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加藤, 潤三 Kato, Junzo
本研究の目的は、住民が地域コミュニティに対して求めるニーズであり、地域での実際的な生活において重視する地域の諸要素である『コミュニティ価値』について、その要素を抽出するとともに、要素間の関係性からコミュニティ価値の構造を検証することであった。地域特性の異なる3 市町村(大阪府吹田市、京都府京田辺市、沖縄県中城村)において調査を行ったところ、689 名(有効回収率46.9%)から回答があった。コミュニティ価値として、自由記述によって得られた1484 のコメントをKJ 法によって分類した結果、「交通」、「人間関係」、「自然」、「安全」、「教育・子育て」、「地域の発展」など16 の要素(大グループ)が抽出された。A 型図解の結果、コミュニティ価値は『合理性・利便性-情緒性・社会文化性』と『持続可能性(サステーナブル)-豊かさの向上(エンリッチ)』の2 次元的な構造に集約されることが明らかになった。
白川, 千尋
本稿の目的は,国際協力ボランティア,より具体的には日本の青年海外協力隊(JOCV)の「コミュニティ開発」という職種のボランティアに焦点を当て,その支援活動の特徴や可能性をめぐって考察を行うことである。この目的にアプローチするために,本稿では,「コミュニティ開発」のJOCV による活動と,国際協力機構(JICA)の専門家,および文化人類学者による支援活動の事例の比較検討を行う。そして,それを通じて,「コミュニティ開発」のJOCV の,国際協力活動における「アマチュア」としての位置づけを確認するとともに,その専門性の低さがもち得る可能性について指摘する。
黄, 均鈞 霍, 沁宇 田, 佳月 胡, 芸群 HUANG, Junjun HUO, Qinyu TIAN, Jiayue HU, Yiqun
本稿では,中国から来日した一人の日本語専攻生Iさんを対象に,彼女が来日前及び来日後に参加した複数のコミュニティへの参加過程を分析した。調査はIさんに対して一年半に渡り,5回の半構造化インタビューを行い,そのデータをSCAT(Steps for Coding and Theorization)を用いて分析した。分析の結果,中国の大学の日本語授業とゼミ,日本の大学(院)の授業とゼミ,また,より大きな研究者コミュニティや学術コミュニティに参加することを通して,Iさんは学術コミュニティへの参加姿勢が能動的になったことが確認された。分析の結果に基づき,筆者らは学術コミュニティ間の移動が中国人日本語専攻生に何をもたらしたのかをアイデンティティ変容の側面から考察した。その結果,中国人日本語専攻生の持つ固有のアイデンティティに加え,日本語学習者と日本語使用者が統合された「日本語話者」,さらに大学院に進学することによるキャリア転換がもたらす「〇〇専門家」という多層なアイデンティティの獲得があったことが分かった。最後に,本調査結果を踏まえた日本語教育への提言として,「学習者と接する際の見方の転換」,「キャリア形成を踏まえた上での日本語教育」,及び「学びの実感を生み出す授業の工夫」という三つを指摘した。
Kishigami, Nobuhiro
米国アラスカ州バローにおけるイヌピアットによるクジラの分配は,規則に基づく分配と自主的な分配に大別することができる。これら2 種類の分配は,協働狩猟による成果である,文化的価値の高い食料をコミュニティ全体にいきわたらせるための社会的なしかけになっている。また,これらの2 種類の分配の実践は,世界観の再生産や,さまざまなレベルでのアイデンティティと社会関係の再生産という効果以外に,文化的価値の高い食料の獲得手段やコミュニティの福祉(wellfare)への貢献,個人や世帯レベルでの食料の消費量の平準化などさまざまな機能や効果がある。さらに,これら2 種類の分配を通してキャプテンやその乗組員(ハンター)は社会的名声や政治的影響力を得ることができる。筆者は,これらの複数の機能や効果のためにバロー村のイヌピアットの間では2 種類の分配が存続していると考える。現代のイヌピアット社会における捕鯨や獲物の分配の実践は,個人的な利潤追求のためではなく,彼らにとって価値のある資源をコミュニティのために追い求め,コミュニティ全体で分ち合うことであり,それ自体が目的と化している。そしてその結果は,コミュニティ全体の福利(well-being)に貢献している。
Hirai, Kyonosuke
近年の博物館人類学的研究は,非西洋の多くの社会において,それぞれの歴史や伝統を反映した土着の博物館モデルや博物館実践が存在することを明らかにしてきた。しかしこれらの研究は,いまだ西洋の博物館モデルを前提としており,土着の博物館モデルを独自の文化的構成物として十分に評価しているとはいえない。本研究は,タイの50 のコミュニティ博物館についての調査結果に基づき,以下の二つの問いに答えることを目的とする。第一に,タイで独自に発展した土着の博物館モデルとはいかなるものであるか。第二に,なぜ1980年代後半以降にタイの各地でコミュニティ博物館が創設されるようになったのか。それはコミュニティにおいてどのような役割を果たしているか。これらの問いに取り組むことを通じ,本稿では,タイのコミュニティ博物館が土着の仏教的伝統のなかに根付くものであるとともに,タイ農村社会の変容や国家主導の開発言説の影響を受けながら,異なる立場の人びとが主体的に独自の目的や意義をみいだして利用しようとする実践の絡まり合いの結果として発展していることを示す。
大石, 太郎 Oishi, Taro
この小論では、カナダ東部ノヴァスコシア州におけるフランス語系住民アカディアンの居住分布と言語使用状況を現地調査とカナダ統計局のセンサスに基づいて検討した。その結果、農村地域に古くから存在するアカディアン・コミュニティでは英語への同化に歯止めがかかっているとはいえない一方で、郁市地域であるハリファクスでフランス語を母語とする人口や二言語話者が増加していることが明らかになった。これまで教育制度の整備などの制度的支援の重要性が指摘されてきたが、カナダの場合、農村地域に古くから存在するフランス語系コミュニティには遅きに失したと言わざるをえない。その一方で、都市地域が少数言語集団にとって必ずしも同化されやすい地域ではなくなりつつあることが示唆された。
森岡, 正博
本論文は、パソコン通信のフリーチャットに典型的に見られる、匿名性のコミュニケーションを分析し、電子架空空間で成立する匿名性のコミュニティの諸性質について論じる。その際に、都市社会学の観点からの分析を試みる。 パソコン通信を都市社会学の観点から議論する試みにはほとんど前例がない。本論文で提起されるいくつかの仮説は、今後のメディア論に一定の影響を与えると思われる。
加藤, 潤三 前村, 奈央佳 Kato, Junzo Maemura, Naoka
本研究は、沖縄に県外より移り住んできた移住者が、沖縄の社会やコミュニティにどのように適応していくのか、その適応プロセスについて、移住者のソーシャルキャピタルの観点から検討していくことを主目的とした。移住者26名に対する面接調査の結果、移住者は、沖縄のコミュニティ内において社会参加したり、ネットワークを形成していくなど、ソーシャルキャピタルを獲得していくことで適応を促進させることが明らかになった。特に、移住者が沖縄において形成するネットワークには機能差があり、ウチナーンチュとのネットワークは、移住者が沖縄の文化に同化したり、沖縄アイデンティティを獲得するために必要なものであるのに対し、本土出身者とのネットワークは、移住者が適応の過程で感じる様々なネガテイプな出来事や感情を緩和させるのに有効であることが示された。
Ito, Atsunori
2009 年,米国南西部先住民ズニのズニ博物館・遺産センターは,将来的な標本資料の協働的管理の提案を目的として,国立民族学博物館が所蔵するズニ関連標本資料の熟覧調査を行った。本稿は,このズニ博物館長が民博で実施した,ズニ関連資料31 点の熟覧作業の過程と熟覧結果の報告を行うことを目的とする。その際,まず標本資料収集や展示や博物館標本資料の先住民コミュニティへの返還の歴史に注目しながら,米国内の民族学系博物館と先住民との関係について概略を記す。次に,米国南西部先住民ズニが運営するトライブ博物館の機能やコミュニティにおける役割,そして標本資料の返還の代替案としてズニ博物館が実施計画中の,外部の博物館との新たな関係性の構築に向けた取り組みを紹介する。まとめとして,先住民による博物館資料へのアプローチについて,博物館の公共性の再考をうながす協働という関係性のあり方に注目しながら考察する。
金谷, 美和
本研究は,西インド,グジャラート州カッチ県ブジの染色業者コミュニティを事例にして,ムスリムのカースト的集団内部の社会関係を明らかにすることを目的とする。従来のインド・ムスリムの社会関係の研究は,カースト的集団問の関係に焦点がおかれ,集団を社会的に均質な存在として捕らえる傾向があった。本稿は,そのような先行研究の偏りを是正し,インド・ムスリムがカースト的集団内部のまとまりをもちつつ,生業に関わる社会関係,親族や姻族関係を中心とした社会関係を構築していることを明らかにする。
Iida, Taku Kawai, Hironao
本書は、2015年1 月24日から25日にかけて国立民族学博物館で開催された国際フォーラム「中国地域の文化遺産―人類学の視点から」のプロシーディングズである。国際フォーラムは、国立民族学博物館の機関研究「文化遺産の人類学―グローバル・システムにおけるコミュニティとマテリアリティ」の一環として開かれた。この序の前半では、機関研究全体の関心について述べ、後半では、中国地域というコンテクストに即した問題の所在を紹介する。
Gushiken, Gabriela Tamy グシケン, ガブリエラタミー
祖先崇拝は,沖縄の移民家族によって海外でも行われている沖縄の伝統的な宗教の一部です。移民のプロセスは宗教の活動に影響を与え,受入社会の要素が組み込まれました。ブラジル・サンパウロ市に住んでいる沖縄からの移民家族が実践する祖先崇拝の儀式を観察し,参加することで民族誌的研究を行いました。本論は,祖先崇拝の実践における移民のプロセスの影響と,家族およびコミュニティのダイナミックスにおける実践の役割を調査することです。
伊波, 美智子 Iha, Michiko
地球温暖化問題やごみ問題などの環境問題解決の基本は、社会価値形成の基盤と\nなる環境教育と環境配慮行動を社会システムに組み込んだ環境管理システムの構築にある。それ自体ひとつのコミュニティであり、地域社会において指導的役割を期待されている大学が持続可能な社会をめざす環境経営のモデルを示すことは、大学の社会的責任でもある。本論においては、琉球大学において展開されてきたエコロジカル・キャンパス推進活動を「大学における環境活動の事例」としてまとめることを目的としたものである。本論の構成は、下記の通りである。
仲田, 康一 大林, 正史 武井, 哲郎 Nakata, Koichi Obayashi, Masafumi Takei, Tetsuro
本論文は、地域運営学校(コミュニティ・スクール)を対象に、その校長と学校運営協議会の委員に対して行われた質問紙調査の結果をもとに、学校運営協議会委員の属性・意識・行動に関して、基礎的な知見を得ることを目的としている。検討の観点としては次の3点を設定した。①「どのような人が委員になっているのか」,②「彼/女らがどのような意識を持ちまた行動し」,③「どのような成果を挙げているのか」である。これらについて、質問紙調査の単純集計結果を示していく。
原田, 健一
本論は地域住民が撮影した,あるいは,地域住民が写された映像を発掘・収集し研究してきた映像メディア研究の立場から,地域住民が撮影した・写された映像と研究者の映像とを比較する。住民と研究者は映像制作において共に専門家ではないが,地域のコミュニティにおいて住民はインサイダー,研究者はアウトサイダーと言う異なる立場に分かれる。村の日常生活を生きている住民と,それを観察する研究者は,同じ現実を前にして,撮りたいと思うもの,あるいは撮る必要があると思うものは違う。映像をどう利用しているかの違いがそこにはある。住民と研究者がそれぞれ何に注目し,何を見落とすことになるのか,お互いの違いを分析し,どうおぎなえるかを考え,さらには,映像をデータベース化するにあたって,何を考慮すべきかを検討する。
五十嵐, 陽介 廣川, 純子 IGARASHI, Yosuke HIROKAWA, Junko
『広島大学日本語電話会話コーパス』(COTCO-H)は現在開発中の大規模音声データベースである。COTCO-Hは,広島大学の日本語非標準変種の母語話者である50名の学生が2つのレジスター(出身地の友人との会話,キャンパスの友人との会話)で発話した電話会話を格納している。本コーパスには,約11万語(22時間)の音声信号に加えて,その転記および品詞や活用などの形態論情報が付与されている。分節音情報付与作業は現在進行中である。COTCO-Hにはさらに補助データとして同じ話者による読み上げ音声も含まれている。COTCO-Hは,地域や発話スタイル,自発性などの違いによる言語変異に興味を持つ研究者のコミュニティに貢献するものとなるだろう。
手塚, 薫 Tezuka, Kaoru
マンローのアイヌ研究がどのような動機や目的に基づいて実施されたのかについては,これまで,本人の性格や思想を推測して考察することが一般的であった。純粋な知識欲以外にもアカデミズムへの貢献といった名誉欲などの要素を度外視することはできないが,公刊資料からだけでは,動機の解明にいたることは困難である。RAIやNMSに所蔵されているマンローと第三者間でやりとりされた私的な書簡類は,マンローのアイヌ研究の目的や意図を正直に伝えているものが多く,それらを理解する上ではかりしれない価値を有する。マンローのアイヌ研究成果を,現代的な活用に耐えうるものとして取り扱っていいかどうかを判断するためには,当時の研究対象となった人びととの関係性や研究倫理など,それらが産み出された経過を正確に把握する必要がある。研究対象地域やコミュニティ内外の人物と実際のところどのような関係を構築していたかは,マンローのアイヌ研究の質と量にも大きな影響を与えたと考えられる。そこでマンローと彼を取り巻く人物との関係を理解するために,上記の書簡を元にエゴセントリック・ネットワーク分析をおこなった。その結果,ネットワークの密度,中心性,ハブとなる人物,アイヌインフォーマントとの関係,コミュニティ内外の多くの人物からの影響などの特徴が浮き彫りにされた。これらの結果は,マンローのアイヌ研究がマンローの個人的な資質および属性からだけではなく,マンローを取り巻く様々な人物のネットワークによって駆動されていたことを視覚的かつ実証的に説明している。マンローによって収集されたアイヌの伝統的民族知識を,名誉・人格権・プライバシー権などを十分考慮しながら公開していく在り方が問われている。社会ネットワーク分析による研究成果はそれらのデータを,アイヌ民族を含む現代人が社会関係資本として積極的に活用する上で大いに資するものと考えられる。
大石, 太郎 Oishi, Taro
この小論では、カナダの英語圏都市におけるフランス語系住民の社会的特性を、ノヴァスコシア州ハリファクスを事例に、質問紙調査に基づいて検討した。その結果、ハリファクスのフランス語系住民は、高校卒業時点までは出生した州内に居住している割合が高く、高学歴であり、二言語能力を義務づけられたポストについている例が比較的多く、就業を主な要因としてハリファクスヘ移住している、という社会的特性をもつことが明らかになった。ケベック州出身者が多く、帰還移動の意思を持つ人も多いという点はコミュニティ発展の不安定要素といえるが、現時点ではフランス語系住民のこうした社会的特性が少数言語維持に対する制度的支援をより効果的にしており、カナダの英語圏都市における二言語話者の増加につながっていると考えられる。
平本, 美恵 朝日, 祥之 HIRAMOTO, Mie ASAHI, Yoshiyuki
本稿はオーラルヒストリー・データとしてハワイ大学マノア校に録音保存されていた資料を活用し,ハワイ日系移民コミュニティにおける方言接触の様相を人称詞の使用状況に着目して考察する。録音資料はおおむね明治中期から後期頃に,主にサトウキビ畑労働者として日本各地からハワイに移住した移民一世の男女の談話文(年をとってからのインタビューで採録)で構成されている。資料中の東北方言域出身者(福島・新潟両県。後発の移民で少数派)と中国方言域出身者(広島・山口両県。最初期の移民で多数派)の日本語表現を分析したところ,東北方言域出身者にも「ワシ,ワシら」など中国方言の人称詞使用のありかたが広まっていることが明らかになった。また,東北・中国の出身地を問わず,日系人の間では英語の借用語「ミー,ユー」が多用されていることも認められた。
福間, 真央
ヤキはメキシコとアメリカに国境を跨いで居住する先住民族である。近代国家の成立,国境の画定によって 2 つの国家に分断されながらも,ヤキは民族的同胞意識を維持し,1990 年代以降,越境的な交換を活発化させている。中でも文化的領域で行われるトランスナショナルな交換は贈与交換のシステムとして確立されてきた。そして主に儀礼から発展したネットワークは交換の活発化とともに多様化し,多元的なネットワークへと変化している。しかし,同時に,国籍,出身コミュニティなどの社会的,文化的背景が異なる個人や集団が参加するトランスナショナルな贈与交換は,しばしば当事者の間で齟齬を生んでいる。本稿ではトランスナショナルに展開する交換を 4 つのタイプ,儀礼における贈与交換,文化的贈与交換,文化アイテムの交換,贈与に分類し,考察することを通じて,ヤキのトランスナショナル化の様相を明らかにする。
廣内, 大助 Hirouchi, Daisuke
災害の被災地域では,災害の痕跡を保存することがよく行われている。これは災害の教訓を後世に伝え,再び同じ被害を繰り返さないためのものである。しかしこのことが地域の防災力をどのくらい向上させているのか考えると,非常に効果があると単純には言い難い。濃尾平野の輪中地域に代表されるように,本来災害にあわないために地域ぐるみでの工夫や仕組みが災害文化として存在した。これを受け継ぐことで,地域の防災力を維持してきたのである。水害リスクの低下と,コミュニティの崩壊によって,災害文化が受け継がれなくなった都市住民が災害に遭わないためには,現代の生活に合った新たな災害文化を創出し,受け継いでいく必要がある。河川流域を舞台に活動する市民団体の取り組みをヒントに,新たな災害文化の可能性について考えてみる。
Iida, Taku
本稿では,「博物館のデコロナイゼーション」とりわけ民族誌コレクションのデコロナイゼーションをどのように進めていけばよいのかを論じる。それを考察するため,(1)欧米各国とアフリカ地域とのあいだでおこなわれている博物館資料の帰属の問題を整理して示し(第 2 章),(2)国立民族学博物館を中心とした日本の民族誌コレクションの成立の経緯を検討した(第 3 章)。(1)については,欧米側でも国によって対応が多様であること,いったん議論が始まれば第三者がアフリカ側の声を無視できなくなるため,高度に発展した情報環境においては真摯な対話が要求されることを示した。(2)については,東京大学と保谷民博(文部省史料館),日本万国博覧会世界民族調査収集団のそれぞれのコレクションが多様な収集方法によって成りたっているため,ひとつひとつの来歴を特定していくことがデコロナイゼーションにつながることを示した。結論部では,調査研究プロセスをつうじてソースコミュニティの人びととの信頼関係を深めることと,その文化を再総合するという目的を押しつけにならないよう共有すること,そして時間をかけて対話と協働を重ねることを,日本の博物館に提案する。
Suzuki, Nanami
本稿は,アメリカ合衆国において,高齢認知症者の孤立感の緩和と「エイジング・イン・プレイス」に向けて開発されてきた「メモリーケア」について検討したものである。この実践は,「ブリッジ Bridge」(繋ぐ者)と呼ばれるボランティアが,「バディ Buddy」(仲間)と呼ばれる高齢認知症者と対面の交流を続けることによってなされる。2005 年以降,メモリーケアは,非営利組織メモリーブリッジと中等・高等学校の連携により,カリキュラムの一環として続けられ,2006 年から2010 年に,シカゴ・メモリーブリッジ・イニシアチブのもとで,7,500 人以上の中等・高等学校の生徒と認知症高齢者が,少なくとも三か月以上一対一で交流してきた。こうした場で,バディは,ブリッジの指導者・教師と位置づけられている。メモリーケアは,100 以上のホスピスにおいても,スタッフやボランティアと認知症者が交流する方途を探ってきた。本稿は,2013 年から高齢化率の高いフロリダ州の継続ケア退職者コミュニティと連携し始められた実践をとりあげ,現地調査(2015 年11 月17 日~ 12 月3 日)に基づいて,ブリッジたちの経験を検討し「メモリーケア」の意味に考察を加えた。
藤吉, 圭二 FUJIYOSHI, Keiji
オーストラリア・ヴィクトリア州の公文書館PROV:Public Record Office Victoriaは1990年代末に電子記録管理の標準であるVERS:Victorian Electronic Records Strategyを発表し推進していることにより、アーカイブズの世界では広くその名を知られている。電子文書をベースにした業務遂行の比率が年々高くなりつつある現在、これは参考にすべきひとつのモデルである。しかし注意しなければならないのは、VERSの背景には連綿とつづく紙ベースの文書管理の組織文化がPROVおよびヴィクトリア州政府にそもそも一定以上のレベルで根づいている状態があるということである。入植初期の時期のヴィクトリアにおける政府や民間の記録や文書をめぐる動きを見ると、そこには(1)組織活動に関して組織外部に報告しなければならないという必要性、(2)組織活動に関して複数の部署にまたがって情報を共有しなければならないという必要性、(3)組織、とりわけ政府に蓄積されてきた記録や文書をもとに歴史意識やコミュニティのアイデンティティを補強したいという欲求が強く働いていることかわかる。VERSについて考える場合にも、電子記録の問題だけでなく、このような記録や文書をめぐる組織文化のあり方にも注意を払う必要がある。
半嶺, まどか ズラズリ, 美穂
本稿では,まず危機言語の保存と言語継承の目的についてまとめ,危機言語コミュニティにとってどのようなアドボカシー(擁護や代弁)が必要かを考察した。また,他の文脈での先行研究と照らし合わせながら,琉球諸語の文脈での言語リクラメーション(再生・再獲得)の必要性や可能性について考えた。さらに,琉球諸語の文脈で今後必要となる学際的連携について考察し,現状の課題を指摘した。次に,既存の母語話者,非母語話者という二分化や単純な言語運用能力による話者の区分や描写の仕方がどのような問題を孕むかを指摘し,新しく琉球諸語を学び始めている世代を「新しい話者(new speaker)」という概念を用いて可視化した。また,彼らの支援に必要な要素を第二言語習得理論に基づいて提案した。最後に,本共同研究プロジェクトを通して実施したい研究計画として,新しい話者と研究者が連携する言語記録活動の方法論の提案,Galtungのトランセンド理論に基づくインタビューの継続,「無意識のバイアス(unconscious bias)」「立場性(positionality)」「継続的な再帰的振り返りの実践(reflexivity)」に関する継続教育(CPD)の機会創出について述べた。
Miyahira, Katsuyuki
超多様性が日常化する現代社会において、社会言語学の基本的概念である「ことばの共同体(スピーチ・コミュニティ)」をどのように捉えるべきなのか。本稿ではハワイの沖縄ディアスポラ共同体が発信するYouTube ビデオシリーズ“ Yuntaku Live!”のインタビュー談話に注目して考察を行った。スピーチ・コード理論に基づいて、舞台芸術家を対象としたインタビューの談話を分析した結果、沖縄ディアスポラ共同体の個人像、社会的人間関係、そしてコミュニケーション行動の特色について次の点が明らかになった。舞台芸術家はその演舞を通して自らの内にある混成性(ハイブリディティ)と沖縄との歴史的連続性を重視し、演目に込められた、記憶の断片から想像した祖国の物語を聴衆と共有することで沖縄ディアスポラの社会的人間関係を構築している。舞台芸術に込められたこうした物語は、日常会話において「ユンタク」という固有のコミュニケーション儀式を通して広く共有され、国境を越えて人と人を結ぶ役割を担っている。舞台芸術の演舞とオンラインの仮想空間を媒介としてもたらされる人と人のこうしたネットワークは、超多様性を享受する現代における新出の「ことばの共同体」であり、この共同体創造の基盤をなすのが沖縄語語彙、メタ言語としての沖縄語、そしてそれらを契機として創造される物語である。
Iida, Taku
国立民族学博物館(民博)では,全国の研究者から応募を受けつけ,フィルム写真をデジタル化したりデジタル化済み写真をデータベースに登録したりする研究支援をおこなってきた。応募できるのは,日本学術振興会が採択した科研費プロジェクトの研究代表者と研究分担者である。われわれ支援側の関係者がDiPLAS と呼ぶこの事業は,2021 年度でひとまず終了するが,さまざまな意義を有している。本特集では,異なる立場の関係者がその意義を論じる。 事業の背景としては,館外研究者の写真資料に応用できるデータベース構築のノウハウを民博が蓄積してきたことがある。また,情報通信技術の進展や学術資料公開の動き,博物館活動における資料の由来地の人びと(ソースコミュニティ)との協業の重視など,社会的状況も無視できない。しかし,写真のデータベース登録と基本情報の入力を支援者側がおこない,写真撮影状況をふまえながら被支援者が時間をかけて写真の内容を自由記述するという役割分担が確定するまでには,さまざまな議論や試行錯誤があった。この序論では,そうしたプロセスの一端を示すため,DiPLAS に関連するシンポジウム(2019 年度)と公開セミナー(2020 年度)のようすを紹介する。今後,さまざまな関係者がこのデータベースを共有財産として「育て」られるよう,支援者側は運営体制を整えることが求められる。
中西, 智子
道長家で作られた自家の「史実」を語るテクストである『栄花物語』の中で、妍子の造型は家の繁栄や物質的・人的交流の豊かさを体現する存在として、姉の彰子とはまた違った象徴性を有している。そのことは、妍子や娘の禎子の周辺に、女房たちの高い出自や豪奢な衣装、新たに制作された当世風の調度、道長家の幸いを喜ぶ人々の楽天的なさまが描かれること、さらに現世的な栄華と結びつく「栄花」「はなばな」などの、〈花〉にまつわる語の使用が顕著に見られることなどから推察される。 このように妍子方の描写を通じて道長家の繁栄が肯定的に印象づけられることは、〈源氏〉の血の卓越性を中心に据え、藤原氏を劣位のものとして描く『源氏物語』に対し、道長家のコミュニティが抱いたいくばくかの違和感の反映と考えられる。藤原氏の長者でありながら、〈源氏〉の側に立った物語を、実際に源氏を母に持つ娘のために作らせることの意義は、道長家内部の人々のアイデンティティの意識の複雑に錯綜したありようとかかわりが深いものと思われる。『源氏物語』をふまえて『栄花物語』正篇が作られ、読まれた空間は、藤原氏の誇りと〈源氏〉への憧れとが絡み合う混沌とした場であったと言える。
阿部, 朋恒
2013年6 月にプノンペンで開催された第37回世界遺産委員会において、雲南省南部の哀牢山脈に広がる「紅河ハニ棚田群の文化的景観(Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces)」の世界遺産登録が決定した。わたしはこの喜ぶべき一報を、世界遺産指定地域から50㎞ほど離れたハニ族の村落で手にしたが、その時点では登録決定の事実はおろか、世界遺産とは何かを知る村人にすら誰一人として出会わなかった。本稿では、そこで事態を説明する役割を担った私自身を巻き込む対話を通じて形成された、ハニ族の村落コミュニティにおけるローカルな「世界遺産」認識の一例を紹介し、さらにそこから浮かび上がる論点として、ハニ族が自らの文化をどのように概念化しているのかを検討する。 近年の中国では、文化遺産の制度的認定を求める機運がますます高まりつつある。それに呼応して学術界においても文化の資源化をめぐる議論が活発に行われおり、紅河ハニ棚田の世界遺産登録もまた、地元出身の文化研究者たちが現地政府に働きかけて声高に主導してきた申請運動が実を結んだものであった。したがって、世界遺産委員会の認めるところとなったハニ族の文化とは、少なからず政治的な戦略のもとで描かれてきた文化像を下敷きにしたものにほかならず、そこから棚田に暮すハニ族の今日的な村落生活をうかがうことは難しい。本稿では、世界遺産登録を契機として際限なく拡散されつつあるこうした「ハニ族文化」と、ハニ族が語る自らの「文化」のすれ違いについて具体的に検討していく。
Mulenga, Chileshe L. Mulenga, Chileshe L.
国際金融機関の指導の下に経済政治改革を実施したサブ・サハラアフリカ諸国の農村経済は、「厳しい、障壁がある、難しい、困難である」等と言及されてきた。これら農村経済は、衰退と住民の貧困増大を経験してきた。その結果は、政策改革で期待された結果とは異なり、国家レベルではその改革のせいだと考えられていたものとも異なっていた。国レベルでは、政治改革は国家経済を安定化させ、過去10年の間に平均5%の安定した成長を達成させることに貢献した。東部ザンビアのチパタ市にあるムワニ地区でのフィールド調査と文献調査の結果は、国際金融機関の支援によって経済改革を行ったすべてのサブ・サハラアフリカ諸国で報告されたと同様の経済的衰退、地域世帯とコミュニティの貧困の拡大を明らかにするものであった。ザンビアにおける経済政策改革によって、地域の経済環境は経済後退と貧困の拡大という結果をもたらした。これら予期せぬ結果は、農業と地域開発への公共投資の軽視が原因であった。しかし、この状況は経済改革、HIV/AIDS、環境変化の3重苦へ地域世帯が適応できなかったことによってさらに悪化した。農村世帯が農業自由化に対応できなかったことは、近年の旱ばつとHIV/AIDS の負の影響から派生したショックが経済改革と同時に進行したことによる。2000/2001 年及び2001/2002 年の農作期に起こった旱ばつによって、チパタ市ムワニ地区のほとんどの世帯の食料庫が空になり、家畜は回復の目途が立たないほどに打撃を受けた。ハイブリッド・トウモロコシ種子と肥料などの資材価格の上昇は、さらに状況を悪化させ、ほとんどの世帯は主食と換金作物であるトウモロコシの作付面積を減少させた。またHIV/AIDS 患者が出た世帯では、病気や死亡によって最も生産的な労働力の損失というさらなる経済状況の悪化が起こった。この状況は、貧困のプロセスへ移行し、国家経済の主流から取り残されることを意味しており、失望感をつのらせた。この結果、ムワニ地区のほとんどの世帯は森林資源や野生動物などの天然資源採集へ転換した。これらの採集は、伝統的技術に依存し、生産性も高くなく環境の荒廃を保全・改修するものではなかった。これらの天然資源採集は、温度の上昇や雨季の減少等の環境変動下ではとくに持続的ではない。ムワニ地区のみならずザンビアの農村世帯が自由化した経済環境、環境変動、HIV/AIDS などへ適応するための支援が必要とされる。
Meireles, Gustavo メイレレス, グスターボ
移住者は、ホスト社会に適応する際、エスニック・アイデンティティの保存とコミュニティの継続を促進し、脅威と思われる行動に対して防衛を図る。その過程において、共同体を代表する団体の設立につながる移住者の団結とネットワーク形成が見られる。文化とアイデンティティの維持がエスニック組織の主な役割とされているが、こういった団体はメンバーの定住過程にも大きな影響を与えている。エスニック組織というのは、文化・エスニック・アイデンティティの意識を共有する構成員によって設立されるものである(Sardinha, 2007)。そして、エスニック組織の活動は社会、レジャー、政治、文化、宗教、就労といった、様々な分野に広がる。本稿では、まずブラジルにおける沖縄系エスニック組織の発展過程を分析した。その過程を理解した上で、第6回ウチナーンチュ大会のデータに基づいてそのエスニック組織の実態と将来の展望を検証した。沖縄文化の維持と沖縄県とのつながりに関して、世代的な相違が見られた。若い世代は、日常生活において文化や言語力(うちなーぐちと日本語)の維持に消極的である。さらに、沖縄に関する情報源として、エスニック組織(県人会)よりも、インターネットやソーシャルメディアが多く挙げられた。多くの組織が沖縄県との交流プログラムを通じて若い世代の参加を促そうとしてきたが、その効果はまだ確かではない。本稿で取り上げる事例を見ても、交流プログラムの効果に疑問は残るが、世代交代によって生じる問題の対策として、ブラジルと沖縄に住む若い世代の交流が鍵となる可能性を示唆する。ブラジルの場合は、世代交代が進み、若い世代がブラジル社会に同化する傾向が強く、エスニック組織の維持継続はトランスナショナルなつながりにかかっている。ウチナーンチュ大会や日伯の若い世代の交流プログラムのような施策はブラジルにおける沖縄系エスニック組織の継続を促進する可能性を秘めている。
宮城, 朋世
本研究は、「先住民の方法論」(indigenousmethodologies)の視点に立ち、「しまくとぅば」ニュースピーカーの継承プロセスを「文化化」(enculturation)の視点から考察し、「しまくとぅば」を再生する意義を社会的機能の側面から捉え直すものである。「文化化」は、歴史的に抑圧された経験を持つ先住民コミュニティにおいて自身のルーツの文化的要素とつながり、そこに意義を見出していく脱植民地化のプロセスの一つとされる。本研究では「文化化」のプロセスが「しまくとぅば」継承の文脈においてどのように見られるのかをライフストーリーとして記述し、さらに、それぞれの語りをSCAT(StepsforCodingandTheorization)を用いて分析することで、「文化化」を軸にした「しまくとぅば」の継承プロセスとその機能を概念的に捉えることを目指した。また、その分析結果をもとに、今後「しまくとぅば」の継承アプローチとして重要と考えられる視点を考察した。研究の結果「文化化」のプロセスから「しまくとぅば」の継承を捉えると、ニュースピーカーには主に三つの社会的機能があると考えられた。一つは、自分らしさの獲得といったような、エンパワーメントの側面であり、二つ目は家族や身近な話者とのつながりの充実であった。そして三つ目は沖縄に対する関心の高まりと社会参画意識の高揚であった。そして分析の結果、ニュースピーカーの「しまくとぅば」継承の軸となっている要素は「沖縄」という集団的アイデンティティに対する思いよりも、極めて個人的な経験であると考えられた。したがって、ニュースピーカーの継承プロセスとして最も重要なことは身近な話者と「しまくとぅば」を介したつながりをもつことであり、世代間のつながりの中に「しまくとぅば」が意味づけされることが重要であると結論づけた。また、身近に話者がいなくなることが想定される将来的には、本研究で提示したような社会的機能に価値を見出すことが必要になると考察した。
高橋, 晋一 Takahashi, Shinichi
本稿の目的は,阿波踊りにおける「企業連」の誕生の経緯を阿波踊りの観光化の過程と関連づけながら検討することにある。とくに,阿波踊りの観光化が進み,現代の阿波踊りの基盤が作られるに至る大正期~戦後(昭和20年代)に注目して分析を行う。大正時代には,すでに工場などの職縁団体による連が存在していた。またこの頃から阿波踊りの観光化が始まり,阿波踊りを会社,商品等の宣伝に利用する動きが出てきた。昭和(戦前)に入ると阿波踊りの観光化が進み,観光客の増加,審査場の整備などを通して「見せる」祭りとしての性格が定着してくる。小規模な個人商店・工場などが踊りを通じて積極的に自店・自社PRを行うケースも出てきた。戦後になるとさらに阿波踊りの観光化・商品化が進み,祭りの規模も拡大。大規模な競演場の建設と踊り子の競演場への集中は,阿波踊りの「ステージ芸」化を促進した。祭りの肥大化にともない小規模商店・工場などの連が激減,その一方で地元の大会社(企業)・事業所の連が急激に勃興・増加し,競演場を主な舞台として「見せる」連(PR連)としての性格を強めていった。こうした連の多くは,企業PRを目的とした大規模連という点で基本的に現在の企業連につながる性格を有しており,この時期(昭和20年代)を企業連の誕生・萌芽期とみてよいと思われる。なお,阿波踊りの観光化がさらに進む高度経済成長期には,職縁連(職縁で結びついた連)の中心は地元有名企業から全国的な大企業へと移っていく。阿波踊りの観光化の進展とともに,職縁連は,個人商店や中小の会社,工場中心→県内の有力企業中心→県内外の大企業中心というように変化していく。こうした過程は,阿波踊りが市民主体のローカルな祭り(コミュニティ・イベント)から,県内,関西圏,さらには全国の観光客に「見せる」マス・イベントへと変容(肥大化)していくプロセスに対応していると言える。
神野, 由紀 Jinno, Yuki
明治末,日本に誕生した近代的な百貨店では,都市の新中間層を顧客に取り込むために様々な販売戦略を駆使した。呉服柄など流行の人為的操作を行い,呉服以外にも子ども用品や家具雑貨など新たな市場を開拓し,雛祭りや七五三,婚礼といった消費イベントを積極的に活用していく。新たな消費者である中間層は,自らの社会的な地位を顕示するための良い趣味を,商品を購入するという手軽な手段で獲得しようとし,初期百貨店は彼らに対して「良い趣味」を提供する役割を担った。この時期の三越呉服店の活動において特に注目されるのが,江戸的な趣味の影響力の大きさである。地方から都市に流入した中間層は,自らの趣味の欠如を埋めるため,百貨店の周辺に集まっていた好事家たちの趣味を模倣するという行動をとった。好事家たちの江戸的で風流な趣味が,中間層にとっての憧れとなり,彼らの消費傾向を規定していったのである。こうした事実は,明治末から昭和初期にかけて三越呉服店で販売され,人気を博していた人形玩具と風流道具に,最もよく表れている。本論では三越呉服店のPR誌に掲載されていたこの2種の商品に焦点を当て,一部の好事家の趣味が百貨店という場を介して大衆化されていく過程で,商品デザインがどのように変化していくのかについて,考察を試みた。商品を詳細に見ていくと,好事家の人形玩具収集趣味は,百貨店の雛人形販売の中で大衆向けの商品に置き換えられ,また実業エリート達による茶の湯の風流な趣味は,「風流道具」と称される茶道具やその周辺の家具雑貨類を通して,頒布会などで大衆に広められていったことがわかる。どちらにも共通して見られるのは,江戸的な趣味を継承していた一部の私的なコミュニティの美意識は,大衆化とともに,判り易い定型化された表象に置き換えられ,手軽に購入しやすい「商品」として生産されていくという特徴であった。これらは近代以降の大衆消費デザインを考える上で,重要な一側面であるといえる。
矢野, 敬一 Yano, Keiichi
高度成長期以降,中小小売業では近代化政策が推し進められていった。商店街地域を改造して街ぐるみの近代化を図ることによって,商業の振興だけでなく都市整備も図ろうとするのが眼目である。そうした政策を貫くのは商業の効率性,合理性を高めようとする論理である。新潟県村上市での商業政策もこうした路線に即したものであり,その近代化事業は街路事業と深くかかわっていた。自動車社会を見越し,道路拡幅によって商店街の近代化を図るべく期待が寄せられていく。そうした中で近年,ようやく市内中心部の商店街を貫く都市計画道路の計画実現へと事態が動く。しかし道路拡幅は一方では道路に面した数多くの町屋の破壊をも意味していた。そこで道路拡幅をせずに,町屋を活用してまちづくりを図ろうという主張が打ち出された。そのために町屋の魅力をアピールするイベント,町屋の人形さま巡りが立ち上げられた。訪れる者に商店の内部空間を開放し,茶の間に展示した数多くの人形や道具類を見てもらうのがその趣旨である。具体的にその展示の様相を見ると,数多くの人形や道具類が所狭しとばかり,室内に飾られていることが大きな特徴である。その展示は審美性を重視し,スペクタクル性や見て楽しむ遊戯性が感じられるという点で,効率重視の高度成長期的な価値観とは異なる。人形が展示されている茶の間とその周辺の通り土間を他者との関わりという観点からみると,過去と現在とでは大きな違いがある。商売の場とはいえ,主に面識ある者への接客中心だったかつてと異なり,市外からも訪れる幅広い客層を迎えてふれあい交流する場として,現在では活用されるように変化した。公と私との中間領域としての性格を活かし,より開かれた空間としての利用が図られているのだ。町屋の人形さま巡りは,新たな公共性に向けた回路として作動しているわけである。高度成長期の論理とは異なる,コミュニティの再生を目指すまちづくりの論理がここには見出せる。
篠原, 聡子 Shinohara, Satoko
日本住宅公団によって昭和34年から建設がはじまった赤羽台団地(所在地:東京都北区,総戸数:3373戸)は,団地としての様々な試みが実現した記念的な団地ということができる。本稿では,その中に配置された共用空間と居住者ネットワークに着目して,その関係について考察する。その後の団地計画の中で普遍的な位置づけをもつ共用空間として集会所があげられるが,当初,計画者の中にどのように使用されるか確たるイメージはなかった。韓国の集合住宅団地の共用空間との比較から,日本の団地空間に出現した集会所や集会室は,本来,住宅の内側にあった「寄り合い」や「集会」という社会的機能を私的領域から分離する役割を果たし,その空間的な設えも日本の伝統的な続きの構成が採用されていた。また,幼児教室,葬式などにも使用され,集会所は,都市的な機能の補完の役割もはたした。しかし,集会所が既存の建築の代替的,補完的なものであっただけではなく,高齢者の集まりである「欅の会」のような集会所コミュニティともいうべき,中間集団の形成に関与したことも特筆されなければならない。一方で,居住者によって設立された,牛乳の共同購入のための牛乳センターは,極めて小規模ながら,自治会という大規模な住民組織の拠点となった。また,住棟によって,囲われた中庭は,夏祭りなどに毎年使われ,赤羽台団地の居住者の,その場所への愛着を育む特別な場所となり,居住者の間に緩やかな連帯感を形成する役割を果たした。団地という大空間にあっては点のような存在でありながら自治会という大組織の拠点となった象徴的な空間としての「牛乳センター」,一列の線のように配置され,とくに機能もさだめられず,分節されながら多目的につかわれ,多様な中間集団の形成に関与したユニバーサルな空間としての「集会所」,それらを時間的,空間的に繋ぐ基盤面となった包容する空間としての「中庭」は,居住者ネットワーク形成に多面的にかかわり,それらが連携して使われることによって,団地という抽象的な集合空間は,赤羽台団地という生活空間となった。
シオウテワ, オクテイビアス イノーテ, ジム
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