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阮, 雲星
浙江省杭州市に位置する西湖は、古代より多くの詩人や文人などが愛した風光明媚な地として知られ、現在は観光名勝地として注目されている。「杭州西湖の文化的景観」はその美しさから世界的に高く評価され、2011年6 月24日にパリで開かれた第35回の世界遺産委員会で『世界遺産名簿』に登録された。本稿は、この「杭州西湖の文化的景観」を研究対象に、現代における文化遺産保護の登録と保護活動をめぐる市民の参与について考察する。まず、ユネスコの世界遺産となった「杭州西湖の文化的景観」を紹介し、次に市民の文化的自覚、都市の文化遺産保護、および世界遺産の申請登録との関係性について論じる。最後に、世界遺産登録後に生じた杭州の地方政府と市民による遺産保護活動、並びに彼らが直面している課題を提示する。
藤野, 陽平
近年、世界遺産関連の話題はますます盛り上がりを見せているが、台湾には世界遺産が1 ヶ所も登録されていない。これは台湾に後世に残すべき人類の遺産がないというわけではなく、中華民国(台湾)がユネスコに加盟していないということや中台関係が大きな要因である。こうした状況に対して台湾側にも「台湾世界遺産潜力点」として18か所の世界遺産登録候補地を設定し、アピールするという動きが見られている。そこで本稿では台湾世界遺産潜力点について簡述した後、18か所の中の1 つで、これまで9 つの外来文化の影響を強く残している新北市に位置する「淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」を紹介する。最後に台湾世界遺産潜力点がいかなる社会的文脈の上に位置づけられるのかを確認し、その特徴として台湾アイデンティティの強まりや、日本との関係性を分析する。
阿部, 朋恒
2013年6 月にプノンペンで開催された第37回世界遺産委員会において、雲南省南部の哀牢山脈に広がる「紅河ハニ棚田群の文化的景観(Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces)」の世界遺産登録が決定した。わたしはこの喜ぶべき一報を、世界遺産指定地域から50㎞ほど離れたハニ族の村落で手にしたが、その時点では登録決定の事実はおろか、世界遺産とは何かを知る村人にすら誰一人として出会わなかった。本稿では、そこで事態を説明する役割を担った私自身を巻き込む対話を通じて形成された、ハニ族の村落コミュニティにおけるローカルな「世界遺産」認識の一例を紹介し、さらにそこから浮かび上がる論点として、ハニ族が自らの文化をどのように概念化しているのかを検討する。 近年の中国では、文化遺産の制度的認定を求める機運がますます高まりつつある。それに呼応して学術界においても文化の資源化をめぐる議論が活発に行われおり、紅河ハニ棚田の世界遺産登録もまた、地元出身の文化研究者たちが現地政府に働きかけて声高に主導してきた申請運動が実を結んだものであった。したがって、世界遺産委員会の認めるところとなったハニ族の文化とは、少なからず政治的な戦略のもとで描かれてきた文化像を下敷きにしたものにほかならず、そこから棚田に暮すハニ族の今日的な村落生活をうかがうことは難しい。本稿では、世界遺産登録を契機として際限なく拡散されつつあるこうした「ハニ族文化」と、ハニ族が語る自らの「文化」のすれ違いについて具体的に検討していく。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
2013年6月22日の紅河ハニ棚田の「文化的景観」の世界文化遺産登録を事例に、ユネスコのいう「文化的景観」を分析した。方法としては中国側の申請書とイコモスの評価書およびその他の文書の検討からイコモス、中国政府、ハニ族知識人、紅河州などのアクターの戦略を考察した。その上で今回の指定が住民に及ぼすものは何かを資源人類学的観点から明らかにした。ユネスコの世界文化遺産における「普遍的価値」とは政治的妥協の結果であることをハニ族の棚田を事例として示した。
高倉, 健一
麗江古城は、少数民族・納西族の中心的な都市として約800年の歴史を持つ古都である。改革・開放政策以降、他の文化的特色を持つ都市と同様に文化資源を利用した観光開発が進められ、1997年には麗江古城の街並みが世界文化遺産に登録された。その結果、麗江古城は国内外から年間数百万人の観光客が訪れるなど観光開発による経済発展は成功したが、観光地化による生活環境の変化などによって観光開発が進められる以前から麗江古城内に住んでいた人々の多くが近隣地域に流出し、その民居を外部から来た商売人が宿泊施設や土産物屋などに改装して商売をおこなうようになった。そのため、これまで麗江古城に住んできた人々によって継承されてきた生活文化の存続が危ぶまれる状況となっている。 麗江古城のような、現在も人が居住する建物や街並みそのものが登録対象となっている文化遺産は、これまでそこに住んできた人々の生活文化によってその文化形態が形成されてきた面が大きい。また、そこに住む人々が生活の中で日々利用していることから、生活文化の変化に合わせてその形態が変容することもよくみられる事象であり、その特徴から「生きている文化遺産」とも呼ばれる。このような特徴を持つ文化遺産の保護には、生活文化が文化遺産に与える影響を考慮したうえでの保護活動が必要となる。 本稿は、生きている文化遺産の保護と活用の両立には、文化遺産に携わる住民自身が自分たちの利益や生活のために自律的に文化遺産を利用することができる環境を整えることが重要という考えについて論じる。また、時代の変化などに応じて住民の定義について再考することの必要性についても検討する。
川合, 泰代 Kawai, Yasuyo
本稿は,世界遺産に登録されたことを契機に,古くからある日本有数の神社の一つである春日大社の内部から,春日大社にとって新しい宗教文化が生まれ,根付いていった過程を明らかにしたものである。春日大社では,世界遺産に登録されたことをきっかけに,歴史的に長らく春日信仰における重要な聖地でありつづけ,一般人の入山が禁じられ続けてきた春日山に,神社の神職が案内しながら,一般人が登拝する活動がスタートした。これが春日山錬成会の原型である。この活動は2009年で10周年を迎えた。登拝ルートや登拝形式は,史実をもとに,現在の春日大社の神職により構成された。春日山錬成会の参加者は,今まで春日信仰と縁が深かった血縁や地縁による社会集団に属す人々ではなく,今まで春日大社と縁がなかった人々に多い。そしてそのほとんどが,個人的な関心事から個人単位で参加する。現在の春日山錬成会の状況をみると,リピーターになる人々が多くみられ,28回という参加回数を持つ人もいる。その要因の一つとして,参加者の聖なるものを希求する気持ちを満たすものが,春日山錬成会にあるからだと推測される。春日山錬成会が行う,聖地春日山を登拝する活動は,世界遺産の理念とも共通するものがあった。そして,春日大社に今まで縁のなかった人々のうち,聖なるものを希求する人々に受容され,今後も続いていくと予想される。
八巻, 一成
本研究の目的は,保護地域においてかつて行われた森林開発の持つ現代的意味について,保護地域における「保護」概念の検討,および保護地域に残る林業遺産の事例を通して明らにすることである。そこで,日本の中核的な保護地域である国立公園を取り上げ,「保護」概念について世界的な視点を踏まえつつ検討した。つぎに,北海道の国立公園を事例として森林開発の歴史や林業遺産の現状を検討し,林業遺産が持つ意義や保存の現状と課題について考察した。その結果,日本の国立公園は,「生態学的プロセスの保護を目的とした自然性の高い地域」とともに,「長年にわたる人と自然との相互作用が形成した特徴の保護を目的とする地域」を対象としており,前者は原生的な自然環境,後者は文化的景観を保護対象としていると考えられた。国立公園ではかつて大規模な森林開発が行われた歴史があり,そうした森林開発によって形作られた森林景観は,文化的景観という側面を持っている。文化的景観は文化遺産としての価値を有しており,さらに当時の森林開発に関わる施設の遺構などは林業遺産としての価値を有していると考えられる。そこで,北海道の支笏洞爺国立公園,大雪山国立公園内に残る林業遺産のうち,森林鉄道に関連する遺構に焦点を当てて現状把握を行った。その結果,多くの遺構は保存状態が悪く,いずれは消滅してしまう状況にあることが明らかとなった。文化遺産の概念が神社仏閣や遺跡から産業遺産までも含むものへと拡張して生きているこんにち,伐採跡地や人工林といった文化的景観と一体となって地域に残る林業遺産は,現行の保護地域制度では保護の対象とはなりにくいものの,人と森林との関係性の記憶を現在にとどめる文化遺産として,保護地域においても大きな意味を持っており,そうした遺産を積極的に保存していくこともまた,保護地域の役割として重要な意味を持っていると考えられる。
青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
近年,世界遺産の制度に「文化的景観」という枠組みが設けられた。この制度は,文化遺産と自然遺産の中間に位置し,かつ広い地域を保護するものである。その枠組みは曖昧であるが,一方であらゆるタイプの景観を文化財に選定する可能性を持っている。ただし,日本では文化的景観として,まず農林水産業に関連する景観が選定された。なぜなら,それが文化財として明らかに新規の分野であったからである。だが,農林水産業に関連する景観は,大半が私有地であり,公共の財産として保護するのに適していない。また,それは広域であるため,観光資源にも向いていない。本稿では,日本ではじめて重要文化的景観に選定された滋賀県近江八幡市の「近江八幡の水郷」と,同県高島市の「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」をおもな事例として,この制度の現状と諸問題を明らかにした。
青木, 隆浩 Aoki, Takahiro
本稿は,五箇由と白川郷に計3ヶ所の世界遺産登録地域を有する庄川流域を事例として,観光化の進展によって忘れられていった開発の歴史と研究史をあらためて見直し,かつての山村生活の様子を思い起こす試みをおこなったものである。現在の五箇山と白川郷においては,世界遺産に登録された相倉集落,菅沼集落,荻町集落の合掌造り民家ばかりが注目されているが,かつては庄川流域一帯で同様の民家に住み,焼畑や養蚕を中心とした生活を営んでいた。それが,1920年代からのダム開発とそれに伴う道路改良事業によって合掌造りの屋根を下ろす民家が急増し,その一方で生活水準の格差が拡大して,離村・廃村が相次いだ。また,研究上においても,1900年頃から合掌造り民家の起源に注目が集まっており,その後,ダム開発に対する住民の対応や生活様式の変化に関心が移っていった。ダム開発は,庄川流域の集落を農業主体の生活から土木建設業や商業,サービス業中心の生活へと変えていき,さらに第二次世界大戦後から本格化した合掌造り民家の文化財保護や,1970年における相倉集落と菅沼集落の史跡指定は観光化を促進させた。そして,研究上の関心も合掌造り集落の景観保護や観光化の影響へと移行したため,かつての山村生活は忘れられていった。しかし,そのことは観光化以前の生活を経験してきた世代に違和感を抱かせる要因となっている。
国際日本文化研究センター, 資料課資料利用係
日本一の山、富士山。日本の中でもとりわけ特別な山として、古くから畏怖され愛されてきました。2013(平成25)年に「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録されました。今回は「富士山とは」「富士五湖」「初三郞と富士山」「外国人と富士山」をテーマに資料を集めました。普段はなかなか目に触れない資料なのでぜひご覧ください。
山本, 理佳 Yamamoto, Rika
本論文は,近年の日本で極めて広範な対象を文化資源化している「近代化遺産」をめぐる動きを明らかにすることを目的として,とくに軍事施設までもが文化資源化される現象を取り上げた。すなわち,軍事施設の機密性と文化遺産の公開性との根本的な対立にもかかわらず,いかにして軍事施設の「近代化遺産」化が進んでいるのかをとらえた。対象としたのは,米海軍や海上自衛隊の大規模な「軍港」を抱える長崎県佐世保市である。佐世保市では,それら「軍港」内の施設の多くが戦前期に旧海軍が構築した「歴史的」建造物であることから,それらを「近代化遺産」として活用しようとする動きが1990年代半ばから活発化している。ここで明確にとらえられた点が,まず軍事施設の機密性が民間の開発などからの文化財の「保護」と結びつき,ことに軍を「優れた保存管理主体」として評価することにつながっている状況である。また,軍によって取り壊された煉瓦造建築物の廃材を活用した基地外での景観整備が近代化遺産の活用実践の主要な動きとなっている状況もとらえられた。いずれも軍の機密性に支障のない形での文化遺産化が進行していることが明らかとなったのみならず,「軍」を地域のアイデンティティとしてとらえる見方を醸成し,地域における軍存在の正当化につながっていることも明らかとなった。そして,そのような国家権力側に都合のよい「近代化遺産」化の動きは,地域内実践者の言説に垣間見える,軍事基地内の機密性と文化遺産活用との相容れなさへの実感と,それに伴う「返還」への強い執着との微妙なずれを生じつつも進行していた。総じて「近代化遺産」の貪欲な文化資源化の動きが浮き彫りとなった。
宮国, 薫子
2015 年に国連のSDGs(Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs が様々な分野で研究され取り組まれているが、観光の分野においても、観光がSDGs の達成にどのように貢献できるかの議論が活発になっており、観光と SDGs の関係が模索されている。2021 年 7 月に,奄美大島,徳之島,沖縄県北部,西表島,が世界自然遺産に認定された。沖縄県北部では,電気自動車を用いたエコツーリズム事業が開始され,2020 年から,環境省や沖縄県自然保護課、一旅行会社が主体となって、SDGs を基に作成された GSTC (Global Sustainable Tourism Council)の持続可能なデスティネーション基準をもとに観光の自主ルール構築に取り組んできた。本稿では,SDGs と観光について概観し,その取り組みについて紹介し、持続可能な観光開発が,国連のSDGs 達成にどのように貢献できるかを,明らかにすることである。
清水, 拓野
建造物のような有形のものと比べて、芸能、儀礼・祭礼、工芸技術などの無形文化は、人を媒介として伝承される形に残らない文化実践なので、とりわけ現代中国のような時代の移り変わりが激しい社会では、意識的に保護しないと相対的に失われやすい。その意味で、こうした無形のものが無形文化遺産に登録されて、保護・保存の対象となるのは、大変喜ばしいことである。ところが、無形文化遺産の保護に乗り出して日が浅い中国では、いまだに政策的な矛盾が多々あり、無形文化遺産の保護と継承においてさまざまな支障をきたしている。本稿は、伝統演劇・秦腔の西安易俗社という有名劇団を事例として、無形文化遺産の保護・伝承の現場でどのような実際問題がみられるかを報告するものである。事例の検討をとおして、演劇界の当事者たちが直面する保護と継承をめぐる現実に迫るとともに、いかに今後の発展と活性化につなげていくべきかという問題についても考えてみたい。
柴崎, 茂光
本報告では,観光雑誌・ガイドブックとして知られている「旅」や「るるぶ」の文字情報や写真情報を活用しながら,1993年に世界自然遺産に登録された屋久島の観光イメージの変遷を明らかにした。その結果,時代ごとに観光地「屋久島」のイメージが変化してきたことが明らかとなった。1950年代には秘境としての屋久島が強調され,山域よりも里の暮らしなどが観光資源と表現されていた。国立公園に編入された時期を除いて,1980年代までは里の温泉や滝が主要な観光資源として頻繁に写真などにも掲載された。しかし 1990年代以降になり,世界遺産登録も一つの契機となり,観光イメージの中心が,縄文杉や白谷雲水峡といった山域に移行した。とりわけ近年は,エコツーリズムを活用した新たな観光形態が紹介されるようになる。例えば,太鼓岩やウィルソン株のハート形の空洞などに代表される新しい観光資源が誕生し,観光地「屋久島」イメージの変化にも影響を与えていた。こうした観光地のイメージ変化をもたらす要因として,観光発展の初期の段階では,観光地へのアクセスが大きく影響しているものと考察された。そして飛行場といった交通機関や道路環境や木道といった登山道整備が改善される中で,アクセスが容易となり,山岳記事が少しずつ増えていったと考えられる。山岳記事が増える中で,大衆観光地化やエコツーリズム産業の発展も進み,観光雑誌・ガイドブックの出版社側も新たな情報の更新を繰り返してきた。ただしこうした迅速な観光資源化は,コンフリクトを生み出してきた。持続的な観光発展のために,行政側が提供する観光情報を検討する時期に来ている。
Iida, Taku Kawai, Hironao
本書は、2015年1 月24日から25日にかけて国立民族学博物館で開催された国際フォーラム「中国地域の文化遺産―人類学の視点から」のプロシーディングズである。国際フォーラムは、国立民族学博物館の機関研究「文化遺産の人類学―グローバル・システムにおけるコミュニティとマテリアリティ」の一環として開かれた。この序の前半では、機関研究全体の関心について述べ、後半では、中国地域というコンテクストに即した問題の所在を紹介する。
丹羽, 朋子
中国黄土高原に位置する陝北地域には、伝統住居「窰ヤオトン洞」の窓に貼る正月飾りに、女性たちが剪せんし紙(切り紙細工)を作る習慣があり、2008年以降、多くの県の剪紙が国家級・省級の無形文化遺産に登録されている。本稿は、陝北の延えんせん川県に設立した「碾ニエンパン畔黄河原生態民俗文化博物館」と「小シャオチャン程民間芸術村」の活動を取り上げ、人々が民俗文化の保存に動くとき、いかにして無形文化遺産という外来の概念や制度が移植され、また民俗文化という客体視しづらい対象が表象や実践の形式へと〈翻訳〉されるかを考察していく。この活動は、剪紙技術が廃れた僻村における作り手の育成活動と、生活文化の保存活動とを組み合わせて、民俗文化全体0 0 0 0 0 0 を無形文化遺産として登録したユニークな事例である。本稿ではこの試みを、牽引した知識人芸術家や村民らが参与するエコミュージアム活動と捉えて、設立・運営の現場における彼らの相互交渉の諸相を、〈翻訳劇〉になぞらえて描き出す。文化遺産保護という新たな潮流と、建国以来の民俗文化のプロパガンダ利用の歴史との関係性、また製作指揮者らの企図を超えた、村民ら〈演者〉による〈翻訳劇〉の再編等の展開も合わせて論じる。
川瀬, 由高
本稿では南京市高淳区に見られる祭祀芸能「跳五猖」と「小馬燈」をめぐる、無形文化遺産登録の影響、とりわけそれが地元民にとってもつ意味について考察する。これら祭祀芸能をめぐる3 カ村の事例は、それぞれ、興隆、新興、衰退と三者三様であるものの、いずれの例でも、祭祀芸能の資源化は無形文化遺産の登録に先立っておこっており、登録を契機とした民俗の変化という語り口には馴染まない。現地では、経済発展、出稼ぎ労働者の増加、少子高齢化などのため、民間信仰に根ざした祭祀芸能の復興が一方では盛んであり、また一方では衰えている。このような状況を廟会の浮沈、渦の生成と消滅として捉える視点からは、祭祀芸能は機運に応じ、柔軟におこなわれてきたものであることが注目できる。中国の無形文化遺産を捉えるためには、政治経済的影響下のなかではくぐまれてきた祭祀芸能の性格に着目する必要がある。
岡本, 牧子 仲間, 伸恵 前村, 佳幸 福田, 英昭 片岡, 淳 西, 恵 Okamoto, Makiko Nakama, Nobue Maemura, Yoshiyuki Hukuda, Hideaki Kataoka, Jun Nishi, Megumi
日本の手漉き和紙技術は、ユネスコの無形文化遺産に登録されるなど世界に発信できる日本独自の文化である。特に南西諸島及び台湾に生息するアオガンピ(青雁皮)を原料とする琉球紙の製造技術は、沖縄県独自のテーマとして特色のある教材となるが、原料の調達が困難なため持続可能な教材として未だに確立していない。本研究では、学校現場での原料調達を可能にするべく、中学校技術科の生物育成領域の学習教材として取り扱えるよう、アオガンピの栽培方法やコスト、学習指導計画等を提案し、沖縄県独自の和紙製造技術を教材化することを目的としている。その事前調査として、現在までに明らかになっているアオガンピの特徴や栽培の流れについて調査したので報告する。
白井, 哲哉 SHIRAI, Tetsuya
本稿は、アーカイブズ学における史料管理論の観点から、地域で展開される被災文化遺産救出態勢の構築のあり方を考察したものである。具体的には、東日本大震災被災地における活動実践の分析を通じ、現地における救出態勢の構築過程を解明するとともに、今後に向けた課題を提出することを目的とした。分析対象として、東日本大震災の被災地である茨城県で被災文化遺産救出活動に従事する茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク準備会(茨城史料ネット)を主に取り上げ、同じく福島県で活動に従事するふくしま歴史資料保存ネットワーク(ふくしま史料ネット)を比較対象とした。両者の活動実践を分析した結果、地域における救出活動のにない手は、資料救出・保全ネットワーク、地方自治体、地方自治体の博物館施設・専門的職員、研究団体・研究者、ボランティア参加者の五者に区分可能となった。これにより地域における被災文化遺産の救出体勢の構築は、資料救出・保全ネットワークを結節点とする二方向で理解することができた。最後に、資料所在悉皆調査の推進、官民連携の観点から県別史料協と資料救出・保全ネットワークの連携、「歴史資料の現地保存主義」の再検討、の3点を課題に掲げた。
喬旦, 加布
中国青海省黄南チベット族自治州同仁県では、チベットの歴史、仏教、文化と深く結びついた、レプコン(熱貢)芸術と総称される美術品および工芸品が発達している。同仁県は、チベット仏教芸術の中心地として、何世代にもわたって栄えてきた。現在でも、同地域の村々の男性の7 ~ 8 割はなんらかの伝統芸術を継承する工芸職人である。農閑期に村人により制作されるレプコン芸術は、市場経済化が促進するにつれ重要な現金収入の源となっている。西部大開発や観光化政策が進み、またユネスコの無形文化遺産に登録されてから、レプコン芸術の美術品としての値段が高騰した。しかし同時に、それと反比例して、質が下がるなどの問題が出現している。本稿は、「レプコン芸術」の形成と分布、タンカ制作の過程、さらには無形文化遺産への登録と登録後の動態などについて述べる。
大城, 貞俊 OSHIRO, SADATOSHI
沖縄県が生んだ近代・現代を代表する詩人に山之口貘がいる。山之口貘は、戦前期の日本社会に残っていた負の遺産としての沖縄差別や貧困を、平易な日常語で詩の言葉として紡ぎ、ユーモアとペーソス溢れる詩世界を構築した。山之口貘の詩は、文科省検定の小学校、中学校、及び高等学校の国語科教科書で採用され紹介されている。また、沖縄県で作成された国語科副読本の中でも、代表的な詩教材として定着している。本論では、「差別」「偏見」「推敲」「言葉」「地域」「詩教材」「書くこと」などをキーワードに、山之口貘の詩を通して、地域教材がひらく可能性を考えてみた。山之口貘の詩には、言葉との格闘があり、同時に伝統的な言語文化の視点がある。また、「書くこと」の意義が具体的に伝わってくる。山之口貘の詩を学び、国語科教材としての授業展開を検討することは、グローバル社会における詩教材の可能性を考えることに大いに役立つものと思われる。
高根, 務
本稿では,独立期ガーナのココア部門とンクルマ政権の盛衰との関係を検討し,当時の政治経済状況の問題点を指摘する。注目するのは,政治・経済の両面で脱植民地化を目指した独立期のンクルマ政権が,実際にはその基盤を植民地期の遺産そのものに置いていた事実である。反植民地主義を掲げるンクルマが国家建設を進めるために採用した具体的な方策は,植民地期の遺産であるココアマーケティングボードを中心とした体制を利用し強化することによって,開発のための資金を調達し,また自らの政治基盤を農村部に浸透させることであった。本稿では経済・制度・政治のすべてが複雑に絡まって表出するココア部門とンクルマ政権の関係を明らかにすることにより,現代ガーナの諸問題の根源にある独立期ガーナの政治経済過程を再検討する。
谷口, 陽子 Taniguchi, Yoko
5世紀初頭から9世紀末まで仏教が栄えたバーミヤーン遺跡には,50窟の石窟に壁画が残されている。東の中国,西のイランおよび地中海世界,南のインドと北の遊牧文化,オアシス世界等さまざまな地域との交流の影響の痕跡が残されており,壁画にもその間に技法的,材料的な変容があったと考えられる。本稿では,ESRF(欧州シンクロトロン放射光施設)との共同研究として行っている,バーミヤーン仏教壁画の製作技法・彩色材料および劣化機構に関する顕微レベルの有機/無機物質の分析から得られた基礎的データのうち,油彩技法にかかわる3 つの事例から得られた結果を提示するとともに,バーミヤーン遺跡における仏教壁画群の材質と技法について,広く東西文化交渉の視点から考察を試みた。微小領域に絞ったビームでも高いS/N 値が得られる放射光を用いたSR-μXRF, SR-μXRDの同時分析,SR-μFTIR 分析を組み合わせることによって,複数の数μm厚の彩色層を重層的に持つ壁画試料を,層毎に分析することを可能とした。とくに,同じ個所をSR-μXRF/SR-μXRDによって同時測定することにより,層中の個々の顔料粒子の同定ができるところが,彩色文化遺産の研究において極めて有効性が高い特徴であった。バーミヤーン仏教壁画は,練り土壁に有機物質を膠着材とした絵具を重層的に塗り重ねて描く技法で描かれており,7世紀半ばからは,鉛白を白色下地とし,層ごとに油,樹脂,タンパク質,多糖類など異なる様々な有機物を含む一群が存在することが明らかになった。これは,現時点では最古の油彩技法の事例と位置付けられる。彩色層に含まれる乾性油の一部は,鉛石鹸へ変性していることも確認された。また,色付けをしたスズ箔の使用や鉛白,鉛丹など人造の無機顔料の利用とも関連させて解釈すると,地中海世界のメッカ技法や正倉院にも伝わる密陀絵とも関わる彩色技法が想起され,広く東西交流の視点から検討すべき技法であることが明らかとなった。
鄭, 毅
「満鉄調査研究資料」は、南満洲鉄道株式会社が、中国東北部を対象に行った長期的かつ大規模な調査の成果であり、日本植民地時代の「満洲文化遺産」として極めて重要な資料である。こうした資料が蓄積された背景として、「調査」「学術」「帝国」という三つの視座の存在を指摘することができるだろう。現在ではそのほとんどが中国の図書館と公文書館に所蔵されている。1950 年代から中国の研究者たちはその価値を認め、整理と研究に取りくみ、実りの多い成果を成し遂げた。
久高, 將晃 Kudaka, Masaaki
ハーバーマスは、『コミュニケーション行為の理論』において、三つの妥当要求に三つの世界を対応させている。すなわち、真理性要求に対して客観的世界、正当性要求に対して社会的世界、誠実性要求に対して主観的世界を対応させている。これらの世界の中で、どの世界が実在しそして実在しないのか。これが本稿を導く問いである。三つの世界の中で主観的世界は実在論の問題とはならない。そこで、客観的世界に関わる真理の合意説と社会的世界に関わる討議倫理学について論じ、『真理と正当化』の諸論考を参照して、先の問いに答えることが本稿の目的である。
相田, 満
時代の画期やその時代の盛期が自覚された時、記念となるべきモニュメントを作り上げる営みは史上何度も繰り返されたことである。書籍の世界でも同様である。現代でも何かを記念して大きな企画が実行されることが少なくないが、それらの中には、きわめて大規模にかつ長期間にわたって果たされたプロジェクトも少なくない。前代の知識を集成・整理する取り組みを通して、次世代への糧とする歴史的意義をともなうこれらの事業は、時に「老英雄法」などと呼ばれる、有為の才を文化事業に専心させることで、消耗させるという老練な政治手法の一環として採られたこともありはしたが、そうした取り組みにより残された文化遺産の恩恵は、建築などのモニュメントとは違って、後世の知的生活面において根底的な影響力を持つことが多い。そもそも書籍という形に残される記念碑は、膨大な時間と費用と、一見無駄とも思えるばかりの人的資源の用材を必要とするにも関わらず、巨大な構築物の形をとる記念構築物と較べると、その成果物の容量はきわめてコンパクトである。しかし、それを開けばそこに注がれた労力は一目瞭然で了解し得るもので、それをなし得たスポンサー(多くは為政者)の本当の度量と栄華は、実はそうした類の成果物を通してはかり得るものかもしれない。
裵, 炯逸
植民地状況からの解放後の大韓民国において、その「朝鮮(Korea)」という国民的アイデンティティが形成される過程のなかで、学問分野としての考古学と古代史学は、重要な役割を果たしてきた。しかしながら、その学問的遺産は、二〇世紀初頭に朝鮮半島を侵略し、植民地として支配した大日本帝国の植民地行政者と学者によって形成されたものでもあった。本稿は、朝鮮半島での「植民地主義的人種差別」から、その後の民族主義的な反日抵抗運動へと、刻々と移り変わった政治によって、朝鮮の考古学・歴史理論の発展が、いかなる影響を被ったのかについて論じるものである。
藤田, 陽子 Fujita, Yoko
本報告では、(1)研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造-日本と東アジア・オセアニア圏を結ぶ基点としての琉球弧」(Toward New Island Studies-Okinawa as an Academic Node to Connect Japan, East Asia and Oceania) における問題意識と研究目的、(2)沖縄における重要な環境問題とその特徴及び解決に向けた課題に関する考察、の2点について述べる。(1)「新しい島嶼学の創造」プロジェクト 国際沖縄研究所の研究プロジェクト「新しい島嶼学の創造」は、島嶼地域の持続的・自立型発展の実現に向けた多様な課題について、学際的アプローチにより問題解決策を導出・提案することを目的とした事業である。従来の島嶼研究は、歴史や民俗、自然地理、文化人類学など、大陸との比較においてその特徴を捉えることを中心として展開してきた。また、「狭小性」「環海性」「遠隔性」といった大陸との相対的不利性に焦点を当てる研究も数多く行われてきた。こうした従来の島嶼研究の成果を踏まえつつ、本プロジェクトにおいては島嶼の不利性を優位性と捉え直すことによって島嶼地域・島嶼社会の発展可能性を探り、問題解決に向けた具体的な処方箋の導出を目指す研究を展開する。そのために「琉球・沖縄比較研究」「環境・文化・社会融合研究」「超領域研究」の三つの学際的研究フレームを設定し、島嶼に関する学際的・複合的研究を推進している。(2)沖縄における環境問題 沖縄の自然環境は、その生物多様性の豊かさや自然景観の美しさなどにより多数の観光客を惹きつけ、専門家の関心を集めている。しかし2003年には、沖縄本島北部やんばるの森を分断するように敷設されている林道の存在や、日本国内法が適用されない米軍基地の存在、重要地域の国立公園化など保護区域の設定が不十分であることを理由に、環境省が琉球諸島の世界自然遺産委員会への推薦を見送った。これは、長い年月をかけて培ってきたストックとしての自然は優れているが、それを維持・管理する人間側の体制が十分に整備されていない、ということを意味していた。2013年1月31日、環境省はこれらの課題に取り組みつつ奄美大島・徳之島・沖縄本島北部(やんばる地域)・西表島の4島を中心とした奄美・琉球のユネスコ暫定リスト入りを決定したが、最終的な世界自然遺産認定に向けては、自然保護に対する地域住民の認識の共有や、開発を制約する国立公園化など、困難な課題に直面している。在沖米軍の活動に起因する環境問題については、地位協定あるいは軍事機密の壁による情報の非対称性が問題の深刻化をもたらしている。米軍には、運用中の基地内で行われている軍事関連活動について日本あるいは沖縄に対して情報開示の義務は負わない。また、返還後の跡地利用の段階で汚染等が発覚した場合の浄化に伴う費用負担のあり方について汚染者負担の原則が適用されず、また汚染状況の詳細が予め把握できないことによる開発の遅延という経済的損失も地域にとっては大きな負担となる。これらの問題を解決するためには、地位協定の運用改善および改正を含め、日本の環境関連法あるいは米国環境法の適用可能性について検証することが不可欠となる。
浦崎, 武 Urasaki, Takeshi
社会性の問題を中核とする自閉症者にとって、対人関係が開かれ社会性や他者との関係性が育っていくことにより、自閉症者の発達が促進され体験世界が変容し、彼らの生きている世界への関わり方が変わる。そのプロセスとして彼らが外の世界へと開かれるためには、「外の世界へと向かう力」が必要であり、そのことを支える他者が必要である。その他者に導かれることによって体験世界が発展する。その他者へ導かれ世界を体験することに困難性のある自閉症児との支援を行うためには、まず、その自閉症児との関係性を形成することが重要な課題となる。他者と繋がるには他者との世界を共有する必要がある。そのためには、その世界を共有するための媒介が必要となる。本研究では描画の世界に没頭しているある自閉症児が、描画を媒介として他者と関わることによって、他者の存在を意識し、関係性が形成され、他者が重要な他者となっていくプロセスと自閉症児の生活世界が変容する過程ついて検討を行った。一人の描画に没頭する段階から他者との関わりを基点として生活世界が開かれていく段階への移行には、その移行を支える他者の存在が重要であった。自閉症児にとって重要な他者の存在が必要であり、彼らの内的世界を理解し、状況に応じたきめ細かい支援の必要性が示唆された。
津村, 徳道 Tsumura, Norimichi
保存と展示のジレンマから,博物館などの収蔵物の多くは,研究用に用いられているが,一般の人々に鑑賞されずに歴史的価値を後世に引き継ぐためにひたすら眠りつづけている。デジタルアーカイブはこれらの問題を解決するものとして期待されている。しかし,色や質感の正確な記録には多大な労力と時間を要するため,正確なデジタルアーカイブを実現するのは現状では困難である。本論文では,我々の研究例を基に,正確かつ効率的な物体の色と質感の正確な記録方法と再現方法を提案する。これらの技術が益々精錬され,実用化され,我々に膨大な文化遺産との新たな交流を与えると信じている。
銭, 国紅
現実的危険に曝されながら世界への旅を敢行しようとした志士吉田松陰の渡海の試みから、幾たびかの「大君の使節」(一八六〇~一八六七)や留学生たちの時代に至ると、世界に連なろうとする志向が日本の激変をもたらし、実際に自分の目で西洋を見、現場に学ぶことを通して、西洋世界の新しい意味、西洋を含めた世界の実像が次々と日本知識人に再発見されていった。アメリカと出会った福沢諭吉は強烈な文化ショックを受けながら、そのなかから一つの新しい文明像を日本人に将来した。それは同時に新しい世界における新しい日本の新しい位置づけの試みでもあった。 一方、十九世紀中国の知識人たちも世界像の拡大を経験した。その探索の軌跡は十九世紀中葉に既にアメリカ文明を中国に持ち込もうとする容閎の「少年留学生派遣計画」や、他に先駆けてヨーロッパ等を見回った清末の官僚知識人・張徳彝の新しい西洋文明像に見出すことができる。西洋諸国との外交折衝に取り組んだ清末の官僚知識人たちは、ヨーロッパに赴く船の中で、あるいはパリ・コミューンの最中で、あるいはそこから帰りの船で、思いがけずに新生日本の遣欧使節たちや留学生たちと巡り合って、それを契機に近代中国の「日本再発見」を始めたのも興味深い一幕であった。 こうして本論文は近世日本における世界像の形成を中国を始めとするアジアとの連動において捉え、近代世界を迎えようとする日本知識人における「世界意識」の芽生えとその成長ぶりを分析した。特に、十八世紀初頭から十九世紀後半に至る日本と中国の知識人たちが、勇気を振るい、戸惑いを抱きながら、相前後して近代社会に入るためにそれぞれ独自の世界像を持つにいたった歴史とその意味を考察した。
森岡, 正博
人間の知的な営みの本質には、ここではない「もうひとつの世界」、この私ではない「もうひとりの私」を空想し、反芻する性向がある。スタニスワフ・レムとタルコフスキーの『ソラリス』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の作品世界は、この「もうひとつの世界・もうひとりの私」へと向かう想像力によって、形成されている。そして、その想像力の根底にあるものは、「死」へのまなざしであり、「救済」の希求である。人が「もうひとつの」なにかへと超越しようとするのは、そこに死と救済がたちあらわれてくるからなのだ。
篠原, 徹 Shinohara, Toru
本論文は日本の俗信とことわざおよび俳諧のなかに現れる他種多様な動物や植物の表現について、俗信とことわざおよび俳諧の相互の関係性を論じたものである。こうした文芸的世界が華開いたのは、庶民にあっては「歩く世界」と「記憶する世界」が経験的知識の基本であった日本の近世社会の後半であった。俗信やことわざおよび俳諧は、近世社会のなかで徐々に発展していったと思われる。農民や漁民の生業や生活のなかでの自然観察の経験的知識は、記憶装置である一行知識として蓄積され人びとに共有されていった。この経験的知識の記憶装置である一行知識は、汽車や飛行機などの動力に頼る世界ではなく「歩く世界」を背景にした繊細な自然観察に基づいている。同時に一行知識は、そうした観察に基づく経験的知識を、活字化し書籍として可視化する世界とはまだほど遠く、記憶しやすい定型化した文字数に埋め込んだものである。経験知としての一行知識は、大きくは動植物に関する観察による領域と人間に関する観察による領域の二つに分けられる。この経験知は基本的には生活や生業におけるものごとに対する対処の方法なのであるが、経験知は感性的な側面と生活の知恵の側面と生活の規範の側面の三つの方向にそれぞれ特徴的な定型化の道を歩んだのではないか。感性的な側面は、季節のうつろいと人生のうつろいを重ね合わせる俳諧的世界を創造していく。生活の知恵の側面は、自然暦や動植物の俗信を発展させていく。生活の規範の側面は、人の生き方や社会のなかでの個のありようを示すことわざの世界を豊饒にしていく。俗信やことわざそして俳諧の世界に通底しているのは「歩く世界」と「記憶する世界」で醸成された一行知識であり、それを通じて三つの領域は親和性をもっているといえる。
本間, 七瀬 浦崎, 武 Honma, Nanase Urasaki, Takeshi
自閉症のある人々の困り感の一つに対人関係形成の困難が挙げられる。学童期において小学校の入学と共に集団行動の要素が強くなる中で,‘自分は自分であっていい'という実感と‘他者と共にここに在る'という実感を育てていく支援の可能性を探る。今回は,通級指導教室と集団支援教室の2つの場で支援者として関わった実践から1事例を取り上げ,他者との関わりの中で対象児がどのように情動を調盤していったのかについて変容過程を明らかにし,対象児側から「集団適応」ついて見つめ直すとともに,通級において内面世界に寄り添う視点をもつことの重要性について検討する。内面世界とは,安全基地とも呼べるような,楽しい世界・安心できる世界・こころの世界と位世づける。‘今,ここ'の姿をありのままに受け止めて‘共に楽しむ'という快の情動共有経験を積み重ねることが「環境」や「人」へと向かう力を育み,主体的な集団適応を促すことが示唆された。
門田, 岳久 Kadota, Takehisa
本論文は消費の民俗学的研究の観点から、沖縄県南部に位置する斎場御嶽の観光地化、「聖性」の商品化の動態を民族誌的に論じたものである。二〇〇〇(平成一二)年に世界遺産登録されたこの御嶽は、近年急激な訪問者の増加と域内の荒廃が指摘されており、入場制限や管理強化が進んでいるが、関係主体の増加によって御嶽への意味づけや関わり方もまた錯綜している。例えば現場管理者側は琉球王国に繋がる沖縄の信仰上の中心性をこの御嶽に象徴させようとする一方、訪問者は従来の門中や地域住民、民間宗教者に加え、国内外の観光客、修学旅行客、現場管理者の言うところの「スピリチュアルな人」など、極めて多様化しており、それぞれがそれぞれの仕方で「聖」を消費する多元的な状況になっている。メディアにおける聖地表象の影響を多分に受け、非伝統的な文脈で「聖」を体験しようとする「スピリチュアルな人」という、いわゆるポスト世俗化社会を象徴するような新たなカテゴリーの出現は、従来のように「観光か信仰か」という単純な二分法では解釈できない様々な状況を引き起こす。例えばある時期以来斎場御嶽に入るには二〇〇円を支払うことが必要となり、「拝みの人」は申請に基づいて半額にする策が採られたが、新たなカテゴリーの人々をどう識別するかは現場管理者の難題であるとともに、この二〇〇円という金額が何に対する対価なのかという問いを突きつける。古典的な枠組みにおいて消費の民俗学的研究は、伝統社会における生活必需品の交易と日常での使い方に関してもっぱら議論されてきたため、情報と産業によって欲求を喚起されるような高度消費社会的な消費実践にはほとんど未対応の分野であったと言える。しかし斎場御嶽に明らかなように、信仰・儀礼を含む既存の民俗学的対象のあらゆる領域が「商品」という形式を介して人々に経験される時代において、伝統社会から「離床」した経済現象としてこれを扱うことは、現代民俗学の重要な課題となっている。
銭, 国紅
日本はアジアで一番早く近代化をやり遂げた国であり、それに対して、同じアジアの国である中国の近代化の道は極めて苦難に満ちたものであった。これは何を意味しているのであろうか。これについて、今まで、両国の学界ではいろいろな議論があったものの、まだ完全に満足できる解釈がない。多くの研究者は、日中両国の近代化の本質を西洋の衝撃と日本の応戦として片づけてきた。しかし最近になって人々はそのような研究には一つの大きな落とし穴があると気づき始めた。つまりそれは両国の近代化を西洋に対する受け身的な対応としてしか考えず、常に歴史の新しい方向性を模索しつつある知識人の主体的営みを無視してしまった点である。私もこれはもともと中日の近代化歴史の実際に合っていないのではないかと前から素朴な疑問を感じてきた。 この問いを解くために、私は中国人と日本人がどのように積極的に世界像を身につけてきたかという近代化の原点に立ち戻って再考察する必要があると思う。西洋を含めた世界像がどのようにして両国の人々の心に根づいてきたかを跡付けることによって、より直接に、しかもより深く中国人と日本人の近代化の前とその最中の思想状態を見ることができる。 本研究はこのような日本における世界像の形成を、中国などアジアとの連動において捉え、近代以前の日本における「世界意識」の芽生えとその成長ぶりを、蘭学者を中心とする知識人の思想や行動を通じて分析する。特に十九世紀後半の幕末では、日本知識人がいかに同時代の中国知識人の世界的視野や中国経由の海外の情報から刺激を受けながら、積極的に自国なりのさらに新しい世界像を構築していったか、中国知識人と比較して、両者の間にどんな精神的な連帯と断絶が見られるかを明らかにする。日本における新たな世界像の形成に対して、西洋の刺激のみならず、多元的なアジアの知的刺激も重要な役割を果たした事実を明らかにし、近代世界を迎える日本の真の姿を見つめながら、徳川日本と中国、また世界との関係を究明することを目指す。
Suzuki, Hideaki
海域史研究の現状を踏まえると,その課題とはいかに陸域対海域という二項対立的な理解を乗り越え,新たな分節化を回避した具体的な海域世界像を提示できるのかという点にある。これを踏まえて,本稿では,19 世紀を対象にインド洋西海域世界を季節性に着目して設定することを試みた。とりわけ人を含む事物の移動に着目すると,港町における交易の季節を見出すことができる。この交易の季節の発生メカニズムを検討すると,長距離航海の事情だけによって定まっていたのではなく,農耕,採集,牧畜といった陸上,海上での生業と陸上移動,長距離交易といった様々な活動の季節性が噛み合うことで生じた現象であることが明白となる。これこそが,本稿でいうインド洋西海域世界なのである。一般的にはインド洋海域世界が崩壊したとされる19 世紀においてもこうした現象は確認でき,また,ザンジバル島における北米商人の活動から検討したように,彼らの行動もまた,こうした季節性の連動のなかの一要素として存在していたのである。
小口, 雅史 Oguchi, Masashi
斉明紀に見える「渡嶋」が具体的にどの地域を指すのかという問題の解明は、日本古代国家における一大転機であった大化改新後の初期律令国家の形成過程や、当時の国際関係を考える上できわめて重要な問題であって、早く江戸時代から学者の注目を集めてきた。古くは津軽の北は北海道であるという単純な理解から、渡嶋=北海道説が流布していたが、その後、津田左右吉等によって『日本書紀』のいわゆる「比羅夫北征記事」の厳密な読解が試みられるようになり、史料の解釈から渡嶋を本州北部の内におさめる見解が有力となっていき、戦後の通説的位置を永く占めてきた。しかし近年の北海道考古学の急速な進展にともなって本州と北海道との間の豊かな交流が明らかになるにつれて、比羅夫は当然北海道へ渡ったであろうという共通認識が形成され、津軽の北は当然北海道であるという渡嶋=北海道説が復活し、現在ではこれが通説となったと言ってよい。しかし中世以前における「津軽」は、現在の津軽地方の南部のみを指す語であり、半島海岸部はむしろ道南地域と密接な関わりを持つ世界であった。またそうした津軽海峡を挟む世界は、道央部あるいは道東・道北部とはやはり違った世界である。こうしたことを考えるとき、津軽の北に位置するという渡嶋はこの海峡を挟む世界に相当するのではないかと思われる。そのさらに北には「粛慎」の世界が存在したのであるが、それこそ道央部や道東・道北部といった、本州側からはよりいっそう未知の世界であったのではないか。「粛慎」の風俗習慣などについての多様な史料の在り方は、「粛慎」自体のもつ複合的な民族要素によっているものと思われる。この津軽海峡を挟む世界は、一〇世紀頃にいったん消滅し、それが渡嶋という用語の消滅の背景となるが、まもなく復活し、中世においては、津軽海峡を「内海」とする、海峡の南北一体の世界がまた形成されていったと考えられる。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia WoolfのMrs.Dallowayでは具象的な現実と流動的な意識の世界が混在し、二者が継続的、ないしは同時に展開される。両者はあたかも矛盾なく存在する補完的世界としてのみではなく、独立したそれ自体の特徴、時間的流れを持つ相反するナラティブ空間として作品の中で描写される。
徐, 蘇斌
明治末期、日本では国民意識の形成と共に、日本文化への関心が高まりを見せた。日本の文化のルーツを探すため、多くの日本人研究者は朝鮮、中国、蒙古などの地域へ調査に向かった。関野貞(一八六八―一九三五)は東アジアの建築史、美術史、考古学の領域の研究において注目すべき業績を残した研究者である。彼の研究経歴はそのまま近代日本の東洋研究の縮図といえる。本稿では、関野の六〇〇余枚に上る調査帖を中心にして、一九〇六年から一九三五年にいたる前後十回にわたる中国におけるフィールドワークを考察した。さらに、論者は関野の調査活動を通して、日本研究者のナショナル・アイデンティティー、学術研究と植民地政治の関連性、植民地と文化遺産の保存などの問題を論じた。また、満州事変以前の日中における学術交流、ならびに中国に及ぼせる日本建築史学研究の影響などの問題にも言及した。
伊禮, 三之 Irei, Mitsuyuki
教員養成学部に入学してくる学生についても,高校数学の被教育体験は,「数学の世界」における数学の内容(知識・技能)の習得に重点が置かれ,「現実の世界」との交流・往還の学習経験をもつ学生は少ない。こうして学ばれた数学に対して,「なぜ日常的に使わない数学を入試で使わなければならないのか,ひたすら同じような問題を解く作業を繰り返していることの馬鹿馬鹿しさを感じる」と嘆く学生は多い。本稿では,教職を希望する学生に対して,「2進法によるマジックカード」を取り上げ,「数学の世界」と「現実\nの世界」との往還から,マジックの仕組みの解明と,その発展と活用の様相の展開を,対話的で相互交流的な学習を通して,「数学概論」における授業実践の概要を報告し,その効果として,学生の持つ数学観や学習観・授業観をより肯定的なものへの転換を促進することと,授業づくりへの意欲と展望を育む契機となり,その体験が実践的指導力の育成に資するものであることを考察した。
山田, 慶兒
ひとは物を分類し、認識する。しかし、どのような分類法を使っても、うまく分類できない物、複数の領域に分類される物、いいかえれば両義的な物が存在する。このような両義的な存在は、存在の不確かさのゆえに、独自の意味の世界を構成する。ここでは牡蠣と雷斧という二つの両義的存在をとりあげ、その意味の世界と象徴作用を分析する。
寺村, 裕史
本論文では,人文社会科学の研究で重視される文化資源(資料)情報というものを,方法論や技術論の視座から整理し,実例をふまえつつ検討する。特に,考古学や文化財科学分野における文化資源に焦点を当て,それらの分野で情報がどのように扱われているかを概観し,考古資料情報の多様なデジタル化手法について整理する。 文化資源としての文化財・文化遺産は,人類の様々な文化的活動による有形・無形の痕跡と捉えることができる。しかし,現状では,そこから取得したデータの共有化の問題や,それらを用いた領域横断的な研究の難しさが存在する。そのため,文化財の情報化の方法論や,デジタル化の意義を再検討する必要があると考える。そこで特に,資料の3 次元モデル化に焦点を当て,デジタルによるモデル化の有効性や課題を検討しながら,その応用事例を通じて文化資源情報の活用方法を考察する。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dalloway のナラティブではその無限に拡散する意識の流れの故、読者が確定可能な意味的集合体が常に具体化しては抽象化、そして断片化するという非伝統的な叙述の世界が広がっている。そのような非連続的、意味的断片的な世界に入り込んでいくためにはその意識の流れに身を任せる(読者の意識をその断片的世界に埋没させる)という手法が最適であるという認識から、この論文では常に、そして全方向的に拡散する意識の流れに沿ってそれぞれの場で展開される意識の深層的意味を解釈すべくその中心的「意識」の人称化した実在(その顕在化した事象)に逐次焦点を当ててナラティブの発展的分析を試みてみた。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia Woolfの意識とその物理的要因とのinteractionを中心に展開された作品では意識の流れが人物の主観的、及び客観的なboundaryを超越して絶え間なく多方向に広がりその軌跡が作品の独特な世界を構築しているといえる。恣意的とも思われる偶発性や連続性・断続性が物理的な因果関係を脱却し並列的に配置された世界ではほぼ無限な解釈、並びに展開の可能性を秘めて作品が存在しているといっても過言ではない。この論文ではその連続性・非連続性の世界にある種の意識的parallelな実態を追及・創出すべく第三者(reader/interactor)の主観・視点を反映させて絶え間なく拡散する意識のプロセスとの合体、そして分岐を試みてみた。
徳島, 武 Tokushima, Takeshi
国際貿易理論では、相似拡大的無差別曲線が仮定されるので、ある相対価格に対する相対消費量は、自国、外国、世界で同じになる。即ち、自国と外国と世界の相対需要曲線は同じになる。この点に注目すれば、リカード・モデルとH-0(ヘクシャー=オリーン)モデルの、自由貿易均衡の確実性(存在と成立)を示す事ができる。
福岡, まどか
この論考では,インドネシア,ジャワ島のワヤンにおけるマハーバーラタの叙事詩「世界」について考察する。通常,ワヤンの物語は,ヒンドゥー叙事詩であるラーマーヤナとマハーバーラタに由来するとされる。しかし,上演の中では,書かれたテクストに見られるような,叙事詩のひとすじの筋立てが示されることはない。一晩の上演の中で演じられるのは,叙事詩に由来する特定の演目lakon である。叙事詩の「世界」は,これらのひとつひとつの演目を集積することによって形成される。この論考では,ワヤンの上演においてマハーバーラタの「世界」が形成されるメカニズムについて理解するために,演目の様式的構造と,演目によって提示される登場人物の伝記的情報という要素に焦点をあてて,複数の演目の関連について考察する。
安藤, 広道 Ando, Hiromichi
本稿の目的は,東日本南部以西の弥生文化の諸様相を,人口を含めた物質的生産(生産),社会的諸関係(権力),世界観(イデオロギー)という3つの位相の相互連関という視座によって理解することにある。具体的には,これまでの筆者の研究成果を中心に,まず生業システムの変化と人口の増加,「絵画」から読み取れる世界観の関係をまとめ,そのうえで集落遺跡群の分析及び石器・金属器の分析から推測できる地域社会内外の社会的関係の変化を加えることで,3つの位相の相互連関の様相を描き出すことを試みた。その結果,弥生時代における東日本南部以西では,日本列島固有の自然的・歴史的環境のなかで,水田稲作中心の生業システムの成立,人口の急激な増加,規模の大きな集落・集落群の展開,そして水(水田)によって自然の超克を志向する不平等原理あるいは直線的な時間意識に基く世界観の形成が,相互に絡み合いながら展開していたことが明らかになってきた。また,集落遺跡群の分析では,人口を含む物質的生産のあり方を踏まえつつ,相互依存的な地域社会の形成と地域社会間関係の進展のプロセスを整理し,そこに集落間・地域社会間の平等的な関係を志向するケースと,明確な中心形成を志向するケースが見られることを指摘した。この二つの志向性は大局的には平等志向の集落群が先行し,生産量,外部依存性の高まりとともに中心の形成が進行するという展開を示すが,ここに「絵画」の分析を重ねてみると,平等志向が広く認められる中期において人間の世界を平等的に描く傾向があり,多くの地域が中心形成志向となる後期になって,墳丘墓や大型青銅器祭祀にみられる人間の世界の不平等性を容認する世界観への変質を想定することが可能になった。このように,物質的生産,社会的諸関係,世界観の相互連関を視野に入れることで,弥生文化の諸様相及び前方後円墳時代への移行について,新たな解釈が提示できるものと思われる。
Ito, Atsunori
2009 年,米国南西部先住民ズニのズニ博物館・遺産センターは,将来的な標本資料の協働的管理の提案を目的として,国立民族学博物館が所蔵するズニ関連標本資料の熟覧調査を行った。本稿は,このズニ博物館長が民博で実施した,ズニ関連資料31 点の熟覧作業の過程と熟覧結果の報告を行うことを目的とする。その際,まず標本資料収集や展示や博物館標本資料の先住民コミュニティへの返還の歴史に注目しながら,米国内の民族学系博物館と先住民との関係について概略を記す。次に,米国南西部先住民ズニが運営するトライブ博物館の機能やコミュニティにおける役割,そして標本資料の返還の代替案としてズニ博物館が実施計画中の,外部の博物館との新たな関係性の構築に向けた取り組みを紹介する。まとめとして,先住民による博物館資料へのアプローチについて,博物館の公共性の再考をうながす協働という関係性のあり方に注目しながら考察する。
安井, 眞奈美
本稿は、筆者が二〇一三年九月に、山口県大島郡周防大島町沖家室島にて譲り受けた一九三〇年代の三枚の古写真を、ハワイ移民関連資料として紹介し、その歴史的な位置付けを行うことを目的としている。 沖家室島からは、近代に数多くの人々が、朝鮮半島や台湾、ハワイへ出稼ぎに向った。特にハワイへの移民の中には、漁業関係の仕事で成功し、財を成したものも少なくはない。彼ら沖家室島出身者たちは、オアフ島ホノルル、ハワイ島ヒロにて、ハワイ沖家室会という同郷会を結成し、協力し合って生活をしていた。また沖家室島では、沖家室惺々会が機関誌『かむろ』を一九一四年に刊行し、一九四〇年までの二十七年間、沖家室島の情報や沖家室島出身の海外在住者の近況を取り上げ、情報を発信し続けた。 本稿で紹介する古写真三枚のうち、一九三〇年に撮影された写真1は、沖家室島出身のハワイ在住者たちが、ワイキキでピクニックをした際の記念写真である。なお本稿の分析により、一九二八年に撮影された同類の写真は、昭和天皇即位大礼記念の記念品としてハワイから沖家室島へ送られたことも明らかとなった。次に写真2は、「ホノルル日本人料理人組合員 大谷松次郎氏 厄払祝宴」と題された料理人たちの写真である。写真3は説明書きはないものの、写真2と同日に撮影されたと考えられることから、ハワイで漁業関連の仕事により大成功を収めた沖家室島出身の大谷松治郎が、一九三一年、四十二歳の厄年に際して、千人以上もの客を招待して盛大に行った祝宴の記念写真と推定できる。 これらの古写真は、近代におけるハワイ移民の生活、同郷者との協力と親睦、故郷とのつながりを具体的に示す貴重な写真である。また本稿の分析により、故郷・沖家室島へのハワイでの記念写真の寄贈が明らかとなったことから、これらの写真はハワイ在住者の故郷観を示す資料としても位置付けられるだろう。 最後に本稿では、貴重な歴史遺産である古写真を、地域で保存活用する方法についても検討した。今後も引き続き沖家室の人々と連携しながら、地域の歴史遺産の展示と活用について具体的な方法を模索していきたい。
新井, 小枝子 ARAI, Saeko
群馬県藤岡市方言における,養蚕語彙を用いた比喩を取り上げ,それらの表現によって,人びとが日常生活のどのような部分を,どのように理解し,表現しているのかについて論じたものである。具体的には,養蚕世界において〈蚕〉および〈桑〉を対象として用いられている語彙が,日常世界の〈人〉〈人の生き方〉〈子どもの育て方〉や,〈農作物〉〈仕事〉〈時期〉〈樹木〉を対象にして,語彙としてのまとまりをもって比喩に用いられていることを明らかにした。さらに,養蚕語彙の本来の意味から,比喩の意味への変化の仕方を考察し,その比喩のメカニズムには,比喩性の強い型と弱い型があるとした。養蚕が盛んであった地域では,それが行われなくなった今でも,日常生活において養蚕語彙を用い,熟知した生活世界のものの見方で日常世界を捉え,効率良く,かつ,豊かな表親を展開しているとし,それが,当地域における比喩の特徴であると結論づけた。
大江, 満
ベルリン会議のアフリカ分割から一〇年後の一九世紀後半、欧米列強から不平等条約を強いられてきた明治日本が、念願の改正条約を五年後に実施することに成功した一八九四年、英米聖公会の在日ミッションは、彼らの日本伝道地をアフリカのように分割した。日本が対米列強劣勢の外交を挽回したとき、欧米由来の外来宗教は日本領土を宗教的に植民地化したのである。同年、日本はアジアの覇者中国に戦勝し、台湾を植民地化する。日本聖公会における日本人による国内自主伝道の権限は、日本聖公会の諸地方部管轄権を所有する外国人主教が掌握したことで、日本人の自主伝道は「新領土」台湾に弾き出された。それ以来、一九二三年に設立された東京・大阪の日本人主教管轄区をのぞく日本聖公会諸地方部は、各英米ミッションに管轄され、戦後もそれは、傘下の日本人によって旧ミッション帰属の教区制度として踏襲されて、現代に及ぶ負の遺産を抱えることになったのである。
宮川, 創
「国立国語研究所デジタルアーカイブNINDA」は,デジタルアーカイブ専用のコンテンツ・マネジメント・システムであるOmeka Sを基盤に,文献画像・PDF・音声・動画をIIIFで,メタデータをDublin Coreで提供する。これらの形式は,デジタル人文学において世界的な標準となりつつあり,文献資料系のデジタルアーカイブでは国内外で頻繁に用いられている。しかし,これらの世界標準は,音声とその書き起こしテキストを中心とした言語資料系のデジタルアーカイブでは国内外でまだ広く用いられていない。本研究では,音声とその書き起こしテキストを中心とした言語資料系のデジタルアーカイブに関して,国内外でまだ広く用いられていないこれらの世界標準を言語資源にどのように活用させるかについて論じる。そして,モデルケースと方法論について詳述する。最後に,インターリニアグロス付きテキストのTEI XMLのOmeka Sへの組み込みなどの将来の展望について論じる*。
鍾, 以江 南谷, 覺正
本論は、この二十年間、日本のみならず世界全体に深甚な変化を及ぼしてきたグローバリゼーションという世界史的潮流の中で、それまである意味で政治的、国家的利害に拘束されてきた日本研究が、今後グローバルな知識生産の体系の一つとして脱皮し、新しい意義を持つ可能性を探ったものである。 最初に、日本の内外におけるこれまでの日本研究を、十八世紀のヨーロッパに起源を持つ人文学の伝統を汲む近代的知識生産の一部として位置づけ、その人文的伝統の中に、二つのテンション――人文―国家のネクサス(連鎖)と、フマニタス―アントロポスの対立構図――が内在していたことを指摘し、それらを批判的に考察した。両者とも誕生の時から、世界に伝播する歴史的ダイナミズムを持つ人文的知識生産を伴っていた。 第一のテンションは、人間全般についての普遍的な学問としての人文学と、国民国家に仕える性格の人文学の間のものである。普遍的人間性の理想は、世界各地での近代的知識生産を可能にしたが、同時にそれは、固有性を主張する排他的な国民国家の枠組みのなかで遂行されてきた。普遍的な人文学と国民国家は相互依存関係にあった。 第二のテンションにおいても、知る主体、知識生産の主体としての西洋のフマニタス的自己認識と、知られるべき他者としての非西洋のアントロポス的認識は相互依存関係にある。フマニタス―アントロポスの対立構図は、ヨーロッパによる世界の植民地化と手に手を携えて進んだ近代の知識生産の一つの構造的な認識原理となる。 しかしグローバリゼーションが進むにつれ、近代の人文的知識生産の二つのテンションを支えてきた歴史的条件は幾つかの面において変わりつつある。グローバリゼーションが起こってきた一つの理由は非西洋世界の台頭にあるが、それによって西洋―非西洋の認識論的・文化的境界が崩されるようになり、それまで強固に根を張っていた分離と差別の形式が緩み始めている(また違った形の不平等と区別が生まれつつあるのだが……)。このような歴史変化を起こしているグローバリゼーションの諸力を深く認識する上で、世界中の人文学を閉塞させてきたフマニタス―アントロポス、および国民国家の枠組みを問題化できるのではないか。 われわれの思考と想像力の地平を限ってきた二つの枠組みは、おそらくそれを完全に解体することは難しいが、その呪縛を幾分でも解消することができれば、国民国家が相対化される中に新しい人文学研究のヴィジョンが生まれてくるだろう。大学教育・学界が世界的に繫がりを強めつつある今日の潮流の中で、日本研究も同様にトランスナショナルな変貌を遂げつつあり、そこから新しい意識が芽生えてくる可能性がある。それは、世界史的なグローバリゼーションの流れのなかに自己を定位し、その流れをどの方向に向けるべきかを考えながら、自己の限られた力を賢明に使おうとする意識である。日本研究についても、ある種のグローバルな人文学研究を想定し、そのなかで「日本」を主体に、客体に、あるいは背景的知識にしながら研究を遂行し、新しい人文学研究の創成に資するのが望ましい姿ではなかろうか。
奥出, 健 OKUDE, Ken
佐藤春夫の作品を文学的出発時から昭和十年代にかけて読み進んでいくと、<支那事変>前後から批評精神の乏しい、質の低い作品が目につくようになる。それは「アジアの子」や『東天紅』に極まるといえるが、この要因は、春夫が文学的出発時からもっていた<幻想的><感覚的>な世界が、「『風流』論」を通過することにより「日本的感覚」のものへと傾斜し、さらにそれが<支那事変>後になると大衆の狂躁に呼応する形で軍部主導の<民族>的感覚と類似のものへと変質していったからである。本稿では「アジアの子」とその周辺の世界のありようを詳しくさぐり、その世界を展開せしめた右要因の変質の過程を明らめる。なお本稿の末尾には、講談社版『佐藤春夫全集』第十二巻所載、佐藤春夫著作目録にもれているものを目録化して記す。
鶴田, 欣也 TSURUTA, KINYA
川端という作家の特質の一つは禁止というテーマを巧承に使ったことである。簡単にいうと、生命の流れを塞き止めることで、それをむしろ圧縮し、ほとばしり出すカラクリである。とり上げた三つの作品は禁止のテーマと関連がある。「化粧」は葬儀場の側という特殊な空間を舞台にしている。葬儀場が死の場所、禁止の場所とすると側は排泄の場所であり、解放のプライベートな空間である。作者は側を女の魔性と純粋性を露呈する空間として巧承に使い、最後に「水を浴びたやうな驚きで、危ぐ叫び出す」効果を収める。「ざくろ」の主人公きゑ子はこれから出征する啓吉との間に世間という禁止を意識しているが、それを乗り越えるために、偶然、そこにあったざくろを利用することで機縮された生命感を放射することができる。ざくろは単なる象徴の域を越えて、幾隅もの意味を持って読者に呼びかけてくる。「水月」の京子の生命は二つの全く異った世界から生じるテンションで支えられている。一つは病死した前の夫の世界、もう一つは健康ではあるが鈍いところのある現在の夫である。胸で病死した夫の世界には禁欲のテーマがあり、それを補うために鏡が二人の間に介在した。鏡を通した世界はより美しく、清く、生き生きしていた。この世界は夫と妻というよりも、子供と母親という要素があった。京子はある日現在の夫によって妊娠する。この作品にある何層かのアイロニイを分析すると、京子は妊娠という過程を通して、以前の夫を自分の赤ん坊として蘇えらせたことが判明する。
目差, 尚太 Mezashi, Shota
《とりたて》とは、現実世界の他のものごととの関係を前提にしながら、現実世界のある一つのものごとと、単語の文法的な形によって表現される、文の内容としての《ものごと》との陳述的なかかわり・意味を一般化した文法的なカテゴリーである。与那国方言における、代表的なとりたての形には、ja《対比》、du《特立》、bagai《限定》、ɴ《共存》《極端》、bagiɴ《共存》《極端》がある。これらの形式を、話しあいの構造との関わりの中で、明らかにする。
斎藤, 真麻理 SAITO, MAORI
『鼠の草子』は異類婚姻譚という伝統的な主題を軸とし、民間伝承「鼠の浄土」「見るなの座敷」などとも通じ合う世界を内包する物語である。この室町物語は、人間が留まり得ない異郷への訪問譚として捉えることができる。一方、『鼠の草子』後半に記された「形見の和歌」には、『源氏物語』をめぐる作者の教養が盛り込まれている。本稿では、『鼠の草子』の物語世界と、そこに見られる当時の学芸について考察してみたい。
橋本, 裕之 Hashimoto, Hiroyuki
本稿であつかわれるのは,福井県三方郡美浜町木野に鎮座する木野神社の祭礼である。今日,木野は弥美神社の氏子集落でありながら弥美神社の祭礼には参加せず,単独で木野神社の祭礼を行なっている。本稿ではこのような事例に注目しながら,弥美神社の祭礼とのかかわりに大きな注意をはらおうとしている。じっさい,ふたつの祭礼はさまざまな局面において酷似しており,何らかの深いつながりを彷彿とさせてくれるのである。ところで,筆者はこれまでにもいくつかの論考をつうじて,弥美神社の祭礼と芸能にうかがわれる,きわめて興味深い民俗的世界観を明らかにしようとしてきた。それは異質なものとの出会いにむけられた強い関心,すなわち異文化間コミュニケーションの記憶にふちどられており,さらに弥美神社を中心としてまとめあげられる地域をつらぬいているように思われる。本稿もまた,そのような民俗的世界観を描き出そうとする試みの延長線上に位置づけられる。木野はこの地域に対して,きわめて特異な立場を選びとっており,はからずも弥美神社の祭礼を異化していた。そこで本稿では,木野の立場が最もよくうかがわれる木野神社の祭礼をとりあげながら,残された伝承のいくつかにも注目することによって,いささか異なった角度から弥美神社の祭礼に表現される民俗的世界観を照射したい。木野のおかれた特異な立場を弥美神社の祭礼に対する視座として位置づけるならば,やがて民俗的世界観じたいをはげしくゆるがす異なった現実がせりあがってくるとともに,そのような民俗的世界観の,また異なった現実が立ち現われてくる。木野という集落はまさしくそれじたいで,弥美神社の祭礼を「異化する視線」を内在していたのであった。
小池, 淳一 KOIKE, Junichi
本稿は日本の民俗文化におけるニワトリをめぐる伝承を素材にその特徴を考察するものである。ここではニワトリをめぐる呪術や祭祀、伝説を取り上げ、民俗的な世界観のなかでのニワトリについて考え、その位相を確認していく。それによって文芸世界におけるニワトリを考究する前提、もしくは基盤を構築する。まず、呪術としては水死体を発見するためにニワトリを用いる方法が近世期以降、日本各地で見いだせることに注目した。生と死、水中と陸上といった互いに異なる世界の境界でニワトリが用いられたのである。続いてニワトリが関わる祭祀として、禁忌とされたり、形そのものが神聖なものとされる場合があることを指摘した。さらにその神格としても移動や境界にまつわるとされることを述べた。最後に伝説においても土中に埋められた黄金がニワトリのかたちであったり、年の替わり目にニワトリが鳴いて黄金の存在を示すといった例が多く見いだせることを確認した。総じて、ニワトリをめぐる伝承の多くは移動や変化に関わり、またその存在は特定の時空でくり返し、想起されるものであった。まさにニワトリは境界をめぐる伝承を集約する鳥なのであった。こうした生活世界における伝承を改めて意識することで、かつてのニワトリに対する感覚を思い起こし、境界という時空が持つ可能性と潜在的な力を再認識することができよう。
浦崎, 武 Urasaki, Takeshi
広汎性発達障害をもつ子どもたちの体験する世界が、成人の高機能広汎性発達障害者が述べた\n自伝や幼児期の回想のように恐怖に満ちた内的世界であることを考慮すると、特別支援教育にお\nいても彼らの内的世界に歩みより理解を深めながら教育や支援を行っていくことが重要な課題と\nなる。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校における通常の学級の特別支援教育の\nスタートにより試行錯誤の取り組みが教育現場で行われている。しかし、集団としての子どもた\nちの前で常に関わっている学校の教師たちの忙しい現実のなかでの子どもたちの関わりは、障害\nの特性を理解した上での関わりということよりも自分自身の経験や教育観による自己流の関わり\n方での対応のみになってしまう傾向がある。その場合、子どもの様々な問題が生じてきたときに\nどのように指導するかというスキルや方法論が求められ優先されてしまうことになり、結果とし\nて子どもたちの内的世界への理解が抜け落ちてしまうことによる2次的な障害が生じてしまう可\n能性がある。そこで本研究では小学校における学校生活において内的世界への理解をもった重要\nな他者としての学生支援員がアスペルガー障害のある子どもとの関係の形成による支援を行った。\nその支援を行うなかで生じてくる現実的な課題について検討しさらに、重要な他者との関係性と\n専門機関との連携の必要性について考察した。その結果、重要な他者としての具体的な対応のあ\nり方と教師と支援員との連携を行う上での障害の理解に基づく支援方針の設定など専門機関との\n連携の必要性の根拠が示された。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Joyce の Ulysses においてその内面、そして外面事象というのは絶えず変化し続けている、といっていいほど極度な disjunctivity(断続性・非連続性)に支配されている。すべてが意識の流れを中心に構築されている世界なので突然の統語論的、ないしは叙述意味論的断続性というのは予想される現象ではあるが、この論文では特に Ulysses の narrative 全体と個々の事象との間に見られる意味論的整合性・非整合性という観点から登場人物、特に Bloom、を介した意識世界に迫ってみた。
影山, 太郎 Kageyama, Taro
世界諸言語の中で日本語は特殊なのか,特殊でないのか。生成文法や言語類型論の初期には人間言語の普遍性に重点が置かれたため,語順などのマクロパラメータによって日本語は「特殊でない」とされた。しかし個々の言語現象をミクロに見ていくと,日本語独自の「特質」が明らかになってくる。本稿では,世界的に見て日本語に特有ないし特徴的と考えられる複合語(新しいタイプの外心複合語,動作主複合語など)の現象を中国語,韓国語の対応表現とも比較しながら概観する。
黄, 紹文 稲村, 務(訳) Huang, Shaowen Inamura, Tsutomu (trans.)
山田, 慶兒
龍谷大学大宮図書館には、仏教天文学説である須弥山説を表示した二台の模型、須弥山儀と縮象儀がある。制作はからくり儀右衛門の名で知られる、東芝の創立者田中久重である。須弥山儀が須弥山世界全体を表示するのに対して、縮象儀は須弥山世界の南方にあるという、南閻浮提洲(大地にあたる)を表示する。須弥山儀については多くの文章が書かれているが、縮象儀はまだ紹介されたことがない。須弥山儀・縮象儀の最初の作者である円通の「縮象儀説」を解説し、縮象儀とはなにかを明らかにする。
大角, 玉樹 Osumi, Tamaki
1990年代後半のインターネット揺籃期、成長期を経て、現在、わが国は世界最高水準のネットワークインフラを整備している。情報通信技術(ICT:Information\nand Communications Technology)を21世紀の持続的発展の原動力と位置づけ、それを推進した政策がe-Japan戦略である。さらに2010年までには全国にブロードパンドとユビキタス環境を整備し、情報通信技術の利括用で世界のフロントランナーを目指すu-Japan政策が展開されている。沖縄では、1998年に発表された「沖縄マルチメディアアイランド構想」が、2000年に開催されたG8九州沖縄サミットで採\n択された沖縄IT憲章に後押しされ、IT関連企業の誘致と集積が進められている。\nしかしながら、それがコールセンターに偏っていることから、今後の政策の見直しが迫られている。\n 本稿では、これら情報通信政策を整理し、政策が情報通信技術の普及と啓蒙に果たした役割を明確にし、今後の課題を検討している。また、グローバリゼーションと情報通信技術の急速な進歩により、とりわけビジネスにおけるモジュール化が加速され、また、世界や社会がフラット化しつつある現象が指摘されている。ウェブ自体の進化も、Web2.0という用語に代表されるように、大きな質的変化を遂げて\nいる。\n このような現実を政策に反映するには、情報通信技術へのアクセスが機会を生み出すというデジタル・オポチュニティという考え方よりも、ウェブヘのアクセスと、ウェブとリアル世界のコラボレーションが創造の機会を増幅するという、ウェブ・\nオポチュニティという概念が望ましいのではないだろうか。
山田, 慶兒
『太清金液神丹経』巻下は、六世紀の錬金術者偽葛洪が書いた、南洋と西域の地理志である。この書は、従来、歴史地理学の資料としてあつかわれてきたが、実はひとりの道教徒が描きだした錬金術的ユートピアにほかならぬことを明らかにし、その幻想の地理的世界像を分析し、再構成する。
阿部, 新 ABE, Shin
本研究では,日本語学習者の文法学習と語彙学習に対するビリーフについて,世界各地の学習者を対象とした先行研究結果を取り出して地域的特徴を考察した。さらに,先行研究で明らかになっているノンネイティブ日本語教師のビリーフの傾向,日本人大学生や日本人教師のビリーフ調査の結果とも比較した。その結果,文法学習も語彙学習も大切だというビリーフに学生が強く賛成し,現地のノンネイティブ日本語教師と同じ傾向を示す地域(南アジア,東南アジア),そのようなビリーフに学生は賛成するが,それほど強く賛成するわけではなく,現地のノンネイティブ日本語教師の傾向とも近い地域(西欧,大洋州),前2者の中間程度の強さで学生がビリーフに賛成し,教師のビリーフとはやや異なる傾向の地域(中南米,東南アジア・東アジアや大洋州の一部)など,地域による違いが見られた。さらに,日本人の結果を見てみると,日本人大学生や教師歴がごく短い日本人教師は,文法学習も語彙学習も大切ではないというビリーフを持ち,世界各地の学習者とは異なる傾向を示す。一方,経験豊富な教師は世界各地の学習者と同じような傾向であることも分かった。最後に,こういった傾向を把握したうえで,文法・語彙のシラバス・教材作成と普及を行う必要があることを指摘した。
徐, 興慶
台湾における日本研究は、本来「地域研究」(Area Studies)の一端を構成する。換言すれば台湾における日本研究は、東アジア国際社会研究の重要な環を構成している。それはもとより「日本一国」研究に完結するものではない。東アジア地域内の諸研究と連携し、担うべき相互補完的役割を意識して、台湾だからこそ可能な日本研究の発信が可能となり、世界に開かれた日本研究を目指そうとしている。私たちはそれを通して、日本も含めた世界の日本研究に独自の役割と位置を占めることが可能となる。 近年、国立台湾大学日本研究センターは世界における日本研究の成果を生かした「国際日本学」の名のもと、台湾固有の文脈を意識した台湾的特色のある「知の集約拠点」の機能を果たすと同時に国際的日本研究の発展を推進している。また台日両国の関連研究機関および東アジアの諸研究機関との連携を促進し、日本研究を国際的に展開する「国際日本学」の構築を目指すことにしている。 本稿は、台湾における日本研究の現状と問題を踏まえながら、これまで行ってきた国際的日本研究(1)近代東アジアのアポリアを問い返す、(2)「東アジア共同体」を、どう考えるのか、(3)思想史から東アジアを考える、(4)台湾の植民地研究における発展と諸相、(5)「日台アジア未来フォーラム」における知的交流などの実態を述べる。さらに、「国際日本学」、「知の集約拠点」の一つの場として、台湾は如何にして、社会が求める実際の人材育成や教育体制を十分に構築できるのかを思案し、「台湾日本研究連合協会」を結成すると同時に「東アジア日本研究者協議会」との連携、ないし世界の研究者と結集することの実現に向けて可能な方法を試行している。
メイナード, 泉子・K MAYNARD, Senko K.
本論文は指示表現の談話レベルの表現性を問うものであるが,認識論の中の視点という概念を用いて(具体的には「見え先行方略」を解釈過程の根底に据えて)語り手の態度や情意を伝えることを論じる。指示表現は,いわゆる現場指示のコソアの指示条件を基盤として,談話レベルでは(1)コ系は,言語行為を性格付けるメタ表現となったり,対象となるものを近距離の視点から描写し,心理的に近距離感を促す機能,(2)ソ系は,先行する情報の一部を受けて,またはそのように装って,対象を距離を置いて捉えながら談話を展開していく結束性の機能,(3)ア系は発話時点の談話の世界から遠く隔たった,情的に関心のある対象を共に見つめる共感を促す機能,があることを論じる。さらに,語り手と語られる内容との位置関係,物語の場面転換,ソ的な世界とコ的な世界の並列や内包,人間関係を考慮に入れたコミュニケーションの実現など,複数の機能を果たす。指示表現とは,最終的には,その表現を選んだ語り手の場における位置関係を指標し,語り手と対象との心理的・情意的な距離をも含むことを論じる。
田原, 範子 Tahara, Noriko
本稿では,死という現象を起点としてアルル人の生活世界の記述を試みた。アルバート湖岸のアルル人たちは,生涯もしくは数世代に渡る移動のなかで,複数の生活拠点をもちつつ生きている。死に際して可能であれば,遺体は故郷の家(ホーム)まで搬送され,埋葬される。遺体の搬送が不可能な場合,死者の遺品をホームに埋葬する。埋葬地をめぐる決断の背景には,以下のような祖霊観がある。身体(dano)が没した後,ティポ(tipo)は身体を離れて新しい世界へ移動する。ティポは,人間界とティポの世界を往来しつつ,時には嫉妬などの感情を抱き,現実に生きている人びとの生活を脅かす。病気や生活の困難はティポからのメッセージである。そのような場合,ティポは空腹で黒い山羊を欲している。その求めに速やかに応じるために,埋葬地は祖先たちの住む場所つまりホームが望ましい。アルル人のホームランドでは,ティポはアビラ(abila)とジョク(s.jok,pl.jogi)とともに祀られている。ティポは現世の人間に危害を及ぼすだけの存在ではない。ティポの住まうアビラやジョクに対して,人びとは,語りかけ,家を建て,食物を用意し,山羊を供儀する。父や祖父のティポを通して,祖先の死者たちは生者と交流する。その交流は,生者に幸運や未来の予言をもたらすこともある。死者と生者が共にある空間で,死者のティポは安住することができる。移動に住まう人びともまた,死者をホームに搬送すること,死者の代わりに死者の遺品を埋葬することを通して,ティポの世界と交流している。
高見, 純 TAKAMI, Jun
13世紀以来、イタリア北中部では都市政府による記録文書の保存と管理が本格的に開始された。干潟の大商業都市ヴェネツィアも例外ではなく、15世紀以降に書記局を中心に過去の記録を整理し、文書形成と管理を拡大的に整備・進展させ、現在でも、ヨーロッパで有数の量の記録文書を伝え際だった存在感を示す。 これまで、ヴェネツィアの文書管理については、書記局官僚の形成とともに、主に都市政府による統治・行政の範囲内で解明が進んできた。一方で、都市政府という枠組みの外にある民間実践については、十分な検討が進んでこなかった。 そこで、本稿では、13世紀に成立し、15世紀以降に都市の主要な慈善団体の1つとして近世まで大きな存在感を有し続けた大規模宗教兄弟会を事例にして、同団体による文書管理を検討する。それによって、慣習法の蓄積への対応に追われた都市政府による管理との類似性が指摘されるとともに、15世紀から16世紀前半にかけて多くの遺産管理を担うことになった同団体の事情が文書管理に及ぼした影響も考察される。また、本稿の事例によって、都市ヴェネツィアにおける幅広い<アーカイブズ実践>の社会状況についての一端を明らかにすることも期待される。
李, 済滄
京都学派の東洋史学者として、谷川道雄(1925~2013)は内藤湖南からの学統を受け継いでいる。中国の歴史を時代区分論という方法で捉えた内藤は、紀元3~9 世紀の魏晋南北朝隋唐史を中世貴族制の時代と位置付け、世界の中国史研究に計り知れない影響を与えた「唐宋変革論」の礎としている。そして、この学説を深化させ、さらに発展させたのが谷川である。 谷川は、政治中心の正史記録の底に私欲の抑制や災害時の救済など、周辺の自営農民との連携を重視する地方豪族の動きを分析し、このような主体的に行動する豪族の道徳・人格の発揚が中核となる魏晋南北朝時代の地域社会を一種の共同体としてとらえ、その力がやがて隋唐帝国形成の原動力となっていくと主張する。谷川「豪族共同体論」の独創性とは、「共同体」の中に階級関係もたえず存在する「階級共同体」としての特徴を明らかにしたことである。「階級」を「共同体」存続の基軸として、両者の相互関係を新たに構築しており、両者を分断してとらえる従来の考え方に対して全く逆の構想である。 大正・昭和・平成を生き、敗戦から戦後の高度成長を経験していた谷川は、研究者の生きる現実の世界と、研究対象となる歴史の世界との結合により、いかなる歴史像が作り上げられ、その歴史像の持つ現代的意味とは何かを常に追い続けていた。そのまなざしは、個人としての等身大の世界が得られない戦後日本民主主義の限界にも向けられ、それを結局のところ「人間主体」の未完結という問題に集約させたのである。このような「人間存在の内部」に関わる深刻な問題に対して、解決の糸口をつかむために、人間の根元的な存在形態であった「共同体」に注目したわけである。本稿では、谷川の中国史研究に見られる現代日本への思いも詳しく検証した。 中国から日本へ、東アジアから世界へ、歴史から未来へという壮大な思惟構造を持った谷川史学の本質は、人と人との連帯を重視する人間存在の様式を中国史上に再発見して、そこに一種の普遍性を賦与しようとした点にある。本稿は、このような戦後日本の社会思想史の分野に生まれ、そして日中両国の未来を照らした谷川史学の醍醐味を吟味しつつ分析を加えてみた。
ヒロタ, デニス
文化的宗教的多元性を認めざるを得ない世界となっている。こうした多元性が受け入れられる現代的人間像と世界観を考察するために日本思想を探るならば、日本で展開された浄土教に一つの手掛かりが見いだされるのではないか。というのも日本浄土教、特に親鸞の思想は言葉と真実の関係をめぐる問題、または宗教における教えとの関わり方あるいは理解の仕方に直接取りくもうとするからである。 親鸞思想では、言葉が言葉を超越した実在に至るための媒体として重要な役割を果たしている。というのは、阿弥陀仏の本願または名号を聞くということが信心を獲得する、すなわち仏陀の心(仏智、真実心)を得ることであるというからである。しかし親鸞の説く、教えとの真正な関わりに立つようになるのは、単に教義の言葉を知性的に受け入れ信じることではなくて、むしろ言葉自体や概念そのものに関する意識に転換が起こるということを意味している。いうならば、浄土仏教の教えを通常の世界観の枠内に取り入れるという関わり方から、親鸞のいう意味での真の言葉(まこと)と虚偽的言葉(そらごと)が自覚されることへの変化である。 こうした新しい関わり方が開かれると、自己や世界を把握していた概念は我執に歪められた、無実な構築となる。これを親鸞は、「煩悩具足の凡夫、火宅無情の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなき」と表現している。しかしまたそこでは「念仏のみぞまことにて」あると言えるようにもなるのである。 したがって、浄土仏教の教えには二つの働きがある。一つは人間の通常の思考、発話の虚偽性を明らかにすることによって、迷っている人間の「智・愚の毒を滅する」こと、つまり薬のような「治療」するという作用であり、二つは、それと同時に、真の言葉として、概念を超越した実在を出現させる力をもって人間の思考と発話のなかに入り、それらを転換させる働きである。 本稿は、親鸞思想における真の言葉の働きを明らかにし、特に親鸞の言語観を反映している彼の経典解釈法を考察する。
髙良, 宣孝 Takara, Nobutaka
この実践報告では,「カタカナ英語」を利用した英語の授業について報告する。特に次の2点に焦点を当てていく:⑴4つの特徴(①カタカナ英語を利用した英語の授業,②〇×の札を利用したクイズ形式の授業,③1セッション15分間程度という制限,④パワーポイントを駆使した授業)を活かした英語の授業,と⑵世界諸英語(World Englishes)の視点からの「カタカナ英語」,である。第1に,これまで筆者が小学校を中心に実践してきた授業における4つの特徴について詳述する。第2に,上記の「カタカナ英語を利用した英語の授業」との関連から,一般的に考えられている「『カタカナ英語』=『誤った英語』」という認識は適切ではなく,世界諸英語(World Englishes)という観点から捉え直すと,「カタカナ英語」は英語の一変種であること,そしてそれを利用することで標準的なイギリス英語やアメリカ英語を学習することが可能であることを示す。最後に,これまで上記2点を意識して授業を行なってきた経験から,2つの提言を行なう。第1に,4つの特徴を活かした授業は小学校での英語教育のみならず,中学校・高校での英語の授業においても有効に活用した方が良い,ということを提言する。第2に,英語教員を目指す学生は世界諸英語(World Englishes)の基本的な知識を学ぶ必要がある,ということを提言する。
池上, 大祐
本研究は、「知花弘治」「屋良朝苗」「山内徳信」の3 人の人物に焦点を当てて戦後の読谷村を概観することで、読谷村民の多様な闘いのあり方と世界との繋がりを描いていく。沖縄県民としての共同体意識が醸成していたボリビアへ村民を導いた「知花弘治」、村民及び県民全体の日常生活の保護と同義的であった基地返還の達成と読谷村の地域社会形成に不可欠な教育復興に尽力した「屋良朝苗」、行政・住民の協働と自治体外交による土地返還と村づくりを達成した「山内徳信」はそれぞれ主とする活動場所が異なるものの、起点を読谷村としている。村民生活の再建復興において苦難の道を強いられた読谷村民は、いかにして平和な日常生活を取り戻し、改善・維持しようと働いたのだろうか。屋良朝苗や山内徳信の著作物および自治体史・新聞資料を資料に用い、「読谷村のなかの世界史」を考察していく。
Camacho, Keith L. Ueunten, Wesley Iwao カマチョ, キース L ウエウンテン, ウェスリー 巌
オセアニアでは様々な形でアメリカ合衆国の軍事化が進行しているが、本論はこうした軍事化の渦中で起こっている「先住民の抵抗運動」について、民族誌的な考察を呈示することを目的としている。我々の民族誌は、個人的な思索や、帝国主義と抵抗に関する文献の知識、そして我々の社会変革への貢献を通して得た知見にもとづいている。本論では「先住民の抵抗」という包括的表現を使用するが、「先住民性」についての概念やその解釈、その使い方は、人々や場所によって異なることは認識しているつもりである。そのうえで、過去数十年間のグアムと沖縄における先住民の抵抗の状況が、予備段階的にどう評価できるかについて解説する。最も特徴的なのは、これらの先住民運動を通して、トンガ出身の批評家であるエペリ・ハウオファが言う「歴史と文化が帝国主義的現実と具体的実践行動に結びつく」オセアニアという場所に、もうひとつ新たな地域的アイデンティティが生じているという点である。こうした運動は、海を遺産として共有しているという認識のもと、包括的で順応性に富んだアイデンティティのありようを模索し続けてきたが、このアイデンティティはグアムと沖縄に駐留する米軍を批判する手段ともなると言える。
Nobuta, Toshihiro
マレーシアのマレー半島部には,マレー系,華人系,インド系という3つの主要民族集団が住んでいると言われている。しかし,マレー半島には,3つの主要民族集団とは別にさまざまな少数民族が住んでいる。その一つが本稿で対象とするオラン・アスリである。彼らの生活世界については,これまで多くの研究が蓄積されている。近年,開発やイスラーム化などの外部からの介入によって,彼らの従来の生活は大きく変貌し,かつてのオラン・アスリの世界は消滅しつつある。彼らは,「文化喪失」の状況に置かれていると言えよう。本稿では,ドリアン・タワール村におけるフィールドワークに基づいたデータによって,オラン・アスリの生活世界の現在を明らかにすることを目的とする。用いるデータは,主として世帯調査に基づくものである。世帯収入のデータを補足するために,ゴム採液による収入,ドリアン収穫による収入の集計調査のデータを利用する。本稿の前半部では,ドリアン・タワール村の歴史をたどり,村の人びとの階層化の過程を明らかにする。そして,世帯調査結果,ゴム採液による収入,ドリアン収穫による収入のデータを用いることによって,「上の人びと」と「下の人びと」という階層秩序の経済格差を実証する。後半部では,「世帯の記録」を提示する。私は,調査期間を通して得られた個々の世帯に関するさまざまな情報を,「世帯の記録」として整理した。「世帯の記録」は情報が多岐にわたるものであり,本稿で一括して分析することは困難なものである。むしろ,本稿で強調しているのは,「世帯の記録」を作成することによって,私がさまざまな研究テーマを発見していく過程である。「世帯の記録」を分析することによって,生業の分化と開発の論理,複雑な親族関係という視点,異種混清性などのテーマが浮かび上がる。この意味で,「世帯の記録」というのは,オラン・アスリの生活世界の現在を示したものであると言えよう。
赤嶺, 淳
本稿の目的は,かつての世界商品であった鯨油に着目し,水産業の近代化と水産資本の拡大という政治経済的文脈から日本における近代捕鯨の発展過程をあとづけることにある。20 世紀初頭に液体油を固形化する技術が発明されると,固形石鹸とマーガリンの主要原料としての鯨油需要が拡大し,良質な鯨油を廉価に大量生産するため,鯨類資源の豊富な南極海での操業がはじまった。1934/35 年漁期に日産コンツェルン傘下にあった日本捕鯨株式会社が日本初の捕鯨船団を派遣したのは,こうした鯨油需要にわく欧州市場に参入するためであった。第二次世界大戦以前,日本から南極海へ 7 漁期にわたって最大 6 船団が派遣されたが,いずれも鯨油生産を主目的とし,鯨肉生産は副次的な位置づけしかあたえられていなかった。GHQ の指導もあって戦後の南極海捕鯨では鯨油と並行して鯨肉の生産もおこなわれた。しかし,1960 年代に鯨類の管理が強化され,世界の鯨油市場が縮小すると,鯨肉生産の比重が高まっていった。本稿は,こうした歴史をあとづけたのち,今後の捕鯨史研究の課題として,①近代捕鯨の導入過程でロシアが果たした役割,②輸出産業としての捕鯨業の社会経済史的役割,③鯨油とほかの油脂間競争という 3 点を提示する。
コムリー, バーナード Comrie, Bernard
言語類型論は日本語等の個別言語を通言語的変異に照らして位置づけるための1つの方法を提供してくれる。本論では個々の特徴の生起頻度と複数の特徴の相関関係の強さの両方を検証するために,WALS(『言語構造の世界地図』)を研究手段に用いて言語間変動の問題を考察する。日本語と英語は言語類型論的に非常に異なるものの,通言語的変異を総合的に見ると,どちらの言語も同じ程度に典型的であることが明らかになる。また,日本語が一貫して主要部後続型の語順を取ることは,異なる構成素の語順に見られる強い普遍的相関性の反映であるというよりむしろ,日本語の偶発的な性質であると主張できる。最後に,WALSの守備範囲を超えた現象として,多様な意味関係を一様に表す日本語の名詞修飾構造,および類例がないほど豊かな日本語授与動詞の体系に触れ,それらを世界の他の言語との関係で位置づけることで本稿を締めくくる。
廣田, 吉崇
明治維新によって日本の伝統的芸能が大きな打撃を受け、茶の湯も衰退を余儀なくされたことはしばしば指摘される。しかし、上層階級を中心とする「貴紳の茶の湯」の世界では、ひとあし早く茶の湯が復興し始めていた。この茶の湯の復興を先導したのは、旧大名、近世からの豪商にくわえて、新たに台頭した維新の功臣、財閥関係者らの、「近代数寄者」とよばれる人々である。 本稿では、『幟仁親王日記』および『東久世通禧日記』をもとに、明治前期の茶の湯をめぐる状況を概観する。この結果、明治十年(一八七七)を過ぎたころから、旧大名、旧公家、維新の功臣らの上層階級を中心に茶の湯が流行しはじめたと考えられる。それを象徴するできごとは、明治十年八月二十一日の脇坂安斐による明治天皇への献茶である。この時期にはじめて茶の湯にふれた東久世通禧は、急速に茶の湯に傾倒し、さかんに技芸を稽古し、茶会を催すようになる。このような茶の湯の交際の広まりが、明治維新以前から茶の湯に親しんでいた有栖川宮幟仁親王を巻き込んでいこうとする現象がみられた。 興味深いことは、明治前期の「貴紳の茶の湯」の世界において、家元は積極的には登場しないことである。おそらく、家元を中心とする「流儀の茶の湯」の衰退が深刻であり、家元の存在基盤が脆弱であったためと考えられる。 家元が広く庶民層に技芸を教え広めることにより苦境を克服するのは、大正期以降のことと考えられる。こうした状況の変化をみて、いったんは茶の世界から離れていた中小の流派の後継者たちは、茶の世界に復帰する。明治期に茶の文化を維持した近代数寄者の一部は、のちに家系中心の家元システムが整備されるなかで、"家元を預かった"人物として位置付けられることになる。
国文学研究資料館 National, Institute of Japanese Literature
和書すなわち日本の古典籍は、千二百年以上に及ぶ長い歴史を持ち、その種類の多様さと現存する点数の多さは世界的にも稀です。国文学研究資料館では、和書のさまざまな姿や特色を紹介するため、通常展示「和書のさまざま」を毎年行っています。本冊子は、その展示内容の概要を収録したものとして作成しました。ささやかながら、和書の豊かな世界への手引きとなることを願っています。*本冊子の掲載資料はすべて国文学研究資料館所蔵です。*項目番号は実際の展示と一致しますが、紙面の都合で一部の項目を割愛したため、番号が飛んでいる箇所があります。*本冊子の掲載資料が実際に展示されているとは限りません。
国文学研究資料館 National Institute of Japanese Literature
和書すなわち日本の古典籍は、千二百年以上に及ぶ長い歴史を持ち、その種類の多様さと現存する点数の多さは世界的にも稀です。国文学研究資料館では、和書のさまざまな姿や特色を紹介するため、通常展示「和書のさまざま」を毎年行っています。本冊子は、その展示内容の概要を収録したものとして作成しました。ささやかながら、和書の豊かな世界への手引きとなることを願っています。*本冊子の掲載資料はすべて国文学研究資料館所蔵です。*項目番号は実際の展示と一致しますが、紙面の都合で一部の項目を割愛したため、番号が飛んでいる箇所があります。*本冊子の掲載資料が実際に展示されているとは限りません。
窪薗, 晴夫 KUBOZONO, Haruo
2009年10月に始まった共同研究プロジェクト「日本語レキシコンの音韻特性」の中間報告を行う。このプロジェクトは,促音とアクセントを中心に日本語の音声・音韻構造を考察し,世界の言語の中における日本語の特徴を明らかにしようとするものである。促音については,主に外来語に促音が生起する条件およびその音声学・音韻論的要因を明らかにすることにより,日本語のリズム構造,日本語話者の知覚メカニズムを解明することを目指している。アクセントについては,韓国語,中国語をはじめとする他の言語との比較対照を基調に,日本語諸方言が持つ多様なアクセント体系を世界の声調,アクセント言語の中で位置づけることを目指している。本論文では本プロジェクトが明らかにしようとする問題点と近年の研究成果を総括する。
早川, 聞多
本研究ノートは多種多様な画風や流派を生み出した江戸時代の絵画世界を、統一的に考察するための覚書である。 はじめに江戸時代の絵画世界が単に多様なだけでなく、錯綜して見える原因を指摘する。すなはち、従来の流派の呼称における観点の相違、諸流派の時間的・空間的並存性、享受者における好みの多様性、画家における画風の多様性の四点である。 次に江戸絵画の多様性とその錯綜した展開を統一的に捉へるためのタイプ論を提示する。そのタイプ論は、従来の江戸絵画史における流派分類から離れ、絵画に対する人間の興味の持ち方の「心理傾向」に基づいてゐる。すなはち、「遵法」「即興」「現実」「虚構」の四つのタイプを想定し、次に各タイプのうちに「一般化タイプ」と「特殊化タイプ」を想定する。
佐藤, 正幸
人が「年」を認識することは、順序数をただ並べるだけの単純な行為ではなく、極めて政治的・歴史的な知的行為であり、何よりも文化的な行為である。 年号と干支による紀年法は、紀元前二世紀の中国で考案されて以来、東アジアにおいては、二〇〇〇年以上にわたって使われ続けてきた。これは理論的にも優れた紀年法であり、かつ東アジア世界の存在様式に応じた政治的・社会的・国際関係的役割を果たしてきた紀年法であった。 一方、キリスト教紀年法は、ディオニシウス・エクシグウスによって六世紀に創案されたが、ヨーロッパ社会で使われるようになったのは、一六世紀後半以降である。また、キリスト教紀年法は、理論的に幾つかの欠陥を持つにもかかわらず、現在、世界共通の紀年法として実際に機能している。 にもかかわらず、二〇世紀以降、キリスト教紀年法が、日本をも含めた非キリスト教圏に広まったのは、西洋文明の世界的波及という事実に加えて、キリスト教紀年法が通年紀年法であることと、「紀元前」という新しい概念を導入したことで、脱宗教化が行われ、近代的知の展開に対応できるようになったからである。 本稿では、日本の歴史のなかで「年号と干支による紀年法」が果たした役割を、「キリスト教紀年法」との比較を通して検討する。
陳, 先行 陳, 捷 CHEN, XIANXING CHEN, Jie
上海図書館は、数多くの貴重な古典籍と古文書とを収蔵する世界トップ10に位置する公立図書館である。本稿は上海図書館の古典籍コレクションの歴史、現状と蔵書の特徴を説明し、これらの古典籍に対する整理、保護、および研究について紹介する。
武田, 喜乃恵 Takeda, Kinoe
広汎性発達障害の根本的問題が、他者身体のもつもうひとつの主体をうけとめて、<能動一受動>のやりとり関係を結ぶことの困難性であることが言われている(浜田、1992)。<能動一受動>のやりとりが相互に展開されることで、人は人間的な意味の世界を知り、その意味世界の共有を通して“私"というものの形成の歩みをたどることができる。発達障害児等へのトータル支援教室の集団支援から1事例をとりあげ、他者との<能動一受動>のやりとりの変容過程を明らかにしトータル支援教室の果たした役割について検討した。情動をふくめた共有体験を保障したことが、他者を理解し、自分の行動のあり方を調整する力を育て、<能動一受動>のやりとりを円滑にしていくことが示唆された。
武田, 喜乃恵 Takeda, Kinoe
広汎性発達障害の根本的問題が、他者身体のもつもうひとつの主体をうけとめて、<能動―受動>のやりとり関係を結ぶことの困難性であることが言われている(浜田、1992)。<能動―受動>のやりとりが相互に展開されることで、人は人間的な意味の世界を知り、その意味世界の共有を通して“私”というものの形成の歩みをたどることができる。発達障害児等へのトータル支援教室の集団支援から1事例をとりあげ、他者との<能動-受動>のやりとりの変容過程を明らかにしトータル支援教室の果たした役割について検討した。情動をふくめた共有体験を保障したことが、他者を理解し、自分の行動のあり方を調整する力を育て、<能動―受動>のやりとりを円滑にしていくことが示唆された。
山本, 登朗 小林, 健二 小山, 順子 恋田, 知子 ロバート, キャンベル
本冊子は、国文学研究資料館の特別展示として、二〇一七年十月十一日(水)から十二月十六日(土)まで、国文学研究資料館展示室において開催する「伊勢物語のかがやき ―鉄心斎文庫の世界―」の展示解説である。本冊子の作品解説は、国文学研究資料館の基幹研究「鉄心斎文庫伊勢物語資料の基礎的研究」(二〇一六年度〜一八年度、研究代表者・小林健二)による研究成果に基づき、その成果報告を含む。
世界の人口の約半分は、農村、山村、漁村に住んでいます。そこに足を踏み入れると、ほっとする風景やさまざまな暮らし、人びとの姿に出会うことができます。あれこれと会話をしていると、いつの間にかその土地にやさしく暖かく包まれるような気がしてきます。
内山, 大介
東北地方太平洋沖地震と大津波により引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故は,福島県の太平洋側に広く住民が帰ることを許されない地域を生んだ。そこには土地の歴史を物語る多くの文化財が取り残され,人の姿が消えて静まり返った町には暮らしに関わる全てのモノが置き去りにされた。このような状況を受けて,福島県では被災した文化財と震災そのものを物語る震災資料(震災遺産)という,ふたつの資料保全活動が進められてきた。原発事故の影響により多くの困難をともなった被災文化財の保全だが,個別的な活動から組織的な事業へと展開し,現在では各自治体を主体に大学や県との連携による活動へとシフトしている。さらに震災発生から3年が過ぎた頃からは震災資料の保全も行われるようになり,震災や原発事故をどう後世へ伝えていくべきかという議論も同時に進められてきた。被災地の博物館としては,これらの活動により保全した資料から地域をどう描き,未来へ伝えるかが問われている。今後,地域の歴史を語る際に震災や原発事故は欠かせないが,災害や被害のみを切り取ることでそれらを地域の歩みと断絶させてしまうのではなく,長い暮らしの営みのうえに位置づけることはひとつの大きな使命であろう。その一方で,保全した資料がもつ価値の醸成を,博物館や研究者に閉じ込めることなく地域へと開いていくことも求められる。博物館が資料収集や調査研究の成果を一方的に公表する場としてだけではなく,現物を介した双方向的なコミュニケーションの場という性格をもつことで,多様な震災像や地域像を守り伝えていくことができるであろう。
湯上, 良 YUGAMI, RYO
現在、イタリアの国有アーカイブズは、各地の国立文書館に移管され、非国有アーカイブズに関しても、各地の文書保護局が所在調査や監視、保護のための助言や災害時の救助などを行っている。すなわち、公文書・私文書を問わず、保存や保護、公開の体制が整備されていると言える。 イタリア統一当初からアーカイブズの重要性が認識されていたが、長く複雑な歴史的背景をもつため、非国有アーカイブズの保護に関しては、私有権の問題も絡み、困難な状況にあった。統一から半世紀が経過した時期に、非国有アーカイブズを取り巻く状況が危機ものとなり、学界や教育の分野から徐々に改善に向けた取り組みがなされていった。 ファシズム体制末期に、国が非国有アーカイブズに対しても公的保護を行う機関を創設する法律が成立し、体制が整備されたが、具体的な施策の実施が困難であった。しかしこの法律は、逆説的ではあるが、体制崩壊後のアーカイブズの散逸や廃棄を防ぐのに一定の役割を果たした。 戦後、非国有アーカイブズの保護における所有者と国との関係は、協調的な形に変化した。許可のない廃棄等には厳しい姿勢を取りつつも、保護に前向きな所有者に対しては、保存処置にあたっての税制の優遇措置や、財政的な助言を与えるなど、権利と義務を通じた形で非国有アーカイブズの保護に国が積極的に関与した。その結果、豊かなアーカイブズ遺産が現代に受け継がれているのである。
范, 帥帥
本稿は、安藤礼二と蓮沼直應が鈴木大拙の思想全体像を描く際に直面した、大拙の明治期の思想とその後の思想発展との非連続性の問題に対し、より広いコスモロジーの転換の視座から大拙の思想全体を捉えることを提案したい。筆者は渡辺和靖と安丸良夫から研究視座を援用し、鈴木大拙の各時期の核心的な思想を分析し、彼の思想発展史における天地―自己型の近世コスモロジーから近代認識論へ次第に転換する様態を解明し、その過程で大拙が一貫して近世コスモロジーの再生を追求したことを指摘した。さらに、この大拙の転換方法を近世から近代への転換期の知識人世代の観点から説明した。 最初の文章「安心立命の地」において、大拙は円覚寺を通じて継承した近世コスモロジーを基盤に、近代認識論を吸収していく姿勢を見せた。1898年の「妄想録」では、大拙は自由論で万物の内面と外面を分け、物理学的な外面世界で近代認識論の効力を認めながら、存在論的な内面世界で天地―自己型の近世コスモロジーを復活した。つまり、二つのコスモロジーを両立させながら相即させた。 大正期、大拙はウィリアム・ジェイムズの思想に影響され、禅体験を一種の神秘主義と見なした。コスモロジーにおいて、大拙もジェイムズの手法を継承し、宗教研究の対象認識の領域で、即ち近代認識論の客体認識の領域で人間と世界が結合・一体化する近世コスモロジーを再生した。 昭和期、大拙は禅体験の社会性を求め、『無心ということ』で「無分別の分別」という禅意識を唱えた。コスモロジーにおいて、大拙はこの思想を通じて近世コスモロジーを近代認識論の枠組みの主体側に取り入れ、一元的な禅が主体と客体の連続性を維持しながら二元的な世界へ働きかけることを主張した。 このコスモロジーの転換の過程で、大拙は始終、近世コスモロジーを捨てておらず、常に近代認識論の中でそれを再生しようとした。この姿勢は大拙が属する1868年の知識人世代の特質、いわば近世的伝統文化と西洋流の近代知識を両方とも自己形成の源泉とすることに起因する。
松本, 英治 Matsumoto, Eiji
本稿では、福岡藩の蘭学者の嚆矢として知られる青木興勝の長崎遊学の実態を、新出史料『阿蘭陀問答』を翻刻・紹介しながら検討し、長崎遊学の経験が興勝の対外認識にいかなる影響を与えたのかについて考察した。興勝の長崎遊学は、長崎警備を担当する福岡藩にとって世界地理や国際情勢の把握が不可欠であるという強い時務意識に基づいて行われたものであった。世界地理や国際情勢の研究のためには、海外情報の収集と分析が不可欠である。福岡藩の場合、長崎の蔵屋敷に聞役を常駐させ、阿蘭陀通詞を掌握して海外情報の収集にあたらせていた。買物奉行として蔵屋敷に詰めていた興勝にとって、このような環境が自らの研究を進展させる大きな要因となった。当時の長崎では、ロシア船来航問題が長崎警備上の課題となり、日蘭貿易はアメリカ傭船によって行われ、阿蘭陀風説書ではヨーロッパ・アジアの動乱が報じられるなど、日本をめぐる国際情勢が大きく変化していった時期である。かかる国際情勢の変化は、興勝の対外認識に強く影響し、外国貿易の有害、「鎖国」の強化、海防の充実などといった排外的な主張を生み出した。興勝の蘭学は、純粋な自然科学の追究ではなく、長崎警備を担う福岡藩にとって必要とされた世界地理・国際情勢の研究であり、対外的危機の深まりという時務意識に基づいたものであることに大きな特徴がある。このような特徴は、ほぼ同時期に長崎に遊学して蘭学を修業した支藩秋月藩の種痘医緒方春朔と興勝の門人安部龍平の場合にも共通する。一般的に蘭学は医学・本草学などの自然科学部門から始まるといわれるが、福岡藩の場合、本格的な蘭学は世界地理や国際情勢の研究から始まる。このような背景には、長崎警備という軍役を幕府から課せられ、それゆえに階層を問わず対外的危機を強く意識させられた福岡藩の事情があり、ここに福岡藩における蘭学の濫觴の地域的特徴を見て取ることができる。
植野, 弘子 Ueno, Hiroko
本稿は、台湾漢民族における死霊と土地の超自然的存在との関連についての一試論である。漢民族においては、祖霊と死霊は明確に区別されている。死霊―「鬼」は、子孫をもたず、あるいはこの世に恨みを残して死んだものであり、冥界で不幸な境遇にあるとされる。こうした「鬼」はこの世にさまよい出で人々に不幸を振りまくことになる。しかし、「鬼」は可変的性格をもち、祖先にも神にも変化する存在である。これまでの研究においては、「鬼」は霊的世界のアウトサイダーであり、「鬼」を無体系なものとみなしてきた。しかし、「鬼」はけっして混沌たる世界を漂漾しているのではない。人と「鬼」との交信には「鬼」を統轄する神々が登場する。この神々は陰陽両界に関わるとともに「地」に関わる神であり、「鬼」が昇化して神になったものもいる。落成儀礼〈謝土〉において、人は建造物を建てた土地から邪悪なものを払い、その土地を「陰」の世界の土地の持ち主〈地基主〉から買い取らねばならない。〈地基主〉とは、かつての土地の持ち主で死後その霊がその土地に残ったものとされている。つまり「鬼」であり、「鬼」が土地の主となるのである。土地は「陰」から「陽」の世界のものとなって初めて人が住むのにふさわしいものとなる。土地は陰陽の両界をつなぐ場である。人と死霊は「地」に関わる超自然的存在によって媒介され、人はその住む地によって冥界と切り放せない現世を知るのである。漢民族は冥界をこの世と同様にリアルに描いている。そして、冥界と地とを結び付けることによって、また「鬼」という浮遊性をもつ超自然的存在に一定の秩序を与えることによって、人が他界を生活の中に感じ、また解釈を与えているのである。
関口, 由彦 Sekiguchi, Yoshihiko
本論文は,「本来の」居住地からの「移動」を経た,首都圏に居住するアイヌ民族の文化伝承活動の特性を考察することで,物理的移動を超える「移動性」(〈移ろい動く〉もの)について明らかにしていく。〈移ろい動く〉ものへの注目は,「定住」/「移動」の二元論の超克とともに,他者と共に生活する場を切り拓く。物理的移動の有無にかかわらず,「縁辺」[関根 2009]/「後背地」[阿部 2007]としての生活世界に立つこと自体が,アイデンティティや「文化」の認識にズレをともなう流動性(〈移ろい動く〉もの)をもたらす。それは,主流社会との関係において,他者から押しつけられた表象を繋ぎ直す受動性しかもたず,その流用実践によってこそ生を得ようとするギリギリの主体性の産物である。さらに,その主体性は,「後背地」の重要な特性としての他者との固有性を帯びた対面的関係の中で発揮される。上記の知見にもとづき,本論文は,主流社会のように表象を操る権能を持たない人びとが,押しつけられた表象にズレを与え,「別の形」にしていくことで自らの生きる道を模索する姿に焦点を合わせる。人間的生の模索(〈移ろい動く〉生き方)こそが,物理的移動を経てなお「アイヌ」というものが「切っても切れない」ものとしてつきまとう人びとの実践を形づくる。アイヌ文化伝承活動の文脈をなす生活世界には,〈お互いの「生活」への配慮〉,〈持続的な対面的関係〉,〈当事者による自前の解決〉,〈共同生活における生身の人間から生身の人間への直接的伝承〉といった特性が見いだされる。そして,この生活世界では,対面的関係に突き動かされた人びとが,その関係の固有性がもたらすズレと共に文化を伝承していく。彼(女)らはある種の真正性をそのまま受け継ごうとしているにもかかわらず,生活世界に深く巻き込まれているがゆえに〈移ろい動く〉ことになるのであった。
篠原, 徹 Shinohara, Tooru
「聞き書き」は民俗学の資料収集の主要な方法である。そしてどんな「聞き書き」であれ,それは語る人の体験と伝承されてきた口承が多かれ少なかれ弁別できない形で融合している。その「聞き書き」のなかで伝承されてきたものによる程度が大きければ大きいほど,より民俗的な現象として資料化されてきたといえる。つまり個人的な体験は体験そのものが民俗的な現象でなければ(たとえば民俗宗教のようなもの),民俗学は「聞き書き」のなかから体験を排除することによって文字ある世界で「文字なき広大な世界」の歴史資料化を試みてきた。体験そのものが民俗的なものではないとは,それは現実の社会的な問題と激しく交錯するような天皇制であるとか公害であるとかを想定すればよい。しかしオーラル・ヒストリーといわれるものを民俗的世界のなかで体験史と口承史に分けること自体が無意味であろう。その無意味さは特に個人の人生を語るライフ・ヒストリーにおいてはもっとも集約されたものとして具現化する。けれども極端にいえば伝承を含まない体験のなかに民俗を見出すことだって可能である。天皇制の民俗を巡る問題とはこのようなものなのではないのか。天皇制の歴史に民俗性をみることより現に生きてある人々(文字ある社会で「文字を使わない世界」の人々)のなかの天皇制を摘出することこそが民俗学である。一人のライフ・ヒストリーを聞くなかで戦前の天皇制イデオロギーの具体化である「御真影」の到達しなかった山村の存在の発見から「民俗のなかに現われる天皇」の民俗学的重要性を指摘したい。柳田国男が『先祖の話』のなかで敗戦という事態を迎えて「家はどうなるのか,又どうなって行くべきであるか」と問い,民俗学に家に関して「若干の事実」を集める必要を悲痛に表明したように天皇制に関しても「若干の事実」を民俗学は集める必要がある。
村上, 呂里
本研究は、リテラシー実践と〈包摂〉をめぐる今日的論点を踏まえ、沖縄の教室に根ざしたリテラシー実践における〈包摂〉と〈再包摂〉の可能性について考究した。その際、J. Willinskyによるニューリテラシー論(1990)を拠り所とした。3つのリテラシー実践事例(小学3年生「おにたのぼうし」の授業、小学6年生「海の命」の授業、小学5年生「椋鳩十さんに学んで動物作家になろう」)からは、pariah(のけ者)とまなざされる存在を〈包摂〉することを通して、教室全体で「わかちあう世界への希求」「自然への畏れとともに命の循環を生きる」「多様な命へのケア」といった意味・価値が創成される〈再包摂〉のプロセスが浮かび上がってきた。さらには命への慈しみという視座から「世界における自分のホーム」を形づくる可能性が醸成されていった。
光田, 和伸
日本の近世において大いに発達した表現手法である「見立て」は「俳諧」においては、ジャンルの芽生え以来深く宿命づけられた手法であった。和歌・連歌の作者の余技・余興として始められた俳諧は、それら先行の文学を参照しつつ、それを異化することで、ジャンルを樹立したのである。その結果、重頼(一六〇二―八〇)の編集になる俳諧作法書『毛吹草』(一六四五)には、「見たて」の条をはじめ「云立」「取成」「たとへ」などの項目を細かく列挙するまでになる。今日の目からすれば、相互の差異を容易には見出しがたいこの精細な分類に、ジャンルの表現の洗練にかける当時の状況がうかがわれる。芭蕉(一六四四―九四)はこのような時代に生まれ、当時の常套的な作風をいちはやく摂取していくが、次第に「和歌世界の見立て」であるという俳諧の表現世界の限界に気付きはじめる。しかし「見立て」は俳諧というジャンルが存立するための基盤であった。彼は逆に表現主体自らを古典作者の「見立て」と見なす方法によるならば、俳諧というジャンルの制約をまもりながら、表現世界の限界を脱して、対象を一挙に時代の全域にまで広げることが可能であるということに目覚めてゆく。表現主題自身を「見立て」と化し、先行の古典作者と自身とを貫くものの自覚へと沈潜することによって、ジャンルの二律背反から脱出した芭蕉は、その原理を、絶えずより広く、深めることで、今日「不易流行」「高悟帰俗」の語によって象徴される新しい文学の方法へと到達したのである。
稲村, 務 Inamura, Tsutomu
世界中でみられる自文化研究への対応として、比較民俗学を提唱する。本稿においては、比較民俗学が民衆側から見た比較近代(化)論であるとして、これまでの系統論や文化圏論とは異なる「翻訳モデル」への転換が必要とされているのである。
Akamine, Kenji 赤嶺, 健治
1869年に出版されたThe Innocents Abroad(『赤毛布外遊記」)は、作者マーク・トウェインが1867年6月から11月までの約5か月間、蒸気船クウェーカーシティ号によるヨーロッパと聖地巡礼の旅にサンフランシスコのアルタ・カリフォルニア紙の特派員として同行し、旅先から書き送った58通の手紙を基に書き上げた旅行記である。マーク・トウェインは、本作品の他にも、Roughing It(1872)、A Tramp Abroad(1880)、Following the Equator(1897)等の旅行記を書いているが、ベストセラーとなったのはこのInnocents Abroadのみで、本作品が彼の旅行記の中でも最も高い評価を得ており、「アメリカ人が書いた海外旅行記の中で最も人気のある本」と評されている。本作品の重要な特徴は、作者自身も序文で公言しているように、ヨーロッパと東洋を先人の目、つまり当時広く読まれていたガイドブックを通じて、ではなく「自分の目」で見るという作者のリアリストとしての自覚と視点にある。このことは、ノーマン・フォースターが、1869年を、本作品が出版された年という理由から、アメリカン・リアリズムの出発点としていることでも裏書きされている。マーク・トウェインは、訪問する各地での見聞記の中に、ヨーロッパを中心とした旧世界のみならず新世界アメリカの人間と社会、文明全般についての正鵠を射る批判を行っている。アメリカについては、まず同行者の中の「巡礼者」と呼ばれる人々の、訪問先での先入観に影響された誤った価値判断や宗教的偽善を風刺する一方で、アメリカ人一般の物欲に根差したゆとりのない生活ぶりを批判している。旧世界については、彼の文明評価の尺度である「庶民の経済的、道徳的水準」を当てはめて、イタリアにおける貧困にあえぐ庶民と栄華をきわめる教会との間の断層、聖地パレスチナでの庶民の貧困などの厳しい現実に直面して味わう幻滅の悲哀が語られている。マーク・トウェインは、アメリ力人としての誇りを前面に押し出し、旧世界の風物に対するアメリカの風物の優位、例えばイタリアのコモ湖やパレスチナのガリラヤ湖よりもカリフォルニア、ネヴァダ両州にまたがるターホー湖の方がはるかに美しいし、ヨルダン川よりもニューヨーク市のブロートウェイ通りの方が大きいことなどを自慢する。しかし、彼の手法は、基本的にはリアリストの手法であり、新旧両世界に向けた彼の風刺や批判には客観性がある。本作品でもマーク・トウェインは、過去の文明と将来の文明の間に立って双方を鋭い眼差しで見透す、いわば双面神ヤヌスのような批評家であり、本作品は、彼自身のみならずアメリカン・リアリズムの発展の前ぶれ又は先駆けとして重要な意義と内容をもつものであると言えよう。
温帯の湿潤な気候のもとで暮らす私たちにとって、乾燥地は、遠い世界に感じられます。緑に乏しい広漠とした風景は、一見すると、私たちを寄せ付けないような雰囲気があります。乾燥地の村々を歩いてき回ると、そんな印象とは正反対の、生き生きとした暮らしの風景が広がっています。
藏滿, 逸司 Kuramitsu, Itsushi
第二次世界大戦敗戦から沖縄の日本復帰までの間に、現在の沖縄県を中心に使用された琉球切手は、沖縄県の戦後史を学ぶ教材として有効であるという考えから教材化に取り組んだ。本論では、琉球大学付属中学校三年生に対する授業の記録と感想文を分析し、今後の取り組みの方向性を模索した。
佐々木, 孝浩 SASAKI, Takahiro
人麿影供創始者六条顕季の孫清輔の発見に始まる人麿塚墓参の伝統の追跡と確認。人麿影供の一変形として歌林苑周辺歌人を中心に行われた展墓の蓄積が、やがて説話世界での西行の人麿展墓を生み出すに至るまでの過程を考察し、中世に於ける人麿信仰の在り方の一端を窺ってみた。
藤原, 幸男 Fujiwara, Yukio
90年代において、授業をめぐる諸状況に大きな変化が生じてきている。とくに教授主体と学習主体の身体に問題が生じてきている。心身を一元的にとらえる身体論の立場から、身体が生き、世界が広がる場として授業をとらえ、その観点から授業指導のあり方を見直す必要がある。また、教授主体と学習主体、学習主体同士の関係のあり方が変化してきている。学習権の主体として子どもをとらえ、子どもが学習権の主体として授業に参加し、世界を創造する場として授業をとらえ、関係論の立場から授業指導のあり方を見直す必要がある。本稿では、身体論・関係論の観点から、教授・学習関係の構築、教育内容の指導過程の構想、主体同士の学習共同と対話・討論の創造、授業における学習集団の形成について、論じた。本稿は一つの試論であり、今後さらに検討し、発展させていきたい。
金子, 未希 KANEKO, MIKI
本論文は、シンガポールのアーカイブズ史を編年する。そこでターニングポイントとなるのが、1968 年の公文書館の設立である。植民地、軍政、独立の歴史を歩んできたシンガポール国民の記憶は、シンガポール国立公文書館に記録されている。設立されてからの公文書館が期待された役割は、時代とともに変わっていく。本論文では、公文書館の法的根拠となる以下の3 つの法律に注目した。国立公文書館センター法、国家遺産局法、国立図書館法は、その成立年や公文書館の所属機関によって少しずつ変わっていく法的根拠を表している。比較する際には、公文書の移管・処分破棄・閲覧の3 点に注目した。移管と処分破棄に関する条文の比較では、実行の権限とその処理に伴う責任が、個人から組織へと移動していることを指摘した。特に公文書の処分破棄は、公文書館の最重要な役割ともいえるもので、その権限と責任の所在が変化している点は注目に値する。閲覧に関する条文の比較では、記録媒体の変化に対応する公文書館の姿が見えてくる。メディアの発展により、公文書館で保存すべき資料に音声資料が加わる。このように、記録へのアクセスの仕方が変化することで、閲覧に関する条文に変化がみられる。閲覧の際、発生すると考えられる個人情報の問題への対応など、法的環境のバージョンアップを確認した。年代の異なる3 つの法を比較することにより、時代の変化に対応する公文書館の姿が見えてきた。
ストリッポリ, ジュセッペ
明治後期に活躍した作家堀内新泉は、立志小説と植民小説というジャンルの枠組みの中で論じられてきたが、明治末期に冒険雑誌に載せられた探検小説群は注目されてこなかった。本論では彼の探検小説の一部を占め、現代のSFの作品として認められる宇宙探検を語る「三大冒険雑誌」の二つである『探検世界』と『武侠世界』という雑誌に掲載された「水星探検記」(一九〇六)、「金星探検記」(一九〇七)、「月世界探検隊」(一九〇七)、「少年小説昇天記」(一九一〇)という四つの短編小説を扱う。確かに明治時代では科学小説(SF)は文学ジャンルとしては確立されていなかった。しかし、堀内新泉の作品が示すように、科学小説的な物語が全く存在しなかった訳ではない。彼の宇宙探検を扱った作品は、明治から戦後に至るまでの多種多様な文学作品から成る、いわゆる「SF古典」の一つの例として捉えることができる。このような視点から彼の宇宙作品群を分析することで、SF古典作品が探検小説、冒険小説、科学小説などの枠組みで認知されていた明治時代まで日本SFの起源を遡って考えることができる。日本近代文学が確立されはじめた明治期に、思弁的な空想を取り扱うSFというジャンルを設定することにより、日本近代文学の一つの特徴が浮かび上がる。それは、坪内逍遥が『小説神髄』で確かなものにした、文壇の中心を占める現実主義文学に対する、ありのままの現実から距離を取る「アンチ・ミメーシス」という特徴である。
ヤコブセン, ウェスリー・M Jacobsen, Wesley M.
日本語では仮定性や反事実性といったモーダルな意味が状態性や反復性など,未完了アスペクトに関わる時間的な意味を表す言語形式によって表現される場合が少なくない。こうした相関関係は,仮定的な意味が典型的に生じるとされる条件節などの従属的な環境においてのみならず,可能性,願望,否定といった意味が主文に表れた場合にも観察される。本論では,Iatridou(2000)で提案されている過去形の「除外特徴(exclusion feature)」に対して,未完了アスペクトの「包含特徴(inclusion feature)」を提案し,以上の相関関係の説明をこの特徴の働きに求めてみた。それによると,未完了アスペクトには,話者の視点である基準時以外の時点までも想定されるという時間的な特徴が本質的に備わっており,これが転じて,話者の世界(現実の世界)以外の可能世界までも想定されるという解釈へと拡張することによって仮定的・反事実的意味が生じるとする。インド・ヨーロッパの諸言語では,反事実性の意味表出に過去形が関わっている現象がこれまでにたびたび指摘されてきたが,少なくとも一部の言語では,反事実性,ひいては仮定的な意味一般の表出に,テンスとは補完的な形でアスペクトも重要な役割を果たしていることが,日本語のこうした諸現象の検証によって明らかになる。人間にとって現実性の把握に,時間の把握がどんなに深く関わっているかをうかがわせる現象として注目に値する。
梅屋, 潔 Umeya, Kiyoshi
私はここ10年ほど,ウガンダ東部にすむアドラ民族出身でアミン政権(1971-1979)閣僚だった故オボス=オフンビの「遺品整理」とでもいえるような作業を行っている。彼はアミンの側近でありながら,ついにはその命令で殺害された人物である。出身地域で随一のエリートとして評価される一方,その生涯はティポtipo(殺害された者の死霊)やラムlam(呪詛)そして予言者などの観念で彩られ,両義的な評価を付与されてきた。彼は当該民族最初の民族誌の著者であり,国防大臣として軍の兵舎を誘致し,父の墓を二度建てかえ,その名を冠したチャペルを建造した。邸宅には当時を知る手がかりとなる数多くの遺品が残っている。偶然から始まったこの人物への関心がアドラ民族の世界観への理解を深めることはもちろん,地域から見た世界史,そしてその手がかりとなるモノへの関心に繋がるようになった軌跡を辿る。
阿満, 利麿
死後の世界や生まれる以前の世界など<他界>に関心を払わず、もっぱら現世の人事に関心を集中する<現世主義>は、日本の場合、一六世紀後半から顕著となってくる。その背景には、新田開発による生産力の増強といった経済的要因があげられることがおおいが、この論文では、いくつかの思想史的要因が重要な役割を果たしていることを強調する。 第一は、儒教の排仏論が進むにつれてはっきりしてくる宗教的世界観にたいする無関心の増大である。儒教は、現世における倫理を強調し、仏教の脱社会倫理を攻撃した。そして、儒教が幕府の正統イデオロギーとなってからは、宗教に対して無関心であることが、知識人である条件となるにいたった。 第二の要因は、楽観的な人間観の浸透である。その典型は、伊藤仁斎(一六二七―一七〇五)である。仁斎は、正統朱子学を批判して孔子にかえれと主張したことで知られている。彼は、青年時代、禅の修行をしたことがあったが、その時、異常な心理状態に陥り、以後、仏教を捨てることになった。彼にとっては、真理はいつも日常卑近の世界に存在しているべきであり、内容の如何を問わず、異常なことは、真理とはほど遠い、と信じられていたのである。また、鎌倉仏教の祖師たちが、ひとしく抱いた「凡夫」という人間認識は、仁斎にとっては遠い考えでもあった。 第三は、国学者たちが主張した、現世は「神の国」という見解である。その代表は、本居宣長(一七三〇―一八〇一)だが、現世の生活を完全なものとして保障するのは、天皇支配であった。なぜなら天皇は、万物を生み出した神の子孫であったから。天皇支配のもとでは、いかなる超越的宗教の救済も不必要であった。天皇が生きているかぎり、その支配下にある現世は「神の国」なのである。 しかしながら、ここに興味ある現象がある。儒教や国学による激しい排仏論が進行していた時代はまた、葬式仏教が全国に広がっていた時期でもある。民衆は、死んでも「ホトケ」になるという葬式仏教の教えに支えられて、現世を謳歌していたのである。葬式仏教と<現世主義>は、楯の両面なのであった。
北, 政巳
明治日本の近代技術教育の発展において、スコットランド人技術者や教育者が果たした役割がいかに大きかったかについて、わが国では、あまり知られていない。 しかし一九世紀の大英帝国を支えたスコットランド人外交官・科学者・企業家・商人達のネットワークが世界に広がり、その中からアジア・極東へつながり、それを介して最も有名な西洋人商人のT・B・グラバー、明治政府第一号のお雇い外国人技師(測量)のR・H・ブラントン、工部大学校(のちの東京大学)校長のH・ダイアー、日本の造船・海運業界に多大の貢献をなし帰国後グラスゴウ在日本領事となったA・R・ブラウン等が来日した。 他方、日本人青年も工部大学校卒業後に、さらなる高等教育を求めてグラスゴウ大学に留学した。そこには幕末以来、日本と通商関係をもつスコットランド人商人達の支援活動が存在した。 事実、英国の産業革命はスコットランド人技師によって開始され、また完成されたのであり、その成果は、さらに新世界へと運ばれていった。ヴィクトリア盛期に、イギリスが「世界の工場」と讃えられた時代に、グラスゴウを中心とするクライド渓谷地域は「大英帝国の工場」と呼ばれた。またグラスゴウは「第二の都市」(ロンドンに次ぐ)として栄え、別名「鉄道の都」、「造船の都」と賞賛された。 同時にグラスゴウは、文化面でも大変に注目を集める都市となり、特に絵画と建築で有名となった。英国絵画界に新風を送る「グラスゴウ・ボーイズ」と呼ばれるリーダーが登場し、彼らは特に日本の美術に関心をもち、西欧世界に日本伝統の美と価値観を紹介するのに大きく貢献した。 一八八八年と一九〇一年にグラスゴウで開催された国際博覧会は、「グラスゴウ・ボーイズ」や同市のビジネスマン達に支援され日本館も設置され、それを通じて日本の文化や技術的発展が注目を集めた。翌一九〇二年には日英友好同盟が締結され日本は当時のリーダー達が憧れた「東洋のイギリス」と呼ばれるに至るが、その歴史的背景にはスコットランドと日本の親密な関係が役立ったと言えよう。 本稿では、私は日本とスコットランドの文化的交流のなかで「グラスゴウ・ボーイズ」の中からC・R・マッキントッシュ、E・A・ホーネル、G・T・ヘンリー、J・A・ウィッスラーに焦点をあてて考察してみたい。
Keith, Barry
世界中で約7,000 の言語が使用されていると言われているが、その半数が消滅の危機に瀕している。特に、アメリカ合衆国における先住民言語の維持と保護は緊急の課題である。本稿では、オクラホマ州におけるチェロキー語に焦点を当て、その消滅の危機に瀕している背景および現代における復興のための取り組みを考察する。
徳田, 和夫 TOKUDA, Kazuo
三条西実隆の日記『実隆公記』の紙背に物語絵巻の絵詞と認められるものがある。現存の物語類に該当しない、得体の知れないものだが、順次検討してみると、室町期に頻出したお伽草子作品の世界と軌を同じくするものと了解される。お伽草子の時代にあった、実隆の創作意識も把握されるものである。また、この絵詞は文明六年(一四七四)初冬の執筆と考えられ、その年代の明証性から、芸能史の上でも、歌謡史の上でも貴重な資料といい得る。描かれた世界を読み取ると、従来指摘されてきた諸芸能の初出文献・記録に先んずる記事のいくつかと遭遇する。小謡、謡講、座頭の語り、浄瑠璃語り、茶の湯、また『閑吟集』と狂言歌謡の関連に波及しよう室町小歌、などである。この時代風俗のあからさまに投影した絵詞資料も、依拠した素材らしきものが推定される。お伽草子作品の類型趣向と、現行の狂言の『御茶の水』『水汲』あたりの趣向と通じる、室町期の姿が浮かびあがってくる。
篠原, 武夫 Shinohara, Takeo
1)森林資源 林型一気候条件からみた世界の林型は, 針葉樹林, 温帯広葉樹林, 熱帯広葉樹林の3つに分けられている。針葉樹林の95%は先進地域の北半球にあり, 温帯広葉樹林も北半球に偏在し, 熱帯広葉樹林は低開発地域の南アメリカと北アメリカに集中している。また別の分類によると亜寒帯針葉林, 温帯混交林, 温暖温帯湿林, 赤道雨林, 熱帯落樹湿林, 乾燥林の6つの林型がある。面積-世界の林地面積は約43億haで, 土地面積に対する森林率は30%である。森林割合を100%とすると, 先進地域に53%, 低開発地域に47%がある。個々の地域ごとにみると, 南アメリカ21%, ソ連19%, 北アメリカ18%, アフリカ18%, アジア13%,その他11%となっている。林相-世界の針・広葉樹の合計面積は約25億ha, そのうち針葉約9億ha, 広葉15億ha, 混交1億haとなり, 広葉樹が最も多い。推定による針・広葉樹面積は約37億haで, そのうち針葉樹は約12億ha, その主要分布地は北半球の温帯にあって, ソ連と北アメリカの先進地域で80%以上に達している。広葉樹は25億ha, その4分の3は低開発地域に散在し, 主に南アメリカとアフリカにある。蓄積-森林総蓄積は2,380億m^3,うち針葉1,141億m^3,広葉1,239億m^3となり, 広葉樹の蓄積が多い。蓄積の分布はソ連33%, 南アメリカ33%, 北アメリカ18%となり, これら3地域で84%にも達している。アジア, アフリカ, 南アメリカを合せても16%にしかならず, その原因は未調査・未報告の森林が多いためであるとされる。推定による世界の森林蓄積は3,400億m^3,うち針葉1,350億m^3,広葉2,050 億m^3となっている。ha当りの蓄積は一般に針葉樹が高い。2)森林開発採取-1960&acd;62年の年平均伐採量は約19億m^2,うち用材10億m^3,薪炭材9億m^3である。先進地域の伐採量は11億 m^3で, その84%は針葉樹である。残余の8億m^3は低開発地域でなされ, その67%は広葉樹である。用材の75%が針葉樹からなり, 薪炭材81%は広葉樹で占められている。そして用材の83%が先進地域, 薪炭材の71%は低開発地域で生産されている。先進地域の用材粗見積は約9億m^3で, 低開発地域は1億m^3にすぎない。このように先進・低開発地域間の採取開発はきわめて不均等である。
久野, 昭
一〇二〇年、ひとりの幼い少女が家族とともに上総から京へ、三ヵ月の旅をした。およそ四十年後に、彼女はその旅のことを、『更級日記』のなかに書いている。その記述からも、この世とは異質の世界に対して彼女がいかに鋭敏だったかが、窺われるのだが、この幼い少女の感性を明らかにしようというのが、本稿の意図なのである。
市野澤, 潤平
観光ダイビングは,近年マリン・レジャーとして人気が高まり,世界中に多数の愛好者がいる。海棲生物との出会いや海中での浮遊感を楽しむダイビングは,熱帯域のビーチリゾートでの観光活動の定番の一つとなっている。 しかしその一方で,人間が呼吸することができない水中に長時間とどまることから,スクーバ・ダイビングは本質的に危険な活動である。スクーバ・ダイビングは,窒息死を始めとする,様々な身体的リスクの源泉でもある。 本稿は,観光ダイビングを,かつては人間が滞在することの能わなかった水中という異世界へと進出する活動として捉える。観光ダイビングの実践においては,水中での人間の身体能力の限界を補うために,多様なテクノロジーを活用して事実上の身体能力の増強がなされている。本稿は,そうした各種テクノロジーのなかでもとりわけ,水中滞在時間と深度を計測して減圧症リスクを計算する技術/機器としてのダイブ・コンピュータに着目して,その導入と普及によって成立しているダイバーにおける独特なリスク認知の様相を,明らかにする。
王, 秀文
桃は強い生命力を持つ仙果、陰や死に対して不思議な呪力をもつ陽木として、当然ながら長生の神仙の世界や不死の楽園に結びつけられる。伝承上では、神仙の住む世界は東の大海原にある蓬莱山で、桃の巨大な樹のある度朔山または桃都山でもあり、仙木である扶桑は桃と同じ陽性の植物である。また信仰上では、不死の薬の持ち主として人間の福寿を操る女神である西王母は、桃をシンボルとし、死を再生に転換させる生命の象徴である。 不老不死の楽園は仙界であり、俗人にとって生活苦のない理想郷である。したがって、俗界を逃れる「仙界訪問譚」は魏晋の時代から盛んになり、また桃の伝承と強く結び付けられる。その中で、桃の名を冠する陶淵明の「桃花源記」が最も知られ、異界の神秘性を無限に増幅したものである。この類の話において、桃は俗界と異界とを隔絶させ、俗人を仙人に転換させる役割を果たしている。
新垣, 香代子 浦崎, 武 Arakaki, Kayoko Urasaki, Takeshi
高機能自閉症の子どもたちがもつ、他者とのかかわりづらさに焦点をあて、特に、学童期における関係性の構築の重要性についての3事例の実践研究である。本研究においては、まず、彼らの内的世界を理解する足がかりとして生育歴をまとめ、発達過程における「症状」の変容について検討した。高機能自閉症の子どもたちが乳幼児期から、発達過程において、様々な「症状」の変容を見せるが、それは常に「関係性」の問題につながっていることが示唆された。次に支援学級において、彼らから発せられる活動に沿った応答的なかかわりを積み重ねて行くことにより、彼らの内的世界の理解につなげ、担任や級友との相互的関係性を築く過程で、同年齢及びその周辺他者とのかかわりについて検討した。そして、支援学級で構築された関係性を基盤に通常学級の場での関係性の変容に期待した。具体的には、自立活動として「好きなこと時間」を設定し活動した。3事例は、生き生きと自分の世界を展開すると同時に、支援学級の級友たちと興味を共有し、相互的関係性を少しずつ積み重ね、自己の主体に気づき、他者と共にあること、他者の主体に気づいていく。大人や保護的な役割を持つ級友たちとは経験できなかった物語を、支援学級の級友たちと綴っていった。そのなかで、学童期における同年齢及びその周辺の他者とのかかわりの重要性が示唆された。また、支援学級で培われた「関係性」が通常学級における「関係性」の構築にも影響を与え、わずかながら変容が見られた。
大谷, 周平 坂東, 慶太 Otani, Shuhei Bando, Keita
Sci-Hubとは,6,450万件以上もの学術論文のフルテキスト(全文)を誰もが無料でダウンロードできる論文海賊サイトである。Sci-Hubからダウンロードできる論文には,学術雑誌に掲載された有料論文の約85%が含まれており,Sci-Hubは学術出版社の著作権を侵害する違法サイトである。大学図書館の契約する電子ジャーナル,OAジャーナル,機関リポジトリ,プレプリントサーバーなど法的に問題ない論文サイトが在る中で,世界中から1日に35万件以上の論文がSci-Hubを通じてダウンロードされている。本稿では先ずSci-Hubの概要・仕組み・世界的な動向について述べる。次いで2017年にSci-Hubからダウンロードされた論文のログデータを分析し,国内におけるSci-Hub利用実態の調査結果を報告する。栗山による2016年調査と比較すると,Sci-Hubの利用数やSci-Hubの利用が確認された都市数は増加していた。また,Sci-Hubでダウンロードされているのは有料論文だけではなくOA論文が約20%を占めていること,クッキーの情報から約80%のユーザーは1回のみSci-Hubを利用している状況も明らかになった。
井上, 史雄 INOUE, Fumio
この論文では,言語の市場価値を計最する手段を,日本語を例にして論じる。言語は現実に世界で売買されており,言語の市場価値を計算することができる。言語が市場価値を持つ適例は,「言語産業」に見られる。辞書・入門書・教科書などの出版物や,会話学校が手がかりになる。また多言語表示も,手がかりになる。戦後の日本語の市場価値上昇の説明に,日本の経済力(国民総生産)発展が指摘されるが,いい相関をみせない。外国の側の条件が,むしろ重要である。多言語活動の隆盛,実用外国語教育の成長,高等教育の普及である。言語の市場価値の基本的メカニズムに関する理論的問題をも論じる。言語の市場価値は特異な性質があって,希少商品とは別の形で決定される。ただ,言語はもう一つ重要な性質を持つ。市場価値の反映たる知的価値以外に,情的価値を持つ。かつ相対的情的価値は知的価値と反比例する。世界の諸言語には格差があり,そこに経済原則が貫徹するように見える。しかし一方で,言語の感情的・情的側面を見逃してはならない。
稲賀, 繁美
20世紀前半の日本の近代美術史は、同時代の世界美術史の枠組みのなかで再考される必要がある。この課題に対処するうえで、橋本関雪(1883~1945)の事例は見過ごすことができない。関雪は明治末年から大正時代にかけ、文部省美術展覧会、ついで帝国美術展覧会で続けざまに最高賞を獲得したが、その画題は中国古典から題材を取りつつも、日本画の技法を駆使しており、さらに、清朝皇帝に仕えた郎世寧の画風を取り込むばかりか、洋行に前後して、同時代の西欧の最新流行にも目配せしていた。加えて筆者の仮説によれば、関雪は旧石器時代に遡る原初の美術やペルシア細密画をも自分の画業に取り込もうとしたことが推測される。こうした視点は先行研究からは見落とされてきた。 また橋本関雪は、辛亥革命から第一次世界大戦終了の時期を跨いで、従来日本では軽視されてきた明末清初の文人・画人を日本で再評価する機運にも働きかけ、新南画の隆盛に先鞭を着けるとともに、東洋画の美学的優位を主張することから、最新の表現主義の潮流に棹さしつつも、独自の東洋主義を唱道した。本稿は、こうした関雪の東洋画復権を目指す取り組みを、同時代の思想潮流のなか、とりわけ京都支那学の発展との関係において問い直す。 日露戦争から両大戦間期に至る関雪の画業と旺盛な執筆活動を再検討することから、本稿は中・日・欧の活発な交渉のなかに当時の画壇の一潮流を位置づけ直し、ひとり関雪のみならず、当時の東洋画再興の機運を世界史的な視野で見直すことを目的とする。なお本稿は昨年度、兵庫県立美術館で開催された大規模な回顧展での記念講演会、および昨年暮れのベルリン自由大学およびダーレム博物館での招聘講演に基づくものであることを付記する。
Takada, Akira
本論文では,言語の自然化は可能かという問いの一環として,他者と同じように行為することの社会的意義について考える。私はこれまで,模倣の社会科学と模倣を可能にする認知過程についての研究,いいかえれば,ルーマンらが議論している社会システムと心理システムを媒介する次元としての相互行為システム(e.g. ルーマン 1993; 1995)について論じてきた(高田 2019)。本論文では,ナミビア北中部に暮らすクン・サンにおける乳幼児を含む相互行為(CCIと略す)に着目し,模倣に関わる行為間の関連性について論じる。さらに,こうした相互行為システムにおいて創造的な模倣が可能になる条件を探っていく。私たちが他者と同じように行為することによって,どのように行為の意味を生み出し,理解し,それに応答しているのかを分析していくことは,言語の自然化を経験論的に推進する。それは心と物の二世界物語の脱構築(ライル 1987)をともなうとともに,自然の入念な観察から世界の仕組みを学ぼうとするという自然誌の伝統に沿った学問的アプローチである。
松岡, 資明 MATSUOKA, TADAAKI
世界に大きく遅れていた公文書管理法制が始動したばかりの段階で、逆行する動きが広がる懸念が生じている。2014年12月10日に施行になる特定秘密保護法である。すべての公文書は秘密も含めて、国が目指す方向や理念に基づき、一定の基準のもとに作成、保存・管理、活用されなければならない。そのために、どのようなことが必要なのかを探った。
Miyazato, Atsuko 宮里, 厚子
ミシェル・トゥルニエは1986年に出版した小説の中で、主人公Idrissが北アフリカの砂漠の村を出てパリへ向かう物語を描いている。このなかで著者は現代西洋世界における映像(image)文明の行き過ぎを批判し、若者のイニシエーションが阻害されている現状を取り上げている。また西洋のimage文明のアンチテーゼとしてイスラムのsigne文化に敬意を表し、なかでも特にimageとsigne、西洋文化とイスラム文化の融合を可能にするアラビア文字書道の精神性を高く評価している。\n本稿では、自ら写真を趣味とし、写真や写真家に関するエッセイも多く書いているトゥルニエがなぜ映像文明と距離を置くようになったのか、その理由をエッセイやインタビューなどから探るとともに、彼の考えるimageの危険性とsigneの精神性について考察する。一方、その処女作『フライデーあるいは太平洋の冥界』で文明人ロビンソンの自然回帰のイニシエーションを描いた著者が、その逆の設定である砂漠の少年の西洋文明でのイニシエーションをどのように描いているのかという点にも注目し、イニシエーションという枠のなかで現代西洋世界がどのように位置づけられているのかを作品を通して見ていく。
単, 援朝
本稿は芥川龍之介「湖南の扇」をめぐって、作品の構築における体験と虚構化の働きを検証しつつ、玉蘭の物語を中心に作品の成立と方法を探り、さらに魯迅の「薬」との対比を通じて作品の位相を考えるものである。結論としては、「湖南の扇」は、作品世界の構築に作者の中国旅行の体験や見聞が生かされていつつも、基本的に体験の再構成を含む虚構化の方法による小説にほかならない。作品のモチーフは冒頭の命題というよりクライマックスのシーンにあり、作品世界は「美しい歯にビスケットの一片」という、作者の原光景ともいえる構図を原点に形成され、虚構の「事件」が体験的現実として描かれているところに作品の方法があるが、作品の「出来損なひ」はこの方法に起因するものであるといわざるをえない。そして、魯迅「薬」との対比を通じてみると、「迷信」として批判されるはずの人血饅頭の話をロマンチックな物語、「情熱の女」の神話に作り替えられたところに、芥川のロマンチシズムへの志向と「支那」的生命力に寄せる憧れが見て取れる。
渡辺, 守邦 WATANABE, Morikuni
泉州信田の葛の葉狐の子が、母と生き別れて、天文博士に出世する安倍の童子の物語は、源を『簠簋抄』に発する。この話は、むしろ浄瑠璃、歌舞伎に入って以降おもしろみを倍増するのであるが、本稿は、反対に、この話を育んだ、暦数書の仮名注の世界を俳徊してみようとするものである。本題に入る前に、断っておかなければならないことがある。それは書名の読み。「簠簋」と書いて、〈ホキ〉と読む。『論語』公冶長篇に「瑚璉」の語があって、朱子の注に、宗廟に供える黍稷を盛る器、夏に〈瑚〉、商に〈璉〉、周に〈簠簋〉と称した、とする。本来は祭器である。が、貴重品を運んだり、納めておく器具とも考えられたらしく、次のような言い伝えもある。すなわち、釈迦如来像が百済から海を渡って本朝に運ばれたとき、簠簋に入れられて来た、それゆえ、釈迦をホトケと呼ぶ、ホトケはホキの転である―と。『法華経直談鈔』に載る名義譚。早くも話が中世説話の世界に入ってしまったようだ。
光田, 和伸
芭蕉最初の紀行文である『野ざらし紀行』中の「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」は、猿の声と、秋風の中に泣く捨て子の声との、悲しさの比較であると説かれてきた。しかし一句の文法上の構成から考えて、それは妥当でない。これは両親をともに亡くした自らの境涯に、禅の公案の世界を重ね合わせて、新しい出発を自らに課する句と考えるべきであろう。
村吉, 優子 白尾, 裕志 村上, 呂里 Murayoshi, Yuko Shirao, Hiroshi Murakami, Rori
教職大学院では教科領域の学修の充実が求められている。教科領域での学修が課題解決実習を充実させ,理論と実践の往還を実現する過程を実践者の大学院での取組から明らかにする。実践者が理論及び実践における先行研究を理論的に把握し,実践化するための応用力を駆使して,子どもの豊かな読みの世界につながる子どもの認識と表現を実践的に示した。
落合, 博志 神作, 研一 恋田, 知子 金子, 馨 OCHIAI, Hiroshi KANSAKU, Ken'ichi KOIDA, Tomoko KANEKO, Kaoru
国文学研究資料館では、上代から近代(明治時代初期)までの文学を書物(古典籍)によってたどる、通常展示「書物で見る日本古典文学史」を毎年開催しています。本冊子はその展示の概要を収録したもので、教科書でなじみの深い作品を中心に据えて、文学史の流れを示しました。ささやかながら、日本古典文学の豊かな世界への手引きとなることを願っています。
齋藤, 真麻理 SAITO, Maori
西尾市岩瀬文庫に所蔵される御伽草子『岩竹』については、酒呑童子や土蜘蛛など、先行の武勇伝をはじめ、『塵滴問答』との密接な関連が指摘されている。従来、これら以外に類似する説話は報告されていないが、『岩竹』と酷似する怪異謹が那須地方に語り伝えられている。本稿では、この新たな岩竹説話の存在を指摘するとともに、両者の成立した背景と物語世界について考察する。
原, 秀成
本稿では一九二〇年代からのデモクラシーを求める活動から、第二次世界大戦後へのいくつかの系譜をたどった。 第一に、吉野作造から尾佐竹猛を介して、鈴木安蔵に至る憲法制定史研究の系譜を明らかにした。明治文化研究会では、広い視点から憲法制定史がとらえられ、資料収集が重視された。この方法と課題は、鈴木安蔵の研究へと受けつがれた。吉野の示唆により鈴木は、ドイツの君主主義的な憲法理論が、一八八九年大日本帝国憲法制定において継受されたことを具体的に解きあかした。戦時中の鈴木安蔵の憲法制定史研究は、民定憲法案作成の準備期間であったとさえいえる。この明治文化研究会や、憲法史研究会から、戦後の憲法研究会へのつながりがあった。 第二に、一九二〇年森戸事件を契機とする人の輪や、戦後の総合雑誌『新生』を舞台とした文化人たちとのつながりが、憲法研究会に生かされた。こうした場で出された意見が、鈴木安蔵によって法の言葉に「翻訳」されたといえる。このような第二次世界大戦後の憲法研究会に結集していった人脈の形成は、戦前からの総合雑誌での活動の蓄積なしにはできないものであった。こうした意味において、一九二〇年代からの活動は日本国憲法に生かされたといえる。 第三に、他方でこうした憲法研究会案が、現行の日本国憲法に十分に生かされたとはいえないことをも指摘できる。実現されなかった自由やデモクラシーの規定を、回復することも課題として浮上する。さらに一九四六年日本国憲法は、一九四八年世界人権宣言より制定が早かったため、人権規定が不十分だともいえる。日本国憲法の内容に限界があることにつき、言及を回避ばかりしてもいられないと考えられる。それだからこそ、これまで日本に蓄積されてきた「デモクラシー」の思想と活動の系譜をほりおこしておくことは、非常に重要だと考えられるのである。
廣田, 龍平
本稿は、キツネをめぐる世間話を題材として、アニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を参照することにより、日本におけるヒトと動物の関係性の根底にある諸存在論を明らかにすることを目的とする。キツネが人間に変身したり(「化ける」)、ヒトの知覚を操作したりする(「化かす」)妖狐譚は、日本における非西洋近代的な存在論を明らかにするにあたって重要な資料になると考えられる。しかしこれまでは、ほとんど総合的な議論がなされてこなかった。それに対して本稿では、「変身」概念を中核に据えるアニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を採用することにより、それらの理論が依拠する北アジア・南北アメリカの狩猟アニミズム世界とキツネの妖力を構造的に比較できることを示す。アニミズムにおいては、ヒトも動物も同じような霊魂を持ち、同じような文化を持つが、身体が異なる。そのため身体を変えることにより、ヒトが動物に、動物がヒトに変身することが可能になる。またパースペクティヴィズムは、身体に由来する観点の差異化により、種によって知覚される世界が異なってくることを前提とする。これらの枠組みを採用することにより、妖狐譚がうまく理解できるようになる。 本稿の中心的関心は、妖狐譚に見られるヒトと動物の関係性が、狩猟アニミズムと比較すると、構造的に反転しているという点である。狩猟アニミズムにおいてはヒトが「衣服」を身に着けて動物に変身するのに対し、妖狐譚においてはキツネが髑髏や藻などを身に着けて人間に変身する。また、狩猟アニミズムにおいてはヒトのシャーマンや精霊が、それぞれ動物や通常のヒトの観点を操作するのに対して、妖狐譚においては、キツネがヒトの観点を操作する。こうしたことから、日本のキツネは狩猟アニミズム世界におけるヒトのシャーマンや狩人の対称的反転であり、それが日本的な存在論の特徴であることが結論付けられる。
杉井, 健
熊本県地域における弥生時代後期から古墳時代前期の集落動向,および古墳時代前期の有力首長墓(前方後円墳)築造動向を検討した結果,弥生時代後期にきわめて優位な地域であった菊池川中流域などには有力な前期古墳は築造されず,一方,相対的に劣位であった宇土半島基部地域にきわめて有力な前期の首長墓系譜が形成されたことが明確となった。河川や平地部のありかたをみれば,宇土半島基部地域に比べて菊池川中流域は水田稲作をはじめとする農耕の生産力が圧倒的に高いと考えられるが,そうした生産性の高さが古墳時代前期における古墳の築造や集落の維持には直結していない。すなわち,少なくとも熊本県地域では,弥生時代後期の拠点的大規模集落の領有圏がそのまま古墳時代前期の有力首長墓築造の基盤にはなっていないのである。宇土半島基部地域は,甕棺や武器形青銅器などといった北部九州地域を特徴づけるさまざまな弥生文化要素の分布南限域である。近畿地方中央部にあった中央政権は,古墳にさまざまな階層的要素をもちこみ,それによって生み出された秩序にもとづいてみずからの中心的立場を確立していくが,その地理的射程は,前方後円墳分布域を根拠にすれば,弥生時代に水田稲作が主要な生業として定着した範囲であったと考えられる。その場合,北部九州地域の主要な弥生文化がおよぶ南端域であった宇土半島基部地域は,中央政権側からみた内なる世界の最前線の位置にあたる。すなわち,外なる世界に対する内なる世界の共同性を象徴する場所としてとくに重視されたからこそ,宇土半島基部地域に大規模な前方後円墳がいちはやく築造されたと推測した。このように従来の経済基盤を越えたところに前方後円墳の築造がなされる場合があることは,古墳が相当の政治性を帯びた存在であることを如実に示している。
蓑島, 栄紀
最近,知床半島における神功開宝の出土,根室半島での秋田産須恵器の出土などの新たな知見により,8~9世紀の本州・国家と北海道との交流の様相が改めて脚光を浴び,そのなかで出羽国・秋田城の果たした役割も問いなおされている。7世紀後半に発端する倭・日本の日本海ルート重視の北方政策は,北海道と本州北部との交流の変遷にも影響を及ぼした。8世紀には,続縄文文化期以来の在地的な交流を基盤とする太平洋側ルートが存続したが,秋田城における朝貢・饗給の定例化に伴い,9世紀初頭までに日本海ルートが卓越し,北海道と本州北部との交流は秋田城交易に収斂される。秋田城の構造や,横走沈線文土器,須恵器の出土状況などもこうした想定を裏付ける。その一方で,9世紀の秋田城交易は,王臣家・国司や富豪層らの独自の経済活動を内在し,より多様化する兆候をみせていた。9世紀初頭の改修に伴う秋田城の構造変化は,同時期における朝貢・饗給の質的変化と連動していた可能性がある。秋田城が北方世界の「交易港」として機能した8世紀中葉~9世紀の期間,これに寄生・便乗しつつ生まれた経済的・社会的な諸関係は,秋田城交易の内実を変質させ,9世紀末~10世紀に進展する次代の北方交易体制を準備した。9世紀の秋田城交易には,同時代に東アジア海域の国際交易に乗り出していた新羅・唐の海商が関心を寄せていた形跡もある。承和期に北部九州で新羅人張保皐との国際交易をおこなった文室宮田麻呂は,奥羽社会に深い関係をもつ文室大原や綿麻呂らと近親であり,近江を拠点に北方世界との交易に関与していた蓋然性がある。文室氏のような王臣家の活動を介して,古代の秋田城とその周辺は,北方世界と東アジア海域の国際交易をつなぐ接点としての側面をみせることがあったのである。
塩月, 亮子 Shiotsuki, Ryoko
本稿では,従来の静態的社会人類学とは異なる,動態的な観点から災因論を研究することが重要であるという立場から,沖縄における災因論の歴史的変遷を明らかにすることを試みた。その結果,沖縄においてユタ(シャーマン)の唱える災因は,近年,生霊や死霊から祖先霊へと次第に変化・収束していることが明らかとなった。その要因のひとつには,近代的「個(自己)」の確立との関連性があげられる。すなわち,災因は,死霊や生霊という自己とは関係のない外在的要因から,徐々に自己と関連する内在的要因に集約されていきつつあるのである。それは,いわゆる「新・新宗教」が,病気や不幸の原因を自己の責任に還元することと類似しており,沖縄だけに限られないグローバルな動きとみなすことができる。だが,完全に自己の行為に災因を還元するのではなく,自分とは繋がってはいるが,やはり先祖という他者の知らせ(あるいは崇り)のせいとする災因論が人々の支持を得るのは,人々がかつての琉球王朝時代における士族のイデオロギーを取り入れ,シジ(系譜)の正統性を自らのアイデンティティの拠り所として探求し始めたことと関連する。このような「系譜によるアイデンティティ確立」への指向性は,例えば女性が始祖であるなど,系譜が士族のイデオロギーに反していていれば不幸になるという観念を生じさせることとなった。以上のことを踏まえ,災因論の変化を担うユタが,今も昔も変わらず人々の支持を集めていることの理由を考察した結果,死霊にせよ祖先霊にせよ,ユタはいつの時代にも人々に死の領域を含む幅広い宗教的世界観を提示してきたのであり,そのような世界観は,絶えずグショー(後生)という死後の世界を意識し,祖先崇拝を熱心におこなうといった,「生と死の連続性」をもつ沖縄文化と親和性をもつものであるからという結論に達した。
山下, 有美 Yamashita, Yumi
正倉院文書研究の新しい潮流は,1983年開始の東大の皆川完一ゼミ,それを継承した88年開始の大阪市大の栄原永遠男ゼミ,この2つの大学ゼミの形で始まった。その手法は,正倉院文書の現状を,穂井田忠友以来の「整理」によってできた「断簡」ととらえ,その接続関係を確認・推測して,奈良時代の東大寺写経所にあった時の姿に復原する作業を不可欠とする。その作業によって,正倉院文書は各写経事業ごとの群と,複数の写経事業をまたがる「長大帳簿」に大きく整理されていった。よって,個別写経事業研究は写経所文書の基礎的研究として進められ,その成果は大阪市大の正倉院文書データベースとして結実した。一方,写経事業研究を通して,帳簿論や写経所の内部構造,布施支給方法,そして写経生の生活実態といった多様なテーマに挑んだ研究が次々と発表された。これらの新たに「発見」されたテーマと同時並行的に,古くからの正倉院文書研究を引き継ぐ研究も深化し,写経機構の変遷,東大寺・石山寺・法華寺の造営,写経所の財政,写経生や下級官人の実態,表裏関係からみた写経所文書の伝来,正倉院文書の「整理」などの研究もさかんになった。さらに,古代古文書学に正倉院文書の視点を組み込んだ試みや,仏教史の視点から写経所文書を分析した研究も成果をあげてきた。2000年ごろから,他の学問分野が正倉院文書に注目し,研究環境の整備とともに,特に国語・国文学で研究が進められた。ほかにも考古学,美術史,建築学等の研究者も注目しはじめ,学際的な共同研究が進展しつつある。いまや海外からも注目をあびる正倉院文書は人類の文化遺産であり,今後も多彩な研究成果が大いに期待される。
McNally, Mark T. マクナリー, マーク
尚泰久王統治下の琉球王国において、万国津梁の鐘は、王の統治の正当性を主張する重要な機能を持っていた。王は王国の持つ富と権力を誇る内容の碑文を鐘に刻ませたが、その碑文を政治的に有効にし、その有効性をその後も継続させたのは、今日アメリカ研究の分野において例外主義(exceptionalism)と呼ばれている形態にあった。近世の琉球人が、朝貢国である中国を自分の国よりも優れていると認識していたことは、東アジアにおける中国の優位性の上に成立していた朝貢貿易というしくみが、琉球王国にとって特に重要であり、例外主義として機能しているという点で、歴史的重要性をもつ。中国、アメリカ合衆国、そして日本の事例において、歴史家はしばしば政治的・文化的優位性を表明する言説がいかに例外主義として機能するかを分析しようとするが、琉球王国の事例における例外主義には、そうした優位性の主張が見られない。琉球王国の例外主義は十九世紀のアメリカと同じように、世界主義(cosmopolitanism)を支持する例外主義であり、世界史的な観点からも意義深いと言える。
山口, 勇馬 神園, 幸郎 Yamaguchi, Yuma Kamizono, Sachiro
本研究は小学校における生活場面で自閉症児が示すさまざまな特異な行動や学習の形態を相貌的知覚や「生き生き感」などの原初的知覚様態といった枠組みで記述することを目的とした。筆者は対象児が在籍する学校の支援員として、本児へのさまざまな支援活動を通して上記の目的を検討した。その結果、自閉症児の対象認識においては、原初的知覚が色濃く作用した特有な表象が形成され、これらの表象世界が自閉症児の行動や学習の形態を特徴づけていることが明らかになった。支援活動は、ひとえに支援者による対象児の行動の間主観的理解に依存する。筆者が対象児の内的世界を捉えられるようになり、それに沿った会話や声かけができるようになると、支援活動が充実した展開を見せた。支援者が子どもの感情・情緒や意図などの内的状態を覚知できるようになり、それを対象児と共有することができるようになることが、支援活動を展開する上できわめて重要である。こうした自閉症児の理解にとって、原初的知覚による理解の枠組みが1つの有効な支援の切り口であることが示唆された。
葦原, 恭子
琉球大学では,1998年から2021年にかけて世界42カ国・128の協定大学から1,204名の留学生を受け入れてきた。この間に,留学生の受け皿は,留学生センターからグローバル教育支援機構の国際教育センターに移行した。2019年度には,交換留学生69名が来沖し,2020年度には交換留学志願者が80名以上と過去最高となった。しかし,その後,2019年末から全世界に広がったコロナ禍の影響が顕著となったことにより,留学志願を取り消し・延期する志願者が相次ぎ,2021年度前学期には,実際に登録した交換留学生数は37名に減少した。さらに 2020年度および2021年度には,対面授業からオンライン授業に切り替えることを余儀なくされた。本稿は,コロナ禍において,オンライン授業として実施された, 留学生対象の日本語科目の一つである「アカデミック日本語C1S」という授業を取り上げ,実践報告するものである。当該授業後に実施されたアンケート調査においては,受講生から日本語学習に対する積極的かつ肯定的なコメントが得られた。このことから,オンライン授業であったとはいえ,当該授業を実施したことには意義があったことが明らかとなった。
徳島, 武 Tokushima, Takeshi
貿易赤字国より貿易黒字国に対して求められる、貿易不均衡是正のための内器拡大策は、黒字国の輸出最を減少させ、輸入姑を増加させるので、政治目的は達成されると言えるが、経済厚生の観点からは、世界価格に影牌力のない小国ほど、悪影饗が無いと言えるだろう。また、大国のケースでは、貿易黒字国の内需拡大策は、赤字国よりも黒字国に、より多くの経済厚生の改善をもたらす。
上垣外, 憲一
仏教が支配的思想であった平安時代、仏典のレトリックは和歌の表現に大きな影響を与えた。しかしその影響には相当の摩擦が伴っていた。和歌文学は『古今集』以来、春、夏、秋、冬の四季の部立をその中心にすえて四季の移ろう美しさの表現にもっとも重点をおいてきた。 ところが、平安中期以後、もっとも大きな影響力をもった仏典、『法華経』と『往生要集』に現れる仏教にとっての理想世界、仏国土および浄土は、きらびやかな金銀宝石に飾られ、いつも適度に暖かく、毎日花が降りしきるという常春の世界である。『往生要集』では、四季の変化は老、病と同じくこの世の苦しみの一つである。また『法華経』では、その仏国土には山、川、谷など地形の変化が全くなく、平坦な土地に華麗な仏閣が立ち並ぶ都会的なイメージとしてその理想郷は現れる。 このような仏典の都会的、あるいは反自然的な仏国土観、浄土観は当然、和歌の伝統的な表現法、美意識と対立する。 一〇世紀の選子内親王の『発心和歌集』の漢文序には、仏典と和歌のレトリックの相違が、天竺、漢、日本の言葉の性質の違いがありそれが和歌に仏教的な表現を取り込むための障害となっていることが明確に述べられている。 このような対立は一一世紀、一二世紀を通じてさまざまな試みによって融和が試みられた。それは本来は否定されるべき物、つらい物である四季の景物、移ろいがつらさ、悲しさの奥になつかしさを秘めているという形の屈折した自然観の表現として次第に和歌の世界の中に定着していく。一二世紀末の藤原俊成の『長秋詠藻』の釈教歌の表現法にその試みは典型的に現れている。「もののあはれ」とはこうした否定を通り越した自然の肯定、秋になり草木が枯れることは、病や死のように嘆くべきことだが、まさにそれ故にしみじみと嘆賞すべき景物であるという点にあると考えられる。
春成, 秀爾 Harunari, Hideji
3~6世紀の古墳に立てた埴輪のうち,4~6世紀のとくに円筒埴輪に,数は少ないけれども絵を描いた例がある。鹿と船がもっとも多く,鹿狩りをあらわした絵もある。それ以外の絵はとるにたらないほどであるけれども,そのほかに記号風の表現がある。鹿と船の絵は弥生時代,前1世紀の土器にしばしば描かれた。しかし,それらは1~2世紀になると記号化し,3世紀になると消滅していた。弥生土器と埴輪の画風とはよく似ている。それは,どちらも原始絵画に共通する多視点画・イメージ画だからである。弥生土器が農耕の祭りに使ったのに対して,埴輪は亡くなった首長など支配者の墓に立てるものである。鹿狩りの絵は弥生土器が神話のなかの狩人を描いているのに対して,埴輪のばあいは被葬者の首長を描いているのであろう。西日本の弥生遺跡から鹿の骨が発掘されることは少ない。稲作を始めた弥生時代には,鹿を土地の精霊とみなし,狩ることを制限していたのであろう。それに対して,埴輪の絵から推定すれば,古墳時代になると,首長だけは鹿を狩る資格をもっており,土地の主を殺すことは,その土地を奪うことを象徴的にあらわしていた,と考える。その一方,奈良県東殿塚古墳(4世紀)の埴輪に描いてある絵の船は,舳先に鶏がとまって水先案内役をつとめている。鶏は朝を告げる神聖な鳥である。被葬者を日つまり生の世界に導くために船にのせているのだとすれば,この時期には被葬者の再生を願う観念があったのかもしれない。九州の6世紀の古墳壁画には,太陽の照る日の世界から,月がでている夜の世界に向かって被葬者をのせた船が航行していく様子を描いている。近畿と九州,4,5世紀と6世紀とのあいだには,違う死生観が存在していたのであろう。
井波, 律子
幸田露伴は一八六七年(慶応三年)、幕臣の家に生まれた。このため、明治維新を境に生家は没落、露伴は中学を中退して漢学塾に通った。この後、電信修技学校に入り、一八八五年(明治十八年)、電信技師として北海道の余市に赴任したが、二年足らずで東京にもどり、まもなく「露団々」で文壇にデビュー、職業作家となる。これを機に、放浪癖のある露伴は、原稿料が入ると旅に出かけるようになる。一種の異界志向が露伴を旅に駆り立て、その旅が次々に作品を生んだといえよう。 一八八九年(明治二十二年)の「風流仏」「対髑髏」から、「一口剣」「艶魔伝」を経て、一八九一年(明治二十四年)の「いさなとり」まで、露伴の初期作品群の鍵となるイメージは、「裏切る女」である。執拗に裏切る女を描きつづけた露伴は、「いさなとり」で、とうとう裏切る女を殺害する惨劇を描ききった。これ以後、露伴の作品の世界に、裏切る女はめったに登場しなくなる。その意味で、「いさなとり」は露伴の文学にエポックを劃する重要な作品にほかならない。 本稿は、以上、旅のなかから生まれた露伴初期の作品世界の様相を、裏切る女のイメージを軸として、探ったものである。
平沢, 竜介 HIRASAWA, Ryusuke
土佐日記は、地名記述の誤りや書き手の混乱があり、また主題と目されるものがいくつか指摘しうるというように、きわめてまとまりが悪く、いい加減に書かれた印象を与える作品である。が、その作者である貫之が当代一流の文章家であり、かつこの日記が読者を意識して書かれていると思われることからすると、こうした作品の出来の悪さは不審に思われる。土佐日記が執筆された当時の貴族社会においては儒教的な文芸観が支配的であったと考えられるが、こうした文芸観は律令官人たる男性が私的な世界を専らに表現することを許さなかった。とすれば、土佐日記における右のような不統一や混乱は、私的な世界を世間の非難をうけずに表現するための偽装であり、貫之はこうした偽装のもとにおいて、彼の本当に表現したいものを表現したのではなかったか。貫之は土佐守在任中に和歌の道の庇護者であり、また彼自身の庇護者でもあるといった人々を次々に失うが、土佐日記とはまさにそうした人々を失った悲しみを中心とした土佐から京への旅の様々な体験を、当時の社会的制約の中で表現しようと試みたものであったのではないだろうか。
趙, 廷寧 孫, 保平 宜保, 清一 王, 暁慧 周, 金星 Zhao, Tingning Sun, Baoping Gibo, Seiichi Wang, Xiaohui Zhou, Jinxing
黄土高原は, 黄河の中流域に位置し, 総面積が中国陸地面積の6.63%を占め, 世界で最も土砂流出の激しい地域である。頻発する土壌侵食, 地すべり, 土石流などの土砂災害は, 黄土地域の社会的経済的発展の障害となっている。本研究では, 黄土地すべりの主要類型とその分布特性, および黄土地すべりの地形・比高などの地すべり発生要因を明確にした。さらに, 黄土地すべりの防止が黄土区域の社会・経済発展のキーになることを指摘した。
本橋, 裕美
皇女の婚姻が否定される例として、斎王経験者である場合が挙げられる。後朱雀天皇皇女・娟子内親王の場合は、斎院経験者であることが婚姻を「密通」として捉えられる原因となった。そして、この密通を歴史物語が語る際には、『伊勢物語』が用いられる。『栄花物語』の引用による叙述方法を引き継いだ『今鏡』の方法を中心に、『伊勢物語』の世界と重ねられる皇女の密通について論じた。
角田, 太作 TSUNODA, Tasaku
日本語には,前半が動詞述語文などと同じであり,後半が名詞述語文と同じである文がある。まるで人魚のような文であるので,これらの文を人魚構文と名付けた。名詞の中には,人魚構文で使う場合に文法的な意味・働きを持つもの,即ち,文法化しているものがある。人魚構文は世界的に見ても珍しいようだ。日本語以外には,アジアの七つの言語とアフリカの一つの言語にしか見つかっていない。
小林, 健二 KOBAYASHI, Kenji
劇中に登場する独武者の素性を解明する作業を通して、能《大江山》が酒呑童子諸本の中でも香取本「大江山絵詞」に拠って作られていることを確認し、その独武者が能《土蜘蛛》にも登場することから、能の世界で頼光物として連作されたことを考証した。さらに、「大江山絵訶」絵巻は室町将軍のもとで作成され、その周辺に伺候していた観世座の者によって《大江山》が作劇された可能性について考察した。
渡部, 宏樹
『刀剣乱舞』(二〇一五年―)は現代日本において人気を誇るメディア・フランチャイズであるが、恋闕(れんけつ)という感情の形式や審神者(さにわ)といった意匠を用いている点で世界設定が一九六〇年代の三島由紀夫の作品群の影響下にある。本稿は、映画研究におけるローラ・マルヴィの「男性のまなざし(male gaze)」論を一般化して援用し、さまざまなメディア上で発表された『刀剣乱舞』ならびに三島作品群を比較検討するものである。 『刀剣乱舞』は女性が男性身体を対象化する「女性のまなざし」を持っているが、マルヴィの理論と異なり作品世界内で観客が同一化する人格的表象が最小限に設定されている。一方、三島の小説「英霊の聲」と小説ならびに映画「憂国」をまなざしという観点で検討すると、性的対象化の機構であるまなざしよりも、そのまなざしへのまなざし返しが重視されていることがわかる。三島の評論「文化防衛論」における「文化概念としての天皇」を補助線として利用することで、天皇との君臣合一という三島の美的理想にとっては、天皇という超越的な存在によってまなざし返されることが必要である。この理想は「英霊の聲」においては盲目の川崎青年がまなざし返すことができない否定形として、「憂国」においては天皇を代理し武山をまなざす麗子とのエロース的合一として表現されている。特に映画「憂国」に注目すると、『刀剣乱舞』同様、作品世界へ没入するための同一化の対象となるアヴァターの表象が最小化されていることがわかり、従って『刀剣乱舞』は三島作品から意匠を借りているというだけではなく、快楽の契機としての受動性を共有していると言える。 しかし、これは両者が同じ方向性を持っていることを意味しない。三島作品が現実の天皇制と向き合って彼の理想の不可能性を理解していたのに対して、『刀剣乱舞』は資本主義社会における商品として、死を永遠に先延ばしにした無時間的な空間の中での至福をプレイヤーの数だけ生産するメカニズムとして機能している。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dallowayでは意識の流れ、あるいはそれに関与する主体の集合体が途切れることなくnarrativeの世界で時間的境界線を超越して存在することにより物語に命を与えていると考えられる。この論文では常に変遷を遂げるSelfがいかにnarrativeに現れる様々な人物、あるいは逐次変化し続けるSelfを取り巻く物理的事象に刺激されつつ意識の流れ、そしてその方向性を決定し、narrativeの展開に貢献していくかというプロセスを、narrativeの中心に表れる人物の視点を通して考察していく。
山田, 浩世
近世琉球・奄美において発生した災害は、その多くが個別の事件として把握され、各島々でどのような災害が起こり、総体としてどのような対処がとられてきたのかについては十分に把握されてこなかった。また、琉球・奄美の島々で起った災害は、同時期の日本や世界的規模で発生していた災害とどのような関係性をもっていたのかという点についても十分に論じられているとは言いがたい状況に置かれてきた。1780年代及び1830年代において日本では、天明の大飢饉及び天保の大飢饉が発生し、大規模な飢饉が起っていた。飢饉の発生の要因には、冷夏や風水害などさまざまな要因が示されてきたが、琉球・奄美の島々ではどのような災害が発生していたのであろうか。本稿では、伝存する諸史料の記載によりながら、島々でどのような災害が発生していたのか、またその関連性について検討を加えた。琉球・奄美の島々の歴史の中で個別の災害として捉えられてきた現象が、実は広く世界的規模で展開していた気候変動の影響を受けたものであり、人々と社会は大きな転換を災害との関係の中で迫られていたことを本稿では検討した。
瀨底, 正栄 Sesoko, Masae
発達障害のある子どもは、幼い時期から集団適応に問題を示すことが多い、仲間からの受容の低さや否定は、子ども時代の問題に限らず、子どもたちのその後の適応困難や、学校や社会からのドロップアウト、孤独感などに結びついていることが指摘されている。人との関わりから生じる彼らのトラブルの要因を一方的に発達障害児だけの問題と捉えがちになることもあるが、一方で原因をどのように理解するかによっても対応の仕方がわってくる。つまり、彼らと関わりをもつ他者の側の関わり方を工夫することにより彼らの行動が変わるという観点を持つことは大切である。そこで、本研究では発達支援教育実践センターにおける、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援の事例をもとにどのような変容が見られたかを検討することを行った。本事例も当初、適応スキル獲得からの支援であったが、個別支援を重ねることで、重要な他者との安定的な関係構築の必要性と、本児が受容されることに対する期待によって、心理的安全基地へと変化していく。このことから、発達障害児に対する関係性を重視した個別支援は、心理的安全基地の形成と共に彼らの関係性の世界や意味世界を広げることができるものであると示唆された。
娜仁格日勒
モンゴル人はどのような近代化を経験してきたのだろうか。辛亥革命をきっかけにモンゴルは独立を宣言し,艱難辛苦を伴いながらも今日まで存続してきた。20 世紀のモンゴルにとって最大の課題は,中国・ソ連両大国の狭間でいかに自治国家として生き残るかということであった。モンゴルの地理的位置は,とりわけ,第二次世界大戦後の冷戦と,1960 年代から顕著になる中ソ対立という,いわば「二重の冷戦」とも言える時期に,近代国家建設に非常に大きな影響を及ぼした。 中国とソ連の軍事対立を受けて,モンゴルは,ソ連にとって対中国の戦略的要衝となった。第二次世界大戦後,大幅な軍縮を行ったモンゴルでは,ソ連からの援助の下で1964 年から軍拡を本格的に開始したが,軍隊の急増に伴い,様々な問題が生じた。基層部隊内部で発生した問題の詳細は従来の公式文献には現れるはずもない。本稿ではこの「二重の冷戦」期におけるモンゴルの軍隊生活を経験した退役軍人を取材し,彼らの証言に基づき,基層部隊の兵士の生活実態を描き,当時のモンゴル軍隊の実像に迫りたい。国際関係が一般兵士にどのような影響を与えていたかが具体的に把握されることによって,これまで等閑視されていた近代化過程が一層明らかになるだろう。
中西, 進
この論文は、『源氏物語』が『白氏文集』をどのように引用するかを考察したものである。 一 「夕霧」に引用された「李夫人」は、愛の因縁に対して好色を戒めたものであった。 二 「総角」に引用された「李夫人」は、愛の因縁が生死をこえることを言うためのものであった。 三 「宿木」に引用された「李夫人」は、形代としての浮舟の登場を確実なものとすることに用いられた。 四 「東屋」に引用された「李夫人」は、李夫人の反魂や絵による再現を、形代願望と同様だと考えたものである。 五 「蜻蛉」に引用された「李夫人」は、反魂の思想を「うつし」に応用したものである。 以上、「李夫人」の引用は、この詩がテーマとする愛の不可避を、作者周辺の愛の因縁や形代に重ねたものであった。 六 「手習」に引用された「陵園妾」は、女主人公のこもる世界を死に近い世界として設定するためのものであった。 七 「若菜上」に引用された「井底引銀瓶」は、やがて悲劇的な局面を迎える女主人公に、伏線としての危惧を暗示するものであった。 八 「手習」に引用された「古塚狐」は、恋愛への戒をもって『源氏物語』の末尾をしめくくろうとしたものである。
鈴木, 正崇 Suzuki, Masataka
長野県飯田市の遠山霜月祭を事例として、湯立神楽の意味と機能、変容と展開について考察を加え、コスモロジーの動態を明らかにした。湯立神楽は密教・陰陽道・修験道の影響を受けて、修験や巫覡を担い手として、神仏への祈願から死者供養、祖先祭祀を含む地元の祭と習合して定着する歴史的経緯を辿った。五大尊の修法には、湯釜を護摩壇に見立てたり、火と水を統御する禰宜が不動明王と一体になるなど、修験道儀礼や民間の禁忌意識の影響がある。また、大地や土を重視し竈に宿る土公神を祀り、「山」をコスモロジーの中核に据え、死霊供養を保持しつつ、「法」概念を読み替えるなど地域的特色がある。その特徴は、年中行事と通過儀礼と共に、個人の立願や共同体の危機に対応する臨時の危機儀礼を兼ねることである。中核には湯への信仰があり、神意の兆候を様々に読み取り、湯に託して生命力を更新し蘇りを願う。火を介して水をたぎらす湯立は、人間の自然への過剰な働きかけであり、世界に亀裂を入れて、人間と自然の狭間に生じる動態的な現象を読み解く儀礼で、湯の動き、湯の気配、湯の音や匂いに多様な意味を籠めて、独自の世界を幻視した。そこには「信頼」に満ちた人々と神霊と自然の微妙な均衡と動態があった。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dalloway の世界はその意識の流れに包まれ常に変化を遂げる潜在的可能性とそのさまざまな局面を構成する表層化した要素に特徴づけられた potential dispersive energy に(意味的レベルにおいて)常に左右されているといっても過言ではない。この論文ではその potential energy がいかに意識下で具体化し外的要因と反応しつつそれぞれの登場人物を定義し、意識下の潜在的意味を決定づけていくかという過程を具体的なエピソード、そして一連の登場人物の内的・物理的 peregrination を通して考察していく。
パルデシ, プラシャント 今村, 泰也 PARDESHI, Prashant IMAMURA, Yasunari
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つが「他動性」である。基幹型プロジェクト「述語構造の意味範疇の普遍性と多様性」では,意味的他動性が,(i)出来事の認識,(ii)その言語表現,(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映するかを解明することを目標に掲げ,日本語と世界諸言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指し,2009年10月から共同研究を進めてきた。さらに,日本語研究の成果を日本語教育に還元する目的で,基本動詞の統語的・意味的な特徴を詳細に記述するハンドブックを作成し,インターネット上で公開することを目指して研究・開発を進めてきた。本稿ではプロジェクトで企画・実施した共同研究の理論的および応用的な成果を概観した。理論的な成果としては,(1)地理類型論的なデータベースである「使役交替言語地図」(WATP),(2)日本語と世界諸言語の対照言語学的・類型論的な研究をまとめた論文集『有対動詞の通言語的研究:日本語と諸言語の対照研究から見えてくるもの』を紹介した。応用的な成果としては日本語教育に役立つ「基本動詞ハンドブック」の見出し執筆の方法とハンドブックのコンテンツについて紹介した。
新藤, 協三 SINDO, Kyozo
藤原公任編纂『三十六人撰』に端を発する「三十六人歌合」は、単に和歌文学史上にのみ享受されるばかりでなく、絵巻など絵画の分野に素材を供給し、また、書道の世界でも手本として受容されるなど、幅広い領域に伝播する。本稿では、特に入木道(書道)の分野に於いて、三十六人歌合が如何に受容、享受されるのか、管見した諸資料に基づいて、可能な限り具体的にその跡づけを行い、併せて、該書が入木道に受容されることの意味をも考えてみたい。
角田, 太作 TSUNODA, Tasaku
副詞節と主節の結びつきには制限がある。その意味的及び語用論的な性質によって,結びつきが可能であったり,不可能であったりする。副詞節と主節の結びつきの関係は,五つの種類に分けることができる。これを「節連接の五段階」と呼ぶ。本共同研究プロジェクトでは,日本語における節連接の五段階に関する研究成果をもとに,主に原因・理由,条件,逆接の3種類の副詞節について,世界各地の約30の言語における,副詞節と主節の結びつきを研究している。
Kurafuji, Takeo 蔵藤, 健雄
認識的に解釈される法助動詞の意味分析として、しばしば(1)のような蓋然性のスケールが用いられる。\n(1)must>will>would>ought to>should>can>may>might>could\nこれによると、mustを含む文が話者の命題に対する確信度が最も高く、続いてwill,would,...となりcouldがもっとも可能性が低いということになる。must(p)がmight(p)より高い蓋然性を表すことは、例えば、前者が後者を含意することから分る。しかし、must(p)がshould(p)より確信度が高いという分析には納得できる程の根拠はない。\n本稿では、Kratzer 1981,1991で示された形式的分析を用いて、特に、mustとshouldの違いと日本語の「にちがいない」と「はずだ」の違いに焦点を当て議論する。Kratzerのアプローチでは、法助動詞を含む文‘modal(p)’の真偽は、様相根拠(modal base)と順序源(ordering source)の2つの基準によって制限された可能世界におけるpの真偽で決定される。must,will would,ought to,shouldを含む文は、関連する可能世界すべてにおいて命題pが真である場合、真となり、can,may,might,couldを含む文は、関連するすべての可能世界のうち、ひとつでもpが真となれば、真であると評価される。ここで問題にしているモーダル表現はすべて認識的なものであるので、それらは認識的様相根拠に基づいて解釈される。従って、mustとshouldの違いは順序源の違いであるということになる。本稿では、前者は特に順序源に関して制限を持たないが、後者は、stereotypicalな順序源(「出来事の通常の起こり方に基づけば」という意味の前提)でのみ評価されると主頚する。この違いにより、一見、must>shouldのような印象を受けてしまうのであると考えられる。また、日本語の「はずだ」はshould同様、stereotypicalな順序源で評価されるが、「にちがいない」はdoxasticな順序源(「話者が思っていることに基づけば」という意味の前提)に基づいて評価されることを示す。これにより、「にちがいない」と「はずだ」の分布の違いが理論的に説明される。
春成, 秀爾 Harunari, Hideji
縄文・弥生土器の編年体系は,世界の先史土器の中でもっとも細密なものである。その基礎をつくった一人である山内清男は,層位学と型式学を駆使して縄文土器の編年に取り組み,1937年に,縄文土器型式を細別すると同時に,早期・前期・中期・後期・晩期に大別した。各時期は,関東・東北地方では平均5土器型式から成っていた。以来,縄文土器の編年作業は,縄文文化研究の主流となり,各地でおびただしい土器型式が設定され,関東・東北地方では各時期が10型式近くに細別された。縄文土器の起源はさらに古くさかのぼり,しかも未知の土器型式が早期の初めの部分にいくつも存在することが明らかになってきたので,1962年に山内は早期の前に草創期を設定した。縄文土器の編年に絶対年代をあてる作業は,炭素14(¹⁴C)による年代測定によって1951年に始まった。炭素14年代の役割は,細別・大別した編年に実年代を与えること,日本列島内での異なる文化同士や,日本と直接的に結びつかない世界各地の文化とを比べるさいの目安を得るところに向けられた。その結果,縄文土器文化以前の「無土器文化」がヨーロッパの旧石器時代文化と年代的にほぼ併行すること,縄文土器の起源は10000年前ごろまでさかのぼることを明らかにするなど,大きな役割を果たした。最近始まった加速器質量分析(AMS)法による炭素14年代測定は,精度において飛躍的な進歩をとげている。AMS法は放射性炭素のイオンの数を1個1個数える直接的な測定方法である。測定誤差は±20~±30年であって,その精度の高さは,神奈川県箱根埋没スギや青森県三内丸山遺跡で実証されている。いま,考古学上の大きな問題を解決するために炭素14年代を積極的に導入する段階にいたっている。三内丸山では,約500の竪穴住居跡の同時性が議論されている。この問題は,住居跡にのこされている木炭の年代を測定するならば,同時並存の住居とその数を判断する手がかりを得ることができる。弥生時代の開始や,前方後円墳の成立の問題に関して,東アジア世界の中でその政治的な契機を探るばあい,絶対年代の確定が前提となる。考古学的な手法による絶対年代の推定と併行して,年輪年代と炭素14年代の測定作業が急務である。
武田, 和哉
中華世界においては,権力者や貴族など有力者の墓に,墓誌と呼ばれる石刻物を埋納する文化が存在した。墓誌が出土すると,被葬者や墓の築造年代の特定が可能となるので,歴史学・考古学分野においては極めて重要な副葬品と認識されてきた。 墓誌は石に文字を刻むという意味で貴重な史料であり,当時の記載情報が直接現在に伝えられる情報媒体としても重要な存在である。 墓誌の起源は漢代とされ,当初は被葬者の姓名や生前の職位を石材に簡略に記していた。時代の経過とともに,墓中に埋納される形態となり,生前の事績を詳細に記し,末尾には故人を哀悼する韻文「銘」も付されるようになった。また,墓誌の形状や文体は北魏時代頃には定型化した。唐時代には墓誌文化は盛行して,大きさも巨大化し,文化的に定着した。契丹(遼)時代には,被葬者の地位と墓誌の大きさには明確な相関関係が見られ,また契丹文字を記した墓誌は,皇帝の親族などのごく一部の被葬者に限られるなどの特徴があった。 墓誌は封印された墓の中に埋納される。そのため,この墓誌の文とはいったい誰に向けて編まれた内容であるのか,という疑問は残る。筆者は,被葬者の哀悼という目的とともに,葬送者自身の自己認識のための目的も想定した。そもそも,墓誌の文化が進展した北魏・唐・契丹(遼)時代は,中華世界においては周辺の諸民族が社会に進出する時代に該当しており,そうした時代的背景と関係がある可能性を考察した。
安藤, 正人 ANDO, Masahito
本稿は、20世紀の戦争や植民地支配がアーカイブズに及ぼした影響についての研究の一環として、第二次世界大戦期に在外公館文書の押収等をめぐり日英両国の間に繰り広げられた確執の問題をとりあげるものである。ただし、日本側の史料については、まだほとんど見ていないので、今回はもっぱらイギリス側史料の紹介を中心とし、詳しい分析は次の機会に譲りたい。まず「はじめに」で、外交施設や外交官の記録文書をめぐる国際法について概観したあと、第一章「開戦前におけるイギリスの在外公館文書保護策」では、第二次世界大戦前、イギリス外務省が在外公館に発した指示や規程類のうち、記録文書の保存・廃棄等に触れている主要な指示や規程類を紹介する。開戦時の中心的な規程は、1939年7月31日付外務省回章「戦争指令」である。続いて、開戦前のヨーロッパならびにアジアのイギリス在外公館の状況を、各在外公館との往復文書などから明らかにする。第二章「開戦後における在外公館文書の捜索・押収をめぐる日英の確執」では、日本によるイギリス在外公館文書の捜索・押収の事実と、それをめぐって日英間に繰り広げられた確執に関する史料を中心に紹介する。事例として、在東京イギリス大使館をはじめとする日本国内ならびに日本植民地のイギリス在外公館、ついで上海などの日本軍事占領地、最後に非占領地としてバンコクのイギリス在外公館の状況をそれぞれみる(以上『史料館研究紀要』35号に掲載)。イギリスによる日本在外公館文書の捜索・押収については史料が乏しいが、ロンドン、シンガポール、インド、ベルリンなどの状況について若干の史料紹介を行う(本号)。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Joyce の Ulysses を解釈する上で、絶えずその作品に対峠する subject を悩ませるのが、作品の意味的、統語論的、そして構造的なレベルでの流動性である。ある解釈段階で、少なくても部分的にしろ、限定的な significance が表出したとしても、それが固定化されて、安定的な叙述的意味要素になるという保障はこの作品においては皆無といっても過言ではない。そこで、この論文では多様な技術的、そして内容的 content がいかに進化し次の意識世界の particularities を構成していくのかを分析し、作品の展開を追究していく。
Yuki, Masami 結城, 正美
本稿は、森崎和江の作品におけるディアスポラ的な言語実践を分析するものである。自己と他者を分け隔てる境界を、両者をつなぐインターフェイスとしてとらえ直そうとする森崎の文学的試みは、具体に根づいた(土着の)言語を称揚するのでも、抽象世界で自己完結している言語を単に批判するのでもなく、異質な言語をつなぐ新たな言語の希求というかたちで展開する。確たる参照点を持たず欠落の意識を手だてとする森崎のディアスポラ的言語探求を、森崎作品における三つの重要なトポス―沖縄/与論、朝鮮、炭坑―に着目し分析する。
タイラー, ロイヤル
世阿弥にとって布や機織りに関係するモチーフは大事なものであったらしく、それは彼の多くの謡曲に採用されている。この論文は脇能の「松浦」・「布留」・「高砂」をとりあげてから「呉服」の分析に入り、その内容が、世界に広く分布している、機織り=文明乃至は社会作りという見方に匹敵することを示す。そこから人間の孤独や絶望に重点をおく四番目物にうつり、「錦木」(「砧」も考慮に入れて)の場合、機の音が悲鳴にかわることを対照的に指摘する。
赤嶺, 淳
東南アジア海域世界の人々は,香料や乾燥海産物などの生物資源をもとめて移動分散をくりかえす傾向が強い,と指摘されてきた。本研究の目的は,人々の移動を誘発した資源のなかでも干ナマコに焦点をあて,ナマコ資源の経済的価値の多様性と利用状況について報告することにある。従来の海域世界論研究では,干ナマコやフカのひれなどの乾燥海産物をめぐる人の移動とネットワークに着目する必要性が唱えられてきたものの,実際の流通事情を調査したものはほとんどなかった。また,干ナマコも一元的に高級食材として理解されるにとどまっていた。ところが,現在のフィリピンでは20種の干ナマコが生産され,高級種と低級種との価格差が30倍におよぶように,干ナマコ資源の価値は多元的である。さらに,近年においては低級種の価格は上昇する傾向にある。また,香港やシンガポールなど干ナマコの主要消費地とフィリピンでおこなった聞き取り調査によって,多様な経済的価値をもつ干ナマコが,高級料理と大衆料理の異なった料理に区別されて使用されていることがあきらかとなった。そのような消費概況と各種の統計資料から,本稿はフィリピンのナマコ資源の特徴を低級種の大量生産にもとめた。そして,パラワン島南部マンシ島の事例にもとついて,その仮説の実証を試みた。マンシ島でみられる干ナマコ生産の現状を「フロンティア空間の重層性」と解釈し,ナマコ資源の価値変化に敏感な漁民像を記述した。
香川, 雄一 Kagawa, Yuichi
公害問題発生工場の立地と移転を通じて,研究対象地域における景観の意味づけを捉えなおした。日本において代表的な工業都市である川崎の臨海部は戦前から高度経済成長期にかけて工業地帯を形成してきた。結果的に工場が乱立する景観を構成していくのだが,工場立地当初は別の場所における公害問題発生工場が移転してきたという歴史的経緯を持つ。川崎が工業化を進めたのに対して,以前の工場立地場所である東京の深川と三浦半島の逗子はそれぞれ工場景観を消し去ってきた。深川は都心周辺部の居住地や業務地区さらに周囲には庭園を備えるように景観を転換させた。逗子は高級リゾート地と大衆観光地の両方で臨海部の景観資源を活用していく。工場の跡地がマリーナとして整備されたことにもその一端がうかがえる。景観の意味づけが転換可能であるのならば,時代の転機によって工場景観を備えるようになった川崎にも工業化以前の景観資源を復活させる機運が残されている。公害裁判以後の環境再生に向けた動きは,在来産業としての漁業に従事していた人々の海への思いを継承しつつ,東京湾臨海部に新たな土地利用と景観を生み出そうとしている。自然環境をいかした景観資源をとりもどす際に,活用可能である工業化以前の歴史を踏まえた経験を持つ漁業者の景観への意味づけは,物理的には存在しないもののいくつかの石碑によって確認できる。川崎が臨海部として工場立地の機能を充実化させてきたことは公害問題によって負の歴史遺産を積み重ねてきたことでもあった。しかし深川や逗子が完全なまでに公害問題発生工場の景観を消去してきたように,川崎においても過去の景観資源をとりもどし,新たな景観の意味づけを浮かび上がらせていくことが可能である。このことは景観政策において開発や産業に重きをおいた意味づけに再考を迫るとともに,今後の景観に関する議論の活性化につながるであろう。
塚本, 學 Tsukamoto, Manabu
文化財ということばは,文化財保護法の制定(1950)以前にもあったが,その普及は,法の制定後であった。はじめその内容は,芸術的価値を中心に理解され,狭義の文化史への歴史研究者の関心の低さも一因となって,歴史研究者の文化財への関心は,一般的には弱かった。だが,考古・民俗資料を中心に,芸術的価値を離れて,過去の人生の痕跡を保存すべき財とみなす感覚が成長し,一方では,経済成長の過程での開発の進行によって失われるものの大きさに対して,その保存を求める運動も伸びてきた。また,文化を,学問・芸術等の狭義の領域のものとだけみるのではなく,生業や衣食住等をふくめた概念として理解する機運も高まった。このなかで,文献以外の史料への重視の姿勢を強めた歴史学の分野でも,民衆の日常生活の歴史への関心とあいまって,文化財保存運動に大きな努力を傾けるうごきが出ている。文化財保護法での文化財定義も,芸術的価値からだけでなく,こうした広義の文化遺産の方向に動いていっている。文化財の概念と,歴史・考古・民俗等の諸学での研究のための素材,すなわち史料の概念とは次第に接近し,そのことが諸学の共同の場を考える上でも役割を演ずるかにみえる。だが,文化財を,継承さるべき文化の産物とだけみなすなら,反省の学としての歴史学とは両立できない。過去の人生は,現代に,よいものだけを残したわけではない。たとえば戦争の痕跡のように,私たちが継承すべきではないが,忘れるべきでないものは少なくない。すぐれた芸術品と理解される作品のなかにも,ある時代の屈辱の歴史が秘められていたり,新しい芸術創造の試みを抑圧する役割を担った例があること等を思いあわせて,継承さるべきでない文化の所産もまた文化財であるというみかたが必要である。歴史博物館の展示でも,この点が考えられねばならない。
船越, 裕輝 村末, 勇介
脳性まひのあるA(小3)は,身体に障がいがあるため書字や読書が難しかった。しかし,会話をすることは可能であり,話をすることが大好きであることから,教師が聞き取ったAの「話しことば」を「書きことば」に変換する代筆支援という形で日記文や作文,感想文,手紙文等を書く実践に取り組んだ。年間を通し継続して行っていく中で話しことば自体にも変化が見られ,読み手や他者を意識した文章も書けるようになる等,A自身の「世界づくり」にとっても影響をもたらした。本研究においては,代筆支援によって生まれたAの文章を元に,Aの内面的な成長を発達的視点から考察することで,書きことばの学習の意義を明らかにするとともに,代筆支援の取組みにおいて留意すべき視点と課題とを整理した。
名護, 麻美 タン, セリーナ 當間, 千夏 東矢, 光代
この事例報告では、2021年3月に実施した世界展開力強化事業のオンライン型短期研修プログラム(「太平洋島嶼地域特定課題プログラム」)の概要を紹介するとともに、プログラムの自己点検・評価をふまえた質保証を伴う教育効果を分析し、効果的なオンライン型研修プログラムを構築するための取り組みの整理を試みる。教育効果に関する分析は、BEVI(Beliefs, Events, and Values Intentory)によるアセスメントと学生への事後アンケート調査を用いた。分析結果から、海外連携大学の学生、日本人学生ともに社会的開放性が元々高い参加者の集団で、研修後はさらに環境への関心や異文化理解に通ずる国際志向性が向上したということがわかった。またアンケートの質的回答からも本プログラムに対する参加者の満足度が高かったことが伺える。本研修の取り組みが今後オンライン型研修プログラムを実施する際に参考となりえる。
李, 均洋
雷神の文字学の考察、納西族や壮族などの口頭の神話と近古(宋代)および現在に残っている雷神を祭祀する民俗の考察により、原始民の神という観念は、雷神を「世界と万物を創った」最高の天神として祭祀することと共に出現した、と考えることができる。つまり、雷神の起源は神即ち宗教の起源と共に発生したのである。原始民の雷神信仰は自然崇拝に属するのであるが、その後に出現してきたトーテム崇拝や祖先崇拝などは、雷神崇拝と切っても切れないつながりを持っている。
パルデシ, プラシャント PARDESHI, Prashant
述語構造の意味範疇に関わる重要な言語現象の一つに「他動性」がある。本プロジェクトは意味的他動性が(i)出来事の認識,(ii)その言語表現および(iii)言語習得(日本語学習者による日本語の自動詞と他動詞の習得)にどのように反映されているのかを解明することを目標とする。日本語とアジアの諸言語を含む世界の約40言語を詳細に比較・検討し,それを通して,日本語などの個別言語の様相の解明だけでなく,言語の多様性と普遍性についての研究に貢献することを目指す。
安田, 喜憲
和辻哲郎によって先鞭がつけられた日本文化風土論は、第二次世界大戦の敗戦を契機として、挫折した。形成期から発展期へ至る道が、敗戦で頓挫した。しかし、和辻以来の伝統は、環境論を重視する戦後日本の地理学者の中に、細々としてではあるが受け継がれてきた。戦後四〇年、国際化時代の到来で、再び日本文化風土論は、地球時代の文明論を牽引する有力な文化論として注目を浴びはじめた。とりわけ東洋的自然観・生命観に立脚した風土論の展開が、この混迷した地球環境と文明の未来を救済するために、待望されている。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Virginia Woolfの作品の中で意識は各登場人物を中心lこ絶えず拡散し、そして収束する、あるいはそのような慨念として定義、展開されている。この論文ではその意識の流動性、そして(その流動的な意識に影響されたナラティブ全体の)非確定性を時間的・空間的手非連続性に特徴づけられた世界において次々と展開し、そしてその中で成長拡散する意識の具象化した登場人物の意識下(意識の中)に直接入り込むという形、つまりWoolfの呼ぶところの Tunneling Process (を逆に辿る)という方法で追及し、意識の多方向性と流動性、そしてナラティブの非確定性について検証してみた。
Taira, Katsuaki 平良, 勝明
Mrs. Dallowayのナラティブの中心では様々な登場人物がその主観的世界へ埋没するというパターンが繰り返されてクロノロジカルな時間軸上における非直線的な物語の展開がなされているといえる。そして、ナラティブの構造的そして内容的核はその流れに起因する流動的な意識の渦の中に自己を埋没させるその主体で構成されているともいえる。この論文ではあえてその渦を伴う非直線的(意識の)流れの中から脱却し、新しい主観のパターンと方向性を模索するという脱構築的ナラティブのフレームワークに拘束された意識の超越を試み、物語の新しい可能性の開拓を試みる。
Yamashiro, Shin 山城, 新
本稿では、第二次世界大戦後1945年から1950年の間の戦後復興初期において、公衆衛生、農業、天然資源開発等をめぐる政策や活動をとおして係累化される〈環境概念〉の編成について分析し、1960年代以降に争点化される環境問題を再考するためのアプローチを提示する。また、沖縄研究に〈環境〉をめぐる議論を導入することで、戦後沖縄の思想と運動を包括的に考察するための可能性について示唆するとともに、米国環境思想研究に欠落してきた戦争と軍隊の問題を指摘しつつ、沖縄環境思想史研究の批評的可能性についても言及したい。
原田, 憲一
日本列島を襲う天変地異(気象異常と地殻変動)つまりハザード(Hazard)は、地力の高い小盆地(山間盆地と海岸平野)と豊かな水産資源および地下資源をもたらした。小盆地は居住適地ではあるが、ハザードがもたらす洪水や地すべりなどによって生命と財産を脅かされる場、つまり災害(Disaster)多発地である。小盆地に定住した日本人は1 万5000 年以上災害の予知と減災に努めてきた。そのため、欧米とは全く異なった言語処理と生命観・自然観・社会観が発達した。現代文明が破局を迎えつつある今日、日本人は新たな自然観・社会観を世界に発信すべきであろう。
ルィービン, ヴィクター
ロシアのサンクト・ペテルブルグにおける日本語教育、日本研究の歴史は、一八世紀初頭、ピョートル一世がカムチャッカに漂着した日本人水夫デンベイ(伝兵衛)をシベリア、モスクワを経由して招き寄せ、日本語クラスを開かせたことをもって嚆矢とする。 以後一八世紀の半ばまでは、漂流日本人による日本語教育が断続的に続く。母国日本ではほとんど知られていない異国ロシアの地で、日本語教育が行われ、かつ、露日辞典さえも編纂されていたのは、世界史的にも異例のことであった。 一八七〇年、日本語学習がサンクト・ペテルブルグ大学に選択科目として開設され、来露する通訳や管理などの日本人が交代で教壇に立った。一九世紀末には日本語科がようやく設立されて、日本語教育、日本研究は本格化し、同時に優れたロシア人の日本研究者が続々と巣立ち始め、「日本学派」の基礎が形成されて行ったのである。 しかしロシア革命後の政治状況は暗黒時代を迎え、外国語の知識がある、あるいは、外国留学の経験のある多数の知識人がスパイ扱いを受け厳しい弾圧により落命した。その中には著名な日本研究者も含まれており、日本研究分野は大きな痛手を蒙った。 第二次世界大戦後、日本研究は再び力を取り戻し、その分野も語学、文学、歴史から地理、民族、宗教などへと多岐にわたって行った。ソ連崩壊後は、全ロシアで日本語学習、日本研究の熱は一層高まっていると見られるが、サンクト・ペテルブルグ大学日本語科は創立一〇七周年を迎え、ロシアにおける日本学の一大拠点として充実した教育・研究活動を続けている。
ジョージ, プラット アブラハム
宮沢賢治は、詩人・童話作家として世界中に知られるようになった。岩手県出身の賢治の作品に岩手県もなければ、日本もなく、「宇宙」だけがあるとよく言われる。まさにその通りである。彼のどの作品の中にも、彼独自の人生観、世界観及び宗教観が貫いていて、一種の普遍性が顕現していることは、一目瞭然である。彼の優れた想像力、超人的な能力、そして一般常識の領域を超えた彼の感受性は、日本文学史上、前例のない一連の文学作品を生み出した。賢治の文学作品に顕現されている「インド・仏教的思想」、つまり生き物への慈悲賢治の思想と彼の人格を形成した主な外力として、彼の生まれ育った家の環境、宗教とりわけ、法華経から受けた霊感、教育と自然の観察によって取得した啓蒙的知識、貧しい県民への同情などが取り上げられる。本稿の前半で賢治の思想と人格を形成したこれらの外力についてふれ、その次に「よだかの星」という作品を中心に賢治作品に顕在している「非暴力」「慈悲」及び「自己犠牲の精神」の思想を考察した。最後に、「ビヂテリアン大祭」という作品を基に、賢治の菜食主義の思想の裏に潜む仏教的観念とインドにおける菜食主義との関連性を論じ、賢治作品の顕現しているインド・仏教的思想を究明した。と同情、不殺生と非暴力主義、輪廻転生、自己犠牲の精神及び菜食主義などの観念はどんなものか、インド人の観点から調べ、解釈するとともの賢治思想の東洋的特性を強調することが、本稿のねらいである。
菊間, 晴子
村上春樹は二〇二三年、三部構成の長篇小説『街とその不確かな壁』を発表した。その第二部には、ある町の図書館長の職に就いた語り手「私」の良き相談相手として、「子易さん」というキャラクターが登場する。注目すべきは、彼がすでに肉体を失った「幽霊」であると設定されていることである。子易さんが現実と非現実の二つの世界の境界に位置する存在であり、作品構成上重要な役割を担っていることは、複数の論者によって指摘されているが、本作で彼が「幽霊」として設定されたことによって生じる効果や、その背景にあった作者の意図については、未だ十分に論じられていない。そこで本稿では、本作における子易さんという「幽霊」の表象を精査し、その造形や特徴が、ガブリエル・ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』(一九八五)に描出された、「亡霊」としてではなく生身の人間のように姿を現し生者を励ます存在としての死者のあり方から大きな影響を受けている可能性を指摘する。さらにその考察を足がかりとし、このような「幽霊」の表象を通して村上が提示した死生観を浮かび上がらせるとともに、彼の過去作である「街と、その不確かな壁」(一九八〇)および『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(一九八五)のリライト作品として本作が世に問われた意義を、COVID -19 パンデミックという同時代的な社会状況との連関を踏まえながら明らかにしていく。
ザロー, ピーター
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