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Taira, Katsuaki 平良, 勝明
この論文ではLukacs,Jameson,そしてFoucaultのsubjectに対する姿勢に関する考察を試みてみた。LukncsはThe Theory of the Novelにおいて,その自叙伝的背景もあり,自己とそれを巻き込む文化的歴史の昇華的(sublimation/making sublime/Sublation)表出の過程でsubjectの絶対的連続性を確認する。Jamesonは弁証法的唯物論の立場から仮定したHistoryとsingle unified narrativeとの相似関係からbourgeois subjectの連続性を想定し,それに基づいた理論を彼のThe Political Unconsciousで展開する。Foucaultはこの両者とは異なり,彼のgenealogyにより必然的,因果的要素で構築された歴史観を偶発的,断片的要素で構築(=非構築)された歴史観で覆すと同時に,subjectの連続性を否定する姿勢を明らかにする。
寺石, 悦章 Teraish, Yoshiaki
シュタイナーとフランクルは中心的な活動分野こそ異なるものの、その思想には多くの類似点が見出される。本稿では不死と再生、中でも再生に注目して、両者の思想を比較考察する。両者はいずれも、自我または人格(あるいは精神)が死によっては崩壊せず、死後も存続すると考えている。またそのような存在が再び身体を備えて生まれてくることを認めている。このような意味において、両者は不死と再生を認めていると言って差し支えない。とはいえ19 世紀後半から20 世紀前半にかけて流行した心霊研究に対してはきわめて批判的であり、自らの立場をそれとは明確に区別している。その最大の根拠は、心霊研究の手法が唯物論的であって、精神を研究する手法として適切でないという点にある。人間は経験を重ねることで向上・進歩・進化するというのが、両者に共通する基本的な態度である。一度の人生はそのための期間としてあまりに短いが、再生によってそのためのさらなるチャンスが与えられる。フランクルの再生の思想はこの点に集約されている。彼らよりも前の時代に、理論的に再生思想にたどり着いたレッシングがいる。彼のそれも向上・進歩・進化の思想であり、再生に積極的な意義を認める。一方で輪廻といえば仏教思想がその代表とされてきた。しかしそれは解脱、すなわち再生しないことを目標とするもので、再生に積極的な意義を認めていない。シュタイナーは自らの考えに適うものとして、仏教ではなくレッシングの思想を高く評価する。
小澤, 佳憲 Ozawa, Yoshinori
これまでの弥生時代社会構造論は,渡部義通に始まるマルクス主義社会発展段階論の日本古代史学界的解釈に大きく規定されてきた。これに対し,新進化主義的社会発展段階論を基礎に新たな弥生時代社会構造論を導入することが本稿の目的である。
安田, 喜憲
和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
吉岡, 亮
演劇というジャンルが編成されていく過程を新たな形で見直していくために、本論では、明治一〇年代の演劇と、文明論、社会改良論、自由民権論といった、同時代の様々な領域の議論の交錯の具体的な様相と、それを可能にしていた図式の存在を明らかにした。
かりまた, しげひさ Karimata, Shigehisa / 狩俣, 繁久
琉球列島全域の言語地理学的な調査の資料を使って、構造的比較言語地理学を基礎にしながら、音韻論、文法論、語彙論等の基礎研究と比較言語学、言語類型論、言語接触論等の応用研究を融合させて、言語系統樹の研究を行なえば、琉球列島に人々が渡来、定着した過程を総合的に解明できる。言語史研究の方法として方言系統地理学を確立することを提案する。
石黒, 圭
本稿は、日本語研究における文章論の 70 余年の学史を概観し、これからの文章論のあるべき姿を提言するものである。言語過程観を掲げる時枝誠記の提唱から生まれた文章論は連接論・段落論・文章構成論という 3 分野に分かれ、1960~80 年代に大きな成果を上げた。しかし、1990 年代以降、文章論は多様化の様相を見せるものの、言語主体の立場から時間的過程のなかで言語行為を捉えるという創生期の原点を見失い、研究は停滞しているように見える。そうした状況のなか、「文の生成に文章を見る」言語観と「時間の流れの中で文の組み立てを考える」言語観の二つを林四郎の文章論から学ぶ。そのうえで、その卓越した言語観をこれからの文章論に生かす方法として、筆者が実践している「読むこと」における後続文脈の予測、「書くこと」における作文の執筆過程、「話すこと」におけるフィラーの使用、「聞くこと」における講義のノートテイキングという四つの研究を紹介した。
與那原, 建 Yonahara, Tatsuru
競争戦略論の発展については、持続的競争優位の源泉として何に注目しているかという軸と、アプローチの性格という軸で分類・整理することができる。本稿では、これらの軸にしたがって区分された競争戦略論の主要なアプローチを概観するとともに、競争戦略論の統合化に向けた有望なアプローチとされるダイナミック能力論の代表的研究を検討することで、その学問的可能性を探っている。
久高, 將晃
超越論的語用論の研究者である嘉目道人氏は、超越論的語用論における「究極的根拠付け」の意味及び「仮想的討議」の承認に関する拙論に対して批判を提起し、代案を提示している。嘉目氏の議論は、独自の新たな解釈を提示し、啓発的なところもあるが、説得力に欠けると思われた。そこで本論では、その議論を検討し、嘉目氏に答えることを目的としたい。
並木, 美砂子 Namiki, Misako
博物館教育の理論構築には,利用者主体の学習論が役立つが,とりわけ歴史展示を中心に考える上で,以下の3つの学習論の採用を提案した。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
長田, 俊樹
小論の目的はこれまでのムンダ語族の比較言語学研究を概観することである。まず、ムンダ語族の分布と話者人口、およびそれぞれの言語についてのこれまでの研究を紹介する。そして比較言語学研究のうち、さいしょに音韻論について述べる。とくに、母音についてはいろいろと議論されてきたので、母音を中心にみる。次に形態論、統語論、語彙論について述べる。その際、インドの他の語族との関連を中心に論ずる。さいごに、オーストロアジア語族とムンダ諸語について、ドネガンらの研究を中心に述べる。
吉岡, 亮
『人物管見』は同時代において新しい人物論として受容されていた。それは、内容的な面で従来の人物論と異なるものであったことと共に、人物論をめぐる言説を蘇峰が提示し、その影響圏において『人物管見』が読まれたためでもあった。また、山路愛山は蘇峰の人物評論の方法を文学史に援用していた。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行われてきた、幾つかの系統の研究を整理し(文化人類学的地域性論、地理学的地域性論、歴史学的地域性論)、この「地域性」概念の混乱が研究を阻害してきたことを明らかにし、解釈に混乱の余地のない「地域差」から研究をはじめるべきだとした。この地域差とは何か、何故地域差が生ずるのかという命題に関し、それまでの「地域差は時代差を示す」とした柳田民俗学に対する反動として、一九七〇年代以降、その全面否定の下で機能主義的な研究が展開してきたこと(個別分析法や地域民俗学)、しかしそれは全面否定には当たらないことを明らかにし、柳田民俗学の伝播論的成果も含めた、新たな解釈モデルとして、文化の受容構造論を提示した。その際、伝播論を地域性論に組み替えるために、かつての歴史地理学的な民俗学研究や文化領域論の諸理論を再検討するほか、言語地理学や文化地理学などの研究動向や研究方法(資料操作法)も参考にした結果、必然的に自然・社会・文化環境に対する適応という多系進化(特殊進化)論的な傾向をとるに至った。すなわち地域性論としての文化の受容構造論的モデルとは、文化移入を地域社会の受容・適応・変形・収斂・全体的再統合の過程と把握して、その過程と作用の構造を分析するもので、さらに社会文化的統合のレベルという操作概念を用いることによって、近代化・都市化の進行も視野に含めた、一種の文化変化の解釈モデルであるともいえよう。
富田, 正弘 Tomita, Masahiro
早川庄八『宣旨試論』の概要を章毎に紹介しながら少し立ち入って検討を加え,その結果に基づいて,主として早川が論じている宣旨の体系論と奉書論に対して,いくつかの感想めいた批判をおこなってみた。
関沢, まゆみ Sekizawa, Mayumi
本論文の目的は,第一に宮座研究推進の一環として宮座の類型論を試みること,第二に具体的な事例分析を通して,類型論を個別事例研究の関係において検証することにある。
高橋, 圭子 東泉, 裕子
現代語の「もちろん」は「論ずる(こと)勿(なか)れ」という禁止表現から発生したと説明されることがある。近代以前のデータベースを検索すると、古代の六国史に代表される漢文体の文献では、「勿論」の用例は「論ずる(こと)勿れ/勿(な)し」という意味であり、否定辞「勿」と動詞「論」から構成される句であった。現代語とほぼ同様の意味の「勿論」の語の用例は、中世の古記録や『愚管抄』『沙石集』など和漢混交文体による仏教関連の文献から見られるようになる。用法は文末における名詞述語が主であった。近世には、ジャンルも文体も多様な文献に用いられ、文中や文頭における副詞用法や応答詞的用法も出現する。古代の禁止表現と中世以降の「勿論」の関連は不明だが、日本語のみならず中国語・韓国語においても漢字語「勿論」の研究が進められ、さまざまな知見が見出されている。通言語的な議論の深化が期待される。
保立, 道久
日本文化論を検討する場合には、神話研究の刷新が必要であろう。そう考えた場合、梅原猛が、論文「日本文化論への批判的考察」において鈴木大拙、和辻哲郎などの日本文化論者の仕事について厳しい批判を展開した上に立って、論文「神々の流竄」において神話研究に踏み入った軌跡はふり返るに値するものである。
岩本, 通弥 Iwamoto, Michiya
本稿は柳田國男「葬制の沿革について」に対して示された,いわゆる両墓制の解釈をめぐって,戦後の民俗学が陥った「誤読」の構造を分析し,戦後民俗学の認識論的変質とその問題点を明らかにし,現在の民俗学に支配的な,いわゆる民俗を見る視線を規定している根底的文化論の再構築を目的とする。柳田の議論は,この論考に限らず,変化こそ「文化」の常態とみた認識に立っており,その論題にもあるように,葬制の全体的な変遷を扱うものであった。ところが戦後,民俗を変化しにくい存在として捉える認識が優勢になると,論題に「沿革」とあるにも拘らず,変遷過程=「変化」の議論と捉えずに,文化の「型」の議論と読み違える傾向が生まれ,それが通説化する。柳田の元の議論も霊肉分離と死穢忌避の観念が超歴史的に貫徹する,あたかも伝統論のように解釈されはじめる。南島の洗骨改葬習俗と,本土に周圏論的に分布する両墓制を,関連のある事象として,これを連続的に捉える議論や解釈・思考法は,1960年代に登場するが,一つの誤読を定説化させた学史的背景には,民俗を変化しにくい地域的伝統と見做す,こうした根底的文化論が混入したことに尽きている。このような理解を生み出す民俗あるいは文化を,伝統論的構造論的に把捉する文化認識は,いわゆる京都学派の文化論を介して,大政翼賛会の地方文化運動において初めて生成された認識であるが,加えて戦後のいわゆる基層文化論の誤謬的受容によって,より強固に民俗学内部に浸透,定着化する。基層文化論は柳田の文化認識に近似していたナウマンの二層化説を,正反対に読解して受容したものであり,その結果,方法的な資料操作法のレベルにおいても,観察できる現象としての形(form)を,型(type)と混同して,民俗資料の類型化論として捉えられていく。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
90年代において、授業をめぐる諸状況に大きな変化が生じてきている。とくに教授主体と学習主体の身体に問題が生じてきている。心身を一元的にとらえる身体論の立場から、身体が生き、世界が広がる場として授業をとらえ、その観点から授業指導のあり方を見直す必要がある。また、教授主体と学習主体、学習主体同士の関係のあり方が変化してきている。学習権の主体として子どもをとらえ、子どもが学習権の主体として授業に参加し、世界を創造する場として授業をとらえ、関係論の立場から授業指導のあり方を見直す必要がある。本稿では、身体論・関係論の観点から、教授・学習関係の構築、教育内容の指導過程の構想、主体同士の学習共同と対話・討論の創造、授業における学習集団の形成について、論じた。本稿は一つの試論であり、今後さらに検討し、発展させていきたい。
長田, 俊樹
筆者はこの『日本研究』に「ムンダ民族誌ノート」を連載しているが、今回は日本における稲作文化と畑作文化の区別について論じる。なぜなら、稲作文化論や畑作文化論のなかで、ムンダ人のケースが言及されることがあるからだ。
武藤, 秀太郎
本稿は、戦後日本のマルクス主義経済学の第一人者であった宇野弘蔵(一八九七―一九七七)の東アジア認識を、主に戦時中に彼が執筆した二つの広域経済論を手掛かりに検討する。「大東亜共栄圏」は、「広域経済を具体的に実現すべき任務を有するものと考えることが出来る」。――このように結論づけられた宇野の広域経済論に関しては、これまでいくつかの解釈が試みられてきた。だが、先行研究では、宇野が転向したか否か、あるいは、かかる発言をした社会的責任はあるかどうか、といった点に議論がいささか限定されているきらいがあり、戦後の宇野の発言等を含めた総合的な分析はなされていない。私見では、宇野の広域経済論は、戦前戦後を通じて一貫した経済学方法論に基づいて展開されており、彼の東アジア認識を問う上で非常に貴重な資料である。大東亜共栄圏樹立を目指す日本は、東アジア諸国と「密接不可分の共同関係」を築いていかねばならないという、広域経済論で打ち出されたヴィジョンは戦後も基本的に継承されている。このことを明らかにするために、広域経済論を戦後初期に宇野が発表している日本経済論との対比から考察する。
松本, 和也
本稿では、昭和10年代(1935~1944)の国民文学論を再検証した。
ホイットマン, ジョン WHITMAN, John
本プロジェクト(日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究)の目的は,日本語とその周辺の言語を主な対象とし,その統語形態論的・音韻的特徴とその変遷を,言語類型論・統語理論・比較歴史言語学の観点から解明することによって,東北アジアを1つの「言語地域」として位置付けることである。統語形態論の観点からは「名詞化と名詞修飾」に焦点を当て,日本語においても見られる名詞修飾形(連体形)の多様な機能を周辺の言語と比較しながら,その機能と形と歴史的変化を究明する。歴史音韻論の観点からは,日本語周辺諸言語の歴史的再建を試み,東北アジア記述言語学における通時言語学研究を推進する。本稿では,この共同研究プロジェクトを紹介しながら,日本語,厳密にいうと日琉語族がどの言語地域に属するかについて検討する。
小泉, 友則
現代日本において、子どもの性をよりよい方向に導くために、子どもに「正しい」性知識を教えなければならない・もしくはその他の教育的導きがなされねばならないとする“性教育”論は、なじみ深い存在となっている。そして、このような“性教育論”の起源がどこにあるのかを探求する試みは、すでに多くの研究者が着手しているものでもある。しかしながら、先行研究の歴史記述は浅いものが多く、日本において“性教育”論が誕生したことがいかなる文化的現象だったのかは多くの部分が不明瞭なままである。そこで、本稿では先行研究の視点を引き継ぎつつも“性教育”論の歴史の再構成を試みる。
上野, 和男 Ueno, Kazuo
本稿は最近における日本の社会文化の地域性研究の学史的考察である。日本の地域性研究を時期的に区分して,1950年代から1960年代にかけて各分野で地域性研究が活発に行われた時期を第1期とすれば,最近の地域性研究は第2期を形成しているといえる。第2期における地域性研究の特徴は,第1期に展開された地域性論の精緻化にくわえて,新たな地域性論としての「文化領域論」の登場と,考古学,歴史学などにおける地域性研究の活発化である。1980年以降の地域性研究の展開にあらわれた変化は次の3点に要約することができる。まず第一は,従来の地域性研究が家族・村落などの社会組織を中心としていたのに対して,幅広い文化項目を視野にいれて地域性研究がおこなわれるようになったことである。地域性研究は「日本社会の地域性」の研究から「日本文化の地域性」の研究へと展開したのである。第二は,これまでの地域性研究が現代日本の社会構造の理解に中心があったのに対して,日本文化の起源や動態を理解するための地域性研究が登場したことである。とくに文化人類学や歴史学・考古学のあらたな地域性論は,このことがとりわけ強調されているものが多い。第三は,これまでの地域性研究が社会組織のさまざまな類型をまず設定し,その地帯的構造を明らかにしてきたのに対して,1980年以降の地域性論では,文化要素の分布状況から東と西,南と北,沿岸と内陸などの地域区分を設定することに関心が集中するようになったことである。つまり「類型論」にくわえて「領域論」があらたな地域性論として登場したことである。本稿では地域性研究における類型論と領域論の差異に注目しながら,これまでの地域性研究を整理し,その問題点と今後の課題,とくに学際的な地域性研究の必要性と可能性について考察した。
吉海, 直人 YOSHIKAI, Naoto
乳母論の一環として、本稿では『栄花物語』・『落窪物語』・『堤中納言物語』の三作品を取り上げ、乳母の視点からの読みを示すとともに、乳母の存在の重要性を具体的に論じていく。姫君でもない、母親でもない、侍女でもない乳母。その主体性を認めることによって、作品の読みがどのように変化(深化)するのか、早速『栄花物語』から論を進めていこう。
與那原, 建 Yonahara, Tatsuru
「スタック・イン・ザ・ミドル」とは、複数のタイプの競争戦略を同時に追求す\nることにより、虻蜂取らずになって失敗してしまうことをいう。この考え方は、競\n争戦略の研究にきわめて大きな影響をおよぼしたポーターの競争戦略論の中心的位\n置を占めている。\n 競争優位を獲得するには、競争の基本戦略のうち1つだけを選択し、それを一貫\nして追求しなければならないというのがスタック・イン・ザ・ミドル論の基本的主\n張であるが、それについては賛否両論あり、論争は現在も継続中である。われわれ\nは、このように議論が継続し、なかなか結論に到達できずにいるのは、ポーターに\nよるスタック・イン・ザ・ミドルの捉え方そのものに問題があるからではないかと\n考えている。\n 本稿では、ポーターのスタック・イン・ザ・ミドル論を再考し、その論拠を確認\nしたうえで、それに対する主要な批判的研究をレビューしていく。取り上げるのは、\n基本戦略のコンテインジェンシー理論、ハイブリッド戦略優位論、ハイブリッド戦\n略併存論であるが、その検討を通じて、競争優位の獲得につながる有効な競争戦略\nが、ポーターのいうように、低コスト戦略と差別化戦略だけではないこと、すなわ\nち、ピュア戦略のみならず、ハイブリッド戦略も有効であることを論証する.ポー\nターのスタック・イン・ザ・ミドル論については、ハイブリッドを否定し、ピュア\nを肯定するという二者択一論ではなく、両者をともに有効とみなす併存論として捉\nえ直す必要があろう。
荒木, 和憲 Araki, Kazunori
本稿は、中世日本の往復外交文書の事例を集積することをとおして、その様式論を構築しようとするものである。従来、日本古文書学においては研究が手薄であったが、様式論を構築することで、日本古文書学、そして「東アジア古文書学」のなかに中世日本の往復外交文書を位置づけようとする試みである。
益田, 理広
本稿は天地なる概念の東洋に於ける空間の典型たることを議す。古今の諸書より天地の空間と定義せられたる事例を徴し、以て之を証するのである。且つは各々の天地概念の定義と異同とを論じ、其の内実の解明に努むる。何となれば則ち、未だ知られざる東洋地理学理論の中枢に坐す東洋独特の空間概念を求むるがためである。是の故に本稿は自づから一篇の天地論史を為す。されど字数の限りも有れば、本篇の録するは周代より隋唐に至る間の所説に止まる。先づⅡ章では先秦の天地即空間の論の淵源を求め、『周易』『管子』『老子』を参照した。殊に『周易』は天地に空間の義を認むる最古の例として注意を惹く。同書は天地を以て無際限の規模を有する万物共在の処と為すが、此れは空間の定義として過不足なき者として大なる意義を有し、既に『管子』も其の類例の一と為すべき所がある。或は『老子』の天地論も後代の議論の先蹤と目せらるるが、其の文章の玄妙は注釈に依らずしては解するに難い。是に於てⅢ章では『老子』を能く説ける漢魏晋の玄学を検め、其の天地論を分析した。同章に例示せるは漢の河上公、魏の阮籍、晋の葛洪の所説である。此の内、河上公は『老子』の天地に『周易』の論を合して明瞭な定義を与うるに於て画期を為す。阮籍、葛洪の両氏も亦た『周易』『老子』を併せ論を為すが、天地を以て非空虚の空間と為すに於て河上公と論を違える。されば此の新説はいづこより生ずるか。之を知るべくⅣ章では漢儒の天地論を参観する。ここでは董仲舒、揚雄、王充の所説を確認し、其の天地論が『老子』を介さず空虚としての定義を欠くこと、更に、天地を以て万物の所在にして其の根源と見ることを論じた。是を以て、魏晋の玄学の非空虚の説も蓋し漢儒より生ぜりとの知見を得るに至る。Ⅴ章では隋唐の天地論を概括した。当代は諸教の共に興隆する所であれば儒道仏の三教の全てを考慮したが、外来の仏教は固より天地論を説く所僅かであった。然るに本稿の論ずるは道教に連ぬる王玄覧、王冰、玄宗、並びに儒学に通じ訓詁を能くする孔頴達、李善らの所説である。此の二教は共に天地を以て空間と為す所有ると雖も、其の定義に於ては対立を見る。即ち道教の諸家は天地を有限と為すこと屡々であるに対し、儒家は往々にして之を無際限と説くのである。就中、孔頴達の所論は詳密を極め、天地を以て時空間と為し、一なる無より万物を生成する局限と固定との要件と論ずる者であった。又た李善らによる『文選』の注釈が詩歌を介して天地即空間の論を経学の外に知らしむるも均しく見るべき変化である。以上の論議に由り、本稿は先秦より唐代に亙る期間に於て、天地が常に空間の義を内包することを証明するに至った。無論、天地の定義は各人各代一様ならざる所もあるが、それは一貫して空間と解するに不足無き概念である。
福田, 景道
歴史物語の性格と本質に関して、「歴史を内包する物語」と見なして文芸性を重視する立場と、「物語を内包する史書」と見なして歴史性を重視する立場が並立している。この観点から『増鏡』と『梅松論』の基軸をなす皇位継承史構想を考察すると、『増鏡』の「横さま」皇統と『梅松論』の「横シマ」皇統に類似性と対極性が見いだせ、皇位継承を文芸的に享受する『増鏡』と歴史的観点により評価する『梅松論』との本質的相違と、歴史を内包する物語としての共通性が認められる。
青木, 博史 AOKI, Hirofumi
文法史研究は,体系(文法)と部分(語彙),歴史的変化と通時的変遷など,その概念と用語にも注意を払いながら進められてきた。近年における文法化研究の隆盛を受け,矮小化させることなく発展的に進めていかなければならない。このとき,文法論は,位相論・文体論,さらには方言研究とも連携しながら,複線的・重層的な"ストーリー"としての文法史を描くことを心がけなければならない。
吉川, 真司 Yoshikawa, Shinji
本稿は、大極殿で行なわれた儀式を素材として、日本古代史の時期区分を論じ、とりわけ四字年号時代(七四九〜七七〇)の時代相を明らかにしようとするものである。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Joyce の Ulysses においてその内面、そして外面事象というのは絶えず変化し続けている、といっていいほど極度な disjunctivity(断続性・非連続性)に支配されている。すべてが意識の流れを中心に構築されている世界なので突然の統語論的、ないしは叙述意味論的断続性というのは予想される現象ではあるが、この論文では特に Ulysses の narrative 全体と個々の事象との間に見られる意味論的整合性・非整合性という観点から登場人物、特に Bloom、を介した意識世界に迫ってみた。
西村, 大志
本稿は、落語を比較文化論的視座とコミュニケーション論的視座から研究するものである。落語には江戸落語と上方落語という二つのスタイルがある。本稿では特に上方落語の『無いもの買い』という作品を中心に研究する。その際に速記本などの文字化された資料ではなく、録音されたものを用い分析する。純粋芸術化してしまった怪談噺・人情噺のような落語ではなく、大衆芸術として笑いの作品を対象とする。
益田, 理広
本稿は北宋の天地論を議す。唐以前の天地なる概念が東洋に於ける空間の一典型を為すことは既に前篇の証する所である。故に本篇は次代たる宋代にも此の概念が空間の義を内包せることを示すべく、諸家の述作を閲する者である。但し紙数の限界により本稿は北宋の諸家のみを論ずるに止まる。是に於て筆者は先づ北宋初期の議論を参照した(Ⅲ章)。宋の諸家中、初めて天地を以て空間と為すは胡瑗である。胡瑗は唐の『周易正義』への反感、就中、其の虚無を尊ぶ所を駁するに於て天地論を撰す。為めに胡瑗は天地の空間にして且つ形而下の元素たることを論じ、以て『正義』の虚無に近しき天地を斥くるのである。而れども宋初に於て斯様なる天地即空間の論の示さるるは稀であった。然るに、之をして主流の学説に坐せしむるは北宋五子である(Ⅳ章)。此の五子は宋学の本流として独自の学説を呈すれば後世への影響深甚なりしことで知らるるが、しかのみならず、五子中天地論を伝えぬ周敦頤を除く四名が悉く天地即空間の論を唱うるに於て、同説を宋代天地論の主流と変ずる者でもあった。然りと雖も、斯説を掲げる四子、即ち邵雍、張載、及び二程子即ち程顥並びに程頤は、唯だ天地を以て空間と為すことのみ一致するの他は各々に独自の所説を述べて居る。即ち、天地とは何ぞやと問わるるに対し、邵雍は規模に於ては無限にして本質に於ては有限なる空間なりと答え、張載は空間を本質と為し且つ之に事物及び其の元素をも統合せる形而下者の全体なりと答え、二程子は寧ろ形而上の時空間にして規模や形状の類を決して具えぬ絶対無限の理なりと答うるのである。斯くなる四子の見解は天地論の伝統に新知見をもたらすと共に、空間に関する深慮をも促す者であった。而して、北宋に天地論を唱うる一派として五子とは別に蘇軾に代表せらるる蘇門が有った(Ⅴ章)。同門は略ぼ一貫する天地論を共有し、いづれもが天地を以て空間と為すが、其の所説の諸家に長ずるは、何よりも事物の所在たる空間の性質に関する緻密なる考究に於てである。乃ち蘇門の諸子は、惟だ天地のみを純一なる実体と為すも、其の一部を分析して認識するに由りて事物が成立ことを以て、常に事物は天地より離れ得ず其の内部に所在すると説くのである。殊に事物の生成を以て概念の成立と解する蘇轍の論は明晰であった。本稿の論ずる所は以上であるが、是に於て北宋の天地も亦た空間と為さるることは明瞭に証せられた。且つ本稿の述に拠れば、北宋の諸家の唐代以前に比しても天地の空間たることを疑わず、其の関心も空間の性質そのものの何如を問うに遷れることが察せらるるであろう。
李, 済滄
京都学派の東洋史学者として、谷川道雄(1925~2013)は内藤湖南からの学統を受け継いでいる。中国の歴史を時代区分論という方法で捉えた内藤は、紀元3~9 世紀の魏晋南北朝隋唐史を中世貴族制の時代と位置付け、世界の中国史研究に計り知れない影響を与えた「唐宋変革論」の礎としている。そして、この学説を深化させ、さらに発展させたのが谷川である。
明治日本の朝鮮との関係を論ずる場合、明治初年の征韓論はともかく明治九年の江華島条約を日本の朝鮮への侵略の第一歩として叙述する場合が多い。しかし、実際にその当時の新聞論調を読むと、むしろこの朝鮮との条約の締結を、ペリー来航時の状況に譬えて考えているものが多いことがわかる。
尾野, 治彦 ONO, Haruhiko
久野(1973)以来,補文標識としての,「の」「こと」についての研究は,主にコンテクストが考慮されない文を対象にして,「の」「こと」がそれぞれ何を表すのかということについて論じられ,実際のコンテクストにおいて,「の」「こと」どちらも可能な場合における使い分けの要因についての考察はあまりなされてこなかったように思われる。本稿では,この問題に対して,認識論的・語用論的観点から考察を試み,「の」「こと」の使い分けには,語り手の心的態度が関与しており,認識対象に心的態度が関与しているときは「こと」が用いられ,そうでないときは,「の」が用いられることを小説の用例を基に論じた。また,いくつかの「こと」の用法(強調構文の主節に表れる「こと」,「の」感嘆文と「こと」感嘆文,命令を表す「のだ」と「ことだ」等)についても論じ,これらの「こと」の用法は心的態度の表れとして捉えることが可能であり,補文標識「こと」との関連性が示された。
Kobayashi, Masaomi
全ては他の全てと関連している――それが一般的なエコロジーの第一原則である。本稿は、そのように全てを関連性の総体とする全体論を広義のエコロジーとして捉え、様々なエコロジーの外部を探求する。その際に文学作品に言及することで、フィクションが提示する外部性の可能性も見出す。第一に扱う全体論は、カント以来とされる相関主義――現実は意識と事物の相関による現象であると主張することで人間の思考の外部性を排除する主義――である。この哲学論に対して、意識に先立つ事物の存在から意識の外部を考えるのが思弁的実在論である。主唱者の一人であるカンタン・メイヤスーは、偶然性の必然性を説くことで思考に基づく相関性の外部性を指摘する。そして相関性を前面にした作品がアーネスト・ヘミングウェイの「何を見ても何かを思い出す」であり、対照的に偶然性を前面にした作品がポール・オースターの『最後の物たちの国で』である。つづく全体論は、人間中心主義としてのヒューマニズムである。この全体論は、IoTやAIの登場によって、その完全性を維持できなくなりつつある。そしてP・K・ディックの代表作『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』におけるモノの世界は、まさに外部性を体現している。最後に扱う全体論は、歴史哲学者ユヴァル・ノア・ハラリが考察するデータ主義である。ビッグデータなどの膨大なデータにおいては、ヒトもモノも解析データとして一様に存在する。そして絶え間ないデータの流通を生命体として描いているのがドン・デリーロの『コズモポリス』である。データ主義を体現する主人公の死をもって終わる本作は、データ主義の外部性を象徴的に描く。かくして本稿は、「外部性の可能性」(outside possibilities)を発見することで、エコロジーとしての全体論を批判的に思考するための本来的な意味における「わずかな可能性」(outside possibilities)を提示する。
中嶋, 英介 島田, 雄一郎 NAKAJIMA, Eisuke|SHIMADA Yūichirō
本稿は国文学研究資料館特別コレクション山鹿文庫蔵『武教本論鵜飼註 上中』を翻刻し、解題を附したものである。『武教本論』の原著者山鹿素行は、数々の兵学書を著した思想家として知られるが、素行以降の資料については弟子が編纂した『武教小学』の注釈書紹介にとどまり、山鹿流兵学が後世の大名にも評価された背景を知るには至らない。
清松, 大
高山樗牛の唱えた「美的生活論」は、登張竹風による解説を一つの契機として、その「本能主義」的側面がニーチェの個人主義思想と強固に結びつきながら理解された。樗牛の美的生活論は文壇内外で多くの批判や論争を呼ぶとともに、同時代の文学空間を熱狂的なニーチェ論議へと駆り立てていった。
小林, 愛 KOBAYASHI, Ai
近年の目録編成は、「出所原則」「原秩序尊重の原則」の原則に基づくものが望ましいとされるが、分析対象は近世が中心であり、近代史料に対する目録編成論は未成熟である。本稿では「前田正名関係文書」及び「前田正名関係文書目録」を分析対象に近代史料の目録編成論に対する一考察をこころみる。
Ishihara, Masahide 石原, 昌英
Kiparsky(1982)による「語彙音韻論」の提唱以来、“ungrammaticality”のような複雑な構造をした語の文法性は1980年代の音韻論の中心テーマの一つとして多くの研究がなされた。その理由は、語彙音韻論の観点から、この例のように実際に存在する語が非文法的とされるので、いわゆる、プラケティング・パラドクスの問題を解決し、このような語の文法性を明確にする必要が生じたからである。しかしながら、本稿に示されるように、先行研究の多くが何らかの問題を含んでいる。本稿では、先行研究にみられる問題を克服し、プラケティング・パラドクスの問題の解決を試みる。\nInkelas(1989)が「語彙音韻論」から発展させて確立した「韻律語彙音韻論」によると形態表示と音韻表示はそれぞれ独立した構成素を持つ。言い換えると、形態規則が適用される領域と音韻規則が適用される領域はそれぞれ独立していて、重なり合うものではない。この形態表示と音韻表示の分離は、接辞の形態的下位範疇指定と音韻的下位範疇指定を可能にする。本稿では接辞の二重範疇指定を利用してブラケティング・パラドクスの問題の解決を提唱する。この解決法に基づくと、“ungrammaticality”のような語はブラケティング・パラドクスを含まない文法的な語として分析される。また、韻律音韻論にもとづいた解決法では、先行研究の解決法で生成することができた非文法的な語(例えば“inantireligious”)も確実に排除できる。
小柳, 正弘 Koyanagi, Masahiro
自由とはなにか。この問は、一般にはしばしば、自由がいかなるものであるべきかを問うものとみなされており、それゆえ、自由論もまた、自由の本質をあきらかにするものとされてきたのではなかろうか。しかし、ある場合にある自由が自由であることが、別の場合に別の自由が自由であることをかならずしも否定するわけではないように、実際のところ、さまざまな自由はそれぞれなりに自由としてうけいれられている。小論は、現代自由論の古典ともいうべきI.バーリンの自由論の解釈を中心に考察して、自由の概念は、コンテクストとのかかわりで、そのような多様性と自明性の事実にすぐれてみあったものとなることをあきらかにした。
外川, 昌彦
本稿は、近代日本を代表する美術家・岡倉天心のアジア美術史に関する認識の転換を、1902 年のインド滞在中のベンガル知識人との多様な思想的交流の経緯を通して検証する。岡倉にとってインド美術史の探求は、ハーバート・スペンサーの社会進化論やヘーゲルの発展段階論に基づく芸術の単系的な発展モデルを克服し、アジア諸美術の「自然な成長」やその相互交渉を捉える視点を与えるものとなっていた。
野島, 永 Nojima, Hisashi
1930年代には言論統制が強まるなかでも,民族論を超克し,金石併用時代に鉄製農具(鉄刃農耕具)が階級発生の原動力となる余剰を作り出す農業生産に決定的な役割を演じたとされ始めた。戦後,弥生時代は共同体を代表する首長が余剰労働を利用して分業と交易を推進し,共同体への支配力を強めていく過程として認識されるようになった。後期には石庖丁など磨製石器類が消滅することが確実視され,これを鉄製農具が普及した実態を示すものとして解釈されていった。しかし,高度経済成長期の発掘調査を通して,鉄製農具が普及したのは弥生時代後期後葉の九州北半域に限定されていたことがわかってきた。稲作農耕の開始とともに鍛造鉄器が使用されたとする定説にも疑義が唱えられ,階級社会の発生を説明するために,農業生産を増大させる鉄製農具の生産と使用を想定する演繹論的立論は次第に衰退した。2000年前後には日本海沿岸域における大規模な発掘調査が相次ぎ,玉作りや高級木器生産に利用された鉄製工具の様相が明らかとなった。余剰労働を精巧な特殊工芸品の加工生産に投入し,それを元手にして長距離交易を主導する首長の姿がみえてきたといえる。また,考古学の国際化の進展とともに新たな歴史認識の枠組みとして新進化主義人類学など西欧人類学を援用した(初期)国家形成論が新たな展開をみせることとなった。鉄製農具使用による農業生産の増大よりも必需物資としての鉄・鉄器の流通管理の重要性が説かれた。しかし,帰納論的立場からの批判もあり,威信財の贈与連鎖によって首長間の不均衡な依存関係が作り出され,物資流通が活発化する経済基盤の成立に鉄・鉄器の流通が密接に関わっていたと考えられるようにもなってきた。上記の研究史は演繹論的立論,つまり階級社会や初期国家の形成論における鉄器文化の役割を,帰納論的立論に基づく鉄器文化論が検証する過程とみることもできるのである。
落合, 恵美子
昨年、「近代家族」に関する本が三冊、社会学者(山田昌弘氏、上野千鶴子氏及び落合)により出版されたのを受けて、本稿ではこれらの本、及び立命館大学と京都橘女子大学にて行われたシンポジウムによい近代家族論の現状をめぐって交わされた議論を振りかえる。今号の(1)では「近代家族」の定義論を扱い、次号に掲載予定の(2)では「日本の家は『近代家族』であった/ある」という仮説の当否を論じる。
山中, 光一 YAMANAKA, Mitsuichi
時代状況というものが、作家や作品と相互作用をもつ実体としての「場」として把えられることを、近代文学の出発点における二葉亭四迷の例について論じ、そのマクロの時代状況を記述する方法として、読者層、出版メディア、言葉と文体の要素について、時代的変化の指標を分離して論ずることについて述べる。
堀, まどか
野口米二郎(一八七四―一九四七)は、一九一四年一月、ロンドンのJapan Societyにて “Japanese Poetry”、オックスフォード大学Magdalen Collegeのホールにて “The Japanese Hokku Poetry”と題して、日本詩歌についての講演を行った。それらの講演がまとめられ、同年三月にはThe Spirit of Japanese Poetry としてジョン・マレー社から刊行され、翌一九一五年一〇月に日本語版『日本詩歌論』(白日社)として出版された。本稿は、野口がこれらにおいて何を語り、そこにいかなる意義があったのかについて論じたものである。
一ノ瀬, 俊也 Ichinose, Toshiya
本稿では、日露戦後の民間において活発化した軍事救護―国家主体論、兵役税導入論の論理、意図の検証を行う。あえてそのような作業を試みるのは、そこに徴兵制とは国家救護という手段によって不断に「補完」し維持していくべきもの、という認識の枠組みを読みとることができるからである。この点は、当該期の民間に存在した徴兵観の諸相を解明していくうえで、きわめて興味深い問題であるように思われる。
片平, 幸
本稿では、欧米諸国における日本庭園像の形成を歴史的に捉える上で重要と思われる原田治郎(一八七八~一九六三)という人物を紹介する。一九二八(昭和三)年にイギリスで刊行された原田治郎のThe Gardens of Japan (Edited by Geoffrey Holme, The Studio Limited. )は、日本人による英語で著された日本庭園論としては最もはやい単行本として位置づけられる。一九三〇年代に入ると、原田以外の日本人による英語の日本庭園論の著作は増加するが、それらはいずれも日本国内での出版であった。そうした事情によって、原田の著作は日本人による文献としては突出した頻度でその後の英語圏の日本庭園論に参照されていく。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
吉田, 安規良 山口, 剛史 村田, 義幸 原田, 純治 橋本, 健夫 八田, 明夫 河原, 尚武 立石, 庸一 會澤, 卓司 Yoshida, Akira Yamaguchi, Takeshi Murata, Yoshiyuki Harada, Junji Hashimoto, Tateo Hatta, Akio Kawahara, Naotake Tateishi, Yoichi Aizawa, Takuji
長崎大学教育学部で開講された「複式教育論」の講義に琉球大学教育学部の「複式学級授業論」担当者が出張し,沖縄県のへき地・複式教育を概説し,長崎県で実際に行われた複式学級での授業実践を追体験しながらその内容を分析するという2つの取り組みを行った。受講学生の講義内容に対する評価は有意に肯定的であった。とりわけ模擬授業分析については「もっと学びたい」という意見が多かった。
久高, 將晃 Kudaka, Masaaki
ハーバーマスは、『コミュニケーション行為の理論』において、三つの妥当要求に三つの世界を対応させている。すなわち、真理性要求に対して客観的世界、正当性要求に対して社会的世界、誠実性要求に対して主観的世界を対応させている。これらの世界の中で、どの世界が実在しそして実在しないのか。これが本稿を導く問いである。三つの世界の中で主観的世界は実在論の問題とはならない。そこで、客観的世界に関わる真理の合意説と社会的世界に関わる討議倫理学について論じ、『真理と正当化』の諸論考を参照して、先の問いに答えることが本稿の目的である。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shinichiro
弥生集落論は,同じ土器型式に属する弥生土器が床面直上から出土する住居を,同時併存,すなわち同時に存在したとみなしてきた。土器一型式の存続幅が30~50年ぐらいで,一世代と同じ時間幅をもつと考えられてきたこともあり,とくにその傾向が強かった。
小池, 淳一 Koike, Jun'ichi
本稿は、民俗儀礼を起源とする俳句の季語を文芸資源と捉え、その形成の過程を論じようとするものである。
手代木, 俊一
明治期盲人教育におけるキリスト教と音楽について「宣教」、および「宣教師」という観点から論をすすめた。
糸数, 剛
文学読解観点論」とは筆者が構築した読解の理論で、文学読解の定義を「文学を対象として醸成される知的概念を言語化すること」とし、文学を対象として醸成された知的概念はすべて文学読解の材料とする。文学を対象として醸成された知的概念は、文学についての観点である。この観点をとらえ、とらえた観点を言語化することを文学読解の作業とする。ここで言語化する際の特徴として術語を用いることがこの論の独自性である。ここで用いる術語は、既存の術語も用いるが、ネーミングによって柔軟につくり出していくこともよしとする。このような文学読解に関する理論と方法を「文学読観点論」とよぶことにする。この活動で用いる術語を「読みの術語」とよぶ。「読みの術語」のうち、ネーミングによって新たにつくりだす術語のことを「ネーミング術語」とよぶ。
影山, 太郎 KAGEYAMA, Taro
基幹型共同研究「日本語レキシコンの文法的・意味的・形態的特性」における研究テーマの中から「事象叙述」と「属性叙述」の言語学的な区別に関する成果の一部を略述する。事象叙述とは,「いつどこで誰が何をした」のように時間の流れに沿って展開するデキゴト(動作,変化,状態など)を述べること,属性叙述とは「地球は丸い」のように主語あるいは主題となるモノの恒常的な特性を述べることである。従来は,両者の違いは単に意味解釈あるいは語用論の問題と見なされてきたのに対して,本稿では,属性叙述という意味の現象が実は,統語論・形態論という形の問題と深く関わる文法現象であることを様々な事例で実証的に示す。
津波, 一秋 TSUHA, Kazuaki
本稿では火葬後の洗骨改葬という問題を,沖縄の葬墓制研究の中で再定位することを目的とする。戦後の急激な風葬から火葬への移行は,洗骨改葬を伴う複葬制という沖縄の葬制に大きな影響を与えた。この火葬化と洗骨改葬の関係について,従来の捉え方には①消滅論,②形骸化・簡略化論,③継続論があった。①は沖縄においては火葬の導入とともに洗骨改葬は消滅したとする見方であり,今日最も一般的だと考えられる捉え方である。②は,一部の地域では火葬後も洗骨改葬が形骸化,簡略化しつつ行われているとするものである。③では一部の地域では心意や観念も含め,火葬後の洗骨改葬が行われているとする。
日置, 弘一郎 長谷川, 伸子
井上章一の「美人論」を手がかりとして、美人という社会的存在を考える。井上は「美人」を記号としてとらえ、美人記号が社会的にどのように扱われてきたかを日本社会の近代化の過程に即して分析している。
秋沢, 美枝子 山田, 奨治
オイゲン・ヘリゲルが戦時中に出版したもののうち、その存在がほとんど知られていない未翻訳エッセイを研究資料として訳出する。ヘリゲルのエッセイは、日本文化の伝統性、精神性、花見の美学、輪廻、天皇崇拝、犠牲死の賛美について論じたものである。その最大の特徴は、彼の信念であったはずの日本文化=禅仏教論には触れずに、そのかわりに国家神道を日本文化の精神的な支柱に位置づけた点にある。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
江戸を中心とした近代科学のはじまりとしての合理的思考の脈絡について,近年は前近代論としてさまざまなかたちで論じられている。加賀の絡繰師大野弁吉については,これまでその実像は充分に分かってはいない。本論文はこの弁吉にまつわる伝承的世界の全貌とその構造について,弁吉が著した『一東視窮録』を通して検証し,幕末の都市伝説の解明を試みたものである。
この論文は『源氏物語』が『白氏文集』の作品をどのような比喩として用いたかを論じたものである。
福田, アジオ Fukuta, Azio
日本の農業生産の場である耕地片は小さく、しかもその小さい耕地片がそれぞれ異なる農民によって所有され、あるいは耕作されているということは古くから知られていたことである。一九五〇年代を中心にした日本の社会経済史では、この分散零細耕地形状を封建制の表現、あるいは封建社会の基礎にあった共同体の存立基盤として把握し、その形成過程を明らかにする論が展開したことは知られている。それらの論が提出されて以降、近世の百姓が経営する耕地の存在形態は「零細錯圃制」であったと言うことが、必ずしも実証されることはないまま、一つの決まり文句として近世史研究では常識化したといえよう。しかし、耕地形状の研究が共同体論と深く結び付き過ぎていたために、共同体研究が下火になると共に関心が薄れ、研究は深まることがなかった。重要な研究課題が放置されたままになっているのである。本論文はあらためてこの問題を取り上げて、南関東地方の一村落における錯圃制耕地の形成過程を実証的に明らかにし、その結果から錯圃制耕地論の意義を考えようとするものである。
辻本, 裕成 TSUJIMOTO, Hiroshige
『とはずがたり』の従来の主題論は、余りに近代的すぎる視点から行われてきたのではないかという疑問がある。小稿では、なるべく『石清水物語』をはじめとする同時代の例によりながら、『とはずがたり』の主題を検証し直したい。有明の月が柏木と重ねて造形されている宗教的な意味・有明の月の妄執と重ね合わせて描かれる二条の妄執の実態・その如き妄執から二条を救う八幡大菩薩の加護の論理、などを論ずる。
阿部, 好臣 ABE, Yoshitomi
中世の堂上貴族の手になったと思しい『うたたねの草紙』、ではあったが、その地盤には多くの先行の作品が秘められていた。それの主題を拒否し無化することで、この作品がなったことを、主に論じた。そして、中世物語が何故、物語研究に重要であるかにも言及したが、この部分は心細い。また十分な注解を持つことの少ない中世物語の現状にてらし、基礎作業としての注解を添え、かつ、本文の検討も十分ではないと思われたので、校本をも作製し、付載した。注解の部分は、論と不可分の部分もあるので、併読いただきたい。
今野, 章 KONNO, Akira
本稿では、鶴岡市における行政文書の評価選別についてのこれまでの経緯と現状、並びに課題を論ずるものである。
村上, 忠喜 Murakami, Tadayoshi
日本民俗学の資料である伝承そのものは,資料として批判することが困難である。それというのも,伝承資料自体の持つ性格と,伝承を取り出す際の調査者の意図や,調査者と伝承保持者との人間関係など,さまざまな因子に影響を受けるからである。フィールドワークを土台とする学問でありながら,資料論や調査論の深化が阻まれていたことは不幸であり,その改善に向けての具体策を模索していくべきである。
江戸, 英雄 EDO, Hideo
表題の「嵯峨院の六十の賀」ほか、うつほ物語とその年立を考えるうえで重要な事柄を論じ、物語の方法の一端も明らかにしてみた。
淺尾, 仁彦
本研究では,形態素解析辞書『UniDic』への語構成情報の付与について紹介する。語構成情報とは,例えば名詞「招き猫」は,動詞「招く」と名詞「猫」の複合語であるといった情報を指す。日本語について語構成の情報が付与された公開データベースは,複合動詞など特定のカテゴリに限定されたものを別とすれば,管見のかぎり存在しない。このデータベースでは,『UniDic』に対して語構成情報をできるだけ網羅的に付与し,品詞・語種・アクセントなど『UniDic』に元々含まれている情報と組み合わせることにより,「名詞+動詞の複合名詞」,「アクセントが無核の動詞の名詞化で,アクセントが有核のもの」といった複雑な条件での検索を行うことができ,語彙論・音韻論・形態論などの多様な分野で言語資源として活用可能である。合わせて,開発中の検索インタフェースの紹介を行う。
朝日, 祥之 ASAHI, Yoshiyuki
本稿では,独創・発展型共同研究プロジェクト「接触方言学による『言語変容類型論』の構築」で企画・実施された調査研究の成果を紹介した。最初に,研究目的と実施された調査の設計を述べた。その後,研究期間中に実施された様々な調査のうち,北海道札幌市と釧路市で実施された実時間調査と愛知県岡崎市で実施された敬語と敬語意識調査で取り扱われた「道教え」場面調査の調査結果,ならびに国内4地点における空間参照枠に関する調査結果を取り上げた。また「言語変容類型論」構築の試案を提示し,その提示の方法,試案の有用性,反省点,今後の当該分野に関する展望を行った。
糸数, 剛
小説読解指導において主題主義ではなく,言葉の力をつけるための指導法として,筆者は「小説読解観点論」(中学生向けには「読みの要素」)による手法を推し進めてきた。「小説読解観点論」とは,それぞれの小説の本質に迫るために多様な観点(既存の観点も用いるが,既存の観点にふさわしいのがなければ創造的に観点を開発していく)の中からふさわしい観点によって説明し,その観点を術語のレベルまで抽象化する(その際,既存の術語も用いるが,ふさわしいものがない場合は新たにネーミングをしていく)ことを通して読解を定着させていく手法である。
服部, 伊久男 Hattori, Ikuo
古代荘園図と総称される史料群の一例である「額田寺伽藍並条里図」の分析を通じて,8世紀後半の額田寺の構造と寺辺の景観を明らかにすると同時に,寺院景観論の深化を図ることを目的とする。官寺や国分寺については多くの先行研究があるが,史料の少ない氏寺などの私寺の構造と景観については,古代寺院の大部分を占めるものの十分な研究がなされてこなかった。氏寺の寺院景観の一端を明らかにし,多様な寺院研究の方法を提起するために額田寺図を検討する。近年の古代荘園図研究の動向を受けて,考古学的に検討する場合の分析視角を提示し,寺院空間論などの領域論的,空間論的視点を軸として,寺院組織や寺院経済をめぐる文献史学上の論点を援用しつつ,額田寺の構造と景観に言及する。額田寺伽藍並条里図は多様な情報を有する史料体であり,寺領図という性格に拘泥せず様々な課題設定が可能である。本稿では,社会経済史的視点を援用し,本図を一枚の経済地図として読むことも試みる。額田寺をめぐる寺院景観の中では,とりわけ,院地,寺領,墓(古墳),条里をめぐる諸問題について検討する。さらに,近年の考古学的成果を受けて,古代寺院の周辺で検出されている掘立柱建物群について,畿内外の諸例(池田寺遺跡,海会寺遺跡,市道遺跡など)を中心に検討を行う。小規模な氏寺をめぐる景観をこれほどまでに豊富に描き出している史料はなく,その分析結果が今後の古代寺院研究に与える影響は大きい。考古学的に検討するには方法論的にも,また,現地の調査の進捗状況からも限られたものとなるが,考古資料の解釈や理解に演繹的に活用するべきである。とりわけ,これまであまり重要視されてこなかった院地の分析に有効に作用することが確認された。また,近年の末端官衙論とも関係することが明らかとなった。今後,寺領をめぐる課題についても考古学から取り組む必要も強調したい。
嘉数, 朝子 Kakazu, Tomoko
本研究は、児童の道徳判断について次の2つの仮説を検討することを目的とした。\n1)動機論的判断は、年齢のみだけでなく、知能水準によっても規定される。\n2)道徳的成熟度の規定因としての知能変数の関与度は発達段階によって異なる。\n上記の検討を行なうために、道徳判断において結果論的判断から動機論的判断への移行期と考えられる7、8歳を中心に、小学1年生、3年生、5年生を被験者とした。\n道徳判断テストとして、Gutkin(1972)の例話型6対と略画を提示し、その反応から道徳的成熟度を査定した。知能段階は、田研式小学校低学年用田中B式知能検査第1形式(C1)と、新制田中B式知能検査第1形式(B1)を用い、IQ70~9、IQ95~105、IQ110以上の3段階に分類した。結果は、以下の通りであった。\n1)第1の仮説は支持され、動機論的判断は年齢の上昇だけでなく、知能水準の上昇によって増加することが明らかになった。\n2)第2の仮説は全面的には支持されなかったが、高学年になるにつれて知能水準の道徳的成熟度に及ぼす影響度は小さくなる傾向が示唆された。
池上, 良正 Ikegami, Yoshimasa
本稿では,多くの日本人には自明な言葉として受け取られている「死者供養」という実践群をとりあげ,これを理解するためには,生者と死者との間に交わされる身体的実践や,人格表象の関係性に注目した動態的な視座が必要であることを論じた。言い換えれば,西洋近代を特徴づけてきた,霊肉二元論的な人間モデルや,自律的で完結した統一体としての個人といった前提では,十分な理解が難しいのではないか,ということである。プロテスタント的な「宗教」観から強い影響を受けた近代の宗教研究では,つねに存在論的な根拠をもつ「信仰」を明らかにしようとする傾向が強く,「死者供養」と総称される実践も,「死者信仰」「祖先崇拝」などの枠組みによって説明され,実践がもつ積極的な意義を単独に論じるといった発想は乏しかった。
村本, 周三 小林, 謙一 坂本, 稔 松崎, 浩之 Muramoto, Shuzou Kobayashi, Kenichi Sakamoto, Minoru Matsuzaki, Hiroyuki
三輪野山貝塚南西部斜面盛土と浦尻貝塚台ノ前北貝層における14C年代測定の結果を示し,遺跡形成過程推定を通じて問題となる点について論じた。
與那原, 建 Yonahara, Tatsuru
企業の競争優位の持続可能性についての捉え方は2つある。ひとつは、企業組織には慣性があるため、大きな環境変化には対応できず、そうした変化にうまく適応できたところに取って代わられてしまうという見方に立つ。もうひとつの立場では、環境変化の中でも新たな組織能力を創出する能力(ダイナミック能力)を備えておれば、企業は競争優位を持続させることができるととらえ、そのような能力こそが企業の持続的競争優位の源泉になるとみなしている。後者は「ダイナミック能力論」とよばれる分析視角であるが、それは新たに「両利き」というコンセプトを導入することで、競争優位の持続可能性の議論を進化させている。そうした観点で企業の持続的競争優位を論じている代表的研究者にオライリー&タッシュマンがいる。本稿では、かれらのダイナミック能力論と両利きの実現可能性についての諸命題を検討していくが、こうした議論は企業の持続的競争優位の源泉の解明を進めていく上で有望な方向のひとつと考えられる。
長沢, 利明 Nagawawa, Toshiaki
共同研究の課題にもとづき,いわゆる霊肉二元論の再検討のための基礎的な作業として,その周辺問題をさまざまに考察した。二元論の一方を構成するところの肉体存在のあり方を,葬送習俗との関わりの中からとらえ直してみると,いろいろな課題が浮かびあがってくる。たとえば,従来いわれてきた遺体の不浄性ということは,沖縄地方の実態を見るかぎり,あまりあてはまらず,死者の遺体はもっと生者に身近な存在であったと思われる。また,沖縄地方の葬送儀礼には死霊への顕著な怖れの要素が見られるが,それは死穢の忌避という感情の生じる以前の原型的なものだと思われる。葬地の聖地への転化は,かつての本土でも広く見られたことであったろう。農地に遺体を埋葬する習俗も各地に見られ,部分的・限定的なものとはいえ,カンニバリズムの事例すら一部で見られたことを考えれば,日本人の肉体観は決して単純なものではなかったことがわかる。特殊葬法としての鍋かぶり葬の存在は,生者がいかに死者の肉体を死霊から守って保護しようとしてきたかを示しており,それは死者の封じ込めのための葬法ではなかった。さらに肉体は分割されることもありうる存在で,髪・爪・胞衣・臍の緒などの処理方法の中から,きわめて多様な習俗の実態を知ることができる。このように見てくると,従来の二元論の立場をもってしては,あまりうまく説明できないことも多く,肉体とはもっと複雑な存在で,硬直した機械論ではとらえることができない。私たちは二元論のその基本的な枠組みは承認しつつも,もっとそれを柔軟にとらえていく必要があることであろう。
重田, みち
日本中世の能楽論書『風姿花伝』五篇のうちの神儀篇は、能楽史研究をはじめ藝能史・説話史研究、民俗学等の資料として注目されてきた。しかし、その成立時期や著者を純粋に世阿弥と見てよいかどうか等、文献学的な問題が多く積み残されている。また、同篇は従来、既成の伝承を比較的素朴に綴った猿楽伝説と見られ、その著述に世阿弥の特別な意図がなかったかどうかなど、伝書としての性格や史料論的な観点に注目した検証は行われていない。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
本稿は日本の民俗的な色彩感覚が,明治末期から昭和初期の間に変容したという問題意識を前提に論じたものである。それは,主として新たに近代化された都市社会の出現と呼応しており,その背景には西洋文化や知識の移入による影響があるものと考えられる。
井上, 優 生越, 直樹 INOUE, Masaru OGOSHI, Naoki
本稿では,日本語と朝鮮語の過去形「-タ」「-ess-」に見られるある種の用法のずれが「どの段階で当該の状況を発話時以前(過去)の状況として扱えるか」という語用論的な制約の違いに由来することを論ずる。具体的には次の二つのことを示す。1)日本語では,発話時において直接知覚されている状況が知覚された(あるいは開始された)瞬間だけをきりはなして独立の過去の状況として扱うことができる。2)朝鮮語では,当該の状況が直接知覚されている間は過去の状況として扱うことはできず,日本語のような「状況の最初の瞬間のきりはなし」はできない。
髙橋, 修 Takahashi, Osamu
国立歴史民俗博物館蔵の『懐溜諸屑』には多数の一枚刷りの資料が貼りこまれ、近世後期の都市生活・庶民文化を知るための手がかりの宝庫である。中でも現代の「ちらし広告」に相当する「引札」の数量は全体の二割を占め、その重要性が伺える。そこで本稿では、①『懐溜諸屑』に収載された江戸の引札を類型化し、それぞれの様式論的特徴を明らかにすること、②大阪歴史博物館で収蔵する引札を主たる分析素材とし、大坂における引札の様式論的特徴を明らかにすること、③江戸と大坂の引札を比較分析し、そこで得られた知見を広告メディア史全体の文脈の中に位置づけること、以上の三点を研究目的として設定した。
下郡, 剛
院=上皇・法王の意志を奉者一名が奉って作成される院宣について、古文書学は、現存文書を元に様式論を生み出し、院宣は院司が院の意向を奉じて発給する文書とされてきた。しかし、日記の中には、意志伝達が果たされた時点で、文書としての機能を喪失してしまう、一回性の高い連絡に使用された文書が多く記載されている。それでは、現存文書に基づき成立した院宣様式論は、本共同研究の対象たる日記からとらえなおすと、いかなる姿を見いだせるのか、を本稿で検討した。
大滝, 靖司 OTAKI, Yasushi
本研究では,子音の長さが音韻論的に区別される6つの言語(日本語・イタリア語北米変種・フィンランド語・ハンガリー語・アラビア語エジプト方言・タイ語)における英語からの借用語を収集してデータベースを作成・分析し,各言語における借用語の重子音化パタンを明らかにする。その結果から,語末子音の重子音化は,原語の語末子音を借用語で音節末子音として保持するための現象であり,語中子音の重子音化は原語の重子音つづり字の影響による現象であることを指摘し,純粋に音韻論的な現象は語末子音の重子音化のみであることを主張する。
伊藤, 一男 ITO, Kazuo
『源氏物語』に登場する近江の君は、その特異さゆえ、さまざまに論じられてきたが、近江の君という人物そのものを考察するという点では、まだ充分に行われたとはいえない。本稿では、呪性という側面を中心に、双六や詠歌という点から、近江の君という人物を考察した。
江戸, 英雄 EDO, Hideo
細井貞雄の『うつほ物語玉琴』の「総論」を読み、『うつほ物語』論の始発点としての彼の位置を再考する。また、師、本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』から受けた影響と方法的な進展を明らかにし、曲亭馬琴の小説批評との比較も行い、『玉琴』の限界と到達点を確かめた。
向井, 洋子 Mukai, Yoko
冷戦期を通して、占領期沖縄の琉米関係は、主として支配―被支配の関係で論じられてきた。しかし、沖縄のカトリック教会はアメリカ人神父が政治的独立性を堅持し、沖縄戦で荒廃した地でカトリックの布教と社会福祉事業を行ってきた。本稿は、ここでアメリカ人神父が構築した慈善レベルの琉米関係の形成過程を歴史的にたどり、占領期沖縄に支配―被支配の関係ではない、「トモダチ」としての琉米関係が存在したことを明らかにする。そのうえで、沖縄におけるアメリカ観の多様性の必要性を論じていく。
西原, 大輔
一八六七年の高橋由一による上海渡航以来、近代日本の画家たちは、アジアを描き続けてきた。本稿は、エドワード・W・サイードのオリエンタリズム論を利用して、近代日本絵画におけるアジア表象を分析したものである。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
批判的思考を行うためには,「共感」や「相手の尊重」のような,soft heartが必要になることが論じられた。それは第一に,批判を行う前提として「理解」が重要だからであり,相手のことをきちんと理解するためには「好意の原則」に支えられた共感的理解が必要だからである。このことは,-聴して容易に意味が取れると思われる場合でも,論理主義的な批判的思考を想定している場合でも同じである。共感的理解には,自分の理解の前提や枠組みをこそ批判的に検討する必要がある。そのことが,臨床心理学における共感のとらえられ方を元に考察された。また,批判を行うためには理解の足場が必要であること,それを自分と相手に繰り返し行うことによって理解が深まっていくことが論じられた。最後に,このような「批判」を伴うコミュニケーションにおいては,「相手の尊重」というもう1つのsoft heartも重要であることが,アサーティプネスの概念を引用しながら論じられた。
影山, 太郎 KAGEYAMA, Taro
日本語の語形成の中でも言語類型論の観点から注目される2種類の複合動詞-名詞+動詞型と動詞+動詞型-の性質を述べた。名詞+動詞型の複合動詞については,時制付きの定形文では生産性が低いが,動詞が時制のない非定形になると生産性が増すことを指摘した。これは,複統合型言語の名詞抱合には見られない制約である。他方,動詞+動詞型複合動詞の特異性は,前項動詞が後項動詞を意味的に修飾する「主題関係複合動詞」ではなく,前項動詞が複合動詞全体の項関係を支配し,後項動詞は前項動詞が表す事象に対して何らかの語彙的アスペクトの意味を添加するという特殊なタイプの「アスペクト複合動詞」に求められることを様々な考察から論じた。
中山, 和久 Nakayama, Kazuhisa
概念の問題は常に気になるものである。「定義」の確立という言葉の魔力に容易に屈服させられるほど気が弱くは無いが,無視して論を進めるほど気が強くも無い。
仁藤, 敦史 Nito, Atsushi
本稿の目的は、近現代における女帝否認論の主要な根拠とされている「男系主義は日本古来の伝統」あるいは「日本における女帝の即位は特殊」という通説を古代史の立場から再検討することにある。
横井, 孝 YOKOI, Takashi
『源氏物語』受容史の一側面として、その図像化がある。国宝徳川本・五島本『源氏物語絵巻』は代表的な作品として、学術的にも一般向けにもさまざまに論じられてきた。しかし、それらは当該物語の図像を包括的に検討してなされる機会が意外にすくなく、個々別々に論じられ、恣意的なイメージ解釈が先行してきたばかりでなく、検証されることもなく放置されてきたのではないか。これまでの物語絵の分析は「意味」を読み取るのに急で、図像の形成過程というものに無知でありすぎたのではないか。
橋本, 裕之 Hashimoto, Hiroyuki
本稿の目的は民俗芸能研究が「地域」をいかなるものとして理解しているのか、その消息を検証するところにある。こうした関心に沿って民俗学でいう地域性論をとりあげたばあい、ある奇妙な偏向に気づかされることになる。民俗芸能研究はいかなる脈絡からも、地域差と地域性を主要な課題として位置づけていないのである。それは筆者のみたところ、民俗芸能の地域差がしばしば伝播によってもたらされた結果として十全に説明されてしまうからであった。民俗芸能はどうやら地域性論にふさわしくない、つまり地域性に規定されにくい対象であるらしい。
與那原, 建 Yonahara, Tatsuru
本稿では、ダイナミック能力によって破壊的イノベーションを実現するための打ち手に関する2つの対立する見解についての比較を試みている。具体的には、クリステンセンの隔離論の主張をレビューしてその問題点を抽出したうえで、これとは逆に、知の活用と探索の両立は既存組織の中でも可能だと捉えるオライリーやタッシュマンたちの両利きのマネジメントの有効性について確認していく。すなわち、組織内部における分化と統合をともに重視する両利きのマネジメントを実践することができれば、隔離論の問題点をカバーして、ダイナミック能力により破壊的イノベーションを実現すると同時に、持続的イノベーションも可能になると考えられる。
金, 英周 五十嵐, 陽介 宇都木, 昭 酒井, 弘
統語論、音韻論、意味論など言語学の各分野においては、それぞれの現象を検討するために、細分化されたそれぞれの分野内のデータが証拠とされることが多い。しかし有効な証拠は分野内に限らず、分野外のデータから得られることもある。本発表では、現代韓国語の属格主語構造を一例として、統語構造に関する仮説の検証に韻律パターンを証拠として使用することの有効性を示す。現代日本語では、「母親が焼いたチジミ/母親の焼いたチジミ」のように連体修飾節中の主格と属格が交替することが可能であるが、現代韓国語/朝鮮語では方言によって可能性が異なることが指摘されている(Sohn, 2004; 金銀姫 2014)。ここで「母親の」のような名詞句が連体修飾節の主語であるという証拠を示すために、従来の研究では修飾語を加えた複雑な文の意味判断を行わせることが多かった。本発表では、例文を各方言の母語話者に音読させた韻律パターンを分析することで、名詞句が連体修飾節の主語であることの明瞭な証拠が得られることを示す。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本研究では、今日の大学教育に必要とされている「思考力」の育成に、大学経験がどのように貢献しているかについて、米国における批判的思考研究を概観し、これまで明らかになっていることを整理し、今後の研究を展望することを目的とした。これまでの研究から、以下のことが明らかになっている。少なくとも1年以上の大学経験によって学生の批判的思考が向上していること。それは単なる成熟や年齢のせいではないこと。4年生の批判的思考のレベルはあまり高くないこと。最後に、方法論を中心に、今後の展望が論じられた。
村上, 学 MURAKAMI, Manabu
仮名本曽我物語の本文は各巻ごとに諸本の関係を異にし、全貌は未だ明らかでない。仮名本の生成論の前段階作業として校本を作成し、その関係を明らかにしようとする作業の、これは巻四の分である。
太田, 尚宏 OTA, Naohiro
本稿では、国文学研究資料館所蔵の真田家文書のうち、「家老日記」として分類される日記類(特に松代に関する日記)を分析対象として、そこに含まれる日記の種類と性格について論じた。
市川, 秀之 Ichikawa, Hideyuki
肥後和男は『近江に於ける宮座の研究』『宮座の研究』の二書において宮座研究の基礎を築いた人物として知られる。同時に水戸学や古代史・古代神話などの研究者でもあり、肥後の宮座論はその研究全体のなかで位置づける必要があるが、これまでそのような視点から肥後の宮座論を評価した研究はない。肥後が宮座論を開始したのは、宮座の儀礼のなかに古代神話に通じるものを感じたからであり、昭和一〇年前後に大規模な宮座研究を開始したのちも肥後のそのような関心は衰えることはなかった。肥後の宮座に対する定義は数年におよぶ調査のなかで揺れ動いていく。調査には学生を動員したため彼らに宮座とはなにかを理解させる必要があったし、また被調査者である神官や地方役人にとっても宮座はいまだ未知の言葉であったため、その明確化が求められたのである。肥後の宮座論の最大の特徴は、村落のすべての家が加入するいわゆる村座を宮座の範疇に含めたことにあるが、この点が宮座の概念をあいまいにする一方で、いわば宮座イコールムラ、あるいは宮座はムラを象徴する存在とされるなど、後の研究にも大きな影響を与えてきた。現在の宮座研究もなおその桎梏から逃れているとは言い難い。肥後が宮座研究に熱中した昭和一〇年前後は、彼が幼少期から親しんできた水戸学に由来する祭政一致がその時代を主導する政治的イデオロギーとしてもてはやされており、神話研究において官憲の圧力を受けていた肥後の宮座論もやはりその制約のなかにあった。すなわち祭政一致の国家を下支える存在としての村落の組織としての宮座は、全戸参加すべきものであり、それゆえ村座は宮座の範疇に含まれなければならなかったのである。肥後の宮座研究は昭和一〇年代という時代のなかで生産されたものであり、時代の制約を受けたものとして読まれなければならない。宮座の定義についてもそのような視点で再検討が是非必要であろう。
成田, 龍一
戦後における日本文化の歴史的な研究のいくつかの局面に着目し、その推移を考察する。まずは、1980年代以降の特徴として、A「文化」に力点を置くものと、B「歴史」に比重を多く日本文化研究の二つが併存していることを入り口とする。Aは「日本文化論」、Bは「日本文化史」として提供されてきた。
山中, 光一 YAMANAKA, Mitsuichi
「明治期における文学基盤の変化の指標について」(国文学研究資料館紀要第6号,1980年)に続いて,20世紀前半における文学に影響する社会的「場」の変化を論ずるものである。
吉満, 昭宏
関連論理とは、演鐸的関連性を持った論理のことだが、その諸体系(付録1を参照)の中にDWという割と弱いものがある。本論文では、「関連論理全体にEる包括的な応用意味論」という観点からして、DWが特異な位置を占めていることを論じる。また付録2では、DWのタブローを見ることで、その特異性を再確認する。
酒井, 直樹
アジア太平洋戦争後の東アジアで、日本はアジアの近代化の寵児とみなされ、アジアで唯一の先進国と呼ばれてきた。冷戦秩序下のパックス・アメリカーナ(アメリカの支配下の平和の意味)で日本は、東アジアにおけるアメリカ合州国の反共政策の中枢の役割を担い、「下請けの帝国」の地位を与えられ、経済的・政治的な特別待遇を享受してきた。日本研究は、この状況下で、欧米研究者による地域研究と日本人研究者の日本文学・日本史の間の共犯構造の下で、育成されてきたと言ってよい。「失われた二十年」の後、地域研究としての日本研究も日本文化論としての日本研究も根本的な変身を迫られている。それは、東アジアの研究者の眼差しを無視した日本研究が最早成り立つことができないからで、これまでの日本文化論に典型的にみられる欧米と日本の間の文明論的な転移構造にもとづく日本研究を維持することができなくなってきたからである。これからの日本研究には、合州国と日本の植民地意識を同時に俎上にあげるような理論的な視点が重要になってきている。
田村, 公子 Tamura, Kimiko
本稿では,宮沢賢治が「法華経」に帰依するきっかけとなったものは,島地大等著『漢和對照妙法蓮華經』であることを主張する。具体的には,以下のことを指摘する。(1)大等の「大乗起信論」講義と『漢和對照妙法蓮華經』の解説が,賢治を「法華経」に開眼させた。(2~6節)(2)『漢和對照妙法蓮華經』の解説中の日蓮への言及が,賢治に日蓮への関心を抱かしめた。(8節)(3)その結果,「浄土門」への懐疑が生じ,日蓮の「唱題」を選ぶようになった。(7節)(4)大等と賢治の「大乗起信論」の理解の仕方に相違がある。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shinichiro
本稿は,考古学的事実を使って較正曲線上に土器型式をおとしていく方法について論じたものである。対象とした時期は九州の縄文晩期:天城式・入佐式から弥生中期初頭:城ノ越式までの約800年間である。
寺内, 隆夫 Terauchi, Takao
本稿は,北関東地域の縄文時代中期中葉土器の生産と流通を考えるにあたり,西側に隣接する長野県・千曲川流域の資料を軸とし,型式論による土器の比較検討を試みたものである。
井原, 今朝男 Ihara, Kesao
本稿は、これまで開発領主による荒野開発として論じられてきた中世開発史の諸問題を、税制史の視点から再検討し、災害と開発が日常化した中世社会において、荒廃した耕地の土地利用をどのように再生させ、徴税しながら課税対象地を拡大し、農業生産を復興させていったのか土地利用再生システムの問題として再検討したものである。
廖, 育群
脚気はかつて日本人の風土病であり、江戸時代において、「脚気」を論ずる著作が多く現われた。従来の歴史研究はこの「脚気」を現代医学でいうベリベリと見なし、その原因も日本人の食生活――つまり米を主食とするダイエット――に求めてきた。
大野, 啓 Oono, Hajime
本稿はいわゆる株座的な形態を持つ口丹波に存在する南丹市園部町竹井の祭祀組織がどのような構造を有しているのかを検討し、株座的な祭祀組織の形態が何故、現在まで維持されているのかについて論じたものである。
笠谷, 和比古
本稿は、拙著『士(サムライ)の思想』において論述した日本型組織の源流と、同組織の機能特性をめぐる諸問題について、平山朝治氏から提示された再批判に対する再度の応答である。今回の論争の争点は、一、日本型組織を分析、研究するに際しての方法論上の問題。ここでは平山氏の解釈学的方法に対して実証主義歴史学の立場から、学の認識における「客観性」の性格を論じている。二、イエなる社会単位の発生の経緯とその組織的成長の特質をめぐる問題。ここではイエの擬制的拡大という、本来のイエの組織的成長の意味内容が争点をなしている。三、拙著で論述した近世の大名家(藩)なる組織と、イエモト型組織との組織原理をめぐる問題。ここでは西山松之助氏のイエモト観が取り上げられ、家元が流派の全体に対して絶大な権威をもって臨むイエモト型組織と、藩主が組織の末端の足軽・小者にいたるまで直接的支配を行う大名家(藩)の組織との、組織原理上の移動をめぐる問題が論じられる。そして付論として、日本の在地領主制と西欧の封建領主制との比較検討、特に日本の家と西欧の「全く家」との異同をめぐるやや専門的な問題を取り上げている。
春藤, 献一
本論文は「動物の保護及び管理に関する法律」(1973年成立)の下で行われた動物保護管理行政における、飼い猫の登録制度や、野良猫用の捕獲器貸出制度、駆除目的に捕獲された猫の引取りといった施策を論じたものである。
高橋, 一樹 Takahashi, Kazuki
本稿は、中世後期を中心とした材木(造営用材)の生産・流通・消費に関する先行研究の成果をふまえて、中世前期における権門寺社の造営用材調達システムの変容と、その背後にある技術の社会的配置のあり方を論じた。
小畑, 弘己 真邉, 彩 Obata, Hiroki Manabe, Aya
縄文時代に植物栽培が行われたことは,すべての人が認めるものではないが,今日的な研究成果をみれば,栽培の規模の大小や形態は別として,ほぼ揺るぎないことと思われる。今日の実証的研究の成果によると,縄文時代に栽培されていた植物は,農学や地理学で提唱された照葉樹林文化論や縄文農耕論で想定されていたような作物ではなく,我が国に起源をもつダイズやアズキなどのマメ類やヒエであった。この意味でも,縄文文化は狩猟採集だけを生業にした文化ではなく,植物栽培も取り込んだ多角的な生業戦略を行っていた文化といえる。この点では,朝鮮半島の新石器文化にも相通じる部分がある。
清水, 善仁 SHIMIZU, Yoshihito
本稿は、筆者がこれまで考察してきた大学アーカイブズ理念を実現するための方法論を、大学アーカイブズの活動戦略として検討したものである。戦略とは、理念と諸活動を結びつけるものである。この検討によって、大学アーカイブズの諸活動が整理され体系的に把握されるとともに、筆者の考える活動戦略の試論を提起することによって、大学アーカイブズの理念と活動の関係性に一定の枠組みを示すことになると考えられる。
鈴木, 博之
本稿では、中国雲南省徳欽県燕門郷拖拉行政村で話されるカムチベット語斯嘎[Sakar]方言(sDerong-nJol方言群雲嶺山脈西部下位方言群)の音声・音韻および形態統語論の簡便な記述を行う。後者については、特に格体系と動詞句周辺の接辞を中心に述べる。
鈴木, 博之
本稿では、中国雲南省維西県攀天閣郷で話されるカムチベット語嘎嘎塘・勺洛[Zhollam]方言(Sems-kyi-nyila方言群Melung下位方言群)の音声・音韻および形態統語論の簡便な記述を行う。後者については、特に格体系と動詞句周辺の接辞を中心に述べる。
廣田, 吉崇
茶の湯の歴史について、現代の流派や家元のあり方をイメージしながら過去を論じていることはないだろうか。近世中期に生まれた家元という存在は、近代における紆余曲折をへて、現在の姿に至っているのである。
小川, 佳世子
世阿弥(一三六三?~一四四三?)作の能や能楽論に連歌の影響が強いことについては、二条良基(一三二〇~八八)との関係を中心に多くの研究がなされている。しかし、世阿弥と連歌との関係は二条良基との間のみで完結しているとは思えない。
Kase, Yasuko
英語文化専攻の必修科目『異文化理解』を担当する中で、どのようにダイバーシティ教育に取り組んできたのかをレポートする。教材の選定と使用例、学生に提示したディスカッションのトピック、授業の展開方法、学生の反応を紹介し、琉球大学でダイバーシティに関する授業を提供する意義について論ずる。
永田, 大輔
本稿では、批評的な言論の中で二次創作がいかなる文脈において「消費」と呼ばれてきたのかについて議論する。なかでも大塚英志の「物語消費」とそれを引き継いだ東浩紀の「データベース消費」がどのような文脈で論じられるようになったのかを指摘する。とりわけ大塚の議論は東を経由して理解されることが多く、大塚の議論そのものが注目されることは少ない。
Delbarre, Frank
70年代において執筆されたベタン村のフランコプロヴァンス語方言を対象とした論文と20世紀の初めに執筆されたビュジェー地方のフランコプロヴァンス語(アルピタン語)方言についての様々な研究論文は主に当該諸方言の形態論について述べるものが多い。それに対し、戦前まで幅広く東フランスで話されていたフランコプロヴァンス語のシンタクスに関する研究はとても少ない。最新と言えるスティーヒによって苫かれたParlons francoprovenral (1998) でもシンタクスより形態論と語疵論の方に焦点を当て、フランス語とその他の現代のロマンス形の諸言語と比べると、フランコプロヴァンス語の特徴の一つである分詞形容詞の用法についてはほとんど何もit-いてない。この文法項旧については2o lit紀において害かれた諸論文でもデータの分析より著者の感想の方に基づいたコメントの形をとっており、納得力の足りないものになっている。本論は2015年に発行されたL'accorddu participe passe dans Jes dialectesfrancoproven~aux du Bugey (ビュジェー地方のフランコプロヴァンス語方言における過去分詞の~)に続き、Patoisdu Valromey (2001) の文苫コーパスの分析をもとに、現代ヴァルロメ方言における分詞形容詞の用法を定義することを目的とする。本論のメリットはその他の現在までのビュジェー地方のフランコプロヴァンス語の論文と比べると、例文を多く与え、ヴァルロメ一方言のコーパスの分析から作成した言語的統計の提供である。
鈴木, 康之 Suzuki, Yasuyuki
中世の消費遺跡をめぐる考古学的研究では、近年、資料の計量分析がさかんに行われ、数多くの成果が蓄積されつつある。しかしその一方で、分析結果を解釈し、過去の人間活動を復元するための方法は十分に論じられてはいない。
岩井, 茂樹
本稿は、明治末期から大正時代にかけて増加した笑った写真(本稿では「笑う写真」とした)の誕生と定着過程を明確にすることを目的としたものであり、そこで重要な役割を担った雑誌『ニコニコ』の特徴について論じたものである。
木下, 尚子
「貝文化」とは、法螺や螺鈿、貝杓子などおよそ貝殻の関与する文化の総体をいう。本稿は、日本列島の先史時代から古代を対象に、貝文化のありようを構造的に把握しようと試みた文化試論である。九州以北の本土地域とサンゴ礁の発達する琉球列島を分け、両者を比較しながら論を進めた。
川村, 清志 Kawamura, Kiyoshi
本稿は,映像メディアにおける「民俗」の表象と受容について議論し,「民俗メディア論」への視座を構築するための予備的な作業を行うことを目的としている。ここでの議論は大きく分けて4つの手順を踏むことになる。
小林, 青樹 Kobayashi, Seiji
本論は,弥生文化における青銅器文化の起源と系譜の検討を,紀元前2千年紀以降のユーラシア東部における諸文化圏のなかで検討したものである。具体的には,この形成過程のなかで,弥生青銅器における細形銅剣と細形銅矛の起源と系譜について論じた。
大滝, 靖司 OTAKI, Yasushi
本研究は,日本語における英語からの借用語で起こる促音化の辞書データを分析し,生起要因を考察する。その結果から,借用語の促音化には「語末の促音化」と「語中の促音化」の2タイプがあることを指摘する。前者は原語の語末子音を借用語でも音節末子音として保持するための現象である一方,後者は原語の音配列および重子音つづり字の影響を受けた現象であることから,借用語音韻論で扱うべき音韻論的な借用語の促音化は,語末の促音化であることを主張する。また,両者の中間的な環境における促音化パタンを細かく観察し,それらが語末の促音化が起こる「語末」の環境であるのか,あるいは,語中の促音化を引き起こす「語中」とみなされているのかを論じることで,借用語の促音化の全体像を捉える。
神園, 幸郎 Kamizono, Sachiro
自閉症の中には、発達初期に定型もしくは定型に近い発達を遂げていたものが、それまでに獲得していた言語や社会的スキルを喪失し、自閉症の症状が前景に出てくる発症パタンを示す一群がある。このタイプは自閉症全体の約三分のーを占め、従来から「折れ線型」 (knick type) や「後戻り現象」 (setback phcnomenon) などと呼ばれ、その特殊性が注目されてきた。発達初期の発話喪失や社会的な興味、関心の喪失を中心とするこの退行現象は、現在では「自閉的退行」 (autistic regression) と呼ばれている。自閉的退行は自閉症の病因論や発症メカニズム、類型化、短期もしくは長期予後、処遇など様々な論点をめぐって議論されてきた。本論文は自閉的退行に関する研究の経緯と現在における到達点を概観し、今後の研究の方向性を論じた。
間淵, 洋子 MABUCHI, Yoko
近代語と現代語の形態論情報付きコーパス『日本語歴史コーパス 明治大正編I 雑誌』と『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を用いて,近代と現代との漢語語彙の比較を試みた。コーパスから網羅的に漢語を抽出・調査した結果,近代と現代との漢語語彙の差異および変化について以下の実態が明らかになった。
荒川, 章二 Arakawa, Shoji
本研究は、日清戦争期・日露戦争期を通じて、地域ぐるみの戦死者公葬がいかに形成されていくのかを主題としている。地域ぐるみの戦死者葬儀の性格をどうとらえるかは、まだ通説が形成されておらず、「公葬」の定義に関しても論者毎に区々である。
山中, 章 Yamanaka, Akira
古代王権の「陵墓」と宮都の関係についての研究は限られており、わずかに岸俊男氏の論じた「藤原京」と天武・持統合葬陵、今尾文昭氏の藤原宮と四条古墳群、山田邦和氏の平安京と桓武・嵯峨・淳和天皇陵との関係がある程度である。そこで今一度、飛鳥諸京以後平安京に至るまでの王宮・宮都が「陵墓」・葬地をどのような意図の下に、いつから、どこに配置したのかについて分析した。
林, 由華
本稿では、琉球語宮古諸方言(以下池間方言とする)に含まれる池間方言の談話資料及び簡易文法を提示する。談話資料については、筆者自身が収録した談話の書起しにグロスと訳を付している。簡易文法は談話資料解釈のための補助的資料として、形態論記述および機能語のリストを中心としている。
クレインス, フレデリック
本稿では、幕末の日本に滞在したオランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトの著作『日本滞在見聞記』を取り上げ、その中の日本史に関する記述を注釈を付けて和訳した上で、典拠などと照らし合わせて分析し、ケンペル、ティチング、シーボルトの日本研究の系統を受け継いだポンペの日本史観がいかなる特殊性を有するものかについて論じた。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
慈円詠と西行詠との近似性はさまざまに論じられてきたところであるが、字余りという観点から作風の類似を指摘したのは、本居宣長であったと思われる。その説を検証し、両者の作風の相違点についても考察する。また、慈円に傾倒した一人の天台僧を取り上げ、その学芸の一端を考える。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
相田, 満
哲学用語「存在論」に由来する「オントロジ」は、情報学においては「概念間の関係の明確な定義の集まり」として、それを実装する「トピック・マップ」とともに、情報リソースから独立した上位層に位置付けられ、情報を意味的に組織化、検索、ナビゲートするための新しいパラダイムとして注目を集めている。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
本稿では,主に学校における学びの中で,批判的思考がどのように位置づきうるかを探索的に検討した。まず,批判的思考のない無批判的な学びとは,教育の無謬性という信念に基づく,ある意味で適応的な学びであることを論じ,その信念を支える信念には,権威者の特権性(その対概念としての学習者の未熟性),貼り付け型学習観,固定的知識観があることを指摘した。一方,批判的思考とは,対話的思考としての性質を持っており,そのような対話のある学びが,無批判的ではない本来の学びと考えられるが,それは「観」の転換を伴うものであることを論じた。「観」を変える第一歩としては,学習観の転換が有力候補であることを指摘し,最後に若干のまとめと補足を行った。
由谷, 裕哉
本稿は、柳田國男(1875-1962)が主に戦時下で主張していた氏神合同論(本稿での仮称)を、彼の戦時言説として考察する。ここでの氏神合同論とは、柳田が『日本の祭』(1942年)や『神道と民俗学』(1943年)をはじめ、敗戦後しばらくまで主張していた氏神に関する議論で、異姓の家が共同して一つの氏神を祀ることを意味づけようとする理論である。柳田は氏神を氏の神と考え、それらが合同した(合併した、統合された)ことを複数の理由から説明したが、合同したとされる氏神の例は参照されず、各々の理由も帰納的に導かれたものではなかった。また、柳田のテキストを具体的な民俗事象との対応を気にせずに思想として読もうとする、いわゆる柳田研究においては、柳田のこの議論はほぼ等閑視されてきた。こうした柳田研究は柳田の戦争への関わりについても、彼が積極的に戦争協力をしなかったと捉えようとしていた。
辛島, 理人
本稿は、アメリカの反共リベラル知識人と民間財団による、一九五〇・六〇年代の日本の社会科学への介入とその反応・成果に焦点をあて、戦後における日本とアメリカの文化交流を議論するものである。その事例として、経済学者・板垣與一がロックフェラー財団の支援を受けて行ったアジア、ヨーロッパ、アメリカ訪問(一九五七~五八)を取り上げる。ロックフェラー財団は、第二次対戦終了直後に日本での活動を再開し、日本の文化政治の「方向付け」を試みた。その一つが、日本の大学や学術をドイツ式の「象牙の塔」からアメリカのような政策志向の実践的なものへと転換させることであった。そのような方針を持つロックフェラー財団にとって、官庁エコノミストと協働していわゆる「近代経済学」を押し進めていた一橋大学は好ましい機関であった。板垣與一は、同財団が支援する「アングロサクソン・スカンジナビア」型の経済学を推進する研究者ではなかったが、日本の反共リベラルを支援しようとしたアメリカの近代化論者の推薦をうけて、同財団の助成金を得ることとなる。そして、一九五七~五八年に板垣は、「民族主義と経済発展」を主題としてアジア、ヨーロッパ、アメリカを巡検する。アメリカでは、近代化論者の多かったMITなどの機関ではなく、ナショナリズムへ関心を払うコーネル大学の東南アジア研究者との交流を楽しんだ。板垣は日本における近代化論の導入に大きな役割を果たすものの、必ずしもロストウら主唱者の議論に同調したわけではなかった。戦時期に学んだ植民地社会の二重性・複合性に関する議論を、戦後も展開して近代化論を批判したのである。ロックフェラー財団野援助による海外渡航後、板垣は民主社会主義者の政治文化活動に積極的に参加した。しかし、ケネディ・ジョンソン政権と近しい関係にあったアメリカの反共リベラル知識人・財団の期待に反し、反共社会民主主義が議会においても論壇においても大きな影響力を持つことはなかった。
本康, 宏史 Motoyasu, Hiroshi
本稿では、まず、「戦争と神社」をめぐる研究史で、さきの「資料報告書」(戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究)の項目をも踏まえ、近代日本の戦争研究史における、神社との関係にかかわる研究蓄積・研究動向の紹介と、その中での「営内神社」研究の現状と意味を指摘する。
金子, 克美 Kaneko, Katsumi
古墳出土鉄器の腐食生成物には主としてα-FeOOHとγ-FeOOHとが含まれる。古墳出土鉄器の保存にはFeOOH微結晶の構造と表面化学性が重要な働きをするとみられる。鉄器の腐食に関連する,SO₂,H₂OおよびSO₄²⁻,Cl⁻とFeOOH結晶との相互作用,更にFeOOH結晶の不活性化について論ずる。
道田, 泰司 Michita, Yasushi
批判的,論理的,合理的に考えることとは異なる思考について,主に文化という観点から検討された。\n検討は,主に「声の文化」との関連からなされた。最後に,声の文化的な思考と文字の文化的な思考との関連や,どのような教育的アプローチが考えられるかについて論じられた。
徐, 蘇斌
明治末期、日本では国民意識の形成と共に、日本文化への関心が高まりを見せた。日本の文化のルーツを探すため、多くの日本人研究者は朝鮮、中国、蒙古などの地域へ調査に向かった。関野貞(一八六八―一九三五)は東アジアの建築史、美術史、考古学の領域の研究において注目すべき業績を残した研究者である。彼の研究経歴はそのまま近代日本の東洋研究の縮図といえる。本稿では、関野の六〇〇余枚に上る調査帖を中心にして、一九〇六年から一九三五年にいたる前後十回にわたる中国におけるフィールドワークを考察した。さらに、論者は関野の調査活動を通して、日本研究者のナショナル・アイデンティティー、学術研究と植民地政治の関連性、植民地と文化遺産の保存などの問題を論じた。また、満州事変以前の日中における学術交流、ならびに中国に及ぼせる日本建築史学研究の影響などの問題にも言及した。
奥出, 健 OKUDE, Ken
<文学非力説>の中心的評論「文学非力説」は文学強力個性説、私小説(精神)擁護という二つの要素を内包した当時では出色の評論であるがしかし、ここにはかつて辻橋三郎が指摘したような国家権力への抵抗という側面は全くない。高見が<文学非力説>で意図したのはあくまで文壇内時流に対する抵抗で、これは時局便乗型文学論の跋巵という外的事情と、昭和十三年頃から温めてきた私小説精神による自己の文学精神の確立という内的事情とが時期的に丁度絡みあい出てきたもので、単に海外旅行帰りのヒステリーから偶発したものではない。しかし、この<文学非力説>成立の裏には昭和十二年の『文学界』解消論以後一貫して高見の胸の底を流れていた、文壇改革という文壇政治的意識があったことも見のがしてはならない。
窪田, 悠介 KUBOTA, Yusuke
国語研NPCMJコーパスは,(ゼロ代名詞や関係節空所などを含む) きめ細かな統語構造を付与したツリーバンクとして日本初のものであり,特に統語論や意味論など,今までコーパス利用があまりなされてこなかった分野でのコーパス活用を活性化させることが期待できる。一方で,木構造を検索し,そこから必要な情報を取り出す作業の (一見したところの) 複雑さのため,言語研究への活用は未だ模索段階を出ていない。本発表では,UNIX系OSでの基本スキルである単純なコマンドを数珠つなぎにしてデータを加工する手法と,ツリー検索・加工に特化されたスクリプト言語の合わせ技によって,NPCMJを用いて実際の言語研究に役立つ情報抽出が可能になることを示す。「(ガ/ノ交替の) ノ格でマークされた主語と共起する述語の頻度表を作る」というタスクを例に,コーパスからの情報抽出の具体的な手順を説明する。
海津, 一朗 Kaizu, Ichirō
従来,武家の戦功確認の手続き文書としては,対蒙古戦争を画期として成立する軍忠状が注目されてきたが,その前段階には,軍奉行や侍所による戦場実検段階に作成される合戦手負注文・合戦手負実検状が存在していた。戦場実検は,境相論や悪党訴訟など鎌倉期在地社会の私合戦において広く確認され,複合文書としての合戦手負注文もその過程ですでに成立していた。戦場実検手続きは,境相論などの私戦を訴訟ルートに載せて相手方の非拠を証明するという紛争解決の一形態であり,14世紀以後に顕在化する武家の戦功確認作法は,このような在地慣行の延長上に成立したものであった。すなわち,軍忠状の提出は,原初的には地域紛争を公戦として認定させ,軍勢による占領行為から避難することを目的とするもので,手負注文はそのための証拠文書であったと考えられる。
簡, 中昊
日本人作家大鹿卓は、その出世作である短編小説『野蛮人』において、植民地時代の台湾原住民を題材に、いわゆる「野蛮性」を描写することによって独自の原住民像を作り、それに憧れる主人公を描いた。具体的には原住民女性の原動と旧習としての「馘首」の背後にある社会の仕組みを取り上げ、原住民の「野蛮」の精神を知らせた。「野蛮」を賛美することによって、日本を優位に置き台湾を劣位に据えるという当時の社会通念ないし「野蛮/文明」の二元対立の図式を反転させようとした。小論はテキスト分析を通して「野蛮」の意味を分析し、植民地期の台湾文学における原住民と漢族の女性像を比較して、大鹿の創作意図を検討する。大鹿の「蕃婦」像は、「野蛮/文明」という二元対立論とは異なり、福沢諭吉の文明論や一九三〇年代に流行したドイツの文化論の影響も見られない。作中では、「野蛮」の相対概念としての「文明」「文化」には言及されない。おそらく大鹿は最初から二元対立的な構造に陥ることを避け、植民地統治の現場の深層を探求するために書いたのではないかと考えられる。大鹿の創作の主眼は、近代日本が植民地台湾で作った優劣順位を覆すことにあっただろうが、台湾原住民の旧習であった馘首などがすでに帝国の視野に入っていたため、当時、彼の意図は結局理解されなかった。しかし、彼の試みは当時の植民地文学においては先鋭的なものであった。以上のように、小論は、大鹿の作品の歴史的意味を明らかにすることを目的とする。
山中, 光一 YAMANAKA, MITSUICHI
「明治期における文学基盤の変化の指標について」(国文学研究資料館紀要6号,1980年)および「20世紀前半における文学基盤の変化の指標について」(同上8号,1982年)に続いて,20世紀後半における,文学に影響を与える社会的「場」の変化を論ずるものである。
上原, 真人 Uehara, Mahito
額田寺では伽藍中枢に発掘のメスが及んでいないために,古代の堂塔にともなう瓦の実体は,ほとんどわかっていない。そのため,偶然採集された瓦など2次資料を主な材料に,額田寺の歴史と性格を検討せざるを得ない。検討に際しての方法論的な原則なども,あわせて言及した。
塩月, 亮子 Shiotsuki, Ryoko
本稿では,従来の静態的社会人類学とは異なる,動態的な観点から災因論を研究することが重要であるという立場から,沖縄における災因論の歴史的変遷を明らかにすることを試みた。その結果,沖縄においてユタ(シャーマン)の唱える災因は,近年,生霊や死霊から祖先霊へと次第に変化・収束していることが明らかとなった。その要因のひとつには,近代的「個(自己)」の確立との関連性があげられる。すなわち,災因は,死霊や生霊という自己とは関係のない外在的要因から,徐々に自己と関連する内在的要因に集約されていきつつあるのである。それは,いわゆる「新・新宗教」が,病気や不幸の原因を自己の責任に還元することと類似しており,沖縄だけに限られないグローバルな動きとみなすことができる。だが,完全に自己の行為に災因を還元するのではなく,自分とは繋がってはいるが,やはり先祖という他者の知らせ(あるいは崇り)のせいとする災因論が人々の支持を得るのは,人々がかつての琉球王朝時代における士族のイデオロギーを取り入れ,シジ(系譜)の正統性を自らのアイデンティティの拠り所として探求し始めたことと関連する。このような「系譜によるアイデンティティ確立」への指向性は,例えば女性が始祖であるなど,系譜が士族のイデオロギーに反していていれば不幸になるという観念を生じさせることとなった。
Kyan, Seiki 喜屋武, 盛基
いわゆる万能デイジタル計算機(general purpose digital computer)は文字通り万能でありあらゆる種類の演算から言語の翻訳などに至るまで適当なプログラミングにより行なうことができる。しかしこの型の計算機はある種の計算にはまったく不向きで,その驚くべき早さの演算能力をもってしても相当長い時間を必要とすることが知られている。整数論の二次不定方程式やその他の平方剰余の問題を解くのに使はれる連立合同式の解法がその一つである。この種の計算を万能計算機に行なわせるには経済的に不可能なことなので,この計算だけを行なわせる特殊目的のデジタル計算機の開発が数年前から試みられている。この論文では“数ふるい”と称する連立合同式を解くことのみを目的とする電子計算機の論理設計と回路試作について論じている。この計算機の記憶装置(メモリ)としてはLC遅延線路を主体として20.5μsの長さの遅延線路に21ビットのパルスをたくわえまた1ビットの記憶にはフリップフロップを用いて行なった。演算をコントロールする主要部分である計数回路には遅延線路を用いた特殊な設計のビート計数回路を用いて信頼度を高めることができた。このため高価な電子管式計数器の使用をはぶくことができた。試作機の全記憶容量は240ビットである。この容量の範囲で可能な種々の連立合同式の計算を行なわせて正しい結果を得ることができた。最後に誤動作自動検出装置について論じ,その論理設計も行なった。
長谷川, 裕 Hasegawa, Yutaka
本稿の課題は、中内敏夫の教育理論が「能力主義」をどう捉えそれとどう向き合おうとしてきたのかを検討することである。中内は、能力主義は、教育領域にそれが浸透すると、教育による人間の発達の可能性の追求を断ち切ってしまうものとして捉えこれを批判し、一定水準の能力獲得をすべての者に確実に保障するための教育の実践と制度の構築をこれに対置して提起した。1990年頃中内は、近代になり〈教育〉という特殊な「人づくり」の様式が誕生・普及したが、そこには能力主義的・競争的性格が根源的に抜き難く刻み込まれているという論を押し出すようになるが、しかしその後も、上記のようないわば〈教育〉の徹底による能力主義への対峙という主張を基本的に変えていない。すなわち、〈教育〉は能力主義社会・競争社会に生きる人間の自立を助成する営みであらざるを得ないとの前提に立ち、その上で、「義務教育」としての「普通教育」においては、その社会を渡っていけるだけの「最低必要量」の能力獲得の保障を徹底させる、そのことが可能になるように〈教育〉の効力を向上させる―これが中内の能力主義に向き合う際の基本的スタンスである。本稿はこのように論じた上で最後に、中内の教育論とビースタのそれとを比較対照し、それを踏まえて〈教育〉がどのように能力主義と対峙すべきかについての筆者自身の見解を述べた。
根津, 朝彦 Nezu, Tomohiko
荒瀬豊(1930年生まれ)の思想をジャーナリズム概念とジャーナリズム史の観点から考察する。そこにはジャーナリズム・ジャーナリズム史を研究する意味はどこにあるのかという問いが含まれる。本研究は,初めてジャーナリズム史研究者である荒瀬豊の思想に焦点をあてたものである。具体的には荒瀬の思想形成,ジャーナリズム論,ジャーナリズム批判を通して検討する。
小峯, 和明 KOMINE, Kazuaki
宇治拾遺物語と<猿楽>論の延長として、<もどき>の面から話型・伝承・語戯・構成等々、多角的に考察。「隣の爺型」の変奏や「ひっくりかえるもの」という、権威や常識をくつがえす表現のイメージや構造に着目、<もどき>文芸や芸能の季節たる中世への定位をめざし、説話集の多くが<実語>指向をもちつつ、説話の<妄語>性にからめとられ、分極していくのに反し、<実語>指向そのものを相対化し、ずらしていく独特の位相をとらえてみた。
王, 慧雋 WANG, Huijun
(サ)セル表現に「強制」や「許容」といった用法があることはよく知られている。一方,「強制」や「許容」の用法が現実の言語使用においてどのような原理に基づいて用いられており,どのような機能を持つのかといった語用論的特徴はまだ明らかにされていない。
尾野, 善裕 Ono, Yoshihiro
平安時代の国産緑釉陶器をめぐる過去の研究では、考古資料に対する歴史的評価や、文献資料の解釈が論者によって大きく異なっている。それにもかかわらず、緑釉陶器が多く出土する遺跡は、官衙かそれに準ずるような〈公的施設〉である、となぜか漠然と信じられているように見受けられる。
鈴木, 映里子 Suzuki, Eriko
本稿は原典史料の検討を中心とした史料論的考察である。千葉県東総地域を舞台に活動した農村指導者大原幽学、彼に関する研究はその多くが『幽学全書』『幽学全集』に依拠してなされてきた。しかしまたそのことが要因として事件発生時期の事実誤認や、読み違いがあることも指摘されてきている。
大門, 哲 Daimon, Satoru
民俗学における稲作特化保障論の近年の関心は,内部資源の多面的利用,いいかえれば家の個別生計状況に集中しているが,いうまでもなく,家をとりまく政治力学を看過することはできない。今回とくに注目したいのは,民俗学で旧来等閑視されてきた耕地整理事業の意義である。
小椋, 秀樹 山口, 昌也 西川, 賢哉 石塚, 京子 木村, 睦子
『日本語話し言葉コーパス』では,形態論的な単位として,品詞の分布などの計量研究によって資料の特徴を明らかにするための長単位と,用例を採集し,話し言葉の語彙・語法の研究を行うための短単位の2種類の単位を採用した。本稿では,この2種類の単位の設計方針及び認定基準の概略について述べることとする。
竹村, 民郎
近代日本の国家形成および経済構造の問題を考えようとするものにとって、日清戦争を契機とする海洋帝国構想の解明がいかに重要であるかは言うまでもないだろう。十九世紀中葉における環太平洋経済圏においては、アメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、日本等が同地域の覇権をめぐって、それぞれ帝国間の争いを展開していた。確かに日清戦争の勝利は日本帝国の環太平洋経済圏における地位と役割を増大させた。そしてこのことは本論文で触れようとする海洋帝国構想の多様な展開を飛躍的におし進めていった。一八九五年に創刊された日本の代表的総合雑誌『太陽』に現れた海洋国家論、南進論、植民論、そして経済改革と結びついた貿易立国論等を分析するならば、海洋帝国に関する多様な構想がそのまま日本帝国の環太平洋経済圏における政治、経済、軍事戦略の方向の決定に連なるという重大な事実が浮かび上がってくるのである。
小川, 剛生 OGAWA, Takeo
南北朝時代の文芸・学問に、四書の一つである『孟子』が与えた影響について探った。『孟子』受容史は他の経書に比し著しく浅かったため、鎌倉時代後期にはなお刺激に満ちた警世の書として受け止められていたが、この時代、次第にその内容への理解が進み、経書としての地位を安定させるに至った。この時代を代表する文化人、二条良基の著作は、そうした風潮を形成し体現していたように見える。良基の連歌論には『孟子』の引用がかなりあり、これを子細に分析することで、良基の『孟子』傾倒が、宋儒の示した尊孟の姿勢にほぼ沿うものであったことを推定し、もって良基の文学論に与えた経学の影響を明らかにした。ついで四辻善成の『河海抄』から、良基の周辺もまた尊孟の潮流に敏感に反応していたことを確認し、『孟子』受容から窺える、この時代の古典学の性質についても考察した。
小木曽, 智信 岡, 照晃 中村, 壮範 八木, 豊 NAKAMURA, Takenori YAGI, Yutaka
日本語史研究の基礎資料は,残された文献に見られる用例である。用例の原文は今日一般に用いられる表記とは大幅に異なる形である場合が少なくない。例えば,『万葉集』は万葉仮名で,キリシタン資料は当時のポルトガル語のローマ字で表記されている。こうした資料をコーパスとして形態論情報を付与し,現代人に読みやすいものとするためには,原文を校訂して漢字平仮名交じりにした読み下し本文を用意する必要がある。一方で,読み下し本文では失われてしまう情報も少なくないため,用例には原文を併せて表示することが求められる。『日本語歴史コーパス』では従来,原文情報を保持しつつ必要な修正を行った上で形態論情報を付与して公開してきたが,原文情報の提供は限定的だった。今回新たに,コーパス検索アプリケーション「中納言」上で,原文の前後文脈付きで検索結果を表示できる機能を実装した。本発表ではこの原文KWIC表示機能について述べる。
滕, 越 TENG, Yue
異文化間の「断り」に関しては,中間言語語用論などの分野で,「言語や社会的規範の違いにより衝突が起きやすい」と論じられることが多い。本研究では,個人差に焦点を当て,評価 の視点から研究を進めた。『BTSJコーパス』から5つの「友人の依頼への断り」の音声データを選択し,日本語母語話者3名と中国人日本語話者3名に,断られる側の視点に立って,5つの音声の好ましさをプロトコル分析とインタビューを通して評価してもらった。その結果,録音ごとに評価が比較的一致しているものとばらけているものがあり,特に評価のばらつきが大きかった2つの録音は,評価者の「友人への断り」における基本的態度が,「合理性・効率性重視」か,「心情・気遣い重視」かで評価が分かれていた。また,今回のデータからは,評価のばらつきと評価者の母語との関連性は見いだせなかった。
那須, 一雄
南都で、三論・密教・法相等に造詣を深めた明遍(1142~1224)は、法然(1133~1212)が説く専修念仏の教えに救済の道を見出したと言われる。各種法然伝や、法然の流れを汲む諸師の著作等に示された明遍の行実や学説からは、明遍が、法然教学に依りつつ、自己の浄土教的立場を形成していたことがわかる。
安室, 知 Yasumuro, Satoru
昭和30年代,農業の工業論理化とともに,水田漁撈は日本から姿を消した。ところが,1990年代にはいるころから各地で水田漁撈が復活してきている。本稿では,そうした水田漁撈の復活に注目して,自然をめぐる民俗技術の文化資源化とその課題について論じている。それにより明らかとなったことは,以下の通りである。
コムリー, バーナード Comrie, Bernard
言語類型論は日本語等の個別言語を通言語的変異に照らして位置づけるための1つの方法を提供してくれる。本論では個々の特徴の生起頻度と複数の特徴の相関関係の強さの両方を検証するために,WALS(『言語構造の世界地図』)を研究手段に用いて言語間変動の問題を考察する。日本語と英語は言語類型論的に非常に異なるものの,通言語的変異を総合的に見ると,どちらの言語も同じ程度に典型的であることが明らかになる。また,日本語が一貫して主要部後続型の語順を取ることは,異なる構成素の語順に見られる強い普遍的相関性の反映であるというよりむしろ,日本語の偶発的な性質であると主張できる。最後に,WALSの守備範囲を超えた現象として,多様な意味関係を一様に表す日本語の名詞修飾構造,および類例がないほど豊かな日本語授与動詞の体系に触れ,それらを世界の他の言語との関係で位置づけることで本稿を締めくくる。
三上, 喜孝 Mikami, Yoshitaka
本稿は、八世紀末から九世紀初頭を律令国家の転換期であるとする本共同研究の立場から、光仁・桓武朝期における国土意識の転換について論ずることを目的とする。ここでいう「国土意識」とは、国土の境界意識、空間認識、山野支配や田地支配の理念、王土思想といった、国土にかかわる意識全般を意味する。むろん、国土意識は、特定の時期にのみあらわれるものではないが、古代日本における国土意識の変化の画期を考える上で、光仁・桓武朝期を検討することは意味があることと考える。
赤嶺, 政信 Akamine, Masanobu
沖縄の祭祀とシャーマニズムをめぐる問題については、拙稿「ノロとユタ」(『講座日本の民俗学七』雄山閣、一九九七)でも論じたが、本稿は前稿での議論を踏まえ、その後の知見も加味しながら、沖縄の祭祀とシャーマニズムに関して改めて資料の整理と若干の考察を試みたものである。対象となる資料は、宮古の事例が中心となる。
並木, 誠士 Namiki, Seiji
本稿の目的は,まず,「食」の多様な在り方がわが国の絵画,特に絵巻物の中でいかに描かれてきたのかを概観することである。そして,食風俗の絵画化の歴史の中で,室町時代の前半の《慕帰絵詞》と後半の《酒飯論絵巻》とを二つの転換点にある作品として位置付けることが本稿の第二の目的である。
鈴木, 貞美
日本文学、特に近・現代小説の特殊性をめぐる議論について、曽根博義氏の「昭和文学史Ⅱ 戦前・戦中の文学 第二章小説の方法」(小学館版『昭和文学全集』別巻)を取り上げて検討する。曽根博義氏は、昭和十年を前後する時期における小説の方法的追究のうち、横光利一の「四人称」の提唱と、太宰治や石川淳の前衛的な一人称の試みを、「主格が曖昧な日本人の自意識」と「超越的主体を持たない日本語の話法」と関係づけて論じている。ここにあるのは、当代の表現意識及び自意識の問題についての歴史性の閑却と、ア・プリオリに想定された「日本人の自意識」及び「日本語の話法」への還元主義である。その背後には、西欧の「近代的自我」と「客観的レアリスム」を基準として文芸を価値判断する”近代主義”があり、さらにその根本には、発展段階論的な一国文学史観に基づいて第二次大戦後に形成された”近代化主義”がある。
星野, 靖子 Hoshino, Yasuko
本稿では、Twitterにみられる一種の慣用表現「名前をつけたい」のコミュニケーション論的特徴を明らかにすることを目的とする。従来は「子供には季節を感じる名前をつけたい」「ファイルに別の名前をつけたい」等の人やモノを対象とする命名表現だが、Twitterでは「試験前に部屋を片付けたくなる現象に名前をつけたい」などの個人的な出来事や感情を述べる特徴がみられ、抽象的な名詞とは対照的に名詞修飾節の内容が個別具体的である点から、「名前」から想起される一般性の高さに反して認知意味論的なミスマッチが生じている。そこで、Twitterの用例を収集・分類し、国語研現代日本語書き言葉均衡コーパスの用例を比較した結果、①当該表現は2007年以来Twitterで頻出し、その大半は命名を意図しないこと、②後続の抽象名詞に通時的変化がみられ、共起語「現象」とあわせて慣用表現化していることが明らかになり、③「名前をつけたい人生だった」等のメディア特有の変異形が確認された。
荒川, 章二 Arakawa, Shoji
1968~69年における日本大学学生運動は,全国学生総数が約100万人と言われたこの時代に,学内学生3万人の参加という空前絶後の対理事会大衆団交を実現し,東京大学全共闘運動とともに当該時期の全共闘型学生運動の双璧に位置付けられている。本稿は,日大全共闘運動の組織論・運動論の特質を考察した拙稿「「1968年」大学闘争が問うたもの―日大闘争の事例に即して」の続編であり,日大闘争の展開過程を基本的な事実,諸資料から確定するという課題を継続している。前稿は,日大全共闘が,大衆団交という場において勝利できる展望を有していた時期までを対象とした。本稿では1968年9月30日「9.30 団交」への過程を再検討したうえで,日大闘争の戦術を象徴する各学部・各校舎のバリケードが一斉に解除・強制撤去される69年2月~3月までの基本的な経緯を示しながら,日大全共闘の組織と運動の時期的変化を検討する。
辻, 誠一郎 Tsuji, Seiichiro
歴博国際シンポジウム「過去1万年間の陸域環境の変遷と自然災害史」は,文部省が推進するCOE中核的研究機関支援プログラムの一つである国際シンポジウムとして,1997(平成9)年11月25日~11月28日の4日間,国立歴史民俗博物館において開催された。このシンポジウムは,環境変動に深くかかわり,また生態系をかたちづくるさまざまな構成要素に見られる個別の現象を,乾燥から湿潤地域へと地域ごとに総合的に捉え直し,かつ地域を縦断的・広域的に捉え直すことで,個別の現象の環境変動史における位置づけをはかり,より広域的・総合的視点と新しい研究方法を育むとともに,これからの国際的視野に立った研究の推進,たとえば国際共同研究・調査のありかたや具体的な推進方法を模索することを目的とした。このシンポジウムでは,方法論についてはできるだけ地球規模で検討することにし,日本を含む湿潤地帯から乾燥地帯にかけての縦断的・広域的な現象論については,中国から日本を中心にした東アジアを取り上げた。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
1992年以降において、思考力・判断力、関心・意欲・態度を重視しこれを学力の核と位置づける「新学力観」が全面的に展開され、教育現場のなかに下ろされてきている。さらに学校週5日制が月一回導入され、学校のカリキュラム編成が変わらざるを得なくなった。また「子どもの権利条約」が推准され、「子どもの権利条約」を視野にいれて、「授業と学習集団」の指導を考えなければならなくなった。こうした状況のもとで、「授業と学習集団」の研究と指導は新しい局面を迎えている。本論文では、1992年から94年までの「授業と学習集団」研究の動向として、教科内容と学習集団の関連のとらえ直し、吉本均の「授業と学習集団」論の再評価と展開、相互主体的・共同探求的授業と学習集団、現代的・地球的課題にとりくみ地域にとびだす自主的学習活動と学習集団、学習・参加・自治と学習集団、「授業と学習集団」への身体論的アプローチについて述べた。
関口, 由彦 Sekiguchi, Yoshihiko
本論文は,「本来の」居住地からの「移動」を経た,首都圏に居住するアイヌ民族の文化伝承活動の特性を考察することで,物理的移動を超える「移動性」(〈移ろい動く〉もの)について明らかにしていく。〈移ろい動く〉ものへの注目は,「定住」/「移動」の二元論の超克とともに,他者と共に生活する場を切り拓く。
スタインバーグ, マーク エルネスト・ディ・アルバン, エドモン 須川, 亜紀子 松井, 広志 エルナンデス・エルナンデス, アルバロ・ダビド
現代日本の大衆文化の一種であるアニメやマンガが益々注目を集める中、同人誌やコスプレなどのように、このメディア文化を中心にして行われる活動にも注目が集まっている。アニメやマンガといったメディア表現とファン文化を考える際、「商品と消費者」という単純な構造を超え、メディアの性質とその発展、メディア表現の特徴や我々がどのようにメディアと付き合うのかを、考える必要がある。この公開ワークショップにおいては、最先端のメディア論を踏まえ、3名の講師から現代日本の大衆文化におけるメディア表現とメディア使用の接点について学ぶ。
Miyahira, Katsuyuki 宮平, 勝行
普遍的な発話行為のひとつとして唱えられた依頼行為(directive)については、多くの言語共同体における比較談話研究から、その表現上の多様性が明らかにされてきた。言語共同体に特有な依頼行為から推察される、文化的に規定された自己、対人関係、そして権力構造などについても多くの論考が存在する。異文化コミュニケーションにおいては、このような文化的特色を持つ総体が複数存在することから、談話を通して依頼行為の表現と意味の違いに関する相互調整が必要となる。そこで本稿では、従来の比較談話研究の結果を考察することによって、異文化コミュニケーションにおける依頼行為の研究の理論的立脚点をまとめてみた。考察の結果は四つの論点にまとめられる。(1)異文化コミュニケーションの研究では、発話者と聞き手の能力や態度、権利、義務などに関する語用論上の条件を当然のものとして受け止めず、意識的に分析することによってまず依頼に関する異文化間の類似点と相違点が明らかになる。(2)依頼行為の最も基本的な誤用論的特徴はその直接性と間接性にある。(3)依頼表現を直接-間接という連続体の上で捉えることによって、顕著な依頼表現の特徴を見出すことができる。このようにして明らかにされた依頼表現の誤用論的特徴は、背景にある文化特有の意味を発見し、それを的確に解釈する手がかりとなる。(4)異文化コミュニケーションで必要な依頼行為の相互調整の方法とそこから推察できる自己や対人関係の文化的な解釈には、直接-間接という連続体での駆け引きを考察することがひとつの有効な方法である。
西槇, 偉
民国期の中国において豊子愷(一八九八―一九七五)は、西洋美術の紹介者として活躍し、また文学者、画家としても知られる。今まで、その絵画作品と竹久夢二(一八八四―一九三四)との関連が様々な見地から論じられてきたが、西洋美術の影響にはほとんど言及されていなかった。本論は豊子愷作品におけるゴッホの影響を明らかにしようとするものである。
荒船, 俊太郎 ARAFUNE, Shuntaro
本稿は、早大教授であった故深谷博治氏が所蔵していた史料群の整理作業における中間報告である。第一の課題は、その史料群構造と現在の保存環境に至るまでの来歴を明らかにすることである。第二は、更に一歩進めて記録史料学の立場より、研究が立ち遅れている「近代私文書論」の確立へ向け、ケーススタディーとして若干の提言を行おうとするものである。
浅井, 玲子 Asai, Reiko
1)教員養成課程の大学生80人の高等学校における家庭に関する科目の履修内容と学習方法すべてについて明らかにした。「食生活について」「衣生活について」は9割,「家族と家庭生活」「乳幼児の保育と親の役割」は8割,「住生活」については7割,「家庭経営・消費生活」6割を超える学生が学んでいた。しかし「ホームプロジェクト」「学校家庭クラブ」については3割にも満たない履修であった。\n学習方法は,衣生活と食生活を除けば講義形式がほとんどであり,問題解決学習の経験者は,延べ人数でも1割にも達していない。\n2)教員養成課程家政教育の専門科目「生活環境論」に問題解決の手法を取り入れ,互いに学びあう場として発表,メタ認知ツールとして認知地図を書かせた。予想以上の認知的広がりが見られた。\n認知地図を書くことによって,「物事の関連性に気づいた」「頭の中が整理できた」「振り返り再考できた」「楽しかった。今後活用したい」などの評価があった。認知地図作成は,良い方法として,受け入れられた。\n3)問題解決学習についての評価は,自由記述の文章を分析すると,約72%が「楽しかった」「充実していた」「実感できた」等と記述し,約78%が「自分の学習過程で学んだ」「他の人の発表から多くを学んだ」と答え,約56%は「授業に取り入れたい」「意欲が湧いた」と記述している。「授業に取り入れたいかどうか」を問うての記述ではないので,過半数は大きな成果と捉えたい。\n4)「生活環境論」受講前後の学生の行動は,①ごみに関すること②リサイクルに関すること③省資源,省エネルギーに関すること④水質保全に関すること⑤有害物質に関することのすべての面でポジティブな変化が見られた。\nこれらの事より,家庭科教員養成課程において「生活環境論」を問題解決学習で学ばせ,お互いに発表,意見交換しあい,認知地図によって自分の学びを確認することは,情意面,知識面,意欲面更には行動変化の面でも有効であった。\n上記のことより家庭科教員養成課程において「生活環境論」を問題解決学習の手法で学ばせ,認知地図を書かせ,メタ認知を促することは,有効な方法であり,問題解決学習の良さを学ばせる事ができる方法であると考えることができた。
横山, 輝樹
本研究は、八代将軍徳川吉宗が幕臣に対して実施した武芸奨励策の中で、これまでほとんど論じられなかった惣領番入制度について分析するものである。従来の研究で論じられた吉宗の武芸奨励とは、弓馬上覧や古式射礼の復興、海外馬術の研究、狩猟の復活等である。士風刷新という目的のため広範な奨励が実施されたことは分かるが、それは吉宗の個人的な嗜好に負うものであって、吉宗の引退後であっても受け継がれるものであるとは言えない。また、武芸奨励自体は吉宗の将軍就任以前からも実施されていた。むろん吉宗期のそれには及ぶべくもない規模であるものの、少なくとも幕臣が武芸に励むことを幕府は期待し続けているのである。即ち、現在の研究水準では、吉宗の武芸奨励とは「前時代までと比して奨励の度合いが強かった」という評価に留まらざるを得ないのである。惣領番入制度の分析は、こうした現状に一石を投じることになろう。
徳田, 和夫 TOKUDA, Kazuo
室町期物語の判官物「天狗の内裏」中の大日如来が語る未来記に照射し、義経伝説の生成・流布の諸相と、諸本の特性とを、他関連諸作品と比較し論じたものである。まず、第一に、未来を語るという趣向についてを中世的文藝の一面と捉え、その文藝的意味を論じ、第二に、未来記中に網羅された義経伝説と、それらの伝説を素材とした各物語との関連を見、第三に、「天狗の内裏」の諸本の該当記述を引用比較し、その差異から、各本の性質と伝説の古態的様相を追ってみた。この作業は、「天狗の内裏」の成立の考察に通じていくものである。結果、未来記中の諸伝説は、古本系統の語り口から推察されるように、単に既成文献からの抜書引用であるとは断じがたく、多くは独自に語られていたものであり、その集成であったと考えられる。そして、そうした伝説の原初的形態からも、各関連諸作品の成立も類推せしめるのであった。
加藤, 美紀 KATO, Miki
本研究は,日本語の数詞(特に基数詞)における文法的用法について論じたものである。結果としては,これまでにも指摘されている副詞的用法に関する新たな解釈と,従来の研究では論じられてこなかった用法を提示できた。具体的にいうと,前者については,確かに従来述べられているように,数詞が連用することは特色の一つとなっているが,さらに重要なことは,その数詞が,先行する名詞と組み合わさっているという点である。後者については,主に二つの用法を指摘できる。一つは,「子供が三人で遊んでいる」のような文における数詞についてである。この構文において,数詞は必ず主語(主体)のかずを示し,同時にその主語のあらわすものがグループであることを示す機能がある。もう一つは,「二人は黙って歩きつづけました」のような文における数詞である。これは,数詞の三人称代名詞的用法として提示した。
Goya, Hideki 呉屋, 英樹
語彙知識は外国語学習の中でも特に必要不可欠な知識の一つであり、近年その効果的な学習方法や教授方法が盛んに研究されている。本論文は、母語や第二言語習得論の様々な理論的枠組みを検討し、「外国語教師が語彙を効果的に教える為には、何をどのように教えるべきか?」という問いへの提言を行った。本調査で対象とした理論的枠組みは、主に語彙知識、母語の影響を示す意味転移、Word-sense に焦点を当てた意味的知識の処理、そして第2言語習論の内、近年多くの研究者の注目を集めているコネクショニズムの4つであった。調査の結果、外国語学習者の母語話者程度の語彙知識獲得の困難さの理論的な説明と、その説明を元に外国語教師が実際に教室で意識すべき事項や具体的指導方法が、これまでの指導方法と相互補完的に示唆された。また現行の理論的枠組みの限界が示され、学習者コーパスを利用しての学習者の語彙知識の学習研究分野への新たな手法の可能性が示された。
江戸, 英雄 EDO, Hideo
『うつほ物語』は俊蔭の波斯国漂流、異郷訪問譚で始まる。異郷への想像力が琴の物語の根底に働いていることは疑えない。本稿は、折口信夫の異郷論から出発した。琴の伝授と恩愛の惑いが物語のなかで繰り返される主題であり、未生の犬宮物語を前にした緊張のもとでもまた、恩愛の惑いを生む異郷が秘琴波斯風の音の起源たりえていることを明らかにした。
金子, 英和 KANEKO, Eiwa
賀茂季鷹は江戸中後期の蔵書家・文化人である。現在、京都市歴史資料館には、季鷹の蔵書を核とする賀茂季鷹関係典籍類(個人蔵)が寄託保管されている。本稿は、同資料群に収められている藤原定家『御室五十首』草稿の一伝本である『定家卿五十首詠草』(以下、京歴本)に注目し、諸本と季鷹の書写活動について論じたものである。
久須美, 雅昭 Kusumi, Masaaki
研究資料のデジタル化は,とりわけ人文系研究の領域において,新たな方法論の開拓や,これまでにない共同研究スタイルの確立などにつながる大きな可能性を秘めている。その反面,デジタル資料への依存は原本の喪失という危険な側面も併せ持っている。デジタルであることはすなわち,デジタルを解読するハードウェア,ソフトウェアに依存することであり,このようなハード,ソフトは市場の原理で極めて移ろい易いものだからである。
工藤, 雄一郎 Kudo, Yuichiro
本論文では,縄文時代の漆文化の起源をめぐる研究史について,1926年から2010年代まで歴史を整理した。縄文時代の編年的な位置づけが定まらない1930年代には,是川遺跡に代表される縄文時代晩期の東北地方の漆文化は,平泉文化の影響を受けて成立したものという考えがあった。1940年代に唐古遺跡で弥生時代の漆文化の存在が確認されて以降,中国の漢文化の影響を受けた弥生文化から伝わったという意見もあった。1960年代以降,照葉樹林文化論の提唱を受け,縄文時代の漆文化は大陸から各種の栽培植物とともに伝わったという見方も広がった。1980年代には,中国新石器文化と縄文文化との共通の起源を想定する共通起源説も登場した。これらはいずれも縄文時代の漆文化を列島外から来たとする伝播論である。一方,加茂遺跡の縄文時代前期の漆器の出土を考慮して,1960年代には縄文時代の漆文化自生説も登場する。その後,1990年代には縄文文化の独自性や縄文時代の漆文化の成熟度を重視する研究者から,自生説が主張されるようになる。2000年の垣ノ島B遺跡の発見,2007年の鳥浜貝塚の最古のウルシ材の存在の確認によって,縄文時代の漆文化自生説は力を増した。しかし,垣ノ島B遺跡の年代は信頼性が担保されていないこと,また垣ノ島B遺跡の事例を除外すると,中国の河姆渡文化の漆製品は日本列島の縄文時代早期末の漆器と同等かそれ以上の古さを持っていることを年代学的に検証し,改めて縄文時代の漆文化の起源が大陸からの伝来であった可能性を考慮する必要性があることを論じた。
バスキンド, ジェームス
ラフカディオ・ハーン、小泉八雲(一八五〇-一九〇四)が、広範囲に亘って、日本の紹介と理解に大いに貢献した人であることは誰もが認めるだろう。しかし、ハーンの影響は民俗学や昔話に限られているわけではない。ハーンには日本の宗教や信仰、精神生活についての深みのある分析も非常に多くあり、宗教関係のテーマが、ハーンの全集の大半を占めているといってよい。それゆえ、今日、ハーンは西洋人に日本文化や仏教を紹介した解釈者としても知られている。そして同時にハーバート・スペンサーの解釈者でもあり、多くの仏教についての論述中にはスペンサーの思想と十九世紀の科学思想と仏教思想とを比較しながら、共通点を引き出している。ハーンにとっては、仏教と科学(進化論思想)は相互排他的なものではなかった。むしろ、科学的な枠組を通じて仏教が解釈できると同時に、仏教的な枠組で進化論の基本的な思想がより簡単に理解できると信じていた。この二つの思想形を結びつけるのが、業、因果応報、そして輪廻思想である。ハーンが作り上げた科学哲学と宗教心との融合は、ただハーン自身の精神的安心のためだけではなく、東西文明の衝突による傷を癒すためにもあった。
菅, 良樹
本稿では、幕末期における大坂町奉行の動向について初めて具体的に検討し、幕臣川村修就の「家」についても論じた。使用した主な史料は、川村自筆の「日新録」と称する町奉行在任中の「日記書抜」である。この記録が、新潟市歴史文化課に残存していたことは、幕末期の大坂を考察するにあたり僥倖であったといえよう。
権, 五栄 Kwon, Ohyoung
本稿では,栄山江流域の政治体の性格や,三国時代における倭と栄山江流域の交流についての既存の見解を整理し,今後の研究の進展のための概念の定義,研究方法論の提示を試みた。具体的には,近肖古王の南征,栄山江流域の物質資料,韓日関係史における渡来人や倭系文物などについてのこれまでの解釈について再検討し,課題と展望を整理した。
稲賀, 繁美
本稿は、平川祐弘の英文による著作『日本の西欧との愛憎関係』(グロウバル・オリエンタル、二〇〇四)への書評である。本書は著者がこの三十余年に亘って、主として海外の国際学会で発表してきた二十九本の論文をまとめる。唐代の詩人李白から、日本海軍大将・山梨勝之進や、俳諧の学匠R・H・ブライスといった現代人にいたるまでの登場人物を扱った本書は、題名に掲げた主題に関して、高密度にして批判的な鳥瞰を展開する。ダンテの『神曲』の日本語訳から夏目漱石の『こころ』の英訳までが、議論に取り上げられる。この大著は熱狂的な賞賛に迎えられるとともに、また方法論や学術作法に関して、論争も巻き起こしている。「黄色人種の偏見」を自称する著者の見解が英米圏の読者層から、「徳ある敵」として末永く遇されるが期待されよう。本書評は平川の広大にして緻密な知的勉励に評定を加え、その比較文学あるいは国際文化関係論としての有効性を、昨今の脱植民地・脱理論の知的状況の中で検証しようとするものである。
時田, アリソン
小論は日本の語り物の歴史的変化のプロセスというより大きな枠組みの中にある。一中節と常磐津節それぞれの性格を論ずるというよりも、三味線を伴奏楽器とし、歴史関係も近いこの二つのジャンルの間で、どんな変化がおきたかを論ずるものである。平曲、義太夫節、常磐津節などの語り物の歴史では、後のジャンルが古いジャンルの特徴を失わず、むしろその特徴を多様にしたということがはっきりと見て取れる。十七世紀に浄瑠璃が人形芝居に入り義太夫節として発展し、常磐津節が歌舞伎舞踊の伴奏音楽として成立した時にも、先行ジャンルの性格が受け継がれて保持されるとともに、新しい性格もそこに統合された。一中節は、義太夫節と同じ時期に、都太夫一中によってはじめられ、そこから分かれた宮古路豊後掾が豊後節を語ったが、一七三〇年代に数回にわたって禁止され、その弟子常磐津文字太夫が引き継ぎ、常磐津節を確立した。小論は一中節と常磐津節の音楽を分析することによって、どのような音楽的性格が共有されているか、どこに主な違いがあるかを明らかにするものである。
金, 銀珠 KIM, Eunju
本稿では,「髪の長い人」のような主格助詞「の」が用いられる連体節の用例を分析し,次のような傾向を観察した。「の」は連体節の述語連体形が語彙概念として無行為・無変化・無時間の性質(状態性)をもち,その形態が脱テンス・アスペクト化するにつれ使用頻度が高くなる。また,連体形特有の用法を表す形態と親和する傾向を示す。連体節内の主語と述語の間の介在要素がほとんど見られず,主語・述語から成る非対格構造との親和性を見せる。文としての自立性をもつ連体節には表れにくく,被修飾名詞の意味実質性が強い構造で用いられる。このようなことから「の」は,述語が「状態性述語」であることを示し,連体修飾部と被修飾名詞が状態・属性とその帰属対象の関係にあることを示すものと論じた。さらに,状態性述語の特徴は名詞述語の性質と捉えられ,その意味において「の」は述語連体形の名詞性に係るものであると論じた。「の」は述定の構造で表れるが,その内実は述語連体形と装定の関係を成している。
杉戸, 清樹 塚田, 実知代 SUGITO, Seiju TSUKADA, Michiyo
そのつどの言語行動の種類について明示的に言及するメタ言語的な言語表現類型について,杉戸・塚田1991で書きことばの専門的文章を検討したのに引き続き,話しことば,とくに公的なあいさつを対象とした記述分析を行なった。公的あいさつには,表現のあらたまりを目指したと解釈されるレトリカルな言い回し(動詞そのものも文末形式も)によって,くりかえされる場合も含めて一つのあいさつに平均して3~4回,相当のバラエティの言語行動を説明するメタ言語表現が現れる。書きことば資料で優勢であった意志や希望を明示する文末形式は公的あいさつでは少数である一方,文末の敬語要素はあいさつのメタ言語表現には相当豊富である。また,当該の言語行動を直接的に表現する直接表現は,メタ言語表現に比べて少ない。これらの事実は,あいさつのあらたまり性を目指して表現の直接性を避けた結果と解釈される。発話行為論で言う発語内行為が明示的に言語化される実態を記述し,それが語用論で言う言語表現における対人的なあらたまり(丁寧さの一種)と深く関連しているという解釈を,本稿では言語行動研究の観点から指摘した。
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