誘発方法を見いだし、次にピリドキサールリン酸等をギンネム種子粉末飼料に添加し、ミモシン中毒症の誘発防止法を検討した。7日齢のブロイラー雄雛にギンネム種子を粉砕し20メッシュのくし篩を通した種子粉末を、市販飼料に0,10,15,20%添加し各々12日間自由給与した。その結果、各種子群では食欲不振、体重増加の減少がみられ、更に座り込み、足を痙攣させる特異的な脚弱症状、および腎臓の肥大化がみられた。また各組織でミモシンが検出され、特に羽毛、皮膚および腎臓で高い値が得られた。更に1%粗ミモシン飼料を自由給与すると、15%種子群と全く同程度の中毒症が認められミモシン中毒症と断定された。次にミモシン中毒症の雛に市販飼料を20日間給与し4日ごとに屠殺し、休内でのミモシンの代謝を調べた。その結果、まず市販飼料を給与した初日から食欲が回復し、採食量は市販飼料給与後17日目で対照群と有意差が認められなくなった。それに伴って体重も増加した。また各組織のミモシン濃度は羽毛、甲状腺では20日目でもミモシンが認められた。それに対し腎臓、血清、肝臓は4日目から、総排出物は8日目から検出されなくなった。皮膚、筋肉、冠、精巣は20日目でも極少量のミモシンが検出された。最後にアスコルビン酸、ピリドキサールリン酸、クルクミン等を添加してミモシン中毒症の誘発防止法を検討した。その結果、食欲不振および体重増加の抑制には効果がなかったが、各組織中のミモシソ含量は15%種子群と比較して、1%ピリドキサールリン酸添加群で最も減少する傾向を示した。
陸, 留弟
「茶芸」は、中国の茶文化のうちで秘やかに育まれてきたものである。古来飲茶は渇きの癒し、精神高揚、友との交わり、縁結びなど「楽」という文化的要素として親しまれてきたが、茶芸の命は、良い茶、好い水、佳い器という基本的要素によって基礎付けられている。 それに対して、日本の「茶道」は「楽しみ」という要素に否定的であるように見受けられる。即ち「茶の湯によって精神修養をし、交際礼法を究める道」として仕上げられてきたからである。より具体的には、茶道は型、気遣い、美術、禅宗などを重要な要素に大成されたのである。 中国の茶芸はいつも「良い茶」と「好い水」と「佳い器」を強調し、楽しい「芸」として実践されてきた。茶芸は飲茶の外面を捉えて規定する姿勢が強い。それに対して、茶道は「もの」を通じて日本人の内面、即ち精神的構造を理想的な境地にまで高度化する傾向が強い。 このように概観するなら、茶芸を中国人が「身心快楽」を優先的に味わう楽しみのお茶、茶道を日本人が「心身苦寂」を究めるような嗜みのお茶と考えることができるだろう。この二つのお茶には、それぞれ「楽」と「苦」、「快」と「寂」の世界が対照的に展開されているのである。 「快楽」主義的な飲茶からは、「客来敬茶」(客を茶でもてなす)、「以茶養身」(茶で体を癒す)という茶芸が派生し、精神修養的な飲茶からは「和敬清寂」、「修身得道」(身を修め、道を得る)を精神とする茶道が生じたと言いかえてもよい。
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
フック, ピーター HOOK, Peter Edwin
インド・アーリア語における動詞+動詞の複合(以下,CV)の使用頻度(あるいは「流量」)が500 年以上にわたって増えてきているということを,ここ二十年以上にわたる計量的な調査は証明している。その全般的な増加の結果,CVの中でのvector(語彙的意味の薄れた後部要素)の機能や相対的使用度も拡大してきている。Paul Hopperが提唱する"specialization"(特化)概念にあるように,CVの全体的な使用頻度の増加に伴い,一部のvectorが他のものよりも多く用いられるようになったのである。昨秋の[NINJAL客員教授としての]私の研究では,使用頻度が増加することによって,機能的に見て,あるvectorがより語彙的でなくなり,あるいは意味的に条件づけられるものでなくなり,反面,より抽象的な,あるいは語用論的に条件づけられるものとなるのだということを証明した。このように抽象度が増加することによって,絶えず範囲を拡げる場面に対しての,より広い適用が可能となるのである。したがって,同じ場面を表現する中では,抽象性の低いvector動詞(あるいは「factor(語彙的意味を残した後部要素)」)の使用は減少する。ここで示した研究は,時間を空間へと射影することで,その発展のダイナミクスを描き出している。マラーティー語のようなCVの乏しい言語と,ヒンディー・ウルドゥー語のようなCVの豊富な言語との具体的な対照が,factor動詞{TAKE OUT}がより抽象的なvector動詞{TAKE}に取って代わられることを示している。すなわち,マラーティー語の「探し出す/発見する」といった意味の{探す+ TAKE OUT}は,ヒンディー・ウルドゥー語では同義の{探す+ TAKE}に,ほぼ完全に置き換えられるのである。
上野, 祥史
器物を媒介とした政治関係は,分与者の視点で語られる傾向が強い。器物の価値を自明とする意識を相対化し,分与者および受領者が価値を認識する場やプロセスに注目した検討が求められる。朝鮮半島南部の出土鏡は,その問題をもっとも先鋭化させ鮮明にする資料である。本論では,古墳時代と並行する三国時代において,朝鮮半島南部が保有した鏡をもとに,その入手経緯を整理し,倭王権が鏡分与を通じて企図した秩序とその構造を検討することで,倭韓の交渉の実態を描出しようと試みた。まず,朝鮮半島南部出土鏡の概要を整理し,中国での鏡の保有状況と日本列島での鏡の保有状況を対照して,中国鏡と倭鏡の流入プロセスを検討した。中国鏡の流入は,倭韓が対中国交渉を共有し,相互に関係をもちつつも独立した交渉を進め個別に入手したものとして理解することを提案した。倭鏡では,王権からの直接分与か二次流通を介した間接分与かを,価値の認識という視点で検討した。間接分与でも王権が意図した秩序は機能すること,日本列島内部でも間接分与がみえることから,倭王権が意図した秩序は,直接分与に限定しない柔軟な,拡大の可能性を内包する秩序であることを示した。朝鮮半島南部の倭鏡は,北部九州を介した間接分与(二次流通)が想定できることを指摘した。倭韓の交渉の実態を詳述するとともに,鏡を媒介とした秩序が,絶対基準を強く意識しすぎること,分与者と受領者の相互承認を強調しすぎることを改めて指摘し,第三者の認識を可能にする装置としての意義も考える必要があること,朝鮮半島南部の帯金式甲冑や鏡にはそうした機能が期待されたことを示した。
志波, 彩子 SHIBA, Ayako
本研究は,主に高宮(2003,2004,2005)の一連の研究によって明らかにされた間接疑問構文の歴史的な発達について,その痕跡が明治期の日本語にどの程度見られるかを,小説(文学)テクストのコーパスから抽出された用例をもとに,現代語とも対照しながら記述した。間接疑問構文の主節述語は,近代に入っても未だ未決タイプ(「知らない」「分からない」等)が多いが,江戸後期には未発達であった既決タイプ(「分かる」「知っている」等)も1 割を超える割合で現れ,対処タイプ(「考える」「確かめる」等)においても形態的な制約がなくなり,主節述語のヴァリエーションが増えていることが確認された。また,間接疑問節のタイプでは,疑問詞疑問のタイプが非常に優勢であることも明らかになった。本研究ではさらに,主節述語が心理動詞である間接疑問構文を典型的な間接疑問構文とし,これと同じ従属カ節を持つ構文として,依存構文,間接感嘆構文,照応構文,潜伏疑問構文,内容構文,二文連置構文(背景注釈,課題提示,言い換え)を主に取り上げ,それぞれの構文の意味・構造的な特徴と,間接疑問構文との関係(ネットワーク)を考察した。この中で,未決タイプの「知れない」や既決タイプの間接疑問構文は,間接感嘆構文に意味的に非常に近いことを明らかにした。また,明治期に入って一般的に見られるようになった間接疑問構文の既決タイプは,原因・理由・条件を伴う構造で述べられることが多く,さらにこの構造の影響を受けながら依存構文が近代に入って徐々に使われ始めたのではないかという考察を示した。最後に,二文連置構文における背景注釈型,課題提示型,言い換え型についても,これらと間接疑問構文や潜伏疑問構文との違いや連続性を,用例を示しながら考察した。
方, 美麗 FANG, Meili
形式面からみれば,日本語の「N格+V」構造は中国語の"V+N"に当たるが,日本語の「国を出る」(「Nを+V」)形式は中国語の("出"国)("V+N")に当たり,同じ意味的な結びつきの「田舎を 出る」の場合は,中国語では「"離開" 郷下」("V+N")になる。このように,日本語で同一の出発動詞を用いた「空間名詞を+出発動詞」という構造に対応する中国語の"V+N"において,"V"が別々の動詞によって表現されることがある。本稿では,日本語の「N+V」構造と中国語の"V+N"構造との結びつき方の相違を中心に考察した。その結果,中国語の動賓構造における"移動動詞+空間名詞"の組み合わせに表現される意味関係の下位区分が明らかになったり,格が存在する日本語より格が存在しない中国語の動詞と名詞との結びつきのほうが,その組み合わせがより限定的な下位のカテゴリカルな意味を要求することが明らかになった。また,日本語と中国語で同じようなカテゴリカルな意味の動詞が使われる場合でも,動作の結果性の表現に違いがあって,その点からも日本語の「N+V」と中国語の"V+N"の文法的な意味が同一でない場合があることも明らかになった。なお,本稿は日本語の連語の研究を深めることを直接の目標としたものではないが,日本語の名詞と動詞の組み合わせ及びその結びつきの特徴のうち,日本語の連語現象だけをみていたのでは明らかにならなかった側面を,中国語との対照によって明確に浮かび上がらせることができた点で,日本語の連語の研究にも寄与する可能性をもつであろう。
井原, 今朝男 Ihara, Kesao
本稿は,長野盆地における大河川の氾濫原・沖積扇状地と山麓丘陵部という対照的な二つの地域における災害と開発の歴史を類型化する試みを提示するとともに,開発勢力に注目して中世社会の災害と開発力の歴史的特質を検討しようとするものである。前者,大河川の氾濫地域では開発が後れ,ほとんど近世の新田開発によると考えられていた。しかし,近年の大規模開発による考古学調査と用水や地名を中心とした荘園遺構調査など総合的地域史研究によって,10・11世紀における古代の先行した開発が確認され,大河川の洪水災害のあとも,伊勢上分米を開発資本として投資・復興させつつ御厨に編成しようとする動きと,国衙と結んで公領として再組織する動向とが拮抗していたこと。その開発勢力として伊勢平氏の平正弘一門が大きな役割を果たしたことを指摘した。他方,山麓丘陵部から扇状地一帯に古代の鐘鋳川を利用した条里水田が先行していたが,9・10世紀における土砂災害で鐘鋳川が埋没を繰り返す中で,国衙による条里水田の維持・復興が困難になり,院政期には後庁の在庁官人を指揮しうる院権力と結ぶ開発勢力が鐘鋳川を復旧・延長し,周辺部の再開発地に松尾社領や八条院領を立荘していった。さらにその縁辺部の非条里水田地域では,鎌倉~室町期に御家人平姓和田氏や国人高梨氏が六ヶ郷用水という第二次的補足的用水体系を開削して新しい開発地域を拡大していく努力を繰り返した。この開発勢力として院の北面や女院侍として活躍する一方鎌倉御家人をも輩出した越後平氏諸流の存在を「京方御家人」という概念で把握すべきことを指摘した。地域の開発景観が時代の変遷と開発主体の相違にもとづいて複合構造をなしていたといえよう。
澤田, 和人
小稿は,野村正治郎が制作した100点で一組の小袖屛風について,その資料価値を考察するものである。小袖屛風は,貴重な近世期の小袖裂を少なからず含んでいる。そのため,染織史上,見逃せない存在となっている。その一方で,中々扱いづらい作品群であることも,事実としてある。それは,小袖屛風が再構築されたかたちであることに起因する。小袖屛風は,元来の小袖の各部位を,その部位通りに屛風上に布置して制作されているわけではない。正治郎の作為によって,小袖らしく見えるよう断片となった小袖の裂を再構築しているのである。このような問題点を踏まえ,まず,屛風上の小袖をどのように再構築しているのか,その傾向を分析した。そして,なぜそのような再構築に至ったのかを議論し,さらには正治郎の制作意図を探ることとした。すると,従来考えられていたよりも,当初の意匠構成を伝えている作例が多くあることが判明した。もっとも,そうした作例であっても元来の部位を違えている場合が多い。それは,上前を見せるかたちを基本形として正治郎が制作していたことに由来する。そして,その基本形は,当時の着物の図案の形式に負うところが大きいと考えられる。当時の着物の図案の形式を踏まえ,より観賞価値を高めるためにとった表現が,小袖屛風という造形であったと捉えられる。小袖屛風は着物制作の雛形としての役割を期待されていたが,資料選定には正治郎の描いた小袖の歴史像が色濃く反映されている。このことは,正治郎が著した『友禅研究』の叙述との対照によって明らかとなった。自身の小袖の歴史像を示すこと,それこそが深層にある小袖屛風の制作意図として浮かび上がってくる。
宮島, 達夫 MIYAJIMA, TATSUO
国立国語研究所 The National Language Research Institute
国立国語研究所 The National Language Research Institute
Kobayashi, Masaomi
全ては他の全てと関連している――それが一般的なエコロジーの第一原則である。本稿は、そのように全てを関連性の総体とする全体論を広義のエコロジーとして捉え、様々なエコロジーの外部を探求する。その際に文学作品に言及することで、フィクションが提示する外部性の可能性も見出す。第一に扱う全体論は、カント以来とされる相関主義――現実は意識と事物の相関による現象であると主張することで人間の思考の外部性を排除する主義――である。この哲学論に対して、意識に先立つ事物の存在から意識の外部を考えるのが思弁的実在論である。主唱者の一人であるカンタン・メイヤスーは、偶然性の必然性を説くことで思考に基づく相関性の外部性を指摘する。そして相関性を前面にした作品がアーネスト・ヘミングウェイの「何を見ても何かを思い出す」であり、対照的に偶然性を前面にした作品がポール・オースターの『最後の物たちの国で』である。つづく全体論は、人間中心主義としてのヒューマニズムである。この全体論は、IoTやAIの登場によって、その完全性を維持できなくなりつつある。そしてP・K・ディックの代表作『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』におけるモノの世界は、まさに外部性を体現している。最後に扱う全体論は、歴史哲学者ユヴァル・ノア・ハラリが考察するデータ主義である。ビッグデータなどの膨大なデータにおいては、ヒトもモノも解析データとして一様に存在する。そして絶え間ないデータの流通を生命体として描いているのがドン・デリーロの『コズモポリス』である。データ主義を体現する主人公の死をもって終わる本作は、データ主義の外部性を象徴的に描く。かくして本稿は、「外部性の可能性」(outside possibilities)を発見することで、エコロジーとしての全体論を批判的に思考するための本来的な意味における「わずかな可能性」(outside possibilities)を提示する。
白井, 聡子 SHIRAI, Satoko
本稿では,ダパ語(チベット=ビルマ語派チァン語支)に見られる多義的な前接語=ta 'ON'について記述とその成立過程に関する考察を行う。=ta 'ON'は,場所名詞語幹から文法化された前接語の一つで,「上」を意味するtha1から文法化されたものと考えられる。しかし,その表す意味は,他の場所名詞由来の前接語と比べて著しく多岐にわたっている。他の同様の前接語は,名詞に後置され,行為の場所,着点,起点を表す場所名詞句を形成する。ところが=ta 'ON'は,それに加えて,被害者的目的語および尊敬を受ける目的語の標示にも用いられ,時を表す副詞句も形成する。さらに,=ta 'ON'は,接続詞としても機能する。接続詞=ta 'ON'は,従属節末尾の動詞に付加される。接続詞=ta 'ON'自体も多義であり,一義的には時を表す従属節を形成するが,継起,条件,逆接を表す従属節をも形成する。意味派生のプロセスを考慮すると,時点から継起へ,さらに継起から条件および逆接へという段階が考えられる。以上のような両機能性と多義性を記述し,さらに,近隣で話される同系のチァン語支言語との対照を試みた。「上」を表す名詞の文法化はチベット=ビルマ語派に散見されるものの,ダパ語に見られるほどの多義性が報告された言語はない。同じチァン語支チァン語群に属するチァン語雅都方言に,「上」から文法化された多義前接語が報告されている。その一方で,ダパ語に最も近い地域で話されるチァン語支ギャロン語群の諸言語には「上」に由来する多機能の機能語が見られない。名詞「上」から前接語'ON'への文法化は,地域的に広がった特徴ではなく,ダパ語とチァン語に共通の祖語の段階で起こり,両言語に受け継がれたものと考えられる。
岩橋, 清美 IWAHASHI, Kiyomi
本論文は、一九世紀初頭における日光をめぐる歴史意識について、植田孟縉の『日光山志』と竹村立義の『日光巡拝図誌』をもとに論じるものである。『日光山志』は五巻五冊からなり、天保七年(一八三六)に刊行されたもので、日光に関する最もまとまった内容を持つ地誌である。その内容は中世以来の山岳霊場としての歴史から書きはじめられ、山内の景観・建物の構造・奥日光の動植物・日光周辺地域の人々の暮らしにまで及ぶ。孟縉は、東照宮だけではなく周辺地域を含めて「日光」であることを示し、江戸幕府の権威の象徴として描いている。こうした、彼の歴史意識は、八王子千人同心という身分集団に属していたことに規定されていると言える。これに対し竹村立義は、東照宮というこれまで秘匿されてきたものを、豊富な挿絵で視覚化し、自らの考証を加えて『日光巡拝図誌』を編纂した。特に注目されるのは、武家であっても容易に入ることができない奥院御廟を様子や東遊・延年之舞といった儀式を描いた挿絵である。『日光山志』が日光山全体を詳細に記述しているのに対し、『日光巡拝図誌』は参詣者の興味関心を中心にまとめられた書物と言えよう。両者の日光へのアプローチは非常に対照的ではあるが、二つの地誌に共通することは、日光に関するまとまった情報を読者に提供し、東照宮をより民衆に開かれた存在にしたことである。その背景には参詣者の増加や東照宮信仰の広がりがある。こうした東照宮をめぐる社会の変化が東照宮の書物化を可能にし、多くの読者を生み出したと言えよう。二つの地誌は、まさに一九世紀初頭の読者を意識したものであり、これらを通して日光の歴史化が図られたのである。
中島, 和歌子 NAKAJIMA, Wakako
『枕草子』には陰陽道に関する記事が少なく、仏教関係のそれの多さ、多様さと対照的である。一方『栄花物語』正篇は、『枕草子』と重なる時代・人物を描く部分を含めて、陰陽道に関する記述が多く、禁忌を重視し陰陽師を信頼する様子が描かれている。『枕草子』には、官人の陰陽師は固有名詞が見えないだけでなく、ほとんど描かれていない。その理由としては、視野の問題もあるが、出産を含む定子の危機そのものを一切記していない為に登場の機会がなかった、実際に道隆が兼家や道長・頼通ほどに禁忌を遵守し陰陽師を重用していなかった、験者や法師ほどには身近でなかった、といったことが考えられる。但し、記事は少ないものの、陰陽師に従う小童部や法師陰陽師、更には式神まで、陰陽師の周辺にいるものは取り上げられていた。これらは院政期の説話などには散見するが、陰陽道関係の記事が多様である『字津保物語』を含め、仮名にはあまり見られない。何かの理由で文学作品に取り上げられなかった風俗や言葉が、『枕草子』によって垣間見える一例である。また、『呪詛』の明記も珍しいが、伊周や高階氏による道長方呪詛の史実を考慮すると、記したことに挑発的意味あいが感じられる。物忌・方違については風俗としてそのまま受け入れる様子が見え、口実として利用することもない。しかし、呪誼、凶会日、物忌札や物忌の描き方においては、禁忌意識は薄い。また、これらの記事は連続して出てくることが多い。特定の物忌は、一条天皇四例、村上天皇・伊周・繁子・清少納言各一例で、定子の物忌は無い。伊周や清少納言の物忌は、定子との心の繋がりの確認の契機となっている。『蜻蛉日記』や『和泉式部日記』と愛情の種類は異なるが、表現方法は同じだと言える。
相澤, 正夫
話しことばコミュニケーションの模様を第三者の立場から描写するとき,「『私は怒ってなんかいません』とふるえる声で言った」「『そうですか』とがっかりした口調で言った」のように,引用符の中に話された内容を示し,引用符の外にそのときの話し方の特徴を補うという方法がしばしばとられる。音声による言語行動を忠実に捉えようとするならば,引用符の中の言語形式として再現しきれない要素をひろいあげ,必要に応じて補足するというかたちで全体を再構成しなければならない。本発表では,音声による言語行動を構成するさまざまな要素のうち,話し方の特徴に深く関わる「声の調子(tone of voice)」と呼ばれる部分に注目し,日常的な日本語による描写ではそれがどのように再現されているのかを,「声」と「口調」という切り口から探ってみる。資料収集の対象としては,多様な対話場面を数多く含むということで推理小説を選んだ。具体的には,次の三点に言及する。(但し,調査研究としては,資料収集と分析の観点を探索する段階にあり,あくまでも中間報告であることをお断りしておく。)(1)日本語では,話し方の特徴を「声」「口調」の様態として描写する傾向が強い.このことは,英語で書かれた推理小説の原文とその和訳との対照からも推察される。(2)「声」として描写される事象と「口調」として描写される事象とには,それぞれに固有の部分と重複する部分とがあり,重複する部分もかなり大きい。(3)「声」「口調」を描写する語彙・言語表現を大量に集め,体系的に整理・分析することによって,音声による言語行動の総合的な解明に向けて,言語学(特に語彙論)の側から有用かつ不可欠な情報を提供することができる(のではなかろうか)。
小林, 謙一 Kobayashi, Kenichi
本稿では,これまでの筆者の分析を基に,一セツルメント内での居住システムの変化に関する把握方法を検討し,次いで南西関東地方を対象に,時期的および実時間での竪穴基数(構築した竪穴数)と生活面数(連続的な居住を維持するための居住活動の単位)を検討した。その結果,竪穴住居基数と生活面数を比べると,時期ごとに違いが認められた。移動性の高い居住システムを有する場合は住居基数に対する生活面数の比が低く,単一のセツルメントが高い頻度では用いられないのに対し,集落数が増す時期には,竪穴基数・生活面数とも増加するとともに,改修や同一時期内の改築(重複関係を持つ竪穴として構築される)例が増加し,同一セツルメントを重層的・連続的に利用していることが推定できる。生活面数と竪穴基数の割合をみると,土器型式期の長い時期には,同一の竪穴としての掘込みの中で生活面数が増加する。勝坂式土器最盛期から加曽利E式土器最盛期にかけては,1基の竪穴に対する生活面数が約2倍になり,勝坂式前半期や加曽利E式終末期においてその比率が1倍に近いことと対照的である。推定存続期間を10年に基準化して生活面数を見ると,時期ごとに見たときの竪穴基数の増減とおおよそ合致した様相がつかめる。旧稿で検討してきたように,南西関東地方においては,勝坂式最盛期から加曽利E式最盛期にかけて,次第に集落数・住居数が増えていった,すなわち人口が増加していったと見てよいであろう。また中期末葉での集落・住居さらにはそこから類推される人口が,激減している。実年代で細かな集落動態・居住活動の変化を整理できれば,縄紋社会の解明へとアプローチできる。そのためには,居住活動の主要な舞台であるところの竪穴住居の用いられ方と時間的単位について,さらに具体的に解明していかなくてはならない。
大屋, 一弘 比嘉, 基晶 Oya, Kazuhiro Higa, Motoaki
西表島開墾地の土壌管理に資するため, 前報(Oya et al 1994)の調査の一環として, 開墾試験区土壌の可給態リン酸及び交換性アルミナを分析・測定した。また併せて開墾試験区周辺林地2カ所において, 土壌理化学性の垂直変化について調査した。(1) 開墾試験区土壌の可給態リン酸と交換性アルミナ 開墾試験区としてA区(対照区, 林地), DG区(レーキドーザーにより山成り開墾, 3年間牧草栽培後放置), DN区(同上により開墾後裸地状態で放置), EG区(ブルドーザーにより開墾均平化, 3年間牧草栽培後放置), EN区(同上により開墾後裸地状態で放置)などを1976年に設置し, 各区から開墾当初, 3年後, 15年後に表土(0&acd;15cm)3点づつを採取して可給態リン酸と交換性アルミナを分析・測定した。可給態リン酸はA区(林地)でも約0.5mg P_2O_5/100gと低い方であり, DG区とDN区はこれに近いレベルにあったが, EG区とEN区ではかなり低くA区の約3分の1であった。交換性アルミナはA区では0.8&acd;1.8me Al/100gであったが, EG区とEN区では2.7&acd;3.6meと著しく多い状態にあった。DG区とDN区はA区よりやや高いが, EG区やEN区より低いレベルにあった。開墾後の経年による可給態リン酸と交換性アルミナの量的変化については明確な傾向はみられなかった。(2) 林地における土壌理化学性の垂直変化 土壌養分は表層から下層へ急激に減少し, 一方で受食性の目安となる土壌の分散率は高くなった。以上より, 西表島の砂岩土壌地帯では, ブルトーザーにより下層土を露出させるような開畑を行うと, そこの土壌は肥沃度が著しく悪くなり, 同時に土壌侵食も受け易くなる恐れがあるので, その場合の土壌管理には十分意を払う必要があると考えられる。
西槇, 偉
民国期の中国において豊子愷(一八九八―一九七五)は、西洋美術の紹介者として活躍し、また文学者、画家としても知られる。今まで、その絵画作品と竹久夢二(一八八四―一九三四)との関連が様々な見地から論じられてきたが、西洋美術の影響にはほとんど言及されていなかった。本論は豊子愷作品におけるゴッホの影響を明らかにしようとするものである。 まず、「労働」「子ども」「宗教」モチーフにおいて、豊子愷はジャン・フランソワ・ミレー(一八一四―七五)から強い感化を受けた。これらのモチーフをミレーから継承したゴッホも、ある程度豊子愷にインパクトを及ぼした。ゴッホの「二人の子ども」から豊子愷は「姉妹」や「兄弟」を描き、「一足の靴」から「!!!」のモチーフを得たと思われる。 しかし、ミレーとは異なるゴッホ作品独特の用筆法や構図を、豊子愷は取り入れていった。ゴッホ作品の特徴を「鮮やかな色彩のコントラストと奔放な用筆」ととらえた豊子愷は、毛筆の線のタッチを特色とする肖像画作品を描き、鮮明な色彩対照も試みた。その文人画的な肖像画や静物画はゴッホ作品の刺激を受けて誕生したといえる。 そして、人物群像や空間表現にもゴッホ作品との関連が見られる。「馬鈴薯を食べる人たち」の構図が「人散後、一鉤新月天如水」(一九二四年)に用いられ、また「置酒慶歳豊、酔倒嫗与翁」(一九七〇年頃)と類似する。 人物ポーズや構図をゴッホから摂取しながら、豊子愷作品はしばしば詩句を題とし、文学と結合する傾向を見せる。図像モチーフが文学と出会うことにより、さまざまに再構成され、作品が制作される。それが豊子愷作品の特徴のひとつと思われる。さらに彼は類似モチーフを伝統絵画に求め、それをも創作に加味したり、伝統モチーフを蘇らそうとしたりした。 したがって、ゴッホ作品は豊子愷に多大な影響を及ぼしたといえる。特に、線の表現が豊子愷をひきつけたが、それは文人画に通じるものであり、豊子愷はゴッホ作品に「東洋風な画家」の特徴を見出し、そして伝統を再発見するに至ったのである。
片平, 幸
本稿では、欧米諸国における日本庭園像の形成を歴史的に捉える上で重要と思われる原田治郎(一八七八~一九六三)という人物を紹介する。一九二八(昭和三)年にイギリスで刊行された原田治郎のThe Gardens of Japan (Edited by Geoffrey Holme, The Studio Limited. )は、日本人による英語で著された日本庭園論としては最もはやい単行本として位置づけられる。一九三〇年代に入ると、原田以外の日本人による英語の日本庭園論の著作は増加するが、それらはいずれも日本国内での出版であった。そうした事情によって、原田の著作は日本人による文献としては突出した頻度でその後の英語圏の日本庭園論に参照されていく。 原田治郎のThe Gardens of Japanに着目する意義は二点に要約できる。まず一つめは、原田を介して、新しい解釈が英語圏へと広まったことがある。しかしそれは、原田がまったく独自の日本庭園論を展開したことを意味するのではない。むしろ原田の貢献とは、岡倉天心の芸術観や禅の思想などを日本庭園の理解に必要な背景として英文で紹介したことにある。原田はさらにそうした理解のあり方を視覚的に補完する画像資料を用いて、それまでにない日本庭園像を英語圏の読者たちへと伝えた媒介者としての役割を果たした。 こうした原田治郎の功績については、その後、欧米諸国と日本国内では対照的な評価をみせる。この評価の二分化が、原田に着目する意義の二点目である。一九三〇年以降、欧米人が著した日本庭園論に原田が頻繁に挙げられるのに対して、日本国内の庭園研究者たちは、その存在を認識しつつも、The Gardens of Japanの内容とその影響力について積極的に評価したり取り上げることはなかった。こうした事情には、原田の根ざした文脈と当時の日本庭園研究の文脈との距離が集約されているといえる。そこで、本稿では原田の庭園論の前史について概観し、原田のThe Gardens of Japanの内容、そしてその後反応について紹介したい。
朱, 捷
本稿では、日本人の語感において嗅覚がいかに格別な地位を占めているかを論じる。 京都の染色や日本刺繍、日本画、陶芸などでは今日でも、花の雄蘂・雌蘂その場所のことを「におい」と呼ぶ。これは仏教経典に見える、生命誕生に決定的な役割をはたす匂いの神ガンダルヴァの話を想起させる。どの辞書にも載らないこの使い方は、生命のほのかな、原初的な躍動を嗅覚でとらえる「にほひ」ということばの、最下層の面影を残しているように思われる。 語源的に、「にほひ」は神秘的な生命力を秘める霊的物質水銀とのつながりを示唆する。「二」は水銀の原鉱石の丹砂を指し、「ニホ」は丹砂の産出を意味する「ニフ」や水銀の女神の名前ニホツヒメと明らかに接点をもつ。「にほひ」ということばには視覚と嗅覚が重なり合っている。それは、血のように鮮やかな水銀朱の色を視覚的に表現するいっぽう、視覚ではとらえきれない、丹砂という鉱石の奥をうねり脈打つ生命力の神秘性を嗅覚的にとらえていることを示している。 内在的な生命力のうねりを嗅覚的に表現する「にほひ」の用例は、古典文学に多く見られる。源氏物語ではそれは男女の内在的な美的性的魅力をも意味する。魅惑的なフェロモンのような体臭をもちながら、薫がもっとも恐れていたのは「にほひ」のない男と呼ばれることだった。 日本語では、絵画に与えるもっとも高い評価にも、「声のにほひ」などのように、聴覚のなかのもっとも美しい音声を表現するのにも、「にほひ」が使われる。そして「にほひ」は芭蕉の美学理念の重要なキーワードでもある。日本人の嗅覚は、他の感覚ではとらえきれない物事の奥に秘める生命力や人の心を打つものに対してとくに繊細である。対照的に、中国人の語感において聴覚が格別的で、響きを意味する「韵」が他の感覚を凌駕するキーワードとなることが多い。しかも興味深いことに、「にほひ」の漢字表記「匂」は、「韵」の右半分を取って造られた和製漢字である。
髙橋, 修
国立歴史民俗博物館蔵の『懐溜諸屑』には多数の一枚刷りの資料が貼りこまれ、近世後期の都市生活・庶民文化を知るための手がかりの宝庫である。中でも現代の「ちらし広告」に相当する「引札」の数量は全体の二割を占め、その重要性が伺える。そこで本稿では、①『懐溜諸屑』に収載された江戸の引札を類型化し、それぞれの様式論的特徴を明らかにすること、②大阪歴史博物館で収蔵する引札を主たる分析素材とし、大坂における引札の様式論的特徴を明らかにすること、③江戸と大坂の引札を比較分析し、そこで得られた知見を広告メディア史全体の文脈の中に位置づけること、以上の三点を研究目的として設定した。考察の結果、江戸と大坂は対照的な広告文化が育まれていたことが判明した。江戸の引札は現代のちらしと異なり、手紙の延長としての性格を有していた。商店・商品情報を直截的に伝えることよりも、文章上の巧緻を楽しませる、いわば「読ませる」ことに主眼を置いたものであった。一方、大坂の引札は商店・商品の情報を直截的に伝えることを重視した、いわば実利的性格が強い傾向にあった。例えば、その本文は江戸のような手紙文の形式ではなく、あくまで商品情報の伝達に徹した実用文を主体としていた。一方で、画面構成や図像の工夫という点では江戸よりも発達しており、視覚的効果を重視していた。いわば「見せる」ことに主眼を置くという特徴を有していた。従来の広告史研究では、引札の文章上の工夫という基準から江戸と大坂を比較し、相対的に大坂の地位は低く評価されてきた。だが、本稿の分析結果はそれと異なる視角を提示し得る。広告史を長期的に捉えれば、特に近代以降の広告文化は文章表現よりも視覚的効果を重視する流れにある。その意味からすれば、大坂の引札文化こそ視覚的効果重視という現代の広告メディアの特質を歴史的に先取りして準備したものと位置づけられよう。
海原, 亮 Umihara, Ryo
本稿は、文政二・三年(一八一九・二〇)に刊行された医師名鑑『江戸今世医家人名録』を素材として、巨大都市=江戸に達成された「医療」環境の実態を、蘭方医学普及の動向に即しつつ明らかにしたものである。❶では、『江戸今世医家人名録』の構成と特徴、刊行の目的について考察した。近世期における医師名鑑とは、第一に、都市民衆が医師を選択する最も簡便な手法であった。同書はまた、医師が販売する家伝薬の宣伝・広告機能をも有した。一七七〇年代頃より学問的な体系の面では蘭方医学の興隆がみられたが、臨床の場にそれが流布するまでにはなお時間が必要であった。蘭方医学を由緒とする売薬・治療方法も掲載されたが、その数はわずかなものに止まっている。続いて❷では、『江戸今世医家人名録』に所載された二〇〇〇名におよぶ医師データをもとに、各種の著名蘭学者の門人帳と対照し、その傾向を考察した。今回は、時期も区々な五つの門人帳(土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道)に限定し、その結果を網羅的に紹介した。照合作業に際しては名鑑類の史料的性格を考慮し、複数の材料を用いて慎重に判断した。本稿に紹介したデータは、江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業と言えるものである。すなわち、文政期頃の江戸では、蘭方医学の素養を有する医師が活動の場を持ち得る社会的基盤が醸成されはじめていた。本稿の最大の論点は、当時の江戸が抱えていた特殊な社会事情=「医療」環境の独自性の指摘である。それはまず、藩医層の圧倒的存在であった。彼ら藩医の少なくない部分は、実際には藩邸の外に居所を得て、町内で診療活動を展開した。したがって、巨大都市に独特な社会構造や医師たちの存在形態を精確に踏まえてこそ、「医療」環境の特質・蘭方医学受容の背景は、より鮮明に性格規定される。
林, 正之 Hayashi, Masayuki
柳田國男著作中の考古学に関する箇所の集成をもとに、柳田の考古学に対する考え方の変遷を、五つの画期に整理した。画期(一)(一八九五〜):日本社会の歴史への広い関心から考古学・人類学に参与し、山人や塚等、村落とその境界の問題を探求する。土器・石器や古墳の偏重に反発して次第に考古学から離れ、『郷土研究』誌上で独自の歴史研究を行う。画期(二)(一九一七〜):南洋研究や渡欧を通じて人類学の動向を知り、日本での国際水準の人類学創設を図る。出土人骨研究の独走や「有史以前」ブームを批判し、人類学内での人文系・自然科学系の提携、近現代に及ぶ「有史以外」究明の為の考古学との協力を模索する。画期(三)(一九二九〜):人類学の総合を留保し、一国民俗学確立に傾注する中、考古学の発展を認め、考古学との対照によって、現代の文化複合の比較から民族の文化の変遷過程を抽出する方法論を確立する。戦時下、各植民地の民俗学の提携を唱えるも、考古遺物の分布等から民族間の歴史的連続を安易に想起する傾向を排し、各民族単位の内面生活に即した固有文化の究明を説く。画期(四)(一九四六〜):敗戦原因を解明し、批判力のある国民を創るべく、近現代重視の歴史教育構築に尽力する。登呂遺跡ブームが中世以降の地域史への関心を逸らすことを警戒し、身近な物質文化の変遷から社会分析の基礎を養う教育課程を構想するも挫折する。画期(五)(一九五二〜):自身の学問の挽回を賭け、島の社会環境や大陸の貨幣経済を踏まえた移住動機の総合的モデルに基づき、稲作を核とする集団が、琉球経由で海路日本列島へ渡来したとの説を掲げて、弥生時代の朝鮮半島からの稲作伝来という考古学の通説と対決する。しかし考古学側の知見に十分な反証を出せず、議論は閉塞する。柳田は、生涯に亘って考古学を意識し、批判的に参照する中で、研究の方向を模索した。考古学は、柳田の思想の全貌を照射する対立軸といえる。
小椋, 純一
マツタケは高度経済成長期の初期頃まで庶民の口にも入りやすいキノコであったが,高度経済成長期の間に生産量が急減し,多くの消費者には手が届きにくい高級食材となっていった。一方,それとは対照的に,シイタケはその間に生産量が急増し,価格が大幅に下がることにより庶民的な食品へと変わっていった。そのような変化において,食品の価格は消費者にとってとくに重要だったと思われる。本稿では高度経済成長期の頃のことを中心に考えるが,その時期はインフレ率が高かったため,消費者が各年に感じた物価(消費者感覚価格)を,それぞれの年の実際の物価を日雇労働者賃金と比較することにより考えた。また,高度経済成長期の頃のことを考えるために,20世紀初期からの流れも考えてみた。また,マツタケとシイタケの生産-消費動向の背景についても,その20世紀初期からの流れも含め考えた。その結果,高度経済成長期の頃,マツタケの消費者感覚価格は,その初期から後期にかけて,しだいに2倍ほどに上昇していったと考えられる。ただ,20世紀初期からの変化を見ると,高度経済成長期初期のマツタケの消費者感覚価格は,20世紀初期の約3倍もあり,決して安いと感じられるものではなかった。そして,それが高度経済成長期にさらに高騰することにより高級食材として定着してゆくことになった。それに対し,シイタケは逆に高度経済成長期の期間を通して生産量は大きく増え,消費者感覚価格は半減し,消費者が求めやすい価格となった。長年の研究の末,シイタケは人工栽培が容易になり生産量が大幅に増えたのに対し,マツタケはそれが難しい状態が続いた。さらに,高度経済成長期のプロパンガス普及により,里山の利用がなくなり森林環境が大きく変化したことによって,マツタケはいよいよ発生しなくなった。一方,シイタケ生産急増の背景には,里山で使われなくなった広葉樹が入手しやすくなったこともあった。
浅原, 正幸 五十嵐, 陽介 窪田, 悠介 パルデシ, プラシャント 松本, 曜
落合, 恵美子
「アジア」のプレゼンスが急速に拡大している現代のグローバルな文脈の中で「日本」をいかに再定義するか、とりわけ「日本」と「アジア」との関係をいかに語り直すかが、日本研究がいま直面している最大の課題であろう。 韓国の歴史家イム・ジヒョンによれば、日本で定着している「西洋史」「東洋史」「日本史」という三分法は、「自分自身にとってのオリエントをアジアの隣人たちから創り出すこと」により創られた。この場合、「日本」は「西洋」に近いものと定義される。他方、同時代の「汎アジア主義」では、「日本」は「東洋」の盟主である。「東洋」においては「西洋」を代表し、「西洋」に対しては「東洋」を代表してみせる――「東洋」と「西洋」の狭間に立つ日本のこの独特の位置取りは、戦前と戦後を通じて連続してきた。 しかし、アジアの経済成長が現実世界を変えた今、世界認識も描き換えられつつある。その方向は流動的ではあるが、それでもいくつかの方向は見えている。戦前のような「日本によって代表される「アジア文明」」はありえず、中国が「アジア」の中心に座るであろうこと、その場合、中国は「東洋の中の西洋」を演じるのではなく「自己オリエンタリズム」とセットになった「反西洋的オクシデンタリズム」の立場をとるであろうこと、日本は「中国によって代表される「アジア文明」」の末席を汚すことを潔しとせず、さりとて「東洋の中の西洋」という立場はもはや有り得ず、位置取りに苦労するであろうことなどである。 「日本」と「アジア」の再定義は同時に行わねばならないとすると、日本研究とアジア研究の結合が必要である。そのような問題意識から京都大学で実施したプロジェクトからは、極めて対照的な二つの「アジア」の存在と、その狭間に立つ日本が見えてきた。 日本だけに視野を限っていては日本研究はできない。「開かれた多元的なアジア」研究と結合した日本研究を再構築しなくてはならない。
設楽, 博己 Shitara, Hiromi
縄文時代の代表的な呪具である土偶は,基本的に女性の産む能力とそれにからむ役割といった,成熟した女性原理にもとつく象徴性をほぼ一貫して保持していた。多くの土偶は割れた状態で,何ら施設を伴わずに出土する。これらは故意に割って捨てたものだという説があるが,賛否両論ある。縄文時代後・晩期に発達した呪具である石棒や土版,岩版,岩偶などには火にかけたり叩いたりして故意に破壊したものがみられる。したがって,これらの呪具と関連する儀礼の際に用いたと考えられる土偶にも,故意に壊したものがあった蓋然性は高い。壊したり壊れた呪具を再利用することも,しばしばおこなわれた。土偶のもうひとつの大きな特徴は,ヒトの埋葬に伴わないことである。しかし,他界観の明確化にともなって副葬行為が発達した北海道において,縄文後期後葉に土偶の副葬が始まる。この死者儀礼は晩期終末に南東北地方から東海地方にかけての中部日本に広まった。縄文晩期終末から弥生時代前半のこの地方では,遺骨を再埋葬した再葬が発達するが,再葬墓に土偶が副葬されるようになったり,土偶自体が再葬用の蔵骨器へと変化した。中部日本の弥生時代の再葬には,縄文晩期の葬法を受け継いだ,多数の人骨を焼いて埋納したり処理する焼人骨葬がみられる。こうした集団的な葬送儀礼としての再葬の目的の一つは,呪具の取り扱いと同様,遺体を解体したり遺骨を焼いたり破壊して再生を願うものと考えられる。つまり,ヒトの多産を含む自然の豊饒に対する思いが背後にあり,それが土偶の本来的意味と結びついて土偶を副葬するようになったのだろう。そもそも土偶が埋葬に伴わないのは,男性の象徴である石棒が埋葬に伴うことと対照的なありかたを示すが,それは縄文時代の生業活動などに根ざした,社会における性別の原理によって規定されたものであった。土偶の副葬,すなわち埋葬への関与はこうした縄文社会の原理に弛緩をもたらすもので,縄文時代から弥生時代へと移り変わる社会状況を反映した現象だといえる。
神田, 由築
『懐溜諸屑』(以下『諸屑』と略称)には、近世の話芸や音曲に関する一枚摺が多く収録されている。落語家である入船扇蔵が話芸に関心を寄せるのは当然だが、十九世紀の社会には様々な音曲も満ちあふれ、落語と同じく寄席や座敷でも披露されていた。『諸屑』はその様相を知る貴重な史料でもある。そこで本稿では、江戸の音曲文化に関わる四つの観点から『諸屑』所収の一枚摺について考察を試みた。第一が、遊里と音曲の関係である。『諸屑』所収の一枚摺からは、いま江戸で流行している音曲は何か、代表的な芸能者は誰か、そうした、新吉原や両国の水茶屋などを発信地とする音曲に関する先端的な情報とともに、遊び心の仕掛けもうかがえる。それらの一枚摺は、音曲がさらに二次的な遊びや生業の母胎ともなり、広く文化として浸透する様相をも伝えてくれる。第二に、稽古文化と音曲の関係である。家元制をとる流派では、家元または弟子が改名や追善などの機会に名弘会を開くことがあり、『諸屑』にも名弘会の一枚摺が所収されている。町奉行所は芸道上必要と認められるものを除き、名弘会の華美な一枚摺や世話人による配布を統制の対象としていたが、『諸屑』所収の一枚摺は、芸能者でもあった扇蔵の性格を反映してか、それとは対照的な、芸道にもとづくものが多い。第三に、寄席の芸能としての音曲である。『諸屑』には寄席「廣本」のビラが複数枚ある。扇蔵がよく出入りしていたか、近所だったかと考えられる。第四に、出版文化と音曲の関係である。『諸屑』に残る一枚摺からは、絵双紙屋で稽古本とともに「声のお薬」があつかわれるなど、いくつかの商業と結び付き複合的に展開していた当時の出版文化の「売り」の局面が明らかになる。以上、『諸屑』は当時の音曲文化を知る有力な手がかりであるし、また逆に、『諸屑』の特徴を考えるうえで、音曲文化というのがひとつの鍵になるであろう。
平山, 朝治
古沢平作が、エディプス・コンプレックスという父性原理によって特色づけられる西洋諸国民と日本人を対照するために、阿闍世コンプレックスという母性原理を定式化して以来、河合隼雄らによって、日本は母性社会であるとしばしば主張されてきた。しかし仏典における本来の阿闍世物語は父性的でエディプス物語と極めて似たものである。古沢が阿闍世物語を母性的なものとして解釈した理由は、阿闍世コンプレックスに関する自分の論文を、エディプス・コンプレックスを定式化したフロイトに見せようと意図したさい、彼はフロイトを精神分析の偉大な父として尊敬していたため、阿闍世物語解釈において父と息子の間の葛藤を無意識のうちに抑圧してしまったからである。 したがって、私たちは阿闍世コンプレックスを、父―息子間葛藤が日本の母の特徴的な役割によって抑圧されたような、エディプス・コンプレックスの一つのヴァージョンとみなすべきである。土居健郎によって精神分析に導入された「甘え」という概念は、母と息子との間の親密な関係に由来するものであり、父―息子間葛藤を宥め、日本の伝統的なイエを父から嫡子へと継承させるのに貢献している。 阿闍世コンプレックス、「甘え」や母性社会といった心理学的概念は、エディプス・コンプレックスを適用できる父性社会と対比しながら日本社会を特徴づけるために用いられてきた。しかし、このような対比は誤解を呼びがちであり、イエの構造的特徴から伝統的日本社会に広まっている父性と母性をともに演繹しなければならないと、私たちは主張する。 脱産業社会においては父母の権威はともに不可避かつ不可逆的に衰えてきた。したがって、そのような権威の再建を唱えるような処方は現実的ではないと私たちは考える。私たち日本人は今日、もっと個人主義的にならなければならないが、母―息子の絆を断ちきるような西洋型の父性的権威なしでそうしなければならない。近親相姦をめぐる願望と禁止との間の心理的葛藤は、エディプス・コンプレックスにおいては母―息子関係に関して強調されてきた。他の家族成員間の関係についても、似たような葛藤を私たちは見出すことができる。なかでも、兄―妹関係と父―娘関係は、現代日本社会における「甘え」の病的な過剰から私たちを解放するために役立ち得るだろう。
長島, 要一
一八四六年八月に浦賀沖に達したビレ提督指揮下のガラテア号の出現が興味深いのは、1.それがとにもかくにも日本―デンマーク文化交流史の第一ページを飾る出来事であり、『故事類苑』外交部にも記事が載っていること、2. デンマークの国旗が史上初めて日本人の目にとまり、両国がお互いの存在を短時間とはいえ認めあったこと、3.デンマーク側の訪問が文字どおりの即興であり、十七世紀半ばのデンマーク東インド会社による二度にわたった日本進出計画挫折の時と同様、またしても情報不足、準備不足で日本を訪問したこと、にもかかわらず、4.上海から浦賀沖に至る航路途上の測量を、クルーゼンシュテルンおよびシーボルトの成果を比較しつつ行っている点、同様に、5.日本と日本人に関する観察を、これも先行文献の記述を対照しながら行い、私見を述べている点に興味をひかれるからである。ビレ提督の日本印象記は、デンマークの教科書中に散見されていた日本関係記事と、クルーゼンシュテルンの『世界周航記』デンマーク語版をのぞけば、日本を訪れたデンマーク人によって書かれた日本論の嚆矢であった。この印象記は、それまでの先行文献からの広い意味での「引用」に過ぎなかったデンマークの日本観が、ほんの短時間にしろ日本の国土と日本人に接し、その印象と評価を書き記した広義の「翻訳(誤訳)」へと質的変換をとげた画期的事件となったのである。以後のデンマーク人による日本記事は、直接に引用してあるかはともかくとして、ビレ提督の日本印象記抜きに語られることはなかった。 本稿は、ビレ提督の日本印象記を先行文献との関連で紹介しつつ、その史料としての特徴を素描し、ビレ提督浦賀沖訪問に関する日本側の史料と照合することにより、あわせてデンマークの日本認識と日本のデンマーク観を浮き彫りにする。 日本側の史料が終始一貫して「記録」にとどまり、その複数の記録がいずれも報告であり判断と評価を欠いているのに対し、ビレ提督の日本印象記は、事実の記録のみならず、先行史料を参照し、それを批判的に吟味する総合的かつ戦略的な「記述」であった。そこに一八四六(弘化三)年浦賀沖で演じられたドラマの象徴的な意味が見出されると思う。そしてそれは、七年後のペリー提督来訪により、大きなドラマに進展するのである。
孫, 才喜
太宰治(一九〇九―一九四八)の『斜陽』(一九四七)は、日本の敗戦後に出版され、当時多くの反響を呼んだ作品である。本稿では、かず子の手記の物語過程と、作品中に頻出している蛇に関する言説を中心に作品を読み直し、『斜陽』におけるかず子の「恋と革命」の本質の探究を試みた。 敗戦直後の日本は激しい混乱と変化の時期を迎えていた。かず子の手記はそのような日本の社会的状況や文化的な背景と切り離して読むことは難しい。貴族からの没落と離婚と死産を経験したかず子は、汚れても平民として生きていくことを決意する。このようなかず子の生き方は、最後の貴族として美しく死んでいった母や、最後まで貴族としての死を選んだ弟の直治とは、非常に対照的である。 かず子は強い生命力の象徴である蛇を内在化させることによって、自分の中に野生的な生命力を高めていった。また聖書の中のキリストの言葉、「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」をもって、おのれの行為を正当化し、悪賢くても生き延び、「道徳革命」を通して「恋と革命」を成し遂げる道を選ぶのである。その「革命」は「女大学」的な生き方を否定し、「太陽のように生きる」ことである。この「女大学」は、日本の近代化のなかで強化されてきた家父長制度のもとで、女性に強いられた良妻賢母の生き方を象徴している。また「太陽のように生きる」とは、明治末から大正にかけて活動していた青鞜派の女性たちを連想させており、「女大学」的な旧倫理道徳を否定し、新しい道徳をもつことである。母になりたい願望をもっているかず子は、「恋」の戦略によって、家庭をもつ上原を誘惑し、彼の子供を得た。しかしそれはかず子の「道徳革命」の一歩にすぎない。かず子が母と子どもだけの母子家庭を築き上げて、堂々と生きていったとき、かず子の「道徳革命」は完成されるのである。 本稿では『斜陽』における蛇に関する言説と日本の民間信仰、聖書との関係、家父長制度とかず子の「道徳革命」との関係などを分析しており、それらが作品の展開とテーマの形成に深くかかわっていることが明らかにされている。
バンス, ティモシー・J VANCE, Timothy J.
連濁は複合語の結合度の印であるとしばしば主張されている。つまり,日本語の複合語の後部要素が連濁すれば,その複合語の結合度が高いという相関関係が唱えられている。しかし,結合度の高い複合語が必ずしも連濁するとは限らない。一方では,アクセント型が典型的な複合語に現れる型(以下「複合的アクセント」)であれば,結合度が高いと確信できる。言い換えれば,複合的アクセントは連濁の必要条件ではあるが,十分条件ではない。この見方の背景にあるのは,句境界削除(dephrasing)という概念である。複合的アクセントの場合は,2要素からなる列が1つのアクセント句を形成する。アクセント核の有無と位置は後部要素によって決まる事例が圧倒的に多い(例えば,ヤマ ˥+オトコ ˥ → ヤマオ ˥ トコ「山男」)。 対照的に,句的アクセントの場合は,各要素が自立語としてのアクセント型を保ち,その組み合わせが2つのアクセント句になる(例えば,エ ˥ キ+マ ˥ デ → エ ˥ キ・マ ˥ デ「駅まで」)。同じイントネーション句に含まれているので,後部のアクセント句にダウンステップが起こる。その2つのアクセント句の間にある境界を削除して組み合わせ全体を1つのアクセント句にしてもいい事例もある(例えば,エ ˥ キマデ)。このような境界削除の場合は,前部要素のアクセント型が優先して保たれる。2つのアクセント句として発音される韻律上不統一複合語(prosodically non-unified compound)もあるが,単なる境界削除はほとんど許されない。1つのアクセント句になると,たいてい複合的アクセントが現れる(例えば,サ ˥ イム+ヘンサイ → サ ˥ イム・ヘンサイ~サイムヘ ˥ ンサイ)。本稿で提案されるのは,「句境界削除アクセント」(dephrasal accent)というもう 1 つの可能性である。句境界削除アクセントの場合は,句的アクセントと同様に前部要素のアクセント型が保たれるが,句的アクセントと異なり2つのアクセント句として発音する選択肢はない(例えば, ハ ˥ ル+ア ˥ キ → ハ ˥ ルアキ「春秋」)。要するに,句境界削除アクセントは複合的アクセントと句的アクセントの中間にある。組み合わせの後部要素は,句的アクセントの場合に連濁しないことは当然であるが,句境界削除アクセントの場合にも連濁しないようである。
武末, 純一 Takesue, Junichi
弥生時代の農村は,海や山の生業が主体となる村を生み出す。この場合,海村・山村の目安になるのが石庖丁の量である。海村とした福岡県御床松原遺跡での石庖丁の量は通常の農村の1/5程度である。海上活動の比重が高かったとみられる対馬ではこれまで石庖丁は数点しかない。前期末~中期前半の国形成期には,朝鮮半島から渡ってきた後期無文土器人系の集団が,拠点集落の周縁部に位置しながら故地との交流回路を維持して交易を主導し,港を整備し,青銅器生産技術を転移させて,国づくりにも関与したとみられ,いくつかの海村では海上交易活動が本格化する。またこの時期には朝鮮半島南部にも弥生人の足跡が見られる。勒島遺跡の弥生系土器は中期前半が主体とされたが,近年では中期後半の土器も大量に出て,下限は弥生後期前半である。弥生中期前半以前を勒島Ⅰ期,中期後半以降を勒島Ⅱ期とすると,勒島Ⅱ期には勒島Ⅰ期よりも日本との交流の範囲は拡大する。ここには北部九州系の漁具(アワビおこし,結合式釣針)があり,北部九州の「倭の水人」の移住を示す。山陰地域にもそうした漁具があり,海民のつながりができていた。中期後半以降(弥生後半期)の西日本と朝鮮南部の海村には楽浪土器や中国銭貨が目立つようになり,近畿から楽浪郡までの交易網に組み込まれたと見られる。とくに中国銭貨は,中国鏡とは対照的に,海村の日常生活域から多数出土するが,国の中心となる巨大農村やそこから展開した都市的集落ではほとんど出ない。これは朝鮮半島南部も同じで,勒島遺跡では日常生活域から5点出たが,拠点集落の日常生活域からは出ない。しかも倭と三韓の沿岸部では,ともに大量の中国銭貨が発見されている。したがって西日本と朝鮮半島南部の海村では農村とは別の世界をつくり,生業活動の主体である交易活動の場で中国銭貨を対価に用いたと見られる。交易の対象物はおそらく原料鉄や鉄素材であった。また,海村の南北市糴とは,南の物資を北に,北の物資を南に単に移動させるだけでなく,中間で加工して付加価値をさらに高めた可能性も出てきた。
村上, 紀夫 Murakami, Norio
本稿に与えられた課題は内なる異文化としての被差別民について論ずるというものであったが,ここでは大坂のかわた村,渡辺村に関する絵図の読解を通じて近世における被差別民の具体像と社会の意識のずれを明らかにすることを目指したい。渡辺村は17世紀後半には渡辺村が下難波村領にあったが,当時の空間構造については先行研究でいくつかの復元が出されているが若干の検討の余地を残している。下難波村領所在時の渡辺村は「由来書」と絵図の景観を対照させると村を南北に走る3本の道を主軸としてE字型をした4町を基準とし,後に2町が接続し南側に拡張した景観をしていたと考えられる。こうした景観は元禄期に木津村領内に移転した後の景観にも影響を与えている。先行研究で指摘されているように下難波村当時の町共同体を維持するため空間的にいくつかの無理を看取することができる。いずれにせよ,渡辺村は移転前後ともに一貫して町としてのまとまりをもち,その景観にも共同体の存在が影響をあたえていたことが知られる。しかしながら,近世に作成された最大・最詳といわれる版行大阪図『増修改正摂州大阪地図』では,町の景観は複雑な道の曲折まで表現しているにもかかわらず,この図では渡辺村を「穢多村」と一括りに身分名で表記するのみで,町の名称まで記載されていない。本図の作成者がこうした情報の取捨選択をした背景には何らかの基準があったはずである。まず想定される地図利用者にとって必要な情報の最大公約数的な部分を掲載すると考えれば,省略された部分は必要ないと判断された情報であるといえよう。つまり,木津村の町名は必要であるが,渡辺村についてはそこが「穢多村」であること,町場を形成していることがわかれば十分である,ということであろう。こうした絵図における情報の取捨選択から,近世大坂における社会の被差別民への視線と意識を読み解くことができるのではないだろうか。
山田, 慎也 Yamada, Shinya
枕団子は、枕飯とともに死者の供物として用いられ、作法書などにも取り上げられている。また、東京などでは葬祭業者が用意することもある。さらに、各地の事例をみると、そのあり様は変化に富んでいる。従来、臼の廻し方や粉の作り方、かまどの使用法など通常の作り方とは異なる特別な製法や、その数などについては、民俗研究の中で注意が払われてきた。だが今回主題とする、団子の色の変化などを通して死者の想いや寿命を占う民俗については、研究上ほとんど触れられることがなかった。こうした要因について、柳田国男の指摘がその後の方向に大きな影響を与えたと考えられる。柳田は、共食と忌みの観念について、死者の食べ物はそれを分けて食べることによって特別な効果が及ぶことで、それを分け与える人と、受け取らない人の区分が生じてきたと理解し、枕団子は死者への食物の一つとして枕飯とほとんど同一視していた。そしてその後の研究において、枕団子自体に注目したのは、五来重など一部の人々であった。五来は枕飯を死者のための鎮魂のための依り代とし、枕団子を死者以外の邪霊的な存在に対する饗供とする視点を打ち出すことで枕団子の性格を分析した。ところで、民俗誌をみると秋田県を中心に青森県、山形県において、枕団子の色が黒くなると、死者の寿命であったと判断する地域が多い。その一方で、黒くなると死者の心残りがあった、悔いが残っているなど、死者の想いを判断する地域もあった。この判断は対照的ではあるが、死をめぐる残された生者の評価であり、死者の想いを生者がさまざまに思い描くことで、死んだという事実を受容する一つの民俗であったと考えられる。さらに枕団子の変化によって新たな死者が生じるかを判断する伝承もあり、このような信念は、五来にいうように枕団子が邪霊的なものに対する饗供であり、死者の命運を知りえる存在であることを想像させるものであり、枕団子についての更なる検討が必要であると考えられる。
レザーイ, アリレザー
本稿は『クルアーン』の記述を手掛かりにイスラーム教における「無常」の在り方を、仏教を中心とした日本の無常観との比較を通じて考察したものである。無常についての論究は時間についての論究でもあることから、まずイスラーム教における神による時間の超越の在り方、そして「神の時間」と「人間の時間」の相違を明らかにした上で、人間時間の開始(楽園からの追放等)について述べる。さらに、イスラーム教で強調される神の唯一性という特徴がいかに永遠性という性質を必要としているか、そして神の被造物である人間にあってもこの性質がいかに受け継がれているのかについても考察する。次に、イスラーム教の時間・永遠性に対する考え方を踏まえた上で、この宗教における「創造」の捉え方にも注目し、それはいかに日本で言う自然の「成り行き」と対立しているのかを検証する。そこで明らかになるのは、日本の無常観が受動的な「なる」の原理に基づいて成立しているのに対して、イスラーム教の無常観は、 ①神を主体とした能動的な「する」の無常観である、 ②無常は現世に限定されるがゆえに「有限性」を持つ、 ③現世の無常は単独性を持たず、来世の「常住」と一対になっている、 ④現世の無常は「輪廻」に転ずることなく、来世の常住に繋がる、 ⑤現世の無常は神の意志・計画の一部に含まれるため、来世の常住に繋がることで完結される、ということである。イスラーム教における無常の諸相が明らかにされることで、この宗教において考えられる四つの時間類型、つまり、ア)直線上における「神の存在」のように始めなく終わりもない時間、イ)「人間の存在」・「来世」のように始めがあり終わりのない時間、ウ)「現世」のように始めも終わりもある時間、エ)現世が続く限り「日夜」のように円周上を循環する時間、の諸相も明らかになる。何より、「する」と「なる」の無常観を比較する過程で特に目立つのはイスラーム教の「復活」と仏教の「輪廻転生」の対照性であるが、本稿で詳しく検証するように、これらの概念の対立も結局、時間の捉え方の違いによるものである。
鈴木, 博之 才譲, 三周 四郎, 翁姆 SUZUKI, Hiroyuki Sundrup, Tsering Wangmo, Sonam
上野, 田鶴子 正保, 勇 田中, 望 菱沼, 透 日向, 茂男 UYENO, Tazuko SHOHO, Isamu TANAKA, Nozomi HISHINUMA, Toru HINATA, Shigeo
石嶺, 行男 ホサイン, M. A. 本村, 恵二 赤嶺, 光 村山, 盛一 古謝, 瑞幸 Ishimine, Yukio Hossain, M. A. Motomura, Keiji Akamine, Hikaru Murayama, Seiichi Koja, Zuiko
熱帯・亜熱帯地域の畑地にみられるイネ科多年生雑草ハイキビは,地下茎によって旺盛に繁殖し,畑地に群落を形成することから,農作物へ与える影響が大きい。本報では,ハイキビの除草時期がサトウキビの初期生育に及ぼす影響について調べ,サトウキビ畑におけるハイキビの合理的な除草時期を検討した。実験は,1/2000aワグネルポットの中央にいずれも一節苗に揃えたサトウキビ(品種 : F-160)を植え,その回りに二節苗に調整したハイキビの地下茎をそれぞれ2本植え,4本植え,8本植えし,さらに,それぞれを植付日から30日目除草区(30DAP),60日目除草区(60DAP),120日目除草区(120DAP)及び無除草区に分け実施した。対照区としてはサトウキビ,ハイキビそれぞれの単植区を設けた。調査は,植付日から30日毎に210日目までサトウキビの草丈,茎長,茎径,分げつ数,ハイキビの草丈,分げつ数を計7回測定した。また,最終調査日の210日目には堀り取り調査を行い,サトウキビの茎重,根重,葉面積,ハイキビの地上部重,根重を測定し,さらに除草区の中で,混植していた間に形成されたハイキビの地下茎残存の有無を調べた。その結果,草丈の生長速度の急速な増加はサトウキビでは植付後60&acd;90日の間に見られ(Fig.1),ハイキビでは120日までの間に高い値を示した(Fig.2)。また両者とも150日まで草丈の伸長が高く,その後はゆるやかな伸長を示した。これらのことから,両者間の養分競合が植付後150日までの期間に起こることが考えられる。また,サトウキビの分げつは,いずれの区においても除草前には見られなかったが,除草後に見られた(Fig.3)。したがってハイキビがサトウキビの分げつを抑制していることが推察された。さらに,最終調査の結果,除草時期が遅延するにしたがって,サトウキビの茎長,茎径,茎重,根重は著しく減少した(Table 4)。また,無除草区の収量(茎重)はサトウキビ単植区に比べ70%減少という大きな数値を示した(Fig.4)。一方,除草後にハイキビの地下茎が残存しているポットの割合は,30DAPでは0%,60DAPでは13%,120DAPでは100%であったことから,ハイキビの地下茎は植付日から30日以降に形成されると考えられる。これらの実験の結果により,サトウキビの生育への影響および除草効果を考慮してハイキビの除草時期を検討すると,サトウキビの収量形質の減少が30日から次第に増え60日以降大きくなることから,ハイキビ2本植え,4本植え,8本植えのいずれの区においても,植付後30から60日以内の除草が適切と思われる。
アブドゥエルマクスード, オーラビ ムハマド ワーイル
近代日本文学の研究では、横光利一『上海』を様々な視点から取り上げている論文が多くある。本論では、横光利一の上海「体験」を簡単にまとめ、作中人物たちの『上海』体験を考察する。『上海』においてもその空間は横光が体験した上海と同じく様々な場が見られ、またそこに描かれている人間も実に多様である。その中で、作中人物が何を考え、人や空間、そして様々なモノとどのようにかかわっているのかを細かく分析し、作品全体の構造を深く考察した。 本稿の「一」では、これまでの先行研究において参木は消極的で無性格、甲谷は行動的で非情というイメージの対比がなされてきたが、一見、対照的に見られる両者には、特徴において共通点を見いだすことができた。甲谷も春婦に近い女性たちと接し、また愛する女性宮子とのやりとりには参木と同じく、繰り返される発展性がないパターンが見られる。それは、各人物がたがいに<知らない>情報が存在していることによっており、最後までひとつとして恋愛が成就せず作中人物が「ひとり」でいることで、作中において個がより明確に浮かび上がる効果があることを指摘した。 「二」では、<見る>側として確立された男性作中人物ではなく、<見られる>女性にスポットを当てて考察した。作中におけるお杉について細かく考察すると、二五章では、今までお杉といるときには視点人物であった参木の姿が、視点人物お杉の眼を通して映しだされることにより、対象化されているのだ。宮子、芳秋蘭といった他の女性作中人物が参木と同じ場面にいるとき、その視点人物は参木である。それに対してお杉だけが視点人物参木と決別し春婦としての道を進むことで、他の女性にはない、参木を<見る>視点を持つのである。この点において、お杉は他の女性たちと一線を画すると言えるだろう。 このように、作中において視点人物参木と対象としての女性たちの<見る><見られる>関係を唯一お杉が反転させていることを見いだした。さらに、春婦に身を落とした彼女のあり様とロシア人春婦の境遇は似通っており、人物の描かれ方のレベルの差を超えて同じ空間に描かれていること、つまりお杉が名もなき人々の内実を語る役割も持っていることを指摘した。お杉には、作品全体で様々な描かれ方のレベルが異なるもの同士につながりを持たせる働きがある。また、最後にお杉の個性が引き立つことは、名もなき人々のひとりひとりが個性を持っている存在であることが引き立つことになる。
吉水, 眞彦 Yoshimizu, Masahiko
天智天皇の近江大津宮は667年,後飛鳥岡本宮から遷都され,5年数ヶ月を経た672年の壬申の乱によって廃都と化した短命の宮都である。7世紀代の宮都で大和以外の地へ宮都が移されたのは前期難波宮と大津宮だけである。その一つである大津宮跡は,現在,琵琶湖南湖南西岸の滋賀県大津市錦織に所在することが判明している。大津宮の実像を知るために宮の構造や白鳳寺院の実態,周辺の空間構造を発掘調査で確認された遺構や出土遺物である第一次資料を再評価することと新たな発掘資料も加えて検討した。その結果,大津宮の特殊性が見えてきた。すなわち,対高句麗外交や軍事上の拠点整備を推進するために陸上・湖上交通の整備に重心が置かれ,大津宮の形が短期間のうちに推進されていた点である。大津宮遷都前夜までの比叡山東麓地域は,渡来系氏族の大壁建物や掘立柱建物の集落が営まれ,また各氏族による穴太廃寺や南滋賀廃寺などの仏教寺院も建立されており,周辺には萌芽的な港湾施設も存在していたものと推定される。このように遷都を受け入れる環境が一定程度整備されていた地域に大津宮は移されたのである。そして遷都の翌年,錦織の内裏地区の北西方の滋賀里に周辺寺院の中では眺望の利く最も高所に崇福寺を新たに造営し,対照的に宮の東南方向の寺院の最低地にあたる現在の大津市中央三丁目付近の琵琶湖岸にほぼ同時期に大津廃寺を建立した。つまり崇福寺跡と大津廃寺は川原寺同笵軒丸瓦を共通して使用していることから,大津宮と密接な関係がみられ,前者には城郭的要素があり,後者には木津川沿いの高麗寺と「相楽館」のような関係を有する港湾施設を近隣に配置し,人と物の移動ための機動力を重視して造営された。これらに触発されたかのように周辺氏族は穴太廃寺の再建例にみられるように再整備を行なっている。このように大津宮の内裏地区や,大津廃寺を除いた仏教寺院は高燥の地に立地し,かつ正南北方位を意識した配置がみられるのに対して,木簡などを出土した南滋賀遺跡の集落跡などは低地に営まれ,かつ正南北方位を意識しない建物を構築している。おそらく内裏地区や白鳳寺院,諸機能を分担した各施設は整斉に計画され,その周辺には地形に左右された集落などが混在した空間を呈していたものと思われる。近江朝廷の内裏や寺院・関係施設などを短期間に新設し,ハード面を充実させていくにつれて渡来系集落的景観から大津宮の交通整備重視の未集住な空間へと変遷していったものと考えた。
源, 了圓
魏源(一七九四―一八五七)の『海国図志』(Hai-kuo t’u-chin)は、明治維新の前夜、中国から輸入された多くの書籍のうちで、当時の日本人に最も多く読まれ、かつ最大の影響を与えた。その本が一八五四年に輸入されてから僅か三年間のうちに、二十三種もの和刻本が『海国図志』というタイトルで翻刻された。この中には十六種の日本語訳(書下し文)版が含まれている。この事実は、『海国図志』が漢文の読めない庶民にも読まれたことを物語る。この本に対する日本人の熱狂的態度は、一八五六年アロー号事件において敗北を喫する以前の中国知識人の、この本に対する無関心な態度とは対照的であった。 当時の日本における『海国図志』の受容の仕方は三つのタイプに分けられる。第一のタイプは、「夷の長技を師として夷を制する」こと、すなわち西洋の科学技術を採用することによって日本の独立を全うしようとするものである。第二は、この本から戦法、戦略を学ぶことによって攘夷をしようとするものである。そして第三は、西欧諸国の政治、法律、経済、ならびに社会組織における諸々の卓越した点を学び、このことを通じて日本を開化しようとするものである。 これらのうち、第一と第三のタイプが重要である。この論文においては第一の点のみに限って考察した。第一のタイプの社会的特性は、アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)によって、「ヘロデ主義者」(Herodians)と称された。そして私は、当時の日本におけるヘロデ主義者の代表者として佐久間象山(一八一一―一八六四)を選びたいと思う。 魏源と佐久間象山とは、お互いに何の交渉関係もないけれども、西欧の科学技術を採用するということにおいて共通の基盤をもっていた。象山は魏源を海外における「同志」とみなしている。 両者の差異は次の如くである。魏源は諸外国から戦艦や大砲を買うことで満足している。象山はこれに満足せず、みずから西欧のスタイルで大砲をつくることを試みた。この試練に成功するために、彼はオランダ語を学び、それをマスターした。そしてオランダ語で書かれた砲術の本を読むことによって、砲の製造に成功した。 象山は魏源を尊敬していたけれども、「海国図志」における砲製造法の記述を採用しなかった。なぜならそれは魏源の実験・実試二基づかず、象山にすれば「児戯」に類するものだったからである。ここでわれわれはこれら二人の対比のうちに、技術を軽蔑した中国読書人の知的文化と、技能一般の重要性を認めていた日本の武士文化との相違を想定しても、誤りではないであろう。そして更に象山は、徳川時代の科学者たちの「親試実験」の伝統をその背後にもっていたのである。
宮田, 昌明
本稿は、一九二四年の加藤高明内閣の成立と幣原外交を、第一次世界大戦後の日本の政治的変化を日本の一等国化と内外の融和に向けた挑戦の過程として再検討することを目的としている。戦後の日本の政策は、日本の国際的地位の向上に対応し、国内政策と対外政策が連動しながら変化し、昭和初期の二大政党政治と協調外交をもたらした。本稿は、以下の三点に注目することで、以上の議論を展開している。 第一に、加藤高明は、外交官および憲政会の総裁として、イギリスを目標とする自由主義的な理想、すなわち、日本は一等国として国民それぞれが自立し、自らの責任を自覚する中で国民的義務を果たしていかなければならないという理想を持ち、そうした視点から加藤は、政府は国民に積極的に権利を付与することで、国民にその責任意識を持たせていく必要があると主張した。と同時に、加藤は第一次世界大戦中に外相として、中国に対し一等国としての日本の優越的地位を示すべく、高圧的な外交を展開していた。しかしこうした外交は、かえって英米や中国との関係を悪化させたとして、元老から批判されていた。 第二に、元老・西園寺公望は、原敬が暗殺された後、分裂に苦しむ政友会の再建を目標とし、高橋是清内閣総辞職後、政友会に首相の地位は与えなかったものの、政友会を与党として政権に参画させることで、その党内の統制と政権担当能力の回復を図ろうとした。加藤友三郎内閣は、そうした政友会を与党として始まったが、その後同内閣は、対外的にはワシントン条約によって規定された国際的義務を履行し、体内的には社会運動に対処し、政府に対する国民の支持を獲得するために、与党政友会以上に普通選挙の導入に積極的な姿勢を示した。対して政友会は、対照的に混乱を深めていった。そうした状況の下で一九二四年に政友会は分裂し、第十五回総選挙で普通選挙を公約に掲げた憲政会に敗北する。その結果、西園寺は加藤高明を後継の首相に指名した。それは西園寺が、当初持っていた政友会の再建という目標を、日本における政党政治の育成を図ろうとする意識に発展させ、政党政治を一等国に相応しい国内政治の在り方として受け入れたことを意味していた。 第三に、加藤高明内閣の幣原喜重郎外相もまた、上述のような国内の政治的変化に対応し、古い日本外交の在り方を一等国に相応しい外交の在り方に変化させようとした。一九二四年九月に第二次奉直戦争が勃発した際、幣原は張作霖への支援を要請する芳沢謙吉駐華公使に対し、内政不干渉の方針を徹底した。幣原は中国の政治的・経済的再建を目標とするワシントン条約の理念を意識し、中国政府に国際的責任意識を喚起させるため、国家主権独立の原則を積極的に適用しようとした。中国における国家意識の形成は、中国の政治的再建と日中関係の安定化の前提条件と考えられたからである。西園寺はこうした幣原外交を評価することで、加藤内閣全体に対する評価をも向上させ、続く昭和初期における二大政党政治の実現をもたらしていくのである。
安田, 喜憲
食物の獲得は気候に左右される。ある人々の集団が何を食物とするかは、その人々が居住する土地の気候により決まる。例えば、アジアのモンスーン地域では、年間平均二〇〇〇ミリを超える降雨量は夏季に集中する。このような気候に適する穀物は米である。また豊かな水量は、河川での漁業を盛んにし、流域の人々にタンパク源を供給することを意味する。こうしてアジア・モンスーン地域の稲作漁撈民は、米と魚を食料とする生活様式を確立してきたのである。 しかしこうした生活様式は、年間平均雨量が少なく、主に冬季に降雨が集中する西アジアの住民には受け入れられない。この型の気候では、小麦が主たる穀物となるのである。しかも河川での漁獲量は少なく、人々は羊、ヤギを飼育して、その肉をもってタンパク源とする畑作牧畜民のライフスタイルをとらざるをえない。 この美しい地球上で、人類は気候に適した穀物の収穫を増大させることにより、豊かな生活が送れるように努力を重ねてきた。しかしこうした努力は、異なる文明間で、明らかに対照的な結果を生み出してしまったのだ。ある文明は、森林に対して回復し難い破壊をもたらした一方、またある文明は、森林や水循環系を持続可能の状態に維持することに成功している。 イスラエルからメソポタミアにかけてのベルト地帯は、文明発祥の地とされている。その文明は、小麦の栽培と牧畜により維持された畑作牧畜民の文明であった。この地帯は、今から一万年前ごろまでは深い森林に覆われていたが、間断なく、広範囲にわたる破壊を受けて、今から五〇〇〇年前までに、ほとんどが消滅した。主に家畜たちが森林を食い尽してしまった。 ギリシア文明最盛期の頃、ギリシアも深い森林に覆われていた。有名なデルフォイの神殿は建設当時森の中にあったのだ。しかし森林環境の破壊は、河川から海に流入する栄養素の枯渇の原因となり、プランクトンの減少により魚は餌を奪われ、地中海は“死の海”と化したのである。 一二世紀以後、文明の中心はヨーロッパに移動し、中世の大規模な土地開墾が始まって、多くの森林は急速に耕地化されてしまった。一七世紀までに、イングランド、ドイツ、そしてスイスにおける森林の破壊は七〇%以上に達した。今日、ヨーロッパに見られる森林のほとんどは、一八世紀以後の植林事業の所産である。 この森林破壊に加えて、一七世紀に生じた小氷河期の寒冷気候とともにペストが大流行し、ヨーロッパは食糧危機に陥った。人々はアメリカへの移住を余儀なくされ、続く三〇年の間に、アメリカの森林の八〇%が失われた。一八四〇年代、ヨーロッパ人はニュージーランドに達し、ここでも森林は急速に姿を消した。一八八〇年から一九〇〇年のわずか二〇年の短期間にニュージーランドの森林の四〇%が破壊されたのである。 同じような状況は、畑作牧畜民が居住する中国北東部(満州平野)でも見られる。明朝の時代(一三六八~一六四四年)、満州平野は森林に覆われていたが、清朝(一六四四~一九一二年)発足後、北東中国平原の急激な開発とともに森林は全く姿を消してしまった。 これに対し稲作漁撈民は、これまで常に慈悲の心をもって永きにわたり、生きとし生ける物すべてに思いやりの心、善隣の気持ちを示してきたのである。私はこの稲作漁撈文明のエートスでる慈悲の精神こそが、将来にわたってこの地球を救うことになると本稿で指摘する。
新谷, 尚紀 Shintani, Takanori
本論文は柳田國男を中心として折口信夫の参加によって創始された日本民俗学を継承する立場から提出する伊勢神宮の創祀をめぐる試論である。結論として得ることができたのは以下の諸点である。伊勢神宮の創祀の歴史的過程については、推古朝における日神祭祀、斉明朝における出雲の祭祀世界の吸収、持統朝の社殿造営と行幸、という三つの画期があった。確実な伊勢神宮の造営は天武二年(六七三)四月の大来皇女の泊瀬の斎宮への籠もりから翌三年(六七四)一〇月の伊勢への出発の段階である。そして、持統六年(六九二)の伊勢行幸に際して社殿の造営が完了していたことは確実である。それは律令制的な税制度のもとでの伊勢神宮の造営であり、新益京(藤原京)という新たな都城の造営と対をなす国家的事業であった。政治権力の基盤としての律令制と都城制、に対応する宗教権威の基盤としての神祇制と官寺制、という律令国家の体系のもとで、その神祇制の中核としての意義をもつ伊勢神宮の造営と祭祀がそこに完備されたのである。そして、天照大神のモデルとなったのは高天原広野姫天皇をその謚号とする持統天皇であった。ただし、伊勢神宮の創祀の意味はこのような歴史的な事実関係の追跡からだけでは重要な点が見えてこない。『記紀』になぜ出雲神話が存在するのかという問題も含めて、出雲大社の祭祀と対をなすものととらえるとき、はじめて大和王権の祭祀世界が見えてくる。〈外部〉としての出雲、という概念設定が有効なのである。そして、以下の点が指摘できる。天武と持統の大和王権を守る装置として位置づけられたのが、伊勢と出雲という東西の海に面した両端の象徴的霊威的存在であった。王権神話で政治は皇孫に、神事は大己貴神にとの分業を語るとともに、それは同時に、朝日(日昇)―夕陽(日没)、東方(対外的安全領域たる太平洋の海辺)―西方(対外緊張の日本海の海辺)、太陽―龍蛇、陽―陰、陸(新嘗祭)―海(神在祭)、現世(顕世)―他界(幽世)、という対照性のコスモロジーの中に位置づけられる関係性であった。七世紀末から八世紀初頭にかけて成立した天武・持統の大和の超越神聖王権とは、〈外部〉としての出雲、の存在を必要不可欠とした王権だったのである。出雲の祭祀王にとって龍蛇祭祀とは毎年繰り返される外来魂の吸収儀礼であり、一方、大和の祭祀王が新嘗祭と大嘗祭に先立って執行する鎮魂の祭儀も外来魂の吸収儀礼である。そのような外来魂の吸収という呪術的霊威力の更新の儀礼と信仰を大和の王権が獲得しそれを内部化できたのは、出雲の祭祀王権との接触によってであり、〈外部〉としての出雲、の設定によるものである。天皇の鎮魂の祭儀とは、外来魂を集めるむすび(結び)とむすひ(産霊)、その外来魂を天皇の身体に定着させるたまふり(鎮魂)、そうして内在魂となった天皇の霊魂を増殖し活性化させるたましずめ(鎮魂)、そしてその天皇の創造力豊かな増殖する内在魂を臣民へと分与するみたまのふゆ(皇霊之威・恩頼)までを含むものであり、天皇という存在と機能の基本がその霊魂力(生命力)の不断の更新とその分与にあるということを示す。この王権論を普遍化する視点からいえば、カール・ポランニー Karl Polanyi のいうところの、中心性centricityと再分配redistributionの構造とみることもできる。
西槇, 偉
本文は、小品文作家としても知られた近代中国の画家、文学者豊子愷(一八九八-一九七五)の初の小品文「憶児時(幼時の思い出)」(一九二七)が、夏目漱石『硝子戸の中』(一九一五)に影響を受けた可能性を検証しようとしたものである。 一九二五年、画家として夢二風のコマ絵画集を上梓した豊子愷は、翌年小説「方味」を発表し、それが彼の最初の文学作品となった。この小説で彼は弘一法師こと李叔同との交流を題材としながらも、漱石「初秋の一日」(一九一二)や『門』(一九一〇)の構成や表現技法を借用したと思われる。その後、「憶児時」と同時に発表された「華瞻的日記(華瞻の日記)」も漱石の「柿」(一九〇九)の主要モチーフやストーリーを反転させた作品と考えられ、豊子愷文学誕生の背景に漱石の存在は無視し得ない。 「憶児時」は三節からなる連作で、そこで作者は祖母の養蚕、父が蟹を食べることを中心とした家族団欒の情景、幼友達との魚釣りを回想する。甘美な思い出に浸る一方、作者はそこに見られる殺生の行為を後悔し、反省する。前作「方味」では、仏門の前で戸惑う自分の姿を描いた豊子愷は、「憶児時」で仏教信仰に邁進する決意を吐露したのだと考えられる。実際、その後ほどなくして、彼は在家の弟子として李叔同に帰依する。 前作で漱石の仏教体験に着目した豊子愷は、本作においても同じ傾向の漱石作品を下敷きにしたように思われる。それは『硝子戸の中』第一九節で、そこで漱石は少年時代を回顧するが、近所の酒屋や青物問屋にまつわる思い出を記してから、最後に豆腐屋の先の方にある寺に触れ、その寺の鉦の音が「心に悲しくて冷たい或物を叩き込むやうに、小さな私の気分を寒くした」と結んだ。漱石の少年期の仏教体験とみなしうるくだりである。つまり、「憶児時」と『硝子戸の中』第一九節は、ともにようじの思い出を述べておいてから、最後に作者の仏教への関心をほのめかす内容を配置するのだ。また、そうした前後対照的な構成や、多様な感覚表現を駆使した文章の特色など、複数の共通点が両作品の間に見出される。 『硝子戸の中』第一九節に続く二節も子どものころを追憶したもので、その構成に倣ったといえる「憶児時」の第三節は『硝子戸の中』第三一-三二節とも関連があるように思われる。豊子愷が幼友達王囝囝を描く際、漱石が小学校時代の友人喜いちゃんとの交友を記した二節と類似する主題や表現を用いた。彼らが幼友達を紹介するくだりの文脈が酷似するのは偶然であるはずはないだろう。 さらに、「憶児時」は三節とも同様の構成をもつことについては、李叔同の歌「憶児時」との関連を考慮しなければならない。師への思いをこめ、豊子愷は同じタイトルを自らの小品文につけたのであり、また歌のリフレイン形式を小品文に試みたと考えられる。この小品は李へのメッセージといえる。師弟関係もまた前作「方味」に通じるテーマなのだ。 よって、「憶児時」は漱石『硝子戸の中』のみでなく、李の歌をも踏まえた創作だと考えられる。とはいえ、漱石文学の主題や表現を踏まえつつも、豊子愷はややずらした形で自らの特色を打ち出そうとしたことも事実である。このように、漱石との比較により、豊子愷小品を解読することは極めて有効であり、それは同時に豊子愷の視点から漱石を読むことにもなる。これまで取り上げられることの少なかった漱石小品の研究に新生面を切り開くことができるのではないか。
デロワ中村, 弥生 NAKAMURA-DELLOYE, Yayoi
日本語文法研究において助詞は古くから中心的な研究課題であるが,「だけ」「さえ」「も」などの研究は近年とりたてと呼ばれる現象を扱う枠組みで大きく発展してきた。とりたては日本語では主にとりたて助詞により,フランス語では範列導入副詞(Adverbes paradigmatisants)と呼ばれるとりたて副詞により表現されるが,この「とりたて」の働きは他の表現形式によって生じる作用と共通あるいは連続している。本論文では,日本語研究で「とりたて」と呼ばれる文法作用を通して見られるさまざまな品詞,表現間の連続性について考察する。
真田, 治子 SANADA, Haruko
幕末から明治初期にかけて,西欧文化との接触や文明開化の影響によって数多くの新しい単語が生じた結果,日本語の語彙はその基本的な部分にまで大きな変動がもたらされた。この研究は,そのような語彙の中でも特に学術分野の専門用語の一般化の過程をとりあげ,現代の各種基本語彙表や,明治から現代までの雑誌・新聞・テレビなど各種メディアにおける変遷を主に計量的手法によって明らかにしようと試みたものである。その結果,一部の専門用語は基本語彙表や現代メディアの比較的高頻度の階級に見られるなど,現代日本語の中核の部分に深く浸透していることがわかった。このような学術漢語の一般化の現象は特に雑誌などでは,明治初期から急激に進行し,1900年前後には現代の様相の基礎が既に形成されていたと推定される。
金, 敬玲
日清貿易研究所や東亜同文書院で教科書として用いられていたとされる明治36(1903)年に出版された『華語跬歩』とその日本語訳である『華語跬歩総訳』(明治37年出版)を調査資料に「問答」という場面による会話文から抽出した中国語文478例、日本語文466例を分析対象に、同じ出来事における日中両言語の主体移動に関する表現や表現パターンを考察し、当時の主体移動表現の表現習慣として同じ事象を表現するに際し中国語の方が、移動動詞を選択する傾向が強いことと、会話文において経路関連要素である中国語の前置詞は日本語の後置詞ほど必要性が高くないことと、日本語における単独主動詞の使用は圧倒的であること及び、日中両言語ともに会話文において様態情報の必要性が非常に低いことが観察できた。
金, 順任 KIM, Soonim
本稿は日韓の社会人を対象としたアンケート調査を用い,日韓の第三者敬語運用のメカニズムの一端を実証的に明らかにすることを目的としている。分析の結果,聞き手が同等か目下の場合,日本語では第三者敬語はあまり使われないが,韓国語では第三者を高める割合が高く,絶対敬語を基調としていること,その一方で,親族に対する敬語使用においては相対敬語的な一面があることが明らかになった。さらに,日韓に共通してみられる動向として,最上位者の前で上位者に対し尊敬語を用いる傾向が強く,第三者も聞き手も両方高めてしまう新しい敬語法が使われており,このような傾向は,男性よりは女性,40代・50代よりは20代・30代で顕著であった。第三者敬語と聞き手敬語の相関関係については,日本語のほうが,聞き手と第三者を同時に高める「第三者敬語の聞き手敬語化」が顕著であることが明らかになった。
佐々木, 倫子 SASAKI, Michiko
本研究は,かなり統一された条件のもとに行われた4種の女性同士の座談から,日米の女性の会話スタイルの差異を,実証的に明らかにすることを目指すものである。本論では,主として収集データの質の検討と,発話文の数量的分析とを行った。数量的分析からは,データの範囲内で以下の傾向が見られた。(1)沈黙の回数では日米で差は見られないが,デ一タ中の米国人,日系米人,日本人の順で,座談の途中に長い沈黙が入るのを回避しがちだった。(2)発話文数を見ると,日本語座談は米語座談より数が多く,重複文も多い。(3)実質量小の発話文の発生率と,重複文の発生率はほぼ呼応する。(4)データ中の日本語座談では実質量大の発話文が2文に1文程度の割で発された。これに対し,日系米人座談では60%台,米国人座談では70%台を占めた。
佐々木, 倫子 SASAKI, Michiko
小説の会話文とその訳文,映画,テレビドラマなどの創作会話が,自然会話と異なることは知られているが,現在でもなお,話しことばの研究・教育に多く用いられているのも事実である。なぜ利用されるのかを,推理ドラマのジャンルを取り上げて検討した。検討は,日本語および英語の母語話者に対する自然さに関する意識調査と併せて行ったが,調査は書かれた会話を目にした母語話者が,読解のスキーマを活性化させ,自分でテクスト・タイプを設定し,会話文の自然さを判断することが多いことを示唆した。創作会話は自然会話から「正常な非流暢さ」を除去し,効率的な情報伝達を込めて,理想的な会話を作り上げたものというわけではない。構造の二重性,ジャンルの文体性,せりふの芸術性等に起因する差異があり,種々の話しことばの項目分析のデータとして用いるには疑問がある。今回の調査の範囲では,自然会話と創作会話(およびその翻訳)との差異は認められたが,原文と訳文はよく対応していた。また,文脈依存性の高さは,自然さ判断とは結び付かなかった。
鄭, 惠先 JUNG, Hyeseon
本稿では,方言を役割語の一種として定義した上で,日韓両国での方言意識調査を通して,役割語としての両言語方言の共通点と相違点を具現化した。最終的には,日韓・韓日翻訳の上で,両言語方言を役割語として有効活用することが本研究の目的である。考察の結果,以下の4点が明らかになった。1)両言語母語話者の方言正答率から,韓国の方言に比べて日本の方言のほうで役割語度が高いことが予想される。2)「共通語」対「方言」の対比的な役割語スタイルは,両言語母語話者の方言意識の間で共通している。3)「近畿方言」と「慶尚方言」の間には共通する役割語スタイルが見られる一方で,一部のステレオタイプの過剰一般化が役割語度アップを促進していると推測される。4)「東北方言」と「咸鏡・平安方言」の間には共通する役割語スタイルが見られる一方で,「東北方言」に比べて「咸鏡・平安方言」の役割語度がきわめて低い可能性がうかがえる。以上の結果をもとに,両言語方言の役割語としての類似性を巧く生かすことで,より上質の日韓・韓日翻訳が実現できると考える。
金水, 敏 KINSUI, Satoshi
疑問文の研究の視点を整理した上で,衣畑(2014a, 2014b),野村(2001),高宮(2003)等に沿って日本語疑問文の歴史的変化の方向性やその動機づけ等について概観する。衣畑(2014b)によれば,前上代においては,焦点位置に「か」を置くという原則だけで疑問文形成の説明ができたが,上代に肯否疑問文の焦点位置に「や」も置かれるようになり,中古には疑問詞疑問文と肯否疑問文を区別する方向性が強められたとする。本稿では,なぜ肯否疑問文の領域に「や」が進出してきたのかという問いを立て,その説明のためには「か」と「や」の機能の違いに着目すべきであるということを主張する。さらに衣畑(2014b)では,中世にいったん疑問詞疑問文から「か」が消えたとするが,竹村・金水(2014)では中世末期のキリシタン資料で「か」文末の疑問詞疑問文が一定量存在することを示している。本稿では,竹村・金水論文で示された「ぞ」文末疑問詞疑問文と「か」文末疑問詞疑問文の性質の違いを踏まえ,「リスト表現」という形式の発達,および間接疑問文の発達という観点から,この新しい「か」文末疑問詞疑問文の起源についての仮説を提示する。
西内, 沙恵 NISHIUCHI, Sae
次元形容詞として,日本語には「高い」が,スペイン語には「alto」がある。「あの弁護士は背が高い」のように,日本語では次元的意味を表出するために二重主語文の構造が必要となる場合がある。一方,「alto」は興味深い通時的意味変化を遂げた多義語であるが,「高い」のような文法的制約を持たない。これらの形容詞の多義の表出について,文法と意味の関係から考察をまとめ,その使われ方の相違を対訳本の調査から分析する。一方の言語で高さを表す形容詞表現が,叙述用法ないし修飾用法で使われている場合に,もう一方の言語でどのように表されているかを観察し,日本語とスペイン語の高さを表す表現の違いを明らかにする。調査の結果,「高い」の使用には叙述用法が多く数えられた。対して「alto」は,修飾用法による次元性以外の意味表出の使用が目立った。日本語の次元的な意味の表出に,二重主語構文にかかる換喩の特性が関わっていることを指摘し,様々な文法現象の成立にかかる換喩現象が,日本語とスペイン語の形容詞の意味表出にも関わっていることを提言する。このことから,それぞれの言語の異なる語彙で,共通の枠組みが表現に反映されていることを考察する。また,形容詞の類型論的分析には研究の蓄積があり,日本語の叙述傾向と印欧語の修飾傾向が示されている。本研究では多義性の観点からこの傾向の成立を再考する。
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