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青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
近年,世界遺産の制度に「文化的景観」という枠組みが設けられた。この制度は,文化遺産と自然遺産の中間に位置し,かつ広い地域を保護するものである。その枠組みは曖昧であるが,一方であらゆるタイプの景観を文化財に選定する可能性を持っている。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
2013年6月22日の紅河ハニ棚田の「文化的景観」の世界文化遺産登録を事例に、ユネスコのいう「文化的景観」を分析した。方法としては中国側の申請書とイコモスの評価書およびその他の文書の検討からイコモス、中国政府、ハニ族知識人、紅河州などのアクターの戦略を考察した。その上で今回の指定が住民に及ぼすものは何かを資源人類学的観点から明らかにした。ユネスコの世界文化遺産における「普遍的価値」とは政治的妥協の結果であることをハニ族の棚田を事例として示した。
川合, 泰代 Kawai, Yasuyo
本稿は,世界遺産に登録されたことを契機に,古くからある日本有数の神社の一つである春日大社の内部から,春日大社にとって新しい宗教文化が生まれ,根付いていった過程を明らかにしたものである。
八巻, 一成 Yamaki, Kazushige
本研究の目的は,保護地域においてかつて行われた森林開発の持つ現代的意味について,保護地域における「保護」概念の検討,および保護地域に残る林業遺産の事例を通して明らにすることである。そこで,日本の中核的な保護地域である国立公園を取り上げ,「保護」概念について世界的な視点を踏まえつつ検討した。つぎに,北海道の国立公園を事例として森林開発の歴史や林業遺産の現状を検討し,林業遺産が持つ意義や保存の現状と課題について考察した。その結果,日本の国立公園は,「生態学的プロセスの保護を目的とした自然性の高い地域」とともに,「長年にわたる人と自然との相互作用が形成した特徴の保護を目的とする地域」を対象としており,前者は原生的な自然環境,後者は文化的景観を保護対象としていると考えられた。国立公園ではかつて大規模な森林開発が行われた歴史があり,そうした森林開発によって形作られた森林景観は,文化的景観という側面を持っている。文化的景観は文化遺産としての価値を有しており,さらに当時の森林開発に関わる施設の遺構などは林業遺産としての価値を有していると考えられる。そこで,北海道の支笏洞爺国立公園,大雪山国立公園内に残る林業遺産のうち,森林鉄道に関連する遺構に焦点を当てて現状把握を行った。その結果,多くの遺構は保存状態が悪く,いずれは消滅してしまう状況にあることが明らかとなった。文化遺産の概念が神社仏閣や遺跡から産業遺産までも含むものへと拡張して生きているこんにち,伐採跡地や人工林といった文化的景観と一体となって地域に残る林業遺産は,現行の保護地域制度では保護の対象とはなりにくいものの,人と森林との関係性の記憶を現在にとどめる文化遺産として,保護地域においても大きな意味を持っており,そうした遺産を積極的に保存していくこともまた,保護地域の役割として重要な意味を持っていると考えられる。
青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
本稿は,五箇由と白川郷に計3ヶ所の世界遺産登録地域を有する庄川流域を事例として,観光化の進展によって忘れられていった開発の歴史と研究史をあらためて見直し,かつての山村生活の様子を思い起こす試みをおこなったものである。現在の五箇山と白川郷においては,世界遺産に登録された相倉集落,菅沼集落,荻町集落の合掌造り民家ばかりが注目されているが,かつては庄川流域一帯で同様の民家に住み,焼畑や養蚕を中心とした生活を営んでいた。それが,1920年代からのダム開発とそれに伴う道路改良事業によって合掌造りの屋根を下ろす民家が急増し,その一方で生活水準の格差が拡大して,離村・廃村が相次いだ。また,研究上においても,1900年頃から合掌造り民家の起源に注目が集まっており,その後,ダム開発に対する住民の対応や生活様式の変化に関心が移っていった。
柴崎, 茂光 Shibasaki, Shigemitsu
本報告では,観光雑誌・ガイドブックとして知られている「旅」や「るるぶ」の文字情報や写真情報を活用しながら,1993年に世界自然遺産に登録された屋久島の観光イメージの変遷を明らかにした。その結果,時代ごとに観光地「屋久島」のイメージが変化してきたことが明らかとなった。1950年代には秘境としての屋久島が強調され,山域よりも里の暮らしなどが観光資源と表現されていた。国立公園に編入された時期を除いて,1980年代までは里の温泉や滝が主要な観光資源として頻繁に写真などにも掲載された。しかし 1990年代以降になり,世界遺産登録も一つの契機となり,観光イメージの中心が,縄文杉や白谷雲水峡といった山域に移行した。とりわけ近年は,エコツーリズムを活用した新たな観光形態が紹介されるようになる。例えば,太鼓岩やウィルソン株のハート形の空洞などに代表される新しい観光資源が誕生し,観光地「屋久島」イメージの変化にも影響を与えていた。
国際日本文化研究センター, 資料課資料利用係
日本一の山、富士山。日本の中でもとりわけ特別な山として、古くから畏怖され愛されてきました。2013(平成25)年に「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録されました。今回は「富士山とは」「富士五湖」「初三郞と富士山」「外国人と富士山」をテーマに資料を集めました。普段はなかなか目に触れない資料なのでぜひご覧ください。
山本, 理佳 Yamamoto, Rika
本論文は,近年の日本で極めて広範な対象を文化資源化している「近代化遺産」をめぐる動きを明らかにすることを目的として,とくに軍事施設までもが文化資源化される現象を取り上げた。すなわち,軍事施設の機密性と文化遺産の公開性との根本的な対立にもかかわらず,いかにして軍事施設の「近代化遺産」化が進んでいるのかをとらえた。対象としたのは,米海軍や海上自衛隊の大規模な「軍港」を抱える長崎県佐世保市である。佐世保市では,それら「軍港」内の施設の多くが戦前期に旧海軍が構築した「歴史的」建造物であることから,それらを「近代化遺産」として活用しようとする動きが1990年代半ばから活発化している。
宮国, 薫子
2015 年に国連のSDGs(Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs が様々な分野で研究され取り組まれているが、観光の分野においても、観光がSDGs の達成にどのように貢献できるかの議論が活発になっており、観光と SDGs の関係が模索されている。2021 年 7 月に,奄美大島,徳之島,沖縄県北部,西表島,が世界自然遺産に認定された。沖縄県北部では,電気自動車を用いたエコツーリズム事業が開始され,2020 年から,環境省や沖縄県自然保護課、一旅行会社が主体となって、SDGs を基に作成された GSTC (Global Sustainable Tourism Council)の持続可能なデスティネーション基準をもとに観光の自主ルール構築に取り組んできた。本稿では,SDGs と観光について概観し,その取り組みについて紹介し、持続可能な観光開発が,国連のSDGs 達成にどのように貢献できるかを,明らかにすることである。
白井, 哲哉 SHIRAI, Tetsuya
本稿は、アーカイブズ学における史料管理論の観点から、地域で展開される被災文化遺産救出態勢の構築のあり方を考察したものである。具体的には、東日本大震災被災地における活動実践の分析を通じ、現地における救出態勢の構築過程を解明するとともに、今後に向けた課題を提出することを目的とした。分析対象として、東日本大震災の被災地である茨城県で被災文化遺産救出活動に従事する茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク準備会(茨城史料ネット)を主に取り上げ、同じく福島県で活動に従事するふくしま歴史資料保存ネットワーク(ふくしま史料ネット)を比較対象とした。
岡本, 牧子 仲間, 伸恵 前村, 佳幸 福田, 英昭 片岡, 淳 西, 恵 Okamoto, Makiko Nakama, Nobue Maemura, Yoshiyuki Hukuda, Hideaki Kataoka, Jun Nishi, Megumi
日本の手漉き和紙技術は、ユネスコの無形文化遺産に登録されるなど世界に発信できる日本独自の文化である。特に南西諸島及び台湾に生息するアオガンピ(青雁皮)を原料とする琉球紙の製造技術は、沖縄県独自のテーマとして特色のある教材となるが、原料の調達が困難なため持続可能な教材として未だに確立していない。本研究では、学校現場での原料調達を可能にするべく、中学校技術科の生物育成領域の学習教材として取り扱えるよう、アオガンピの栽培方法やコスト、学習指導計画等を提案し、沖縄県独自の和紙製造技術を教材化することを目的としている。その事前調査として、現在までに明らかになっているアオガンピの特徴や栽培の流れについて調査したので報告する。
久高, 將晃 Kudaka, Masaaki
ハーバーマスは、『コミュニケーション行為の理論』において、三つの妥当要求に三つの世界を対応させている。すなわち、真理性要求に対して客観的世界、正当性要求に対して社会的世界、誠実性要求に対して主観的世界を対応させている。これらの世界の中で、どの世界が実在しそして実在しないのか。これが本稿を導く問いである。三つの世界の中で主観的世界は実在論の問題とはならない。そこで、客観的世界に関わる真理の合意説と社会的世界に関わる討議倫理学について論じ、『真理と正当化』の諸論考を参照して、先の問いに答えることが本稿の目的である。
大城, 貞俊 OSHIRO, SADATOSHI
沖縄県が生んだ近代・現代を代表する詩人に山之口貘がいる。山之口貘は、戦前期の日本社会に残っていた負の遺産としての沖縄差別や貧困を、平易な日常語で詩の言葉として紡ぎ、ユーモアとペーソス溢れる詩世界を構築した。山之口貘の詩は、文科省検定の小学校、中学校、及び高等学校の国語科教科書で採用され紹介されている。また、沖縄県で作成された国語科副読本の中でも、代表的な詩教材として定着している。本論では、「差別」「偏見」「推敲」「言葉」「地域」「詩教材」「書くこと」などをキーワードに、山之口貘の詩を通して、地域教材がひらく可能性を考えてみた。山之口貘の詩には、言葉との格闘があり、同時に伝統的な言語文化の視点がある。また、「書くこと」の意義が具体的に伝わってくる。山之口貘の詩を学び、国語科教材としての授業展開を検討することは、グローバル社会における詩教材の可能性を考えることに大いに役立つものと思われる。
鄭, 毅
「満鉄調査研究資料」は、南満洲鉄道株式会社が、中国東北部を対象に行った長期的かつ大規模な調査の成果であり、日本植民地時代の「満洲文化遺産」として極めて重要な資料である。こうした資料が蓄積された背景として、「調査」「学術」「帝国」という三つの視座の存在を指摘することができるだろう。現在ではそのほとんどが中国の図書館と公文書館に所蔵されている。1950 年代から中国の研究者たちはその価値を認め、整理と研究に取りくみ、実りの多い成果を成し遂げた。
浦崎, 武 Urasaki, Takeshi
社会性の問題を中核とする自閉症者にとって、対人関係が開かれ社会性や他者との関係性が育っていくことにより、自閉症者の発達が促進され体験世界が変容し、彼らの生きている世界への関わり方が変わる。そのプロセスとして彼らが外の世界へと開かれるためには、「外の世界へと向かう力」が必要であり、そのことを支える他者が必要である。その他者に導かれることによって体験世界が発展する。その他者へ導かれ世界を体験することに困難性のある自閉症児との支援を行うためには、まず、その自閉症児との関係性を形成することが重要な課題となる。他者と繋がるには他者との世界を共有する必要がある。そのためには、その世界を共有するための媒介が必要となる。本研究では描画の世界に没頭しているある自閉症児が、描画を媒介として他者と関わることによって、他者の存在を意識し、関係性が形成され、他者が重要な他者となっていくプロセスと自閉症児の生活世界が変容する過程ついて検討を行った。一人の描画に没頭する段階から他者との関わりを基点として生活世界が開かれていく段階への移行には、その移行を支える他者の存在が重要であった。自閉症児にとって重要な他者の存在が必要であり、彼らの内的世界を理解し、状況に応じたきめ細かい支援の必要性が示唆された。
銭, 国紅
現実的危険に曝されながら世界への旅を敢行しようとした志士吉田松陰の渡海の試みから、幾たびかの「大君の使節」(一八六〇~一八六七)や留学生たちの時代に至ると、世界に連なろうとする志向が日本の激変をもたらし、実際に自分の目で西洋を見、現場に学ぶことを通して、西洋世界の新しい意味、西洋を含めた世界の実像が次々と日本知識人に再発見されていった。アメリカと出会った福沢諭吉は強烈な文化ショックを受けながら、そのなかから一つの新しい文明像を日本人に将来した。それは同時に新しい世界における新しい日本の新しい位置づけの試みでもあった。
裵, 炯逸
植民地状況からの解放後の大韓民国において、その「朝鮮(Korea)」という国民的アイデンティティが形成される過程のなかで、学問分野としての考古学と古代史学は、重要な役割を果たしてきた。しかしながら、その学問的遺産は、二〇世紀初頭に朝鮮半島を侵略し、植民地として支配した大日本帝国の植民地行政者と学者によって形成されたものでもあった。本稿は、朝鮮半島での「植民地主義的人種差別」から、その後の民族主義的な反日抵抗運動へと、刻々と移り変わった政治によって、朝鮮の考古学・歴史理論の発展が、いかなる影響を被ったのかについて論じるものである。
森岡, 正博
人間の知的な営みの本質には、ここではない「もうひとつの世界」、この私ではない「もうひとりの私」を空想し、反芻する性向がある。スタニスワフ・レムとタルコフスキーの『ソラリス』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の作品世界は、この「もうひとつの世界・もうひとりの私」へと向かう想像力によって、形成されている。そして、その想像力の根底にあるものは、「死」へのまなざしであり、「救済」の希求である。人が「もうひとつの」なにかへと超越しようとするのは、そこに死と救済がたちあらわれてくるからなのだ。
篠原, 徹 Shinohara, Toru
本論文は日本の俗信とことわざおよび俳諧のなかに現れる他種多様な動物や植物の表現について、俗信とことわざおよび俳諧の相互の関係性を論じたものである。こうした文芸的世界が華開いたのは、庶民にあっては「歩く世界」と「記憶する世界」が経験的知識の基本であった日本の近世社会の後半であった。俗信やことわざおよび俳諧は、近世社会のなかで徐々に発展していったと思われる。農民や漁民の生業や生活のなかでの自然観察の経験的知識は、記憶装置である一行知識として蓄積され人びとに共有されていった。この経験的知識の記憶装置である一行知識は、汽車や飛行機などの動力に頼る世界ではなく「歩く世界」を背景にした繊細な自然観察に基づいている。同時に一行知識は、そうした観察に基づく経験的知識を、活字化し書籍として可視化する世界とはまだほど遠く、記憶しやすい定型化した文字数に埋め込んだものである。
門田, 岳久 Kadota, Takehisa
本論文は消費の民俗学的研究の観点から、沖縄県南部に位置する斎場御嶽の観光地化、「聖性」の商品化の動態を民族誌的に論じたものである。二〇〇〇(平成一二)年に世界遺産登録されたこの御嶽は、近年急激な訪問者の増加と域内の荒廃が指摘されており、入場制限や管理強化が進んでいるが、関係主体の増加によって御嶽への意味づけや関わり方もまた錯綜している。例えば現場管理者側は琉球王国に繋がる沖縄の信仰上の中心性をこの御嶽に象徴させようとする一方、訪問者は従来の門中や地域住民、民間宗教者に加え、国内外の観光客、修学旅行客、現場管理者の言うところの「スピリチュアルな人」など、極めて多様化しており、それぞれがそれぞれの仕方で「聖」を消費する多元的な状況になっている。メディアにおける聖地表象の影響を多分に受け、非伝統的な文脈で「聖」を体験しようとする「スピリチュアルな人」という、いわゆるポスト世俗化社会を象徴するような新たなカテゴリーの出現は、従来のように「観光か信仰か」という単純な二分法では解釈できない様々な状況を引き起こす。例えばある時期以来斎場御嶽に入るには二〇〇円を支払うことが必要となり、「拝みの人」は申請に基づいて半額にする策が採られたが、新たなカテゴリーの人々をどう識別するかは現場管理者の難題であるとともに、この二〇〇円という金額が何に対する対価なのかという問いを突きつける。
藤田, 陽子 Fujita, Yoko
本報告では、(1)研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造-日本と東アジア・オセアニア圏を結ぶ基点としての琉球弧」(Toward New Island Studies-Okinawa as an Academic Node to Connect Japan, East Asia and Oceania) における問題意識と研究目的、(2)沖縄における重要な環境問題とその特徴及び解決に向けた課題に関する考察、の2点について述べる。(1)「新しい島嶼学の創造」プロジェクト 国際沖縄研究所の研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造」は、島嶼地域の持続的・自立型発展の実現に向けた多様な課題について、学際的アプローチにより問題解決策を導出・提案することを目的とした事業である。従来の島嶼研究は、歴史や民俗、自然地理、文化人類学など、大陸との比較においてその特徴を捉えることを中心として展開してきた。また、「狭小性」「環海性」「遠隔性」といった大陸との相対的不利性に焦点を当てる研究も数多く行われてきた。こうした従来の島嶼研究の成果を踏まえつつ、本プロジェクトにおいては島嶼の不利性を優位性と捉え直すことによって島嶼地域・島嶼社会の発展可能性を探り、問題解決に向けた具体的な処方箋の導出を目指す研究を展開する。そのために「琉球・沖縄比較研究」「環境・文化・社会融合研究」「超領域研究」の三つの学際的研究フレームを設定し、島嶼に関する学際的・複合的研究を推進している。(2)沖縄における環境問題 沖縄の自然環境は、その生物多様性の豊かさや自然景観の美しさなどにより多数の観光客を惹きつけ、専門家の関心を集めている。しかし2003年には、沖縄本島北部やんばるの森を分断するように敷設されている林道の存在や、日本国内法が適用されない米軍基地の存在、重要地域の国立公園化など保護区域の設定が不十分であることを理由に、環境省が琉球諸島の世界自然遺産委員会への推薦を見送った。これは、長い年月をかけて培ってきたストックとしての自然は優れているが、それを維持・管理する人間側の体制が十分に整備されていない、ということを意味していた。2013年1月31日、環境省はこれらの課題に取り組みつつ奄美大島・徳之島・沖縄本島北部(やんばる地域)・西表島の4島を中心とした奄美・琉球のユネスコ暫定リスト入りを決定したが、最終的な世界自然遺産認定に向けては、自然保護に対する地域住民の認識の共有や、開発を制約する国立公園化など、困難な課題に直面している。在沖米軍の活動に起因する環境問題については、地位協定あるいは軍事機密の壁による情報の非対称性が問題の深刻化をもたらしている。米軍には、運用中の基地内で行われている軍事関連活動について日本あるいは沖縄に対して情報開示の義務は負わない。また、返還後の跡地利用の段階で汚染等が発覚した場合の浄化に伴う費用負担のあり方について汚染者負担の原則が適用されず、また汚染状況の詳細が予め把握できないことによる開発の遅延という経済的損失も地域にとっては大きな負担となる。これらの問題を解決するためには、地位協定の運用改善および改正を含め、日本の環境関連法あるいは米国環境法の適用可能性について検証することが不可欠となる。
本間, 七瀬 浦崎, 武 Honma, Nanase Urasaki, Takeshi
自閉症のある人々の困り感の一つに対人関係形成の困難が挙げられる。学童期において小学校の入学と共に集団行動の要素が強くなる中で,‘自分は自分であっていい'という実感と‘他者と共にここに在る'という実感を育てていく支援の可能性を探る。今回は,通級指導教室と集団支援教室の2つの場で支援者として関わった実践から1事例を取り上げ,他者との関わりの中で対象児がどのように情動を調盤していったのかについて変容過程を明らかにし,対象児側から「集団適応」ついて見つめ直すとともに,通級において内面世界に寄り添う視点をもつことの重要性について検討する。内面世界とは,安全基地とも呼べるような,楽しい世界・安心できる世界・こころの世界と位世づける。‘今,ここ'の姿をありのままに受け止めて‘共に楽しむ'という快の情動共有経験を積み重ねることが「環境」や「人」へと向かう力を育み,主体的な集団適応を促すことが示唆された。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia WoolfのMrs.Dallowayでは具象的な現実と流動的な意識の世界が混在し、二者が継続的、ないしは同時に展開される。両者はあたかも矛盾なく存在する補完的世界としてのみではなく、独立したそれ自体の特徴、時間的流れを持つ相反するナラティブ空間として作品の中で描写される。
津村, 徳道 Tsumura, Norimichi
保存と展示のジレンマから,博物館などの収蔵物の多くは,研究用に用いられているが,一般の人々に鑑賞されずに歴史的価値を後世に引き継ぐためにひたすら眠りつづけている。デジタルアーカイブはこれらの問題を解決するものとして期待されている。しかし,色や質感の正確な記録には多大な労力と時間を要するため,正確なデジタルアーカイブを実現するのは現状では困難である。本論文では,我々の研究例を基に,正確かつ効率的な物体の色と質感の正確な記録方法と再現方法を提案する。これらの技術が益々精錬され,実用化され,我々に膨大な文化遺産との新たな交流を与えると信じている。
金, 釆洙
湾岸戦争以降、世界の情勢はアメリカ中心になりつつある。EC(ヨーロッパ共同体)は、世界の情勢がアメリカ中心になっていくことを防ぐ方法としてEU(ヨーロッパ連合)に転換してきた。しかし、東アジア地域の国々は二十世紀のナショナリズムに縛られ、アメリカやヨーロッパの動きに対応できるような連帯形態を作れないのが現状である。
徳島, 武 Tokushima, Takeshi
国際貿易理論では、相似拡大的無差別曲線が仮定されるので、ある相対価格に対する相対消費量は、自国、外国、世界で同じになる。即ち、自国と外国と世界の相対需要曲線は同じになる。この点に注目すれば、リカード・モデルとH-0(ヘクシャー=オリーン)モデルの、自由貿易均衡の確実性(存在と成立)を示す事ができる。
鍾, 以江 南谷, 覺正
本論は、この二十年間、日本のみならず世界全体に深甚な変化を及ぼしてきたグローバリゼーションという世界史的潮流の中で、それまである意味で政治的、国家的利害に拘束されてきた日本研究が、今後グローバルな知識生産の体系の一つとして脱皮し、新しい意義を持つ可能性を探ったものである。
山田, 慶兒
ひとは物を分類し、認識する。しかし、どのような分類法を使っても、うまく分類できない物、複数の領域に分類される物、いいかえれば両義的な物が存在する。このような両義的な存在は、存在の不確かさのゆえに、独自の意味の世界を構成する。ここでは牡蠣と雷斧という二つの両義的存在をとりあげ、その意味の世界と象徴作用を分析する。
伊禮, 三之 Irei, Mitsuyuki
教員養成学部に入学してくる学生についても,高校数学の被教育体験は,「数学の世界」における数学の内容(知識・技能)の習得に重点が置かれ,「現実の世界」との交流・往還の学習経験をもつ学生は少ない。こうして学ばれた数学に対して,「なぜ日常的に使わない数学を入試で使わなければならないのか,ひたすら同じような問題を解く作業を繰り返していることの馬鹿馬鹿しさを感じる」と嘆く学生は多い。本稿では,教職を希望する学生に対して,「2進法によるマジックカード」を取り上げ,「数学の世界」と「現実\nの世界」との往還から,マジックの仕組みの解明と,その発展と活用の様相の展開を,対話的で相互交流的な学習を通して,「数学概論」における授業実践の概要を報告し,その効果として,学生の持つ数学観や学習観・授業観をより肯定的なものへの転換を促進することと,授業づくりへの意欲と展望を育む契機となり,その体験が実践的指導力の育成に資するものであることを考察した。
阿満, 利麿
死後の世界や生まれる以前の世界など<他界>に関心を払わず、もっぱら現世の人事に関心を集中する<現世主義>は、日本の場合、一六世紀後半から顕著となってくる。その背景には、新田開発による生産力の増強といった経済的要因があげられることがおおいが、この論文では、いくつかの思想史的要因が重要な役割を果たしていることを強調する。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dalloway のナラティブではその無限に拡散する意識の流れの故、読者が確定可能な意味的集合体が常に具体化しては抽象化、そして断片化するという非伝統的な叙述の世界が広がっている。そのような非連続的、意味的断片的な世界に入り込んでいくためにはその意識の流れに身を任せる(読者の意識をその断片的世界に埋没させる)という手法が最適であるという認識から、この論文では常に、そして全方向的に拡散する意識の流れに沿ってそれぞれの場で展開される意識の深層的意味を解釈すべくその中心的「意識」の人称化した実在(その顕在化した事象)に逐次焦点を当ててナラティブの発展的分析を試みてみた。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia Woolfの意識とその物理的要因とのinteractionを中心に展開された作品では意識の流れが人物の主観的、及び客観的なboundaryを超越して絶え間なく多方向に広がりその軌跡が作品の独特な世界を構築しているといえる。恣意的とも思われる偶発性や連続性・断続性が物理的な因果関係を脱却し並列的に配置された世界ではほぼ無限な解釈、並びに展開の可能性を秘めて作品が存在しているといっても過言ではない。この論文ではその連続性・非連続性の世界にある種の意識的parallelな実態を追及・創出すべく第三者(reader/interactor)の主観・視点を反映させて絶え間なく拡散する意識のプロセスとの合体、そして分岐を試みてみた。
早川, 聞多
本研究ノートは多種多様な画風や流派を生み出した江戸時代の絵画世界を、統一的に考察するための覚書である。
ヒロタ, デニス
文化的宗教的多元性を認めざるを得ない世界となっている。こうした多元性が受け入れられる現代的人間像と世界観を考察するために日本思想を探るならば、日本で展開された浄土教に一つの手掛かりが見いだされるのではないか。というのも日本浄土教、特に親鸞の思想は言葉と真実の関係をめぐる問題、または宗教における教えとの関わり方あるいは理解の仕方に直接取りくもうとするからである。
内山, 大介 Uchiyama, Daisuke
東北地方太平洋沖地震と大津波により引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故は,福島県の太平洋側に広く住民が帰ることを許されない地域を生んだ。そこには土地の歴史を物語る多くの文化財が取り残され,人の姿が消えて静まり返った町には暮らしに関わる全てのモノが置き去りにされた。このような状況を受けて,福島県では被災した文化財と震災そのものを物語る震災資料(震災遺産)という,ふたつの資料保全活動が進められてきた。原発事故の影響により多くの困難をともなった被災文化財の保全だが,個別的な活動から組織的な事業へと展開し,現在では各自治体を主体に大学や県との連携による活動へとシフトしている。さらに震災発生から3年が過ぎた頃からは震災資料の保全も行われるようになり,震災や原発事故をどう後世へ伝えていくべきかという議論も同時に進められてきた。
新井, 小枝子 ARAI, Saeko
群馬県藤岡市方言における,養蚕語彙を用いた比喩を取り上げ,それらの表現によって,人びとが日常生活のどのような部分を,どのように理解し,表現しているのかについて論じたものである。具体的には,養蚕世界において〈蚕〉および〈桑〉を対象として用いられている語彙が,日常世界の〈人〉〈人の生き方〉〈子どもの育て方〉や,〈農作物〉〈仕事〉〈時期〉〈樹木〉を対象にして,語彙としてのまとまりをもって比喩に用いられていることを明らかにした。さらに,養蚕語彙の本来の意味から,比喩の意味への変化の仕方を考察し,その比喩のメカニズムには,比喩性の強い型と弱い型があるとした。養蚕が盛んであった地域では,それが行われなくなった今でも,日常生活において養蚕語彙を用い,熟知した生活世界のものの見方で日常世界を捉え,効率良く,かつ,豊かな表親を展開しているとし,それが,当地域における比喩の特徴であると結論づけた。
徐, 興慶
台湾における日本研究は、本来「地域研究」(Area Studies)の一端を構成する。換言すれば台湾における日本研究は、東アジア国際社会研究の重要な環を構成している。それはもとより「日本一国」研究に完結するものではない。東アジア地域内の諸研究と連携し、担うべき相互補完的役割を意識して、台湾だからこそ可能な日本研究の発信が可能となり、世界に開かれた日本研究を目指そうとしている。私たちはそれを通して、日本も含めた世界の日本研究に独自の役割と位置を占めることが可能となる。
福田, アジオ Fukuta, Azio
本稿は、今回の研究計画の定点調査地の一つである静岡県沼津市大平において継続的な調査を行なってきた結果の報告である。個別地域の個性は、自らの地域の歴史認識によって大きく支えられ、あるいは形成されるものと予想しつつ、調査を行なった。人々の自分たちの社会に対する認識が歴史を作り出すと言ってもよいであろう。史実としての歴史だけでなく、意識される歴史、あるいは時には作り出される架空の歴史的世界も含めて、民俗的歴史世界を文字資料と現実の民俗事象の双方から追いかけることを意図した。
原, 秀成
本稿では一九二〇年代からのデモクラシーを求める活動から、第二次世界大戦後へのいくつかの系譜をたどった。
松村, 雄二 MATSUMURA, Yuji
古典和歌の世界に多く見られる代作歌という現象について、主要なものを例示しながら、次のような問題点と考え方を提示した。
宮川, 創
「国立国語研究所デジタルアーカイブNINDA」は,デジタルアーカイブ専用のコンテンツ・マネジメント・システムであるOmeka Sを基盤に,文献画像・PDF・音声・動画をIIIFで,メタデータをDublin Coreで提供する。これらの形式は,デジタル人文学において世界的な標準となりつつあり,文献資料系のデジタルアーカイブでは国内外で頻繁に用いられている。しかし,これらの世界標準は,音声とその書き起こしテキストを中心とした言語資料系のデジタルアーカイブでは国内外でまだ広く用いられていない。本研究では,音声とその書き起こしテキストを中心とした言語資料系のデジタルアーカイブに関して,国内外でまだ広く用いられていないこれらの世界標準を言語資源にどのように活用させるかについて論じる。そして,モデルケースと方法論について詳述する。最後に,インターリニアグロス付きテキストのTEI XMLのOmeka Sへの組み込みなどの将来の展望について論じる*。
山本, 登朗 小林, 健二 小山, 順子 恋田, 知子 ロバート, キャンベル
本冊子は、国文学研究資料館の特別展示として、二〇一七年十月十一日(水)から十二月十六日(土)まで、国文学研究資料館展示室において開催する「伊勢物語のかがやき ―鉄心斎文庫の世界―」の展示解説である。
目差, 尚太 Mezashi, Shota
《とりたて》とは、現実世界の他のものごととの関係を前提にしながら、現実世界のある一つのものごとと、単語の文法的な形によって表現される、文の内容としての《ものごと》との陳述的なかかわり・意味を一般化した文法的なカテゴリーである。与那国方言における、代表的なとりたての形には、ja《対比》、du《特立》、bagai《限定》、ɴ《共存》《極端》、bagiɴ《共存》《極端》がある。これらの形式を、話しあいの構造との関わりの中で、明らかにする。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Joyce の Ulysses においてその内面、そして外面事象というのは絶えず変化し続けている、といっていいほど極度な disjunctivity(断続性・非連続性)に支配されている。すべてが意識の流れを中心に構築されている世界なので突然の統語論的、ないしは叙述意味論的断続性というのは予想される現象ではあるが、この論文では特に Ulysses の narrative 全体と個々の事象との間に見られる意味論的整合性・非整合性という観点から登場人物、特に Bloom、を介した意識世界に迫ってみた。
国文学研究資料館 National Institute of Japanese Literature
和書すなわち日本の古典籍は、千二百年以上に及ぶ長い歴史を持ち、その種類の多様さと現存する点数の多さは世界的にも稀です。
徐, 蘇斌
明治末期、日本では国民意識の形成と共に、日本文化への関心が高まりを見せた。日本の文化のルーツを探すため、多くの日本人研究者は朝鮮、中国、蒙古などの地域へ調査に向かった。関野貞(一八六八―一九三五)は東アジアの建築史、美術史、考古学の領域の研究において注目すべき業績を残した研究者である。彼の研究経歴はそのまま近代日本の東洋研究の縮図といえる。本稿では、関野の六〇〇余枚に上る調査帖を中心にして、一九〇六年から一九三五年にいたる前後十回にわたる中国におけるフィールドワークを考察した。さらに、論者は関野の調査活動を通して、日本研究者のナショナル・アイデンティティー、学術研究と植民地政治の関連性、植民地と文化遺産の保存などの問題を論じた。また、満州事変以前の日中における学術交流、ならびに中国に及ぼせる日本建築史学研究の影響などの問題にも言及した。
国文学研究資料館 National, Institute of Japanese Literature
和書すなわち日本の古典籍は、千二百年以上に及ぶ長い歴史を持ち、その種類の多様さと現存する点数の多さは世界的にも稀です。
鶴田, 欣也 TSURUTA, KINYA
川端という作家の特質の一つは禁止というテーマを巧承に使ったことである。簡単にいうと、生命の流れを塞き止めることで、それをむしろ圧縮し、ほとばしり出すカラクリである。とり上げた三つの作品は禁止のテーマと関連がある。「化粧」は葬儀場の側という特殊な空間を舞台にしている。葬儀場が死の場所、禁止の場所とすると側は排泄の場所であり、解放のプライベートな空間である。作者は側を女の魔性と純粋性を露呈する空間として巧承に使い、最後に「水を浴びたやうな驚きで、危ぐ叫び出す」効果を収める。「ざくろ」の主人公きゑ子はこれから出征する啓吉との間に世間という禁止を意識しているが、それを乗り越えるために、偶然、そこにあったざくろを利用することで機縮された生命感を放射することができる。ざくろは単なる象徴の域を越えて、幾隅もの意味を持って読者に呼びかけてくる。「水月」の京子の生命は二つの全く異った世界から生じるテンションで支えられている。一つは病死した前の夫の世界、もう一つは健康ではあるが鈍いところのある現在の夫である。胸で病死した夫の世界には禁欲のテーマがあり、それを補うために鏡が二人の間に介在した。鏡を通した世界はより美しく、清く、生き生きしていた。この世界は夫と妻というよりも、子供と母親という要素があった。京子はある日現在の夫によって妊娠する。この作品にある何層かのアイロニイを分析すると、京子は妊娠という過程を通して、以前の夫を自分の赤ん坊として蘇えらせたことが判明する。
王, 秀文
桃は強い生命力を持つ仙果、陰や死に対して不思議な呪力をもつ陽木として、当然ながら長生の神仙の世界や不死の楽園に結びつけられる。伝承上では、神仙の住む世界は東の大海原にある蓬莱山で、桃の巨大な樹のある度朔山または桃都山でもあり、仙木である扶桑は桃と同じ陽性の植物である。また信仰上では、不死の薬の持ち主として人間の福寿を操る女神である西王母は、桃をシンボルとし、死を再生に転換させる生命の象徴である。
影山, 太郎 Kageyama, Taro
世界諸言語の中で日本語は特殊なのか,特殊でないのか。生成文法や言語類型論の初期には人間言語の普遍性に重点が置かれたため,語順などのマクロパラメータによって日本語は「特殊でない」とされた。しかし個々の言語現象をミクロに見ていくと,日本語独自の「特質」が明らかになってくる。本稿では,世界的に見て日本語に特有ないし特徴的と考えられる複合語(新しいタイプの外心複合語,動作主複合語など)の現象を中国語,韓国語の対応表現とも比較しながら概観する。
安藤, 広道 Ando, Hiromichi
本稿の目的は,東日本南部以西の弥生文化の諸様相を,人口を含めた物質的生産(生産),社会的諸関係(権力),世界観(イデオロギー)という3つの位相の相互連関という視座によって理解することにある。具体的には,これまでの筆者の研究成果を中心に,まず生業システムの変化と人口の増加,「絵画」から読み取れる世界観の関係をまとめ,そのうえで集落遺跡群の分析及び石器・金属器の分析から推測できる地域社会内外の社会的関係の変化を加えることで,3つの位相の相互連関の様相を描き出すことを試みた。
東, 潮 Azuma, Ushio
古代東アジア世界において,高句麗・三燕・北朝・隋唐壁画の比較研究を試みる。とくに三燕・北朝・隋唐壁画墳の従来の墓室構造および壁画構成の変遷過程を追究した。
黄, 紹文 稲村, 務(訳) Huang, Shaowen Inamura, Tsutomu (trans.)
武田, 和哉
中華世界においては,権力者や貴族など有力者の墓に,墓誌と呼ばれる石刻物を埋納する文化が存在した。墓誌が出土すると,被葬者や墓の築造年代の特定が可能となるので,歴史学・考古学分野においては極めて重要な副葬品と認識されてきた。
小池, 淳一 KOIKE, Junichi
本稿は日本の民俗文化におけるニワトリをめぐる伝承を素材にその特徴を考察するものである。ここではニワトリをめぐる呪術や祭祀、伝説を取り上げ、民俗的な世界観のなかでのニワトリについて考え、その位相を確認していく。それによって文芸世界におけるニワトリを考究する前提、もしくは基盤を構築する。まず、呪術としては水死体を発見するためにニワトリを用いる方法が近世期以降、日本各地で見いだせることに注目した。生と死、水中と陸上といった互いに異なる世界の境界でニワトリが用いられたのである。続いてニワトリが関わる祭祀として、禁忌とされたり、形そのものが神聖なものとされる場合があることを指摘した。さらにその神格としても移動や境界にまつわるとされることを述べた。最後に伝説においても土中に埋められた黄金がニワトリのかたちであったり、年の替わり目にニワトリが鳴いて黄金の存在を示すといった例が多く見いだせることを確認した。
浦崎, 武 Urasaki, Takeshi
広汎性発達障害をもつ子どもたちの体験する世界が、成人の高機能広汎性発達障害者が述べた\n自伝や幼児期の回想のように恐怖に満ちた内的世界であることを考慮すると、特別支援教育にお\nいても彼らの内的世界に歩みより理解を深めながら教育や支援を行っていくことが重要な課題と\nなる。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校における通常の学級の特別支援教育の\nスタートにより試行錯誤の取り組みが教育現場で行われている。しかし、集団としての子どもた\nちの前で常に関わっている学校の教師たちの忙しい現実のなかでの子どもたちの関わりは、障害\nの特性を理解した上での関わりということよりも自分自身の経験や教育観による自己流の関わり\n方での対応のみになってしまう傾向がある。その場合、子どもの様々な問題が生じてきたときに\nどのように指導するかというスキルや方法論が求められ優先されてしまうことになり、結果とし\nて子どもたちの内的世界への理解が抜け落ちてしまうことによる2次的な障害が生じてしまう可\n能性がある。そこで本研究では小学校における学校生活において内的世界への理解をもった重要\nな他者としての学生支援員がアスペルガー障害のある子どもとの関係の形成による支援を行った。\nその支援を行うなかで生じてくる現実的な課題について検討しさらに、重要な他者との関係性と\n専門機関との連携の必要性について考察した。その結果、重要な他者としての具体的な対応のあ\nり方と教師と支援員との連携を行う上での障害の理解に基づく支援方針の設定など専門機関との\n連携の必要性の根拠が示された。
山田, 慶兒
『太清金液神丹経』巻下は、六世紀の錬金術者偽葛洪が書いた、南洋と西域の地理志である。この書は、従来、歴史地理学の資料としてあつかわれてきたが、実はひとりの道教徒が描きだした錬金術的ユートピアにほかならぬことを明らかにし、その幻想の地理的世界像を分析し、再構成する。
名護, 麻美 タン, セリーナ 當間, 千夏 東矢, 光代
この事例報告では、2021年3月に実施した世界展開力強化事業のオンライン型短期研修プログラム(「太平洋島嶼地域特定課題プログラム」)の概要を紹介するとともに、プログラムの自己点検・評価をふまえた質保証を伴う教育効果を分析し、効果的なオンライン型研修プログラムを構築するための取り組みの整理を試みる。
山田, 慶兒
龍谷大学大宮図書館には、仏教天文学説である須弥山説を表示した二台の模型、須弥山儀と縮象儀がある。制作はからくり儀右衛門の名で知られる、東芝の創立者田中久重である。須弥山儀が須弥山世界全体を表示するのに対して、縮象儀は須弥山世界の南方にあるという、南閻浮提洲(大地にあたる)を表示する。須弥山儀については多くの文章が書かれているが、縮象儀はまだ紹介されたことがない。須弥山儀・縮象儀の最初の作者である円通の「縮象儀説」を解説し、縮象儀とはなにかを明らかにする。
篠原, 徹 Shinohara, Tooru
「聞き書き」は民俗学の資料収集の主要な方法である。そしてどんな「聞き書き」であれ,それは語る人の体験と伝承されてきた口承が多かれ少なかれ弁別できない形で融合している。その「聞き書き」のなかで伝承されてきたものによる程度が大きければ大きいほど,より民俗的な現象として資料化されてきたといえる。つまり個人的な体験は体験そのものが民俗的な現象でなければ(たとえば民俗宗教のようなもの),民俗学は「聞き書き」のなかから体験を排除することによって文字ある世界で「文字なき広大な世界」の歴史資料化を試みてきた。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
1990年代後半のインターネット揺籃期、成長期を経て、現在、わが国は世界最高水準のネットワークインフラを整備している。情報通信技術(ICT:Information\nand Communications Technology)を21世紀の持続的発展の原動力と位置づけ、それを推進した政策がe-Japan戦略である。さらに2010年までには全国にブロードパンドとユビキタス環境を整備し、情報通信技術の利括用で世界のフロントランナーを目指すu-Japan政策が展開されている。沖縄では、1998年に発表された「沖縄マルチメディアアイランド構想」が、2000年に開催されたG8九州沖縄サミットで採\n択された沖縄IT憲章に後押しされ、IT関連企業の誘致と集積が進められている。\nしかしながら、それがコールセンターに偏っていることから、今後の政策の見直しが迫られている。\n 本稿では、これら情報通信政策を整理し、政策が情報通信技術の普及と啓蒙に果たした役割を明確にし、今後の課題を検討している。また、グローバリゼーションと情報通信技術の急速な進歩により、とりわけビジネスにおけるモジュール化が加速され、また、世界や社会がフラット化しつつある現象が指摘されている。ウェブ自体の進化も、Web2.0という用語に代表されるように、大きな質的変化を遂げて\nいる。\n このような現実を政策に反映するには、情報通信技術へのアクセスが機会を生み出すというデジタル・オポチュニティという考え方よりも、ウェブヘのアクセスと、ウェブとリアル世界のコラボレーションが創造の機会を増幅するという、ウェブ・\nオポチュニティという概念が望ましいのではないだろうか。
春成, 秀爾 Harunari, Hideji
熊祭りは,20世紀にはヨーロッパからアジア,アメリカの極北から亜極北の森林地帯の狩猟民族の間に分布していた。それは,「森の主」,「森の王」としての熊を歓待して殺し,その霊を神の国に送り返すことによって,自然の恵みが豊かにもたらされるというモチーフをもち,広く分布しているにもかかわらず,その形式は著しい類似を示す。そこで人類学の研究者は,熊祭りは世界のどこかで一元的に発生し,そこから世界各地に伝播したという仮説を提出している。しかし,熊祭りの起源については,それぞれの地域の熊儀礼の痕跡を歴史的にたどることによって,はじめて追究可能となる。
大江, 満
ベルリン会議のアフリカ分割から一〇年後の一九世紀後半、欧米列強から不平等条約を強いられてきた明治日本が、念願の改正条約を五年後に実施することに成功した一八九四年、英米聖公会の在日ミッションは、彼らの日本伝道地をアフリカのように分割した。日本が対米列強劣勢の外交を挽回したとき、欧米由来の外来宗教は日本領土を宗教的に植民地化したのである。同年、日本はアジアの覇者中国に戦勝し、台湾を植民地化する。日本聖公会における日本人による国内自主伝道の権限は、日本聖公会の諸地方部管轄権を所有する外国人主教が掌握したことで、日本人の自主伝道は「新領土」台湾に弾き出された。それ以来、一九二三年に設立された東京・大阪の日本人主教管轄区をのぞく日本聖公会諸地方部は、各英米ミッションに管轄され、戦後もそれは、傘下の日本人によって旧ミッション帰属の教区制度として踏襲されて、現代に及ぶ負の遺産を抱えることになったのである。
高倉, 健一
麗江古城は、少数民族・納西族の中心的な都市として約800年の歴史を持つ古都である。
メイナード, 泉子・K MAYNARD, Senko K.
本論文は指示表現の談話レベルの表現性を問うものであるが,認識論の中の視点という概念を用いて(具体的には「見え先行方略」を解釈過程の根底に据えて)語り手の態度や情意を伝えることを論じる。指示表現は,いわゆる現場指示のコソアの指示条件を基盤として,談話レベルでは(1)コ系は,言語行為を性格付けるメタ表現となったり,対象となるものを近距離の視点から描写し,心理的に近距離感を促す機能,(2)ソ系は,先行する情報の一部を受けて,またはそのように装って,対象を距離を置いて捉えながら談話を展開していく結束性の機能,(3)ア系は発話時点の談話の世界から遠く隔たった,情的に関心のある対象を共に見つめる共感を促す機能,があることを論じる。さらに,語り手と語られる内容との位置関係,物語の場面転換,ソ的な世界とコ的な世界の並列や内包,人間関係を考慮に入れたコミュニケーションの実現など,複数の機能を果たす。指示表現とは,最終的には,その表現を選んだ語り手の場における位置関係を指標し,語り手と対象との心理的・情意的な距離をも含むことを論じる。
正木, 晃
縄文時代から奈良時代までを概観した前回をうけて、平安時代の「聖空間の自然」を取り上げる。ひとくちに平安時代といっても、古代から中世までつらなる四百年はあまりに長い。そこでまずは、この時代の人々の心に最も大きな影響をあたえた密教世界を、今回の主題としたい。より具体的にいえば、俎上にのぼるのは、密教と月の関係である。
阿部, 新 ABE, Shin
本研究では,日本語学習者の文法学習と語彙学習に対するビリーフについて,世界各地の学習者を対象とした先行研究結果を取り出して地域的特徴を考察した。さらに,先行研究で明らかになっているノンネイティブ日本語教師のビリーフの傾向,日本人大学生や日本人教師のビリーフ調査の結果とも比較した。その結果,文法学習も語彙学習も大切だというビリーフに学生が強く賛成し,現地のノンネイティブ日本語教師と同じ傾向を示す地域(南アジア,東南アジア),そのようなビリーフに学生は賛成するが,それほど強く賛成するわけではなく,現地のノンネイティブ日本語教師の傾向とも近い地域(西欧,大洋州),前2者の中間程度の強さで学生がビリーフに賛成し,教師のビリーフとはやや異なる傾向の地域(中南米,東南アジア・東アジアや大洋州の一部)など,地域による違いが見られた。さらに,日本人の結果を見てみると,日本人大学生や教師歴がごく短い日本人教師は,文法学習も語彙学習も大切ではないというビリーフを持ち,世界各地の学習者とは異なる傾向を示す。一方,経験豊富な教師は世界各地の学習者と同じような傾向であることも分かった。最後に,こういった傾向を把握したうえで,文法・語彙のシラバス・教材作成と普及を行う必要があることを指摘した。
陳, 先行 陳, 捷 CHEN, XIANXING CHEN, Jie
上海図書館は、数多くの貴重な古典籍と古文書とを収蔵する世界トップ10に位置する公立図書館である。本稿は上海図書館の古典籍コレクションの歴史、現状と蔵書の特徴を説明し、これらの古典籍に対する整理、保護、および研究について紹介する。
塩原, 佳典
一九世紀後半は、「博覧会時代」ともいわれる。ヨーロッパで始まった万国博覧会を契機として、博覧会ブームが世界に広がっていく。その波を受け、明治維新後の日本でも各地で博覧会が催されていった。
細川, 周平
ジャズはそれまでの音楽にはない急速で広範囲の伝播を特徴としている。その原型ができあがってまもない一九二〇年代に世界共通語になった背景には、三つの新しい再生技術―電気録音、ラジオ、サウンド同期映画(トーキー)―の力が大きい。
福井, 七子
ベネディクトは、文化は個人や社会変化に対する可能性と開放を含むものであり、ひとたび人間が文化の力を意識し始めると、社会の要求に合うように修正され得るもので、文化は望まれる将来の世界への鍵のようなものと考えていた。
窪薗, 晴夫 KUBOZONO, Haruo
2009年10月に始まった共同研究プロジェクト「日本語レキシコンの音韻特性」の中間報告を行う。このプロジェクトは,促音とアクセントを中心に日本語の音声・音韻構造を考察し,世界の言語の中における日本語の特徴を明らかにしようとするものである。促音については,主に外来語に促音が生起する条件およびその音声学・音韻論的要因を明らかにすることにより,日本語のリズム構造,日本語話者の知覚メカニズムを解明することを目指している。アクセントについては,韓国語,中国語をはじめとする他の言語との比較対照を基調に,日本語諸方言が持つ多様なアクセント体系を世界の声調,アクセント言語の中で位置づけることを目指している。本論文では本プロジェクトが明らかにしようとする問題点と近年の研究成果を総括する。
岩井, 茂樹
お茶の世界でよく言われることに、「「掛物に恋歌はふさわしくない」ということがある。では、何故恋歌はいけないのだろうか。これは茶道界全体について言えることなのであろうか。本論稿はこの事項に関するものである。
斎藤, 真麻理 SAITO, MAORI
『鼠の草子』は異類婚姻譚という伝統的な主題を軸とし、民間伝承「鼠の浄土」「見るなの座敷」などとも通じ合う世界を内包する物語である。この室町物語は、人間が留まり得ない異郷への訪問譚として捉えることができる。
岩城, 卓二 Iwaki, Takuji
本稿は隅田荘を対象に、神社祭祀を結合契機とする地域社会が、在地領主連合という中世的世界を解体させ、村役人を運営主体とする村連合へと移行し、さらにその内部秩序を変容させていくまでの過程を明らかにしたものである。内容は次のとおり。
池上, 大祐
本研究は、「知花弘治」「屋良朝苗」「山内徳信」の3 人の人物に焦点を当てて戦後の読谷村を概観することで、読谷村民の多様な闘いのあり方と世界との繋がりを描いていく。沖縄県民としての共同体意識が醸成していたボリビアへ村民を導いた「知花弘治」、村民及び県民全体の日常生活の保護と同義的であった基地返還の達成と読谷村の地域社会形成に不可欠な教育復興に尽力した「屋良朝苗」、行政・住民の協働と自治体外交による土地返還と村づくりを達成した「山内徳信」はそれぞれ主とする活動場所が異なるものの、起点を読谷村としている。村民生活の再建復興において苦難の道を強いられた読谷村民は、いかにして平和な日常生活を取り戻し、改善・維持しようと働いたのだろうか。屋良朝苗や山内徳信の著作物および自治体史・新聞資料を資料に用い、「読谷村のなかの世界史」を考察していく。
松本, 英治 Matsumoto, Eiji
本稿では、福岡藩の蘭学者の嚆矢として知られる青木興勝の長崎遊学の実態を、新出史料『阿蘭陀問答』を翻刻・紹介しながら検討し、長崎遊学の経験が興勝の対外認識にいかなる影響を与えたのかについて考察した。興勝の長崎遊学は、長崎警備を担当する福岡藩にとって世界地理や国際情勢の把握が不可欠であるという強い時務意識に基づいて行われたものであった。世界地理や国際情勢の研究のためには、海外情報の収集と分析が不可欠である。福岡藩の場合、長崎の蔵屋敷に聞役を常駐させ、阿蘭陀通詞を掌握して海外情報の収集にあたらせていた。買物奉行として蔵屋敷に詰めていた興勝にとって、このような環境が自らの研究を進展させる大きな要因となった。
安藤, 正人 ANDO, Masahito
本稿は、20世紀の戦争や植民地支配がアーカイブズに及ぼした影響についての研究の一環として、第二次世界大戦期に在外公館文書の押収等をめぐり日英両国の間に繰り広げられた確執の問題をとりあげるものである。ただし、日本側の史料については、まだほとんど見ていないので、今回はもっぱらイギリス側史料の紹介を中心とし、詳しい分析は次の機会に譲りたい。
世界の人口の約半分は、農村、山村、漁村に住んでいます。そこに足を踏み入れると、ほっとする風景やさまざまな暮らし、人びとの姿に出会うことができます。あれこれと会話をしていると、いつの間にかその土地にやさしく暖かく包まれるような気がしてきます。
コムリー, バーナード Comrie, Bernard
言語類型論は日本語等の個別言語を通言語的変異に照らして位置づけるための1つの方法を提供してくれる。本論では個々の特徴の生起頻度と複数の特徴の相関関係の強さの両方を検証するために,WALS(『言語構造の世界地図』)を研究手段に用いて言語間変動の問題を考察する。日本語と英語は言語類型論的に非常に異なるものの,通言語的変異を総合的に見ると,どちらの言語も同じ程度に典型的であることが明らかになる。また,日本語が一貫して主要部後続型の語順を取ることは,異なる構成素の語順に見られる強い普遍的相関性の反映であるというよりむしろ,日本語の偶発的な性質であると主張できる。最後に,WALSの守備範囲を超えた現象として,多様な意味関係を一様に表す日本語の名詞修飾構造,および類例がないほど豊かな日本語授与動詞の体系に触れ,それらを世界の他の言語との関係で位置づけることで本稿を締めくくる。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
孫, 才喜
本稿では太宰文学の前期から中期の半ばまでに多く書かれた作品群、すなわち作中人物として作家、または作家「太宰」が登場し、作中で創作に対する苦悩、探求の様子を物語った「創作探求の小説」を中心に、作家の虚構理念、虚構意識、創作方法、文学観、自然観などの分析を行った。『ロマネスク』における「切磋琢磨」された「嘘」や、『めくら草紙』にあらわれている「鉄の原則」化された「巧言令色」は、ともに虚の世界に創造力を極大にし、「人工の極致」の境地を目指すものであった。すなわち同じく虚の世界である小説にリアリティを保証しようとする作家「私」の創作上の方法論であり、虚構理念である。これに芭蕉俳諧における「風雅の誠」との深い関わりがあったことは明らかである。
武田, 喜乃恵 Takeda, Kinoe
広汎性発達障害の根本的問題が、他者身体のもつもうひとつの主体をうけとめて、<能動一受動>のやりとり関係を結ぶことの困難性であることが言われている(浜田、1992)。<能動一受動>のやりとりが相互に展開されることで、人は人間的な意味の世界を知り、その意味世界の共有を通して“私"というものの形成の歩みをたどることができる。発達障害児等へのトータル支援教室の集団支援から1事例をとりあげ、他者との<能動一受動>のやりとりの変容過程を明らかにしトータル支援教室の果たした役割について検討した。情動をふくめた共有体験を保障したことが、他者を理解し、自分の行動のあり方を調整する力を育て、<能動一受動>のやりとりを円滑にしていくことが示唆された。
小林, 忠雄 Kobayashi, Tadao
江戸を中心とした近代科学のはじまりとしての合理的思考の脈絡について,近年は前近代論としてさまざまなかたちで論じられている。加賀の絡繰師大野弁吉については,これまでその実像は充分に分かってはいない。本論文はこの弁吉にまつわる伝承的世界の全貌とその構造について,弁吉が著した『一東視窮録』を通して検証し,幕末の都市伝説の解明を試みたものである。
武田, 喜乃恵 Takeda, Kinoe
広汎性発達障害の根本的問題が、他者身体のもつもうひとつの主体をうけとめて、<能動―受動>のやりとり関係を結ぶことの困難性であることが言われている(浜田、1992)。<能動―受動>のやりとりが相互に展開されることで、人は人間的な意味の世界を知り、その意味世界の共有を通して“私”というものの形成の歩みをたどることができる。発達障害児等へのトータル支援教室の集団支援から1事例をとりあげ、他者との<能動-受動>のやりとりの変容過程を明らかにしトータル支援教室の果たした役割について検討した。情動をふくめた共有体験を保障したことが、他者を理解し、自分の行動のあり方を調整する力を育て、<能動―受動>のやりとりを円滑にしていくことが示唆された。
吉田, 孝次郎
祇園会の山鉾に使用する工芸品は、質、量、品種に於いて世界の至宝といっても過言でないものを現在も使用しているが、特に懸装染織品は、近世染色美術史を痛感し得る内容をそなえ、中国大陸文化圏をはじめ、印度、中近東、大航海時代以降の欧州の染織品を数多く有している。
塚本, 學 Tsukamoto, Manabu
文化財ということばは,文化財保護法の制定(1950)以前にもあったが,その普及は,法の制定後であった。はじめその内容は,芸術的価値を中心に理解され,狭義の文化史への歴史研究者の関心の低さも一因となって,歴史研究者の文化財への関心は,一般的には弱かった。だが,考古・民俗資料を中心に,芸術的価値を離れて,過去の人生の痕跡を保存すべき財とみなす感覚が成長し,一方では,経済成長の過程での開発の進行によって失われるものの大きさに対して,その保存を求める運動も伸びてきた。また,文化を,学問・芸術等の狭義の領域のものとだけみるのではなく,生業や衣食住等をふくめた概念として理解する機運も高まった。このなかで,文献以外の史料への重視の姿勢を強めた歴史学の分野でも,民衆の日常生活の歴史への関心とあいまって,文化財保存運動に大きな努力を傾けるうごきが出ている。文化財保護法での文化財定義も,芸術的価値からだけでなく,こうした広義の文化遺産の方向に動いていっている。
山折, 哲雄
人は毎日のように眠りにつき、そして目覚める。その眠りのなかには、むろん夢の時間が訪れる。だが、その眠りがさらに深くなっていくと、夢の世界が消え、闇のような熟睡がやってくる。この熟睡状態におちた人間の顔を観察すると、ほとんど死者の顔に近いことに気づかされる。
佐々木, 孝浩 SASAKI, Takahiro
人麿影供創始者六条顕季の孫清輔の発見に始まる人麿塚墓参の伝統の追跡と確認。人麿影供の一変形として歌林苑周辺歌人を中心に行われた展墓の蓄積が、やがて説話世界での西行の人麿展墓を生み出すに至るまでの過程を考察し、中世に於ける人麿信仰の在り方の一端を窺ってみた。
渡辺, 守邦 WATANABE, Morikuni
泉州信田の葛の葉狐の子が、母と生き別れて、天文博士に出世する安倍の童子の物語は、源を『簠簋抄』に発する。この話は、むしろ浄瑠璃、歌舞伎に入って以降おもしろみを倍増するのであるが、本稿は、反対に、この話を育んだ、暦数書の仮名注の世界を俳徊してみようとするものである。
藏滿, 逸司 Kuramitsu, Itsushi
第二次世界大戦敗戦から沖縄の日本復帰までの間に、現在の沖縄県を中心に使用された琉球切手は、沖縄県の戦後史を学ぶ教材として有効であるという考えから教材化に取り組んだ。本論では、琉球大学付属中学校三年生に対する授業の記録と感想文を分析し、今後の取り組みの方向性を模索した。
温帯の湿潤な気候のもとで暮らす私たちにとって、乾燥地は、遠い世界に感じられます。緑に乏しい広漠とした風景は、一見すると、私たちを寄せ付けないような雰囲気があります。乾燥地の村々を歩いてき回ると、そんな印象とは正反対の、生き生きとした暮らしの風景が広がっています。
髙良, 宣孝 Takara, Nobutaka
この実践報告では,「カタカナ英語」を利用した英語の授業について報告する。特に次の2点に焦点を当てていく:⑴4つの特徴(①カタカナ英語を利用した英語の授業,②〇×の札を利用したクイズ形式の授業,③1セッション15分間程度という制限,④パワーポイントを駆使した授業)を活かした英語の授業,と⑵世界諸英語(World Englishes)の視点からの「カタカナ英語」,である。第1に,これまで筆者が小学校を中心に実践してきた授業における4つの特徴について詳述する。第2に,上記の「カタカナ英語を利用した英語の授業」との関連から,一般的に考えられている「『カタカナ英語』=『誤った英語』」という認識は適切ではなく,世界諸英語(World Englishes)という観点から捉え直すと,「カタカナ英語」は英語の一変種であること,そしてそれを利用することで標準的なイギリス英語やアメリカ英語を学習することが可能であることを示す。最後に,これまで上記2点を意識して授業を行なってきた経験から,2つの提言を行なう。第1に,4つの特徴を活かした授業は小学校での英語教育のみならず,中学校・高校での英語の授業においても有効に活用した方が良い,ということを提言する。第2に,英語教員を目指す学生は世界諸英語(World Englishes)の基本的な知識を学ぶ必要がある,ということを提言する。
川口, 雅子 KAWAGUCHI, Masako
近年、世界の主要美術館では来歴研究がさかんに推進されている。背景には、略奪美術品問題など社会からの要請があるが、そのような社会的使命を視野に入れつつ、今日の美術館アーカイブズはどのような記録の保存に取り組んでいるのか、カナダ国立美術館を事例として探るのが本稿の目的である。
植野, 弘子 Ueno, Hiroko
本稿は、台湾漢民族における死霊と土地の超自然的存在との関連についての一試論である。漢民族においては、祖霊と死霊は明確に区別されている。死霊―「鬼」は、子孫をもたず、あるいはこの世に恨みを残して死んだものであり、冥界で不幸な境遇にあるとされる。こうした「鬼」はこの世にさまよい出で人々に不幸を振りまくことになる。しかし、「鬼」は可変的性格をもち、祖先にも神にも変化する存在である。これまでの研究においては、「鬼」は霊的世界のアウトサイダーであり、「鬼」を無体系なものとみなしてきた。しかし、「鬼」はけっして混沌たる世界を漂漾しているのではない。人と「鬼」との交信には「鬼」を統轄する神々が登場する。この神々は陰陽両界に関わるとともに「地」に関わる神であり、「鬼」が昇化して神になったものもいる。落成儀礼〈謝土〉において、人は建造物を建てた土地から邪悪なものを払い、その土地を「陰」の世界の土地の持ち主〈地基主〉から買い取らねばならない。〈地基主〉とは、かつての土地の持ち主で死後その霊がその土地に残ったものとされている。つまり「鬼」であり、「鬼」が土地の主となるのである。土地は「陰」から「陽」の世界のものとなって初めて人が住むのにふさわしいものとなる。土地は陰陽の両界をつなぐ場である。人と死霊は「地」に関わる超自然的存在によって媒介され、人はその住む地によって冥界と切り放せない現世を知るのである。漢民族は冥界をこの世と同様にリアルに描いている。そして、冥界と地とを結び付けることによって、また「鬼」という浮遊性をもつ超自然的存在に一定の秩序を与えることによって、人が他界を生活の中に感じ、また解釈を与えているのである。
村上, 呂里
本研究は、リテラシー実践と〈包摂〉をめぐる今日的論点を踏まえ、沖縄の教室に根ざしたリテラシー実践における〈包摂〉と〈再包摂〉の可能性について考究した。その際、J. Willinskyによるニューリテラシー論(1990)を拠り所とした。3つのリテラシー実践事例(小学3年生「おにたのぼうし」の授業、小学6年生「海の命」の授業、小学5年生「椋鳩十さんに学んで動物作家になろう」)からは、pariah(のけ者)とまなざされる存在を〈包摂〉することを通して、教室全体で「わかちあう世界への希求」「自然への畏れとともに命の循環を生きる」「多様な命へのケア」といった意味・価値が創成される〈再包摂〉のプロセスが浮かび上がってきた。さらには命への慈しみという視座から「世界における自分のホーム」を形づくる可能性が醸成されていった。
Akamine, Kenji 赤嶺, 健治
1869年に出版されたThe Innocents Abroad(『赤毛布外遊記」)は、作者マーク・トウェインが1867年6月から11月までの約5か月間、蒸気船クウェーカーシティ号によるヨーロッパと聖地巡礼の旅にサンフランシスコのアルタ・カリフォルニア紙の特派員として同行し、旅先から書き送った58通の手紙を基に書き上げた旅行記である。マーク・トウェインは、本作品の他にも、Roughing It(1872)、A Tramp Abroad(1880)、Following the Equator(1897)等の旅行記を書いているが、ベストセラーとなったのはこのInnocents Abroadのみで、本作品が彼の旅行記の中でも最も高い評価を得ており、「アメリカ人が書いた海外旅行記の中で最も人気のある本」と評されている。本作品の重要な特徴は、作者自身も序文で公言しているように、ヨーロッパと東洋を先人の目、つまり当時広く読まれていたガイドブックを通じて、ではなく「自分の目」で見るという作者のリアリストとしての自覚と視点にある。このことは、ノーマン・フォースターが、1869年を、本作品が出版された年という理由から、アメリカン・リアリズムの出発点としていることでも裏書きされている。マーク・トウェインは、訪問する各地での見聞記の中に、ヨーロッパを中心とした旧世界のみならず新世界アメリカの人間と社会、文明全般についての正鵠を射る批判を行っている。アメリカについては、まず同行者の中の「巡礼者」と呼ばれる人々の、訪問先での先入観に影響された誤った価値判断や宗教的偽善を風刺する一方で、アメリカ人一般の物欲に根差したゆとりのない生活ぶりを批判している。旧世界については、彼の文明評価の尺度である「庶民の経済的、道徳的水準」を当てはめて、イタリアにおける貧困にあえぐ庶民と栄華をきわめる教会との間の断層、聖地パレスチナでの庶民の貧困などの厳しい現実に直面して味わう幻滅の悲哀が語られている。マーク・トウェインは、アメリ力人としての誇りを前面に押し出し、旧世界の風物に対するアメリカの風物の優位、例えばイタリアのコモ湖やパレスチナのガリラヤ湖よりもカリフォルニア、ネヴァダ両州にまたがるターホー湖の方がはるかに美しいし、ヨルダン川よりもニューヨーク市のブロートウェイ通りの方が大きいことなどを自慢する。しかし、彼の手法は、基本的にはリアリストの手法であり、新旧両世界に向けた彼の風刺や批判には客観性がある。本作品でもマーク・トウェインは、過去の文明と将来の文明の間に立って双方を鋭い眼差しで見透す、いわば双面神ヤヌスのような批評家であり、本作品は、彼自身のみならずアメリカン・リアリズムの発展の前ぶれ又は先駆けとして重要な意義と内容をもつものであると言えよう。
藤田, 明良 Fujita, Akiyoshi
本稿は、媽祖を中心に航海信仰をめぐる東アジアと日本との歴史的連関について論じるものである。東アジアには古くから、国家祭祀の対象となる四海神、民間で広く信仰された龍王、仏教系の観音など、広域的な航海信仰が存在する一方で、各地で限定的に信仰された地方的航海神が数多くいた。媽祖は宋代に中国福建中部の莆田地方に出現した地方的航海神であったが、当地の海商の活動によって、中国中南部沿岸に信仰が拡がる一方、当地の士大夫層の運動で皇帝から授与される神階が上昇し、中国の有力な航海神になっていった。元代「天妃」に冊封され、明代には鄭和等の海外出使の守護神になるなど国家的航海神としての地位を高める一方で、海域世界の心性に響き渡る「物語」を獲得して、盛衰が激しい信仰の世界で影響力を伸ばし、中国北部やアジア各地の海域に信仰が拡がっていった。
梅屋, 潔 Umeya, Kiyoshi
私はここ10年ほど,ウガンダ東部にすむアドラ民族出身でアミン政権(1971-1979)閣僚だった故オボス=オフンビの「遺品整理」とでもいえるような作業を行っている。彼はアミンの側近でありながら,ついにはその命令で殺害された人物である。出身地域で随一のエリートとして評価される一方,その生涯はティポtipo(殺害された者の死霊)やラムlam(呪詛)そして予言者などの観念で彩られ,両義的な評価を付与されてきた。彼は当該民族最初の民族誌の著者であり,国防大臣として軍の兵舎を誘致し,父の墓を二度建てかえ,その名を冠したチャペルを建造した。邸宅には当時を知る手がかりとなる数多くの遺品が残っている。偶然から始まったこの人物への関心がアドラ民族の世界観への理解を深めることはもちろん,地域から見た世界史,そしてその手がかりとなるモノへの関心に繋がるようになった軌跡を辿る。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
90年代において、授業をめぐる諸状況に大きな変化が生じてきている。とくに教授主体と学習主体の身体に問題が生じてきている。心身を一元的にとらえる身体論の立場から、身体が生き、世界が広がる場として授業をとらえ、その観点から授業指導のあり方を見直す必要がある。また、教授主体と学習主体、学習主体同士の関係のあり方が変化してきている。学習権の主体として子どもをとらえ、子どもが学習権の主体として授業に参加し、世界を創造する場として授業をとらえ、関係論の立場から授業指導のあり方を見直す必要がある。本稿では、身体論・関係論の観点から、教授・学習関係の構築、教育内容の指導過程の構想、主体同士の学習共同と対話・討論の創造、授業における学習集団の形成について、論じた。本稿は一つの試論であり、今後さらに検討し、発展させていきたい。
光田, 和伸
日本の近世において大いに発達した表現手法である「見立て」は「俳諧」においては、ジャンルの芽生え以来深く宿命づけられた手法であった。和歌・連歌の作者の余技・余興として始められた俳諧は、それら先行の文学を参照しつつ、それを異化することで、ジャンルを樹立したのである。その結果、重頼(一六〇二―八〇)の編集になる俳諧作法書『毛吹草』(一六四五)には、「見たて」の条をはじめ「云立」「取成」「たとへ」などの項目を細かく列挙するまでになる。今日の目からすれば、相互の差異を容易には見出しがたいこの精細な分類に、ジャンルの表現の洗練にかける当時の状況がうかがわれる。芭蕉(一六四四―九四)はこのような時代に生まれ、当時の常套的な作風をいちはやく摂取していくが、次第に「和歌世界の見立て」であるという俳諧の表現世界の限界に気付きはじめる。しかし「見立て」は俳諧というジャンルが存立するための基盤であった。彼は逆に表現主体自らを古典作者の「見立て」と見なす方法によるならば、俳諧というジャンルの制約をまもりながら、表現世界の限界を脱して、対象を一挙に時代の全域にまで広げることが可能であるということに目覚めてゆく。表現主題自身を「見立て」と化し、先行の古典作者と自身とを貫くものの自覚へと沈潜することによって、ジャンルの二律背反から脱出した芭蕉は、その原理を、絶えずより広く、深めることで、今日「不易流行」「高悟帰俗」の語によって象徴される新しい文学の方法へと到達したのである。
ストリッポリ, ジュセッペ STRIPPOLI, Giuseppe
明治後期に活躍した作家堀内新泉は、立志小説と植民小説というジャンルの枠組みの中で論じられてきたが、明治末期に冒険雑誌に載せられた探検小説群は注目されてこなかった。本論では彼の探検小説の一部を占め、現代のSFの作品として認められる宇宙探検を語る「三大冒険雑誌」の二つである『探検世界』と『武侠世界』という雑誌に掲載された「水星探検記」(一九〇六)、「金星探検記」(一九〇七)、「月世界探検隊」(一九〇七)、「少年小説昇天記」(一九一〇)という四つの短編小説を扱う。確かに明治時代では科学小説(SF)は文学ジャンルとしては確立されていなかった。しかし、堀内新泉の作品が示すように、科学小説的な物語が全く存在しなかった訳ではない。彼の宇宙探検を扱った作品は、明治から戦後に至るまでの多種多様な文学作品から成る、いわゆる「SF古典」の一つの例として捉えることができる。このような視点から彼の宇宙作品群を分析することで、SF古典作品が探検小説、冒険小説、科学小説などの枠組みで認知されていた明治時代まで日本SFの起源を遡って考えることができる。日本近代文学が確立されはじめた明治期に、思弁的な空想を取り扱うSFというジャンルを設定することにより、日本近代文学の一つの特徴が浮かび上がる。それは、坪内逍遥が『小説神髄』で確かなものにした、文壇の中心を占める現実主義文学に対する、ありのままの現実から距離を取る「アンチ・ミメーシス」という特徴である。
徳田, 和夫 TOKUDA, Kazuo
三条西実隆の日記『実隆公記』の紙背に物語絵巻の絵詞と認められるものがある。現存の物語類に該当しない、得体の知れないものだが、順次検討してみると、室町期に頻出したお伽草子作品の世界と軌を同じくするものと了解される。お伽草子の時代にあった、実隆の創作意識も把握されるものである。
春成, 秀爾 Harunari, Hideji
縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,1937年に,縄文土器型式を細別すると同時に,早期・前期・中期・後期・晩期に大別した。各時期は,関東・東北地方では平均5土器型式から成っていた。
久野, 昭
一〇二〇年、ひとりの幼い少女が家族とともに上総から京へ、三ヵ月の旅をした。およそ四十年後に、彼女はその旅のことを、『更級日記』のなかに書いている。その記述からも、この世とは異質の世界に対して彼女がいかに鋭敏だったかが、窺われるのだが、この幼い少女の感性を明らかにしようというのが、本稿の意図なのである。
野網, 摩利子 NOAMI, Mariko
漱石『明暗』では、ウィリアム・ジェイムズ『心理学大綱』が考察したように、登場人物の身体感覚によって、小説内の事物、出来事に明暗を与える。登場人物に身体が持たせられているには理由がある。その身体によってまれる世界像が、登場人物の動いてゆく現在の局面で小説に生産されることが目指されているからである。
ヤコブセン, ウェスリー・M Jacobsen, Wesley M.
日本語では仮定性や反事実性といったモーダルな意味が状態性や反復性など,未完了アスペクトに関わる時間的な意味を表す言語形式によって表現される場合が少なくない。こうした相関関係は,仮定的な意味が典型的に生じるとされる条件節などの従属的な環境においてのみならず,可能性,願望,否定といった意味が主文に表れた場合にも観察される。本論では,Iatridou(2000)で提案されている過去形の「除外特徴(exclusion feature)」に対して,未完了アスペクトの「包含特徴(inclusion feature)」を提案し,以上の相関関係の説明をこの特徴の働きに求めてみた。それによると,未完了アスペクトには,話者の視点である基準時以外の時点までも想定されるという時間的な特徴が本質的に備わっており,これが転じて,話者の世界(現実の世界)以外の可能世界までも想定されるという解釈へと拡張することによって仮定的・反事実的意味が生じるとする。インド・ヨーロッパの諸言語では,反事実性の意味表出に過去形が関わっている現象がこれまでにたびたび指摘されてきたが,少なくとも一部の言語では,反事実性,ひいては仮定的な意味一般の表出に,テンスとは補完的な形でアスペクトも重要な役割を果たしていることが,日本語のこうした諸現象の検証によって明らかになる。人間にとって現実性の把握に,時間の把握がどんなに深く関わっているかをうかがわせる現象として注目に値する。
外川, 昌彦
本稿は、1891年に大菩提協会を創設し、世界的なブッダガヤの復興運動を組織したスリランカの仏教運動家アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala、1864―1933)と、当時の日本人との関わりを検証している。特に、1902年に九ヶ月に渡りインドに滞在した岡倉天心が、その滞在中に関わりを深めてゆくブッダガヤ問題の背景を、浮き彫りにしようとするものである。
武井, 基晃
琉球王国時代から今日に至るまでの沖縄の食文化は,第二次世界大戦時の地上戦という文化・生活の崩壊のあと,戦後アメリカ統治下における高度経済成長,日本本土復帰さらに観光化を経て復興した。それは,琉球の食文化・琉球料理の保存,そして次代へと沖縄の料理を発展させるための意識的な再定義の結果でもあった。
坂井, 隆 Sakai, Takashi
世界史的な陶磁貿易の構造解明に向けて,本論では東南アジア群島部における陶磁器消費者の実態像について,各地の考古資料より接近を試みた。具体的な使用者を探る手掛かりとして食膳具・調度具・貯蔵具に区分することで各遺跡出土品の内容を検討し,またこの地域の特徴を示す重要な製品であるクンディ型水注とアンピン壺のあり方を考えた。
Camacho, Keith L. Ueunten, Wesley Iwao カマチョ, キース L ウエウンテン, ウェスリー 巌
オセアニアでは様々な形でアメリカ合衆国の軍事化が進行しているが、本論はこうした軍事化の渦中で起こっている「先住民の抵抗運動」について、民族誌的な考察を呈示することを目的としている。我々の民族誌は、個人的な思索や、帝国主義と抵抗に関する文献の知識、そして我々の社会変革への貢献を通して得た知見にもとづいている。本論では「先住民の抵抗」という包括的表現を使用するが、「先住民性」についての概念やその解釈、その使い方は、人々や場所によって異なることは認識しているつもりである。そのうえで、過去数十年間のグアムと沖縄における先住民の抵抗の状況が、予備段階的にどう評価できるかについて解説する。最も特徴的なのは、これらの先住民運動を通して、トンガ出身の批評家であるエペリ・ハウオファが言う「歴史と文化が帝国主義的現実と具体的実践行動に結びつく」オセアニアという場所に、もうひとつ新たな地域的アイデンティティが生じているという点である。こうした運動は、海を遺産として共有しているという認識のもと、包括的で順応性に富んだアイデンティティのありようを模索し続けてきたが、このアイデンティティはグアムと沖縄に駐留する米軍を批判する手段ともなると言える。
モスクワのプーシキン美術館に、浮世絵版画を中心にした数千点に及ぶ日本美術が保存されていることは、最近のいくつかの調査報告や展覧会などによって、広く世界の人々に知られるようになってきた。この浮世絵コレクションは単に数の膨大さだけでなく、その質においても、また収集の時期の早いことにおいても、たいへん貴重なものである。
鈴木, 勇一郎 Suzuki, Yuichiro
現代の日本では、さまざまなところでおみやげが売られているのを目にすることができるが、世界的に見れば必ずしも一般的な光景とは言えない。とりわけその土地の名物とされる饅頭や団子などの食品類の種類の豊富さは他に類を見ない。本稿では、このような近代日本のおみやげを近世からの展開をふまえ、鉄道の発達との関係性から検討することを目的とする。
篠原, 武夫 Shinohara, Takeo
1)森林資源 林型一気候条件からみた世界の林型は, 針葉樹林, 温帯広葉樹林, 熱帯広葉樹林の3つに分けられている。針葉樹林の95%は先進地域の北半球にあり, 温帯広葉樹林も北半球に偏在し, 熱帯広葉樹林は低開発地域の南アメリカと北アメリカに集中している。また別の分類によると亜寒帯針葉林, 温帯混交林, 温暖温帯湿林, 赤道雨林, 熱帯落樹湿林, 乾燥林の6つの林型がある。面積-世界の林地面積は約43億haで, 土地面積に対する森林率は30%である。森林割合を100%とすると, 先進地域に53%, 低開発地域に47%がある。個々の地域ごとにみると, 南アメリカ21%, ソ連19%, 北アメリカ18%, アフリカ18%, アジア13%,その他11%となっている。林相-世界の針・広葉樹の合計面積は約25億ha, そのうち針葉約9億ha, 広葉15億ha, 混交1億haとなり, 広葉樹が最も多い。推定による針・広葉樹面積は約37億haで, そのうち針葉樹は約12億ha, その主要分布地は北半球の温帯にあって, ソ連と北アメリカの先進地域で80%以上に達している。広葉樹は25億ha, その4分の3は低開発地域に散在し, 主に南アメリカとアフリカにある。蓄積-森林総蓄積は2,380億m^3,うち針葉1,141億m^3,広葉1,239億m^3となり, 広葉樹の蓄積が多い。蓄積の分布はソ連33%, 南アメリカ33%, 北アメリカ18%となり, これら3地域で84%にも達している。アジア, アフリカ, 南アメリカを合せても16%にしかならず, その原因は未調査・未報告の森林が多いためであるとされる。推定による世界の森林蓄積は3,400億m^3,うち針葉1,350億m^3,広葉2,050 億m^3となっている。ha当りの蓄積は一般に針葉樹が高い。2)森林開発採取-1960&acd;62年の年平均伐採量は約19億m^2,うち用材10億m^3,薪炭材9億m^3である。先進地域の伐採量は11億 m^3で, その84%は針葉樹である。残余の8億m^3は低開発地域でなされ, その67%は広葉樹である。用材の75%が針葉樹からなり, 薪炭材81%は広葉樹で占められている。そして用材の83%が先進地域, 薪炭材の71%は低開発地域で生産されている。先進地域の用材粗見積は約9億m^3で, 低開発地域は1億m^3にすぎない。このように先進・低開発地域間の採取開発はきわめて不均等である。
新垣, 香代子 浦崎, 武 Arakaki, Kayoko Urasaki, Takeshi
高機能自閉症の子どもたちがもつ、他者とのかかわりづらさに焦点をあて、特に、学童期における関係性の構築の重要性についての3事例の実践研究である。本研究においては、まず、彼らの内的世界を理解する足がかりとして生育歴をまとめ、発達過程における「症状」の変容について検討した。高機能自閉症の子どもたちが乳幼児期から、発達過程において、様々な「症状」の変容を見せるが、それは常に「関係性」の問題につながっていることが示唆された。次に支援学級において、彼らから発せられる活動に沿った応答的なかかわりを積み重ねて行くことにより、彼らの内的世界の理解につなげ、担任や級友との相互的関係性を築く過程で、同年齢及びその周辺他者とのかかわりについて検討した。そして、支援学級で構築された関係性を基盤に通常学級の場での関係性の変容に期待した。具体的には、自立活動として「好きなこと時間」を設定し活動した。3事例は、生き生きと自分の世界を展開すると同時に、支援学級の級友たちと興味を共有し、相互的関係性を少しずつ積み重ね、自己の主体に気づき、他者と共にあること、他者の主体に気づいていく。大人や保護的な役割を持つ級友たちとは経験できなかった物語を、支援学級の級友たちと綴っていった。そのなかで、学童期における同年齢及びその周辺の他者とのかかわりの重要性が示唆された。また、支援学級で培われた「関係性」が通常学級における「関係性」の構築にも影響を与え、わずかながら変容が見られた。
李, 済滄
京都学派の東洋史学者として、谷川道雄(1925~2013)は内藤湖南からの学統を受け継いでいる。中国の歴史を時代区分論という方法で捉えた内藤は、紀元3~9 世紀の魏晋南北朝隋唐史を中世貴族制の時代と位置付け、世界の中国史研究に計り知れない影響を与えた「唐宋変革論」の礎としている。そして、この学説を深化させ、さらに発展させたのが谷川である。
落合, 博志 神作, 研一 恋田, 知子 金子, 馨 OCHIAI, Hiroshi KANSAKU, Ken'ichi KOIDA, Tomoko KANEKO, Kaoru
国文学研究資料館では、上代から近代(明治時代初期)までの文学を書物(古典籍)によってたどる、通常展示「書物で見る日本古典文学史」を毎年開催しています。本冊子はその展示の概要を収録したもので、教科書でなじみの深い作品を中心に据えて、文学史の流れを示しました。ささやかながら、日本古典文学の豊かな世界への手引きとなることを願っています。
村吉, 優子 白尾, 裕志 村上, 呂里 Murayoshi, Yuko Shirao, Hiroshi Murakami, Rori
教職大学院では教科領域の学修の充実が求められている。教科領域での学修が課題解決実習を充実させ,理論と実践の往還を実現する過程を実践者の大学院での取組から明らかにする。実践者が理論及び実践における先行研究を理論的に把握し,実践化するための応用力を駆使して,子どもの豊かな読みの世界につながる子どもの認識と表現を実践的に示した。
光田, 和伸
芭蕉最初の紀行文である『野ざらし紀行』中の「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」は、猿の声と、秋風の中に泣く捨て子の声との、悲しさの比較であると説かれてきた。しかし一句の文法上の構成から考えて、それは妥当でない。これは両親をともに亡くした自らの境涯に、禅の公案の世界を重ね合わせて、新しい出発を自らに課する句と考えるべきであろう。
四方田, 雅史
本稿は、第一次大戦前に、日中両国において主要輸出産業であった花筵製造業を分析したものである。同製造業は、中国が世界市場において先んじて発展し、日本が中国の取引慣行を学んで中国に追いつこうとしたため、研究の価値がある興味深い題材である。本稿は、その特徴を仔細に比較するため、とりわけ各国の主要産地である岡山・福岡・広東に焦点を当てる。
島村, 恭則 Shimamura, Takanori
近年,民俗学をとりまく人文・社会科学の世界において,パラダイムの転換が見られるようになっている。それは,たとえば,個人の主体性に重きを置かない構造主義的な人間・社会認識に対する批判と乗り越え,「民族」「文化」「歴史」といった近代西欧に生まれた諸概念の脱構築,他者表象をめぐる政治性や権力構造についての批判的考察の深まりといった動きである。
単, 援朝
本稿は芥川龍之介「湖南の扇」をめぐって、作品の構築における体験と虚構化の働きを検証しつつ、玉蘭の物語を中心に作品の成立と方法を探り、さらに魯迅の「薬」との対比を通じて作品の位相を考えるものである。結論としては、「湖南の扇」は、作品世界の構築に作者の中国旅行の体験や見聞が生かされていつつも、基本的に体験の再構成を含む虚構化の方法による小説にほかならない。作品のモチーフは冒頭の命題というよりクライマックスのシーンにあり、作品世界は「美しい歯にビスケットの一片」という、作者の原光景ともいえる構図を原点に形成され、虚構の「事件」が体験的現実として描かれているところに作品の方法があるが、作品の「出来損なひ」はこの方法に起因するものであるといわざるをえない。そして、魯迅「薬」との対比を通じてみると、「迷信」として批判されるはずの人血饅頭の話をロマンチックな物語、「情熱の女」の神話に作り替えられたところに、芥川のロマンチシズムへの志向と「支那」的生命力に寄せる憧れが見て取れる。
井上, 史雄 INOUE, Fumio
この論文では,言語の市場価値を計最する手段を,日本語を例にして論じる。言語は現実に世界で売買されており,言語の市場価値を計算することができる。言語が市場価値を持つ適例は,「言語産業」に見られる。辞書・入門書・教科書などの出版物や,会話学校が手がかりになる。また多言語表示も,手がかりになる。戦後の日本語の市場価値上昇の説明に,日本の経済力(国民総生産)発展が指摘されるが,いい相関をみせない。外国の側の条件が,むしろ重要である。多言語活動の隆盛,実用外国語教育の成長,高等教育の普及である。言語の市場価値の基本的メカニズムに関する理論的問題をも論じる。言語の市場価値は特異な性質があって,希少商品とは別の形で決定される。ただ,言語はもう一つ重要な性質を持つ。市場価値の反映たる知的価値以外に,情的価値を持つ。かつ相対的情的価値は知的価値と反比例する。世界の諸言語には格差があり,そこに経済原則が貫徹するように見える。しかし一方で,言語の感情的・情的側面を見逃してはならない。
大谷, 周平 坂東, 慶太 Otani, Shuhei Bando, Keita
Sci-Hubとは,6,450万件以上もの学術論文のフルテキスト(全文)を誰もが無料でダウンロードできる論文海賊サイトである。Sci-Hubからダウンロードできる論文には,学術雑誌に掲載された有料論文の約85%が含まれており,Sci-Hubは学術出版社の著作権を侵害する違法サイトである。大学図書館の契約する電子ジャーナル,OAジャーナル,機関リポジトリ,プレプリントサーバーなど法的に問題ない論文サイトが在る中で,世界中から1日に35万件以上の論文がSci-Hubを通じてダウンロードされている。本稿では先ずSci-Hubの概要・仕組み・世界的な動向について述べる。次いで2017年にSci-Hubからダウンロードされた論文のログデータを分析し,国内におけるSci-Hub利用実態の調査結果を報告する。栗山による2016年調査と比較すると,Sci-Hubの利用数やSci-Hubの利用が確認された都市数は増加していた。また,Sci-Hubでダウンロードされているのは有料論文だけではなくOA論文が約20%を占めていること,クッキーの情報から約80%のユーザーは1回のみSci-Hubを利用している状況も明らかになった。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
西尾市岩瀬文庫に所蔵される御伽草子『岩竹』については、酒呑童子や土蜘蛛など、先行の武勇伝をはじめ、『塵滴問答』との密接な関連が指摘されている。従来、これら以外に類似する説話は報告されていないが、『岩竹』と酷似する怪異謹が那須地方に語り伝えられている。本稿では、この新たな岩竹説話の存在を指摘するとともに、両者の成立した背景と物語世界について考察する。
藤尾, 慎一郎 Fujio, Shin'ichiro
弥生文化は,鉄器が水田稲作の開始と同時に現れ,しかも青銅器に先んじて使われる世界で唯一の先史文化と考えられてきた。しかし弥生長期編年のもとでの鉄器は,水田稲作の開始から約600年遅れて現れ,青銅器とほぼ同時に使われるようになったと考えられる。本稿では,このような鉄の動向が弥生文化像に与える影響,すなわち鉄からみた弥生文化像=鉄史観の変化ついて考察した。
廣田, 吉崇
明治維新によって日本の伝統的芸能が大きな打撃を受け、茶の湯も衰退を余儀なくされたことはしばしば指摘される。しかし、上層階級を中心とする「貴紳の茶の湯」の世界では、ひとあし早く茶の湯が復興し始めていた。この茶の湯の復興を先導したのは、旧大名、近世からの豪商にくわえて、新たに台頭した維新の功臣、財閥関係者らの、「近代数寄者」とよばれる人々である。
徳島, 武 Tokushima, Takeshi
貿易赤字国より貿易黒字国に対して求められる、貿易不均衡是正のための内器拡大策は、黒字国の輸出最を減少させ、輸入姑を増加させるので、政治目的は達成されると言えるが、経済厚生の観点からは、世界価格に影牌力のない小国ほど、悪影饗が無いと言えるだろう。また、大国のケースでは、貿易黒字国の内需拡大策は、赤字国よりも黒字国に、より多くの経済厚生の改善をもたらす。
岩井, 茂樹
現在、能といえばすぐさま「幽玄」という言葉が想起されるほど、両者は固く結びついている。なるほど、世阿弥が残した能楽書には「幽玄」という言葉がたびたび使われている。だが、「幽玄」は、能の世界では長らく忘れ去られていた言葉であった。それでは、能と「幽玄」は、いつから、どのようにして、結びついたのだろうか。本論稿はこの点を明らかにすることを目的とする。
宮田, 昌明
本稿は、一九二四年の加藤高明内閣の成立と幣原外交を、第一次世界大戦後の日本の政治的変化を日本の一等国化と内外の融和に向けた挑戦の過程として再検討することを目的としている。戦後の日本の政策は、日本の国際的地位の向上に対応し、国内政策と対外政策が連動しながら変化し、昭和初期の二大政党政治と協調外交をもたらした。本稿は、以下の三点に注目することで、以上の議論を展開している。
佐藤, 温 SATO, Atsushi
菊池教中(号・澹如。文政十一年〜文久二年〈一八二八〜一八六二〉)は呉服・金融業などを営んだ江戸の大店佐野屋の二代目当主で、父で先代の大橋淡雅の影響のもと文事に傾倒した。その代表的な成果は詩集「澹如詩稿』(刊本、六巻四冊、万延元年〈一八六○〉序)だが、文雅の世界の華やかさに彩られた本書において、世情不安などを詠んだ時局的な詩が時折登場することは見逃せない。
McNally, Mark T. マクナリー, マーク
尚泰久王統治下の琉球王国において、万国津梁の鐘は、王の統治の正当性を主張する重要な機能を持っていた。王は王国の持つ富と権力を誇る内容の碑文を鐘に刻ませたが、その碑文を政治的に有効にし、その有効性をその後も継続させたのは、今日アメリカ研究の分野において例外主義(exceptionalism)と呼ばれている形態にあった。近世の琉球人が、朝貢国である中国を自分の国よりも優れていると認識していたことは、東アジアにおける中国の優位性の上に成立していた朝貢貿易というしくみが、琉球王国にとって特に重要であり、例外主義として機能しているという点で、歴史的重要性をもつ。中国、アメリカ合衆国、そして日本の事例において、歴史家はしばしば政治的・文化的優位性を表明する言説がいかに例外主義として機能するかを分析しようとするが、琉球王国の事例における例外主義には、そうした優位性の主張が見られない。琉球王国の例外主義は十九世紀のアメリカと同じように、世界主義(cosmopolitanism)を支持する例外主義であり、世界史的な観点からも意義深いと言える。
Miyazato, Atsuko 宮里, 厚子
ミシェル・トゥルニエは1986年に出版した小説の中で、主人公Idrissが北アフリカの砂漠の村を出てパリへ向かう物語を描いている。このなかで著者は現代西洋世界における映像(image)文明の行き過ぎを批判し、若者のイニシエーションが阻害されている現状を取り上げている。また西洋のimage文明のアンチテーゼとしてイスラムのsigne文化に敬意を表し、なかでも特にimageとsigne、西洋文化とイスラム文化の融合を可能にするアラビア文字書道の精神性を高く評価している。\n本稿では、自ら写真を趣味とし、写真や写真家に関するエッセイも多く書いているトゥルニエがなぜ映像文明と距離を置くようになったのか、その理由をエッセイやインタビューなどから探るとともに、彼の考えるimageの危険性とsigneの精神性について考察する。一方、その処女作『フライデーあるいは太平洋の冥界』で文明人ロビンソンの自然回帰のイニシエーションを描いた著者が、その逆の設定である砂漠の少年の西洋文明でのイニシエーションをどのように描いているのかという点にも注目し、イニシエーションという枠のなかで現代西洋世界がどのように位置づけられているのかを作品を通して見ていく。
田原, 範子 Tahara, Noriko
本稿では,死という現象を起点としてアルル人の生活世界の記述を試みた。アルバート湖岸のアルル人たちは,生涯もしくは数世代に渡る移動のなかで,複数の生活拠点をもちつつ生きている。死に際して可能であれば,遺体は故郷の家(ホーム)まで搬送され,埋葬される。遺体の搬送が不可能な場合,死者の遺品をホームに埋葬する。埋葬地をめぐる決断の背景には,以下のような祖霊観がある。
小林, 健二 KOBAYASHI, Kenji
劇中に登場する独武者の素性を解明する作業を通して、能《大江山》が酒呑童子諸本の中でも香取本「大江山絵詞」に拠って作られていることを確認し、その独武者が能《土蜘蛛》にも登場することから、能の世界で頼光物として連作されたことを考証した。さらに、「大江山絵訶」絵巻は室町将軍のもとで作成され、その周辺に伺候していた観世座の者によって《大江山》が作劇された可能性について考察した。
廣田, 龍平
本稿は、キツネをめぐる世間話を題材として、アニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を参照することにより、日本におけるヒトと動物の関係性の根底にある諸存在論を明らかにすることを目的とする。キツネが人間に変身したり(「化ける」)、ヒトの知覚を操作したりする(「化かす」)妖狐譚は、日本における非西洋近代的な存在論を明らかにするにあたって重要な資料になると考えられる。しかしこれまでは、ほとんど総合的な議論がなされてこなかった。それに対して本稿では、「変身」概念を中核に据えるアニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を採用することにより、それらの理論が依拠する北アジア・南北アメリカの狩猟アニミズム世界とキツネの妖力を構造的に比較できることを示す。アニミズムにおいては、ヒトも動物も同じような霊魂を持ち、同じような文化を持つが、身体が異なる。そのため身体を変えることにより、ヒトが動物に、動物がヒトに変身することが可能になる。またパースペクティヴィズムは、身体に由来する観点の差異化により、種によって知覚される世界が異なってくることを前提とする。これらの枠組みを採用することにより、妖狐譚がうまく理解できるようになる。
山口, 勇馬 神園, 幸郎 Yamaguchi, Yuma Kamizono, Sachiro
本研究は小学校における生活場面で自閉症児が示すさまざまな特異な行動や学習の形態を相貌的知覚や「生き生き感」などの原初的知覚様態といった枠組みで記述することを目的とした。筆者は対象児が在籍する学校の支援員として、本児へのさまざまな支援活動を通して上記の目的を検討した。その結果、自閉症児の対象認識においては、原初的知覚が色濃く作用した特有な表象が形成され、これらの表象世界が自閉症児の行動や学習の形態を特徴づけていることが明らかになった。支援活動は、ひとえに支援者による対象児の行動の間主観的理解に依存する。筆者が対象児の内的世界を捉えられるようになり、それに沿った会話や声かけができるようになると、支援活動が充実した展開を見せた。支援者が子どもの感情・情緒や意図などの内的状態を覚知できるようになり、それを対象児と共有することができるようになることが、支援活動を展開する上できわめて重要である。こうした自閉症児の理解にとって、原初的知覚による理解の枠組みが1つの有効な支援の切り口であることが示唆された。
葦原, 恭子
琉球大学では,1998年から2021年にかけて世界42カ国・128の協定大学から1,204名の留学生を受け入れてきた。この間に,留学生の受け皿は,留学生センターからグローバル教育支援機構の国際教育センターに移行した。2019年度には,交換留学生69名が来沖し,2020年度には交換留学志願者が80名以上と過去最高となった。しかし,その後,2019年末から全世界に広がったコロナ禍の影響が顕著となったことにより,留学志願を取り消し・延期する志願者が相次ぎ,2021年度前学期には,実際に登録した交換留学生数は37名に減少した。さらに 2020年度および2021年度には,対面授業からオンライン授業に切り替えることを余儀なくされた。本稿は,コロナ禍において,オンライン授業として実施された, 留学生対象の日本語科目の一つである「アカデミック日本語C1S」という授業を取り上げ,実践報告するものである。当該授業後に実施されたアンケート調査においては,受講生から日本語学習に対する積極的かつ肯定的なコメントが得られた。このことから,オンライン授業であったとはいえ,当該授業を実施したことには意義があったことが明らかとなった。
渡部, 宏樹
『刀剣乱舞』(二〇一五年―)は現代日本において人気を誇るメディア・フランチャイズであるが、恋闕(れんけつ)という感情の形式や審神者(さにわ)といった意匠を用いている点で世界設定が一九六〇年代の三島由紀夫の作品群の影響下にある。本稿は、映画研究におけるローラ・マルヴィの「男性のまなざし(male gaze)」論を一般化して援用し、さまざまなメディア上で発表された『刀剣乱舞』ならびに三島作品群を比較検討するものである。
本橋, 裕美
皇女の婚姻が否定される例として、斎王経験者である場合が挙げられる。後朱雀天皇皇女・娟子内親王の場合は、斎院経験者であることが婚姻を「密通」として捉えられる原因となった。そして、この密通を歴史物語が語る際には、『伊勢物語』が用いられる。『栄花物語』の引用による叙述方法を引き継いだ『今鏡』の方法を中心に、『伊勢物語』の世界と重ねられる皇女の密通について論じた。
小川, 仁
ナポリ出身の弁護士にして文筆家であったロレンツォ・クラッソ(Lorenzo Crasso, 1623–1691)は、『著名武将伝賛』(Elogi di capitani illustri, Venezia, 1683)を著し、16~17世紀の世界各地の著名な武将98名の事績を、礼賛というスタンスから評伝形式で紹介した。この著作は、豊臣秀吉や徳川家康も取り上げている。日本をはじめとした非ヨーロッパ文化圏の人物を、報告書や旅行記形式ではなく、人物伝あるいは伝賛という形式で纏め上げた著作は、同時代では他に類を見ない。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dalloway の世界はその意識の流れに包まれ常に変化を遂げる潜在的可能性とそのさまざまな局面を構成する表層化した要素に特徴づけられた potential dispersive energy に(意味的レベルにおいて)常に左右されているといっても過言ではない。この論文ではその potential energy がいかに意識下で具体化し外的要因と反応しつつそれぞれの登場人物を定義し、意識下の潜在的意味を決定づけていくかという過程を具体的なエピソード、そして一連の登場人物の内的・物理的 peregrination を通して考察していく。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dallowayでは意識の流れ、あるいはそれに関与する主体の集合体が途切れることなくnarrativeの世界で時間的境界線を超越して存在することにより物語に命を与えていると考えられる。この論文では常に変遷を遂げるSelfがいかにnarrativeに現れる様々な人物、あるいは逐次変化し続けるSelfを取り巻く物理的事象に刺激されつつ意識の流れ、そしてその方向性を決定し、narrativeの展開に貢献していくかというプロセスを、narrativeの中心に表れる人物の視点を通して考察していく。
金子, 未希 KANEKO, MIKI
本論文は、シンガポールのアーカイブズ史を編年する。そこでターニングポイントとなるのが、1968 年の公文書館の設立である。植民地、軍政、独立の歴史を歩んできたシンガポール国民の記憶は、シンガポール国立公文書館に記録されている。設立されてからの公文書館が期待された役割は、時代とともに変わっていく。本論文では、公文書館の法的根拠となる以下の3 つの法律に注目した。国立公文書館センター法、国家遺産局法、国立図書館法は、その成立年や公文書館の所属機関によって少しずつ変わっていく法的根拠を表している。比較する際には、公文書の移管・処分破棄・閲覧の3 点に注目した。移管と処分破棄に関する条文の比較では、実行の権限とその処理に伴う責任が、個人から組織へと移動していることを指摘した。特に公文書の処分破棄は、公文書館の最重要な役割ともいえるもので、その権限と責任の所在が変化している点は注目に値する。閲覧に関する条文の比較では、記録媒体の変化に対応する公文書館の姿が見えてくる。メディアの発展により、公文書館で保存すべき資料に音声資料が加わる。このように、記録へのアクセスの仕方が変化することで、閲覧に関する条文に変化がみられる。閲覧の際、発生すると考えられる個人情報の問題への対応など、法的環境のバージョンアップを確認した。年代の異なる3 つの法を比較することにより、時代の変化に対応する公文書館の姿が見えてきた。
新藤, 協三 SINDO, Kyozo
藤原公任編纂『三十六人撰』に端を発する「三十六人歌合」は、単に和歌文学史上にのみ享受されるばかりでなく、絵巻など絵画の分野に素材を供給し、また、書道の世界でも手本として受容されるなど、幅広い領域に伝播する。本稿では、特に入木道(書道)の分野に於いて、三十六人歌合が如何に受容、享受されるのか、管見した諸資料に基づいて、可能な限り具体的にその跡づけを行い、併せて、該書が入木道に受容されることの意味をも考えてみたい。
平沢, 竜介 HIRASAWA, Ryusuke
土佐日記は、地名記述の誤りや書き手の混乱があり、また主題と目されるものがいくつか指摘しうるというように、きわめてまとまりが悪く、いい加減に書かれた印象を与える作品である。が、その作者である貫之が当代一流の文章家であり、かつこの日記が読者を意識して書かれていると思われることからすると、こうした作品の出来の悪さは不審に思われる。土佐日記が執筆された当時の貴族社会においては儒教的な文芸観が支配的であったと考えられるが、こうした文芸観は律令官人たる男性が私的な世界を専らに表現することを許さなかった。とすれば、土佐日記における右のような不統一や混乱は、私的な世界を世間の非難をうけずに表現するための偽装であり、貫之はこうした偽装のもとにおいて、彼の本当に表現したいものを表現したのではなかったか。貫之は土佐守在任中に和歌の道の庇護者であり、また彼自身の庇護者でもあるといった人々を次々に失うが、土佐日記とはまさにそうした人々を失った悲しみを中心とした土佐から京への旅の様々な体験を、当時の社会的制約の中で表現しようと試みたものであったのではないだろうか。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Joyce の Ulysses を解釈する上で、絶えずその作品に対峠する subject を悩ませるのが、作品の意味的、統語論的、そして構造的なレベルでの流動性である。ある解釈段階で、少なくても部分的にしろ、限定的な significance が表出したとしても、それが固定化されて、安定的な叙述的意味要素になるという保障はこの作品においては皆無といっても過言ではない。そこで、この論文では多様な技術的、そして内容的 content がいかに進化し次の意識世界の particularities を構成していくのかを分析し、作品の展開を追究していく。
Yuki, Masami 結城, 正美
本稿は、森崎和江の作品におけるディアスポラ的な言語実践を分析するものである。自己と他者を分け隔てる境界を、両者をつなぐインターフェイスとしてとらえ直そうとする森崎の文学的試みは、具体に根づいた(土着の)言語を称揚するのでも、抽象世界で自己完結している言語を単に批判するのでもなく、異質な言語をつなぐ新たな言語の希求というかたちで展開する。確たる参照点を持たず欠落の意識を手だてとする森崎のディアスポラ的言語探求を、森崎作品における三つの重要なトポス―沖縄/与論、朝鮮、炭坑―に着目し分析する。
鈴木, 正崇 Suzuki, Masataka
長野県飯田市の遠山霜月祭を事例として、湯立神楽の意味と機能、変容と展開について考察を加え、コスモロジーの動態を明らかにした。湯立神楽は密教・陰陽道・修験道の影響を受けて、修験や巫覡を担い手として、神仏への祈願から死者供養、祖先祭祀を含む地元の祭と習合して定着する歴史的経緯を辿った。五大尊の修法には、湯釜を護摩壇に見立てたり、火と水を統御する禰宜が不動明王と一体になるなど、修験道儀礼や民間の禁忌意識の影響がある。また、大地や土を重視し竈に宿る土公神を祀り、「山」をコスモロジーの中核に据え、死霊供養を保持しつつ、「法」概念を読み替えるなど地域的特色がある。その特徴は、年中行事と通過儀礼と共に、個人の立願や共同体の危機に対応する臨時の危機儀礼を兼ねることである。中核には湯への信仰があり、神意の兆候を様々に読み取り、湯に託して生命力を更新し蘇りを願う。火を介して水をたぎらす湯立は、人間の自然への過剰な働きかけであり、世界に亀裂を入れて、人間と自然の狭間に生じる動態的な現象を読み解く儀礼で、湯の動き、湯の気配、湯の音や匂いに多様な意味を籠めて、独自の世界を幻視した。そこには「信頼」に満ちた人々と神霊と自然の微妙な均衡と動態があった。
山田, 浩世
近世琉球・奄美において発生した災害は、その多くが個別の事件として把握され、各島々でどのような災害が起こり、総体としてどのような対処がとられてきたのかについては十分に把握されてこなかった。また、琉球・奄美の島々で起った災害は、同時期の日本や世界的規模で発生していた災害とどのような関係性をもっていたのかという点についても十分に論じられているとは言いがたい状況に置かれてきた。1780年代及び1830年代において日本では、天明の大飢饉及び天保の大飢饉が発生し、大規模な飢饉が起っていた。飢饉の発生の要因には、冷夏や風水害などさまざまな要因が示されてきたが、琉球・奄美の島々ではどのような災害が発生していたのであろうか。本稿では、伝存する諸史料の記載によりながら、島々でどのような災害が発生していたのか、またその関連性について検討を加えた。琉球・奄美の島々の歴史の中で個別の災害として捉えられてきた現象が、実は広く世界的規模で展開していた気候変動の影響を受けたものであり、人々と社会は大きな転換を災害との関係の中で迫られていたことを本稿では検討した。
瀨底, 正栄 Sesoko, Masae
発達障害のある子どもは、幼い時期から集団適応に問題を示すことが多い、仲間からの受容の低さや否定は、子ども時代の問題に限らず、子どもたちのその後の適応困難や、学校や社会からのドロップアウト、孤独感などに結びついていることが指摘されている。人との関わりから生じる彼らのトラブルの要因を一方的に発達障害児だけの問題と捉えがちになることもあるが、一方で原因をどのように理解するかによっても対応の仕方がわってくる。つまり、彼らと関わりをもつ他者の側の関わり方を工夫することにより彼らの行動が変わるという観点を持つことは大切である。そこで、本研究では発達支援教育実践センターにおける、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援の事例をもとにどのような変容が見られたかを検討することを行った。本事例も当初、適応スキル獲得からの支援であったが、個別支援を重ねることで、重要な他者との安定的な関係構築の必要性と、本児が受容されることに対する期待によって、心理的安全基地へと変化していく。このことから、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援は、心理的安全基地の形成と共に彼らの関係性の世界や意味世界を広げることができるものであると示唆された。
タイラー, ロイヤル
世阿弥にとって布や機織りに関係するモチーフは大事なものであったらしく、それは彼の多くの謡曲に採用されている。この論文は脇能の「松浦」・「布留」・「高砂」をとりあげてから「呉服」の分析に入り、その内容が、世界に広く分布している、機織り=文明乃至は社会作りという見方に匹敵することを示す。そこから人間の孤独や絶望に重点をおく四番目物にうつり、「錦木」(「砧」も考慮に入れて)の場合、機の音が悲鳴にかわることを対照的に指摘する。
角田, 太作 TSUNODA, Tasaku
副詞節と主節の結びつきには制限がある。その意味的及び語用論的な性質によって,結びつきが可能であったり,不可能であったりする。副詞節と主節の結びつきの関係は,五つの種類に分けることができる。これを「節連接の五段階」と呼ぶ。本共同研究プロジェクトでは,日本語における節連接の五段階に関する研究成果をもとに,主に原因・理由,条件,逆接の3種類の副詞節について,世界各地の約30の言語における,副詞節と主節の結びつきを研究している。
パルデシ, プラシャント 今村, 泰也 PARDESHI, Prashant IMAMURA, Yasunari
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つが「他動性」である。基幹型プロジェクト「述語構造の意味範疇の普遍性と多様性」では,意味的他動性が,(i)出来事の認識,(ii)その言語表現,(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映するかを解明することを目標に掲げ,日本語と世界諸言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指し,2009年10月から共同研究を進めてきた。さらに,日本語研究の成果を日本語教育に還元する目的で,基本動詞の統語的・意味的な特徴を詳細に記述するハンドブックを作成し,インターネット上で公開することを目指して研究・開発を進めてきた。本稿ではプロジェクトで企画・実施した共同研究の理論的および応用的な成果を概観した。理論的な成果としては,(1)地理類型論的なデータベースである「使役交替言語地図」(WATP),(2)日本語と世界諸言語の対照言語学的・類型論的な研究をまとめた論文集『有対動詞の通言語的研究:日本語と諸言語の対照研究から見えてくるもの』を紹介した。応用的な成果としては日本語教育に役立つ「基本動詞ハンドブック」の見出し執筆の方法とハンドブックのコンテンツについて紹介した。
李, 均洋
雷神の文字学の考察、納西族や壮族などの口頭の神話と近古(宋代)および現在に残っている雷神を祭祀する民俗の考察により、原始民の神という観念は、雷神を「世界と万物を創った」最高の天神として祭祀することと共に出現した、と考えることができる。つまり、雷神の起源は神即ち宗教の起源と共に発生したのである。原始民の雷神信仰は自然崇拝に属するのであるが、その後に出現してきたトーテム崇拝や祖先崇拝などは、雷神崇拝と切っても切れないつながりを持っている。
小椋, 純一 Ogura, Junichi
日本の植生景観は,有史以来,特に植生への人間の関わり方により大きく変化しながら今日に至っている。それは,たとえば第二次世界大戦後に特に顕著なスギやヒノキなどの人工林の急速な拡大,あるいはここ30~40年ほどの間のマツ林の急激な減少などの森林の樹種的な変化もあるが,その他にも明治期以降における里山の森林樹高の変化,あるいは草原の減少などもある。本稿では,京都府の場合を例に,文献から明治期における植生景観の変化の背景を考察したものである。
倉本, 一宏
現存する世界最古の自筆日記である『御堂関白記』自筆本は、藤原摂関家最高の重宝とされていたと、一般には考えられてきた。しかし、それはあくまで平安末期から中世にかけての状況であって、近世初期には近衛信尹によって、『御堂関白記』自筆本の寛弘五(一〇〇八)年秋冬巻の裏に、南北朝期の『後深心院関白記』(愚管記、近衛道嗣筆)の抜書が書写された。本稿ではこの抜書を紹介することによって、『御堂関白記』自筆本の近世における扱われ方の一端を示すこととする。
奥出, 健 OKUDE, Ken
佐藤春夫の作品を文学的出発時から昭和十年代にかけて読み進んでいくと、<支那事変>前後から批評精神の乏しい、質の低い作品が目につくようになる。それは「アジアの子」や『東天紅』に極まるといえるが、この要因は、春夫が文学的出発時からもっていた<幻想的><感覚的>な世界が、「『風流』論」を通過することにより「日本的感覚」のものへと傾斜し、さらにそれが<支那事変>後になると大衆の狂躁に呼応する形で軍部主導の<民族>的感覚と類似のものへと変質していったからである。
パルデシ, プラシャント PARDESHI, Prashant
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つに「他動性」がある。本プロジェクトは意味的他動性が(i)出来事の認識,(ii)その言語表現および(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映されているのかを解明することを目標とする。日本語とアジアの諸言語を含む世界の約40言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指す。
松沢, 裕作
本稿では、戦前日本における少数の女性官吏の例である、逓信省の郵便貯金関係部局の女性事務職について、採用に至る経緯や制度的前提、労働のあり方や昇進・昇給の状況、勤続年数などを、女性の雇員採用が始まる一九〇〇年から、女性がはじめて判任官に任用される一九〇六年を経て、おおよそ第一次世界大戦期までを対象として明らかにした。また、この時期に採用され、後年そのすぐれた珠算技能によって著名となる三木(清水)を美喜という人物のライフコースを追跡することによって、その後の状況を展望した。
Kurafuji, Takeo 蔵藤, 健雄
認識的に解釈される法助動詞の意味分析として、しばしば(1)のような蓋然性のスケールが用いられる。\n(1)must>will>would>ought to>should>can>may>might>could\nこれによると、mustを含む文が話者の命題に対する確信度が最も高く、続いてwill,would,...となりcouldがもっとも可能性が低いということになる。must(p)がmight(p)より高い蓋然性を表すことは、例えば、前者が後者を含意することから分る。しかし、must(p)がshould(p)より確信度が高いという分析には納得できる程の根拠はない。\n本稿では、Kratzer 1981,1991で示された形式的分析を用いて、特に、mustとshouldの違いと日本語の「にちがいない」と「はずだ」の違いに焦点を当て議論する。Kratzerのアプローチでは、法助動詞を含む文‘modal(p)’の真偽は、様相根拠(modal base)と順序源(ordering source)の2つの基準によって制限された可能世界におけるpの真偽で決定される。must,will would,ought to,shouldを含む文は、関連する可能世界すべてにおいて命題pが真である場合、真となり、can,may,might,couldを含む文は、関連するすべての可能世界のうち、ひとつでもpが真となれば、真であると評価される。ここで問題にしているモーダル表現はすべて認識的なものであるので、それらは認識的様相根拠に基づいて解釈される。従って、mustとshouldの違いは順序源の違いであるということになる。本稿では、前者は特に順序源に関して制限を持たないが、後者は、stereotypicalな順序源(「出来事の通常の起こり方に基づけば」という意味の前提)でのみ評価されると主頚する。この違いにより、一見、must>shouldのような印象を受けてしまうのであると考えられる。また、日本語の「はずだ」はshould同様、stereotypicalな順序源で評価されるが、「にちがいない」はdoxasticな順序源(「話者が思っていることに基づけば」という意味の前提)に基づいて評価されることを示す。これにより、「にちがいない」と「はずだ」の分布の違いが理論的に説明される。
安田, 喜憲
和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dallowayのナラティブの中心では様々な登場人物がその主観的世界へ埋没するというパターンが繰り返されてクロノロジカルな時間軸上における非直線的な物語の展開がなされているといえる。そして、ナラティブの構造的そして内容的核はその流れに起因する流動的な意識の渦の中に自己を埋没させるその主体で構成されているともいえる。この論文ではあえてその渦を伴う非直線的(意識の)流れの中から脱却し、新しい主観のパターンと方向性を模索するという脱構築的ナラティブのフレームワークに拘束された意識の超越を試み、物語の新しい可能性の開拓を試みる。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia Woolfの作品の中で意識は各登場人物を中心lこ絶えず拡散し、そして収束する、あるいはそのような慨念として定義、展開されている。この論文ではその意識の流動性、そして(その流動的な意識に影響されたナラティブ全体の)非確定性を時間的・空間的手非連続性に特徴づけられた世界において次々と展開し、そしてその中で成長拡散する意識の具象化した登場人物の意識下(意識の中)に直接入り込むという形、つまりWoolfの呼ぶところの Tunneling Process (を逆に辿る)という方法で追及し、意識の多方向性と流動性、そしてナラティブの非確定性について検証してみた。
田幸, 正邦 Tako, Masakuni
ザロー, ピーター
西田, 彰一
本稿では筧克彥の思想がどのように広がったのかについての研究の一環として、「誓の御柱」という記念碑を取り上げる。「誓の御柱」は、一九二一年に当時の滋賀県警察部長であり、筧克彥の教え子であった水上七郎の手によって発案され、一九二六年に滋賀県の琵琶湖内の小島である多景島に最初の一基が建設された。水上が「誓の御柱」を建設したのは、デモクラシーの勃興や、社会主義の台頭など第一次世界大戦後の急激な社会変動に対応し、彼の恩師であった筧克彥の思想を具現化するためであった。
西田, 彰一
戦前の日本において、神道の思想を日本から世界に拡大しようと試みた筧克彦の思想については、現在批判と肯定の両面から研究がなされている。しかし、批判するにせよ評価するにせよ、筧の思想についてはほとんどの場合「神ながらの道」の思想にのみ注目が集まっており、法学者であったはずの筧がなぜ宗教を語るようになったのか、どのような問題意識を持って研究を始めたのかについての研究は殆どない。そこで、本稿では一九〇〇年代における筧の思想を明らかにすることで、その学問の形成過程を明らかにしたい。
原田, 憲一
日本列島を襲う天変地異(気象異常と地殻変動)つまりハザード(Hazard)は、地力の高い小盆地(山間盆地と海岸平野)と豊かな水産資源および地下資源をもたらした。小盆地は居住適地ではあるが、ハザードがもたらす洪水や地すべりなどによって生命と財産を脅かされる場、つまり災害(Disaster)多発地である。小盆地に定住した日本人は1 万5000 年以上災害の予知と減災に努めてきた。そのため、欧米とは全く異なった言語処理と生命観・自然観・社会観が発達した。現代文明が破局を迎えつつある今日、日本人は新たな自然観・社会観を世界に発信すべきであろう。
Yamashiro, Shin 山城, 新
本稿では、第二次世界大戦後1945年から1950年の間の戦後復興初期において、公衆衛生、農業、天然資源開発等をめぐる政策や活動をとおして係累化される〈環境概念〉の編成について分析し、1960年代以降に争点化される環境問題を再考するためのアプローチを提示する。また、沖縄研究に〈環境〉をめぐる議論を導入することで、戦後沖縄の思想と運動を包括的に考察するための可能性について示唆するとともに、米国環境思想研究に欠落してきた戦争と軍隊の問題を指摘しつつ、沖縄環境思想史研究の批評的可能性についても言及したい。
船越, 裕輝 村末, 勇介
脳性まひのあるA(小3)は,身体に障がいがあるため書字や読書が難しかった。しかし,会話をすることは可能であり,話をすることが大好きであることから,教師が聞き取ったAの「話しことば」を「書きことば」に変換する代筆支援という形で日記文や作文,感想文,手紙文等を書く実践に取り組んだ。年間を通し継続して行っていく中で話しことば自体にも変化が見られ,読み手や他者を意識した文章も書けるようになる等,A自身の「世界づくり」にとっても影響をもたらした。本研究においては,代筆支援によって生まれたAの文章を元に,Aの内面的な成長を発達的視点から考察することで,書きことばの学習の意義を明らかにするとともに,代筆支援の取組みにおいて留意すべき視点と課題とを整理した。
山下, 有美 Yamashita, Yumi
正倉院文書研究の新しい潮流は,1983年開始の東大の皆川完一ゼミ,それを継承した88年開始の大阪市大の栄原永遠男ゼミ,この2つの大学ゼミの形で始まった。その手法は,正倉院文書の現状を,穂井田忠友以来の「整理」によってできた「断簡」ととらえ,その接続関係を確認・推測して,奈良時代の東大寺写経所にあった時の姿に復原する作業を不可欠とする。その作業によって,正倉院文書は各写経事業ごとの群と,複数の写経事業をまたがる「長大帳簿」に大きく整理されていった。よって,個別写経事業研究は写経所文書の基礎的研究として進められ,その成果は大阪市大の正倉院文書データベースとして結実した。一方,写経事業研究を通して,帳簿論や写経所の内部構造,布施支給方法,そして写経生の生活実態といった多様なテーマに挑んだ研究が次々と発表された。これらの新たに「発見」されたテーマと同時並行的に,古くからの正倉院文書研究を引き継ぐ研究も深化し,写経機構の変遷,東大寺・石山寺・法華寺の造営,写経所の財政,写経生や下級官人の実態,表裏関係からみた写経所文書の伝来,正倉院文書の「整理」などの研究もさかんになった。さらに,古代古文書学に正倉院文書の視点を組み込んだ試みや,仏教史の視点から写経所文書を分析した研究も成果をあげてきた。2000年ごろから,他の学問分野が正倉院文書に注目し,研究環境の整備とともに,特に国語・国文学で研究が進められた。ほかにも考古学,美術史,建築学等の研究者も注目しはじめ,学際的な共同研究が進展しつつある。いまや海外からも注目をあびる正倉院文書は人類の文化遺産であり,今後も多彩な研究成果が大いに期待される。
張, 培華 Zhang, Peihua
日本で古典中の古典と言われている『源氏物語』は、世界文学の名著として、英語、フランス語、ドイツ語、中国語などの多くの外国語に翻訳されている。しかも同じ言語の中でも様々な訳者の新たな翻訳が出版されている。そのうち、翻訳の種類が最も多いのは中国語である。現時点で見られる四種類の英語訳より、倍以上となる十数種類の中国語訳が見える。周知の如く、中国経済発展のおかげで、中国の書籍の装丁も以前より良くなっている。しかし、翻訳の中身はいかがであろう。続々と出版された新たな翻訳はどういうものなのか。
小磯, 花絵 天谷, 晴香 居關, 友里子 臼田, 泰如 柏野, 和佳子 川端, 良子 田中, 弥生 西川, 賢哉 伝, 康晴 AMATANI, Haruka
国立国語研究所共同研究プロジェクト「大規模日常会話コーパスに基づく話し言葉の多角的研究」では,200時間規模の日常会話を収めた『日本語日常会話コーパス』の構築を進めている。このコーパスは,多様な日常場面の会話を,映像まで含めて収録・公開するものであり,世界的に見ても新しい試みである。『日本語日常会話コーパス』の本公開は,プロジェクトの最終年度にあたる2021年度を予定してるが,コーパスの利用可能性や問題などを把握し今後の構築に活かすために,50時間のデータについて2018年12月にモニター公開することを予定している。そこで本稿では,モニター公開データの仕様や特徴について報告する。
金菱, 清 Kanebishi, Kiyoshi
世界各地に所在する「不法占拠」は,国家の法律の枠組みの外側に位置づけられるのかそれとも包含されているものなのか。通常「不法占拠」地域は,法律の外側で扱われる対象である。そのため,実際に法律を運用する行政当局は,「不法占拠」を仕方なく黙認するかそれを否定すべく強制退去の手続きをとることになる。それに対して,本稿が扱う事例は,日本最大級の「不法占拠」地域に対して,法制度に則って公的補償を実施し「不法占拠」を円満に解消するものである。この点からすると「不法占拠」とは国家の法律に内包された存在でもあると言える。
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