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道田 泰司 Michita Yasushi
本論文では,さまざまな研究者が挙げている批判的思考の定義を列挙することにより,批判的思考の定義を考えるうえでの基礎資料を得ることを目的とした。諸研究は便宜的に,初期の研究,その後に出された定義に関する研究,心理学者の定義,日本人の定義,心理学以外の分野における定義,という観点によって分類した。中には筆者なりのコメントもつけているものあるが,それは最小限とした。それらを大まかに踏まえ,現時点で筆者が,批判的思考の定義に関して,どのように考えているかを,最後に論じた。
韓 昌完 小原 愛子 矢野 夏樹 Han Changwan Kohara Aiko Yano Natsuki
ノーマライゼーションの理念が提唱されてから長い年月が経ち、障害者福祉の領域で使用されていた理念だったものが、現在では医療や教育等様々な領域で用いられている。しかし、領域によってその定義は異なっており、また学者によっても異なった定義で使用される。そこでここでは、これまで曖昧なままであった「ノーマライゼーション」の概念を、1.ノーマライゼーション概念の変遷、2.ノーマライゼーション概念の定義に関する研究、3.ノーマライゼーション概念の定義に関する現状、の3点から整理することによって、今までの学問・研究の成果と社会の変化を反映した概念として、ノーマライゼーションを再定義することを目的とする。ノーマライゼーション概念の変遷と定義に関する研究・現状を考察し、筆者はノーマライゼーション概念を「人種・年齢・性別・障害の有無・身体的な条件に関わらず、地域社会の中で住居・医療・福祉・教育・労働・余暇などに関する権利を保障し、実現しようとする理念」として再定義した。
和田, 泰司 縄田, 栄治 Wada, Yasushi NAWATA, Eij
タイ系諸族のひとつプータイに関しては、その民族の定義において、長い間あいまいであった。本研究は、そのあいまいであった原因を明確にし、プータイの定義をしっかりと確認することから始めた。その結果、プータイは広義のプータイと狭義のプータイに分けられることがわかった。
韓 昌完 Han Changwan
児童生徒の教育活動の成果は、知識の習得といった学力だけで測定することは難しく、生活面での教育成果も評価することが必要となっている。生活面に関する教育活動は、児童生徒のQOL向上に大きく関与していることが考えられ、QOLの観点から児童生徒の生活面を測ることが注目されている。しかしながら、現在、教育分野では、学力だけでは測ることの難しい生活面に関する活動の成果評価を包括的に測定できる尺度はほとんどない。また、教育分野におけるQOLの用語は、その定義があいまいなまま使用されており、特に教育分野に特化したQOLの定義は存在しない。そこで本稿では、医療や福祉等といった教育分野以外も含め、①QOLの定義、②QOL尺度、③QOLの変遷を整理することで、教育分野における成果評価の観点からQOLを『人聞が置かれている客観的な状況の中における主観的な質のレベルであるということを前提条件として、身体的、情緒的、社会・経済的など、人間の生活に関わるあらゆる領域のレベルを主観的かつ段階的に評価するもの』と再定義した。
落合, 恵美子
「アジア」のプレゼンスが急速に拡大している現代のグローバルな文脈の中で「日本」をいかに再定義するか、とりわけ「日本」と「アジア」との関係をいかに語り直すかが、日本研究がいま直面している最大の課題であろう。
徳田, 和夫 TOKUDA, Kazuo
衆庶に神仏への結縁を促し、亡者の供養や生者の滅罪・往生達成のために作善を勧める。そして、堂舎・本尊の建立修造のために喜捨を仰ぎ、募る。以上の唱導と経済の両面が、勧進聖の定義を充足する。数多の勧進聖の巷間径徊は中つ世に見逃しえない顕著な文化事象であった。文学史の側もはやくからこれに注目し、その定義に文芸営為を付加せんとの動きがある。だが、この主張は充分に市民権を勝ちえもし、生活圏は確保されているだろうか。
前田 高士 志賀 博雄 Maeda Takashi Shiga Hiroo
研究概要(和文):平成14年度:A partial order on the symmetric groups defined by 3-cycles (3-サイクルで定義される対称群の半順序):n次対称群の元は自然な積表示(最短表示)をもつが、交代群に対してこの事実に相当するものがないか、つまり、n次交代群の一般の元の、n-2個の3-サイクル(123)、...、(n-2、n-1、n)による自然な積表示は何か。1つの試みとして、対称群の Bruhat orderとは異なる半順序を新たに定義した(これは一般のコクセター群でも同じように定義可能)。交代群の元がこの半順序で、最短表示が可能であるための1つの十分条件を得た。また、最短表示が不可能な元は「殆ど不分解な元」から得られることを示し、8次以下の「殆ど不分解な元」をすべて具体的に構成した。平成15年度:The varieties of subspaces stable under a nilpotent transformation (べき零変換で安定な部分空間のなす多様体):ベクトル空間のべき零変換f : V -> VのJordan標準形のタイプをtype V = aと書く。2つの分割bとcに対して、集合S(a、 b、 c)={W<V ; f(W)<W、 type W=b、 typeV/W=c}は、Vの|b|次元部分空間のなすグラスマン多様体G(|b|、V)の中で局所閉集合になる。S(a、 b、 c)のG(|b|、V)内でのZariski閉包X(a、 b、 c)の特異点集合について以下の結果を得た。(1)S(a、 b、 c)は非特異。(2)X(a、 b、 c)は、分割のある半順序<に関してb'<b、 c'<cなるものに関するS(a、 b'、c')の和集合。(3)generic vectorsを定義した。これによりX(a、 b、 c)の生成点が具体的に構成できて、bの列の大きさが小さいときはX(a、 b、 c)の定義方程式が容易に記述できる。(4)余次元2の和る特異点集合の定義方程式を記述した。
中山, 和久 Nakayama, Kazuhisa
概念の問題は常に気になるものである。「定義」の確立という言葉の魔力に容易に屈服させられるほど気が弱くは無いが,無視して論を進めるほど気が強くも無い。
野口 浩 Noguchi Hiroshi
平成19年度税制改正において、リース取引に係る課税規定として、法人税法64条の2および所得税法67条の2が定められた。これらは、同取引の経済的実態に合った課税をすべきであるという趣旨に基づき規定されたものである。本稿においては、法人税法64条の2第3項および所得税法67条の2第3項が規定するリース取引の定義が、リース取引の経済的実態に合ったものとなっているか、ということを検討する。本稿における考察により、リース取引の経済的実態は、賃借入についていえば、賃貸借期間中は資産の所有者としてリース物件を使用する場合と異ならない取引であり、賃貸人についていえば、リース物件に関して負ったコストを賃借人からリース料という形で確実に回収して、利益を生むことを目的とする取引であるということが明らかとなる。また、法人税法64条の2第3項および所得税法67条の2第3項が規定するリース取引に係る定義規定の1つであるフルペイアウト要件が、リース取引の経済的実態に合っていないことも明らかとなる。そこで、本稿においては、米国のリース取引に係る会計基準から示唆を得て、賃貸人の視点を取り入れた要件を、リース取引に係る定義規定の要件に加えることを提案する。
益田 理広 Mashita MIchihiro
本稿は天地なる概念の東洋に於ける空間の典型たることを議す。古今の諸書より天地の空間と定義せられたる事例を徴し、以て之を証するのである。且つは各々の天地概念の定義と異同とを論じ、其の内実の解明に努むる。何となれば則ち、未だ知られざる東洋地理学理論の中枢に坐す東洋独特の空間概念を求むるがためである。是の故に本稿は自づから一篇の天地論史を為す。されど字数の限りも有れば、本篇の録するは周代より隋唐に至る間の所説に止まる。先づⅡ章では先秦の天地即空間の論の淵源を求め、『周易』『管子』『老子』を参照した。殊に『周易』は天地に空間の義を認むる最古の例として注意を惹く。同書は天地を以て無際限の規模を有する万物共在の処と為すが、此れは空間の定義として過不足なき者として大なる意義を有し、既に『管子』も其の類例の一と為すべき所がある。或は『老子』の天地論も後代の議論の先蹤と目せらるるが、其の文章の玄妙は注釈に依らずしては解するに難い。是に於てⅢ章では『老子』を能く説ける漢魏晋の玄学を検め、其の天地論を分析した。同章に例示せるは漢の河上公、魏の阮籍、晋の葛洪の所説である。此の内、河上公は『老子』の天地に『周易』の論を合して明瞭な定義を与うるに於て画期を為す。阮籍、葛洪の両氏も亦た『周易』『老子』を併せ論を為すが、天地を以て非空虚の空間と為すに於て河上公と論を違える。されば此の新説はいづこより生ずるか。之を知るべくⅣ章では漢儒の天地論を参観する。ここでは董仲舒、揚雄、王充の所説を確認し、其の天地論が『老子』を介さず空虚としての定義を欠くこと、更に、天地を以て万物の所在にして其の根源と見ることを論じた。是を以て、魏晋の玄学の非空虚の説も蓋し漢儒より生ぜりとの知見を得るに至る。Ⅴ章では隋唐の天地論を概括した。当代は諸教の共に興隆する所であれば儒道仏の三教の全てを考慮したが、外来の仏教は固より天地論を説く所僅かであった。然るに本稿の論ずるは道教に連ぬる王玄覧、王冰、玄宗、並びに儒学に通じ訓詁を能くする孔頴達、李善らの所説である。此の二教は共に天地を以て空間と為す所有ると雖も、其の定義に於ては対立を見る。即ち道教の諸家は天地を有限と為すこと屡々であるに対し、儒家は往々にして之を無際限と説くのである。就中、孔頴達の所論は詳密を極め、天地を以て時空間と為し、一なる無より万物を生成する局限と固定との要件と論ずる者であった。又た李善らによる『文選』の注釈が詩歌を介して天地即空間の論を経学の外に知らしむるも均しく見るべき変化である。以上の論議に由り、本稿は先秦より唐代に亙る期間に於て、天地が常に空間の義を内包することを証明するに至った。無論、天地の定義は各人各代一様ならざる所もあるが、それは一貫して空間と解するに不足無き概念である。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
本稿では,弥生文化を,「灌漑式水田稲作を選択的な生業構造の中に位置づけて,生産基盤とする農耕社会の形成へと進み,それを維持するための弥生祭祀を行う文化」と定義し,どの地域のどの時期があてはまるのかという,弥生文化の輪郭について考えた。
兼本 円 Kanemoto Madoka
英語を生涯学習として学ぶ際のハードルの一つに、 辞書に記載されている意味内でしか語彙を操作できないことがある。学習者自身の母語である日本語の運用であれば、 辞書の意味定義からずらして使うこともできるが、\n英語となると、 多くの学習者が辞書的定義内で「お手本通り」の学びに陥ってしまっている。本稿では、『ロングマン英和辞典』をデータにして「ユーモラス」とラベル化された語に焦点を当てて,1)ことばの意味をアクティブに操作する一方法としてレトリック分析で考察した,2)「ユーモア」の理解と実践が「アメリカ文化理解」に繋がる可能性も説いた,3)ユーモラスな意味を充分に理解するためには,基礎的修辞法の操作と語がもたらすイメージに思いを馳せれば,さほど複雑ではないことも説明した。
荒川, 章二 Arakawa, Shoji
本研究は、日清戦争期・日露戦争期を通じて、地域ぐるみの戦死者公葬がいかに形成されていくのかを主題としている。地域ぐるみの戦死者葬儀の性格をどうとらえるかは、まだ通説が形成されておらず、「公葬」の定義に関しても論者毎に区々である。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
安永, 尚志 YASUNAGA, Hisashi
日本古典文学作品の校訂本による本文データベースを作成している。本文データベースは全文(フルテキスト)をデータベースとして定義するものである。全文には校訂に伴う各種情報が付加される。また、作品はそれ自体を記述する本文情報に加え、多くの属性情報を持ち、かつ作品特有の構造を持つ。
山田, 奨治 早川, 聞多 村上, 征勝 埴原, 和郎
浮世絵顔貌表現の類似性を分析するために、われわれはいくつかの計量方法を定義し、統計的な分析を試みた。顔部品形状分類データの質的分析、顔部品計測値の偏差分析、主成分分析、ガブリエルのバイプロット、その他のモデルによる距離分析(マハラノビス凡距離、エドワーズ・キャヴァルリ=スフォルザのE-二乗距離、計量データと非計量データによるイエルノー距離)から、以下のような点が指摘された。
山田, 直子 YAMADA, NAOKO
国文学研究資料館ホームページで実験公開中の国書基本データベース(著作編)について、主題検索に分類を用いることの有効性と問題点を考察する。『内閣文庫国書分類目録』を参考に分類項目を階層化した表を作成し、名辞の定義、分類観点の相違等を具体例に基づき分析する。DBを提供する側から今後の課題を述べ、利用法開発へ向けての検討材料とすることを目的としている。
権, 五栄 Kwon, Ohyoung
本稿では,栄山江流域の政治体の性格や,三国時代における倭と栄山江流域の交流についての既存の見解を整理し,今後の研究の進展のための概念の定義,研究方法論の提示を試みた。具体的には,近肖古王の南征,栄山江流域の物質資料,韓日関係史における渡来人や倭系文物などについてのこれまでの解釈について再検討し,課題と展望を整理した。
Taira Katsuaki 平良 勝明
James Joyce の Ulysses は作品全体が意味的、叙述的非直線性で characterize される小説である。そのためにプロットや narrative themes という伝統的な概念が deconstruct されているばかりか、直線的な叙述的流れから派生する、あるいはその流れを diverge するような連想・偶然的要素が作品全体の経験的意味を決定している。この論文では各エピソードを構築そして定義する大きな要因となっている Bloom の consciousness に着目して、それがいかに外的要素と相互作用しながら fictional space の expansion をもたらしているのか逐次分析して論述する。
高嶋, 由布子 TAKASHIMA, Yufuko
危機言語としての言語研究が国際的に行われるようになって以来,手話言語はその枠組みに入れられてきていなかった。2006年,国連の障害者の権利条約で,手話も言語であると定義され,その重要性が認知され,手話研究の重要性は高まっている。これと同時に,重度難聴者への補聴を可能とする人工内耳などの技術も高まっており,手話を第一言語として習得する者が減少してきている。
山崎, 誠 YAMAZAKI, Makoto
本稿では,シソーラスの定義を具体的に検討することにより,シソーラスとはどのようなものであるかを明らかにし,それを踏まえてシソーラスの拡張の可能性を考察した。今までシソーラスが収録してきた範囲はいわゆる単語が中心であったが,単語は形態素から文にいたるさまざまな言語表現全体の中ではごく一部分にすぎず,組み合わせの自由度が高い連語や複合語などの生産的な表現にも類義的な対象を見出すことができる可能性を示唆した。
田邊, 絢 古宮, 嘉那子 浅原, 正幸 佐々木, 稔 新納, 浩幸 TANABE, Aya
日本語歴史コーパス中の単語には、現代語と同様の意味で扱われている単語と、古語特有の意味を持つ単語がある。本研究では、この現代語にはない古語特有の単語の語義(言葉の意味)を未知語義と定義して、日本語歴史コーパス中から、未知語義を検出するシステムの提案を行う。具体的には、日本語歴史コーパス中の単語を、(1)現代の分類語彙表でその単語の分類番号として登録されている語義をもつ語、(2)現代の分類語彙表にある語義をもつが、現在その語義は、その言葉の語義として分類語彙表は登録されていない語、(3)その語義の定義が現代の分類語彙表にないため、分類番号が振られていない語、の3種類にクラス分けする。実験では、各単語について、出現書字形や見出しなどの8要素を基本素性として用いた。また、別の日本語歴史コーパスからword2vecを用いて、3種類の単語の分散表現のベクトル(50次元、100次元、200次元)を作成し、素性として加えた。それぞれSVMを用いて正解率を比較したところ、日本語歴史コーパス中の未知語義の検出において、単語の分散表現のベクトルが正解率を向上させることが分かった。
三宅, 若菜 福島, 智子 MIYAKE, Wakana FUKUSHIMA, Tomoko
近年,学習者の多様性に対応する一方法として,自律学習支援を目的とした様々な実践が取り上げられている。本稿では,自律学習を基盤とした個別対応型授業「チュートリアル」における教師の考えや行動を分析した。その結果,教師は従来型の教師像との違いを感じていることや,学生への対応が変化したことが明らかになった。このことから,学習目標の意識化,自律学習の定義に関する問題が提示された。
落合, 恵美子
昨年、「近代家族」に関する本が三冊、社会学者(山田昌弘氏、上野千鶴子氏及び落合)により出版されたのを受けて、本稿ではこれらの本、及び立命館大学と京都橘女子大学にて行われたシンポジウムによい近代家族論の現状をめぐって交わされた議論を振りかえる。今号の(1)では「近代家族」の定義論を扱い、次号に掲載予定の(2)では「日本の家は『近代家族』であった/ある」という仮説の当否を論じる。
Taira Katsuaki 平良 勝明
Mrs. Dalloway の世界はその意識の流れに包まれ常に変化を遂げる潜在的可能性とそのさまざまな局面を構成する表層化した要素に特徴づけられた potential dispersive energy に(意味的レベルにおいて)常に左右されているといっても過言ではない。この論文ではその potential energy がいかに意識下で具体化し外的要因と反応しつつそれぞれの登場人物を定義し、意識下の潜在的意味を決定づけていくかという過程を具体的なエピソード、そして一連の登場人物の内的・物理的 peregrination を通して考察していく。
平田 永哲 Hirata Eitetsu
文部省の新しいLD定義(1999)の内容と特徴を解説し、通常学級におけるLD児理解と個別指導の必要性、重要性について述べた。LD児及びその周辺児の算数学習の特異な困難の実情を特総研が行なった実態調査からレビユウし、LD児と算数学習の困難(障害)の問題が検討された。これらの認識の上に立って、包括性LDと思われる児童に対して算数の個別指導を実施し、一定の効果を挙げその考察がなされた。
加藤, 聖文 KATO, KIYOFUMI
個人情報保護法施行後、各地の現場では個人情報の明確な定義もなされないまま過剰反応ともいえる非開示が行われている。本稿では、岩手県・佐賀県などでの事例を挙げつつ、国の法と地方の条例との大きな相違点とその問題点を検証し、個人情報に対する過剰反応が通常業務に支障を与えることを明らかにする。また、国民に対する説明責任と健全な市民社会育成の観点から個人情報公開の必要性を論じ、最後にアーキビストとして個人情報といかに向き合うべきかについて問題提起を行う。
宇野, 功一 Uno, Kouiti
都市祭礼を中核とする経済構造を以下のように定義する。①祭礼の運営主体が祭礼に必要な資金を調達し、②ついでその資金を諸物品・技術・労働力・芸能の確保に支出して祭礼を準備、実施し、③祭礼が始まると、これを見物するために都市外部から来る観光客が手持ちの金銭を諸物品や宿泊場所の確保に支出する。以上の三つの段階ないし種類によってその都市を中心に多額の金銭が流通する。この構造を祭礼観光経済と呼ぶことにする。また、②に関係する商工業を祭礼産業、③に関係する商工業を観光産業と呼ぶことにする。
鈴木, 洋仁
本稿は、「平成」改元にあたって、小渕恵三官房長官(当時)が行った記者会見を分析することによって、大日本帝国憲法(1889)と日本国憲法(1947)における天皇の位置づけの相違を分析するものである。具体的には、改元を天皇による「時間支配」の究極の形式と定義したうえで、「平成」改元における、(1)政治性、(2)公共性、(3)メディア性という3点の違いを抽出する。なぜなら、日本国憲法においても、大日本帝国憲法と同様、「一世一元」の原則が法律で定められているからである。
Taira Katsuaki 平良 勝明
Virginia Woolfの作品の中で意識は各登場人物を中心lこ絶えず拡散し、そして収束する、あるいはそのような慨念として定義、展開されている。この論文ではその意識の流動性、そして(その流動的な意識に影響されたナラティブ全体の)非確定性を時間的・空間的手非連続性に特徴づけられた世界において次々と展開し、そしてその中で成長拡散する意識の具象化した登場人物の意識下(意識の中)に直接入り込むという形、つまりWoolfの呼ぶところの Tunneling Process (を逆に辿る)という方法で追及し、意識の多方向性と流動性、そしてナラティブの非確定性について検証してみた。
道田 泰司 Michita Yasushi
本稿の目的は,現在の筆者の考えである「授業研究は,反省的実践として問題駆動で行われるべき」という点について,筆者の過去の校内研修での関わりを通して,このように考えるに至った経緯を明らかにするものである。ある学校との5年間に渡る関わりを通して,概念を定義することの難しさや学びの捉えの多様性がみえてきた。また,子どもの現状を出発点にすることの重要性もみえてきた。そのような経験と省察から,筆者が反省的実践・問題駆動を重視するようになったことなどを論じた。
平良 勝明 Taira Katsuaki
Virginia WoolfのMrs. Dallowayにおいて時間という概念は通常の一方向的な傾向を持つchronologicalな流れとしてではなく多方向的、放射状に無限に伸びていく概念として扱われている。その特異な「時間」 が自由奔放に表面化する記憶として、そして過去から現在までの存在的意味を定義する記憶と合体しつつ、この物語の主たる構成要素となり物語の意味的流れに大きな影響をあたえている。この論文ではその時間の概念が如何に物語の時間軸上で顕在化していくのかという現象を分析検証し、その概念の物語における意味的、そして構成的重要性を再確認する。
藤本, 灯 韓, 一 高田, 智和 FUJIMOTO, Akari HAN, Yi TAKADA, Tomokazu
古代の日本の辞書には,様々な構造を持つものがあり,各辞書の構成や仕様を理解していなければ解読が困難な面があった。また注文から必要な情報を抽出するためには,隈なく目視で捜索する必要があった。順不同に入り組んだ注文の情報から,効率的に目的の情報に到達するためには,注文に存在する要素の属性が,それぞれ可能な限り定義づけられているべきである。本稿では,平安時代の代表的な漢和辞書である『和名類聚抄』を例として,いかにその構造を記述することが可能か,検討し,『和名類聚抄』の内容に適したタグを設計した。
ヴォロビヨワ, ガリーナ ヴォロビヨフ, ヴィクトル VOROBEVA, Galina VOROBEV, Victor
本論文では,漢字の構造分析に関わる先行研究を概観し,いくつかの問題点を指摘した。それらの問題点を解決する手がかりを得るため,新たなアプローチに基づく漢字の構造分析の方法を提唱し,以下の5つの側面から検討をおこなった。(1)常用漢字をカバーする「スタンダード化された構成要素のシステム」を開発する必要性を指摘した。その開発に成功すれば,漢字の認識や漢字習得の体系化が可能になる。(2)構成要素のシステムについて先行研究における部首の扱い方を分析した結果,従来の部首を採用していないシステムが多いことが明らかになった。(3)漢字字体の構造を明確に表現・表示できれば,漢字字体の計量的分析が可能になる。そこで,漢字の線型構造分解をおこなった上で漢字字体に関する独特のコード化を開発し,アルファベット・コードとシンボル・コードのシステムを構築した。漢字コード化の結果に基づいて漢字の画と構成要素の出現頻度の測定が可能になり,漢字の構成上の複雑さを定義する新たな指標を提案する可能性が開けた。(4)英語の文や語構成における統語的階層構造と,漢字の階層構造が一部において類似していることを示した。漢字の階層構造分解をおこない,樹形図と数学的公式で漢字の階層構造を表示した。さらに藤村(1973)による漢字の階層構造の分析とコード化と,本研究による階層構造の分析とコード化を比較し,本研究の実用性を示唆した。(5)漢字の構成上の複雑さを判定する新たな指標を定義し,複雑さによる常用漢字の分類をおこなった。
神山 靖彦 Kamiyama Yasuhiko
2つの図形の間に連続写像がどの位あるか調べる幾何学をホモトピー論という。従来のホモトピー論の諸問題は、問題ごとにアドホックな方法で解決されてきた。本研究では重心配置空間という空間を定義し、その性質について予想を提示した。この予想が解決されれば、既知の諸定理に統一的な別証明を与えることができ、同時に未解決問題も解決することを解明した。本研究のメリットは以下の点にある。ユークリッド空間内の何枚かの平面たちの補集合は原理的に計算可能である。重心配置空間はこのような補集合の一種なので、連続写像を作るという従来の方法よりもはるかにアプローチしやすい。
田中, 卓史 TANAKA, Takushi
日本語のように語順のゆるい言語を形式的に取り扱うための第一段階として,語順を全く持たない言語(集合型言語)を定義し,その言語を計算機上で生成・解析することのできる確定節文法DCSGを提案する。 DCSGを用いると論理プログラミングにおいて陥るある種のループの問題を構文解析の問題に帰着して容易に解決することができる。次にDCSGを集合の変換規則としてとらえ,逆変換のためのオペレータを導入する。このオペレータは確定節文法の下降解析の過程において部分的な上昇解析を可能にする。DCSGはデータ集合の中に構造を見出す種類の問題や事象に従って状態が変化するような問題を一般化された構文解析の問題に帰着して効果的に取り扱うことができる。
岸本, 直文 Kishimoto, Naofumi
1990年代の三角縁神獣鏡研究の飛躍により,箸墓古墳の年代が3世紀中頃に特定され,〈魏志倭人伝〉に見られる倭国と,倭王権とが直結し,連続的発展として理解できるようになった。卑弥呼が倭国王であった3世紀前半には,瀬戸内で結ばれる地域で前方後円形の墳墓の共有と画文帯神獣鏡の分配が始まっており,これが〈魏志倭人伝〉の倭国とみなしうるからである。3世紀初頭と推定される倭国王の共立による倭王権の樹立こそが,弥生時代の地域圏を越える倭国の出発点であり時代の転換点である。古墳時代を「倭における国家形成の時代」として定義し,3世紀前半を早期として古墳時代に編入する。
正保, 勇 SHOHO, Isamu
武田修一(1979)によれば,英語の不定名詞句は,三つに分類されるという。即ち,特定的不定名詞句,非特定的不定名詞句,それに記述的不定名詞句の三つである。武田修一の定義によれば,特定的不定名詞句とは,その指示対象の存在が人物Xによって信じられており,かつその指示対象が人物Xにとって認知可能であるような不定名詞句を指し,非特定的不定名詞句とは,その指示対象の存在が人物Xによって言じられていないか,又は,信じられていても,その指示対象が,人物Xにとって認知不可能であるような不定名詞句を指す。記述的不定名詞句とは,その指示対象の存在が合意されないような使い方の不定名詞句を指す。武田修一の理論によれば,この不定名詞句の三分法は,定性に関しての適切な定義が与えられれば,定名詞句にも適用できると考えている。もし,武田の提案する不定名詞句の三分法を基礎として,定名詞句を分類し直すと, Donnellanの言う指示的定名詞句は,特定的定名詞句として分類される。又, Donnellanの言う限定的定名詞句の一部は,非特定的定名詞句として分類され,一部は,記述的定名詞句として分額される。本論では,武田修一の三分法を比較のための枠組みとして利用し,不定名詞句,及び定名詞句の三類型に意味の上で対応するものが,日本語,及びインドネシア語で,どのような型で顕現するかを考察すると共に,日本語とインドネシア語の不定名詞句,及び定名詞句の持つ特殊性についても探るつもりである。
Tohyama Nana Seraku Tohru 當山 奈那 瀬楽 亨
国頭語与論方言は鹿児島県与論島で話されており、広くは琉球語に分類される。本稿は主格助詞ga/nuの基本的な文法的性質を探ることで、同方言における格体系の包括的記述への一助となることを目的とする。主格助詞ga/nuの統語的性質は先行研究で既に取りあげられているが、これらの研究では関連する概念である〈格〉・〈意味役割〉・〈文法機能〉について一貫した定義がなされていない。本論文はこれらの術語を類型論的な視点から区別することで、ga/nuの統語的性質に関する体系的な分析を提示する。また、ga/nuなどの助詞が生じていない場合を調査し、それらは単なる〈助詞の省略〉か〈裸格の具現〉であるかという点も考察する。
石橋 孝勇
乳幼児の哺育障害とは,適切な養育者や十分な食物があるにもかかわらず,十分に食べられない状態が続き,体重が1か月以上増加しないものと定義される。症例は1歳11か月女児。直接授乳しか摂取せず,体重減少を認めたため当院を紹介受診した。対人興味の乏しさや強い感覚の過敏さを認め,自閉スペクトラム症に合併した哺育障害と診断した。母子関係を中心に療育相談を行い,低栄養に対して経管栄養を開始した。療育による育ちの促しと栄養状態の改善により,手を口に入れるようになり,言語・精神の発達を認めた。哺育障害に併存した発達障害の評価を適切に行い,療育面と栄養面の両方からアプローチを行うことが重要であった。
田中, 弥生 TANAKA, Yayoi
本研究は、修辞機能分析の分類法による日常会話分析の一環として、打ち合わせの談話の談話構造を修辞機能から検討するものである。修辞機能とは、「話し手書き手が発信する際に、言及する対象である事態や事物、人物等を捉え表現する様態を分類し概念化したもの」と定義する。本発表では、『日本語日常会話コーパス』に収録されている地域活動ボランティアによるイベント企画の打ち合わせ談話を対象に、イベント企画にかかわる会場、日程、募集方法などの検討の段階について、修辞機能から談話構造を検討した。分析の結果、話題内容が変わるきっかけの発話の修辞機能の特徴が見られること、全体的に頻度の高い修辞機能があること、話題内容によって用いられる修辞機能があることがわかった。
内山, 清子 UCHIYAMA, Kiyoko
本論文は、学術論文に含まれる多くの専門用語の中から、分野において必須で重要な用語を分野基礎用語と定義し、その用語の出現傾向について分析を行う。分野基礎用語は特定分野の研究をこれから学ぶような学部の学生は、専門が異なる研究者などに対して、効率的に分野の論文を理解するために、最低限知っておくべき用語を提示することを提案する。この分野基礎用語をどのように選定すべきであるのかについて、様々な観点を想定し、その観点を実際の文章に当てはめて分析を行った。また分野基礎用語が、論文中にどのような出現傾向を示すのか、特に文章の論理構造においてどのような役割を果たしているのかについて分析と考察を行う。
小波本 直忠 Kobamoto Naotada
人間に対する糖類の甘味度は、 糖類とホウ酸の分子間化合物が、 pH7において示す電気泳動度の対数値に正の相関関係にあることを認めた。この関係と、 糖類の甘味度と糖溶液の濃度との関係式から、 糖濃度のみを末知な項とし、 糖類の電気泳動速度を決定することにより、 糖類の甘味度を推定できる式を導いた。また、 現在甘味度を示す単位が存在せず不便なため、 シヨ糖1モルの甘味に相当する甘味を1hedes(ギリシャ語で甘味を意味する)と定義することにより、 甘味の定量化を可能にする式を導いた。この式の応用により、 新甘味剤の開発研究、 甘味発現機構の研究および、 糖類は昆虫に対し固着剤として作用することから、 甘味発現阻害機構による接触忌避剤の開発研究が可能であることを示した。
比嘉 俊 Higa Takashi
本稿では,中学生に外来生物を教材とした50分×2コマの授業を実践した。日常生活を通して,生徒は外来生物の定義や身の回りで見ることのできる外来生物をあげることができた。さらに授業を受けることによって,生徒は外来生物の及ぼす被害やその移入経緯について教科書以上の知識を述べることができた。本授業を受けた生徒は受けていない生徒に比べて,外来生物が悪者でなないというイメージを持つ生徒が有意に多かった。外来生物の移入経緯を学ぶことにより,外来生物が人為的に移動したことを理解したためだと考えられる。中学校の正規授業での外来生物を教材とした実践研究の報告はまだ少なく,その研究の蓄積が待たれる。
山口, 昌也
本発表では,『日本語日常会話コーパス』を活用するための環境構築について述べる。『日本語日常会話コーパス』は動画・音声,転記テキストを含み,転記テキストには形態素解析結果などの言語学的な情報がアノテーションされている。本発表で提案する活用環境は,全文検索システム『ひまわり』と観察支援システムFishWatchrを統合することにより実現した。本環境を用いることにより,次のことが可能になる。(1)『ひまわり』で転記テキストを全文・単語検索し,当該位置の映像をFishWatchrで閲覧すること,(2)FishWatchr上で動画再生位置に簡易なアノテーション(二つのユーザ定義ラベル,自由テキストを記述可能)を付与すること,(3)FishWatchr上で転記テキストを表形式で表示し,選択した転記テキスト位置の動画を再生すること。また,動画の再生と同期させて転記テキストをスクロール表示すること。
森, 大毅 MORI, Hiroki
Fujisaki (1996)は,音声に含まれる情報を言語的情報・パラ言語的情報・非言語的情報の3つに分類した。藤崎の定義では,転記可能性と話者の意識的な制御の有無が分類の要になっている。このため,話者の意識的な制御の有無が明確でない現象に関しては分類上の問題を生ずる可能性がある。特に,感情の扱いはしばしば問題となっていた。本研究では音声によるコミュニケーションの図式を整理し,話し手により意識的に制御された感情表出を適切に位置付けるために,メッセージ性をもって生成された感情表出と不随意的に生成された感情表出とを区別した。また,話者の言語的メッセージおよびパラ言語的メッセージと,聞き手が得る言語的情報およびパラ言語的情報とを区別し,それらの違いを明確に述べた。
Watson Kevin Agawa Grant
この調査は、ある日本の大学におけるEFLプログラムの、ブラウン(1995)提唱のカリキュラム発展4要素(ニーズ分析、ゴールと対象の定義、教材作成、評価)との協同的応用事例を示すものである。カリキュラム作成者はボキャブラリー・ノートブックの活用を通し集約される、4つの言語技能コースを編成し、かつこれらのコースを語学自学習センターにおける活動と関連付けた。評価に関し、(a)各コースと語学自学習センター活動の統合、(b)ボキャブラリー・ノートブックを通した「学習すること」への見解、それぞれにおいて学生からの全般的な好反応が、調査データの分析より明らかになった。加えて、これらの調査データはこのカリキュラムにおける教材に改普の余地があることを明らかにした。これらの発見から、この教育機関における継続的かつ循環的なカリキュラム発展のための将来的な方向性が明らかとなるであろう。
宮内 久光 Miyauchi Hisamitsu
1990年代に入り、沖縄県では新しい観光形態の一つであるエコツーリズムが導入された。本稿では、まず先例研究の定義例から、エコツーリズムの目的、対象地(目的地)、環境に対する責任の3点から考察した。次に、沖縄県におけるエコツーリズムの導入と現状について、行政の取り組みとエコツーリズム協会の設立を紹介した。2002年の段階では、離島市町村の行政レベルでエコツーリズムの取り組みはあまり行われていないが、今後、沖縄振興策の具体的政策としてエコツーリズムが県内各地に導入されることが予想された。最後に、エコツーリズムに基づく観光の先進地である竹富町西表島で、住民にその評価を尋ねたところ、エコツーリズムは自然環境の保全や、観光業の発展には弱い正の評価が認められた。しかし、雇用や所得の増加など、経済的な効果にはあまり貢献をしていないと認識されていた。
ボート, ヴィム
「日本研究の将来」に関して議論の余地があるのは、研究の対象と研究の方法だけである。前者は日本列島で発展してきた人間社会の産物と定義したい。この「日本研究」が学術的で実証学的な研究であるべきことは当然である。ただし、方法論としては「地域研究」(area studies)と「学科別」(disciplinary)の二つのアップローチが存在しており、筆者は「地域研究」のほうが妥当だと思っている。地域研究なら、日本人をして普遍的な「説」を支えるためにデータを集めさせて英語で提供させる訳にはいかない。自分がしかるべき知識を身につけて現場に行って調査するのである。「地域研究」の線で考えれば、専門分野の選びかたや教育・訓練や国際交流や財源などは自然と視野の中に入ってくるはずである。
市川, 秀之 Ichikawa, Hideyuki
肥後和男は『近江に於ける宮座の研究』『宮座の研究』の二書において宮座研究の基礎を築いた人物として知られる。同時に水戸学や古代史・古代神話などの研究者でもあり、肥後の宮座論はその研究全体のなかで位置づける必要があるが、これまでそのような視点から肥後の宮座論を評価した研究はない。肥後が宮座論を開始したのは、宮座の儀礼のなかに古代神話に通じるものを感じたからであり、昭和一〇年前後に大規模な宮座研究を開始したのちも肥後のそのような関心は衰えることはなかった。肥後の宮座に対する定義は数年におよぶ調査のなかで揺れ動いていく。調査には学生を動員したため彼らに宮座とはなにかを理解させる必要があったし、また被調査者である神官や地方役人にとっても宮座はいまだ未知の言葉であったため、その明確化が求められたのである。肥後の宮座論の最大の特徴は、村落のすべての家が加入するいわゆる村座を宮座の範疇に含めたことにあるが、この点が宮座の概念をあいまいにする一方で、いわば宮座イコールムラ、あるいは宮座はムラを象徴する存在とされるなど、後の研究にも大きな影響を与えてきた。現在の宮座研究もなおその桎梏から逃れているとは言い難い。肥後が宮座研究に熱中した昭和一〇年前後は、彼が幼少期から親しんできた水戸学に由来する祭政一致がその時代を主導する政治的イデオロギーとしてもてはやされており、神話研究において官憲の圧力を受けていた肥後の宮座論もやはりその制約のなかにあった。すなわち祭政一致の国家を下支える存在としての村落の組織としての宮座は、全戸参加すべきものであり、それゆえ村座は宮座の範疇に含まれなければならなかったのである。肥後の宮座研究は昭和一〇年代という時代のなかで生産されたものであり、時代の制約を受けたものとして読まれなければならない。宮座の定義についてもそのような視点で再検討が是非必要であろう。
糸数 剛
文学読解観点論」とは筆者が構築した読解の理論で、文学読解の定義を「文学を対象として醸成される知的概念を言語化すること」とし、文学を対象として醸成された知的概念はすべて文学読解の材料とする。文学を対象として醸成された知的概念は、文学についての観点である。この観点をとらえ、とらえた観点を言語化することを文学読解の作業とする。ここで言語化する際の特徴として術語を用いることがこの論の独自性である。ここで用いる術語は、既存の術語も用いるが、ネーミングによって柔軟につくり出していくこともよしとする。このような文学読解に関する理論と方法を「文学読観点論」とよぶことにする。この活動で用いる術語を「読みの術語」とよぶ。「読みの術語」のうち、ネーミングによって新たにつくりだす術語のことを「ネーミング術語」とよぶ。
新城 喬之 Shinjo Takayuki
近年の全国学力・学習状況調査や沖縄県学力到達度調査の結果から,本県の小学校算数科・中学校数学科の図形領域において「図形の構成要素や性質に着目して,論理的に考察し数学的に表現する力」に課題があることが明らかとなった。そこで,本研究では令和2・3年度,小学校第6学年の児童に「中学校のかけ橋」小単元「図形」(全3時間)の学習を通して,中学校数学の幾何学的作図の素地的な学習を体験させる授業を行った。その結果,児童の授業中の発言やノート記述,授業後の振り返りから,小学校6年間で学習した図形の定義や性質,作図の方法を振り返りながら,論理的に考察し表現する児童の様相が見られた。このような児童の変容から,本県の小学校算数科の図形領域において「4つの授業改善の方向性」が明らかとなった。
西内, 沙恵 NISHIUCHI, Sae
本稿では多義語が有する複数の意味をどのように確認できるか,言語学的な方法に焦点をあてて検討する。多義語は同一の音形に意味的に何らかの関連を持つ二つ以上の意味が結びついている語と定義される。多義語の語義の粒度は研究の目的や研究者の立場によって異なるため,多義性を認める方法も言語学的なアプローチと心理実験的アプローチからさまざまに考案されてきた。本稿では先行研究で提案されてきた,多義性を認める言語学的な方法を,語彙テスト・文法テスト・論理テストに区分して一覧し,その有効性を検討する。それぞれのテストがどのような仕組みによって成り立っているかを分析し,どの程度の粒度で語義が認められるかという観点から各テストの特徴を論じる。現代日本語の名詞・形容詞・動詞を対象にそれぞれのテストが有効に働く品詞を検討し,その適用範囲を示す。
小須田 雅 Kosuda Masashi
研究概要:本研究においては平成18年度中にモジュラーParty代数の定義関係式と標準基底を決定することが出来た。これにより,モジュラーParty代数がcell構造を持つことが明らかになった他,構成した準同型が表現になっているかどうかの判定が容易になった。19年度にはモジュラーParty代数のMurphy作用素を計算するプログラムを得ることが出来た。これにより,それまで難しいと思われていたPartition代数の半正規形式による表現の構成が可能になり,実際,ランク4までの既約表現をすべてこの方法により構成することに成功した。一般のランクについてPartition代数の既約表現については未だ解\n明されていないが,ランク4までの結果を観察する限りでは,モジュラーParty代数の場合と同様,表現行列の成分に鈎長や軸間距離のようなものが現れており,これらの言葉で具体的な記述を行うことが今後の研究課題で期待されている。
太田, 博三 Ota, Hiromitsu
昨今、ディープラーニングを中心とした機械学習の進展が見受けられ、従来の画像処理・音声認識・自然言語処理の3分野での進展、とりわけ、機械翻訳での取り組みにおいて、言語学や社会学からポライトネスや配慮表現が取り込まれることで、技術面での質的向上が図られようとしている。従来のQ&Aのような対話応答から、対人関係を配慮した対話応答の取り組みは、必要不可欠である。ここで、機械学習への配慮表現の適用は、教師ありデータとして準備する必要があり、PJ上、時間を要するものである。そこで、本稿では、ポライトネスもしくは、配慮行動や配慮表現を主とした機械翻訳や対話文生成の基となる小規模なデータベース(またはコーパス)を構築し、先行研究の多様な定義や議論を踏まえて場面別の発話ストラテジーの傾向を簡易なベイズ論的アプローチで試みたものである。既存のコーパスと対話システム・機械翻訳との懸け橋になればと考えている。
仲宗根 望 韓 昌完 Nakasone Nozomi Han Changwan
本研究では、分離教育、統合教育、インクルーシブ教育の定義の違いを分析し、第一に、インクルーシブ教育は憲法的視点からどのような意味を持ち、憲法の人権規定から、教育法制にどのような形でインクルーシブ教育を取り入れていくべきかを考察した。第二に、インクルーシブ教育に関する各教育法令間の関係を分析し、システムとしてのインクルーシブ教育を評価する上で開発されたインクルーシブ教育評価尺度(IEAT)の観点から教育基本法、学校教育法にどのような視点からインクルーシブ教育を規定していくべきかを考察した。その結果、これからインクルーシブ教育を推進していくためには、教育法体系に規定していくべきであることが明らかになった。特に、教育憲法である教育基本法に規定することが重要であること、そして、今後の課題として、IEATの観点から、学校教育法について条文を精査しながら、インクルーシブ教育について具体的に規定していく文言を考察していくべきであるという結論に至った。
須藤, 眞志
本稿は一九四一年の日米交渉の失敗の原因を木村汎教授の「交渉研究所説(その一)」に依拠して、木村氏の論文の枠組を使って分析したものである。木村論文は「交渉の定義」と「交渉と文化」に大きく分けられている。交渉とは何かという分類で日米交渉を見たとき、コミュニケーション・ギャップとパーセプション・ギャップがあったことがはっきりした。また、文化との関係ではアメリカの合理主義と日本の非合理主義の違いが明確となった。また日本は大東亜共栄圏をグランド・デザインとして作る気はなかったのであるが、アメリカ側は日本が東南アジア一帯を支配するための一種のドミノ理論で解釈していた。そのための時間稼ぎとして日米交渉を見ていたのである。日米交渉は交渉学の観点からみてもかなり困難な交渉であったことが良く理解できた。交渉が失敗して戦争となってしまったのは、必ずしも両国の交渉者の力不足であったとばかりとは言えないことを交渉学は教えている。
ヴォロビヨワ, ガリーナ ヴォロビヨフ, ヴィクトル VOROBEVA, Galina VOROBEV, Victor
本稿では,非漢字系日本語学習者の漢字学習を困難にさせている「膨大な学習対象漢字の量」,「漢字字体の複雑さ」,「漢字を構成する要素の多さ」という阻害要因について検討した。そして「漢字学習能力段階」という概念を定義して,上記の阻害要因を学習者に乗り越えさせるための対処法を提案した。漢字学習の効率化の手段として漢字体系の深い理解を促す漢字学習法が必要である。そのため現常用漢字をカバーする構成要素体系を作成した。漢字の意味を構成要素の意味から推測できるようにすることは重要であり,漢字構成のよりよい理解のために階層構造分解について記した。階層構造分解の際は構成要素だけではなく,構成要素の組み合わせである中間漢字も漢字の要素として扱うことにした。漢字の階層構造分解は漢字を識別する際に重大な役割を果たしている。また学習対象漢字の選択と掲出順序を自由に決められるように「世界観」の漢字意味ネットワークを紹介した。
内山, 清子 岡, 照晃 東条, 佳奈 小野, 正子 山崎, 誠 相良, かおる
医療現場で用いられる電子カルテなどの記録文書(医療記録)に専門用語としての医療用語が大量に含まれている。医療記録に記載された言語情報を正確に理解・活用するためにはこれらの医療用語の理解が必要となる。医療記録に含まれる語には、複数の語からなる複合語や臨時一語も多く、これらは、病名、身体の部位名、処置名、薬剤名等、様々な用語から構成されている。しかし、現在はこの語構成要素の組み合わせのパターンや語構成要素間の関係などが曖昧である。そこで、本研究では複数の語からなる実践医療用語の語構成要素の抽出を試みた。語構成要素の条件を独自で定義した後、ComJisyoV5、と今後公開予定のV6の登録候補語に対象として、MecabMeCab0.996とUniDic-cwj-2.2.0を利用して形態素解析を行った。分割された単語の品詞情報を手がかりにして、単一単位となり得る品詞列を抽出した。次に抽出した候補リスト以外に語構成要素となる品詞列があるかについて検討を行った。
小原 愛子 後藤 彩夏 韓 昌完 Kohara Aiko Goto Ayaka Han Changwan
近年、肢体不自由特別支援学校において、スヌーズレンを授業に取り入れる学校が増加している。しかし、スヌーズレンが教育として明確に位置づけられたのは極めて最近であるため、指導法として体系化されておらず、スヌーズレン教育の実践報告も少ないという現状である。そこで、本研究では、沖縄県の肢体不自由特別支援学校で行われているスヌーズレン教育の実践報告を収集し、スヌーズレン教育の定義と教育課程の位置づけに基づいて整理・分析を行うことで、スヌーズレン教育の現状を把握し、課題を明らかにすることを目的とした。その結果、1.注意力向上、2.保有する感覚の活用促進、3.リラックスや情動の安定、4.感情の表出、といったスヌーズレン教育の実践成果や、1.スヌーズレンの環境整備、2.環境整備のための予算と教室確保、3.教材研究の推進、4.評価基準・評価方法の確立、といったスヌーズレン教育の課題があることが明らかになった。今後、実践報告の蓄積と分析が、スヌーズレン教育の指導法の体系化につながると考えられる。
韓 昌完 小原 愛子 矢野 夏樹 青木 真理恵 Han Chang-Wan Kohara Aiko Yano Natsuki Aoki Marie
1994年のサラマンカ宣言以降、世界的にインクルーシプ教育が教育政策の中心的な課題となり、日本においても、共生社会の形成に向けてインクルーシプ教育システムの理念が重要であるとされ、インクルーシプ教育の推進を行っている。しかし、その定義については暖昧なままであり、法律上は未だにインクルーシプ教育に相対する分離教育を示唆する文言が含まれている。そこで本稿では、海外と日本のインクルーシプ教育の現状を比較分析し、日本の特別支援教育におけるインクルーシプ教育の課題について検討した。日本は、インクルーシプ教育を推進しつつも、行政や研究者、教育現場においてその共通理解がないまま進められており、本研究によって、インクルーシプ教育を行うための人的・物的な環境整備等が十分に行われず、理念先行の性急なインクルーシプ教育導入への危険性が示唆された。新しい理念やシステムの導入には、その理念やシステムと社会体制や文化の適合性を学術的な検証及び環境整備が必要であり、今後、インクルーシプ教育を推進していくには、日本の社会体制や文化への適合性を学術的に検証することが最も重要であろう。
親川 志奈子 Oyakawa Shinako
ハワイがルネッサンスに湧く1970年代、琉球では日本を「祖国」と呼ぶ「復帰」運動が起こっていた。「復帰」40年目にあたる2012年現在、琉球諸語はその特徴である豊かな多様性を残しつつも、若い世代への継承が行われておらず、ユネスコの危機言語レッドブックには琉球諸語のうち六つの言語が登録されている。2006年には「しまくとぅばの条例」が制定され、琉球弧各地においてしまくとぅば復興のための草の根の言語復興運動が展開されており、県庁所在地の那覇では「はいさい運動」など行政の取り組みも起こっているが、政府レベルでの言語政策は存在しない。また言語復興の現場には多文化共生というフレームワークが敷かれており、言語とアイデンティティを同時に語らせるが、インディジニティという自己認識に到達させない仕組みが存在する。本稿では日本が国家=民族と定義し教育してきた背景と「復帰」 に至るプロセスとその結果としてディスエンパワメントされた琉球人の民族意識や言語意識に対するトラウマについて、インディジネスの権利回復運動の中で言語復権を強めたハワイと比較し議論する。
廣瀬 等 廣瀬 真喜子 平田 真知子 Hirose Hitoshi Hirose Mkiko Hirata Machiko
漢字の音と訓の同定について、Hirose(1998)は成人を被験者として、音訓の判断方略という点から検討を試みた。その結果、漢字の音と訓の同定では、個々の漢字について辞書で定義されている「音と訓」をそれぞれ記憶・検索しているのではなく、「漢字の読みが具体的な意味をもつならば訓、もたないならば音」という音訓の判断方略を使用して同定していることが示唆された。本研究では、基礎的な漢字をすべて学習した小学校6年生を被験者とし、実験材料はHirose(1998)と同じものを用いて、基礎的な漢字をすべて学習した時点での漢字の音訓判断方略を検討することを目的とした。さらに、Hirose(1998)の結果と比較検討することにより、漢字の音訓判断方略がどのように変化していくのかも合わせて検討した。実験の結果、小学校6年生ではすでに成人と同様な漢字の音訓の判断方略をもっているが、成人と比べるとまだ強固ではない音訓の判断方略であることが示唆された。
徐, 敏徹 SEO, Mincheol
コーパスという用語の定義には、おおむね「大規模」という単語が登場する。しかし、そのような(大規模な)コーパスであっても、日常生活における使用頻度の低い言葉に関しては、そこから有用な情報を得ることが難しい。本研究では、意味記述が不十分だと考えられる日本語の低頻度語彙的複合動詞を取り上げ、Googleの検索エンジンとクローラーを利用し、用例を網羅的に収集した。このような方法は、従来困難であった低頻度語彙の用例分析を可能とする。本稿では、低頻度複合動詞である「飲み倒す」を取り上げ、その特徴を記述し、前項ないし後項動詞が共通している「飲み尽くす」「飲み潰す」「踏み倒す」との比較分析を行った。分析結果、「飲み倒す」は「酒を飲んでその代金を払わないままにする」という本来の意味よりも、「たくさん飲む」という派生的な意味での使用が顕著であることが明らかになった。また、「飲み倒す」と最も類似性が高い複合動詞は「飲み尽くす」であることがわかった。
Kurafuji Takeo 蔵藤 健雄
Grimshaw1991の拡大投射理論ではCPやIPはVPの拡大投射であり[-N,+V]の素性を持つと規定される。一方Grimshaw 1997等では時制補文は常にCPである必要はなく、補文標識がない場合はIPまたはVPであると分析される。これら2つの理論を仮定すると、時制補文範疇の選択制限を語彙情報の中に指定する必要がなくなり、「命題は[-N,+V]の素性を有する範疇として具現化する」という規則として規定できるようになる。これはthinkの補文のようにthatを任意に省略できる場合には大変都合がよい。しかし、regretの補文や文主語のようにthatを省略できない場合がうまく扱えない。そこで本稿では素性指定のない拡大投射の定義を提案し、命題の範疇は順序付けられた違反可能な制約の相互作用により決定されることを最適性理論を用いて主張する。特に英語のthatや日本語の「と」は語彙素性を持たない(つまり、[φN,φV])と仮定すると、thatの省略が不可能である場合や、「と」ではなく「の」が用いられる場合が原理的に説明できることを示す。
鄭, 惠先 JUNG, Hyeseon
本稿では,方言を役割語の一種として定義した上で,日韓両国での方言意識調査を通して,役割語としての両言語方言の共通点と相違点を具現化した。最終的には,日韓・韓日翻訳の上で,両言語方言を役割語として有効活用することが本研究の目的である。考察の結果,以下の4点が明らかになった。1)両言語母語話者の方言正答率から,韓国の方言に比べて日本の方言のほうで役割語度が高いことが予想される。2)「共通語」対「方言」の対比的な役割語スタイルは,両言語母語話者の方言意識の間で共通している。3)「近畿方言」と「慶尚方言」の間には共通する役割語スタイルが見られる一方で,一部のステレオタイプの過剰一般化が役割語度アップを促進していると推測される。4)「東北方言」と「咸鏡・平安方言」の間には共通する役割語スタイルが見られる一方で,「東北方言」に比べて「咸鏡・平安方言」の役割語度がきわめて低い可能性がうかがえる。以上の結果をもとに,両言語方言の役割語としての類似性を巧く生かすことで,より上質の日韓・韓日翻訳が実現できると考える。
内田, 忠賢 Uchida, Tadayoshi
村落の民俗誌について、膨大な数の報告があり、多くの議論がなされてきた。しかし、都市の民俗誌については、課題が多い。民俗学における都市の定義さえ不明なままである。また、都市民俗では、現代的側面、動態的側面を無視できない。従来の民俗的な調査では十分対応できない。その意味でも、これまでの民俗誌とは異なる視点から対応する必要がある。新たに調査項目を設定する前に、都市生活をまるごと描いた作品(モノグラフ)を確認、検討する必要がある。小論では、これらの資料群を「都市民俗生活誌」と呼ぶ。都市民俗生活誌は全国各地で編まれ、発行されているものの、その全体像は不明である。そこで、全国規模で都市民俗生活誌資料の確認と収集、検討を始めた。この作業のプロセス、およびフィールドワークの中で、都市や都市性を再考する必要を感じた。そこで、民俗学にとっての都市や都市性について再確認をする。そして、都市民俗生活誌のセールスポイントについての私見を述べる。小論では、都市生活の具体相を眺めながら、都市人の様々な心性を探る試みの前提を論じた。
塚本, 學 Tsukamoto, Manabu
文化財ということばは,文化財保護法の制定(1950)以前にもあったが,その普及は,法の制定後であった。はじめその内容は,芸術的価値を中心に理解され,狭義の文化史への歴史研究者の関心の低さも一因となって,歴史研究者の文化財への関心は,一般的には弱かった。だが,考古・民俗資料を中心に,芸術的価値を離れて,過去の人生の痕跡を保存すべき財とみなす感覚が成長し,一方では,経済成長の過程での開発の進行によって失われるものの大きさに対して,その保存を求める運動も伸びてきた。また,文化を,学問・芸術等の狭義の領域のものとだけみるのではなく,生業や衣食住等をふくめた概念として理解する機運も高まった。このなかで,文献以外の史料への重視の姿勢を強めた歴史学の分野でも,民衆の日常生活の歴史への関心とあいまって,文化財保存運動に大きな努力を傾けるうごきが出ている。文化財保護法での文化財定義も,芸術的価値からだけでなく,こうした広義の文化遺産の方向に動いていっている。
葦原 恭子 Ashihara Kyoko 塩谷 由美子 Shiotani Yumiko 島田 めぐみ Shimada Megumi 奥山 貴之 Okuyama Takayuki 野口 裕之 Noguchi Hiroyuki
近年,日本企業における高度人材としての外国人社員の需要が高まっており,その育成・教育・評価に資する枠組の構築は喫緊の課題となっている。本研究チームは,「ビジネス日本語フレームワーク」(以下,BJFWとする)の構築・確立を目指している。構築にあたり,既存の尺度(CEFR 2001等)の例示的能力記述文(以下,Can-doとする)をビジネスタスクとして書き換え,追記し,Can-doバンクに約800項目を登録した。2018年には,CEFR 2001の補遺版(以下,CEFR-CV 2018とする)が発表され,「Online interaction」スキルについて新たな定義とCan-doが加えられたが、 日本語を使用するオンライン活動のCan-doに関する研究は,管見の限り見られない。そこで,高度外国人材に求められるオンライン業務に関するスキルを明らかにし,BJFWに追加することとした。折しも,2021年現在,巷は「コロナ禍」にあり,高度外国人材がテレワークを始めとするオンライン業務に携わる機会が増加していたため,オンライン業務を巡る状況についても実態調査をすることとした。<br/>本研究の成果は,高度外国人材の育成・教育・評価に資するものとなると思われる。
葦原 恭子 塩谷 由美子 島田 めぐみ Ashihara Kyoko Shiotani Yumiko Shimada Megumi
近年,日本企業においては,高度人材としての外国人社員の需要が高まっており,その育成・教育・評価に資する枠組の構築は、 喫緊の課題となっている。本研究チームは、「ビジネス日本語フレームワーク」の構築・確立を目指している。構築にあたり,CEFR 2001年度版をはじめとする既存の尺度の例示的能力記述文をビジネスタスクとして書き換え,追記し,例示的能力記述文バンクに約800項目を登録している。2018年には,CEFR 2001年度版の補遺版が発表され、「Online interaction」スキルについて,新たな定義と例示的能力記述文が加えられた。このことは,複言語・複文化社会におけるオンライン上のやりとりの重要性を示していると言えよう。折しも,世界は「コロナ禍」にあり,高度外国人材にとっては,テレワークを始めとするオンライン業務に携わる機会が増加している。しかし,日本語を使用するオンライン活動の例示的能力記述文に関する研究は,管見の限り見られない。そこで,CEFR 2018 補遺版のオンライン上のやりとりに関する例示的能力記述文47項目を、 ビジネスタスクを含む例示的能力記述文の20項目として書き換え、 ビジネス日本語フレームワークの例示的能力記述文項目バンクに登録した。
設楽, 博己 Shitara, Hiromi
弥生時代の定義に関しては,水田稲作など本格的な農耕のはじまった時代とする経済的側面を重視する立場と,イデオロギーの質的転換などの社会的側面を重視する立場がある。時代区分の指標は時代性を反映していると同時に単純でわかりやすいことが求められるから,弥生文化の指標として,水田稲作という同じ現象に「目的」や「目指すもの」の違いという思惟的な分野での価値判断を要求する後者の立場は,客観的でだれにでもわかる基準とはいいがたい。本稿は前者の立場に立ち,その場合に問題とされてきた「本格的な」という判断の基準を,縄文農耕との違いである「農耕文化複合」の形成に求める。これまでの東日本の弥生文化研究の歴史に,近年のレプリカ法による初期農耕の様態解明の研究成果を踏まえたうえで,東日本の初期弥生文化を農耕文化複合ととらえ,関東地方の中期中葉以前あるいは東北地方北部などの農耕文化を弥生文化と認めない後者の立場との異同を論じる。弥生文化は,大陸で長い期間をかけて形成された多様な農耕の形態を受容して,土地条件などの自然環境や集団編成の違いに応じて地域ごとに多様に展開した農耕文化複合ととらえたうえで,真の農耕社会や政治的社会の形成はその後半期に,限られた地域で進行したものとみなした。
Delbarre Frank
70年代において執筆されたベタン村のフランコプロヴァンス語方言を対象とした論文と20世紀の初めに執筆されたビュジェー地方のフランコプロヴァンス語(アルピタン語)方言についての様々な研究論文は主に当該諸方言の形態論について述べるものが多い。それに対し、戦前まで幅広く東フランスで話されていたフランコプロヴァンス語のシンタクスに関する研究はとても少ない。最新と言えるスティーヒによって苫かれたParlons francoprovenral (1998) でもシンタクスより形態論と語疵論の方に焦点を当て、フランス語とその他の現代のロマンス形の諸言語と比べると、フランコプロヴァンス語の特徴の一つである分詞形容詞の用法についてはほとんど何もit-いてない。この文法項旧については2o lit紀において害かれた諸論文でもデータの分析より著者の感想の方に基づいたコメントの形をとっており、納得力の足りないものになっている。本論は2015年に発行されたL&#39;accorddu participe passe dans Jes dialectesfrancoproven~aux du Bugey (ビュジェー地方のフランコプロヴァンス語方言における過去分詞の~)に続き、Patoisdu Valromey (2001) の文苫コーパスの分析をもとに、現代ヴァルロメ方言における分詞形容詞の用法を定義することを目的とする。本論のメリットはその他の現在までのビュジェー地方のフランコプロヴァンス語の論文と比べると、例文を多く与え、ヴァルロメ一方言のコーパスの分析から作成した言語的統計の提供である。
Kobayashi Masaomi 小林 正臣
アミタヴ・ゴーシュの『シャドウ・ラインズ』(The Shadow Lines)は、カルカッタ、ダッカ、そしてイギリスを舞台にしており、当時の植民地インドにおいて語られなかった歴史が語られることに重点が置かれている。この点において本作は、典型的な脱植民地的な文学作品である。知られているように、思想化・理論家のガヤトリ・C・スピヴァクは、「サバルタン」(subaltern)を定義することで、語られない歴史における語(ら)れない人々(特に女性)に注目する。しかし同時に、現在は合衆国の大学人として-すなわち現在は発信できる場所にいて地位にある知識人として-彼女自身が批判されることもある。いずれにしても、サバルタンを語ること・代弁することは、発声・発信を可能にする場所にいることと関わっている。ゴーシュの語り手も、語られなかった歴史を語るためには「正確な想像力」(imagination with precision)が必要であることを学習したのち実践する。中流階級に位置する彼は、語る声を奪う者でも奪われる者でもない地点から知識を活用することで「脱植民地」(postcoloniality)を試みる。最後に本論は、その試みを無数の言説に包囲されつつも「間言説性」(interdiscursivity)を実践することの類推として捉え、新たな知の発信地を開拓する可能性を提示する。
Miyahira Katsuyuki 宮平 勝行
コミュニケーション学において,言語共同体独自の話しことばの意味を記述・解明することがひとつの研究テーマである。各共同休に特有の「自己像」や「社会」,「ことば」の意味がどのように記号化されるのか,そして文化的に定義されたこれらの意味を独自の発話形式でどのように表明するのかということが問われてきた。その一端として,ことばの民族誌や異文化接触の研究に基づき,多様な文化的シンボルの意味やコミュニケーション行動の形式と規範というものが明らかにされている。本稿では,これらの事例研究をいくつか取り上げ,比較対照することによって,話しことばによる自己表現の文化的な特徴や異文化間での類似点と相違点について考えてみる。「自己」や「社会」は文化のシンボルとして特殊な意味を帯びており,それに伴い「コミュニケーション」,「命令」,「模倣」,「自己表現」等の発話行為も特殊化され,言語共同体独自の意味を含むことになる。こうしたシンボルの意味を言語共同体独自のコミュニケーション儀式や話し方の論理の枠内で捉えると,コミュニケーション行動の一部は常に文化的行為であることがわかる。まとめとして,文化的自己に関するシンボルと発話形式,更に模範的なコミュニケーション行動を「個人」,「他者関係」,「行為」,「共同体」という四種の自己像のフレームにまとめてみた。こうしたメタアナラシスから得られる類似点と相違点が異文化接触にもたらす影響は大きい。
周, 振 吉本, 啓 ZHOU, Zhen YOSHIMOTO, Kei
この論文は,統語・意味情報付きコーパスを開発するに当たって,中国語名詞句の解析を考察するものである。名詞句の解析をめぐっては,二つの課題がある。それは,名詞句の内部構造を明らかにし形式的に解析すること,および名詞句の担う類似した統語的役割を区別することである。名詞句は,もっとも一般的に使われている句の一つだが,様々な修飾部を持つゆえに,それに対して一貫した解析を与えることは容易ではない。本研究は,名詞句の修飾部を中国語の実情に合わせた形でより細かく分類し,本研究の採用しているアノテーション方式の枠組みの中で,各修飾部の含まれる名詞句のパターンを網羅的に考察していく。一方,名詞句は文の中で多彩な統語的役割を果たしているが,類似したものの見分けが困難な場合がある。形式的な手がかりに欠ける中国語にとっては,この問題が特に顕著だと思われ,主題と主語の区別はその典型的な例である。本研究は,主題と主語の定義をコーパス構築という視点からそれぞれ明確に行う。その上で,中国語の様々な実例を考察し主題と主語を決定する基準を明確にする。名詞句の解析は,コーパス構築作業および構築できたコーパスを基にする言語研究の基本的かつ重要な一環を成しており,それを明らかにすることによって,研究の基盤を固めることができると考えられる。
前原 武子 Maehara Takeko
House(1981)も指摘するように,サポートが送り手と受け手の相互交渉であることを考えると,送り手はもちろん,受け手の属性に焦点を当てた研究が必要である。本研究は,受け手の属性,特に,パーソナリティ属性の1つである統制感を取り上げて検討する。Rotter(1966)は,統制の所在(locus of control)というパーソナリティ変数を定義した。すなわち,自分自身の行動が,ある成果や結果をもたらすという期待を内的統制と呼び,逆に,結果の生起に自分の行動以外の外的な力が左右するという期待を外的統制と呼び,その違いが行動を予測するという。類似した概念が,feelings of personal control、 perceived control、 sence of control、 perception of control、などの用語で強調されてきた。まさに自分自身の力が結果を左右するという期待や,感情,知覚などを含めて,ここでは,便宜的に,統制感(perceived control)の用語を使用する。神田(1993)は,小・中学生対象の統制感尺度を作成し,統制感の高低と適応感・不適応感とに対応関係があることを見出した。この結果に基づくならば,統制感とストレスは負の相関関係にあることが予想される。では統制感とサポートではどちらが有効に作用するのだろうか。ストレス対処は,サポートさえあれば可能なのだろうか,あるいは,たとえサポートがなくても,個人の統制感によって可能なのだろうか。その疑問を解決することが本研究の主な目的である。特に,岡安ら(1993)が見出した無力感に対するサポート効果の性差に注目し,無力感に対するサポートと統制感の効果に関する性差を明らかにしたい。
ルービン, ジェイ
能は舞台芸能であるから、舞台抜きの文学作品としては完全に鑑賞することはできない。しかし、演能のベースになる謡曲の重要な文学的要素を無視しては舞台の能を完全に鑑賞することもできない。能は一種の舞だと言っても、抽象的な動きだけでなくて、ストーリーを語る舞だから、そのストーリーを―つまり、舞台の彼方の、聴衆の想像の中に展開する部分を―理解して初めて舞の意味が分かってくる。言い換えれば、謡曲を独立した文学作品として読んでも、演能の台本として読んでも、謡曲の文学的分析が能鑑賞の不可欠の部分である。そういう文学的分析の効果的なガイドになるのは、能の曲目を五つの種別に分ける、江戸時代にようやく発展した「五番立て」(ごばんだて、「五番立」とも)という、上演システムである。五つのカテゴリーが五つの文学的表現法を前提とするので、特定の曲がどのカテゴリーに属するかを知っておけば、その謡曲または曲全体がどういうテーマやムードを表現するかを定義するための大きな手がかりとなる。五番立ての五つのカテゴリーとその表現様式は次の通りである。1、神能(感歎様式)、2、修羅物(叙事様式)、3、鬘物(叙情様式)、4、四番目物(狂乱物、遊樂物、遊樂執心物、人情物、現在物、怨霊物などを含む)(演劇様式)、5、鬼物(スペクタクル様式)。ここではカテゴリーと様式を踏まえて、一四曲の能のテーマや表象などの伝統的な文学的要素を分析して、具体的な例を提供してみる。
Miyahira Katsuyuki 宮平 勝行
生活史(life history)を用いた記述研究によって、言語共同体の話しことばの文化的特色がこれまでに多く解明された。従来の研究では、特定の言語共同体のメンバーが分析の対象であるため、最近の国際社会を反映するようなバイリンガルによる言語行動の生活史研究はまれである。そこで、本稿では日本文化を異文化として体験したひとりの日系アメリカ人の生活史を記述し、バイリンガルによる話しことばの諸相を分析する。生活史に「ことばのエスノグラフィ_」(ethnography of communication)を加えた複合方法論に基づく分析の結果、顕著にあらわれたのが被験者の抱く「自己」と「社会」の概念である。「自己」とは「他」との関係によって決まるのではなく、自発的な定義づけにより確立されるものである。さらに、「社会」というのは常に画一化きれ、実像のない抽象化の産物にすぎないこともわかった。日本社会やアメリカ社会ということばによって表象されるものは、極度に一般化されたステレオタイプの世界にすぎないことになる。バイリンガルの被験者はこうした「自己」と「社会」の概念に基づき、異文化に関する無知から生じる誤解や個人間の不和に直面した場合には、独特なレトリックで事態を収拾する。つまり、異文化に関する無知に起因する個人間の不和は克服不可能であり、和解に向けた協議も実を結ぶことがない。翻って、被験者は「相手の先入観によって文化的無知を自己認識させる」レトリックの手法をとる。本論では、こうした被験者のレトリックが、結果として他文化学習の機会となることを論証する。
Kobayashi Masaomi 小林 正臣
本稿はアメリカ諸文学における作品(具体的には、John Steinbeck、Bernard Malamud、Leslie Marmon Silko、Kurt Vonnegutの作品)を批評しながら、様々な環境における存在の在り方を議論している。たとえば、自然環境における人間は、その環境の一員であり、この意味において他の生物―「生」きる「物」としての「生物(living things)」―とは「共者(another)」の関係と捉えることが出来る。とすれば、生物学において人間は「ヒト」と呼称されるように、それら生物をヒトと類比した存在と捉えることは、あながち人間中心主義的ではなく、互いを共者として再定義することを可能にする。この「ヒト」という概念は、社会という環境においても適用できる。たとえば「法人(legal person)」という人物は、主体としての「人」であり、客体としての「物」でもある「人物(person)」であり、少なくとも法律における扱いは「自然人(natural person)」と類比的な存在である。この認識を基盤とすれば、アメリカ資本主義社会における人間と法人の関係は、必ずしも対立関係ではなく、共者同士の関係として再解釈できる。そして法人の活動は、いまや環境に対する責任能力を求められている。すなわち「企業の社気的責任(corporate social responsibility)」という問題は、「企業の市民性(corporate citizenship)」という問題と不可分である。法人が「市民(citizen)」としての地位を獲得することの是非は、環境における存在の在り方を問ううえで重要である。かくして本稿は、以上のような人文科学としての文学研究における発想および課題を提示する。
太田 麻美子 矢野 夏樹 井口 佳子 小原 愛子 Ota Mamiko Yano Natsuki Iguchi Kako Kohara Aiko
近年、知的障害児者に対する特別支援教育の術要は高まり続けているが、実態把握や環境整備を含めた指羽・支援が的確でないことが指摘されている。そこで本研究では、自立や社会参加、QOLの観点から教育成果を評価することのできるSNEAT(Special Needs Education Assessment Tool)に基づいて、知的障害のある児童生徒を対象とした指羽・支援方法を分析することで、日本における知的障害児者に対する指導法の特徴を考察することを目的とする。分析の結果、日本における知的障害児の指蒋法の特徴としては、「心の健康」に関する指羽が多く、「体の健康」に関する観点を取り上げた指羽が少ないことが明らかになった。また、各領域の指羽法の特徴として、「体の健康」領域では、自身の体の状態を理解するための指導が多く行われており、「心の健康」では、学習への集中力や意欲を高めるために、写真や絵カードなどの視覚情報を用いたエ夫が多く行われていること、強化子を用いた指羽が多く行われていた。また、「社会生活機能」では、カードの使用やマカトンサインを用いた言語的コミュニケーション以外の方法も用いたコミュニケーション手段を用いる指導法が多いといった特徴があった。本研究の限界として、研究論文を中心とした指導・支援を対象としたため、教育現場での指導案や実践報告集などの分析には至っていない。今後の研究課題としては、それらの実践報告集に加え、海外論文を分析し国際比較を行うことでさらに知的障害児への効果的指羽法を考察する必要がある。また、現在の知的障害の定義は、適応機能に焦点を当てたものになっているため、適応機能の観点から指導法を考案・検証していく必要もあろう。
Yoshimoto Yasushi 吉本 靖
チョムスキーの極小主義プログラムが世に問われて以来、変形生成文法の研究の傾向にも大きな変動があった。極小主義以前盛んに研究されていた島の制約に代表されるような統語的制約については、極小理論では目覚ましい展開がこれまでなかったと言っていいであろう。そこで、極小主義の枠組みでそれらの制約を考える際の参考に供するため、本研究ノートでは極小主義以前の理論で統語的制約がどのように研究され発展してきたのかを概観してみた。\n要約すると以下のとおりである。Chomsky(1964)は変形操作を制約する原理の存在を主張し、それは後にA-over-A原理と呼ばれるようになった。A-over-A原理に触発されRoss(1967)はその後の研究に重大な影響を与える制約群(ロスの制約)を提唱した。その成果を受けChomsky(1973)は下接の条件を提案し、ロスの制約のいくつかが統合可能であることを示した。その後Chomsky(1981)によって空範疇原理(ECP)が提案され、移動の結果生じる痕跡に関わる重要な制約として認識されるに至った。Kayne(1981)はECPを修正し下接の条件の大部分をECPに包含することを提案したが、Huang(1982)らの批判を受け、下接の条件は存続することになった。Huang(1982)は抽出領域条件(CED)を提案したが、CEDと下接の条件の間に見られる重複性の問題が課題として残った。その重複性を克服するためにChomsky(1986)は、下接の条件における境界節点の定義を環境に依存するものに変更し、障壁という概念が誕生した。これにより下接の条件がCEDを包含することになった。その結果、極小主義移行直前のチョムスキー派の変形生成文法理論においては、下接の条件やECPが移動にかかる制約として残され、それらが束縛原理やθ-基準等と「共謀」して移動操作を拘束するという状況を呈していた。
星名 宏修 Hoshina Hironobu
平成15-17年度科学研究費補助金基盤研究(C)研究成果報告書 / 研究概要:1990年代以降、台湾や日本において、日本植民地時代の台湾に関する研究が進み、文献資料が数多く発掘・復刻されるようになってきた。これらの資料を活用し、植民地期の台湾文学の全体像を把握することは、日本におけるポストコロニアル研究にとって、不可欠の意味を持つ作業である。本研究は、こうした問題意識のうえで、「大東亜戦争」期に執筆された数多くの「皇民文学」を総合的に調査・検討することを目的とした。台湾においては、台湾人文学者の営為が着目されがちであることに鑑み、在台日本人の文学活動に重点を置き、彼らの「帝国のまなざし」を明らかすることと、台湾に数多く居住しながらも、日本人社会の中でマイノリティーに位置づけられた、沖縄出身者をめぐる表現も重要なテーマとして設定した。本研究では、「大東亜戦争」期の「皇民文学」を、マクロな視点から切り取ることに留意した。研究の成果として、植民地の「国語」と植民者の「善意」に焦点を当てた論文「&lt;共感&gt;の「臨界点」-徳澄晶の作品を読む」や、原住民に対する表象を論じた「「兇蕃」と高砂義勇隊の「あいだ」-河野慶彦「扁柏の蔭」を読む」を発表することができた。また、さらに幅広く植民地期の「皇民化」「混血」「優生学」などに関する言説と、小説テクストの分析を交差させて論じたものとして、台湾で発表された「血液」的政治學-閲讀台灣「皇民化時期文學」」をあげることができる。このほかにも、「台湾文学」をどのようなものとして定義し、いかなる可能性を秘めた存在だと考えるのか。また「中国文学」との関係は、どのようなものなのかを考察した「「中国二〇世紀文学」にとって「台湾の文学」とは」を執筆した。
谷川, 建司
1990年代に東アジアや東南アジアにおいて日本のポピュラー・カルチャーが極めて高い人気を獲得し、パリで第一回「ジャパン・エキスポ」が開催された2000年頃には世の中全体の日本のポピュラー・カルチャーへの視線が熱くなり始めた。一方、1990年代後半からこれを研究対象とする動きが始まり、2000年代に入ってから本格的論考が発表されるようになった。「ポピュラー・カルチャー研究」に含まれるべきジャンルについての捉え方は様々であり、厳密な意味での定義は共有されていないが、様々な学問分野の研究者が集まって一定期間の共同研究を行う形や、単発のワークショップやシンポジウムを開催して議論していく形での日本のポピュラー・カルチャー研究の枠組みも、2000年代に入ってから活発に行われるようになった。個別の研究成果に関しては、トピックによりその研究の蓄積の多寡にはかなり差がある。日文研で2003年から2006年にかけて開催された共同研究会「コマーシャル映像にみる物質文化と情報文化」(代表:山田奨治)は、終了から10年目の2016年にシンポジウムを開催し、自己検証した点で重要な試みだった。2014年度の日文研の共同研究は、全部で16の研究課題のうち実に5つが「ポピュラー・カルチャー」に関するものであり、この分野の研究への関心の高まりと同時に、日文研がその中心地として機能し始めていることを示していると言える。今後の日本のポピュラー・カルチャー研究に必要な点を挙げるならば、(1)作品が生み出され、世の中に流通して受容されていくプロセス全体に目配せし、その様々な場面で関わっている人たちにフォーカスした論考を積み重ねていく必要性、(2)産業論的なアプローチ、表現の自由と規制の問題、国家戦略との関わり、など違った角度からポピュラー・カルチャーをとらえる必要性、そして、(3)個々の領域のポピュラー・カルチャー研究を志向する研究者が共通して利用できる一次資料のデータベース化の促進、が指摘できる。
城間 理夫 Shiroma Michio
(2)任意の連続30日間、 45日間、 60日間及び90日間降水量のリターンピリオドを季節別に求めると表11に示すようになる。(3)日降水量5mm未満の日を干天日と定義して連続干天日数のリターンピリオドを求めると表12のとおりである。沖縄の降水量は平均値から見ると季節的分布にも平面的分布にも恵まれている。しかし、 長期間続く渇水はかなりひんぱんに起こっており、 その傾向は夏と秋に著しい。実験の結果(VI章)は、 パインアップルは長期間の渇水により生育が遅れるので、 一般に夏から秋の渇水時にはかんがいは必要である。3)沖縄におけるパインアップル作と日射量水平面日射量平均値を累年の日照率平均値と平均雲量から推算した資料と、 野瀬ら^&lt;38)&gt;が実験から得たパインアップルの光飽和点の資料とに基づいて解析した結果次の事が明らかになった。(1)沖縄の年間日射量推算値は130.5k lyでわが国で最大であるが、 春と冬の日射量は九州地方とほぼ同程度で緯度が低い割に小さい。春、 梅雨期及び冬の各月の日射量は年による変動が大きく、 毎年安定した量が得難い。(2)沖縄の日射量を世界の主なパインアップル栽培地における値と比較するとかなり小さい(表14)。(3)水平面日射量の全量 Rとパインアップルの光飽和点に相当する日射強度まで積算した水平面日射量R_pとの間には、 月合計では次の形で表わし得る関係が認められる。R_p=alog_&lt;10&gt;R/bここで、 a、 bは光飽和点で決まる実験常数である。(4)前項の式を利用して、 沖縄、 台湾及びハワイの各地についてパインアップルの光合成に直接利用可能とみなされる日射量の割合を求めると、 沖縄は春と冬にこの割合が小さく台湾やハワイに及ばない(表18)。上記の事から、 沖縄では新品種の導入、 育成及び栽培技術改善などによって日射量の不十分さを補う必要がある。次に、 沖縄におけるパインアップル畑の2、3の熱収支特性測定実験を行なった結果次の事が明らかになった。
金城 克哉 Kinjo Katsuya
日本語の助詞は、かなり大まかに言って文法的役割のはっきりしている格助詞、「は」(トピックマーカー)などに代表される副助詞、さらに「よ」「ね」といった文末の助詞に大別される。それぞれが、例えば格助詞であれば統語論で、文末の助詞ならば会話分析といった分野で取り上げられることが多いが、副助詞はその意味と機能の多様さも手伝ってこれまであまり焦点が当てられることがなかった。そういう状況にあって寺村(1991)は「取り立ての助詞」の名称の下、副助詞のかなり詳しい議論を展開している。さらに、メイナード(1993)は独自の論理展開で副助詞・文末助詞を大きな「モダリティ」という範時で捉えることに成功している。\nこの論文ではこういった研究状況に鑑み、「なんて」という副助詞に焦点をあて、その意味と語用論的機能を二つの仮説を通して検討する。まず辞書の定義を調べ、多くの辞書が挙げている「話者の卑下するような感情を表す」という意味を取り上げ、それを第一の仮説とし、それにそぐわないと思われる意味がそこから派生し得るのかを見る。しかし、この最初の仮説では捉えられない実例などがあることを考慮し、この仮説を発展させた形の第二の仮説を立てる。第二の仮説では「なんて」はある言葉\nがそれが起こるコンテクストで不適切であることを示すために使われているのではないかと考え、その機能から様々な意味が導かれることを検証する。\n「なんて」ばかりでなく日本語の副助詞表現は、英語の助動詞に見られるモダリティ表現から導かれたモダリティの概念では捉えられない(例えばF.R.Palmer-&#34;Mood and Modalily&#34;-(1986)で展開されているmood とmodalityの概念を参照のこと)。ただし、単なる言語相対論に陥らず、日本語独自のモダリティ・語用論と他の言語のそれを比較検討できる共通の理論的基盤が必要である。そのためには実際の談話のなかで対象となる表現がどういうふうに使われているのかを、談話分析を背景としながら実例を通して研究する必要があるように思われる。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿はこれまで概して「日本独特の現象」ともされてきた〈親子心中〉に関し、韓国におけるその事例を紹介することで、そうした言説に修正をはかるとともに、両者を比較することにより、より深いレベルにおける〈親子心中〉の諸現象、すなわち〈親子心中〉という行為だけでなく、それをめぐる社会や文化のより大きな象徴的システムのうち、何が普遍的であり、あるいは何が日本的であるのか、そのおおよその見通しを得ることを目的としている。そのため本稿では、これまでほとんど日本には報告されてこなかった、韓国における〈親子心中〉を含めた「自殺の全体像」を提示することからはじめるが、資料としては、その代表的な中央紙である朝鮮日報と東亜日報における自殺記事を、一年分収集し、これを分析した。新聞を資料として用いることに関し、方法的な視角を述べるならば、新聞記事というニュースの性質を、単なる情報の〈伝達〉という機能から捉えるのではなく、むしろ、より読み手(decorder)の役割を重視した、神話的な〈物語〉を創出していくものとして、繰り返し語られるニュースのなかの、隠れたメッセージや象徴的コードを読み解いていく。その物語性は、読み手に文化的諸価値の定義を提供しているが、こうした視角で分析してみると、日韓の自殺と親子心中「事件」のコードは類似したものが多い一方、大きく異なる点も存在する。最も相違するのは日本の自殺・親子心中の〈物語〉が「他人に迷惑を掛けること」の忌避を訴えているのに対し、韓国のそれは「抗議性(憤り)」を媒介とした「他者との心情の交流」が主要な価値コードとなっている。正反対の日本の価値コードからすれば、韓国の自殺・同伴自殺は「いさぎよし」とは見做されず、また逆に日本のそれも韓国的コードでは負に位置付けられようが、それは両国の感情表現の方法をはじめ「死の美学」や死生観・霊魂観の相違に起因するものであり、表面的形態的には類似している日韓の〈親子心中〉も、その意味するところは大きく異なっている。
三浦, 正幸 Miura, Masayuki
寺院の仏堂に比べて、神社本殿は規模が小さく、内部を使用することも多くない。しかし、本殿の平面形式や外観の意匠はかえって多種多様であって、それが神社本殿の特色の一つと言える。建築史の分野ではその多様な形式を分類し、その起源が論じられてきた。その一方で、文化財に指定されている本殿の規模形式の表記は、寺院建築と同様に屋根形式の差異による機械的分類を主体として、それに神社特有の一部の本殿形式を混入したもので、不統一であるし、不適切でもある。本論文では、現行の形式分類を再考し、その一部を、とくに両流造について是正することを提案した。本殿形式の起源については、稲垣榮三によって、土台をもつ本殿・心御柱をもつ本殿・二室からなる本殿に分類されており、学際的に広い支持を受けている。しかし、土台をもつ春日造と流造が神輿のように移動する仮設の本殿から常設の本殿へ変化したものとすること、心御柱をもつ点で神明造と大社造とを同系統に扱うことを認めることができず、それについて批判を行った。土台は小規模建築の安定のために必要な構造部材であり、その成立は仮設の本殿の時期を経ず、神明造と同系統の常設本殿として創始されたものとした。また、神明造も大社造も仏教建築の影響を受けて、それに対抗するものとして創始されたという稲垣の意見を踏まえ、七世紀後半において神明造を朝廷による創始、大社造を在地首長による創始とした。また、「常在する神の専有空間をもつ建築」を本殿の定義とし、神明造はその内部全域が神の専有空間であること、大社造はその内部に安置された内殿のみが神の専有空間であることから、両者を全く別の系統のものとし、後者は祭殿を祖型とする可能性があることなどを示した。入母屋造本殿は神体山を崇敬した拝殿から転化したものとする太田博太郎の説にも批判を加え、平安時代後期における諸国一宮など特に有力な神社において成立した、他社を圧倒する大型の本殿で、調献された多くの神宝を収める神庫を神の専有空間に付加したものとした。そして、本殿形式の分類や起源を論じる際には、神の専有空間と人の参入する空間との関わりに注目する必要があると結論づけた。
東江 康治 Agarie Yasuharu
吾々は沖縄児童の測定知能の発達的推移について次のような諸仮説をたて、その検証を行った。(1)沖縄児童の知能は日本本土で標準化きれた検査によって測定された場合、検査の模準よりも低い。両者の差は特に小学校の低学年においては著しく、学年が上級に進むに従って漸次小さくなる。(2)沖縄児童の測定知能は言語式検査による場合よりも非言語式検査による場合に高く、両検査の差は学年が上級に進むに従って漸次小さくなる。(3)測定知能において田園児童は町の児童よりも低く、両者の差は学年が上級に進むに従って漸次大きくなる。\n 上記の諸仮説を検証するために、吾々はまず沖縄島の小学校を町の学校と田園の学校の二つのカテゴリーに分類し、前者から4校、後者から9校をそれぞれの標本校として選抜した。選ばれた標本校の3年から6年までの児童のうちから、町の標本として1、416人、田園児童の標本として1、605人を選んだ。両標本の比率を両カテゴリーの児童総数の比に等しくし、両者を総合して沖耗島全体の標本とすることにした。標本児童のうち3年を除き他は各学年とも二分して、一群に「新制田中A式知能検査」他の一群に「新制田中B式知能検査」を実施した3年はA式検査の適用範囲に入っていないためにB式検査のみを実施した。\n 調査によって得られたデータは、沖縄児童の測定知能に関する吾々の諸仮説を全面的に、あるいは少くとも部分的に支持している。ただ一つの例外は、町の児童と田園児童の差が吾々の予想に反し、比較的に恒常的であるということである。町の児童と田園児童の差が漸次大きくなるという吾々の予想は、田園児童の知的発達に孤立集団の特徴である age decrement が観察されるだろうという予想に根拠をおくものであったが、この調査の結果から判断すると、沖縄の田園児童(吾々の定義による)には孤立集団的な性格の現れである age decrementが認められないことになる。\n 調査の結果についての考察は、吾々の仮説の背景になっている沖縄の文化、社会的特殊性、特に方言と共通語による児童の言語生活の二重性、沖縄社会の田園的性格及びその文化的レベル、ならびに沖縄の辺地性の面からなされた。
Yogi Minako 與儀 峰奈子
会話分析あるいは談話分析とよばれる研究領域には様々なアプローチが存在し、それぞれの手法でいわゆる文法を越えたより広いレベルを研究対象にしている。特に組会言語学者や言語人類学者の行う会話分析/談話分析では、実際の会話が録音され、その詳細が言謎・分析される。そして会話参加者によるコミュニケーション活動がどのような特質を持ち、いかなる影響を受け、どのような効果を生み出すのか、などが研究される。会話/談話に対するこのようなアプローチは多くの成果を上げ、母国語話者(特に英語母国語話者)の談話能力及び談話構造の解明に多大な貢献をしてきた。本稿では、英語を母国語としない話者の英語による会話の記述・分析を行った。分析対象としたのは日本人女性同士の会話と、日本人女性と台湾人男性による会話、及びアメリカ人男性同士の会話で、いずれも1991年に米国ミシガン州にて録音されたものである。協力して頂いた日本人女性2人と台湾人男性は、録音当時3年から5年のアメリカ滞在経験を持つ大学院生で、比較的高い英語運用能力を有する話者であった。会話における個々の発話(utterance)はそれぞれ重要な機能を担っている\nと考えられるが、本稿では特に話題変換のbpic Change)、割り込み(interruption)/重複(overlap) 、会話物語(narrative) の3つの観点に絞り考察を行った。話題変換が生じているところでは、漸進的話題権移(topic shade sequence)や相互交渉的及び一方的話題推移(collaborative and unilateral topic transitions)が観察された。 また、話題変換を示すために格言的結論(aphoristic conclusion)や沈黙(silence)が使用されている例もあった。割り込み(interruption)/重複(overlap)は多くの研究では同時発話(simultaneous speech)の一種と捉えられ形式面を重視した定義がなされているが、本稿ではMurray (1985) の心理的側面を重視した特徴付けを採用した。分析したデータの中には、2人の会話参加者が全く同時に同じことを発する例や、先行発話の終了を待たずに次の話題に移行する割り込みの例等が観察された。会話物語に関してはLabov (1972)の分類に従って分析した。Labovによると会話物語は、話の概要(abstract)・話の場、時、登場人物(orientation)・話の中に出てくる出来事(complicating action)・その出来事の評価(evaluation)・その出来事の結末(resolution)・話の終結(code)の6つの要素から構成される。最初にどのような話であるか宣言され、いつ、どこで誰が登場するかが提示され、実際どのような出来事が起こり、どう決着がついたのかが述べられ、最後に終結の表現が加えられる。今回分析した会話物語にも同様の要素が観察された。本稿で取り上げた3点に関する限り、英語を母国語としない話者でも運用能力が比較的高ければ、英語母国語務者の会話と同じような特徴が観察された。この結果に基づき、さらにより効果的なコミュニケーショシ活動を可能にするため、会話分析・談話分析で得られた知見を英語教育でも活用すべきであることを示唆する。
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