ボリビア・アマゾンのモホス地方の先住民族トリニタリオのあいだには,近年まで,専門の霊媒師が死者の親族の依頼を受けて,故人の霊を呼び出すという降霊術が存在していた。降霊術にやってくる死者はすべて先住民だが,白人で唯一,ビルトゥチという大昔の殺人者がたびたび現れ,失踪者の居所や紛失物のありかを告げることで,魂の救済に不可欠なキリスト教の祈りを受け取っていた。本論は,なにゆえ先住民の降霊術に白人の殺人者の霊が呼び出されるのかという疑問に答える試みである。 歴史資料によれば,ビルトゥチは20世紀初め,殺人の餐で公開の銃殺刑に処せられた。彼の処刑は,成立後間もないモホス地方の司法機関が執行した最初の処刑であり,共和国政府がその権力を誇示する最初の機会だった。他方,処刑という国家儀礼を初めて目にした先住民にとって,それは衝撃的な出来事であり,その衝撃が後にビルトゥチにまつわる特異な信仰と伝承として具体化したのだと推定される。 筆者の考えでは,先住民にとってビルトゥチの処刑は,それ以後国家が神になりかわって罪を裁くのだということを宣言する儀礼的演出にほかならなかった。こうした国家司法の概念は,罪を裁く権利を神にのみ認める先住民の司法概念と真っ向から衝突するものだった。本論は,ビルトゥチにまわつるトリニタリオの信仰と伝承を,国家による司法的正義の独占に対する彼らの批判,およびその転覆の試みとして読み解こうとするものである。